備忘の都 2000 −MAY−  ◆

私たち医師は自分の仕事を合理化し、異化し、偽る。
つまり現代医療は理性的な科学であり、
全てが正しく、ナンセンスなど一つもなく、
私たちが想像するものそのものだと、
自分でも知らない間に偽ってしまっていることがある。

オリヴァー・サックス「レナードの朝」


041.光る眼042.臓器移植法改正案043.疲れ目の話
044.大杉漣ばなし:ひとり《ウォーリーを探せ》045.大杉漣ばなし:日本三大カルト俳優

備忘の都【目次】/ 備忘の都1999
平さんがゆく!/ 右團治画報/ トップページ




 041.光る眼

2000/05/13(Sa) 

子には並々ならぬ「眼力」がある。
ありていに申せば,母親譲りの非常に大きなひとみをしているのだが,正面から見据えられるとかなり恐い時がある。
(実際,奥さん自身も「眼力」については多彩なエピソードを持つが,それはまた別の機会に)

最初のうちは彼をベビー蒲団で寝かせていたのだが,そのうちベビー蒲団特有の固さを覚えたらしく,夜などベビー蒲団では決して寝ようとしなくなったので,近頃は僕らの蒲団の境界線にタオルケットを敷き,文字通り川の字になって寝ている(そういう知恵だけはついていく)。僕か奥さんのどちらかが,間違って踏み潰したりしたらどうしようと最初は危ぶんだが,どうやらそれは杞憂のようであった。

と,思っていたのだ,今朝までは。

今朝方,不意に目が覚めた。川の字で寝るようになってからはよくある事だ。
ふと,いつものように息子を見やる。すやすやと寝息を立てている寝顔を期待して。
振り返った僕はそのまま凍りついた。
赤子は大きな目をかっと見開いたまま,僕の額の少し上の方を見つめたまま,固まっている。表情が,ない。
…息を,…していない?

がばッと飛び起きた。思わず,我が子の身体を揺さぶる。彼は身じろぎひとつしない。…ウソだろ。

ウソであった。
息子はおもむろに僕を見て,もごもごと何か云った。ついでに両手もばたばたさせた。

「どうしたの?」

先に起きて,赤子の世話をしていたらしい奥さんがあっけにとられた顔で僕を見ている。
どうしたのったって,あなた…。僕は思わず,音を立てて横になった。7時…前かァ。大きく息をついた。

「いや,死んだのかと思った」

奥さんは一瞬きょとんとして,それから大笑いこいた。
…大体だな,こいつに表情がないのが悪いのだ(起き抜けに「笑え」とも云えないが)。それとこの「眼力」。
シュメール人みたいな,人を吸い込みそうな巨大なまなこのまま,まばたきひとつせずに,目の焦点が合ってなかったら,誰でも愕くわ。って,確かに彼はまだはっきりとは目が見えていないので,焦点が合っていなくても別におかしくはないのだが。
寝起きそうそう,悪いものを見た。心臓が停まるかと思った。これで間違いなく75日は寿命が縮んだぞ。どうしてくれる,悠都。

今日観た映画:「理想の結婚(1999・英)」「バレット・バレエ(1999・日)」



 042.臓器移植法改正案

2000/05/14(Su) 

野朔「『小児臓器移植』に向けての法改正―二つの方向―」を読む。
これは今年の2月「臓器移植法に関する公開シンポジゥム」で報告された町野氏の元原稿であると共に,事実上,今年の10月に見直される臓器移植法の改正案そのものと云っていい。尚,町野氏(上智大学教授)は厚生省の研究班のメンバーである。改めて断るまでもないが「移植推進派の観点から書かれた」本レポートこそがいずれ厚生省の公式見解になる事は疑いがない。
因みにこの改正案が採用されたあかつきには

「1.家族の承諾さえあれば,脳死者の意志表示無しに臓器移植が可能になる」
「2.親の承諾があれば,十五歳未満の脳死の子供からの臓器移植が可能になる」

となる。
報告中,町野氏は脳死者の生前移植拒否権は認めているようだから,改正案が成立すれば,ドナーカードは従来の臓器移植承諾を意志表示するものから,臓器移植拒否権発動のための切り札に姿を変える。でも,そういうのはもはやドナーカードとは呼べないだろ。
「15歳未満は親の承諾云々…」というくだりは昨今多発する少年犯罪(特に自分は少年法で守られると計算して犯行に及ぶ少年たち)を思う時,妙な感慨に襲われる。あ,勿論この改正案の是非は別にして,である。

尚,最初に断っておくと,此処では脳死及び臓器移植の是非を問うものではない。
あくまで,改正案に潜む言説の穴に小首をかしげるにとどめる。どちらに転ぶにしても,少なくともひとの生死を扱おうとする改正案の骨子に到るロジックが余りに杜撰なのは困る,これだけが趣旨だと思って欲しい(だから,底の浅い話しかしないよ)。ただ,臓器移植の為にこそ唯一存在する「脳死」の本末転倒さを憂えているのだけは確かだ。僕らはどちらに向かっても暴走すべきではない。

て,読後一発目の感想としては,これはかなり性質の悪いディベートだわ,という事。
ひとのことをとやかく云えた義理ではないが,こりゃ幾ら何でもコトバを弄び過ぎである。
たとえば,町野氏の報告の中には「やるべきことをやらずして何を云うか」的言説が散見する。


(前略)しかし、このような懸念があるから、このような法律の要件を維持すべきであるということにはならない。
脳死が人の死であるといえないのなら、むしろ心臓移植は行うべきではないのである。脳死判定の基準・手続に問題があるのなら、それは変えなければならない。医師が権限を濫用するというのなら、それを防ぐために適切な事前措置をとるべきである。医療不信があるならその原因を除く、あるいは何が不当な行為であるかを明らかにして、医師が不当な行為を行ったなら断固処罰するというのが筋道である。医師が、移植用臓器の摘出のために、ドナーの救命に十分な努力を尽くさなかったなら、そのことを非難すべきである。

以上のことをせずに、なるべく臓器移植をさせないようにする、というのは筋違いであるように思われる。



恐ろしい事に,このセンテンスは此処で終わってしまう。「だから,どうだって云うんだよ」
さて「以上のようなことをしない」「しなければならない」のは誰なのか。
更には「以上のようなことをして」「臓器移植させないようにする」のなら是なんだな。
僕から云わせれば「以上のようなことをする」努力を惜しまないのが厚生省であり,「以上のようなことをした」上で「臓器移植をさせないようにする」のも厚生省じゃん,などと思ってしまう。

似たようなレトリックならまだある。


(前略)生前に積極的に臓器提供の意思を表示していない以上は死後にも臓器を提供しないという意思があったとみるべきなのが日本人であって、提供しないことを表明していない以上は死後の臓器提供は本人の意向に沿うものであるとみるべきなのが外国人である、というものなのだろうか。もし日本人はこのような人種で、法律もそれを前提にしなければならないというのなら、遺族の承諾を得て眼球・角膜を心臓死体から摘出することを認める、前述の経過規定も不当であって、廃止しなければならないということになろう。


書き乍ら自身(身内)の首を絞めている事にご本人は思い至っておられないようだ。
これは紛れもなく,日本人の死生観を無視した現行の規定自体の穴を指摘しているのであって,本来,脳死による臓器移植という問題定義により,心臓死による角膜移植が揺らぐのなら,遡って再検討することだって方法のひとつである。文字通り,不当であると判断されたら,廃止されるべきなのである。間違っていたのなら,勇気を持って止めるがいい。自衛隊を今更解体させる訳にも行かないんだから,国内でアジアの出稼ぎ労働者による傭兵部隊を組織したっていいじゃんなどと嘯いていい事にはならないのである(これは今イチな喩えであった)。
それに現行法として定着している心臓死からの角膜移植と比較するなら,そもそも角膜移植するために心臓死という概念が生まれた訳ではない事だけは忘れないでもらいたい(尤も,町野氏自身,報告の中で「現行法は、臓器移植の目的の存在によって脳死を人の死としてしまったのである」と明言されておられる)。

「やるべきことをやらずして何を云うか」的ロジックの最大の穴は「やることをやっていない」のが,厚生省側なんじゃないかという点にある。それが町野氏の中ではどういう訳か,移植反対論者或いは別の第三者の側に擦り替わっているらしい。或いは作為的に擦り替えてある。迫力はあるが,歯切れが悪い。此処,ポイントね。

野氏は,死者の自己決定権について,こうも云っている。


しかし我々が、およそ人間は連帯的存在であることを前提にするなら、次のようにいうことになろう。
――たとえ死後に臓器を提供する意思を現実に表示していなくとも、我々はそのように行動する本性を有している存在である。いいかえるならば、我々は、死後の臓器提供へと自己決定している存在なのである。もちろん、反対の意思を表示することによって、自分はそのようなものではないことを示していたときには、その意思は尊重されなければならない。
しかしそうでない以上、臓器を摘出することは本人の自己決定に沿うものである。



上記について,何が正しいかとか論じる前に,こういう思想が屋台骨になって移植法改正案が作られようとしているのだという事実を僕らはきちんと押さえておく必要がある。しかし,これらは決して象牙の塔で行なわれている密談ではない。それだけがせめてもの救いだと云えるが,ただ自分から「知る」努力をしなければ,これらは耳にも目にも入ってはこないのだ。

それにしても…これはひどい。というか,ひどすぎる。
これが最初に述べた「臓器移植をするのに脳死者の意志表示は要らない」の根拠をなす考え方なのだが,肝腎なコアの部分に町野氏個人の無邪気な信仰告白をベースにされても困る。大いに困る。「連帯的存在」というコトバ遣いもヤケにきな臭い。此処で親ナチ派だったハイデッガーを引き合いに出してしまっては云い過ぎだろうか。

「我々は、死後の臓器提供へと自己決定している存在なのである」

僕らがそんな存在だったとは不覚にも知らなかった。
これがチベットの或る山岳民族になると「我々は、コンドルに対して死後の臓器提供へと自己決定している存在」という事にでもなるか。そもそも,死後の臓器提供などという,極めて「若く」且つ,あくまで「暫定的な」概念を,容易く「我々(人間。少なくとも日本国民)」に適用などしていただきたくないのである。「暫定的」と書いたのは,臓器移植自体,過渡期の医療であり,未来に渡って唯一無二の治療法ではないのが明らかだからだ。いずれ人工臓器や遺伝子治療や未知の医療がそれに置き換わった時,術後の拒絶反応など多大な身体の危険を伴う臓器移植などいとも簡単に撤廃される。幾ら方便とは云え,ちょっと出来が悪かったんじゃないかなァ。

「我々は、地球から宇宙への拡散へと自己決定している存在なのである」

これなら,スペースコロニーが建設された時,最初の居住呼びかけに応用出来そうだ。妙にロマンチックだし。

という訳で,このへんの問題に興味の出てきたひとは「森岡正博の生命学ホームページ」を覗いてください。
たまになら,こんな話もいいでしょう。

夜の内に小渕前総理,逝去。
思えば,ひとの好い総理ではあった。

今日観た映画:「どら平太(2000・日)」



 043.疲れ目の話

2000/05/17(We) 

事柄,一日PCのディスプレイと向き合っているせいか,この処特に疲れ目がひどい。
子供の頃は,余り近くでTVを観てはいけないと叱られたものだが,それが今では毎日6〜8時間,或いはそれ以上,30センチと離れていない位置でCRTのモニタに目をくっつけている訳だから,そりゃ帰宅時に信号の矢印が霞みもするよなあ。我が家は我が家でテレホタイムに入ったら2〜3時間はモニタの前で遊んでいるのだから,頭が痛くなる日があったっておかしかない(きっぱり)。
加えて左右の視力差が1.0以上あったりするから,こうなりゃ自棄である(笑)。オレの目は疲れるように出来てるんだよ。

,モノの本で読んだのだが,ディスプレイでもCRT(非液晶)の場合,リフレッシュレートを高くしておくと,目が疲れにくい,とあった。ディスプレイの原理とは,単位時間あたりに何回も画を描く事にある。リフレッシュレートとは,単位時間あたりに画を描く頻度を云う。リフレッシュレートが高い程,画面のちらつきが解消される。
安いパソコンだと通常,リフレッシュレートは60Hzで,これは普通のテレビレベル。本当にテレビに顔を近付けて日がな過ごす事を想像すると,これはかなり厳しい。70Hzを越えるとフリッカーレスといわれ,ちらつきが気にならないと「されている」。本当に高性能になると85Hzぐらい。ウチのは70Hzクラスかなあ。あと,CRTのピント調整はきっちりやっておく必要がある。以前,会社のPCのディスプレイのピントが大甘になった時は3分と続けて画面を覗く事が出来なかった。車の後部シートで般若心経を開くくらいには三半規管にダメージをもたらす。

基本は,周囲とディスプレイとを同じ明るさに保つということ。暗がりでPCだけ立ち上げているのなんざ,愚の骨頂。デスクや書類といった周囲の明るさとディスプレイ面の明るさが同じぐらいにしておかないと,視線が動くたびに瞳孔が明暗に反応しなければならず,それでくたびれる。
たとえば,モニタそのものも,高すぎるコントラストや明るさは目にとって無用な緊張を作るらしい。だから,周囲の明るさをある程度落し,モニタの明るさをそれにそろえる方向で調節していくのがベストなんだな。画面に映り込むような光源,窓は勿論,厳禁(でも,職場だと季節によって,しっかり降ろしたブラインドの間隙を突いて夕陽がモニタを真っ二つにしてくれる)。電磁波はこの際,気にしなくていい。防磁フィルタはコントラストを下げ,映り込みを防いではくれても,上記みたいに明るさに気を遣う場合,いっそ画質が落ちて単に邪魔くさいだけかも。

こないだ,塚本晋也「バレット・バレエ」を観た時に,面白かったのだけれど実を云えばひどく酔った。
途中など意識して目を背けたり閉じたりしなければ即刻吐きそうだった。中途退場を何度考えたかしれない。こんなに気持ち悪くなったのは「上海ルージュ」の逆さ吊り視点のカメラアングルを観て以来である。モニタと銀幕の違いはあれど,モノクロ且つコントラストが強い上に,ハンディカメラの手振れのせいでちらつきがひどかった事に寄るのかもしれない。瞳孔の明暗過剰反応による眼精疲労とでも呼ぶか。
尤も,寝不足だったくせに昼飯抜いた上に立て続けて2本観たせいかもしれない(そりゃばかだ,オレがばかだ)。

さて,モニタと長時間つきあう場合「黒の背景に白の文字」「白の背景に黒の文字」とどちらが有効か,問題というのもある。
学生時代,CRTのワープロを扱っていた時は定期的に白黒反転させていたものだが,どっちがくたびれるかと云えば「白の背景に黒の文字」だったかもしれない。ただ,あれはもう10年程度前の話で,当時のワープロ画面の性能とリフレッシュレートの低さを考えると,おそらくちらつきがひどかったんじゃないかと今は思う。
例えば,会社でもホストコンピュータに繋いだ3270エミュレータは「黒の背景に緑の文字」だったりするけれど,リフレッシュレートが高い前提で話を進めるならば,黒の背景は自分の姿他の写り込みがあるし,一説によると黒の背景で瞳孔が大きく開いた処に白く眩しい文字が飛び込んでくるので疲れ易いなどとも聞いたが,そうか,だから文字色が白ではなくて緑なのか(根拠薄弱)。


いこないだ,メロンのポタージュの話を書いたら,犬山からメロンが2個送られてきた(笑)。
おかあさん,お気遣いどうもありがとうございます。
くだんのポタージュですが,厳正なる家族会議の結果,次の日曜に試してみる事にいたします。




 044.大杉漣ばなし:ひとり《ウォーリーを探せ》

2000/05/20(Sa) 

神の駐車場到着後,車中から野坂医師に電話。アポなしデートを申し込む。
モノはレイト上映する「発狂する唇(1999・日)」。前回が「キラーコンドーム」,前々回が高木ブーだった事を考えるとタク的には順当な逢瀬と云える。彼女は,休日出勤前の忙しい中「西鉄グランドホテル見合い騒動」を語ってくれたあと,残業と資格取得勉強の合間を縫って天神に出てきてくれることを約束してくれた。さすがはタク友である。というか彼女自身その存在も知らなかった「発狂する唇」の匂い立つタイトルに好事家のセンサーが敏感に反応したのかもしれない。
それから,SABU監督の舞台挨拶目当てにKBCシネマにて「MONDAY(1999・日)」
このひとの映画は「アンラッキー・モンキー」以外未見なのだが,全作よりはラストで感じた失速感が少なし。ティーチインで監督が語った「先の読めないエンターテインメントを」という気概はなるほど良く分かるが,それにしても役者に人気のある監督さんらしく,大河内奈々子,石堂夏央,小島聖,滝沢涼子あたりの小さい映画の主演級の女優さんのワンシーン出演が目立つ。
ティーチインの中のひとこま(それにしても大きなひとである。で,傍若無人でシャイなの・笑)。

「友情出演で安藤政信さんが出ていましたが,監督と安藤さんはどういう友情で結ばれているのですか?」
「(あっけにとられた顔で)いえ,彼との間に友情はありません(笑)。彼とは友達やないですね。
 彼がオレの作品のファンで出たいと云ってくれてるのは聞いてたんです。
 で,あの役は顔が綺麗じゃないとあかんなァってことで彼に演ってもらいました。
 ですから,彼は友達でも何でもありません(笑)」

話によると,束の間だけ顔を見せるTake2深沢も「どうも」本人が出たがったようだ。
処で友達と云えば(念の為断っておくと,以下の質問者も僕ではない),

「先日,黒沢清監督のティーチインに行った時に監督が大杉漣さんは映画全体の事を考えないひとだと
 仰っていたんですが,SABU監督はどうお考えですか?」

これには少し説明を要する。あ,少しじゃないかも。
こないだの「カリスマ」での黒沢監督舞台挨拶は僕も最前列で聴かせてもらったのだが,あそこでも「黒沢映画の常連と云ってもいいかと思うんですが,大杉漣さんについてどう思いますか」という質問があったのだ。

杉漣(おおすぎれん)。
崔洋一断じる処の日本三大カルト俳優のひとりにして,自他共に認める映画界の「ウォーリーを探せ」
北野映画がひとつの分岐点になったのは間違いの無い処だが,今や到る処に顔を出していると云っていい怪優のひとりである。
で,以下がその時の黒沢監督のお答え(私家要約版)。



「いつも映画を始める時には,大杉さんを使うつもりは全然ないんですよ。
 むしろ,使わないように使わないように(笑)なるべく配役から外してあるんですが
 そのうち,どうしてもある役に旨いひとが見つからなくて,どうしても彼にって話になる。
 だから,僕としては非常に悔しいんですけどもね(笑)。
 最初は僕もね,大杉漣というひとを上手な,佳い役者さんだと思っていたんですよね。
 でも,ずっと一緒にやっているうちにその認識は改まりました。
 あのひと,佳い役者なんかじゃないです(笑)。
 普通,佳い役者ってのは映画全体のことを考えて仕事してると思うんですが,あのひとそうじゃあないもの。
 大杉さん,完全に自分のことしか考えていないんです。そんなの佳い役者とは云えないでしょ(笑)。
 彼はすぐ余計なアドリブを入れたがるんです。
 リハーサルの時はちゃんとホンの通りに芝居をやるんだけど,本番前に僕の処にやってきて,
『ちょっと考えていることがあるんですけど,最后に演ってもいいですか』って訊ねてくるんですね。
 僕も馴れたもので「ああ,またか」と思い乍ら「いいですよ」と答えるんです。
 で,本番始まってホンの通りに演じた後,カットを云う迄が延々彼の独壇場になるんです。
 ま,だいたい使うことはないんですけど(笑)。でも,彼は決してあきらめませんね。

 例えばね,或る映画の,彼の出演シーンだったんだけれども,本番前に彼から
『ちょっと考えてきたことがあるんですけど』って云うから,僕もいつもみたいに『どうぞ』と答えた(笑)。
 彼は自分の台詞を云い終わって,本来ならカットになる処から突然,
『高知県○○市○○町○○出身…』って延々喋り始めたんですよ。10分くらい喋ってたかなあ。
 いつものように,本篇でそのシーンは使わなかったんですけど。

 で,今度(「カリスマ」)の撮影でも,考えてきた台詞喋りたいって云うからおまかせしたら,
『高知県○○市○○町○○出身…』って延々あの時と同んなじ台詞を喋り始めて(爆笑)。
 それ,昔聞いたことあるよって。
 作品一本一本がどうとかじゃなくて,自分が喋りたい台詞を喋ってるだけじゃないか。
 きっと,よその作品でもあの台詞喋ってるに違いないんですよ。ひどい話ですよ」



確かにひどい話だが,近年の邦画最多出演を誇ると思われる大杉さんが一体どれだけの作品で「高知県出身」噺をやらかしたかが気にかかる処だ。「MONDAY」でも演れない事はないな…しまった,それをSABU監督に質問するんだった。
ちなみにSABU監督は上記黒沢「大杉は自分のことしか考えない」発言については「そうかもしれませんねえ」と笑った後,

「大杉さんはそんなに旨い役者さんじゃないんですけど,独特の空気が好きで,
 それでいつもご一緒してます。いつも電話で話したりして友達なんで,このくらいで勘弁してください」

わぬ処で大杉漣ばなしになってしまった(しかも,引用したエピソードの方がこの舞台挨拶のくだりよりも長い)。
そのあとSUB監督は中間での舞台挨拶に向かうべく,慌てて退席したが(司会のおねーさん,ちょっと喋りすぎ),上映後のティーチインは結局13時半まで続いたので,かなり得した気分。
堤真一ばなしについても「最近のテレビに出てるカスみたいな若手俳優が多い中で彼だけは本物です」「この映画撮ったあと『ドクター』みたいなクソみたいなドラマに出ちゃったらクソみたいな仕事しか出来てませんでした。やはりホンと云うのは大きいですよね」など,シャイなくせに裸の銃を持った発言を乱射して僕らを楽しませてくれた。

きや」の隣の何とかいう定食屋で,焼肉ライスセット(withとんこつラーメン)で遅目の昼食をとる。
りーぶる天神で奥さんに頼まれた「ひよこクラブ」のお使いを済ませてから,天神東宝へ移動。あっというまに16時。
お目当ては「スティル・クレイジー(1998・英)」。なかなか面白かったけれど,客席は3人。皆んなが皆んな「ピンチランナー」に流れているんだとしたら,世も末である(ありゃ,本当に世紀末だった)。

この項,続く。

今日観た映画:「MONDAY(1999・日)」「スティル・クレイジー(1998・英)」



 045.大杉漣ばなし:日本三大カルト俳優

2000/05/20(Sa) 

刻,Z−SIDEで夜食用にパンを買う。
僕が留守にすると,奥さんは必ず粗食になってしまうので,彼女への空腹対策である(実際,帰宅したら空腹に苦しんでた)。
19時半くらいに野坂医師と待ち合わせて,長浜公園脇のフレッシュネスバーガーで簡単に食事を済ます。
今の彼女のお気に入りはケーブルTVで観る「カゲスター」だと云うから,殆ど瀬戸口くん状態である。住む場所は違えど,進むべき道は,ああ,タクなのね(いや,僕だってケーブル引いていたら観ないとは決して云えない)。でも,過去のソフト(番組)にはまると,実は新しいソフト(番組)なんて人生には全く不要なことに気付かされるからなあ。あぶないあぶない。
20時40分には余裕を持ってKBCシネマ入り。若い女性3人組という無謀なグループもいたにはいたが,客席はほぼ野郎が占めている。
劇場は半分埋まっているかどうかといった処か。

で,先の大杉漣ばなしのくだりで触れた「日本三大カルト俳優」について補完しておきたい。
この栄誉ある称号は,先に書いた通り,崔洋一監督の言に因る。
話は1998年8月1日に行なわれたシネリーブル博多・柿落としイヴェントまで遡る。初回上映作品は崔洋一「犬、走る(1998・日)」。舞台挨拶は,監督本人と物語を掻き回すキーウーマン上海女の桃花を演じた新進女優,冨樫真(まこと)が駆けつけた(今にして思えば,当時のシネリーブル博多は本当に頑張ってた…て,ほんの2年前だよ)。
其処で,上映前の舞台挨拶で監督が並べ立てた惹句のひとつが「日本三大カルト俳優のひとり,大杉漣が(本作で)凄くいい味を出してます」であった。
三大…て,あとのふたりは誰だよ,と僕の胸の奥底での問いに応えてもらえよう筈もなく,映画は始まり,作中,大杉は「HANA−BI」の50倍は冴えた演技で,飄々と,小狡く,愛らしく,在日コリアンの情報屋を生き切ってみせたのだった。あれだけ掟破りの無茶苦茶刑事を演ってい乍ら,岸谷は完全に食われっぱなしだった(ひょっとすると監督の責任も大きいのかも・笑)。
いてもたってもいられなかった僕は,上映後のティーチインの中で(監督がやたら喋る為に,僕の質問がティーチイン全体の半分以上を食った気がする)そのもやもやを監督にぶつけたのだった。

「す,すみません。日本三大カルト俳優のあとふたりを教えてください」

監督は立て板に水で即答してくれた。
別に出まかせで「三大カルト俳優」を口にした訳ではなかったらしい。

「えっとね,日本三大カルト俳優と云えば,大杉漣の他に,田口トモロヲ下元史朗ですね。
 他に,カルト俳優Jr.として本作にも出演している香川照之を挙げておきましょう」

口トモロヲかァ…成程,マイナー,メジャー問わず到る映画に顔を出している。
ほんの先刻見た「MONDAY」もそうだし「バレット・バレエ」「御法度」と見境無く(実は見境あって)ちょこちょこと顔を出しては,場をかっさらっている。元々はパンクスターで,盛り上がるとステージ上でわざわざ嘔吐してみせたり,脱糞してみたり(おいおい),幾つものライヴハウスから出入り差し止めになるのを勲章にしていたひとだったりするから,それを考えれば今程度のカルトな活躍なんざ,もう引退したに等しいおとなしさかもしれない(ウソつけ)。

元史朗(しももとしろう)。性豪というか性獣というか,そんな役回りを演じさせたら日本一かもしれない。
このティーチイン当時,2時間ドラマなどテレビでも活躍しているひとで僕自身よーく顔も知ってはいるが,代表作がちーとも思い付かない。考えあぐねてgooで検索したら,57件ヒットした。その殆どが映画作品のデータではからずも下元さんのフィルモグラフィになってしまった。それが以下の作品群(あくまでも1998年8月当時ね)。…あ,無理に読まなくてもよろしい。


「性風俗ドキュメントU ザ・快楽」「性感治療 白衣のわななき」「ラブホテル・リポート 蜜の部屋」「緊縛縄の制服」「非行記録 少女売春」「残忍女暗黒史」「制服肉奴隷」「高級ソープテクニック2 個室欲情」「赤い性 暴行傷害」「ドキュメントポルノ 痴漢常習者」「女子学生を縛る」「襲られた女」「新妻を縛る」「猟奇変質魔」「連続!柔肌犯し」「狂った情事 おしゃぶり」「夜勤看護婦 娼薬治療」「唐獅子姉御」「人間交差点 不良」「最新ソープテクニック2 泡姫御殿」「襲われる女教師」「歓びの喘ぎ 処女を襲う」「新妻暴行濡らす」「団鬼六 生贄姉妹」「痴漢暴行電車」「ブルーテープの女 淫らな呻き」「濡れた肌刺青を縛る」「ワイセツドキュメント 連続変質魔」「鞭で泣かす」「ポルノ最前線 感じて濡れて」「団地妻 ニュータウン暴行魔」「色情魔性拷問」「猟奇! 暴行事件」「異常体験 夜の暴行魔」「少女を襲う!」「痴漢電車 インベーダー(秘)大作戦」「痴漢は最高!」「虐待奴隷少女」「濡れた牝猫」「セーラー服色情飼育」「淫写!!白衣と縄」「異常な快楽 禁唇」「人妻拷問」「連続暴行犯す」「人妻を縛る!」「団鬼六 少女木馬責め」「若妻暴行変質魔」

いやあ,壮観でしょ。新東宝とにっかつのオンパレード(笑)。
高橋伴明率いる高橋プロもちらほら見受けられる。あと若松孝二とか。一般映画は何処に(笑)。
まあこれで何やってたひとかだいたい分かるでしょ。主にポルノの男優さんをやって80年代のピンク映画を一身に背負っていたひとです。でも,これじゃ彼を知らないひとに,ビデオ屋で以上の作品のうち,幾つかを見繕ってくんない? とは云えないのがどーにも弱った。そんなあなたに「がんばっていきまっしょい」という朗報。普通の役でちゃあんと出演しているので,見つけ出してください(大杉さんも校長先生役で出演しております)。最近じゃ「ISOLA」の,姪を手篭めにしようとする非道な叔父の役が記憶に新しい。
で,今夜の「発狂する唇」に,霊媒師の右腕・当麻役で,霊媒師役の由良宜子を除くものの,主演の三輪ひとみを含めた主要な出演女優のほぼ全員と濡れ場があるという豪胆さ。いや,聞きしに勝るカルト俳優振りだ(って単にこのひとの使われ方に問題があるだけだったりして)。

杉漣自身,キャリアを辿れば映画出演の上半期は真ピンクと云っていいかも(元々は転形劇場ってアングラの役者さんなのである)。
因みに「発狂する唇」の大杉さんは「大佐」役。話を聞く限りでは,FBI捜査官の上司だった筈だが,何だかよく分からない。ま,この作品の物語をなぞる事ほど不毛な行為もないのだが,ブラウン管の中からいきなり三輪ひとみに話しかけるシーンはともかく,黒いビキニパンツいっちょになって踊るシーンといい(この大佐,普段もスーツの下にはズボンは穿いていないようである),いまわの際に,自分のパンツにはさんでいたバイブをやにわに取り出して口にくわえ(すぐにぽろりと吐き出したあたりが「間が持てなかった」感じがする・笑)拳銃自殺するシーンといい,演出の殆どは大杉さん自身に任されていたのではないか。
もし,佐々木監督が舞台挨拶に来てくれていたら「果たして,大杉さんの『高知県出身』噺はあったのか」是が非でも聞き出しておきたい処であった。いや,マジで。

で,崔監督が最后に付け足したカルト俳優ジュニア(殆どジャニーズJr.並みの扱いだ…え,何がだよ)香川照之は猿之助さんにクリソツ顔の(そりゃ本当にジュニアだから)ぼっちゃん役者だが,此処のところ各作品でアナーキーな演技を披露しており,今後のカルト方向への邁進が篤く期待される(早速,カンヌでその勇姿を発揮してましたね)。母である浜木綿子は息を殺して泣くかもしれないけど。

野坂医師も大満足のうちに(「あれ,展開がまんま同人じゃないですか」とは彼女のコメント。「あと,自分が気に入ったものを何でも押し込んで物語が土砂崩れになっているあたりは××さんの作品を思い出しました(敢えて伏せ字にしておく)。ね,思い出しませんでした?」…て,ノーコメントだ,僕は),映画も終了。先ほどの女の子のグループは皆一様に放心状態に陥っていた。ふん,未熟者共めが。
でも,石井輝男は30年前から「天然で」こういう作品を撮っていたのである。石井監督に最敬礼すべし。


りに野坂医師から,思いがけず子供の誕生祝をいただく。

「使えるのは,もうちょっと大きくなってからだと思いますけど」

我が家へ帰って開梱すると中身はあひるのおもちゃであった。
野坂医師,ありがとう。でも,それまで観てた映画との落差を思うと,何故かしら泣けてくるのであった。うう,俺たちって,俺たちって…。
余談だが「発狂する唇」,既に「2」製作の話が水面下(でもないけど)で進められている。

それから観た映画:「発狂する唇(1999・日)」


備忘の都を旅する この頁のTOPへ