備忘の都 2001 −OCTOBER−  ◆

なんで誰も愛してくれない?
あ。そういうもんなんだよね人生って。

だったら死ねってそんだけの話さ。

いつか、決まってる時間より先に切り上げよう。
その差が大きければ大きい程
笑顔でバイバイ出来るね。

佑天寺うらん「裏うらん」


226.海洋堂の天下227.キャンディキャンディ著作権裁判
228.桂平治・三遊亭春馬二人会229.葬儀にて
230.六花亭のストロベリーチョコ

備忘の都【目次】/ 備忘の都1999
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 226.海洋堂の天下

2001/10/25(Th)

車で帰宅途中、妻からPメール。「カエリニスピナニヨッテコナチーズカッテキテ(本当は半角カナ)」。ほお、今夜はスパゲティですか。
で、スピナでおつかいをした後、菓子売り場をリサーチ。そろそろ九州でもチョコラザウルスの第2シリーズが出てる筈。
近頃はコンビニやスーパーで第1シリーズが半値で投売りされているのを見て少し切なかったのだ。
と、バリケードのようなチョコエッグの壁。確かに職場でもちらほらとモニタの上にアヒルやらニシキゴイやら、おお、我が家の下駄箱の上にも毒々しいウミヘビが飾られているが(9月に上京した折にははるさんがミズクラゲを引き当てていた…要らんわい)いずれにせよ海洋堂の一人勝ちに変わりあるまい。せいぜいブームのうちに稼いでおくのが賢いやり方だ。
で、案の定、第2シリーズが置いてあった。尤も売れ残った第1シリーズを大胆にも半分くらい混ぜてある。おのれスピナめ、小賢しい真似を。

第1シリーズがコンプリートしたのは10日程前の事(勿論、ホワイト・ティラノは押さえてある)。
会社でチョコラザウルスをきちんと蒐集しているのは僕とS石くんだけだったので、後半ダブりを補完しあって、どうやらパキディスクスを残すのみとなったのだが、やはりコレクター仲間は身近に何人かプールしとかないと(ネットで売りに出ているのは呆れるくらい暴利だし)などと小首をひねっているうちに奥さんが石川県のコレクターのおとうさんと我が家の余剰ディアトリマとのトレードを成立させていた。
くだんのパキディスクスが届いたのが16日の事。で、今夜から(正確には9月の上京時から)第2シリーズ・コンプへの道が始まる訳だ。

それにしても我が家の下駄箱は壮観である。30体の古代生物フィギュアが押し合いへし合いしている。
いささか古い話になるが、ウチを訪れた冨士薬品のおにいさんはすっかり洗脳されて帰ったらしいし。
しかし幾ら壮観だとて、下駄箱の上に両シリーズ50体を置いてしまうのは如何なものか。再考要である。

本日の収穫は「027.ブラキオサウルス」「038.スミロドン」の2体。
第2シリーズになってから組立ものが増えた気がする。確かに大きく作れるもんな。



今夜初めて「大関2001 のものも〜中村玉緒商店街編」のCMを観る。
HPによるとオンエアは9月20日からとあるが、九州でもそうだったのかな。奥さんも初めて観たようだった。

いや、実はこのCMにはガヤで右團治さんが出ているのである。

CM撮りに行くと右團治さんからメールを貰ったのはもうかなり前になる。
別にメインの出演じゃないので画報には告知しないでと頼まれたから載せなかったけど、実はひそかに楽しみにしてた。
僕が観たのは15秒スポットだったので(30秒ヴァージョンがあるかどうかは知らない)「のものも、のんで〜」と歌う玉緒さんのアップに見惚れているうちにCMは終了。残念乍ら右團治さんを見つけ出す事は出来なかった。これはかなり難易度が高そうだ。今度、右團治さん本人に確認しよう。

そうそう、右團治さんと云えば、さきほどご本人から謎のメールが届いた。
本文には「かさかさ」とだけ。
一体、何の判じ物なんですか → 右團治さん。
僕ァ、思わず走り去るゴキブリを想像してしまいましたよ。




 227.キャンディキャンディ著作権裁判

2001/10/26(Fr)

25日に「東京高等裁判所平成11年(ネ)第1602号出版差止等請求事件(通称:キャンディキャンディ著作権裁判)」の最高裁判決が降りた。
結果はいがらしゆみこからの上告棄却、原作付漫画におけるキャラクターの二次使用に於ける原作者の権利はこれで大きく前進したと云っていい。
事件のあらましや経過など詳しい事情は、「Keiko Nagita(Kyoko Mizuki)の小窓から」を見ていただくとして、僕は、不覚にも「キャンディキャンディ」が裁判で争われていた事さえ知らなかった。以前2ちゃんでいがらし誹謗板を読んだ事はあったが、板の性質上、ある事ない事書いてあるんだろうしと読み流していた。ひとつにはそれ程原作に思い入れがなかった事もある。

遅まき乍らそれを知ったのが井沢掲示板にネタ振りがあったからだ。
当の井沢先生が「ジョージィ!」という原作を通して、この件の当事者のひとりだったのである。
で、まあ、いがらしサイト水木サイトを読み比べると、その主張は真っ向から異なる。
というか、双方の言い分が正しいという事は論理的に「絶対にありえない」。
どちらかが大ウソつきか、どちらも大ウソつきのどちらかだ。


【参考】井沢先生に教えていただいた関連サイト

● Cネット&TeaRoom問題を考える(掲示板)
 http://www67.tcup.com/6707/japanimation.html
 http://redrival.com/tamami/top.htm
● Cはちまん屋敷
 http://citizens.nettaxi.com/suzukareni/door/
● キャンディ虐待問題
 http://www.geocities.co.jp/AnimeComic/7867/
 http://www8.freeweb.ne.jp/play/torako/
 http://cronus.spaceports.com/~candys/
 http://members.fortunecity.com/domesticviolence1/index.html


2ちゃんで「ジョージィ!」搾取の話が出た時にも、僕の頭には井沢先生が書いたスペシャルドラマ「手塚治虫物語」があった。
くだんのドラマでは物語後半に斉藤由貴扮する新人漫画家いがらしゆみこが手塚先生に会って感激するシーンが出て来る。ドラマの流れや手塚先生の交友関係から云っても、あれはいがらし先生の為にわざわざシーンをこさえたものとしか思えなかった。僕は同じく斉藤さんが主演した「とっておきの青春」もいがらしゆみこが漫画化したのを知っていたので、これは井沢先生からいがらし先生への友情のあかしなんだなあと微笑ましく観たのを覚えている。
で、水木サイトを観ると、「ジョージィ!」不正発覚は99年4月。
くだんのドラマ放映が同じ99年4月である。
成程、これは相当にキツい。

そんな僕のネタ振りに井沢先生が掲示板で当時の話を打ち明けてくださった。

井沢先生は「ジョージィ!」不正発覚までは、友人関係にあった「仲良し」の漫画家さんに深い同情を抱き、彼女に悪い噂を聞かされていた原作者への意趣返しとして「キャンディキャンディ」の漫画賞受賞エピソードを原作者抜きでこさえて、「犠牲者である」漫画家さんを励ましてあげようとご本人に取材して、手塚先生との経緯など聞きだして、あのシーンが出来上がったとか(勿論、後ほど水木さんには陳謝されたそうだ)。
当のいがらし先生からはドラマの仕上がりに「涙が出た、勇気づけられた」と心のこもったメッセージが届いたらしい。
そして、オンエアから暫くして「ジョージィ!」不正が発覚する。

井沢先生が書かれた「ただ、あの感謝の言葉自体は嘘ではなかったと思うし、場合によっては漫画家は本気で自分が被害者であると信じ込んでいたような気がふとしたりもするのです」という幾分控え目な、いがらし先生の人物評を読む時、「悪意」なるものの世の中の不思議を思わなくもない。

或る誰かを指して、あの人は「善人だ」「悪人だ」と綺麗に切り分けるのは絶望的に不可能である。
今それをやろうとしているのが、合衆国のブッシュJr.で、彼は勧善懲悪というありもしない幻想に世界を巻き込もうとしている。
どんな人にも「善人」と「悪人」とが幾許かずつ同居している。そのレシピの差こそが個人差に過ぎぬ。

いがらしゆみこという少女漫画家を誠意のカケラも無い、宿業の徒と断じるのは容易い。
けれど、それだけで彼女の才能やパーソナリティを計るのも否定するのもまた違う。
それはファン達が「キャンディキャンディ」や「ジョージィ!」を愛した自分を否定するのに等しい。
僕は決していがらし先生を擁護しようとしているのではない。
ただ、ひとはあくまでも多面的なのだという事に想いを馳せているだけだ。
そして、ひとの暗黒面を目の当たりにする瞬間程、人生に於いて辛い局面もないと思う。

井沢先生が最后にくださった次のコメントを、自戒もこめて此処に残しておく。
先生の決意表明は、そのまま自分自身の決意表明としても有効だからだ。

 ただ、私という人間も含めてのことですが、人は複雑です。
 それゆえ、こわくもあれば面白くもある。
 ひとまず私は「いい人」だと思います。が・・・・
 自ら驚くほど、醜い怖い部分も併せ持っている。狡猾さも、嘘も、偏頗な自己正当化も。
 それらを、どれだけ振り落としていけるか・・・などと書くと立派そうですが、私は安らかに死にたいのです。
 人を騙したり、傷つけた分だけ、いい死に目は迎えないぞ、という・・・・。
 まぁ、凡人ですから、ピュアにはなりきれませんが、努力だけはしていこうと・・・・
 まぁ、そんなふうに思っています。贖罪の意識と共に。




 228.桂平治・三遊亭春馬二人会

2001/10/27(Sa)

あれやこれや用事を片付けて13時過ぎに家を出て、都市高速を使っても、宇佐の実家についたのは15時過ぎ。
車中、とんくんから携帯で「16時、西別院(今夜の会場)集合」と召喚されたので、家で母親大絶賛のOSK特製「豊後きのこカ レー」を食べてから(旨いけど、どんこが丸のまま5個も入っている、て、きのこ好きにはたまりませんかそうですか)、西別院こと浄土真宗本願寺派四日市別院へ。此処はお隣の真宗大谷派四日市別院(東別院)と合わせると九州最大級の木造建築と云われる程、威容を誇っている。東別院こそ慶応年間に焼失し明治に再建されたものの西別院が出来たのは安政期だ(尤も東別院の開基は450年前まで遡る)。境内に車を乗り入れるとかつての同級生たちがいいおじさんになって(あ、俺もか)ちらほら。

此処の境内に入るのは何年振りだろう。
毎年暮れの「おとりこし」に立ち並ぶ出店へ通ったのは、せいぜい小学生までだと思うので、えらく久し振りだと思うのだが、高校時代に来ていたとしても、もう15年にはなるか。院内の慈光保育園に通ったのはおしめもとれていない2歳足らずの頃のことだから、ある意味、僕の集団生活のルーツはこの境内にあると云ってもいい。そう思うと何だか感慨深かったり。普段、思い出しもしないくせに。

座布団やら垂れ幕やら、やっさんのリハーサル(甘酒売りの声を木部先生とふたりきりで聞く贅沢)やら会場の設営ととんくんによる各員の割り振りが終わったものの、開場まではまだ間があるのでふと思い立って、親子して隣の東別院内にある福園寺へ向かう。いや、宇佐に帰る度、ご無沙汰してる尼子くんちへ挨拶にね。

ドアチャイムを鳴らすと尼子くんのお母さんが出てきて「あら、てるちゃん」。
30過ぎたいいおっさんになっても、お母さんにとって僕は保育園時代からずっと息子の友達の「てるちゃん」なのである。
「あいにく息子は留守だけど」と悠都を見て大いに喜んでくださる。
尤も、悠都は緊張モードで玄関前の石畳を行ったり来たりしている。
ちょうど、昨夜、娘さんが生まれて病院に行っているらしい。それはおめでたい。
名前も既に決まっていて「朋花(ともか)ちゃん」との事。佳い名前である。
彼は生来の子供好きだから、待ちに待った赤ちゃんだった筈だ。皆んな子持ちになっていくなァ。
そこへ、旨い具合に朋花パパ帰宅。今から杵築で寄り合いとの事だったが、ほんの少しでも親睦が深められて良かった。
次の再会を約束してから西別院に戻る。

奥さんは悠都の子守り、僕は木部先生の奥様と受付。
開場30分前から客が続々と入り始め、悪天候にも拘らず、最終的に260程度の座布団や補助椅子はほぼ満席になる。
受付業務のヤな処は、普段ごぶさたしている人とやたら顔をあわすこと。
とりわけ、中学時代の担任だった尼子先生には会わす顔も無いのにアイサツする羽目になったのにはまいった。

「おう、生きとったか」
「ええ、どうにか」

これが20年振りに再会した師弟のコトバか。
先生は髪こそ白くなっていたものの、見た目は殆ど20年前と変わらなかった。
そう云えば、脇におられる木部先生も顔立ちそのものは15年前とぜんぜん変わらない。
齢をとっておられないのは、教え子としては逆に嬉しいものである。

あたりがすっかり暗くなった18時半、落語会開演。
処で、肝腎の落語会のプログラムは以下の通り。


三遊亭春馬「ぜんざい公社」
桂平治「禁酒番屋」
─中入り─
三遊亭春馬「動物園」
桂平治「浮世床」


後で、楽屋で悠都をあやしていた奥さんの話によると、「お寺なんだから下ネタ厳禁」とやっさんに厳命された春馬さんはしぶしぶ下ネタを外したのに、当のやっさんは「小便」に「小股の切れ上がった女とどうにかなっちゃおう妄想」とこれがもう下ネタ三昧で、話が違うじゃねえかと春馬さんが抗議したら、やっさん、「オレはほら、ホームグラウンドだからいいの」とうそぶいていたらしい。二人は本当に仲良しなんだな。

同級生スタッフは会場外の障子の隙間から、観覧。
風が少し冷たかったけど、やっさんの噺は相変わらず面白かった。
春馬さんは「ぜんざい公社」しか聞けなかったけど(「動物園」の間だけ子守交代)、いきおいのあるひとで、攻めて攻めて攻めまくる落語といった印象。真ピンクの羽織が、高座という異界を演出していて、それがまたなかなか良かったり。お互い張り合って噺がどんどん長くなるので、会が終わる頃には21時を回っていた(おいおい)。でも、非常にいい感じ。この調子なら裏を返せるのでは。

打ち上げに行きたいのはやまやまだったが、悠都がいたし、第一オレ自身がへろへろだったので今夜は辞退。
楽屋では真剣に悠都と遊んでくれていた春馬さん、「えっ、僕ちゃん帰っちゃうの? 残念だなあ」って心底残念そうに云ってくださるのはとっても嬉しいけど、僕が行けないのも残念がってくださいよ(笑)。

それにしても、春馬さんに僕ら夫婦が原宿で遭った馴れ初めの話をされたのはどうか。
そう云えば先週、渋谷で右團治さんにも「そう云えば倉田さんご夫婦は原宿で出逢われたんですよね」としみじみされるし。
って、何か? 落語業界ではそんなに僕ら夫婦の馴れ初めは有名なのか。
やだな、それ。…て、犯人はやっさんだろ。たく。

境内で、楽屋で、とたいがい遊び疲れている筈の悠都、実家の風呂が怖いと泣き叫んだ他は夜半まで途切れる事無く元気。
幾ら何だって壊れ過ぎだよ。奥さんに快眠が訪れるのはいつの日か。え、おまえが何とかしろ?




 229.葬儀にて

2001/10/29(Mo)

午後から会社の同期の女性の葬儀で小倉南区方面へ。
享年31歳、彼女が白血病だったと、昨日連絡を貰って初めて知った。
去年の6月、健康診断で判明してからの闘病生活。1年半とない。
葬儀会場とロビーには、今年に入ってから、病院を抜け出して彼女のお兄さんの結婚式で撮った家族写真が2葉飾ってあり、その時に着た桜色の晴れ着が彼女の遺影の脇に展示してあった。遺族席に座るお母さんの背中は家族写真のお母さんとは別人のように小さい。聞けば、体調を崩して床に伏せっていたらしい。

この処、自分と同世代のひとの葬儀参列が続くのだけれど、天命を全うしたおじいちゃんおばあちゃんならまだ笑って話せるものを(尤も、我が敬愛するいかりやさんは、60過ぎてお父上を亡くした時、同じように慰めたひとに「俺は60余年生きてきて、親父を亡くすのはこれが初めてなんだ」と憤慨したそうなので、一概には云えない)、子供に先立たれた親御さんを見るのは、子を持った身にはひたひたと身に沁みる。
何しろ悲しみってヤツは伝染するからね。

生前の彼女とそれ程親しい訳ではなかったが、彼女のお母さんを見るのは何よりも辛かった。
息子さんが手を離せばそのまま消えてなくなってしまいそうに色薄く透き通って見えた。



「かさかさ」以来、久々に右團治さんからメールが届く。
聞けば、先代の携帯をトイレに落としたので買い換えたとか。するってェと今度が3代目ですね。
じゃ、あの「かさかさ」は、一体何という問題が残る(残らん残らん)。
ひょっとして新手の「ヒザヤニイラエンヨゴラ」とか。
うーん、今日のオレは冴えてないので、このへんで。




 230.六花亭のストロベリーチョコ

2001/10/30(Tu)

左:「十勝ワイン羊羹」 右:六花亭の「ストロベリーチョコ」 3泊4日で北海道に行って来たY田さんからお土産をいただく。いつもゴチになります。
やはり羊羹ものは外せないでしょうって事で、「十勝ワイン羊羹」と六花亭の「ストロベリーチョコ」。
今夜のお茶のお供に早速ストロベリーチョコをいただく。
これは北海道物産展ではお目にかかれない。空港に置いてあるものも微妙にパッケージが違うという事なので(11月からまたデザインチェンジするらしい)、北海道旅行ならではのいただきものと云える。あなうれしや。

フリーズドライ加工した苺をホワイトチョコでコーティングした、ひとつひとつ大きさもまばらな白い土くれといった素朴な概観なのだけれど、一口齧るとさくさくした触感と共に乾燥苺の強い酸味とそれを包むホワイトチョコの強い甘味が程よく中和されて、えもいわれぬ美味。というか、初めての味覚。
齧ったフリーズドライ苺の断面も水分が抜けきって繊維だけになった苺の深紅が実に目に鮮やか。
これは当たりかも。いや、大当たりなのでは。
思わず半分残して、明後日福岡から帰ってからいただく事にする。



梶尾慎治「かりそめエマノン」(徳間デュアル文庫)読了。
梶尾先生、星雲賞父娘W受賞おめでとうございます。
「ガンパレ」と梶尾作品に共通するのは熊本ローカル描写の呆れる程のディテール。
熊本SFマップをそのうち作らなきゃな(誰がだよ)。

作品自体はいつものカジシンワールド。
後半の時事ネタ取り込んだゼイリブネタのキモさも、愛すべき登場人物をいとも簡単にむごい目に遭わすあたりも、「サラマンダー殲滅」「OKAGE」を書いた梶尾先生ならではでしょう。前半の青春小説と後半の侵略SFホラーの継ぎ目がいささか唐突だけど、エマノンは基本的に何でもありなので許す。次回は長編エマノンをひとつよろしく、という事で。



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