備忘の都 2001 −SEPTEMBER−  ◆

子供と親のサイクルは、子供が親にしがみついている時期から、
自分自身の人生を求めて離れていく時期へと移り、
やがては重要な出来事に私の関与を認めてくれるまでになって
丸いサイクルが完結する。

こうなってからの方が私は好きだ。

ニール・サイモン/酒井洋子訳「第二幕 ニール・サイモン自伝2」


211.第二幕212.寝ずの看病213.鳥肌実 個人演説会
214.精霊流し215.相米、逝く

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 211.第二幕

2001/9/5(We)

朝、悠都がすっかり復活を遂げたので安心して家を出たのだが、夕方奥さんより「また熱が出てきた」旨、メールが届く。
奥さんがかかりつけの合屋医院に電話を入れると、今日は午後休診だったが(先生は看護学校の講師を勤めておられるらしい)、18時半以降であれば診てくれるとの事だったので(ありがたい事である)、少し早めに(といっても定時過ぎ)会社を退ける。

18時半ジャスト、社宅着。
やたら頭が熱い事(38度5分)を除けば、悠都はいたって元気。
少なくとも知らないひとが見たら、熱があるとは分からないくらいには機嫌が良い。
車に乗せるといつものようにデタラメな歌をキモチよくがなっている。

早速、合屋医院へ行き、看護学校から帰ってきたばかりの先生とともに診察室へ。
さすがに服を脱がせ、聴診器をあてるとぐずり出すが、先生がおっしゃるには、それでも同世代の子供の中では随分とおとなしい方らしい。洟も咳もなく、飲み込みも問題無い(喉の腫れがない)ようなので、夏バテかなとの事。熱があると云っても38〜9度くらいであれば、却って熱を出させた方が抗体がつくられるので、今回は熱を下げない方向で行きましょう、と先生。確かに下手にクスリで熱を抑える事は子供の防衛反応を弱めてしまう。

「それでも、熱が続くとご両親も心配でしょうから、安心料として座薬も3回ぶん出しておきましょう」
「座薬ですか」不意に奥さんの目がきらりと光る。

其処は聡明な合屋先生のこと、きちんとライ症候群を意識した処方で、勿論、インダシンやボルタレンの座薬は使っておらず、彼女も一安心したようだ。でも正直な話、メフェナム酸だのジクロフェナクナトリウムだの云われても僕にはちんぷんかんぷんであった。
この世界には勉強しておかなければならない事がゴマンとある。サバ云うな、このヤロめ。

調剤薬局でクスリを調合してもらう間、悠都はずっと両手を振り回しで大声で歌っていた。
いや、熱の方はちっとも引いていないのである。神様が授けてくれた基礎体力に乾杯。



ニール・サイモン/酒井洋子訳「第二幕 ニール・サイモン自伝2」(早川書房)読了。
前作「書いては書き直し」から殆ど間を置かぬ邦訳(原著は1999年出版)。ひとえに訳者の酒井さんに感謝。

劇作の打ち明け話の楽しさも然る事乍ら、前作で最愛の妻を癌で亡くしてから、生涯の伴侶を求め迷走する(以降、2人とのべ3回の結婚・離婚を繰り返す)ニールの煩悶が痛々しい。天職の劇作家を夫に持つ喜び・悲しみがいかなるものなのか僕などには想像もつかないが、どの離婚も女性問題や金銭トラブルが理由ではない以上、理由の幾許かは夫たるニール・サイモンの家庭人と芸術家のアンバランスさに起因する部分があるのだろう。これを読んでいて、ふと堺正章・岡田美里の破局を思い浮かべる。

でも、流石は喜劇作家ニール・サイモン、彼の妄想パワーが暴走すると時折自伝が極上のコメディと化す。
特にビル・クリントン時代のホワイトハウスに一泊の招待を受けるくだりは、何度も声をあげて笑ってしまった。

個人的には、ジャック・レモンとウォルター・マッソー(もはや両雄とも故人になってしまった)、奇跡のコンビ復活を果たした「おかしな二人2」のエピソードについて触れられていなかったのが残念。という訳で、80歳くらいまでに(6年くらいすぐだと思う)是非「自伝3」を執筆していただきたい。
ってそりゃ近況報告だよ。

今日の読書:ニール・サイモン/酒井洋子訳「第二幕 ニール・サイモン自伝2」(早川書房)



 212.寝ずの看病

2001/9/6(Th)

河瀬直美が、モー娘。の「ムースポッキー」のCMをやったらしい。
最初は意外だったが、メンバーそれぞれにビデオカメラを持たせたというからむべなるかな。
しかし河瀬とモー娘。、河瀬とポッキー、そぐわないにも程がある(笑)。
やはり次回作の資金集めなのかな。彼女の次回作にゴマキが出てきたら、それはそれで吃驚するけど。



悠都は具合が悪くなると甘ったれモードにはいるきらいがあるのだが、昨夜は殆どママのおっぱいから口を放さなかったようだ。そのせいで奥さんは夜も眠れず(授乳による体力消耗は脱水モードも加わってかなり辛いものらしい)。僕は、これはこれで立派な「寝ずの看病」だと思うのだが、どうか。いや、母親は誠に偉大である。

聞けば、熱こそ出ないものの、悠都は一日中ハイテンションで情緒不安定だったらしい。
食事はいっさい食べず、水分は母乳と氷だけ。ひょっとすると喉が痛いのかもしれない。
夜、奥さんが苦肉の策でこさえたかぼちゃのポタージュをようやく口にする。
心から安堵した妻の顔が印象的。しかし、夜は相変わらずぐずり続けて、彼女を泣かせるのだった。
って、これでは彼女の育児日記とさほど変わらんなあ。

現在、再来週の東京出張に向けて、飛行機や宿の手配など着々と準備中。
今回は仕事でもあるし、特にイベントとか用意していかないのだが、それなりに胸が躍る。
でも行ったら行ったで、たんたんと一週間が過ぎてしまうような気がする。




 213.鳥肌実 個人演説会

2001/9/7(Fr)

会社を定時退社して、途中で先に帰宅した武闘派・T中さんを拾ってから、福岡市民会館「鳥肌実 九州個人演説会」へ。

僕に最初に鳥肌実の存在を教えてくれたのは、何を隠そうT中さんである。
世紀末、2年程東京に単身赴任していた折に、お尻がぎりぎり入る大きさの座布団を手渡され、最初に座った体操座りのまま身動き出来ないような、防災対策ゼロの何処ぞの町民会館で彼の出ている二人芝居を見たのが鳥肌との「出遭い」らしい。それ以来、あの、デザイン的に完成された、事情を知らない一般人の目には決して触れさせたくない鳥肌演説会のお知らせハガキが定期的に自宅に届くようになったとか。
初めてハガキを見せてもらった時のインパクトは強烈で、それからネット検索で、鳥肌実という廃人演説家の概要は頭に入れたものの、直接体験した事がない故のもどかしさ、劣等感(ないない)を埋めるべく、一度は演説を聴かねばと、実はひそかに胸に誓っていたのだった。

僕の勝手な先入観は、いつしかイッセー尾形の都市カタログと古館伊知郎のトーキング・ブルースを融合させた「デンパ系右翼街宣」芸人を頭の中に描いていた(大筋は当たっていたけれど、実物はこれにマルセ太郎のエッセンス及び梅垣義明や江頭2:55の「飛び道具」性と薄ら寒さが加わっていた。ウチの奥さんには禁忌かもしれん)。知らないうちに妄想が一人歩きして期待値が上昇していたから、現実の鳥肌実には僕の妄想を超えてもらわなければならなかった。T中さんの「時折ネタが激しいのと目つきがイッちゃってて、笑えない箇所が多々ある」のコメントがまた罪つくりで(笑)。って、それはゼッタイ期待してしまうでしょ。



20時開演の20分前くらいに会場に到着。

1000人を遥かに超えるキャパの福岡市民会館がほぼ満員。T中さんと二人、今更乍らに鳥肌の認知度(福岡公演は今回が3度目)に驚く。確かに今週頭チケットを抑えた時点で整理券番号が630番だったからなァ。いそいそとアルプススタンド席の中腹(但し、中央)の席をどうにか確保して一息つく。

客層は大学生くらいから会社帰りの勤め人まで20〜30代がメイン。男女の比率は半々くらいか。T中さんの話だと、ルックスが悪くない事もあって、熱狂的な女性ファンが多いとのこと。

チラシ 開演時間5分押しで、舞台の照明が落ち、ビートの利いたBGMと共に緞帳が上がる。
演説会に相応しく、黒いカーテンに「第一回決起集会 鳥肌実の演説会」の垂れ幕。
舞台中央に、街頭演説っぽく赤い雛壇とマイク。舞台向かって右側には華麗なフラワーアレンジメント。
スポットライトが僕らが座っているアルプススタンドの下方、入場口方面にあたり女性たちの悲鳴が連鎖で広がる。入場口からポスター・チラシ通りの文字入りスーツを着た鳥肌登場。思わず客席が総立ち状態になる。
ヒトラーのように右手首の返しだけの挨拶。どよめく客席。顔色ひとつ変えず、日の丸の扇子を開いただけで面白いように笑いが取れる。エンゼル体操のような妙な踊り、というか振り。客席は謎の爆笑が続いている。

これを芸人殺しの過剰反応という。
(特に若い女性客が)笑いに来ているのは分かるが、とにかく「笑う」というスタンスは如何なものか。自分がどんどん冷静になっていくのが分かる。あ、ちょっとまずいかも。

この懸念は、鳥肌が壇上に上がって、青い照明の中でオープニング・アヴァン(彼を捨てた妻・夏江(37歳)を追った、彼女が入院している稚内の野戦病院行の顛末)の中程まで続いた。そのうちにチョイスした語彙のセンスとどうしようもなく陰惨で露悪な状況設定に掻き口説かれて、僕の口許もようやく綻んでいく。あ、これならイケるかも(ほっ)。

舞台が明るくなって、いよいよ本演説。
ネタは映画館に「パール・ハーバー」を観に行った挿話と、鳥肌流「パール・ハーバー」の映画企画「轟沈、真珠湾」の話。
いやもう志位和夫は「パール・ハーバー」のラブシーンをおかずに手淫している事になっているし(ひょっとして「志井」と「自慰」を引っ掛けているのか…って莫迦云ってんじゃないよ)、女性議員を総撫で斬りにした社民党サナトリウム論は展開するし、大橋巨泉への愚弄は看過するとしても(「国を救う前にまずおまえの店を何とかしろ」)、小泉首相は錦糸町のソープランドで「私にラムちゃんを譲ってくれ」と鳥肌に哀願するし、果ては池田大作先生にまで魔の手が伸びて…ってこれ以上はとても日記で公開出来ません。
そもそもTVで出来るネタがひとつもないじゃないか(だから、いいんだけどさ)。

演説が終わった後、さんざん謎の踊りを舞って(T中さんとも一致した意見なんだけど、これ、なくてもいいなァ)一旦退場。
舞台が暗転した後、青いピンスポの中、全裸で腰を屈めた鳥肌がこそこそと登場。
どよめく客席をちらりと一瞥してまたこそこそと退場。この間合いが絶妙。

明るくなった舞台に、全裸で腰に鬼の面をつけただけの恰好で再登場。…やるなあ。
ひとしきり語ったあとで(ちなみに「噂の真相」の編集長にはいずれ「はっきり見えるかたちで」復讐するそうです・笑)唐突に退場。
目まぐるしいバリーライトと激しいサウンドの中、再び全裸の鳥肌が謎のダンス、揺れるフリチン。
福岡市民会館の舞台でフリチンを揺らしたのは、鳥肌が空前(でおそらく)絶後だろう。
う、うわァ…床に転がり背中を向けてお尻を振った後で仰向けになるなり、しかも開脚。
あんたに見せられない部分は何処もないのかっ。
確かに色白だし、引き締まった身体してるけど…ってそういう問題じゃないでしょ。
しつこいようですが、此処、福岡市民会館なんですけど。しかも大ホールの方。
これが1000人以上入るキャパでやる芸か。そりゃ武道館だって断られるがな。
客席があっけにとられる中、キモチ悪い間ですごすごと鳥肌退場。そのまま舞台が明るくなって、客出しのアナウンスが流れる。
カーテンコールも無ければ、舞台の余韻も無い。そもそも余韻が必要かという話は別立てであるんだが。
時計を見ると21時半。T中さんがしみじみと「前の席じゃなくて良かった」…いや、そのう、僕は最前列でも良かったですよ。

それでもロビーのグッズ売り場には若い女性の長蛇の列が出来ている。
全裸の大股開きぐらいでは、彼の好感度は微塵も揺るがないらしい。
いや、時代は、観客は、アンダーグラウンドに優しくなった。
或いはアンダーグラウンドで在り続ける事の難しさをこそ憂うべきか。もはや鳥肌はアングラではない。

散る桜 残る桜も 散る桜 …いや、痺れちゃいましたね。

あ、そうそうパン工場は辞めて(時給が低すぎる)現在は石鹸工場にお勤めだそうです。



ロビーでアンケート記入后、車を出して遅い夕食を取りに長浜の屋台「ナンバーワン」へ。屋台でラーメンを食べるのは3年振りくらい。
ラーメン(500円)と餃子(350円)、キムチバラ(650円)と極めてオーソドックスなコース。それにT中さんはビール。

僕は屋台でラーメンを食べるとつい強迫観念で替え玉(100円)を頼んでしまうのだが、久々に替え玉をしたら、あの食欲をそそる筈のキムチバラが全然胃の腑に落ちていかない(ま、こいつのボリュームも大概遠慮がないんだが)。昔はこれに骨付きウィンナーと餃子の追加をしても全然平気だったのに(しかも今よりうんと痩せていた)。いつのまにこんなに食が細くなったんだろう。たく、燃費ばかり良くなっちゃって。

何にしても、「ナンバーワン」初体験のT中さんが喜んでくれてよかった。いっそ鳥肌実よりこちらの方が収穫だったとも。

帰りは3号線のいたる処で道路工事をしていたおかげで夜半の渋滞に巻き込まれ、T中さんを送り届けて帰り着いたのは0:30過ぎだった。
悠都はすっかり復活していたので(奥さんによると一日中ぐーすか寝てたそうだ)、心置きなく床に就く。




 214.精霊流し

2001/9/8(Sa)

昨夜の鳥肌実つながりで「けものがれ、俺らの猿と(2000・日)」を観たはいいが、折角の須永秀明監督の初日舞台挨拶を聞かずに博多駅へと移動してしまう。僕がこういう好機をみすみす逃すのはきわめて異例の事なんだが、そんなにこの映画が胸に響いてこなかったのか(あれ?)。

ちなみに鳥肌さんはしっかり鳥肌さんでした。いや、やっぱりかなりヤバイひとですよね。

映画帰りの帰路、久し振りに香椎「サントノーレ」に立ち寄る。
新製品としてマンゴープリン(300円)が並んでいたので、迷わず買い求める。
僕の知る限り、中華ではなくフレンチのパティスリーでマンゴープリンが置いてあるのを見たのは此処が初めてである。

夕食后のデザートで早速食べたんだが、これが旨いの何の。
上がマンゴーの果肉と透明なジュレ、下がプリンの二層構造で、兎に角プリン部分が絶品である。小指の先ほどの文句もない。
僕が今まで食べたマンゴープリンの中でいちばんの出来ではないか。
昔、香港で飲茶の時に戴いたハート型のマンゴープリンも此処のには及ばなかった。
一口分けた奥さんでさえ、お店に手紙を出したいとのたまったくらいだ。
これはひと様に胸を張ってお薦めできる一品。香椎にお立ち寄りの際は是非、この店に走るように。



さだまさし「精霊流し」(幻冬舎)読了。

さだまさしというアーティストは、その活動の性格上、云い方は悪いが自分の人生を切り売りしてしまう側面があるので、この自分の半生を振り返って書いた「半」私小説(宮本輝で云えば「流転の海」みたいなものだ)の各エピソードは楽曲やトーク、ライナーノーツや文章として既発表のものが殆どで、エピソード自体、ファン歴20年弱の自分に殊更新味はない。知っているか知らないかであれば大半が「知っている」話であった。でもそれはあくまで素材のお話。かつて落語の「長短」を聞いた事があるからと云って、誰が演ろうと同じだし、今更聞いても笑えない訳では決してない。

小説家さだまさしは、決して作詞家さだまさしでも随筆家さだまさしでもなく小説家さだまさしなのであった。
この本を読むのに、さだまさしファンである必要は全くない。むしろ先入観なく個々の挿話を新鮮に受け止められるぶん、ファンではない方が感動の度合いも高いかもしれない。「ほんパラ!関口堂書店」のタイアップも、バラエティ特有の鼻につく演出を差し引いても、この本が彼の音楽のファンではない多くのひとの目に触れる事は有意義だと思う。別にバスタオルを用意する必要はないけれども、笑えるし泣ける本なのは確かです。

余技だが、ファン的にはこの小説のエピソードと重なる楽曲を集めて、小説「精霊流し」ベストアルバムが作れるなどという事を考えてみたり。

「薔薇ノ木ニ薔薇ノ花咲ク」
「転宅」
「精霊流し」
「ひとりぽっちのダービー」
「椎の実のママへ」
「広島の空」
「銀杏散りやまず」
「きみを忘れない 〜タイムカプセル〜」

以上8曲に「無縁坂」「戦友会」を加えた全10曲。
確かに聴き応えはあるけれど、うーむ、どのオリジナルアルバムよりずしりと重くなってしまうなあ。
尤もこの小説自体がレクイエムシンガーさだまさしの威力をいかんなく発揮した鎮魂歌集の顔を持つからなんだけど。

今日の読書:さだまさし「精霊流し」(幻冬舎)
今日観た映画:「けものがれ、俺らの猿と(2001・日)」「真夜中まで(1999・日)」



 215.相米、逝く

2001/9/10(Mo)

午前10時過ぎ、奥さんより会社に携帯メールが届く。

Subject: 相米慎二
本文:今朝死んだって。肺癌、53歳。

ぐわしゃーん。何だか、棚から一斉に大小さまざまな金盥が落ちてきた気分。
一瞬、息が止まりそうになる(正確には亡くなったのは今朝ではなく、昨日であった)。
慌てて、武闘派・T中さんに報告した。各新聞サイトの訃報記事はまだだった(各サイト共、正午前に更新)。
奥さんにネタ元を確かめると「小倉さんがやってる『とくダネ』っていう番組の終わりのほうでいま訃報がはいりましたって言ってた」のと返事。思わず、はるさんにメールしてしまう。このショックを共有してくれるのは、同世代の友人しかいない。


相米慎二フィルモグラフィー【()内は公開日】

01.翔んだカップル(1980.07.26) 【翔んだカップル オリジナル版(1982.04.29)】
02.セーラー服と機関銃(1981.12.19)
03.ションベン・ライダー(1983.02.11)
04.魚影の群れ(1983.10.29)
05.ラブホテル(1985.08.03)
06.台風クラブ (1985.08.31)
07.雪の断章 情熱(1985.12.21)
08.光る女(1987.10.24)
09.東京上空いらっしゃいませ(1990.06.09)
10.お引越し(1993.03.20)
11.夏の庭 The Friends(1994.04.09)
12.あ、春(1998.12.19)
13.風花(2001.01.27)

※ 他に総監督作品「ポッキー坂恋物語 かわいいひと(1998.10.17)」がある。


映画監督、相米慎二は、薬師丸ひろ子主演の角川映画でそのキャリアをスタートした。
デビュー作「翔んだカップル」は僕が中学校に入学した年であり、斉藤由貴主演の「雪の断章」が高校3年の時。
角川の押し出しもあって彼のアイドル映画は一時代を築き、僕らはそれに乗っかるように思春期を過ごした。
僕が大学を出た頃から、幾分寡作にはなったものの「お引越し」に始まる、地味だけれど確かな手応えを感じる秀作の数々に舌鼓を打たせてもらった。邦画界でも数少ない、新作が決して観客の期待を裏切らない監督のひとりである(いや、もはや「あった」と云うべきか)。
相米慎二作品は、80年代に青春を送った我が世代と共にあった。

「大林宣彦」「大森一樹」同様、僕らにとって「相米慎二」は一種の共通体験だったと云っていい。

結果的に遺作となった小泉今日子・浅野忠信主演「風花(製作年は2000年)」は図らずも、死というテーマに肉薄した作品であったが、監督が入院したのは今年の6月、だからこれは単なる偶然だと思いたい。勝手な思い込みかもしれないが、相米(敢えて、そう呼び捨てさせていただく)が自分の死や残り時間をテーマに映画を撮る事はひどく彼らしくない気がする。彼には粛々と彼が信じる処の劇映画を撮っていて欲しかった。そして、そうしたファンサイドからの勝手な願いは、「風花」を以って見事に完遂された。そう僕は固く信じる。

相米が逝ったという喪失感は、黒澤明が逝って感じた欠落感とはだいぶ異なる。
むしろ藤子F先生への哀悼に近いが、それは無論、彼の作品が自分の青春とぴったりラップしているえにしに他ならない。
だから、大切に仕舞っておいた卒業アルバムを不意に燃やされてしまったような、対処のしようもない鋭い痛みを感じるのだ。

突然奪われるという感覚は、もう沢山である。



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