備忘の都 2001 −JANUARY 〜 FEBRARY−  ◆

謹賀新年 今年もよろしく
やっぱりそれだけしか書けなかったね
あいた余白に 大きなヘビのイラストを描く

お正月には おせち食べて
オトソもちょっと飲んでると
母さんポストにたまった年賀状取ってくる

見てくれたかな 今頃キミも
ボクからの愛のメッセージ

種ともこ「謹賀新年」(1989)


130.謹賀新年132.寝正月133.ゴジラ対ムシ
134.年始めトモダチ日記,そして…135.組曲・七つの子

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 131.謹賀新年

2001/1/1(Mo)

21世紀は月曜日から始まったがあたりが何ともいい感じ。でも無茶を承知で云えば,今日が平日だったらもっと恰好良かった気も。
とは云え,典型的な寝正月。でも,こういうのんびりした元日は結構久し振りである。
朝から「爆笑ヒットパレード」で普段ブラウン管ではなかなかお目にかかれない芸人さんたちの芸の片鱗など堪能して,元旦に60枚余り届いた年賀状を眺めて,出していなかった数枚ぶんの返事を書いて,朝昼一緒のごはんを食べて,昨夜のケーキの残りを食べて,昼寝して,悠都と遊んで,「さんまのまんま」で初ゲストのタモさんに笑ってたらあっという間に一日が終わった。

16時前に,宇佐に帰っている妹たちから今から遊びに行くと電話があって,折尾駅から電話があったのが20時半過ぎ。親父のワゴンで来たはいいが,教えた都市高のインターを降り損ねたらしい。でも,ふたりの此処に来る目的が僕の誕生祝いと悠都へのお年玉だったので,怒るに怒れず,呆れるに呆れられず。年末に「アイが欲しい」などと戯れ言をほざいたからか,今朝からわざわざバースデーケーキをこさえてくれたらしい。2日続けてバースデーケーキが食べられるとは思いもよらなかった。しかも初めてこさえたという割には流石は管理栄養士(関係ない),なかなかの美味。初甥である悠都にはお年玉にくまのプーさんのキャラもののよそ行き服一式。随分と散財をさせたようで申し訳なかったナリ。

処でケーキを長妹が拵えている間に,次妹が遅い朝飯の支度をしたらしいのだが,スパゲティとゆで卵をひとつの鍋で同時に茹でようとして「あんた,幾ら何でもそれは」と長妹に説諭された話が可笑しかった。普段の次妹の自炊生活がいかにテキトーで荒れているかが窺える一件である。

宇佐の実家をそのままにしてきたとかで妹たちが帰ったのが23時くらい。
オレだって20代の頃は平気でやった無茶だけど,今ならほぼ間違いなくバテて泊めてくれって泣きを入れてる。

ちなみに去年予告した今年の年賀状はこれ。受け取った皆さんがたの評判が気になる処。
年賀状と云えば,神戸在住の大学時代の友人が2月に結婚するとの嬉しい報告。お祝いをどうしようか。




 132.寝正月

2001/1/2(Tu)

今日は妹たちが来なかったぶん,本格的な寝正月。でも奥さん的には家族3人揃ってだらだらするのが良いのだとか。
おかげさまで午前中のうちに坂井宏行「ボクは料理長、ときどき鉄人 〜ムッシュ坂井の半生記フルコース」(講談社)を読了。
昼から「完全なる料理の鉄人」があったのでGood Timingだった。

僕が一時期フレンチにかぶれたのはまぎれもなく「料理の鉄人」のせいだし,ムッシュ坂井が「鉄人」になりたての頃,奥さんとのデートに初めてそれを意識して食事に行ったのは,まず東邦生命ビル(当時)の「ラ・ロシェル」だった。ビギナーだったのでランチから攻めたのだが(後で「ラ・ロシェル」というお店自体がフレンチ・ビギナー向けのお店として定評があったと知る),食事が終わって「実は此処に来る為に福岡から来ました」とフロア係の女性(あの時から既に権田さん居たよね → 奥さん)に告白したら,何とムッシュ坂井がわざわざ厨房からクロークまで顔を出してくれたのだった。それがその後の僕のフレンチ熱に拍車をかけさせた事は云うまでもない。
あらわれたムッシュ坂井は想像した以上にがっちりした人で,胸板も厚く握手してもらった時のグリップの力強さに目を見張ったのを覚えている。その時ムッシュは「ボディービルで身体を鍛えているんです」と教えてくれたが,この本を読むと鍛え上げた身体の理由にもちゃあんと触れられていて,そしてその理由の男の子らしさがちょっと嬉しい。今の渋谷の「ラ・ロシェル」の総料理長は工藤さんだから,実際にムッシュが鍋を振るっていた頃の「ラ・ロシェル」に間に合った事は,まあくだらないと云われればそれまでなのだが,僕のひそかな矜持だったりする。

という訳で,ムッシュ坂井は僕にはちょっと特別な思い入れのあるひとなのだが,午後の番組では残念乍ら剃髪して(これでカツラ疑惑が完全に払拭されましたね)背水の陣で挑んできた神田川さんの気迫と世界のダシの前に敗れたのが残念。もはや「鉄人」は特番でしかやらないから,この先雪辱を果たすまで待ち時間の長さがしんどい筈で,この本で負けた時の修羅を克明に語っているだけにムッシュの穏やかならざる心中をお察しします。



夜は三谷さんが出るというんで,みのさんの「ミリオネア」を観たら(って,本当にテレビネタと読書ネタしかないのよ)三谷さんの出番は大ラスだった。
ある意味三谷さんの「山場を作ります」宣言は実行されたと思うけど,可笑しかったのは三谷さんがあてる問題は僕にも答えが全部解って,三谷さんが解らない問題は僕にもちんぷんかんぷんだった事。「七人の侍」の生存者数はオレも解っちゃったんだよね(死んだ数を懸命に数えた)。
得意分野が全く同んなじだという事実がひとつ。これって喜んでいい事なの?

今日の読書:坂井宏行「ボクは料理長、ときどき鉄人 〜ムッシュ坂井の半生記フルコース」(講談社)



 133.ゴジラ対ムシ

2001/1/4(Th)

あっという間に仕事始め。
親父も自宅で風呂に入れて(こーれがタイヘンだった)昨日のうちに病院に戻ったし,「Z−SIDE」で福袋も買ったし,ま,こんなもんか。

21世紀の映画初めは「ゴジラ×メガギラス」もとい「ゴジラ対ムシ(2000・日)」
瀬戸口くんには平成ゴジラ史上最高の出来と聞いていたものの,漏れ伝わるウワサには芳しくないものもあって,僕としてはさてどちらを信じてよいものやらとフタを開けてみればありゃりゃ…少なくとも個人的には此処数年来サイアクのゴジラ映画で今世紀の幕を開けてしまった。
くそくそくそう,慙愧の念にたえないとはまさにこの事を云う。
以下,己が憤怒にまかせて何がそんなにあかんかったのか書き殴る。ネタばれはご容赦いただきたい。

この映画の「買い」は一作目の設定すら途中から枝分かれして,あのゴジラを退治したオキシデント・デストロイヤーさえ無かった事にしてしまった思い切りの良さ,とその後に続く「ディファレンス・エンジン」的もうひとつの歴史を構築していく野心にあるし,それを認めるのに吝かではない。
だが,ほめてあげられるのは此処まで(とは云え,此処までのこころざし自体は実はかなり評価している)。

何はともあれ田中美里演じるヒロイン・辻森桐子の造型が性格設定・行動原理共に鼻持ちならない。
上官・宮川隊長(永島敏行)の言う事を聞かぬ直情径行振りは,彼らの迅速な退避を大幅に遅らせ,ついには彼女を庇った宮川を死に至らしめる体たらく(それが元で彼女は、対ゴジラ・私怨のひとになる訳ですが)。どう考えても指揮官としての資質に難があるというのに(指揮官ではなく,鉄砲玉としては「それなりに」有用な人材ではある)対ゴジラ戦闘部隊“Gグラスパー”の隊長になってしまう,これがそもそもの躓きの石。

立ち入り禁止区域内に忍び込んで,秘密裏に行われていたブラックホール砲の実験を覗き見てしまった小学生を隊長権限で「此処で見た事を誰にも話さないって約束出来る?」などとほいほいと家に帰してしまう処から既に危機管理意識に乏しい事が露呈されるのだが,ブラックホール砲の実験が標的周囲の時空を歪め,古代トンボのメガニューラを呼び寄せてしまった事に気付いてい乍ら(古代トンボのおかげで遂には渋谷が水没してしまう),ブラックホール砲(ディメンションタイド)実験成果発表の席上で 「もしも予期せぬ事態が発生して取り返しのつかない事になったら」との防衛庁上層部・黒部進の懸念に「このままではもっと取り返しのつかないことになります!」と己が正義に泥酔陶酔して彼らを恫喝する始末。
結局,東京のど真ん中に安全面で何の保証も無い(というか,普通なら武器使用による時空歪曲が判明した時点で即刻ディメンションタイドの使用禁止を求めてしかるべきだろ。あん?)ディメンションタイドを撃ち込んじゃう訳ですね。手前勝手なヒロイシズムに泥酔陶酔しつつ。

で,とうとう東京は焼け野原になるんだが,(さまぁ〜ず風に)それに関するお咎めはなしかよ

彼女の愚行はこんな事ではおさまらない。
物理学者・吉沢佳乃(星由里子)とC調サイエンティスト・工藤元(谷原章介)に「まだ最終テストが終わっていない」と止められたにも拘わらず,「私は博士の技術を信じています」などとさもウツクシイ与太金言を返して,ディメンションタイドの使用に踏み切っておきながら,(案の定)標的捕捉に失敗してゴジラを逃がしてしまう。
さしもの彼女も此処いらで反省するかと思いきや,対策本部に戻るや否や「あんたがちゃんと調整してないからよッ」などと工藤に(心から)掴みかかるに到っては僕ァ戦慄すら憶えたね。こいつ,自分がゴリ押しして作戦に出た事をすっかり忘れてる。ばかだ…。

物語のクライマックス付近で「皆んな犬死にじゃないですか」と悪事のばれた杉浦基彦(伊武雅刀)を殴りつける辻森を見て「皆んなを犬死にさせた責任の大半はおまえだろ」とひそかに銀幕の彼女のどアップに向かって裏拳を繰り出したのは何も僕だけではあるまい。
あんた,ひどいひとだよ。自分の罪に気付いていない処がますますもってひどい。
やはり,杉浦は計算ずくで脳味噌が筋肉質な辻森を隊長に選んで,バカとハサミは何とやらで,体よく己が悪事を手助けさせたとしか思えないのだが。でも,ここまでバカな女を創作するというのは,或る意味作劇的セクハラではあるまいか。
脚本の柏原・三村が揃って「納得いく脚本が出来た」と自讃したのがコレですか,と思わず慨嘆。

云わせてもらえば「ナトゥ」を押さえてこの冬サイアクの日本映画である。
「ゴジラ」が全米公開の際にはいつもキワモノ映画扱いされてしまうのも道理かもしれん。ちゅうか世界相手の映画じゃないわな。



帰宅后,大晦日に買ってあった,とっておきの「QUEEN ALICE 柔らかブラマンジュ ラムレーズン」をいただく。
ブラマンジェとラムレーズンソースが2層になったロワイヤルなムースで,アルコール分1%以下って過少表示なんじゃないの,というくらいオトナなテイスト(上のブラマンジェ層までお酒の効いたソースでひたひたになっている)。いや,旨いんだけどさ。レーズン好きの奥さんはこないだの「なめらかキャラメル」よりこちらの方がお気に入りらしい。ははあ,そういうものですか。

今日の映画:「ゴジラ×メガギラス G消滅作戦(2000・日)」



 134.年始めトモダチ日記,そして…

2001/1/5(Fr)〜1/8(Mo)

1月5日(金)

とにかくこの3連休は日替わりで友人に会うという事で夜は電話で調整。
月曜日に会う英ちゃんと話している時の事,

「いやあ,実は交通事故に遭っちゃったんだよね」
「え,いつ?」
「さっき。仕事帰り」

仕事先の某市役所(敢えて名は伏す)から自転車で帰宅途中,左右確認を怠ったまま歩道に乗り上げようとしたBMWに「ハネられた」らしい。ボンネットに当たって飛んでったらしいので,接触とかそういう容易い話じゃない。警察が来て事故の検分も終わり,病院にも行ったし,相手方の保険屋もすっ飛んで来たらしいのでさしあたって事務手続き上の問題もなさそうだった。

「それで身体の具合はどうなの」
「それがちっとも。腕擦った処が痛むくらいで」
「じゃ,月曜に小倉行くのはキビしいかもしれないね」
「いや,行けると思うけど」

とは云え,事故の後遺症は2日目3日目或いはもっと後から本格化する。
とりあえず非道なギャグを幾つか云って(とても此処には書けない)笑い飛ばしたもののやっぱりちょっと心配。
やはり,購買衝動に駆られるままにデジタルBSチューナーを買ったをご覧になった神様が…。



1月6日(土)

午前中は,親子3人で宗像大社へ初詣で。
さすがに前日会社の安全祈願祭で行った高見神社はパスした。3が日も終わって人手のピークも過ぎたし(と云いつつ3連休初日),太宰府はともかく宗像くらいならそろそろ悠都連れでもイケるだろうとアタリをつけた。駐車場はどうにか車を押し込めるくらいの8割方の混みようで,時々マイカーのお祓いをしに祓え串を持った神主さんが広い駐車場を横断していくのがなかなか異観であった。
芋を洗うが如き人込みの中,親父と伯父の平癒を祈願してから,適当に散策して御神木など眺める。
おみくじは小吉(妻子は中吉だったか吉だったか)。悠都に自分自身でおみくじを掴まそうとして(案の定)梃子摺る。きゃつにおみくじを掴ませるのはUFOキャッチャーでミミズのぬいぐるみを掴むより難しいかも。ま,せめてもの救いは外出中に滅多な事では泣かない事か。

夜は,帰郷しているはるさんと会食。
前回の邂逅の時にふたりきりでジャンクな焼き肉食べ放題をして,もう自分らはそんな齢ではなくなったことを充分に思い知らされたので,今回はちょいとハイソにおフランス料理(つったって,ヤサはウチの近所にある「ブッフドール」)。はるさんは八幡西の外れに御手軽なお座敷フレンチがあることに驚いていたが,此処は何しろ三波豊和が食事に来た…ってこれは伏せといた方がいいのかな(笑)。今回のメイン・イヴェントは「はるさん・ミーツ・はるさん」(笑)。ウチのはるさんも暫くは「本家」はるさんを値踏みしていたが,そのうち抱きついて彼の眼鏡を狙うくらいまでに増長する。はるさんは生後9ヶ月足らずの赤子にポチ袋を用意していてくれ,事実上,これが悠都がポチ袋で貰う初めてのお年玉となる(妹たちのは品物だったからね)。男ってのは子供をあやす時には全身全霊であやすから,子供もすぐになつくのではないか,というのが僕の感想。

蛇足までに(憶えている範囲で)本日のメニューは,アミューズ・グル(刻んだレーズンを混ぜた玉子トースト)と前菜が一品,ムール貝のポタージュ,牛フィレ肉の赤ワインソース(奥さんが頼んだ魚料理はふぐのホワイトソース)にデザートという処。おしなべて美味しかったが,赤ワインソースは肉汁と赤ワインを煮詰めたものに蜂蜜を足してあって,ライスでいただくにはちょっと甘すぎた。これに関して云えばパンを頼むべきだったかも。



1月7日(日)

今日は福岡にて,「ゴジラ対ムシ」のお口直しに「パリの確率(1999・仏)」を観て一息ついた後,正月休みを利用して鹿児島・熊本と九州を北上してきた瀬戸口くんとふたり会合。丁度はるさんが東京に戻るのと入れ違いである。ま,或る意味,3人揃って会うよりもうんと充実出来たかもしれない。それにしても,瀬戸口くん,前回会った時よりも心持ちすらっとしている。あくまでも心持ちだが。やはり年末進行の影響か。
とりあえずZ−SIDEのリブロポートで待ち合わせて,書店脇にある「カフェ・リブロ」の窓辺のストゥールで天神の街を見下ろし乍ら昼食。昔懐かしいハヤシライス(650円)がなかなか人様に胸を張ってお薦め出来る味。やはり煮込み系はかけた時間がモノを云う。一緒に頼んだキャラメル・カフェはエスプレッソでトッピングの泡が砂糖を焦がしてキャラメル仕立てになったもの。これはまあ好き好きですね。瀬戸口くんは鹿児島の実家(大口)が乾燥していて喉をやられたとかで,ちょっと目を背けたくなるくらいお水をお代わりしている。

冬コミの報告や夏に向けた会誌製作の話をひとくさりして,さすがにそれ以上水を呑んだら有料でしょうというくらい瀬戸口くんが水を呑んだのでレシートを持ってレジへ向かおうとすると「倉田さん倉田さん」と熊本に居る筈の愛ちゃんがきゃぴきゃぴと駆け寄ってくる。約3年振りの再会だ。
たまたま兵庫から遊びに来た友達と福岡に泊りがけで「豪遊」に来ていたのだという。
「あたしももう27歳になりましたよォ」と笑う愛ちゃんは生意気に化粧なんかしていやがったが,出会った頃と同じ二十歳そこそこの彼女のままなのだった。早速,PHSでウチの奥さんと話をさせる。友達と一緒でなかったらそのまま拉致したい処だったが,そうもいかないので近いうちに再会することを約束してからその場を辞す。ああ,はるさんにも会わせたかったな。

全くのシャレで「すぐ傍にライブスポット『照和』があるんだけどさァ」と水を向けたら,瀬戸口くんがあっさり快諾してしまったので,瓢箪から駒で何と「照和」へ行く事に。僕も長年福岡を行き来してい乍ら,此処に入るのは実は今日が初めてである。

場所はソラリアの真向かいにある福田ビルB1(「カメラのドイ」横)。昼間は夜とは違ってチャージ料も取らず,ワンドリンクを注文すればいいだけなので,コスト的にも手軽である…とその時は思った(笑)。閉所恐怖症のひとなら酸欠になりそうな階段を降りていくと,照明を落とした店内にはカウンターとすぐ傍のテーブルに店のスタッフがいるだけで,客は僕らが最初(で最后)だった。ステージでは人の好さそうな小林某くんが,リズムボックスを相棒にギターを弾いていた。ボーカルはまあまあ。歌詞が今更な感じがするのもご愛敬というか云わずもがなというか。小林くんの向こうの摩天楼の描かれた壁に,かろうじて武田さんのサインだけ確認する(あのひとはイラストつきだから)。長渕らしきものも判別出来たが,まさか歌っている小林くんの脇を擦り抜けて壁を見て廻る訳にもいかないし。

僕はライヴハウスというと渋谷のEGGMANくらいしか経験が無いのだが,さすがは照和,70年代を背負ったままというか,何だか軍艦島にでも迷い込んだみたいなこの「廃虚」或いは「遺跡」感。70年代フォークの巨人たちを輩出した梁山泊ももはやつわものどもが夢の跡。「伝説」はバリバリの「現役」ではありえず,うたいびと・はねも0930(オクサマ)も皆んな博多駅の入り口で弾き語りしている時代にあっては,もはや70年代フォーク信奉者の巡礼先としての機能しか果たしえないのではないか。って,夜のライヴはまた雰囲気が全然違うのかもしれないけど。

いやあ不用意だったね。これだけ客が(全然)いないと,くるりと踵も返せない。
やむをえず(笑)瀬戸口くんとふたり無言のままお互いの顔を見交わしてからテーブルへ。白い前時代的なテーブルに青いこれまた前時代的なフェルト地の椅子。お正月だからってんで,天井の処々からミニチュア奴凧のモールが下がっているのがまたいとわびし。ドリンクは意外に廉価でコーヒーフロートが300円程度。とにかく音響が良いのがわざわいして歌の間はうるさくって話も出来ないし,MCの間は気まずくってやはり話が出来ない(をいをい)。いや,話をしにくる処じゃないのはよーく分かってるんだけれども。

この時はふたりのアマチュアがそれぞれ30分強くらいのステージをやったんだけど,敵もさるもの,小林くんの演奏中に頼んだドリンクをわざわざゆっくりめに次の阿部某くんが舞台でギターのチューニングを始めた頃に持ってきた。人の好い(というか小市民の)僕らはこれでまた退出するタイミングを失う。海援隊ライヴの山形県酒田市民会館に集った15人の客の気持ちが今ひしひしと分かるというか(とほほ)。
小林くんは少なくともまだ耳に心地良い歌唱だったのだけれども,次に出て来た阿部くんがボーカリストとしてはまだまだ発展途上らしく「ビミョウに」音を外して歌う(大場久美子とか西村知美とかああいう感じ)ので,ただ聴く事でさえ針の筵と化す。これがもう絶妙の気持ち悪さ。

彼が作ったばかりの新曲として披露した「サザンクロス」とやらも僕らの心は動かせず,3曲ほど我慢して聴いたものの「これはさしもの九州男児もたまらんですばい」とふたり意を決して席を立つ。後を追うかのような阿部くんの「今度が最後の曲になりました」という絶叫にも耳を貸さずレジへ走る。ああ,走ったさ。耳を塞ぐようにして走ったさ。
これがゴングショウだったら席を立たずに黙ってゴングを鳴らせばすむんだけど。あの鐘を鳴らすのはあなた。
ま,昔みたいな「帰れ」コールの無い(だいたいふたりで「帰れ」ったってなァ,スタッフを敵に廻すと3対2でこちらの分が悪いし)ぬるま湯の時代へのせめてもの抵抗という事で。

という訳で,またどうでもいい思い出がひとつ。

その後,埒もなくあっちぶらぶらこっちぶらぶら。
最后に入ったコーヒーショップでも瀬戸口くんの「お水おかわり」はとどまる処を知らず。
いつも感心するのだが,このひとは変わらずのタフガイであった。無論,好事魔度も変わらず。
夕方彼と別れてからソラリアシネマで「ウーマン・オン・トップ(2000・米)」を観たら,秀作とは云わないものの映画の出来に満足したのでレイトショウは取りやめてそのまま帰る。



1月8日(月)

不死身の英ちゃんは結局びくともせずに我が家にやってきて悠都をあやす。
事故から2日経ったが身体の何処も毛ほども痛む気配はなく,ブレーキのぶっちぎれた自転車の修理も終わり,完全復活と云っていい。
奥さんのこさえたスパゲティ・カルボナーラを食べてから小倉スミックスホールへ。
ふたりで観た青年団「さよならだけが人生か」については此処では省略。
芝居がハネた後のロビーに平田オリザさんはいなかったものの,出演していなかった安倍聡子さんに会えたし,何より志賀廣太郎さんに念願のサインを貰ったので由とする。全く余計なお世話だろうが,やはり舞台人は目の前で見ると意外に小柄な方が多い。

PHSに長妹から留守電が入っていたのでかけなおすと伯父が危篤とのこと。
社宅に戻って,英ちゃんとお茶などしていると,更に夕方,先に病院入りした母から電話があって伯父の逝去の報を聞く。
英ちゃんを駅まで送った後,喪服に着替え,小倉在住の次妹を拾って苅田の伯父の家へ通夜に向かう。地元の名士だった伯父らしく,弔問客が引きも切らない。話によると,明日が友引なので今夜を仮通夜に,本通夜を明日に,葬儀を明後日執り行うとのこと。
年末倒れた時には既に人事不省だった伯父の死顔はすこぶる穏やかであった。享年70はまだ早すぎたがそれがせめてもの救いか。
明日は仕事した後で改めて通夜に出る事にして,23時頃,次妹と母を連れて伯父宅を辞す。母は今夜一晩妹の家に泊まることに。

このあいだ観た映画:「パリの確率(1999・仏)」「ウーマン・オン・トップ(2000・米)」



 135.組曲・七つの子

2001/2/6(Tu)

日記をうんとサボっていたら、今朝、犬山のおかあさんが心配して電話をかけてきたので、再開する事にする(わはははは)。
確かに、此処んとこウチへのアクセス数が激減しているのは日記が原因だよなあ。映画ページをちょろちょろと更新しているようじゃ駄目なのね。

という訳で今、奥さんが童謡唱歌に凝っている。
いや、別に凝っているという程のものでもないのだが、たとえばコドモを寝かせる時やむずかるコドモの機嫌をとる時にいつも組曲「七つの子」(「七つの子」を序曲に、「一月一日」「ちょうちょ」「ちいさい秋みつけた」…と奥さんが知っている限りの童謡唱歌をメドレーで唄い綴っていくのだが、毎回曲順もほぼ同じでしかも一曲につき一番しか歌わないので、このままで行くとウチの子は間違いなくメドレーをひとつの「歌」として憶えてしまう危惧がある)では、内心忸怩たるものがあったらしく、ネット検索で童謡唱歌サイトを捜して夜な夜なモニターの前で歌を唄っている。

ちなみに組曲「七つの子」の中でも、悠都が好きなのは「ももたろう」で、組曲では犬・猿・雉がきび団子をもらう処(3番)までしか唄われなかったので、奥さんはインテグラル「ももたろう」を目指して4番以降の歌詞を探索してみた。
まあ、知っているひとは知っているだろうが、以下にそれ以降の「ももたろう」を記す。

(4番)
そりゃすすめ そりゃすすめ
いちどにせめて せめやぶり
つぶしてしまえ おにがしま

(5番)
おもしろい おもしろい
のこらずおにを せめふせて
ぶんどりものを えんやらや

(6番)
ばんばんざい ばんばんざい
おとものいぬや さる きじは
いさんでことを えんやらや

かの物語の展開上、いたしかたないと云えばそれまでだが、聞きしにまさる非人道的、残虐的、ある意味壮絶な歌詞である。
4番もひどいが、とりわけ5番の「おもしろい、おもしろい」に始まって「ぶんどりものを えんやらや」でしめるくだりに至っては、戦前の日本人のメンタリティの礎を見た気がしますね。これは教育勅語よりもうんと効果があるわ。戦闘状態にあって重要なのは戦果だけで、もはや理性のカケラもないというか。「ぶんどりものを えんやらや」「いさんでことを えんやらや」と此処では「えんやらや」がキーワードですね(笑)。勝鬨の声はある種、思考停止のあかしだから。

で、このまま捨て置く訳にもいくまいと立ち上がった男たちがいる(笑)。
「ももたろう」に対するカウンターソングとして、悲愴な決意をした阪田寛夫&中田喜直の両巨匠がタッグを組んでこしらえたのが、「鬼の子守唄」である。反戦歌とは行かないまでも、哀切を帯びたバラッド調で、かの襲来の被災者で、身包み剥がされた鬼たちの視点から唄う、というコペルニクス的展開が英雄譚としての「ももたろう」の無力化を試みる。

鬼が島の鬼の子は
やっぱり夜ふけに泣くのです

こわいよ かあちゃん
桃太郎がきたよ
はちまきしめて
のぼりもたてて
ガッパ ガッパ ガッパ ガッパ
海からきたよ

桃太郎一味が鬼ヶ島に上陸してどれだけ極悪非道の限りを尽くしたか、今でも夢でうなされる鬼の子のトラウマに端的にあらわれる、という根の深い趣向である。「ガッパ ガッパ ガッパ ガッパ」という擬音というか擬態が効いていますね。
桃太郎たちが身にまとった装甲服が触れ合ってガッパ ガッパとイヤな音を立てているみたいな。
「海からきたよ」の一節だけで、夜の海をわらわらと上陸する「恐怖の軍団」の絵が浮かぶ処は、さすが阪田寛夫先生です。
続けて2番では脅える子供を鬼のおかあさんが必死で安心させようと試みるのだが、これがなかなか旨く行かない。

ねんねよ ぼうや
桃太郎もねんねだよ

でも、次の2行で彼女のせっかくの説明が一気にどしゃ崩れ(笑)。

西の空まっくろけ
東の空まっくろけ

あああああっっっ、天「まで」我らを見放したか((C)八甲田山)。
いくら母が慰めたとて、無垢な子供の瞳に暗雲立ち込める鬼ヶ島。
前回の襲撃で味をしめた桃太郎一味が、財宝を使い果たしてまたいつ再び来襲するともしれない。そう云えば、こないだ桃太郎が攻めてきた時も月の無い闇夜だった。鬼たちの傷ついた心が癒されるのはいつの日の事なのか。鬼の子の耳には、あの日の装甲服の音が悪夢となって蘇るのだ。

ガッパ ガッパ ガッパ ガッパ
こんやはさむい

鬼が島の鬼の子は
やっぱり夜ふけに泣くのです

鬼ヶ島側としては、リスナーの情に訴える作戦に出てきた訳ですね。
こうして検証していくと実際、桃太郎ってかなりひどいヤツだし。
かくもプロパカンダ合戦による桃太郎VS鬼ヶ島の攻防は今も続いているのです(おいおい)。
しかし、寝る前にこんな歌聞かされて安眠出来る子供なんているのかね。
ひとつ云えることは、奥さんがこの歌を完璧にマスターして子供に唄って聴かせるという事だ(わはははは)。

…しかし、童謡・唱歌ネタは結構使えるな。



会社帰りに戸畑のベスト電器で注文してあった川井憲次+ワルシャワ・フィルハーモニック・ナショナル・オーケストラ「アヴァロン・オリジナル・サウンドトラック」を買う。嗚呼、何て音が厚いんだ。悠都の奇声にもめげず、夫婦して暫し酔い痴れる。

このあいだ読んだ本:鷺沢萠「ナグネ・旅の途中―場所とモノと人のエッセイ集」(角川書店)/村上春樹「Sydney!」(文藝春秋)


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