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clear.gif (820 バイト) ここでは世界の船、そして港をぶらぶら徘徊して見つけた貴重なワンシーン、そして皆様から寄せられた写真を紹介しましょう(11/11ページ)。
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アンカーはズルズルすべることも
練習帆船「海王丸」が強風で流され座礁...2004年10月20日22:00時頃、日本列島を縦断した台風23号の強風によって富山港沖0.7海里(約1.3キロ)に錨泊(錨を下ろして停泊)していた練習帆船「海王丸」が走錨(錨が引きずられること)して身動きできなくなり、防波堤近くの消波ブロックに座礁する事故が発生しました。ニュース映像を見た当初、富山港に係留されている旧・海王丸が漂流したものと思っていましたが私も8年前に実習生として乗船した現役海王丸であること、しかも実習中での事故であったことを知り、驚きを隠せませんでした。ニュース映像を見たところ巨大なうねりが甲板を洗っており、実習生居住区のほとんどが浸水していることから相当な犠牲者があるのでは、と予想していました。

当時、海上技術短期大学校の実習生84名と乗組員63名、そして研修生20名の合計167人が乗船しておりましたが奇跡的にも犠牲者はおらず18人が重軽傷を負いましたが翌日21日未明からの救出活動によって全員救助されました。本船は強風で走錨し、慌ててエンジンを使用したものの時すでに遅く、消波ブロックに座礁・浸水。瞬く間に船内の70パーセント以上が浸水して発電機が停止し、暗闇の中で浸水の少ない第1教室で襲いかかる高波の衝撃音に怯えながら一夜を過ごした模様です。

関係者の間で富山港沖は錨地として適切でないと言われていたこと、練習船は緻密なスケジュールを重視する傾向があったこと(10月23、24日に富山港で一般公開とセイルドリルが予定されていた)、台風が接近しているのにも関わらず陸岸より僅か0.7海里の場所で錨泊を続けたことなど、専門家の間でいろいろと議論された海難でもありました。なお、この台風23号は非常に勢力が強く全国で死者62人、行方不明者27人の被害を引き起こし、台風による犠牲者としては95人の死者を出した1982年以降、最も死者を出した台風となり、その他船舶にも大きな損害を与えました。


↑海上から眺めた無惨な姿。左舷側は居住区のほとんどが浸水し、海の貴婦人の面影は見る影もなく...燃料油が噴き出したためか、美しかった甲板上の出入口付近がひどく黒ずんでいるのが印象的でした。写真は事故後、サルベージ会社によってヤードがすべて撤去された状態です。


↑防波堤から眺めた事故直後のようす。居住区左舷側は比較的浸水を免れましたが、強い波の衝撃で水密扉からの浸水がすごかった模様。実習生一同は浸水した第1教室の限られたスペースに集められ、立ったまま真っ暗な一夜を過ごしたそうです。


↑サルベージ会社により、浸水して使用不能となった調度品が船内よりクレーンで取り出されている様子。帆船は50年以上使われる長寿命船ですが、この海王丸は就航してまだ15年。独立行政法人化により運よく(?)船舶保険がかけられており「現状復帰」を条件として保険で修理できたという逸話も。関係者によると、再利用できるものはすべて使用したとのことでエンジン部品の一部は抽出後、ひとつひとつ手作業で磨かれたそうです。

台風や津波接近時の着岸は危険です
ロシアの旅客船、強風により着岸中に横転...海王丸事故と同日の2004年10月20日、富山県伏木港万葉ふ頭に停泊していたロシア船籍の貨客船「アントニーナ・ネジダノーヴァ」号が台風23号の強風で岸壁に打ち付けられ亀裂が入り浸水し、転覆する事故が発生しました。通常、台風接近時は岸壁への衝突等を避けるため海上へ避難しなければなりませんが同船は退避せず、ふ頭に着岸中のまま台風を迎えました。甲板上に中古車を満載していたこともあり、バランスが悪かったことも横転の遠因とされました。なお事故当時、乗組員と約60人のロシア人観光客は上陸・避難していたため全員無事でした。

12月初旬、サルベージ会社によって船体を吊り上げたのちセメントなどで損傷部分が補修され、水抜き作業を実施。12月下旬、中国へ曳航されスクラップとなったとのことです。日本海で船体が折損し、油濁汚染を発生させたロシアのナホトカ号の悪徳船社のように放置されなかったのは何より!?

岸壁側に横転したアントニーナ・ネジダノーヴァ号。船は機関室が浸水すると、修繕するのに莫大な費用がかかり、よほど価値がある船でない限りスクラップに..。海上保安庁は「人命の救助」は行うものの、当然のことながら船体・貨物の救出は行いません。船体・貨物の救出を行うのがサルベージ会社。サルベージにも多大なお金がかかるため悪徳船社の場合、放置することもザラです。


↑ひと昔前までロシア船と言えば甲板上の中古車がトレードマーク?。船体撤去のため、岸壁上におろされたペシャンコの中古車。ちなみにこうした船体や貨物の救出を行うのが「サルベージ会社」ですが、当事者の足元を見て高額料金をふっかける悪徳サルベージ会社が世界に多数ありますので注意しましょう!

プロペラ“レーシング”を侮るな
自動車専用船座礁、2ヶ月後に炎上...自動車専用船「HUAL EUROPE」号は2002年10月1日夕方、横浜港を出航後、台風21号を避けるため急ぎ足で駿河湾沖へ向かっていました。しかし伊豆大島南沖を航行中、高い波のうねりの影響でプロペラが空転し(これをレーシング:Racingと言います)、エンジンの過回転を保護する機能が働いてプロペラが危急(自動)停止します。漂流状態に陥った中、機関部が復旧作業を試みるも運悪く大島まで非常に近かったこともあり、その努力も虚しくあっと言う間に(僅か15分とも言われる)座礁する場所としては最悪(?)とも言える岩盤むき出しの海岸に座礁してしまいました。座礁直後は浸水も少なく船内電源が供給されていましたが単独での離礁は不可能と判断、船長が船体放棄を決断して遭難通信が出され、翌日未明海上保安庁によって乗組員24名全員が救出されます。

しかし災難は続き..油抜き取り作業が行われる中、約2ヶ月後の11月26日未明に突如火災が発生。一部島民が避難する程の炎に包まれ、夕方ようやく鎮火するという2次災害に見舞われました。火災後、錆びて赤茶けた船体はしばらく放置され、サルベージ会社の選定にイザコザがあったのか(?)翌年2003年になってやっと撤去が始まります。100億円相当の自動車(韓国積みの新車と日本の中古車)3,885台を積載しての事故、そして2000年に就航してばかりのほとんど新造船に近い状態での災難であったため、業界では注目されました。

ところで私、とあるタイミングで事故当時の一等航海士(フィリピン人。2005年現在、船長)に会う機会があり、身振り手振り(+図解つき)で座礁時の怖さを語ってくれました。<タイフーン>と聞くとするどく反応するトラウマ状態を直視し、それまで「プロペラ・レーシングなんて本当に起こるのかよ」と他人事だったマインドが「明日は我が身」となったのでした。戦争体験ではないけれど体験者の実話はやはり迫力ありますね。


↑座礁の約2ヶ月後、大火に包まれるHUAL EUROPE号。熱で船体はくの字型につぶれ、その後サビに包まれた無残な状態で半年間放置されました。一説にはサルベージ会社の選定で時間を要したとも。ちなみに火災前のサルベージは日本の業者が行っていましたが、火災後の残骸撤去はシンガポールの業者が請け負っていました。


↑撤去のようす。ファンネルの船社マークはグレーのペンキでしっかり消されているのに苦笑。写真左の赤いボートで船内に入れそうでしたがが酸欠死したら数少ない犠牲者になりそうなので見送ることに。

輪切りにされて引き揚げました
濃霧での衝突・横転、その後も多重衝突が...2002年12月14日未明、濃霧のイングリッシュ・チャンネル(イギリスとフランスの間の海域)を航行していた自動車専用船「TRICOLOR」号の左舷側にコンテナ船「KARIBA」号が激突、TRICOLORは瞬く間に浸水してわずか数分足らずで左に15度以上傾斜し、乗組員24名は2手に分かれて全員脱出、同船は30分足らずでフランス・ダンケルク沖20海里の場所で完全に水没しました(KARIBAは頑丈な船首側に衝突したため沈没は免れる)。

船の行き来が多いことでも有名な水深約30メートルの航路の真ん中付近で船幅32.2メートルのTRICOLORが横倒しになっているため、海の障害物状態となったここでは2次災害が続きます。早速(?)12月16日の深夜には小型貨物船「NICOLA」号が衝突、そしてブイでマーキングされ警戒船がいるのにも関わらず2003年1月1日夕刻にはトルコのプロダクトタンカー「VICKY」号が衝突します。

踏んだり蹴ったりのTRICOLOR、海上交通の妨げとなるうえフランスの経済水域であることから撤去が急がれていましたが全長190メートル、重量3万トン近い巨体の陸揚げ方法に苦心します。最終的にサルベージに定評のあるドイツの会社によるダイヤモンドワイヤによって海中で9つに輪切りし(!)、大型クレーンで引き揚げる方法が抜擢されました。この前代未聞の輪切りサルベージ作戦は沈没して半年以上が経過した2003年7月より開始され、2004年10月に終了。情報公開が好きな欧米らしく船社協力のもとサルベージ会社のウェブサイト(その名もTRICOLOR SALVAGE:http://www.tricolorsalvage.com/)でサルベージの一部始終がビデオ映像とともに公開されていたのには驚きでした(情報秘匿が好きな日本では考えられませんが...)。


↑エンジンルームまでキレイに輪切りされたTRICOLOR号。現在の船は水密隔壁などによって沈むにくく作られていますが複数水密部屋へ同時に浸水するなど、打ちどころが悪ければ沈没します。戦艦大和やタイタニック号のような“不沈神話”はさすがに最近聞かれませんが。


↑事故当時、2,862台の欧州製高級車(BMW、ボルボ、サーブなど)と77個のMAFI貨(特殊シャーシに乗せられた重量物)を積載していました。一部の人が払い下げしたいと言ったそうですが写真を見る限り購買意欲はあまり湧きません...。

船は正面衝突に強いのだ
狭い水路でのメカトラブルは即、重大事故に!...2003年8月13日、ヨーロッパ第2の港と言われるベルギーのアントワープ港へつながる狭い水路を自動車専用船「NADA V」号とコンテナRoRo船「GRANDE NIGERIA」号がすれ違う際、正面衝突が発生。ともにパイロット(水先案内人)が乗船している中での衝突、GRANDE NIGERIA側に何らかの機器トラブルが発生し、NADA Vが全速後進するも衝突してしまった模様です。このように大型船はプロペラを逆回転させても停止距離は数100メートルにも及び、狭い水路での舵やエンジンの故障は即、座礁や衝突につながる可能性が高いことから「機関故障」も立派な「海難(船の事故)」に指定されています。パナマ運河やスエズ運河だけではなく、アメリカのコロンビアリバーやドイツのエルベ川のような幅200メートル足らずの狭く長〜い船長泣かせの水路を、今日も大型商船がタグボートの補助なしでメカトラブルにおびえながら(?)行き来しています。


↑GRANDE NIGERIA号の船首付近。船の前面は波浪の影響を受けやすく、また万一の衝突時に変形や浸水を最小限に抑えるため、非常に頑丈なつくりとなっています。前述「TRICOLOR」号の衝突事件のとおり、衝突時はできるだけ船首を見せている方が“勝ち”だとか...。


↑NADA V号の船首付近。どちらも頑丈な船首部分での衝突だったため、幸いにも浸水は免れます。衝突ののち、水路の邪魔になるためタグボートにより強制的に座洲させられました。海底の状態(底質といいます)が砂状であるなど船体にダメージを与えない底質の場合、安全のため船を強制的に座洲させることもあります。

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