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大和諸神社情報
Last modified on Jan. 10th,1999
このページは、記紀に登場する神々・事件・地域にまつわる、大和を中心とした畿内の神社に関する踏査結果をまとめたものです。
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現地踏査及び執筆:堀田拓司(HOTTA,Takuji)
索引
関連リンク
- 神奈備にようこそ
瀬藤禎祥さんのページ。延喜式の神社のリスト等、神社関連の情報が充実。
登弥神社
調査日:平成九(1997)年四月十八日
読み:「とみじんじゃ」(しかし周辺地域では「とね」とも。)
正式名称:「延喜式内小社 登彌神社」
別称:「鳥見神社」「木嶋(このしま)大明神」
所在地:奈良市石木町木島(大和郡山市城町主水山の近隣)
交通:大和郡山市・近鉄郡山駅前バスターミナルから奈良交通バス「若草台」等方面行きで「木島(このしま)」にて下車、北へ徒歩1分弱。
祭神:
- 東本殿
- 高皇産霊神、誉田別命
- 西本殿
- 神皇産霊神、登美饒速日命(とみ・にぎはやひのみこと)、天児屋命
- 攝(摂)社
- 大日[?]命、豊受比賣神、天宇受女神、大山祇神、庭高津日神、
- 大物主神、菅原道真公、猿田彦神、大己貴神、八重事代主神、
- 瀬織津姫神、速秋津姫神、速佐須良姫神、気吹戸主神、
- 表筒男神、中筒男神、底筒男神(以上十七柱を五社に合祀)
- (※ 不明字は、「あめかんむり」「口口口」「女」を縦に積んだ字。)
御由緒:(境内立て札より書写)
「皇紀四年春二月二十三日、神武天皇がこの地に於いて、皇祖天神を祭祀されたのがそもそもの渕源であり、その後登美連(※「とみのむらじ」でしょう)が、祖先である天速饒速日命の住居地・白庭山であったこの地に命ご夫妻を奉祀したのが当神社のご創建であります。」
(「天皇陛下ご即位五十年を記念して 昭和五十年乙卯十月八日建之」)
筆者からのコメント
- 大きくもない神社ですが、実家のごく近所であることと、由緒(及び祭神)がわりと面白いので、載せました。冒頭を飾るのは御贔屓の証拠です(^_^)。
- 登美饒速日命は、ニニギノ命とは別に天降った神で、登美長スネ毘古の妹を娶り、長スネ毘古とは違って神武天皇に従って登美氏の祖となった、と記紀にあります。
- 誉田別命はホムダワケノミコトと読めるので、応神天皇のことだと思われます。
それにしてもこの方、あちこちのお社のご神体に名を連ねています。ちなみに、八幡様として宇佐神宮で伊勢の祖神に継ぐ皇室の崇拝を受けているのは、この方です。ただ、その御神徳を目当てに祀られているお社ばかりではなく、その社の造営された由緒か時代に関わる都合で祀られている場合もあるのでしょう。
あまり新しいお社(平安以降くらい?)だと、何となく一緒に連なっていたりもするのでしょうね。(^^;
この神社では誉田別命と登美饒速日命が同じ位に祀られていますが、とある学説では「神武=崇神=応神」と言う説があり、やっぱりか?……と思ってしまいますね。ただ、この説についてはまだ筆者自身は静観したいと思います。
- 「天児屋命」は「天児屋根命」でしょうか。写し間違いではないと思いますが……。
- 「大日[?]命」は、不明字があまりに馴染みのない字なのですっかり忘れていました(^_^;。「オオヒルメノミコト」、つまり天照大神のことですね。
- 蒼々たるメンバーが揃っているのは、深い意味を持っているのか、はたまた意味のないにぎやかしなのか? にぎやかしにしてもここまで来ると凄いです。
春日大社
調査日:平成九(1997)年四月十八日
読み:「かすがたいしゃ」
正式名称:?
所在地:奈良市
交通:近鉄奈良駅またはJR奈良駅から徒歩30分弱、三条通りの東詰め。
祭神:
- 第一殿
- 武甕槌命(※「タケミカヅチノミコト」ですね。)
- 第二殿
- 経津主命
- 第三殿
- 天児屋根命
- 第四殿
- 比売神
御由緒:(拝殿立て札より書写)
「当大社は今から千二百余年前平城(なら)に都ができた頃、神代に功績のあらせられた鹿嶋の武ミカ槌命を都の東方春日御蓋山(三笠山)の頂上浮雲峯にお祀りし、国土安穏、国民繁栄をお祈りしたのが始まりで、
称徳天皇神護景雲二(768)年十一月九日、今の地に社殿を造営し、香取の経津主命(又は斎主命とも申す)、河内枚岡の天児屋根命、比売神の三柱の大神を共にお祀りし四社明神と崇め奉ったものである。
(中略……藤原氏一門が厚く信仰したとある。)
境内は御蓋山及び春日野一帯約三十万坪が旧来より境内地と定められている。
境内に異彩を放つ可愛い神鹿は、現在約千余頭で、これは御祭神武ミカ槌命が鹿嶋から春日三笠山に御遷座の折お乗りになった白鹿の繁殖したものと伝えられ、以来神使として愛撫育成されている。」
筆者からのコメント
- 御本社以外に六十一社の摂社・末社を境内に有しているそうです。うち、摂社五つは次の通り。 ……
- 若宮神社(※他項参照)、
- 本宮神社(三笠山の頂上)、
- 榎本神社(本社のすぐ南西に接している。春日の地主神)、
- 水谷神社(境内を流れる水谷(みずや)川沿いにある)、
- 紀伊神社(※他項参照)。
ちなみに末社にもなると、本当に小さな社(百葉箱みたい(^^;)に社の名前を書いた札だけが下がっているようなものがほとんどであるようです。
- どこかのツアコンのおっちゃんが横を通りつつ話していたこと。
武ミカ槌命が元々坐した「鹿嶋」と言うのは茨城県の鹿島のことで、そこを本元としていた藤原氏が命を大和へ迎えた、と言うのですが……初めて聞いた。:-)
- ここのご神職の方々の写真は、撮ることはできません。
外国からの観光客に対して、境内を片づけていた巫女さんが、ビデオカメラを向けられて「No picture please. Sorry.」と言って写ることを拒否していたのは印象的でした。
改めて尋ねてみると、「ご奉仕中ですので、写真に写ることを禁じられております」(とある巫女さん)とのこと。これは男女を問わずで、たまたま写った場合は仕方ないが「撮影を申し出られた際には、お断りしております」(とある宮司さん)と言うことでした。
- 境内には、「万灯籠」の際に灯がともる石灯籠が無数にありますが、参道には特に大きな灯籠が一対ごとに台座に載って並んでいます。中には可愛い鹿の浮き彫りがついていたり、「そごう」の灯籠があのマークを輝かせて立っていたり(^^;。
その中で、大きなひょうたんの浮き彫りが目立つ灯籠があったのは、どんな寄贈者の手によるものなのでしょうか。かなり苔むしていて、書かれた文字は判別できませんでしたが。
- 春日大社の御造替は、大社創建の二年後の神護景雲四(770)年の第一次以来、20年に一度行われています。
と言っても、御造替の全てを一年に終えられるわけじゃありませんから、一度の御造替は、何年も時間をかけて行われます。ちなみに第五十九次御造替は平成7(1995)年11月に正遷宮が斎行されましたが、平成12(2000)年度まで10年ほども作業が続くそうです。
- ちなみに今の形で大社を造営された称徳天皇は、この春日の神様にいたく惚れ込んでいなさったようで、第一次御造替と同じ神護景雲四(770)年には、この神々の力を頼んで悪霊退散の祈願もしていたようです。
- 経津主命は、武ミカ槌命と共に大国主命に国譲りを迫った神です(「紀」より)。おそらくは、記紀で神武東征を助けて武ミカ槌命より送り込まれたとある剣「フツの御霊」と同一神ではないかと思うのですが、これ如何に。
- 第四殿の比売神は、宇佐神宮の中央に祀られている神様が招かれたものです。
「四」なんて、なんだか面妖ではありませんか。
若宮神社(春日大社境内)
調査日:平成九(1997)年四月十八日
読み:「わかみやじんじゃ」
正式名称:「春日大社・摂社 若宮神社」
別称:「春日若宮」
所在地:春日大社境内 本社の南側
祭神:天押雲根命(アメノオシクモネノミコト)
御由緒など:(拝殿前立て札より書写)
- 「御例祭
- 十二月十五日より十八日まで春日おん祭執行
- 当社例祭は保延二年に奉仕されて以来絶える事なく連綿と奉仕され、昔から大和一国を挙げて奉仕する事から、単に「御祭」(おんまつり)とのみ称され、御祭神が春日野の御旅所にお遷りになり、又本殿へとお帰りになる神秘な遷還幸の儀を始め、行粧の美しいお渡り式、平安朝以来の貴重な芸能が数々演じられる御旅所祭など、世界的にも有名で、現在国の重要無形民俗文化財に指定されている。
- 御由緒
- 長保五(1003)年三月三日本社に御出現あそばされ、その後御託宣によって長承四(1135)年二月二十七日この地を選び鳥羽上皇の命によって建立された御殿へ中臣祐房(すけふさ)が奉遷、翌保延二年、時の関白藤原忠通が折柄の長雨のため全国に蔓延した疫病を鎮め飢饉を救うために奉仕されたのが春日若宮おん祭である。
- 御神徳
- 日本は世界でも有数の水の良い国とされているが、これは当社御祭神が天上世界の水つまり天津水(あまつみず)をご苦労の末にお手に入れられ、我が国の水にお入れ下さったことによるもので、この事は「中臣寿詞(なかとみのよごと)」に誌されており、昔から水徳の神としての御神徳は、もとより五穀豊穣を始め健康長寿、学問芸能の神としての崇敬が、殊の外厚い。
- 又古来より皇室の崇敬も厚く、古くは後深草上皇の御幸、続いて文永年間の大宮院(後嵯峨天皇中宮)や東二条院の御幸など、近来では貞明皇后の行啓など数多くの参詣がなされている。」
筆者からのコメント
- この社は撮影厳禁です。残念。以前にも2回ほど来たのですが、その時も確かに写真を撮った覚えはなかったな。
- 中臣氏の祖に天押雲命(天児屋根命の子)と言う神がいるとされますが、同じ神であれば「御由緒」にある記述にも感慨深いものがあります。
それとも、「根」と言う音に大した意味はないのかな? (cf:「天児屋命」←?→「天児屋根命」)
夫婦大黒社(春日大社境内)
調査日:平成九(1997)年四月十八日
読み:? (※やはり「めおとだいこくしゃ」でしょうか。)
正式名称:?
所在地:春日大社境内 若宮神社内「手水舎」(てみずや)の一角
(「手水舎」とは、若宮神社の神饌調理所に当たる)
祭神:夫婦大黒
御由緒:(社前の立て札より書写)
「治承二(1178)年」 流造り、柿葺き
筆者からのコメント
三十八所神社(春日大社境内)
調査日:平成九(1997)年四月十八日
読み:「さんじゅうはっしょじんじゃ」
正式名称:「春日大社・末社 三十八所神社」
所在地:春日大社境内 若宮神社より紀伊神社へ(南へ)の参道の途中、向かって左側
祭神:
- 伊弉諾(イザナギ)命、
- 伊弉冉(イザナミ)命、
- 神日本磐余彦命(神武天皇)
御由緒:(社前の立て札より書写)
「久安二(1146)年鎮座。吉野山の三十八所神社と御同体と伝わる。」
筆者からのコメント
- 吉野山の同名の神社の方がご本体(と言うのかな?)だと思いますので、ここでは重要な社ではないと見なしておきます。
佐良氣神社(春日大社境内)
調査日:平成九(1997)年四月十八日
読み:? (※調べ忘れました。)
正式名称:「春日大社・末社 佐良氣神社」
所在地:春日大社境内 三十八所神社の向かって右手すぐ
祭神:蛭子命
御由緒:(社前の立て札より書写)
「御例祭 一月十日
久寿元(1154)年鎮座
御神徳 一名恵毘須神と申し上げ招福の神として崇められている。」
筆者からのコメント
- 「ひるこのみこと」と読んだときは、度肝を抜かれました。(^^; 横の社の御祭神がかのご夫婦であるだけにねえ。(※ちなみに、「蛭」は「ひる」と読めます。)
うーん、どっちの読み方が正しいのだろう? エビスとヒルコの両神に、何か関係があるのだろうか?
紀伊神社(春日大社境内)
調査日:平成九(1997)年四月十八日
読み:「きいじんじゃ」
正式名称:「春日大社・摂社 紀伊神社」
別称:「奥の院」
所在地:春日大社境内南縁の山中
祭神:
- 五十猛命(イタケルノミコト)
- 大屋津姫命(オオヤツヒメノミコト)
- 抓津姫命(ツマツヒメノミコト)
御由緒:(社前の立て札より書写)
「素戔鳴尊の御子神で、樹種(こだね)を持って天降り、日本国中に播いて林業を広く興した。その恩徳の広大なことから古来有功之神(いさおしのかみ)と称えられている。
例祭日 九月十五日」
筆者からのコメント
- スサノヲの尊にもこんなお子さんがいたんですね。
- つい「いそたける」と読んでしまう字ですが、そうは読まないんですね。
記紀での「五十」の読みは、ほとんどの場合「い」にとどまります。
- 紀伊神社からさらに東の山中へ、本宮神社に通ずる参道が上っていきます。
私はこの日は時間も遅かったし、紀伊神社で行き止まりだと思っていたので、行きませんでした。あとで地図をチェックしてびっくり、行けば良かったと思っています(^^;。
金龍神社(春日大社境内)
調査日:平成九(1997)年四月十八日
読み:「きんりゅうじんじゃ」
正式名称:「春日大社・末社 金龍神社」
所在地:春日大社境内 紀伊神社への参道の途中を下ってすぐ
祭神:?
由緒:開運守護の神、らしいです。
筆者からのコメント
- 調査日現在「修繕ご奉賛のお願い」とあり、社が古くなったこと、紀伊神社への参道の方がこの社より高くなってしまったため「恐れ多い」こと、などで修繕・建て替え費用の寄付を募っているようです。
賣太神社
調査日:平成九(1997)年四月十九日
読み:「めたじんじゃ」
正式名称:「延喜式官幣社 甲(?)県社 賣太神社」
所在地:奈良県大和郡山市稗田町 稗田環濠集落内東端
交通:JR郡山駅から南東へタクシーで10分弱。
御祭神:
- 主斎神
- 稗田阿礼命 ひえだのあれのみこと
- 副斎神
- 猿田彦命 さるたひこのみこと
- 副斎神
- 天鈿女命 あめのうずめのみこと
御由緒:(鳥居前立て札より書写)
- 「稗田阿礼命
- この稗田の地は太古の昔より朝廷に奉仕した猿女君稗田氏一族の居住地であって天武天皇の舎人(とねり)稗田阿礼はこの一族として出仕したのである。
天皇は阿礼が記憶力理解力共に抜群で学芸諸術の才にも秀でていたのをお褒めになって御自ら御精撰になった歴代天皇の御事績と建国以来の歴史・神話・伝説・歌謠を直接お授けになった。この誦習った事柄を三十有余年後の元?天皇(※元明天皇のはず)が太朝臣安萬侶に記録させられた書物が古事記である。之はわが国最古の文学書で古代人の生活・習慣・思想が書かれ祖先の考え方や生き方を偲ぶのに貴重な書物である。今日阿礼さまの宏大無辺のご霊徳を偲び学問の神・知恵の神として信仰が厚い。
- 猿田彦命
- 天鈿女命の彦神であって土地・方位の神として全ての物事の初めすなわち新築・移転・旅立ち・結婚等に災難や悪魔を祓ってよい方に導き給うご霊験あらたかな神である。
- 天鈿女命
- 猿女君稗田氏の太祖で「天岩戸隠れの神事」にたらいを伏せて舞を舞われた女神でオタフク又はオカメの愛稱あり福の神、芸能の始祖神として親しみ信仰されている。」
筆者からのコメント
- この神社に奉納される絵馬には、「ちえの神」の絵馬として、馬ではなく本の絵が書いてあります。必ずしも馬である必要はないんですね。
(なぜ普通は馬なのか? 理由をご存知の方は筆者に教えて下さい。→その後の情報(〜'99/Jan./10) )
- 天鈿女命(天宇受賣命)は、この他鎮魂の神・笑いの神としても崇められているそうです。鎮魂の神とは、なんか意味深ですね。そう言えば、「天岩戸隠れの神事」はある有名な女王の死を神格化したものだという説があったような。(この説、筆者はわりと支持しています(^^;)
龍田神社
調査日:平成九(1997)年四月十九日
読み:「たつたじんじゃ」
正式名称:不明
所在地:奈良県北葛城郡斑鳩町
交通:国道24号線を西へ向かい、斑鳩町役場の前の交差点を右斜め前方へ入り、車で3分ほど
祭神:
- 右社殿
- 龍田比古大神
- 龍田比女大神
- (楓等、四季を司る神)
- 本殿
- 天御柱大神
- 国御柱大神
- (風神)
- 左社殿
- 天児屋根大神
- 外・三大神
- (学問の神)
- 左社殿
- 龍祭大神
- (天地を司る神)
由緒沿革:(鳥居横立て札より書写)
「産土神、風宮龍田神社の御祭神は天御柱之大神、国御柱之大神の二荒魂と龍田比古之大神、龍田比女之大神、陰陽二柱の皇神である。雨風を鎮め水難、疫病を防ぐ神と楓・桜等の四季を司る神を祀る。五穀豊穣、息災長寿天地萬有厄除の神である。延喜式神名帳所載の龍田地主神社である。他に末社として十二社を祀る。
十代崇神天皇の御代に年穀の凶作が続いた時、帝自ら卜占をもって占い、天神地祇を龍田山の聖地に祀られた。
後 聖徳太子が推坂山で法隆寺建立の地を指示された龍田大明神を法隆寺の守護神として鬼門除神として法隆寺建立と同時に御廟山(錦ヶ丘)南麓の地に移し祀られた。(聖徳太子伝私記より) 中世は法隆寺より別当坊三十口を給い龍田三十講、平群四十八郷の産土神として、荘厳なる祭儀を行った神宮である。」
筆者からのコメント
- 実は上記の土地に所在の龍田神社は、三郷町にある「龍田大社」が分祀された神社です(聖徳太子によります)。だから「龍田神社」としては三郷町の龍田大社(正しくは「官幣大社 龍田神社」)をこそ紹介するべきなのですが、あまりに紹介内容が同じなので筆者の独断と偏見で斑鳩の方のお社をご紹介することにしました(^^;。
- 境内には「龍田の恵比須さん」と言われる恵比須神社が、斑鳩・三郷ともに祀られています。
境内の解説を見ると、「恵比須(戎・蛭子神、事代主神)
寛元元(1243)年、西宮戎神社より御分霊を勧請し分祀された福徳・商売繁盛の神である。龍田は昔盛んな市場で龍田市と言い賑わった。」
とあります。三郷の社ではさらに、「昭和六十二(1987)年に再度西宮戎より勧請された」と記されています。
もう一つ両方の社にあるのが、稲荷神社です。こちらも商売繁盛の神とされています。
- 斑鳩の恵比須の周囲には弁財天(市杵島姫命)、祇園神社、粟島神社、廣田神社の分社もあります。正直、なぜ?と言う気もしますが。
- 斑鳩の社の境内にある大きなクスノキは、「楠大明神」として祀られています。これが立派な巨木でして、しかし近年お年を召したのか、近くには「古木につき枯れ枝の落ちてくる事があります。ご注意下さい。」と言う立て札がかかっています。ご注意下さい(笑)。
龍田大社
調査日:平成九(1997)年四月十九日
読み:「たつたたいしゃ」
正式名称:「官幣大社 龍田神社」
別称:「龍田大社」「龍田本宮」
所在地:奈良県北葛城郡三郷町 ……だと思います。
筆者からのコメント
- 上記の龍田神社の本宮に当たるお社ですね。
ただこちらは、個人的にはあまり風情を感じません(^^;。由緒書きは新しいわりに雨で消えてるし、やたら広い駐車場と参道だったし、すぐそばは住宅地だったし、社もわびさびを感じないし、橿原神宮みたいでした。……それってやっぱり立派なお社と言うことなんだろうか(^^;。行った時間もこの日最後だったのが悪かったかも知れません。
- この社には末社として「白龍神社」という社があります。これは社と言うよりご神体である巨石がそのまま祀られているのですが、いつ頃からのものかはよく調べられませんでした。
記されていることによると、江戸時代末期に境内神域に白蛇として出現し、明治後期に姿を消しましたが明治四十一(1908)年に葛城郡にごり池に白龍として出現した、とあります。この白龍は龍田大明神のお使い神で、結びの神、浄難災難除けの神でもあり、女性の信仰が篤く安産祈願の神でもあるそうです。
祝園神社
調査日:平成九(1997)年五月十七日
読み:「ほうそのじんじゃ」
正式名称:「式内郷社 祝園神社」
所在地:京都府相楽郡精華町大字祝園小字柞(ははそ)ノ森一番地
交通:JR学研都市線(片町線)祝園駅及び近鉄京都線新祝園駅より北東へ徒歩30(?)分。
または、国道24号線から山城町・開橋交差点で開橋をわたり、対岸土手で左折し集落に入ってすぐ。
祭神:
- 天児屋根命 あめのこやねのみこと
- 健御雷命 たけみかづちのみこと
- 経津主命 ふつぬしのみこと
御由緒沿革:(境内拝殿の奉納額より書写)
「人皇第十代崇神天皇の御代第八代孝元天皇の皇子武埴安彦(タケハニヤスビコ)が朝廷に反逆を企て遂に此の地に於いて討伐されたが(記紀参照)、亡魂柞ノ森に止り人民を悩ませしを第四十五代聖武天皇神亀年中にこれを撲滅せんとするも鬼神の所業なれば人力にては如何ともなり難く 後年第四十八代称徳天皇の御代神力を以てこれを撲滅せよとの勅命により直臣池田六良廣綱、宮城七良朝藤が祝部となり、神護景雲四年一月二十一日春日の大神を御勧請し創祠された。而して斎戒沐浴精進祈願に依り(これが今に伝わる、いごもり祭の始まり)、神力の擁護の基に遂に悪霊撲滅の難業成り 廣綱朝藤の功と相俟って漸く悪病平癒、人民安堵、農家の繁栄、商工業の隆盛を見るに至った。
かかる霊験灼かなる神なれば貞観元年正月二十七日に神階位従五位下を授けられ、後年延喜式内大社に列せられる。天正四年七月二十四日には天下泰平の国宣あり院参の官人及び武門武将の尊崇深く社殿の修造に寄進の事がしばしば見受けられ慶應三年八月には有栖川宮家より夥しき御寄進を賜わり同宮家の御祈願所となる。明治六年郷社と定められ祝園村の産土神と決定した旨達せられる。
昭和三十八年高松宮殿下より有栖川宮威仁親王殿下五十年祭に當り同殿下の筆録を御寄進有り。」
(鳥居前立て札より書写)
「主な神事- 一月 いごもり祭
無形民族文化財指定- 十月十日 例祭
- 十二月 御神祭」
筆者からのコメント
- 春日大社と同じご神体です。そのためでしょうか、灯籠の多くには、春日大社の境内の灯籠と同様の鹿の浮き彫りがあります。
- 地名や神社名になっている「祝園」という名前自体が、武埴安彦の逸話に深く関わっています。詳しくは記紀(特に崇神紀)をご参照下さい。
ところで古事記の時点では既に「祝園」の字が使われていたように思われますが、実際のところ、この地名にこの字が使われ始めたのはいつ頃のことなのでしょうね?
- 本殿の周囲には、様々な神社から分祠されてきたらしいご神体が祀られています。その「顔ぶれ」は以下の通り。
- 奥中央
- 有功神社 (→有功の神と言えば……?)
- 奥向って右
- 祈雨神社
- 熱田神社
- 奥向って左
- 出雲神社
- 稲荷神社
- 向って右側
- 熊野神社
- 大神宮
- 向って左側
- 天満宮
- 西宮神社
筆者寡聞のため、どこのお宮?と思うようなのも三つばかりあります(^^;(全然比定できないのが二つ(^^;)。あ、もちろん有名なところもありますね。
- 鳥居のすぐ手前のお宅は宮城さんというお名前の表札がかかっていました。「祝園神社」の石碑よりも奥に玄関があったことやそのお名前から、この神社ゆかりの方だと推測できます。
- 物静かないい感じのたたずまいのお社です。周囲は立派な鎮守の森に囲まれています。しかし少し離れると幹線道路があったりして、必ずしもご神体が安らかに鎮座できる環境ではなさそうです。
現地踏査及び執筆:
堀田拓司(HOTTA,Takuji)
Since May 25th,1997
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