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さよならクロ、さよなら青春の影
2002/8/2(Sa)その1
福岡まで出張る気力がなく、中間にて邦画2本。
ますば松岡錠司監督の2年振りの新作「さよなら、クロ(2003・日)」。
僕は遅れてきた松岡ファンなので「バタアシ金魚(1990)」「きらきらひかる(1992)」「トイレの花子さん(1995)」といった、彼の名刺代わりと云ってもいい初期作品はいずれも観ておらず、その後ある種ひっそり公開された「私たちが好きだったこと(1997)」「ベル*エポック(1998)」で、複雑に行き来する人物の関係性の交通整理の巧みさ、上質のタペストリのように物語を織り上げる見事さに魅了された口である(前作「アカシアの道(2001)」は確か、シネサロン・パヴェリアで1週間のみの公開だった為、つい見逃してしまった)。僕にとっての松岡さんは映画作家というより、いい意味で映画職人(アルチザン)の印象が強い。勿論、フィルムから溢れ出る監督らしい情感のファンでもある。
そして、動物モノの難しさに果敢に挑戦した本作。
物語は野良犬クロ(映画冒頭の捨てられるまでの挿話がこれまた観ていて辛い)が秋津高校に来てから死ぬまでの12年間を、1960年代、クロを招き入れたクラスの青春群像と、彼が卒業して10年、クロが寿命を終える時に彼女(クロはメスだった)に関わったクラスの青春群像との2部構成からなる。特に第2部で新旧キャラが入り混じっても観客が混乱しないのは、ひとえに松岡監督の交通整理術の賜物だと思う。
映画は学校犬クロの一生を追いつつ、彼女の一生とリンクするかの如く、亮介(妻夫木聡)と雪子(伊藤歩)の10年越しの恋の行方をも追う。友達以上恋人未満の三角関係の行く末はふたりにいつまでも居心地のいいぬるま湯に浸かっている事を許してくれなかった。結論を急いだ孝二(新井浩文)の事故死(傑作「青い春(2002)」に引続き、「死」という彼の退場の峻烈さが青春映画につきものの陰影を強くする)が、ふたりに長い冬を課した。亮介は全てを振り払うかのように獣医の勉強を続け、雪子は孝二の死の負い目から逃れるように不幸な結婚と離婚を経て、結局、彼の死の責任を全部引き受けるように、ひとりで生きる決意を固めていた。
此処で重要なのは、本作はあくまでクロの映画であるという舵取り。
孝二の死を知った直後に、教室の窓から飛び降りようとした雪子を踏みとどまらせたのはクロだし、亮介が獣医になると決めたのもクロの為、そして10年後、老いたクロの子宮の手術を通してふたりの長い冬はようやく終わりを告げるのだ(ラストカットの、亮介たちが歩く道の向こうに聳える長野の山並みに、かぶるように財津さんが唄う「青春の影」も胸に染みるが、駅のホームで若いふたりが一旦別れるくだりは大林監督の「なごり雪(2002)」にも勝る名シーンである)。
勿論、色恋ばかりでなく、クロが関わった人たちの群像劇としても胸が熱くなるエピソードが満載だ。
とてもひとりひとりを紹介するエネルギーはないけれど、用務員のおじさん(井川比佐志)が、クロの葬儀の後、校庭で黙々と彼女の使った毛布を石油缶で燃やす時のたたずまいの悲しさ(それまでクロとの地味だけどもあたたかい日々の丁寧な描写があったればこその「悲しさ」である)、生理的に犬がダメな草間先生(塩見三省)が10年かけてようやく勇気を出してクロに手を舐めてもらった時の人知れぬ感動、一転してクロの訃報を聞いた後、誰もいない廊下で人知れずメガネを外して涙を拭う背中(カメラは小刻みに震える彼の後頭部しか映さない)、と人の数だけそのひとだけのクロの思い出がある事を、映画は鮮やかに拾い上げてくれる(塩見さん、本っ当にいい仕事と巡り合いましたね)。
これはクロをイコンとする秋津高校自身(時に校舎そのものであり、時に校舎の其処此処に残るさまざまな記憶たち)の追想記なのだ。これを観た大人たちの魂が、遠い昔に置き去りにした「クロ」という名の青春を思い出した時、ひょっとしたらその足が母校に向かうかもしれない、そんな切なくてあたたかい卒業アルバムのような映画です。
また松岡監督にやられました。
もしかすると今まででいちばんやられたかもしれない。
この項、続く。
インタァナソナルな家族
2002/8/2(Sa)その2
お次は、中江裕司の最新作「ホテル・ハイビスカス(2002・日)」。
撮監は「ナビィの恋(1998)」に引続き、高間さん。
こういう単館系映画がシネコンでもじゃかじゃかかかるようになったのは誠に喜ばしい。
動物モノにじぃんとした後に子供モノというのも夏休みらしくてよい(僕に夏休みなどないが)。
たやすく感動が得られると思われがちだが、その実、撮影の苦労が忍ばれるジャンルでもある。
何しろ、天候待ち、動物待ち、子供待ちという位だ(尤も云っているのは僕だけかもしれない)。
小学校の頃、皆んなで講堂に集められて観た映画がちょうどってこんな感じだった気がする。
程良く低予算で、子供が主人公で、観終わると心の何処かに爪あとを残す、そんな映画。
きっとひと昔前なら、学校や公民館を巡回するタイプの作品だったと思う。
物語自体は底意のない平易なもので、客室がたったひとつしかなく、全然商売が成立していないホテル・ハイビスカスで暮らす小学生3年生の美恵子(蔵下穂波)の胸躍る冒険の日々(つまりはきわめてたわいのない毎日)があっけらかんと綴られていく。彼女の心が波打つのは、せいぜいクラスメイトに両親が離婚すると囃された時ぐらいで、そうでない限り、彼女の心は沖縄の空同様晴れ渡っている。たとえば同じ子供を描いた灰谷文学と比べると、あきらかに能天気、おバカの世界だが広がっている。
けれど、よくよく辺りを見回すと、彼女の兄姉であるケンジにいにい(ネスミス)とサチコねえねえ(亀島奈津樹)は、それぞれ黒人兵、白人兵とのハーフで、母ちゃん(余貴美子:「さよなら、クロ」の結城先生といい映画づいてますね)が一家の大黒柱として米軍相手のバーに勤めている事を考えれば、家族の背景はかなり複雑だ。けれど父ちゃん(照屋雅雄)とおばあ(平良とみ)含め家族中が「インタァナソナル」だとカラカラ笑っている(境遇との折り合いがつかずに尖っているケンジにいにいにしても、実際には血の繋がらない父ちゃんを愛し、尊敬している事に変わりはない)。映画の到る処で耳をつんざく米軍機の轟音も、幸か不幸かは別にして沖縄ではそれがごくごく普通の日常なのだ。
映画は美恵子と彼女の家族の(愛情に裏打ちされた)天真爛漫さを辿りつつ、綺麗事だけでは決して語れない、現実としての沖縄をドラマチックでもなく、目の前にあるものとして僕らの前に差し出す。それが沖縄の「現在」なのだ。僕らは明るいばかりのこの映画から、確かに息づくかの地のひずみを、沖縄のひとが感じるように体感出来る仕組みになっている。諦観としたたかさと大らかさとがないまぜになった沖縄人のライフスタイルと人生観を肌で感じる事が出来る。
本作はまた、現在の沖縄と隣り合わせに、色んな神様やキジムナーが暮らす古き良き沖縄をも配置する。
美恵子とキジムナー夕ンメー(登川誠仁:今回は「星条旗よ永遠なれ」を弾いてくれないのが淋しい)のガジュマルの樹のくだり、彼女が死んだ叔母の霊と出会うくだりに、沖縄のひとたちのマブイ(魂)が今も変わらずに機能している事を知る。御伽噺上等、である。
母ちゃんたちのアメリカ旅行に連れて行ってあげられない美恵子を悲しませない為に、家族総出で画策する宝くじ大会の可笑しさや、小学生ならではの下品な替え歌を含む音楽のことなど話は尽きないが、今日はこのへんで。
前作で主演した西田尚美、村上淳のカメオ出演も嬉しいが、揃って出てくれると尚良かった。
帰宅して、夕方は妻子と「エスプリ」「浜勝」コース。
悠都が此処のロールケーキの味に慣れると、よそでお呼ばれした時に「ボク、このケーキきらい」とか云い出すんじゃないかと今から不安だが、僕らもわざわざ不味いケーキを買って食べはしないので此処が難しい処。既に牛乳も特定ブランドを外すと「美味しくない」などと能書きを垂れやがるし。
悠都を、Eさん云う処の「小憎らしい子供」にしてしまうんじゃないかとちょっとブルー。ま、仕方ないか。
買い物日記
2002/8/3(Su)
家族して車でお出かけして買い物をする一日。
まずはトイざらす新宮店で、
・ミクニ・チャイルドシート「ファンキッズ」
・トミカ収納ケース(兼立体駐車場)3ケース(元々のお目当てはこれ)
駐車場でさっそく新しいチャイルドシートに付け替えた処、今までより下半身の事由が効かなくなった為、悠都が泣いて抵抗する。一旦、ママが後部シートに移動する事で、彼自身は不承々々落ち着いたが、三半規管の脆弱なママが今度は車酔い。
妻が吐く前にキャナルシティに移動して、
・「潭 TANG 創作鉄板焼&お好み焼き(キャナル・グランドプラザ B1F)」で昼食
2人3500円のコース。サイコロステーキ、オムレツ、帆立のクリーム煮、海鮮焼飯にデザート等など。
料理はデザートを除き、全て鉄板で焼いていた。特に帆立のクリーム煮、焼飯の塩加減は絶品。
・「ユニクロ(キャナルシティオーパ 3F)」で主に僕の服(チノパン2枚にカットソー数枚)、少し妻の服
妻が復調した処で帰途。映画を観ずにキャナルを出るのは何年振りだろうか。
息子に「ママを隣に座らせるとママ死ぬぞ。欠伸を始めたら3分で死ぬから」と脅したけど、ママは後ろに乗ったね。
生あくびを必死で噛み殺してましたが、途中寝たみたいなんで、意外とどうにかなったようです。
で、結局幾らくらい使ったのか(僕は知らない)。ユニクロなんてあれだけ買い込んでも8000円くらいだったから、チャイルドシートを合わせても全部で3万円前後ですかね。
懸案だった買い物の幾つかは済んだが、HDDレコーダやら靴やらスーツやら残課題も沢山(て、僕のばかりだ)。
唸る程カネがあるじゃなし、ま、おいおい買っていきましょう。
ヒロシマの空
2002/8/6(We)
広島原爆忌。
今日ばかりは「とくダネ」ではなく、NHKの平和記念式典の中継を観る。
神妙な顔をしてみせる我が国の首相の顔を眺めていたら途中、時間切れになって、家を出る。
社宅の駐車場で8時15分。
B29エノラ・ゲイが投下したリトル・ボーイという、被災者側から聞けばふざけたとしか云いようのない名前の爆弾(長崎型「ファットマン」とその形状で区別した)が広島県産業奨励館の上空580メートルで爆発した時刻。暫し、黙祷。
以下は昔書いたかもしれないが、思えば結婚までの7、8年というもの、8月6日の朝は「夏・長崎から」が開催される稲佐山公園で迎えたものだった。その時刻が近づくと、何処かのさだ研の有志が号令を取って「せーの」で黙祷するという、何だかヤな感じの「祈り」でもあった。「夏・長崎から」に参加してからさだ研アレルギーになった彼女(現在の妻)は、彼らのそういう行為が痒くて痒くて仕方がなかった。それが結婚してこのコンサートから足が遠のいた理由のひとつでもある。
今でもはるさんから、気楽モードで行かないかという誘いがたまにくる。8月6日と週末が重なれば、当日夕方からゆっくり稲佐山に登ってのんびり参加するというかたちはありだなと思っている。その頃は悠都も小学校に上がる頃だろうし。
処で、広島に原子爆弾を投下したアメリカがイラク侵攻の折りに「ヒロシマ」という言葉を口にした。
以下、池澤夏樹「新世紀へようこそ 095」から孫引きする。
先日、アメリカの軍事関係者が、きたるべきイラク攻撃の展開を解説した時に、「ヒロシマ効果」という言葉を使いました。
開戦の初日に300発から400発のミサイルをイラクに撃ち込む。翌日も同じ数のミサイルを投入する。この集中的な大量破壊によってイラク側の戦意喪失を図る。
これを「ヒロシマ効果」と呼んだのです。
彼らにとってのヒロシマは何処までも誇らしげな戦果のひとつなのですね。
これまで戦争責任を取った事がないから、あくまで占領国としての戦後処理しか行った事がないから、こういう発言がどれだけ舌禍となるのか分かっていない。それでアメリカは嫌われていると云われると、つぶらな瞳で心底驚くのだ。
いつもにましてとりとめがなくなったが、たまには映画の感想以外の話もいい。
ふと思いついたので、「The Restoration after the A-bomb」で見つけた、昭和21年2月22日に「広島市復興座談会」で、当時呉市助役だった高良富子の発言を引用しておく。
いささかセンチメンタルに過ぎるかもしれないが、半世紀余経った今こそ、人類への「見せしめ」として広大なモニュメントに封じ込めた人類として恥ずかしい記憶こそが無垢で邪悪なアメリカ人の胸を打つのではないか。慢心で無痛な僕ら日本人の胸を再び打つのではないか。
びょうびょうたる焼跡を、世界平和永久維持のための記念の墓場として、そのまま残して欲しい。多くの人々の死んだ土地のうえに街をつくるのはどうかと思う。
新しい広島は無理にもとの広島に帰る必要はない。市の周辺に新しい場所を求めて、そこに広島市を復活させたらよかろう。
忘れてしまいたい過去ほど、忘れるべきではない。
グランドゼロを振り上げた拳の原動力にしてはならない、それが何故、かの国に分からないのか。
そして、今日も「夏・長崎から」でさださんは力の限り歌うのだろう。
エンドクレジット考
2002/8/9(Sa)その1
長崎原爆忌。
午前中は雨と聞き、どうしても今週中に福岡まで出て観たい作品がある訳でなし、今日は中間で2本観る。
最初は、「パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち The Pirates of the Caribbean (2003・米)」。
我が子の為にディズニー・アトラクション・ムービーの海賊を嬉々と演じるジョニー・デップ観たさが、モチベーションの全てだったのだが、「読みは当たった」というか、まさしくジョニー・デップ扮するキャプテン・ジャック・スパロウのキャラ立ちを堪能するための映画であった。目的150%達成。本作の感想はそれに尽きる。
C調で抜け目がない上に、酒と女にだらしなくて(会う女、会う女に平手打ちされている)、でも不意に遠い目をすると様になって、剣は達者だし、秘密の過去もあるし、悪漢だが根が善人(困っている人間を見捨ててはおけない)故にすぐに窮地に陥るが、奸智とバイタリティと人徳でどうにか切り抜けていく。こんな二枚目半のクール・ガイ、要するにルパン3世みたいなキャラに魅力がない筈がない。尤もそれ故、演じ手にはかなり高度なキャラ立ちと技能が要求される訳で、そのハードルを越えてみせた(決して安々とではなかった筈だ)ジョニー・デップには最大級の賛辞を惜しまない。実際、彼の子供たちはおとうさんをキャプテン・ジャック・スパロウと信じているそうで、父親冥利に尽きる話である。
ただ、ジャック・スパロウの目の下森のクマさんなメイクは「シザーハンズ EDWARD SCISSORHANDS(1990・米)」のエドワードの大駱駝鑑系メイクのアレンジだと思うのはちとうがちすぎか。そういう目で見ると、バルボッサ(ジェフリー・ラッシュ)をそそのかす時のくねくねした仕種にもエドワードが見えてきたり(「12モンキーズ」のブラッド・ピットがあんな感じだったな)。
ジェフリー・ラッシュの愛すべき極悪人振りは云うまでもなく、◎。
宿敵であるスパロウとのやりとりの中にもふと現場の楽しさが垣間見えるのがご愛嬌。
ウィル・ターナーことオーランド・ブルームは僕にはやっぱりレゴラスの金髪のロン毛がデフォルト。
尤も、この映画もシリーズ化するらしいので2つの人気シリーズのレギュラーでスター街道まっしぐらですね。
お話はプロローグ(エリザベス(キーラ・ナイトレイ)の少女期の回想)が力み過ぎて肩が凝りそうだったが、ジャック・スパロウの登場シーン(オンボロ船の水を掻き出すあたり)からアトラクション・ムービーの本領を発揮して、特に中だるみも感じさせず2時間23分の長丁場をあっという間に走り抜けた感じ。ゴア・ヴァービンスキーはこれが初見だが、アメリカ人至福至上主義者であるジェリー・ブラッカイマーの期待に十二分に応えていたと思う。
以下、ネタばれを含む。
アステカの金貨の呪いは物語後半、効果的なガジェットとして機能するし、呪いを逆手に取った不死化のツールとしても面白いのだが、慾を云えば、呪いをかけられた靴紐のターナーと血縁というだけで、直接呪いにタッチしていない息子(彼は呪いをかけられてから生まれた訳ではない)の血が呪いを解くのに有効、というのは承服しかねる。あと後追いでコインを持ち出して不死になったジャックというのも、彼が自身の血であがなわないと呪いは解除出来ないんじゃないか。
尤もそんな無粋は映画のオチ自体を否定してしまうので、此処は素直にブラッカイマーの尻馬に乗るが吉。
尚、本作はエンドロールが終わるまで決して席を立たない事。
とは云え、近頃の映画の99%のエンドクレジットが長時間観客に忍耐を強いるのも事実。
どの作品にもカーテンコールやNG大会を入れろとは云わないが、せめて「ハムナプトラ」シリーズ程度には凝ったデザインでサービスするなどして欲しいもの。
三池監督の「殺し屋1」まで来るとエンドクレジット自体が独立した一個の作品になってしまうが、あれはさすがに別格です(ていうか、あの映画で初めて自分の名前が映画に出たひとは却ってありがた迷惑のような)。
この項、続く。
プリンセス・ソフィアは仔羊料理がお好き
2002/8/9(Sa)その2
お次が、「10日間で男を上手にフル方法 HOW TO LOSE A GUY IN 10 DAYS (2003・米)」。
全く偶然だが、長いタイトルの映画が続く。監督は「デンジャラス・ビューティ」のドナルド・ペドリ
いきなりネタばれなので(というか身も蓋もないので)、映画を観るつもりのひとは読まないでね。
一言で片付ければ、来年上半期くらいにフジの月9枠でパクられそうな「失恋上等」ラブコメディ。
ヒロインは財前直見でと思う僕のセンスは既に古びているのだろうか。
尤も、誰がやってもそれなりに面白くなる題材ではある。
恋愛映画のひとつのパターンとして、ある下心(多くは賭けとか命令とか)から、好きでもない相手とつきあう、というのがある。たいていは遊びのつもりが(ストックホルム症候群かどうかは知らないが)そのうち本気で恋に落ちてしまう。ふたりが幸せの絶頂にいるあたりで、元々の「下心」が相手に露呈、一気に崩落したふたりの関係を「真実の愛」とやらでがむしゃらに修復してハッピーエンドになるってヤツ(わはははは、書き方に毒を含んでますねー)。
最近だと先月観た「オー!ハッピーデー(2003・韓)」なんかがこのヴァリエーションにあたる。
余りにも使い古された筋書きなので(とは云え世界中で繰り返されるのは、それが愛すべきマンネリだからに他ならない)、此処はシチュエーションの独自性や枝葉の目新しさに頼む事になるのだが、本作はそれが「敢えて付き合って振られる」マニュアル記事を執筆するという女性(アンディ:ケイト・ハドソン)側の事情と、10日間で恋に落ちて仕事を取るという男性(ベン:マシュー・マコノヒー)側の事情が交差するダブル下心が恋愛ゲームの発端だ。「絶対に振られる」スナイパーと「絶対にモノにする」ターミネーターが拮抗するので、恋の駆け引きは必然的にエスカレートしていく(親友にセラピストをやらせるあたりのバカバカしさは月9そのもの)。
映画自体は笑っちゃうくらい上に書いたシノプシス通りに展開していくのだが(アンディの恋が前を向くきっかけとなったカードゲーム「Bull Shit」が、壊れたふたりの関係を修復する「呪文」に使うあたりは成程上手い)、この手の映画は予定調和の破局にはらはらさせられてなんぼなので、決してくさしている訳ではない。
ヒロインのケイト・ハドソンやよし。
「あの頃ペニー・レインと」でロックバンドのグルービーを演じた彼女も危うげで良かったが、本作のコメディエンヌ振りも堂に入ったもの。ルックスはむしろドリュー・バリモア系だが、立ち位置としてはメグ・ライアンの正当な後継者になるのかもしれない。しかも実生活では一児の母なんだよなあ。
コメディエンヌは捨て身になるべしとはよく云ったもので(誰が云ったんだ)、ベンのあることないことをセラピストに打ち明けつつ、ウソ泣きし乍ら脇の下に汗取り用のティッシュを挟んでいく処とか、すげーバカっぽくていい。
相手を勤めるマシュー・マコノヒーは「評決のとき」「U-571」「サラマンダー」での熱血漢のイメージが強かったんだけど、この映画で見せる緩急自在さがいい。物語冒頭で筋肉バカと思わせて(実際そういう面を持つキャラでもあるのだが)、徐々に仄見えていく繊細さ(尤もアンディに男性自身をプリンセス・ソフィアと呼ばれて萎えてしまうナイーブさはいかにもアメリカ人)と、振り回されっ振りに見られるお人好しさは世の女性にも高得点なのでは。「所詮オンナなんてよー」などとうそぶく少年っぽさも却って可愛い、みたいな(いや、僕は別に可愛くないですけど)。
同じ女の身勝手を描くんでも、面白さは「メラニーが逝く!」の5万倍。サバ云うな、このヤロめ。
処で、今日観た映画は2本共、偶然にも字幕が戸田奈津子だった。
また2ちゃんあたりで誤訳バッシングにさらされているのだろうか。
家に帰って息子との約束通り「エスプリ」に行ってやわらか杏仁を買う。
夜は浜勝とこれがまた結構デフォルトな週末の過ごし方。
妄想中学1967
2002/8/10(Su)
妻のスタバ行脚に付き合って、天神へ。
夏季限定マンゴー・シトラス・フラペチーノと暖めてもらったキーマカレーパンを悠都と分け合って食べる。
暫くご無沙汰しているとメニューの意外性に驚かされるばかり。カレーパンは美味しかったです。
隣接するジュンク堂で宮藤官九郎「妄想中学ただいま放課後」(太田出版)を立ち読みする。
これはクイックジャパンに連載された宮藤官九郎がホストの対談集。彼と同じ1970年生まれの有名人を集めて妄想中学の仮想クラスをつくってしまおうというもので、選抜されたクラスメイトも的場浩司、永作博美、阿部サダヲ、相田翔子、及川光博、安野モヨコ、羽生善治となかなか濃い面々。同世代間のジェネレーションギャップに唖然とする企画というか、これだけ雑多なひとたちがひとつの教室で青春を共有したかもしれないという不思議を感じられる、面白い企画モノであった。
そこで、僕(1968/1/1生まれ)も自分が入学可能な妄想中学のクラスメイト候補を調べてみた。
対象は1967年(昭和42年)度生まれ、即ち、1967/4/2〜1968/4/1に生まれた皆さん。
日本人であれば、1974年(昭和49年)に小学校に入学し、1980年(昭和55年)に中学校に入学したひとがこれにあたる。正確には僕は一浪したので、大学まで含めると同級の範囲がぐぐっと広がるのだが、そこまで含めると収集がつかなくなるので(実際に6歳年上という猛者の同級生(同年入学)もいた)、あくまで1967年度限定とする。
尚、有名人という定義には「僕」というバイアスがかかっている事を断っておく。
基本的には検索エンジンを使って調べたのだけれど、スポーツ選手系はスポーツオンチの僕でも知っているひと限定。あと、ある程度思い入れがない限り、「あの人は今」的なひとは極力排除(それでも相当数含んでしまいました)。またやっさん(正真正銘の同級生)を含む若手噺家の皆さんはネット調査負荷が膨大なので、今回の対象からは一旦外した。
それでもカウントすると、総勢101名にのぼった。3クラスは作れる。
笑っちゃうようなメンツが揃った。あんまり壮観なので、以下に紹介しておく。
さすがにクラス編成までは手が出ないので、今日は顔合わせまでという事で(ばか)。
1967年04月(7人)
正直、4月はちょっと地味だヌーン。処で倉沢敦美って芸能界引退したんだっけ?
坂本サトル(4/3)、宇徳敬子(4/7)、ピエール瀧(4/8)、土佐信道(明和電機)(4/14)、ゴルゴ松本(4/17)、倉沢敦美(4/20)、児島未散(4/25)
1967年05月(6人)
TVの前で「歌のおじさん」呼ばわりしてたあきひろおにいさん(悠都のヒーローでもある)が同い年だという衝撃の事実にちょっとへこんでみたり。でも、西村さんが同じクラスならいいなあ(きっとよそよそしくしか話しかけられない)。
杉田あきひろ(5/4)、西村由紀江(5/8)、武田修宏(5/10)、坂元裕二(5/12)、石川よしひろ(5/27)、矢口史靖(5/30)
1967年06月(7人)
6月はニコール・キッドマンと玉袋筋太郎が2日違いで生まれている事に尽きる。
あと、妻とさまぁ〜ず三村の誕生日が同じだったというのもなかなか。なかなかかよ。
坂上忍(6/1)、三村マサカズ(6/8)、大林素子(6/15)、ニコール・キッドマン Nicole Kidman(6/20)、玉袋筋太郎(6/22)、南野陽子(6/23)、渡辺真理(6/27)
1967年07月(12人)
福原直英というのは「めざましTV」の「OH,MYニューヨーク」の福原アナ。
和製サンドラ・ブロック(と勝手に僕が名付けた)高田聖子と本家サンドラの誕生日がわずか2日違いというのも何か因縁を感じる。いつか何かの間違いで共演してくれないかなあ。
パメラ・アンダーソン Pamela Anderson(7/1)、とよた真帆(7/6)、沢村一樹(7/10)、YO-KING(7/14)、ANI(スチャダラパー)(7/18)、ヴィン・ディーゼル Vin Diesel(7/18)、フィリップ・シーモア・ホフマン Philip Seymour Hoffman(7/23)、福原直英(7/24)、サンドラ・ブロック Sandra Bullock(7/26)、高田聖子(7/28)、中山秀征(7/31)、本田美奈子(7/31)
1967年08月(11人)
これまたバラエティに富んだ布陣。天海さんに松村に清原にキャリー=アン・モスだぞ、おい。
奥寺さんは「めざましTV」のスポーツキャスター。「めざまし」好きだなあ、オレ。
一部、物故者(岡田有希子)がいる処に、時の流れを感じる。
マチュー・カソヴィッツ Mathieu Kassovitz(8/3)、天海祐希(8/8)、東野幸治(8/8)、松村邦洋(8/11)、金山一彦(8/16)、清原和博(8/18)、奥寺健(8/19)、キャリー=アン・モス Carrie-Anne Moss(8/21)、西村和彦(8/21)、岡田有希子(8/22)、高部知子(8/25)
1967年09月(7人)
微妙に地味なメンツなのを、何気にゴン中山が支えてる。
中村繁之(9/1)、ハリー・コニックJr. Harry Connick Jr.(9/11)、田中美奈子(9/12)、中島宏海(9/13)、高橋真美(9/20)、緒形直人(9/22)、中山雅史(9/23)
1967年10月(10人)
田口浩正、香田晋、松田洋治といったひとたちに同世代性を強く感じる(仲良くなれる気がする)のは何故だろう。
ジュリア・ロバーツがクラスメートだったら口喧嘩が絶えなかった気がする。但し、言葉が通じたとしてだけど。
ガイ・ピアース Guy Pearce(10/5)、青田典子(10/7)、安東弘樹(10/8)、田口浩正(10/8)、香田晋(10/12)、谷村有美(10/17)、湯江健幸(10/18)、松田洋治(10/19)、松本大洋(10/25)、ジュリア・ロバーツ Julia Roberts(10/28)
1967年11月(6人)
実は今回、唯一誕生日を諳んじられるのが知世ちゃんでした。
高校時代にリアルタイムでファンだったひとというのは、やはり忘れないものである。
しかも、理想的な齢の重ね方してるし。ファンだった事を誇りに思うね。
浅倉大介(11/4)、松岡修造(11/6)、伊集院光(11/7)、フランソワ・オゾン Francois Ozon(11/15)、原田知世(11/28)、蓮舫(11/28)
1967年12月(9人)
織田に江口に草野と此処はモテモテ軍団が揃ってて、何だかヤな感じ。
ウォシャウスキー弟とは多少ともタク友になれたかもしれんが、それはそれでヤな感じ。
深江卓次(12/2)、大竹一樹(12/8)、有森也実(12/10)、保坂尚輝(12/11)、織田裕二(12/13)、草野マサムネ(12/21)、石野卓球(12/26)、アンディー・ウォシャウスキー Andy Wachowski(12/29)、江口洋介(12/31)
1968年01月(12人)
どうでもいい話だが、僕の生まれ月。
キューバ・グッテイングJr. Cuba gooding,jr.(1/2)、蛍原徹(1/8)、内海光司(1/11)、設楽りさ子(1/13)、CHARA(1/13)、長山洋子(1/13)、松居直美(1/14)、瀬名秀明(1/17)、葉加瀬太郎(1/23)、林葉直子(1/24)、宮崎ますみ(1/26)、ぜんじろう(1/30)
1968年02月(9人)
文科系、体育系、お笑い系にフェロモン系とひと通り揃っているのが、この2月。
個人的には「欽ちゃんの気楽にリン」デビュー当時から知っている水沢螢がクラスメイトだと嬉しかったり。
佐々木蔵之介(2/4)、水沢螢(2/6)、山崎邦正(2/15)、舞の海秀平(2/17)、いしのようこ(2/20)、佐々木主浩(2/22)、山本圭壱(2/23)、貫井徳郎(2/25)、飯島直子(2/29)
1968年03月(6人)
セリーヌ・ディオンが同い年ってのは抵抗があるなあ。てっきり40過ぎだとばかり思ってた。
逆にカヒミ・カリィが同い年だとは思わなかったなあ。てっきり30そこそこだとばかり思ってた。
相楽晴子(3/1)、大沢たかお(3/11)、カヒミ・カリィ(3/15)、新田恵利(3/17)、セリーヌ・ディオン Celine Dion
(3/30)、小川直也(3/31)
1968年04月(1人)
境界線スレスレに生まれたひとが桑田というのも何だかなァ。
桑田真澄(4/1)
ちなみに、惜しくも同級生になり損ねたひとたちに、林原めぐみ(1967/3/30)、坂本冬美(1967/3/30)、鷲尾いさ子(1967/4/1)らがいる。林原めぐみが1個先輩というのも予想だにしなかった展開だ。逆に坂本冬美は同級生だとばかり思ってたので、ちょっとがっかり。
Z−SIDEのヴァージンレコードで渡辺美里「ORANGE」を購入していたらあっという間に夕方。B1食料品フロアで若布素麺や輸入物のナシゴレン、ミーゴレンの元など買い込んでから慌てて退散する。
夕食は「金龍」でやみつきラーメンのカレーセット。此処に来るのも久し振り。
講談「英雄/十歩一殺の巻」
2002/8/16(Sa)
14日の夜に、仏壇の祖父母に顔見世で宇佐へ帰宅、15日だけ有給を取って2泊、今朝、宇佐を出る。
椎田道路を抜けて苅田から北九州に入るまでが凄い渋滞だっただけで後は比較的スムーズ。
息子は叔母たちと離れるのを寂しがっていたが、逆に妹たちはほっと一息といった処だろう。
天気がイマイチだったが、目的は実家への帰省だった訳だし、由としよう。
さて、疲れた足取りでもこれだけはと張藝謀(チャン・イーモウ)大人「HERO 英雄/HERO(2002・香中)」の初日。
予告編から画づくりの壮麗さに心奪われた中華製娯楽大作で、まさに期待通りの「総天然色戦国絵巻」であった。
逆に云えば、僕はこの映画にそれ以上のものは求めていないとも云える。
だって客はこの映画を文芸大作ではなく、チャンバラ大作のつもりで観に来てるんだから、それの何が悪い?
アサヒコムによると、「中国本国で、『HERO』の歴史描写に中国で大議論」とかで、同業者である陳凱歌(チェン・カィコー)大人が「中身が空っぽ」と発言したとあるが、あなた、陳凱歌と云えば、「HERO」と同じく、秦王と彼の命を狙う暗殺者を描いた超大作「始皇帝暗殺(1998・日中仏米)」を撮ったご当人じゃないですか。
構想に8年もかけて史実の隙間を埋める作業を続けた彼にとって、秦王周辺には一家言というか或る種の矜持がある筈だし、そもそも荒唐無稽なばかりの本作が秦王映画の代表作として、「始皇帝暗殺」を塗りつぶすように君臨されてはたまらないという思いもあるやもしれぬ。
この映画のキモは、ワイヤーアクションとCGと人海戦術とが作り上げた、アートの域にまで昇華された一葉の画としての迫力、すなわち様式美にあり、オールスターキャストに観られるお祭騒ぎにある(特にワイヤーアクションとCGの合成は「グリーンデスティニー(臥虎藏龍)」からも飛躍的な進化を遂げている)。くどいようだが、これは張藝謀なりのこだわりで作られたチャンバラ活劇大作だ。
歴史劇と時代劇とは似ているようで大きな隔たりがある。陳凱歌や金庸は歴史劇として酷評しており、僕らは時代劇としての大仰さ(譬えるなら、講談や黄色本が放つ魅力に相通じる)に胸躍らせるのだ。
冒頭、無名(李連杰:ジェット・リー)の秦王(陳道明:チェン・ダオミン)謁見シーンの莫迦々々しさはどうだ。
暗殺の危険に疑心暗鬼になってる王は何人(なんぴと)たりと百歩以内の距離に近付けさせない、この勿体振った基本設定(にして一大伏線)からして大風呂敷にも程がある、というか講談の手口そのものだ(映画本篇でもラスト近くに、王の周囲を大勢の家臣が取り囲むシーンが出て来る)。当代随一の刺客たちを倒した褒賞として、刺客その1・長空(甄子丹:ドニー・イェン)を殺したとして、秦王から三十歩の距離まで、殘劍(梁朝偉:トニー・レオン)とその恋人・飛雪(張曼玉:マギー・チャン)を殺したとして、秦王から十歩の距離まで拝謁を許される。
これひとつとってみても、神田一門の誰かが「講談・英雄」として新しい演目に加えていいとさえ思う。
一事が万事この調子、法螺や与太と紙一重の英雄譚だが、僕らはワイヤーアクションを観にくる客である。
そもそも大法螺を聞きに来たというのに、其処に何の不都合があるものか。
以下は、ネタばれを含む。
物語は、最后に明かされる真実に向かって、無名と秦王を語り部に、恋人同士である殘劍と飛雪にまつわる幾つかの虚偽の回想と推理による再現劇を展開しつつ、真相に近づいていくという構造を持つが、物語が変遷を辿る毎に、全ての登場人物たちが纏う衣の色が目も彩な深紅、青、緑、白と変わっていくために、様式美としての色覚的効果と共に、物語の交通整理としても極めて分かり易い仕掛けになっている。
この映画の色へのこだわりはかなりなもので、ちなみに再現劇を除く物語の最初と最後は皆、黒というか深いグレー系で統一されているし、飛雪と如月(章子怡:チャン・ツィイー)が闘うシーンは赤の物語の中にあって、背景を吹雪のように舞う木の葉と同調して唯一黄色の衣である。尤も、如月が敗れ、彼女の衣が血染めとなると同時に、木の葉の吹雪も含めて世界中が深紅に染まる、というオチがついている。
余りに鮮やかな色づかいと変遷振りに、もしや京劇における臉譜(顔を強調する為に描く色とりどりの隈取り)における「色」の意味とリンクしているのではと思い、ちょっと調べたりなんかしたのだけれど(「臉譜≪隈取り≫」)、残念乍ら厳密な関連はなかった。
物語としての結末も浪花節が入りつつも、政(まつりごと)を司るものの悲しみと、個人の想いは時代(運命)には逆らえぬ大きさを感じさせるもので、美しく切なくまとまっていて、良く出来た「講談」として完結している。やはりこの映画で史実をとやかく云うのは、柳田理科男的視野狭窄に思えるなあ。
処で、劇中、ヴァイオリンを演奏してたのは、クラシック界のサイババ、イツァーク・パールマンであった。
張藝謀大人、何でも本作の成功に味をしめて、総天然色戦国絵巻の2本目を製作しているらしい。
陳凱歌以外は、刮目して待て!(あ、ボク、陳凱歌作品は大好きなんですよう)
普通のエミリー・ワトソンに戻りたい
2002/8/23(Sa)その2
時間が中途半端に空いたので、ジュンク堂まで足を伸ばし、村松友視「今平犯科帳 ─今村昌平とは何者」(NHK出版)、新戸雅章「発明超人ニコラ・テスラ」(ちくま文庫)を購入してから、KBCシネマに取って返す。所謂残暑が厳しくて、歩くだけで人間ポンプのように汗が噴き出すのはどうにかならないものか。
という訳で、ポール・トーマス・アンダーソン監督「パンチドランク・ラブ PUNCH-DRUNK LOVE (2002・米)」。
映画づくりはキャスティングでその半分が終わると云ったのは大島渚だったか(うろ覚えですまん)。
ありていに書けば、本作はアダム・サンドラーとエミリー・ワトソン主演のラブロマンスである。
PTAの戦略としての、キャストの意外性は買うが、「ブギーナイツ(1997)」「マグノリア(1999)」に比べると、アダム・サンドラーへのキャラ依存度が高すぎて、作劇的にはちと不完全燃焼気味。
というか、エミリー・ワトソンの使い方が根本的に間違っていやしないか。
エミリーと云えば、ラース・フォン・トリアーの怪作「奇跡の海(1996・デンマーク)」のベスである。
愛する夫の妄想(だろう、アレは!)を満たす為なら、吐き気を堪えても痴女をやるし、涙が止まらなても売笑するし、おのれが姦死する事で夫の半身不随だって治してしまう(そりゃ、奇跡だ)、無垢なんだかすっとこどっこいなんだかよく分からない聖女が、世界に衝撃を与えたキャリアの最初なのだから、続く主演作品が「アンジェラの灰」「ほんとうのジャクリーヌ・デュプレ」あたりのマイナー・ドラマチック重悲劇系なのは至極真っ当とも云える。
観客は少なくとも彼女の主演映画にハッピーエンドなど求めてはいない。ましてやポイント出演(たとえば「ゴスフォード・パーク」)でもないのに、彼女に普通の人格など求めてやしない(「クレイドル・ウィル・ロック」のラッキーガールも、決して普通の女性じゃなかったよなあ)。もしくは無情で阿鼻叫喚な運命の津波が彼女を呑み込んでくれない事には、満足に席も立てやしない(たとえば「リベリオン」で処刑寸前まで行く革命家とか。──あれは死んじゃうと尚良かった…おいおい)。
なのに、この映画の彼女と来たら、少し天然は入っているものの変人バリー・イーガンに恋する普通の女性で、あろう事かハッピーエンドまで約束されている。譬えて云うなら、若き日のダイアン・ウィーストなんかが演じたら似合いそうな役。そりゃ今までのイメージを払拭したいエミリー当人は喜んだかもしれないが、何かやらかしそうで結局何もしない彼女を、銀幕の前で身を乗り出し乍ら90分も待たされる彼女のファンの身にもなって欲しい(て、ファンだったのか、オレは)。
思えば彼女の「アメリ」への主演が実現していれば、ちょうどいい橋渡しになったのかもしれないが、其処はミッシング・リンクの哀しさで、今回のリナは僕らには唐突過ぎたって事か。アダム・サンドラーが彼の持ち味を全開しているだけに余計そう感じたのかもしれない。
物語の展開そのものはキライじゃないが(今どきデートスポットとしてのハワイが出て来る米映画も珍しいんじゃないか)、冒頭のツカみがイヤらしすぎる(特にハーモニウムの唐突さは狙い臭が強すぎる)のはマイナス。お陰で一生ぶんのマイレージを溜める為にヘルシー・チョイス社のプリンを12,000個買い込むくだりの奇矯さも埋没してしまったような。ただ、女系家族で7人の「強い」姉がいる設定は、キレやすいバリーのなりたちが一発で分かるので高得点(各姉からの電話攻勢とか、恥ずかしい過去を一斉に吹聴されるとか、あれはバリーじゃなくても平穏無事な精神状態は保てません)。
けれどこの映画の収穫と云うと、やっぱり僕と同い年のフィリップ・シーモア・ホフマンですかね。
ユタ州の家具屋兼テレクラ・オーナーの「ちょっと悪党」度が電話口の「シャラップ」連呼に集約されていていい感じ。
結局、ディテールの奇抜さの割に筋自体の凡庸さは否めず、「マグノリア」の最后のカエルみたいな必殺の一撃(アレは或る種、三池の「DOR1」の竹内力(たけうちりょく)に匹敵する)を期待すると、「なあんだ、普通の映画じゃん」とひどく落胆する事になる(落胆しました)。アダム・サンドラーのコメディとしても普通の面白さ(尤も、彼の主演作は「ウォーターボーイ(1998)」しか観た事がない)。
映画が終わった後、調子の悪いPHSを機種変更する為に、ビッグカメラ新館で妻子と待ち合わせ。
CCDカメラ(11万画素)搭載のサンヨーのintelligentH"「Leje」に即決、HDDレコーダもあたりをつけておく。
久し振りに「サントノーレ」でケーキを買って(おじさんがいつも顔を出してくれるのが嬉しい)、浜勝でメシ喰って帰宅。
サントノーレ・サントノーレ
2002/8/24(Su)
日曜の朝、おめざに、昨日「サントノーレ」で買ったサントノーレを食す。
サントノーレとは小さなシューを王冠状に並べて、飴でくっつけたものを云う。処で「サントノーレ」という名前は、お菓子の守護神「聖(サント)オノレ」から来ている。菓子に様々な生地を使うので、お菓子の守護神の名を冠したというが真意は定かではない。詳しい謂れは「フランス菓子 むかしばなし」を読んでもらうとして、「サントノーレ」というお店に、店の名前でもあるサントノーレが置かれたのは実はこれが初めてである。
サントノーレ風サントノーレ。なかなかいいじゃないですか。
此処のサントノーレは、タルト生地のカップの上にシューを6個組み合わせて、チョコレートがかけてある。
シューの中にはクレーム・シブースト(カスタードクリームにメレンゲを混ぜたもの)が入っているというが、僕は門外漢なので、これが本物のクレーム・シブーストなのか、クレーム・ディプロマット(更に生クリームを合わせたもの)なのかはよく分からない。この店らしい濃厚さなのは確か。次に行った時には、是非、オーナーに確認せねば。
サービスでいただいたデニッシュ・ショコラも美味しい。
人間、美味しいものを食べている時が華。其処は我が家の一致した見解である。
唐沢さんのサイン付「裏モノ日記」(アスペクト)先行販売分が届いたり、右團治さんから錦松梅の佃煮が届いたり。
昨日買った村松友視「今平犯科帳 ─今村昌平とは何者」(NHK出版)、早速読了。
いや、映画づくりとは、クリエイターたちの業と業とが火花を立てて弾ける凄まじさにこそ、映画何本分もの面白さがある。今村昌平という作家の軌跡を(犯罪者という立場からの)犯科帳になぞらえた村松さんのセンスはさすが。
それにしても、今村監督の最近の緒形拳評にはある意味、膝を打った。
(それにしても監督の口の悪さは僕でもたじろぐ。可笑しかったけど)
「緒形の芝居がすっかり変わってね、髪も白くして。どうも笠智衆に似せたいと思っているらしいが、とんでもないね」
…監督の云おうとしている事は何となく分かる。確かに緒形さんって80年代後半あたり(ちょうど「とっておきの青春」とか「愛はどうだ」頃からかな)から、年輪と云うか独特のフラが出てきたように思う。往年の今村作品で見せた、あの、ギラギラした感じはもう出せない気がする。
尤も、個人的には今の訥々とした緒形拳こそが大好きなんだけど。
ほんとうの備忘録
2002/8/31(Su)
昨日の「ゲロッパ!(2003・日)」が余りにも良かったので、朝イチで妻に観賞を命じる。愉しんでくれたようで何より。
映画と云えば、小倉の「シネシティ有楽」が今日を以って閉館。此処はリニューアルして数年という若さだった。
処で、最后の期間はリクエスト特集という事で、ビリー・ワイルダーのあんな映画や、ジュゼッペ・トルナトーレのこんな映画を2日代わりで流していたようだが、昨日・今日最后の2日間に限っては何故かヴェルナー・ヘルツォークの新作「神に選ばれし無敵の男 INVINCIBLE (2001・独英)」をやったらしい。シネリーブル天神でもレイト公開しかしなかった難解な掌篇を何故?…確かに北九州では金輪際、此処でしか公開しないとは思うが。
小倉(というか北九州)の非シネコン映画館は、あと「昭和館1・2」を残すのみである。
そう云えば、黒崎ロキシーが名画座として出直しオープンすると聞いた。
さて今月観た映画は以下の11本。
76.「さよなら、クロ(2003・日)」8/2(Sa)
77.「ホテル・ハイビスカス(2002・日)」8/2(Sa)
78.「パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち THE PIRATES OF THE CARIBBEAN (2003・米)」8/9(Sa)
79.「10日間で男を上手にフル方法 HOW TO LOSE A GUY IN 10 DAYS (2003・米)」8/9(Sa)
80.「HERO 英雄/HERO (2002・香中)」8/16(Sa)
81.「コンフェッション CONFESSION OF A DANGEROUS MIND (2002・米)」8/17(Su)
82.「デブラ・ウィンガーを探して SEARCHING FOR DEBRA WINGER (2002・米)」8/23(Sa)
83.「パンチドランク・ラブ PUNCH-DRUNK LOVE (2002・米)」8/23(Sa)
84.「ゲロッパ! GET UP ! (2003・日)」8/30(Sa)
85.「ドラゴンヘッド(2003・日)」8/30(Sa)
86.「天使の牙 B.T.A. (2003・日)」8/30(Sa)
尚、今月読了した本は以下の5冊。
相変わらず薄目の本で冊数を稼いでいるが、今月は充実した読書だったと思う。
(ちなみに今、読書中なのは、養老孟司「バカの壁」(新潮新書))
ゆうきまさみ「ゆうきまさみのはてしない物語 〜地の巻」(角川文庫)
梶尾真治「黄泉びと知らず」(新潮文庫)
池澤夏樹「憲法なんて知らないよ ―というキミのための『日本の憲法』」(集英社)
村松友視「今平犯科帳 ─今村昌平とは何者」(NHK出版)
唐沢俊一「裏モノ日記」(アスペクト)
ちょっと仕事方面がシャレにならない状況になってきたので(まるで夏休みの宿題をまるまる抱えて日々を過ごしている気分。この頃、よくリアルな仕事の夢を見ます。ヤな渡世だなァ)、この先、日記が滞りがちになるかも。
とは云え、短評でいいから(て云うか最近の感想が長過ぎるんだが)映画の感想だけでも書いておかねば。
深夜、NHKアーカイブスで少年ドラマシリーズ「なぞの転校生(総集編)」。
約30年前の低予算ドラマなのに、その熱い語り口に夫婦してついつい最后まで観てしまう。
主演の子役王、高野浩幸はともかく、岡田可愛と川辺久造の余りの若さに時代を感じる(何しろ、僕が小学校低学年の頃だ)。傲慢な記者役で若き日の須永慶が出ていて、それでも須永さんだと喝破する自分がちょっと嬉しかったり。
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