Diary 備忘の都 2003 October

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エノケン生誕100年祭・承前エノケン生誕100年祭new帝国ホテルデビュー
サラリーマン専科再び恋は邪魔者ナイチンゲールではなく
「うさぎや」のどら焼き「清寿軒」のどら焼きビルを殺れ!
チュニジア料理「ハンニバル」「清寿軒」の栗まんじゅうその場しのぎの男たち
「アトリエ・ド・ペリニィヨン」のマロンパイスクエア・スカイほんとうの備忘録
「ジーゲスクランツ」のケッセル(苺プリン)

 エノケン生誕100年祭・承前  2002/10/11(Sa)その1


少しばかり長い前振りになる。

柳沢眞一という名前を知っているだろうか。
30歳以下のひとにはまずピンと来ないと思う。ひょっとすると30代でも怪しいかもしれない。
おそらく昭和43年生まれの僕はぎりぎり柳沢眞一体験世代なのではないか。
尤もそんな僕ですら子供の頃に繰り返し観た、2つのドラマの再放送によって彼の名を刷り込まれた。

まずは中村梅之助が主演した「遠山の金さん捕物帳(1970)」
遠山の金さんと云えば、誰が何と云おうと中村梅之助であり、「親分&子分ズ」が歌う能天気だが耳から離れない主題歌である(処で「親分&子分ズ」は入月清文、赤井正、天野近の3人からなるコミック系カレッジ・フォークグループだったらしいが、その行末は沓として知れない。ま、知ろうとも思わないが)。

南町奉行所の目明かし「かなぶん」こと、要町の文三を演じたのが、柳沢さん。
横溝モノに於ける加藤武の如く「やい、金公」と憎まれ口を叩き乍ら的外れな推理をする狂言回し担当で、所謂赤ヅラなのだが、時に垣間見せる熊八さ加減が単なる憎まれ役に終わらせないキュートさを醸し出していた。
橋幸夫版(鬼が出るか邪が出るか、花の花の八百屋町だぜ)でもレギュラーだったらしいが、こちらは記憶がない。

それから、名作シットコム「奥様は魔女」のダーリンの声を吹き替えていたのも柳沢さんである。
サマンサ役の北浜晴子と柳沢さんとの軽妙洒脱なかけあいは、冒頭の中村正のナレーションと共に(これは日本版オリジナルだったらしい)日本のお茶の間に洗練されたアメリカのライフスタイルとエスプリにも似たカルチャーショックを持ち込んだ。日本人のアメリカへの憧れのしっぽの先っぽがあのシリーズ(何しろ250話余りある)なのかもしれない。

最近でも、北浜&柳沢へのリスペクトで、九州ローカルだがミスターマックスのCMで「奥様はミセスマックス」篇がオンエアされている。「奥様は魔女」のオリジナルキャストが全員鬼籍に入っても尚、おふたりの声の力だけで、しかもあの短いやりとりだけで、擬似「奥様は魔女」の世界を再現出来る事を証明してみせた。
CMで夫婦を演じているのはナタリア・ポドストニー、ライル・ナイゼンホルツの2人。勿論、無名の役者たちである。

処で、知っている人は知っているが(知らない人が結構多いのに驚く)、実はダーリンを演じた役者はディック・ヨーク、ディック・サージェントと2人存在する。「知らない人が結構多いのに驚く」と書いたが、それを気付かせなかった柳沢さんの功績は大きい。僕らは絵だけではなく、声でもドラマを観ているのだ。

かつて徳川夢声をして「江戸とニューヨークを同居させた見事な男」と云わせしめた才人が、柳沢眞一(現:柳澤愼一)その人である。徳川夢声の云う「ニューヨーク」とは、ジャズシンガー(恥ずかし乍ら、柳澤さんがジャズシンガーだというのを今回初めて知った)としてのこのひとを評しているが、図らずも「遠山の金さん」「奥様は魔女」という、或る意味両極に位置するドラマの核を柳澤さんが支えた事実が、徳川夢声の柳澤評を追構築している。
柳澤さんに関してこれ以上、的確で旨く表現出来たコピーを僕は思いつかない。

先週末、シアターガイド11月号で柳澤さんのインタビュー記事を読んだ。
彼がジャズシンガーであり、筋金入りの福祉活動家であり(最近、介護ベッドのCMに出ていたのはそういう事情か)、エノケン(榎本健一)にボードビリアンとしての才能を認められ愛されていた事を初めて知った。
そして、この土曜日にエノケン生誕100年祭というイヴェントで、あろう事か前田憲男(名ピアニストにして大作曲家。特にビッグバンド系の曲を書かせると他の追随を許さない。たとえば「世界まるごとHOWマッチ」のテーマ曲はこの人が作った)の伴奏でエノケンのヒット曲を歌うらしい。他にも小林のり一ら浅草軽演劇人二世タレントのコントも見られるらしいし、それで当日券3500円なら決して高くない。

かくて2003年10月11日に榎本健一が数えで100歳を迎えるのだと、其処で初めて教わったのだった。
僕は柳澤愼一の生の歌声が聴きたくて、この週末浅草へ行く事に決めた。

前振りだけで息切れしたので、この項続く。


 エノケン生誕100年祭  2002/10/11(Sa)その2


朝イチで「釣りバカ14」を観るべきかどうか迷うが(何しろもはや朝しか上映してくれていない)、観てしまうと「生誕100年祭」の開演数分前に会場駆け込みになってしまうので、危ない橋を渡るのはやめて東西線、日本橋から都営浅草線に乗り換えて浅草に直行する。木場から電車で20分とかからない(日本橋までは定期なので、手出しは170円で済む)。
──たく、スゴい処へ越してきたもんだ。

柳沢眞一という名前を知っているだろうか。
30歳以下のひとにはまずピンと来ないと思う。ひょっとすると30代でも怪しいかもしれない。
おそらく昭和43年生まれの僕はぎりぎり柳沢眞一体験世代なのではないか。
尤もそんな僕ですら子供の頃に繰り返し観た、2つのドラマの再放送によって彼の名を刷り込まれた。

浅草東洋館正面の「エノケン生誕100年祭」のポスター 浅草東洋館壁面のプログラム

それから、名作シットコム「奥様は魔女」のダーリンの声を吹き替えていたのも柳沢さんである。
サマンサ役の北浜晴子と柳沢さんとの軽妙洒脱なかけあいは、冒頭の中村正のナレーションと共に(これは日本版オリジナルだったらしい)日本のお茶の間に洗練されたアメリカのライフスタイルとエスプリにも似たカルチャーショックを持ち込んだ。日本人のアメリカへの憧れのしっぽの先っぽがあのシリーズ(何しろ250話余りある)なのかもしれない。

[第一部 エノケンと〈東京喜劇〉の黄金時代]

1.スライド映像で綴る在りし日の喜劇王
 解説…向井爽也

舞台の看板のチープさがまたオツでげす。学芸会かピアノの発表会のようでもある。
2.懐かしのエノケン・ヒットソング
 解説…乗越たかお
 出演…柳澤慎一、ピアノ…前田憲男

 1.ラモナ
 2.私の青空
 3.月光値千金
 4.想い出(間奏で口トロンボーン披露)
 5.三分オペラ
 6.洒落男

[第二部 されどエノケンは滅びず]

1.往年の名作コント『レストラン殺人事件』の復活上演
 出演…小林のり一(故・三木のり平長男)
 出演…八波一起(故・八波むと志長男)
 出演…三波伸一(故・三波伸介長男)

2.エノケンを歌い継ぐ若き音楽家たち
 出演…澄 淳子、上海夜鶯(シャンハイイェイン)
 解説…瀬川昌久

[グランド・フィナーレ]

 出演…吉村平吉(元エノケン一座文芸部)
 挨拶…榎本よしゑ(榎本健一未亡人)
 出演者、客席が一体となって「月光値千金」を合唱。

 総合司会…桜林美佐
右からよしゑ夫人に司会の桜林美佐さん。更に小林・桃屋・のり一、八波・モーニングショー・一起、三波Jrの二世トリオにジャズシンガーの澄淳子さん、孫悟空の扮装をした張清恵(上海夜鶯)、身体半分切れているのが沙悟浄の安鵬琴(上海夜鶯)。三蔵法師に扮した女形の胡麗華だけ写し損ねたようですね。 右から柳澤さん、前田さん、瀬川さん、吉村さんに向井さん。ハレーションを起こしているのはエノケンのポートレイト(実際は舞台中央)。
処で、知っている人は知っているが(知らない人が結構多いのに驚く)、実はダーリンを演じた役者はディック・ヨーク、ディック・サージェントと2人存在する。「知らない人が結構多いのに驚く」と書いたが、それを気付かせなかった柳沢さんの功績は大きい。僕らは絵だけではなく、声でもドラマを観ているのだ。

かつて徳川夢声をして「江戸とニューヨークを同居させた見事な男」と云わせしめた才人が、柳沢眞一(現:柳澤愼一)その人である。徳川夢声の云う「ニューヨーク」とは、ジャズシンガー(恥ずかし乍ら、柳澤さんがジャズシンガーだというのを今回初めて知った)としてのこのひとを評しているが、図らずも「遠山の金さん」「奥様は魔女」という、或る意味両極に位置するドラマの核を柳澤さんが支えた事実が、徳川夢声の柳澤評を追構築している。
柳澤さんに関してこれ以上、的確で旨く表現出来たコピーを僕は思いつかない。

スズキのポワレ、アーモンド入り酸味の利いたトマトソース 浅草東洋館正面。七福神をフューチャーしてみました。 「エノケン生誕100年祭」ののぼり。ちなみに開演前は置かれていなかった。夜公演にようやく間に合ったのかもしれない。2回公演きりなのに。

先週末、シアターガイド11月号で柳澤さんのインタビュー記事を読んだ。
彼がジャズシンガーであり、筋金入りの福祉活動家であり(最近、介護ベッドのCMに出ていたのはそういう事情か)、エノケン(榎本健一)にボードビリアンとしての才能を認められ愛されていた事を初めて知った。
そして、この土曜日にエノケン生誕100年祭というイヴェントで、あろう事か前田憲男(名ピアニストにして大作曲家。特にビッグバンド系の曲を書かせると他の追随を許さない。たとえば「世界まるごとHOWマッチ」のテーマ曲はこの人が作った)の伴奏でエノケンのヒット曲を歌うらしい。他にも小林のり一ら浅草軽演劇人二世タレントのコントも見られるらしいし、それで当日券3500円なら決して高くない。


 帝国ホテルデビュー  2002/10/12(Su)


連休中日は家族でお出かけ。
日比谷に出て「The@SUPER SUITS STORE」で通勤用のスーツをイージーオーダーで2着作る。
それぞれ替えズボンもこさえたので、かなりの出費になるがこれはまあ必要経費。
出来上がりは月末とのこと。映画を観に来たついでにでも立ち寄るか。

偶然、目の前が帝国ホテルだったので、妻に此処でのランチを提案、ご許可いただく。
ランチとは云え、思いつきで行くのに「レ セゾン LES SAISONZ」はありえないので、インペリアルタワー地下1階のカジュアル・フレンチ「ラ ブラスリー LA BRASSERIE」へ行く。此処はノータイ・ノージャケット可だからか、客層はファミレスとさほど変わらなく見える(価格帯はファミレスのコースの倍額だが)。

脱線するが、今読んでいる市川雷蔵「雷蔵、雷蔵を語る」(朝日文庫)に、此処の「インペリアル・バイキング」で食事した話が出て来る。所謂「バイキング」というビュッフェ(帝国ホテルでは「ブフェ」と記述する)形式の食事スタイルは、帝国ホテルが発祥の地なのである。

昭和33年の年の瀬、市川雷蔵はアメリカ帰りの朝丘雪路と開店間もない「バイキング」で夕食を楽しんでいる。ビュッフェスタイルのもの珍しさに一所懸命食べたものの、値段ぶんは食べきれなかった、と書かれている。
ちなみに当時、ランチが1200円、ディナーが1500円で「お相撲さんやプロレスラーを招待するなら、一番いいところ」と雷蔵さまに云わせしめた。今やすっかり庶民のものとして定着したバイキングとは隔世の感がある。
現在、「インペリアル・バイキング」ではランチ5000円、ディナー7500円
帝国ホテルでは今も尚、値段ぶん食べるのは至難のワザのようだ。

話を元に戻す。

入口で3歳の暴れん坊がいる旨、告げるがお席を用意するのでお待ちくださいとの返答に一同胸を撫で下ろす。。これは僕らのような(手のつけられない)子連れにはかなりポイントが高い。カジュアル・フレンチの名にいつわりなし、だ。
てことはおいおい、悠都、3歳にして帝国ホテルデビューかよ。

土日祝日は、2800円のスープランチ(本日のスープ、メインディッシュ、サラダ、コーヒー)、3500円のオードブルランチ(本日のオードブル、メインディッシュ、デザート:自家製菓子とアイスクリーム、コーヒー)、5000円の休日ランチの3コースかア・ラ・カルトから選ぶ(平日だとメインディッシュ、サラダ、コーヒーの2300円ランチがオーダー出来る)。
妻はスープランチ、僕は自家製のデザートに目が眩んでオードブルランチを頼む。

メインディッシュは数日置きに変わる4皿もしくはローストビーフの5皿からチョイスする。
妻は最初「帆立貝のムニエル、タプナードソース」を頼んだが、僕が「スズキのポワレ、アーモンド入り酸味の利いたトマトソース」を選んだら、海の幸ばかりがテーブルに並ぶのは勿体無いというよく分からないこだわりで「大山地鶏の煮込み、ヴァンジョンヌ風味」にチェンジした。

食事に入って、本番に弱いウチの息子がまたやらかしてくれたが、我が家の名誉のために詳細は記録から削除。

サラダとキッシュパイの盛り合わせ スズキのポワレ、アーモンド入り酸味の利いたトマトソース 林檎のケーキと自家製バニラアイス、ラズベリーソースがけ

オードブルの「サラダとキッシュパイの盛り合わせ」はまあ普通の出来。
パンはフランスパンとヘイゼルナッツのパン(1回お代わり有)。
悠都は妻に来たレンズ豆のスープにパンを浸して、パンがゆモード。

さて、主皿の「スズキのポワレ、アーモンド入り酸味の利いたトマトソース」
結論から云うと、んまいっ。
細かく砕いたアーモンドとドライトマトのソースのインパクトとかりかりになったスズキの皮の相性、魚の周囲を取り囲んだカブとブロッコリーも手を抜かない美味しさ。妻に聞くと地鶏も「この皿を選んで良かった」と思わせる旨さだったらしい。尤も彼女は帆立を選んでも同じ賛辞を吐いた事は想像に難くない。

食後は夫婦ともに紅茶を頼む。
レモンティーを頼んだら、レモンのスライスが2枚。レモンスライスは縁の皮が剥いてあり、丁寧な仕事振り。思わず2枚とも食べてしまう。ミルクティーを頼んだ妻はミルクポットの表面が白く曇って汗をかいているのを見て、会心の笑みを浮かべた。彼女はミルクを温めて供されるのを極度に嫌うのである。

ローストビーフを切り分けるギャルソン デザートは「林檎のケーキと自家製バニラアイス、ラズベリーソースがけ」
ケーキは洋酒が利いていて、焼き林檎の歯ごたえと云い、申し分ない出来だったが、殆ど悠都に食べられてしまう。ほんの二口程おこぼれに預かる。尤もアイスクリームはきゃつがトイレに行っている間に全部たいらげたので由とする。

店の中央には鏡張りの大きな柱があって、脇ではギャルソンがふた抱え程もあるローストビーフの肉塊をサーヴしていた。ローストビーフのオーダーがある度に、付け合せだけ盛りつけた皿が運ばれてきて、ギャルソンがおもむろに保温器の蓋を開いて肉を豪快にぶ厚気味に切り分ける姿は幾ら見ても見飽きない。
次に来たら、ローストビーフだなと妻と指差し確認する。

分を超えたカネを使ったので、おとなしく帰宅する。
そのまま子供と2人して夜まで寝入ってしまう。随分疲れが溜まっていたらしい。


 サラリーマン専科再び  2002/10/13(Mo)


3連休最后の日は、上京して最初の映画のハシゴで〆る。
これも妻子の協力あってのゼイタクと、肝に銘じております。

「釣りバカ日誌14 お遍路大パニック(2003・日/朝原雄三)」 109シネマズ木場
まずは西やん、全快おめでとう。

かつて「釣りバカ」の併映であった「サラリーマン専科」シリーズの朝原雄三が満を持しての再登板(それまでは「学校」「たそがれ清兵衛」と山田組の助監に戻って糊口をしのいでいた)。実際「サラリーマン専科」は2作共面白かったし(とりわけ「2」は、森繁翁が出ずっぱりだった最后の映画として記憶されるに相違ない)例の解任劇で松竹の映画部門が縮小されなければ、「寅さん」「釣りバカ」に続く看板シリーズに成長した筈だ。かつての主演俳優である三宅裕司と共に雪辱戦に挑んだ朝原監督の気概は尋常ならぬ三宅のフューチャリングに如実に現れている。

お話の骨格自体は新任の上司の恋物語という「9」(小林稔侍&風吹ジュン)の焼き直しだが、何しろ喜劇人としての三宅裕司を押す押す(しかも押し出しが「サラリーマン専科」とまるで同じディテールの笑いというヤツ。二人とも遣り残した事が一杯あったんですね)。上海帰りの遣り手という初期設定はハナから放り出して、ひたすらボケまくるあたりはゲストを逸脱して殆ど主役級の扱いと云っていい。エンドロールを浜ちゃん&スーさんではなく、岩田千吉(三宅)と中浜みさき(高島礼子)の新生活でまとめる処にも「サラリーマン専科」の怨念を感じ取ったね、オレは。

でも、朝原演出が放つ異様なパワーは非常に「買い」なので未見の方は是非。
「シカゴ」のパロディで谷啓がトロンボーン吹いたり、ミチコさんが煽情的になったり、あとワンシーン乍ら笹野さんのオストリッチのマジックのバカバカしさも大いに結構。次回作で営業3課の課長のポストがどうなるかも気になる処(佐々木さん、降格してたりして)。
「巌流島 -GANRYUJIMA-(2003・日/千葉誠治)」 有楽町スバル座
剣豪・宮本武蔵(本木雅弘)はその昔、犬畜生にも劣る極悪非道の輩だった。
対する佐々木小次郎(西村雅彦)は剣の使い手であるだけでなく、大層な人格者であったが、細川藩のお家騒動に巻き込まれ「舟島の決闘」という罠によって暗殺されようとしている悲劇のヒーローだった。
映画前半の、あくまで武蔵の悪行を剣豪としての適切な判断と善意に解釈していく小次郎側のシリアス部門(筧利夫が小次郎を敬愛し乍らも藩命との狭間で苦悩する今井健之助を好演)と、対比して漁師の娘(吉岡美穂。このひとの大根さ加減が映画をぶち壊している気も。年末の「ゴジラ」は大丈夫なのか)に狼藉をはたらき、その長兄(梅垣義明)を撲殺し、次兄・助蔵(田村淳)を苛め抜く武蔵の下道振りの面白さ、巧妙に配置された伏線が武蔵×小次郎の決闘の意外な真相にパズルが合わさっていくロジックの爽快さ、そして設定にはかなり無理があるものの「真の剣豪」として生まれ変わる武蔵、とわずか75分の短い尺を縦横無尽に疾走するストーリーテリング振りは見事と云っていい。
モッくんが脚本を読んで出演を快諾したのもよく解る話だ。

でも、武蔵の最初のケダモノ以下の所業が余りにも露悪に過ぎて、引いてしまうんだよねー。
物語としては分かるし、構成的にも申し分ないんだけど、感情移入出来ない。
「リターナー」の岸谷の露悪さに通ずるというか、もうちょっと加減をコントロール出来ないものか。

おひょいさん(等々力)がシリアスモードで出てきたのには吃驚。しかも最后までオチがない。
処で中川家は兄はともかく、礼二の方は油断していると絶対に見逃すので注意しろよ。
「アララトの聖母 ARARAT(2002・加/アトム・エゴヤン)」 日比谷スカラ座2
アトム・エゴヤンの新作は彼自身のルーツと云ってもいい、1915年のトルコ人によるアララトでのアルメニア人虐殺を主題に、4世代に渡るそれぞれの視点から、アルメニア人のアイデンティティを描きつつ、人としての普遍のテーマに迫っていく、ユビキタスに時空を操る壮大な大河メタ・ドラマにしてエッジの効いた野心作。このひとの映画は毎回一筋縄では行かないが、寓意に満ちた不思議絵で巨大な地図を描き切ったような、完成度の高いフィルムに仕上がっている。

傑作であるのは間違いないが、きわめて政治的で民族の映画でもあるが故に(過去の歴史的悲劇だけではなく、それから連綿と続く「現在」の悲劇をも描いている)この映画を語るにはいささか時間がかかる。半可通が知ったような口を聞くのは憚られるし、語るに足るバックボーンもない。
ただ、アーシル・ゴーキーの「芸術家と母親」の母の手が描かれていない(一度は描いたものの画家本人が消した事が劇中示唆される)事について(監督の息子の名前は彼からとってアーシルと云う)、虐殺が彼女の掌の持つ体温(尊厳)を永久に奪い去ったという解釈が、大八車の上でトルコ兵に陵辱される若い母親の手が、車の下で蹲る幼い娘の手を強く握り締めているのを目撃する時、人として記憶しておかなければならない「痛み」なのだと強く思った事だけは記録しておく。

老税関検査官(クリストファー・プラマー)とラフィ(デヴィッド・アルペイ)のスリリングであり乍ら、互いの人生を変容させていく駆け引きや、エドワード・サロヤン監督(シャルル・アズナブール)とトルコ総督を演じた新進俳優のアリ(イライアス・コティーズ)との間に横たう、民族という昏き隔たりの深さ、絵を傷つけられて逆上したアニ(アルシカ・カンジャン)に、劇中から喝を入れるクラレンス・アッシャー=マーティン・ハーコート(ブルース・グリーンウッド)の背筋の伸びやかさなど、見どころを語ればきりがない。何処を切っても語るべき何かを持つ映画なのだ。

ただの(という書き方も変だが)虐殺を扱った歴史劇で終わっていない処がアトム・エゴヤンという映画作家の面目躍如で、期待を裏切らぬ出来だった。入り組み過ぎてていささか分かりにくいが、むしろ此処まで交通整理を成し遂げた手腕こそを称えるべきだろう。
夜、西やん&松坂慶子主演の2時間ドラマ「離婚旅行(TBS系)」を息子と観る。

小野武彦とか西田尚美とか「釣りバカ」キャストが移行しているので昼間の続きを観ている気分(しかも、小野さんなんてどちらも人事部門の上司役だし)。熟年離婚の話なんだけど、夫を嫌いになった訳ではないけれど30年振りに自立を目指す天然系の妻を松坂さんが、早期退職勧告された上に愛する妻の謀反にうろたえ乍らも最后には彼女の旅立ちを「大人として」見送る夫を西やんが、それぞれ好演。にしても松坂さんはすっかり主婦女優が板についたねえ。


 恋は邪魔者  2002/10/18(Sa)その1


月曜同様、日比谷に出て、映画を1本。

本日お目当てのみゆき座は宝塚劇場の脇にあるので、周囲はトップスターの出待ちの老若女で溢れ返っていた。みゆき座のおにいちゃんが「初回、座れまーす」と声を嗄らしている脇を入っていくと、ロビーは観客より20世紀FOXのスタッフが多いくらいで、さすがは東京だとひそかに感心する。

初日特典の引換券を受け取ってから席につく。4割くらいの入りか。

「恋は邪魔者 DOWN WITH LOVE(2003・米/ペイトン・リード)」 日比谷みゆき座
「チアーズ(2000・米)」のペイトン・リードが、60年代に一斉を風靡したドリス・デイ&ロック・ハドソンの一連のロマンチック・コメディへのオマージュとして作ったレニー・ゼルウィガー&ユアン・マクレガー主演でお送りする本作は会話の云い回し、美術、音楽、そして往時に映画製作の上で高いハードルとなっていたプロダクション・コード遵守に至るまで徹底してハリウッド・クラシックスタイルを守った、現在においてはある意味、前衛というか野心作と云っていい。

目も彩なテクニカルカラーの絵づくりに、ロケを少なくした上、スタジオを目一杯使ってセットをこしらえた高層マンションのモダーンなインテリアにベランダの向こうに広がる摩天楼の書き割り、ホリゾントな車窓、70年代育ちの僕らにはむしろ「奥様は魔女」「ルーシー・ショウ」といったシットコムを思わせる(近年では「古畑任三郎」がそうですね)ビッグバンド系のジャジーな音楽(担当はハーヴェイ・フィアステイン主演のロング・ランミュージカル「ヘアスプレー」マーク・シェイマン。ちなみにエンドロールのミュージカルではシェイマン本人が陽気なピアニストを演じている。話は脱線しまくるが、「ヘアスプレー」のコラボレーターにしてシェイマンの彼氏であるスコット・ウィットマンも同じくミュージカルに陽気なバーテンダーとして出演している)、物語の装置として機能している「女性上位時代」や、オチのアクロバティックなご都合主義に、結局は他愛もない痴話ばなしな処まで、ハリウッド・クラシックへの熱きリスペクトが脈打つ嬉しいこだわり振りである(アーカイヴに埋もれていた幻の60年代のフィルムというコンセプト…なのはウディ・アレンの「スコーピオンの恋まじない」か)。主演のふたりは勿論のこと、デヴィッド・ハイド・ピアースサラ・ポールソンといった助演陣の好演も捨てがたい。
基本的には、お気に入りフォルダ直行の映画なのだ。

本作唯一のオレ的瑕釁はプロダクション・コードとの向き合い方にある。

アメリカ映画製作者配給者協会(MPPDA)によって1930年から30年以上施行された映画製作倫理規定を「プロダクション・コード」という(68年以降はR指定等で僕らにも馴染み深い年齢制限「レーティング・システム」に取って変わられる)。暴力描写や宗教描写の制限、悪人礼賛禁止などさまざまな規定がある中、婚前交渉・性表現の著しい制限は、作品の表現で映画製作者をてこずらせたが、またプロダクション・コードがある故にビリー・ワイルダーやアルフレッド・ヒッチコックといった猛者たちは工夫を凝らし、映像表現を高めていった。きわどい話を奥ゆかしく語り、直接的でないが故に観客の想像力に訴える語り口こそ、名画と呼ばれるフィルム群のキモとも云える。

「恋は邪魔者」でも、接吻やハグ以上の直接的表現は出てこない(ひょっとしたら「キスシーンは3秒まで」も忠実に守っていたかもしれない・笑)が、直接じゃないだけで、性描写の暗喩が何だか余りにも下品なのだ。しかもしつこい。

たとえば、新進女流作家バーバラ・ノヴァク(レニー・ゼルウィガー)と宇宙飛行士と身許を偽ったプレイボーイの雑誌記者キャッチャー・ブロック(ユアン・マクレガー)が電話するシーン、画面分割を駆使して、朝の電話というシチュエーションを前戯からオーガズムまで情事のフルコースとして読み替える手腕は確かに見事だ。さすがに上下分割した画面の上側でユアンが腕立て伏せを始めた時は、レニーとユアンが、プリシラ・プレスリーレスリー・ニールセンに見えてきた。思えば、この映画の悪ふざけはZAZのそれに酷似している(親友の部屋で「女性を落とす」アイテム群に殺されかけるピーターとヴィッキーなんてのは典型じゃないか)。莫迦々々しさは買うが、60年代ラブコメディのテイストとしてはバランスを欠いてやしないか。当時もオーラルねたが無かったとは云わないが、もう少し「考えオチ」にしてくれても…と思う。少なくとも、ウィル・ヘイズもジョセフ・ブーリンもこの映画にはMPPDAの認可マークを与えなかったと思う(だから、お蔵入りしてこれまで陽の目を見なかったという裏設定も可能ではあるな)。

以上、小姑みたくくどくど書いたのは、作品自体の水準が高いからなのは云うまでもない。

処で、日本料理屋のシーンで出てきた徳利に「酒は百薬の長」と書いてあった。
──ボクもあの徳利、欲しいです。
初日特典のレオニダスチョコの詰合せ 帰りに出口で初日特典のレオニダスチョコの詰合せ(トリュフ【ウィスキー、アマレット】にプラリネ【ライスパフ入りのホワイト・ルイーズ】、ジャンドゥージャ等々)を貰う(劇中、バーバラが恋愛を捨てた女性が性欲を克服する手段としてチョコレートの摂取を提唱するのだ。それを聞いた出版社の古老役員たちが一斉に「がっかり」する)。

単館系シアターでもないのに、ベルギーチョコのオミヤなどいただけるのは激戦区・東京ならではか。ま、これで妻子への土産がゲット出来た。

日比谷公園のゴジラ像を眺めてから、地下道ルートで都営三田線日比谷駅へ。
しかし、営団線や都営線を乗り継ぐだけでもひと運動である。
まんまと騙されて2駅や3駅ぶんはたっぷり歩かされている気がする。

この項、続く。


 ナイチンゲールではなく  2002/10/18(Sa)その2


都営三田線千石駅にて下車。
駒込に来るのも初めてなら、文京区に来るのも初めてである。

お目当ての三百人劇場をあっさり見つけ、まだ時間があるので、少し歩いた先にあるアジア文化交流センターみたいな名前の施設に隣接したショッピングモールのマックで月見バーガーとベーコンレタスバーガーで遅めの昼食を摂る。

劇団昴「ナイチンゲールではなく NOT ABOUT NIGHTINGALES」 三百人劇場
【作】テネシー・ウィリアムズ
【訳・演出】村田元史
【出演】藤木孝(刑務所長ウェーレン)
【出演】中西陽介(カナリア・ジム)、服部幸子(エバ・クレイン)
【出演】金子由之(ブッチ・オファーロン)、牛山茂(ジョー)、金房求(シャピロ)
【出演】斎藤譲(セーラー・ジャック)、岩松廉(メック ス)、山中誠也(スイフティ)
【出演】鳥畑洋人(オリー)、大林洋平(クイーン)、仲野裕(看守シュルツ)
【出演】辻つとむ(看守チック)、小谷野啓(看守クラウ ス)
【出演】武藤与志則(看守ウィルソン)、江森正明(看守アルバーツ)
【出演】飯田和平(看守マクバーニー)、谷口香(ミセス・ブリストル)
【出演】相沢恵子(ゴールディ)、伊藤和晃(教戒師)、西本裕行(フッカー師)
【出演】内田稔(遊覧船ローレライ号の案内人の声)

これが三百人劇場。(財)現代演劇協会、劇団昴の事務所も兼ねる テネシー・ウィリアムズの無名時代の未発表戯曲(1938年)の本邦初演がウリの本作。
1998年に女優バネッサ・レッドグレイヴがテキサス大学の資料館で「発掘」し、3月ロンドン・ロイヤル・ナショナル・シアターで執筆から60年の時を越えて初演を迎えた、まさに幻の戯曲である。

とは云え、僕のテネシー・ウィリアムズ体験なんて、栗原小巻がブランチを演じた「欲望という名の電車(エイコーン)」位で(今度の篠井英介版は面白そうですね)、「ガラスの動物園」「熱いトタン屋根の猫」に至っては映画版も未見であるから、さほど熱心なテネシー・ウィリアムズファンでは毛頭ない。「発見された『未発表』戯曲」という甘美な響きについつい誘われたと云っていい。第一、一般に云われているこのひとの作風は孤独や断絶を叙情豊かに描くというもので、決してさわやかに劇場を出てゆける類の芝居ではないのだ。

むしろ、主演の藤木孝に引かれた部分が大きい。
僕にとっての藤木孝(当時は「敬士」)体験は、子供の頃に観た大映テレビ(「夜明けの刑事」「噂の刑事トミーとマツ」)のクールだが高慢なキャリア刑事という印象が大きく、「24000回のキッス」の洗礼も受けていないし(そんな齢じゃない)、ましてや舞台人としての彼の活躍も地方在住ゆえに直接体験した事がなかった。

結婚前、娯楽で上京した折にJR五反田駅の改札で内田稔と談笑する藤木さんとすれ違った事があったが(今回初めておふたりが同じ劇団昴に所属している事を知った)、ようやく舞台人としての藤木孝に堪能する機会に恵まれた訳だ。

昨夜シアターガイドを眺めていて、ふと思い立ったのだが、前売4900円の処をくだんのシアターガイド当日割引4400円で入場。東京の地の利を強く感じる瞬間である。劇場に電話して、間違いなく当日券が出る事を確認してから電車に乗る。

劇団昴「ナイチンゲールではなく」のチラシ あいにく雨が降り始めたが、劇場は頑として開演30分前に開場。
尤も、客側でも先刻承知か開場時には10人弱しか集まらないので、却って不安が募る。
スタッフと共にいかめしい顔をした看守ウィルソン(武藤与志則)がお出迎えという趣向。このひとは1ベル前にも後ろから通路を通って現れ、僕の脇に立って面会(観劇)時の諸注意を告げてから退場した。勿論、本公演にも同じウィルソン役で出演している。

開場するなり、すぐに当日券を求めた処、5列目8番(中央ブロック左通路側)という好ポジションをキープ。「このお芝居、大丈夫かいな」と更なる不安に襲われるが、開演までには何と客席の9割がたが埋まる(三百人劇場なのに客席数は298席しかない。…「へぇ」)。なのに、何故にこの好位置? もしかするとキャンセル席かもしれない。

上演は途中休憩を15分挟んで3時間たっぷり。

お話自体は1938年に起きた実話(ペンシルバニア州の刑務所で囚人650人が食事改善を要求してハンストを起こし、首謀者25人が懲罰として「クロンダイク」なる高温多湿の拷問部屋に投獄された挙句、4人が蒸し焼きになって死んでしまったというもの)を下敷きにしたもので、60年経た現在から見ると、不遜な云い方を許してもらえば、さほどの衝撃や意外性はない。
今も日本の刑務所では囚人虐待が行われているという現実があるし。

尤も、当時の米国ではかなり衝撃的だったらしく、若きテネシー・ウィリアムズが一気呵成に書き上げた本作の最初のタイトルは「地獄―フィラデルフィア郡刑務所の残虐事件にもとづく表現主義的ドラマ」というものだった。社会派でありつつ、「大脱走」「穴」も然り、のような映画的舞台を用意した娯楽活劇である(結末は案の定、クラいけど)。

物語は、非人間性の極北として描かれる大悪漢、ウェーレン所長(藤木孝)と、大不況の中、職を求めて刑務所に来たエバ・クレイン(服部幸子)、そして所長からスパイとして重宝されている仮出所間近の囚人カナリア・ジム(中西陽介)の刑務所サイドに、対比するようなブッチ(金子由之)を中心とする囚人サイドのドラマを交互に描き乍ら、刑務所という巨大な密室を支配するが故に、孤島の病巣となったウェーレンの残虐性、歪んだ(或る意味典型的な)エゴイズムを浮き彫りにしていく。

愛娘と赤ちゃん言葉で電話するウェーレン所長 傲慢、横領、漁色、狡猾と陸海空取り揃えたウェーレン所長の悪魔性を、藤木孝があくまで「らしく」演じ切るのが、観ていていっそ小気味良くすら感じる。愛娘と赤ちゃん言葉で電話する所長の二面性(人間味溢れる部分もまたこの男の真実の筈だ)は、藤木さんならではの引出しの多さだろう。中西陽介、服部幸子の若手コンビ(一応ちゃんとしたキスシーンあったりする)、金子由之(声が野仲功に似ていた)や牛山茂ら囚人衆のアンサンブルの見事さ。芝居の最初と最后に内田稔が遊覧船ローレライ号の案内人として、声だけで達者な芝居を「聴かせてくれる」のもなかなかお得感がある。

二幕目は、馘になった教戒師の代わりに新しく就任したフッカー老師(演じるは昴の大ベテラン西本裕行。飄々とした演技に痺れました)の説教のシーンで、客席を囚人たちの集会所に見立てて、客席を挟んだ2つの通路に囚人たちがしゃがみこんで、所長に命じられた通りの3大噺に興じるフッカー老師に、都度ブーイングして、物を投げるあたりの臨場感は演出の勝利。

エバ・クレイン(服部幸子)とウェーレン所長(藤木孝) それに比べると、スチーム風呂のような拷問部屋「クロンダイク」で囚人たちが死んでいくシーンはちょっと凡庸だったか。尤も、一切場面転換をせずに(そのぶん暗転はしつこい程多用されていたが)待合室、所長の部屋、監獄、食堂、集会所、拷問部屋をワンセットで全て表現してみせたのだから、さすがと云うべきだろう。
因果応報としてのウェーレンの最期をスローモーションで見せるやり方、映像手法を芝居で再現した野心は買うが、余り効果が出ていなかった気がする。ひとが演るどうしてもギクシャクとした動きになってしまうからね。

カーテンコールはおあいそのように1回きりで、皆さんあっさりさっぱり席を立つのがちょいと淋しい。
けれど、最后に出てきて喝采をさらっていった藤木孝という役者が放つオーラったらない。
他の出演者と違って、短く振り上げた腕だとか、仕種の一挙手一挙手がいちいち気障なんだけど、決して厭味になっていない処がカリスマ性というか、持って生まれた「華」というか。

あのニヒルな爬虫類顔にすっかり魅せられた一瞬だった。
終演後、ロビーで演出家の村田元史を見かける。
劇場を出ようとしたら、不意に、周囲の空気が凍りついた。
何かと思えば、丁度、真横を僕と行き違いに平幹二朗そのひとが、悠然と通り過ぎてゆく処だった。
(成程、藤木さんは平さん主演舞台の助演回数が著しく多いひとなのだった)

舞台の平さんは数年前に「蜷川テンペスト」で堪能した事があるが、間近で観た平さんは周囲に軽い会釈を振り撒き乍ら、シェークスピア役者らしく赤く染めた髪を肩まで伸ばした、はっとする程の巨顔であった。
さすがは舞台の為に生まれてきたようなひとだ。


 「うさぎや」のどら焼き  2002/10/24(Fr)


昨日、妻が買ってきた「dancyu」11月号が和菓子特集で、日本橋近辺に美味しそうな和菓子屋が密集しているというので、彼女は今日子供を連れて「清寿軒(日本橋小舟町)」「うさぎや(日本橋)」とハシゴして、雑誌で紹介したお菓子を幾つか買ってきた(「たいめいけん」でお昼も食べてきたらしい)。

で、食後のお茶の時間に、まず、足の早い「うさぎや」のどら焼きからいただく。

1個170円もするだけあって、かなり大きい(勿論、羽田空港の「空とぶでかドラ」程じゃない)。「dancyu」の紹介文によると「直径95mm、厚さ38mmほど、たっぷりの餡が入った迫力のどら焼き」とある。餡は、北海道の十勝産小豆。

「午前中に売り切れることもある」と書いてあったので、妻は朝、「ばらで2つ買います」と電話で予約を入れてから訪ねたらしい。実際、あとから来たお客には「売り切れです」と無情な返事が返ってきたそうだ。

これが「うさぎや」のどら焼き。 「うさぎや」のロゴ。右から左に「中央区日本橋」とあるが、最初に「中央区の爪橋」と読んでしまったのは内緒である。

肉厚でふかふかしていて、それでいて繊細な食感の生地と上品だががっついたって許してくれる懐の深い甘さ。
妻は「清寿軒」のおばさんからどら焼き選びのコツは肉厚のものを選ぶといいと教わったそうだが(その方が生地が美味しく焼けるらしい)図らずもライバルの和菓子屋のどら焼きで、それを実感する。

お茶と共にいただき乍ら「嗚呼、生きていてよかった」と思える至福の時を過ごす。

それにつけても行間なく、ぱくぱくとどら焼きを食べる悠都の憎たらしさよ(笑)。
(カップ麺じゃないが、宇崎竜堂の気持ちが分かるよ)
さ、明日のおめざは「清寿軒」の栗まんじゅうかどら焼きか。むふ。


 「清寿軒」のどら焼き  2002/10/25(Sa)その1


という訳で、予告通り、おめざは「清寿軒」のどら焼き。

こちらは1個200円だが、大きさは「うさぎや」のものより心持ちコンパクト。
生地が香ばしいのは、「うさぎや」が生地に蜂蜜を練り込んでいたのに対して、「清寿軒」の生地は後から蜂蜜を染み込ませているのにも関係しているのだろうか。味はこちらの方が幾分「重い」気がする。これで「うさぎや」の大きさとのバランスは取れた(笑)。餡は、同じ粒餡でも比べるとこちらの方が「こし」気味かな。

結論、僕は上品な「うさぎや」に軍配を上げ、妻は茶請けとしての「清寿軒」に軍配を上げた。
評価(好み)も旨く分かれて、おあとがよろしいようで。

「清寿軒」のどら焼き。

などと、短期間に食べ比べなどをすると「ボクが病気になった理由(1990):第二話ランゲルハンス・コネクション(監督:大森一樹)」で糖尿病にも関わらず、インスリンを打ち乍ら、グルメ番組の取材をしていた名取裕子とラサール石井を思い出すなあ。故・東銀之助の解説が聞こえてきそうだ。

この項、続く。


 ビルを殺れ!  2002/10/25(Sa)その2


上で書いた「ボクが病気になった理由」の話だが、ひょっとすると「恋する女たち」で斉藤由貴演じたタウン誌編集者が神戸でグルメ記事を編集している話とごっちゃになっているかも知れず。同じ大森映画という事で記憶が混濁したのかな。まあ、他のひとにとってはどうでもいい話だが。

財布の都合で、今日の映画は「キル・ビル KILL BILL: VOLUME 1(2003・米)」の初日のみ。
シネコンの利点は前日に指定席を抑えられる処。
別に200円余計に出してリザーブシートを買う必要もないし。

「キル・ビル KILL BILL: VOLUME 1(2003・米/クェンティン・タランティーノ)」 109シネマズ木場
タランティーノの功績のひとつはこういうサブカル映画を、「スタイリッシュ」だの「クール」だのという価値観を付加して、世界マーケット(勿論、此処で云う「世界マーケット」とは単館系を意味しない)に乗せてしまった「ジャンル映画の伝導師」な処にある。やりたい放題であり乍ら、しっかり衆目の価値観を自分のテリトリーに引き寄せてしまう才覚に、この映画オタクの面目躍如がある。

ジャンル映画は面白いが、そのぬるさ、ゆるさが、一般の客足を鈍らせる。
ぬるさ、ゆるさまで含めての面白さは一旦脇に置いといて(或る意味「ジャッキー・ブラウン(1997)」は勇み足でそれをやっちゃった気がするから、その後の彼が映画作家としてブランクを持ったのは戦略として正しい)圧倒的な情報量(ディテール)を注いでジャンル映画の名場面或いはエッセンスを絶妙に繋いで総集編に仕立てたのが、かの名作「パルプ・フィクション(1991)」

「キル・ビル」も基本路線は上と全く同じ。
但し、「タランティーノ」が世界ブランドになったが故に、やりたい放題のベクトルがより我田引水に向かっている(何しろエンドロールに流れるのが梶芽衣子「恨み節(「女囚さそり」主題歌)」だ。彼以外についてきたスタッフ・キャストが本当にいるのか)。世界が「柳生一族の陰謀」「修羅雪姫」の世界を「スタイリッシュ」で「クール」だと惑わされる日も近い(「キッチュ」でという但書がつきそうだが)。実際、興行収入はいいみたいだし。

このひとの映画について語る時、ジャンルこそ異なるが、ポール・サイモン「グレイス・ランド」を思い出す。あのアルバムは大ヒットすると同時に「オリジナリティ」という事についてさんざん物議をかもした。世界中の良質な音楽のいい処ばかりを搾取・剽窃し、その上にあぐらをかいてヒットチャートに昇ったと激しく非難された。この言説に倣えば、「キル・ビル」も同じ論理で矢面に立たされる。他人の作品のパッチワークで相撲をとった映画だと語る輩は必ず出てくる。

それらの批判を的外れだとは云わないが、積極的に支持も出来ない。
何故なら「タランティーノはそれらについて完全な確信犯であり、自分が過去のどの作品からインスパイア、もしくは設定を借りてきたかを全てオープンにしており、各々へのリスペクトを失っていない(大体、音楽の使い方ひとつを取っても彼のスタンスが分かるじゃん)」「パッチワークのセンスが他の追随を許さぬ、タランティーノ・オリジナルとなっている」「パッチワークの針と糸に、並外れたストーリーテーリングを発揮する」以上、それらの批判が彼の映画作家としての資質を問うものではないと信じるからだ。

最初でも少し触れたがパッチワークの元生地(作品そのものだけでなく、波及効果はジョン・トラボルタ、パム・グリア、サニ千葉といった個人にも及んだ)の再評価への積極的貢献というのもある(話はあちこちに飛ぶが、ポール・サイモンの話に戻せば、結果の良し悪しはともかくレディスミス・ブラックマンバーゾが世界デビューしたのは、「グレイス・ランド」がきっかけだったし、かのアルバムがワールドミュージックと呼ばれるジャンル音楽の急速な普及の一助を担った、それは動かし難い事実だ)。

何より、作品が面白い。
ワイルドで繊細で映画愛に満ちていて、底知れぬパワーが漲っている。
成程、他人のふんどしで相撲を取っている側面はあるかもしれない。けれど、そのふんどしが使い物になるように磨き上げたのは他ならぬタランティーノだ。しかも使い古したただのふんどしを化粧回しにまで仕立て上げた。そしてそれは、誰にでも出来る手管ではない。

…と此処まで褒め上げたのだから、ひとつぐらい苦言を。

ユマ・サーマンルーシー・リューの日本語対決、あれ、要らない。
特にオーレンが早口になると何云ってんだか全然分からない(ルーシーには失礼だが、彼女の長台詞には字幕が必須です)、青葉屋以降、折角盛り上がるシーンも彼女たちのたどたどしい日本語が全てぶち壊す。別にあそこでキッチュさを狙ってはいない筈だし、日本語で行きたいと嘆願したのは他ならぬルーシー・リューなので、おそらく「カタコト」ハザードは偶然の産物。タランティーノも含めて日本語が母国語でないひとは別に気にならないだろうけど、日本人はあそこで絶対引くよね。
「カカッテキナ」「…(げっ:観客)」みたいな。

あと「何も此処まで…」という位ひどい目に遭うソフィー・ファタル(ジュリー・ドレフュス)は必見。
「場の空気を『読まない』ビジネスライクな通訳」というキャラは、タランティーノが来日した時にいつも彼にくっついていた戸田奈津子御大がモデルらしい。オーレンが田中親分の生首持って演説する間、淡々と通訳を差し挟むソフィーは戸田さんだったか。なら、誤訳でまくしたててくれると一部には更に喜ばれたものを(ちなみに本作の字幕は石田泰子さん)。

この映画、ネタは尽きないが、それじゃいつまでも終われないので涙を呑んで筆を置く。
処で映画秘宝か何処かで「キル・ビル」リスペクト映画祭をオールナイト企画ででも開けばいいのに。
邦画分(「子連れ狼 三途の川の乳母車(1972)」「バトル・ロワイヤル(2000)」「修羅雪姫(1973)」「殺し屋1(2001)」「吸血鬼ゴケミドロ(1968)」「黒蜥蜴(1968)」「攻殻機動隊(1995)」他、多数)を集めただけでも数夜分用意できるし、好事家は集まるよなあ。リスペクト作品DVD-BOXあたりになると…いや、やっぱり売れる気が(そもそも彼のセレクトじゃ未DVD化作品が山程あるし、販売元の垣根とか沢山ハードルはありそうだけど)。

ひとまず、おつかいの低音殺菌牛乳と8つ切り食パンを買って帰宅。
妻に塩ラーメンをこさえてもらって、ささやかな昼食。

この項、続く。


 チュニジア料理「ハンニバル」  2002/10/25(Sa)その3


夕方、家族で家を出て、東西線と山手線を乗り継いで、JR新大久保駅に向かう。
今夜は、都内と神奈川在住の友人はるさん、さっちゃんと我が家の上京を祝して(?)、新大久保はチュニジア料理「ハンニバル」でささやかな宴(というかお食事会)である。特に妻とさっちゃんは僕らの結婚式以来だから、およそ7年振りの邂逅となる。

地上にある「ハンニバル」の看板 東京に行ったら一度行ってみたかったお店のひとつがこの「ハンニバル」だった。
此処を知ったのは、唐沢さんの裏モノ日記の中に、「仔羊の丸焼きを食べる会」みたいな催しの話があって、日記によれば15、6人で予約すれば、羊を丸焼きにして食べさせてくれるという。その他にも4、5人メンツを揃えれば、ウサギの丸焼きホロホロ鳥の丸焼きのコースも食べさせてくれるらしく、チュニジア料理がいかなるものかは知らねども、豪快に丸焼きモノが食えて、クスクスとやらが食えるのなら(何を隠そう、未だ食した事がなかった)いつかこの店に訪れてみたいと思っていたのだ。唐沢さんの日記を読む限り、陽気なオーナーシェフ、モンデール氏のキャラもなかなか捨てがたそうだし。

17時半に予約して、10分前に到着。
初めて来た新大久保は、タイ料理やインド料理、台湾料理など各国料理のレストランが群雄割拠の状態で隣接しており、駅のすぐ脇の小路を歩くだけで目移りする程だ。

3分も歩くとお目当てのアーバンビルが見つかって、ローソンの隣に地下に続く階段があって、突き当たりが「ハンニバル」の店構えだった。階段脇にはチュニジアに関するパンフレットやチュニジア映画のリーフレットなどが置かれてある。

店内入口付近。左側に見えるのはレジである。 厨房ではオーナーのモンデールともうひとりのシェフが忙しく立ち働いている。 開店30分後という事で、店には僕らだけだった(尤も、1時間後には店は満席になって、僕らが店を出るまで客足は途絶える事がなかった)。ミスター・モンデールは噂通りの気さくさで、悠都の相手をしてくれたが、近頃自我に目覚めた息子はいっちょまえに人見知りなんか始めて、立ったまま寝た振りをする始末。テーブルについた処で、あの時間を守らない事で仲間内では有名なはるさんがさっちゃんを伴って時間通りにやってきて、思わず拍手してしまう。でも駅の出口を間違えて、多少、道に迷ってしまったらしい。

店中が見渡せるワイン棚の下という好ポジションのテーブルをあてがってもらって、酒呑みはチュニジアビール(はるさんによると、缶こそアラビア文字で格好良かったりするが、味は普通のビールだったらしい)、下戸はアプリコットジュースにピーチジュース(あとはグアバジュースがあった)で、東京へウェルカム(無論、僕ら家族の話だ)の乾杯。

今回は事前にメールで厳正なる相談した結果、ホロホロ鳥丸ごとオーブン焼きコース(大きさの問題で4人以上からしか予約出来ない)。加えて、4周年記念という事で通常5000円 → 4500円大奉仕Ver。タイミングを計ったようである。

という訳で、以下、簡単な食譜。
記憶に頼っているのでかなり頼りにならない事をお断りしておく。
尚、画像にカーソルを当てると、それぞれの料理についてまるで頼りにならない解説が読めます。

ちと画像がぶれてますが、チュニジアン・サラダ 自家製パン。余計なモノが入っていないので、さっぱりとした味。 「ハリッサ」。チュニジア特有の、唐辛子をベースにしたペースト。
【写真左】画像がぶれて分かりにくいが、チュニジアンサラダ。モンデールが名前を教えてくれたけど正確な処は憶えていない。トマト、リンゴ、キュウリ、人参、キャベツ等の1cm角切りにツナと塩漬けにしたオリーブの実、其処に酸味の強いドレッシングがひたひたになるまでかかっている。

【写真中央】自家製パン。素朴でさっぱりとした味なので、どんな料理にも合う。

【写真右】これまた画像がぼけているが、唐辛子ベースのペーストで「ハリッサ」と云う。モンデールの話では、チュニジアのひとは適宜好きなものにつけて食べるとの事。試しに使ってみたが、これはからい!不用意に口に入れてはいけないが、成程、複雑な辛味です。
チュニジア風春巻き「ブリック」。 「ショルバ」。チュニジア風ミネストローネスープ。 生まれて初めて食べたクスクス。お味は…
【写真左】モンデールが悠都の事を気にかけてくれて、子供でも食べやすいようにと供してくれたチュニジア風春巻き「ブリック」(しかもちゃんと子供も含めて5人ぶん用意してくれた)。ツナ、ケッパー、マッシュしたジャガイモ、それに半熟卵(ポーチド・エッグみたい)を、四角い餃子の皮を対角線上に2つ折りにしてオリーブオイルであげたもの。モンデール曰く「申し訳ありませんが、これだけはナイフとフォークを使わずに両手で持って端からかぶりついてください」。個人的には今夜いちばんの収穫。皮のぱりぱり感と、表面張力の危ういバランスで成り立っている半熟卵とのコラボレーション。悠都など食べ終わった後、隣のテーブルのブリックの皿を覗きに行くほど行儀の悪い…もとい気に入りようだった。自宅でも試せそうだが…どうかな?

【写真中央】チュニジア風ミネストローネスープ「ショルバ」。ガーリックが利いたトマトベースのスープをぐつぐつ煮込んでぐずぐずになった野菜と、ヒヨコ豆と、カボチャの種のかたちをした粒パスタのそれぞれの食感も愉しい、まさに安泰の一品。

【写真右】噂のクスクス。クスクス本体と、野菜を盛大に放り込んだチュニジア・マトンのトマトシチューの大皿が饗される。はるさんとさっちゃんが給食係になって、クスクスの上にシチューをかけた小皿を取り分けてくれた。
生まれて初めて食べるクスクス、お味の方は…「おがくずのような味だ」
「これこれ」と妻がブーイング。続けて口に含んだはるさんが一言…。

「…これは、建材のような口あたりだねえ」
「オレの『おがくず』と変わらないじゃん」
「あ、そうなの?」顔を見合わせて底意地悪そうにニヤリと笑うふたり。

原料はパスタと同じデュラム小麦粉な筈なのに、食感だけでこうも違うものか。
兎に角、美味しいものを食べさせ甲斐がないというのは、僕らの事を云う。
──あ、羊のシチューは美味しかったです。
ホロホロ鳥丸ごとオーブン焼き。写真だと分かりにくいが、野趣溢れる大皿料理 デザートは白胡麻のプディング。これにアロマオイル入りの珈琲をいただいた。
【写真左】本日のメインディッシュ「ホロホロ鳥丸ごとオーブン焼き」(さっちゃんはこれが楽しみで此処に来たと云っていい・笑)。コース名に謳ってあるように、食べ易く切り分けてはあったものの丸焼き仕様である。実はクスクスを食べた処で、一同は既に息切れしていた。「…もう喰えん。このあと、ホロホロ鳥の…丸焼き…オレ、ダメかも」と弱音を吐くと、皆んな賛同してくれたのだった。

しかし、である。
写真ではスケール感が見えにくいがどかんと大皿が運ばれた時、全員の喉がぐびりと鳴った。おそるおそる肉片を口に運ぶと旨いのである。さっぱりしていて、しかも脂のつく処はついていて、皮はぱりぱりに香ばしく焼きあがっていて非の打ちどころがない。ホロホロ鳥自体は昔、広尾の「アラジン」で食べた事があって、あれはあれで凄まじく美味しかったのだが、此処は丸焼きなだけあって素材だけで勝負を挑んでくる感じ。そう云えば、福岡の大橋にある「ペシミニヨン」の鴨のローストがこんな皿だった。
兎に角結論だけ云えば、「おそろしく美味いぞ…」
メンバーは腹が苦しいと呻き乍らも爆食団と化して、骨をがりがり云わせ乍ら、あらかた皿を綺麗にしてしまった。中でも脚や腿、手羽方面に威力を発揮した妻の活躍を特筆しておく。

【写真右】デザートは白胡麻のプディング、オレンジソースがけ。ざる豆腐にも似たねっとりした食感と、濃厚な白胡麻の甘さ。確かに美味しいが、お皿の量がベスト。これ以上多いとうんざりする事請け合い。つまり取り分けるヴォリュームも含めた上で料理は成立する。

食後のお茶はテアラモントと呼ばれるミントティーか、アロマオイルで風味をつけた珈琲 or 紅茶からチョイス。はるさんはテアラモント、その他のメンバーは珈琲をオーダーする。ミントティーも、珈琲も各々満足。酷使した胃の腑が、ひととき洗われる、そんな感じであった。
店内奥、向かって右方面には、クロークと化粧室がある。 レジで支払いの段になって、モンデールの奥さん(日本人)が、息子さんの写真を見せてくれた。彼女はテーブルに料理を運んでくる時から悠都の顔をしみじみ眺めては「ウチの息子(即ち、モンデールJr.)にそっくり」と驚いていたのだった。

妻の話によると、息子は道端ですれ違うおばさんやおばあさんによく「お父さんは何処の国のひと?」と訪ねられるそうで、写真の中のモンデールJr.(悠都より幼い)は確かにそこはかとなく悠都系の顔立ちなのだった。

奥さんは改めて、テーブルの間を忙しく立ち働いているご主人に向かって「ねえ、アニスにそっくりよね」と同意を求めたのだった。アニスくんというのか…チュニジア料理のお店のジュニアにはなかなか相応しい名前である(「アニス」とはスパイス等に用いるハーブの名前)。

はるさんとさっちゃんに引っ越し祝いだからと高島屋の包みを渡される。本当にありがとね。
また近々の再会を約束して、新大久保駅で別れて(さんざん記念写真を撮る。この頃になると悠都ははるさんになついて、引き剥がすのが大変だった。しまいにははるさんに電話をしてくれるよう念を押していた程だ。息子は本気なのでよろしくね♪ → はるさん)、山手線のホームで別れる。

美味しい食事と友達とのおしゃべりを楽しんだ夜だった(悠都ははるさんの関節技に酔っていた・笑)。
夫婦ともに草臥れたが、心地よく草臥れる事が出来た。


 「清寿軒」の栗まんじゅう  2002/10/26(Su)その1


今朝のおめざは「清寿軒」の栗まんじゅう。

まずはその形状に腰を抜かす。
何しろ僕らが知っている栗まんじゅうとは一線を画する。
生地を破ってはみ出しそうな栗の賽の目切りといい、このワイルドな外見は殆ど、栗入りあんパンだ。
実は大きさは結構普通だったりするのだけど。1個200円。

「清寿軒」の栗まんじゅう。 栗まんじゅうを半分に割ってみる。餡が「栗むし」のようだ

賽の目に切った丹波の栗の甘露煮をいっぱいいっぱい詰め込んで、薄皮で包んだ無骨さは旨さのあかしというか、何というか。僕の知っている栗まんじゅうは白餡か、栗餡だが、此処のは小豆餡にほこほこした栗がごろごろ入っていて、まるで威勢のいい「栗むし」のようだ。

味の方は「是非もう一度口に入れたい」 → 奥さま(また買ってきて)。
見た目同様ダイナミックで、それでいて庶民の味なのがまたいい。
家族共々あっという間にたいらげたのだった。

この項、続く。


 その場しのぎの男たち  2002/10/26(Su)その2


開場直前の本多劇場 「その場しのぎの男たち」を観る為に12時過ぎに半蔵門線で渋谷、其処から井の頭線で下北沢へ。家からの徒歩を入れても、40分そこそこ。つくづく都心に住んでいる事を思い知らされる。

今回ばたばたと移動が決まってしまった為、「その場しのぎの男たち」の観劇計画など勿論立てていなかった。前任地での仕事が忙しかったので上京は考えられなかったし、伊東四朗Ver.ではないものの来年1月には福岡公演が決まっていたので、そちらに行く予定にしていた。ひょんな事から(にしては話が大きすぎるが)こちらに来てからも、前売が完売なのは知っていたので、来年春に池袋である凱旋公演に望みをかける気でいた。

処が、2、3日前に偶さかヴォードヴィルのBBSを覗いたら、連日キャンセル、パイプ椅子、座布団席含めて当日券が充実していて(しかも此処は前売と当日で値段を変えない漢っぷりのいい劇団である)、且つこれまでの処「入場出来なかったお客様はいらっしゃいませんので奮ってお越しください」とあるではないか。
今月は(も)カネがない。しかも「ちょっぴり贅沢に会食した翌日に、妻子を残してひとり芝居に行くのは如何なものか」と天使の自分が囁く。しかし、伊東さんは日曜で千秋楽だ。来週からは山本龍二Ver.に変わってしまう。かつては伊東四朗を観るためだけに上京したおまえではないか…悪魔の自分の声に、思わず膝を打った。「仰せの通りです」。

と長めの云い訳を枕に、およそ2年半振りに本多劇場の前に立ったのだった。
と、階下のスタッフルームから出てきた赤いジャージの山口良一とばったり出くわす。
山口さんは軽く会釈してくれた。お客と目が合うと自然そういう反応をしてしまうのかもしれない(こないだの平さんだってそうだった)。役者さんは大変なり。

劇団東京ヴォードヴィルショー「その場しのぎの男たち」 本多劇場
劇団創立30周年記念/第58回公演(再々演)

◆ オープニングダンス
【出演】劇団員オールキャスト

◆ 第1部「お楽しみバラエティ東京オードブルショー」
【構成・演出】山口良一、たかはし等
【出演】劇団員が日替わりで登場

「その場しのぎの男たち」のチラシ ◆ 第2部「その場しのぎの男たち」
【作】三谷幸喜
【演出】山田和也
【出演】佐渡稔:松方正義(内閣総理大臣)
【出演】坂本あきら:西郷従道(内務大臣)
【出演】市川勇:青木周蔵(外務大臣)
【出演】石井愃一:後藤象二郎(逓信大臣)

【出演】佐藤B作:陸奥宗光(農商務大臣)

【出演】たかはし等:伊東巳代治(柩密院書記官長)
【出演】大森ヒロシ:前田(常磐ホテル・支配人)
【出演】中田浄:常磐ホテル・ボーイ
【出演】阿部英貴:常磐ホテル・ボーイ
【出演】山本ふじこ:亀山乙女(常磐ホテル・女中)
【出演】小林美江:ミツ(常磐ホテル・女中)
【出演】市瀬理都子:常磐ホテル・女中
【出演】フジワラマドカ:常磐ホテル・女中
【出演】増田由紀夫:向畑治三郎(人力車夫)
【出演】瀬戸陽一朗:巡査
【出演】まいど豊:津田三蔵(巡査)
【出演】あめくみちこ:津田きを(三蔵の妻)

【出演】伊東四朗:伊藤博文(元老)

祝30周年の、三谷さんからの花籠。 今日の当日券は劇場後方のキャンセル席が数枚とパイプ椅子席が20席余り。パイプ椅子位置は、D列とE列の間の通路スペースを利用するもので実質、5列目と好ポジションにつける為、迷わず補助席38番を確保(右から3人目)。椅子はちゃちいけど、前売と同じ5000円でこんなに前で観劇出来るなら、莫迦々々しくってチケット争奪なんて出来ませんなあ(て、するけど)。

◆ オープニングダンス

キャロルの「ファンキー・モンキー・ベイビー」に乗って、ヴォードヴィル・オールキャストが華麗というか、とにかく舞う。佐藤B作松方正義石井愃一市川勇の五十路チームが老骨に鞭打って一見「何食わぬ顔で」踊ってみせるのが観どころか。
あと、ダンスのラストで若手メンバーが勢いよくTシャツを脱ぎ捨てて背中に日焼け文字で「ヴォ」「ー」「ド」「ヴィ」「ル」「30」と披露するのだが、「30」が何と女性(奈良崎まどか)なのに息を呑む。客席に背中を向けてTシャツを投げた後、胸を抱き抱えるように腕を組んだ背中は確かに一糸纏っていなかった。ひょっとするとニップレスをつけていたのかもしれないが、うら若い女優の頑張りに拍手(ご本人はパンフレットで泣き笑いのような決意と覚悟を語っていた)。しかも本篇には出ていない…嗚呼、再来年の新作には役をつけてあげて → 三谷さん。

◆ 第1部「お楽しみバラエティ東京オードブルショー」

スズナリでずっと続けている「あほんだらすけ」のピックアップ・ショートコント集。
山口良一(ウェイター)、あめくみちこ(客)のコントで、あめくさんが思い切りせんべいの缶の蓋で頭をはたかれる際に、蓋の端がちぎれて吹っ飛んだのに客席前方、一斉にどよめく。いきおいが大切とは云え、体張ってんなあ(しかも本篇で重要な役どころなのに)。未だ週間欽曜日を忘れない女優の頑張りに拍手(小林美江のおとぼけ3連発にも抗し難い魅力が…)。

◆ 第2部「その場しのぎの男たち」

大津事件を題材に、伊東さん始め各界喜劇人が絶賛する2時間暗転無しポリティカル・シットコム。
再々演に際し、三谷さんは劇団「笑の大学」座付き作家・椿一の如く、またも脚本をリライト、ブラッシュ・アップしている。94年版と今回の大きな違いは後藤象二郎(石井愃一)が加わった事で(尤も初演版には参加していたらしい)、前回はNHKオンエア版で観たが、それを知らなければ、後藤のいない「その場しのぎ」は考えられないと思う(個人的に石井さんは贔屓なので尚更なのかもしれない)。「アパッチ砦・決定版」で、初演版では出ていなかった鏑木さんの前妻(松金よね子)がなくてはならない存在になっていたように、三谷さんの登場人物に対する愛はかくも深く、且つ物語へのメスの入れ方がブラック・ジャック並みの鮮やかさである。

ラストが古参メンバーの酒盛りに着地する、というのも劇団30周年へのオマージュとささやかな贈り物ではないか(メンバーは皆酒呑みだ)。
至る処で「B作さんには手を焼いている」と嘯く三谷さんだが(このひとはメディアに出ると何故か冷酷漢振る。今日の「おしゃれカンケイ」での古舘さんとのバトルはその典型。そのくせエッセイでは善人振りが前面に出てくるという…やはり「書く」という病に憑り付かれたひとだからなのか)、上がってくる台本にこれだけ愛があると、B作さんはなつく一方だよね。

伊藤博文(伊東)と陸奥宗光(佐藤B作)。 人物愛に話を戻せば、その場しのぎで場当たりで他力本願な男たちが、それでも僕らに愛らしく映るのは、政治家としての人間的弱さと表裏をなすように、私人としての人間的シンパシィがしっかり描かれているからだ。

松方正義(佐渡稔)は、外交手腕皆無の、ひとりじゃ何も出来ない総理だが、それでも津田三蔵(まいど豊)を警察に引き渡す時には彼の妻(あめくみちこ)を呼んでやる配慮を忘れない。後藤だって、下手な裏切りと及び腰で松方サイドからも伊藤サイドからも総スカンを喰らうどうしようもない男だが、悪漢の前では勇敢に立ち向かう一面も見せる。政界の大ボス伊藤博文(伊東四朗)にしたって(史実では松方より6歳も年下らしい)「その場しのぎ」を全面肯定する人間臭さと、シュービッチに首根っこを掴まれてつまみ出された後の気まずい表情のキュートさは実際捨てがたい。ネタばれは避けるが、陸奥宗光(佐藤B作)が最后の最后に、伊藤に対して仕掛ける意趣返しの余りのせこさと、大喜びする松方…一国の首相と農商務大臣がである。人生50年の時代に50歳を過ぎた、しかも日本の運命を左右する、50代のやんちゃ坊主たち。これで愛らしくならない訳がない。

それにしても、伊東さんの旨さは別格である。
終演後のロビー 誰もが大きな声で舞台喋りをしている中、伊東さんだけは声を張り上げる事もなく、かと云って聞き取りにくい訳でもなく、オーバーアクトする事なしに、天才的な間で「人類か?」と呟くだけで会場を沸かす事が出来るのだ。三谷&伊東のコラボを2度ならず3度までも見る事が出来た僕は本当に果報者である。それも本作で伊東さん出演の三谷作品は全部観られた事になる。

あめくさんの旨さも相変わらず。改めて思ったのは「アパッチ砦」の鴨田さんの奥さんも津田きをも、一所懸命だけど天然ボケキャラだという事。おりょうは別格だが、三谷さんの中であめくさんはそんなキャラに映っているのかもしれない。山本ふじこ演じるくノ一・亀山乙女の息切れが涙ぐましい前転アクション(坂本あきら・市川勇のカリンカ・アクションも見事な息切れものでした。毎演、ダンスとカリンカを踊っているのか…)と云い、観どころ満載ですので、見逃した方は春に出るDVDを刮目して待たれよ。
本日見かけた有名人は、会場前に劇場前で見た横澤彪さん(坂本さんが吉本所属だからか)のみ。
やくみつるが来ていたらしいが、残念乍ら目撃出来ず。
伊東さんが千秋楽なのは、ソワレだからなあ。

財布はすっからかんになったが、来て良かった。
──本当に、良かった。


 「アトリエ・ド・ペリニィヨン」のマロンパイ  2002/10/28(Tu)


今宵のお茶うけはケーキ工房「アトリエ・ド・ペリニィヨン」の季節限定マロンパイ。消費税抜きで400円。
我が家から歩いて数分の処にある、お店である。
ホームページによると、この5月からイタリアの著名なリキュールメーカー主催の「第9回ルクサルドコンクール」に優勝した澤井シェフが製菓長に就任したのだそうで、トップページには、グランプリ受賞作品が掲載されているが、そのデーハーさがなかなかよろし。

さて、マロンパイである。
見た目は普通、というか、むしろ小振り。
処が頭からかぶりつくと、自分の知っているマロンパイとは一味違った食感。

「アトリエ・ド・ペリニィヨン」の季節限定マロンパイ。

先端に栗の渋皮煮が埋め込まれているのはフツウだが、その底にはマッシュに潰したマロンが、そう、スィートポテトのように甘さひかえめでほこほこと詰めてあって、これが旨い。何しろ、甘さが極限まで抑えられている為、パイ生地の味が殺されず、少し利いた塩味まで感じられるのが、クセになる感じ。

「1個ずつ制覇しよう」…そう云った妻は、本気かもしれない。


 スクエア・スカイ  2002/10/29(We)


昨日とは打って変わっていいお天気。

いつものようにぎゅうぎゅうの東西線に揺られ(地の利で、揺られる時間が10分弱なのがせめてもの救い)、地下道を抜けて長目のエスカレーターを上がると僕が勤務するオフィスビルと直結している地下街に出る。
立地的には地下街から直接、オフィスビルのB2Fに通り抜けられるのだが、赴任して3週間過ぎてもまだ入館証のIDカードが出来てこない為、一旦、地上に上がって、ガードマンが居並ぶビルの正面玄関ロビィで、所定の用紙に所属と行き先を記入して、来訪カードを貰わなければならない。

毎朝、地下街に2軒あるコンビニのいずれかでペットボトル飲料と夕方食べる小菓子(これがいかんのだ。…え?)を買って、どういう訳か利用者の殆ど居ない、正面玄関前に出る階段の踊り場に立つと、目の前に突如、聳えるビルに切り取られた、高くて遠い空が広がる。

Square Sky

青空でも曇り空でも、遠近を測る物差しのようなビルの先にある空はいつも高くて、その度に自分の立っている場所にはっとさせられる。正直、それが日課になっている。毎朝、そうやって息を呑んでは軽い眩暈を覚えている。

僕は、自分が選んだ訳ではない場所に立っている「現在」を否定も肯定もしていない。
けれどこの空に呑まれそうな錯覚が、自分の中の少年が子持ちの自分に絶句するのと少し似ているとは思う。
惰性にも似た速度で走り抜けていく日常に、ほんのキモチだけ棹差す瞬間なのだ。
一日一回、踊り場から空を見上げる短い間だけは、自我がぱんっと音を立てる。

そうして天使が通り過ぎるのを見送ると、今日もゲートをくぐって、長い一日を迎え撃つ。


 ほんとうの備忘録  2002/10/31(Fr)その1


昨夜から今朝にかけて八ヶ岳でオーロラが観測されたらしい。
太陽のフレアで発生した強い磁気嵐のせいだそうだ。太陽表面が元気に活動を続けるなら、そのうち国内旅行でオーロラ観測ツアーが企画されてもおかしくない。昔、日本でオーロラが見られるというと小松左京「日本沈没」の世界だけかと思っていた(実際は時折北海道で観測される事がある)が、今の処、動物たちが逃げ出す様子もないし(午前中、長い地震があってちょっとびびったけど)、当分はJTBあたりが信州イエローナイフ化計画を立ち上げるのをじっと待つ事にする(食べ物はきっとこちらの方が数段旨いぞ)。

さて、今月観た映画はとうとう以下の5本。

 93.「釣りバカ日誌14 お遍路大パニック(2003・日)」10/13(Mo)
 94.「巌流島 -GANRYUJIMA-(2003・日)」10/13(Mo)
 95.「アララトの聖母 ARARAT(2002・加)」10/13(Mo)
 96.「恋は邪魔者 DOWN WITH LOVE(2003・米)」10/18(Sa)
 97.「キル・ビル KILL BILL: VOLUME 1(2003・米)」10/25(Sa)

尤も最初の10日は移動に伴うドタバタで映画まで手が回らなかったのと(回している場合じゃなかった)、上京してからは映画から演劇&演芸系に一部カネの流れががシフトした事が大きい。東京に出てきたからと云って、別に小遣いに都市手当がつく訳ではないので(当たり前だ)、限りある財布の中身を分配するとなれば、どうしても何処かにしわ寄せが来る。しかも芝居1本あたりの単価は、大体映画3〜4本分に相当するので(芝居によっては映画6〜10本分に相当するが、多分そのクラスは殆ど観ない)今月観た芝居を映画に換算すると(余り意味のある行為とも思えないが)大体13〜14本分位にはなる(くどいようだが、だからどうというものでもない)。

ちなみに、以下が今月観た演劇・演芸イベント。
映画に比べれば今後も各々大した数は稼がない筈なので、ひとまず十把一絡げでカウントしておく。

 01.「エノケン生誕100年祭〜ジャズとコントで甦る〈東京喜劇〉の黄金時代〜」10/12(Su)
 02.「ナイチンゲールではなく NOT ABOUT NIGHTINGALES(劇団昴)」10/18(Sa)
 03.「その場しのぎの男たち(劇団東京ヴォードヴィルショー)」10/26(Su)

来月はやっさんが末広亭で上席主任だったり(明日からだ。やっさん本人から昨夜、誘いの電話を貰った)、上野で独演会を開いたりするので、演芸系が勢力を伸ばしてくる予定(更に暮れにかけては「たいめいけん」や「築地さらしなの里」といった右團治さんの落語会や「文治の会」も控えている)。
東京の寄席通いは夢のひとつだったが、カネと時間がない以上、やっさんや右團治さんに引き金になってもらおう。自然、芸協に偏る事になるが、縁あってのものなのでそれで構わない。

読書に至っては読了本が無い始末。

通勤読書(たかだか帰りの電車の10分弱なのだが)にはマイケル・ルーマン/渡辺葉訳「料理人誕生」(集英社)を読んでいる最中。ジャーナリストである著者が米国料理学院(The Culinary Institute of America)の体験入学の様子を活写したもので、読みやすいし面白いのだが、僕自身が遅読な上に450ページ以上の大著なので捗らない事夥しい。
家では、クリスマスおもしろ事典刊行委員会編「クリスマスおもしろ事典」(日本キリスト教団体出版局)をぼちぼちと。唐沢さんも推奨する、と学会のメンバーがものしたクリスマス・トリビア本。

購入CDは、さだまさし「すろうらいふすとーりー」のみ。

久し振りのセルフ・プロデュース作品なのだが、今回は手放しで名盤。前半で人生や平和等の重いテーマを歌い、逆に後半でこそ「帰去来」「風見鶏」系の初々しいラブソングが並ぶ構成が素晴らしい。全体的にアコースティックギター中心のサウンドだが、方法論としても「ほのぼの」「逢ひみての」の頃よりこなれた感じ。「ギターでやってます」って意識させないつくりなのもいい。

イラクやアフガン、そしてニューヨークを歌った「風を見た人」のたたずまいは、歌詞を読んだだけで鳥肌が立った。「木根川橋」の四半世紀後を歌った「どんぐり通信」の切なさと静かだけれど熱い決意もいい。壮年を迎えた仲間たちの中で確かにまだ息づく少年少女を匂わせ乍らも、おじさん・おばさんたちのリアルな「現在」を歌っている処が凄い。加えて「南風に吹かれて」の最后のワンフレーズの美しさはどうだ。さだまさしが恋唄で見せる繊細さはデビュー当時のそれを少しも損なわない(前作では「Kanashimi橋」の最后のワンフレーズに強くそれを感じた)。20代にして老成した歌い手は50代に届いてまた、初々しさを取り戻した。ひょっとして次作で新世紀の「夢供養」たる作品に到ってしまうのだろうか。いや、期待しすぎは禁物…でもオレ、久々にベタ褒めしているなあ。それはそれでいい気分。

あと先月PHSを変えてからCCDカメラを活用し始めたので、日記が賑やかになったのは確か。
それが皆様への「遊んでいる」感を助長しているのは相当不本意だったりする。
週末しか遊んでいないのは、決してこれまでと変わってはいない。

結論。上京して最初の月の割には「暴れてるじゃないの」と云われれば返すコトバもない。
全く仰せのとおりでございます。

この項、続く。…え?


 「ジーゲスクランツ」のケッセル(苺プリン)  2002/10/31(Fr)その2


今日は20時過ぎに退社出来たので、東京大丸のデパ地下でちょいとスイーツ探検をする。

はっきり云って目移りばかりして、どーにもならなかったが、ちょっと変り種プリンということで、「ジーゲスクランツ」のケッセル(苺ぷりん)(1ヶ800円)にする。
(しかし「ローゼンクランツとギンデンスターンは死んだ」みたいな名である)

ドイツ菓子と和を融合させた「ジーゲスクランツ」の方針か(ちなみに此処の社長と「ケーニヒスクローネ」の社長は兄弟らしい)、この「ケッセル」シリーズ(チーズケーキとプリンがある)は全て釜飯の釜に入っている(しかもお持ち帰りは紺地と白地の和紙系のオシャレな巾着に入れてくれる凝りようだ)。──ほら、変り種でしょ。

プリンは苺の他にラ・フランスとピーチとチェリーと全部で4種類ある。
苺は、プリンのトッピングが苺というだけでなく、最下層のカラメル付近に黒豆が配され、まさに和洋折衷の趣き。
焼きプリンの味は、素朴で奇をてらってなくて、シンプルな美味しさ。幾らでも食べられるって感じ。
中でごろごろしてる黒豆もいいアクセントになっている。

「釜飯」の蓋。わざわざ「釜飯ではありません」と断っている確信犯仕様 同じく、蓋を取った処。苺をびっしり詰めて処狭しと生クリームをトッピングしている
釜の縁には、謎のゾウの意匠が… その裏側には「ジーゲスクランツ」とカタカナでレリーフしてある。オシャレを狙っているという訳でもないようだ

800円(税別)は決して安くはないが、釜飯の釜代が含まれている事を考えれば、そんなに無茶な値段でもない。3〜4人で食べられるヴォリュームだし(尤も、皿に取り分けると見栄えが悪くなるのはプリンなので致し方ない)、プリン好きのつわものは一人占めして、プリン食いの至福に浸るもまた良し。

勿論、釜飯仕様のディテールに至る莫迦々々しさも含めて、話の種にも事欠かない。

妻子の満足度も高かったです。
あの釜をあと2つ揃えると、我が家の混ぜご飯はこれでいただく事になるな、おそらく。

処で、喜んでいただけてますか、東京スイーツ情報 → Sさん(笑)。


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