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とまったカレンダー、1989年9月19日(火) |
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| 無線室の壁に今もぶら下がる日めくりカレンダーは海王丸引退の日である「1989年9月19日」でとまったままです。当時の様子を数値的に残した合理的な空間です。昭和天皇崩御の前年、昭和63年(1988年)末は昭和天皇の様態悪化が取りあげられていたためか、西暦のみの記述が時代を感じさせます。 | |||
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とまった黒板、第2教室にて |
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| 第2教室は海洋教室で使う用具が置かれているものの掃除が行き届いており、黒板は今からでも講義に使えそうです。また背後にある本棚は当時のままの状態で残されていました。隣接する工作室はどうやら照明系統の主電源が切られているようで、風化が一番進んだ忘れられた空間となっていました。 | |||
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とまった金具、ハンモック吊り |
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| 戦後、海外に残された日本人は600万人とも言われ、終戦とともに一斉に帰国しなければならなくなりました。戦時中、マストを外されて徴用船として使われていた海王丸も戦後は引き揚げ船として従事し、支那大陸やシベリア、アジア各地と日本を往復しました。少しでも多くの引揚者を乗せるため、船内の至る所にハンモックがぶら下げられました。写真のようにハンモックを吊り下げるために使われたフックが、今も天井に残っています。旧・海王丸は誕生から60年余、激動の昭和を静かに見つめてきました。 | |||
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とまった改装、輸入品のしるし |
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| 初代日本丸と海王丸の建造に際しては、当時造船先進国であったイギリスから多くの技術導入が図られました。当時の日本で建造された大型帆船のすべてがスコットランドのリース市にある<ラメージ・アンド・ファガッスン社>によって帆装、艤装および設計が行われました。そのため艤装品の多くにイギリス製品が使われており、写真の手すりには「GLASGOW」の文字が確認できます。また鋼材にも輸入品が多用されたため、船内を見学中に目を凝らすと鋼材にかすかに残る「ENGLAND」の文字を確認することができます。なお、新・日本丸と海王丸は世界に名だたる造船大国となった日本がすべてを手がけました。 | |||
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とまったファイル、3席3等航海士の本棚 |
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| 各居室はできる限り引退直後の状態で残されています。船長室に残るワープロ、航海士の部屋に残る各種ファイルや予定表、談話室に残る酒瓶、各教室の本棚など、まるで時が止まったかのようです。見学コースよりむしろ非公開部分のほうが当時の面影を色濃く残しているように感じました。しかし10年の歳月を辛いのか、わら半紙や紙製ファイルは劣化が著しく、整理される日もそう遠くはないかもしれません。 | |||
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とまった電報料金表、見本の名前は「海王太郎」 |
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| 無線室の事務机には電報サンプルと料金表が残されています。引出しにはゴム印や名簿も残されており、当時の仕事ぶりが鮮明に映し出されます。 | |||
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とまったログブック、無線室の足もと |
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| 無線室の書棚のログブックは平成元年(1989年)を最後に途切れたままですが、昨日まで使われていたように並べられています。しかし見学コースになっているためか、ちょっとワザとらしくアレンジされているようです。 | |||
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とまった充電、非常用トランシーバ |
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| 無線室内にあるトランシーバー充電器です。通電されていませんが、現在も周囲が丁寧に掃除されているため、このまま使えそうなオーラを発していました。トランシーバー下の消火器は現在も定期的に点検されていますが、残されたオブジェのように錯覚します。 | |||