備忘の都 2001 −MAY−  ◆

「損か得か、役にたつかたたないか、経済効率を考えに入れず、楽しむ」、
これを「ゆとり」と名付けてみたらどうであろうか。
そこで、二十一世紀のキーワードを漢字一文字で表すとしたら、
「悠」は如何であろうか。

ゆったりと心豊かに楽しく生きられたらいいな…。

松平實胤「二十一世紀のキーワード(下)」
中日新聞2001年4月29日


181.欠航182.邂逅183.閑話184.難読185.鬼の霍乱

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 181.欠航

2001/5/2(We)

今日から奥さんの実家である、愛知県犬山市へ。
今日は連休中、飛び石の平日とは云え、午前中は天気も悪いというので8時前には家を出て、予定時間の30分前には空港に到着したものの、出発時刻の直前になっても空港上空の天候不良を理由に搭乗手続きが行われない。というか、電光掲示板のステイタスが「搭乗手続き中断中」になって固まってしまった。
で、10時半頃、あろう事か名古屋行き10:10発JAL824便は、その直前に出発予定だった東京行き同様「欠航」のアナウンスが入る。いやあ、ニュース映像では空港のロビーで待ちぼうけを食った乗客の図というのを何度も観た事があるが、僕自身が当事者になったのは今日が初めてである。成程、ロビーにTNCのTVカメラが入ってた(映してくれなかった)。

欠航手続きの行列に入って、空港内のレストランで早めの昼飯を食べて、なす術もなく次の便(13:05発JAL826便)のキャンセルを待つ。次も飛ばなきゃ15時半過ぎで、それでも駄目なら17時を廻る。奥さんがJALのスタッフに確認した処、日本中で福岡空港上空の天候がいちばん悪いと云われたらしい。本当かどうか知らないが、確かに滑走路は水浸しになっていた。

ちなみに、約款上、天候不良による欠航、出発遅れ時のキャンセル払い戻しは不可だそうで、30日以内に別便に(キャンセル待ちして)乗り換えなきゃならない。さもなきゃ、航空運賃をどぶに捨てるかだ。つまり、仮に新幹線の切符が取れたとしても、飛行機の払い戻しは全くあてに出来ない。これはかなり痛い。だから、13時を過ぎて、826便の搭乗手続きが「中断中」になった時は本当にあせりました。出発時間が遅れに遅れたものの、14時過ぎてから搭乗手続きが開始された時は本当に胸を撫で下ろしたっつーか。

ひょっとすると、このトラブルをいちばん楽しんだのは、だだっ広いロビーを何十分も走り回る事の出来た悠都かもしれない。
交代で彼の後を追い続けた僕ら夫婦はもうへとへとであった。
昔、新婚旅行の初っ端から機体不良を理由にミラノ空港6時間待機というのに見舞われた事があったが、あの時は少なくともミールバウチャー(食事券)は出たんだぞ。日本の(少なくとも)国内線の場合、出発日が翌日にずれこんでも、宿泊費すら自腹らしい。げにおそろしきは約款である。ま、飛んだだけ拾い物と思うことにする。

結局、ダイヤが乱れに乱れ、滑走路が混雑したせいで機体が離陸したのは15時だった。
尤も悠都が離着陸時の轟音にもGにも見る見る眼下に遠ざかっていく地上にも全く物怖じしなかったのが救いと云えば救いか。雲海も眩しいからとロクロク観もせず、途中で我儘泣きして乳を欲しがったが(フライトアテンダントのおねーさんが呑み物を持ってきた時だけおとなしかった。バカである)、それはまあ変動の範囲内というヤツだ。

着陸后、僕らは客が殆ど降りてから席を立ったのだが、悠都は、僕らの座席後方から来る乗客に向かっていちいち笑顔で右手を振りつづけ、何人ものおじさんおばさんと固い握手を交わしたのだった(実話)。確かに今日は皆んなひどい目に遭ったし、ムードメーカーなのも美徳だとは思うが、愛想がいいのにもホドがあるんだよ、おまいさん。



飛行機を降り立ったら、小牧の空港でも雨がそぼ降っていた。何処かに雨男がいるな。
犬山の実家に着いたのは17時を廻ってからだったが(おいおい)、約束をしていたのと、何時でも待っていますと仰っていただいたので、悠都の着替えだけさせてから、寂光院へタクシーを走らせる。

予定時間を大幅に遅れて顔を出したにも拘らず、2年半振りにお会いした松平さんご夫妻はたいへん歓待くださった。
お二人とも悠都をめちゃめちゃ可愛がってくださったのだが、悠都(きゃつ)の増長は留まる処を知らず、僕らは夫婦共々はらはらし通しだった。でも意外だったのは、近所でチワワを見ても泣いていた悠都が、お山のシロを見ても全く平気だった事。此処の犬は賢いからいいが、此処まで動物に対して無防備・無頓着・厚顔なのにも、親としては心配になってくる。おまえは畑正憲じゃないんだから(畑さんだってライオンに襲われたんだし)適度に用心深くなってもらいたい。今回は場がなごんだし、でかした悠都、だったんだけどね。

そう云えば、松平さんが新聞で右團治さんの記事を読まれたんだそうで、やっさんと同じく文治一門の噺家さんだし、経歴も含めて色々気になっておられたらしい。今年の暮れもやっさんが×の時は、右團治さんを是非に、との事。そりゃ僕らとしても寂光院と右團治さんとの橋渡しが出来たらこんなに嬉しい事はない。

でも、悠都を連れて行った事で、松平さんご夫婦に喜んでいただけて本当に良かった。

実家に戻っても、傍若無人な悠都の快進撃は続く。此処まで人見知りしないのはもはや立派だと思うが。
悠都に気兼ねして部屋の隅で小さくなってるお座敷犬の葉菜が気の毒だった。




 182.邂逅

2001/5/3(Th)

今日は、先月名古屋に転勤してきたあめんさんと、ほぼ2年半振りの邂逅。
最初は、栄にある沖縄料理の店でゴーヤなど、という案も出たが、何しろこちらはこぶ付きなので、人込みの電車の愚をなるべく避けるべく、名古屋駅方面で待ち合わせ。名古屋ツインタワー内の高島屋の食堂街を彷徨するものの、順番待ち行列におそれをなして、かつての繁華街であった松坂屋の食堂街にあるイタめし屋でお茶を濁す。ま、こぶ付きですから(こればっか)。

悠都、あめんさんに充分なつく。
奥さんには、きゃつはおじさん系は苦手と聞いていたのだが、今の処僕の友人で、悠都のお眼鏡にかなわなかったひとは(とりあえず)いない。皆んな、そんなに少年っぽいひとばかりとも思えないのだが。或いは単にハグしてスキンシップさえはかれば、おじさん系でも全然オーケーなのか(おそらく後者であろう)。

食事のあと、三省堂を冷やかしてから、ベビー用品売り場へ向かい、幼児のプレールームで暫し鼎談。
戸畑サティと比べれば、スペースは半分も無いが、自由に走り回れる喜びで悠都はご機嫌、ストレスが減るぶん僕らもご機嫌。相手がだべる場所にとりたてて垣根を設けないあめんさんで本当に良かった(確かに大学時代、学生会館で雑談するのとさして雰囲気は変わらない)。どうでもいい話をしているうちに2時3時。あめんさん、6月あたりに佐賀に帰省するらしいが、さて連絡してくれますかどうか。



夜、悠都がふだん僕らにするみたいに「お座敷犬の」葉菜のお腹の上に力任せに飛び込み、彼女に悲鳴をあげさせていた。よく噛み付かなかったもんだ。以来、彼女は満面に笑みを浮かべた悠都が向かって来ると、一目散に逃げるようになってしまった。彼女は気の毒な上に、よく出来た犬なのであった。




 183.閑話

2001/5/4(Fr)

今日は、奥さんが大学のオケのOBで集まるというので、そのお供で昨日と同様、名古屋ツインタワーへ。
つっても、彼女がプチ同窓会に興じている間は、三省堂と、隣接する新星堂を探検して過ごす。
久々に長い時間かけて本屋を味わう。「モダン・リビング」の「みんなのいえ」特集も読む事が出来たし、扇田昭彦/編「劇談 〜現代演劇の潮流」(小学館。2800円もしてはワタクシ共下々の者には手が出ません)松原敏春さんの項にある「劇作家三谷幸喜は同好の士として妬ましい(勿論、褒め言葉)」発言も読む事が出来たし、何よりとろとろと本を眺めて廻るしあわせって、此処んところ、時間に追われて久しくなかったので、たまにはこういう時間の無駄遣いもいいものです。

結局、三省堂で「この映画がすごい!(6月号)」(宝島社。付録DVDに「みんなのいえ」撮影現場爆笑ルポ特集があった)を買い、新星堂で山本美絵「オナモミ」を買った処でタイムアップ。待ち合わせた高島屋のエスカレーター前には奥さんの友人が5人ほど勢揃いしていた。彼女の友人の一人であるOさんに「いつもホームページ読んでます」と云われ、少し腰が引ける。奥さんは奥さんで悠都の世話で食事どころではなかったらしいが、ま、今回は諦めるしかないですね。

深夜、おとうさんとおかあさんが寝静まってから、早速「この映画がすごい」付録DVDの「みんなのいえ」特集を観る。
字幕スーパーを適宜入れてはいるものの、素人ビテオに気の生えたまったりした編集加減がまたたまらない(田中直樹のレポートのくだりなんか特にそう)。映画情報というよりは、撮影現場のざっくばらんな空気が伝わる映像なのがまたなんとも。出来ればドリームチームの面々のインタビューがあれば尚良かった(次号に期待しましょう)。テキストでしか読んでいなかった、制作発表記者会見の全貌を観れたのも良かった。

三谷さんの「ココリコ田中さんには『ラヂオの時間』でもオファーしたが、スケジュールの都合で実現出来なかった」発言は拾い物。
第三者に振り回される被害者の「泣きっ面にハチ」顔の良さが抜擢の理由だというから、「ラヂオの時間」だと、市川染五郎か、はたまた近藤芳正あたりの役回りだったのか。ま、三谷脚本は宛て書きが身上だから、田中不在前提でホンが書かれた以上、そんな詮索は全く無意味なのだけれど。




 184.難読

2001/5/5(Sa)

3日連続で(いや、4日か)パノラマカーに乗る毎日だと、流石にへとへとである。
なのに、どうして1歳やそこいらの悠都がバリバリ元気なのか。ちょっと羨ましかったり。

ときに名鉄沿線の駅名は本当に難読だらけである。
勝幡を「しょばた」、栄生を「さこう」、甚目寺を「じもくじ」と読むのはなかなか難しい。
尤も、奥さんだって北九州に来て、永犬丸を「えいのまる」、幸神を「さいのかみ」、ましてや上上津役を「かみこうじゃく」と読め(処で「上上津役」は「上々津役」とは表記出来ないものか。上々台風みたいでカッコいいじゃないか)、と云われて困惑したのは、想像に難くない。

結構、北九州の難読地名は多い。
たとえば、和布刈町(めかりまち)とか、穴生(あのお)、医生ヶ丘(いせいがおか)はどうだ。
そうそう、頂吉(かぐめよし)や企救丘(きくがおか)に皇居崎(こうがさき)、上馬寄(かみまいそう)、蜷田若園(になたわかぞの)なんてのもあるぞ。
二タ松町(ふたまつちょう)の読み方も意外と穴かも。「タ」をカタカナだとはなかなか思わないもんな。

今日は、家族揃って、勝幡の政江おばさん(おかあさんの妹に当たるひと)の処へ悠都の顔見せ。
僕が行くのは3年以上振りだが、一家総出で歓待していただく。
途中、おばさんに近くの尾張津島の藤まつりに連れていってもらうが、昼下りに車を出した悲しさであえなく玉砕、すごすご出戻る事に。
ま、事の委細は奥さんが育児日記に書くだろう。いや、書いてくれ、この際。

何にしても、お年寄りには元気な赤子がいちばん。「子供の日」なんて、ジジババの為にある。




 185.鬼の霍乱

2001/5/7(Mo)

井沢先生から「連休の家族サービスお疲れ様でした。疲れが出ませんよう・・・・。」と気遣っていただいた甲斐なく、起き抜けから喉が痛く、それでも踏ん張って出社したものの、午後の会議が終わった処でギブアップして体調不良を理由に16時で退社する。

悪寒が止まらないわ、全身が揉み解されたようにだるくて痛いわ、遂には運転中、吐き気まで催してきた処で、これはいかんばい、と帰宅して保険証を受け取るなり、そのまま近所の内科に直行する。外来の受付で体温を計ったら、呆れたことに39.1度もあった。
こんなに高熱を出したのは、テレビくまもとの「種ともこライヴ」から帰って以来だから(などと回想モードに入る余裕があるのか → オレ)、10年以上振りである。うへえ、どおりでふらふらした訳だよ。ソファに座っているのもやっとなくらい。ああ、熱に打たれ弱いオレ。

G先生は、僕の喉を診るなり「うわあ、扁桃腺が真っ赤ですねえ。こりゃ熱が出る筈ですよ」と納得の表情。

「しかも、白くなってるから、脱水症状が進んでいますね。ユエキ打っときましょうか?」
「ユエキ?」
「ああ、点滴の事です。本当は『輸液』って云うんです」

点滴して、脱水した身体へ水分を補給してやれば、発汗して(上手くすれば)一気に熱が下げられるとの事。
という訳で、看護婦さんに連れられ、点滴室へ。
3台あるベッドのうちの2台が使用中。万客往来である。

「今日は何故だか、38度以上のお熱を出された患者さんが多いんですよ。連休疲れかな」

少なくとも、僕に限ってはそうらしい。という訳で生まれて初めて点滴台へ。
点滴に要する約100分の間、まんじりとも出来ず(せめて眠れたら楽なのに)、熱に打たれ弱い自分を「あほ、ぼけ。かす」などとなじり続ける。
点滴が半分程済んだ処で、看護婦さんが戻ってきて、肩に解熱剤を注射してもらう。プラシーボでも構わないから早く楽になりたい。
点滴が終わった処で体温を計ったら38.2度。「だいぶ落ち着きましたね」と先生は云ってくれたが、まだまだ寛解までの道程は遠く険しい(普段だと、ああ、熱があるなァ、ふらふらするなァって時で37.2度くらい。そもそも平熱自体、36度ちょっとあるかないかだ)。

家に帰っても引き続き死ぬ。着替えも身体を拭くのも皆んな惰性である。モノなんて考えられない。
奥さんは、元気いっぱいの息子とすっかりへろへろの旦那に大わらわだった筈。ごめんな。
37度から一向に熱が下がらず、こりゃ座薬もやむなしと悲愴な決意をするものの、奥さんに「座薬って38度以上熱がある時じゃないと急激に熱が下がって危険だって聞いたけど(但し、赤ちゃんは、だけど)」との懸念を表明されて、一気に覚悟が萎え、石坂黄門の声(だけ)聞き乍ら悶々とする。何か、加賀まりこさんの声が嬉しそうだ。あ、意識が…。

…で、次に目が覚めたのは午前2時。
相変わらずふらふらするものの、頭はすっかり軽くなっていたので、熱を計ってみる。36.23度
どうやら峠は越えたらしい。先生の話だと、一気に熱を下げてしまえば其処で抗体が出来るから、あとはもう大丈夫との事。
冷蔵庫から、空港で買った赤福の残りを取り出してふたつ食べた後、再び薬を服んで寝る。



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