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阪神大震災と商船大 |
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平成7年の近畿地区国立大学体育大会開催予定校は商船大学でした。前年より関連施設の整備が進められてきましたが悲痛にも完工直後に震災が襲い、最終的に平成7年の体育大会は中止されました。写真は亀裂の入ったグラウンドですが、後方校舎付近の煙は魚崎商店街の火災のものと思われます。平成7年1月17日夕刻撮影。 |
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| 学生寮敷地内に設置されている看板です。地震直後に撮影したため、辺りはまだ真っ暗です。被害の凄まじさを知ったのは夜明け後でした。平成7年1月17日早朝撮影。 |
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構内で最も被害が大きかったのが専用桟橋、通称<ポンド>付近です。写真は実習船深江丸が停泊する岸壁が落盤した様子です。震災後、この深江丸は被災地救援船としての役割を果たしました。電力、水、衛生施設、居住施設を備えた船舶は重宝され、フェリー等も救援船へと転用されました。ところで右背後にみえる阪神高速湾岸線が地震日の夜、真っ暗な神戸の街を前にライトアップされていたのが印象的でした(罪悪感を感じたのでしょうか、間もなくライトアップされなくなりました)。平成7年1月17日夕刻撮影。 |
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大学至近を縦断する阪神高速神戸線の被害は目を見張るものがありました。写真はRCラーメン構造が災いして横倒しとなってしまった高架道路です。平成7年1月17日夕刻撮影。 |
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| 学生寮は無傷でしたが大学院生、通学生達が住む下宿の中には少なからず倒壊被害がありました。写真のように、損傷した下宿から持ち出したと思われる荷物を学内へ避難している姿が見受けられました。平成7年1月17日夕刻撮影。 |
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倒壊した正門です。平成7年1月17日夕刻撮影。 |
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寮生が愛用したお好み焼き屋「えっちゃん」も全壊しました。写真は営業を再開した仮設店舗ですが、スペースの関係上持ち帰り専門となりました。平成7年4月頃撮影。 |
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| 翌朝、学生課の通達によりとりあえず1週間の休校が告げられ、食糧等を確保できないとの理由によりできる限り神戸を離れるよう指示されました。写真は電車運転が行われている阪急西宮北口へ向かう寮生で、国道2号線芦屋付近で撮影したものです。学生寮から約4時間かけて歩きました。平成7年1月18日午前中撮影。 |
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学生寮の一部は3月まで避難所として使われました。写真は中庭に設置された仮設トイレで、はるばる東京や横浜から運ばれてきたものでした。風邪蔓延防止のため、手前にはうがい薬がみえます。平成7年2月下旬撮影。 |
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新造された校門です。平成7年夏撮影。 |
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| 校庭には写真のような仮設の部室が作られました。平成7年夏撮影。 |
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校門にあった掲示板ですが、震災を機に1号館前に移されました。写真は新設されたばかりの掲示板で未だ掲示物はありません。蛍光灯に照らされた真っさらな白い壁が復興の予感を感じさせました。平成7年夏撮影。 |
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