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| “SVX専用のボクサーエンジン”
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初代(先代)アルシオーネVXで国産初の水平対向6気筒エンジン(フラット6またはボクサー6と呼ばれます)「ER27」を導入したスバルは、真のグランツーリスモを目指すSVXのために自然吸気DOHC、3.3リッターフラット6エンジン「EG33」を専用開発しました。フラット4独特のボロボロ音ではなく、6気筒特有のジェントルなボクサーサウンドが自慢です。 | |||||
| “すばらしいエアロダイナミクス” | 航空技術のこだわりを持った設計が自慢のスバル。SVXも例外に漏れず徹底したフラッシュサーフェイス化により、Cd値(空気抵抗係数)は当時国産車最高の0.29を誇りました。同時期に登場したホンダNSXが0.31であったことから、その凄さがわかります。しかしエアロダイナミクスの研究が進んだ現在、トヨタとホンダを中心に乗用車でも0.29を切るモデル(トヨタプリウスで0.26、鈍重に見えるセルシオはなんと0.25)が登場しています。 | |||||
| “先進の4WDシステム” | 前後輪の駆動力を路面状況や走行パターンによって自動的に配分する、可変トルク分配式4WD(通称:VTD-4WD)を搭載します。通常は前輪35パーセント、後輪65で駆動されますが、状況に応じて50:50まで可変します。このシステムは当時、ポルシェ959およびスカイラインGT-R(ATTESA ET-S)のみが授かったメカニズム。その制御方法はGT-Rを上回るものと言われ、SVXは前後反対に疾走するポルシェ959とも形容されました。先代アルシオーネVXで培われたトルク配分技術「ACT-4」を発展させたこの先進システムは、レガシィやインプレッサなどその後のスバル車へ採用されます。 | |||||
| “ジウジアーロの美しいデザイン”
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SVXは「ジョルジェット・ジウジアーロ(Giorgetto Giugiaro)」によってデザインされました。ジウジアーロはイタリアの大手デザイン会社であるベルトーネ社、ギア社を経て独立した工業デザイン界の巨匠です。SVXは工業デザインとしては珍しく、氏が描いたデザインがほぼそのまま市販車へ忠実に再現されています。発表から10年以上たった今でも色あせないSVXのデザインは、このクルマの大きな魅力です。 | |||||
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| “卓越した高速安定性” | 当時の宣伝コピー「500 miles a day(1日、500マイルを)」のとおり、長距離グランドツアラーを名乗ったSVX。先進の4WDと世界初の電動4WS(4輪操舵)の組み合わせがもたらす高速域での優れた安定性とシャープなハンドリングは、発表から10年以上経った現在でも新鮮です。またスムーズなフィーリングを持つ水平対向特有のショートストロークエンジンは、突然の盛り上がりに欠けるものの、いつの間にか速度が上がっているのにビックリさせられます。速度が上がるにつれ、路面を捉える能力が向上するように感じるしっかりした足回りにも驚嘆させられます。 | |||||
| “スバル車らしからぬ充実の装備” | バブル経済真っ盛りに開発されたSVX。当時のバブリーカーに習い、本革電動シート、12連奏CDチェンジャー、クルーズコントロール、車速感応式ワイパー、オートライト、オートエアコンなど、質実剛健といわれたスバルにしては多くの豪華設備を備えます。 | |||||
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| ボロい内装の質感...
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ジウジアーロも関与したと言われるインテリアは落ち着きのある上品な雰囲気ですが、幾分保守的な印象を受けます。いっそうのこと、一部のイタリア車にみられるようなクールなデジタルメーターを採用し、先進性をアピールして欲しかったものです。またスイッチやパネルなど各パーツの質感が低く、安っぽいタッチも残念です。車体の捻れに呼応して「ピキピキ」きしむインパネは、400万円級高級車として心残りがあります。 | |||||
| アクセサリー類の品質不足... | 走るメカについて、しっかり造り込まれたSVX。しかしアクセサリーの品質はイタリア車なみです。以下、新車時から発生していたと言われる私も経験した不満を列記します。 | |||||
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感度の悪いキーレスエントリー...3回に1度はヘソを曲げて作動しません。ドアの前で赤外線センサーに照準を合わせ、キーボタンを連打している私の姿はきっと不審者でしょう。 |
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| 恐ろしく悪い市街地燃費... | ハイオク指定のSVX、市街地での燃費はリッター5〜6キロ。燃料計が見る見るうちに下降します。当時のキャッチコピー“500 miles a day”は“100 liters a day”かも。しかし欧州車のような高速燃費の良さには大満足、下手に一般道を走るより高速を利用した方がオトクです。 | |||||
| 故障したら、さあ大変... | 専用エンジンとシャーシをまとい、ほとんどが専用設計のSVX。もちろん部品代もスペシャル価格です。エンジンやトランスミッションを壊すと数十万円コース、信頼ある専属メカニックを探してお守りしてもらうのが肝要かも。 | |||||
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| “困難を極めた3次曲面ガラスフォルム” | 未来的なラウンドウキャノピーが目を引くSVXのデザイン。ウィンドウすべてに3次曲面ガラスを採用し、究極のフラッシュサーフェース化を実現しています。この3次曲面ガラスの量産そして保安基準の取得は困難を極め、スバルは国内3大板ガラスメーカーである日本板硝子、旭硝子、セントラル硝子によるデザインコンペを実施しました。その結果、もっとも技術力のあった日本板硝子がすべてのガラスを受注した経緯があります。しかし初期製品にはガラスの歪みにより、「運転中、気分が悪くなる」といった珍しいクレームもあったそうです。 | |||||
| “国内販売台数わずか6,000台” | 1991年、不運にも登場と共にバブル経済崩壊を迎えたSVXを取り巻く環境。時同じくして三菱パジェロを発端としたRVカーブーム、またホンダオデッセイに始まるミニバンブームに伴い、SVXは販売不振に陥ります。装備を簡素化した特別仕様車で細々と延命されましたが、1996年までの総販売台数は僅か5,951台。これはカローラの月間(!)販売台数にも満たない数です。因みに輸出を含めた総生産台数は約24,000台です。 | |||||
| “ほとんどが専用設計” | 1985年のプラザ合意後の円高に伴い、国内各メーカは高付加価値でより利益率の高いクルマの開発で世界市場の再開拓に挑戦します。そしてセルシオ、ソアラ、スープラ(トヨタ)、インフィニティ、フェアレディZ、スカイラインGT-R(日産)、NSX、レジェンド(ホンダ)、ユーノスコスモ、ユーノス800ミレーニア、アンフィニRX-7(マツダ)、GTO(三菱)など、日本の名だたる高性能車が折しもバブル経済期(1988年〜1991年)に完成し、世界中を驚かせました。スバルもその波に乗り遅れまいと開発したのがフラッグシップカー「アルシオーネSVX」です。バブル期だからこそ許された莫大な開発資金の恩恵により、持てる技術のすべてを導入した専用設計が話題を呼びました。 | |||||
| “初代はこんなんだった”
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初代アルシオーネは1985年2月、“スバルXTクーペ”の名でまず北米市場に投入され、6月から日本での販売が開始されました。独特のくさび形ウェッジシェイプは高い空力性能を誇り、Cd値はSVX同様0.29(FF。4WDは0.30)でした。またサスペンションには電子制御フルエアスプリング式のエレクトロ・ニューマチック・サスペンション(EP-S)を採用、コンピュータ制御で常に車高を一定に保つほか、スイッチ操作で最低地上高を2段階(約3センチ。80km/h以上で自動的にLOWに)にコントロール可能な“ハイトコントロール機能”を備えていました。先進のサスペンションとスバル自慢のパートタイム4WDの組合せにより、オンロードだけではなく、オフロードでもボディスタイルからは想像できない優れたパフォーマンスを発揮しました。1987年7月には国産初の水平対向6気筒エンジン、そしてトルク配分型4WDを搭載した最上級グレード“VX”が追加されます。SVX登場までの6年間に約10万台が生産され、その多くが輸出されました。 | |||||
| “メインは北米市場だった” | 日米貿易摩擦が激化し、日本車輸出自主規制の真っ只中だった1980年代、国内各メーカはより利益率の高いクルマの輸出を指向しました。スバルの最上級車「アルシオーネSVX」も先代アルシオーネ(1985年登場)と同じくメインターゲットは北米とされ、1991年8月に「スバルSVX」という名で北米で先行発売されました。そして国内では1991年9月18日、六本木アークヒルズプラザで正式発表されます。ところで市販モデルは1991年の発表ですが、1989年には既に東京モーターショウでコンセプトカー「スバルSVX」として参考出品されていました。 | |||||
| “でも貧弱だった北米仕様” | 先行発売された北米モデル。意外に知られていませんが、中味は国内仕様とは似て非なる貧弱なものでした。自慢の4WDは先代アルシオーネVXのものを踏襲した旧システム「ACT-4」を採用、エンジン出力もデチューンされ(10馬力・トルク0.5kgのパワーダウン)、また4WSの導入は見送られました。当時、アメリカの政治家たちが「同じ商品でも日本人は高く買わされている」と内外価格差を煽り、貿易不均衡を訴えるスタイルが根付いていましたが、実は日本仕様が高い理由にはそれなりの理由があったのです。世界各国のきめ細かい顧客要望に応じた商品の開発に長けた日本企業。円高後の現在、もっとも高性能で最新の日本製品を世界で一番安く買えるのは紛れもなく「日本」です。 | |||||
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| “スバルの名は”
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意外に知られていませんが“スバル”は富士重工業株式会社の自動車部門で主に使われるブランド名です。昂(すばる)とは牡牛座に属するプレアデス星団の和名で、シンボルマークの六連星(むつらぼし)は肉眼で見える6つの星をかたどったもの、戦後GHQ(連合国軍総司令部)によって解体された旧・中島飛行機系の会社のうち、6社が結束して誕生したことから由来しています。因みに昴で一番輝く星が「Alcyone(アルキオネ)」、同社のフラッグシップカー「アルシオーネ」に冠されました。富士重工業ではこの他のブランドとして、駒鳥を意味する「ロビン(Robin)」を汎用エンジンで使用しています。
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| “中島飛行機がルーツのエンジニア魂”
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スバル(富士重工業)のルーツは第2次世界大戦中「隼」、「鍾馗」、「疾風」といった名戦闘機を生みだした中島飛行機株式会社です。中でも「疾風」は戦後米軍による試験飛行で日本の最優秀戦闘機と称され、その高い技術力に一定の評価が与えられたことで有名です。しかし戦後のGHQによる財閥および軍需産業の解体指令により、中島飛行機は15社以上に分離されました。その後、各工場では飛行機の技術を応用したモノコック式バスや、爆撃機の尾輪を使ったスクータなどを生産していましたが、GHQによる占領が終わるとそれらのうち6社がより強い開発力を目指して1953年に合併し、富士重工業株式会社として発足しました。 | |||||
| “国際基督教大学本館のひみつ” | 戦前、東京都三鷹市周辺に多くの拠点を持ったスバルの前身、中島飛行機株式会社。実は1949年に開講した国際基督教大学(ICU)は中島飛行機三鷹研究所跡地の一部に設立されました。当時は航空産業を担う優秀な技術者が結集した名実ともに日本の“ブレイン”拠点でしたが戦後、GHQ最高司令官「ダグラス・マッカーサー元帥」が日本のキリスト教化を進める布教活動を実施、同時に日本にキリスト教大学を設立しようと1948年より宣教師が中心となって「日本キリスト教大学財団」が設立されました。そして1949年、日米からの募金によって中島飛行機跡地の一部を買収、国際基督教大学が開講し、三鷹研究所本館は同校本館として新たな歩みを踏み出しました(因みに当時、キリスト教施設を靖国神社跡地に設立するという案もあったそうです)。
この他、武蔵野界隈の中島飛行機跡地として富士重工業(株)東京事業所(旧・三鷹研究所)、都立武蔵野公園/都立武蔵野北高校/NTT電気通信研究所/都営住宅(ともに旧・武蔵野製作所)があり、一部に巨大な地下壕が残されていることでも有名です。
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| “高級なメカニズム”
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日本初のモノコックボディ、電動ファン付きデュアルラジエータシステム、インボードブレーキ、そして世界初の電子制御無段変速機(ECVT)や量産オンロード4WDなど、歴史的に凝ったメカニズムの多いスバル。スバル360から継承されているこだわりのクルマ作りが多くのスバル通(“スバリスト”と呼ばれています)を生みだしました。
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| “日産の系列会社だった” | スバルは1968年、日産自動車と業務提携を結びました。サニーやパルサーといった日産車の生産委託業務を引き受け、日産との関係を深めて行きます。1970年代には日産からの役員も増え、次第に子会社的な一面を持つようになりました。1980年末の経営不振時には日産ディーゼル(株)出身の社長が就任して再建を果たしましたが1990年代末、親会社である日産自動車が経営危機に陥り、当時果敢に繰り広げられていた自動車産業の世界的な再編成に生き残るべく、新たな提携先を模索します。そして1999年12月、米国GMと業務提携を結び2000年4月には仏ルノー系列となった日産と提携を解消しました。 | |||||
| “あわや倒産の危機に” | エンジニア指向で理想主義的なクルマづくりを特徴としていたスバルですが、一部のスバリスト以外には幅広く受け入れられず、バブル経済で他メーカーが大幅な収益を上げている時、スバルは営業赤字を計上するなど厳しい経営状況に立たされていました。1980年代末にはこの不振を乗り切るために実質的な親会社であった日産自動車より多くの役員が投入され、再建プロジェクトが始動します。そして1990年6月には当時の日産ディーゼル(株)社長の川合勇氏が社長として着任し、日産色を強めて行きます。 | |||||
| “起死回生だったレガシィ”
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現在、レガシィと言えばステーションワゴンのブランド品と言っても過言ではない市民権を獲得しています。しかしレガシィ登場以前のスバル車ラインアップはアルシオーネを筆頭にレオーネ、ジャスティ、ドミンゴ、レックス、サンバーなど実用本位なクルマばかりが目立ち、販売は芳しくありませんでした。そして経営不振に陥ったスバルの起死回生の切り札として、当時のエンジニアの意地と技術力を結集し、社運を賭けたクルマとして1989年1月にデビューさせたのがレオーネ後継車である「レガシィ」でした。最上級グレード「レガシィRS」は現在も破られていない自動車記録「10万キロ世界速度記録」を所持しています。米国アリゾナ州のテストセンターで1989年1月2日〜1月21日までの19日間、平均速度223.345km/h(FIA公認の世界記録)で駆け抜け、圧倒的なポテンシャルを誇示しました。 | |||||