備忘の都 2001 −DECEMBER −  ◆

みんなクリスマスのシーズンになると
ツリーに飾りをつけるような感じでこの映画を見るのです。

ジェイムズ・スチュワート


241.免許更新242.取調室15243.朱夏を過ぎて白秋へ
244.怪獣映画の値打ち245.素晴らしき哉、人生!

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 241.免許更新

2001/12/17(Mo)

土曜のぶんの振替休日。
寝不足の目をこすりつつ、午前中は免許更新センターへ。
月曜だというのに(或いは月曜だからか)更新者が雲霞の如く沢山居て、ひとつしかない立体駐車場も駐車率130%で、柄の悪い兄ちゃんの怒号が其処此処で響いているのがイヤ。何しろ、2階及び屋上へ続く通路脇にまで車を駐めていくから、身動きの取りようもない(此処はイタリアか)。免許更新センターはマナー違反と駐車違反の巣窟である。

2時間みっちり一般講習。
「愛する人を失った日々」(記憶は適当)と題したビデオの中で、奥さんと4歳の娘さんをダンプカーに轢かれ、残された1歳の息子とけなげに暮らす、アウトドアショップのおとうさんの話にもらい泣きする。毎朝、早起きして息子の弁当のウインナーに細かい切れ目を入れているあたりから涙腺決壊の気配。寝不足だと涙もろいし。妻や娘の洋服を取り出し乍ら「洋服だけは駄目なんですよね」と奥さんのニットのセーターを畳みながら男泣きにぽろぽろ涙をこぼす若いおとうさんの姿に、さしものヤンキーの兄ちゃんたちも釘付けであった。



正午ちょっと前に帰宅出来たので、悠都を連れて合屋医院へ。
しわがれ声だけはなかなか治らないものの、ウチの子供は病院に行った時がいちばん健康体になる。
全くふざけた野郎だが、クループの腫れもかなり引いたそうなのでまずは一安心。

夕方、中間で「アクシデンタル・スパイ(2000・香)」を終わらないうちに。
いつになく重い話である。それとも僕が疲れているから余計そう感じるのか(案外そうかもしれん)。
映画の舞台に韓国やハングル文字が出てくるのも時代の流れか。
ビル・ブライソン/高橋佳奈子訳「ドーナッツをくれる郵便局と消えゆくダイナー」(朝日文庫)を買って帰る。

今宵も悠都は相変わらず苦しそう。昼間の元気が嘘のようである。
夜中、何度か抱き上げてあやすが、咳が止められないのでなかなか泣き止まない。
こういう時、親の出来る事など何もない。ひどく落ち込む。

今日観た映画:「アクシデンタル・スパイ(2000・香)」



 242.取調室15

2001/12/18(Tu)

今朝は7時出勤。駐車場に行ったら、スパシオのフロントガラスが凍り付いていてこちらが凍り付く。
これから早出の時には、お湯を用意しなきゃいけないですね。

休み明けだというのに(だからか)怒涛の仕事攻勢。
しかも仕事のメインは飛び込みで、元々抱えてる締め切り間近の仕事群は手つかずのまま。
誰か助けて。と悲鳴をあげてもひとり。て、皆んな忙しいんだよ。



「さよなら、小津先生」最終回のビデオ予約にかまけていて、裏で「取調室15」をやっている事すら知らず。帰宅して、長さんの顔を見るなり慌ててリアル観に入る(とほほ、って9月に放映された14も積ん録のまま観てねえよ、犯人が南果歩のヤツ)。
でも、犯人役が十朱幸代、南果歩と来て丘みつ子とはえらくまた地味目なキャスティング(失礼)。
キャストが一新してから、本部長が乱心した殿様を演らせると右に出るひとがいないという西沢利明だったかどうかは記憶にないが、ちょっと見ない間にすっかりおじいさんになられましたね(調べたら昭和11年生まれの65歳であった。本当におじいさんになってたのね)。そう云えば以前「徹子の部屋」でご本人が「僕は舞台では二枚目、テレビでは悪役なんですよ」と仰ってたのを思い出す。

物語の方は、子供想いの丘みつ子、とまあそういうお話。ちょい役で河原さぶが出ていたのが嬉しかったり、被害者役で中島久之(その昔、昼ドラの青年実業家とか青年医師とか新進気鋭の弁護士とかはこの人が一手に引き受けてたんじゃないか)に久々に邂逅出来たのが万感胸に迫ったり。皆んな齢とったなァ、というのが正直な感想。それでも主要出演者の中の最長老は現役バリバリの長さんなんだよなあ。



食事の後、疲れた身体に鞭打って懸案の年賀状の下絵描き。
今年は去年に輪をかけてやっつけ仕事になってしまった(オホホホホ)。
しかもスケジュール遅れまくり。郵便局の申し子たる奥さんの心中いかばかりか。
いずれにしても後はまかせた。それにしても今年の年末の忙しさは半端じゃないなあ、としみじみ。

処で長らくクループで喘いでいた悠都にどうにか寛解のきざし。
潰れた喉の方も徐々に戻って来てる感じ。




 243.朱夏を過ぎて白秋へ

2001/12/21(Fr)

南原宏治さんの訃報、心不全で享年72歳。
南原さんと云えば、清順翁の傑作「殺しの烙印」の殺し屋ナンバー1のひとである。
宍戸錠と互いを拘束したまま、トイレに向かうばかばかしさといったらなかった。
嗚呼、またひとり邦画界になくてはならないひとが散った。合掌。



とにかくひとつの仕事が片付かない内に次から次へ違う仕事を積むのはやめて。あーやめて。
ピクミンの手を借りたいくらい(でも後味悪そう)忙しい。かくて明日も休日出勤である。しおしお。

BEST電器で「アパートの鍵貸します」「素晴らしき哉!人生(特別版)」のDVDと海援隊「朱夏を過ぎて白秋へ」を買って、少しだけ溜飲を下げる。ごくり。これで良い聖夜が過ごせる(けど、真田広之が屋上でどたばたやるとTVの調子が悪くなるんで注意しろよ)。

さて、海援隊である。

今回のアルバムタイトル「朱夏を過ぎて白秋へ」はかつてのソロ・ツアータイトルでもある。
前作「涙、自ら拭い去る時」が96年3月、5年半振りのオリジナルアルバム。
しかもこのグループには珍しく山下達郎・竹内まりや夫妻方式。
即ち、アルバムからアルバムまでのインターバルに出したシングル曲を網羅したオリジナルであり乍らベストアルバム的性格を持つというもの(此処では、ヒットシングルかどうかは問わない)。たとえば「ライスカレー/おつかれさま」は97年10月のシングルだから、アルバムには4年の間に製作・録音された楽曲が混在している。金八先生の主題歌なんか2曲も入っている(尤も、前作では3曲入っていたが、うち2曲はセルフカバーだ)。海援隊リリース史的には極めて珍しい。ソロ時代の「声援」もそうだったが、オリジナルアルバムリリース時期から外れた楽曲は、たといそれがどんなにスマッシュヒットしてもアルバムに収録される事はなかったのだ(たとえば「心のかたち」とか「思い出が手を振る」とか「恋不思議」とか)。因みに純粋にシングルでないものは「ダメージの詩(ライヴでは「モー娘」や「GLAY」を名指しでおちょくっていたらしいが、アルバム収録に際してソフトな歌詞に書き替えられたのが残念)」と「まっすぐの唄(accoustic version)」だけだが、後者は番組中、挿入歌扱いでよくかかってるし。

しかも、殆どの曲が何らかのタイアップ曲になっているというのも凄い。
帯には記載されていなかったが「友、遠方より来る」は九州電話のCM曲だし、「まい・ぱーとなー」は武田さんご本人がやっていたラジオ番組のテーマ曲である。タイアップがないのは全楽曲中「ダメージの詩」と「BOYS AND GIRLS DON'T CRY」くらいというのも呆れる。尤も、武田さんはソロ時代からシングルは(殆どは本人出演だが)テレビ・映画・CMとのタイアップ曲しかリリースしていないと云っても云い過ぎではないので(何しろ「ヴァージンロード」の時には「CAN YOU CELEBRATE」をカヴァーしようと試みたくらいだ。試みただけだけど・笑)シングル集の趣きのある本作がタイアップ曲集になっているのは別に不思議ではない。逆に云うとタイアップをからめなければレコード・リリースがしにくい状況にある、というのをいちばん承知しているのもまた武田さんなのだ。

海援隊が復活して6年、もう6年なのか、はてまだ6年なのか。
僕が中3の暮れに一旦10年で解散したのだが、来年はデビュー30年の明治座公演が待つ。
パフォーマーである海援隊にとっても、リスナーである僕にとっても時間の流れ方がおだやかになった。昔みたいにやきもきはしない。とは云え、彼らへの思慕に変わりない。どんなにインターバルが空いた処で、リリースしてくれれば、皆が顕在であってくれればそれで佳し。此処はそういうグループなんだから。拙速に走らず、時間をかけて作品を熟成させてくれればいい。もう「若葉物語」のリリースはないかもしれないけれど、時間をかけて寝かせた「走れメロスのように」「ラスト・バラード」が上がってくるのをじっくり待つ事にする(今回「ライスカレー」を収録した上に、同アルバムに「ラスト・バラード」を併録しなかった事は英断且つ賢明な判断だったと思う)。

いずれにせよ、本作が愛聴盤になるのはゆるがない。



奥さんは僕のダメダメな下絵を元にしこしこ年賀状をこさえている。
没イラストもいつのまにか取り込まれてたり。
彼女も半ば投げ出してるというか。年内に投函出来れば由とせい。




 244.怪獣映画の値打ち

2001/12/23(Su)

ようやく休みが取れたので、妻子と共に博多方面へ。
今日を逃すと年内博多行きは困難と判断した為。
シネリーブル博多駅にてジャン・ピエール・ジュネの新作「アメリ(2001・仏)」
ディテール&ビジュアル完全武装度はこれまでより高くなったのでは。
巷ではグロが消えたと評判だが、果たしてそうか。悲観したカナダ人観光客のくだりはジュネだからだろ。
暗黒面が表層から深化して、よりテクニカルになっただけだったり。
文句無く絶賛してしまう映画なのだが、合計5分程意識がとんでしまう。疲れ、溜まってるなあ。

「ふきや」で卵を食べたはいいが、映画と映画の繋ぎが悪くなったので、今日映画を観るのはもうやめて(エネルギーが失せたね、オレも)、紀伊国屋に降りて、次の映画ぶんのカネで森岡正博「生命学に何ができるか 脳死・フェミニズム・優生思想」(勁草書房)ノーム・チョムスキー/山崎淳訳「9.11 アメリカに報復する資格はない!」(文藝春秋)購入。合計5000円ばかしかかる。チョムスキーの本は各国のメディアからの質問にメールで答えたインタビュー集。所謂「アメリカ完全クロ」本であり、池澤夏樹「新世紀へようこそ」で紹介された事もあってか、これまでなかなか手に入れられなかったもの。

「キネ旬」最新号、金子監督のエッセイにて唐沢さんに事実誤認の指摘。
曰く、監督がガメラ製作時にガメラが回転して飛ぶ事に最後まで納得しなかった、という前提で論を進めているが、そもそもの前提が事実誤認であるというもの。唐沢さんというと最近の「裏モノ日記」で金子ゴジラ批判(但し娯楽映画ではなく怪獣映画としての金子ゴジラに対して「敢えて批判する」という性格が強い)を興味深く読んでいたので、此処で両者がリンクした事は非常に興味深い。

個人的には、唐沢さんのGMK批判(曰く、黒沢映画が時代劇全般を復調出来なかったように、怪獣プロレスとして成立してきたジャンル映画としての怪獣映画の未来を駄目にする)は「敢えて批判する」というスタンスが災いして、というかテクニックで批判しているきらいがあるので、説得力はかなり弱いと思う。平成ガメラが3部作化したのはまごうかたなく、監督・金子修介の功績による処が大であるし、4作目以降が作られない事をもってして怪獣映画の足を引っ張っていると結論付けるのは、むしろ暴論である。

その論理に従うと、たとえば平成ゴジラシリーズの「ゴジラvsスペースゴジラ」や「ゴジラvsメカゴジラ」は真正怪獣映画であって、ジャンルとしての怪獣映画を存続させる為に、なくてはならないものだった事になるのだが、そもそも怪獣映画はそうまでして存続させなければならないものなのか(実際ゴジラシリーズ自体、「ゴジラ1984」の前後に大なり小なりのインターバルが空いている)。いや、誰のために、何のためにという話なんだけど。

面白くなくなれば映画ジャンルとして淘汰されていくのはあたりまえの話で、少なくとも「一時的に面白くても、後が続けられない」から駄目、というのは、何のため、誰のための「駄目」なのか。怪獣映画ファンにとっては、1本の金子ゴジラよりも毎年、大河原ゴジラが観続けられる方がいい、という話なのか。怪獣映画ファンは本当にそんなものを望んでいるのか(「怪獣映画ファン」を「お子様」と置き換えると幾分理解出来なくもないが、それでは、たとえば「平成モスラ」シリーズは成功したと云えるのか)。そもそも金子修介が「ゴジラ」監督に招聘された背景は何処にあるのか。金子監督の役目は「新世紀ゴジラ」に「平成ガメラ」的ドラマツルギーを持ち込む事を期待されたのではなかったか。唐沢さんは裏モノとしてのスタンスにいる人だから、「ぬるくても衰退するよりはまし」という意図は分かるのだけど、所詮は批判のための批判から抜け出せていない気がする。ぬるいからこそ、ゆるやかに衰退していくのである。

近く裏モノ日記でもこの話題が振られるだろうから、今から唐沢さんの反応が楽しみである。



Z−SIDEで妻子と合流。
昼飯を抜いた、というので、この15日にオープンしたばかりの「ピエトロ・セントラーレ」で早めの夕食。
天井が高くて空間を広く取ってあって、シルバーとアイボリーで統一した未来的で無機質な店内はピース中野の「Stereo Future」に出てきたエア・バーを思い出させる。カウンターの向こうのブラックライトの間接照明といい、代官山あたりにありそうなお店である。セミ・カジュアルな処も敷居が高すぎず低すぎず丁度いい感じ。5000円のクリスマス・ディナーもあると云われたが、飛び込みでディナーまで行っちゃうのはあんまりなので、軽食系でやっつける。味はちょいと濃い目だが、ミネストローネもリガトーニも美味しかった。

帰りに「サント・ノーレ」に寄って、ブッシュ・ド・ノエルを貰って帰る(本当は明日の予定だった)。
この時期、駐車場の狭い「ちょっといいケーキ屋」は何処もスリリングである。
車2台離合するのがやっとの道に、これでもかとアクロバティックな駐車がまかり通る。
いえ、僕は少し離れた処から、いつでも発進可能にして奥さんを待ちましたよ。

今日観た映画:「アメリ(2001・仏)」



 245.素晴らしき哉、人生!

2001/12/24(Mo)

昨日の計画では、今日も福岡へ行って百道でロシア映画特集の「火を噴く惑星(1961・ソ)」を観る予定だったが、2日続けて福岡行を強行する元気が失せ(ケーキを昨日回収した事もある)、結局中間で「バニラ・スカイ(2001・米)」のみ鑑賞して(最近、レイトショウに行かないので正規料金ばかり払っているなあ)、キャメロン・クロウの仕事っ振りに満足した後、家族連れで賑わうバンドールの玩具売り場で悠都のクリスマス・プレゼントを選ぶ。サンタどころかおじいさんさえ理解していない息子にクリスマス・プレゼントもないものだが、此処はやはり縁起物なので。
トミカ系かソフビ系か、はたまたレゴ系かで悩むが、トミカ系はそれなりに持っているので、今回はウルトラ8大戦士セットというのを買う。実は歴代バルタン星人を集めたバルタン星人8体セットというのもあったのだが、初手からマニアック過ぎるので自重した。

一旦帰って簡単な昼食を取ってから、高須方面へ給油行。
奥さんは尼子家の出産祝いのラッピング素材探しと夕食(すき焼き。去年のイヴもそうだった)の買出し。
今日は脇を素通りしただけだが「オーロラ」も警備員が道路まで出て交通整理をしていた。
この時期、交通整理やっているのはケーキ屋のステイタスと云えるかも。



すき焼きを堪能後、家族全員風呂に入ってから、「サント・ノーレ」のブッシュ・ド・ノエル(キャラメル)。
「16区」のビュッシュ・ド・ノエルが旨いのは保証するが、何故かあそこにしてはケーキのデザインが妙に「不二家寄り」というか、垢抜けない(あのセンスの無さは「16区」の謎のひとつである)。そのへん「サント・ノーレ」はデザイン的にも安心しておススメ出来る一品。
キャンドルに火を点して、部屋の明かりを消して、悠都に吹き消させようとしたが、喜ぶばかりで理解してくれず(まあ、致し方あるまい)。用意していたプレゼントのウルトラマン8体セットを開梱してやると、目をキラキラさせて盛り上がっていた。

夜、かねてより予定してた「素晴らしき哉、人生!(1946・米)」のDVD鑑賞。
映画は井沢先生の「イヴに見る映画としては最良の選択ですね」のコメントに違わぬ秀逸なウェルメイド。
それは良いのだが、朝は11時まで寝て、且つ充分な昼寝をしたお蔭で、悠都がちーとも寝ない。
大きな声で叱っても、抱き上げてお尻を叩いても(おむつが厚いので痛くない)何かの娯楽だと思ってきゃっきゃ笑いやがる。
そりゃ戦意喪失するって。おとーさんは怒っているんだってば。
映画終盤戦30分くらいでようやく寝てくれる。やれやれ。

今日観た映画:「バニラ・スカイ(2001・米)」


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