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アジアとヨーロッパの最短ルート その大きさは?...アジアとアフリカの境界、紅海と地中海を結ぶのがスエズ運河です。エジプト領内に属し、その長さは運河北端の港湾都市「ポートサイド」と南端の商業都市「スエズ」を結ぶ全長90マイル(約167キロメートル)です。船の大型化にあわせて幾度かの改修が行われ、現在は大型タンカー(載貨重量15万トン)の通航にも対応した幅160〜200メートル、深さ19.5メートルの運河です。1970年代の拡幅増深工事には日本の企業も参加しました。スエズ運河を利用してアジアからヨーロッパへ航海すると、アフリカ南端の喜望峰経由にくらべて約4,000マイル(約7,400キロ)も航海距離が短縮できます。地中海と紅海の水面がほぼ同じ高さのため、パナマ運河のような閘門(ロック)の必要がなく、水の流れが小さいのも特徴です。 紆曲湾曲のあしあと...1859年、フランス人レセップスによって建設が開始され、1869年に開通しました。当初はフランス、エジプト両国が出資した「万国スエズ海洋運河会社」によって運営されていましたが、1875年に英国が財政難に陥ったエジプトから同社株の44%を取得して経営を支配するようになります。さらに英国は1882年に運河地帯を占領し、恒久的な英軍基地としました。以後、スエズ運河は英国のアジアに対する侵略支配に重要な役割を演じましたが、1956年のスエズ動乱(英仏両国のアスワン・ハイダム建設援助撤回を発端とするスエズ運河の利権争い)後にエジプトが国有化し、スエズ運河公社の管理下に置かれます。1967年の第3次中東戦争(アラブ諸国とイスラエル間の対立戦争)以来封鎖されていましたが、1975年に封鎖が解かれました。 |
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行儀よく並んで行きます |
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![]() 軍艦は最優先 写真はイラク奇襲準備のため、遙々大西洋を渡ってペルシャ湾へ向かうアメリカ海軍です(2003年1月31日撮影)。ヒミツのベールに包まれがちな原子力潜水艦も、エジプト領海内ということで礼儀正しく水上航走していました。ところで軍艦は国籍を問わず国際条約で特別扱いされています。狭い運河の中では追い越しができないため、軍艦は緊急時の迅速な活動を考慮して船団<コンボイ>の特等席である最前列に並びます。 |
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![]() 運河で分断された都市開発 運河を航行していて気付いたのはシナイ半島側の都市整備の遅れです。アフリカ大陸側は灌漑施設の充実によって緑が豊富なうえ道路や鉄道網が発達していますが、シナイ半島側は砂漠に覆われている部分が多く、インフラの整備も遅れているようです。アジアとヨーロッパを身近にした運河ですが、皮肉にもシナイ半島の過疎化を生んでしまったのかもしれません。蛇足ですがシナイ半島開発の遅れは、アラブ諸国とイスラエルの紛争も影響しています。写真はアフリカ大陸側を運河に沿って走る鉄道と鉄塔線です。 |
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通過は1日がかりです |
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![]() プール付きの大豪邸? オイルダラー、いや「キャナル」ダラーによるものなのでしょうか、雑然とした住宅が多い運河沿いで、珍しく豪邸を発見しました。プールに浸かりながら目の前を往来する大型船を見晴らす気分は、ここだけでしか味わえない「デラックス仕様」なのかも。 |
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![]() アッラーへの祈りを欠かさないパイロット 禁断の激写!、写真はメッカの方向を向いてアッラーへお祈りするパイロットです。イスラム教では1日5回、メッカ礼拝を遵守するよう義務づけています。狭い運河で礼拝のために船の指揮を中断するのは危険なのでは、と思われるかもしれませんが2名のパイロットが交代で礼拝するためご安心を。因みに写真の赤布は礼拝用のものではなく、もちろん共産党の赤旗でもなく、船で使われる国際信号旗「B旗」です。私は当時、パイロットが無造作に置かれたこの旗(船の備品)に触れているとき、「このオッサン、親切にも旗を畳んでくれるのかぁ〜」と勘違いしました。そしてフィリピン人当直員に「旗を畳むのを手伝ってやってくれ」と指示してしまいましたが、その直後に礼拝が始まったので、きまり悪い思いをしました。フィリピン人船員の笑いをこらえる姿もコミカルでしたが、危うくアッラーがヘソを曲げて船が座礁するところ(?)でした。 |
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運河の信号所 |
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船からの見晴らし |
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![]() 戦勝記念碑と現役の戦車たち パレスチナ問題を抱える中東地域。エジプトも4度の中東戦争を経験しているため、運河沿線には軍事施設が目立ちます。私の見た演習風景はちょっとかったるそうなムードでしたが、エキゾーストノートを奏でながら砂漠を疾走する戦車は一見の価値があります。因みにイギリス人は、これらエジプト軍の戦車が悠々自適に砲身を運河へ向けて整列することに、無性に腹が立つそうです。古〜き良き、大英帝国の時代は終わったのだけれども、旧植民地に銃器を向けられるのは、やはり気にくわないのかな。
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![]() テロに目を光らせる兵士 運河、観光、原油に支えられたエジプト経済。冷戦後、イスラム原理主義運動が増えつつあるエジプトでは、航行船へのテロは大切な運河収入を失い、エジプト経済に致命的な打撃を与えかねません。そのため、写真のように運河へのテロを警戒する兵士が、厳しい面立ちで警備しています。1997年には、観光名所ルクソールで原理主義過激派によって日本人11人を含む観光客65人が殺害される事件が発生し、観光業が大ダメージを被ったことから、政府はテロに神経を尖らせています。 |
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大陸をむすぶ架け橋 |
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![]() ムバーラク平和大橋ができるまで シナイ半島はアジアとアフリカを結ぶ重要な地点に位置しているものの、パレスチナ問題による紛争、また半島と本土を分断し東西陸上交通の妨げとなっているスエズ運河の存在という2つの障害により、これまでその開発は大幅に遅れていました。しかし1994年、エジプトは「シナイ半島開発計画」をスタートさせ、シナイ半島の潜在的な資源を有効に活用し、農業、鉱工業および観光業の推進を目標としました。この開発計画を円滑にすすめるために架けられたのがこの橋です(写真はJICAホームページより)。 |
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![]() この橋、その名も「Japan - Egypt Friendship Bridge」 橋の中央に掲げられた看板によると、橋の名は「Mubarak Peace Bridge(ムバーラク平和大橋)」で、現エジプト大統領ムバーラクから名付けられています。主橋梁部は日本政府の無償援助で建設されたため、別名「Japan - Egypt Friendship Bridge(日挨友好大橋)」と呼ばれています。 |
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すれ違いはここで |
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![]() 電子海図上ではこのように見えます 対面通航部分は、単線鉄道の複線区間によく似ています。写真は電子海図上のレーダ映像ですが、円内右下が本船で現在上方(北行き)へ向かって航走中です。前方にある緑色の点は先行する船、左側の 水路上に見られるたくさんの点は、すれ違いを待つ船です。 |
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ボートマンの本業は? |
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![]() よく見るとガラクタばかり? 水路での係留作業がなければボートマンの仕事はありません。そこで内職として土産屋を開きます(こっちが本業?)。ピラミッドの置物から日本円の値札がついた釣り具まで、雑多な商品群が自慢で料金は交渉次第です。買い物のコツはできるだけみすぼらしい格好をし、イスラム教の慈悲に訴えて値引きを迫ることです。小生は当日、一番ボロいつなぎ服を羽織って髪をボサボサにし、交渉開始。顔つきから韓国人と間違えられたため、韓国人になりすまして大幅値引きを獲得しましたが、しれじれと日本製デジカメを出したことから日本人であることが発覚してしまいました。 |
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![]() 華麗なほど低い労働生産性を誇る、ボートマンたち たとえ係留する予定がなくとも、大型船では必ず2隻のボート(計6名のボートマン付き)を取らなければなりません。スエズ運河は数少ないエジプトの基幹産業のひとつであるため、その利権を巡って多くの業種が蔓延ります。必要以上に多くの税関、官憲職員が乗船し、また水先人、電気技師(ただ照射灯のスイッチを入れるだけ)、ボートマン、そして人員輸送用ボートの運転手など、多くの人々が運河に関わっています。 |
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運河を横切る渡し舟 |
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![]() トレーラだって運べます 頼りなさそうな渡し舟ですが大型トレーラやタンクローリ、建機も積み込みます。小型で収容能力が低いため、フェリー乗り場前には大型トラックの長蛇の列が見受けられます。 |
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パイロット下船 |
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![]() 運河南端の都市、スエズ 写真はエジプト北東部の都市「スエズ」でアラビア語では「スワイス」と呼びます。スエズ運河の南端に位置し、紅海のスエズ湾に臨む商業の中心地です。首都「カイロ」ならびにスエズ北端の街「ポート・サイド」へ鉄道が通じています。16世紀、オスマン帝国の海軍貿易の基地で、スエズ運河開通により発展してきました。 |
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