備忘の都 2001 −FEBRARY−  ◆

ふと見ると、本多さんが標識を引き抜こうとしていた。
「なにやってんですか」
「空港くらい作っとけって言うんだよ」
本多さんは標識を抜いた。
「罰だ」
そして、一メートルほどスモジ側にずらして標識を地面に刺し込んだ。
「ちょっと領土減らしてやったぜ」
「まずいですよ」
「いい気味だ」
そして本多さんは僕の肩を叩いて
「言うなよ」

三谷幸喜「経費ではおちない戦争」(1991)


136.黄昏れて、途方に暮れて137.文治一門ニューフェイス
138.恵比寿の朝は早い139.野望成就140.新宿酒寮「大小原」

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 136.黄昏れて、途方に暮れて

2001/2/7(We)

脚本家の松原敏春さん逝去。享年53歳は働き盛りではないか。
癌に倒れ、闘病生活の後に、一昨年だか東京ヴォードヴィルショーの第54回公演「これっきり!黄昏れて、途方に暮れて」の作・演出(元々は結成メンバーだったとか。但し、出典不明)で奇跡の復活を知り(そう云えば、ヴォードヴィルのこの秋の第56回公演も松原さんの新作の予定だった)、その後の単発ドラマ「最後のストライク 炎のストッパー」やこの春放映予定の「天国までの百マイル」など、自身の闘病とクロスオーバーするような終末期患者がテーマのヒューマンドラマを量産している矢先の訃報であった。
志の高い作家をまたひとり失くしてしまった。残念だ。合掌。

さて、この週末、本多劇場で観劇予定の「追いつ! 追われつ!!」は今日が初日。
芝居の内容は当日までのおたのしみという事で伏せられていたが、さすがに芝居初日で解禁になったのか、ヴォードヴィルの公演情報で、出演者のひとり市川勇さんが、筋立てをコンパクトに紹介してくれている。ベイサイドでグラサンと黒いスーツに身を包みダンディを決め込む両巨匠、というチラシも眉唾物とは聞いていたが、案の定ベタベタな「髷物」で行くらしい(「コメディお江戸でござる」を降板した欲求不満がこんな処に・笑)。

「お家騒動に巻き込まれた長屋の住人達が悪の家老一味から若殿様を助ける」

わはははは…余りのこてこて振りにカスタネット片手に足を踏み鳴らしたくなります。
そう云えば、一緒に行くマダムEは一度「お江戸でござる」に行ってみたかったそうだから、このシチュエーションは願ってもない僥倖なのでは。
遊び人半次に伊東四朗御大、悪家老小松大善(宍戸大全みたいでいいなあ)に小松政夫御大。まごうかたなき大衆演劇になる筈。
嗚呼、いしむらの塩豆大福を手土産に、押っ取り刀で駆けつける喜び。



昨日くらいから悠都のご機嫌がたいへん悪い。ていうか、オーバードーズかと思うくらいテンションが高くて、むずかっていない時も大声で喚き散らすわ、泣き真似のクセがついたわ、性質(タチ)の悪い事、このうえなし。当然、奥さんもヘタっている。
大体、このあたりでダークサイドに落ちたひとが、折檻方面に流れてしまうんだろうな。いや、自戒、自戒。

そうそう、井沢先生が遂に昨日から「つま恋」のドラマ執筆を開始されたそうだ。
オンエアは11月24日(土)にNHKで、どうやら単発のスペシャルだとか。
連ドラじゃないのが残念。あれだけ全11回OKですよ的起伏に富んだ原作なのに。
どのキャラが削られるか気になる処。京都の三姉妹は決定的だな…。




 137.文治一門ニューフェイス

2001/2/8(Th)

話は1月末に飛んで来た、桂歌助さん責任編集芸協Eメールマガジンまで溯る。
そこには、【ニュース情報】として、

■<協会員入退会> 桂前助入門
 文治門下に新しく桂前助が入り、当席から楽屋修業を開始しました。

とあり、翌朝、会社宛てに早速とんくんから「文治門下に入門者あり」とのメールが届いた。
一応、芸協サイトで、前助さんのプロフィールを洗うなど探索はしたのだが、枠だけで中身は真っ白だったので詳細が分からなかったので、あろうことか僕はガセ情報と判断をくだす事にした(どーしてだよ → 俺)。
以下は、僕が出したとんくんへの返信。


倉田です。
芸協Eメールマガジンは自分も愛読しています。
(高座スケジュール詳細情報をこさえるのに重宝している)

転送されてきたメールも今朝、別便で読んでますが、
文治師匠の処の前座(男性)名は
「本名の中から一字 + 治」なのが、通常のパターンです。
(文治一門プロファイル参照のこと)

#女性の弟子となると(「小治(こはる)」「小文(こふみ)」)
#となって、これはまた別の法則が見出せる。

少なくとも、右團治さんとはほぼ毎日メールのやりとりをしているし
仮にそんなニュースがあれば、教えてくれる筈です。
それにおそらく師匠はもう新弟子とる気はないよ。

桂枝助、桂米助、桂歌助…真打で、それっぽい名前の師匠がたは
芸協に何人かいらっしゃるんで、その中のどなたかではないですかね。
(枝助師匠は芸術協会役員なんで、このひとの処とか)


で、何なら「念の為、右團治さんに確認しとくわ」などとメールを結んでおいたくせに棚上げしたままうっかりしていたのだが、今夜、やっさんと土曜の打合せをしている時に丁度そのことを思い出したので、もののついでに訊ねてみた。

「あのさ、こないだ桂前助さんって前座さんが入門したじゃない」
「あー、はいはい」
「そのひとってどちらの師匠に入門したの?」
「ん? ウチの師匠んとこ」

思わずひっくり返りそうになる。誰も見ていないので膝カックンしたりして。
脇で悠都が嬉しそうに引っ張り出したビデオテープを慌てて取り上げてから、

「師匠の処に入門したの?」
「元々は談志師匠の処で立川志っ平(しっぺい)って名前で修行してたんだけどね、だから落語は結構出来るんだよ。で、ほら、お医者さんやってる前治さん、あの人の仲介でウチの師匠の処に話が来て、そいで、師匠が談志師匠のお宅に電話して『今度ウチで預かるから』って話をつけたんだ」
「でも前助って前座名は今迄の一門とはパターンが違うじゃない」
「うん。自分でつけたみたいよ。前治さんに紹介してもらったからってんで、前助」

そーだったのかっ。思いっきり、腑に落ちる。
成程、それじゃ確かに「治」の字が入らない訳だ。
という訳で、そのあと、すぐにとんくんに「ごめんなさい」メールを出す。エラそうな事書いて本当にごめんなさい

それなら「平さん」内にこさえてある、文治一門プロファイルを追加更新しなきゃいけないじゃないか、という事で、前座修行中なら土曜に浅草で会えそうな気もしたが、前助さんが師匠方のお世話で忙しくて話が出来なかったら困るので、事前に拾える情報は全部集めておく事にする。さいわい、元は立川流に在籍していた噺家さんなので、ひとまず立川志っ平で検索をかけたら、11件ほどヒットした。ああ、インターネットは便利だなあ。

世に好事魔は多いと見えて、すぐに目についたのが、立川流・戦没者慰霊碑
見てもらえば分かる通り、本名程度の基礎データなら簡単にそろっちゃうから何だかうすら怖くなってくる。
既に文治門下に入門、という情報更新済みのサイトもいくつかあったけれど、「立川志っ平 改メ 桂いぼ治」とか、「桂??」とか、確定した前座名で更新してあるサイトを見つける事は出来なかった。でも、桂いぼ治ってのはきわめて立川流的ですね(いや、たけし軍団的と云うべきか)。実際に候補名だったか、暫定的に名乗った「とりあえずの」名前だったのかもしれない。そこらへんも含めて、土曜日に教えてもらおっと。
しかし、まさか今から新しいお弟子さんとは。やっさんが長瀬と共演した時よりもびっくりしちゃいました。
ちなみに文治師匠は先月で喜寿になられた。嗚呼、今から寄席が楽しみである。



そう云えば、帰宅すると悠都のご機嫌がすっかり直っていた。
話を聞くと、久々に天気が良かったのでお出かけをして、沢山のおともだちに逢ったらしい。
さては狭い部屋から外に出られない日が続いて、ヒスを起こしていたか。赤子はデリケートなのだなあ。

今日観た映画:「溺れる魚(2001・日)」



 138.恵比寿の朝は早い

2001/2/10(Sa)

特に寝坊に対するプレッシャーや緊張があるとも自覚してなかったのだが、5時前には目が覚める。
普段は8時前にしか起きられないのに(それはそれで問題だろ)。
奥さんが昨日のうちに予約してあったタクシーが5時45分には到着。
これまた奥さんが昨日のうちにチケットを買っといてくれた高速バスに乗って福岡空港へ。
JAS300便は定刻通り、7時25分離陸。第一の関門は突破という処か(何がァ?)。
ふと頭を「ファイナル・ディスティネーション(2000・米)」の予告篇がよぎる。我乍ら悪趣味である。
昔は(ったって3、4年前だ)、早朝便というと、おにぎりやらサンドイッチやら軽い朝食が出たものだが、今回は無し。そんなにJASの台所事情は厳しいのか。でも、客室乗務員のルックスは粒ぞろいだったり。ピンポイントでカネをかけているという事か(ばか)。

生まれて初めて、まじまじと富士山を眺めた(気がする)。冬Ver.だけに中腹まで真っ白だ。
お天気良好。話によると、連休明けから気圧の谷が襲って来るとの事なので、偶さかこの2日間だけ愛日(あいじつ)に恵まれたようだ。

当然乍ら、9時前には羽田着。
モノレールを使うと無駄に高いし(まあ100円そこそこだけど)、時間に余裕もあるので、京急本線急行(青砥行)で品川まで出て、其処から山手線に乗り換えて恵比寿まで。所要時間30分少々、10時前には恵比寿に着いてしまう。東口に出て、奥さんと瀬戸口くんに電話した後、時間が有り余っているので、駅から徒歩5分だという「RISTORANTE MASSA」の下見に向かう。肌寒いもののぽかぽか陽気が心地良し。成程、5分足らずで「MASSA」発見。ちょっと細い道に入るものの街中だし「ラ・トゥーエル」よりはうんと分かり易い場所にある(「ラ・トゥーエル」も分かり難いという程ではない)。えらく小さい店先である。

小腹が空いたので、店に来る途中で見かけた「モスバーガー」に入る。
東京限定だという「チーズがとろーり、フランクがぶちっ」のピザドッグ&スパイシーピザドッグに一旦は心が揺れたが、まだ味の予想がついたので、北のコロッケフォカッチャをフライド・オニオン&ポテトのセットでいただく。消費税込み567円也。窓際のテーブル席から事前連絡を怠っていたはるさんに電話する。

「今、英ちゃん来てるよ」
「なにィッ」
「何、知らなかったの? 俺、てっきり、あんたたちつるんでたのかと思った」
「全然聞いてないよ。英ちゃんには上京する事云ってあったけど」
「あんたたち、本当は仲悪いんじゃないの(笑)」
「うーむ、そうかもしれん。…代わって」

ややあって、

「もしもし。英ちゃんです」
くぉら、てめェ

英ちゃんは東京出張が急遽決まって、木曜の夜から上京しているらしい。
仕事は金曜にあった90分の会議だけで、どうせ連休だしィと金曜の夜以降、はるさんちに泊まって月曜日に九州に帰るという、豪華「完全経費の手出し無し」しあわせ旅行だった事が判明。めちゃめちゃ美味しい話ではないか。で、昨夜もはるさんと「そういえば(僕も)来るって云ってたの、この時期じゃなかったっけ」などと話していたらしい。宿泊先を瀬戸口くんちにしたのは間違いではなかったようだ。
とりあえず、明日逢う約束だけして、電話を切る。ちなみにフォカッチャは旨かったが、フライドオニオンがちょっと食い足りなかった。



駅に戻って、物見遊山にガーデンプレイスへ向かっている最中にE崎さんから電話が入る。
今、三鷹の駅だから、恵比寿には約束した11時20分頃に着きそうとの事。東側改札口を待ち合わせ場所に指定する。
そうそう、遊歩道で俳優の掛田誠さんと擦れ違う。スタジャンの背中には大きくSFの文字。恵比寿周辺にお住みなのか。
掛田さんを目撃したのはいいのだが、マイナー過ぎて、一般人に説明出来ないのがやや難。
ていうか、オレが出会う有名人はいつもそう。藤木孝さんとか内田稔さんとか、聞き手側の素養を求めるような渋いひとばっかしだ。
初めてのガーデンプレイスを散策する。結婚式があるのか、広場の真ん中に青空教会がしつらえてある。高いんだろうなァ。
でも、まともに店を開けているのは映画館だけ(三越の開店は11時だった)。うう、つまらん。
映画を観る訳にもいかないので、駅に踵を返して、恵比寿アトレで、文治師匠に題字をお願いする色紙を買いに行く。
最初は無印良品に行ったが、さすがに色紙は扱っておらず、E崎さん夫妻との約束の時間が迫っている処に上の階の有隣堂でようやく発見。1枚150円を2枚、「右團治画報」と「娯楽のタマシイ」。今思えばこの時書き損じ用を買わなかったのは大きな躓きの石であった。

程なく、E崎さん夫妻到着。いやあ、おひさしぶりです。
E崎さんのご主人は昨夜は仕事で午前様、今朝は早朝テニスとなかなかご自分を酷使。
明日は明日とて、夫婦して霧ヶ峰方面に遠出なさるとか。僕が聞いても凄い過密スケである(にさせたのはオレのせいなんだよ)。
のんびり歩きはじめるが「RISTORANTE MASSA」に開店前10分くらいに到着してしまう。
「こちとらお腹空いてて気が立っているんだ。えーい開けんか」とゲンコで叩くは蹴るはの大騒ぎの上(ウソです)、ちょっぴり早く入店させてもらう。
このあとの食事の模様は、美食のタマシイに譲る。
ま、鉄人・神戸勝彦が厨房で鍋をふるう処もしっかり押さえたし、ミーハーなオレ的には全然OKでした。




 139.野望成就

2001/2/10(Sa)

食事を終えたら終えたで、今度は寄席を聞きに浅草へ。E崎さん夫妻にとっては全くせわしない話である。
営団日比谷線でまずは東銀座、其処から都営浅草線快特(青砥行)に乗り換えて浅草まで。所要時間30分弱で、290円。
雷門も浅草寺もいっさい無視して、寿司屋通りを抜けて、目的地「浅草演芸ホール」へ。それが丁度14時くらい。
入り口では、おじさんたちが寄ってたかって客入れをしている。
「東京かわら版」を忘れたので正規の2500円で入場。でも昼夜入替無しなんだから超がつく格安だと思うんだがどうだろう。

客席はいくつもの団体客が入っているらしく、補助席と立ち見が出る程の大入り満員。
それでも、客席の中にはぽつぽつと空席があったので、夫妻と僕と2箇所に別れて、どうにか滑り込む。
舞台はおりしも、新山ひでや・やすこの歌謡曲で綴る世界旅行漫才の真っ最中で客席と舞台が一体になって盛り上がっていた。
僕自身いつもえらそうな事を書いているが、寄席に行くのは2度目で(その時も浅草演芸ホールであった)、あの時は文治師匠の「義眼」という艶噺を聞いたんだった。確か、トリは茶楽師匠の「三年目」。それでも3年前くらいの話だ。
という訳で、寄席自体の感想は余裕があれば「舞台のタマシイ」でやる。



昼の部のトリである文治師匠の「親子酒」が終わったのを見計らって、夜の部までの間隙をついて慌てて楽屋へお伺いする。
とりあえずやっさんを呼んでもらうと、やっさんが出てきて「こっち入っちゃって構わないから」
恐縮しつつ奥へ進むと、襖の向こうから文治師匠がニコニコと手を振ってくださっている。
秋に、お電話で話して以来である。

「どうぞ、こちらへ。足を崩して楽にしてください」

とは云え、師匠のお隣にはくつろいだ姿の三笑亭夢楽師匠。僕如きがくつろげるものか。

「ご無沙汰しています。北九州の倉田でございます」
「いやあ、どうもどうも。北九州と云えば倉田さんしかいないと思っていますんで」
「いやいやいやいや(ウソだァい・笑)」

いやいやいやいや。師匠、それではまるで地方公演のマクラのお客さんのつかみじゃないですか。
でもこの場合、重要なのは、それが僕ひとりに向けられてるって事実なので、この際簡単につかまれちゃう事にする。
だって、やっぱり耳に心地好いしィ。

「いつも、ホームページを作ってもらってて」
「いえいえ、滅相もございません」東京在住なら文治師匠ご本人のサイトも作らせていただきたいくらいだ。
「処で、平治ィ」と師匠。やっさんは隣の部屋で高座用の着物に着替えている処。
「去年、お子さんが生まれたひとは誰だったかな?」
「そ、それも私でございます」
「あ、そうでした?」…師匠の中では、倉田はふたりいるらしい(笑)。
「ええ、桃太郎の色紙まで送っていただいて」
「そうそう。あの、目のくりりっとした奥さんの?」
「ええ。そのオットでもあります」奥さんの顔相はつくづく役得である。時々羨ましい。
「彼女が平治のお友達で、それで一緒にお酒呑んだ事があるんですよ」

ま、正確には僕がやっさんの友達だったんだが、今となっては奥さんもやっさんのお友達なので、由とする。
ていうか、お会いする度におんなじ認識をされているのでもう馴れたもん(え、ひがんでるみたいに聞こえます?)。
此処らで、鳥越酒店のご主人一押しの芋焼酎「富乃宝山」をお渡しする。
ご主人が云うには、鹿児島産なんだが、芋独特の強い香りが皆無に等しい。芋と聞かずに呑んだら決して芋とは気取られない、それくらいさっぱりした喉越しだとか。ロックとか水割りがお薦めだそうだ。ちなみに人気の火がついたのも関東から、との事だった。

「いえね、今夜はこれから呑み会なんですよ」師匠は着物の上から防寒具のスボンを穿き乍ら、
「平治ィ、これ、オレがいただいていいのォ?」
「いえもう。師匠にお持ちしたんで、是非お持ち帰りください」
「皆んなで大分の五百羅漢に行ったんでしたね。写真も沢山送っていただいて」

それからひとくさり五百羅漢に関する師匠の蘊蓄を伺う。
でも師匠のお話をお伺いし乍らも、実は前座の前助さんの事が気になって仕方がなかったりして。
師匠とお話しているのは楽しいが、このままでは夜の部が始まって前助さんと話をするチャンスを逸してしまう。

「師匠。そう云えば、新しい前座さんが入られたそうで」
「ええ、そうなんですよ」と、前助さんが一門に入った経緯を説明してくださる。
「実はホームページで前助さんを紹介させていただきたいのですが」
「ああ、そうですか。前助、前助。…さっきまでそのへんにいたんですけどねえ」
「あと、そのう、もうひとつふたつお願いがあるんですが…」
「はい、何でしょう? あ、写真、撮りますか。着物の方が良かったですよね」

いえ、実はですねえ、とそそくさと色紙を取り出す。
今回の上京の目的は伊東四朗&小松政夫のお芝居の観劇と、はっきり云ってもうひとつはコレであった。
即ち、ウチのサイトの題字を文治師匠に書いていただく。嗚呼、そう口にしただけでも何て贅沢な野望だろう。
どういう訳か、この「娯楽のタマシイ」を立ち上げた際に、なしくずし的に看板をつけ損なった。で、ずるずると3年くらい放置してしまった訳だが、さしものものぐさな僕もこれではいかんと思い立った。更に1年くらい前からふつふつと、この際(どの際だ?)文治師匠に題字書いていただけたら、こりゃあ望外のしあわせだよなァ、などと夢想していたのだ。「右團治画報」だって文治師匠に書をお願い出来れば、うんと締まるし。さすがにどれもこれも文治師匠にお願いするのもアレだから、「平さんがゆく!」が別に考えよう(やっさん、ごめん)。
処が夢想してからぱったりと文治師匠にお会い出来なくなった。秋に移動芸術祭で大分へいらした時は佐伯にしか寄られなかったし。
僕は今日の日を今か今かと待ちわびていたのであった。

「という訳で、ホームページ用に題字を書いていただきたいのですが」もじもじ…。
「あー、そういうのなら平治の方が得意ですけど。なァ、平治ィ」
「あ、いえ、寄席文字じゃなくて(やっさん、ごめん)是非、文治師匠にお願いしたいんです」
「あたしは寄席文字はァ…」
「もう普通に色紙に書いていただければ結構なんです」
「さいですか」
「で、二枚程お願いしたいんですが…右團治さんの看板と僕個人のページと」
「え、くらっち、自分のホームページもこさえてんの?」と、これはやっさん。
「知らなかったの?」
「(しみじみと)そうだったんだ。そりゃ大変だ。…あきれたねえ」って、あきれちゃ駄目だよ。
「そうっスか」と師匠。「じゃ、誰か筆と墨汁持ってきて。いえね、あたしの筆なんですけど」

今住んでる部屋が乾燥してるのかなあ、ひび割れちゃってるんですよ、と師匠が取り出した筆は確かに柄に無残なひびが幾つも入っていた。
「今のマンションに移ってから、冬になると駄目になるんですよねえ」

前座さんが筆を持ってきてくださる。ひょっとしてこのひとが前助さん? 「で、何て書けばいいんスか?」
慌てて、師匠のお傍に並ぶ。脇を「ちょっとすいませんよ」と通り過ぎるのは、わァ、都家歌六師匠である。
夢楽師匠は先ほどから、ずっと師匠の隣で足を伸ばしておられる。
わあああ、オレってめちゃめちゃ場違いィ。
という訳で、無事に「娯楽のタマシイ」「右團治画報」と師匠に書いていただく。
「右團治画報」はついうっかり「右團報」と書き損じられたが、どうにか裏に書いていただいて由とする。
ご無理を云って、ちゃんと銘も入れていただいたし。落款をお持ちじゃなかったが、それはまた次回とせい。
嗚呼、我が青春に悔いなし。

「師匠、お時間です」とグレーのジャンパーの青年が呼びに来る。
「ああ、こいつが前助です。倉田さんがおまえのこと、ホームページに載せたいんだって」
「どうも、この度は」などと通夜の挨拶のように、頭を下げあう。ばかだね、オレも。
「じゃ、また夜にね」とやっさんに新宿の店までの地図を書いてもらう。

楽屋口に出ると、着物の帯を整えている快治さんを発見。「今から出番なんですよ」
どうやら既に前座さんが高座に上がっている様子。夜の部、もう始まっちゃったんだ。
ロビーで、師匠と色紙の記念写真を撮らせていただく。
師匠、撮影の途中で「これ、邪魔ですね」とかぶっていた帽子を脇のソファーにお投げになった。
嗚呼、勝手にしやがれ、みたいだ。そんな事考えるオレって莫迦?
折角なので、前助さんの写真も撮らせてもらう。

「あるホームページで前座名『いぼ治』って書かれたのを見かけたんですけど」
「ああ、あれはちょっと冗談で一時つけていただいてたんです」

って、おふたりが出て行かれてから、誰が名付けたのかを聞き忘れた事に気付く。
嗚呼、つくづくオレって莫迦。だって色々舞い上がってたんだもん。
やっさんだけなら緊張しなかったんだけどなァ。



寄席に戻ると、前座さんのサゲが終わって快治さんが出て来る処だった。
ネタは「初天神」。でも、興奮の余り、心此処にあらず(快治さん、ごめんなさい)。
やっさんの「たらちね」が始まる頃にようやく冷静になって(遅いね、オレも)、ばーりばりのざーくざくに大笑いし乍ら、下北沢までのルートをシミュレートし始める。やっさんの噺が終わったのが、5時40分くらい。10分くらい押している。次の三遊亭円雀師匠には申し訳なかったが、E崎さん夫妻に目配せして、演芸ホールを出た。あたりは既に薄暮を通り越して、真っ暗であった。浅草駅へと急ぐ3人。

下北沢で観たお芝居の様子は、「追いつ!追われつ!!」を参照のこと。




 140.新宿酒寮「大小原」

2001/2/10(Sa)

「追いつ!追われつ!!」がハネた後、明日は明日とて霧ヶ峰へ出かけるE崎さん夫妻@強行軍とお別れして、下北沢からひとり新宿へ移動。
下北沢のホームで家に電話して悠都のぐずる声に、一瞬だけ素面に返る(わははははのは…)。ええ、何もかも奥さんのおかげです。
21時半には、と思っていたが、何のかのと新宿駅に着いたのがもはや21時40分くらい。
浅草演芸ホールの楽屋でやっさんが書いてくれた地図を頼りに、新宿駅東口から、アルタ横の住友銀行と富士銀行を挟んだ、比較的細めの路地に入って、地図にある通り、四つ角でエロ本屋とラーメン屋がある事を確認してから、程無く雑居ビルの5Fに「大小原」の名前を見つける。

文治師匠もよく顔を出すという新宿酒寮「大小原」は居心地の良さそうな居酒屋だった。
天井に処狭しと飾られた無数の色紙は、中洲の屋台にびっしり敷き詰められた沢山の名刺を思わせる。
やっさんも此処へは久し振りらしく(こないだお友達と来た時の…、と大将がやっさんに差し出したのがとんくんとツカザキくんの写真で、とんくんが此処に来たのは8月の筈だから、半年振りくらいなんじゃないか)、先に座敷で突出しの厚揚げに箸をつけ乍ら、店の大将「大ちゃん」と話し込んでいた。
やっさんの座っている壁際には文治師匠が描く干支の色紙が12枚並んでいる。どうやら大ちゃんご自慢の品のようだ。これは確かに自慢していい。やっさんの院内の実家に飾ってあるぶんだって、まだ何枚か足りなかった筈だ(ちなみに我が家も最初にお会いした時にお近付きのしるしにってんで「牛」の絵だけ戴く事が出来た)。
席につくと同時に突き出しが出て来る。厚揚げと大根の煮付け。

「何でも好きなもの頼んでよ」とやっさん。
「それじゃ、この厚揚げを」
「これは客へのサービスなんだよ、それじゃ商売にならないよ(笑)」
「いや、だって旨いから」

などと云ってる傍から、小鉢ではなく、大き目の器に厚揚げが出てきた。
ああ、ありがとうございますう。
とにかく、大ちゃんは気配りのひとで、御自身が文治師匠とその一門をこよなく愛す一ファンで(何しろ、師匠や右團治さんの新聞記事の切り抜きや披露口上なんかを丁寧にスクラップしてあるくらいだ)、そして根っからの話好きなひとであった。次から次へと話が出て来る。久し振りに訪ねてくれたやっさんが嬉しかったのかもしれない。
とりあえず、寄せ鍋(ポン酢不要のゆずで味付けた薄味系)と、男爵コロッケ、揚げギョウザ、焼きうどんなどを頼んで(ああ、居酒屋だなあ)、色んな話をする。
11時を過ぎてから、王子まで踊りの稽古に行っていた右團治さんが到着。まずは駆けつけのビア・ジョッキ。
右團治さん、僕のためにわざわざ新宿まで出てもらって申し訳ない。
でも、考えてみれば、「右團治画報」を立ち上げてから、右團治さんと直接逢うのはこれが初めてだったりする。
最后に逢ったのは、一昨年の秋に宇佐でやっさんが真打披露興行をした時だから、15ヶ月振りである(電話だって2、3回くらいしかしてないし)。でも久々に逢うという気が全然しないのがメールというメディアの威力で、そりゃネット婚が成立する訳だなどと改めて感心したり。という訳で、「右團治画報」記念すべき第一回オフミでもあったのだな。個人的な裏テーマだけど。
という訳で、右團治さんに本日の釣果(と書いては文治師匠に失礼になるかしら)である、師匠直筆「右團治画報」の色紙を見せる(あ、ついでに「娯楽のタマシイ」の方も)。「右團治画報」の書き損じ「右團報」も披露して、「折角だからこれもサイトで紹介するつもりです」てな話をする。

「唯一の心残りが落款を戴けなかった事なんですよね」
「あー、師匠、お持ちじゃありませんでしたか」
「だから、次回お会いした時に落款を押していただいて画竜点睛となす、と行ければ」
「じゃ、あたしが貰っといて、後ほど郵送しますよ」
「ホントですか、じゃお願いします」

という事で、色紙は暫し右團治さんの許へ。
それからひとくさり大ちゃんのアンブレイカブルな逸話や、ボランティアの話を聞いた後、最終の時間が迫っていたので、申し訳ありませんがと記念写真を撮ってお開きにする。別れ際に大ちゃんがお店で特注した焼酎「大小原」をお土産にと持たせてくださる。ラベルの文字が文治師匠直筆・銘入りなのがご自慢らしかったので、負けじと「右團治画報」の色紙を取り出す(こんな処で張り合ってどうする)。
やっさんには店の勘定を持ってもらい(「東京に来た時くらい」)、右團治さんには 一足早いチョコをもらい(しかも、やっさんや大ちゃんより大きかった。抗議するやっさんに「東京に来た時くらい」と右團治さん・笑)、僕を取り巻く森羅万象に感謝しつつ(おいおい)「大小原」を出る。



新宿駅で、やっさんと右團治さんと別れ(もっと沢山話がしたかったのにィ)、構内を迷走しつつ、どうにか大江戸線のチケット売り場に行き当たった時には、残りの電車は最終24時26分を残すだけとなっていた。間一髪である。ホームから瀬戸口くんと奥さんに電話して最終電車に。
大江戸線赤羽橋駅着が24時40分。僕が出口から離れた途端にシャッターががらがら降りていく。
深夜に聳え立つ東京タワーの胸元あたりにはイタリア国旗を模した00の電光文字が。
嗚呼、そう云えば今年は日本におけるイタリア年でしたね。

迎えに来てくれた瀬戸口くんと一路、芝公園方面の瀬戸口邸へ。て、ものの5分で到着。
どうしてというくらい広いワンルームマンションに驚愕し乍らも、お尻があたたまる間も無く、近くの「すかいらーく」へ。
お向かいにある、ライトアップされて威容を誇っているのは慶応大学正門ではないか。
瀬戸口くんの遅い夕食(断じて夜食ではない)に付き合って、春巻風の焼き大福をオーダーする。うーむ、夜中にこんなカロリーの高いもの食って…。瀬戸口くんはうにソースのスパゲティとオニオングラタン・スープを食べた後(ふたり共、ドリンクバーを大いに活用)、コンビニで更にドリアなどを買い込む。結婚する前の昔の自分を見ているようである。でも、彼自身は以前に比べてぐっと痩せたのよね。通勤時間の短縮、それに伴うストレス解消など一応想定される原因は挙げているものの、やっぱり不思議。ぷー。

瀬戸口邸に帰宅後、はるさんちに電話して、はるさんや英ちゃんと色々話す。
本来、メインの議題である夏コミ会誌の相談は殆どしないままに、とうとう倒れたのが朝の4時半。ぐう…。
それでも、朝はやってくる。



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