貞享2年「生類憐みの令発布」、と一言で言ってはいけない。
なぜなら、その後23年間約60回にわたり、さまざまな発布がされている。

しかし、何故このようなことになったのか。色々な説があるらしいが、継嗣徳松の死というのがやはりそれらしい理由に思える。
徳松の死により、綱吉の仏教への深入りに拍車がかかり、それを促進させたのが大奥の女性陣、特に綱吉の母桂昌院だと思われる。

昔、桂昌院が京都の仁和寺に詣でたとき、そこの僧であった亮賢は「あなたは、非常な出世をとげる相がある」と言ったという。
事実その通りになり、その後江戸湯島の知足院の住職だった亮賢は、綱吉によって護国寺の住職になる。
そして彼の出現以後、大奥は真言密教的色彩が強くなっていくのだ。

徳松の死後、この亮賢が「人に子なきは、前世における殺生の報いである。子を得んとせば、殺生を慎み、生類を憐まねばならない」と説いたという。ただ、このように説いたのは、亮賢死後、寵を集めた隆光だという話もある。

とはいえ、徳松が亡くなったのは天和3年(1683)5月、生類憐みの令が発布されたのが貞享2年(1685)7月。2年も間があいている。
この間変わったことは・・・とういうと、貞享元年(1684)8月に大老堀田正俊が刺殺されている。
想像するに、堀田正俊は儒教的教養の持主で、性格も厳格であった。
彼が大老であったならば、決してこの政策は実施されることはなかったのではないか。
そして彼の死後、「生類憐みの令」が世に出現することになる。
1685年 貞享2年 2 12 みだりに鳥銃を放つことを禁じ、逮捕人・訴人には賞金を与えることとする
11 7 鳥類・貝類・海老などを今後料理してはならない
1687年 貞享4年 1 28 重病の生類を死なないうちに捨ててはならない
2 21 飼犬の毛色を帳簿に記せ。犬の出入りは正確に把握せよ
27 食料として魚鳥を養うことを禁止
3 26 生鳥を飼うこと禁止
4 11 禽獣の類で、人に傷つけられたものあらば訴え出よ。主のない犬には食物を与えよ
30 鳩を礫にて打ちたる者処罰
7 20 市内で大八車や牛車などが犬をひかないようにせよ
9 13 往来の者で生類を傷つけた者がいたら、辻番所の番人はその者の住所を聞き、後日の調べがあるまで他出しないよう申し付けよ。辻番に止めておくには及ばない
11 15 捨馬をするな。捨てねばならぬほど衰えた牛馬は届出よ。生類を人が傷つけたならば、その場で調査せよ。傷ついてもまだ死なない生類を見かけたら、その者が速やかに引き取り養え
12 23 捨馬をするな。した場合には遠流
1688年 元禄元年 10 9 牛馬を捨てるな。牛馬が病で用に立たなくとも捨ててはならない。代官・地頭へ届け出ろ
1689年 元禄2年 6 28 猪鹿狼が田畑を荒らしたり、人馬を殺傷する場合には、横暴の時のみ日を限って銃で撃ってもよい。しかし追い払うのが本当で、みだりに銃を用いるべきではない
1690年 元禄3年 3 16 鳶が巣をかけないよう見廻り、その巣があれば取り捨てよ
1691年 元禄4年 2 28 衰えた犬が沢山いるが、心を入れて養育せよ。犬が喧嘩している時は水をかけて分けよ
10 24 蛇・犬・猫・鼠に至るまで、これらに技芸を教えて見せ物にしてはならぬ
11 15 鳶が巣を作ったら、卵を産まない内に速やかに捕えよ。しかし卵や雛があれば、そのままにせよ。牛車や車をひくときは宰領をつけ、生類にさわらぬよう気をつけよ
1692年 元禄5年 1 20 子犬が道路をうろうろする場合は、母犬をつけて往来のさまたげにならないようにせよ
10 3 子犬を粗末にするな。大きくなるまで犬小屋に入れておけ。狂犬がいても捕えないようだが、これは捕えてつなげ
1693年 元禄6年 4 30 猪鹿狼が出る場合には空銃にて撃て。それでも止まらなければ、玉込して撃っても良い。その場合には届けよ
8 16 釣をしてはならぬ。釣舟禁止
10   犬を傷つけるな。主なき犬をなぐるな
1694年 元禄7年 1 28 将軍御成りの道において、犬が喧嘩している時は、供の者であっても、速やかに出て引分けよ。衰えた犬をいよいよ撫育せよ
3 5 生類憐みのこと、近頃怠慢の様子がある。いよいよ心を入れよ
4 27 傷ついた犬がいるという。犬を傷つけた者は速やかに捕えよ
5 22 傷ついた犬がある時は、その町中の過失とする
29 子犬を捨ててはならない
7   犬が喧嘩して傷ついた場合は、その毛色や傷の模様を細かく記し、犬医に見せ、薬をもらえ。もちろん犬医には謝礼を出せ
9 5 江戸市中の金魚の数を詳しく書き出せ。金魚を飼うことは差支えないからありのまま記せ
10 10 一層、生類憐みの令の徹底を計れ
1695年 元禄8年 2 7 子犬を川へ流してはならない
13 衰えた犬を見掛けたら養育せよ
21 鳶の巣を取り払え。しかし卵がかえったならば、そのままにしておけ
  尋常でない魚鳥獣、其の他変わった生類を捕えてはならない。死んでいたら埋めよ。もちろん売ってはならない
5 23 もと鷹匠であった寄合番尾関甚左衛門・井口理兵衛・野辺庄九郎・比留勘右衛門・沢平吉の5名を大久保犬小屋支配とす。これは大久保四谷に犬小屋を作り、主なき犬を養うに当たり設けられた職制である
10 14 中野村犬小屋営築に当たり、森長可・京極高成に人夫を出すように命ずる
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   ・(途中省略)
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1708年 宝永5年 11 9 狂犬を見掛けたら辻番より所轄の者に届けよ