備忘の都 2001 −MARCH 〜 APRIL−  ◆

全国の手品マニアの皆さん、マジックをやるときは観客を選ばなくてはいけません。
次の人々の前では決してやらないように。動物、子供、マジシャン。

まず、動物は何が不思議なのか分かってくれません。
子供はタネを見せろと必ず駄々をこねます。
そして、マジシャンの前でマジックを見せるという事は、
私の前で人を殺すのと同じくらい危険な事です。

古畑任三郎


166.10000アクセスへの道167.やせうまときしめん
168.ポワソン・ダブリル169.おたんじょうびのメイシーちゃん170.みんな、ありがとう

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 166.10000アクセスへの道

2001/3/29(Th)

何を血迷うたか、宇多田ヒカル「Distance」を購入。
こないだのSMAPのベスト盤と云い、我が家的に少しおかしいかも(笑)。
…でも、奥さんは元来ミーハー買いをするひとではあるな(と、彼女のOL時代のCDライブラリを見ると思う)。

衝動買いなので、事前予約は無し。
尤も、初回ブレス400万枚だし、浜崎あゆみのベストも同日発売だし、何より発売当日だし(正確には店頭に並んだのは昨日だが)、簡単に買えるものと過信してベスト電器に行ったら、いきなり「品切れ」の文字に出鼻をくじかれる。本当ならおとなしく予約注文しても良かったのだけれど(その方がポイントが2倍つくし)、何しろ衝動買いなので、そのまま別の店を渡り歩いて、何の特典もないままブツを買ってしまう(このへんがオレらしい)。

全13曲中、ほぼ半分がシングル曲で、そのどれもがランクインしているので、オリジナルアルバムなのに、ベストアルバムのようである(だから買う気になったんだけど)。



(おそらく)本日の朝早く、10000アクセス達成。
ウチがホームページを立ち上げたのが1998年の8月だったから(ちなみにやっさんのサイトが同年10月、右團治さんのサイトが2000年1月だ)足掛け2年半かかった事になる。感慨はない。やっさんのサイトが10000アクセスを達成したのは去年だったし、右團治さんのサイトもわずか1年そこそこで10000カウンタを超えてしまった。我が家も出来れば20世紀のうちにどうにかしたかったのだが、とうとう20世紀度末(年度末があるんだから、世紀度末があってもいいだろう)まで引っ張ってしまったのが、むしろ無念でならない。反省点は多々ある(次に活かされないけど)。ウチはBBSを置かない、垂れ流しサイトだから、コンテンツにモノを云わせなきゃならないのだが、ご覧の通りのていたらくだし。両刃の剣とは云え、やっぱりインタラクティヴなのは大切だと思う。

ひとまず、2001年度の目標(書くだけは書く)。
1.トップページに看板をつける(素材は立派である。何しろ文治師匠に書いていただいたんだから)。
2.企画ページを立ち上げる(まずは井沢先生と約束した「とっておきの青春」データベースから)。

少なくとも、1はどうにかしなきゃな。
師匠にご無理を云ったのだから、放置していちゃ申し訳が立たない。




 167.やせうまときしめん

2001/3/30(Fr)

以前、奥さんを大分のデパートに連れていった時、彼女は初めて見た「やせうま」にカルチャーショックを受けた。
きしめん・味噌カツ文化にどっぷり首まで浸かった彼女にとって、見た目はきしめんなのに、きな粉とセットでお菓子扱いされているのが、どうしても理解出来なかったらしい。きしめんパイがありなんだから、きな粉きしめんもありだと思うのだが(尤も、僕だって黒蜜でところてんを食う文化圏に眩暈をおぼえた口なので、あまりエラそうな事は云えない)。

N澤がこの週末、プチ出張(大分支社の情報処理受験講座)で大分まで行くというので、つい、やせうまの話題になった。
大分出身である彼にとって、やせうまは全国区と信じてやまなかったおやつである。
彼の戸惑いは分からないでもない。何しろ、大分では学校給食にだっておかずとして出ていた(今はどうだか知らないが、当時の学校給食のメインがぜんざいやフルーツ・ポンチといった甘味系なのは珍しい事ではなかった)。純然たるきな粉まぶし系の事もあれば、ぜんざいの白玉のピンチヒッターだったりする事もあった。子供の頃、僕自身「やせうま」と「きしめん」の違いは分からなかった。単純に呼び名がふたつある位に思っていた。

「やせうま」の正式名称は「豊後方言銘菓 やせうま」。思い切り大分の特産である。
調べてみると、やせうまにも元祖となる製造元があるらしい。
(有)やせうま本舗 田口菓子舗には、「やせうま」の名前の由来が書いてある。

曰く、平安期、京都の御所で育った藤原鶴清麿という幼君が豊後の大友家を頼って隠居した。
鶴清麿君に使える八瀬(やせ)という乳母が、幼君におやつをせがまれる度に拵えたのが、小麦粉をこね、長く伸ばして茹で、きな粉をまぶしたものだった。鶴清麿君の「八瀬、うま(まんま)欲しい」が転じて「やせ・うま」になったのだそうな。ううむ、「うま」とは食べ物(おやつ)の事であったか。ちなみに広辞苑で「やせうま」を紐解くと、「痩せて力の弱い馬」とある。やれやれ、静岡県の遣小屋(やらいごや)が「たほいや」だという事まで書いてくれてある辞書にしては不甲斐ない話である。

尤も、別に八瀬さんのご先祖が田口菓子舗を営んでいる訳ではなく、その源流は昭和33年と非常に新しい。説明には「故人間国宝、竹工芸家・生野祥雲斉氏のご指導と田口タケ子の構想により、創設者田口信雄氏が考案し製品化す」とある。それが大分県下ではあっというまに一般へ行き渡り、少なくとも僕が小学生だった昭和50年代には「田口菓子舗」の冠なしに、ブランド名としてではない「やせうま」を食べていた訳である。むしろ、我が家は両親が熊本出身だったせいで、学校給食以外で「やせうま」を食べる事はなかったと云っていい。

一方、きしめんの由来は、きしめん考にある通り、定説は定まってはいないものの、雉(きじ)肉がはいっていたとする「きじめん」か、名古屋の碁打ちが対局中の一服に、うどん粉をこねて碁石の大きさに丸め、豆の粉をつけて食べたとする「碁子麺」、それから「紀州麺」か。いずれにしても、つゆ物である。菓子のたぐいなどではない事だけは確かだ。

いずれにしても「やせうま」と「きしめん」の違いなんて、パスタの「タリアテッレ」と「フィットチーネ」の違い(あるのか、そんなものが)を論じるよりはうんと分かり易い。それよりもわざわざ「やせうま」の話題を振った(振られた・笑)N澤がもしや手ぶらで帰ってきはしまいかと、今はそれだけが気がかりである。此処だけの話、「やせうま」って案外イケるのである → 名古屋方面の皆さん。




 168.ポワソン・ダブリル

2001/4/1(Su)

昨日は博多で、竹中直人の「連弾(2000・日)」を観たのだが、折角、福岡に行っていたのだから浄水通りの「16区」まで足をのばしとけばよかった、などと翌日になってから思い付く。いや、何、この時期、かの店では「ポワソン・ダブリル」の魚のチョコレートが店頭に並ぶのに、うっかり忘れていたのだ。年に一度のチャンスだからなァ。来週は行けそうもないし。

もはや、知らない人の方が少なくなった、ポワソン・ダブリル(Poisson d'Avril)。
四月の魚とはつまり、フランスの四月バカを指すが、何で魚なのかはよく分からない。
たとえば、サバは四月になると、食欲旺盛になってどんな餌にでも食らいつくから、すぐに引っかかる「四月の魚」。
あるいは、四月のこの時期、太陽はうお座の位置にあって、四月なのにうお座はおかしいよ、という事で「四月の魚」。
どちらが本当かは、読んで気に入った方を選んでちょうだい(これこれ)。

元々エイプリルフールのルーツ自体がフランスにある。
16世紀初頭まで、かの国では、新年は春分の頃である3月25日であった。
つまり、春の訪れイコール初春、要するに祝うべき新年だった訳だ。
当時、人々は新年を祝う大宴会を4月1日まで続けていたらしい。
処が16世紀半ば、グレゴリオ法王の手による新暦の導入によって、1月1日を以って新年とする、なんて事になってしまうんだが、んな事云ったって昔の事、グレゴリオ暦なんてムヅカシイ事はわたしには分かりません、などというこん平師匠のようなひとびとが田舎には沢山住んでいる訳で、これまで通り4月1日までを新年として祝うならわしはそう簡単にはなくならなかったのですね。で、ウソの新年を祝ったり、春に新年を祝うひとをからかったり、とそのあたりから4月1日ネタの悪ふざけが増え、ついにはポワソン・ダブリルの誕生となった「らしい」(あ、この日記は4月バカではありません、念の為)。

とは云え、我が家でポワソン・ダブリルが行われる事も無く、普通の一日だった。
そもそも紙で拵えた魚を悠都の背中につけた処で余り楽しくないし。
朝イチで中間に行って、「ミート・ザ・ペアレンツ(2000・米)」を鑑賞后(今日は映画の日)、奥さんが2本観ていいと云ってくれたものの、映画の出来が良かったのと観客の多さにヘキエキしたの、それから奥さんの目当ての買い物が一通り終わっていたのとで、大混雑の中間を出て、日曜恒例の高須給油コースを行く。ま、今日はそんなもんでした。



宅配便で松平さんから誕生祝あーんど初節句祝いの絵皿をいただく。
細やかな心遣い、ありがたし。

夜、日経新聞はじめ、各新聞社のサイトを探ったが、四月バカ記事は見つけられず。西日本新聞に載っていた「オランダで4月1日より同性同士の結婚が法的に認可される」は少々怪しかったが(他の新聞で同様の記事を見つけられず)、記事本文中に四月バカを匂わす断りがなかったので本当かもしれないし。いずれにしてもあんまり4月1日付けで妙な法改正はしないでいただきたい。

右團治さんから文治師匠のお風邪が治った旨、メールをもらう。ああ、よかったですね。
どんなにお元気とは云え、ご高齢だから、季節の変わり目だけはご自愛していただかないと。

今日観た映画:「ミート・ザ・ペアレンツ(2000・米)」



 169.おたんじょうびのメイシーちゃん

2001/4/2(Mo)

八幡駅前の「エスプリ」で、悠都のバースデーケーキを注文したついでにガトーショコラを買って帰る。
桜大通りを通れば、薄曇りの夜空に満開の桜並木。鮮やかなコントラスト。
ライトアップされてないのがたまに瑕だが、それでも充分に美しい。今が盛りか。
悠都の誕生日に夜桜を観に行くというのはどうだろう。



昨日の松平さんに引き続き、今日は大学の後輩である星野さん(仮名)から、悠都の誕生祝いが届く。
お二方に共通しているのは、どちらも直接悠都に逢った事がないということ。
松平さんにはGWに披露出来そうだけど、熊本在住の星野さんはなかなかムヅカシイ。申し訳なく思う事しきり。

彼女からの贈り物は絵本。ルーシー・カズンズ(五味太郎訳)のメイシーちゃんのしかけ絵本シリーズ2冊セット(偕成社)
折角のしかけ絵本だが、今の悠都では、丈夫な歯を駆使して全部噛んで千切ってしまうので、もうしばらくおあずけか。
メイシーちゃんと云われても、僕にはさっぱり分からないのだが、奥さんを含めた絵本マニアには、たいそうメジャーな本らしく、NHK教育でも、仲村トオルのナレーションで5分の帯番組が放映されているそうだ(未確認)。イギリスの絵本作家なんて云われても分からんよ(なかなかいい感じのイラストではあるが)。以前、奥さんに買った絵本作家のインタビュー集を探してみるか。
あと、凝ったつくりのバースデーカードにはコドモではなくて奥さんが喜んでいた。おいおい。

という事で、本当にありがとね → 星野さん(仮名)。
彼女には出産祝い、誕生祝いと立て続けで気を遣わせてしまった。
近々書かなければならない彼女の小説の口絵へのプレッシャーがものすごいぞ(笑)。




 170.みんな、ありがとう

2001/4/3(Tu)

今日は、奥さんの伯父さんからミキハウスのズックが届く。
彼の1歳のバースデーを目前にして日々、どなたかからお祝いが届く。

そう云えば、奥さんの話だと、昼間、ウチの「あの」ハハから電話があったそうだ。
Z−SIDEから「悠都は身体が大きいから4歳用の服を買って送るから」だって。
「袖曲げれば着られるよね」って、ちょいとおかーさん、幾ら悠都が大きいったって限度があるがね。
ハハの傍には長妹も居たらしいが(つー事は妹からもミツギモノが…)、どうして彼女を止められなかったのか。
ハハには申し訳ないが、当分箪笥のコヤシになる事はまず疑いがない。

夜は夜とて深夜0時を過ぎた処で、英ちゃんから「ハッピーバースデー」のメールが届いた。


おめでとうございます。
悠都くん。
おじさん、プレゼント選ぶの不得手だったりして・・・
なにが好き?



デシタルBSチューナーなんか欲しくないか、悠都。
ああ、そう云やあ去年の今頃は病院にいたんだっけなァ(しみじみ)。



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