備忘の都 2000 −MAY−  ◆

僕等は生活様式や境遇は失業者に違いないが、
一度、ハンマーを握らせ、配電盤の前に立たせ、
試験管と薬品とを持たせるならば、
彼等の度胆を奪うことなどは何でもない。
彼等を征服するには、科学が武器である。

科学(サイエンス)! 科学(サイエンス)!
彼等の恐怖の標的である科学を以てその心臓を突いてやれ!

海野十三「人造人間殺害事件」


046.人体部品ビジネス047.満月物語
048.鯉昇・平治「裏」二人会(その1)049.鯉昇・平治「裏」二人会(その2)
050.大坂・夏の陣とメロン・ポタージュ

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 046.人体部品ビジネス

2000/05/21(Su) 

屋剛「人体部品ビジネス」(講談社選書メチエ)読了。因みに,サブタイトルは「臓器」商品化時代の現実
諸外国に見る臓器移植事情即ち,日本が「助け合い」だの「愛の提供」だの掲げているその先のケーススタディ,臓器売買の実態を,徳山大学の先生がフィールドワークで世界中を回って収集・整理した「人体の利用と商品化」の途中経過報告である。実際に足で稼いできただけあって,つまり,フィリピンやインドの貧富の差がなすドナー〜レシピエント間の「穏健に成立している」ギヴ・アンド・テイクを直接目の当たりにしてきただけあって,このひとのスタンスは揺れている。
端的に云うならば,一旦,臓器移植を「是」とするならば,臓器売買もまた「是」ではないかという態度を表明している。

思わず膝を叩いたのは,臓器売買賛成論における「対価支払いの正当性」のくだり。
(尚,予め断っておくと,粟屋氏自身は「一応」賛成反対の立場を明確にしておらず,それぞれの立場に検討を加えている)
つまり,ドナーに無償提供を要求しておき乍ら,臓器がドナーからレシピエントに渡るまでの仲介的存在である,臓器提供機関,移植医療機関には,それぞれ「実態として」代金或いは報酬が支払われている。移植コーディネーターや医師団が無報酬やボランティアで仕事を請け負っているという話はついぞ聞かない(というか無い)。まさか彼らは間違っても「こちらも慈善事業でやっているのではない」とは云えない筈なのだ。当のドナーには無邪気に自己の危険を伴う慈善を要求しているのだから。
これは,ドナーに対する搾取と云えば,云い過ぎだろうか,と粟屋氏は問題提起する。

臓器移植が一旦,走り出したなら臓器売買は他人事では決して無くなる。
繰り返しておくが,本書では,臓器移植を「是」と云っているのではない。臓器移植を認めるのならば,臓器売買もまた認めざるを得ないかも,と云っているのだ。コトの良し悪しは別に,僕らが資本主義経済の流れに乗っかっている以上,臓器,引いては人体そのものの商品化は避けられないぞ,と云っているのだ。避けられないから流れに乗っちゃえ,と主張している本では勿論ない。

処で,5月14日の日記で触れた町野朔氏「臓器を摘出することは本人の自己決定に沿うものである」発言って云うのは,コントラクト・アウト方式(オプティング・アウト方式とも云う)臓器調達システムという,以前からある考え方らしい。つまり,必ずしも町野氏はあさってから屁理屈をこねくり回している訳ではなかったという事(屁理屈にもオリジナルがあったってだけな気もするけど)。
即ち,生前に死後の臓器摘出について反対意思を表明しておかない限り,医師の権限で臓器摘出を行える,とする「臓器公共(国家)資源説」に基づく臓器徴収方式がコントラクト・アウト方式。実際、ヨーロッパの一部,及びシンガポールあたりが採用しているらしいが,成程,この論理が許されれば,限られた稀少資源としての臓器の適正配分に頭を悩ます事はなくなるわ(臓器は提供前から大多数を確保してしまえる)。ただ,フランスなど実務がその通り運営されていない国もあるって事は,やっぱり無茶なロジックなのだな(詳しいトラブル事例が報告されていないのが残念だ)。

なかなか面白い本なので,皆さんにも一読をオススメする。


方になってから,犬山のおかあさんが帰ってから初めて家族揃って買い物へ。
行き先は授乳室があるという理由から戸畑サティ。久々に食料品売り場の喧騒を肌に感じて奥さんは感無量だった。赤子も虚心坦懐で家の内も外も関係ないらしく,特に泣きもしなかった。存外,豪胆なヤツである。
でも,帰宅したのが20時過ぎだった為,メロンのポタージュは来週回しに。
その方がよく熟れて美味しいかも。と,日記には書いておこう。

尚,全くの余談だが,ウチの息子は湯船に浸かってから,落ち着くまでのほんのひととき,苦渋に満ちた青木官房長官とクリソツになる。そう,あの「総理が何を仰っておられるのか,私にも理解出来ませんでした」と身も蓋も無い会見をした時の,あのカオである。
皆さまにお見せ出来ないのが,誠に残念である。本当に似てるんだから。

今日の読書:粟屋剛「人体部品ビジネス 『臓器』商品化時代の現実」(講談社選書メチエ)



 047.満月物語

2000/05/23(Tu) 

岡たすくさん,逝去。死因は肺がんって云うけど85歳なら大往生ですね。
子供の頃「テレビ寺子屋」で,吉岡先生が黒板の前で生徒とのエピソードを語るのを聞くのが大好きだった。
という事はあの頃,既に先生は60を越えていた訳か。でも,そんな感じだったな。
あのあったかい語り口がもう聞けなくなるのは,今の教育現場にとっても大きな損失かもしれない。合掌。

井ゆうじ「満月物語」(ハルキ文庫)読了。
薄井作品を読むのは久々かも。あ,1冊だけ本棚に積ん読になった「狩人たち」(双葉社)が陽の目を見ずに眠っているな。
新刊は次々出ているのだけど,数が多くて今の僕には手が出ない。今回,久し振りの文庫落ちだったのと,「竜宮の乙姫の元結いの切りはずし」(講談社文庫)読了直後(もう4年近くも前の話だ)に,ベネッセから本書がハードカヴァーで出た時,姉妹篇と判ってい乍ら台所の事情で涙を呑んだ,曰く因縁付きの本だった(という程のもんでもないが)というのが大きい。

内容は「いまかぐや姫」。と云ってしまうと身も蓋もないが,一口で片付けてしまえるのは本作の美点かも。
「竜宮の乙姫の元結いの切りはずし」もそうだったが,このひとのセックス描写は,描写する事への照れ故か,或いはご自分のロマンチシズムに手を焼いている故かとにかくおどける。で,その道化振りがちょうど僕の鳩尾を直撃するエスプリというかウィットがあって好きだったりするのだけど,これって村上春樹にも似たような処がないか。
因みにそのシークエンスの結びの文章「降りるとき、彼女が小さく何かを唄っているような気がした。だがそれが泣き声だと気がついたのはしばらく経ってからだった」は本作中いちばんのフェイバリットかもしれない。

それにしても,ハルキ文庫は高すぎる。200ページで560円というのはあんまりなのではないか。
まあ,春樹社長が,小松先生に「虚無回廊」再開させて完結させようと企んでいるから,暫くは我慢するけど。


空文庫で海野十三を読んでいる。
いや,これがなかなか面白いんだわ。古びているんだけど,古びていない部分は変わらぬ光を放っているというか。
おじいちゃんになってしまったかつての少年たちが手に汗握り,胸を高鳴らせて読んだというのがよく解るもの。
怪奇,幻想,そして僕らが未だ見ぬカガクの力が,此処にある。子供たちをコロッと騙すだけの筆力とゴタクと迫力が此処にある。
今日読んだのは,以下の4本。

「生きている腸(はらわた)」

生きている腸(はらわた)なんて云うから,てっきりドイルの「まだらのひも」みたいな話かと思ったら,本当に腸が生きちゃってるんだもんなあ…。マッドサイエンティスト寄りの医学生吹矢隆二とチコの同棲一二〇日間の恋の物語。たとい,リンゲル氏液にゆらゆらしていても,その心は処女(をとめ)なの。嗚呼,チコに幸あれ。

「千年後の世界」

一千年と169日,冷凍睡眠から覚醒した科学者フルハタが見た仰天の三十七世紀見聞記(という程の長さでもないが)。過ぎ去った一千年を計るのにラジウム時計が出てくる。ううむ,放射炭素年代測定法ですか。寿命の克服については「人体に関する生理学の研究が進歩して、いっさいの病気が電気学によって診断され、そして電気的療法で癒ることになった」…電気,電気がありがたかった時代の産物か。僕が電気療法と聞いて思い付くのはマッサージくらいである。

「放送された遺言」

SETIなんか小さい小さい,宇宙からのメッセージを捉える超短波長廻折式変調受信機で異星からの遺言を聞いてしまった天野祐吉の悲(喜)劇。どうやらこのひとはエスペラント語に堪能だったらしいが,個人で愉しむぶんには日本語デコードでも良かったのに。いや,素晴らしいオチだと思う。「まだらのひも」はむしろ,この作品だったのかもしれない。処で当時,宇宙は四千億光年あると信じられていたのですか。

「人造人間(ロボット)殺害事件」

大国間の思惑が錯綜する暗都・上海を舞台にした「陸軍中野学校」みたいな軍事スパイもの。思わず,雷蔵サマをキャスティングして読んでしまいました。彼ら(敵国)になくて,我々だけが持つ武器を超えた武器,それはサイエンス,サイエンスだと気焔をあげるくだりは泣けてきますなあ。人造人間殺害事件…何の事かは最后まで読むとよーく得心出来る。

今日の読書:薄井ゆうじ「満月物語」(ハルキ文庫)



 048.鯉昇・平治「裏」二人会(その1)

2000/05/27(Sa) 

っとう最初に断っておくと,朝10時半には既に親父んちに着いていた。僕にしては上出来である。
処が,ただでさえ,会場の妙法寺へのアクセスが不馴れだと云うのに,出かける間際になってから雨が篠降るわ,実は今日はダイエーが福岡ドームでデイゲームだという事実を初めて知るわで,かなり動揺する。やむを得ずどしゃ降りの中,出発。と,道が混む混む,どっと混む(お粗末)。ちっとも雨足が弱まらない中,半べそをかき乍ら,それでも開場10分后には目的の妙法寺を見つけ,比較的近くに100円パーキングも発見出来た。

とんくんは一旦マンションに帰っている(此処から歩いて10分かからないらしい)との事で不在だったが,功くんが出迎えてくれた。入り口で預かってもらっておいた前売券を受け取って,久々に会うよっちゃんに手を挙げてから,ひとまず本堂へ向かう。ひと足先に会場入りしていた高原夫妻に挨拶。座布団が処狭しと70枚も敷き詰めてあったろうか。客の入りは三割強といった処。この雨じゃ無理も無い。ていうか,どんどん雨足が強くなってるぞ。後で聞くと,やっさんはともかく鯉昇師匠も雨男なのだそうだ。いや,本当なのかリップサービスなのかは定かではない。折角なので,前から二番目あたりの座布団を押さえる。普通だと座高の高さが気になるのだが,今回は真後ろに親父がいるので遠慮しなくてすむ(これこれ)。
15分くらい押したのだろうか,係の人曰く「丁度いい混み具合」で開演。


◆ 最初は此処の内浜落語会のアマチュアの方による「目薬」
のっけから艶噺が来るとは思わなんだ。でも,プロに対抗するには,こういう反則技を持ってくるしかないかも。

◆ お次が鯉昇師匠で「ちりとてちん」
とにかくマクラの話術が心地好い。
「酢豆腐」ではない「ちりとてちん」は以前,桂米朝落語会を聞きに行って,枝雀さんのお弟子さんで聞いたけれど,やはりこちらの方が手練れの技というか。これ,小文治さんが演ったらどうなるのか,実に興味津々である。因みにウチの親父はこの噺を聞いて「凄い前座が居たもんだ」と思ったらしい(笑)。TVでしか寄席演芸を愉しめない地方人の弊害である。と弁解させて。

◆ 第一部のトリがやっさんで「妾馬」
八五郎が妹を見とめて頭を下げるくだりで,往年の寛美さんを思い出したのは僕だけですかそうですか。恥ずかしいけれど思わずもらい泣きしそうになりました。笑い・泣き・笑い,このリズムが実に気持ちよかった。

◆ 仲入り。
今のうちにとトイレに立ったら,とんくんに「中津から木部先生が来てるよ」と教わったので,慌てて挨拶に行く。近頃は学生の就職のための企業向け挨拶だとかであちらこちら飛び回っておられる様子。なかなか景気のいい話は転がっていないものですね。

◆ 内浜落語会による抽選会。
出物は鯉昇師匠のイラスト付ティッシュ入れだったり。
それにしても,数少ない景品のうち,2回も同窓生が呼ばれるのは幾ら何でもあんまりなのでは(とは云え,高原くんと功くんに罪は無い)。その頃になるとかなりお客さんはごった返してたんだけどねえ。

◆ 第二部の最初は,やっさんの「長短」
「長短」は文治師匠の十八番中の十八番で二度聞いたが(かのミッキー・カーチスは文治師匠の「長短」を聞く為に寄席通いをしたくらいだ。ま,あのひとは好事家が嵩じてプロの咄家になってしまったけど),二度目に聞いた楽屋で,やっさんがこの次師匠に教わろうとしているのが,まさにこの「長短」であった。つまり師匠直伝な訳で,僕自身,ずっとやっさん版「長短」を聞いてみたかったのが今回ようやく願いが叶った訳だ。まさしく師匠ゆずりの「長短」だった。何しろ僕は嬉しい。もっともっと磨き上げてもっともっと愉しませてね。

◆ 大トリは鯉昇師匠の「富の札」
なるべく疲れないように,と淡々と笑わせてくれるマクラとは一転した本筋の熱演振り。超ド級の金持ち,を吹くくだりは絶品であった。この時点でも,ウチの親父は師匠を前座と疑っていない。「こりゃ,平治さんを食ったな」って,だから10年も15年も先輩の大ベテランなんだよっ。
惜しみない拍手の内に幕(って本堂だから本当に幕が降りる訳ではない)。


昇師匠が下がると同時に雨足が強くなる。雨男の話は本当かもしれない。
ひとまず親父たちを家に送ってくるので,適当にスナップ撮っといてよと,とんくんにデジカメを渡そうとしたら「今撮れ,すぐ撮れ」とふたりの楽屋になっている離れだか客間だかに連れて行かれる。門構えを見るとそうでもなかったのだが,はっきり云って迷宮である(そう云えば,福園寺こと尼子邸も実はかなり広い。進めど進めど突き当たらないというか。お寺さんの本宅部分などというものは全く侮れない)。入り組んだ廊下と濡れ縁と,中庭と襖と障子が次々に現れて僕のマッピング機能を撹乱させる。ポケットいっぱいに光る石を用意しておけば良かった,とそろそろ後悔し始めた頃にようやくふたりの待つ(笑)楽屋へ到着。時,既に遅し。やっさんも鯉昇師匠も着物を脱いで,さるまた姿になっていた。高音多湿の本堂で汗だくになって熱演していた事を思えば,無理もないのだけれど,特に鯉昇師匠の着物姿を押さえられなかったのが悔やまれてならない。
「お疲れさまでした」と僕らが挨拶していると,お客だの何だの色んなひとが挨拶に来て,やっさんと鯉昇師匠はさるまたのまま,畏まって頭を下げ続けている。高座を降りた直後の噺家さんというのも因果なものである。そのうち,今日の落語会の興行主である妙法寺の住職が僧衣を纏ったまま(あたりまえだ)挨拶にみえられた。型通り(失礼)の挨拶がひとくさり済んだのを見計らって,鯉昇師匠が切り出した。

「先刻から気になっていたんですが,あのピアノはどなたが弾かれているんですか」

云われて初めてピアノの音が流れているのに気付く。僕もつくづく余裕のない男である。

「お嬢さまが?」
「いえいえ,母です」と打って変わって照れ臭そうな住職。
「そうですよね。先ほど『海ゆかば』が流れていましたから。まさかお嬢さまが『海ゆかば』を弾くとは思えなかったので」

何だか話はまだ続きそうだったが,玄関の処に親父たちを残してきたことを思い出し,デジカメだけ預けて「打ち上げ会場が決まったら携帯で教えて」とひとまず退出する。車内では親父も渡辺さんも満足そうで良かった(親父はB型特有の喜び方だったので,聞いてるこちらが疲れたのだけれど)。くれぐれもドーム戦が終わりませんようにと,どしゃ降りを掻き分け,祈るようにして野田部ビルへ車を急がせた。
親父たちを降ろして,とんくんに電話を入れると,まだお寺にいるので戻っておいでとの返事。これまた,ドーム戦が終わらないように祈祷し乍ら妙法寺へ取って返し,今度は境内に車を乗り入れる。聞くと,中園が着替えに家に帰っているとのこと。でも,もう16時になるよ。
楽屋に戻ると,折りしも,丁度引ける頃合いだったようで,会場が決まらないまま,皆してぞろぞろと境内に出る。雨は多少小降りになったか。折角なので「平さんがゆく!」の表紙用に,鯉昇師匠にも入ってもらってデジカメでスナップ写真を何枚かビシバシと撮る。
処が家に帰ってから気付いたのだが,カメラをズームにして撮った画像はシャッター速度が遅くなるらしく,皆んな一様にぶれまくっていた(このおばかさんっ)。とても「平さん」での使用に堪えないので,どんな有様だったかを此処に一部,公開しておく。

高座を終えて寛ぐやっさん(着替え中) 妙法寺境内にて。向かって左から内浜落語会のスタッフの方,やっさん,そして鯉昇師匠 妙法寺の掲示板を眺める鯉昇師匠

これくらい画像を小さくすると余り気にならなくて良い(笑)。
因みに左端が「高座を終えて寛ぐやっさん(着替え中)」,中央が「妙法寺境内にて。向かって左から内浜落語会のスタッフの方,やっさん,そして鯉昇師匠」,右端が「妙法寺の掲示板を眺める鯉昇師匠」である。

うこうしている内に16時半。
相変わらず天気がはっきりしない上に,ダイエーのドーム戦もそろそろ終わると来れば,もうやがて悪魔のような渋滞が始まる。
やっさん達の出発時刻が19時半,今から近場で店を手配するよりはこの際,空港に向かって,現地で寛ごうという話に落ち着く。

「問題は空港のレストランじゃ打ち上げの雰囲気にならない事だな」
「ターミナルビルの向かいに居酒屋が一軒あるにはあるけど」ととんくん。

空港の傍に居酒屋があるのも凄いが,その居酒屋で呑んだ事があるとんくんはもっと凄い。

「いや,俺の友達で,且つ中園のお客さんが空港の近くに住んでるんだよ」

そうと決まれば,善は急げだ。
着替えに戻った中園が再び車で移動するという心意気に驚嘆しつつも,とりあえず僕のスパシオにやっさん,鯉昇師匠,木部先生を,高原くんの車にその他同級生を分乗させて,西公園から都市高に入り,一路,空港通りへ向かう。
全くどうでも良い話だが,ウチの車はこれで都合4人の噺家さんを乗せた勘定になる。
車内では,やっさんと鯉昇師匠が僕らに気を遣って,色々とおもしろ話を披露してくれるが,余りにも差し障りがあるため此処に書く事が出来ない(泣)。どうしても知りたいひとはメールください(嘘)。
処で「秘伝のたれ」って何だよ? > やっさん

この項,続く。




 049.鯉昇・平治「裏」二人会(その2)

2000/05/27(Sa) 

市高は意外にもちーとも混んでおらず,スムーズに空港へ到着。
高原号より一足先に着いたので,やっさん達がチェックインを済ませているうちに高原組と合流。
成程,二階建て駐車場を隔てた道向こうに「白水」という焼き鳥屋らしき店があるものの,まだ暖簾が出ていない。ロビーのウインドウ越しからメンバー全員で思念を送っていると,17時半になって引き戸が開いたので暖簾が出ていないのも構わずに皆んなして押しかける。本当は18時開店だったそうだが,固い事云わせない。

ひとまず,焼き鳥を盛り合わせで頼む。関東に無くて九州にあるメニューと云えば,まずは豚バラでしょうという話になったら(だいたい俺,豚バラの美味しくない焼き鳥屋は信じない事にしてる),砂肝はあっても砂ずりもないとの事。それは知らなかったわ。まずは乾杯。

鯉昇師匠は気さくで,座が居心地良くなるよう常に気を配られていた。考えてみれば,師匠を除くと後は高校時代のクラス会やってるみたいなメンツだった訳で,さぞかし大変だったのではないか。ある時,自分にはとても幇間は務まらないような事を仰っていたが,この席で自然体で僕ら若輩に気を遣わせないと云うのは,ある種,幇間的気配りだよなあと思う。


話題は,やっさんの十八番のマクラ「郵便配達の恋」が高校時代に横山先生に教わったフランス小噺だという話から,鯉昇師匠の「富の札」で演ったマクラ「米国ジャンケン事情」が実際に今年の1月20日(具体的だなあ)に洋行帰りの或る校長先生から聞いた実話が元ネタだという話へ。

以下,鯉昇師匠のマクラのネタばれを含む(念の為)。
曰く,アメリカじゃ今,日本のジャンケンが流行っているんだそうだが,日本で「グーチョキパー」と云う処をアメリカでは「グーパーチョキ」と云うらしい。
つまり,グーより強いパー,パーより強いチョキで「グーパーチョキ」。グーより弱いチョキ,チョキより弱いパーの日本とは,ジャンケンひとつ取ってみても心構えからして違う。だから元ネタは「日本ももっと頑張らなきゃ」みたいな米国自慢の類だったらしい。
其処で鯉昇師匠,判官贔屓もあったか「大きなお世話だい,そんなもの」となった。「グーパーチョキ」がどれだけ強いか知らないが「グーチョキパー」と順番に闘わせたら,グーは引き分けだけれど,次はチョキが勝つじゃねえか,と,まあこの最后のオチの部分が師匠のオリジナルだったりする訳だけれども,其処らへんが実に旨いですね。

他に印象に残ってると云えば,ある芸人さんが司会を務めた結婚式のお話。

結婚式が始まる直前に,新郎がマリッジリングを家に忘れてきた事に気付いて,ちょっと取りに帰ってくると新郎本人が車を走らせた。で,指輪をひっつかんで式場に取って返したはいいが,これが大渋滞。結婚式の始まる時間はおろか,披露宴が始まる時間になっても,車はびた1メートル動く気配はない。緊張とストレスが極限迄高まる。あろうことか,その新郎,ショックの余り,心臓麻痺起こしちゃって運転し乍ら突然死してしまう。無論,披露宴会場ではそんな事知る由も無いから,芸人さん(敢えて名前を伏せている訳じゃなくて,鯉昇師匠がそのひとの名前を思い出せなかったのだ。「青空…」までしか出て来なかったので「はるお」なのか「千夜一夜」なのか「球児好児」なのか,僕らはおろか,やっさんも判らなかった)は「結婚式が押してまして」「着替えが手間取ってまして」とか何とか必死で引っ張り続けた。やがて,外から新郎急死の報が伝わり,余りのハプニングにスタッフ一同言葉を失った。勿論,新婦に真実を告げられよう筈も無い。結局,その芸人さんは「新郎は新婚旅行の準備に追われていて,会場に来る事が急遽出来なくなりました」と,誰が聞いても納得出来ない説明をして,お客を帰すしかなかったらしい。
そういう事って本当にあるんだね。

(おそらく僕に向かって)熱弁を振るわれる鯉昇師匠。右は木部先生  マダムキラー功くんと鯉昇師匠

尚,上記の写真はとんくんこと熊埜御堂くん提供の打ち上げ風景の一部である。
左から「(おそらく僕に向かって)熱弁を振るわれる鯉昇師匠。右は木部先生」「マダムキラー功くんと鯉昇師匠」である。


あと憶えてるのは,鯉昇師匠の家の前で起きた自動車事故の話。

実は,師匠のお宅の真向かいには内科系の救急病院が建っているんだけれども,或る日師匠がお宅で寛いでいると,外で派手な音がしたので,窓を開けると,左折しようとした乗用車がバイクを引っ掛けて交通事故になっていた。バイクのおじさんはどうやら足を骨折しているらしいものの,気力は充実していたようで「危ないじゃないか」とか何とか運転手に辺りを揺るがす大音声で怒鳴っており,師匠宅の真向かいの病院の窓からも看護婦や警備員が一斉に顔を出して,固唾を呑んでコトの成り行きを見守っていた。
そのうちに警察が来る。バイクのおじさんは見た処,丈夫そうだと云うので,目の前に病院があるというのに事故の検分が始まる。
師匠も,お向かいの看護婦さんたちも声をかけるでもなく,ただひたすら見物「だけ」モードが続いた。
そのうち,救急車(!)が到着する。おじさんの脚を見ていた救急隊員曰く,

「ああ,足を骨折されてるようですね」

師匠がふと真向かいを見ると,看護婦たちが一斉にうんうん頷いている。
どうやら救急隊員の目利きは確からしい(笑)。で,そのまま救急車はドップラー効果だけを残して,事件現場を立ち去った。内科系とは云え(幾ら何でも応急処置や脳波の検査くらい出来るでしょ),目の前に救急病院があるというのに。何事も無かったかのように顔を引っ込める看護婦たち。
「ああ,この病院には行かない方がいいな,と思いましたね」と師匠。ううむ,むべなるかな。


19時になったので,中園・とんくん・僕と,とっかえひっかえ記念写真を撮ってお開きにする。
店を出て,ターミナルビルへ向かう信号待ちの間,実はこの中で独身者がやっさんだけだという事に思い至ったので,皆んなして冷やかす。鯉昇師匠も長く独身貴族を謳歌されていたようだが,4年前に美人の奥様とめでたく結婚されたという事だし。ま,生涯の伴侶ですから慎重に選んでください。こんなもんは縁起物だし(おいおい)。
駐車場におふたりの荷物を取りに行く。
因みに鯉昇師匠は飛行機に乗る時には必ずスティックシュガーが手放せないのだそうだ。
師匠に理由を伺うと「遭難した時にね,砂糖があると生き延びられる期間が全然違うんだそうですよ」
何でも,以前えらく揺れた飛行機に乗った折に,着陸後,乗務員に「もう少しで墜落する処でした」と明かされて,それ以来,飛行機に乗る時は必ずお守りと喫茶店からガメてきたスティックシュガーを荷物に忍ばせておくのだとか。

「それじゃ名前が一枚上に上がれますね」とやっさん。

一瞬きょとんとしてから大笑いする鯉昇師匠。
「そうだね,自然にしててもなかなか上に上がれないからね」
「皆さん,お元気だし」
「どなたか芸協版『会長への道』をおやりになれば面白いのに」と悪ノリして僕。
「今,平ちゃんはまずいよ」と鯉昇師匠が笑う。だって芸協の現会長は文治師匠だ。
「でも馬風師匠も,小さん師匠をネタにされてた訳だから」

ま,そういうのは洒落が洒落になっているうちのお遊びだからね。尤も,昭和の名人たちがいつまでも高座に君臨してくれた方が聞き手は大歓迎だ。そうやって噺家さんの層がどんどん厚くなってくれたら,望外のしあわせだもの。

横断歩道前で他の皆んなと別れて(彼らはそのまま二次会に繰り出したらしい),僕だけ出発ロビーまでやっさん達にくっついてく。「そんな,最后まで見送ってくれなくてもいいよ」とやっさんに笑われたが,傍に居た方が面白い話が聞けるんだもの。実際,鯉昇師匠の二ツ目時代の貧乏話を聞かせてもらえたし。鯉昇師匠がふっくんこと蝠丸師匠とは苦楽を分かち合った戦友だというのもよーく分かった。
おふたりとも,本当にお疲れさまでした。あ,あと,とんくんもね。
個人的には,今回よっちゃんに再会できたのが,いちばんの収穫だったかも。

蛇足だが,空港でやっさんと15年振りに連れションをして発見したことがある。
小用を足すのでも着物を着てると個室に入るのね。やっさんには「着物の裾,思い切りはだけるから」って説明してもらったけど,成程ね。
などとつまらない処にばかり感心するのだった。




 050.大坂・夏の陣とメロン・ポタージュ

2000/05/28(Su) 

から黒崎井筒屋のチケぴに走る。「オケピ!」チケット争奪,大坂・夏の陣である。
10時から5分もしないで,注文出来たのに,もはやS席は無しとの事。一体,どんな仕組みになっているんだよ。とは云え,先月の東京公演席獲りでは慾をかいてA席さえ全滅だったので,深追いは辞めて,2階席最後尾(しかも向かって左端気味)のA席に甘んじる。肝腎なのは,席が何処であろうと,この公演に行ける事にあるし。因みに係のおばちゃんの話だと「『オケピ!』はチケット残数稀少でお並びいただいても確実に入手出来るとは限りません」という通達が来ていたそうだ。何処かで誰かが搾取しているに相違ない。こうなったら是非,再来年には「オケピ!」全国ツアーを展開していただきたい。いや,マジで。
兎に角,どうにか「オケピ!」の世界を堪能出来そうだ。あなうれしや。
これも総て,奥さんのご厚意による。多謝,多謝。

んで,トポスでお使いのDPEを出した後,牛乳,キャベツ,人参などを買って帰る。
上がって来たお宮参りでのスナップだが,なかなかベストショットが揃っている。反フォトジェニックな我が家にしては珍しいのではないか(笑)。

は週越しの懸案だったメロン・ポタージュを奥さんに拵えてもらう。
犬山から送ってもらったメロンはアンデス(果肉が薄緑)とクインシー(果肉が濃い山吹色)の2種類あったのだが,果肉の色的にはこちらじゃないかという奥さんの判断でアンデスメロン(すっかり完熟状態)をデロンギのフードプロセッサにかけてから(しかも丸々一個だぞ)よーく冷やす。白ワインは,スパークリング・ワインだが結婚式の時に稲田さんに貰ったモエ・エ・シャンドンがあったので,それを遂に開けさせてもらった。…我が家の夕食史において,最も贅沢な食材なのは間違いない。
で,デザートよりオードブルで,という掲示板でのアドバイス通り,赤子を脇に転がして,夫婦して早速戴く。いや,バカうま。モスグリーンの色も然り乍らこれが美味しいの何のって。賽の目に切った果肉のさくさく感とクリーミーなポタージュの相性がまた最高である。
おかわりィ…て,これが出来ないのが残念である。

ん…いっそ,もうひとつのクインシーもポタージュにしちゃわない? > 奥さん


曜日に山村聰さんが亡くなった。何と,卒寿の大往生だった。
マスコミ報道では世界進出作ということで映画の代表作に「トラ・トラ・トラ(1945・米)」を挙げているが,僕的にはやはり「東京物語(1953・日)」の長男・平山幸一である(というかこのひとは1950年代だけで監督5本,脚本2本を含めた100本以上の映画に出演しているのだけれど。TVドラマ的には勿論「必殺仕掛人」の元締役である)。これで僕が知る限り「東京物語」に出演されて今も尚,息災な方はよく出来た嫁・紀子こと原節子御大と香川京子(次女・京子。近年では「ワンダフルライフ」で昔と変わらぬしとやかなマドンナを演じておられた),それに桜むつ子(笠さんと東野さんと伸郎さんがぐでんぐでんになる,おでん屋の女将。近頃では「がんばっていきまっしょい」でのおばあちゃん役が記憶に新しい)くらいになってしまった。映画史の生き証人たちが櫛の歯が欠けるようにいなくなってくね,どうも。

山村さん本人は,近年,演出を含めた舞台活動が主になっていたから,90年代の映画出演となると「ゴジラVSキングギドラ(1991)」の総理大臣(当時,映画館でふさふさとしたカツラ姿の山村首相にびっくらこいたものだ),神山征二郎監督作品「さくら(1994)」(これは未見),そして個人的に山村さんの余りの老人痩せ振りに涙した「GOING WEST 西へ…(1997)」の3本を数えるのみだ。結果的に淡島千景が本州縦断して逢いに行く初恋の相手役を演じた「GOING WEST 西へ…」が遺作となってしまった。この映画,志は買うが,結果は買っていないので(失礼)少々残念だが,こればかりは仕方がない。舞台自体も,96年の「女たちの忠臣蔵」で開店休業していたようなので(そりゃその当時で既に御年86だもんなァ),事実上この4年間はリタイア状態だったらしい。足腰来てたって云うしなァ。

心よりご冥福をお祈りいたします。



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