備忘の都 2000 −DECEMBER−  ◆

「裁判長の心証は完全に向こうよりだ。
暁仁太郎の話にいちいち頷いていたぞ。…手はあるのか」
「手はあります、奥の手という手が(ニヤリ)」
「奥の手しかないのか、もう!」

三谷幸喜「合い言葉は勇気」より
安西景虎 vs 網干頼母


116.追悼・下元勉117.ご冗談でしょう,ノーマンさん118.やすらぎ寄席2000
119.鉄人石鍋シェフのなめらかキャラメル120.ふぐを持て年を忘るる

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 116.追悼・下元勉

2000/12/08(Fr)

朝,会社で武闘派T中さんと交わした会話。

「どうも先月末に俳優の下元勉が亡くなったらしいんですよ。享年83歳」
「ほお」
「僕的には鈴木その子1億円拾った大貫さんが亡くなった事よりずっと事件だったんですけどね」
「処で,その下元勉ってどんなひとかなァ」
「うーんとですねえ…ひょろーっとした知的な感じのおじいさんで,顔は僕が子供の 頃近所で面倒見てもらってた本屋のおばさんに似ているんですけど(おいおい)…分かります?」
「…そんなの全然分からねえよ(笑)」
「うーん,何の映画だったかなあ…何か海辺の喫茶店で老マスターやってたんですけどねえ」
T中さんの反応なし。ま,当たり前ではある。
「大学教授とか弁護士とか頭脳労働従事者系の役が多かったんですけどねえ」
「結局よく分からんけど…このままにしておくのは気持ち悪いなァ」

下元勉さん という訳で,可及的すみやかに下元勉のポートレート探索。
検索エンジンにかけると100件単位のオーダーで下元さんが頻出するものの,脇役一筋だった老優の画像まで提供しているサイトはなかなか見つからない。でも,ようやく探し当てたのが。「ゆうひが丘の総理大臣」のドラマ・ダイジェストを紹介したサイト。主要登場人物の写真は勿論,各話ゲストキャラまで画像を載せてくれているので(勿論,海賊),ドラマデータベースとしては実に痒い処にまで手の届いたつくり。というわけで皆さん,下元勉さんはこのひとです,このひと(くだんのサイトで「下元勉」を検索してみてください)。
「あー,はいはい」T中さんも僕もこれで胸の痞えが降りた(笑)。
ちなみに下元さんの近年の映画出演(本篇としてはおそらく遺作だと思う)はあの職人監督の和泉聖治が撮った「借王2(1997)」。これ九州じゃ劇場公開されなかった,というか都内でちょっとだけ単館公開してすぐレンタルに廻った,実態がVシネマの作品だからなあ(ちなみにシリーズ最新作は拡大公開して福岡でもやった「借王 The Movie 2000」。これまでだって映画だった筈なのに,今回わざわざ「Movie」と断っているあたりがこのシリーズの今までの不遇さを伺わせるでしょ)。

でも,後ほど朝日の記事を覗いたら,しっかり下元さんの近影が載っていました(朝日,えらい)。しかも人柄の滲み出たなかなか良い表情なので,迷わずこちらの画像を本日記に借用して心から下元さんの死をお悼み申し上げる。



処で,巷でウワサの中国初の人型ロボット「先行者(先駆者)」ですが,僕もピンポイント・コメントさせてもらうと,これってかつてかの西村真琴博士がこさえた「学天足號」当時の技術レヴェル並みのように見えるんですが(褒め言葉になってたらヤだなあ)。というか,少なくともデザイン的には「先駆者」さまの方が全然劣っているでし(確かにそこはかとない「味」を醸しているのは認める)。

という訳で,がんばれ,長沙国防科学技術大学。
来年は日本のロボコンに出品だ(とりあえず肉眼で観てみたい)。

今日観た映画「エクソシスト ディレクターズ・カット版(2000・米)」



 117.ご冗談でしょう,ノーマンさん

2000/12/09(Sa)

眠い目を擦りつつ,途中でY田さんを拾ってから会社の餅つき大会へ。
本当は妻子も連れていきたかったが,子供の小ささを考慮して今年は見送る。
会場は,子供のお宮参りにも使った高見神社の境内。既に境内は幾つもの釜から湯気が立ち上り,石臼がしこまれ,早番のメンバーたちが忙しそうに立ち働いている。支社長の挨拶はデフォルトとしても,市議会議員の挨拶までフルコースで満喫してから,ウチのグループが担当する「おでん/酢もち」のブースへ。
おでんったって,業者に用意させた出来合いのタネを鍋に放り込んで火を通すだけなので,作業は殆どない。尚且つふたつある大鍋には既におでんがぐつぐつ煮えてくれてさえいた。しかも,元々僕は欠席する予定だったので,特に今回大きな役割を割り振られてもおらず気楽な身分なので,それを十全に堪能する。

余談だけれど,脇に置いてあったブルーのポリバケツ5つにタネがストックしてあったのだが,蓋を開けると湯気の立ったコンニャクで一杯という図はかなりグロであった。後輩のN澤に云わせると「玉子のバケツの方がキモいすっよ」という事になるが(黒っぽいスープに白い頭がぽこぽこ浮かんでいるのを想像してみたまィ),アジアの汚穢な屋台あたりではよく見られる光景な気もする。ああ,それこそがキモいって事なのかしら(問題発言)。

とにかく,おでんの配給(販売ではなく,社員とその家族への振舞い酒と肴だと思えばいい)もそこそこによく食べた。
豚汁,ぜんざい,もつ鍋,そして鉄板焼き(肉と野菜と焼き蕎麦)と続く続く。とりわけ椀ものはとにかく餅が入ってくる(或いはつい餅を入れて試したくなる)ので,すぐ腹にたまるのだが,酒呑みではない以上,食べられるものは食べておかなければ飢饉に苦しんだご先祖たちに申し訳が立たない(全くのウソである)。尤も,一部の餅のつき手の精鋭を除けば,皆よく食べよく呑んでいたんだけどね(特に僕が人並外れて食べていた訳ではありません > 奥さん)。
一応餅の方も申し訳程度にはついたのだが,しかし歳をとったねオレも。兎に角すぐに疲れる。H高さんの小学生の息子なんかふうふう云い乍らも一向にくたびれる気配がない。子供は娯楽とお手伝いとが一体になっているからなのか。いや,そのスタンスは見習わないといけません。

後片付けまで含めると14時迄のイヴェントだったが,午前中いっぱいで帰ってくる。
お土産はビニール袋(小)いっぱいの丸餅と,子供用のお菓子詰め合わせを悠都に。
って,8ヶ月そこそこの赤子が,サッポロポテト・バーベキュー味を食べる訳がないだろ。



福岡行きを翌日延ばしにしたので,今日は中間で公開初日の「ホワット・ライズ・ビニース」

んー,オレ的には全然ダメ。
ロバート・ゼメキスの作品という事である程度期待しすぎたのは事実だ。

出来自体にそつがないのはいつもの事で,「裏窓」「サイコ」,アルフレッド・ヒッチコックの演出技法へのオマージュが映画の諸処にこれ見よがしに,或いはそこはかとなく出て来るあたりの職人技は確か。塀の隙間越しからのチラリズムでの勿体振りだとか,双眼鏡の限られたフレームを利用した,観客一体型のスリラーなど,ヒッチのコピーは或る意味で完璧。でも其処から先に何があるかと云うと…余り何も無いというか。
確かに観客の側からの無いものねだりなのかもしれないが,物語の発端が超常的であればあるほど,またヒッチコックを標榜すればこそ,張り巡らされた伏線の辿り着く先に露骨なスーパーナチュラルを置いて欲しくなかった。あくまで精緻なロジックのみで攻めて,日常に横たう「人なるもの」の不可解さに迫って欲しかった。事件の真相は絶対に「幽霊の正体見たり,枯れ尾花」であって欲しかった。
そもそも犯人探し自体は,ヒッチコックファンならすぐに「あんただ,あんた」という程度のフーダニットなのである。

心霊の扱い方こそがゼメキスなりのアプローチだと云うのなら,僕とは永遠に相容れない。

僕に云わせれば,あれは脚本或いは作劇術の限界。霊のCG処理がどんなに美しくて切なかろうが所詮はホーンテッド・マンションの域を出ず。ひょっとして昔彼がプロデュースした「さまよえる魂たち」の影響なのか(因みに「さまよえる…」自体は凄く好きな作品で,ピーター・ジャクソンがハリウッドに魂を売ったという悪評などクソ食らえである。事実上,マイケル・J・フォックスの最后の主演作でもあるし)。
そう云えば「永遠に美しく」もゼメキスか。…むむう。

とまあ,筆運びの行き掛かり上,くそみそにけなしてはみたものの,本作品が「ヒッチコックおじさん」というバイアスをかけなければ十二分に愉めるスリラーなのは保証する。僕がゼメキス作品に求める映画的ハードルが高すぎるのである(尤も,高くして当然であるとは思っている)。
処で,浴槽で繰り広げられる一連のサスペンスを観て「がきデカ」を思い出したのは僕だけですか > 山上龍彦先生。

今日観た映画「ホワット・ライズ・ビニース(2000・米)」



 118.やすらぎ寄席2000

2000/12/10(Su)

日曜だが,親子して天神に出る。
着くが早いか,妻子と別れてKBCシネマへ「クロコダイルの涙(1998・英)」
なけなしの招待券で入場すると,ロビーで開館2周年記念の抽選会を行なっていた。「そちらの棒を一本引かれてください」とスタッフのおねえさんに乞われるまま棒を抜いてみれば,先っちょが黒に塗られていて「おめでとうございます」と招待券を手渡された。こないだAMCで今年のクジ運は使い切った気でいたが,まだちょっとだけ残っていたらしい。むふ。

映画そのものにもいたく満足してからZ−SIDEで妻子と落ち合い,ソラリアホテルでかなりご機嫌なランチをとった後,ふたりをIMSのお米ギャラリーに待たせて,悪天候の中ベスト電器にひた走り,いつぞや日記にも書いたザ・ドリフターズ「ドリフだョ!全員集合(赤盤)」「同(青盤)」,それからこないだ立ち読みした雑誌で偶然発売を知ったPaul Simon「You're The One」を購入する。
ポール・サイモンの方はほぼ10年振りのオリジナルアルバム(3年前に「ケープマン」という自作ミュージカルのセルフ・カヴァー集があるにはある)。どうでもいい話だが,ポール・サイモンは僕の親父と誕生日が3日遅れ(1961年10月13日)の同い年だったりするんだな(ビートルズやボブ・ディランも軒並み還暦周辺に散らばっているんだけどね)。来年あたり,ポールの許へFrom Japanの赤いチャンチャンコの贈り物が急増するかもしれない。
2001年・真紅のバースデープレゼントには要注意です > ポール。

それから親父の病院に顔を出して,正月の打合せなどする。
母ばかりか長妹も来ていて,隣のベッドのおじさんたちと丁度盛り上がっている処だった。
悠都は人懐っこさがさいわい(?)して,看護に来ているおばさんのひとりに隣の病室に連れ去られてしまう(悠都はけたけた笑っていた)。隣から明るい笑い声が響くのと裏腹に,ウチの奥さんは気が気ではないようだった。でも,退室する時に別のおばさんが悠都の手を握り「しあわせをどうもありがとう」と云ったのは決してお愛想ではあるまい。リハビリという決して楽ではない日々の中で,悠都という珍客は親父のみならず,それ以外の患者さんと家族の皆さんのカンフル剤にもなりうるらしい。
とにかく悠都よりも奥さんの気疲れの方がうんと激しかったようである。



夜,松平さんから電話をいただく。
今日継鹿尾山寂光院で行われた釈尊成道会記念行事のひとつ「やすらぎ寄席」をわざわざ報告してくださる(くだんのホームページでは「落語・桂平治」になっているが,これは間違い,というか松平さんの希望モード。そろそろ悲願モードという話も)。

松平さんによると,本当なら紅葉がいっとうピークの時期にも拘わらず,お山は生憎のひどい雨で参拝の客足にも響いたようだったが,伸治さんは「時そば」「片棒」の二題を演じ切り,お客の反応がいいと満足してくれたそうだ(「片棒」というのは三人息子の中で自分の弔いをいちばん安くあげるアイデアを出した者に身代を譲る吝嗇家もとい倹約家の旦那さんの噺で,ま,当の旦那さんにとっては「やすらぎ」の中で来世に行きたい繋がりと考えれば,ある意味「やすらぎ寄席」に相応しい演目だったと云うか…単に伸治さんのお茶目なセレクトなだけなんだけれど)。

そう云えば,松平さんが伸治さんに犬山のお父さんお母さんを紹介した折りに僕らの事にも触れたら,伸治さんに「ああ,倉田さんならよーく知ってますよ」と仰っていただけたそうで,これでひとまず我が家の体面も保たれた(謎)。

「平治さんはそんなに売れっ子な噺家さんなのですか」と松平さん。
「というか,日曜昼のNHKラジオのレギュラーが続いてるだけなんですけどね」
「ふうむ…(言葉にならぬ慨嘆)」

毎回,しかも兄弟子の皆さんに代打を頼んでいるのだから,松平さんがそう思われるのもご無理はないかも。
という訳で,順当に行けば,来年の「やすらぎ寄席」は小文治さんにお願いするという事になる(おいおい)。
おあとがよろしいようで。

今日観た映画「クロコダイルの涙(1998・英)」



 119.鉄人石鍋シェフのなめらかキャラメル

2000/12/12(Tu)

何かのたたりか,朝の4時頃,K島さんから電話。
取るものもとりあえず会社に赴き,ふたりで障害対応に明け暮れる。原因も判明し(ユーザー運用による出鱈目データ作成…最近このテのトラブルが非常に多い)システム復旧の目処がついたのが6時半。
本当はゴルフ休暇だったK島さんは真っ赤な目を擦りつつ綱渡りするように山口に向かったのだった。おつかれさま。

で,こういう日に限って仕事が嵩む。外せない会議が15時からあったり,問合せがずいずい来たり。
ポケベルのインフォチャンネルを見たら,山羊座の運勢は×(孤独と寂寥感)とあった。ああ,何だかにわかに寂寥感が押し寄せて来たぞ。

なんだかんだあって結局会社を出たのは18時過ぎ。とにかく眠たい。
この寂寥感に打ち勝つ為に,途中セブンによって「QUEEN ALICE 鉄人石鍋シェフのなめらかキャラメル」を買って帰る。
ブツはキャラメル・プティング。キャラメルベースのプリンの下にヌガーソースという2層構造になっていて,別添えのサクサク・チョコクランチを振りかけるという趣向。プディング作りには(僕に)定評のある奥さんも「このクランチは作れないなあ」と悔しそうだった。
120円という価格設定の割になかなか旨い。
一応,森永製品なのだが,よくよくカップを見回さないとわからないし,カップのデザインにもそれなりの高級感があっていい感じ。このシリーズ,他にも「洋梨ブリュレとチョコスフレ」「柔らかブラマンジュ ラムレーズン」の2種類,加えて来年の2月には第2弾も用意されているらしい(つったってどのデザートも3月までの秋冬限定なんだけどね)。ちなみに作品の記者発表はこの10月にクイーンアリス迎賓館で行われていたらしい。
石鍋さんのお蔭で少しだけ元気が出てきた。

筈だったんだけど,夜はお正月のおせち問題で頭を悩ます事に。
(字ヅラだけ追うとちっとも悩んでいないような話題なのが更に寂寥感を呼ぶ処)
あ,そうだ。灯油も買わなきゃ(奥さん切望)。

寝ついたのは11時過ぎ。んで,また悠都が元気なんだわ。




 120.ふぐを持て年を忘るる

2000/12/15(Fr)

会社の忘年会で小倉南区の和風レストラン「みずほ」へふぐを食べに行く。
ふぐったって所詮は4500円の会席コースなので(これに呑み放題がつく)全く期待はしてない。
でも,戸畑駅から送迎バスを2台も出すあたりは太っ腹で幾ら参加メンバー50人とは云え,ひとり6000円ならせいぜい総額30万円なのに,少なくともこのサービスは見上げた心意気である。

お店はパチンコ屋まるみつに隣接した何だか香港の海上レストランを思わせる何処となく金ピカでせわしない風情。パチンコ屋と共同の車がぎっちぎちに詰まった駐車場を器用にバック駐車したバスを降りて皆してぞろぞろと二階へ。
コースは突出し(ふぐの皮を刻んだもの),前菜(鰻の押し鮨,鰯の煮付けなど。栗の渋皮煮は結構イケた),さしみ(≠ふぐ),ふぐさし(小皿乍らひとりずつ分けて出た),ふぐちり鍋,天ぷら(海老をアーモンドの衣で揚げたものとふぐの湯葉巻き),茶碗蒸し(具に心持ちふぐを含む),鍋にごはんと玉子をぶち込んで雑炊,メロンとまあ4500円というお値段を考えれば健闘している方ではないか。
何しろ50人からいるから纏まる訳も無く,ま,愚にもつかない雑談に花を咲かせた2時間半であった(今日は武闘派T中さんの楽しいお話は聞けなかった)。コの字型になった座敷の中央に畳のカラオケステージが設えてあったが,さすがにマイクを握るつわもの共は現れず。

帰りは帰りで2台の送迎バスで戸畑駅まで。
僕が乗ったバスは忘年会の幹事長(役職名は本人がつけた)K島さんが同乗していたが,テンションが針を振り切れていて,「スピード」のデニス・ホッパーみたいに送迎バスを乗っ取って乗客全員にアカペラでワンフレーズずつ歌を唄わせるという暴挙に出た。普段絶対唄わないようなメンバーが痛罵と恫喝で率先して唄わされるさまは(しかし,N森さんの「横須賀ストーリー」は聴きものだったかも)青山真治の「EUREKA ユリイカ(2000・日)」も斯く哉というトラウマ植え付け振りで(あの映画のハイジャック犯は光石研でしたね),乗客一同生きた心地のしない30分であった。それにつけても僕の後悔は「スーダラ節」の出をとちったという事だ。

「たまの宴会くらいなんだからハメくらい外さなきゃ」とK島さんがぽつり。
それは大いに結構なんですけど,せめて窓くらい閉めてよ → K島さん。

一次会しか出席していないというのに,家に着いたのは22時過ぎであった。やれやれ。



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