2006年1月 青春18切符 東北旅行


 1月2日。いよいよ出発前日。昨日の夜まで計画どおり北海道に行くことにしていたんですが、突風で特急列車が横倒しになった事故のため、羽越線もぜんぜん開通の見込みがないし、北海道地方が明日から大雪になりそうだという予報も受けて、突然、ターゲットを東北に絞ることに決定。寝られなくて、布団に入って悶々としているなかで突然、ひらめいたうまさんでした。
 すぐに、時刻表を布団の中に持ち込んで予定を立てます。新幹線で仙台へ、そこで泊まって、気仙沼、釜石、宮古、岩泉と太平洋側を回り、宮古で泊。翌5日は宮古から久慈、八戸、北上して青森泊。そして、北海道行の計画で最終日に行く予定だった竜飛岬を訪れ、とてもいい湯だと噂の三内丸山遺跡近くにある山内温泉に入って、青森かあるいは弘前の辺りに泊まる。6日、最終日は羽越本線を南下して秋田を経由するか、あるいは内陸に回って山形、米沢から新潟に抜け、新潟発の夜行急行「きたぐに」で京都に戻る。できたできた。こんなときは真剣そのもの。ところがここまで決まってもまだ眠気が来ないで(笑い)もう夜中一時過ぎ。布団から抜け出して仙台の宿をインターネットで調べる。安くてインターネットが使えるホテルがすぐに見つかる。次の宮古も同じく安いところがすぐに見つかってそのまま予約ボタンをクリック。これであとは、北斗星の寝台券を、東北新幹線の東京仙台間に変更すればおおむねオーケー。向こうでは青春18切符を使ってのろのろ移動します。いきなり変更した旅の計画は、深夜の二時間で完成しました。まあ、急な変更はうまさんの得意技なんです。


今回準備していた北海道行きの切符。

 1月3日。
 さて、出発。朝のうちに、JTBに行って、持っていた寝台特急日本海号の寝台券を新幹線で仙台までの指定券に変えてもらう。あとの切符はJR駅で買ったので、京都駅で変更手続きをすることに。(こんなときは、クレジットカードで買うと面倒だ。買った会社でないと払い戻し関係のことができない)
 正月三日の京都は、初詣での人でごった返してます。八坂神社や清水のあたりはすごい車すごい人。バスがなかなか進めないよ。バスも清水寺の近くまでは超満員。
 京都駅の周辺も大渋滞で、烏丸通から京都駅方面に右折するバスが、行列をなしているんですが、道が車であふれかえっているため、信号一回で一台のバスしか曲がれない。京都駅を目の前にして10分以上降りられません。どうせみどりの窓口でも並ばなければならないので、早めにでなければえらいことになるところでした。ふぅ。
 京都駅ですべての切符を清算して、無事東京行の「のぞみ」に乗り込みます。今日は帰省ラッシュのピークだそうで、東京方面ゆきの新幹線はすべて満員。一カ月近く前に予約したのに、喫煙席しかとれません。タバコの臭いはうっとうしいから、事前に、風邪のウイルスも通さないという触れ込みの使い捨てマスクを手に入れ、新幹線のホームで装着すると、悪者の顔になりました。でもこれが大正解。強く鼻に押し付けるとタバコの臭いはほとんどシャットアウトされます。顔の半分が覆われて少しうっとうしいけど、喫煙席って、みんなかたきのようにタバコを吸いますからねえ、煙幕の中で苦しむよりずっとこの悪者のをしている方が増しというものです。
 おやおや新幹線のホームには、旅情どころか殺気がみなぎってますよ。数分おきに満員の新幹線が東京目指して到着する中、駅の係員が、もう必死にがなりたてているんです。柵にもたれるな、駆け込み乗車するな、列車から離れろうんぬんかんぬん。大音量のマイクでひっきりなしにアナウンスが入るので、聞いている方も殺気立ってくるんですね。着いた東京駅でも同じ。雄叫び調のアナウンスが飛び交う中、ベルががんがん鳴り響いて大変な場所になっている。こんなところに留まっていると神経がやられてしまいますよ。これでは。
 乗降客が多くて5分遅れで東京駅につき、山形、新潟地方の大雪で到着列車が遅れているため、乗り換えた「こまち」も7分遅れで東京駅を出発。秋田行下り「こまち」も満員。

 
途中富士山が行儀よく。               満員の東北新幹線。

 東北新幹線は一部の区間で乗ったことはありましたが、東京から東北まで通しで乗ったことがほとんどないと思う。ちょっと楽しみにしていたうまさんですが、東京駅で日が暮れてしまって、面白くない。やはり車窓風景が楽しめてこその列車旅だと痛感するわけです。それに、新幹線は乗っている人自体がせかせかしているようで、どうも落ち着かない。そんなに長時間乗る必要がないから、おおかたみんなこの先降りてからの予定で頭が一杯なんでしょう。おっとなんだかいやみな口調になってしまってます(苦笑)。ま、ひとそれぞれです。
 東京までの「のぞみ」は疲れるだけだったけど、それでも三島の辺りでは富士山がくっきりと山頂まで見えて楽しめました。新幹線は速いので、見ているまに形が変わっていきます。そして、次に見えたのがどの辺りでしたろうか、かなり東京に近くなってからでしたが、この時は先程の裏側から見る格好になっていて、よく銭湯の書き割りにある、てっぺんが平らな見慣れた形が、ビルの向こうに行儀よく収まってました。
 東京で乗り換えた「こまち」のなかでは、満席だしうろうろもできず(まあ、いいとしした大人が新幹線の中をうろうろしていたら、それこそ不審偉人物としてマークされてしまいますね)、日が暮れて景色を楽しむこともできず、ずっとこの文章を打ってます。ぷちぷちぷちぷち、キーボードを押す音が走行音に交じって聞こえるばかり。
 かなり前から首都圏ではテロ対策で新幹線の屑入れを閉鎖していると聞いてましたが、まだそれは続いていて、面白いことに、珈琲を買うと、屑入れがないのでこれを使ってくださいと、ちいさなビニール袋をくれました。こまやかな気遣いと言えばそうだし、やりすぎといえば言えないこともない。日本車についている、いろいろ親切だが、本質的には不必要な装備と根っこでつながっているような気がするのはうまさんだけでしょうか。
 そうそう、「のぞみ」も「こまち」もシートの出来はよいと思いました。深く腰掛けると、きちんと腰の辺りをサポートして、腰痛が全然起こらない。これは美点でしょう。見かけだけで、座ってみるとぐにゃぐにゃしてきちんと腰が落ち着かない椅子って多いんです。腰痛もちのうまさんは、そんなところ敏感に反応してしまいます。
 で、仙台。駅からほど近いところに今日の宿、グリーンパシフィックはありました。ちっちゃなシングルの部屋だけど、無線LANにつなぎ放題で一泊4100円というのは安いでしょ。朝から食べたのがもち一個と、京都駅のホームでほお張ったコンビニのおにぎり2個だけだったので、ホテルに着いた時には倒れそうにおなかがすいているうまさん。しかしせっかく仙台まできているんだから、近くに温泉があったら食事ついでにそれに入ろうと思い、さっそくインターネットで探す。ところが、よさげなところはみんな仙台の中心から離れたところにありまして、駅から歩いて行ける範囲にはどうやら手頃な温泉はないみたい。それでも、一軒だけ地下鉄の終着駅近くに公共の施設があるのを発見。ここに決め、街に出ます。ひとまずおなかを満たさないと。で、広いアーケード商店街を歩き、最初に見つけたラーメン屋に入ります。アーケードからちょっと中に引っ込んだところにある、牛タンラーメンの店「ようしゅう」だ。ここで、酔っ払ったおっさんが子供相手に話している(というよりくだをまいているという方が正しいかもしれない)のを聞きながら、出て来た牛タンラーメンをすすります。スープは黒い味噌味。炒めた牛タンがコリコリしてうまいね。麺は太くて偏平で縮れている。一気にスープまですすってしまう。家族的な、とても味のある店。勘定を払って外に出ると、別の戸口から主人が出て来てわざわざあいさつしてくれます。

牛タンラーメンを食べた「ようしゅう」

 地下鉄に10分くらい乗って、長町南というところで下車。ここから歩いて5分くらいのところに目指す温泉ペアーレはあるはずです。外はさすがに寒くて、強い風に乗って雪が横向きに飛んできます。電光掲示板にマイナス1℃の表示が。
 辺りを見回すと、地図で見当をつけた方角に大きな建物が見えて、それらしい看板が出ているようです。ここだと当たりをつけて、凍った歩道を転ばぬように気をつけて歩くうまさん。凍っているところは苦手です。歩くことに集中していると、ものすごく純朴そうな高校生っぽい男がいつの間にか並んできて、話を聞いてくれないかと足を止めさせようとする。時間がないしだめだというと、パンフレットだけでもというが、要らない、と強く言うとありがとうございました、とこっちに向かって深々と頭を下げる。宗教の勧誘なんだろうけど、なんとなく申し訳ないような気もしてしまいます。

よく看板を見てみると「健康作りセンター」って書いてあります。温泉はメインじゃないんです。

 ともあれ、目指した建物がやはりそうでした。が、一足中にはいると、これが温泉かいな、とびっくり。中はがらんとした広いホールになっていて、左手にはガラス越しにたくさんの人がせっせと、ウォーキングマシーンで歩いている。きょろきょろ見回すと、ありましたありました。二階に温泉の目印がある。登っていくと番台のような受付。靴を脱衣所の中まで提げて入り、二段に区切られたロッカーの下半分に入れるシステムなど変わったことが多い温泉でした。おまけに、塩素のにおいがきついし。どうもこれは失敗。脱衣所に循環で塩素使用、一週間ごとに湯を取り替えている云々と書かれていて、やっぱり失敗したことが裏付けられました。まあ、銭湯に入りに来たと思っておきましょう。ちょっと遠かったけれど。

 翌朝。1月4日。
 風が強くて、痛いような寒さ。昨日、朝食用にと見つけておいた、いい感じの食堂は残念ながら閉まってます。ところが飛び込みで入った(普通、立ち食いそば飛び込みですけどね)、立ち食いそば屋「神田」(パピナ名掛丁の入り口)がすばらしいものでしたよ。チケットを出すと、「生をゆでますので」と結構時間がかかり、出てきたそばは透明感のあるきちんとしたそば。その上に、分厚い野菜のかき揚げがのっていて330円。これは安い。そしてうまい。
 満足して仙台駅へ向かいます。改札で青春18切符に日付印を押してもらい、ホームへ。
 6番ホーム。あらあ、隣のホームの発車案内板には4時45分発の東京行き「カシオペア」の文字が。今もう8時半を過ぎてます。4時間近く遅れていますねえ。でも、こんな豪華列車なんだったら、これくらい遅れたってうまさんなら大喜びですよ。優雅なたびの時間が増えるということですからねえ。快速が出発して十分位経ってからすれ違ったのは、その色からカシオペアでしょう。そのあと、後続の寝台特急北斗星とも3回すれ違ったもようです。北海道からの上り列車はかなり遅れが出ているようですね。
 さあお待ちかね気仙沼行きの快速「南三陸1号」がホームに滑り込んできます。ガラガラとエンジンの音を響かせながら。



 この快速に乗れば、仙台から東北線を小牛田まで北上し、小牛田から石巻線に入り前谷地まで、そこから分かれて気仙沼線を気仙沼まで2時間少しで走ります。昔よく乗ったタイプの古いディーゼルカー。うまさんはこれが大好き。旅情があふれるんですね、古いボックスシートにすわって景色をみていると。定刻の8時51分、エンジンのうなりを上げて動き出します。東北線をかなりのスピードでとばし、小牛田までノンストップ。外は雪景色。真っ白なシルクのような光沢のたんぼに鳶が何羽も輪を描いて降り立つ。
 小牛田を過ぎて石巻線に入ってからの風景は忘れられないものです。ずっと向こうまで見渡せる広いたんぼに、向こうから日が当たって目を開けていられないくらいの純白が広がり、折からの強風に雪が舞上げられて、光る霧がかかっているよう。



 前野地のあたり。大きな家の北側に木を植えて風を防いでいるのが多く見られます。この強い風を見てみると、だてに植えているのではないことがよく分かります。生活の必然性にしたがって形づくられた風景なんですね。
 長いトンネルを抜けたとたんに目の前にぱあっと眼前に群青色の海が広がります。海では何かを養殖しているんでしょう、網を支えるブイがたくさん、赤茶けた色で規則的に浮かんでいて、群青色の海のアクセントになっています。


 この辺では線路が海岸ぎりぎりに通るところもあり、海の中までのぞけますが、遠くは深い青色をしているのに、浅瀬は電車の中から底の砂利が透けて見えるほど透明度が高いんです。途中の駅で「日本の水浴場50選」に選ばれていると誇らしげに看板が立ててありましたが、それもよく分かります。
 南気仙沼で七割がたの乗客が降りてがらがらになりました。
 ほどなく終着駅、気仙沼。昔、学生時代に盛から一関まで大船渡線に乗ったことがあり、気仙沼駅で停車している時、海の街のはずなのに、なんて山の中なのかと思って不思議に思っていたのを思い出します。単に駅がそういうところにあっただけだったわけ。駅のコンコースは狭いけど、多くの人でごった返して活気があります。
 ここから大船渡線の普通列車盛行きに乗りかえ。どんどん北を目指します。反対側の一関行き快速スーパードラゴンが、超満員で発車していったのに比べて、全員座れるくらいの混み方。ものものしい名前の快速だと思いましたが、なんのことはない、大船渡線を地図で見ると竜の姿に見えるからドラゴンレールという愛称がついていて、その大船渡線を走るから「スーパードラゴン」。妙なネーミングです。

 
 左は盛まで北上する各駅停車。 右は一関行き快速スーパードラゴン。

 大船渡近くの海。今度は赤茶けたブイではなくて、白っぽいブイが一直線にいくえにも並び壮観です。
 時折、列車の中から一瞬見えるんですが、家の中の日なたで、おばあさんがゆったりくつろいでいるんです。何回かそんな風景が認められましたが、その中でも、猫を抱いてじっと外を眺めているおばあさんが印象的でした。

 

 三陸鉄道南リアス線乗り換え駅、盛で降りてびっくり。このままどんどん北を目指す予定が狂いそうですよ。なんと強風のために南リアス線の列車が止まっているという。三陸鉄道の待合室に行ってみると、窓口に張り紙がしてあり、「ただ今強風のため列車の運行を休止している」そうです。乗り換え予定の12:34の列車はだめで、次の列車は多分大丈夫だというようなことらしい。まあしようがないから、盛の街をぶらぶら歩いて、待ち合いに戻ってみるとNHKのカメラが待合室に入っています。強風のために運休になっている三陸鉄道を取材にきたものらしい。そろそろ動き始めるかと、中に入って様子をみると、口々にみんなが文句を言い始めて険悪な雰囲気ですな。なぜ動かさないとか、バスを出して送れとか、風をシャットアウトしない工事をしないのは鉄道の怠慢だとか、だんだんみんな興奮して言いたいことを言い始めて駅員に詰め寄り、待合室は騒然と剥き出しのエゴが飛び交い始め、いやなことになってきました。離れたところでちょこんと座るうまさん。


窓には張り紙が・・・・・。

 待合室は小さいので10人も入れば一杯になるような場所なんですが、一番うるさかったじいさんと東京出身だという80になるらしいばあさん、それと、突然どなり始めるおっさん。この3人の相乗効果でうるさくてしようがないよ。(と、うまさんもだんだん下品になってくる)特にいやになったのは、ばあさんの言い草です。「東京じゃこんなことは考えられない、インドネシアの鉄道みたいだ」、「風よけの工事をしてこそ客に乗ってくださいと言っていいんだ」とか。東京のいやみなばあさんの口調でずっと文句、文句。これで列車を出してもしものことがあったら、今度は逆にそのことを非難するに決まっているんだから。JRというよりその前身の国鉄が、採算が合わなくて廃線にしようとしたのを、辛うじて第3セクターでやっているんだから、風よけのトンネルを全線に作る工事なんか土台無理でしょう。おまけに、そんな考えって自然をなめているんじゃあないの、と言いたいですね。だめな時はだめなものなんですよ。なんだか、この人東京はよくて地方がだめ、また、日本がよくてインドネシアはだめ、といういやな差別意識がその発言からありありと伺えて気分が悪くなるうまさんでした。じいさんも酔っているからか、何度も同じ話を繰り返すし、ばあさんの腰巾着みたいにほめるもんだから(あなたみたいに物の分かった人が国会議員になればいい、だって)聞き苦しい見苦しい。
 そのうち、2時に代行バスが出ることになって、興奮したみんなはやっと収まります。
 今日は、宮古に着いたら、一日三本しか列車がこない岩泉まで往復して宮古で泊まりの予定だったけど、岩泉はあきらめよう。その代わりにホテルに早めにチェックインして、町歩きでもしよう。あしたの予定をまた練り直さなければならないけど、またそれが楽しいじゃないか。
 代行バスはマイクロバスに毛の生えた程度のちっちゃなバスで、2時と行っていた発車時刻が、次の列車の発車時刻である2時40分まで延び(そのことが待合室に伝わった時もえらい騒ぎになった)満員の乗客を乗せて発車。隣に感じのいい青年がすわってよかった。おそれていたのは、くだんのじいさんが隣に来ることだったが、きゃつは例の東京わがままばあさんのことが気に入ったと見えて、その隣に座ろうとした。ところがばあさんは二人連れだったので、通路をはさんでじいさんの隣に連れと並んで陣取る。迷惑だったのは、一番前のじいさんの隣になってしまった青年でしょうねえ。いきなり妙なじいさんが酒臭い息をはきながら横にやって来て、ずっと降りる駅までしゃべり続けだったんだから。
 バスは、ひとつずつ駅前に止まりながら2時間かけてやっと釜石に到着です。隣に座った青年によると、ふだんは50分程度だそうだから、倍以上かかっていることになります。何度も山を越えては降り、越えては降り、行き違いがやっとで切るような山道をたどったり、国道に出たりしながら、結構なスピードを出して走ります。駅とメインの道路が平行していないので、だいぶ遠回りしながら一つ一つの駅に律儀に止まり、一緒に乗っていた係員がいちいちホームに誰もいないことを確認していくんですね。面白いと言えば面白い経験でした。
 釜石に着いたのは4時半。宮古行きの接続があるかどうかそれだけを心配してましたが、10分程度の待ち合わせで16:41発に乗れて、ほっとします。大体この辺りは列車の本数が多くないですから少し乗り継ぎに失敗すると、あとでえらいことになったりすることが多いです。

時刻表はちいちゃくて見えませんが、あまり本数がないのはおわかりでしょう。10分の待ち時間というのは奇跡的でした。


 ほっとしても、発車したらもう辺りはまっくらで、楽しみにしていた車窓風景が見られないのが残念。
 宮古駅到着。真っ暗な中、駅前食堂の本でほめてあった「みなもと」という食堂を探すが見つからない。ぐるぐる10分くらい駅の周りを歩いて、駅の横手にある「魚元」という割烹に入ります。生ビール一杯と、ハラコ(いくら)丼定食を頼むうまさん。このハラコがすばらしい。ぐにゃぐにゃせずにひとつぶひとつぶ張りがあって、それはおいしいものでしたよ。これが1280円とは安い。北海道のあちこちで食べたいくら丼と比べても1,2位だと思いますね。店内はすいていますが、ちょっとはなれたところに座った女性も、うまさんとおなじように、出てきた食事をデジカメで撮っていて、おもしろかったです。


このはらこどんぶりがすばらしかった。

1月5日
 早朝まだ暗いうちに、ホテルをチェックアウトし、宮古駅に向かいます。昨日果たせなかった、岩泉行きのためですよ。なんせ岩泉まで行く列車が少ないからプランはその列車に合わせて立てないといけない。で、こんな時間です。岩泉っていったって、行ってそんなにすごいところじゃないのは分かっているんですが、うまさんはとにかく終着駅が大好き。線路が途切れているのってなんかこう、引きつけられるんですよ。
そこからさきはもう行けないよっていう感じ。一応線路って南は鹿児島の枕崎から今じゃあ稚内、根室までつながっているじゃあないですか。その線路がここで途切れるというのが好きなんです。だれもがここではいったん降りないといけない。駅から外に出ないといけない。(まあ、外に出ずそのまま折り返す人もいますけど)ずっと流れてきた旅が、いったんそこで終わるという感覚がうまさんを引き付けるんだと思います。特にローカル線の終着駅で強くそう感じますね。通勤路線だと、旅を終えるという感じじゃあないし、単に次の乗り換えの中継ぎ点でしかない。要するに立ち止まって考えるということがないんですよ。立ち止まって、次なる展開を考える場所。それが終着駅のうまさん的な意味です。現実には立ち止まって考える余裕がない旅も多いんですねえ。実は偉そうなこと書いて、今日もそれなんですけどね。
 さあ、宮古駅です。跨線橋から線路をのぞくと、国鉄時代の、赤とクリーム色の塗装の古い気動車が一両、エンジンの音を響かせています。向かいには花巻行の3両編成が新しい車両で発車を待っています。

 6時35分宮古駅出発。山田線川内行普通。今日は、途中茂市駅で乗り換え岩泉線に乗ります。終着岩泉に列車で行こうと思ったら、チャンスは一日三度だけ。これを逃すともう次は3時ごろ。そして次は6時台。それで終わり。もうひとつささやかな楽しみがありました。途中駅「岩手和井内」のとてもいい感じの駅舎とそこで遊ぶ子供たちのほほえましい写真を見たことがあったので、線路側からでもそれを眺めることができたら、ということです。
 さあ発車です。古いディーゼルカーはエンジン音を響かせながらゆるゆる加速。川沿いにすぐに山の中に入り、約20分で岩泉線の分岐駅、茂市です。ここで陸橋を渡り、朝もやのなか、離れたホームに停まっているこれまた古いディーゼルカーに乗ります。
 さあ、岩手和井内です。期待を膨らませてきょろきょろするうまさん。しかし駅舎は取り壊されたと見えて、保線員用の小さな休憩室しか見えない、寂しいホームだけの駅になってしまっていました。実はここが終点の一番列車で先にやってきて、駅舎をゆっくり見る計画もあったんですが、そうしなくてよかったよかった。
 急峻な山をゆっくりゆっくりいくつものトンネルで越えると、突然山が開けたところに数十軒の家が現れ、岩手大川駅に到着です。驚いたことに、ホームにはたくさん人がいて、今まで自分一人だけだった列車は急ににぎやかになります。高校生が多いけれど、おじさんおばさんも半分近くいる。


この先に線路はありません。

 
列車の本数に比べると、立派な駅です。

 7時53分に終点の岩泉に着くと、降りる客と入れ替わりに宮古方面への乗客がどっと乗り込んで来て、列車は混雑しています。なんでこんなに客が少ないのにちゃんと車掌が乗り込んでいるのかと思ったら、需要があるからなんですね。聞いていたとおり、駅はがらんと広くて、待合所では地元の人が茶飲み話をしていた。ここで、立ち止まって考えるなんてかっこいいことする暇はほとんどなく(笑)、8時1分発小山ゆき岩泉町民バスに乗車。このマイクロバスで三陸鉄道の小本駅に向かう予定です。調べてみると、岩泉線って言うのは、計画段階では、このバスの路線を走って三陸海岸の小本ま伸びる予定だったようです。まあ、移動の主役が自動車になってしまったから、完成しなかったのは仕方がないですねえ。知りませんでしたが、各地に途中まで企画されていて途中で白紙になった路線がかなりあるらしいです。なかには、トンネルなんかもほとんでできているのに工事が中断したところも多いとか。


かわいい岩泉運輸バス。

 バスは遠回りをして龍泉洞に寄ります。降りようかと一瞬おもうが、やめるうまさん。というのは、ここより次の温泉を取ったんです。小本駅から徒歩十分、昨日インターネットで見つけた、小本温泉がある。泉質が非常にいいらしい。ここで、一つ列車ををやりすごして久慈ゆきまで約3時間の時間をつぶすつもりです。すばらしい泉質と聞いて行かないわけにはいかないでしょう。

 
 突如現れた小本温泉。 浴室を独り占め。

 雪道を歩くこと十数分、いきなり民謡がスピーカーから流れるのが聞こえます。そこが小本温泉でした。どうやら本日の一番乗り。残念ながらかけ流しではありませんでしたが、樋を伝って流れてくる冷たい源泉は、硫黄の臭いがプンとして、かなり塩辛い味。流れている樋には、白い湯の花が海苔のようにびっしり着いてます。飲んでもいろいろな効能があるらしいと聞いて、塩辛いのを我慢してコップ一杯くらいは飲んでみました。
 この湯もさることながら、主人の人柄がいいです。湯から出るといきなりあいさつされて面食いましたが、そのあと、薪ストーブが煙のよい香りをたてるホールで、少し話をし、帰りがけにはわざわざ玄関まで見送ってくれる。「京都から見える方もいらっしゃるんですよ」ということでした。
 再び戻って来た小本駅。待ち時間にニュースを見ていると、日本海側は昨日から豪雪で、秋田を中心に交通がマヒしているらしいですよ。今回は太平洋側をずっと通って来ているため天気はいいんですが、帰りは青森からちょうど日本海側を南下し、新潟から夜行の急行「きたぐに」で京都に戻ることになっているんです。この様子ではあさって帰れるかどうか心配です。
 ホームに出てから、久慈に行かずに宮古に引き返して、今夜の夜行バスで帰ろうかどうしようか。と迷いはしましたが、そのときちょうどやって来た久慈行に吸い込まれるように乗ってしまいます。で、久慈乗り換え八戸線に乗り継いでどんどん北へ。結果はどう出るか分かりませんが、北リアス線と八戸線は乗ってよかった。何より太平洋に沿って走るので景色がいいです。雪の白と海の青。砕ける波の音が列車の中にまで響いてくるほど海の間近を通ることもあって全然退屈しません。多少帰るのが面倒になったとしても、平気平気と、悠長なうまさん。さっきの心配はどこへやら。


列車が来ると、吸い込まれるように乗ってしまった

 北リアス線、八戸線ともに、シートに特急なみのものをつかっているのにあたってとても快適。(八戸線の列車には「うみねこ」という名前がついている。改造車らしい)
 列車はゆっくり北上を続け、八戸に近づくにしたがって雪深くなってきます。空も鈍色。海も灰色がかってすべてがどんよりしてみえます。
 階上(はしかみ)駅に「いちご煮の里」という幟が。はて、「いちご煮」とは何であるか。すぐに調べてみたがマイペディアにも、世界大百科にも載っていません。
 帰ってインターネットで調べてみると、八戸市総合教育センターのウエブページで説明が見つかりました。小学校の家庭科地域教材資料とあっていろいろな料理が紹介されており、その一つが「いちご煮」です。
引用すると、

「いちご煮の由来」
 昔から、北国八戸近辺の漁村では、ウニのことを「カゼ」アワビのことを
「アンビ」と呼んでおりました。短い北国の夏、すもぐりで漁を行う漁師達
がたき火をしながら、ふんだんに獲ったカゼとアンビを、海水で煮込んで食
べていたのが潮汁『いちご煮』です。                 
『いちご煮』の名前は、乳白色の潮汁に沈むウニの姿が、朝もやにかすむ
野いちごに似ていることに由来しています。              
 野いちごは、初夏・野山に白い花を咲かせ、可憐なヤマブキ色の実は口に
含むとほのかに甘く、野性味あふれる北国の味覚の一つです。」
 
北リアス線からの風景。北上するにつれ目に見えて雪が深くなってくる。

 珍しい名前の駅を過ぎます。「大蛇(おおじゃ)」、「鮫(さめ)」。鮫なんていうのは駅名としてかなり異端じゃあないでしょうか。この鮫を過ぎると八戸の中心部へ向けて家が立ち並び始め、本八戸を過ぎるまでぎっしりひしめきあう家の中を列車は行きます。久しぶりの都会。途中から高架になります。鮫を境に乗降客も増えるらしく、座席は大体埋まっていきました。
 八戸で乗り換え。大湊線直通の快速「しもきた」に乗りこむ。発車時刻に近づくにつれ人が増え、満員になる。立つ人も出ている。これに乗ってそのまま下北半島は大湊まで行くのがもともとの予定なんですが、、考えてみるとそうした場合、青森に着くのが遅くなります。青森の街も見てみたいし・・・と考えた末、野辺地で降りました。降りた後も、降りる人以上に乗る人が多くて、ネットで見た、座れないこともあるという情報を裏付けています。野辺地で30分待って、青森行き普通電車に乗車。駅前を少し歩いたけれど、ここは雪が多く、足を取られて街の様子を見ると言うまでにはなりませんでした。ちゃんと歩くだけでせいいっぱいですよ。


野辺地で降りた快速下北号。かなり吹雪いてます。

 青森駅に16:03分、定刻の到着。コンコースに出ると、秋田近辺の鉄道は今日も動いていないと張り紙がしてあります。駅のお知らせには、そっち方面の旅行をできれば中止してほしいとも。ありゃりゃ。予定では青森に2泊して、奥羽、羽越線経由で新潟まで行く事にしてましたが、そうとう降っているようです。予定変更です。あさってでは心配なので、明日、新幹線で仙台まで行って、そこから夜行バスに乗ることに決めます。
 青森での夕食。「駅前食堂」に載っていた「埼玉屋」に是非行きたいと思って、駅前を歩き回るうまさん。駅前にある市場の向かいがそうだと書いてあったんですが、その市場がなかなか見つかりません。ぐるぐると3回以上回ってみましたが、駅を降りて右手に小さな市場があるのに気づきます。どうも再開発で立て替えが進んでいるようですね。この時間になると、ほとんど店は閉まっていますが、昔の市場そのものの雰囲気が懐かしい。通路の両側に雑然といろいろな品が並べてあって、その通路の終点を出たところに、やっと見つけました、埼玉屋。が、残念ながら閉まってました。ということで、その本に載っていたもう一件の「一二三食堂」に入ります。駅を降りて向かって左手。昔、青函連絡船の乗り口だった方かな。ここも昔ながらの食堂です。ビールを頼み、ホルモン焼きも頼む。甘辛くてうまいうまい。日本酒に切り替えて、いい気分になるうまさん。他の人が何人も酒の後に頼んでいたので、自分もまねして最後に頼んだみそラーメンは、いままでたべたみそラーメンの中で一番うまいと言っていいほどのうまさでしたよ。奥の深い味。いやあ、満足満足。

 
左 青函連絡船の客で昔はごった返したであろう連絡通路。すぐ向こうはもう海。右 一二三食堂。駅前にある古いけれどとっても元気な食堂。


 1月6日
 翌日。早朝青森駅。大雪の影響で、今日もダイヤが大幅に乱れているようです。今日は竜飛岬まで行って、折り返してきます。
 津軽線のホームに降りると、向かいに寝台車が止まってます。「急行はまなす」。最初に立てた北海道に行く予定では、明日札幌から乗ることにしていた列車です。


ホームもこのとおりの雪。青森駅にて。

 さて、一番列車の蟹田行きは特急用の車両を使ってます。眠い目をこすりながら、ほとんど誰もいない車両に乗り込むと快適ですねえ。蓬田を過ぎると右手に海が見え、うっすらと北海道がかすんでます。中小国。ここは津軽海峡線との分岐駅。北海道方面に行く時は、ここまでがJR東日本になります。何回か使った北海道行きの周遊きっぷでは、行きの切符をここまで買いますが、何にもない雪原にポツンとある無人駅でした。近くの道路は雪で消えていて、(道路の端を示す反射板がかろうじて頭の丸い部分を雪から出しているので道路をたどれます。鳴っている踏み切りも、渡るべき道路がありません。
 終点蟹田で津軽線の列車に乗り換え。

太宰治が小説「津軽」で書いた言葉。
「蟹田てのは風の町だね」 蟹田駅にて


 線路が分かれ、JR北海道の海峡線と並行して走ります。複線で電化されたりっぱな線路。青函トンネルを経て、函館に通じる線路ですね。そのうちカーブし、向こう側に高架で折れていきます。
 途中、雪の山中に保線の人の行列が見えました。そんなに乗客はいないんでしょうが、列車一つを通すのに、たくさんの人の手がかかっているんですね。津軽二股。すぐとなりに駅が見えて、「津軽今別」と大きく書かれてます。今乗っている、三厩まで行くJR東日本津軽線の駅は津軽二股で、いったん別れたJR北海道の海峡線の駅が「津軽今別」。別々のところを走っていた両者の線路がまたここで交差します。ほとんど同じ敷地内にある駅をわざわざ別の駅名にしているのがおもしろい。大阪と梅田みたいなものでしょうか。


駅名標ももうすぐ埋まってしまいそう

 
終点三厩駅到着。

 いよいよ終点三厩駅。昨日書いたはがき出します。駅前の郵便ポストは回りにうずたかく雪が積もっていて、そこに行くまでが大変。くるぶしより上までのめり込みながらやっとのことで投函を済ませます。これが後の難儀の前哨戦だったとは。
 駅前に「循環バス」と張り紙したマイクロバスが止まっていて、それが竜飛まで行くバスでした。後で聞いたところ、ふだんはもっと大きいのを使っているのだが、現在故障中だということ。インターネットで見た情報では、三厩で降りた客はみんなこのバスに乗る、らしかったけれど、乗ったのはうまさん一人だけ。まあ、こんな時期にわざわざ竜飛もないわなあ。
 出発したバスは、あちこちの集落のバス停に小まめに止まって、どんどん中学生を乗せていきます。中学生以外は自分ともう一人だけ。いよいよ満員になって座れなくなったころ、三厩中学校のバス停で全員降りていきます。みんな乗る時と降りる時に大きな声であいさつを忘れない。すがすがしくて気持ちいいですね。これも後で聞いて分かったのだけれど、ふだんはスクールバスが出ているが、休み中はクラブの生徒のためにこのバスがスクールバスの代わりになるんだそうです。
 三〇分くらいで終点竜飛漁港。いよいよここから岬へ上るのだけれど、聞くとすぐ近くから、有名な階段国道を登れば行けるそうだ。だが、階段国道こっち、の標識はあれど、まっ白く雪が積もっていてどれがその道なのやら分からない。意を決して雪を踏んで行くと、狭い道が集落の中に通じていて、集落に入ったところから階段が始まっているのでした。しかし、一つめの階段を過ぎて、二つめの階段を見て怖じけづくうまさん。


問題の「階段国道」 夏ならたいしたことありません。
 国道に昇格させるときに、図面だけ見て階段だと知らずに国道認定したとか。本当かどうか知りませんが、まあそんなところなんでしょう。

 雪でどこが階段なのか全然見えない。いったんは戻ろうかと思ったけど、せっかくここまで来たからには登りたい。登り始めます。最初はくるぶし辺りまでしか積もっていなかった雪がどんどん深くなっていき、ひざ下まで沈むようになった。足を取られて、一歩を踏み出すのがものすごくきつい。一足、一足、持ち上げて雪から抜き取りながら、のろのろ必死で登る。下を見ると急な坂が遙かに続くように見える。もう引き返せない。上を見ると後少し。ぜいぜいいいながら登る。しかし、終点だと思ったところは、単に階段が折れ曲がっているだけで、そこからまたさらに雪深い坂が上に続いている!雪の上に顔を出した手すりがないと絶対にどこが道なのか分からないだろう。雪の中にめり込みながら、休み休み必死で登る。後悔するうまさん。誰一人周りにはいないし、まだまだ先は長い・・・・ように見えます。やっと登り切った時は、靴の中に雪がいっぱい入り、ズボンのひざから下は雪がびっしり。ほっとするのもつかの間、ここからまだ岬へは「階段村道」が続いていて、そこも雪に埋まっているではないですか。もうこんな階段はこりごり。岬なんかどうでもいいわいと思います。ときおり車が通るだけで人っ子一人いません。とにかく休憩したいと場所を探します。そういえば朝食も取っていないのでした。しかし、あたりの土産物屋はみんな閉っていて、雪のない場所は道の駅にあるトイレの中くらい。冬の間はあまり使う人もいないらしいきれいなトイレの中でほっと息をつくうまさん。三厩に戻る次のバスは12時過までありません。3時間もトイレにこもって時間をつぶすなんて情けないにもほどがあります。津軽海峡が一望に見下ろせる道をとぼとぼと歩きだします。5分くらい歩くと「ホテル竜飛」が見えてきました。ここで宿泊するというプランもたててみたことがある場所です。それだけで、なんだか馴染み深いような気がします。そうそうここには温泉もあるはず。一見したところやっていないようにも見えますが、ドアを開けると、人間の匂いがして心から安心しました。食事ができないだろうかとお願いしてみると、食堂に通される。やれやれよかったと、ここでゆっくりいくら丼をたべたりコーヒーを飲んだり。10時半。風呂にも入ろうと欲を出しましたが、この時間は立ち寄りはやっていないと断られます。気を取り直して外に出てみます。天気もよく日差しもあります。いったんはあきらめていた竜飛岬にももう一度チャレンジする元気が出て来ました。と、階段国道の終点あたりから人が一人あらわれました。同じように下から階段を登ってきたらしいです。岬の方もきついですよ、と謎の言葉を残して竜飛ホテルの方へ去っていきました。例の階段村道の下で、この雪の中、行こうかどうしようか逡巡していると、観光バスが轟音をたててわきの道を登っていきます。そうか、これだよ。少し遠回りにはなるが、ゆっくりと車道を歩いて登ってみる。こっちが正解でした。バスの連中が灯台観光を終えてぞろぞろ引き上げてくるころ、やっと灯台にたどり着くうまさん。戻ってくるおばさん、「ところで竜飛岬って行ったっけ?」だって。観光バスの行くところに乗せられてきているのだけで、あんまり分かっていないのだろう。もったいないですねえ。観光バスが去ってしまうと、そこはほとんど人のいない場所に戻ります。
 太宰が、津軽半島のさっき電車を乗り換えた蟹田を「風の町」だと呼んでいますが、これは来てみないと分からないでしょう。風が強いとはこのようなことなのかと納得できます。向かい風の時は雪の上で歩を進めるのがやっとこさ。ところが後でバスの運転手から聞いたところ、今日の風などはまだ序の口で、ほんとうにきつい2月頃になると、腰をかがめてやっと歩けるくらいになるのだそうです。しかしここは苦労をして来た甲斐がありました。日本海から津軽海峡が一望でき、対岸には北海道が見えます。突然、さあっと霧のように向こうから白いカーテン状のものがやってくるとそれは横なぐりの雪で、それがかかると一面灰色で全然視界が利かなくなります。そして、しばらく経つと、うそのように日がさしたりします。すぐ後にこの横殴りの雪に会うことになるんですが。

 竜飛岬の灯台。ものすごい風。じっと立ってられない。

 しばらく風に耐えながらどんどん変化する景色を楽しみます。
 そろそろ帰らなければなりません。階段国道の前でまた下をのぞき込んでみます。絶対こっちの方が近いのは分かっているんですが、うまさんがぶざまに滑って落ちる様子が頭をかすめて、きびすを返します。遠回りでも車道を降りよう。ところが結局こっちの道にもとんでもないやっかいが待ち構えていたのでした。道が急坂のカーブに差しかかると、「ここから散水区間です」と標識が出て、ところどころ道の両側からシャワーのように水が吹き出しているんです。水があたっているところは雪が解けますが、届くか届かないところはシャーベット状になったり凍ったりして、雪よりもっと危ない。おまけに、道の両側から散水しているから真ん中を通っても水がかかってしまいます。歩行者がいるなんて想定外なんでしょうか。何度も水を浴びながら下に降りるはめになりました。ズボンはべちゃべちゃ。そして散水区間を過ぎるとばりばりに凍りついてしまいます。やっとのことでこの坂道を降りると、ホテルで教えられたとおり、バス停を二つほど戻らないといけません。ここで、例の白いカーテンが辺りを包んだかと思うと、横殴りの雪が猛烈な風に乗ってやってきました。目を開けていられない。そしておどろくべきは、肌にあたると痛いんですよ。雪がですよ。ころばないようにゆっくり道を踏みしめながら歩くうまさん。前があまりみえません。一本道の右は海、左は道に沿って一列の家並みが続く、本当に寂しい場所でした。


うまさんを悩ませた散水施設。道路の両側から一斉に吹き出している。

 これなら多少危険でも階段を降りるべきでした。さっき上で会った人と、帰りのバスでまた会いましたが、この人は階段国道を降りて来たと言ってました。帰りも大失敗。

 
竜飛漁港のどん詰まり。ここから先はもう海です。 寂しさを誘うミッキー食堂。時折吹雪で目も開けていられないくらいになります。


ばりばりに凍ってしまったズボン。


 帰りのバスでは地元のおばさんが何人か乗ってきて運転手と話していましたが、(もちろん何をしゃべっているのかかいもく見当がつかないことが多い。)途中のバス停で、朝乗せた中学生が二十人ばかし待っているのをみて、同時に「あーわらわ!」と声を上げたのがおかしかった。子供のことをわらわというのか。わらしと言うと思っていましたが。昔の言葉が残っているんでしょう。で、帰って調べてみると、子供はわらしで、その複数形を「わらはんど」というらしいことが分かる。老婆たちはバスに押しかける子供たちをみて「わらはんどー!」と声を上げていたのでした。
 三厩からの青森までは、竜飛での疲れでじっと風景を見るだけ。
 予定変更で乗った、青森から仙台まで、特に八戸で乗り換えた東京行の新幹線「はやて」は満席で窮屈でした。うとうとしたり本読んだり。
 また仙台に戻って来ました。なんだかなつかしいです。例のソバ屋に入ります。今度は冷やしの野菜天360円也を試してみます。これもいい。その後高速バス乗り場の近くでまた立ち食いそばを見ましたが、ここも「自家製麺」を謳っています。もしかすると、仙台の立ち食いそばは関西のと全然違う常識を持っているのかもしれないですね。関西で自家製麺の立ち食いなんて見たことないですから。
 さて、高速バスに乗って思い出しました。そういえば前も同じことで困ったでした。だれもほとんどしゃべらないので、気詰まり。隣の二人連れもあたりを伺いながら小声でしゃべっています。コンビニの袋からものを出すときの音さえはばかられる雰囲気はいったい何?まだ発車して間もないんですよ。7時台。こんな状態で寝る時間までどうするの。カーテンが閉めてあって外も見えないし。回りを見回すと8時にはほとんど寝ているよ。消灯時刻まで読書して過ごします。10時半頃どこかのサービスエリアで休憩し、そのあと消灯。読書灯も迷惑になるからほどほどに、といったアナウンスが流れるので、きままに本を読むのもはばかられます。音楽を聴きながらじっと耐えるうまさん。
 翌朝、雪のため一時間遅れで京都駅到着。
 楽しかった旅もこれでおしまい。


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