備忘の都 2000 −JUNE〜JULY−  ◆

脚本に取りかかっているあいだはひんぱんに手紙を書いたが、
それというのも、文章が書きたくて仕方がなかったからだった。
逆に言えば、わたしは小説を書いているときには
ほとんど手紙というものを書かない。

小説を書くことによって
自分の文章がすべて費やされてしまうからである。

ジョン・アーヴィング「マイ・ムービー・ビジネス」(扶桑社)


057.木馬,来たる058.マイ・ムービー・ビジネス
060.自虐の詩

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 057.木馬,来たる

2000/06/20(Tu) 

は此処だけの話だが(おいおい),午前中,支社中のPCをVBスクリプトタイプのウイルス,VBS_STAGES.Aが猛威を奮った。
会社で使用されているメーラーはExchangeとOutlookなのだが(ウチの部署はExchange),こいつはOutlookの機能を利用して感染と同時にメーラーに登録されたアドレス帳の宛先全てに洩れなく自分自身をコピーして送りつける。午前中はずっと会議室に詰めていたので,社内メール・掲示板をメールボムが襲った劇的瞬間には立ち会えなかったのだが,お昼休みに自分の席に帰り着いたら,モニタに「メールを開けるな」と付箋紙が貼ってあり,Exchangeの受信トレイには,普段交流のない方々から笑っちゃうほど沢山のメール(件名は全て「Funny」,「Fw:Funny」,「Life stages text」,「Funny text」,「Fw:Funny text」のいずれか)が届いていた。
ワーム実行時には「Notepadを呼び出して,男性と女性の人生に関するジョークをテキストで表示する(間にワームはWindowsに自分自身をインストールする)」というので,不幸にもまんまと貼付ファイル(LIFE_STAGES.TXT.SHS。但し,見た目にはテキストファイルに擬態している)を開いてしまったHさんに気になる「男性と女性の人生に関するジョーク」の詳細を訊ねた処,

「いやあ,それはとても全部は口に出来ないようなあれやこれやで」
「そっ其処を曲げてお願いしますっ」
「そうね,たとえばセカンド・ワイフとかセックスとか」
「おお」
「あー,オレもHさんに見せてもらったぞ」と脇からKさん。
「なるほどっ,それで他にどのようなあれやこれやが」
「セカンド・ワイフとかセックスとか」
「それはもう聞きました」
「他?…そうね…セカンド・ワイフとかセックスとか」
「もしもし」
「いや,全部英語だったんで其処しか覚えてない」
「あ,オレも」

…それは確かに「全部は」口に出来ないわなあ。
かと云って日本語Ver.開発して動作確認する訳にもいかないし。

念の為に断っておくが,勿論,僕のPCは感染しなかった。て云うかこの手のSubject名見た時点で絶対開いちゃダメでしょ。
それだけ此処まで大々的に社内中をウィルスが席捲した事が無かったため,皆の意識が低かったとも云えるのだが,にしたってちょっち恥ずかしいかも(勿論,個々のPCにウイルスバスターはインストール済みだったのだが,今回のヤツとは対応パターンが異なっていたらしい)。

あ,14時くらいまでにはひとまず全支社的に復旧対応が完了しました。ハイ。




 058.マイ・ムービー・ビジネス

2000/07/02(Su) 

日に続いて会社から障害連絡のあったいやーんな休日だったが,気を取り直して,午後から子供を乗っけて高須方面へドライヴ。
奥さんが,こないだアカチャンホンポで購入した特売のミリブ3000(木梨憲武がキャラクターをつとめるチャイルドシートである)の乗り心地(勿論,乗るのは赤子だ)を試したがったもので。
最近出来たのだが,北九州であり乍ら非常に大分ローカルな香りのする「スーパーなかの」「明屋書店」に立ち寄って,明屋ではジョン・アーヴィング/村井智之訳「マイ・ムービー・ビジネス」(扶桑社)を,スーパーなかのでは,野菜諸々食料品を買い込む。ガソリンを入れて,「もち吉」で松平さんに簡単なお中元を選んだ後,ローソンで英ちゃんをたぶらかして誘ったばかり(上演后の平田オリザ・シアタートークで釣った)の「月の岬」(青年団プロデュース+「月の岬」プロジェクト公演)のチケットを買う。発売は昨日だったのにも拘らず,整理券番号付のチケットは7番8番。発売日翌日の夕方なのに,まだ6人しか買っていないとは(そりゃ3回公演だから総売上枚数はもうちょっと行くんだろうけど),これはこれで「オケピ!」には無い悲しみが…。地味だけど,良さげな芝居なんだけどなあ。

行く予定だったレイトショウも返上して買ったばかりの「マイ・ムービー・ビジネス」(扶桑社)を読破する。
昨日「サイダーハウス・ルール」を観たばかりなのも,映画自体のライナーノートとも云える本作を読むのに(そして映画自体により愛着を持つのに)大いに役立った。僕は元々「ホテル・ニューハンプシャー(映画版)」からアーヴィングを知った人間なので(しかも映画自体は気に入ったくせに彼の著作の例外無き分厚さに恐れをなして未だレジまで辿り着いた事がなかった。つまり,これが僕の記念すべきアーヴィングの一冊目なのである),映画原作者としての「彼と彼の映画」というアプローチは非常にとっつき易かった。
彼の作品の映画化は決して珍しくはないにも拘らず「サイダーハウス・ルール」が彼にとってとりわけスペシャリテなのは,最初に脚本を書き始めてからクランクインまで13年の紆余曲折を経たこと,彼が脚色して初めて密接に一貫して映画製作に携われたこと,そして,脚本家として今年のアカデミー賞最優秀脚色賞というかたちで長年の労が報われたことにある。
彼の「サイダーハウス・ルール」脚本執筆の歴史はまた,気が遠くなるほどのリライトの歴史でもある。
ジャンルこそ違えど,劇評や再演,あるいは演出家や役者との理由から上演台本を何度も書き直し続けるニール・サイモン「書いては書き直し」(早川書房)は,上映時間や配給元といった多くの制約の中でより自分らしさ(作家性)を出すべく挑み続けたアーヴィングが必ずよよと泣き崩れる好著に相違ない。ましてや映画の方は完成台本がゴールではない。作家の意は100%汲み取られる幸運はまずありえない。さまざまな要因が撮影時に完成台本をずたずたに切り刻むのを,作家は悲しげな瞳で見守る他ないのだ。それにしても,最終的に監督がラッセ・ハルストレムに行き着く迄に,ウェイン・ワン(最近「地上より何処かに」を観たばかりだ)やマイケル・ウィンターボトム(このひとの映画は「ウェルカム・トゥ・サラエボ」以外全部観ている)といったそうそうたる面々を介していたとは驚きだった。アーヴィングの原作なら,という名匠,或いは名優はごまんといるのだ。

映画と本を続けて堪能したら,4年もの間積ん読していたロジャー・ローゼンブラット/くぼたのぞみ訳「中絶」(晶文社)を久々で手にとってみたくなった。アメリカでの中絶の歴史は中絶容認派(プロ・チョイス)と中絶反対派(プロ・ライフ)の抗争史と読み替えても良い(ちなみにアーヴィングはプロ・チョイスの立場をとっている)。僕がほったらかしておいたこのメディアル・レポートの中核をなすのは,プロ・チョイスとプロ・ライフとの混沌(カオス)にある。つまり,双方の考え方に理があるとし,矛盾を孕みつつ,その状況をこそ受け入れようというもの。さて,暇を見つけて本を開いてみますか。

ウォルター・マッソ死去。享年,79歳。「おかしな二人2」を観に行っといてよかった。
ジャック・レモンは,ニール・サイモンは,戦友の死にどんなにか力を落としているだろう。

今日の読書:ジョン・アーヴィング/村井智之訳「映画の中のアーヴィング マイ・ムービー・ビジネス」(扶桑社)



 060.自虐の詩

2000/07/10(Su) 

発売されたものの,なかなか邂逅を果たせない小松左京「虚無回廊V」(角川春樹事務所)の情報を得るべくもぎたてgoo「虚無回廊」で検索したら,我が電網天動説で瀬戸口くんの書いた[特報]「オンデマンド版小松左京全集」関連記事がうじゃうじゃと出てきてずっこける。僕は別に身内の記事を再確認したかった訳ではないのだ。あそこにも不用意に余計な事が書けなくなったなあ。

いう訳で,英ちゃんに借りた業田良家「自虐の詩(上)(下)」(竹書房文庫ギャグ・ザ・ベスト)を一気読みする。
先週,英ちゃんと電話で話した時に「何,読んだことがない? それは一大事」 みたいな感じで即行で貸してくれたのだが,成程,彼の琴線に触れるものは僕の琴線にも触れる,けだし名作漫画であった。

まず,80年代後半のバブル絶頂期への5年間に,時代と逆行するかのような貧窮と不幸とどん底にあるシチュエーションの4コマ漫画が長期連載されたという奇跡。最初の不幸自慢のような生活ギャグ4コマは時を経るに従って,幸江さんを始めとする各キャラクターへの愛着(普段ツキから見放された不美人だからこそ,内縁の夫に甘える時,彼女のかわいらしさが全開する。ひとり寝の淋しさに蒲団を抱き,イサオさんのセーターの匂いを嗅ぐ幸江さんの愛らしさは,最も普遍性のあるいとおしさと云える)が,無闇に切り離すことの出来ない物語を生み,幾多のフラッシュバック技法の駆使から遂には熊本さんが登場するに至って,本来なら華やかな表舞台に出る事がない筈のひとたちを軸に据えた大河ドラマの様を呈してゆく。やがてバブルが崩壊しようとしている末期的状況下でこそ光を放つ「人生には幸でもなく不幸でもなく、意味がある」大団円。
宮崎駿の「風の谷のナウシカ」を例にとるまでもなく,醸造時間の長さが小さな物語の積み重ねに大きなうねりとカタルシス(幸江さんをシャブ中の立ちんぼにまで貶めるとは僕の想像を遥かに超えていたけれど)とを与え,とうとうこんなお化けマンガにまで進化させてしまった。勿論,掲載誌が一般誌の週刊宝石だったのは決して偶然ではなかったと思う。

そりゃ,内田春菊も泣きっぱなしになる訳だ(彼女の場合は幸江さんの人生と重なる部分が多過ぎるんだけど)。
僕も4コマ漫画で泣いたのは(ラストスパートは4コマに割り振っただけのストーリー漫画と化していたが),初めてである。
それにしても,20年後の熊本さんのリアリティだけを取ってみても,ものすごい作品だと思う。
英ちゃん,どーもありがとね。

今日の読書:業田良家「自虐の詩(上)(下)」(竹書房文庫ギャグ・ザ・ベスト)


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