備忘の都 2002 MAY
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家族性巨脳症 / 正調・ブランマンジェ / 和田くん、逝く
坊屋さんも逝く / 和田くん、逝く(2)
方向音痴のイボイノシシ / 2002FIFAワールドカップ開幕
家族性巨脳症
2002/5/21(Tu)
忙しいんだけど、久し振りに日記を書く。
朝、出勤前の慌しさの中でふと朝からテンションの高い子供の後姿を眺め乍らしみじみ「頭でけぇよなあ」と呟いたら、奥さんが「悠都みたいなのを家族性巨脳症 って云うんだって」とのたまった。「でも、心配はないんだって」。当たり前だ、僕の子供の頃の頭と胴体のバランスも悠都並みだったが、何ともなかった。ていうか、彼女は子供の頃の僕にそっくりだから「家族性巨脳症」などとうそぶいているのだが、一体何処から仕入れてきた情報なのか。
「家族性」というのはまあまだ分かる。
「原発性」というか、「遺伝性」を意味すると思われる。但し、一般に「家族性──症」 と云えば、病気を指す筈である。ことわるまでもないが、息子の頭でっかちは断じて病気ではない。親譲りイコール遺伝病では決してないんだようとこの際声を大にして云っておく。
問題なのは、次の「巨脳症」である。
別名、脳性巨人症(ソトス症候群)とも云う。巨脳症の名が示す通り、頭蓋奇形の一種である。何しろ、頭囲が胸囲より5cm以上大きいという状態だ。精神遅滞を伴う事が多く、発話不能、奇声、自傷行為などに到るケースもある。ま、悠都も(そして父も)奇声はあげるが、これは個性の範囲だろう。今思い出したが、息子はもっと幼い頃、叱ると自分の頭を自分で叩いていた。あれも広い意味での「自傷行為」かもしれない。
いい加減な記憶で申し訳ないが、確かあの福助 のモデルになった仙臺四郎 というひとはちょっと「おつむの足りない」与太郎的人物だったと聞いた事がある。彼はまごうかたなき頭蓋奇形としての「巨脳症」だったのかもしれない。
「家族性巨脳症」 とはとどのつまり遺伝性疾患による脳性巨人症という事である。
決して最愛の息子(と最愛の夫)に冠する言葉ではない。
この際、妻には猛省を促したい(関係者各位はくれぐれも本気にしないように)。
そう云えば、僕も幼児の頃、我が母によく「かぶんす」と呼ばれていた。
子供の頃は頭でっかちがどうして「かぶんす」なのだかさっぱり分からなかった。「大きなかぶ」の事だと幼い知恵を振り絞って類推したものだ。小学校にあがってようやく「かぶんす」が「仮分数」の事だと思い至った。なるほど、上手いことを云うと当時は感心したものだが、感心するより先にこの際、実母にも猛省を促したい。
久々に早く帰る(と云っても20時くらいだけど)。
珍しくベランダから月が昇ったので、月をこよなく愛する息子(「育児日記」参照)に乞われ、部屋の明かりを消して、親子ふたりベランダに出て半月から満月に向かう月齢9.093の月を眺める。家族性巨脳症とかぶんすにだって月くらい愛でられる。
ちなみに次の満月は日曜、天気が良いと息子の情操上もたいそう望ましいのだけれど。
処でウチの家族性巨脳症はなかなか部屋に入りたがらない。さすがのかぶんすも手を焼く。
スティーヴン・ジェイ・グールド死去。享年60歳。
科学エッセイの書き手としては白眉の存在なのに、バージェス頁岩の事を書いた「ワンダフル・ライフ」(早川書房) くらいしかまともに読んだ事が無いのが恥ずかしい。進化論についてはリチャード「利己的遺伝子」ドーキンスの好敵手でもあり、僕はグールドのご贔屓であった。ああ、まだウチの親父と同い年なのに。早すぎる死に心から哀悼の意を。
正調・ブランマンジェ
2002/5/25(Sa)
ふと去年、マリエさんにいただいたシーホークの食事券(金壱萬円也) を使ってゴージャスな昼食を取ろうと思い立ち(実はいつかいつかと思い乍ら、半年ものあいだ、日延べになっていた)、発作的に百道浜方面に車を走らせる。
ホテルのパーキングは満杯でドームのパーキングは試合日のために法外な値段と化していたので、百道浜海岸沿いの市営駐車場に車を置いて、5Fコンチネンタル へ。同階には「鉄板焼・金葉亭」 と「コンチネンタルレストラン・プリマヴェーラ」 と2店舗(入り口はひとつ)あって、「プリマヴェーラ」のオマール海老のパスタにも激しく心がひかれるが、佐賀牛 の文字が目に飛び込んできたので、即座に「金葉亭」を選ぶ。ランチコースは全部で3コースあったが、迷わず佐賀牛スペシャルランチ(¥5,000)にする。
此処はテーブル(というか鉄板をカウンターが囲むようなつくりになっている)単位に鉄板が設えてあり、テーブルとテーブルの間の空間が贅沢に取られている。テーブルには専任のシェフ(しかも、おねいさん)がつき、彼女の背中の窓越しにはオーシャンビューが広がる。莫迦っ晴れの青空と百道の海、それから志賀島と能古島が一望できる絶景のロケーションは、まさに「たまに行くならこんな店」に相応しい。
悠都が暴れないように、コースとは別にアイスクリームを1つ頼んだが、結果的には不要だった。
ウチの子は同世代の幼児と比べると、その日の機嫌にも左右されるものの実に扱い易い方だと思う。
シェフのおねいさんとタメで話すのを聞き乍ら、ほっと一息つく。烏龍茶を2つオーダーする。
前菜はヤリイカのマリネ(ツブガイを刻んだドレッシングがかかっている)と小鉢に入った胡麻豆腐。
僕らが前菜に箸をつけている間、おねいさんはスライスしたニンニクを油でカリカリに炒めるのだが、飛び散る油のしぶきとその音のにぎやかさに、家族して暫し見とれてしまう。これぞオープンキッチンの醍醐味である。
本日の魚介は、ホタテとクロダイ。
両親のホタテはあらかた息子に食べられてしまったが、タイのカリカリに焼き上げた皮だけは両親して断固死守する。これは子供は知らなくていい愉悦なのである。それにしても鮮度がいいとそれだけで極上の味付けが約束されているから嬉しい。たれは、ポン酢とミソとトマトソースと3種あったが、何もつけなくても充分美味しい。
肝腎の肉は僕はサーロイン、奥さんはフィレと分けて頼んだので、おねいさんが気を利かしてまずサーロインを焼いて、取り分けてくれた。ランチなのでちと厚みに迫力がないが、確かにそのやわらかさと弾力は佐賀牛であった。久し振りの邂逅である。佐賀市役所職員の英ちゃんにはしょっちゅう会っているのに。
ごはんとおみおつけとおしんこが出てくる。
おねいさんは盛大に野菜を炒めて、各々取り分けてくれる。
僕らが野菜をたいらげる時間も与えず(ま、子供と食事していますので)、おねいさんはフィレ肉を仕上げる。
これまた、ちと薄めだったもののまごうかたなき佐賀牛のフィレだった。肉と一緒にしあわせも噛みしめる。
僕はごはんもおかわりしたりなんかして、ようやくひと安心。
大食漢の幼児にエサを与えるのでなければ、ボリューム的には過不足なし。
こういう贅沢は食べ過ぎてしまうのも、贅沢の域を逸脱してしまう。
鉄板テーブルから、ジャングルを見下ろすテラスへ移動してデザート&カフェ。
で、実に特筆すべきは此処の正調・ブランマンジェ だったりする。
何てことのない、小さなココットに入ったムースなのだが、舐めてかかるとさにあらず。
アーモンドをたっぷり使ったその味は、ダックワースの味だけブランマンジェに閉じ込めたといった風情で、ココットのと一体化した陶磁器のような色つやとあいまって、これが実に満足する。是非、テイクアウトさせて欲しい一品。
ああ、マリエさん、タラさん、本当にごちそさうさまでした。そのうちまた来ます。
目下のジャングルではちょうど15時から教会式が始まるらしく、挙式のリハーサル風景を少しだけ眺めてから、辞去する。ホテルを抜ける時、今しも入場するウェディングドレスとすれ違った。悠都はジャングルで鳴き喚くオウムに夢中である。
波打ち際でちょっとだけ息子の相手をしてから、車で天神Z−SIDEへ移動する。
来月の誕生日のお祝いも兼ねて、奥さんがスカートを選ぶ間、悠都の面倒を見る。
最終的には3Fの「23区」 でデニム地のロングスカートとベルトを選んだのだが、今回の収穫は、彼女に似合う服はもはや2Fのヤングファッションではなく、3Fのキャリアファッションにしかないのがはっきりした事かな。幾ら学生に間違われると云ったって、気付けばヤングミセスの領域に一歩踏み込んでた、というか。彼女もそろそろ思い知らないと(何を?)。
少しDVD売り場を冷やかし、B1で食べ物を少し買ってから天神を後にする。
帰途、香椎「サントノーレ」 で待望のマンゴー・プリン(季節もの)を購入。
この美味さをどうにかして皆さんにも伝えられないものか。
折角なので、奥さんのバースデーケーキも予約。これで日本も安心だ。
夜は、マンゴープリンの珠玉の味を堪能した後、昨日買った「ターン(2001・日)」 の鑑賞会。
マキセえらい。勘太郎えらい。北村一輝(イヤーンな処が)えらい。倍賞美津子すごい。
で、何と云っても平山監督がえらい。次回作「笑う蛙」 が今から楽しみだ。
和田くん、逝く
2002/5/26(Su)
朝、何気に朝刊を開いて「伊藤俊人 、死去」の報に思わず大声を上げてしまう。
くも膜下出血で、とある。享年40歳。若いどころの騒ぎじゃない。
こないだの火曜日に「踊るさんま御殿」で天然キャラを炸裂させていたばかりじゃないか。
暫し唖然とする。東京サンシャインボーイズのメンバーの中から故人が出るなんて思いもしなかった。
現役も現役、バリバリの現役だ。この夏始まる「ショムニ・ファイナル」の野々村課長はどうする。
同じ幕引きでも、フェイド・アウトとカット・アウトとでは周囲の人々のココロの快復力が違う。
キモチが準備出来ていない、その一点だけで僕らが受けるダメージの深さは計り知れない。
一ファンからしてそうなのだ。人生の一部に伊藤さんが住みついている人々の痛手は如何ばかりか。
中間で「サウンド・オブ・サイレンス(2001・米)」 を観た後、ネットで情報収集する。
22日にひどい頭痛になって、病院に担ぎ込まれて(救急車には自分で乗った)10時間の大手術を受けて、手術は成功したものの24日に容体が急変、夕方、奥さんと三谷さんに看取られたという。江角さんが、意識の戻らない伊藤さんに何時間も泣き乍ら話し掛け続けたというエピソードに思わずもらい泣きする。
ナミギン公式サイト の掲示板では、福島さんが「一日の長さ。」というタイトルで途方に暮れた心情を語っていた。
伊藤さんと最後に話をしたのはつい先週のことです。
パルコ劇場のロビーで、「おやすみの前に」を奥さんと観劇していただいた後。
いつもの彼でした。
次に会う予定だったのは「ショムニ」の現場です。
僕は、人事部野々村課長がメインになる話を書いていた最中でした。
僕のパソコンでは、その話が途中のまんま終わっています。
本当に長い一週間です。一日はものすごく長いです。
でも、そんなに長いのに、まだ僕は混乱しています。
昏睡状態の伊藤さんを目の前に、何ひとつ出来ない己の無力さを思い知る、長い長い時間が過ぎてゆく。
そして、それは最期を看取った三谷さん(現時点ではコメントを発表していない)も同じだったのだと思う。
西村さんのサイト にはトップページに「我らの友、伊藤俊人さんのご冥福をお祈りいたします」 とあった。
阿南さんもご自身のサイトで伊藤さんへの心情を吐露されていたが、その中に「色々とあった伊藤とは、 最近は会うこともなかったのですが、TV等で見ると変わらなく、頑張っている、私も頑張ろうと、それだけでいいんです。生きていればいいんです」とあったのが印象的だった。
これも三谷作品つながりで恐縮だが、同じようなシチュエーション、同じような想いを読んだのを思い出したからだ。
中原俊の傑作「12人の優しい日本人」 で陪審員4号を演じた二瓶さんがご自身の事務所のサイトで二瓶鮫一の「ダラダラ日記(仮)」 を不定期連載されておられるが、去年の暮れの日記で陪審員9号(開業歯科医)こと村松さんの訃報に触れたくだりがある。
事務所に電話したら、黒テントの村松克己が亡くなったという知らせを受けた。
彼とは学生のころからの知り合いだから、もう数十年になる。
それもおたがい、親しいというばかりでなく、喧嘩というほどではないが複雑な思いでのつきあいであった。
がっかりした。おめえもかよ、と思った。
この一年のあいだに友人を何人失ったか。みなぼくを置いていってしまう。
つきあいの長い友人(戦友と云い替えてもいい)との間で培った友情は、エッシャーの不思議絵のように愛憎が不可解にからみあって出来ている。古き友との想い出は、その体温の高さ故に、時にわだかまり、心に癒しがたい傷口をつくる。わだかまりは大きなかさぶたになったまま、はがすにはがせず、お互いがお互いを気にかけてい乍ら、ただ何という事も無く疎遠になっていく。そういう不幸な別れ方は確かにある。
そんな友の「死」にぶち当たった時、一方的なピリオド、最後通告を突きつけられてようやっと自分の胸の奥底に流れている感情の温度と湿度の変わらなさに思い当たり、自分の不甲斐なさと友の不甲斐なさに歯噛みする。きっとそういうものなのだ。
僕らは人ひとりとつきあうのでさえ満足に出来ずに、こうして臍ばかり噛んでいる。
阿南さんも、二瓶さんも、おそらく奥歯がきりきり云う程、淋しさってヤツを噛みしめている。
最后まで「和解」出来なかった友に置いていかれる淋しさったらないもの。
行き違いは双方承知の上で心の奥底で許し合っていたとしても、でも出来たらお互いの目を見て「ごめんな」と云いたいじゃない。
「和解」なんて行為自体、あとから酒の席の笑い話にしたかったじゃない。
不覚にも「東京サンシャインボーイズの『罠』」 が現実の訃報と重なる。
火曜日以降もきっと通夜や告別式の映像を観る度に、現実とあのお芝居とが重なっていく。
でもね、それが不謹慎だとは決して思わないんだよ。
だってあの芝居こそは、TSBが30年後の再会を約束した区切りのお祭りであると同時に、友情と和解を描いたウェルメイドの物語なんだもの。
誰もが人生のうちで何回かはこういう苦い別れかたをするのだろうか。
阿南さんは遺影に向かって、胸のうちだけで「ごめんな」と和解するのだろうか。
僕らのうちのいったい誰がジャンボで、誰がオトウサンでチンゲサンなのだろうか。
もしも阿南さんがジャンボだったのだとしたら、せめて伊藤さんがアパッチでなければ良かったのに。
きちんと目を見て仲直り出来れば良かったのに。
仲直りも何も、昔のようにもう一回喧嘩出来るだけで良かったのに。くやしいね。
22年后、僕らは伊藤俊人の欠けた「リア玉」 を観なければならない。
三谷さん、写真出演でもいいから、どうか伊藤さんを出してあげてください。
夕方、テンションの高い悠都の熱を下げるために、スーパーの買物に連れ出す。
そのまま、本屋に立ち寄ってゆうきまさみ「KUNIE ─パンゲアの娘─(1)〜(3)」(小学館) をオトナ買い(でもないか)する。
今夜は満月、ベランダから見える月に向かって、悠都にあそこにはウサギが棲んでいるんだよと教えるが、さて、何処まで理解したやら。
本日の映画:「サウンド・オブ・サイレンス(2001・米)」
坊屋さんも逝く
2002/5/27(Mo)
坊屋三郎さん 、死去。享年92歳。
伊藤さんと違ってこちらは大往生である。
僕は世代的にあきれたぼういずには全く間に合っていないから(あたりまえだ)、僕にとっての坊屋さんは小学生の頃に観たクイントリックスのCMと(主に80年代の)大林映画での枯れた味わいである。「野ゆき山ゆき海べゆき」 で見せた陽気な床屋の親父の「ちょっきんちょっきんちょっきんなァ♪」とか。話は思い切り脱線するが、あの映画の小林稔侍さんは良かった。昔の町に必ずいたゴロツキの中の与太郎で、髷を結った上に、鼻にちり紙かなんか詰めてふらふら歩く、捨て身の演技は稔侍さんならではであった。大林監督のエッセイによると映画を観ていてもよく分からないが、歩き乍ら失禁もしてみせたらしい。
7〜8年くらい前、NHKの金曜時代劇「十時半睡事件帖」に当時米寿を迎えようかという島田正吾 が主演して、一部で(あ、オレ界隈かも)大騒ぎしたものが、島田さん演じる十時半睡の身の回りの世話をする役が、当時80半ばの坊屋さんだった。最初、その役は木田三千雄 (意外に知られていないが、このひとは昔、早川雪洲一座に身を置いていた事がある。強烈なルックスで、今で云うと斉藤洋介的インパクトがあった)がやる筈だったが、木田さんは撮影に入ったか入らないかの処で帰らぬひととなってしまった(おそらく享年82歳くらいだった)ため、坊屋さんにピンチヒッターの白羽の矢が立った(ピンチヒッターが更に年上だった処が更に凄い)。
…てな事をふと思い出した。合掌。
日々、訃報ネタが続くのもきびしいものがあるなあ。
悠都は最近、癇癪を起こしがちな気がする。
カルシウムが足りないのか、早々に反抗期なのか。ママもへとへとだ。
和田くん、逝く(2)
2002/5/29(We)
しかし、昨夜の雷雨の凄さったらなかった。あんな絵に描いたような稲妻はいつぞや港の見える丘公園で見たヤツ以来では、奥さん?
右團治さんから貰ったメールにも東京は夕立続きでってあるし、今年は季節が二ヶ月程前倒しで推移しているらしい。
仕事の合間を縫って2chの伊藤さんスレ で、本日発売の「ありふれた生活」のテキストや告別式レポートを読み乍ら、ひそかに鳥肌を立てる。
26日の日記 で、阿南さんの事を書いたけど、三谷さんも挨拶の中で「阿南君はどうやら一度大喧嘩をして以来、伊藤くんと話してなかったそうだけど、それは後から本人同士で話し合ってください」とくだんの件に触れていたそうだ。阿南さんのサイトも伊藤さん効果でアクセスが10万に迫る勢いで増え続けているらしい(ちなみにウチのページは阿南さんのサイト開設初期にリンクのお願いをしたので、相互リンクしていただいている)。
2chでも「罠」の話が出ていたが、今の処、宮地さん(大阪で「おやすみの前に」公演中)を除くTSB全メンバーが葬儀に参列し(昼夜二回地球ゴージャス公演中の西村さんはマチネ直前に現れ、友人として挨拶をしてから劇場入りしたらしい)、三谷さんを先頭に山田さんを含む男性メンバーで棺を担いで歩いたそうだ。棺の下で泣きじゃくる甲本さんなんてまるで「ショウ・マスト・ゴー・オン」そのまんまじゃないか。そう、どんなに辛くても切なくても、古き友を送るのが友達としてのつとめなのだと思う。
そして、以下の三谷さんの言葉こそがすべてを語っていたと思う。
人は2度死ぬと言います。
1度は肉体的な死、2度目は友人たちがその人のことを語らなくなった時です。
伊藤くん、安心してください。ここにいる僕ら全員、いつまでも君のことを語り続けます。
だから、さようならは言いません。
仕事場で、テレビ局で、掛け合った言葉を送ります。
「伊藤くん、お疲れさま」
そう云えば昔、さださんも似たような事を云ってたっけなあ。
誰かの記憶の中に鮮やかに生き続ける限り、そのひとは決して死なない。
確かに方便だけれど、そういうかたちで自分を納得させるというのは確かにある。
ひとまずは方便ででも何ででもそうやって後に残された自分を救ってあげるしかないのだ。
あーあ、今日の日記もまとまんねえなァ。
方向音痴のイボイノシシ
2002/5/30(Th)
奥さんが拾ったキャッシュカードを銀行に届けた処、お礼にロールケーキをいただく。
情けは人のためならず。お蔭で、夕食(夜食?)後に昔懐かし系のロールケーキでお茶出来ました。
さて、僕もやってみました、ザ・政治家占い 。
で、以下が結果。
あなたの星は 「方向音痴のイボイノシシ」
同じタイプの政治家は、 加藤紘一 さんです
あなたの政治家度は、90% です。
・外見的には温和で社交的、誰からも好かれるタイプです。けっこう派手好きで、とくにパーティーは大好きです。
・人からは良く見られたい、いい子でいたいと常に思っているので、八方美人と思われてしまいます。
・向上心が旺盛でひそかに高みを狙っています。「これぞ」と思った事には、努力を惜しみなく注ぎます。とても勉強家です。しかし優柔不断な傾向があり、いざというときに決断できません。何かの拍子にガタッと箍が外れると、人前でも泣いてしまいます。
・頭が良いので最先端を見据えて走ろうとします。しかし、粘りに欠けるので失敗することがあります。
・気が弱くて、相手に合わせて恋を進めるタイプです。押されると断れない傾向にあります。性欲よりも精神的愛情を重視します。しかしプライドを満たすために、愛情のない関係をもつこともあります。
あなたと、一番違う政治家は管直人さん です。
うーむ、あんた、この結果どう思う?(って「必殺」か)
「人からは良く見られたい、いい子でいたいと常に思っている」てのは当たっているかも(うふ)。
ちなみに頼まれもしないのにウチの嫁で試した処、「学級委員のウリボウ」高市早苗 であった。
「新しいもの好きで、ちょっと飽きっぽい傾向にあります。」「取引に長け、契約をまとめることができます。」「自己本位で、短気な一面があります。自分の思い通りにならないと、激しい感情を表します。」など結構、成程と思わせる箇所多数(おいおい)。
「花より団子という現実的な恋愛を選びます。」には、夫として素直に喜べんというか。
ただ入力項目が生年月日だけというのが、ちとつらい処。
2002FIFAワールドカップ開幕
2002/5/31(Fr)
1日遅れだけど、小林聡美のコマンタレヴー のBBSにマダム小林ご本人の書き込み「いまさらながら・・・」 を発見する。
(前略)
ご存知のようにワタシの誕生日に伊藤俊人さんが亡くなられました。
我が家でもお祝いどころの騒ぎでなく、オットが病院へ詰めている間、
ひとりで家でうどんをすすったサビシー誕生日でしたが、みんなからのメッセージでココロが温まりました。
とにかく、忘れられない誕生日になりました。心より伊藤さんの冥福をお祈りします。
よりによって聡美さんの誕生日と伊藤さんの命日が重なるとは、運命のイタズラにも程がある。
奥さんの誕生日も友達の命日も一生つきまとうものだし、何だか生きていく不思議を感じます。
強い信念の許、久し振りに18時半に退社する(まだ陽が高うございます)。
今日からFIFA開幕だし、共同開催国の韓国に敬意を表して、「KT(2002・日)」 を観に中間へ行く(サッカーは観んのかい)。
処が映写機が壊れて本日の上映は中止になりました、とのスタッフの無慈悲な一言で、急遽、今日で終映する「スパイダー ALONG CAME A SPIDER(2002・米)」 に変更する。同じ犯罪心理捜査官アレックス・クロスシリーズである前作の「コレクター」 も未見だし、どうかなァと思ったんだけど、結果的には大正解。用意周到に伏線を張り巡らせた、どんでん返し度と云い(さすがに真相は明かせませんが)、エンドロールの流れる中で物語を咀嚼し乍ら、シークレット・サービスのジェジー(モニカ・ポッター)の「私だってプロよ」のセリフが今更乍らレバーに効いてきたり。
それにしても、誘拐されたミーガン・ローズ(ミカ・フーレム)の賢しさは命冥加なんだか命取りなんだか。聡明と蛮勇は隣合わせなんですね。ま、観客をはらはらさせる腕前は天下一品である。
タイトルバックの直前に本作のキーポイントであるマザーグースの詩の日本語訳を流す東宝東和の配慮がうれしい。
あと、物語冒頭のおとり捜査の自動車事故のCG、あのひょこひょこした動きはいかがなものか。
犠牲となったトレーシーの悲惨さに喜劇度が加わってしまったというか。
あれの後に、ソンジの「化けの皮が剥がれる」でしょ。もうちょっとでトンデモB級サスペンスの烙印を押す処でしたよ。
本日の映画:「スパイダー(2002・米)」
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