備忘の都 2000 −JANUARY−  ◆

田坂具隆さんに、一つだけ覚えていていいことがあると、
こんなことを教わったこたがあります。
あ、そこんところはお客さんには解らないんだからどうでもいいんだよ
と、スタッフに言ってしまったら写真の密度が違ってくる。
それを言わぬことがAクラスになれるかなれぬかの違いだ、とね。

キネマ旬報1962年春の特大号「中平康自作を語る」


001.再始動002.王様のパイ003.これでいいのだ
004.ベッソン,アメ公を罵倒する005.七人の侍とRONIN

備忘の都【目次】/ 備忘の都1999
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 001.再始動

2000/01/07(Fr) 

000年代最初の日記。
Y2K対応で,我が32回目の誕生日を含む,大晦日から正月2日にかけて全て出勤(堂々12時間勤務)。翌3日も「資さん鞘ヶ谷店」でえび天うどんを食べていたら,呼び出しがかかるし。悔しいので,途方に暮れるような問題が起きなかったから由とする。水や非常食は「決して」買い込まなかったし。マーケティング的に新しい金鉱イヴェントを掘り出したのか,暮れから爆発的勢いで伝播していった「ミレニアム」は,今の処,我が家には一切無縁…だと思っていたが,よくよく考えると春先に生まれる第一子が「ミレニアム・ベイビー」なのだな。そう云えば,次妹が「カッコイイ」と無邪気に喜んでいたわ。ま,その程度ですね。
誕生日関連で云うと,奥さんにはワガママ云って誕生祝いにトライフルロール・ワナビー(つまりトライフルロールを目指したもの)を拵えてもらい(美味しゅうございました),またニナ・バルビエ・エマニュエル・ペレ/北代美和子訳「名前が語るお菓子の歴史」(白水社)をもらう。彼女に云わせると僕はウンチク本が好きなのだそうだ。実に失礼な分析だが,受け取って嬉しかったのは本当である(くっそう)。
昨夜,さんざん打ちのめされた「金八先生スペシャル」他書きたいことは山ほどあるが,最初から飛ばすのもアレなので今日はこのへんで。

今日は松の内最后の日,夜は七草粥をいただく。



 002.王様のパイ

2000/01/08(Sa) 

始がてら,半年振りくらいで西区の叔母の家に遊びに寄る道すがら「16区」で,おもたせを選ぶ。
最初は,従姉妹(瀬戸口くん呼ぶ処の「美人姉妹」を指す)が好物のオペラ一竿(と呼んでいいのか,これを)を選んでいたが,ショウケースに燦然と2000のナンバーも眩しい「ギャレット・ミレニアム」が気になって,長妹や奥さんと相談しているとそれを聞きつけたお店のお姉さんから「チェンジおっけーですよ」とのありがたい申し出。結局,うまうまとお言葉に甘える。ミレニアム・ギャレットと云うと分かり辛いが,要するにギャレット・デ・ロワのミレニアムVer.だと思ってもらえばいい(分からないひとには尚更,分からないという話もある)。

月6日は,みどり児イエスがベツレヘムで東方の三博士の訪問を受けたカトリックの公現祭である。
別名,東方三博士の日。この日の行事として,子供たちは,ギャレット・デ・ロワを切って食べる。
以下「16区」のギャレット・デ・ロワに入っていたカードから引用する。

新年,フランスの人々は一年の始まりを,ギャレット・デ・ロワ(王様のパイ)で祝う習慣があります。フランスではギャレットの中に小さなフェーブ(王様や動物,自動車などの形をした人形)がひとつ隠されています。切り分けた時,フェーブに当たった人は,新年の王様で,幸運がやってくると言われ,紙製の王冠をかぶせて,みんなで拍手喝采,楽しいひと時を過ごします。

フェーブというのはフランス語でソラマメの事。南仏では本物のソラマメを入れているそうだが,それ以外では産着の赤ん坊(みどり児イエス)のお人形,今では上記説明にもあるような,陶器製の人形或いは,キングやクイーンの王冠が入ることが多いようだ。ギャレット・デ・ロワは新年に子供たちが遊ぶゲームであるとも考えていい。
ルールはいたって簡単である。フェーブを引いた人は,その人が男性なら「王様」女性なら「女王様」になって,ギャレットの周りを囲んでいる王冠をかぶり,その場にいる自分の意中の異性を,女王様或いは王様として指名出来る。
此処迄読んで,勘のいいひとは思い当たったに相違ない。そう,ご明察,これはあの「王様ゲーム」の源流にあたる。
尤も「16区」が王様ゲームもどきを推奨するような無粋を犯す筈もなく,知ってか知らずか上のようなソフトな表現に押さえてあり,「16区」ルールでは異性指名までには至らない。ショートケーキサイズのギャレットはどうか知らないが,僕らが買った大きいサイズのギャレットには紙製の王冠も,後からインサートするフェーブ(ちなみに陶器の魚であった)もついていた。三嶋隆夫さん,なかなか粋である。

人姉妹・妹は留守,叔父はまだ仕事から帰っていなかったが,こらえ性のない僕ら一族郎党(計5人)は早速「16区」ルールで公現祭から2日遅れのギャレット・デ・ロワ・ゲームを楽しんだ(どうせ血縁しかいないしィ)。因みに栄えある「女王様」は美人姉妹・姉であった。王冠をかぶせて,一同惜しみない拍手を贈る。今年1年がきみにとってすこやかでありますよう。
ギャレット自体もたいそう旨かった。ミルフィーユ仕様のパイ生地の中には通常カスタードクリームが入っているのだが,「16区」Ver.はアーモンド・クリーム。「16区」らしくしつこくなく,あっさりさくさくととても美味しい。此処のマロン・パイのファンのひとなら,パイ生地の仕上げの絶妙さは分かってもらえる事と思う。

結局,叔父さんの帰りを待って夕食をごちそうになって帰る。奥さんはザーサイとササミと白葱を刻んで和えただけというシンプルなのにひどく美味しい棒々鶏に感動していた。此処んちの食卓って(10年以上前,1年程此処で厄介になっていたのだが)ご馳走になる度に新しいメニューがある。
それにしても,美人姉妹・姉はずいぶん家庭的な甲斐甲斐しい娘になったね。

今日観た映画:「テックス・エイヴリー 笑いのテロリスト(Aプログラム)」「七人の侍(54・日)」




 003.これでいいのだ

2000/01/09(Su) 

休中日は,英ちゃんとともに福岡アジア美術館「赤塚不二夫展」。招待券をげっちゅーしてくれた奥さんにはサンキュー・ベラマッチャ。
今日は11時から赤塚先生のサイン会(先着100名)だったので,あわよくばと幾ばくかの期待を胸に会場に向かったが,10時前会場着で間に合おう筈もなく,サインを待つ長蛇の列を横目にやむなく入場。勿論,内容的にも見応えは充分,トキワ荘時代のコーナーのトップを飾った,どうやらこの企画が始まった時にはまだお元気だったらしい石ノ森先生の色紙(肩を組む若き日のおふたかたと対比して,すっかりロートルと化して尚,肩を組むというか,肩で支えあう現在のおふたかたを茶化したイラスト)が泣かせる。何しろ,出展作品図録の冒頭にエッセイまで寄せておられる仲の良さだ。
ちなみに赤塚先生直筆のイラスト色紙は8400円也であった,念の為。

っぷり1時間以上かけて,赤塚作品の原画や写真資料を堪能して出ると,会場入口では,赤塚先生のサイン会の只中であった。
サイン会参加者は,会場内のグッズ販売コーナーではなく,会場外の特設コーナーで図録を買うように指示が出ていたのだが,先生がサインしているのを脇で覗き見乍ら成程と納得。サイン用の図録の内表紙(黒)には,予めケムンパス(覗いた限りでは全部ケムンパスであった)のイラストが描き下ろされてあって,現場の先生はサインを描くだけにしてある。あとは,右脇に控えているあだち勉(あだち充の実兄にして,長くフジオプロでチーフ・アシスタントを勤めた,知るひとぞ知る「元」漫画家。何故このひとが付き添っているのだろうと考えてくと結局,赤塚先生の人徳に突き当たる)がくさむらやとんぼといった背景を描き足し,最后にフジオプロのスタッフらしき巨漢(このひとの背中のお蔭で先生が見えない見えない)が「立川不死身」の千社札を貼るという流れ作業が続く。しかし,アシ付のサイン会なんて初めて観たぞ。
赤塚先生は癌痩せの兆候など微塵もなく血色も良かったが,すっかり宿酔いのご様子で,そのマイペースは余人を寄せ付けない。サイン参加者の写真撮影に気軽に応じておられたのだが,8mmビデオを廻すファンのレンズにも固まったまま動こうとせず(勿論,笑顔をこしらえたまま固まっている),スタッフやあだちさんがどんなに「あれはビデオだから」と説明しても理解してなかった。うーん,今年の秋で65になるしなァ。トキワ荘メンバーって,もはや老人と呼んでも全然違和感のない人たちだし…。

事も摂らずに場所取りする事150分。14時から本日のメイン・イヴェント「赤塚不二夫vsタモリトークショー」
博多リバレイン・リバーサイト5Fアトリウムはおそらく,オープン以来最多入場者数だったのではないか。1000人単位でギャラリーが詰めかけたと思いねェ。タダほど怖いものはないぞ。一応断っておくと英ちゃんは和幸でとんかつ弁当を買って食べた。
タモさんはベージュ系のスーツ姿で登場。まるっきりの「いいとも」ファッションである。昨夜は30年振りの同窓会で,夕方6時集合で終わったのが今朝6時。起き抜けは朝4時半に食べた2杯のラーメン(替え玉は用いず,2杯ともきっちりスープまで呑み干したらしい)のせいで流石に吐きそうだったとか。やっぱり明け方にラーメン2杯食べると朝御飯が入りませんねえと笑っていた。
まずは「はじめまして,赤塚と云います」「あ,はじめまして。タモリです」などと「はじめまして」の応酬劇。おふたりの儀式みたいなもんだ。会場は大いに沸いた。
サイン会では「昼からのトークショー面白いから聞きに来てください」などとリップサービスしていた先生だが,どうやらメチャメチャに上がっているらしく烏龍茶のペットボトルから何度もお茶をそそぐ。

「だって,それお茶だよ」とタモさん。
「いや,ちょっとしたクスリなんだよ」
「え…それ酒なの」

確かに烏龍茶にしては色が薄すぎるのだ。いい処,水割りである。いや,先生の云うクスリに倣って「般若湯」と呼ぶべきか。

「兎に角ねえ,今日が最後だからね」とタモさん。「もう呼ばないでよ。今年休みが取れるの今回くらいなんだから」
「あと,全部仕事なの? 忙しいねえ…僕は毎日ヒマなのに。明日食べるものにも事欠く有様なのに」
「ウソつけ(笑)。こんな展覧会開いておいて」

タモさんによると「赤塚不二夫展」は上野の森美術館からスタートした。
タモさんはやはりゲストとして呼び出され,トークショウの前に楽屋に顔を出したら,先生は凄く満悦だった。

「タモリィ,会場見てきた?」
「いや,まだだよ」
「早く見て来いよ。オレという男がいかに凄いか思い知るよ。オレ,今日此処の館長に何て云われたか知ってる?」
「何て云われたの?」
「『ウチではピカソから赤塚不二夫まであらゆるものを展示します』だって。どうだ凄いだろ」
「それって要するに『ピンからキリまで』って事だろ」
「あ…」目が点になる先生。「そうだったか,あの野郎許さねえ!」だって。場内大爆笑である。

先生の天然のリアクションもさる事乍ら,完全に平成の熊さん八っつぁんである。20世紀最后の与太郎と云ってもいい。
しかも,それに円熟味を増した「間」というか「フラ」が加わっている。このオトボケは天然であり乍ら,素人には出せないシロモノである。
そして何よりもタモさんのレポート能力というか,いかに埋もれている親父の呑気な日常を掬い上げて面白可笑しく報告するか,僕はこのひとの話芸が聞きたくてこの日を選んだと云っても過言ではない。
今日の福岡も先生に無理矢理口説かれたのだと云う。「オレはそろそろダメかもしんない」「オレは博多で骨を埋める」癌を抱えたヒトの口説きは殆ど,いや全くの脅迫に等しい。まあ,それでも憎まれ口を叩き乍らでも何度も先生のためにスケジュールを空けるのも,つまりはタモさんが先生を愛しているからである。確かに赤塚不二夫というひとは愛されるに値する「バカの天才」である事は疑いない。

でも,先生も負けてはいない。「こいつはね,こんな事でもないと福岡に帰って来ないんだから。僕が故郷に錦を飾らせてあげたんですよ」
「故郷に錦を飾るのが何でゲストなんだよ」
「いいじゃない。帰らせてあげたんだから」
「自分ひとりで帰れる! 自分の力で故郷に錦を飾れるんだって」
でも,タモさんが福岡に帰ってきたのは5年振りなのだそうだ。
前回はドームが出来た時って,え,オレ,福岡ドーム柿落としライヴ行ったよ。
それじゃ,オレはタモさんが福岡に帰ってくる度に顔見に来てるんだ。

先生とタモさんがふたりで行った西サモアの話は可笑しかった。
サモア諸島は東西に分かれていて,東はともかく,西の方は電気も通っていないような,ホテルも一軒しかないような,大蔵省が土産物屋の2階にあるような(実話),そんな未開の地らしい(ふたりが旅行した1994年当時)。
民家には壁がなく,お寺の鐘撞堂のように屋根と柱だけで外から丸見えなのが,海岸沿いをずらーっと並んでいるのだそうだ。んで,閉じた土地柄だからか,この島の女たちは外国の男が好きで(外から優れた血を取り込む,というような意味合いらしい)平気で彼女たちから夜這いをかける。しかも,彼女らは「トンガのように(赤塚先生)」にデブでビア樽で,更には「髭まで生えている(タモさん)」屈強な容姿であり,ふたりは真剣に彼女らの襲撃に怯えた。で,実は「夜這いは外国人に対してあまりに失礼である」という理由で,先生たちが入国する「前日」に夜這い禁止条例が出た(笑)らしいのだが,な事云われたって怖いものは怖い。処で,夜は虫が多いという事で,各鐘撞堂には蚊帳が吊られる。先生は蚊帳の中でも,その事が気になってなかなか寝付けなかった。夜半,ひたひたと近付いてくる足音が,すぐ傍で止まったのでおそるおそる振り返ってみると,蚊帳の外で大きな犬が先生を見下ろしていた(笑)っていう。しかも先生は最初,その犬を「犬の面をかぶって」夜這いにきたサモアの女性と信じて疑わず,そのままタモさんの蚊帳に消えたので,てっきりタモさんがサモア女の毒牙にかかったと信じ込んでいたらしい。尤も,タモさんは犬が来た事など全く記憶に無いらしいのだけど(そりゃ寝ていたんだもんね)。
他には,子供たちに遊び道具が無いっていうので,よせばいいのに(タモさん談)先生は子供たちに風車を作ってあげたそうだ。処がサモアの子供たちは扱いが雑で作ってもらった傍から風車を壊していく。先生がようやく風車を作り終えたかと思ったら,すぐに新しいのを作れと子供たちにせがまれ,頭を上げてはまた子供たちに押さえつけられる,を延々2時間続けたというのは先生の人の好さが炸裂するエピソードと云える。
また,西サモアでは酒を呑むことが禁止されている。理由は一旦酒が入るとサモアの男たちは殺し合いを始めてしまうほど痛飲するからで,敬虔なクリスチャンでもある彼らは禁忌として自らに断酒を課したものらしい。とは云え,赤塚先生もタモさんも知っての通りの酒好きで,サモア滞在の一週間酒を断つなど到底出来よう筈はなかった。で,赤塚先生がどうしたかと云うと,ペットボトルにウイスキーを詰めた。

「それ,どーすんの?」
「こうすれば麦茶だと勘違いするだろ」
「先生,サモアのひとは麦茶を知らないよ」

そんな事を気に病む先生ではない。結局,ペットボトルを持ち込んで,おふたりとも隠れて酒を呑み続けた。尤も,帰国の時に全部ばれてたって分かるんだけど。
最后,先生は庶民のものではない美術館を「漫画」が橋渡しする事で,庶民のものにすることが出来た,と恰好良く決めるつもりだったのだが,タモさんに悉く「美術館は庶民のものだ」「観客動員凄いんだから」などと反論され,すっかり拗ねてしまった。

「もういい。もうおまえと話したくない。もう終わる」
「ありゃりゃ拗ねちゃった」
「大体何でこんな処にユンケル黄帝液が置いてあるんだよ」
「知らない」
「処で先生とタモリさんは仲がおよろしいんですよね」と司会の女の子(TNCの新人アナ)。
「そうですね。仲いいですよ」とタモさん。
すかさず相好を崩して「そうそう,今年の正月も一緒だったもんね」と先生。
会場は爆笑の渦になったが,当然,何が可笑しいのかはお分かりにならなかった。苦笑するタモさん。
やっぱ,先生,かあいいわ。あっという間の1時間であった。赤塚先生が今後ますますお元気でありますように心よりお祈り申し上げる。

さて,この次にはもう3月開催「藤子・F・不二雄の世界展」が待っている。

夕方,天神から実家のハハに電話。今日は彼女の50ウン歳の誕生日。
昨日,裕次郎の「あいつと私」「憎いあンちくしょう」のビデオを送ったのだが,何とかお昼前には着いたらしい。
問題はあのひとがビデオを全く操作出来ないという点である。再生ぐらい何とか覚えてくださいよ。

今日観た映画:「200本のたばこ(98・米)」




 004.ベッソン,アメ公を罵倒する

2000/01/13(Th) 

EWS23にリュック・ベッソンが出てたのね。勿論、聞き手は筑紫《まるで温泉場のようです》哲也。
最初から観てた訳では無いので,いつの録りかは分からなかったが,おそらくは東京国際映画祭で来日した時のヤツだろう。ベッソンったら「ジャンヌ・ダルク」の番宣もそっちのけに,これが全篇アメリカ人の悪口に終始。勿論,温泉場キャスターが誘導尋問してる訳では毛頭ない。

「観客には2通りあります。アメリカの観客とそれ以外」

「日本のお客とフランスのお客は似ているんですよ。なにしろ両国には長い歴史がある。アメリカのような昨日今日出来た国とはワケが違う」

「そうは云っても,ハリウッド映画が世界のマーケットを占めているという現実がある訳で」と温泉場キャスターのフォローに少しも怖じず。
「確かに今はそうかもしれないが,一時的なもんですよ。芸術ときたら,アナタ何百年と続いた伝統があるんです」

「くっだらない新聞があるじゃないですか,アメリカ映画はあれと同じ。暫くしたらすぐあきられちゃう。クズですよ,クズ(をいをい)」

「クズ(TRASHY)」のくだりは字幕にならなかったが,奥さんが大ウケして全部教えてくれた。
それにしても一体,米国のナニがこれほどまでにベッソンくんのルサンチマンを掻き立てるのか(笑)。オンエアのあと,筑紫さんがチクっていたが,放送ではカットされたが,最近観た或る大ヒットしたハリウッド映画を指して「近年,あれほどヒドい映画は観たことがない」とモーレツにこき下ろしていたらしい。おすぎの放言を流しっぱなしにしている同番組なんだから,別にオンエアしたってまずくないと思うのだが。「アルマゲドン」かな(爆)。「フィフス・エレメンツ」で仕事したブルース・ウィリスの映画だから,仕方なく観たらフンガイさせられたという筋書き。
此処んとこ,米資本で映画撮り続けてるからねー,よっぽど腹に据えかねるようなアレやコレやがあったのかもしれん。



今週は工事中まみれの小文画報を立ち上げてしまったので,日記の更新もままならないほど忙しかったりする(勿論,仕事も結構忙しい)。
実はもうちょっとの間この忙しさは続きそうである。噺家の皆さんを含む色んな方々に相互リンクの依頼を出して,快諾をいただいた方も多いのに,まだリンクページをこさえてないし,そもそも小文さんのプロフィールを放り出したままなのだ。でも,当の小文さんがかなり喜んでいる様子なので,こちらも何だか嬉しい。せっかくなので,もっと小文さんのお尻を叩かせてもらおうっと。



 005.七人の侍とRONIN

2000/01/14(Fr) 

「RONIN」つったって,去年公開されたデ・ニーロとジャン・レノのアレではない。
河合義隆監督「幕末青春グラフィティRonin坂本竜馬(85・日)」の事である。武田鉄矢主演作品中,群を抜いて大いなる野心を持ち,またそれ故に大きく失敗をこいた大作。個人的には,高校3年の共通一次のその日に公開され,宿泊先を抜け出して観に行った者は例外なく浪人生活を余儀なくされた。吉田拓郎の歌う「Ronin in 1985」の歌詞がこれほど似合う客層も無かったのではないか。友人の馬見ちゃんを3回映画館に足を運ばせ3回桜を散らせた見事な実績を誇る「Ronin」映画である。勿論,僕もホテルを抜け出したひとりだ。

話がそれたが,不朽の名作とはおせじにも云えない(映画自身が持つ体温は凄いのだが…何故失敗だったかは此処では書かない)。
いや,気恥ずかしくも,時折絶盤LDを引っ張り出してきて観るくらいには「愛している」んだけれどね。

,こないだ,恥ずかし乍ら初めて黒澤の「七人の侍」を観たのだが,其処でくだんの「Ronin」に酷似したシーンを見つけてしまった。
認知度の低さから「Ronin」の話を先にすると,高杉晋作(吉田拓郎)率いる長州ユニオン号が,富士山丸をはじめとする幕府艦隊の威容にほうほうの体で敗退した処に,とどめを刺すかのように竜馬(武田鉄矢)たちの許へ主君・山内容堂(TV版ではタケちゃんだったが,映画では登場せず)による土佐勤皇党惨殺の知らせが入る。悲しさと無念さの余り,海を見下ろせる小高い丘で,うの(浅野温子)の膝に顔を埋めて慟哭する竜馬(この映画の見せ場のひとつでもある。おすぎは嫌ってたけど)。が,気付くと彼より派手な泣き声が奇兵隊の宿舎のある方から聞こえてくる。藁葺き屋根の上で,海援隊・長岡謙吉(竹中直人)がおりょう(原田美枝子)に作ってもらった海援隊の旗をぶんまわして泣きじゃくっているのだった。ひとしきり吼えて気が済んだのか,竿を屋根に突き刺す長岡。屋根から降りようとしたら足が滑って「やめてとめて,やめてとめて」と無様に落ちてしまうというオチ。因みに,竹中さんのこの「やめてとめて」ネタは他所でもよく使われる十八番である。

黒澤映画ファンなら多くの説明を必要としないだろう。
平八(千秋実)が討ち死にして,村中が悲嘆に暮れているのを吹き飛ばすように,菊千代(三船敏郎)が藁葺き屋根に登って,平八の作った軍旗(村人を表す「田」に,侍たちを表す6つの「○」と1つの「△」が図案。侍に「△」が混じっているのは,武士を名乗る菊千代が実は農民の出だからである)を振り回して雄叫ぶのである。そう,カメラアングルもほぼ一緒。何しろ世界中で真似されてる映画だから,オマージュでも,本家撮りでも何でもいいんだけど「ああ,竹中直人が吼えるシーンってのは恐れ多くも三船先生から戴いたワケね」と,暗闇の中ひとりで膝を打ったのでした。

て,それだけの話なんだけど。



レイトショウで「御法度(99・日)」を観る。
松田龍平の妖し度というのは,秋波を送る睚(まなじり)や,成長途上の肩にアンバランスに乗っかった長く白い首筋をさておいて,まずはあの「口許」だと思う。薄くつんと突き出たアヒル系のくちびる,喋るたびに口許を拗ねたように歪めるその話し方。このへんのいびつさが曰く云い難い妖気を放っているのではないか,にとりあえず1票。演技はまったくの素人なんだけど(台詞廻しなどハラハラする事請け合い),佇まいだけで逃げ切っているというか。結局は大島の旨さだよね。

今日観た映画:「御法度(99・日)」



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