私は、十数年間パソコンを使い続けてきています。今から十数年前というと、丁度オフィスにパソコンが普及し始めた頃です。現在20歳くらいの人が物心つくかつかないか、程度ですから、実質的にパソコンの今も昔も知っている数少ない世代ということになるのでしょうか。この間、パソコンの性能はめざましく発展をとげてきましたが、本質的なところでは何も変わっていません。つまり、根本的な使い方そのものは今も昔も同じだということです。その根本的な使い方こそ実は究極の活用につながると思っています。別に哲学をしようというのではありません。ただし、よくある「今すぐ使える裏技集」の類のものではありません。それこそ、「究極」を手に入れようとするのですから、ある程度じっくりと腰を落ち着けてご覧ください。「そんなヒマはない」という方は、直ぐにこのサイトを閉じることをお勧めします。また、私の言う究極とは、PCを事務の仕事に使う上での話です。元々そのための機械だったし、そのような使い方が今でも基本だと思います。ですから、マルチメディアや高度な科学技術計算をすることについてのお話ではありませんので、そういったお話を期待されている方もすぐに閉じられるのが賢明です。
大それたタイトルを掲げていますが、何も大袈裟なことをいうつもりはありませんし、他人の使い方を決して否定するわけでもありません。ただ、「これを知らなかったばかりにずいぶんと効率の悪い仕事をしてしまった。」というケースに少しでもお役に立てればそれでいいと思います。もし、何かの参考になりそうなことがあれば幸いです。
人は太古の昔から様々な道具を自ら作り出し、そして自ら使用し、自ら改良を加えて今日に至っています。その間、常に人間が機械を使役する(当然といえば当然)立場にあったはずです。ところが、パソコンの登場でその立場が逆転してしまいました。と言うと大袈裟かもしれません。でも、不本意にせよ「パソコンに使われてしまっている」ことは実は多くの場面で見られます。
一つの例を示しましょう・・・ワープロソフトで文書を作成している最中に、パソコンが突如一切のキー入力を受け付けなくなったとします。「もしかするとフリーズしたのかも」と思って、しばらく何も操作をしないで待っていたり、Escキーをバシバシッと叩いたり、すぐにリセットしたり、人によって対応や反応は様々でしょう。しかし、あることに気付ば(あるいは知っていれば)簡単に元の状態に復帰できる、としたらどうでしょうか。気づくか気づかないか、あるいは知っているか知らないか、によって随分とその後の作業の進み具合が変わってきてしまいます。
一方、私たちに馴染みのある別の機械ではどうでしょうか。例えば、自動車を運転していて、何も間違った運転操作をしていないのに、突如エンジンが止まってしまったら・・・
これは、すぐに故障だと判断できます。機械ですから故障は付きものです。故障すれば修理する(あるいは修理してもらう)、という単純な判断はきっと誰にでもできるでしょう。自動車に限らず、大抵はどのような機械でも同じような判断ができるはずです。
パソコンで、「フリーズ」は、はっきり言って故障です。しかし、その状態になっていることを「判断する」基準が極めて曖昧なために、しばらくは「どうしようか迷ってしまう」ことになります。自動車の場合は「間違った操作をしていない」自信があるのに、パソコンの場合は、その自信はかなり脆弱なものであると言わざるをえません。このことは、初心者だけでなく、かなりの上級者でも同じことがいえます。(「上級者」という表現については、特に厳密な定義はありませんし、敢えてしません。イメージとしてはある程度経験があり、自分でパソコンに起きたトラブルを解決できる人、のような感じです)
先ほどの、「突如キー入力をうけつけなくなった」状態は、もしかするとタスクバー(Windowsの場合)をクリックしてしまっただけかも知れません。これはパソコンにそれほど精通していなくても「ウィンドウがアクティブになっていない」だけだと判断できることです。しかし、上級者でも忙しいときなどは判断を誤ってしまうかも知れません。
そこに、パソコンという機械の特異性があり、「パソコンに使われてしまっている」現象の元になります。何かのコツを知っていれば、便利だし、そうでなければ不便だし、下手をすればパソコンに使われてしまう。パソコンとはそんな機械だということです。
パソコンがコンピュータであり、その性能をぐんぐん増大させていたとしても、やっぱり所詮は機械です。なのに、人間を使役する(もちろん比喩としてです)のは、実は、パソコンという機械の持つもう一つの特徴に原因があります。
パソコンはそもそもコンピュータです。コンピュータとはただの計算機ですから、電卓に毛の生えたようなものです。(というとパソコンのメーカーの人から怒られそうですが)ですが、実際には、電卓にはない、電卓よりも遙かに高い機能を備えています。どうして「計算機」であるはずのパソコンで、絵が描けたり、音楽を再生できたりするのでしょうか。そのあたりに、パソコンの謎が隠されていて、それが「究極」を目指す上で重要なポイントになります。
パソコンは機械で、人間が命令しないと何も動作しません。ただ、命令すると言っても『印刷しなさい』とか『合計を計算しなさい』などと口頭で命令しても聞いてはくれません。パソコンにわかる言葉でないと理解できないのです。では、パソコンにわかる言葉とは何でしょうか。この答えとして用意されているのが「0(ゼロ)と1(イチ)」です。パソコンは元々コンピュータですから、0と1しか理解できません。本当は0や1の数字も認識できませんから、電気的な強弱で0と1を識別していることになります。パソコンに対する命令に関して本来の筋を通すなら、この0と1を組み合わせで行う、ことになります。しかし、実際には人間にとってはおよそ理解できない0と1の組み合わせで、パソコンに命令することが事実上不可能です。何かの工夫が必要でその工夫が現在では当たり前になっています。
パソコンへの命令が0と1の組み合わせで、人間には到底不可能なので、何かの工夫が必要であるところまではご理解いただけたでしょうか。その工夫についての概念を簡単に説明します。
ひとまとまりの命令を形成する0と1の組み合わせ等を、ある程度人間の理解できる言葉に置き換えてそれを組み合わせるようにしたのがプログラムです。しかし、パソコンに命令しようとしたときに一々プログラムを作成したのでは日が暮れてしまい、とても仕事どころではなくなってしまいます。そこで、プログラムをさらにいくつか組み合わせてパッケージにしたもの(ソフトウェア)を使うことにより、パソコンを色々な目的で使えるように工夫しているわけです。パソコンは、私たち(ユーザ)が選んだソフトウェアに含まれるプログラムを、ユーザの与えるきっかけ(現在ではマウスでクリックすることなど)により、プログラムの内容を記憶し、順番に実行していきます。
ソフトウェアに対して機械としての部分(目に見える部分)をハードウェアといいます。パソコンは常にハードウェア(ハード)とソフトウェア(ソフト)の両輪によって動いているのです。ソフトとハードという具合に、よく対にして用いられる言葉でもあります。
ハードとソフトの関係は、丁度、自動車のエンジンと車体のようにどちらが欠けても用を成さない、という関係です。ですから、どっちがエライとかいうものでもありません。
ところが、ずっと以前はハードの方がエラくて、「ハードにあわせてプログラムを作成する」のが主流でした。車体が先に作られて、それを動かすためのエンジンを制作する、といった感じでしょうか。
それが、いつの間にか立場が逆転してしまってソフトの方がエラくなっているのが現状です。エンジンを先に作っておいて、それをのっけるのに相応しい車体を作る、というようなことになります。本来ハードを動かすためのソフトが先にあって、それに合わせてハードを製造する、というのは何となく違和感を覚えます。
少し話が横道にそれてしまいましたが、とにかくソフトウェア(ソフト)は、ハードを動かすためのプログラムの集まりであることには違いありません。現在市販されている多くのソフトを使わずにパソコンを使いこなせる人は、そう多くはいないでしょう。ちなみに、私には到底無理です。
それはさておき、ソフトも誰かが作っているものですが、何のために作っているのかというと、いうまでもなくビジネスのためです。とりわけ資本主義社会においては金儲けのためです。「ユーザさんのために、ユーザさんが少しでも使いやすいように、ユーザさんの立場を考えて作っています。」というアピールは当然します。ですが、それが一義的ではありません。そのことを理解しなければ、究極のパソコンの活用はできません。つまり、パソコンとは必ずしも自分に都合のいいようにはできていない、ということを知ることです。
そうすれば、「パソコンが思い通りに動かない」といって嘆くことも無くなります。逆に、思い通りに動かすにはどうすればいいのか?を考えるようになります。ハードさえソフトに合わせて作るのですから、ユーザはそのハードとソフトの組み合わせによってもたらされるものを恩恵とするためには、かなりゆとりのある心と少々の不具合もサラっと水に流すキップの良さが必要です。
たとえば、『1 パソコンという名の機械』のところでお話しした、「突然一切のキー入力を受け付けなくなった」状態が、もしかすると、単純にアクティブのウィンドウがビミョーに最大化になっていなくて、すこしだけ見えていたデスクトップの一部をクリックしてしまい、ワープロソフトが非アクティブになっていただけ、だったとしたら、全くあわてる必要はないはずです。ソフトを本当にユーザライクに作るなら、こうなる可能性があるならば、文字入力を受け付けるためのソフトがアクティブでないとき、直近のアクティブだった文字入力可能なソフトを自動的にアクディブにして、文字入力を受け付ける、ようにできるはずです。
これは、ほんの一例にすぎません。ソフトがそういう作り方になっている以上、ソフトに人間が合わせる必要があります。それが究極への道につながります。
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