重度の花粉症なのにクスリ一切を禁じられた奥さんは今,ライヴが終わった綾戸智絵のような声である。
例年はクスリで抑えてたから「いと苦しけれ」と春の陽気を呪っていたものの,此処まで喉が潰れる事はなかった。とは云え,赤子が生まれたら生まれたで,授乳期は母乳にクスリが含まれてしまうので,彼女の受難は終わる気配が無い。今宵も脳みそが融けるまで鼻をかむ彼女の背中が小さく見える。実際,春物のスーツは他の季節と比べてサイズが小さいらしい。早く,ツツジの季節になるといいですね。
話は違うが,近頃の僕のネット巡回コースに風俗嬢(OG含)の個人サイトのハシゴがある。
勿論,お目当ては画像じゃなくて(共通して云えるのはひとが期待するようなHな写真が殆ど無いということ。でも,普通のスナップの方が「個人的には」エッチな気がする),彼女たちが書く日記にある。
日記が私小説化するのは仕方無い事だけれど,概して彼女たちは赤裸々だ。
僕みたいに,テレビ見た,映画見た,本読んだなんて縷々と書いたりなんかしない(比較対象が「僕」じゃあねえ)。あくまで自分自身の内面を克明に活写する。それは勿論,ひとに見せるのが前提のweb日記だから,意識無意識取り混ぜてフィクションや誇大表現は混入される筈だが,それを差し引いて尚,余りある彼女たちの「赤裸々」がある。無邪気さと背中合わせになった真摯さと云ってもいい。
テキストだけで自分を表現するというストリップ行為が成立するならば(僕も此処でこうして演っている訳だが)彼女たちのショウは見事の一言に尽きる。やはり,性のタブーが無い,表現の枷が無い,というのは「ワタクシ自身」に対して徹底的にナチュラルでいられる強力な武器なのだな(トランスジェンダーなひとの面白さのひとつにはこれがある)。
加えて,彼女たちには必ず強烈な「屈託」がある。「屈託」こそは優れた表現者が表現者たる絶対条件だもの。どんなに彼女たちが自分の仕事に誇りを持っていてもそれはそれ,ね。一緒みたい。尤も,屈託のベクトルは売笑行為そのものにばかり向けられている訳ではない。元から彼女が隠し持つ内なる屈託が,ある女の子をフーゾクに走らせることもある。日記巡りをしているとそれを痛感する(そー云えば,エンクミはアイドルに走った。エンクミと彼女たちにはその程度の違いしかない)。
たとえば。最近ヒイキにしている女の子は対人恐怖症でトモダチがいない苛められっ子人生と,小学校低学年からの抑えきれぬリビドーに煩悶するセイシュンの2本立て興行で10代半ばを乗り切った。ひとと触れ合うということ。セックスへのあこがれ。そうやって彼女が辿り着いた居場所がフーゾクだった。彼女の日記にあるのは,クラヤミの底から発信する人間不信と自分不信,そして自分の足許を確かめるかのような「心地好い」セックスだ。ハダカでものを書くから,無意識に読み手にも痛みを要求する。あるひとはもしかしたら,それを病理と呼ぶかもしれない。
以下,ちょっと長いけれどごくごく一部を抜粋,無断引用。
ていうか,どうしても紹介させて。
昔私は人の話を聞く事が出来なくていつも自分の世界に入ってたんだよね。んで、協調性が無くていつも1人だった。でも風俗始めて人と話す事出来る様になったら、周りに人が集まる様になって、人にあわす事出来る様になって、で最近、なんか違うなぁって気が付いたんだよね。私はもっと豊かだったなーと最近思うんだよね。ぬいぐるみとお話出来たしはっぱとお話したりしてたんだよね。1人でさみしかったけど、今よりもっと自分の世界を持ってたなって思い出したんだー。だからとりあえず明日公園行くんだ。
すごく仲良しの前の彼氏が、最近女装に目覚めたんだって、うれしそうに私に報告してくれた。女の人が苦手な私は、すごく嫌だなって思ってしまった。女になったら、相手がどんなに仲良しでも、もう仲良く出来なくなるんだなって思った。仲良しだったのに、すごく遠くに行ってしまうのだなって(単に私が拒否するだけなんだけど)、さみしいなって思ったよ。女装してる瞬間彼は女で、その瞬間は男の人にモテたいと思うらしく、という事は同姓の私とセックスしたいとは思わない訳で、セックスでしか自分は他人に必要とされていると感じる事が出来ない私にとっては、つまり彼が女装している時間は彼にとっては私は居ても居なくても構わない訳で、だから私は『悲しいな』と思ったらしい。
なぜセックスセックスと私はこだわるのかしらとは前も書いたと思うんだけど。限定するからこそ可能性が出てくる訳で、性の対象としての自分の価値しか知らない私にとって、若くある事は生きる条件と言っていいのだけれど、嫌でもこれから先、ご飯を食べる度に寝る度に自分の身体が酸化して年を取っている事を意識する度に、私は自分が嫌いになりそうで恐い。もしかしたらもうすでに嫌いなのだけれど、そんな事意識したくないから意識しないだけなのかもしれない。
人に裏切られたく無いって常に思ってる人って、誰か他人を信じようとするからそうなるんで、他人なんて、信じなくていいと思うんだよなぁ。信じても確信なんて持てないし、自分ですらどんどん変わって行くののが普通だしそう在りたいと思うし、てことは他人を信じようとする人って、自分以上に信じられる存在が在ると思ってる証拠だし、自分以上に信じられる人が居るなんて自分に失礼だよなぁ。だったらその人になっちゃえばいいんだ。こんなに若いのに(ていうか死ぬまでそーだと思うんだけど)自分はこうです!って決めつけなくてもいいじゃん。変わるって私大好きだけどなぁ。
別にプライド守ったからって、いい人って思われ続けたからって、自分は全然気持ちよく無かった。人に認められる度にいい子だいい子だって言われる度にみんなの事嫌いになった。
あーあ、なんだか憂鬱だけど気持ちいいなぁ。
女の子はいい匂いがして柔らかくて気持ちいいなぁ。好きな人なら尚更。対する人に、性的な感情を持つと途端に心が安定します。セックス無しで、人と心が通い会うなんてありえないし、セックスしてもそれは同じで、だからせめてセックスしてこれ以上の最悪を回避したがるのかも。これ以上頑張り様が無いから、だからセックスするのかも。恐いのも騙されるのもバカにされるのも嫌われるのも大嫌い。だから私は触れあわないと恋愛出来ない。触れられて初めて、相手を好きになっていいんだって思える。
今まで沢山のサービス業をやってきたけど、疑い深い私は、お客さんの優しい言葉を信じる事が出来なくて、ありがとうとか言われても、それは私に対して言っているとなかなか思え無かったし、お客さんにサービスしてその分の報酬をもらうというよりは、雇い主にお金をもらってる気持ちが強かった。でも風俗ってのは、お客さまに触れてもらえるし触れさせてもらえるから、私自身の身体や私自身の顔やその他私自身に対してお客さまがお金を払ってくれる事が分かるしそれによって自分の価値が分かるしだから働いたって思えるし有り難くお金を使う事が出来るんだな。日本語へたくそ。
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などなど,書き散らすコトバ,書き散らすコトバがキラ星の如し。
とてもじゃないが紹介しきれない。彼女の語録はこんなもんじゃないよ。
確かにこの娘は際立ってる。ひとが浮世の義理で張り巡らせた約束事や綺麗事を,いとも容易く美しく壊していく。それを無知とは云わない。
屈折していても眼差しは澄んでいる。これはパンクだよ,トラウマパンク。
でも,だからこそ彼女の痛みは下手なJ文学を読まされるよりも,うんと鈍い光を放ち,静かに心の奥底へと潜行する。
そして,僕はその痛みを食べて大きくなる。
自己表現するうえで,フーゾクというのは実は極めて有効な手段なのかもしれない。
などと,色んな「彼女」たちのサイトの日記を拾い読みしては思うのだが,一方で有名税というか「フーゾク且つ表現者故の」向い風も強いのは,yahooオークションで知らない間に自分自身を競売されてた菜摘ひかるさんの日記に詳しい。匿名性を利用したこのテの愉快犯もいい加減悪質だが,彼女が抗議した先のyahooの応対と「所詮エロサイトやってるから」みたいな態度も十二分に悪質だ。彼女は自分のスタンスを守る限り,闘う宿世を背負っている。
他にも「別れるなら殺す」と脅し続けるヒモ男から逃げおおせたウィークリーマンションから,その元カレの更正を願い,最大級の同情と愛情を発信する女の子の潜伏系日記とか(最近読みに行っていないが,まさか元カレに見つかってやしないだろうな)。数え始めるとキリがない。興味があるひとは是非,風俗嬢のおねえさんの逞しく生き抜く日々を堪能することをオススメする。
人生とはつくづくドラマであります。