備忘の都 2000 −MARCH−  ◆

でもな,悪って何だ。
悪に怯えたからこそ皆んなも悪になったんじゃないか。
悪は何処にありますか。
警察にありますか,病院にありますか,学校にありますか,商店街にありますか。
違います。皆さんのひとりひとりの心の中に悪はあるんです。
誰にだって悪はあります。私にだってありますよ,悪は。

だから,悪を非難するというなら,
まずしっかり自分の悪を見つめないといけない筈なんです。
悪を憎むということは,自分自身をしっかり見つめることなんです。

「3年B組金八先生PART5」
第21話 ガラスの少年IV



026.リビドー読み027.アドレナリンドライブ追想
028.ブギーポップは笑わない029.談志百選030.月曜日は休館日

備忘の都【目次】/ 備忘の都1999
平さんがゆく!/ 右團治画報/ トップページ




 026.リビドー読み

2000/03/21(Tu) 

度の花粉症なのにクスリ一切を禁じられた奥さんは今,ライヴが終わった綾戸智絵のような声である。
例年はクスリで抑えてたから「いと苦しけれ」と春の陽気を呪っていたものの,此処まで喉が潰れる事はなかった。とは云え,赤子が生まれたら生まれたで,授乳期は母乳にクスリが含まれてしまうので,彼女の受難は終わる気配が無い。今宵も脳みそが融けるまで鼻をかむ彼女の背中が小さく見える。実際,春物のスーツは他の季節と比べてサイズが小さいらしい。早く,ツツジの季節になるといいですね。


は違うが,近頃の僕のネット巡回コースに風俗嬢(OG含)の個人サイトのハシゴがある。
勿論,お目当ては画像じゃなくて(共通して云えるのはひとが期待するようなHな写真が殆ど無いということ。でも,普通のスナップの方が「個人的には」エッチな気がする),彼女たちが書く日記にある。

日記が私小説化するのは仕方無い事だけれど,概して彼女たちは赤裸々だ。
僕みたいに,テレビ見た,映画見た,本読んだなんて縷々と書いたりなんかしない(比較対象が「僕」じゃあねえ)。あくまで自分自身の内面を克明に活写する。それは勿論,ひとに見せるのが前提のweb日記だから,意識無意識取り混ぜてフィクションや誇大表現は混入される筈だが,それを差し引いて尚,余りある彼女たちの「赤裸々」がある。無邪気さと背中合わせになった真摯さと云ってもいい。
テキストだけで自分を表現するというストリップ行為が成立するならば(僕も此処でこうして演っている訳だが)彼女たちのショウは見事の一言に尽きる。やはり,性のタブーが無い,表現の枷が無い,というのは「ワタクシ自身」に対して徹底的にナチュラルでいられる強力な武器なのだな(トランスジェンダーなひとの面白さのひとつにはこれがある)。
加えて,彼女たちには必ず強烈な「屈託」がある。「屈託」こそは優れた表現者が表現者たる絶対条件だもの。どんなに彼女たちが自分の仕事に誇りを持っていてもそれはそれ,ね。一緒みたい。尤も,屈託のベクトルは売笑行為そのものにばかり向けられている訳ではない。元から彼女が隠し持つ内なる屈託が,ある女の子をフーゾクに走らせることもある。日記巡りをしているとそれを痛感する(そー云えば,エンクミはアイドルに走った。エンクミと彼女たちにはその程度の違いしかない)。

とえば。最近ヒイキにしている女の子は対人恐怖症でトモダチがいない苛められっ子人生と,小学校低学年からの抑えきれぬリビドーに煩悶するセイシュンの2本立て興行で10代半ばを乗り切った。ひとと触れ合うということ。セックスへのあこがれ。そうやって彼女が辿り着いた居場所がフーゾクだった。彼女の日記にあるのは,クラヤミの底から発信する人間不信と自分不信,そして自分の足許を確かめるかのような「心地好い」セックスだ。ハダカでものを書くから,無意識に読み手にも痛みを要求する。あるひとはもしかしたら,それを病理と呼ぶかもしれない。

以下,ちょっと長いけれどごくごく一部を抜粋,無断引用。
ていうか,どうしても紹介させて。



昔私は人の話を聞く事が出来なくていつも自分の世界に入ってたんだよね。んで、協調性が無くていつも1人だった。でも風俗始めて人と話す事出来る様になったら、周りに人が集まる様になって、人にあわす事出来る様になって、で最近、なんか違うなぁって気が付いたんだよね。私はもっと豊かだったなーと最近思うんだよね。ぬいぐるみとお話出来たしはっぱとお話したりしてたんだよね。1人でさみしかったけど、今よりもっと自分の世界を持ってたなって思い出したんだー。だからとりあえず明日公園行くんだ。



すごく仲良しの前の彼氏が、最近女装に目覚めたんだって、うれしそうに私に報告してくれた。女の人が苦手な私は、すごく嫌だなって思ってしまった。女になったら、相手がどんなに仲良しでも、もう仲良く出来なくなるんだなって思った。仲良しだったのに、すごく遠くに行ってしまうのだなって(単に私が拒否するだけなんだけど)、さみしいなって思ったよ。女装してる瞬間彼は女で、その瞬間は男の人にモテたいと思うらしく、という事は同姓の私とセックスしたいとは思わない訳で、セックスでしか自分は他人に必要とされていると感じる事が出来ない私にとっては、つまり彼が女装している時間は彼にとっては私は居ても居なくても構わない訳で、だから私は『悲しいな』と思ったらしい。
なぜセックスセックスと私はこだわるのかしらとは前も書いたと思うんだけど。限定するからこそ可能性が出てくる訳で、性の対象としての自分の価値しか知らない私にとって、若くある事は生きる条件と言っていいのだけれど、嫌でもこれから先、ご飯を食べる度に寝る度に自分の身体が酸化して年を取っている事を意識する度に、私は自分が嫌いになりそうで恐い。もしかしたらもうすでに嫌いなのだけれど、そんな事意識したくないから意識しないだけなのかもしれない。



人に裏切られたく無いって常に思ってる人って、誰か他人を信じようとするからそうなるんで、他人なんて、信じなくていいと思うんだよなぁ。信じても確信なんて持てないし、自分ですらどんどん変わって行くののが普通だしそう在りたいと思うし、てことは他人を信じようとする人って、自分以上に信じられる存在が在ると思ってる証拠だし、自分以上に信じられる人が居るなんて自分に失礼だよなぁ。だったらその人になっちゃえばいいんだ。こんなに若いのに(ていうか死ぬまでそーだと思うんだけど)自分はこうです!って決めつけなくてもいいじゃん。変わるって私大好きだけどなぁ。

別にプライド守ったからって、いい人って思われ続けたからって、自分は全然気持ちよく無かった。人に認められる度にいい子だいい子だって言われる度にみんなの事嫌いになった。

あーあ、なんだか憂鬱だけど気持ちいいなぁ。



女の子はいい匂いがして柔らかくて気持ちいいなぁ。好きな人なら尚更。対する人に、性的な感情を持つと途端に心が安定します。セックス無しで、人と心が通い会うなんてありえないし、セックスしてもそれは同じで、だからせめてセックスしてこれ以上の最悪を回避したがるのかも。これ以上頑張り様が無いから、だからセックスするのかも。恐いのも騙されるのもバカにされるのも嫌われるのも大嫌い。だから私は触れあわないと恋愛出来ない。触れられて初めて、相手を好きになっていいんだって思える。

今まで沢山のサービス業をやってきたけど、疑い深い私は、お客さんの優しい言葉を信じる事が出来なくて、ありがとうとか言われても、それは私に対して言っているとなかなか思え無かったし、お客さんにサービスしてその分の報酬をもらうというよりは、雇い主にお金をもらってる気持ちが強かった。でも風俗ってのは、お客さまに触れてもらえるし触れさせてもらえるから、私自身の身体や私自身の顔やその他私自身に対してお客さまがお金を払ってくれる事が分かるしそれによって自分の価値が分かるしだから働いたって思えるし有り難くお金を使う事が出来るんだな。日本語へたくそ。


などなど,書き散らすコトバ,書き散らすコトバがキラ星の如し。
とてもじゃないが紹介しきれない。彼女の語録はこんなもんじゃないよ。
確かにこの娘は際立ってる。ひとが浮世の義理で張り巡らせた約束事や綺麗事を,いとも容易く美しく壊していく。それを無知とは云わない。
屈折していても眼差しは澄んでいる。これはパンクだよ,トラウマパンク。
でも,だからこそ彼女の痛みは下手なJ文学を読まされるよりも,うんと鈍い光を放ち,静かに心の奥底へと潜行する。
そして,僕はその痛みを食べて大きくなる。

己表現するうえで,フーゾクというのは実は極めて有効な手段なのかもしれない。
などと,色んな「彼女」たちのサイトの日記を拾い読みしては思うのだが,一方で有名税というか「フーゾク且つ表現者故の」向い風も強いのは,yahooオークションで知らない間に自分自身を競売されてた菜摘ひかるさんの日記に詳しい。匿名性を利用したこのテの愉快犯もいい加減悪質だが,彼女が抗議した先のyahooの応対と「所詮エロサイトやってるから」みたいな態度も十二分に悪質だ。彼女は自分のスタンスを守る限り,闘う宿世を背負っている。

他にも「別れるなら殺す」と脅し続けるヒモ男から逃げおおせたウィークリーマンションから,その元カレの更正を願い,最大級の同情と愛情を発信する女の子の潜伏系日記とか(最近読みに行っていないが,まさか元カレに見つかってやしないだろうな)。数え始めるとキリがない。興味があるひとは是非,風俗嬢のおねえさんの逞しく生き抜く日々を堪能することをオススメする。
人生とはつくづくドラマであります。




 027.アドレナリンドライブ追想

2000/03/22(We) 

期検診の結果,息子の推定体重3010g。「もういつ産んでもらっても構わないです」と医者に太鼓判を押されたらしい。あらら。
処で奥さんの花粉症の件だが,目一杯哀願したら,何とか咳どめを出してもらえたらしい。因みにお産の時は通常の点鼻薬を使用しても構わないそうで,いきんだ直後に窒息するという最悪の事態だけは免れそう。クスリのおかげで咳と喉はおさまったものの,あいにく洟水だけはどうにもならないらしく,今日も耳鳴りがするまで鼻をかんでいる。もう鼻の下がびがび。


年のGWに,シネリーブル博多駅がプレイベントの一環として福岡(或いは全国)未公開の新作邦画を3本,監督のティーチインと合わせてごぼう抜き上映してくれた。僕は英ちゃんとともにしっかり全作品をチェックしたのだが,映画のタマシイでちゃんとレポートを書こうと誓って早一年。このままでは僕個人の記憶の彼方に埋もれてしまうのは必定なので,今日はその中の一本 「アドレナリンドライブ」のティーチインについて,せめて憶えているぶんだけでも留めておく(おお,そんなティーチイン根多ならまだ山程あるぞ)。
とは云え,30過ぎて20代にも増しておバカになったので,もはや自分が直接した質疑応答の,それも一部しか憶えていないので余り期待しないこと。

作の監督は云わずと知れた矢口史靖
このひとのことは以前『PFF in 福岡'98《矢口史靖&鈴木卓爾スペシャル》』に詳しく書いたので,興味のあるひとはそちらもどうぞ。矢口監督の人となりや意外なすきま仕事に到るまでかなり色々と掘り下げてあるです。
本作は矢口監督の劇場長編第三作目にあたる。映画の内容については公式サイトを参照のこと。以下の記録(て内容でもないんですけど)は上映終了后のティーチイン再録なので,映画を観ていないひとには無邪気なネタばれや,「ほえ?」なやりとりを多数含むことを予めお断りしておく。

熱く語る矢口監督 上映前,舞台挨拶に現れた矢口監督はやはりひょこひょこしていた。照れ臭そうな表情と飄々とした佇まいと,それにそぐわぬ体温と。
「アドレナリンドライブ」というネーミングへの思い入れ。劇場は巨大な自動車の運転席と助手席みたいなもので,観客の皆さんは縁あってこの車に乗り合わせました。スクリーンは車のフロントガラスみたいなもので皆さんはこれから,映画のうねりにまかせて,アドレナリンを放出しっぱなしのスリリングなドライブを楽しんでいただけたら,作り手としてこれほど嬉しいことはありません,みたいな。
この映画に入るまでのカネづくりの苦労も色々。元々映画用のシナリオとして書いた「プリーズ・フリーズ・Me」を,メディアで展開した方が映画化しやすいと云われて,さっそく漫画原作にしたはいいが,大体2,3日のお話を無理やり漫画用に薄めて広げたから書いてて苦しくて仕方ないんですとか。いやあ,矢口節全開である。
おしまいに,手作り映画の常として,内トラ部(内部エキストラ)に現地キャストと,俄か役者が色んな処でこき使われているという前置きのあとで。

「さて,此処で問題です。私も声優としてアテレコに参加していますので,それが映画の何処でだかあててみてください。正解は映画のあとで」

そして上映后のティーチイン。
手を挙げてまず答えたのが,先ほど監督から出題されたクイズの解答であった。

「映画の最后の方に出てきた巡査がそうですよね」
「ど,どーして分かったんですかっ?」と監督の首が動くこと動くこと。

て,分かりますよ。今のと全く同んなじベシャリじゃないですか。
他にも製作の新藤次郎さんを病院の食堂で食事する刑事としてスカウトした顛末とか面白エピソードががんがん続く。
処で僕が最初に気になったのが,映画の冒頭で安藤政信が上司の徳井優のワガママに振り回されているうちに松重豊扮するヤクザのジャガーに追突してしまうシーンであった。

「あの追突シーンですが,確かにジャガーのお尻がカメラに寄ったんですけど,音がしただけでぶつかってなかったですよね?」
「あたりまえじゃないですかっ」と胸を張る監督。
「あのジャガー,一日借りるのに幾らかかると思っているんですか? 七万円ですよ,七万円」

自主製作畑の監督は製作費に至極シビアであった。尤も,元からローバジェットなんだから創意工夫しか手立てがない。

「本当はベンツ借りようと思ってたんです。でもそんな事したら救急車の方にシワ寄せがくる。ってんでジャガーになったくらいなんです。
 ぶつけるなんてとんでもないですっ」

嗚呼,何てかわいそう現場なんだ(金子さんの「ガメラ1」も実物の自動車をクレーンから突き落とすシーンを予算の都合で泣く泣くカットさせられたんだっけなァ)。いつか,ミニチュアじゃないベンツが,ミニチュアじゃないエアーズ・ロックに雨あられと降り注ぐような馬鹿馬鹿しい喜劇映画を撮らせてあげたい。
最后に婦長役で出演していた角替和枝さんのラストシーンでの質問のこと。

「あのう,かどかえさんがァ」
「あ,いえ,あれはつのがえと読みます。つのがえ和枝さんです」

質問の中身は今となってはどうでもいい。こちらの方がうんと勉強になったりして。
いやあ難読苗字ですよねえ,角替(つのがえ)って。おそらく僕の頭の中には角野(かどの)卓造があったのだな。
因みに彼女,「東京乾電池」所属で柄本明の実生活の奥さんでもある。矢口さんはこの女優さんをたいへんに愛しており,今回は「ひみつの花園」西田尚美の母親役に続く登板。角替さん自身,矢口作品ならと出てもいいわとふたつ返事で出演を快諾したという経緯がある。

ィーチインが済んだあと,ロビーの隅でファンの女の子に乞われて照れくさそうにツーショット写真を撮っていた矢口監督を捕まえてサインをねだる。PFFの時は話しかける勇気がなかったもので(鈴木監督とは少し話した)。
意図など全く無くて何故か筆ペンしか持っていなかったので,筆ペンとプレスシートを手渡した。監督は監督らしく「おおっ」とボディランゲージで驚いてくれたが(知らない人が見るとわざとらしい・笑),其処は流麗な絵コンテを切るお絵描き矢口さんのこと,筆ペンの特性を活かした非常に味のあるサインを書いてくれた。

「いやあ…僕,監督の『およげ!たいやきくん』大好きなんですよ」
「ええっ(いちいち後ずさってくれて)。そんなものまでご覧になっているんですかっ」

だあって,福岡で上映してくれたじゃん(笑)。
続けて,英ちゃんも僕の筆ペンでサインをもらう。因みにこのあと3人が僕の筆ペンでサインをもらった。

「あの,監督はこの映画に点数をつけるとしたら100点満点で何点ですか?」
「僕は自分のどの作品にも愛着があるので,点数はつけません」ときっぱり監督。

あとで「余計なこと訊いてもうた…」と死ぬほど落ち込む英ちゃん。
だいじょぶ,英ちゃんが思うほど,監督は気ィ悪くしていなかった(と今更また蒸し返すヤツ・笑)。
あんなのFAQのうちですよ。監督らしいスタンスがかいまみえたお答えが聞けたということで。

…とすっかりまあ昔話が長くなりました。
あれから一年,矢口監督の新作は一体いつになるのやら。やっぱり「プリーズ・フリーズ・Me」かな。


っかり寝入った夜更けの3時過ぎに会社からNさんより電話。
工場で元気よくトラブルが発生して叩き起こされたとの事(ご苦労さまです)。
寝ぼけているので,Nさんの説明が全部ロシア語に聞こえる。それとも耳だけ一時的にロシア人になってしまったか。それが証拠に「ハラショー」しか喋れない(いや,無論,喋ってなどいない)。ひとまず今夜の処は「僕に限って云えば」電話対応だけですんだが,明日は朝から関係箇所に飛び廻ることになりそう。なのにすっかり目が冴えて眠れなくなる。くそくそくそう。




 028.ブギーポップは笑わない

2000/03/24(Fr) 

的四連休の初日。二ヶ月を跨いだシフト勤務の,これはまあ,お釣りみたいなもんでしょ。
朝から爽快な青空。僕にはまたとない映画日和で奥さんにはこのうえない花粉日和と見事に明暗を分かつ。悪いが連休初日,亭主は私欲に走る。
経済的且つ体力的事由から,そうそうフルタイム映画漬けという訳にも行かないのだが,今日のお目当てがモーニングショウ「眠狂四郎 円月斬り」とレイトショウ「どこまでもいこう」(どちらも今日が最終日。もっと云えば,昼に観た「ブギーポップは笑わない」も今日がラク日だった)では一日天神にいるより他ない。思わず,夕方に天神リブロで仮眠しちゃったよ(うたたねとも云う)。椅子とテーブルがあると,つい,ね。
北九州在住はやっぱり不利ですわ。残念だけど明日の「韓国映画祭」は見送ることにする(っていつ再映してくれるんだか。でも,もはや体力的に連チャン福岡はカラダが持たないのよ)。


て,金田龍の久々の新作となる「ブギーポップは笑わない」
元々ヤングアダルトなるジャンル自体,僕には手におえない部分があったのだが,それでも上遠野浩平の原作は,巷に流れる「過剰な」評判を洩れ聞いて,当時の最新刊だった「ブギーポップ・リターンズ VSイマジネーター(Part1,2)」(ブギーポップの2作目にあたる)を,一念発起して買って意気込んで読み込んだ。んで,見事に玉砕したというニガい記憶を持つ。世に云うSF読みやYA読みの評価がこれほど安定して「佳い」作家だから,いかにYAビギナーの僕の琴線にも触れるんじゃないかと高を括ったのが大アマでした。結果,ワケわからかった。これは何処が「それほどまでに」面白いの? 何処が「それほどまでの」手法なの,エンタなの? イラストが緒方剛志じゃなくても,同んなじ評価を得られたの?
そりゃシリーズものを中途から読んだという責めは負う。でも,決して「電撃文庫だしィ」みたいに色目使った斜め読みはしなかったんだよ。オレが単にロートルなのか,新しい表現についていけないだけなのか(でも面白がってるひとの半分くらいは僕と同世代かそれ以上のひとたちなんだよな)。
…でも,そんなに斬新だったか? マージナルで生きてく自分たちに突きつけられたのっぴきならないリアリティ? あははん。分からなくもない。分からなくもないが,200万部売れた,という実績が語るものは何なのか(他の作品はもっと面白くないということなのか…うわああ)。オレにはちーともワカラなかった。本当に「ワカラナイ」んだよう。
読後も,僕の「巷に流れる評価はちょっと過剰なんじゃない?」という疑問符は堅牢なままだった。
でも映画となると,ひとまず追わずにはいられない。原作が,僕の手付かずの一作目だったという事もある。

,映画の話に戻るんだけど。
金田の作品は「満月のくちづけ」「電影少女」くらいしか知らないのだが,こうやってラインナップを見るにすべて現YAにカテゴライズされる題材ばかりなのに驚く。つまりこのひとは学園モノ(或いは学生主体の)で可愛い女の子が出て来るサスペンスだのホラーだのしか撮っていないのね。「満月のくちづけ」はもう10年も前の作品だから,確固たる作風というか芸風というか。実際,作劇自体「満月のくちづけ」を彷彿としたものでしたね。
物語の時系列をバラす手法は原作の手柄としても(「パルプフィクション」の作劇手法をミステリーに取り込んだ,という手柄ね),女の子を可愛く撮る,あるいは意図して彼女たちの色香を銀幕に焼き付けるあたりは職人ワザだったと思う。下手っぴィな若手が常に相手だから絵づくりの苦労たるや,察するに余りある。それでも,レイトで観た「どこまでもいこう」の小学生たちの世界と比べて(各々の作品の目指した方向が違いすぎるので比較するのも酷なのだが),YAの高校生(大学生)の世界のリアリティの欠如は何なのか。小学生たちだって選り抜きの素人たちだったんだよ。
吉野紗香のコスプレショウはええねん。そんな約束事としての絵空を云々しているんじゃなくて,むしろそういう絵空を支えるためのリアリティがおざなりなのが気にかかるのだ。自分から告白した割には普段余りに冷淡な宮下藤花の恋人との距離感の不自然さ。あんなに奔放な紙木城直子が唐突にエコーズへ執着するその不可解さ,そういったもろもろの「アレ?」を説得するだけの映画力。

…あったか,何処かにそんなもんが。

映画が面白くなかったとは云わん。
グロいシーンも過剰なスプラッタに走らず上品に処理しているあたりは好感度が高いし(マンティコアが醸すエロティシズムも成功していると思う),後半のサスペンス部分も充分楽しめた。ウチの奥さんがかつて藤宮くん萌えをしてた,アグルこと高野八誠の悪役振りも「途中までは」見事であった(あ,褒めてねェや…だって,あんな簡単にヘコんじゃいかんだろ)。

YA問題(って並外れて底が浅いので恐縮だが)は明日も続く。たぶん。


かだか映画3本観るのに,朝10時から夜10時過ぎまで。
そりゃ,奥さんだってあまりいい顔はしない。好きものと云わば云え。だって好きなんだもん。
そうそうグレッグ・イーガン「宇宙消失」(創元SF文庫)を買って帰る。「ブギー」ではエラい目に遭いましたが,やはり他人の評価が高いものに手をつけてみようというのが世の常だよね。問題は僕の海外SF読破率が50%に満たない事で…頑張ります,瀬戸口くん。

今度,北九州に帰ってくるマダムEから,奥さんにポスペが来たらしい。
その中に「あのゴマちゃんみたいなミツコさんが子供を生むなんて」と感慨深く書かれていたそうだ。

…くうう,旨いことを云う。
夫である僕だって其処までは思いつかなかった。

今日観た映画:「眠狂四郎 円月斬り(64・日)」「ブギーポップは笑わない(00・日)」「どこまでもいこう(99・日)」



 029.談志百選

2000/03/25(Sa) 

ばい,日記がどんどん肥大化しているぞ。道理で最近,日記を書くのが億劫だと思った。
さしたる中身もないんだから,もっと要領良く書けよ > 自分。
昨日に引き続き花粉日和。朝から炬燵用カーペットを干しつつ雑読。

ずは立川談志/山藤章二画「談志百選」(講談社)読了。休み休み読んでいたら一週間かかってしまった。
談志師匠が,自分の愛する芸人を100人任意抽出して,好き放題書き散らすという趣向。演芸オタクの半世紀先をゆく先人(しかもご自身不世出の咄家であり,プロとしての審美眼も重なる)の貴重な芸談でもある。先週,りーぶる天神で平積みを見かけた時,天啓を得て手に取ったら,案の定,文治師匠の項があったので,つい衝動買いしたものだ。

以前,文治師匠に談志師匠とは非常にうまがあうというお話を伺った事がある。
「談志が小ゑん時代には稽古もつけたし(根多が何だったかお聞きしときゃ良かった),だから奴ァアタシの悪口だけはあんまり云わないでしょ」と猿股一丁でホテルのベッドにでんとあぐらをかいた師匠が得意げな表情に見えたのは,僕の気のせいだったか。で,師匠のお話を裏付けるような,談志師匠のスタンスと文治師匠との挿話の数々。

「昔気質の咄家,最後の咄家だ」

「談志だと他の人よりも怒らない,どっか,気が合うのだ。『合やぁしないよ,お前なんぞと……』」

「文治さんけっしてわからず屋でない。物事よく判別し,また何せ古い事をよく識ってる」

「彼の所属する落語芸術協会で桂文治は人気,実力共No.1である」

「文治さんの高座,確かに面白くて結構だが,それより楽屋で着替えながら何かいってる処,呑み屋の文治,それより,街ィ歩いてる文治を見ることだ」

ほんの少しだけれど親しくさせていただいている今,上のひとつひとつがいちいち腑に落ちる。決して贔屓の引き倒しなんかじゃない,家元の慧眼とこまやかな愛情が何とも心地よい。しかも〆の文句「我が家の女房にいわせると,『文治さんオモチャみたいで可愛い』とサ」は,文治師匠に若い追っかけが絶え間なく生まれ続けるその真芯をぴたりと云い当てている。付け加えとくと,山藤画伯の絵がピカイチだ。
あんまり嬉しかったので,小文さんにメールを書いた。「(掲載当時の)『週刊現代』持ってます」と返事を貰った。
ちょっと高め(2500円)だけど愉しい本である。傍若無人罵詈雑言も総て愛情の発露なり,と読み解くが吉。ゆめゆめ言葉ヅラだけで腹を立てたりせぬように。


F JAPAN」掲載の新井素子「チグリスとユーフラテス外伝 馬場さゆり」もついでに読む。
こないだ夜遅くまで,IRCチャットに耽った折り,意外にも瀬戸口くんに「読んでみたら結構良かった」みたいな事を云われたので。
相変わらずでしたね。あれがイケたのなら,瀬ちゃん案外,本篇だってイケるのかもしれん。
ちなみに僕は「チグユー」肯定半分否定半分派である。文体の気持ち悪さは色んな処で囁かれているが(今回は「永遠の少女」を課されたルナちゃんの悲劇を裏打ちする効果的な側面もあると思っている),地の文に「過剰に」素ちゃんの主観が入るのは,読んでいて非常に鬱陶しい部分だ。語り手の個性(思い込み)が強すぎて,三人称小説として何処か強引過ぎる。今回で云うと,堕胎の歴史記述が余りにも上っ面だけをなぞりすぎているのがどうも。少し下調べをすればもっと歴史背景の匂う文章になる気がするぞ。卒論でほんの少し生命倫理を齧っただけだが,それでも記述の不用意な薄っぺらさが気にかかる。これが否定部分。物語を動かす根幹のロジックは,彼女の了見を15年変わらず好ましく思っている。このひとのやりたい部分というか落とし処に狂いは無い。これが肯定部分。…しまった,まァた長くなってるよ。

処で,YA談義の続きはどーした?
つくづく予告を守れない男だな。

今日の読書:立川談志/山藤章二画「談志百選」(講談社)
家元が連発する「ナンダカワカラナイ」ってフレーズは岡本太郎さん? それとも藤山寛美さん?



 030.月曜日は休館日

2000/03/27(Mo) 

のを忘れて,「藤子・F・不二雄の世界展」のチケット買っちゃうし。
県立美術館の前で次妹とふたりして途方に暮れたね。つい「そう云えば,今朝のポケベルの占いは『山羊座×:失望と孤独』だったな」と独りごちて「それじゃ兄ちゃんのせいじゃん」と痛罵される始末。でもな,おまえの第一候補だった「大英博物館エジプト展」はチケットの値段が「F展」の倍の1500円で,しかも開催期間が4/2まで(「F展」は4/16まで)だったんだから不幸中の幸いだったとも云えるだろ。こいつは明日の朝,某C出版社の入社式で,鹿児島へ向かう。そして,そのまま泊まり込み詰め込みの新人研修が4/2まで続く寸法だ。「エジプト展」のチケットを買っていたら,間違いなく無駄になった筈。因みに福岡アジア美術館だけは水曜休だったが,こちらはプログラム自体に食指が動かない。大丸の「原田泰治展」は妹の食指が動かないし,三越の「ディック・ブルーナ展」は諸共に食指が動かない(奥さんなら尻尾振って賛成する処だけどね)。

「そうだ,映画を観よう」
「それ以上映画観てどうすんの」
「精進する」
「ばか」

僕の私的4連休千秋楽と,彼女の学生最後の休日が,たまさか共に天神に居ることが分かったので待ち合わせたはいいが,メシ食って街をぶらついて愚痴を云ってるうちに夕方になる。つくづく冴えない兄妹である。PHSで話した奥さん曰く 「だって月曜日だもの」。…普段ホントに利用してないからなあ。


100円バスで博多駅方面に移動して,紀伊国屋でリニューアル「Fukuoka」を買う。
昨日からCMスポットもがんがん流れているし,今日も今日とて市内の到る処で,抽選キャンペーン打っているし,プランニング秀巧社,本気である。折角なので抽選会場がある場所を狙って兄妹して購入。何故か「Fukuoka」のロゴが焼印されたあんぱんと謎のスポーツドリンクを貰う。オレンジの玉を引き当てた妹はそれに加えてロゴ入りフリスビーを貰っていた。「おめでとうございます。一等賞ですよ」つったって,何処でやるのそんなもん。

れから,妹にたぶらかされて金八ムック本,古沢保「3年B組金八先生卒業アルバム 桜中学20年の歩み」(同文書院)も買った。
全シリーズの全話詳細解説付きで資料的価値は充分(って満足してるじゃねえか)。ご丁寧にオンエアの済んでいない最終回のページは袋とじになっている。スタッフキャストの痒い処まで手の届くインタビュー群と「重箱の隅を突付く」的考察の数々。

こないだも書いたがオンエア当時ずっと気になっていた早崎文司さんの顛末を知れたのがオレ的収穫。
やっぱり見た目通り,実際に終末期患者だった早崎さんは,薬の副作用で耳が聞こえにくくなっていたらしく,補聴器をつけても構わないからと柳井プロデューサーが三顧の礼を尽くしての出演だった。そして,ドラマ終了後ほどなくして,早崎さんは他界する。「病院で”教頭先生”と呼ばれて大事にしてもらいました」との娘さんの回想が泣かせる。シリーズを通してあれだけ憎まれ役だった早崎さんがどうしてPART4で180度好々爺になったのか,先生たちの尊敬を集める存在になったのか。僕には余命幾許も無い早崎さんが「金八」を引退する手向けに贈られた設定であるくらいしか思い付かなかったが,それは当時口にしてはいけないこと。これでようやく腑に落ちた。
病身を押しての野村校長自ら行なった最後の「教師が贈る授業」は,番組スタッフキャストの全員が早崎さんのためにお膳立てした役者生活の幕引きだった。だから教師一同深々と頭を下げたのだ。「ありがとうございました」と涙を流したのだ。これは是非とももう一度ビデオラックを引っ掻き回さねばなるまい。「最後の授業が出来て嬉しい」と言葉を結んだ野村校長の晴れやかな表情を見届けたいと思う。

そして4年振りではあるけれど,改めて合掌。ご冥福をお祈りいたします。


と別れてシネリーブル博多駅にて「守ってあげたい!(2000・日)」
奥さんご用達の高野・藤宮くん・八誠情報。今回は,カンノの恋人コージ役。つったって,冒頭,昼日中から女の子とベッドにいる処を安西サラサ(菅野美穂)に見つかり,うろたえて弁解する間も無く恋人に食パンを投げつけられる3枚目の役どころ。
だから,カンノは別に羨ましくなかったよ > 奥さん。

生半可な動機で自衛隊に入隊した今どきの女の子たちが過酷な訓練という現実に叩きつけられ,ひとつ山こそ越えたものの彼女たちの本当の成長はまだまだこれから(ていうか,ちーとも成長しとらんじゃないか)という処で映画が終わってしまうので,カタルシスが非常に薄い。今どきの女の子と自衛隊のギャップを埋められぬまま時間切れになったって感じですかね。婦人教育隊3班のメンバーの書き分けはきちんと出来ているんだけど,彼女たちの個々を描くのに夢中になる余り,物語がおろそかになったっちゅーか…ムヅカしい処なんですけどね。
ミリタリーおたく・島馬京子役のみやむーってのは,スキなひとにはたまらないのかもしれんが僕には何とも。

レイトで市川崑「新撰組(1999・日)」も観たんだけど,その話はまた明晩。

今日観た映画:「陸軍中野学校 雲一号指令(1966・日)」「守ってあげたい!(2000・日)」「新撰組(1999・日)」


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