備忘の都 2000 −JANUARY 〜 FEBRUARY−  ◆

白馬の王子様は必ずあなたのもとに現われます。
いいですか,舞踏会に行く前にあなたは働き者のシンデレラになって下さい。

「3年B組金八先生PART4」最終回より
金八先生が卒業生のひとりに贈った言葉



011.世界サンタクロース会議012.2000年の佐藤慶
013.Di Mareにて014.エスカロップ,西へ015.「何だバカヤロウ」は愛の言葉

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 011.世界サンタクロース会議

2000/01/23(Su) 

日聴いた「サントリー・ウェイティング・バー AVANTI」は「試験」がテーマだったが,其処で東京パノラマ・マンボボーイズのパラダイス山元がコペンハーゲンでサンタクロースの認定試験を受けた話をしていた。僕は寡聞にしてサンタクロースの認定試験がある事自体を知らなかったので,早速ネット検索した処,山元さんが書いているエッセイでその時のエピソードを縷々綴っており,かつ去年の暮れには,アジア初の公認サンタクロースを売りに東京パノラマラウンジ「MAMBO de CHRISTMAS」という企画アルバムまでリリースしていたのだった(しかも,ゲストヴォーカルは僕らの高木ブーである)。

此処のテキストは「備忘の都」の名の通り,僕にとってのメモでもあるし,折角なので世界マンボ紀行 −番外編−「パラダイス山元、世界サンタクロース会議へ出発!」から得られた「世界サンタクロース会議」の私家要約版を記しておく。勿論,コトの詳細を知りたい方は,上記サイトの一連の連載を精読されることをお薦めする。



て,世界サンタクロース会議は毎年7月20日から23日までの4日間,デンマーク・コペンハーゲン郊外の世界最古の遊園地があるバッケンで開催される。2000年の夏で37回を数えるというから,比較的歴史は浅い。
同会議は,同会議で正式に認定された世界中のサンタクロースが一同に介し,自国のクリスマスの状況や問題点などについて話し合うもので,毎年150人余りのサンタクロース及びその関係者が集まるとのこと。
会議には「煙突の太さの国際基準の選定」から「地球環境問題」「トナカイの数の減少」「女性サンタクロースの権利の制定」「女性サンタのスカートの丈」「サンタクロース・オブ・ザ・イヤー(余談だが1999年は初めて女性サンタが選ばれた)の信任」に至るまでさまざまな議題がかけられる。また国際会議とは云え,開催地がデンマークである為,議事進行は全てデンマーク語で行なわれる。ここらへんを不満に感じているサンタクロースは結構多いようだ。

また,誰にでも公認サンタクロースへの門戸が開かれている訳ではない。サンタクロースになる(或いは資格を継続する)ためには,サンタクロース認定試験を受ける必要がある。一般公募が建前だが,山元さんはスカンジナビア政府観光局にたまさかコネがあった事実を付け加えておく。

1.サンタクロース・スピーチ

自国の子供たちの問題や環境の諸問題などをサンタクロースとしての視点から,100人からいる他国のサンタクロースの前で報告・プレゼンを行なうというもの。因みにスピーチは英語かデンマーク語を義務付けられている。勿論,日本語なんか論外だ。

2.サンタクロース体力測定会

これは老若男女を問わず,現役のサンタクロースである限り,強制参加させられる。デンマークやオランダのサンタクロースに到っては木靴を履いて参加する。7月の炎天下,サンタクロースの「正装」のまま,測定会は執り行われる。測定コースの両端には,大勢の観光客や地元の子供たちが旗を振って応援する。つまり,あくまで見世物としての側面から逃れられない訳ですね(煙突によじ登る仕種や,衣装にアイロンをかけたり,物干し竿にかけたりする動作が巧みに折り込まれた「伝説のサンタクロース・朝の体操」などその好例と云える。同じような踊りを延々1時間も「ギャラリーの前で」踊らねばならない)。
内容は殆ど障害物競走。50mを全力疾走した後,梯子を駆け登り,煙突に飛び込み,暖炉から這い出て,モミの木の下にプレゼントを置いて,子供たちが用意してくれた(という設定の)ミルクとクッキーを一気に呑み食い。それからまた暖炉を這って煙突から飛び出し,屋根を転げ落て,50mの全力疾走ラストスパート。昔,ノック&上岡&和田アキコが司会をする大阪のバラエティ番組でやってたかぐや姫争奪戦を思い出す。ちなみに山元さんは1999年度測定会において見事優勝を果たす(1998年も総合第2位という輝かしい成績であった)。日本人どころかアジア人としても初めての快挙とのことだが,あれ,処で日本以外でアジアからの参加国ってあったっけか?
余談だが,女性サンタクロースの測定は,毛糸の糸巻き競争。二人一組になって,毛糸玉を巻いていくというもの。
おい,これを本当に体力測定と呼べるか。

定試験は以上だが,国際会議開催中の4日間は夏だと云うのにひとときたりともサンタクロースの正装(帽子,カツラ,つけ髭,ジャケット,ベルト,ズボン,靴下,靴,プレゼントを入れる布袋)を解くのは御法度なのである。此処にサンタとして参加したからには,徹頭徹尾サンタクロースとして過ごさねばならない。山元さんで云えば,1998年の会議の時に我慢できなくなってサンタのカツラ(夏だから常着していればそりゃ蒸れて臭くもなる)を外した処,サンタの長老に「黒髪のヤッペン(日本人)がカツラを外すとは何事だ」とこっぴどく叱られている。
一旦,サンタクロースのプロフェッショナルになったからには「サンタクロースの正装をしている」限りは禁酒・禁煙・禁淫の三つの誓いを遵守しなければならない(「これは般若湯だから」などというお坊さんの論理が当然通用しない。勿論,普段からサンタとして生活せよ,と云っている訳では決してない)。世のため,人のため,子供のために大いに尽くすのがサンタクロースとしての義務なのである。



前中は,いきなり息絶えたデジカメを修理に出した後,夫婦して「シュリ」を観る。
韓国映画だという垣根を払って総合エンターテインメントとして評価しても上出来の部類だと思う。各キャラクターに感情移入し易いのが何よりである。此処んところ,韓国映画で当たり籤を引けずにいたのだが(昨年観てまずまずだったのは「囁く廊下 女校怪談」くらいか)久々のヒットである。一昨年の秋観た「ザ・コンタクト」以来の充実感。あの時は前後して「八月のクリスマス」も観たからなァ。
…あ,全部ハン・ソッキュものだ。

帰宅後,桜もちでお茶にする。

今日観た映画:「シュリ(99・韓)」



 012.2000年の佐藤慶

2000/01/26(We) 

日の「はなまるカフェ」のゲストはケニーこと佐藤慶だったので,録画しといて夜万難を排して堪能する。
大体変わったひとだという事はよーく心得ていたつもりだったが,このひとのおめざは前代未聞であった。何しろ,酒石酸である。天本くんのモンゴウイカのチチなんて珍味なだけで全く普通の食べ物であった。こいつは食べ物ですらない。
試しに手許の広辞林第六版で「酒石酸」を引いてみる。

酒石酸【しゅせき−さん】CH(OH)COOH 無色透明な柱状の結晶体。遊離または酸性カリウム塩となって種々の果実中に存する二基塩酸である。酸性酒石酸カリウムを炭酸カルシウムとともに煮沸して酒石酸カルシウムとなし,これを希硫酸で分解させて製する。爽快な酸味を有し,水に溶けやすい。清涼飲料水として枸櫞酸のように飲料に配合して,ラムネ・サイダーなどをつくり,また,重曹と混ぜて沸騰散をつくり,その他薬用または染料に利用される。

トレイに乗っていたのは,まさに理科室にある薬品の瓶そのもの(笑)。慶さんは龍角散を服む時の耳掻き大の小匙で,粉末をすくうと,ヤッくんと岡江さんの手のひらに取り分けた。口に含んだ二人が渋い顔をしている脇で「いや,こうやって食べるもんじゃ全然ないんですけどね」
慶さんは小学生の時,ひょんなことからこの酒石酸を舐めるのにはまってしまい,ついには小遣いを貯め,学校帰りに薬局で瓶を購入し,コトある毎に粉末を舐め,そのうちごはんにもふりかけるありさまで,一週間もそんな事を続けたためにとうとう舌の先が割れた処で,さすがにお母さんに怒られたらしい(当たり前だ)。

た,このひとの動物好きも有名で,以前から仲が良くてウチに入り浸っていた隣の飼い猫クロちゃんが死んだ(ったってもう何年も前なのだけれど)のを偲んで,京都の旅公演先で見つけた彼女そっくりのぬいぐるみをソファに置いて可愛がっているそうだ(そう云えば以前,隣のネコがいちばんのトモダチですみたいな話を聞いた事があったぞ)。その後,再び京都に行ったら,今度は子猫のぬいぐるみが置いてあったので,生前手術で子宮を取って子供の無かった彼女のために「せめて死んだ後だけでも」と買って帰ってクロちゃんの脇に置いたという挿話も慶さんらしくていい。家にあるアルバムを披露してもらったが,中には昔飼っていた子犬の写真が処狭しと飾られていたくらいだ(慶さんはカメラの趣味もお持ちらしい)。


「慶さん,お幾つになられました」
「去年の暮れで71になりましたよ」

柄のクールなイメージとは違い,普段は爺ィギャグを連発するただのジジィですよと笑う慶さんも最後にはちょっとだけ,あの傑作,小林正樹監督「東京裁判」のナレーションに3年もかかった話をしてくれた。映画自体の製作には丸5年を費やしたそうで,ナレーションを一部やっては,監督が素材が足りない,調査が足りないと海外に出かけてしまい,インターバルが空いてしまう。で,その間,舞台の仕事などをしてからナレーターを再会すると,どうも以前の録りの時とは声の調子が変わってしまい,前の部分も録り直しに…てなことを3年もの間繰り返していたとのこと。此処でお時間。

こうして僕の「はなまるカフェ」性格派俳優ウォッチングは続く。まだまだ続く。



るさんから賀状が来る。
本人も書いていたがメチャメチャ手を抜いている。手を抜いてるんだが葉書の余白に味がある,と思ってしまうのはトモダチの身贔屓か。
今年は例年よりひと月ばかり早いので,ひょっとするとコーランと袂を分かったのかもしれない。

処で,これは奥さんに聞いた話だが,かつて彼女のお父さんが現役の郵便局長だった頃,部下の中には本当にイスラム教徒がいたそうで,戒律に厳しく何事にも生真面目なそのひとは年賀状もイスラム暦で送ってきていたらしい。処で,回教徒にはそもそも年賀状を出す習慣があるんだろうか。或いは郵便局員としての使命感との葛藤の中でそれが精一杯の和回折衷,妥協案だったのかも知れないが,イスラム圏のお年始について,詳しい事を知っておられる方はご一報を。



 013.Di Mareにて

2000/01/30(Su) 

ぼ半年振りに門司港そばのトラットリア「Di Mare」で夕食をとる。
血気盛んなシェフは健在で,黒のアポロキャップを後ろ向きにかぶり,先に来ていた客と陽気に会話を交わしていた。店の中には邪魔にならない程度の音量でプログレ・ロックが流れている。今日は奥さんの姿が見えない。
此処には3500円と5000円のコース,それに2500円のパスタコースがあるが,経済効率と我が身のスキキライを鑑みて今夜はア・ラ・カルトで頼む事にする。ひとまずブラッドグレープフルーツジュースで口を湿しつつ,厨房でシェフが調理するのをカウンター越しに眺めて時間を過ごす。此処の料理は総じて作り込んだ凝ったつくりのものより,オーダーが入ってから手際良くぱっぱっとこしらえていくスタイルなので(勿論,アンティパストの幾つかは作り置きでカウンターに並んでいる),彼を見ているだけでも極上の娯楽になるのだ。
以下は,今夜のメニュー。



「ヒラメとトマトのマリネ」

肉厚で透明なヒラメの刺身と程よい弾力の瑞々しいフルーツトマトにワインビネガーをかけたもの。
奥さん,本日のお気に入りの一品。彼女がどれぐらい気に入っていたかというと,帰りの車の中でもずっと「ヒラメが」「ヒラメが」と魘されていた程である。

「焼きフグのカルパッチョ」

カツオの叩きの如く,フグを火で炙って旨みを閉じ込めてから薄切りにしたもの。
白胡麻とあさつきとの相性が絶妙。

「チーズ入りオムレツ」

ほんの今しがた「ゲイブルズ・カフェ」でオムレツを食べておき乍らこの狼藉である。
でも,此処のシェフがこさえたオムレツを食べてみたかったんだもん。
結果は期待通り,ふわふわのほくほく。糸をひくチーズが更なる食欲を誘発する。

「子持ちヤリイカのオーブン焼・きのこソース」

イカを丸ごとフライパンにかけた時は思わず拍手しそうになった。
きのこソースったって,しめじやえのきをトマトと一緒にオリーブ油とガーリックでソテーしたもの。単品でも充分美味しいと思う。イカが新鮮なのは云うまでもない。それも丸焼き。頭というか胴体を食べていると異物感があった。見ると魚の骨。はて,イカに骨はない筈だが…。思わず,シェフに「このイカ,魚の詰め物とかしてあります?」と訊ねると「いいえ」と怪訝そうな答え。その骨が,イカ自身の消化途中のごはんだと気付いたのはすぐである(笑)。これぞ,丸焼きの醍醐味と云える。

「タイ風ヤキソバ」

カイエンヌを使ってあるのかピリ辛味で,干しエビともやしとジャッジャッと仕上げてある。
ちょっと濃い目だが「旨い」
昔,香港で食べた広東風ヌードルと同じ香りがするんだが,何使っているんだろう。

「本日のパスタ」

ポモドーロ・ソース。さっぱり味で幾らでも入っていく気がする。



「お腹,大きいの?」

僕らのおさんどんを一通り終え,流し廻りを片付けて一息ついたシェフはおもむろに訊ねた。

「ええ,子供生まれたらなかなか来れなくなるから,今のうちに此処でごはん食べとこうと思って」
「そう。奥さん身体動かした方がいいよ。旦那さん,決して甘やかしちゃ駄目だよ」

シェフの口調は何処までも熱い。お産のぎりぎりまで身体動かしてるとお産が早いからというのがその理由。
話を聞くと,この暮れに奥さんも二人目のお子さんを無事出産されたそうで(おめでとうございます),陣痛が始まるほんの前までずっとこの厨房で立ち仕事をしていたのだそうだ。ちなみに知り合いの奥さんは妊娠中,さんざん甘やかされて家事一切を姑まかせにしたら,自然分娩に立ち向かうカラダづくりが整わず,結局帝王切開を余儀なくされたとのこと。仕事してるとお産の時すっごいラクだよ。だから,奥さん身体だけは動かしときなよ,怠けちゃ駄目だよとシェフ。

「処で,予定日はいつなの?」
「4月の6日です」
「4月の6日かァ」

脇から汐見表を取り出すと,シェフは真剣な眼差しでパラパラめくった。

「やっぱり汐だよ,汐の具合」
「あ,お産の時間すか」
「ん。初産は予定日より遅れるっていうけど,ちょうどその頃だね。此処を逃すと次は15日くらいになる」
「え…15日すか」
「5日頃なら早朝だね。だいたい明け方。さもなきゃお昼過ぎか」
「ねえねえ明け方だって。ゼッタイ会社休んでね」
「…これこれ」

僕らがシェフの講釈に聞き入っていると,大きな紙包みを抱いたおじさんが来て「かわいいよー」を連呼して,出産祝いを置いて行く。照れ笑いするシェフ。「メシはいいですか」「あ,今日は家で食べるから」来る度に思うのだけれど,このお店,シェフとお客の距離感がすごくいい。
ちなみにシェフのお宅は息子さんなのだそうだ。それじゃ絵に描いたような一姫二太郎ですねと,ほめそやす。
「でもね,男の子で先に苦労しておくと,あとで女の子が生まれた時すごいラクらしいよ」とシェフ。一太郎二姫待望論のケース・スタディをひとくさり聞いてから退去する。それでも時計を見ると,1時間そこそこしかいなかった。
来月中にもう一度くらい来ておくか。



 014.エスカロップ,西へ

2000/02/05(Sa) 

ちゃんと博多駅の「石井輝男映画祭」に行ってあじゃぱー女体映画を4本梯子する。
映画の合間を縫って,一律800円のランチ目当てに博多駅筑紫口の向かって左側にあるホテルの2階へ赴き,ふたりしてメニューに燦然と輝くトルコライスを頼んだのだが,今日はそのトルコライスのお話。
トルコライスは長崎が発祥の極々ローカルな洋食だ。基本形は楕円系の大皿に,(1)とんかつ (2)ナポリタンスパゲティ (3)ドライカレーが同居するかたちを取る。まあ大体はスパゲティとドライカレーを並べて盛り,その上に食べやすくカットしたカツレツを乗せるのが一般的だろう。ヴァリエーションは多々あって,(1)カツレツが豚でなくてチキンだったり,(3)ドライカレーがピラフやバターライスにカレーがかかっている等々。
ちなみに此処のトルコライスは「上記基本形プラス大皿の余白部分にミニサラダの鉢」というもの。とんかつにはデミグラスソースがかかっていた。旗こそ立っていないものの,宛ら「オトナのお子様ライス(ヘンな表現だが)」といった赴きである。

ルコライスの専門サイト(あるのだ,これが)というと,「viva la トルコライス」「トルコライス共和国」あたりが有名だが,そのいずれにも「何故『トルコ』なの?」「最初に出したお店は?」などと云ったトルコライス事始に対する明解な解答は載っていない。
中東のカツレツ技法,イタリーのパスタ,天竺のカリー(清の炒飯というVer.もある)が,トルコで融合し,南蛮渡りで長崎に渡来した,というまことしやかな説も当然,真偽の程は定かではない。イスラム圏ではブタは食べないし,そもそも鎖国時代じゃ日本人はケモノの肉にそっぽを向くのではないか(あれ,豚の角煮を含むしっぽく料理中国ですよね。ちなみに卓袱(しっぽく)とはテーブル掛けを垂れた食卓を指すんだけど,幾らなんでも脱線し過ぎ)。待てよ,猪は山鯨だのぼたん肉だのと好まれていたから…って,そもそもトルコライスが登場したのは戦後になってからなんだよ。
上記サイトで紹介されている「『トリコロール』という名の洋食屋が最初に始めた「トルコライス」が広がった」説が個人的にはリアリティがあるんだけれども,少なくとも今の処,真相は藪の中。

で以前,さださんのツアーパンフで北海道の根室でエスカロップを食べた話を読んだ事がある。
こちらは根室オンリーの洋食なのだが,さださんの話によるとこれが長崎のトルコライスに酷似しているとあった。エスカロップはピラフ或いはナポリタンの上にカツレツが乗っているというもの(くだんのピラフ版ゴージャスがオリエンタルライスとなる。嗚呼,ややこしい)。トルコライスは麺と飯と両方だから,これはお好み焼き定食が成立する関西以西ならではのコンビネーションなのかもしれない。
さて,エスカロップにも専門サイト「エスカロップワールド」が存在する。こちらはエスカロップの語源も料理の起源も明瞭に記されているので,興味のあるひとは訪ねてください。キーワードは幻の店「モンブラン」と伝説のシェフ古村欣也あたりですか。
それにしても,エスカロップには赤エスカ(ナポリタンの上に子牛のヒレ肉バターソテー乗せデミグラスソースがけサラダ付。初号機),白エスカ(バターライスの上にロースカツ。2号機。代替わりして既に30余年が経つらしい)の2種類が存在してたなんて全然知らなかった。
北海道者であらせられるNくんの奥さんはこのあたりにお強いのではないだろうか。
今度,訊いてみてください > 奥さん。

ルコライスとエスカロップ,この兄弟のような一皿。
しかも日本の端と端「のみ」に生息するきわめてローカルな洋食として。
実際,北海道でエスカロップを食べたひとから「トルコライス共和国」宛てにトルコライス北海道起源説も提出されているようだが,仮にそうだとすると,此処は導入経路を詳らかにしたい処。「エスカロップがトルコライスに辿り着くまで」

蛇足だが,お昼に食べたトルコライスはまあまあ美味しかった。ボリュームもあったし。
という訳で「石井輝男映画祭」の話をするつもりだったのだが,今日は此処まで。

今日観た映画:「ポルノ時代劇 忘八武士道(73・日)」「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間(69・日)」
「地獄(99・日)」 「徳川いれずみ師 責め地獄(69・日)」
今日の読書:番組スタッフ編「料理の鉄人大全」(フジテレビ出版)



 015.「何だバカヤロウ」は愛の言葉

2000/02/09(We) 

井注さんが亡くなったのを知ったのは,昼休みに夕刊フジのサイトのトップニュースでだった。
本名,荒井安雄,享年71才。記事には「かねてから体調不良のため自宅療養中で、家族が入院をすすめていた」とあるから,フジカラーの「2000年だよ全員集合」はそれこそ無理を押しての出演だったと見える。確かにポスターくらいでしか,きちんと顔が見えなかったんだけど(しかも髭だるまだしィ),具合悪そうに見えなくもなかった。尤も71歳という年齢からくる「老い」もあるのだろうとは思っていたが,あのCMが本当に「夢の共演」になってしまった。神様はいるんじゃないか,とふと期待してしまうのはこういう時である。ひょっとして注さんは自分の寿命を知っていたのではないか,などと思ってもみる。いずれにしても,田中麗奈は最后の新旧ドリフの共演者(目撃者)として同じ板の上に立てた幸福を大いに噛み締めるべきである。少なくとも彼女のお父さんは我が娘に訪れた僥倖を噛み締めてるに決まってる。
クレージーで,最初にハナさんが逝き,そして堪えきれぬようにエータローさんが,安田さんが後に続いた時よりもショックは大きい。
ドリフはリアルタイムで体験した僕らにとって最初の,そして永遠のアイドルなのである。

Dorifu  Dorifu  Dorifu

年ほど昔の日石のCMはドリフ総登場ではあったが,注さんはいなかった。だから今回,本気でうれしかったのに,うれしかったのに。
土曜ワイド劇場で故・天知茂が明智小五郎を演じた乱歩ものでムードメーカーの浪越警部を演っていた注さんも良かったが(天知さん亡き後を引き継いだ北大路小五郎のシリーズでは,キャスト自体が総入替で警部役も坂上二郎さんになってしまった,確か)ドリフといる時の注さんのくつろぎようったらなかった。CXドラマ「結婚の理想と現実(うろおぼえ)」で田中美佐子の父親を演じた長さんの寿司屋に来る常連客とか。

フジフィルムはどうあっても「2000年だよ全員集合」のシリーズをパッケージングしてセルビデオ化すべきである。出来るならDVDが望ましい。
ゆめゆめノベルティにしてはならじ。販促モノにしてはならじ。


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