備忘の都 2000 −MARCH−  ◆

私たちは、決して刹那主義ではないけれども、
あんまり遠くの山を指さして、あそこまで行けば見はらしがいい、と、
それは、きっとその通りで、
みじんも嘘のないことは、わかっているのだけれど、
現在こんな烈しい腹痛を起しているのに、
その腹痛に対しては、見て見ぬふりをして、
ただ、さあさあ、もう少しのがまんだ、
あの山の山頂まで行けば、しめたものだ、
とただ、そのことばかり教えている。

きっと、誰かが間違っている。
わるいのは、あなただ。

太宰治「女生徒」


021.Leaving On Jet Plane022.助産婦外来023.白い一日
024.藤子・F・不二雄の世界展025.藤子・F・不二雄記念館

備忘の都【目次】/ 備忘の都1999
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 021.Leaving On Jet Plane

2000/03/05(Sa) 

ったことに奥さんの花粉症が本格化してきた。
それでも九州はまだ花粉が少ない方らしいから(練馬ではついにやっさんが花粉症デビューを果たした),微熱と涙と鼻詰まりとくしゃみも軽い内なのだろうが,それに加えて現在は臨月を控えた妊婦MODEですらあるのでしんどさは指数関数的に増大しているようである。声が出なくなって,落ち着いたトーンで囁くように話すのが,何だかえらく思慮深いひとのようでこちらも調子が狂う。スクールでは,生徒のおばあさんに「悲しいことがあったみたいな」教え方だと評されたらしい。そりゃ,おばあさんの脇で説明しながら泣き腫らされてちゃねえ。

余計なことだが,彼女が小青竜湯(漢方だが鼻炎に効くそうだ)を服むさまは,金魚を呑み下す人間ポンプのようである。

刻,近頃ではばってんさんもこぶしを廻した八幡市民会館にて歌う給食おばさん,綾戸智絵「Friends Consert Tour」
春に子供が生まれてしまうと,当分コンサートはお預けだからというので,こないだ思いつきでチケットを買ったのだ(本当は5月に「指揮台に立つ音楽史」朝比奈隆が大阪フィルを率いて福岡シンフォニーホールでベートーヴェンを振るのを聞きに行けないのは彼女にとってずいぶん痛手なのではないか。かなり同情している)。尤も,本当に思いつきだったので,2階席の最後尾しか残っていなかったが,座席位置なんかものともしない,本当に佳いライヴであった。

HKのトップランナー効果か,1300人弱のキャパを持つ会場は堂々の満席で,普段はどう足掻いても演歌歌手かチビ玉三郎しか廻ってこない(ええと,数年前に富良野塾が芝居したな)八幡に来た本格派のジャズシンガーの歌を目当てに,比喩でも何でもなく見事に横並びな老若男女がわらわらと集まった。ちなみに当夜のメンバー編成は以下の通り。

綾戸智絵 (vo & pf)
森下滋 (pf & org)
杉本智和 (b)
力武誠 (ds)
津上研太 (as)
岡淳 (ts)

この中でオルガンのげるしーとベースの杉本さんは来月出るNewAlbum「LOVE」にも参加している(杉本さんは兼プロデューサー)。

「此処へ来る前にひとつインタビューを受けて来たんですけど」

と,オーバーチュアーにメンバー全員とアドリブの応酬を繰り返すようなセッションを終えた綾戸さん。

「『これから歌ってもらうんやけど,会場が古くて』ってすまなそうに云わはるから皆んなで心配してたんです。
 でも,そんなに古くないやん。全然いいやんって。
 で,いつ建ったんですって訊いたら『昭和33年です』って。私よりひとつ若いやん(笑)
 そのにいちゃんとはあとでもっぺん話をしようと思うてます(爆笑)」

MCのつかみも断然オッケー。
自身に流れる九州の血と,産湯を浸かった関西の風土が,綾戸智絵を比類なき面白おばさんに仕立て上げた。
でも,僕らだってまさかシートの列がいろはにほへとで並んでいるとは思わなかったぞ。そりゃ,ばってんさんも歌う訳だ。

ジャズ方面にはまるで昏いので,彼女の歌を,演奏を的確に捉える表現を持たないのがもどかしいが,確かな技術に裏打ちされているのは勿論のこと,何よりも自分たち自身が心底楽しんで音楽を演っている空気がこちらに伝わって来る素晴らしいプレイだった。
きっと聴いた誰もが感じることだけれど,あの小さな小さな身体の何処にあんなビッグバンの火球を隠し持っているのか。あの声量,あの 特に,他のメンバーには休憩してもらって(「さあ,去りなさい」「自分の罪を見つめなさい」(笑))自らがピアノに向かってウッドベースの杉本さんとセッションした「Leaving On Jet Plane」には鳥肌が立った。Perer,Paul and Maryのフォークソングがかくも見事なゴスペル色豊かなバラッドになるのだ。事実,レコーディング・スタジオの中で,こんな風に杉本さんと音をいじっていて気まぐれで録ったテイクが気に入って,次回のアルバムに急遽入ったらしい。ジャズの醍醐味の全ては即興とノリの良さにある。フォークであろうとロックであろうとジャンルを問わず,楽曲の内にあるソウルをすくいあげて皆んなジャズにしてしまう。驚くなかれ,今度の新作にはマッキーの「どんなときも」すら収録されている。
サッチモ「What A Wonderful World」に博多弁のアドリブ「なんばしよっと」で軽々と九州とアメリカを繋ぎ,興に乗ったいきおいでアンコール用の「Spinning Wheel」で早々と盛り上がる陽気なゴー・アヘッド振り。

そして,アンコールにたったひとりでピアノを弾いてくれた「Over The Rainbow」
深い悲しみを湛えたのびやかなヴォーカルは,一瞬だけ,本当に僕らを虹の向こうに連れて行ってくれた。
全く最高にイカした90分であった。それは僕が保証する。

力派シンガー,そして伝説のギャルソンと,給食センターという処は実に油断ならない。




 022.助産婦外来

2000/03/13(Mo) 

規則勤務が続いているお蔭で月曜は代休。
おとうさんもまじえた処で,助産婦さんとの面接を,という訳で,初めて産院に足を踏み入れる。
今まではずっと医師の診察を受けていたので,奥さんにとっても助産婦面接は今日が初めて。ウチがかかっている産院はベッド数30余に対して助産婦20余名という鉄壁の体制なのだけれど,そういう訳で出産する時間帯によっては必ずしも同じ助産婦さんが担当するとは限らないらしい。
以前,此処にかかる前のレディースクリニックでも感じた事だが,いまどきの産院の外来って何処でもこんなにパステルカラーでファンシーなの(頻繁にリフォームするのだろうか,小綺麗なのは云うまでもない)? エレベーターのドアのカラフルなことと云ったら,殆ど色盲検査である。じっと見つめていた日にはおそらく目をやられてしまう。

さんによると,此処は人気があるらしくって普通は朝から受付しても診察がお昼になることなんてざららしいけれど(今日は比較的患者が少なかったらしい),36週を過ぎて臨産体勢に入ったおかあさんは予約制になるらしく,受付のあと暫くして助産婦さんが出てきて,2階の助産婦診察室に案内される。2階フロアからは小さい乍らも中央が吹き抜けになっていて高い天井から自然光が指し込む中,若いおとうさんがコーヒーを呑んでいた。もはやシティホテルのロビー並みである。
診察室はやはり小綺麗なものの,診察台とエコーの機械とデスクと小さな応接セットを押し込むには狭くて(6畳くらいしかなかったりして),図体の大きな僕などは身の置場が無かった。

今日の助産婦さんは入船さん。僕らよりすこうし若いくらいか。
エコーで赤ちゃんを診て(既にVHSで何度か観ていたので特に驚きはなかったが,奥さんはそれが不満そうであった),授乳に備えたおっぱいマッサージの指導(助産婦さんに既に母乳の出始めを指摘される。これにはおとうさんも驚く),そして妊婦の問診と,出産についてのQ&Aなど。

「おとうさん,臍の緒は切られますか」
此処では医師と助産婦立会いの許,申し出ればおとうさんが臍の緒を切る事が出来るらしい。
「いえ,このひと,何かイヤみたいなんです」と奥さん。をいをい。

イヤだと云うと少し語弊がある。出産がある種人生の一大イヴェントなのは承知しているが,臍の緒を切る外科的処置にウェディングケーキ入刀みたいな付加価値をつけるのがうざいだけである。無事に生まれてくれればそれで良い。産院のサービスで出産の瞬間にはビデオカメラも廻してくれるそうだが,こういう痒い処に手の届くイヴェント演出を思うと,産院は病院であって病院プラスアルファの役割が求められているのを痛感する。

「おかあさんは出産後,すぐに赤ちゃんをご覧になりたいですか?」

つまり,おかあさんによっては一刻も早く我が子を見たいひともいるので,その場合には臍の緒を切る前に新生児をおかあさんの視界に抱き上げるサービスがあるのだそうだ。思わず奥さんと目を合わせる。やれやれ。

「いやあ,出産の瞬間はきみのぶんまで,僕がしっかり見届けるということで」
「うん,そうして」

それからの彼女は実に機嫌が良かった。
あとで聞くと僕が出産に立ち会うかどうか非常に不安だったらしい。
僕はずっと彼女の意に染むようにするよと宣言しておいたのだが,こと此処に到ってまだ心配していたとは。
実際,助産婦さんも「ご主人がいてくれるだけでおかあさんも精神的に随分違いますから」と力説していた。

「別に脇で手を握ってくださるだけで構わないんです。あとは額の汗を拭いてあげるとか。私たちに云いにくい事でもご主人には頼みやすいでしょうし」

という訳で,当日僕は妊婦の傍に付き添うだけである。とりたてて呼吸法の講習も受けていない。
ともあれ,彼女の妊娠ライフもいよいよ大詰めである。


はビル・エヴァンスのトリオを聴き乍ら村上春樹「神の子どもたちはみな踊る」(新潮社)を読了。
何と云うか,村上春樹らしくもあり,また村上春樹らしくもなく。
あ,勿論,それぞれの短篇はそれぞれに面白かった。それは相変わらず。

今日観た映画:「ロッタちゃんはじめてのおつかい(93・スウェーデン)」
今日の読書:村上春樹「神の子どもたちはみな踊る」(新潮社)



 023.白い一日

2000/03/14(Tu) 

っ白な陶磁器を眺めてはあきもせず/かといって触れもせず…て,それは 小椋佳の「白い一日」
大昔,武田鉄矢がそれを「真っ白な掃除機」と聴き違えたのは有名な逸話である。
ああいや,そんな話がしたかったのではない。

ワイトデイの起源は,我が家もすっかりお世話になっている「いしむら」こと福岡の和菓子の老舗「石村萬盛堂」が1978年に提案したマシュマロデーにある(何故ならば此処の目玉商品がマシュマロに餡を詰めた「鶴の子」なのである)。当時,女性雑誌の投稿欄にバレンタインのお返しがないのはどうして,とあるのをたまたま読んだ社長の思いつきによるものらしい(とは云え,元ネタは欧羅巴の「フラワーデー」「ポピーデー」あたりにあるのかもしれない)。マシュマロデーはご当地,岩田屋できわめてローカルに展開される。

しかし,業界のチェック且つ便乗キャンペーンは早い。
同年の6月には早くも全国飴菓子業協同組合が「ホワイトデーはキャンデーの日」と決定,2年後の1980年3月に全飴協・関東部会が映えある初回のホワイトデーを実施したというのが経緯。
ホワイトデーの顛末については,去年の日記でも紹介した気がするホワイトデー公式サイト内のホワイトデー誕生秘話に詳しいのだけれど,とにかく涙ぐましい努力である。


地下鉄に乗って,駅に近づくたびに「ホワイトデーって知っているか」「ホワイトデーってのは、キャンデーを女の子に返す日だぞ」と相棒に大声を出して,落語みたいなことをやりました。


落語みたいって,落語そのものである。
「ホワイトデー」を商標登録しようとしたら,東京・三田の某デパートの人が個人持ちで大わらわだったとか,必読のエピソード満載だが,で,結局「ホワイトデー」のネーミングそのものの謂れは何なの,という疑問自体は分からずじまいなのだった。ううむ。
それにしても,公式サイト内でマシュマロデーに触れていないのはちょっとフェアじゃないよね。

,私ですか?
奥さんには,昨日天神に出た際に,福岡三越でパティスリーキハチの焼き菓子詰め合わせを買いました。
それ以外は,とうとう奥さんに買ってきてもらっちゃいましたね(最近,ホワイトデーの女性客が多いのはそういう事らしい)。最近,そこらあたりが怠惰になってるというか,昔はカードくらい自作したのだけれど,まあ,職場の女性人口も激減して義理チョコ返し自体が不要になったというのはあるかな。あくまでもおつきあいだから多いと煩わしくて,そのくせ余りにも無いと心にすきま風が吹くという性質の悪いイヴェントなので,職場に女性自体が存在しないというのは,いっそせいせいするとも云える(勿論,あくまでホワイトデーの観点からのみの話である)。
来年以降の参考までにホワイトデーお返し額算出方程式2000年版などという全くテケレンツのパーなサイトもあるぞ。

処でこれは全くの余談だが,我が家には真っ白な陶磁器も真っ白な掃除機も無い。



夜,日曜(小倉で次妹の家移りがあった)に親父に買ってもらった200g1280円の鹿児島和牛ですき焼きをする。
旨い肉ってなァ,火が通り過ぎても固くならないんだね。ほくほく。
…こういうのをわざわざ日記に書くあたりが我が家の貧しさを象徴している。




 024.藤子・F・不二雄の世界展

2000/03/18(Sa) 

月を迎えたので本当はアレなのだが,荷馬車に乗せられた仔牛のような奥さんの目 には勝てず,共に天神へ出る。



ず,KBCシネマで,並み居るジジババと共に悲願の「大菩薩峠 竜神の巻」
前回,市川雷蔵映画祭で上映した中里介山原作の丁髷シェークスピア三部作,奇跡の続編上映である。
一作目は,薄靄けぶる河原で机龍之助(雷蔵さま)が,彼を兄の仇と追い続ける宇津木兵馬(本郷功次郎)と剣を交える処で「第一部完」と映画館を追い出されたのだが,今回は小屋に仕掛けられた爆薬が元でとうとう盲(めしい)になってしまった龍之助(白装束にひときわ耽美が映えます)にじりじりと迫る兵馬,後じさった龍之助の足許の崖が崩れて「第二部完」…て,これこれ。
殆どライオン仮面((C)ドラえもん)のノリである。これで次回はオシシ仮面が…出るかいっ!
問題は,第三回市川雷蔵映画祭は開催されるかだ。誰がライオン仮面を助けてあげるのか(まだ云ってる)。



さんと合流して昼食をとった後,県立美術館にて本日最大の目玉「藤子・F・不二雄の世界展」
3/10に開催されてから,筋金入りのF者としてはずーっと行かねば行かねばと懸案中の案件であった。
今日は晴れていたものの春休み前の土曜日がさいわいしたか,適当に順路を調整すれば,鮨詰めにならずともひととおり展示物を眺めて廻れるくらいの混み具合。臨月の奥さんの体調だけが気がかりだったが,彼女も夢中で見入っていた様子。
気が付いたら2時間半があっという間に過ぎていた。

今回の目玉は,誰が何と云おうとも,僕がリアルタイムで読んでいた頃のF先生の生原稿でしょう。
そりゃあ「まんか道」で紹介された手塚先生からの直筆ハガキや,藤子不二雄解散時に手向けたあまり上手くない(失礼!)ドラえもんの色紙にも胸が震えました。まだ画風が手塚コピーの域を出ていなかったアマチュア時代の星伴蛭二という少年らしいベタなペンネームも微笑ましかったし,100人のアトム展に出展された作品(僕が初めて見たF先生の原画である)との再会もとても嬉しかったけれど。
でも,僕が小学,中学,高校,大学と(うん,高校,大学まで行っちゃうのだ)F世界に首まで浸った頃の原画を目の当たりにした感激は,悔しいことに此処でどうあがいても書き尽くせない。
僕はシェークスピアの「オセロ」の書き損じよりも,単行本収録時に加筆訂正された「さようならドラえもん」の原稿のパッチワークに涙する男である。ベートーベンの未発表のピアノソナタの五線譜よりも,「きこりの泉」の彩色原稿の,のび太の目許に入れられたホワイトに,「のび太の結婚前夜」で,透明マントをかぶったドラえもんとのび太に貼ったスクリーントーンの削り具合にこそ随喜する男である(それにしても生原稿に直接,去年の映画のアオリ文句のシールが貼ってあるとは…。生原稿なんつっても案外,粗末に扱われているものなのね)。中学の頃,スクラップした「のび太の宇宙開拓史」のトビラ絵の現物とわずか1cmの距離で向かい合えるなんて(いや,ガラス越しで良ければ,額だってぴったりくっつけてしまえるのだ)。何たる幸運,何たる僥倖。
でも,「大長編ドラ」のトビラ絵を順々に追っていくと,晩年に近づくほどデッサンが狂ってきて,筆致が不確かになってくのが辛かった。ましてや,絶筆原稿(「のび太のねじ巻き都市冒険記」)なんか鉛筆でざっとあおってあるだけで構図すら無いに等しいじゃない…手塚先生の「ネオ・ファウスト」と云い,こういうのは本当に切ないよね,身を切られるよね。
でも,鉛筆で走り書きしてあるそれぞれの長編ドラのアイデアノートとか,もっとじっくり読みたかったな。
オレ,F先生の仕事机の前にへばりついてたもんね。たく「地獄の黙示録」じゃないっての。

グッズ類は全然買わなかったんだけどね。F先生のサイトで通販してたし。
プログラムも以前,通販で買ってあるし,6000円の原画集はちょいと手が出ない。

こりゃ,オレ的には此処への再訪も充分ありうるなあ。
700円の前売りは未だ絶賛発売中だし。…という訳で,英ちゃん,一緒に行かない?



外くたびれたので,茶でもしばいて帰ろうと久々に「16区」へ向かう。
個人営業で業界bPのケーキ屋さんは案の定激混みだったが,運良く駐車スペースが空いていたので,喫茶待ちも何のその。ショーケースの到る処に苺の赤が目に眩しいのは,今がまさに苺の旬だから。「16区」では,旬の果物は旬にしか出さない。だから苺ものがこんなに賑わうのはこのシーズン限りなのだ。お店は丁度,エイプリルフール向けに「ポワッソン・ダブリル(四月の魚)」フェア中で,両手に余る鱒みたいなチョコレートと,スズキのムニエルでも入っていそうなガレットが,フロア中央の独立したショーケースに飾られていた。。大きな鱒の周囲には,中に詰めてあるらしいチビっこいポワソンが散りばめてある。…購買意欲をそそるなァ。

20分待ちで,2Fのティールームへ通される。
実習生のおねえさんに,ティールームでしかオーダー出来ない「フレーズ・ロマノフ・ア・ラ・ナナヤマ」を勧められる。850円と多少お高い上にオーダーしてからこさえるので出来あがりまで少し時間がかかるのだが,折悪しく(笑)隣のテーブルでカップルが一皿を分け合うのを見てしまったので,躊躇なくそれを頼む。
暫くして,うら若きパティシエの石橋さん(実名)が恭しげにお皿を運んで来る。
ブツはパッションフルーツ・ソースのオレンジ色した海に浮かぶ,八方に七山産の有機無農薬イチゴを一分の隙も無く張り巡らせたデセールの要塞といった赴き。イチゴとイチゴの隙間には度が過ぎるくらいマイルドにしあげた生クリームをこれでもかと搭載してあって,本来オレンジの海との接着面に垣間見える筈のタルト生地は肉眼では確認出来ないくらいだ。
「どうぞお召し上がりください」と石橋さんが去ったあとに,実習のおねえさんが大慌てでナイフとフォークを持ってきたのはご愛嬌。

んで,肝腎の味だけれど,旬の素材をふんだんに使った,このデセール界のアイアン・ジャイアントが美味しくなかろう筈が無い。タルト部分がしっかり焼き上げてあったから,取り分けるのに少しだけ労力が要ったけれども,いやこれは旨かったね。自信を持ってお薦めしたい一皿です。
おそらく春季限定の筈だから,興味を持った甘党はこの春休みのうちに「16区」へ急げ。
処で,以下は蛇足なのだけれど,此処で初めてアップルジュースを頼んだら,出されたグラスの氷がフローズン・アップルジュースだった。これってすごくない? 本来,100%果汁はかくあるべし,だよね(涙)。

明日のおめざ用に,丁度ショウケースの向こうで拵えてたパニエ・フレーズを2個買って帰る。
目の前で作ってみせるのは反則でしょう。かくて,二日続けて苺タルトをいただく。それもまたしあわせ。

今日観た映画:「大菩薩峠 龍神の巻(60・日)」



 025.藤子・F・不二雄記念館

2000/03/19(Su) 

パニエ・フレーズ いう訳で,今朝は遅目の朝食のあと,おめざにパニエ・フレーズをいただく。
毎朝こうならどんなにしあわせか。

き忘れていたが,この水曜日に俳優の粟津號さんが亡くなった。
こないだ「取調室11」を観た時に,刑事役で出ているこのひとの激ヤセが気になると書いたばかりだった。胃癌であった。54歳は余りに働き盛りだ。
山田/朝間組なんかで,朴訥な青年団のひととか演らせるとピカ一だった。最近,橋本功さん「洗濯機は俺にまかせろ」で演じた電器屋の親父はひとつの到達点でした)とか,地道だけれども,役者バカで,縁の下の力持ちなひとがどんどん力尽きていく。それが嗚呼,ひどく悔しい。



日は熱にまかせて「藤子・F・不二雄の世界展」観覧レポートを書いたけれども,F先生の漫画は僕にとっては聖域だったりするから,少しばかり取り乱していたかも。
こうしてF先生の貴重な原画の数々が僕らの目に触れるのも,先生が帰泉されたからだという背景を考えると複雑な心境になる。
それにも増して悔しいのはF先生単行本未収録作の余りの多さである。あの名作「T・Pぼん」でさえ「古代の大病院(1985.4)」「神の怒り(1986.3)」「ローマの軍道(1986.4)」「王妃ネフェルティティ(1986.6)」「ひすい珠の謎(1986.7)」の5作品が眠ったままだ。あと1本で希望コミックス第6巻は夢じゃなかったのだ。

ただ,86年と云うと「ぼん」の直後から長編ドラ(作品的にも傑作の誉れ高き)「のび太と竜の騎士」の連載が開始されるなど,作家的にはきわめて脂が乗った時期だったのだが,此処でF先生をついには死に到らしめた病魔の第一陣が襲う。先生は休載を余儀なくされ,それが呼び水になってドラえもん連載打ち切りのデマが全国の小学校を駆け巡った。忌々しい植物人間の夢オチ最終回のフォークロアもこの頃だ。
先生の具合が悪さはとうとう翌年には長編ドラを休ませるに到った(あの「パラレル西遊記」で春休みをしのいだ)。これで「ぼん」の続きが途絶えてしまう。事前準備の大変な割りに好事家受けな作品だったし,先生と小学館との関係もあったのだろう,優先順位がうんと引き下げられた。体調面からも先生のワークスに絞り込みが始まり,遂にはシリーズ再開のきっかけを失うのである。

此処は侠気を出してでも,潮出版に奮起してもらいたい処。
この際,少々値が張ろうが,頁が薄かろうが構わないので「T・Pぼん」の6巻を出しちゃってください。

司馬先生の時は,文藝春秋はあんなに薄いのにも拘わらず,ちゃんと「この国のかたち・六」を出してくれたぞ。
朝日だって半分以下の頁数で「街道がゆく」の最終巻を出してくれたぞ。
司馬先生に出来て,F先生に出来ないことがあるものか。ムチャは承知で書いている。

処で,今巡回している「F展」終了後,2002年度,川崎市にF先生常設記念館が開設される。
正子夫人が,ほんの先月,ご夫婦で長く暮らした(暮らす)川崎市に,F先生作品の原画・数万点をはじめ,仕事机や資料,過去の遺品の主だった処を寄贈したのだ。これで遺品の全てが川崎市所蔵と化す(勿論,著作権は別モノだ)。過去作品群の出版に影響はないのか,教えて,小学館ドラえもんルーム。

そして2002年,僕は幼い息子を肩車してでも,F者のメッカ川崎を目指す。



日返上のシフト勤だったのだが,夕刻に大きな雷が二回。奥さんに聞くと社宅方面では鳴らなかったらしい。
春雷というヤツだ。もう春なんだなあ。



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