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桂文治独演会
2002/7/8(Mo)
暫く振りで午後休を取って、家族で小倉井筒屋パステルホールへ。
北九州ではおよそ5年振りの、桂文治独演会。
奥さんはともかく、僕自身は前回の落語会で師匠とぐぐっとお近づきになれた、という意味で感慨深い会でもある。
ロビーはまだ開場前という事もあって、スタッフのひとしかいない。
売り物のCDや本を揃えてるのは昔よく通ってた中央町のレコードショップのおじさんだ。
師匠たちの楽屋入りが済んでいる事を確認して、スタッフのおねえさんに師匠に来訪を伝えてもらうと、「北九州と云えば倉田さんしかない」からかどうかはともかく、すぐに係のおにいさんに楽屋へ案内してもらえた。師匠の顔を見るまでの緊張感は相変わらずだ。
顔を出すなり、「どーもどーも」と師匠が笑顔で迎えてくださる。
今回の独演会ご一行様は、師匠に前助さんに檜山うめ吉さんの3人。
我が家に送られてきた独演会の案内状には伸治さんのお名前があったので、塩豆大福を用意してきたのだが、さては前回の独演会情報を使い回した際に起きたマチガイらしい。前治さんの名前はすぐに前助さんの間違いだと分かったのだが(さすがに現役のお医者さんは地方の落語会には来るまい。国立演芸場で独演会は開くけど)、5年前は伸治さんに快治さん(当時は束治さん)とお弟子さんを2人連れてきていたのでもしやと思ったのだ(確かにあの時は色物のひとが来ていなかったよな)。
さいわい、塩豆大福そのものはうめ吉さんや前助さんにも好評だったようで(師匠は甘いものは余り得意ではない。でも気を遣ってお土産は必ず口にしてくださる)、これで小松さんも浮かばれた。うめ吉さんに到ってはふたつ食べてくれたし。
いつもならじっくりと師匠のお話を聞かせてもらうのだが、楽屋を大暴れする悠都にすっかり手を焼く。
ソファで飛び跳ねるくらいならともかく、三味線のチューニングやお稽古をするうめ吉さんに狙いを定めて「遊びに行こう」とナンパするのだけはどうにかならんか(「で、何処に連れてってくれるの」「…うーん、かいしゃ」「えー、会社じゃない処がいいな」…オレもそう思う)。
確かに本物の日本髪を結った着物美人には悠都じゃなくたって、そうそう間近でお会い出来るものではない。
唄と三味線は今日初めて舞台を観させていただくとしても、まずは藤あや子もかくやという美人である。そりゃ公式サイトの掲示板が賑わう訳だ。悠都は幼児特権でうめ吉さんとツーショット写真(ホームページに載せる事は快諾いただく)。
何を隠そう、僕もお願いするつもりだったが、とうとう云いそびれて頼み損ねてしまう。何てダメな俺。
処で文治師匠が干支からうめ吉さんの実年齢を詮索しようとして、やんわりと逃げられていた(そりゃそうだ)。
そう云えば、師匠にJALでもらえる飛行機のミニブロックをいただいたのだが、ひょっとしてわざわざ悠都に?(あれは、基本的に子供しか貰えない)
とりあえず、仲入りをはさんで(今回、仲入りの意味合いも師匠に教えていただいた)前半(前助さん、師匠)を奥さん、後半(うめ吉さん、師匠)を僕が聞くという事で、交代で悠都の面倒をみる事にする。勿論、子供の面倒をみている間は楽屋に居座って、師匠たちと楽しいひとときを過ごすのである。ひどい夫婦もあったものだ。チケット2枚ぶんの値段でも充分お釣りがくるといっていい。
ていうか、普通はお金を積んでもこんなワガママ出来ません。
廊下の天井にあるスピーカーから舞台の様子は流れてくるので、楽屋にいても、おふたりの落語は楽しめると高を括っていたがさにあらず、楽屋内ではぼそぼそとしか声が届かず、廊下まで出て耳をそばだてないと何を話しているのかさっぱり分からない。とは云え、色紙を仕上げる合間に気を遣って色々話してくださる師匠を置き去りに前助さんの噺を聞く訳にもいかず、此処は師匠の楽屋噺に注力する。
今回ずっと懸案だった「噺家のかたち」にもサインしていただく。
「ご夫婦だから、『倉田さん江』でいいですね」
「ええ、もう何でもいいです」
て、それじゃ熊八だよ。
「一応、初版本です」と胸を張ったら、重版の際に細かい記述にかなり直しを入れたそうで、内容としての完成度は重版の方が高いとの事。
うーむ、これは第三版も買うべきか。で、今度はオレの個人名を入れていただくと(おいおい)。
いつも乍ら、師匠の噺はいつまで聞いても飽きる事がない。
色々と関係各位に差し障りがあったり(笑)、勿体無かったりするので話の仔細は省くが、師匠が興に乗ってくださった余り、旅行鞄から春の殊勲で勲四等旭日小綬章を受けた際の写真を取り出し、そのうち秘蔵写真鑑賞大会になる。
でも、さすがに時間が気になって「そろそろお着替えになった方が」と師匠に声をかけたのとほぼ同時に「武蔵名物 月の良い晩は」の出囃子が流れ始める。
「ありゃ!」と師匠。「勉強させてもらいました」と前助さんが、スタッフのおにいさんと共に走ってくる。
慌てて、黒の紋付袴に着替える師匠。「私も気がつかなくて」とうめ吉さんが恐縮していたが、どう考えてもいちばん悪いのは闖入者である僕ら父子である。しかし、其処は百戦錬磨の十代目・桂文治、「おかまいなく」で客の心を鷲掴みにしたあと、こんなことは珍しいんですが、この仲入りで皆さんにプレゼントする色紙を書いていたら衣装に着替えるの忘れちゃってと見事なフォローで会場を沸かせていた。全く、匠の技には頭が下がります。
師匠が何の噺を演るか気になり乍らも、元立川流一門でもある前助さんに、今回の立川流一門の前座全員破門騒動の顛末を聞く。今回、前助さんにこの話が聞きたくてうずうずしていたのである。唐沢さんの日記で折りに触れて書かれている話題なので、おぼろげ乍ら輪郭は見えていたのだが、やはりそうであったか(て、やっぱり此処じゃ書けないだろ)。端で見ているぶんには人として「得がたい」キャラも、身内に持つとなったら「得がたい」などと呑気な事は云っていられないというお話。どうやら与太郎が愛されるのも客席からだからこそらしい。
と、これだけ書けば、分かるひとには分かる。
「僕が初めて聞いた師匠の高座が『義眼』なんですよ。あれは短いし、落語会ではかけないんですよね」
「そうでもないですよ。演ると7分位の話ですけど、マクラが伸びたら地方でもよくかけていますよ」
「そうなんだ。じゃ今夜は『義眼』リクエストしちゃおうかなあ」
などと話していると、師匠のマクラは何処までも伸びて、結局そのまま「義眼」に雪崩れ込んでしまう(しくしく)。
客席で聞いていた奥さんは大喜びだったらしいが。
仲入りの最中に奥さんとバトンタッチ。後ろ髪引かれる想いで客席へ(笑)。
勿論抽選の色紙が当たるはずもなく(別にいいんだもーん)、楽屋モードが抜けきれぬまま、うめ吉さんの舞台を観る。
清廉な色香を匂わせつつ、都々逸に長崎ぶらぶら節に客席を沸かせる手腕は流石だ。九州での知名度などものともしない。思わず、先斗町の御茶屋で遊ぶというのはこういう感じなのかな、などと想像してしまう。やはり、本番前も稽古を欠かさない真摯な姿勢こそが(悠都をあやすために自動販売機にジュースを買いにきたら、通路で唄の練習をされていた。楽屋から追い出したのも僕ら一味である。誠に申し訳なかった)舞台に結実している事を思い知らされた。隣のおばさんが「あれ(三味線)、本当に弾いているのかしら」などとひどく失礼な事を云っていたが、TVサイズの演芸に馴れているとそういう感想を持ってしまうのも仕方ない事なのかもしれない。
トリの師匠は十八番「火焔太鼓」。
やっぱり最后は「太鼓」で来ましたね。あとは名人芸を心ゆくまで堪能(爆笑)する。
師匠、お願いですからお元気なうちにCD全集出してください。叶うならDVDで出してください。
「義眼」のマクラで師匠も仰っていたが、次回は5年后と云わず(云っちゃいけない)、是非5ヶ月周期で福岡においでくださいまし、と心から祈る夫婦なのであった。ウチが大富豪なら毎月でも師匠と一門ご一行をお呼びするんだが(って上京して寄席通いする方が早道だな)。
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