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130.ゆく世紀くる世紀
2000/12/31(Su)
苅田の伯父さんは意識は戻らないものの,血圧だけはどうにか持ち直しとりあえずの危機は脱したとのこと。
ホテルはおじゃんになったが,閑かな年末年始もまたよし(ハハは親父の我儘に悩まされる4日間になったが)。
昼間のうちに食糧を含めた簡単な買い出しに行く。「黒崎QUEST」で奥さんをパトロンに,鷺沢萠「ナグネ・旅の途中 〜場所とモノと人のエッセイ集」(角川書店),坂井宏行「ボクは料理長、ときどき鉄人 〜ムッシュ坂井の半生記フルコース」(講談社),オリヴァー・サックス/春日井晶子・大庭紀雄訳「サックス博士の片頭痛大全」(ハヤカワ文庫),北村薫「スキップ」(新潮文庫)を購入。
これで年末年始の積ん読体制読書体制は万全だ。
夜は紅白と民放のバラエティをちゃんぽんに観つつ,キムチ鍋に舌鼓を打つ。
ピンクレディのメドレー(「ペッパー警部」「UFO」「サウスポー」)とアリスのミレニアムスペシャル(「冬の稲妻」「ジョニーの子守唄」「チャンピオン」)をしっかり観届けてから,寒いし悠都が風邪ひくとイヤだしとにわかに渋る奥さんを説き伏せ,着替えの段になると命を賭して抵抗する悠都をどうにか着ぶくれにしてから,近くの教念寺へ向かうべく,どうにか今世紀のうちに家を出る。
僕は保育園時代からの幼馴染と中学時代の恩師がそれぞれお寺の住職であるにも拘らず,また(未だに)何度も誘われてい乍ら,この齢になるまで除夜の鐘をついた事が無い。ウチの親父が我が家の恒例行事として宇佐神宮への二年詣でを子供たちに義務付けていたのがその主たる理由だが,こちらに越してきて仕事の関係上,晦日に実家に帰れない年は部屋でTVを観て漫然と年越ししていたので,鐘つきにはとんと縁が無かった。
駐車場からすっかり人気の絶えた通りに出ると雲間から一等星がふたつ。空気の冷たさに冴え冴えと瞬く星に,低く鳴り響く除夜の鐘。
少し歩くと寒いのも全然気にならない。肝腎の悠都も僕の腕の中できょろきょろしている。
銭湯の脇をくぐり抜けると2分も歩かずに除夜の鐘がひときわ大きくなる。振り向くと境内に花火の噴水が上がっている。
浄土真宗本願寺派,教念寺。門から狭目の境内に続く飛び石には両脇に連なる大きな百匁蝋燭の火があかあかと足許を照らしていて,大つごもりの幽玄さを醸し出している。百匁蝋燭の燈明にふとやっさんの「死神」の一席を思い出す。境内脇ではお寺のひとが花火の仕掛けを片付けている処だった。奥さんがPHSの時刻を見ると零時を3分程廻っていた。どうやらカウントダウンと花火で新年を祝ったばかりの処だったらしい。
鐘撞堂の前には既に結構な列が出来ており,遅れ馳せ乍ら僕らも最後尾に並ぶ。その脇を,蜜柑を貰った子供たちが帰っていく。
僕らの後ろについた中年の夫婦が「処でこのお寺,何宗なの」と囁きあっていた。ま,日本の信仰なんてこんなもんですよ。僕らも列に並んでいてカレンダーを貰ってから此処が浄土真宗のお寺だと知ったくらいだ。
僕らの後にも続々と厄払いの列は増え続け,とうとう一家族でおいでになっている方は家族単位で鐘をついてくださいとアナウンスが出る。僕はてっきり百八つと云い乍らその実,志願の数だけ二百でも三百でも鐘をつかせているんだろうくらいに高を括っていたら,本当に百八つ鳴らした処で鐘撞を終えるとの事。果たして自分たちまで順番が廻ってくるのか少し不安になる。
そうこうし乍ら,僕ら家族は七〇番目に鐘撞堂へ上がった。奥さんが悠都を抱き直して,一応手だけ添えてもらって,せえので鐘をつく。
伯父さんと親父の全快を祈りつつ,一撞入魂。耳許で大きな鐘の音が響いたにも拘らず,悠都は全く動じなかった。
いつか寂光院で除夜の鐘をつきたいねなどと話し乍ら帰途につく。
家を出たのは二〇世紀だったが,帰ったのは二十一世紀になってから。その間,わずか40分ばかしである。
TVではサザンが年越しライヴの真っ最中だった。桑田さんが客席に「乳首見せろ」と繰り返し喚いている。
風呂を沸かす間に,奥さんに誕生日を祝ってもらう。彼女渾身の苺タルトはこれまでで最高の出来。世辞抜きで美味しくいただく。
誕生日プレゼントで佐藤忠男「韓国映画の精神 林権澤監督とその時代」(岩波書店)を貰う。
林権澤(イム・ヴォンテク)の評伝らしい。うーむ,何から読めばいいものやら。
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