備忘の都 2002 November
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エリーゼのために / 横の物を縦にするひと / 反省
天神の夜は7時 / 浅川ロール / ゴキブリコンコンゲーム
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エリーゼのために
2002/11/11(Mo)
云わずと知れたポッキーの日にして、悠都の叔父ちゃんの誕生日。おめでとうございます。
今朝の「めざましテレビ」が教えてくれたこと2点。
1つ目、電話の待ち受けメロディーに「エリーゼのために」が多い(しかもオルゴールの音色)のは何故か?
(何しろ、本国ドイツでさえ、「エリーゼのために」を使ったりはしていない)
話はかつて、オルゴール付きの電話置き台でかの曲が定番だった事にまで遡る(つまり、日本オリジナルである)。
当時、寝る間もなく電話置き台を製作していた、電話置き台メーカー「田中実業(だったと思う)」の先代社長田中さん(62)が待ち受けメロディを選曲する際に、ブラスバンド部に所属していた学生時代、「エリーゼのために」が上手だった女の子への淡き思慕をどうも託した結果らしい。
物語は往々にして、かくも個人的な源流に辿り着くものである。
2つ目、「オス(押忍)」の挨拶の起源が、かつて日本海軍の間で交わされていた「おはようございます」が「おはよっす」→「おっす」と変化を遂げたらしいこと(元ネタはポール・マッカートニーが日本人向けに「オッス」と挨拶する理由から来ている)。確かに「うぃっす」とかも元を正せば「おはようございます」だよな。
するってェと「8時だョ!全員集合」で長さんは会場の子供たちに朝の挨拶(もしくはギョーカイ式挨拶)を強いていたワケか。
とは云え、「元気が足りない!」「まだまだっ!」と成程軍隊式であったな、などと妙な関心の仕方をしたり。
今日もふたつ賢くなりました。
話は唐突に変わるが、「ワンダフルライフ」のDVD発売が2003年3月に確定する。実にめでたい。
これは先月の「ビリィ・ザ・キッドの新しい夜明け」DVD化に続く快挙である。あとは「独立少年合唱団」の吉報を待つのみか。
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横の物を縦にするひと
2002/11/19(Tu)
会社帰りに、ベスト電器で21日発売(という事は明日フライング発売)のCD「初めての特撮 BEST Vol-1」(分かりにくいが大槻ケンヂ率いるバンドの「特撮」である)を予約した時の事。
カウンターにはいたのは新顔のおねーさん(推定22〜23歳)で、特撮がバンド名だとすぐに理解してもらえないのはいつもの事(これは大槻ケンヂのせいだからしかたない)なので、ここまではまあいい。
「こちらにお名前と連絡先をお願いします」と予約カード(横書き仕様)を差し出されたので、ついでにアーティスト名と作品名を書こうとすると、「其処は自分が書き込みます」とすまなそうに頭を下げられた。「あーはいはい」と手渡すと、気遣いのひとらしく、予約カードを半端に手許に引き寄せ、つまりこちらに半分見えるように横長・横書きのカードを縦にしたまま、小器用に90度反転状態で「特撮」と書き込んでおられる。
「そちらに向けて書かれて結構ですよ」と話し掛けると、彼女は赤くなってこうのたまった。
「あのう、すみません、私、こうやってじゃないと書けないんですよ」
最近、縦書きすると、文字そのものが横書きよりうんと下手くそになってしまう若者が多いと聞くが(若者ではない僕もそうだ)、まさか紙を90度反転させて縦書き仕様にしないと横書きが出来ないひとがいようとは。字句通り受け取れば、まさにオリバー・サックス先生の領域である。
根掘り葉掘り訊ねるのは失礼なので、彼女にそれ以上は追及はしなかったが、僕じゃなくても気になるでしょ?気になるよね?
(此処は決して「うるさい客だから」適当にあしらわれたのではないと思いたい)
ああ、何だか次回以降、彼女がカウンターにいる時を狙って注文してしまいそうな気がする。
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反省
2002/11/20(We)
夕食後、テレビを観ていると、不意に背中で悠都が僕に訊ねた。
「パパ、はると、キライ?」
振り返るとこちらをじっと見つめるつぶらな瞳に、胸を突かれたが、
「そんなことないよ。悠都は、パパが悠都をキライな方がいいのか」
「ううん」
「悠都をスキな方がいいんだろ」
「うん」
「パパは悠都がスキだよ」
「うん」
心当たりはなくもない。
一昨日だか彼が余り云う事を聞かないので「もう悠都なんかキライだよ」と云って、膝から乱暴に降ろした事があった。続けて昨日の夜は悠都が「パパと風呂に入る」と云ったのを「ママと入れ」と突き放した。後者は、単に僕が面倒臭がっただけなのだが、彼の中ではふたつがひとつにつながったのではないか。今夜、奥さんが「誰とお風呂に入る?」と訊ねた時にいつもなら「ママ」か「パパ」と答える処を「イヤ」としか返事をしなかったのも、ひょっとするとそれが原因なのかもしれない。そのあとは安心したように一緒に「HR」を観て、終わると程なく眠ってしまった(彼は父親同様「HR」が好きなようで、この頃よく奥田民夫の「まんをじして」を口ずさんでいる)。
まだ保育園にも行かないような幼児にとって、彼の世界はほぼ家族だけで占められている。
そして世界の狭さ故、彼は無防備に家族のコトバを受け止める。
コトバの背景ではなく、聞いたコトバが全てなのだ。
愛している空気を感じていても、「愛していない」というコトバはいとも容易く彼を打ちのめしたようだ。
2歳児に「自分をキライか?」などと訊ねさせる父親は父親失格である。
2歳児などというものは、自信を持って親に愛されていなければならない。
カン違いも含めて疑う隙など1ミクロンぽっちもあってはならない、それは僕ら夫婦の責任である。
洟でかさかさになった息子の寝顔を撫で乍ら、暫しうなだれた夜であった。
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天神の夜は7時
2002/11/23(Sa)
勤労感謝の日だが、3連休にならないあたり、勤労を感謝しているとは思いがたい。
妻子を誘って福岡に出て、映画を3本。
ちなみに映画のタマシイの筆を折って1年余経つが、どうにかほぼ10本/一ヶ月のペースを堅持している。
今月はこれまでに「たそがれ清兵衛」「OUT」「TRICK 劇場版」「千年女優」「ゴスフォード・パーク」「tokyo.sora」「歌え!フィッシャーマン」「恋に唄えば」の8本を観たから、久々の10本超である(ちょっと嬉しい)。最近怠け癖が祟って観たら観っ放しで記録も何も取っていないので、今年など正確な観賞本数すら押さえていない(僕は月単位でしか記憶保持出来ない男なので、月が変わった途端、仮に先月であっても具体的に何を観たか分からなくなる)。感想はともかく、せめていつ何を観たかくらいは此処にメモしておくべきですね。
買い物する妻子と別れ、まずはKBCシネマで大地震後の被災地で暮らす人びとを描く「明日、陽はふたたび(2001・伊)」。
10分刻みでシネテリエ天神に移って、誠にファッキンな「TAMALA 2010/a punk cat in space(2002・日)」。
100円バスでキャナルシティまで移動して、ニコール・キッドマンのユーモアサスペンス(と書くと赤川次郎のようだが、全く違う)「バースデイ・ガール(2002・米)」。
更に100円バスを乗り継いで、博多駅脇のバスビル「ふきや」で「野菜」の「かぶり」を2つ買って再び天神へ戻り、妻子と落ち合って帰宅。
朝から映画を3本ハシゴすると、大体とっぷりと日が暮れて、お金を7〜8000円使っている勘定になる。
ひとり福岡で且つ、元気があればこの後レイトショウを観て、それでも日に4本。近頃はひとり福岡だろうと映画を3本も観ると素直におうちに帰りたくなる(そもそも福岡でレイトショウを観るのが稀になった)。夜が来ると、父親の帰宅を待つ子供の顔が散らつくようになったのは大きい。それもあと10年あるかないかの事だとは思うが。
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浅川ロール
2002/11/24(Su)
昨夜、会社では計算機更新作業があった筈なので(22時切替)、関連障害でいつ電話がかかってくるかとどきどきしていたのだが、結局何の連絡もなかった(勿論、たいそう結構なことである)。中途半端に緊張していたせいか、朝方ヘンな夢を大量に見てくたびれたの何の(中島哲也が撮った「サッポロビール黒ラベル(トヨエツ&山崎努Ver.のヤツ)」のCMのハイスピード撮影の映像で、服部隆之と羽田健太郎という二大作曲家がレコーディング・ブースでピアノを弾き乍ら水芸──というかピアノを弾きつつ全身で色んな楽器を演奏していく──を披露する映像を延々見せられるという……どうやら「音楽家がオーケストレーションする作業とはかくも神業なのである」という批評精神をこめているらしい(何処がだよ)……と何だか説明するのも莫迦々々しい)。
昨日せわしなかったぶん、午前中だらだらと過ごす。
午後は高須で給油した後、「カフェ・ド・シュー(元「オーロラ」)」で浅川ロールのバニラ(元陽だまりロール)を買って、コムシティのBEST電器で予約してあった「アザーズ(2001・米仏スペイン)」と「濱マイク(6)〜(8)」のDVDを受け取り(これってひょっとしてオトナ買い?)、ついでに山下達郎「レアリティーズ」を購入后、地下ですき焼きの材料を買って、悠都が贔屓にしている韓国食材店でチヂミ(彼はピザと云って譲らない)を食べて帰宅すれば、程なく「笑点」の時間になる。木久蔵師匠の、珍しく駄洒落と物真似に逃げない冴えた回答(但し、自虐ネタ)を聞く。尤もそれ以外は全部駄洒落オチだったが。
夕飯はすき焼き。実は先の日曜もすき焼きだったのだが、やはり冬は鍋に限る。月並みですが。
食後のデザートは「カフェ・ド・シュー」の浅川ロール。
これだけ食べても、ファミレス外食一人分強のお値段で済む、と奥さん。ま、そうだね。
悠都が寝付いたあと、そろそろと突付かれていた来年の年賀状の素材用のイラスト描き。
奥さんからの課題は「悠都を描け」とそれだけだが、似顔絵に終始すると弾けた絵が描けないし、デフォルメしすぎると誰だか分からなくなるので、此処数年はその舵取りで苦労している。来年の干支は未(ひつじ)なのと、悠都が無類の月好きなので、映画「月のひつじ(2000・豪)」の舞台となったパークス天文台のサイトから背景用に適当な素材を探す。分かるひとには分かるけど、分からないひとにはさっぱり分からない年賀状になりそうだが、いつになく綺麗な賀状になりそうである。
イラストと写真と素材は揃えたので、あとはレイアウトとキャッチコピー(何だそれは)を考えるのみ。
ひとまず奥さんからのレイアウト提示を待つか。
肩の荷がひとつ下りたのを幸いに、宮脇修一「造形集団 海洋堂の発想」(光文社新書)を読む。
面白い。館長と専務の歩んできた道は、「やりたい事だけをやりたいようにやる」その破天荒さ加減が、漢(おとこ)にとっては或る種、理想的な生き方なのだけれど、故に、生活の安定がどーのこーのと云ってると決して選べない人生でもある(つまり彼らの奥さんもまた漢(おとこ)で無ければ、共に歩いてなどいられない)。僕など凡人はせいぜい傍から見て、「いいな、こういう人生も」と羨むぐらいで留めておくに限る。
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ゴキブリコンコンゲーム
2002/11/26(Tu)
唐沢さんのページで、風俗嬢作家、菜摘ひかる死去の報を知ってオドロく。
著書には関心無かったものの、彼女の日記はリアルタイムで愛読していたので、愕然とする(このサイトが縁で、質量的に風俗嬢の日記サイトが充実している事を知った、と云ってもいい)。本格的な作家活動に伴って、彼女の日記自体は閉鎖されてもう1〜2年経つが、享年29歳はまだ全然若い。誰か、詳細情報求む。
そう云えば、サンダー杉山も亡くなったそうで。このひとは享年62歳。
糖尿病を患い、両足と右手を失っていたが、実業家として年商35億もの稼ぎがあったというからオドロキだ。
当然、僕が彼のレスラー現役時代を知る筈も無く、頭の中にいっとう最初にインプットされたのは、体操のおにいさん・歌のおねえさんが峰・海老名夫妻の時代(怪獣おじさんは何処へ行ってしまったのか?)の日テレ「おはよう!こどもショー」で囚人やゴキブリの扮装をして出て来た「サンダーおじさん」としてなのだが、なにぶん幼稚園から小学校低学年の頃の記憶なので、ところどころウソが混じっているかもしれない。
ああ、ひょっとするとみどりちゃんじゃなくて、まみちゃんの時代だったかなあ。ま、いいか。
そのあとは「刑事物語4 くろしおの詩(1985)」でヤクザの大親分(大友柳太朗)のボディーガードをやっているのに出くわしたくらいですか(余談だが、あの映画には敵役としてガッツ石松と、当時まださほどメジャーではなかった大仁田厚が出ていた。大仁田は撮影時期が近かった「幕末青春グラフィティー坂本竜馬(1986)」にも奇兵隊の隊士としてちらりと出演しているのだが、それはまた別の話)。
思えば、恫喝の似合わない、ほこほことした体型の人の良さが滲み出た顔をしたひとだった。合掌。
夜帰宅すると、悠都のテンションの高さについていけない。父よ、ワタシもこうだったのか?
昨夜、寝入った後に帰宅した上、朝寝坊して丸一日父親と顔を合わせていないからだが、それにしても五月蝿いし、肉体的にも痛かったりする。
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