備忘の都 2000 −OCTOBER−  ◆

我々中国人がこれから立ち向かうのはアメリカ・ヨーロッパ・日本だ。
中国を単なるマーケットとしか見ていない彼らの国に
英語を使える中国人がこれから進出するのだ。
そして、カネを儲けてやるのだ。

「瘋狂英語(1999・中国)」より
李陽先生のおコトバ


091.メランコリー・ベイビー観劇報告092.巻き爪
093.スーツにサンダルはいかがわしい094.のせきるしこ
095.コジマよりヤマダ

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 091.メランコリー・ベイビー観劇報告

2000/10/23(Mo) 

先週,東京の友人から「メランコリー・ベイビー」の観劇記が届いた。
かなりの労作でお芝居への愛情に溢れていて,僕との書簡にとどめておくのは余りに惜しかったので,彼女を拝み倒して本日,此処への転載を許可してもらった。僕と同じくかの芝居を観れずに地団駄を踏んだ地方者はこれで少しでも臨場感を感じてもらえたら幸いであります。



「メランコリー・ベイビー」
 劇団 遊◎機械/全自動シアター
高泉淳子
 演出 白井晃
 自動人形作 ムットーニ
 出演 高泉淳子/白井晃/筒井道隆
ムットーニ/福井貴一
 日程 2000年10月13日〜10月25日
 会場 青山円形劇場

さて先日「メランコリーベイビー」行ってきました。
今回は筒井道隆もさることながら、自動人形師ムットーニを迎えてのお芝居ということでどんな感じになるのか、期待しておりました。

お芝居の内容はこんな感じ(説明があんまし上手じゃないのはカンベンしてね)。



舞台では自動人形師ムットーニの「メランコリーヴィーナス」が演じられている。
ムットーニの口上と「メランコリーベイビー」をBGMに箱の中から現れ、輝き、消えていくメランコリーヴィーナス(すごく幻想的でキレイだった)。それを見ていた作家志望の青年(筒井道隆)。
彼はムットーニに言う「すごく感動しました。ちゃんと始まりがあって終わりがあるところがよかった」と。
そして自分が未だ一つの作品も最後まで書き上げたことのないオレンジ作家(みかん<未完>の作家)だと。
ムットーニは問う「終わりが見つからないのですか?あなた自身が終わりを望んでいないのではないですか?」。
「そうかもしれない・・・」
そう考える中、彼はムットーニの自動人形の世界=彼自身の未完の小説の世界に入り込んでいく。

路地裏の階段を降りた地下にあるジャズバー<メランコリークラブ>。
その昔、少しは人に知られたトランペット吹きだったが、今は流行らないジャズバーを経営するハンパー(白井晃)。
(なぜトランペットをやめたか、聞くも涙語るも涙の話があるらしい)。
ちょっぴり皮肉屋だけど根がやさしくて、売れないミュージシャンの面倒ばかり見ている。
ステージングには超こだわり(但し超クサイ演出)ながら、腕はからきしなコルネット吹きチャット・ベイカー(福井貴一)。
そこに歌手募集の張り紙を持って現れるティーホリック(高泉淳子)。
彼女は対人恐怖症の歌手。気持ちを落ち着けるために紅茶をいつも飲んでいる。
歌はうまいけど人前では緊張して歌えない。
客の前で歌えない歌手はいらないというハンパーに彼女にチャンスをというチャット。
お喋りで強引で演出がクサくてコルネットがド下手なチャットに反発するティーホリック。
だけどお互いに何となく惹かれあうものがあって恋に落ちる二人。

「恋をするってパセリをホントに好きになるようなもの。初めはキライでも
 味わってみると美味しくてクセになって、無いと寂しくなってしまう。」

登場人物たちに作者として、傍観者として、また自分自身が登場人物の一人になってかかわる青年。
望遠鏡で星を見るのがスキなティーホリック。
「こうやって望遠鏡で星を覗いてるとあっちからも誰かが覗いてるような気がしない?」
「僕の母も望遠鏡で星を覗くのがすきだったんだ」と語る青年。
このあたりからこのお話が彼の母親の話なのかな?とにおわせ始める。

チャットとティーホリックはお互いに愛し合っていることに気付く。
チャットは「一緒に組もう」「一緒になろう」と2度プロポーズしていた。
ティーホリックは「私と組みたいの?それとも一緒になりたいの?」と聞く。
「どっちも」
「それは出来ない。どちらかにして。私は愛する誰か一人の人のためだけに歌いたいの」
押し問答が続く。

チャットは
「コルネットを吹いてるときの自分が本当の自分。そうでないときの自分はただの抜け殻。
 本当の自分じゃないときに君と一緒にいたくない」。

ティーホリックは
「歌っているときは自分を忘れたくて歌ってる。歌ってる自分は本当の自分じゃない。
 歌っていないときが本当の自分。本当の自分じゃないときにあなたと一緒にいたくない」。

ここで3人の登場人物たちと作者である青年は解決策をひねり出そうと考える。
この物語の設定をそもそも変えようと、いろいろ考えるがうまくいかない。二人は別れるしかないのか?
スーツケースを持って立ち去るティーホリック。
実はここでこのお話の筆は止まったままなのだった。

青年は言う。
「行かないで。僕にはどうしても二人が別れなくちゃならないとは思えない。
 でもこの話の最後は二人が別れるんだ。」

ここでチャットのチャコールグレイのスーツの内ポケットから一枚の写真が取り出される。
「1969・10・20メランコリークラブにて」と裏に書かれた写真には若き日の青年の母親を真中に二人の男が写っている。一人は今の青年に少し似ていて片手にコルネットを持っている。洋品店を営みながら女手ひとつで青年を育てた母。いつもミシンを踏みながら「メランコリーベイビー」を口ずさんでいた母。望遠鏡で星を眺めながらなにかを考えていた母。
青年が大学二年のとき亡くなった母の部屋を整理していて見つけた丁寧に仕立てられたチャコールグレイのスーツと一枚の写真。青年は父親について何も聞かされていなかった。二人はなぜ別れてしまったのだろう?
望遠鏡で覗く星の光のように過去なのに今光り輝き、さまざまに思い巡らされる人や場所。

ティーホリックは言う。
「私が不幸じゃなかったかって思ってるんでしょ? 私は幸せだったわ。
 ただ一人の愛する人、あなたのためだけに歌えたんだから。一緒にいることだけが幸せじゃないの。
 こうやって星を見ながら、同じように星を眺めているかもしれない遠くの誰かの幸せを願うのも幸せなのよ」

チャットは言う。
「一緒にいることで完全な幸せが得られなくても、少しぐらい不幸でもそれでも一緒にいよう。
 そう言いたくてずっとここで待ってたんだ」

青年は言う。
「僕はあなたに会って言いたかった。中学のころからずっとブラスバンド部でコルネットを吹いていたこと」

過ぎ去ってしまった過去に向けて始まっていた物語。
そしてこのお話はムットーニの自動人形のように最後に一番美しい光を放ちながら終わる。
終わりの無い終わり。それぞれの心の中に見つかるかもしれない結末。



ってな具合でしょうか?
台詞は大体こんなニュアンスだったかな?というレベルです。
はっきりしてる筋だけ追うとなんか伝わらない気がして。
せつない、いいお話でした。
ティーホリックが人前で歌えなくなってしまう、愛する人のためだけに歌いたい理由がまたええ話でした。
全体の話は確かにせつないメランコリックなお話なんですが、登場人物がどこかミョーなひとばかりなので笑えました。おもしろかったです。

筒井道隆ってほんとにフツーな雰囲気。少しテンポがずれてる天然ボケ。
演技でああなのってスゴイ気がする(ホントにぼーっとしてんの)。
ナマで見るとけっこうイイ男だった。

福井貴一はまったく知りませんでした。暑苦しいけどイイやつチャット。
実際なかなかハンサムでしたし。

ムットーニは、かなりアヤシイ雰囲気持ってて、これがなかなかよかった。
ただ彼の自動人形って両手で楽に抱えられるくらいの大きさなので客席からはよく見えないんだよね・・・
ぴかぴか光りながら音楽に合わせてゆっくり微妙に動くとこがステキなんだけど。
というわけでメイキングオブメランコリーベイビー展(?)というのがあるようなのでじっくり自動人形見に行ってこようかなと考えております。
セットも照明も凝ってて美しいよい舞台でした。


力作のレポートに多謝。
今年は全然観ていないと云い訳しつつ,私めも「蜷川テンペスト」PARCOプロデュース公演「オケピ!」,そして青年団プロデュース公演「月の岬」と,書いておかなくちゃならない観劇録が大いに溜まっております。日々是反省と嘆息の季節。ふッ,秋よねえ。
そしてココロは来年上演する「竜馬の妻とその夫と愛人」へ飛ぶのだった(こらこら)。




 092.巻き爪

2000/10/25(We) 

今日は,井沢先生の処のBBSに書いたものをそのまま転載する。
はっきり云って,今日の日記のメインディッシュにあたる部分は全て其処にぶちこんでしまったので。



突然ですが、今朝、巻き爪の手術をしてきました。
元々僕には深爪するきらいがあって、6〜7年前にも一度巻き爪の手術をやっているのですが、その時余りにも痛かったので去年の秋くらいに右足親指の巻き爪が再発した折りにも、何とか痛みを騙し騙ししていたのですが、油断していたらこの春、左足親指にも転移(笑)、妻の足が軽くぶつかっただけでも悲鳴をあげるくらいに事態は進行していたのですが、やはり仕事と雑務と休日は遊びにかまけて治療を一日延ばしにしていました。

で、先生の「つま恋」で珠美さんがやはり巻き爪に悩むくだりがあって、彼女に共感しつつ本を読み進めていると、其処で語られる巻き爪の最終形態をはるかに通り越し、尾籠な話ですが薬局の店先の患部の大写し写真みたいな状態になっているのを自覚するにいたり(やれやれ)、重い腰をようやく上げた訳です。という訳で、僕が手術を決意したのは珠美さんのお蔭なのでした。

とは言え、両足を一度に手術してしまうと、歩けなくなるし、風呂にも入れなくなると、今村昌平監督に面差しと貫禄の似た老医師に云われ、今回はまず状態のひどい右足のみを手術した訳ですが、これが痛いの痛くないの此処5年間で最大の激痛を体感しました。まず手始めに親指の爪の付け根に局部麻酔をするんですが(って、痛い話が駄目な方は読み飛ばしてください)、これ自体、とり・みきの「痛い話」の各エピソードを総動員して患部の一点に注ぎ込んだみたいなありさまで、地元小学校の検診もやっているという老医師の「ちょっとチクッとするからね」のあてにならない事ならない事。術中の思考が全て濁点つきになるくらい痛かったんです。

「(歯を食いしばりつつ)す、すいません、かなり痛いんですけど…」
「痛いですよねえ。うん、痛い痛い」と看護婦さん。
「…うぐぐぐっ」
「痛いでしょうねえ、そうでしょう」看護婦さんの励ましにならぬ励ましは更に続きます。

鋭い痛みが親指をえぐっていたのがそのうち、ぱつん、ぱつんと爪が切られていく感触が局部から全身に伝わってきて「こ、これでそろそろ」と息を抜いた途端に、今度はぎゅうっと力業で患部を圧迫して膿を押し出され、気が遠く…なればいいんですが、そうはならずに次々に押し寄せる激しい疼痛の波に堪え忍ぶ10数秒間がまた長かった…。

痛みの持続時間が長いと息継ぎの仕処が判らなくて…ずーっと気が抜けないという状態はかなり辛かったです。手術自体は5分程度で終わったのですが、「終わりましたよ」の声を聞いてもぐったりとしてすぐには起き上がれませんでした。

「先生…やはり指先には痛覚というか神経が集中しているものなのでしょうか」
「いえいえ、あなたが早く来ないからですよ」
「がっくし」

結局、外せない用事があったので術後にも拘わらず出社したのですが、今かなり後悔している処です。これは有休をとるべきでした。調べものがあって資料を取りに行ったり来たりするたびに鈍痛が走るし、まるでモンティ・パイソンの「ヘンな歩きかた省」みたいな歩行になっているため、歩くだけで人目を引くし、その度に同じ説明をしなければならないし、と全くさんざんであります。
しかも、この10日後に左足の手術をやるとのこと…嗚呼、「つま恋」を去年出版してもらえばよかったですう(涙)。

と、つまらんレポートをしてしまいました。ごめんなさい。
処で、「つま恋」の巻き爪のくだりはやはり井沢先生の経験談なんでしょうか。
(後略)


一応,補足。

実を申せば,初診は昨日であった。しかも,午前休まで取って臨んだ。
でも,ひとまず今后の治療の方針と,術前の準備としてその日一日化膿止めの抗生物質を服用するという事で,処方箋を書いてもらっただけで終わり,仕方が無いので3ヶ月振りに散髪などして,頭だけさっぱりしておいたのだった。仕事の方はちっともさっぱりしなかったのだけど。それは今日とて同じことでした(これは補足じゃなくて蛇足)。

夕刻,定時退社した後,奥さんと悠都を拾ってバンドールでサンダルを探すが,使えるサンダルがひとつもない。
会社でY田さんに履かせてもらったサンダル(バンドールで買ったそうだ)はなかなか良さげだったのに。
無いものは仕方が無い。明日の帰りに戸畑サティで探す事にする。

今日の読書:宮本輝「睡蓮の長いまどろみ 上」(文藝春秋)



 093.スーツにサンダルはいかがわしい

2000/10/26(Th) 

手術翌日は傷の具合を診るからと云われたので,今朝も引き続き病院に顔を出す。
でも,先生の前に足は差し出したものの,目の前で若い看護婦さんが包帯を巻き代えただけで,先生はチラリと僕の親指に秋波をくれただけだった。包帯の巻き替えに(「一日置きにいらっしゃい」と云われた)一回500円かかるというのも考え物である。ま,今日は化膿どめの薬が切れかかってたから,どうせ処方箋書いてもらわなきゃいけなかったんだけど。
ま,術後に一回痛み止め(セデスG)を服んだ以外は,我慢出来ない疼痛でもなかったし(これで左足の手術時に痛み止めの追加購入は不要だなっ),ひとまずサンダル(ベランダ用のぼろっちいヤツだけど,履き心地がいいので今回サンダルの買い物は見送る。というか,季節が過ぎたせいで品薄なのね)を履いてるぶんには,モンティ・パイソンにリスペクトして歩かずともすんでいる。

このぶんだと週末は予定通り福岡へ映画に行けそうです > 奥さん。
だって「ざわざわ下北沢」が僕を招んでいますので。見逃してください。

それはそうと今朝のワイドショーは三田さんの事で持ち切りだった。
井沢先生も夜中の0時にコメント求められたって云うし,マスコミって本当に何でもありなのね。
事件それ自体の重さよりも,有名税というものの重さと,扱う側の軽さとをひしひしと感じる。
告発というかたちで有名税を弄ぶ側の責任って一体何なんだろう。何処にあるんだろう。



処で,九州ではオンエアされていないから見逃していたけれど,イーキャリアオリジナル「いかりや長介スクリーンセーバー」を発見。自己解凍式ファイル(win.EXE/mac.sea)の大きさが3MBと余りにもデカすぎるため,何度ダウンロードを試みても会社のPCではタイムオーバーになってしまう。いた仕方ない,我が家に入れよう。一家に一台,長さんに「つぎ,いってみよう」と云ってもらうというのも悪くないぞ(などと思っているのは僕だけですかそうですか。ふうむ)。

あと,ドリフ関連では,来月16日に東芝EMIからドリフベスト「ドリフだヨ!全員集合(赤盤)」「ドリフだヨ!全員集合(青盤)」が出るというのも,見逃せない処。近年の加トちゃんソロまで含んだ網羅的な全51曲で,初CD化になる「ドリフのズンドコ節(荒井Ver)」「ドリフのズンドコ節(幻の志村Ver)」,97年にオンエアされた、あの日本石油のCMソング(「いい湯だな〜ビバノン・ロック」の替え歌Ver)あたりがあるとなると,クレージー音源収集家でもある(て程でもないけど)オレ的にはもう絶対に「買い」でしょう。こぶ茶バンドのシングルは持ってるから,今回は見送ってくれても当座は困らない。時に「志村けんとだいじょぶだァファミリー」の「ウンジャラゲ」は収録されているのだろうか。



閉店間際の「エスプリ」に寄って,イチゴショートとイチゴタルトを買って帰る。
帰りしなにY田さんと一緒になって,武闘派のT中さんにさんざん此処のケーキの旨さを喧伝しておいたから,いかな焼酎党の彼も早晩「エスプリ」に乱入する筈である。天麩羅うどんとグラタンという不思議な組み合わせの夕食後,ケーキにて「二次会」。
奥さんは此処のタルトの苺ジャムがたまらんのだそうだ。

悠都が僕らの支えなしで座れるようになった。時には四つん這いの体勢から自力で座位に移行してしまう。
尤も,油断すると勢いよく仰向けに転倒してしまうので,彼の脳震盪にだけは注意しなければならない。




 094.のせきるしこ

2000/10/28(Sa) 

目の前を走っていた浮羽町のトラックのコンテナの搬送口に貼ってあったステッカーの文句。

「最大積載量:のせきるしこ」

九州以外のひとには何だか「おしるこ」の新メニューのようだが,最大積載量がおしるこなら,最高制限速度はぶたまんになってしまう。勘のいい方にはお分かりであろう。そう,これは福岡特有の方言を使ったギャグである。おそらく後藤理沙にも分かる筈だ(彼女は確か浮羽郡出身である…余り自信無し・笑)。
シティ情報ふくおかの博多弁講座マンガ「くさくさ」を愛読する妻のためにも,これは説明せねばなるまい。

「のせきる」は「載せ切る」,つまり「載せる事が出来る」,そして「しこ」はこの場合「だけ」或いは「限り」などと訳せば良いんじゃないか。
だから「のせきるしこ」は「載せられるだけ」要するに「積載可能限界ギリギリ」,もしくは「載せられる処まで載せちゃうよ」ぐらいに解釈すれば良い。
ま,それだけなんですけど。



朝,病院に寄って包帯を取り替えてから福岡へ。
靴の履き心地こそ余り良くないものの,サンダルを履かなくても足を引きずらない程度まで回復。医者は右足の包帯については来週いっぱいで取れると云っていたし,あとは連休明けに手術しましょうと宣告された左足の巻き爪を何とかしなくてはならない。実際歩いている時に疼くのは,右足ではなくて左足の方だ。

悪天候にもメゲず,映画の神様から貰ったチケットで「イギリスから来た男(1999・米)」
テレンス・スタンプという役者が60年代に如何にクール・ガイだったかは,遅れて来た映画ファンの僕には知る由も無く(ピーター・フォンダの方はさすがに,ね…),むしろ僕個人は「プリシラ(1994・豪)」で老いと戦う初老のドラッグ・クイーン,バーナデッドを演じた彼との出逢いが強烈過ぎたために,僕にとってのテレンスは正直云ってハーヴェイ・フィアステインのポジションに近かったりする(まあ,ハーヴェイは本当のゲイなんだけど)。作品自体はケン・ローチの「夜空に星のあるように」の使い方も効果的な,なかなかの快作と云っていい出来栄え。

Z−SIDEでにこやかにカメラに応じる山本容子のサイン会を盗み見しつつ(肉眼で見てもなかなか美しいひとである)エレベーターに乗り込み,今日観る予定の2作品のチケットを購入,更にヴァージン・メガストアで山本美絵の2ndマキシ・シングル「『○○ゴッコ。』」を買う。
この処,FMでよく流れている曲なのだが,ちょっと種ちゃんに似た声質と,自分を切り売りしている系の赤裸々な歌詞とそれでいてポップスとして成立しているウツクシさが気になっていたもので,ジャケットを見て衝動買い。ルックスがまた小沢真珠系のエキゾチックな美人だったりするから(するから何だよ)。来年は3rdマキシ・シングルとアルバムも立て続けにリリースするという彼女を,僕は今ちょっと追いかける気になっている。
B1Fでタリアテッレを物色した後,パニーニと魚フライを挟んだフランスパンを買い込み,遅目の昼食をとる。

次に観た「アンジェラの灰(1999・米アイルランド)」は強烈。アラン・パーカーの演出は成瀬巳喜男の霊が憑依したかの如き狂気で,これがまた畳み掛けるように押し寄せる不幸,かつてのアイルランドが抱えていた(当時のアイルランドについては原作・映画共事実と反するというクレームも数多く寄せられているらしいが)極貧の見本市みたいな映画。確かに逆境の中で子供たちの明るさが物語を救ってはいるが,救いきるまでには到っていないというか(映画始まって最初の30分でいたいけな3人の子供が次々に死んでいくあたりは「日陰のふたり」を凌駕している)。また,エミリー・ワトソンロバート・カーライルという最終兵器みたいな夫婦(絶対近所には住んで欲しくない組み合わせというか,隣人がティム・ロビンスだと聞かされるより安心して眠れないというか・笑)が物語の濃密さを間違いなく上げている。いや,映画自体は傑作なんですよ,実際。

ラストが「ざわざわ下北沢(2000・日)」
これはもう期待通りの市川映画というか,まさにシモキタのざわざわ感をフィルムに焼き付けたというか,そういう映画。カメオが度を超えて豪華なのに(もういちいち列挙しない),映画自体豪華っぽくないあたりが市川演出の妙味かな。でも,この映画の本当の主役はやはり原田芳雄(どうしても還暦には見えない)とりりィでしょう。とりわけ自分が開ける事の出来なかった粒マスタードの瓶を後輩に軽々と開けられて「オレ,もう役者辞めようかな」と半ば本気でぼやく九四郎が秀逸。ああ,また久々に下北沢に行きたくなったよ。

今日観た映画:「イギリスから来た男(1999・米)」「アンジェラの灰(1999・米アイルランド)」「ざわざわ下北沢(2000・日)」



 095.コジマよりヤマダ

2000/10/29(Su) 

朝8時半頃,夜泣きの延長モードから抜けきれない悠都に起こされたので,きゃつを正気づかせてから(夜はともかく朝は何故だか覚醒后に両親の存在に気付くとすぐさま笑顔になる)昨日買った山本美絵の「『○○ゴッコ。』」を聴く。奥さんがこの曲何かのドラマで聴いた事があるというが,何のタイアップもなかった筈なので首を捻っていると,イントロのフレーズがスティングの「シェイプ・オブ・マイハート」に似ている事に思い当たる。そう云えばギバちゃんのギアのニュートラル振りが素敵だった「きらきらひかる」の劇伴にもまんま「シェイプ・オブ・マイハート」のイントロにくりそつなのがあったっけ。皆にインスパイアさせてしまうスティングがエラいのか,それともベッソンの「レオン」がエラいのか。少し遅目の朝御飯は昨夜のカツカレー。

「スーパーなかの」で買い出し(日曜日売出しの此処の玉子は2パック買っても100円を切る。勿論,此処の安さは日本シリーズ効果とは縁もゆかりも無い)→高須のガソリンスタンドで給油,という日曜定例コース。今日は久し振りに「高須パン工房」で昼飯用の菓子パンを色々。特製コロッケの「安い」旨さは相変わらずで,焼き立てのカレーパンの具には,大きなジャガイモや角切り肉がごろごろと入っていて,パン職人の気概を感じさせる。あと,ドライトマトの塊をアクセントにしたバジリコスパゲティのパンもなかなか美味であった。

その足で,此処暫く我が家の懸案事項だったノートパソコンを物色しに「ヤマダ電器」へ。
処で昨日,八幡駅の近くに売場面積九州最大を売りにオープンした「コジマ」を敢えて外したのは,

(1) 生後半年の子連れでオープン2日目で激混みが予想される店内はちと厳しい。
(2) 「コジマ」のサービス品(例えばFMVが69,800円とか)に魅力を感じない。
(3) 「ヤマダ」も「コジマ」オープン対策として,コジマちらし価格より低価格を提示する筈である。

という3点の理由に因る。
客寄せパンダ的な激安商品を除けば,品揃え,価格帯において「コジマ」と「ヤマダ」にさしたる差はない筈だ,というのが僕ら夫婦の得た結論だった。実際「ヤマダ」の店内入り口にはいきなり「コジマ」のちらしがでかでかと貼ってあったし(笑)。それでも「新店舗オープン」というイヴェント自体にお客は群がるんだけれどね。
で,最終候補を絞り込んだあとは,交渉事は「勝たない試合はしない」「根気良くねばる」奥さんにまかせて,僕は悠都のお守りに徹する。いや,ほとんど油粘土を詰めたバケツを両手に持って立たされている荒行のような時間が過ぎ,結局ブツはSHARPのメビウスノートの一世代前の機種をメモリをいっぱいいっぱいに増設して10ウン万で。レジで支払いの段になって更に500円ねぎる奥さんは少なくともトミー・リー・ジョーンズ程度にはあきらめないひとだと思う(で,値引き成功させてたからエラい)。
デジカメも出物があったのだが,とりあえず今日は見送る。何か先々週より更に安くなってたし。



夕食は赤飯にパスタ(奥さんが,米が切れたのに気付いたのが金曜の夜らしい)。
こないだの天ぷらうどんとグラタンに匹敵する組み合わせだが,旨かったからいい。

夜半,宮本輝「睡蓮の長いまどろみ 下」(文藝春秋)をようやく読了。
「自分は母に捨てられた」という自意識によって欠損してしまったアイデンティティを探り,再建するまでの,男の己がルーツを辿り,埋め,満たす旅。この時期,4作も5作も同時進行で書いていたとは思えない輝さんの物書きとしての水準の高さには頭が下がるばかり。それにしても宮本作品の長大化が進んで,上下巻組の構成がもはやデフォルトになってしまった気も。そのうち,短篇集も上下巻で出るんじゃないか。

今日の読書:宮本輝「睡蓮の長いまどろみ 下」(文藝春秋)


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