Diary 備忘の都 2003 July

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エルミタージュ幻想色男、金と記憶はなかりけり成功という名の敗北
長廻しの女王天使の大名行列世の男たちはジョン・ソルターに学べ
小松方正の死を悼むサラ・コナーの死を悼むディズニー版21エモン
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珈琲に茶碗蒸し珈琲に茶碗蒸しの波紋ほんとうの備忘録

 エルミタージュ幻想  2002/7/5(Su)その1


土曜だが朝7時に出社して40分ほどのチェック業務を済ませてから、妻子を拾ってモスバーガーのドライヴスルー。
ずっと垂れ幕が気になっていた期間限定のナン・チョリソー(350円)とナン・タコス(340円)を試すが、これくらい運転していて食べにくいものもない。信号待ち以外はずっと左手に持ったまま固まっているという…時折妻にオニポテを口に放ってもらわないと間が持たない。飲み物はこれまた期間限定のラッシーにしたが、モスにしては今イチ。学生時代によく通ったカレー屋のラッシーは旨かったけどな。

そぼ降る雨の間隙を突いて天神着。妻子は西新のスタバへ僕はKBCシネマへ。
アレクサンドル・ソクーロフ監督の新作「エルミタージュ幻想 RUSSIAN ARK (2002・独露日)」
尤もソクーロフ作品は今回が初見。福岡ではこれまでシネテリエ天神でレイト特集ぐらいしかしなかったし。

サンクトペテルブルク市にある世界遺産、エルミタージュ美術館。
映画はソクーロフ本人(声のみ)とフランス外交官キュスティーヌ伯爵(セルゲイ・ドレイデン)を案内役に、ロシア近世・近代300年間を内包した、この時空の迷宮を、「文字通り」90分ノンストップでガイドしていく。
夢かうつつか、エカテリーナ大帝(マリア・クズネツォワ)を始めとする美術館が記憶するセレブたちが時間を超えて次から次へと立ち現れる仕掛けである。

一見した印象は、NHKがHi-Visionスペシャルあたりでやりそうな趣向を凝らした海外紀行番組。
と思ったら、エンドクレジットに本当にNHKが出てきて引っくり返る。
実際、劇場公開前にハイビジョン放送されたらしい(吹替版だったのだろうか)。
確かにこれ以上NHK好みなつくりもないと思う。

先にも書いたが90分ノンストップつまりワンカット撮影(フィルムだと上限が12分らしく、これはHD撮影)。
2001年12月23日の一発録りで、「ラン・ローラ・ラン(1998・独)」の撮影監督ティルマン・ビュットナーが撮影体力の限界に挑戦し、ステディカム・マラソンを完走。エルミタージュ美術館そのものを広い演劇空間と捉えた1カメラのみの劇場中継と思えば分かりやすいか。出演は世界的マエストロのワレリー・ゲルギエフ及び867人の俳優、数百人のエキストラに3つのオーケストラと、舞台空間に見合ったばかばかしいまでの壮大さ。クランクイン〜クランクアップまでの時間が本篇上映時間とイコールという意味では未曾有の長編映画とも云える。

尤も、アイデアの斬新性・前衛性やその壮麗さやスケールはともかく、劇映画としては今ひとつとりとめがなく「海外紀行番組」の域を出ていない。幾ら90分長廻しとは云え、次の準備の間、足許のフロアだとか肖像画の一点を所在なく映しているあたりの間延び具合は、観客の緊張を弛緩させる。
難解で観念的で思わせぶりだが、場つなぎの意味合いが強い、ソクーロフとキュスティーヌの台詞の応酬も時に退屈なだけで、今朝の早起きが祟った事もあってか幾度となく意識が飛んでしまう。ぐう…。

三谷さんがミュージカルである前にまず物語として面白いものを、と骨身を惜しまず「オケピ!」を書いた事を思う時、「エルミタージュ幻想」の作劇にもけれん味以上の気概が欲しかったなどとないものねだりをしたくもなるのだ。

あくびを噛み殺しつつ、三越・大丸方面に移動。
1時間程、ジュンク堂を冷やかしてから博多駅行の100円バスに乗る。

この項、続く。


 色男、金と記憶はなかりけり  2002/7/5(Su)その2


ふきやで玉子を食べ(て、こればっかし)、階下のシネリーブル博多駅で「ノボ NOVO (2002・仏)」
先週の雪辱戦というか何というか。

うら若き乙女(アナ・ムグラリス。完璧な美人です。タイプは違うけど「ハモン・ハモン」で初めてペネロペ・クルスを観たくらいの衝撃があった)がクリストファー・ノーラン監督の「メメント」みたいな短期記憶障害の男(エドゥアルド・ノリエガ)に恋するロマンスと聞いて、期待して行ったのだが…うーん、僕とはそりが合いませんでしたねえ。主人公の5分で記憶をなくすグラアム(=パブロ)という男にどうしても肩入れが出来なかったのが敗因かもしれない。

記憶障害というハンデは、グラアムの自分が何者かというアイデンティティを揺さ振り続けている。
其処までは事実。ただ、それはそれとしてこの男、余りに本能に忠実すぎやしませんか。
自動販売機から飲料水が出ないからといって(しかもコインを入れていない)、癇癪起こして販売機を壊していいというもんではないし、女社長(ナタリー・リシャール。「百貨店大百科(1992)」で誠実な新入社員を演じた彼女も10年を経て百戦錬磨の社長に昇進したらしい。尤も愛玩するグラアムへの嫉妬に狂うお局社長であるが)が誘ったからといって、明るいうちから社長室で腰を振っちゃっていいというもんでもないだろう。

こいつにワイルド系のセックスアピールがあるのは認めるが、だからって出会ったその夜に、会社を案内してくれたコピー係の男に対して「今夜を忘れられなくしてあげる」などと(一応、記憶障害とは引っかけてある)「ナインハーフ」張りの技巧を駆使しますか、派遣社員のイレーヌさん。初対面の男に屋上でブラジャーのホックをとめさせるあたりからして、奔放なのにも程があると思うのだが、おフランスでは皆こうなのか?

かくて、主役の美男美女のあんまりな奔放さ加減(敢えて「淫乱」とは書くまい)に、腰が引けてしまい、つい物語に乗り遅れてしまう。グラアムの魅力を語る時、夜の生活が惰性へ堕ちずに毎晩が新鮮な処がいいというのも恋愛を続けるモチベーションとしては一片の真実だと思うが、「愛のコリーダ」でもあるまいし、肉欲を前面に押し出すと、どうも男の自分探しのドラマが弱くなっている気がする。
尤も、グラアムの無邪気さが罪深い故に、記憶障害に到る遠因をつくった事が物語後半で明かされる。記憶を失くした父親を見守り続ける息子アントワーヌがいっそ哀れですらある。何がノボ(新しい人間)だ、と業腹にもなる。

かくして物語は、グラアムが詭弁を弄して妻を捨て、イレーヌとの新生活を予感させてハッピーエンドとなる。
記憶障害云々は美男美女の濡れ場を引き立たせるためだけの設定だったんかい!
と、ちょいとばかり不機嫌になる。寝不足のせいかもしれないが、久々にハシゴした映画2本共外してしまった。

処でこれは全くの余談だが、全裸のグラアムが息子と浜辺ではしゃぐシーンで、エドゥアルド・ノリエガの度を超えた巨根にモザイクを入れないのはもはや犯罪行為に等しいのではないか。道鏡か、このひとは。
「ポンヌフの恋人」のドニ・ラヴァン以来の衝撃である。尤も、ドニの場合は走ってモノが上下に縦揺れしていたから尚のこと迫力があった。──アレーックス!。

更に階下にくだって紀伊國屋で北村薫「リセット」(新潮文庫)購入。
親父宅で、妻子と合流。父母を観てると孫の狼藉は肉体的苦痛も精神的快楽に置換されるらしい。僕はごめんだが。
季節はずれのすき焼きをごちそうになって帰宅。
結局、早朝出社でペースを崩した一日であった。ふう。


 成功という名の敗北  2002/7/11(Fr)


朝、犬山に帰る妻子を高速バス乗り場まで送る。
真剣な顔の息子が右手のひらをスコップみたいなかたちにして懸命に振っているのがフェンダー越しに映る。
この週末は呑気な鰥夫暮らし。久々に映画を観まくるか。

という訳で、19時過ぎには心を鬼に、逃げるように退社。
大急ぎで湯を沸かして夕飯を食べて中間で「ニューヨーク最後の日々 PEOPLE I KNOW (2002・米)」

撮影順はどちらが先なのか、「インソムニア(2002)」で不眠症の為にぼろ雑巾みたいになっていたアル・パチーノが本作でも満足に眠れずにしょぼくれぼろ雑巾の有様で老骨に鞭を打つ。但し、今回は刑事ではなくてパブリシスト。

かなり地味な作品だが、僕は佳い映画だと思う。且つ大人の観賞に耐え得る作品。
テーマは「敗北」とでも云えばいいか。それも巨悪に立ち向かった敗北。
以下、ネタばれを恐れずにさくさくと書き進む。

25年前、名作「ジャスティス(1979)」において、アル・パチーノ扮する若き熱血弁護士は法で裁けない巨悪(腐敗した法曹界)に対して、あくまでも一個人として被告人フレミング判事を痛罵する事で、少なくとも銀幕の向こうの観客の快哉を獲得した。アメリカ人だって松竹新喜劇のような分かり易いカタルシスが好きなのだ。

処が25年経って、酸いも甘いも噛み分け初老になったパチーノの辿り着く先は苦い物語だった。
30年もの間、NYで第一線のパブリシストであるイーライ(アル・パチーノ)は、その広い人脈を駆使して長年に渡ってハリウッド・スター、ケアリー・ローナー(「ある愛の詩(1970)」「ペーパームーン(1973)」のライアン・オニール。白血病と闘い続けているひとでもある)の火遊びの後始末屋を務めてきたという裏の顔を持つ。結婚もせず一匹狼のまま、虚飾に塗れたメディア界を泳ぐ事に疲れ果てた彼は、ナイジェリア難民の救済イヴェントを成功させたら、それを機に引退して彼の義妹(キム・ベイシンガー。「8Mile(2002)」とは180度違う癒しキャラを好演)が住むヴァージニアで余生を過ごそうと決意していた。

救済イベントを明日に控えた夜、相も変わらずケアリーに火消しを頼まれる。暴力沙汰を起こしたTV新進女優にして彼の愛人ジリー・ホッパー(ティア・レオーニ。別名、デイヴィッド・ドゥカヴニー夫人とも云う。今ひとつキャリアに恵まれない彼女だが、唯一「天使のくれた時間(2000)」のヒロインはオススメ)を警察へ身請けに行かされた挙句、ヤク中の彼女に振り回され、ついにはセレブ御用達の秘密クラブ(移動式アヘン窟)に迷い込み、偶然、ジリーが隠し撮りした秘密クラブの映像を入手する事になる。半ば無理矢理吸わされたアヘンと各種常備薬の過剰摂取とで意識朦朧となったイーライは、ジリーが薬殺された事にも気付かず、巨悪の魔の手が伸びる中、翌朝、前夜の記憶が欠落したまま救済イヴェント成功に奔走する…。

この映画のキモは、ラストよりもむしろ救済イヴェントの慈善パーティーのシーンにこそある。
彼が純粋な正義感からから始めたナイジェリア難民の慈善パーティーは、黒人指導者ブラント牧師(ビル・ナン)と大富豪エリオット・シャランスキー(リチャード・シフ)との友好が(たとい見世物に過ぎないとは云え)一つのシンボルとなる筈だった。しかし当の二人を納得させるには、政界進出を狙ってイーライを切り捨てたケアリーの、大スターとしてのネーム・バリューが不可欠だった。
そして、イーライにとって意図的ではなかったものの、彼が懐に持つ切り札に吸い寄せられるように、エリオットとケアリーが会場に現れ、各々の邪な思惑の中で固い握手とハグが交わされ、結果、パーティーは大成功する。

しかし、それは彼の動機たる純粋な正義感とは余りにかけ離れたものだ。
イーライが広告マンとして30年間駆けずり廻った集大成が、政治的駆け引きと巨悪への脅迫とで築いた、この慈善パーティーだ。擦れ違うゲストが彼を称えれば称える程、自分がそれと引き換えに捨てた多くのものが突き付けられる。彼が便器にひどく嘔吐したのは、決して体調のせいばかりではない。自分のくそったれな人生に胸クソが悪くなったのだ。何も生み出せなかったパブリシストとしての30年間に向かってゲロを吐いて捨てたのだ。

イーライは結果的に巨悪と取引きしたかたちで名声を得る。
巨悪は故に、彼の最后の砦であるささやかな第二の人生まで一滴残さず絞り取るのだ。

邦題が思い切りイーライ自身の死を予感させるタイトルなので、ヤな予感がしていたのだが、彼は自分の成功(成果ではなくプロセスにだ)にある種の絶望を覚えつつ、案の定、ジリー・ホッパーと同じ末路を辿る事になる。
書斎で息絶えたイーライの傍らで、TVの司会者が手放しで彼を絶賛する。…「彼は本当によくやった」。

この上なくアイロニーに満ちた苦いラストシーンには「PEOPLE I KNOW」の原題がまさによく似合う。

面白かったけど、こんなに渋くて客、入んのか。
などと余計な心配をしたくなる、同じ敗北でも「ジャスティス」的カタルシスのない、打ちのめされる程ビターな映画。
ついでに云っとくと、製作総指揮のロバート・レッドフォードも若い頃の写真がちょっとだけ出て来る。

帰宅して湯に浸かったら、折角のひとりなのに程なく睡魔に襲われる。…ま、いっか。


 長廻しの女王  2002/7/12(Sa)その1


という訳で、映画三昧2日目。
尤も世の映画好きには鼻で笑われそうな「映画三昧」だが、これが今の僕の精一杯。

朝、天神で12時間800円のパーキングに車を駐めて100円バスで博多駅へ移動。
まずは河瀬直美の新作「沙羅双樹(2003・日)」

僕は彼女の前作「火垂(2000)」をかなり買っているのだが(詳しくは、映画のタマシイ参照)、それは彼女が生死の境ぎりぎりまで自身をすり減らして映画を作っているからだった。誰もが模倣出来る方法ではないし、こんな典型的な作家人種がひとりいたら間違いなく家庭は崩壊する(事実、ここんちは崩壊したのだが)。

で、本作。
決して作品そのものの完成度は低くないのだが、あの「火垂」の後では幾分パワーダウンを感じてしまう。
役者は耐え難い緊張感を強いられ、素人はカメラの存在を忘れてしまう(故に素人を撮影させるとこのひとは日本一なのだと思う。「萌の朱雀」で、國村さんが参加する村の会合シーンの余りの自然さに驚愕したが、今回も生瀬勝久・樋口可南子ご両人参加の寄合シーンが出て来る。もはや会合シーンはこのひとのお家芸なのかもしれない)ほどの長廻しは健在で、映画冒頭のワンカットで納めた驚異的な回想シーンを始め、平城(なら)の古い町並みを走っていく若いふたりを「執拗に」追い続けるカメラは河瀬演出そのもの。

ただ此処まで長廻しカットが続くと、如何に芝居自体に緊張が漲ろうと、構成としてのメリハリの無さにこちら側の持久力がダレてくる。悪く云えば長廻しのカットを適当に繋いだだけじゃん、と錯乱さえしてしまう。ましてや主役たる福永幸平(奄美出身のストリートミュージシャン)に長廻しに耐え得るだけのスキルとパワーがない。子供の頃に双子の兄が神隠しにあって以後、兄は自分の身代わりになったのではという喪失感に苛まれ続けている背景が、彼では旨く表現しきれておらず、ただの無口で表情の硬いお兄ちゃんにしか見えない。
そしてそれは多分に場あたり的な処のある(物語の進行よりカメラの前の芝居を、空気を重視する、と云い替えてもいい)河瀬演出のせいでもあるのだ。彼の描き上げた油彩や、両親(ホイさんと河瀬監督本人)の芸達者さでフォローした処で、このありそでなさそな筋書きでは(少なくとも「火垂」に比べると)観客へのボディーブローが弱い。
え、今回はこんなもんなんですか?て、感じ。

バサラ祭で飛び散る汗や、夕(兵頭祐香)や卓(生瀬)に降り注ぐ夏の雨の美しさも分かる。昌子(樋口)の凛とした背筋の美しさも分かる。けれど、それまでの淡々とした日常から一転、礼子(河瀬)の出産に過剰な意味を付加されてもこちらは戸惑うばかりだ。映画に宿る寓意は解る。寓意は解るが、あたかも双子の兄が転生したかのような振舞いで物語を閉じる(物語冒頭の回想とはカメラワークが逆走する)事に僕は抵抗を覚えた。客側の勝手を云わせてもらえば、いっそもっと物語を突き放して欲しかったのかもしれない。

という訳で、河瀬ファンとしては今回ちょっと不完全燃焼気味。
(ま、それだけ観る側の河瀬作品への期待値が高いって事で、其処は観念してください)
それから、映画からいっさい音楽が聴こえてこないのは潔くていい。エンディングのUAも伴奏なしの歌詞なしで、俯瞰で小さくなっていく奈良の町を渡る夏の風のような「声だけで勝負してます」的心意気が嬉しい。

あと一個だけ。
先にこのひとは素人を撮らせたら日本一と書いたが、さしもの河瀬監督も、鼻緒職人が夕の下駄の鼻緒をつけるシーンで、おそらく馴染み客である筈の夕の母娘に対して、常連への親密さではなく一見客への距離を置いた親密さでしか胸襟を開かせられなかった事は書き添えておく。それでも素人と役者をからませて此処までの親密な空気を引き出せる手腕の非凡さは、自信を持って天才と称えていい。

今日は山笠の為、移動まで含めると時間に余裕が無いので、「ふきや」を諦めて天神に取って返す。
この項、続く。


 天使の大名行列  2002/7/12(Sa)その2


Z−SIDE7階「カフェ・リブロ」にて「懐かしのハヤシライス」でお昼。
相変わらず、此処のハヤシ・ルウは時間かけて煮込んであって濃厚で美味しい。これでごはんが固めでなければ云う事ないんだけれど。いつもグリーンサラダがセットなのだが、今日はマッシュポテト。これはこれで旨い。

処で、窓面のカウンター席に座ると、隣にルックスの良い、生成清楚系のカップルが座っていた。
ふたりは食事を終えたらしく、後は席を立つだけらしいのだが、ふたりてんでに空を見上げたまま、一言も言葉を交わさないのだった。喧嘩をしていない証拠に15分程して、互い二言三言交わすと、女性がにっこり微笑んで、ふたりやおら席を立ってレジに向かったのだった。

だからどうしたと思われるかもしれないが、僕には会話なしでほわっと時間を過ごせる若いふたりの存在がカルチャーショックだった。自分のようなせわしない空白恐怖症には到底無理な話だ。相手がいるのに本を読むでもなく、ただゆったり過ぎていく時間と共にある、なんて真似は絶対出来ない。言葉で空白を埋める必要のない、天使が通りっ放しの恋人、或いは異性の友人というのもなかなかに羨ましい気がする(断言するが、彼らは決して夫婦でも兄弟でもなかった)。

食事をしたその足で、夢天神ホールの「第17回福岡アジア映画祭2003」に行く。
選んだ1本は「オー! ハッピーデー OH! HAPPY DAY (2003・韓)」。勿論、日本未公開。

韓国では「猟奇的な彼女(2001)」チョン・ジヒョン以来、人格ダークサイドだが、前向きで一途なヒロインが主役のラブコメがウケたからか、この映画のヒロイン、コン・ヒジ(チャン・ナラ)も前向きで一途だが、恋愛成就の為なら執拗なストーキングを繰り返す。好きになったヒョンジュン(パク・チョンチョル)のマンションに忍び込んでシステム手帳を盗むと、彼のスケジュールの先々を回って、到る処で外資系会社の新進気鋭のビジネスマンである彼のキャリアと進退を脅かす。如何に恋心がモチベーションとは云え、ヒロインの破天荒も来る処まで来た、というか(イッちゃってるというか)、むしろ犯罪者そのものだろ。

確かに劇中の彼女は可愛い。押さえるべき「萌え」はきちんと押さえてある。
主演のチャン・ナラ自身、日本のアイドルには真似出来ない捨て身のコメディエンヌ魂を持つ。
「猟奇的な彼女(2001)」で、チョン・ジヒョンが電車で酔って人間ポンプゲロを披露した如く、酒の呑み過ぎで痔核になって、血塗りの便器で蹲った挙句、手術シーンまで演じるトップアイドルというのもなかなかいないだろう(アイドル映画とも思えない過剰な下ネタだが、後のティーチインでのユン・ハンニョル監督の弁によると、インターネットで痔に苦しむ姉を心配する妹のエピソードを読んで触発されたとか)。加えて、本業は声優だが、友達を助ける為にAVに出演していたという設定も、二十歳そこそこのアイドル(しかも歌姫らしい)にあるまじきプロフィールである(ちなみに相手役のパク・チョンチョルも筋肉バカとして全裸でストレッチをやるくらいには捨て身である)。

映画自体、日本のアイドルコメディとはひとつ突き抜けた面白さだった。
男の心を射止める為に、家族どころか、声優学校の教え子や(痔核の)主治医や(韓国では何と呼ぶのか知らないけれど)海上保安庁まで総動員して狂言自殺を図るコン・ヒジと、狂言自殺をプロデュースした彼女の母親。愛の為なら命も惜しまない情熱と将来への打算が一体となった莫迦莫迦しさは賞賛に値する。
エンドクレジットで、ボリウッドのミュージカルよろしく町中が踊りだすのもチープだが、うれしい。

映画祭らしく、最后は惜しみない満場の拍手。いや、実際愉しかった。
ティーチインで次回作の構想を聞かれたユン・ハンニョル監督、「私は日本の有名なコメディアンである志村けんさんが大好きなので、彼を主人公にした「火山高」みたいな学園コメディを撮りたい」と野心を語った。成程、この突き抜けた作風は志村けんにぴったりかもしれない。実現するといいですね。

書き忘れていたが、上映中、映写機トラブルで一度映像が消えた事があった。
この映画祭は字幕をフィルムに直接入れずに、銀幕の右横に字幕ロールを出して映画と同期させるという手法を取っているのだが、その時に次のシーンの字幕が先に出てしまった。

「しばらくお待ちいただければ、すぐに戻ると思います」

場内が大爆笑になったのは断るまでもない。実際、すぐに戻ったし。
この項、続く。


 世の男たちはジョン・ソルターに学べ  2002/7/12(Sa)その3


「福岡アジア映画祭」の上映作品は食小気味にならないうちに腹八分でおさめておく。
リブロの映画本コーナーで三池崇史「監督中毒」(ぴあ)を発見、速攻でレジに向かう。

泣き出しそうな空の中、KBCシネマに移動して「テープ TAPE (2001・米)」

役者はイーサン・ホーク&ユマ・サーマン夫妻とロバート・ショーン・レナードの3人のみ、舞台は安モーテルの一室のみ(ステファン・ベルバーの一幕ものの戯曲をベルバー本人が映画用に脚色)、撮影:SONY PD-100PALに、編集:Mac Final Cut Proとデジタル機器を駆使、と安っぽい絵づくりを逆手に取って「売り」にした、インディペンデントならではの恐るべき低予算映画。

故郷ミシガン州ランシングの映画祭に自分の作品を持って凱旋した映画監督ジョン(ロバート・ショーン・レナード)と、彼の応援に帰郷した腐れ縁の旧友ヴィンセント(イーサン・ホーク)は消防士兼ヤクの売人。社会派映画を志向し、イノセントで正義感溢れるジョンは旧友を説諭しようとして、逆に学生時代、ヴィンセントの元カノであるエイミー(ユマ・サーマン)との過去を問われ、彼女を「レイプした」と告白してしまう。

実はヴィンセントの真の目的は、人生の成功者ヅラしたジョンにその告白をさせる事にあった。
彼は隠し録りしていたテープをジョンにちらつかせて、「当のエイミーを呼んであるので彼女に懺悔しろ」と迫る。そんな事情を知らず、初恋相手のヴィンセントの許を訪ねたエイミーは地方検事補として輝かしいキャリアを積んでいた…。

この映画のキモは、ジョンとエイミーの過去の情事が「現在」の3人にとって一体何だったかにある。

ヴィンセントにとっては自分には決して体を許さなかったエイミーがジョンと一夜を共にした事が、自分の人生のケチのつき始めであり、ヴィンセントにとっては自らを品行方正で誠実と信じて疑わない、その唯一の汚点の「レイプ」であり、エイミーにとっては新進気鋭の映画監督になる青年との甘やかなロマンスを伴ったロストヴァージンの想い出だった。

この映画は、さんざんオトコの愚鈍さ加減を見せつける。
ジョンはエイミーに「それを漢(おとこ)らしいと信じて」レイプの非を詫びるのである。それが彼女の想い出をどれほど傷つけるかには犯罪的なまでの無頓着さで、アレは一方的な行為ではなかったと否定する彼女に詰め寄るのだ。「僕がこうして非を認めているのに、どうしてそんな態度を取るのか」と突きつけられた時のエイミーの絶望の表情と云い、ヒッチコックも真っ青のスリリングな会話の応酬は元の戯曲が如何に優れているかの証左だ。ヴィンセントは中途から雲行きの怪しさに沈黙するのだが、ジョンが己が苦い過去を正そうとする行為は、エイミーの甘い記憶を否定する行為に他ならない。社会派映画の旗手らしいこやつの無神経さ、自己チュー加減は見せしめとして最適である。

正義だの何だのをどんなに熱く語ろうと、僕らオトコの懐の深さなどたかだかこの程度なのだ。

この後反撃に出たエイミーはジョンの自尊心とヴィンセントのなけなしの葉っぱを一瞬にして粉砕する。
尤も粉々にされて文句を云う筋合いはひとかけらたりとて男たちにはない。
エイミーに翻弄された挙句、道化の顔で彼女を見返すふたりの顔がまた泣けてくる。

雨も降る事だし、今日の映画三昧はこのへんにしといてやる、とて帰宅。
全く、鰥夫暮らしは気楽な家業である。


 小松方正の死を悼む  2002/7/13(Su)その1


朝、関口宏の番組で小松方正の訃報を知る。
敗血症との事だが、享年76歳は満身創痍の晩年を考えると天命を全うしたと云えるかもしれない。
僕は遅れてきた映画ファンなので、僕にとっての最初の小松さんはテレ朝のモーニングショーの事件レポーターである(そう云えば、大島監督も同番組で「女の学校」と云う大人のコーナーを担当していた。もしかして「創造社」の請負仕事だったのかもしれない)。夏場だったか、開襟シャツの胸を開けた険しい顔が、子供心におっかない中学校教師のようだった。
僕が実際にきちんと銀幕で小松さんを認識したのは、「マルサの女2(1988・日)」の猿渡代議士ではなかったか。せいぜい虚勢を張っていたのが、津川さん演じる花村に懐柔され、所詮は一兵隊に過ぎない小松さんの強張った表情が解けていくさまと付け耳とを、今でもありありと思い浮かべる事が出来る。そのあと、「余計な事をぺちゃくちゃ喋りおって」と親分である漆原センセイ(中村竹弥。本作がこのひとの遺作だと思う)から存分に足蹴にされるのだが、いや、やっぱり「マルサ2」は名作だね。思わず、回想モードに入っちゃったよ。

で、その後「ミンボーの女(1992)」「絵の中のぼくの村(1996)」と来て、「けものがれ、俺らの猿と(2001)」の素性の知れぬ老獪な映画プロデューサー楮山の怪演が、彼の雄姿を観る最后となった。

声優としても、「酔拳」の師匠とかさまざまな味わい深い「名演」を遺したひとだが、唯一、NHKでオンエアされた「ポパイ」のブルートだけは熊倉一雄に軍配を上げたい。ていうか、やっぱり二代目というのは分が悪い。

元々老け顔のひとだったから、万年壮年くらいに考えていたが、76歳は立派な老優である。
日本の映画界はこれからこそ彼のような性格俳優がスパイスとして必要だったのにと思うと残念でならない。戸浦さんが逝き、遂には小松さんが逝ってしまった。後に遺された佐藤慶さんの心中をお察しする。合掌。

この項、続く。


 サラ・コナーの死を悼む  2002/7/13(Su)その2


さて、映画三昧3日目。
昨日の観賞疲れが残ったまま、中間でメジャー作品鑑賞など。
まずは、昨日全国公開された「ターミネーター3 TERMINATOR 3: RISE OF THE MACHINES(2003・米)」

このシリーズは思い入れが深いので、ジェームズ・キャメロン不在の本作には正直、抵抗があった。
話によると、キャメロンが本シリーズのプロデューサーでもある前々々妻ゲイル・アン・ハード(このひと、キャメロンと結婚する前はデ・パルマの奥さんであった)と離婚する際にシリーズ化権を明け渡したせいで、彼が本作にタッチする隙はなくなってしまった。尤も、キャメロンの盟友シュワちゃんは仕事と割り切って(超高額ギャラで)出演したが、誰にも事情はあるからねー。

結論から云うと、「エイリアン」シリーズの3以降程度には面白い(無論、褒め言葉で云っている)。
つまり「ターミネーター」を映画の1ジャンルとして捉えた時、前作への大いなるリスペクトと丁寧な仕事振りで、ジョナサン・モストウなりの「ターミネーター」論を展開しており、その弁えかたと弁えた上での弾けっぷりに好感が持て、それは作品としても成功していると思う(そりゃ、一部の「ターミネーター」原理主義なひとからは総スカンを喰っているが、シリーズものにはありがちな話だ)。

映画の前半はこのシリーズのキモである「コナー一家とターミネーターの逃走劇」を、「本物のカースタントはこうだ!」と云わんばかりに、火薬多目の過剰なスタントアクションで徹底的に見せつける。はっきり云って物語はどうだってもいい。何処までも追い縋るT-X(クリスタナ・ローケン)の「其処までやるか」な手口を存分に堪能出来れば観客は満足だ。

そして後半で、物語としての「1」「2」と「3」を繋ぐミステリーの謎解き、「4」以降への伏線のばら撒き(成人したジョン・コナー(ニック・スタール)に、彼の妻であるケイト(クレア・デーンズ)が、旦那が親しみを覚えているT−800型(シュワちゃん)を刺客に飛ばして抹殺してしまう、という大事がシュワちゃんの口からさらりと語られる)で、何となく物語に深みを与えておいて、挙句、前作まであれほど阻止に奔走したスカイネットが始動し、世界は一転する。
「3」の旨さは、物語が「つづく」で終わる処にある。さんざん盛り上げておいて、観客が「ふん、ふん、それから?」と身を乗り出した処でエンドロールが上がってくるのだ。これを別名「ロード・オブ・ザ・リング」商法とも云う。

大作であり乍ら小篇の感も否めないが、作品の尺も長すぎなくていい。
これは本家キャメロンも是非見習って欲しい処。きっと特別篇も公開されないだろうし。

これだけ褒めたからには、幾つか不満も書かせてもらう。

・エドワード・ファーロングのジョン・コナー交代。

アル中、ヤク漬けだったという噂も聞いたが、最新作「マーダー・ネット THREE BLIND MICE (2002・英仏)」にも主演していて(あと、ブシェーミが監督した「アニマル・ファクトリー(2000・米)」とか)、小さい作品乍ら着実にキャリアを積んでいるようだし、彼の何がまずかったんだろう(単純にスケジュールが合わなかったのか)。いきなりとっちゃん坊や顔のニック・スタールにジョン・コナーでごさい、と云われてもなあ…。

・サラ・コナー死す(おいこら)。

出演者の都合が悪くなった場合の最も安価な解決法だが、まさか本シリーズがライフワークのリンダ・ハミルトンに、この鉄槌がくだるとは。彼女はキャメロンの前妻(ゲイル・アン・ハードの次の次に結婚)でもあったのだが、常に「サラ・コナーの…」と紹介されるのに嫌気が差したか。せめて彼女の双生児姉妹であるレズリーが回想シーンにちょっとだけ顔出しするとかでも良かったのに、などとぐちぐち思ってみたり。

・そもキャメロン魂とは何じゃいな?

強いヒロイン像にある事は、「ターミネーター」シリーズのリンダ・ハミルトン、「エイリアン2(1986)」のシガーニー・ウィーバー(このひとはシリーズ2作目から「闘うヒロイン」に変身したと云っていい)、他にもメアリー・エリザベス・マストラントニオ(「アビス」)、 ジェイミー・リー・カーティス(「トゥルー・ライズ」)、ケイト・ウィンスレット(「タイタニック」)など彼の監督作品については枚挙にいとまがないが、今回は強いヒロインがいない(別にキャメロンの映画じゃないから構わないんだけど)。
今回のT-X(クリスタナ・ローケン)はアンチ・ヒロインとして、どちらかと云えばマザー・エイリアンの役回りだし(処で最新機種であるT−Xが前機種T−1000より性能が落ちたと思うのは僕だけか)、クレア・デーンズはどちらかというと1作目のリンダ・ハミルトンの役回りで、且つジョン・コナーがいる為に表立って闘うヒロインにはならない。

以下は全くの余談だが、強い磁石に吸い込まれるT−Xを睨むクレア・デーンズの阿修羅顔はヒロインとも思えない凶悪さであった。彼女は「ロミオ&ジュリエット(1996)」以来、ずーっと可憐なヒロインには不向きな無骨なルックスなのだが、どういう訳かヒロイン役に選ばれる事が多い。ハリウッド7不思議のひとつである(尤もあと6つは知らない)。

…やっぱり話が長くなってしまったぞ。
この項、続く。


 ディズニー版21エモン  2002/7/13(Su)その3


2本目はメジャー街道を突っ走るべく「トレジャー・プラネット TREASURE PLANET (2002・米)」

近頃ディズニーと云えば、ピクサーのフルCGものしか観ていなかったのだが(セルアニメは町で略奪をする小悪党が愛を謳いあげる「アラジン」で懲りた)、金曜日にマダムがアメリア船長を演じるらしいと聞き(ちなみにオリジナルはエマ・トンプソン)、小林聡美リスペクトで吹替版を選んだ(でも、これ、くだんの「アラジン」のロン・クレメンツ&ジョン・マスカー監督なんだよね。そう云えば物語の骨格が似ている気もする)。上戸彩が出た「ピーターパン2」さえ観なかった(観逃した)のに、えらい事である。

客席は親子連れ多数。これもメジャー映画、ましてや大ディズニーには付きものだ。

映画は素直に愉しめました。ディズニー特有の押し付けがましい正義感や弱者への圧倒的優位感はなりをひそめ、早くに父を無くした(捨てられた)ジム・ホーキンス(加藤晴彦)とトレジャー・プラネットの財宝を狙う海賊ジョン・シルバー(若山弦蔵)との疑似父子関係が観ていて心地よく、かの国が欲しているのも「家族再生」なのかなと思った次第(ちなみに、ピクサーの新作「ファインディング・ニモ」も人間に連れ去られた子供を奪回に食物連鎖を無視した大冒険を繰り広げるクマノミのおとうさんの物語らしい)。特に、旧世代に属するおじさん、ジョン・シルバーの振る舞いが如何にもなんだけど胸を打つんだなあ(若山弦蔵、迫真の名演)。世のおとうさんは皆、彼の戸惑い、行動に力強く肯くこと請け合い。また彼は海賊でもあるのでピカレスク・ロマンの一面も持つ。

巷間では「21エモン」との酷似が云われていて(あそこは「ライオンキング」という前科がある)、確かにモーフ→モンガーにベン(ドナルド公認声優の山ちゃんが器用な処を披露している)→ゴンスケなのだが、類似しているのはその部分だけであとは完全なる別物と断定していい。ベン、別に訛っていないし、野良仕事に精出していないし。ジンボも別に旅館建て直そうとしていないし、おなべさんも出て来ないし。

マダムはてきぱきとしたアメリア船長の知性を体現していて良かったのでは。
あと、ドップラー博士を演じた稲葉実は「アヴァンティ」の取手豪州のような気がするのだが、誰か教えて。

かくして、3日間に及ぶ映画三昧は無事投了。
物理的にはまだ観れなくもなかったんだけど体力の方がついていきません、ハイ。

夕方、長妹から明日のSMAP福岡ドーム公演行けないかと打診あり。
彼女も八方手を尽くした挙句、つい今しがたチケットを譲ってもらえる事になったらしい。
3年前の俺だったら会社休んで団扇持って福岡ドームに走ったかもしれないが、今回は丁重に断らせていただく。


 やらなくていい仕事  2002/7/19(Sa)


昨夜の雷雨は本当に凄かった。全国の被害も相当なものらしい。
僕が退社したあと、雨足が強くなって構内のいたる処が冠水したせいで、Kさん始め数名は車が先に進めなくなって、豪雨の中泣く泣く車を押してオフィスに戻ったらしい。結局、帰宅は朝方の4時近くだったとか。全くお気の毒である。

処で「アヴァンティ」の取手豪州の正体 → 結局、気になってネット検索してみた。
幾つかの情報を掻き集めると、宮川賢(みやかわまさる)という構成作家にして、ラジオ・パーソナリティーにして劇団ビタミン大使「ABC」主宰が、取手さんの正体らしい。うぴぴぴぴ…、稲葉さんじゃなかったのねん。

先週、映画マラソン(計6本)で心身共に草臥れたので、この3連休は映画は1本も観ない。
と云えたら恰好いいが、「踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!(2003・日)」の公開初日だけは駆けつけねばなるまい。
この日に備えて、先週末深夜のメイキングも、今週毎晩オンエアされた「深夜も踊る大捜査線2」もビデオに録って予習は万全、妻子と共に中間へ出かけ、妻と交代で子守りして映画を観る。

初日の朝イチで観たのだが、物語はまさに今日(2003年7月19日)から始まる3連休の物語で、初日・初回を選んだ甲斐があった。カレンダー上はほぼリアルタイムで物語を追体験出来たことになる(尤もエンドロールのすみれさんの表彰状の日付を見る限りでは、今年の秋まで話が進んでしまうようだが)。

この映画については多くを語らない(て、ちょっとは語らせてね)。
伊達に実製作に10億かけていない(「ゴジラ」の実製作費だってそんなにかかっていないぞ)。
今や、邦画で此処まで力を入れてカネかけて命を張った娯楽大作が何本ある?
メディアミックスを駆使して、映画とは「お祭」であると感じさせてくれる、稀少な邦画なのだ。
他に比肩しうる作品は、かつての角川(春樹)映画以降、絶後であったと断言出来る。
細かい話は色々あるものの総じて期待通りの出来だった、これが全てである。

敢えて1作目を超えたとまでは書かないが、超えようとする気概は見事なものだ。
あれだけ宣伝攻勢を展開しておいて、ちゃんとミス・リーディングさせて映画館へ出向いた観客にサプライズを用意しておく、この最低限のマナーとサービス精神。おかげで予告編を観たせいで映画本編に新味がなく全然面白くなかった、という事態に陥らずに済んだ。そもそも、あの立体アラベスクとも云うべき人間模様の多重構造物を1度ならず2度までも映画として120分余りの枠組の中に構築してみせた。リピーター対応も兼ねた、全方位から眺めても細部(リンク200だとか)まで凝ったつくりで楽しませてくれるドールハウスとでも譬えるか。まずはこの力技を成し遂げてしまった「踊る」プロジェクトチームに惜しみない拍手を贈らねば。

ま、それだけの多重構造であるから、あちこち納得行かない処もあるにはある。
以下、備忘のために2つだけ挙げておく。

 ・青島くん、せめて血液型くらいは教えてくれ。
 ・室井管理官はともかく青島刑事が表彰される「具体的な」功績がよく分からない。

役者も群集劇なので褒め称えればきりがないが、とりわけ長さんと深っちゃんには泣けた。
(今日の舞台挨拶でも、このふたりのドラマがあったようだが)
本編では夢を次世代に託して引退を仄めかすけれど、長さんが元気で現役ばりばりなうちに、「3」を観たい。
もう、さすがに5年は待てないよ。それはもはや罪だと思う。
(ただ、神田署長が今回の騒ぎで定年問題以前に署長で居続けられるかどうかはちょっとギモン)

処でこれは全くの余談だが、群集劇として前作レギュラーの総出演が売りのひとつでもある(それどころか、「2」ではTVシリーズのサブキャラもかなり出演している。最后の最后に出てきた升&大河内のコンビには笑った)「2」だが、室井さんの参謀的役回りだった浜田晃が不出演なのが寂しい(ちなみにライダーファンは彼を尊敬の眼差しで〈一ツ目タイタン〉と呼ぶ)。最近、「魔界転生」でも、柳生十兵衛の家臣(ご意見番)みたいな役どころで活躍していたので病気ではないと思うんだが、それこそスケジュールが合わなかったか。ちょっと残念。

映画館の入り口で既に待ち行列の先頭にいる妻から悠都を受け取って、後は息子にとことんつきあう。
家ではともかく、外出する時にはまだオムツをさせているのだが、中間にいるあいだにウンチしたらしく、一旦帰宅してオムツを替えてやったら、悠都はパパがオムツを替えてくれるなんてと静かに感動していた。さすがにウンチのオムツは、ママがいる限り敬遠してるからなあ。

ま、やる(やらざるをえない)時はパパもやるって事で。


 深作欣二 in リオデジャネイロ  2002/7/26(Sa)その1


朝からピーカンに晴れた週末。
朝のうち空気が幾分ひんやりしていてもこれだけアブラゼミがジィジィ鳴くと音だけでうだりますね。
「油照り つれなき昼や じじとして 熬る蝉のこゑは 果なきごとし(白秋)」が頭をかすめる。
尤も、これはこないだNHK「にほんごであそぼ」の今日の名文で覚えた一句。

あんまりいいお天気なので洗濯をしたいと妻。ならばとひとり福岡へ映画を観に行く。

1本目は、お久し振りのシネテリエ天神で「シティ・オブ・ゴッド CITY OF GOD (2002・ブラジル)」

今の処、特に故なく「バトル・ロワイアルII 鎮魂歌」を見過ごしているのだが、故・深作欣二が本当に撮りたかったのはこういう映画ではないのか。この映画は、まさに少年たち(中学生どころか小学生のギャングだっていっぱしに扱われる)の血で血を洗う実録抗争史グラフィティであり、少年たちを語るが故に青春グラフィティの側面も持つ、ブラジルの現在(いま)に連なるスラム版「仁義なき戦い」なのだ。

何より映画全体に漂う本物の「飢餓感」「渇望感」こそ、映画作家としての深作監督がいまわの際まで、自らを奮い立たせてでも欲していたものじゃないのか。「退廃した世界」や「9・11」、「大人vs子供」を架空デストピアの入れ物に託さなくとも、ブラジルでは「本物」が手に入る。深作監督の考えていたメッセージはおそらくこの中で全て語り尽くす事が出来た、と云えば妄想が過ぎるだろうか。

少年犯罪におたおたする今の日本の生ぬるさを嗤うかの如き、子供たちをとりまくシリアス(隔離政策、貧困、暴力、銃、ドラッグ)は、けれどもかつて日本自身も経験した事がある筈の、野卑な逞しさなのかもしれぬ。ブラジル、リオデジャネイロ郊外のスラム街シティ・オブ・ゴッドではそれが過去の遺物ではなく、地続きの現在だという事だ。

本作がR指定なのは云うまでもないが、そもそもこの作品、今の日本では決して撮らせてもらえまい。

第一部(60年代後半)、リトル・ダイス(ドグラス・シルヴァ)の少年乍らふてぶてしい表情、自己主張、狡猾さ、そして直截的な絵づくりは避けているものの、モーテルでの殺戮シーン。裸で抱き合う男女や、縛り上げられた従業員たちに向かって、邪悪な笑顔で半ズボンの少年が銃を乱射していくさまはブラジル映画だから公開出来たと云っていい。

第二部(70年代)、リトル・ゼ(レアンドロ・フィルミノ・ダ・オラ)が自分のシマを荒らすガキ軍団に制裁を加える為に、追い込んだ子供ふたりの足の甲に見せしめで銃弾を撃ち込むのだが、5〜6歳の男の子が本泣きしているさまのリアルさ、仲間の子供にそのうちのひとりを選ばせて殺させるシーン…うーん、やっぱり日本じゃ絵どころかシーンそのものが許されないよ。

果て無き抗争を予感させるラストも「仁義なき戦い」シリーズの黄金パターン。
子供たちの戦争だけに救いが微塵もないにも拘らず、映画自体が陰陰滅滅としていないのは、「仁義なき…」と同じカタルシスが得られるのと、実録と云い乍らサーガというかクロニクルの趣きがあるからかもしれない。おすぎが絶賛するのも道理です。

この項、続く。


 ケイト露出度調査隊、空振りする  2002/7/26(Sa)その2


ベスト電器でさだまさし「いつも君の味方」を買った後、天気がいいので徒歩でキャナルシティまで。
「牧のうどんキャナルシティ店」で若干遅めの昼食。きつねうどんの軟めんとかしわめしを美味しくいただく。
うどんは相変わらずのボリューム。此処で大盛を頼むひとというのは何かの修行じゃないのか。

お次は名匠アラン・パーカーの「ライフ・オブ・デビッド・ゲイル THE LIFE OF DAVID GALE (2003・米)」
ケイト・ウィンスレットが出ていると聞きつけ、ケイト露出度調査隊としては万難を排して駆けつけた次第。

尤も今回の彼女は全篇を通して着衣であった。
本作のケイトに色っぽいシーンはつゆほどもない(実に珍しい)。
代わりにローラ・リニーがルネッサンス期のような見事な裸体を披露していて、その使われ方を考えれば、並々ならぬ女優魂を感じます(おそらく吹き替えではないと思う)。

物語は、死刑反対論者であり乍ら強姦殺人(被害者は同僚であり、同じ死刑反対グループの仲間でもあったコンスタンス(ローラ・リニー))のかどで1週間後の死刑が確定した大学教授デビッド・ゲイル(ケビン・スペイシー)。彼は自分の手記を書かせるため、ニューズ誌の女性記者ビッツィー(ケイト・ウィンスレット)を召喚して、死刑に到るいきさつを語り、自分が冤罪である事の証明を彼女に託す。
そして彼は死刑そのものを恐れてはいなかった。
…「大事なのは息子にどのような父親だったか記憶されることだ」

社会派ドラマの皮を被ってはいるが、中身は至極真っ当なサスペンス・ミステリーの佳作。
死刑制度の是非や哲学をこの映画はどうこう云っていないし、もし観客が本作から何らかのメッセージを受け取ったのだとしたら、それはこの映画が「死刑制度の是非」そのものをミステリーの装置として用いた為に周辺のディテールを描き込んでいるからに他ならない。見方によってはある運動グループから激しい批判が出てもいいと思うが、ミステリー映画としては上出来の部類なのではないか(尤も、ミステリ読みなら途中で看破出来るトリックだと思うが、何しろ社会派ドラマの皮を被っている事それ自体がミス・リーディングの役を果たしていたりする)。

伏線の引き方も周到だし、ヒントは各所(この場合、殆どがデビッド・ゲイルの回想なので、彼が語って聞かせる台詞の端々)に提示されているし、フーダニット、ハウダニット、ホワイダニットとも三拍子揃っている、という意味でも僕好みの作品。どうしてこの程度のトリックが発覚しなかったかという謎もきちんと説明(フォロー)しているし。

という訳で、タイムリミット(デビッド・ゲイルの死刑執行)に追われる探偵役のケイト・ウィンスレット(しかも、色恋よりも仕事を優先するバリバリのキャリアウーマン)に艶っぽいシーンなど用意する展開的余裕などなかったに違いない。
しかし、ケイトの頑張りは本作のためにアメリカ英語の特訓をした事で(尤も、成果のほどは僕が知る由もない)、何処かのサイトで「この映画の彼女は演技が過剰だ」と酷評していたけど、彼女は単にイギリス人の思うアメリカ人というヤツを体現しただけだったりして。

今ひとつ頼りなくて意見が右往左往する彼女の相棒ザック(ガブリエル・マン)、曽根晴美とダニー・アイエロを足して2で割ったような極悪な風貌の怪しい弁護士べリュー(レオン・リッピー)、オレアナ真っ青のセクハラ・トラップ女子大生バーリン(ローナ・ミトラ)、謎のカウボーイ男ダスティー(マット・クレイカ)、それに羊のぬいぐるみクラウドと、それぞれが後に残るキャラなのは、この映画が名作である証なのかもしれず。

映画がハネた後、徒歩で天神に戻って、ジュンク堂で1時間ばかり岡八朗の半生記を立ち読みする。
古畑で犯人役を演じた頃がまさかアル中から立ち直るべく更正の最中だったとは…。


 珈琲に茶碗蒸し  2002/7/27(Su)


「極道恐怖大劇場 牛頭(GOZU)(2003・日)」のDVDがようやく届いたというので戸畑ベスト電器へ。
くだんのソフトを予約したのが今月の1日、発売日が11日、そして痺れを切らして「いつ頃来ますか」と電話で尋ねたのが25日の金曜日。その時のスタッフの答えは「こちらもメーカーに問合せているんですが、8月の頭ぐらいになるとの事です。詳しい日にちが分かり次第お電話します」だったが、DVD到着の連絡があったのはその翌日、つまり昨日の事だった。僕はスタッフ(もしくはメーカー)の怠慢を確信して疑わない。

「牛頭」購入を以って、タダ券が3000円分溜まったので、悠都に「おかあさんといっしょ メモリアルベスト(杉田あきひろ、つのだりょうこ)」を買ってやる。3200円という価格設定に不満は無いが、収録時間が38分というのは幾ら何でも短すぎないか。まさにかっぱなにさまかっぱさまである。尤も、前のおにいさんおねえさん贔屓の悠都が欣喜雀躍したのは云うまでもない。あと、中島みゆき「銀の龍の背に乗って」も購入。

深夜、妻子が寝静まってから、お目当てのブツを再生する。
処が、中途で妻が起きてきて、横目で「牛頭」を眺めつつネトゲを始める。
彼女はエログロ、キワモノ系映画を嫌悪する性質なので、遠慮していたのだがやむを得まい。
(ましてや「殺し屋1」なんて妻には決して観せられない。いつか必ず購入するけど)

処で僕は三池崇史というひとは半世紀遅れてきた石井輝男だと思っている。て、ご本人健在だが。
極道映画の秀作とホラー映画やカルト映画の怪作を当たり外れ構わず量産し続けたそのスタイルはふたりの監督の映画史そのものだ。しかも「カタクリ家の幸福」から丹波さんが三池映画の常連になってしまうし、もう完璧と云っていい。由利徹や砂川秀夫が存命だったら、彼らだって充分に三池組に入れる素質がある。
撮影中の新作「ゼブラーマン(哀川翔Vシネ主演100本記念作)」はさすがにヒーローもので今までとは毛色が違うし、と思ったがよく考えると若き日の石井監督は宇津井さんの「スーパー・ジャイアンツ」も撮っている。この雑多さ、ジャンクさ、職人肌の作家性こそが二大監督の身上なのではないか。

そして、この「牛頭」だ。
「DOA1」「殺し屋1」をアッパー系とするなら、本作は完全なダウナー系映画で、ぬるさとシュールさ(勿論バカさ加減)の波状攻撃が本懐で、シノプシスの確信犯的な発狂度合い(何しろ、佐藤佐吉の第一稿をいじりもせずにそのまま採用した)はあたかもつげ義春的エログロ無常世界で、つまりは石井輝男の後期作品「ゲンセンカン主人」「ねじ式」とリンクしてしまう(天然でまったりと発狂してしまった「地獄」あたりとリンクしてこない事を節に願う)。

ちなみにこの映画は、製作者にしてカズ役の曽根のおやっさんが名古屋在住という理由で名古屋が舞台なのだが(かの地には不要になったヤクザを始末するヤクザ処理場があるのだ)、佐藤佐吉扮するオカマ(脚本家が尻まで出して熱演するこたァないと思う)のマスターが経営する喫茶店では、コーヒーと一緒に茶碗蒸しを出して、南(曽根英樹)が目を剥くシーンがある。僕はてっきり三池映画一流の「ネタ」だと思ったのだが、脇で観ていた妻が一言「茶碗蒸しでしょ。最近は多いよね」といとも軽く流したのに驚愕した。

東海系の妻と結婚して7年、名古屋の風俗というか習慣には大概馴染んだつもりだった(こないだのGWには犬山の喫茶店で物量作戦のようなモーニングも食べた)が、茶碗蒸しは盲点だった。一方、妻は、ショックを受けている僕にショックを受けたようだった。「え、それって普通じゃないの…」
おっかさん(て、誰だよ?)、名古屋はほんに怖か処じゃ。

いい意味でもそうでない意味でも色々云いたい処のある映画だが、字廻組組長・石橋蓮司のおたまプレイだけは特に触れておきたい。蓮司さん、還暦を迎えて尚戦いをやめないというか、やめられないというか。「奮起せよ、前立腺」の涙ぐましいマイムと、おたまが貫通していくいまわの際の表情は、吉野きみ佳のある意味これまでのキャリアを捨てた体当たり演技と並んで、アカデミー賞ものと云わせて欲しい(ラズベリー賞だったりして)。

メイキングでおたま装着シーンの本番の後、石橋さんが床にへたりこんで「金くれ、金。ただで見るな」と叫んだのは、決して冗談ばかりでもなかったろう。石橋さん、あなたの「プライドを捨てる」という侠気はしかと受け取った。石橋さんは本物の漢(おとこ)です。勿論、哀川翔、あんたもだ!

「牛頭のうた」の出だしが「魔女の宅急便」のテーマ曲に似ていると思うのは僕だけか。
明日から頭の中をヘビー・ローテーションしそうで凄く怖いんですけど。♪ごーずー、ごーずー、ごーずー…。

どうでもいい話1:牛頭役の塩田時敏は杉作J太郎でも務まったかもしれない。
どうでもいい話2:長門裕之、川地民夫より遠藤憲一の使い方を勿体無いと感じるオレは余程業が深いのか。
どうでもいい話3:やっぱり木村進は痛々しすぎる。でも大ラスの「イーッヒッヒッヒ」が嬉しかったのも本当。

次は三池×佐藤のコメンタリー対談Ver.で観たいのだが、さて、いつの事になりますか。


 珈琲に茶碗蒸しの波紋  2002/7/29(Tu)


帰宅するなり、妻が開口一番妻が「ねえねえ、皆んなに聞いたけど茶碗蒸しって別に普通だよ」と云った。
とある掲示板で聞いた処、皆の意見を集約すると「茶碗蒸しは特段珍しいことではない。通常、トーストとかと一緒に出すのに、くだんの映画では茶碗蒸しだけ出すから目立つのではないか?」という事になったらしい。

「で、何処の掲示板だよ」
「『名古屋の喫茶店』板」

そんな生粋の名古屋人しか集まっていない処の「大多数の意見」なんてちっとも大多数じゃない。
名古屋人同士、「地元の喫茶店で」茶碗蒸しがノーマルなメニューである事を確認しあっただけじゃないか。
僕はそもそも茶碗蒸しを出す喫茶店の存在自体を想定していなかった。
喫茶店で茶碗蒸しが供されるなんて、ブティックでゴム長が飾ってあるくらい、唐突過ぎると思う。

せめて、つぼイノリオの「名古屋はええよ!やっとかめ」の歌詞に織り込んであれば → 山本先生。

録画してあった「徹子の部屋(ゲスト:白井晃)」を観る。
お父様が大阪の電飾職人で、「プロポーズ大作戦」のフィーリングカップル5対5もお父様が手がけたとか、弟さんが「兄貴にはその気がなさそうだから」と後を継いでくれたとか、早稲田の劇研に入るために大学に入りなおしたとか、実は電通マンだったとか、電通の仕事でオープン前の東京ディズニーランドのアトラクションを全てたったひとりで試乗して怖い思いをしたとか、白井晃トリビアが満載の40分だった。

白井さんのてきぱきした営業マン喋りの源泉が広告マンにあったとは…。


 ほんとうの備忘録  2002/7/31(Th)


さて今月観た映画は以下の11本。
出来ればDVDで観た三池監督の「牛頭」だって、劇場でわざわざこの映画を観にきたひとたち(此処、ポイント)と共に笑い、共に驚愕し、共に呆れたかったのだが(間違いなく映画満足度が5割増しになった筈だ)、カンヌとPPFオープニング(と一部の上映イベント)でしか銀幕に映してないんだからどうしようもない。

 65.「エルミタージュ幻想 RUSSIAN ARK (2002・独露日)」7/5(Sa)
 66.「ノボ NOVO (2002・仏)」7/5(Sa)
 67.「ニューヨーク最後の日々 PEOPLE I KNOW (2002・米)」7/11(Fr)
 68.「沙羅双樹(2003・日)」7/12(Sa)
 69.「オー!ハッピーデー OH! HAPPY DAY (2003・韓)」7/12(Sa)
 70.「テープ TAPE (2001・米)」7/12(Sa)
 71.「ターミネーター3 TERMINATOR 3: RISE OF THE MACHINES (2003・米)」7/13(Su)
 72.「トレジャー・プラネット TREASURE PLANET (2002・米)」7/13(Su)
 73.「踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!(2003・日)」7/19(Sa)
 74.「シティ・オブ・ゴッド CITY OF GOD (2002・ブラジル)」7/26(Sa)
 75.「ライフ・オブ・デビッド・ゲイル THE LIFE OF DAVID GALE (2003・米)」7/26(Sa)

我乍ら、単館系メジャー系、何でも好き嫌いせずによく食べている。
尚、今月読了した本は以下の2冊。

 三池崇史「監督中毒」(ぴあ)
 北村薫「リセット」(新潮文庫)

セレヴのオーラが全く無い大作家、北村先生の「時と人」3作目は最後の最後までこないと、いわゆるセンス・オブ・ワンダーが来ないという意味で「スキップ」「ターン」とは大いに異なる構造を持つ。このひとは本来、無理にこういう大仕掛けを構えなくても充分にリーダビリティのある小説を書くひとなんだが、仕掛け、イコール、モチベーションみたいな処があるんだと思う。だから北村先生は絶対に純文学方面には向かわないんだけど、彼が書く時代小説はちょっと読んでみたい気がする。きっと(映画の)「たそがれ清兵衛」みたいな肌触りの作品をものするんじゃないかな。




 
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