Diary 備忘の都 2003 April

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天罰わたしのグランパ
抱かれたい男、八木田さん「命短し、恋せよ乙女」論妻の男っ振り
ジニ vs 伽椰子ビフテキ日和ほんとうの備忘録


 天罰  2002/4/2(Fr)


昨日、子供と妻に続いて僕自身も胸がひどくムカついて立っていられなくなったので午後から早退、撃沈。
夕方から熱が出て、37度ちょいと微熱乍ら、熱に打たれ弱い僕は一晩中まんじりとも出来ず。
「拾い食いでもしたんじゃねーの」などと妻子を貶めるような事を書いた天罰かもしれない。
もうしません。僕が悪うございました。うえーん。

熱自体は下がったし、外せない会議があったので、家人に「バカじゃないの」と罵られつつ本日も出社。
皆からは口々に「休むと思ったのに」と云われ、本調子じゃないまま(口の中がずっとカラカラだった)、会議と雑務をこなし、定時に退社。

ベスト電器から「ワンダフルライフ(1999)」のDVDが届いたと連絡があったので(5日遅れ)、引き取って帰る。
それにしても30の坂を越えてから、快復力が格段に落ちた。しみじみ若くない事を思い知る。


 わたしのグランパ  2003/4/5(Su)


昨日の雨が嘘のような青空。盛りを過ぎた葉桜が少し勿体無いような週末。
午前中は妻子と分かれ、福岡東映にて「わたしのグランパ(2003・日)」の初日初回観。

福岡東映で映画観るのは何度目だろう。望月六郎の「弱虫(チンピラ)(2000・日)」以来だから丁度3年前になる。
「弱虫」の時にも書いた気がするが、此処は中州風俗街のど真ん中だから、ポン引きを振り払うのが煩わしいので、余程の事がない限り、訪れない。今回、本作は福岡では此処と小倉東映でしか上映しないから覚悟を決めて顔を出した。案の定、朝の10時過ぎだと云うのに、約1名やたらしつこいおにーさんに纏わりつかれる(劇場自体はこぎれいになったうえ、若いスタッフがメインの別天地に変わっていた)。

傑作。キャスティングが成功しさえすれば映画の殆どが成功する、を体現したような作品。
菅原文太と石原さとみを得たからこそ、何処に出しても恥ずかしくない映画になったのだと、億面なく云ってしまおう。
これは菅原文太という役者の蓄積を遺憾なく発揮させ、石原さとみという役者の可能性を遺憾なく引き出した、世にも稀な「しあわせ」な映画である。浅野忠信の内に秘めた不穏、波乃久里子・平田満・宮崎美子のよそよそしくも自然体な家族系アンサンブルと伊武雅刀・嶋田久作・光石研の人間味溢れる暗黒系アンサンブルがそれぞれかっちり噛み合った瞬間の映画的カタルシス。しみじみ映画というヤツはキャスティングなのだなあ、と改めて感じ入った次第。
これはオススメですよ、あなた。

東陽一監督の映画を劇場で観るのは、「絵の中のぼくの村(1996)」からこっち、「ボクの、おじさん(2000)」とこれが3本目。3部作のように思ってしまうのは僕だけか。三作に共通する「或る種の」自然回帰・田舎嗜好的な成長物語と、「絵の中の…」の三婆、「ボクの…」の宇崎竜童のホームレスに引続き、本作ではついに主役のふたりが請け負ってしまった超自然なるもの(ただ、石原さとみのアレは多少唐突すぎないか。お叱りを覚悟で云わせてもらえば、蛇足でさえある気がする)。更に更に妄想度を上げて、うがった見方を許してもらえば「ボクの…」の「川を渡る行為(成長)」あっての、「わたしの…」の「川を渡れない行為(幕引き)」であるような気がするのだが、どうか。

古稀を迎えた東監督にはあと3〜4作は、こんな元気な映画を作っていってもらいたいもの。
資金集めの事情もあってか、映画づくりが4年周期になっているのが、何とも歯がゆい処ではあるのだが。

ファミレスで遅めの昼食後、荒江の父母宅へ。孫の3歳を祝う午後。
ハハを乗せて、4人で百道の「トイザらス」で悠都に自転車を買ってもらった後、夕食どきまでだらだら過ごす。病気してから、身体の不自由さも手伝って持久力が萎えている筈の親父が、悠都相手に長いこと、しかも嬉々とミニカーのキャッチボールをやっているのに、ハハが驚いて(呆れて)いた。ま、古女房と孫じゃ自ずと打ち込み方が違うわな。
親父のリハビリになる上に、グランパと孫の絆も深まるという一石二鳥なたわむれセラピー。
こういうのどかな風景を見ると、もうちょっと繁く顔出さなきゃいかんな、などとその場限りでは強く思うものの、すぐに喉元過ぎて熱さ忘れる不肖の息子なので、また早晩親父を淋しがらせるに相違ない。

すき焼きをつついて、22時前に帰宅。


 抱かれたい男、八木田さん  2002/4/12(Sa)その1


キャナルシティ〜博多駅間で映画三昧の一日。
まずはキャナルで妻子と別れ、本日初日の「星に願いを。(2002・日)」

函館オールロケ作品。監督は「非・バランス(2001)」「ごめん(2002)」の冨樫森。
2作とも単館系・低予算乍らきらりと光る良作揃いで、大して予算が増えているとも思えないが、竹内結子・吉沢悠が主演を務めるという事で、公開規模含め、今まででいちばん大きな映画なので、期待と不安が入り混じったまま席についた。実を云えば、僕の頭には「黄泉がえり(2003)」における塩田明彦の仕事振りがあった。僕にとって塩田さんのあの作品はいいじゃん半分、がっくし半分の仕上がりだったので。

結論から云うと、不安は杞憂だった。なかなかの快作じゃないんでしょうか。
図らずも、「黄泉がえり」同様、ヒロイン竹内結子が、死が分かつ運命に引き裂かれる恋人を演じている(「黄泉がえり」が先に逝く側なのに対して、「星に願いを。」では残される側に扮しているという違いはある)が、物語にいい意味での抑制が効いている。登場人物が絞り込まれ、且つ各キャラクターへの愛が感じられるので、観ていて気持ちが良い(中村麻美がいい、梅沢昌代がいい、市電の運転手役の森羅万象が、何しろバイプレイヤーに徹した牧瀬里穂がいい。そりゃ高橋和也は恋愛を勝ち取る為にダークサイドを除かせるが、医師としての誠実さがそれを救っている)。物語自体新味のない設定だし、電車のアナウンスで全てを済ませるチープさも人によっては気に障るだろうが、観る側に死者のルールと制約が理解出来ればアレはアレでいいんです。死んで以降の天見笙吾の青さと思慮の浅さも物語の展開上、説得力がある。

けれど特筆したいのは、この物語に彩りと深みを添えた、笙吾の行きつけの喫茶店のマスター霧島を演じた八木田さん、もとい國村隼である。僕が女だったら抱かれてもいい位かっこいい(おいおい)。彼は冨樫監督の前作「ごめん」でも、初恋に悩む主人公の父親(お寺の住職)として出演している。映画のラスト近く、ふたりきりになった河原で、女心が分からないと打ち明ける息子に、「オレが女だったらおまえの事絶対にスキになるんだけどな」と慰めて、息子に気持ち悪がられる場面は、ピンポイント出演乍ら、子を持つ父親の目からは白眉のシーンである。本作では笙吾の数少ない友人というか保護者的存在として要所要所で美味しい処をさらっていく。死んだ友達の心のうちを暴いてほしくないと、ゴースト笙吾の下腹に一発いれるくだりは、まじで嬌声をあげそうになります。いや、八木田さん、あんた、オトコだよ(って、霧島さんなんだよ)。

しかし、竹内結子って若さの割に老練だよなとしみじみ思う。
いや、これは決して褒めて云っている。

この項、続く。


 「命短し、恋せよ乙女」論  2002/4/12(Sa)その2


山崎拓を伴った自称トトロ現知事の選挙演説を横目に、徒歩にて博多駅に移動して、その足で「blue (2001・日)」

先々週の「ラヴァーズ・キス(2002)」に続く市川実日子主演作。
偶然だとは思うが、「ラヴァーズ・キス」同様、クラスメイトの遠藤(小西真奈美)に恋する女子高生桐島役(映画では彼女たちは互いを苗字の呼び捨てで呼び合う)。ふたりとも実年齢は20代半ば。セーラー服着て誤魔化せるギリギリの線じゃないか。先の竹内結子もそうだが、製作者の側でも、ある女優さんに抱くイメージ(空気感)や解釈なんてのは案外似通ってるものなのかも。そいで、演らせたいタイミングも重なるから、「せーの」で、死に別れの恋人だの、同性に思いを抱く女子高生だの、同んなじようなオファーが押し寄せるんじゃないか。彼女たちに関して云えば、いずれの作品も一定以上の水準作ばかりなので、悪くないキャリアを積んでいるとは思う。

それはそうと市川実日子である。「実日子」と書いて「みかこ」と読む。
これまた強烈な個性の持ち主である市川実和子の2歳違いの妹だが、この姉妹には、ふたりして強い目力(めぢから)がある。桐島かれん・のえる姉妹以来(いずれの姉妹も背高、手足長なモデル体型だし)、いやメジャー度から云えば空前の目力かもしれず。とりわけ妹・実日子の瞳まわりの力強さと来たら、金子國義の描いた少年・少女の放つ眼光にさえ立ち向かえるんじゃないか。加えて、あの凛々しくもすがしい眉根に宿る意志の強さには圧倒されるばかりだ。彼らに男装させて、長野まゆみの小説をドラマ化したら面白そうだなと妄想したり。

「blue」「ラヴァーズ・キス」に共通するのは、彼女の恋愛に対する誠実さの純度の高さだ。口にすると気恥ずかしい「無償の愛」というヤツを、市川実日子はその目力とぶっきらぼうさだけでいともたやすく体現する。遠藤とのキスシーンに官能がない訳じゃないが、生々しさを感じさせないのは、彼女がまだオトナとして出来上がっていないからだろう(これは最高の褒め言葉のつもり)。

これは「コンセント(2001)」で「体当たり演技」した姉の実和子にも感じた事だが、生々しくない、というリアリティは確かにある。たとえば、腕をもいでも、血飛沫の代わりにウレタン屑が出てくるんじゃないか、みたいな。「命短し、恋せよ乙女」の「命短し」とはつまり、少年のような少女のようなこの生々しさのないリアルに、徐々に血肉がついて、性別の不確かなネオテニーの時代と決別して、何処から見ても匂い立つような女性性に落ち着く事ではないかと勝手に解釈している。魔法が解けた、と云ってもいい。

フツウの女になることを選べなかった、永遠の「命短し、恋せよ乙女(別名・フシギちゃん)」というのが、実は戸川純や水森亜土なのではないかと踏んでいる。つまり、おしなべて「命短し、恋せよ乙女」は、ネオテニー限界を超えた分水嶺にて、真っ当だがフツウの女で終わるか、魂の純度は高いけどファム・ファタル(妖怪とか怪物とも云う)と化してしまうかという究極の選択を迫られる訳ですね。で、あっさり魔法が解けてフツウの女に戻ってしまったのが、たとえば相原勇とか、篠原ともえなのではないか(でも、個人のしあわせとしてはやっぱりフツウの女に戻るべきなんだよね)。

という意味において(うわあ、各方面からすっごく叩かれそう…)、市川姉妹は紛れもなく今が旬の「命短し、恋せよ乙女」である。で、本作は今が旬、且つ極上の「命短し、恋せよ乙女」が放つ、人生のある瞬間にしか許されていないチェレンコフ光を目のあたりに出来る映画だと思えばいい(其処には当然、安藤尋監督の作為が介在する)。後の人生で二度と繰り返される事のない美しい青が焼き付けられているからこそ、この映画は観る価値がある。出来れば、これを読んだひとにも目一杯「生々しくないリアル」を堪能していただきたい。
──今回はちと独りよがりが過ぎた(笑)。

そう云えば、この映画、オトナは学校の先生しか出てこない(演じるは、お久しぶりの河原崎建三に吉田朝)。あ、あと、遠藤の彼氏(村上淳)がいたな。主人公のふたりともに親の気配は感じられるのだが、決して姿を見せる事はない。彼らにとってごく近しいオトナを排除する事で(桐島の弟は出てくる)、「命短し、恋せよ乙女」たちの小さくて傷つきやすくて居心地のいい世界を切り取ってみせたのか。

ふきやで野菜のかぶりをふたつ作ってもらって、再びてくてくとキャナルに移動する。

この項、もひとつ続く。


 妻の男っ振り  2002/4/12(Sa)その3


キャナルに取って返して、松方弘樹監督「OKITE やくざの詩 (2003・日)」
大きな声では云えないが、実は本日のメインプログラム。
めずらしくも映画かわら版の酷評と意見が一致する。成程、こりゃあひどい。

優れた役者が必ずしも優れた映画を撮れない事は、僕の決して豊富とは云えない映画観賞史の中だけでも、優れた役者である上に優れたミュージシャンでもある長渕剛が「ウォータームーン(1989)」で身体を張って実証している(あの作品の監督クレジットは名匠工藤栄一だが、最后は「おまえの好きなようにしていい」というかたちで『匙を投げた』ので、事実上、長渕監督作品であると僕は見なす)。で、またそういう作品に限って役者勢(松坂慶子とか小林稔侍に故・垂水悟郎。成田三樹夫に到っては殆ど遺作の筈である)が善戦しているから泣けてくる。
かつて熊本映画祭に招かれた名カメラマン仙元誠三が、くだんの映画の件を問われ、「いやあ、アレの事は何も聞かないでください。ホントに大変だったんですから」と苦渋まじりに云い澱んだのが、つい昨日のことのように思い出される(きっとホントに大変だったんだよ)。そして何の因果か、この「OKITE」の撮影も仙元さんが務めた。役者としての松方さんへのリスペクトもあるだろうし、仙元さんの心中察するに余りあるというか。

監督のインタビュー記事を読むと、監督としてのプランや野心や闘魂はびしばし伝わってくるが、出来上がった映画はカルト映画への道すら閉ざされた、一俳優の手習いの域を出ないシロモノだと思う。役者、スタッフとも折角一流どころを揃えたのに、娯楽ではなく、道楽作品になっている処が何とも。一本目は松方の名前による集客力とビデオとでペイはしても、これで次回作に8億円の時代劇を撮らせる程、東映も豪気ではないと思うのだがどうか(思うに2作目はVシネ監督に格下げになると見た)。

監督の目指した「スタイリッシュなヤクザ映画」というのが、冒頭の加藤雅也と大河内奈々子の停電したエレベーターの略奪接吻だったり(うー、最悪のシチュエーション)、露悪趣味などアップだったり、吉川のヨーヨーだったり、クライマックスの寺島信二プロデュースによるトラップ屋敷から「vs吉川晃司」に到るカラフル布迷宮での分身の術(市川雷蔵の「眠狂四郎」シリーズに似たような絵づくりがあった気がする)にあるのだとしたら、40年前に鈴木清順が撮った「東京流れ者(1966)」の放った先鋭性、前衛性の周囲10mにすら遠く及ばない。吉川の死にざまはちょっとカルト方面入ってるし、そのこだわりは分かるのだが(分かるだけで決して好きではない)、最后に加藤と大河内の大団円がそれら全てを台無しにする。噴水を使うあたりが誠に噴飯である。

先の「ウォータームーン」の例に漏れず、この映画も俳優たちの奮闘が痛々しい。ああ、折角の小沢仁志や遠藤憲一や六平直政の熱演が、アドリブ効かした長門裕之の甘党演技が、仕出し扱いのホームレス役乍ら榎木兵衛のさすがの存在感が、そして哀川翔の背中に施したタトゥー絵師の労力が実に勿体無い。
女優陣(大河内奈々子、鈴木砂羽、中島宏海)は全て、漢(ヤクザ)に魅せられた、不幸な境遇で情は深いが肉欲に溺れがちな絶滅種の型にはめられ(おじさん、おじさん)、その描き方含め、スタイリッシュやライトから極北の位置に置かれた。同じホンを三池崇史が撮ったらどうブラッシュアップされただろう、などと妄想するも詮無し。

これだけ日記でネタにすれば、どうにか元はとれたか。
きっと現場はいいムードで、「皆んなの兄貴」松方さんはスタッフ・キャスト全員に慕われて、本作も松方組が一丸となって作ったと思うんだけど、それはそれ、出来は出来。手段を選ばない合田連合の親分(長門裕之)が幾ら諸手をあげて、「日下組だけが本物のヤクザだ」などと白々しく持ち上げた処で、僕らの胸に漢(オトコ)ってヤツは響いてきません。
そう云えば「ウォータームーン」もあたりまえの男に逢いたい映画でした。

深い嘆息まじりに映画が終わったのが19時前。
妻に電話すると、「親父んちでお寿司ごちそうになっている」と云うので、迎えに行ったついでに相伴に預かってから22時帰宅。妻は博多駅裏のヨドバシカメラで組立式のパソコン卓を購入後、その足で親父んちまで持ち運び、一気に組み立てたそうで(一足早い母の日のプレゼントなのだそうだ)、明日の朝は身体がバラバラになる予定らしい。おお、「OKITE」のヤクザたちより妻の方が余程漢(オトコ)っ振りが良いではないか。


 ジニ vs 伽椰子  2002/4/26(Sa)


朝はマターリと息子の相手をして、午後から中間で「ボイス THE PHONE(2002・韓)」「呪怨(2002・日)」と、世間でもコワいと評判のアジアンホラーを2本ハシゴする。その筋の好事魔がレンタルビデオでまとめて借りてくるようなラインナップを、特にホラーマニアでもない自分(どちらかと云えば怖がりな方である)が劇場で立て続けに観るというのも何だかだが、昨日、会社でホラー映画好きのN嶋さんに今ならあの2作をハシゴできますね、などと思いつきで云ったら、自らホラー縛りで作品をチョイスしてしまったというか。

まずは、CM差し替えも話題の「ボイス THE PHONE(2002・韓)」
冒頭、青地に白のシンデレラ城が出てきてびっくりする(意匠の下のハングルのロゴに超違和感)。
まさかディズニー配給とは。

ありていに云えば、携帯電話版「リング」なのだが、「リング(1998)」や「回路(2001)」の恐怖がビデオテープやインターネットというツールを媒介に世界の外側に向けて増殖していくのに対して、「ボイス」はその因縁となった由緒正しき因業痴話ゲンカへこぢんまりと帰結していく。やはり災禍を被るのが特定の電話番号の持ち主だけという設定ではどうしても話が広げられない。いずれ、不幸のチェーンメールみたいな、不特定多数の無関係な人へ飛び火する増殖性の高いツールを扱ったホラー映画が生まれるに相違ない。三池崇史の新作「着信アリ」はどうか。

結論から云えば、予告篇で美味しい処を流し過ぎましたね、という印象。やはりこの手の映画は出来るだけ事前情報を持たずに、銀幕に向かうのが正しい。予告篇を観てわざわざ来るひとにはちょっと期待はずれかもしれない。ヨンジュを演じた6歳の天才子役ウン・ソウは素のルックスこみで確かに怖いが、「怖い」の意味が違うし。

それにしてもウン・ソウ(でまた肖像画がいい味出してる)を除くと、主演のハ・ジウォン、ヨンジュの母親役キム・ユミを始め、「ボイス」版貞子であるジニ(チェ・ジヨン)も含めて見事に美女もしくは美少女しか出てこない映画である(その昔「八月のクリスマス(1998)」を観た時にも同じ感想を持った。何故か町中、美女だらけなのだ)。韓国はそんなに掃いて捨てる程美女がいるのか。かの国ではプチ整形は身だしなみの範疇と聞くが、皆が皆プチ整形美人とも思えないし。
時折、非常に心臓に悪いショッカー映画(鏡ネタは反則です)なのは事実だが、いや、眼福でした。

次がビデオ版2作の出来が映画化・ハリウッド進出にまで寄与した「呪怨(2002・日)」
中学生らしい女の子につきあって、明らかにこの映画には場違いな70半ばのおばあちゃんが入ってきたので、心臓麻痺を起こすのではとマジで心配する。まさか「観ない方がいいです」と止めには入る訳にもいかないし。
かと思えば、映画が始まって10分後頃から、気持ち良さそうなおじさんの寝息が館内を流れるし。恐怖から来るストレスにカタレプシーに陥ったか。清水崇の演出は完璧だったと思うけどなあ…。

「ボイス」がそもそも事件の源流となった顛末が明らかになる事で、結果的に得体の知れない処から立ち現れる恐怖が軽減されるのとは対照的に、「呪怨」はまず一連の恐怖に連なる源流となるべき最初のエピソードを紹介し、あとは理屈など問答無用、パルプ・フィクションの手法で時系列を解体し、これでもかとばかり、さまざまな恐怖の見本市を形成する。物語自身が怖いのではなく、エピソード毎の断片や絵づくりそのものが怖いのである。ややもすれば絵ヅラとしてはむしろ滑稽なシチュエーションを、伊藤潤二的過剰な演出で激烈な恐怖に転じさせる。因果応報だとか、勧善懲悪だとか、およそどんなかたちででも観客のカタルシスを立ち入らせる隙がない。時と場所と相手を選ばず、伽椰子・俊雄母子は分け隔てなく惜しみなく恐怖を与え給える。
ただラストシーンの宿業連鎖というか、カルマ循環のくだりは奥菜恵では役不足だったかもしれない。やはり、此処は三輪ひとみあたりの達者(捨て身)な女優さんに容赦なく白目向いてヤッて欲しかったというか。

処で伽椰子の最后のアレは、やはりリンダ・ブレアのアレなんですかね(極めて伊藤潤二的だし)。
「リング」の貞子、「回路」の幽霊、そして本作の伽椰子(ビデオ版に引き続き藤貴子)と、大駱駝鑑的な暗黒舞踏で迫ってくる、滑稽さ故の底知れぬ不気味さだが、思えば「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間(1969)」の土方巽(ってアレは人間ですが)を以ってその嚆矢とするのかもしれない。

それにしても、奥菜恵と伊東美咲の寝室ネタ2題は後世に残るコワさですね。
本当は怖いくせに蒲団かぶってまでしてビデオで観るようなひとにはとてもオススメ出来ません。

「化粧師」でエキセントリックな刑事を演じた井上博一が本作でも老刑事を好演。一応ピックアップしとく。

本当は3本観るつもりだったが、しんどくなって21時には帰還。子供がヨロコぶ。


 ビフテキ日和  2002/4/27(Su)


結婚記念日。これで丸6年。油断していたらもう「七年目の浮気」に突入か。
尤も、社宅にマリリンのような色っぽい年増は住んでいないので、スリルもクソもない。

朝(というか昨夜の夜半)から喉が痛く、洟が止まらない。数日遅れで悠都の風邪の症状に襲われたらしい。
無理せず、泉麻人「僕の昭和歌謡曲史」(講談社文庫)を読みつつ、適度に子供を構い乍ら、日がなごろごろする。
お昼に妻の手づくりピザをいただいたあと、さすがに午後から子供を伴って、「パティスリー・ヒロ」に結婚記念日用のケーキを買いに行く。こないだ初めて牛皮ファルシー系のケーキとブランマンジェを試した処、夫婦共に我が家のお眼鏡に叶ったので、ホールケーキ(季節のフルーツをたわわにトッピング)を愉しむ事にした。一応、キャンドルを6本つけてもらう。

体調は思わしくないものの、最近肉を食べていないので、今夜はビフテキ(死語)を食べたいと駄々をこねてみる。
という訳で、黒崎の洋食屋「GABBEH(ガベ)」のディナーコースを試す事にする。
いつもの悠都お気に入りの厨房かぶりつきの席(家族して本当にオープンキッチンが好きなのである)を陣取って、妻はタンシチュー(2800円)、僕は初心貫徹でビフテキ(3500円)。

特筆すべきは前菜の「海老と春野菜のソテー、パプリカ風味」。前菜に相応しくサラダ仕立てな一皿。
新たけのこの唸りたくなる軟らかさと、昔「KIHACHI」で食べたワタリガニの香味焼きに似たパプリカの味つけは、思わずおかわりしたくなる旨さ。続けて出たオニオングラタンスープの、味が立派に証明している手間隙のかけ具合と、腹6分目くらいの食べ終わった後の渇望具合がまた良かったり。

月並みの感想で申し訳ないが、お肉(ミディアム)はボリュームがあって、軟らかくて旨かった。「ああ、しあわせ」とはこの事である(妻は妻でタンシチューの軟らかさに悲鳴をあげていた)。デザートの苺のムースの盛り付け、味まで文句のつけようがない(ちなみに、コースの食後に紅茶を頼んだ場合、更にアールグレイとダージリンから選ぶ事が出来る)。スタッフは全員フレンドリーだし、やかましい悠都へもあたたかい眼差しで対応してくれるし、誠に充分すぎる3500円である。

夕食には十二分に満足したが、体調は今イチだったので、おとなしく帰って寝る。
パティスリー・ヒロのケーキは明日のおめざに。折角だから万全の体調で食べたいじゃない。


 ほんとうの備忘録  2002/4/30(Th)


さて今月観た映画は以下の12本。先月末あたりから邦画度数が異常に高い。殆ど7割ある。
(連番は今年に入ってからの通算)

 32.「わたしのグランパ(2003・日)」4/5(Sa)
 33.「星に願いを。(2002・日)」4/12(Sa)
 34.「blue(2001・日)」4/12(Sa)
 35.「OKITE やくざの詩(2003・日)」4/12(Sa)
 36.「リベリオン EQUILIBRIUM (2002・米)」4/13(Su)
 37.「映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ 栄光のヤキニクロード (2003・日)」4/19(Sa)
 38.「ヘヴン HEAVEN (2002・米独英仏)」4/19(Sa)
 39.「曖昧な未来、黒沢清(2002・日)」4/19(Sa)
 40.「ボイス THE PHONE (2002・韓)」4/26(Sa)
 41.「呪怨(2002・日)」4/26(Sa)
 42.「WATARIDORI LE PEUPLE MIGRATEUR (2001・仏)」4/29(Tu)
 43.「ぼくんち(2002・日)」4/29(Tu)

尚、今月読了した本は以下の3冊。
いずれも今月買った本ばかりで、積ん読は(断るまでもないが)進まぬままである。

 三谷幸喜「三谷幸喜のありふれた生活2 怒濤の厄年」(朝日新聞社)
 第26回宮崎医科大学すずかけ祭医学展「風に立つライオン〜心ある医療 夢ある医学 命のかぎり」(不知火書房)
 泉麻人「僕の昭和歌謡曲史」(講談社文庫)

「ありふれた生活2」の中で、三谷さんが妻の読書と云えばエッセイであると書いていたが、今月の僕がまさにそんな感じ。何だかどんどんモチベーションが低下している気がするぞ。




 
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