備忘の都 2000 −JULY〜SEPTEMBER−  ◆

私は江戸と江戸弁に愛着を持っている。
ところが、今や関西弁が全国を席けん。
駅のアナウンスが「向い側の電車にお乗り換え下さい」と言う。
江戸では「向こう側」。
時代劇で「やかましいやい」とタンカを切っていたが、
江戸弁は「うるせえやい」である。

桂文治「ひいきの社長」
(日本経済新聞2000年7月27日朝刊)


061.聞いてくれてる人062.百日祝い・アネックス063.虚無回廊III
064.夢きらら065.尺蠖の屈めるは伸びんがため

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 061.聞いてくれてる人

2000/07/28(Fr) 

ちょっとせつなかったこと。

僕は社宅の4階に住んでいるのだが,4階から3階へ降りる踊り場の天井付近に万年床の如く例年再利用されるツバメの巣がある。とは云え,去年などすっかり見限られたようで巣作りをしてもらえず心なし淋しかったのだが,今年はイキのいいツバメが崩れかけた巣の入り口を補修していたので思わずにんまりとしたのだった。
でも今朝,会社への出がけに,踊り場に落下して息絶えている雛鳥を見つけた。
子を持つ親になったぶんだけ,余計に胸が塞いだりするものなのです。

そして,ちょっとうれしかったこと。

以下,武田鉄矢承認サイト「時流歩」掲示板「レスパイト」からテキトーに引用・加筆訂正する。

◎くらたさんからの質問。解答。 投稿者:チニタ 投稿日: 2000/07/23(Sun) 19:09:38 No.102

Q 「新しい人へ」を繰り返し聴いて気付いた事ですが、その昔「鉄矢のにっぽん人国記」という番組で流れた「道」という唄が元ネタなのではないでしょうか? 「道」という唄は山口・萩篇のエンディングで千葉(和臣)さんが歌ったのですが,似ているというか同じ気がするんです。
A 千葉さんに伺ったところ、「そうです。聞いてくれてる人は聞いてくれてるんだぁ」との事でした。(笑)



Re: ◎くらたさんからの質問。解答。 くらた - 2000/07/28(Fri) 12:33:14 No.120

くらたです。
いやあ,久し振りに来た甲斐がありました。

ちなみに件の「道」の歌詞はさすがにJASRACには抵触しないと思うのですが,それでも気になるようでしたら削除してください。>チニタさん
いわゆる「何の花だろう」のメロディから以下の歌が続きます。

********************************

肌の痛みを忘れた 川の流れも
時の重さに 息をひそめる
悲しみを背負った 顔をするのはもうよそう
心のままに 旅を続ける

********************************

「道」という歌自体は此処で終わりますが,「新しい人へ」はこのあと「ペーダールをこーいでー」と続く訳です。
感激です。チニタさん,どうもありがとう。

実際,千葉さんに貰ったコメントは海援隊ヘビィ・リスナー冥利に尽きる。
長らく,応援を続けてきた甲斐もあろうというものだ。



CX系金曜ヒューマンエンタテインメント「最後のストライク〜炎のストッパー津田恒美・愛と死を見つめた直球人生」を後半部だけちらりと観る。
ドラマの中身もさる事乍ら,癌から生還した松原敏春がホンを書いた事こそが意義深い。僕などそれだけで涙が出てしまう。

こないだ読み終えた本:崎山克彦「青い鳥の住む島」(新潮文庫),斎藤貴男「カルト資本主義」(文春文庫)



 062.百日祝い・アネックス
2000/07/29(Sa) 

午前中は,スタジオ・アリスへ子供の百日(ももか)祝い(ホントは116日目なんだけど)の写真を撮りに行く。
GWにやはりお宮参りで両家揃いの家族写真を此処で撮ったのだが,その時,店中に飾られていた赤子のコスプレ写真に魅入られた奥さんのたっての希望である。で,タキシードと桃太郎とお祭りのはっぴの3パターンを選択。奥さんが控えめに希望していたドレス(おい!)とミツバチと天使の衣裳は却下した(尤も彼女は子供の機嫌さえ良ければ,天使も狙っていたらしい。結局,悠都がむずかってぽしゃったけど)。

いずれにしても子供と動物は大人の云うことなんか聞きゃしないから,お色直しが二度もある悠都の撮影も難儀を極めた訳だが,あそこのスタッフ(おねーさん達)の子あやし技術はかなり大したものである。カメラと子供の間に立って小器用に機嫌をとるお手並みもなかなかのものだが,子供がちょっとでも笑うが早いか,ものすごくキレの良いスナップでカメラのシャッターを切る手際は,もはや至芸と云って良い。それまでにこにこしてたおねーさんの形相がシャッターを切りざまに「うおりゃっ」「こなくそっ」「しゅわっち」と変わる瞬間がまた良い。誇り高き職業婦人に暫し見とれる。僕が以前通っていたヘアサロンの,頬や鼻筋にカットした客の髪の毛をつけたままレジに立つ美容師のおねーさんくらい恰好が良い。
そして,奥さんの子供コスプレ熱も当分治まる気配は無さそうだ。



昼間は会社の電話対応でせわしなく過ぎたので,夜は口直しに中間へレイトショウ。
今夜は,邦画界の奇跡と謳われた「ジュブナイル(2000・日)」。夏休み期間中は土曜の夜も一律1000円にしてくれるなんて,えらいぞ,AMC。
で,肝腎のお話は,まごうことなき血沸き肉踊る少年少女アドベンチャーと云って良い。
云って良いのだが,途中まで観ているうちに,はたとこの物語のネタ元に気付いた。

以下,ネタばれを「大いに」含む
数年前,F先生没後に「ドラえもん」の最終回としてネット上で,ある大学生の創作が一人歩きしてしまった事があった,この映画の感動の根幹をなす筋はまさしくアレである。即ち,壊れてしまったテトラ(ドラえもん)を,いつか直す為に勉強した結果,大人になった祐介(のび太)自身がテトラ(ドラえもん)の開発者になっていたというオチである。
おいおい…と映画が終わってエンドロールを眺めてみれば,後半に「For Fujio・F・Fujiko」の文字。
少なくともF先生には「はっきりと」作品自体を捧げているみたいだ。
そういう視点で照らしてみれば,ロボットと少年という関係性のみならず,確かにヒロインで幼馴染みの岬は,二〇年後に祐介の奥さんになっているし,友達の秀隆と俊也はまさしくスネ夫とジャイアンなのである。そして,全篇の隅々にまで行き渡った「少年時代」という名の郷愁。土管の空き地こそ出てこないものの,広すぎる真夏の空と昭和を感じさせる海沿いの町の風景は,僕らが子供の頃からずっと「ドラえもん」に感じ続けている或る憧憬の別ヴァージョンに他ならない。んで,達郎の「アトムの子」が効果的に使われているのがまた何とも。結局,達郎にとっての「アトム」と僕らの「ドラえもん」ってのは全くの同義語だからね。

確かに,あの「最終回」をテキストに留めたままにしておくのは勿体無いとは思う。
でも黙ってやってるんだとしたらやっぱマズいよなあ,とは思うけれど,実際の処はどうなんでしょうか。
エンドクレジットの中にディレクターズ・サンクスという項があって,佐藤嗣麻子他数名の名前があったけど,或いはあの中にくだんの学生さんの名前が混じっていたのかなあ。ご存知のひとがいたら,教えてください。

ま,その一事をもって,この映画の出来が損なわれる事はないけれどね。

今日観た映画:「ジュブナイル(2000・日)」



 063.虚無回廊III

2000/07/30(Su) 

小松左京「虚無回廊III」(角川春樹事務所)読了。
雑誌連載中は単行本化を待って読み飛ばしていた幻の長編である。ちんたら読み始めたつもりだったけれど,一旦勢いがつくとやめられなくなっていた。圧倒的な情報量に圧倒させられるイメージの奔流,何だかよく分からないのにページを手繰る手が止まらない。んなアホなと思うなかれ。やはりもの凄い物語なのだ。

月刊誌がぽしゃっても尚,季刊誌A4版となって頑張っていた「SFアドベンチャー」が遂に力尽き廃刊したのが92年の秋であった。かの物語が雑誌と運命を共にして凡そ8年,はっきり云って続刊などないものと思っていた。それどころか,再び小松御大が「小説を書く」可能性についてですら諦めていた(実際,此処10年の著作と云えば,随筆か聞き書きか復刻しかなかったのだ)。其処にオン・デマンド版で「SFアドベンチャー」廃刊までのぶんを一冊の本として編むという通販の話だ。すぐに飛びついた瀬戸口くんに続き,僕も即刻買わねばと焦りつつ,いつもの性分でついダラダラしていた。

僕がそんな逡巡を過ごしている間に,山が動いた。5月の風薫るSFセミナーにて,ゲストに迎えられた稀代の編集王・角川春樹社長が「これからはSFの時代」だとぶちまけた。
本当にSFの時代が到来するかは問題ではない。大切なのは,ハルキ文庫が当の昔に絶版となっていた日本SFを次々に復刻する事,そして,かの「虚無回廊」の未刊行ぶんをハードカヴァー化し,あの小松御大の尻を引っぱたいて物語を完結させると嘯いた事にある。
春樹社長はかつて隠棲し,世間から忘れ去られていた横溝正史を穴ぐらから引っ張り出し,現役ばりばりの流行作家に引き戻した大いなる「実績」がある。実際,横溝翁は「仮面舞踏会」「病院坂の首くくりの家」他,数々の新作大長編を執筆し,遺作「悪霊島」は古希を過ぎて尚,創作意欲に満ち満ちた中で書き上げた。構想だけは出来上がっていたという次回作「女墓を暴け」を頭の中にしまったまま世を去ったのが返す返すも惜しまれる。
などと,またしてもとめどなく話がそれたが,僕らは,少なくとも僕個人は「春樹社長なら或いはやってくれるのではないか」と淡い期待を抱いた。其処へすぐさま今度の「III」刊行の話である。尾羽打ち枯らしたとは云え,妖怪・春樹社長の有言実行振りには恐れ入る。しかも出前迅速・落書無用の早業である。とにかく,この件に関して春樹社長はえらかった。

しかも巻末には小松御大と堀さんとの鼎談を収録してある。このお得感。かてて加えてオンデマンド版より廉価でもある。尚且つ,小松先生自らの書き下ろし(笑)あとがきもついた。あまつさえ,あとがきを読む限り,小松先生には完結の意志と,実際に構想作業に入っている事が伺える。この処,たとえば小松先生が大原まり子らと語る時,作家としての己が未来に目が向いていないような気がして,或いは後輩らが語るインターネット出版事情を興味深く聞く余りに受動的なスタンスに,先生がひどく小さく見えて悲しかったのが嘘のような頼もしさだ。素晴らしい,という他ない。
折角の好機なのだから,どうぞ波に乗ってください。そして老骨に鞭打って「IV」「V」と書き下ろしてください。もう余計な博覧会のプロデュースなんかしなくていいです。

でも,春樹社長,映画化だけは考えちゃ駄目だからね。



夜,ハハと妹たちが赤子に逢いにくる。
それにしても,ウチのかーさん壊れすぎ。悠都を見るより,彼をあやす「新米祖母」を見る方がうんと面白いというのが,僕を含めた彼女の子供たちの一致した見解であった。初孫の威力,強大なり…。

土産に「湖月堂」の栗饅頭を貰った。
賞味期限が金曜までの饅頭を二〇個も二人家族(この場合,赤子はカウントしない)に持ってきてどーすんだ,などと呆れ乍ら,その夜のうちに五個消化していた(断っておくが僕が食べたのは二個である)。こりゃどうも賞味期限を心配する必要ははなっからなさそうだ。

真に呆れられるべきなのは僕ら夫婦の方かもしれない。

今日観た映画:「あの子を探して(1999・中)」「ミラクル・ペティント(1998・西)」



 064.夢きらら

2000/09/03(Su) 

とうとう日記をひと月サボってしまった。此処までサボるといっそ清々しい。
まあ,親父が倒れたりとか,この夏オレ的にはたいそう色々あったのだけれど,こういう処でぬけぬけ書いていいものかどうか迷うネタばかりなのが困る。もうちょっと落ち着いたら,自分の備忘のために書き残すかもしれない。
あ,文治師匠に丸髷の女性の色紙を送っていただいたのは他人さまに自慢出来るかも。いや自慢させてください。いつもいつも何かと心を割いていただいて有難い限りである。
それにしても,あれだけ余分な線をはぶいてあれだけをんなの色香を描ける文治師匠にはひれ伏すより他ない。小股の切れ上がったいい女というのをうなじのラインだけで全て描き切っておられる。兎に角「うへえ」と唸るばかりだ。

今朝,北海道帰りのY田さんが我が家へ土産を持って来てくれた。
お菓子の詰め合わせである。北菓楼の「夢きらら」と六花亭の「ベビイ・チョコレート・ミックス」「白樺羊羹」。白樺羊羹は「倉田くんは羊羹が好きだから」と,わざわざ後から付け足していただいたものらしい(因みに以前,此処で紹介したバナナ羊羹といちじく羊羹はFromY田さんである)。確かに先々月,大阪に「オケピ」観劇に行った折に紫芋のわらびもちをお土産に買って帰ったが,これはまさに3倍返しである。別名「海老で鯛を釣る」とも云う。Y田さん,本当にありがとうございます。今度は熊本メロンドームで是非美味しいメロンをお願いいたします(これこれ)。

お土産と云えば,こないだ英ちゃんに貰った佐賀錦も美味しく食べさせていただいております。神崎素麺も後日ゆっくりいただきますので。
あとは糸島のおじさんに貰った「長崎物語」,これが見事「博多の女」と同じお菓子で。思わずモダンチョキチョキズのCDを引っ張り出してしまいました。「ああ,三つとも同じ味だった 包み紙だけバラバラで〜」本当にありがとう。

ひとしきり色んなひとにお礼を書いたが,で,早速賞味期限が今日までだった「夢きらら」を夕食のあとにいただく。
これは要するに「ごまだれもち」。北海道産米の「きらら397」をもち生地に使用しているから「夢きらら」の名がついた。
二口サイズほどのつややかなもちに黒胡麻の粒が散らしてあって,半分口にすると中から甘さ控えめな黒胡麻だれがどろりと出て来る。
胡麻の黒って何かお菓子から遠い気もするが,これがなかなかの美味。でも,これって頑張ったら「いしむら」が開発してくれそうな気も。

これで当分,甘味ものには困らない。
奥さんに云わせると,甘いものを食べた翌日は母乳の出が良いらしいので,彼女にとっては甘いものに事欠かない生活も悪くはないのだが,殊,オレに限っては母乳出ないしなあ。折角だから,何かで還元出来ないものか。例えば,甘いものを摂取したらしただけギャグの切れがやたら冴えるとか。で,冴えたぶんは肉とならない,血に還らない。ううむ,まさに理想的なエネルギー循環である。

今日の読書:近藤誠・中野翠・宮崎哲弥・吉本隆明ほか「私は臓器を提供しない」(洋泉社・新書y)



 065.尺蠖の屈めるは伸びんがため

2000/09/07(Th) 

近頃,悠都が夜泣きをするようになった。
いや,正確には今までだって適当に(適当というのもおかしいが)夜半に起こされたりしていたのだが,最近のはちょっと違う。
夜,今の処,我が家では大体「川」の字になって寝ている。さすがに「河」の字になっては寝られない。
川の字になりたて(ヘンな表現)の頃は,母親か父親が赤子を踏み潰したりしないか些か心配だったが,よくしたものであれだけ寝相の余り褒められないおかあさんも何故か息子だけは器用によけて眠る。無論,僕も同様である。
悠都自体の寝相はかなり悪いのだが,不思議なもので僕らが彼を下敷きにすることは決してない(今の処)。ま,奥さんにいたっては夜中に数度は彼の世話をしているのでひょっとすると熟睡出来ていないのかもしれない。

それが数日前くらいから,夜中に僕らを起こす悠都にある変化が訪れた。
いつものように彼の泣き声で目を覚ますと,彼は敷布団のてっぺんから丁度,首から上だけ畳に落として,息をしにくそうに(当たり前だ)うんうん唸って「オレを元の位置まで連れ戻してくれ」と嘆いている。無論,仕方がないので僕としては彼を定位置まで引き摺り下ろしてから再び眠りに落ちる。
次に目覚めると,彼はやはり頭だけ布団から飛び出して,自ら気道を確保している(をいをい)。
またまた定位置まで連れ戻すと,今度は眠らずに彼の様子を観察してみた。
暫くすると,彼は「うーん」と仰け反り乍ら,尺取虫のように上へとずり上がった。黙って見ていると,再び真っ赤な顔をして「うーん」と身体を弓なりにしてまた少し前進(上進かもしれない)した。放っておくとこれを繰り返す。挙句,そうやって畳まで到達してから「返せ戻せ」と訴えているらしい。

こうしてせり上がりのメカニズムは何となく分かったが,幾ら「尺蠖(しゃっかく)の屈めるは伸びんがため」とは云え,親たちにとっては迷惑なことこの上ない。僕らが目を覚まさなかったら殆ど自殺行為に等しいのだが,そのへんこの子はどういうつもりなんだろうね。
あと,こやつは自力でうつ伏せにはなれるけどまだ元に戻れないのだが,夜中起こされると突っ伏して泣いているとか(頭,重そうだもんね)。

かくして,今宵もこうして日記を書いている間にも,向こうの部屋で畳に落ち込んで「返せ戻せ」と泣き喚く悠都の声が聴こえる。やれやれ。



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