備忘の都 2001 −SEPTEMBER−  ◆

「この絶滅が終わるのはいつのことですか?」
アウシュビッツでニスツリがメンゲレにたずねた。
するとメンゲレは次のように答えた。
「おいおい、これはいつまでも続くのだよ」

ベンノ・ミュラー=ヒル「ホロコーストの科学」


216.ピッツァのおとしまえ217.携帯哀歌
218.東京出張物語 ─序219.右團治炎の二百発220.浅草九月中席千秋楽

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 216.ピッツァのおとしまえ

2001/9/11(Tu)

海援隊が5年振りのアルバムにして、15年振りのライヴアルバム「君住む街へ」を出すらしい。
今年の地方の小さな公民館を廻ったアコースティックコンサートを編集したものだとか。それが10月後半の話。
そして11月にはマキシシングル「まっすぐの唄」。今度の金八先生の主題歌だ。
これは来春にはオリジナルアルバムもあるか。何しろ30周年だもんなあ。
来年はフォーク界初の歌謡ショウも待っているし(此処は、博多座凱旋公演を祈りたい)。



最初のニュース速報があったのは21時過ぎだった。
テロップには「ニューヨークの世界貿易センターにセスナ機が突っ込んで炎上している」とあった。
「何処かの好事家の悪ふざけが過ぎたか」などと思い乍ら、引き続きテレビを観ていた。
「ジャングルTVタモリの法則」のジャングル・クッキングのゲストは室井滋で、今日はイタリア風ピッツアに挑戦していた。
お休みの関根さんの代打が雨上がり決死隊で、やっぱり宮迫はいい味出してるなあ、などと思っていると、画面が唐突に筑紫哲也の顔面アップに切り替わって、あとはエンドレスで、米国同時多発テロ報道。ちなみに別口で録画していた「取調室14」は戦火を逃れた。

世界貿易センターの脇腹が爆発する映像が何度も流れたが、あれはどう見てもセスナ機による接触事故じゃないよなあ、などと云ってるうちにハイジャックされたボーイングのバンザイ・アタックである事が判明。そうこうしているうちに噴煙を上げる国防総省の映像が出てきて、あれよあれよという間に世界貿易センターは崩落してしまった。米国民はこれまで本土を此処まであからさま且つ効果的に攻撃・喧伝された経験がない。(勿論、被害規模もだが)彼らのプライドを踏み潰したこのテロは歴史に残る。
アレな書き方なのは承知しているが、目的の為には他人はおろか自らの生命をも厭わないこのテロは、もはや地下鉄サリン事件をも超えてしまった。生命に対する価値観が違う相手ほど厄介なものはない。かつて彼らがカミカゼを恐れた理由の本質は其処にこそある。コミュニケーション不能。史上最悪の鉄砲玉たち。未だ犯行声明の聞かれない、無言のテロルはそれだけで恐怖に値する。

それはそれとして今後、米国がこのテロルの決算をどのようにつけるかも気にかかる処だ。
予測不可能な不幸が世界中を覆うのではないか。
夜半、奥さんがタラさんに安否を気遣うメールを送っていた。
彼女の親戚は米軍筋にも何人かいるし、今後の報復行動を思えば暗澹ともなる。

実は、室井さんとイタリア風ピッツァの行く末も気にかかっている。
或る夜、予告もなくひっそりとオンエアされたりして。




 217.携帯哀歌

2001/9/12(We)

出社すると会社中の人間が寝不足の模様。そりゃそうか。

ビルの瓦礫の下にはまだ沢山の被災者が救援を待っている筈だが、世界貿易センタービル倒壊の余波を受けて周囲のビルも次々と崩落している為、救助作業は遅々として進んでいない。二次災害の危険を思えばやむをえない状況である(実際、沢山の消防隊員や警察官が犠牲になっている)。それでも携帯電話を持つ被災者の何人かは家族に電話して自分の無事を知らせていると聞く。携帯の出始めだった阪神の震災の頃を思えば、移動体通信の普及による僥倖を喜ばずにはいられない。

けれど、くだんのハイジャックされた飛行機から自分の夫や母親に電話をかけた乗客の話を聞くと、さすがに辛く苦しい。
ひとが今から死ななければならない時、いまわの際に自分のいちばんたいせつなひとに「愛している」と伝えられる事は本当にしあわせな事なんだろうか。いや、しあわせには違わないんだけれど、残される側が無力感、敗北感に打ちのめされる事を思うと非常に切ない。愛するひとを喪うという「リアル」は、極まれば極まるほど残されたもの自身の「それから」を殺してしまう気がする。
じゃあ、そういう機会などなければよいかと問われれば、それには憤然とノーを唱えるのだけれど。

よく分からなくなってきたので、我と我が身に置き換えてみる。

たとえばマンハッタン島の瓦礫の下にわたしの大切な誰かが助けを待っているとする。
其処は危険区域に指定されていてどうしても近付けない。
初めは元気だったそのひとも日ごと弱々しくなっていくのが電話越しでも判る。
わたしにはなす術もないまま、やがてその日が訪れる。
死期を悟ったそのひとは最后のから元気を振り絞って、ひとしきり軽口を叩いてから、不意に「ありがとう。最后まであなたと話せて良かった」とだけ告げて、電話は静かになる。幾ら呼びかけても、二度と応答は、ない。それですべてだ。

それでも、わたしはそのひとと電話が出来た事をしあわせだと感じますか。
そのひとの言葉が真心から出たのだとしたら、わたしの「これから」はしあわせですか。

リチャード・ドーキンスは決して夢を語らないが、愛がなるほど利己的遺伝子の所作だとしても。

ひとりで逝かなければならないそのひとを、電話越しでもいいから看取ってあげたいんだろ。
最后までそのひとを愛するものとして可能な限り寄り添っていたいんだろ。
電話をかけてきたハイジャック機の乗客は最期の最期に想いを告げる事が出来て、少なくとも本望だった筈だ。
無力な自分に出来るのは、そんな最期の告白を全身で受け止める事くらいだから。
その行為が仮に自分の「これから」の全てを奪って、そのひとにしてあげられないあれやこれやをひっくるめた自分の無力さと生涯向き合い続ける事になっても、そうやって自分の未来と引き替えに誰かを引き受ける行為が、おそらく「いとおしむ」という事の証左である。

「しあわせ」という尺度はスカラー値では計れないからね。
元気な我が子の寝顔を見ていると強く深くそう思う。

米国ではイスラム教徒への暴行事件が相次いでいるという。
きりきりと歯痒い。そうじゃないんだよ。




 218.東京出張物語 ─序

2001/9/17(Mo)〜18(Tu)

9月17日(月)

朝、僕の東京出張に合わせて実家に帰省する妻子を送って、高速バス乗り場「引野口」。7:59発。
午前中、会社に出て、午后から移動のため帰宅。ま、色々と仕事を取りこぼして気がかりが残る。

遅い昼飯を食べてから右團治さんに来てたメールを幾つか転送した後、ぼちぼちと家を出て、歩いて「引野口」まで。
15:29発のバスを予約してあったが、一つ前のバスが来たのでさっさとそれに乗り換える。
それでも都市高を降りた後、福岡空港周辺はかなり混んでいたのでバスを一つ早めたのは正解だったかも。

16:15くらいに福岡空港第2ターミナル着。チェックインして旅行鞄を預けた後、不意に思い立って売店で「佐賀錦」をふたつ求める。
米国テロ事件のせいで、機内持込が可能な手荷物は一つに制限されており、チェックがやたら厳しくなっていた。
空港での待ち時間を利用して、今まで受信するばかりで使った事のなかったPHSのメール送信機能を、マニュアルを読んでお勉強する。
折角なのでPメールとPメール・デラックスを奥さんや瀬戸口くんなどに出してみる。
しかし、キーボード入力に馴染んだ指にはなかなかまどろっこしい。
電車で携帯メールを打っている人たちは皆してこんなシチ面倒な事をやっていたのか。表示窓は狭いし。

JAL368便は定刻より少し遅れて17:30前くらいに福岡を出た。禁煙席15K、窓際の席。
飛行機の中では特筆すべき事は特になし。ああ、強いて云えば、キャビンアテンダントのお姉さんたちが粒揃いであった。
これは余談になるが、後ほど奥さんに聞いた処、飛行機に乗って悠都はぐずって、3、4人のスッチー達に交互に抱いてもらったそうだ。
美しいスッチー(勿論、イメクラではない)が交代々々で抱きしめてくれるなど、オトナが大枚をはたいても叶う事ではない。
これまた未確認情報だが(笑)松平さんが「それは男の夢ですね」と語られたとか語られていないとか。

羽田着は19時。
それから京急空港線急行・印幡日本医大行で羽田空港から大門、都営地下鉄大江戸線に乗り換えて勝どき迄。
徒歩10分で晴海のホテルに着。さっさとチェックインを済ませ、10階の我がタコ部屋へ。たいした事をした覚えもないが、兎に角くたびれた。
小腹は空いていたが、外食をする気力もなく近くのサンクスで390円の海苔弁を買って済ます。

夜中、ぐらぐらッと来て目覚める。おいおい初日から地震…まさか、それ以外のものじゃあるまいな…。
慌ててテレビをつけてNHKにすると程なく地震速報。4時24分、震源地は東京湾。何々、千葉が震度4で東京23区が震度3とある。
津波のおそれがありますので、ってすぐ脇は晴海埠頭なんだよ。
誰にともなくそう突っ込んだあとはもう記憶がありません。



9月18日(火)

何と6時起き。地震で4時半に揺り起こされた割には早起きじゃないか。
8時過ぎにホテルを出て都営バス「晴海トリトンスクエア前」。何処まで乗っても200円。
「みんくる」というキャラものをあしらったシートは何だか保育園の送迎バスのようだ。
あまり早く着き過ぎてもアレなので、一つ手前の「リバーシティ21」で下車。中央大橋を渡って本社周辺を散策。
滝のように汗が流れて初めてタオルを忘れた事に気付く。ハンカチも忘れてきてる。莫迦だ、莫迦。
新川という処は何故だか中小企業の印刷屋さんが路地の軒を連ねている。活版ギルドでもあるんじゃないのか。

安価な朝食を求めて彷徨するうちに「ゆで太郎 入船一丁目店」。そうさな、日比谷線の八丁堀入口からちょっと歩いた処。
朝食セット(A)〜(C)290円に引かれてふらふらと店内へ。カレーライスに茹で卵を付けて(コース(A))290円は悪くない。明日から朝食の常宿とする。
店を出て会社に向かう程近くに「ゆで太郎 新川店」があったが、此処は朝食セット370円でしかも1種類。もひとつ勉強が足りんと思わんか。

という訳で、プロマネ研修の初日。
午前中、わしわしとお勉強。

昼食は中央大橋を渡った先のカフェ「モン・シェリ」へ。
小粋な店名を裏切るかのようにフードメニューは何故か三ツ星ラーメンを謳ったラーメン3種のみ。四川みそ味、茹で卵付450円。
毎食茹で卵を付けてどうするという話も。四川を名乗りつつ、辛子高菜がトッピングされてるあたりが何ともいなたい。
でも、味もサービスも悪くはない。店のママさんもいい感じだったし。

午后もがしがしとお勉強。
研修自体は17時半で一旦終了したが、18時からは各グループに分かれて体験談を元にしたグループセッションなど。
弁当に缶ビールが2本(ってオレは呑めないんだよ)で20時過ぎまで。悩ましいのはいずこも同じか。
帰りは「住友ツインビル前」から都バスでさくさくとホテルまで。停留所での待ち時間の方が長かったかも。
グループセッションで出された弁当だけでは物足りなかったので、ホテル傍のサンクスで「大きなハム&ミルクシチューパン」など買い込む。

どっと疲れたのであっさり就寝。
案外、淡白な東京滞在が続く。




 219.右團治炎の二百発

2001/9/19(We)

相変わらず6時起き。ホテルの時計は6:30にセットしているから30分も早く起きた事になる。
悠都が外出するとお通事が止まるのと一緒で、ひとりで暮らす時は身体が勝手に臨戦体制に入るらしい。
出張は長くするものじゃないらしい。

今朝は「新川二丁目」でバスを降りた後、「ゆで太郎 入船一丁目店」で(A)コース。
いかん、2日目にして既にルーティンに入っている。オレにはフロンティア・スピリッツがないのか。
えーい、明日は(C)コースの牛皿を頼もう(どちらにしたって)。
さて、プロマネ研修の2日目。午前中はがりがりとお勉強。

昼休み、郵便局で財布に少し補充してから、あてどなく彷徨って「洋風居酒屋チムニー」
サイコロステーキ定食700円。肉、御飯のボリューム共に悪くない。しかも、コーヒー呑み放題だ。
しかし、腹具合がイマイチだったのでコーヒー頂かず。意味ないじゃん。
という訳で明日、雪辱を果たす事に。

午后もごりごりとお勉強。グループ発表がなかなか盛り上がる。
処でプロマネ研修は、2日で1単位。今日までが《計画篇》で、明日から2日間が《実施篇》。
会社的には徒らに宿泊させるのは経費的にアレだというので、2日目の研修は帰りの飛行機や新幹線の時間に間に合わせる為、絶対に17時で終了する。2講座跨いで受講する身には、此処が時間の使い処である。

旨い具合に今夜、池袋で「右團治炎の二百発(2)」が開催される。
僕は「右團治画報」の管理人を務めて居乍ら、未だかつて右團治さんの落語会へ顔を出した事が無かったので(此処が地方在住者の悩みです)、これは好機と一昨日、昨日と右團治さんと電話でやり取りした結果、万障繰り合わせて(笑)今夜の予定に組み入れたのだった。本当は右團治さんが落語会を開く都度、楽屋記念写真を「画報」に載せるのが、究極の野望である。いつか、右團治さんにデジカメを携帯してもらうんだ。

今回の「二百発」も怒涛のような演者の数なのだが、何と云ってもメインゲストはマギー司郎さん
何でも、一昨年、右團治さんが一緒に九州巡業(天草)したご縁で今回出演していただく事になったそうで「それは『右團治画報』のトップ写真、戴かない手はありませんっ」と(僕が)大いに盛り上がる。…上京していて本当に良かった。

「マギーさんと云えばこないだ『たけしの誰ピカ』で、Mr.マリックと対決したんですよ」
「あー、そうなんですか」と右團治さん。どうやらご存知なかったらしい。
「その時にね、マリックさんの超魔術のトリックがどうしても見抜けなくて、マギーさん、しみじみ『こりゃ分かんないわ』って仰ったんですよ」

別にマギーさんが一門総がかりでMr.マリックのトリックを見抜けなかった事が面白かったのではない。
マギーさんのしみじみ困っている風情に、あのひとの底意のない人間性が滲み出ていて、それが面白かったのだ。
何て良いひとなんだ、という溜息である。右團治さんにそれを伝えたら「会って直接仰ったらいいですよ」との事。
ううむ、俺如きにそれをちゃんと伝えられるのか。一歩間違えれば、罵倒に受け止められかねない感想である。

ともあれ、17時にそそくさと退社、八丁堀から営団日比谷線中目黒行に乗って銀座で営団丸ノ内線に乗り換えて池袋へ。190円。



池袋に着いたら、まだ18時前だというのにもはや宵闇。
いやあ、東京の夕暮れは呆れる程早い。
東京芸術劇場に来るのは勿論初めて。昨夜、右團治さんには地下街から行けると聞いたもののよく分からないので結局地上から西口公園を抜けて行く。着けばいいんだよ。其処の地階にあるという小ホール2を確認してから、そのあたりをぶらつくべく昇りのエスカレーターに乗った処で、折りしも下りのエスカレーターで降りて来る右團治さんと擦れ違う。高座を降りた右團治さんはこざっぱりとボーイッシュななりをしているので、実齢よりうんと若々しく見える(などと書くと余程年配のようだが、決してそういう訳ではない。女性の齢の話をするのは誠にムヅカしい)。いつもの黒紋付きをイメージしていると(そんなひとはいないか)案外見つけにくいかもしれないが、僕が見逃す訳には行かない。簡単に挨拶を交わしてから、開場前の慌ただしい時間なので、仲入りに楽屋にお邪魔する手筈だけ確認する。

18:00開場。10分程遅れてから管理人特権(笑)で、前売りで入れてもらう。
受付にいらした上品なご婦人は、後で伺って知ったのだが、年明けに右團治さんが小文さん時代の写真展を開いたカメラマン鍵山高根さんそのひとであった。お名前からてっきり男性だと思い込んでいたので正直驚いた。現在は文治師匠の写真を撮り続けているとの事。いずれ連作が溜まったら「桂文治」写真展に繋がっていくんだろうなあ。

18:30ちょっと過ぎに開演。


春風亭鯉奴(こいぬ)「千回し」
神田阿久鯉(あぐり)「講談」
(演目、ご本人に確認したくせに忘れてしまいました。本当にごめんなさい)
桂花丸「動物園」
春風亭柳太郎「ラーメン屋」
桂右團治「野ざらし」


仲入り、おそるおそる楽屋へ伺う。
ホールだけあってなかなか殺風景。何だか体育館みたいである。
右團治さんによれば、マギー司郎さんは仲入りで楽屋入りされて出演後、すぐに帰られてしまうので、シャッターチャンスは仲入りの間しかなく、他メンバーが揃わないけど、ひとまずマギーさんとのツーショットを撮って、別途、その他の出演者との集合写真を撮りましょうとの事。そういう事であれば、いたしかたありません。

早速、右團治さんがマギーさんの楽屋へ入ってアポ。
「あ、そーなの、全然いいですよ」と笑顔で答えるマギーさん。まさしく本物である(ばか)。
脇におつきの人(後見人というらしい)がいる。ラメ入りの緑のタキシード…これぞ「マギー司郎」である。ピンクなら尚良かったのに(これこれ)。
肖像権関係は全然OKという事で(殆どの芸人さんはこういう場合、気さくに応えてくださる)早速、右團治さんとのツーショットを2葉撮らせていただく。マギーさんは大いにノってくださって「こんなポーズとってもいいの? ふざけすぎ? あ、いい? じゃ、やるね」と仰り乍ら、両手ピースをしてくださった(その成果は「右團治画報」を参照の事)。

右團治さんが「先日のTV番組が大変良かったそうで」と水を向けてくれたので、たどたどしくも、こないだの「誰ピカ」の感想を云わせていただく。

「そ、あれ観たの」と苦笑まぎりのマギーさん。
「あれもね、お芝居半分、本音半分だよねー」
「そうなんですか」
「うん。やっぱりTVだからね。面白くしなきゃってのはあるよ。でも、半分は本音だよねー」

こ、これだよ、僕の感想そのままのひとじゃないかっ。いたく感激する。
記念に握手していただく。力強いグリップ。あとはつい先ほど、すぐ近くでご自分の顧問税理士に会った話など。「世間は狭いよねー」御意。
「誰ピカ」を観た時には、まさかご本人に直接話を伺えるなんて思わなかった。
地面から3mm程、宙に浮かんだまま、客席に戻る。

聞きたい事の1/3も聞けなかったが、元々そういう事をしにきたんじゃないんだから。


市太郎(桂花丸&春風亭柳太郎)「漫才」
マギー司郎「奇術」
桂右團治「唐茄子屋政談」


終演后、残る出演者の集合写真を撮るため、再び楽屋へ。
今日のお囃子は、橘ノ好圓さんの奥様で、時々やっさんの楽屋写真を送ってくださるちあきさんだったのでご挨拶。
あろう事か初対面である(僕も花丸さんと話をしているのを脇で聞いていて、このひとがそうに違いないとあたりをつけた)。綺麗な方であった。
「てっきり東京にいらしてHPを作られているんだとばかり…」と驚かれたが、案外そう思われているひとは多いのかもしれない。
ま、From 北九州にしては、頑張ってる方だと思うんですよねー、などとやむなく自分を褒めてみたり(莫迦という他ない)。

時間の都合でもうすぐにでも会場をあとにしなければならないらしく、右團治さんから打ち上げのお誘いを受ける。打ち上げったって、僕はただの客だし、恐縮することこのうえなし。この中で多少なりとも面識があるのは「闇将軍」こと花丸さん一人しかおらず、それも一度きりで、おそらく説明しないと思い出してもらえない(うひゃあ)。

「ま、倉田さんも身内みたいなもんですから」と右團治さん。

ええい、明日の研修がどうした。ついていきます。



という訳で、居酒屋「国東」にて落語会の打ち上げ。右團治さんも此処を使うのは2度目だそう。
参加メンバーはマギー師匠、ちあきさんを除く全出演者と、早稲田OBの方お二人と鍵山高根さん、それに僕。
お店は7〜8人がけのカウンターと奥に6畳程の座敷が一間。9人が押し合い圧し合いしてどうにか座敷へおさまる。

何だか色々、話し、聞いた気がするが(政治経済ネタ多数あり)、この日記には、

・マギーさんにご本人が出演した「愛を乞う人」の話を聞き損ねた事(しかも原田美枝子の夫役だぞ)。
・右團治さんの噺を聞く機会の少ない自分だが、口幅ったいが、聞く度に右團治さんが上手くなっている事。

くらいを残しておく。
僕の真正面に座られた神田阿久鯉さんが同い年と聞いて、えらい親近感が沸いたり。
芸人さんとは云え、初対面でぱーっと盛り上がるのは大変だと思うんですが、同世代というだけで、共通の話題は貰った!という感じになるのはいいですね。それにしても、下戸且つ若輩のくせに喋りすぎではないか → オレ。

でも、右團治さんって真打ちになったのを境にめきめき腕を上げているのは本当、そうだと思う。
次回を聞くのが、本気で楽しみだもの。きっと、すっごい練習の賜物なんだろうなァ。

結局、出演者の記念写真は「国東」の店先で(これまた成果は「右團治画報」を参照の事)。
皆さん、さすが芸人さんで色々と「作って」くださる。いとありがたし。

23時を前に、さすがに電車が心配になって、鍵山さんと早稲田OBのお一人とお店を辞去する。
お勘定は、OBのもうお一人の方が全部持ってくださった。あなうれし。
地下から上がった途端に雨模様、傘を差しつつ、鍵山さんに先導していただき乍ら、慌てて池袋駅へ。

24時ちょっと前くらいに無事、ホテルに帰り着く。




 220.浅草九月中席千秋楽

2001/9/20(Th)

6時起き、時計要らず。いつの間にこんな緊張しィになってしまったのか。
昨日同様「新川二丁目」でバスを降りて、「ゆで太郎 入船一丁目店」で(C)コース。
牛皿に蕎麦つき。これまた結構なヴォリューム。
決めた、出張期間中の朝飯は「ゆで太郎」と心中だ(今頃、決めたんかい)。

さて、プロマネ研修3日目。実は今日からコースが変わったのだが、出席者の7割は同じ顔。

昼食は昨日同様「洋風居酒屋チムニー」。
ハンバーグ定食700円。今日もコーヒーいただかず。
どんどんルーティンワークのツボにはまっていく。

午后もしかとお勉強。何しろ、僕は勉強しに東京まで出てきたのである。
講座初日という事で19時半まで、研修が続く。
研修を終え、脱兎の如く、浅草へ。



地下鉄の階段を駆け上り浅草寺を抜けて30代なりの気力で(笑)走るだけ走ったが、演芸ホール20時着(そりゃそうだ)。
入り口でしおしおと、やっさんを呼んでもらうと、前座さんに「こちらへどうぞ」と楽屋口へ案内される。

昨日の右團治さんに続いて、演芸ホール中席(しかも今日は千秋楽だ)に出演中のやっさんの高座を聞きたかったが、今日の研修スケジュールと重ねてみるに、19時仲入り後の一番手では絶望的であった。高座には間に合わないかも、昨夜電話では話しておいたが「時間になっても来ないから心配したよ」と云われてひたすら平身低頭。ごめんね、ごめんね。
残り時間もあまりないし折角だからとロハで残りの番組に入れてもらう事に。
前座さんに先導され会場に向かう途中で、ホール入りした文治師匠と鉢合わせ。

「ど、どうも、北九州の倉田です」
「おや、お珍しい。お子さんはお元気ですか?」

破顔一笑してくださる師匠に気をよくしまくり(ばか)。
何しろ奥さんを介さずして認知してもらえたんだから、って何だそりゃ(2月の日記参照のこと)。
暫し、ご挨拶をさせていただいてからいそいそと客席へ。
平日で6〜7割の入りはなかなかなのでは。前から3列目中央の空席に身体を滑り込ませる。

舞台は新山ひでや・やすこの夫婦漫才の真っ最中。
そう云えば、1月にE崎夫妻と来た時にも笑かせてもらった。
このお二人の旨さは、如何に自然にネタを外れて「素(す)」を出したよう客に錯覚させるかの手練にある。つい、やすこさんがひでやさんを「おとうさん」と呼んで、ひでやさんに突っ込まれる時のやすこさんの真っ赤になって照れた顔のリアリティは、舞台の上のアクシデントとして客に歓迎されるが、実は毎回舞台に上がる度に「おとうさん」と呼んではポカやってる訳で、仮に台本にはなくても、これはリップサービスというか、コンビ暗黙のネタであると云っていい。で、このライヴ感こそが心地よいのである。アドリブの応酬はベテランならではの妙味。オレ、そういう笑い、結構好きだなあ(ってこれはひでやさんの持ちギャグである)。

桂文治「牛ほめ」

図らずも、こんな至近距離で文治師匠の落語が聞けようとは。
「今日が浅草のラク日で明日からはまた池袋なんですが、池袋で演るのは今日よりももっと面白い」(笑)というツカミは、2月の「親子酒」のマクラでも聞いたような気がした(いや、何度聞いたって可笑しいんです)が、そう云えば2月も上席のラク日であったなどと思い返してみたり。
師匠の「牛ほめ」を聞くのは初めて。時間の都合で途中で降りられたのがたいそう残念。

北見マキ「マジック」

お馴染みのネタの数々。ステッキが花束に、輪っかにロープにフルコース。
最后は空中からコインを取り出して、シルクハットにちゃりん、というヤツ。
北見さんはトークを駆使しない、昔乍らのマイムに近いパフォーマンスだから、僕らの世代にはちょっとキツい。
寄席の外だともっと大ネタなんかも使えるんだろうけどなあ。

柳家蝠丸「井戸の茶碗」

夜の部主任は桂一門の筆頭弟子、落語会随一の痩身にして「目標は中年太り」の蝠丸さん。
実はやっさんの真打披露の時にお見かけしただけで、寂光院で落語までやっていただいたのに、蝠丸さんの高座を聞くのは正真正銘今夜が初めてであった(宴会の面白写真なんかはやっさんルートで見せていただいているんだが・笑)。
という訳で今宵は「井戸の茶碗」を、おかずまで余す事無く最后まで。
安心して聞ける横綱相撲の貫禄(痩身だけど)。独特の飄々さが得がたいフラになっておられる。
寄席通いも悪くない、と本気で思うが、それがまた地方在住者の憂鬱の種である。



主任が一門の蝠丸さんで千秋楽という事もあって、寄席がハネた後、外で暫くやっさんを待つ。
北見マキさんがゴルフウェアで出てきたり。舞台のきんきらりんの衣装を見慣れていると本当に吃驚する。
文治師匠は先に帰られていたらしく、最后に入り口から蝠丸さんとやっさん、それからメガネのキュートな右團治さんが出てくる。
一旦出番を終えて、稽古事に出かけた後、再び顔を出しに寄ったとの事。
2日続けて会えると思わなかったから、ちょっと嬉しい。

道すがら寂光院の時のお礼を蝠丸さんに申し上げる。もう2年にもなるんだって。
札入れからお小遣いを出そうとする蝠丸兄さんに慌ててご辞退申し上げて(滅相もない!)、蝠丸・右團治ご両人とお別れした後、やっさんと浅草中を彷徨するが、何故だか浅草の夜は早いらしく食事出来る店はどんどん閉まっていくか既に閉まっている。やむなく、名も知らぬお好み焼き屋に飛び込んで、お互いの近況報告に時代劇話など花を咲かせる。
そうそう、やっさんはキム・ヨンジャさんと大の仲良しらしい。

お互い明日も仕事だし、来月宇佐で再会出来るしというので23時くらいでお開きにする。
お好み焼き2枚と焼きそば1人前、ジュースとビールで4250円は高い気もするが、こんなものなのかな。



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