備忘の都 2002 FEBRARY

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 愚者の旅  2002/2/2(Sa)


さすがに昨日の仕事の疲れが取れていないのが自覚出来たので、福岡行は明日に延ばす。
けれど7時過ぎには目が覚めてしまったので、かねてより懸案だった(懸案ばかりなのだが)「みんなのいえ(2001・日)」のDVDを観る。

これは映画館で観た時も感じた事なのだけれど、冒頭の「おとぼけマンション」はもっと特殊効果にリキを入れる(カネをかける)べきではなかったか。派手な音楽を被せ(ていうか、サントラに収録された「おとぼけマンションのテーマ」でいい)、ドアから飛び出したゴジラには放射能を吐かせるべきだった(金子ゴジラみたいに人が吹っ飛んだり、家屋が爆破する必要はないけど)。あのシーンはこの映画のツカミなのに、今ひとつノリが悪いのは結果的に着ぐるみショウで終わってしまっているからなのだと思う。せめてゴジラに咆哮だけでもさせるべきではなかったか(結局は予算の問題に行きつくんだろうなァ)。

途中、一部でディスク読み取り不可箇所があったりして、かなり興ざめ。
PS2のバグ・フィクス版ソフト購入に踏み切るしかないか。
そう云えば、こないだも「踊る大捜査線 THE MOVIE(1999・日)」が途中から全然動かなくなってえらくフンガイしたのだった。
今回はチャプターを飛ばしてどうにか逃げ切る。近々、今度はコメンタリー・モードで観なければ。

それから昼過ぎまでCDを聴きつつ、心静かに読書(悠都が寝てたもので)。
この間に聴いたのは、えーと、エンニコ・モリコーネ「海の上のピアニスト」スラヴァ「ヴォカリーズ」、そしてバーンスタイン指揮のビゼー「カルメン」(ニューヨーク・フィルハーモニック)(三谷さんの「BN★GT」にこの中の「闘牛士」が使われていたもので)。奥さんはこの間ずーっと悠都のパジャマをこさえていた。

おかげさまで先週からストップしていた倉本聰「愚者の旅 ─わがドラマ放浪」(理論社)を読了する。
これは倉本さんの半生記であり、読み物としても非常に面白かった。処で、中にこんな一節があった。

ずっと後になって漸く気づくのだが、他人をくさすという愚かな行為は、若者にとっては一瞬自分が偉くなったような奇妙な錯覚をもたらすものだ。それがその場だけの虚しい優越で自己満足にしか過ぎないということは、過ちを散々くり返してから判る。
倉本さんは青年期、酒を飲み「さも偉そうに誰は駄目だとか誰それの近作は筆が落ちたとか生意気な会話を交わしていた」事を「今ふり返ると赤面の日々である」と述懐している。これは書き手となって「くさされる」側になった者の、オトナになってからの実感としての言葉なんだろう。

でも、供給される側にしてみれば多かれ少なかれ何がしかの感想を持つのは当然で、且つインターネットというツールは此処5〜6年でユーザーを総批評家化させた、と云っていい。つまり、僕らは「他人をくさすという愚かな行為」を証拠を残すテキストというかたちで、かつて酒場で与太ってたように、掲示板や自分のサイトに殴り書きしていく。それが上等であれ、下等であれ、ひとは何らかの「意見」を表明したいものであるらしい。ましてや匿名性を帯び、あるいは面と向かわずにその行為が行える事で、意見を云うという敷居はうんと低くなっている。

だから、せめて、と思うのだ。
少なくとも「ありゃ駄目だ」とか「面白くない」とか一撃の許に、ある作品を斬る事だけはすまい、と。
(大体筆が滑り易い性分なので、それがきちんと出来ているかどうかは甚だ不安なのだが)
無根拠で、ありゃ駄目だよー、とほざくくらい何の労力も要らず、且つ自分だけ安全地帯にいられるコメントもない。
他人をくさすにも、くさす礼儀とそれ相応の責任が要る。そんな事を考えさせられた、上の一節でありました。

本日の読了:5.倉本聰「愚者の旅 ─わがドラマ放浪」(理論社)

 青い夢の女  2002/2/3(Su)


今日は8:30には家を出ると告知しておいたら、奥さんは7:30に起きて洗濯していた。
彼女の内助の功(わはははは)もあって、おかげさまで10時前には天神着。
バレンタインの買い物をする奥さんと別れ、背中に父を追う悠都の絶叫を聞き乍ら、Z−SIDEに走り、前売券購入後(意外にも引っ込めてなかった)、ソラリアに駆け上って、10:20開始の「WASABI(2001・仏)」に間に合わす。

昔、ベッソンのハリウッド憎しをさんざん聞かされたが、にも拘らず、この映画のハリウッド的大味さはどうよ?
(処々に香港テイストと云えなくもない作劇の「いかがわしさ」が漂っているのも確か)
などという疑問符は、実は彼が製作・脚本をつとめた「TAXi」の時から感じていたのだが、好意的に見れば、監督としてのベッソンは現場で思い切り脚本を膨らますタイプなので、彼のホンを違う監督が撮ると、一様に大味になるのかも、と思ったりして。
そう云えば、「キス・オブ・ザ・ドラゴン(2001・米仏)」も、巨悪と化した警察組織と戦う設定からまんま「レオン」の焼き直しだったが(本作でもヒロスエのファッション・ショーとか随所に「レオン」のイメージが散見されるのはご愛嬌。ていうか、別に嫌いじゃない)、単に二番煎じというコトバだけでは片付けられないある種の物足りなさは、やはりベッソンが監督をしていなかったからだと邪推してみたり(笑)。

処で、ベッソンは「日本」を映画に出すのが好きである。
で、ことごとく、おかしな日本。風俗もスピリッツもまるで火星のような「日本」。
「カミカゼ」のリシャール・ボーランジェは云うに及ばず「グランブルー」の日の丸潜水チームのカリカチュアの極北の寒さ(おそらく「キス・オブ・ザ・ドラゴン」を観た中国人の何人かも凍死したと思われる)。
当然乍ら、日本人から観たベッソン的日本は、「奥様は魔女」でサマンサが着たキモノくらいには自然じゃない。
それなのに「WASABI」ではとうとう物語の舞台に日本を選んでしまった。
ヒロスエのエキセントリックさは、どう扱えばいいのか。しかも、ロケ地に都内を選べば、フツウの日本人が沢山映り込むから、どうしたってヒロスエひとりが浮き上がる。どういう訳だか、彼女だけ香港映画のスラップスティック・コメディ仕様なのだ(これは監督の責任に拠る処も多分にあろう)。少なくとも、ヒロスエのおかあさんのおねえさんはどう見てもおばあさんである。一体、彼女のおばあさんは幾つでおかあさんを産んだのか。ベッソンはそうまでして日本人客に突っ込ませたいのか。「違うだろ」と裏拳入れさせたいのか。うーん、彼の日本への愛はホンモノだと思うんだけど。

とは云え、結論としてはこの映画、決して駄作じゃない(勿論、飛び抜けて傑作でもない)。
休暇を厳命されたユベールが恋人を2年目にして初めて自宅の夕食に招待し、昔の彼女ミコに教わった料理を披露するシーン。
「これは彼女に習ったの?」「8ヶ月もあれば、色々憶えられるさ」
これで恋人ははりついた笑顔のまま、家に帰っちゃうんだが、こういう男の無邪気な罪を犯す瞬間を切り取るのが旨い。

続けてKBCシネマ2にて「青い夢の女(2001・仏独)」
告白するが、僕は「ベティ・ブルー/愛と激情の日々」「ディーバ」も観た事がない。
「IP5 愛を探す旅人たち」はチャンスはあったが観そびれた。
だからジャン=ジャック・ベネックスの作風がどーのこーのといった先入観は一切、無かった。

結論から云えば意外にも純然たるコメディだった。
不条理ネタも適度に入りつつ、結果、膝を叩く程、ロジカルなシチュエーション・コメディ。
ただ「テイラー・オブ・パナマ」同様、サスペンス劇としての皮を被っているので、ひとによってはコメディだとは気づかないまま、映画が終わってしまうかもしれない。尤も、エレベーターや自転車から聞こえてくる口笛が「ワルキューレ」になっているなんてベタなヒントもある訳で(しかもギャグの基本「繰り返し」まで入っている)、これは大コッポラ先生にも是非観ていただきたい処。
あとからじわじわとレバーに来る映画。オーケンはこういうの大好きだろうな。

マツヤレディスで妻子と落ち合ってからジュンク堂でスティーヴン・キング「小説作法」(アーティスト・ハウス)を購入。
天神コアの8F「飛騨の高山ラーメン」で昨日の「金龍」に続いて遅めのランチにラーメンと餃子を食う。
結局、19時前には帰宅。日曜の福岡行はこうありたい。

悠都が豆を喉に詰まらせると怖いので、今年の節分の豆まきはなし。
奥さんがZ−SIDEで買ってきた太巻き(子供用。中の具がソーセージ、卵焼きとお子ちゃま向けだった)を食べるに留まる。
今年は北北西を向いて食べなくてはならないらしいので、ケーリー・グラントになったつもりで(何でだよ)、パソコン部屋の方角にラシュモア山の大統領たちを見乍ら黙々と太巻きを頬張る。食べている途中で口を開いてはいけないらしい。

夜、エスプリで昨日買った「ヨーグル」で珈琲をいただく。
エスプリ製にしてはまろやかなお味。これはこれでおいちい。

海老一染太郎師匠、逝く。おめでたいひとが亡くなるのは殊更辛い。

本日の映画:11.「WASABI(2001・仏)」、12.「青い夢の女(2001・仏独)」

 どデカおむすび  2002/2/4(Mo)


会社へ行く道すがら、オフィスで「軽くつまみたい」とファミマを物色していると、週末テレ東の深夜番組「debuya」で告知していた大盛弁当シリーズが平積みなのを発見、まずは手始めにどデカおむすびを買って、夕方早速試してみる。
値段はボリュームのぶん190円とちょいとお高いが、おむすびに昆布と芥子高菜をサンドイッチし、且つ表面にみそで合えた鶏そぼろを塗って上から海苔で包んだ、というシロモノで、なかなかイケました。石塚英彦とパパイヤ鈴木の満面の笑みをフィーチャーしたパッケージも泣きたくなる程いい味を出してる(さすがにミスター・マッスルは載ってなかったけど)。
たかだか3種類、次回は是非、ハヤシライス・温泉卵乗せのまいう〜丼に挑戦すべし。

そう言えば、昨日自宅のアドレスにねずみ講メールが届いていた。
何で、今更マネーゲームなのか。
今日は今日とて会議中にPHSへ謎の番号(市外局番が098だから九州圏ではある)からかかってくるし。
ワン切りだとヤなので、そのまま消去したけど(案の定、その後電話かからず)。
尤も、何で今更とは当のメール本文もかなり意識していて、

「こんなモン真面目に考えたって無駄です。」
「実際問題批判多々あるようですが、やっぱり金はある方がイイですよね。」
「それに今の所、法に触れる事はないし。」


などとかなり末期の状況を呈している。

このへんを詳しく知りたいひとは、例えばインターネット・ネズミ講の研究を参照のこと。
それにしてもマネーゲーム、ワン切りと我が身に降りかかる火の粉はいちいちワンテンポ遅い。
 

 おばあちゃんのせなか  2002/2/5(Tu)


午後から勤務なので、朝のんびりとETV「おはなしのくに」(奥さんが息子の情操のためにいずれ使おうと暮れ頃から毎週欠かさず録画している小学校低学年向けの学校放送)にチャンネルを合わせると、今日の朗読は何と高泉淳子なのだった。ちょっとだけしあわせな気分になる。

おはなしは「おばあちゃんのせなか(砂田弘・作)」。大好きだけど、おばあちゃんの背中がくの字に曲がっているのが恥ずかしくて、おばあちゃんにどうして背中が曲がっているのか、その理由を尋ねる物語。子供の頃はひとより背が高いのが恥ずかしくて、実は背を丸めて歩いていたとか、沢山の子供を育てるために10年以上背中が空いた時がなかったとか、自分だったらその場でおばあちゃんを抱きしめてしまいそうなええ話。おばあちゃんと少女を交互に演じ分けるさまは、まさに高泉淳子の真骨頂。たまにはテレビも漫然と観るものである。

処でこの番組、時々すごいひとがこっそりと出ているので非常に油断がならない。
こないだは羽野晶紀が出てたし(放送は結婚後だったが収録はいつだったんだろう)、奥さんの話だとおひょいさん市村正親も登場したそうだ。そう云えば、ベンガル「ないた赤鬼」の回を観た事がある。
火曜の午前9時からは「おはなしのくに」、覚えていて損はないぞ。

夜、帰宅してから火サス20周年作品「浅見光彦スペシャル/貴賓室の怪人」をつい出来心で観てしまう。
高嶋母子(兄弟)を始め、沢口靖子、斉藤由貴、宮本信子、塩沢とき(実は73歳。でも何を隠そう高嶋ママ・寿美花代さんだって明日で古稀を迎えるのだ)、橋爪淳、秋篠美帆、池内万作(無論、伊丹・宮本夫妻のご子息である)と東宝芸能の看板俳優総出演(水野真紀と星由里子がいないのが残念である)。その他にも南果歩、高橋由美子なんて火サス主演クラスの女優さんに加え、脇を新克利、鶴田忍で固めるなどキャスティングだけで力の入れようが分かるというもの。しかも、イタリア・ギリシャロケ敢行の豪華客船殺人事件。

豪華キャストドラマにあたりなし。これはドラマ見(って誰だよ?)にとっての常識である。
だから「出来心で」観たのだけれど、やはりゴージャス感だけでは腹は膨れず。
万人向けに作りすぎている、と云えばいいのか、たとえば「水戸黄門(石坂Ver.は知らない)」のようなお年寄りでも楽しめるつくりというのか、けれど余りに間口を広げるといっそつまらなくなる、これはその典型。
このままの雰囲気でシリーズ化されるならオレは観ない(2時間ドラマ自体、余程の理由付けがないと観ない)。

それより26日の「取調室(16)」の方がうんと楽しみである。今回の犯人は草笛光子御大らしいぞ。
 

 北アルプス雪山殺人迷路  2002/2/6(We)


奥さんの高校時代からの親友にひとり、役者さんがいる。
本名はいいとして、芸名を森永竜矢という。尤も、この名前になったのは事務所を変わった去年からで、実は奥さんも今年の賀状で彼の名前が変わったのを知ったのだった。彼女が神奈川でOLをしていた頃は(僕との遠恋時代と重なる)、共に上京した同士、遊び仲間として彼と色んな芝居を観たり美味しいものを食べてきたと、その都度報告を受けたものだ(彼女が男友達とデートするのは一向に構わなかったが、「色んなお芝居」や「美味しい食事」がたいそう羨ましかったのは確かだ)。

そんな彼から昨日、奥さんに「ドラマに出るから見て」というメールが届いた。
という訳で、昨日の日記で「2時間ドラマ自体、余程の理由付けがないと観ない」と書いた舌の根も渇かぬ内に、テレ東の2時間枠女と愛とミステリー「山岳救助隊紫門一鬼(3) 北アルプス雪山殺人迷路」(主演・高嶋政宏)を観る(それにしても長いタイトルである)。
無論、奥さんはビデオの録画準備をして臨んだ。

森永さんの役どころは犯人のひとりである真中あゆみ(大河内奈々子)の死んだ恋人・三上俊明役で、雪崩で遭難死するのだが、雪の中から掘り出されるシーンはさすがに身体張ってるなァという印象。他にも大河内奈々子とのウェディングシーンなんかもあったりして、ガタイがいい上に甘いルックスなので大河内さんと並んでも非常に「絵」になる。回想シーンでちょくちょく出てくるのでドラマの最后まで油断が出来なかった。
ルックス良し、体格良しなら、戦隊ものなんか行けそうなのにと、奥さんに云ったら(しかも彼は元々JAC出身でサニ千葉に可愛がられていたのだ)、実際JACがらみで戦隊ショウの仕事もあったそうなのだが、演っていたのはいつも悪の親分ばかりだったらしい。ヒーローが悪玉より背が高いと絵ヅラが悪いという理由にはひどく納得。かの真田広之が小柄なのにも、まんざら理由が無くも無いって事か(それは違う)。

話は変わるが、僕は奥さんとつきあう前、森永さんが出ている舞台を偶然にも観ている。
92年6月に、はるさんと銀座セゾンで観た牧瀬里穂主演「飛龍伝'92」がそれである。
初めて観たつかさんものという事で思い出深い一本だ(僕らの本当の狙いが牧瀬にあったのは云う迄もない)。
この芝居には桂木順一郎役でJACの春田純一(「飛龍伝」シリーズのレギュラーですね)が出演しており、その縁で森永さん(当時は本名だった)も機動隊だか学生だかで(さすがにもう覚えていない)つか的人海戦術のひとりとして出演していた。後に奥さんに指摘され、当時のパンフを紐解いて、初めて僕は森永さんの顔を認識したのだった(実は森永さんと直接お会いした事はまだない)。
(余談だがこの時、僕の席の隣に篠山紀信が座っていた。着ぐるみのように大きな頭のひとであった)

という事で、今後この日記では役者・森永竜矢を応援していきます。
 

 田中直樹の腹のムシ  2002/2/9(Sa)


午前中、10日振りに高須で給油して軽く洗車した後、スパシオをディーラーの12ヶ月点検に持っていく。
普段なかなかディーラーには足が向かないのだが、去年から左のテールランプが切れていて気になっていた上に、3日程前からSRSエアバック警告灯が運転中ずっと点灯するようになったので、やむを得ず点検を出す事に。半年近くオイル交換もサボっているし(12ヶ月点検は無料でオイル交換してくれる)。

点検待ちの2時間、スティーヴン・キング「小説作法」(アーティスト・ハウス)を読んで過ごす。
おかげさまで彼の半生のダイジェスト版である第一章「生い立ち」を読み終える。

結局、ランプは左後ろだけではなく、左前方も切れていたので両方交換、SRSエアバック警告灯は交換部品の在庫が無いので、部品が届き次第また連絡するとの事(保証期間中なので無料)。しめて13300円の処を割引してもらって11800円。元々点検自体、12800円かかると聞いていたので、かなり得した気分。ガラスコートと洗車もしてもらえるし。さすがはトヨタさまである。

ファミマでまいう〜丼を買って帰る。

帰宅するとTVでソルトレイク冬季五輪の開会式をやっていた。
グランド・ゼロの瓦礫から掘り出した、ぼろぼろの星条旗。旗を囲むようにしてニューヨーク市消防と警察職員。
「誇り高く、優雅なこの国(米国)を代表して」ブッシュJr.の開会宣言。米国を単なる被害者(無論、この表現に異論のあるひとが多い事は承知している)の立場から、世界一の戦争犯罪国に押し上げた、この親子二代のパックス・アメリカーナ野郎を羽交い絞めにして、顎が外れるまでプレッツェルを詰め込んでやりたいと思ったのは果たして僕だけか。
実はあの場で歌っていたスティングヨーヨー・マだって懐にはちきれんばかりのプレッツェルの袋をしのばせて、いつだって取り出せるよう構えていたんじゃないか。そう何の根拠もなく憶測する。選手全員、観客全員が一斉にプレッツェルの袋を取り出してJr.に微笑んだら尚愉し。

まいう〜丼、旨し。ハヤシ・ルウの味が濃い目なのは、半熟卵を潰してぐしゃぐしゃにかき混ぜると丁度いいマイルドさ加減になるのを狙ったのだろう。後半は殆ど悠都に食べられる。今度自家製まいう〜丼を作ってくれと奥さんにリクエストする。いや何、ハヤシライスの時に温泉卵を作ってもらうだけなんだけど。

奥さんが朝から頭痛と寒気を訴えていたので、夕方彼女を寝かせたまま、悠都を連れてドライヴに行く。
中間のバンドールでおむつを買った後、おもちゃ売り場で悠都にトミカのミニカーを1台選ばせる。
「1台だけな」と云うと、悠都はさんざん悩んでいたようだが、候補以外はいちいち元の置場に戻すので、父親の指示はちゃんと伝わっているらしい。そう云えば、これまでもデパートのおもちゃ売り場で少なくとも「あれもこれも」といった類のワガママは云ってない気がする。幼児なりに我が家の台所事情を慮っているのか。とまれ、最終的にコカコーラのトレーラーに決めてレジへ。
それからウルトラマンコスモスのガシャポンを1個買って、ミスドでドーナツを買い込んでから帰宅。
デパートを走り回って余程疲れたのか、程なく爆睡、おかげで夜は全然寝てくれなかった。

夜は兼ねてより懸念だった「みんなのいえ(2001・日)」のDVDを、監督・八木さん・ココリコ田中のコメンタリーVer.で(台詞は字幕モードにして)観る。三谷監督に指摘されるまで全く気づかなかった左官屋さんの着替えシーンの数々とか、コメンタリー本番にも拘らず(本編撮影中もそうだったらしいんだけど)田中直樹の腹がぐうぐう鳴り続けて、ついにこぼれた「もう死んでしまいたいです」のコメントとかファンには聴き処満載の120分。

これ観たら、勢いづいて「ラヂオの時間(1997・日)」のコメンタリーも聴きたくなっちゃいました。
 

 待機晩成  2002/2/10(Su)


日曜日だけど振休出勤、其処までは我慢しよう。
でも待機時間が長引いて、結局退社出来たのが22時過ぎってのはどうよ。
休日労働13時間の無為さに(後半4時間は殆ど待機のみ)夕方から勝手に夢見てたレイトショウ計画が無残にも潰える。
処で、其処で意外にも「プライベート・ライアン」が観れないと嘆くひとが多いのに驚いたり。
地上波の映画も、まだまだ結構あてにされているらしい(しかしゴールデンタイムからあの映画のノルマンディ上陸作戦を流すとは)。

ル テアトル銀座「彦馬がゆく HIKOMA, THE HERO.」のチケットが届く。
リーフレット封入且つ、リーフレットを折り曲げぬようにB5サイズの厚手の封筒なのがうれしい。→ 株式会社パルコ・シティ
10列1〜2番。いっとう左端なのが気になって「ル テアトル銀座」公式サイト座席表で確認する。
「12列4〜5番から見る舞台」写真を見る限りでは全然セーフだと思うけど、とにかく右團治さんに一報を入れなければ。
 

 皇紀2662年紀元節  2002/2/11(Mo)


朝イチで、戸畑サティに行って「ソウル(2001・日)」を観る。
筋だけ追うと実に鑑賞優先順位の低い作品なのだが、何しろ監督が「ココニイルコト(2001・日)」の長澤さんなんで、観ねばなるまいと腹を括った次第。結論から書くと、前作とは真っ向からテイストが違うものの、丁寧な作劇は相変わらずで結果として非常に好感が持てる映画に仕上がっているので、TOKIOファンではない皆さまにも是非々々オススメしたい一品。

中でも日本語通訳担当刑事を演じたキム・ジヨン(23)が愛らしい事だけは特筆しておく。

韓国と日本の文化摩擦を「礼」というかたちで描いた映画でもあるが、韓国側から見てこの描き方がどう映るのかが気になる処。
長瀬以外は全員韓国キャストだし、余りにも不自然な処は現場で修正していってるとは思うが、たとえばラストの「韓国人は恩義を忘れない」をカリカチュアした空港のシーンは許容範囲なんだろうか。すっごく気になる。チェ・ミンスはグーで長瀬を殴り乍ら、「太陽の帝国」で桶で行水させられた伊武雅刀の「違うんだよなあ…」と同じ違和感は感じなかったのだろうか。この映画で気になるのはまさに其処の部分。
オープニング・タイトルでチェ・ミンスをハングル表記するなど韓国的礼節は尽くしてた方だとは思うんですが。

余談だが、長瀬智也はジャニーズ事務所なので、主役で公式サイトと云えど写真・映像が使えない。
そこらへんの苦心の跡(ま、本来スチールを使用する各シーン含めて画像処理してます)を楽しむのも一興ではある。

さて、戸畑を出て帰宅途中、車内での奥さんとの会話。

「そう云えば、今日紀元節だったなァ」
「そうそう、確か2662年。こんな事知ってても何の役にも立たないんだけどね」
「そんな事はない。会話の潤滑油くらいにはなるよ。
 例えば『今年平成何年だっけ?』などと訊ねられたとする。
 そんな時『えーと、今年は皇紀2662年だから、うーんと平成14年
 『あヽ、そっかァ…て、そっちから換算するのかよ!』と心あるひとはきっと三村ツッコミしてくれる」
「それは心のないひとなのでは?」
「いや、そもそもエスプリというものはだね」

とそのまま八幡駅近くの「エスプリ」に立ち寄ってミルフィーユなど選び始める長閑なふたり。
右側のひとに盗聴されてたら標的にされる事、疑いないスーダラ夫婦である。

遅めの昼は久し振りに「資さんうどん」。おそらく年単位に久し振りである。
悠都は途中から爆睡モードに入っていて、車から降ろす時にちらっと僕を見上げただけで、それから順番を待って、注文を取って、僕が上えび天うどんをたいらげるまで僕の腕の中で決して目を覚まさなかったのは見上げたものである(子供を抱いたまま、おつゆまで全部飲み干した僕も「見上げたもんだぜ、屋根やの褌」だとは思う)。支払いを済ませ、チャイルドシートに乗せて初めて意識を取り戻して大きな伸びをしていた。

夕食後、中間でレイトショウにて「ラットレース(2001・米)」
監督はZAZのジェリー・ザッカー。実はあまり期待していなかったんだけど、昔好きだったよしみで観たらこれが大当たり。
珍しく劇場で腹を抱えて笑わせてもらった。

ローワン・アトキンソンなんて、使い方を間違えると大きく外す素材を、絶妙に使いこなし、彼のキャラばかりに依存せず、かと云ってきちんとアトキンソンらしい見せ場を作ってあるのはさすが喜劇職人である(唯一の不満はウーピー・ゴールドバーグが「押さえ」に廻っていた処。他のキャラが立ち過ぎてた事もあるけど、余りにもおとなし過ぎて寂しかった。いっそオダ・メイのセルフ・パロディをやれば良かったのに…と書いていて気付いたが、今作はZAZ作品特有のパロディネタが殆ど息をひそめていた。これはかなりポイントが高い)。

冒頭の「発情アフロ」の軽いジャブに始まって、ドナルド・シンクレア(ジョン・クリース)の森繁的エキセントリック至芸、そしてレースが始まって加速していく莫迦々々しさは往年のザッカーの笑わせ力が未だ健在である事を証明した。たたみかけるユダヤ・ナチネタの果ての退役軍人を前に「独裁者」のカリカチュアされたアドルフと化して呂律の廻らぬ熱弁を振るうジョン・ロヴィッツ(しかも本人はチョビ髭にさえ気付いていない)はこの映画のクライマックスのひとつだ。ま、そんなクライマックスなら山程あるんですけど。ホルスタインと気球とか、プレーリードッグ(頭だけ出てる)とか。

たとえば皆は「I Love ルーシー」といったチョイスの妙味に気付いたか。
身も心もルシル・ポールになりきったおばさん(中に監督のお母さん、シャルロット・ザッカーも紛れていたらしい)で満員のバスというシチュエーションだけで10分は笑える。しかもどのおばさんもルーシーが憑依しているから一斉におちょこちょいで無邪気なトラブルメーカーというおよそ考え得る限り最悪(笑)の設定。この際どうだろう、吹替え版なら全員を高橋和枝に演ってもらうというのは(だから不可能なんだって)。

狙い過ぎず、マニアック過ぎず、こういうチョイスは調合加減がニトログリセリンよりも難しい。
三谷作品で云えば「12人の優しい日本人」の「ダヨーンのおじさん」は絶妙のバランスだが、「おとぼけマンション」のゴジラは微妙な処。

そう云えば、ノンクレジットでキャシー・ベイツがリスおばさんを怪演してたのは内緒である。

本日の映画:13.「ソウル(2001・日)」、14.「ラットレース(2001・米)」

 門司港ランチ  2002/2/12(Tu)


1月のぶんの振休。今年は年休消化もままならぬ。
平日の休みを利用しない手はないので、お昼前に門司港ホテルへ出かけてハヤシライスを食べてくる。
コトの次第は「美食のタマシイ」─トラットリア「ポルトーネ」を参照のこと。

帰路、八幡駅方面に寄り道して「エスプリ」でケーキを買う。
たまにはこういうのんびりとした時間の使い方もいいですね。

奥さんがヘアサロンでカラーリングする間、悠都のおもりをしてから、中間でレイトショウ。
「ヴィドック」「フロム・ヘル」と観たら、もはや「ジェヴォーダンの獣(2001・仏)」は鑑賞必至であろう。何故かは説明しない。

さて、この映画、まず長い。120分長である。
先日、3時過ぎまで起きていたのが祟ったか、そもそも映画自体の出来のせいなのか、今イチ乗れず。
監督は東映・似非ハリウッド映画(実際は日カナダ米仏合作)「クライング・フリーマン」クリストフ・ガンズ
だから当然、前作でニッタ(新田)を演じたマーク・ダカスコスがマニ族の戦士として登場、全ての場をかっさらう。
よく出来ていると云えば出来ているし(「ジョーズ」からの伝統を受け継ぐ、冒頭のうら若き女性が「獣」の毒牙にかかるシーンなど、よく分かっていらっしゃる)、見せ場も心得ているけど、僕の側で勝手に不完全燃焼。やっぱり体調のせいかなあ。

ただジム・ヘンソン・クリーチャー・ショップがこさえたCGだけはどうにかならないか。
「タオの月」のクリーチャーくらい、作り物感がありありでちと興ざめ。
技術面の限界と云うべきか、見せ方が垢抜けないと云うべきか。

トルナトーレの「マレーナ」の君ことモニカ・ベルッチの謎の娼婦振りは「カリオストロの城」の峰不二子張りで良し。
ナイフになった扇子片手の決めポーズのあでやかさは、コスプレアクション映画の真髄と云えます。

本日の映画:15.「ジェヴォーダンの獣(2001・仏)」

 カカオロマンス  2002/2/14(Th)


朝、家を出る前に奥さんに「カカオロマンス」「ロマンティックアーモンド」とシルクのネクタイ(イタリア製)を戴く。
「カカオロマンス」は近くに「16区」もある福岡の白金台、浄水通りにあるショコラティエ(チョコレート専門店)で前々から気になっていたお店(何よりネーミング・センスが僕好みである)。「ロマンティックアーモンド」は炒ったアーモンドのチョコレートがけで、以前「エスプリ」に夫婦で出かけた折に、同じようなチョコレート菓子に僕が固執していたのを憶えていてくれたらしい。
但し今回の「カカオロマンス」もバレンタイン期間限定で「Z−SIDE」に出店していた分らしいので、近いうちに直接冷やかしたい蚊帳吊りたい。

「でも、バレンタイン前に野郎ひとりで行くのは恥ずかしいし」と彼女に云ったら、
「そんな事ないよ。甘いもの好きな男の人は多いし、この時期限定で色々珍しいものが出てるから、自分のぶんを買いに行く男性もきっと多いと思う」とのこと。その説も分からんではないが、いざ自分が出かけるとなると、にわかに「照れ」が沸き起こるのは、チョコレート者としては論外らしい。「ショコラ」を観に行ったぐらいではちゃんちゃらおかしいですかそうですか。

夜、何気に悠都と「アイアン・ジャイアント(2000・米)」のDVDを観始めたら、つい最后まで観てしまう。
さすがに処々だれていたものの、2歳前の幼児のくせにほぼ90分(エンドロールは除く)持ったのは誉めてあげたい。
とりわけ、ホーガスとジャイアントの出会いのシーンで、ホーガスがジャイアントに「頭のおかしな人」を教えるジェスチャーが彼の琴線をいたく刺激したらしく、それから事ある毎にひとりでれろれろ云って面白がっている。どうやら順調に底意地の悪い子供に育っているようだ。

ま、オレの子供だからね。



 おかしな二人  2002/2/16(Sa)


振替出勤。去年の暮れから留まる事を知らぬ変則勤務。
ちなみに来週の日曜も出勤である。すまじきものは宮仕え。

こないだ2時間ドラマは観ないと書いておいて、こう次々と2時間ドラマネタでは心苦しいのだが、今宵もつい「土曜ワイド劇場」にチャンネルを合わせてしまう。帰宅後、開いた新聞のラ・テ欄に伊東四朗小林聡美ダブル主演の文字。しかもシリーズものの1作目らしい。
こりゃ内容はどうあれ、観ねばならんでしょう。という訳で、「おかしな二人〜居眠り刑事とダメ出し検事の長崎思案橋慕情〜」

内容は割愛するとして(笑)、案の定、ドラマの観どころは二大名優の丁々発止の応酬にあるのだが、何故、伊東さんに小林さんが選ばれたかと云えば、思い切りネタばれになるが、ドラマ後半でふたりは父娘かもしれないという「疑惑」が示唆されるのですね(尤も、「ファーザーズ・デイ(1997・米)」のロビン・ウィリアムズとビリー・クリスタルみたいに、父親は伊東さんの他に対立候補がいる、という設定)。であるから何処か父娘を思わせるニュアンス、という事で同じ四角顔系のふたりが選ばれたという事らしい。
いや、いいんじゃないですか。キャスティングの企画意図に乗った小林さんの心意気やよし。

事件もシリーズ第一弾らしく、伊東・小林が自らを省みるような、父娘(床嶋佳子&夏八木勲)のありかたを考えさせる話。ま、トリックというトリックは出てこないし(「ハタ」くらいか)、ミステリーとしては今イチだけど、ごった返した小林さんの部屋を手際よく掃除していく伊東さんのシークエンスなど、親子ものとしての見せ場は随所にある(尤も、今回出生の秘密に気付いているのは伊東さんだけである)。

監督はヤクザ映画の雄、梶間俊一
といっても、僕が実際に銀幕で観た梶間作品は、ギバちゃん主演の「蛍(1989・日)」のみ。
「集団左遷(1994・日)」は何だか「社葬(1989・日)」の二番煎じっぽかったので行かず。
シネリーブル博多駅で公開した「オサムの朝(あした)(1999・日)」はいい映画らしいけど観そびれたし。

話がそれたけど、心労で胃痛になる検察事務官の片桐はいりが、舞台通りのエキセントリックなコメディ・リリーフを好演。伊東さんを常に庇う上司に大杉漣、本庁のキャリア刑事に春田純一とレギュラー(候補)も2時間ドラマらしい且つメリハリの効いたキャスティング。
ひとまず、あたたかく見守ろう(次回作では、伊東さんのライバルとなる小林さんのもうひとりの父親候補の弁護士登場を希望)。



 岸和田博士の科学的愛情  2002/2/17(Su)


朝、高須で給油して、黄砂でキャラバン隊みたいになったスパシオを洗車する。
洗車機に車を入れた時点で、悠都大泣き。洗車の間中、絶叫が続く。こんな事は今までで初めてである。
こいつがチョウ・ユンファだったら、「リプレイスメント・キラー(1997)」のアクション・オファーは請けられない筈だ。
それにしてもどんどん怖いものが増えていく。きっとそのうち予防注射でも泣くんじゃないか。

昨夜、深夜に放送された「BSマンガ夜話」を観ていたら、どうしてもトニーたけざき「岸和田博士の科学的愛情」(ワイドKCアフタヌーン)が欲しくなり(莫迦だ、莫迦)、移転直前の黒崎QUESTに走って、ひとまず(1)〜(3)を購入(全12巻、大人買いするにはちと懐が)。とは云え、新刊の書棚で久し振りにクラフト・エヴィング商會の名前を見かけて、「じつは、わたくしこういうものです」(平凡社)を衝動買い。しかもCRAFT EBBING & CO.の著作で1900円というのは、かなりお買い得なのでは(笑)。

それから、GABBEHで遅めのランチをとる。奥さんがグラタンで、自分がオムレツ(具はトマトとチーズ)。前菜のスープはミルキィなクラム・チャウダー。悠都は此処でも、ウェイトレスのおねえさんやシェフのおねえさんにありったけの愛想を振りまいて愛玩される(莫迦だ、莫迦)。この外面の良さは確かにふた親譲りだとは思うが、親譲りだからいいってものでもない。良いか、気ィ遣いとC調は紙一重なのだ。いつか、大きくなってこの日記を読んだ時、とくと思い知るように → 悠都。

で、読みました、トニーたけざき「岸和田博士の科学的愛情」(ワイドKCアフタヌーン)
1巻より2巻、2巻より3巻と右肩上がりに面白くなっているのは確かで、3冊の中では出口のない物質転送機の顛末を描いた第15話が、マッドサイエンスとサイバーパンクとハイブリッド生命を絶妙にブレンドしてとりわけ屈指の出来。オチの一コマまでふるってるし。あと、第19話のカリフォルニア・ドリーム現象の説明とか。「巻き舌になりRの発音が良くなる(舌下神経の異常)」には腸捻転を起こしそうでした。

夜、中間で「助太刀屋助六(2001・日)」
前作「EAST MEETS WEST(1995・日)」公開から早7年。
文治師匠と同い年の巨匠・岡本喜八翁が喜寿にして撮り上げた、39本目にして肩の凝らない時代活劇の1本。
相変わらずローバジェットだし(キャストが豪華なのは単なる人望)、代表作という程気負った出来でもなく、むしろ「痛快時代劇を撮れと云われれば、今でもこれくらいは撮る」ってな作品。水準作であって、決して最高傑作ではない(でもそれこそが必要なこと)。むしろこういう映画を量産させてくれない邦画界の病巣こそを愁うべきだろう。

これは書くのを最后まで逡巡したのだが、敢えて苦言をひとつ。
他はともかく、残念乍ら本作の鈴木京香はミス・キャストだと思う。
時代劇という事もあって、キャストが実年齢より大幅に若く設定してあるのだが(真田さん、村田さんが24歳)、鈴木さんが20歳そこそこの処女云々というのは無理がありありである。別に処女だという設定に文句を云うつもりはないが、高画質フィルムは嘘をつかない(つけない)。白粉を塗ったくったシーンからして肌の実齢(僕と同い年)は隠せないのだ。僕も鈴木さんは大好きな女優さんだが、どーしても彼女を使うなら、映画をモノトーンにして強い照明で影を飛ばしたり、撮る側の努力も欲しい。それがせめてものリアリティだ。舞台で杉村先生が「欲望という名の電車」を演るのとは訳が違う。確かに喜八翁から見れば、鈴木京香はひよっこみたいなものかもしれないが、あれだけアップを多用されると、無理だ、無理だと云ってくれ、と泣いてすがりたくなる。確かに「オンナとして」可愛いんだけれど、どう見ても娘というよりはむしろ小股の切れ上がった年増(此処では誉め言葉)の領域に属する顔立ちなのだ(「王様のレストラン」でオミズ顔と揶揄されたのは、ある意味、三谷さんの正しい観察である。その後「ラヂオの時間」で夢を追う主婦を演じたのも、そういう意味で故あっての事と云える)。
個人的に鈴木さんが大好きであるとは、再三念を押しておく。

それにしても、「両手に花」の後の岸田今日子はアカデミー最優秀助演女優賞疑いなしの名演である。
少なくとも、オレなら是非も無く岸田さんを選ぶ(あと、あの絶妙の編集ね)。悲しくも可笑しいとは、ああいうシーンを云うのだ。

本日の映画:16.「助太刀屋助六(2001・日)」

 プチ「償い」ブーム  2002/2/21(Th)


聞く処によるとお昼のワイドショーは各局共ムネオ議員とさだまさし「償い」一色だったらしい。
あの5〜6分ある曲をイメージ映像(!)をまじえて歌詞の字幕スーパー入りでフルコーラス流したとか(おいおい)。
ゲストは一様に涙を流し、レポーターは歌詞カードのフリップを出して一言一句解説を始めるという…薄気味悪い話である。
何だか一時期の「一杯のかけそば」みたいでイヤだと思うのは実の処、僕がさだファンだからか。
確かに疲れている時や寝不足の時にあの唄を聴いたり、歌ったりすると、少なくとも僕は確実に泣ける。
何しろヒマにまかせて諳んじた歌詞を書き留めただけでも涙ぐむ事が出来る(そりゃ単なるビョーキだが)。

しかし山室恵裁判長の全く「唐突」な「償い」の引用が、とんだプチ「償い」ブームを生んでしまった。
実際、俄かに収録アルバム「夢の轍」の売れ行きが伸びているらしい(テイチクにも問合せが殺到しているとか)。
草野仁の「私も持ってます」発言がそれに拍車をかけたかどうかは謎である。
ちょっとした社会現象である。こーなると年末の紅白の「償い」も夢じゃないかもな(年越しにディープの極北を行く選曲ではある)。
少なくとも、急遽シングル化してみては、なんてのは、少なくともテイチク側は云い出しそうである。

ただこの唄はさださんの聖域に属しているので、さださん本人はこういうブレイクは不本意かもしれない。
何故なら、この楽曲は他人の不幸を切り売りしてお金をいただいてしまっていいのかという煩悶と、アーティストとしての表現欲求との狭間に引き裂かれつつ成立している作品だからだ。だからコンサートでも数える程しか歌った事がない。大体10周年記念コンサート以来、歌った事があるのか(それから既に20年余が経っている)。唄のモデルとなった奥さんに取材の魔の手が伸びない事を祈るばかりだ。

だがファンとしては、だからこそ生唄を聴いてみたいという希望はある。
しかも、紅白なら舞台に遜色はないし。少なくとも「精霊流し」「秋桜」「無縁坂」以外でお願いしたい。

一方、自民党から尻尾切りの憂き目に遭っているムネオ議員だが、名前が愛称として国民的に知れ渡っている鈴木さんと云えば、他にイチローくらいしか見当たらないのだから、これは名誉な事だと誇っていいのではないか。仇役もユーモラスを究めればタツノコの三悪のように遂には愛される。それに、あの小泉首相の「純一郎」より老若男女一般の認知度が高いというのは、顔を売ってなんぼの国会議員としてこれ程うれしい事はない。またアホの坂田の持ちネタを増やした点についても、坂田師匠となんば花月はもっと感謝の意を表明すべきだ(あ、坂田師匠はしてたかも)。国会中継の視聴率も跳ね上がったし、TV局も笑いが止まるまい。

深夜(0:00)新装開店した宮本輝公式サイト「The Teru's Club」を覗く。
今回からメンバーズ・オンリーのページが出来たのだが、早速BBSに輝さんが書き込みをされている。
…恐れ多くて、とても書き込む勇気が湧いてこない。



 じつは、わたくしこういうものです  2002/2/22(Fr)


振休。
休んでる場合ではない気もするが、澱のように溜まった精神的疲労を払拭せねば。

中間でファースト・オン・フライデーにて「化粧師 KEWAISHI(2001・日)」

東京国際映画祭では鳴り物入りだったが、映画瓦版では酷評していたので、さて、という感じでスクリーンに向かう。
尤も、映画瓦版が大々的にけなしていた「ソウル(2001・日)」は、僕には佳い映画だったし(むしろ、瓦版の陶酔気味なテキストの方が鼻についた)、ウォルター・マッソーの遺作となったメグ・ライアンの「電話を抱きしめて(1999・米)」も映画瓦版が云う程に面白くなくもダメでもなかったので、全幅の信頼を置いている訳ではないのだが(そもそも人の感想なんてばらばらであたりまえだし)、とは云え予め「ダメ」と赤書きされた映画を観に行くのに、出足が鈍るのも確か。(映画瓦版曰く「小三馬というキャラクターに魅力がない」「脚本がまったくダメ」。でも、横田与志の脚本は確か賞を貰ったんだよね)

客席は平日にも拘らず、40代以上の女性客で7割方埋まっていた。
パンフも売り切れていたし、邦画としては超人気作品の部類に入る事は間違いない。

当の作品は、くだんの「キャラクターに魅力がない」小三馬の魅力に拠る処大の映画であった。
所謂キャラものである(原作が漫画なんだから当然だ)が、椎名桔平は充分その任を果たしていたと思う。
小三馬というキャラを無理矢理定義付けるなら、ダークヒーロー人情派と云った処か。
手塚先生の「ブラックジャック」や「七色いんこ」、最近だと細野不二彦「ギャラリー・フェイク」のフジタがこれに当てはまる。
主な特徴としては、

・美形である(セックス・アピールがある)。
・仕事が出来(その道のエキスパートである)、自分の仕事に誇りを持っている。
・(世間一般の評価として)カネに汚い。一見、法外な報酬を要求する。故に薄情だと評される。
・彼自身のその後の人生を左右するような暗い過去がある。
・ニヒリストだが、その実、情にもろい。
・ごく身近にシンパがいる。

あたりであろうか。ある意味、漫画における定番のヒーローと云える。
映画瓦版は「こんな陰気なキャラが女性の人気を云々」と評していたが、仕事はトニー・タナカで、人柄がダークヒーロー人情派なら、劇中でも客席でも女性の側には申し分ないキャラだと思うのだが。実際、観客の客層がそれを如実に示している。
映画の終盤に明かされる或る秘密の、サプライズ・エンディングについても、僕は素直に楽しめました(原作未読)。
カンノの最后のあの一言も効いていたと思う。脚本の評価もこのあたりが分かれ目なのかな。

あと、今時の映画としては主演級の女優を老若、湯水のように配しており、それ以外の脇キャラの人物配置が笑っちゃう程タイピカル。
意地悪なお手伝いさんのあき竹城とか、頑固な老婆の菅井きんの意外性の無さがむしろ新鮮だったり。これで横山あきおのラーメン屋と岡本信人の御用聞きが出てくればカンペキである(時代劇だからそれはない)。

ただ、今流行りの若手が使えるのも良し悪しで、特に気になったのが舞台で主演女優の座を勝ち取った設定の酒井若菜
いしだあゆみんちの居間でチェーホフの「かもめ」の一節を諳んじるくだりは最悪である。「リング0 バースデイ(2000・日)」仲間由紀恵の悪夢ふたたびである(尤も彼女も今ではすっかり立派な性格俳優に育ちました)。
あと、演技はともかく、姿勢の悪さが気になる柴咲コウ。ポンズ・ダブル・ホワイトの時は背筋伸びてたよね?
こういうのを見ると「助太刀屋助六(2001・日)」の鈴木京香もやむをえない気がする。
女優選びにおいては「若さ」ってヤツも痛し痒しですね。

あと1点。令状無しで小三馬の部屋にガサ入れする刑事・井上博一ですが、彼がガサ入れの最中に色とりどりのドレスを胸にあててにんまりする処とか、こういう役者さんの地道な色付けが映画の奥行きをこさえているのだという事をそっと胸に留めておくココロ。

帰宅后、クラフト・エヴィング商會「じつは、わたくしこういうものです」(平凡社)読了。

大体、クラフト・エヴィング商會の本は企画物の側面が強いのだけれど、今回は架空の職業の人々へのインタビュー集で、坂本真典の写真がとりわけ活きている。いつものクラフト・ワークのカラー写真に加えて(って、今回はこちらがメインなのだが)モノクロの人物写真が実にいい味を出している。ひとの顔(表情)とはこれほどまでに味わい深いものなのか。それは写真に付された演出、或いは彼らの職業のバックボーンをなす「物語」の裏付けもあるが、僕らが感銘を受けてやまないのはやはり印画紙に焼き付けた、キャメラの、引いては写真家の目線の力なのだ。写真の中の人物の無言の雄弁さこそ、テキストの行間に宿る見えない物語をファンタジーとして、リアリティとして補完する。
ひょっとすると彼らのワークスの中でいちばん好きな本になるかもしれない。

それにしても、最早葉月のご尊顔が拝めたのは嬉しかった。
結構「ココニイルコト(2001・日)」真中瞳系の顔立ちである。
それに心持ち、香山リカをブレンドした、と云えば分かってもらえるか。
是非、数年先にでもこのシリーズの続編を期待してます。

本日の読了:6.クラフト・エヴィング商會「じつは、わたくしこういうものです」(平凡社)
本日の映画:17.「化粧師 KEWAISHI(2001・日)」


 魚と寝る女  2002/2/23(Sa)


朝、タダ券を手に中間にて陳凱歌ハリウッド進出作「キリング・ミー・ソフトリー(2001・米)」
ローラー・ガールことヘザー・グラハムがのぼせあがって、おっぱいを出す映画。
といっても無論、サウナが舞台の映画ではない(何を云っているんだ、オレは)。

朝、会社に向かう途中、歩行者信号を押す手と手が触れたせいで、情欲に憑かれ、会社をさぼってオトコの部屋で衝動的にケダモノの如くナニをする、という「運命的な出会い」に始まる愛欲の日々の前半と、運命のオトコが実は異常性欲(おまえもなー)の殺人鬼なのでは、と彼の過去を暴くサスペンス仕立ての後半の2部構成からなる、決して本国では公開される心配のない(公開出来ない)陳凱歌渾身の(或いは不本意の)エロエロ・スリラー。

カイコー大人、「BROTHER」の製作現場で北野武監督が感じたのと同じ苦労を負うた訳だが(曰く契約の強さから来る脚本変更不可の壁と、組合の強さから来る仕事時間制約等々)、それを補って余りある「エロエロ映画を撮りたかったんだよう」なる映画作家的リビドーが、この一見凡百のハリウッド式サスペンスと寸分変わらぬ題材に飛びついたと云っていい。
けれど「シャイン(1995・豪)」スコット・ヒックスが次に撮った「ヒマラヤ杉に降る雪(1999・米)」の今イチ振るわなかった理由に、法廷サスペンスに題材を取った事があるように、陳凱歌がエロエロ・サスペンスを撮ったからと云って、自作との差別化は図れても、同ジャンルの他作品との差別化が図れるとは「さほど」思えないし、実際図れていなかった。どちらとも映画として絵づくりに執着するひとたちだが、所詮題材はサスペンス、美しかったらそれがどーしたと云われかねない。物語、或いは製作現場自体が孕んでいる「ハリウッド」という魔物の前に作家性が負けてしまうのだ。折角の非凡が掻き消される。
せめて、ラストの余韻を残す叙情性がせめてもの救いか。

息を呑むような運命的な出会いの果てに、猟奇的な愛欲で結ばれたふたりを分かつのはやはり猟奇的愛欲自身であった。仮にふたりの間の齟齬や誤解が解消されたとしても、愛欲に関する根源的なエラーはふたりに後戻りを許さない。時を置いて他人になった二人はある日空港のエスカレーターで偶然すれ違う。幾許かの親愛とよそよそしさと、そして互いの肌が忘れていない愛欲の埋み火と共に。

などとスカして物語を整理すれば、ほら、何となく陳凱歌作品っぽい気がしないでもない。

でもサスペンスは物語のスパイス程度に留めておくのが、このひとには向いているんじゃないかな。

一旦、家に帰って昼食をとった後、夕方までまったりと過ごしてから博多駅方面へ車を出す。
1年余振りで野坂医師と落ち合って、「ふきや」にて腹ごしらえ。色々と近況など聞く。考え込む事多し。

博多駅1本目は三池監督の新作「カタクリ家の幸福(2001・日)」
そー云えば、中間でタダ券を利用した時に記入した名簿に「幸福×夫」「幸福△美」と夫婦らしき名前が並んでいたのは、実はこの映画を観るための布石だったのか(絶対違う)。偽名ではない筈だが、あれはやはり「こうふく」と読むのだろうか。

観ると、確かに「クワイエット・ファミリー(1998・韓)」のまごうかたなきリメイクなのだが、この映画って末娘を演じたコ・ホギョンが群を抜いて可愛かったのと(おいおい)、あのソン・ガンホ(「シュリ(1999)」「JSA(2000)」「反則王(2000)」)が出てる事以外はフツーのブラック・テイストなスラップスティック・コメディだったと思うんだよね(しかも処々「かなり」ヌルいし)。これを何故わざわざ、とか首を傾げる前に三池の手にかかると「いい」とか「悪い」とか、そういう問題を超越した映画になってしまっているのが、まず凄い。部分的なヌルさは確実にあるが、それをものともしない「過剰」と「前衛」が、そしていきおいだけで魅せてしまう家族愛(何しろ、刃物を振り回す遠藤憲一から妻を取り返そうと泣いて哀願するジュリーのシーンでは、背中からすすり泣きが聞こえてきた程だ)が、そもそも異色作しか並んでいない彼の作品群の中で「にも拘らず」異彩を放っている。

それから歌って踊る丹波さん!
歌う度に歌詞が変わっていたそうだが、これは予定変動の範囲内。
79歳でこれだけ歌って踊って涙して、誰に後ろ指さされるいわれがあろう。
片栗ニヘイ、これは「バイカルの鉄」と並び称されるべき丹波哲郎の役者人生後期を飾る重要な役柄だと断言してしまう。
ラストで昇天するあたり、三池監督の丹波リスペクトも鮮やかである。

これと「殺し屋1」が続けて撮られた事だけでも気がふれそうなのに、この他に「DOA FINAL」「荒ぶる魂たち」が上映待機しているのだから、もはや狂死する他ない(しないけど)。ちなみに「新・仁義の墓場」も順調に撮影中だ。
三池初体験の野坂医師、身体に悪影響を及ぼさなければいいが(「殺し屋1」よりはまだマシか)。

続けてレイトで、「魚と寝る女(2000・韓)」
痛覚系恋愛映画と聞いていたので、マウスピースを用意していたのだが(嘘)、それだけで終わる映画ではなかった。
「ゴルゴ13のような((C)野坂医師)」ボートハウスの女管理人ヒジン(ソ・ジョン)の孤独の影が裏打ちするダンディズム。
何が「ゴルゴ13」かと云えば、この女性とにかく全篇通して一言も喋らない。
(喋れないのではない。寡黙なのだ。劇中、窓ガラス越しに電話でコールガールを呼ぶシーンが出てくる)
仕事はてきぱきと片付ける。手際がいい上に、決して弱音を吐かない(困った顔をしない)。
何事も瞬時に判断、難局も創意工夫で乗り切る。男から見ても誠に頼もしい。
(ボートのエンジンを取っ払って、屋形船につけ直した時には思わず拍手しかけた)

いや、屋形船でひとがセックスしている最中に、嫉妬にかられて床の蓋(湖面と直結した簡易トイレ)をあけてその営みを覗き見るのは(勿論、湖を素潜りして来ているのだ)立派なストーカーだと思うのだが(しかも、男と目が合っても表情はいささかもたじろがない)、彼女がやると「ランボー 怒りのアフガン」になってしまう処が只事ではない。怖いのだが、怖い故に時折見せる弱さ・脆さが女性としての魅力を鉄壁なものにしている(加えて幸の薄さが彩りを添えている)。あー、こんな女(ひと)につかまった男は三国一不幸である。

かねてより噂の痛覚シーンも、微に入り細を穿ち説明すると、刺されてもおかしくない「痛さ」である。
かいつまんで書けば、「道ならぬ男と女の色恋は釣り釣られ」。も痛いし、テグスも痛い。
まして男と女を区別するなら……あーこれ以上は剣呑、剣呑。

肥満男の脱糞シーンに、刺身で刻まれた鯉の残骸が泳ぐシーン、更にはラストシーンの葦の茂みのコラージュと(ストーリー自体はもはや本筋から完全に離脱)、本作のキム・ギドク監督にマニアックなファンが多いのも頷ける話である。露悪も含めて、彼が映像作家で映画作家なのはよーく分かった。この無謀さは一種、三池監督に通じる。

終映10分前に会社から電話があったのがいとわろし(結局大した話ではなかった)。
駅前で会社から自転車で来たという野坂医師と別れて帰途につく。午前様(24:30)着。
お土産は「サントノーレ」のクリームチーズ(という名前のチーズケーキ)と「ふきや」の野菜焼き。

本日の映画:18.「キリング・ミー・ソフトリー(2001・米)」、19.「カタクリ家の幸福(2001・日)」、20.「魚と寝る女(2000・韓)」

 愉快なカーリング  2002/2/26(Tu)


珍しく「天声人語」など読んで、ついのけぞってしまう。

日本の垂れ流し的な放送のおかげで愉快な競技を見ることができた。漬物石のようなものを投げて氷上を滑らせ、掃除をしながら標的を目指す競技だ。カーリングという。スコットランド原産らしい。五輪では異色の競技だ。こんな地味な競技は、米国では見られなかったのではないか。
愉快なのはあんたの書いた「天声人語」の方だ。
かくの如く突っ込んだ読者は瞬間最大で5万人はいたと予想される。
どうやらこの人、カーリングが正式種目になった長野五輪の垂れ流し放送はご覧にならなかったらしい。
これを読んだ全国各地のカーリング協会、及び同好会には遠慮なく憤怒していただきたい。どはーつ。
この際、見せしめに何処かの大学の入学試験にこのテキストを使うというのはどうか。

【設問】筆者の、朝日新聞社論説委員にあるまじき無知が露呈されている箇所を抜き出せ。
【解法のポイント】決して「全部」とは答えないように。心情的には共感出来ますが、此処はぐっと理性で抑えてください。
負けるなメゲるな、カーリング。こんな事でくじけるな。
もっともっとエラくなって有名になって朝日の論説委員を見返してやれ。

会社帰りにBEST電器でさだまさし「夢百合草〜あるすとろめりあ〜」を受け取る。
アルバムタイトルが「日本妖精伝」にならなくて本当に良かったよ。

そう云えば、21日の日記で「『償い』なんてもう長い事歌ってない筈」と書いたが、実は偶然にも今のツアーで歌っているらしい。
これこそ「非因果的連結」即ち西手新九郎というヤツであろうか。

火サスは「取調室(16)」。前作は去年の暮れオンエアだったから、本作がいかに人気シリーズかが知れる。

犯人役の草笛光子に加え、彼女を慕い陰日向無く仕える井川比佐志、彼女のアリバイづくりに利用される米倉斉加年とゲスト陣も森光子「放浪記」張りの超重量級。ちなみに今回の被害者は「ショムニ」の社長さんこと久保晶であった。
ドラマは拘留期限のタイムリミットに拘泥せず、壮年の男女の純愛を泣き処に着地するという、脚本の那須真知子らしいウエットなもの。
ラストシーン、鉄格子の窓を挟んだ、いかりや、草笛、井川の目線だけで表現される情感いっぱいの芝居についほろりとする。

あ、そうそう本部長役が西沢利明さんから植長こと(誰にも分かんねーよ)上田耕一さんにバトンタッチ。
短けェ夢だったなァ((C)クロトワ/家弓家正)。



 ショウ・マスト・ゴー・オン  2002/2/27(We)


振休。これで一応、全部消化(いや、来月また振替出勤があるのだが)。

遅めの夕食をとっている処へ、あめんさんから電話。
内容は日曜日に熊本で行われたSF研の先輩、Sさんの結婚披露宴報告で、僕的には同じく先輩のEさん捕獲話の方が興味深かったり。
Eさんは相変わらず連絡も入れぬまま岐阜に転勤したそうで(って、隣県じゃん)4月のあめんさん挙式招待話に真顔で凍りついたそうである。尤も一旦捕獲してしまうと、こちらからの申し出に無下には断わらないひとなので(断われないから消息を絶つのかもしれん・笑)4月には4年振りくらいに再会出来そうである(ちなみに現在もおひとりだそうである)。

それから暫くあめんさんの披露宴で使う新聞話。
フライングで書いてしまうが、実は瀬戸口くんが挙式記念新聞製作を画策している。
これが実現すれば、SF研OBでは僕ら夫婦に次いで2組目という事になる。
ひとまず、新聞への権威付けとサプライズゲストという事で、あめんさんに、やんごとなき方への原稿依頼を焚き付ける。
どうせ駄目元、旨く行っても客席で盛り上がるのは友人関係だけかもしれないが、そこはそれ、少なくとも製作側は俄然やる気になるので、あめんさんには僕らのためにも(笑)是非ともプロジェクトの成功を目指して奮闘していただきたい。

夜半、新聞サイトで、「You Are The Top 今宵の君」の主演男優のひとり、作曲家・前野役の鹿賀丈史が昨夜、盲腸で倒れて途中降板になったとの記事。代役は急遽、昨夜のうちに浅野和之に決定したというが(ごめん、不勉強でこのひとの事、よく知らない)、明後日の初日は幾ら何でも延期になるだろう。公式サイトの稽古場日誌を楽しみにしていた者としては(23日ぶんまで更新)、もはや他人事とも思えず。台本読むだけで涙ぐんで、稽古する度に涙ぐんで、って位この芝居に入れ込んで、ひーひー云い乍らピアノの練習をこなす鹿賀さんが活写されていただけに、床に就いても彼の無念さと、今や上を下への大騒ぎになっている筈の制作現場を思い(三谷戯曲の「ショウ・マスト・ゴー・オン」「ラヂオの時間」を地で行く極めつけの危機的状況である)、暫く寝付けなかった。

まずは鹿賀さんが一刻も早く、平癒いたしますように。




 
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