桃カステラを巡るミステリー / 横浜文明堂の桃カステラ
麻布十番「BOO's Bar HALONA」 / プチ同窓会 / むかしバームクーヘン
球体関節人形展 / 志らくのピン Part2 / 外食2連発
メガスター誕生物語 / 盲獣VS一寸法師
さよなら、長さん / 加トちゃん弔辞全文 / 7番目のドリフ
青山散策 / 第28回平治扇治二人会
▼ 2004年02月の都を旅する
昨夜、「雌蘂 Vol.8」から帰ると、ゆん@佐世保さんから桃カステラが届いていた。僕ら夫婦が結婚してからというもの、ゆんさんは毎年桃の節句になると欠かさず、佐世保でも老舗のケーキ屋さんである「お菓子工房いくた」の桃カステラを送ってくれる。我が家の季節の風物と云ってもいい。昨夜は僕の帰りが遅かった事もあり、今朝のおめざでいただく事にする。
で、僕は今朝気付いたのだが、例年一箱しか届かないはずの桃カステラが二箱届いている。
試しにひとつ開けてみると、箱の中には巨大な桃カステラが5つ押し合いへし合いしている。二箱で10個、如何にスウィーツに憑かれた健啖家の一族とは云え(妻が否定しそうである)、いくら何でも多すぎるのではないか。とは思いつつも、相手がスウィーツだとそれ程苦とも思わない処が、我が家の我が家たる所以(賞味期限は今日までだが、なーにあと3、4日は軽く持つことをこれまでの経験則から熟知している)。実は明日になると文明堂さんからも桃カステラが届く事になっているのだが、ま、どうにかなるだろう。犬山におすそ分けも出来るし(賞味期限にはひとまず目を瞑っていただく)。
ひとまず、その場は悠都が寝ているのをいい事に、朝食後珈琲を淹れて、夫婦して「甘露、甘露」と温泉に浸かったような声を出す。
出社して、会社のPCに来ていたさっちゃんからのメールで疑問が氷解する。
ゆんさんはあろう事か、はるさんとさっちゃんとウチの、都合3軒分をまとめて我が家に送ってくれたらしい。さっちゃんの話だと、ゆんさんから携帯メールが届いたとのこと。きっと、これまで家族持ちという事で我が家に送っていたものを、東京に越した事で、他の在京人と不公平があっては申し訳ないという配慮であろう。彼女の思いやりは痛い程分かるが、東京の土地カンの無さも痛い程分かる。決して自転車で届けに行けるような距離ではないのだが、何となく大丈夫な気がした彼女のアバウトさが、実は強くいとおしかったり(笑)。あと賞味期限が短いのを気にしていないあたりが「何の何の。まだまだ美味しく食べられる」とカラカラ豪快に笑うゆんさんが浮かんできて由(よし)。
丁度「高木ブーの集い」で土曜日、皆に会う事になっていたので、賞味期限2日遅れで何だけど、手渡し対応でふたりには堪えてもらう。個人的には我が家ほどスウィーツに取り憑かれていないふたりが、あのヴォリュームあるカステラを果たして(しかも)複数個、胃の腑におさめてしまえるか、むしろそちらの方が気がかりである。
カステラを愛してやまない妻がお気に入りの横浜文明堂から桃カステラが届く。
確かに毎年、ゆんさんに桃カステラを送ってもらっているのだが、節分の太巻き同様、ネットの力か全国に伝播してきた桃カステラ故、他所で拵えたカステラもちょっとつまんでみたいじゃないという誘惑が事の始まり。ましてや、あのフランシスコカステラ2号(今は「加須底羅【かすていら】」と名乗っているようであるが、僕の中ではいつまでも「フランシスコカステラ2号」のままである)を生み出した文明堂の桃カステラならば、間違いはないだろう。
という事で今年の桃の節句は新旧味比べをしてみる事に。
(一般家庭でタウン誌のような企画をやってどうする)
さて、文明堂の桃カステラは、いくたの桃カステラと比べてふたまわりは大きい。
(雛壇のイラスト付化粧箱な処は、不二家のお持たせみたいで僕は余り好きじゃない)
文明堂によると、直径:110mm、高さ:65mm、重量:180gというから、相当に食べでがある。
なのに、それが3個も届いた(おいおい)。ちなみに1個880円 (税込924円) 。
妻は数を間違えたと云っていたが、泰然自若としている処を見ると計画的犯行かも知れない。
佐世保の二箱目がはるさんたち宛てで良かったと本気で胸を撫で下ろす。
「いくた」のカステラが、桃の絵を砂糖菓子で描いてあっただけだったのに対して、文明堂のカステラは全体をホワイトチョコレートでコーティングしてある処が大きく違う。桃色がほのかなのは種子島の芋でつけたかららしい。コーティングしたのは「カステラから水分が蒸発することを防ぎ、しっとりとした食感を持続させる」為で、「いくた」のカステラと比べて賞味期限を遥か先に設定してあるのはそういう理由からだったか。確かにしっとり感では他の追随を許さない。ただ「いくた」のカステラは葉っぱの根元に小豆餡を使ってあるので、餡菓子とスポンジのマッチングでは「いくた」に軍配が上がると思う(文明堂は干菓子を用いている)。
処で、毎日カステラに不自由していない我が家ってどうよ。
(実はこないだの健康診断で担当医に太鼓判を押されたので余り気にしていない)
追記:文明堂版の桃カステラもCCDカメラに収めたのだが、画像をなくしてしまったらしい。残念。
はるさん、さっちゃん、僕と三人して夕刻、都営大江戸線「麻布十番」に降り立つ。
今夜は高木ブーがオーナーを務める麻布十番「BOO's Bar ハロナ」にて、この日を指折り数えて待った「高木ブーのウクレレソロライブ」。
開演にはまだすこうし時間があったので、その昔セトロさんも通ったという、行列が出来る鯛焼きのお店「浪速屋 総本店」(此処の3代目は「およげ!タイヤキくん」のモデルになった)に立ち寄るも、「只今、30分待ち」のつれない返事に敢無く玉砕(此処は19時までなのでお店の看板までお待ちいただきます、という事である)。値段にしてたかだか120円の鯛焼きなのだが、其処に届くまでがずいぶんと遠い。
それからホームページの地図を頼りに、とりわけ道に迷うこともなくブーさんの看板を発見。
来た途端に看板の明かりがつく。まさにグッドタイミングである。
エレベーターを上がると、トロピカルムード満点の店構えが待っていた。
頭の中で筋肉少女帯「高木ブー伝説」が鳴り渡る。今から聴くのはハワイアンなんだが。
「入ってよ」とはるさんに背中を押される。そんな緊張するほどのもんでもない。
スタッフに名前を告げると、席は既に決まっているらしくステージから向かって右の最前列の一画に案内される。店内はきわめてアットホームなスナックの間取りで(壁には各種ウクレレやドリフ物件、釣りバカ物件を始めとする沢山の高木ブーフォトが飾ってある)、カウンター手前がささやかなステージになっていてPAやマイクスタンド等々が並んでいる。
席につくのとほぼ同時に、さっちゃんの目があさっての方向に泳いでいるのに気付く。
彼女の視線のその点線の先を見やると逆L字型のカウンターの奥(僕らの席から5、6歩程歩いた先)で、既に高木ブーそのひとがスタンバっていたのだった。今日のお客の赤ちゃんをあやしたりなんかしている。
「いるじゃんいるじゃん」
「いるねいるね」
「いたよー」
興奮して囁きあう僕たち私たち。
尤も、こういう囁きに限って、ご本人には届くものである。
ブーさんの背中側は大きな窓になっていて、青みがかった宵闇にたゆたうテールランプの赤が綺麗である。
手前のコーナーはグッズの陳列棚になっていて、サイン入りのTシャツやストラップ、CD等々がひしめいている。
此処はソロライブもハロナのバンドライブ(火木の平日しか開催されない)も、2時間足らずのステージでワンドリンクに料理3品がついて3500円。はっきり云ってドリフ世代には「格安」と云っていいリーズナブルさである。という事で、生ビール2杯にウーロン茶でまずは乾杯。
料理は次の3皿。タイトルは勝手につけてます。
(ライブの度にメニューは違うらしいので、あくまでも今夜のメニューという事で)
1.胚芽入りフランスパンのカナッペ。生サーモンにチーズ、海老とマグロのアボガドソース和えの2種。
2.ハワイアンサラダ。ドレッシングをはるさんが絶賛。プチトマトの嫌いな僕がぱくぱく食べ進んだ程。
3.若鶏のクリーム煮、炊き込みピラフとポテトサラダを添えて。
3.の若鶏を食べた処で、意外にもお腹はすっかり満たされた(時間が前後するが、実際に料理を食べ終わったのは第2部の途中である)。「確か鶏がキライだったのでは」と旧い友達たちに糾弾されるが、ハレの場での僕の好き嫌い率は極限まで抑える事が可能である。という訳で、食事のボリューム的にもあてにしていい。
書き忘れる処だったが、ドリンクをお代わりする際、さっちゃんに「ハロナ」特製カクテル「パンチ DE BOO」を頼んでもらって、皆で味見する。トロピカルフルーツの味がして非常に呑み易い(これを頼んだのも実際はステージが始まった後だ)。
店の照明が落ちて、ステージにスポットがあたる。
カウンター奥の丸っこい影がゆらりと立ち上がった。
さあ、ブーさんの「ウクレレソロライブ」の始まりである。
【第1部】
「少し休憩をいただきます」と云って、奥に引っ込んだブーさんは名刺の束を持ってすぐにフロアに引き返してきた。僕ら客のひとりひとりに「よろしく」と「オーナー 高木ブー」の名刺を配ってくれる。これでブーさんと客の間の敷居が一気に低くなる。後ろのボックスの女性がおずおずと「お写真いいですか?」と訊ね、「幾らでも」という感じで気さくに応えるブーさんに、休憩時間は一気に撮影タイムに雪崩れ込む。
椅子に腰掛けたブーさんは黒地のアロハにポケットの沢山ついたワークパンツ、ナイキのシューズ。茶髪とつるつるの肌。後ろのカウンターに喉を潤す為のコークハイのグラスをことりと置く。明後日で71歳になると聞かされると、改めてその驚異的な若さに圧倒される。少なくとも15歳から20歳は若く見えるもんな。
上の弦がウクレレで下の弦がガットギターになったダブルネックは、勿論、高木ブースペシャルモデル。ブーゲンビリアのワンポイントが利いている。ブーさんのアロハと同じ黒地にトロピカル・フラワーのストラップがなかなかお洒落である。という事はステージ用にアロハとコーディネートしたストラップが他にも幾つかあるのかもしれない。
M-01 ブルーメモリー Blue Memory
M1は挨拶代わりの1曲。
楽器のチューニングはともかく、ブーさんの声帯が温まっていないせいか、痰が絡むようで時折苦しそうな咳払い。ステージの最后まで持つのか、少し不安になるが、喉から発せられる歌声自体は疲れを微塵も感じさせない美しい声であった。
明後日のバースデーライブ(70歳!)の準備が忙しかったんで、本当は休みたかったんだけど、ウクレレアカデミー(ブーさんがやってるウクレレ教室)でどうせ此処に来るし、折角来るんならライブやっちゃえって事になりました、とブーさんらしいぼやき芸でまずは幕開け。
M-02 ビヨンド・ザ・リーフ(珊瑚礁の彼方)
ブーさんはM2がハワイアン3大メジャー曲のひとつである事をとうとうと語るが、譜面ばかり見て顔を上げないあたりのシャイさが可愛らしい。演奏している時もほとんど目を閉じている事もあるからか、このお店では演奏中の撮影も咎め立てられない。けど、さすがにノン・フラッシュで撮影する(デジカメはある程度まで画像処理が効くし、個人的にはフラッシュがあたった処だけ白く写るよりは仄暗い暖色系の仕上がりの方が、雰囲気があって好きだ)。
M-03 マリーニャ
M3でラテンがいとも容易くハワイアンとして生まれ変わるのに立ち会う。
此処へ来る前に、はるさんがいみじくも「ウクレレは何弾いてもハワイアンにしてしまう卑怯な楽器なんだよね」とのたまったが、図らずもそれが証明されたかたちになる。
M-04 亜麻色の乙女
M4で高木ブーが「聴かせる」ヴォーカリストである事を改めて思い知らされる。
詞の一句一句が南国の風が吹き抜けていくように五臓六腑の隅々まで染み渡る。このテイクさえあれば、少なくとも、とりあえず島谷ひとみのシングルはなかった事にしてもいい。歌うブーさんの背中の薄暗いステージの奥には坂道を登るテールランプの列と坂道を下るヘッドライトの列が紅白のリボンのような光の帯になってゆっくりと擦れ違っていくのが見える。
MCは、此処最近、和田弘やジョージ川口といった同世代の音楽仲間たちが立て続けに病で斃れて、ついにはリーダーである長さんに病に伏してしまったので、そろそろ次は僕の番じゃないかというお話。個人的には本日此処へ来た目的の、もうひとつの「核心」部分とも云っていい。
「尤もね、長さんはすっかり元気になったんだけれど、喉が傷んで声が出なくなっちゃってね、声が出ないんじゃドラマの仕事も出来ないって云うんで、それで暫く休養を取る事にしました」
これで、「人生の楽園」のナレーションの仕事を降りた理由と、年末の「大爆笑」特番に於いてエンディングでのみ華麗なウッドベースさばきを見せたものの、本篇では遂に登場しなかった理由に一応の説明がつく。
この春公開される「恋人はスナイパー<劇場版>」の撮影が長さんの復帰最初の仕事と聞いてから(深夜に放映された同映画のメイキングでも唯一長さんだけは出演していなかった)、ずっと長さんの身体を心配してた身としてはとりあえずの朗報と云っていい。
「こないだ見舞いに行ったら説教されちゃって(客席笑)。僕は見舞いに行ったってのに…」
とブーさんのぼやき芸が耳に心地よい。
5年程前、中洲で行われたブーさんのトークショーに行った時「最近、長さんがおとなしくなっちゃってちょっと淋しい。昔みたいにまた怒って欲しい」と云っていた、あれこそがブーさんの本音なんだと思っている。古希を迎えて尚、目の上のたんこぶ、或いは自分を叱ってくれる存在が居るというのはどんな気持ちなんだろう。
M-05 マヒナ・オ・ホーク(月の貴女に)
M5はハワイ語で「お月様とお星様」を意味するらしい。
M-06 TSUNAMI〜いとしのエリー
M6はインストロメンタルでサザンメドレー。これは云わずもがななのか、曲前、曲後ともブーさんの曲紹介なし。高木ブー、ウクレレ・テクの聴かせどころ。流麗とは云わないまでもブーさんにしか出せない味のあるプレイと、スポットライトの逆光を受けて白くなったシニアグラスとこめかみに光る汗の粒とが眩しい。
ブーさんは実に丁寧に客の求めに応じていた(また今夜の客のマナーも良かった)。
客席のキャパはほぼ20名、このサービスに「ハロナ」が予約制なのも頷ける。
僕らもはるさんと僕のデジカメで交互に記念撮影をお願いする。
さっちゃんとブーさんのツーショット、僕とブーさんのツーショット(写真を撮る為に、少し屈んでブーさんの顔の位置に自分の顔を持っていく度に、ついほくそ笑んでしまう)、はるさんとブーさんのツーショット、そしてスタッフにお願いして、4人並んでニコニコと記念撮影。
僕が持ち込んだ、犬山のおかあさんのカメラは(仕上がりの質感が気に入った為)フラッシュを炊かない設定のまま、使用したので写真が撮れたかどうかが分かりにくく、度々撮影をストップさせてしまった(お陰で何枚も撮らせてもらった…こらこら)。
ブーさんはそれを気にかけてくださって、わざわざお店の照明の真下に移動してくださったり、「それ、何処のカメラ?…フジフィルム? 文句云った方がいいよ」と云っていただいたお店の壁には「お正月を写そう2000」の七福神(ドリフ+荒井注+田中麗奈)の写真が燦然と飾ってあったのだった。
記念写真の最中、「暮れの大爆笑、やっぱり長さんは営業でいらっしゃらなかった訳ではなかったんですね」とお訊ねすると、ブーさんは「え、何?」と一度訊き返してから(注意深く見ているとブーさんは誰かに質問されるといつも一度訊き返しているようだった・笑)「そうね、身体は元気だったからね、ずっと脇で観てましたよ」と答えていただく。これはいつか「名なし」で仲本さんに裏を取る必要があるが(裏を取るのか)、ひとまず安心する。長さんの現場復帰も夢ではないと少し望みが出てきた。
撮影大会が一段落ついて、カウンターに戻ったブーさんに今度ははるさんのウクレレにサインをしてもらいに訪ねる。ブーさんはウクレレを受け取ると楽器を眺め廻してはるさんに訊ねた。
「これ、無名だね。何処の?」
「ハワイのウクレレショップで。いつもブーさんがおいでになる処なんですけど」
「ふーん」とひとの話を聞いているんだかいないんだかブーさんは、買ったまま押入れにしまってあったウクレレをさっさかとチューニングを済ませると、軽いストロークで試し弾きを始めた。「ブーさんに弾いてもらえるなんて」と感激するはるさん。慌ててデジカメを取りに戻る僕。
ブーさんの演奏には間に合わなかったが、ウクレレへのサイン風景はどうにかカメラに収める。
真剣に「BOO'S ウクレレ・アカデミー」入会を検討するはるさん。しかし、そのままそのウクレレをガラスケースに安置して「高木ブー・チューニング状態」で凍結するもまた一興(何処がだよ)。
結局、さっちゃんと僕はサインは貰わずじまい。
よくよく考えればドリフの赤盤、青盤のCDとかブツはあったのにと思い当たるが後の祭り。
さっちゃんに「次回もらおう」と励まされる(?)。うん、やはり次回はあるよなあ。
ブーさんがカウンターでサンドイッチをかきこんだ処で休憩時間タイムオーバー。
客席はブーさんと暫し親睦を深めた事で、お店の空気がやわらかくなった気がする。
【第2部】
トイレ待ち(お店の構造上、ブーさんが腰掛けているストゥールの脇でトイレを待つ事になる)で、壁際のグッズコーナーを眺めていたら、ブーさんが何気に傍らの「六本木スイート・ベイジル139」のパンフレットを拾うと、指を舐めつつページを手繰って「ほら、あさって此処に出演するんですよ。良かったら来てよ」とパンフを手渡された。ブーさんから手づから受け取ったものなので、ありがたく拝受しておく。パウダールームもハワイアン仕様で、ウォシュレットの前と後ろの壁それぞれにもライヴの告知ポスターが貼ってあって笑う(男女兼用対策だ)。
M-07 ホノルル・ハウ・ドゥ・ユー・ドゥ
M7はニューハロナライブのオープニング曲。
間奏のあいだ、やたらむせていた。演奏後、パンを詰め込んできたからと、コーク・ハイを一口。
後半ともなるとMCの時にもブーさんが顔を上げるようになる(笑)。
「皆んな、これ買った?」と全員集合のDVDを翳すブーさん。
凄く売れているんだけど、売上の殆どをTBSとナベプロが持っていって、残りを更にイザワオフィスとメンバーで分けて…とブーさんのぼやき芸は留まる処を知らない。「宝くじも全然あたらないし…」
間違いなく「全員集合」のDVDはシリーズ化されるだろうが、荒井さん篇はあんな辞め方したから出さないんじゃないかとの事。…そ、それは困るなあ。個人的には版権のハードルを乗り越えて、特番の聖歌合唱隊にゲストで出た三船敏郎の早口言葉「生麦、生米、生ビール」がもう一度聴きたい(長さんが思い切りコケてた)。あれこそ当意即妙、洒脱なアドリブと呼びたい。
M-08 涙そうそう
M8、M13は共に沖縄の曲という事で選曲されたようだが、M4同様コトバが胸に染み入る夏の物悲しさ。澄み切った青空が脳裏の銀幕に広がる。ほんの3歩先で奏でられる沖縄のバラッド2曲。至福である。汗が光るブーさんも其処だけが夏の草原の中に居るかのようだ。
M-09 カイマナ・ヒラ
M9はダイヤモンドヘッドの歌。
M-10 あいつ
M-11 爪
M10、M-11はマリンバ奏者にして、ペギー葉山「学生時代」を書いた
平岡精二のヒット曲。
ブーさんはライヴの度に好きで歌っている思い入れの深い楽曲なのだそうだ。
M-12 エマリウマイ
M12はハワイで娘さんの結婚式を挙げた時に聴いて好きになったハワイのウェディングソング。
高音部が難しくて、いつも上手く歌えないんだけど前置きしてからの歌唱。
何の何の、とても美しいファルセットだった。
曲名が確認したくて歌詞カードをじっと見ていると、「字、大きいでしょ。目悪いから見えないんだよ」と大きな文字の歌詞カードをかざして見せてくれる。歌い手が此処迄身近に感じられるライヴはおそらく昔ブルーノートフクオカで聴いた小野リサ以来だが、この会場(お店)のアットホームさと来たら無敵である。
M-13 花
曲の途中、はるさんの顎ががくりと落ちて、さっちゃんとふたり声を殺して笑う。
何処でも寝てしまうらしいブーさんのライブで寝てしまうというのもある意味トリビュートかも。
確かに羽毛布団のような寝心地のいいサウンドなのは認める。
M-14 グッバイ・ホノルル
M-14がラスト。曲名を仰らなかったので、後で直接ブーさんに伺う。
アンコールはなし(カウンター脇に戻るんだから確かにアンコールはしにくい)。
「ドリフ40周年で、名作コントをメンバーで再現するって聞いたんですけど」
「ああ、それはないでしょ。もうトシだから、あんなしんどい事出来ませんよ」
少なくとも長さんが元気にならないと実現不能だとは思う。
10年程前に一時的に大爆笑で5人コントが復活した時も「もしも」のお風呂コントなんて、長さん命がけだったもんなあ(あれで還暦あたりか)。コントは身体をいじめてなんぼ、身体をいたわるのが見えてしまうようなコントなら観た方も見せた方も不幸になる。
3人で壁にかかっているブーさんの若い頃の写真を眺めているとご本人がやってきて「そこらへんの話は全部此処に詳しく書いてあるから」と「第五の男」を持ってきてくださる。いやあ、全くいいひと、である。
最后に3人握手してお別れする。
お客さんは皆、お店を出る時にブーさんに握手を求める。
「あー、はいはい」と何をしていても気さくに応じてくれるブーさん。
「また来てね」
「来ますとも」
エレベーターを降りると、ちょうどお店の看板の明りが消えた処だった。
今日は開店から閉店までお店を堪能した事になる。
平日は23時までお店をやっているそうだが、土曜日はCLOSEが2時間早い。
それでも21時40分、ブーさん優しいし、なかなか立ち去り難いというのはある。
まだ店長ミカさんご自慢のスウィーツも戴いていないし、此処に来るモチベーションは下がっていない。
三人共いい心持ちになって、近くの神社で柏手を打った後、都営大江戸線へ。
ふたりとは次の駅で別れる。今月は映画観賞数ががくっと減りそうだが、なーに構うものか。
という訳で、僕らのドリフ攻略は愈々深く、益々深く進行中。
英ちゃん、次に上京するときは迷わず、麻布十番「BOO's Bar ハロナ」へ向かえ。
週末のウクレレソロライブなら喜んで付き合うぞ。
桃の節句の夜、とんくんから急な出張で上京するので、やっさんが主任を務める池袋の定席の後、会おうとメールが来た。
今回の池袋定席(5日間)は、週末は高木ブーに浮気してしまい(1ヶ月前から予約してあったのでどうにもならなかった)、平日は仕事がキツくてとても寄席に間に合う時間に池袋へは辿り着けないので、今月は月末にある扇治師匠との二人会(これまた池袋)に注力しようと決めていたのだが、久しくとんくんにも会っていないし、折角3人で会うなら、10年近く顔を見ていないツカザキくんも誘ってプチ同窓会にしようと画策する。遠距離通勤なツカザキくんからは早く退社できるようなら顔を出したい、と条件付の応諾が返ってきた。
池袋に着いて、とんくんの携帯に電話を入れると、池袋演芸場のあるビルの8Fで呑んでいるとの事。
居酒屋チェーンの「和民」が入っているらしい。
何しろ酒を呑まないので「和民」は初めてだったが、ファミレスとボーダレスな店内。
ちょうど乾杯が終わった処に顔を出したらしく、料理はまだ一品も来ていなかった。
一斉にこちらを顧みた3人を見て、軽いめまいを覚える。
やっさんは写真を見ての通りの老け顔で、高校時代から基本的な造作は変わっていないし、それは折込み済みなのだが、とんくんは鬢(びん)の処が白くなり、ツカザキくんも肌の色つやこそ10年前のままだが、髪が真っ白になっていた(尤も、若白髪では僕も人後に落ちない)。一気に自分が36歳だった事を思い知らされる。つーか、みんな、まるで「おっさん」ではないか(「おまえこそおっさんではないか」と彼らから迎撃ミサイルが飛ぶのは承知している)。
あー、何だか思い知らされちゃった感じ。皆んな生活背負っちゃってるし。
後はひたすら莫迦ばなし。
やっさんがイニシアチブを取ってくれるので、ウチの宴席は非常に楽である。
今宵も「お若伊之助」でお若とお花を一箇所間違えた話から。
互いの近況報告をしあうだけで、高校時代の思い出話を辿るまでもなく充分楽しかった。
高校時代の友達は思い出を共有している気安さ故に、わざわざ思い出に寄りかからずとも(思い出の点呼確認などしなくても)肩に力を入れなくていいから、会っているだけで楽しいのである。それを実感する事の出来た90分だった。ツカザキくんなんか、結婚以来会っていないというのに、まるで先週振り程度の気のおけなさであった。彼とは大学時代も一緒に居る事が多かったし、ブログも読んでいるので、10年会わないくらいでは身近さが揺るがないらしい。これは発見だった。
やっさんから、一門の弟子だけに配られた文治師匠のお通夜、葬儀のアルバムを見せてもらう。師匠も喜ぶから写真を見繕ってネットで公開してよ、との事。写真の数々に先月の葬儀の記憶が蘇る。喪主挨拶のスナップの中の一葉に悠都を抱き上げた自分の姿を見つける。あの時は最前列に居たからなあ。
自宅に安置された師匠のご遺体の写真もあって、眠っているかのような、その穏やかな死に顔に胸が詰まってしまって、皆の前だというのに、ふと泣きそうになる。納棺の写真を眺めていたら、やっさんに「最期だったんだから、花をあげてくれてよかったのに」と云ってもらって「やっぱり変な遠慮をするんじゃなかった」と激しく後悔する。師匠の寝顔は、小文治さんが日記で書いていたように、本当に酔っ払って眠ってしまったお顔だった。けれど、今年のお正月に恒例の一門写真を見て、思わず笑みがもれる。これを一門プロファイルのページに飾らせてもらおう。
他にも此処では書けないような話色々。──ほんとうに色々あるのねと溜息。
それにしても、やっさんが「親子酒」を教わらなかったのは返す返すも残念だった。しかし、裏を返せば、それ以外の主だった噺は殆ど直伝が間に合ったという幸福。処で、快治さんと前助さんは蝠丸さん預かりになるのだそうだ。それを聞いて、何だか嬉しくなった。
終電の時間が迫ってきたので、仲良く清算、仲良く割カン。
とんくんと僕は丸の内線で。和香子さんはやっさんのページを毎日チェックしてくれているらしい。プレッシャーを感じるなあ。
今日は少し早めに会社を出られたので、大丸に寄って2日早めの妻へのホワイトデー。
デパ地下はいつもよりコート姿のサラリーマンで溢れ返っている。今年はバレンタインとホワイトデーが週末にぶつかってしまった為「オフィス・ホワイトデー」なる造語を勝手に拵えて、義理チョコ売上減による大幅減収を抑えるべく各店とも躍起だ。
つまり僕はオフィスホワイトデーに、妻にお返しをする事になる訳だが、ま、些細な事である。
どうせ、家族でスウィーツを堪能するのに、一個理由が出来ただけの話なのだ。
とは云え、さんざん見て廻った挙句(これはいつもそうなんだけど)、結局、赤いケースの華やかさと可愛らしさとでKIHACHIの「むかしバームクーヘン(チョコ)」を選ぶ(プレーンだとケースの色がベージュとなって若干地味になる)。バームクーヘンと云えば、ユーハイム始め各店とも本格派嗜好になっているので、逆手を取った懐古趣味的な和製バームクーヘンは意外と狙い目かも知れぬ(出来れば価格も懐古して欲しかった)。
という訳で、夕食後、早速紅茶を淹れる。
ホワイトデーを噛みしめるよりも、新たなスウィーツを味わう処に重きを置く煩悩一家である。
端的に云ってしまうと、オペラをロールケーキにした感じ。
最外壁のチョコレートコーティングがちょっとばかりもろく、ケーキをフォークで切っていると、薄皮のようにぺろんと全部剥げてついてくるのはご愛嬌。其処も含めて「むかし」なのだろう。懐かしめの味とは云え、決して安い味ではないので、駄チョコレートで胸焼けを起こしてしまうような野暮はなし。
それにしてもウチの子は口が肥えていけない。
(尤もヤツはB級グルメな安い味も決してキライではない)
午後から昨日に引続き、セトロさんと落ち合って、東京都現代美術館「球体関節人形展 DOLLS OF INNOCENCE」へ。
サブタイトルが、「人は何故自分の似姿を造りたがるのか。」とまた長い。
昨日ようやく「イノセンス(2004・日)」を観たので満を持しての連動企画展(「イノセンス」公開記念という事で、押井守本人が監修で参画)観賞である。
元より四谷シモン好きの妻が観賞を熱望していたので(大学時代の友人を誘ったら「怖いから」と断られたらしい)、まず彼女を先に行かせ(さすがに3歳児には刺激が強すぎる)僕は息子と留守番(家が近いと便利である)、彼女と入れ替わるように、と云いつつ、現代美術館友の会会員である彼女についてきてもらって、入場料1000円の処を500円で入場、妻はそのまま息子をシッター(叱咤er…おやじギャグと思うだろうが、彼女のシッター振りを見れば得心する)する事に。
「MOTアニュアル2004 私はどこから来たのか/そしてどこへ行くのか」は続行中なので、「球体関節人形展」の方は地下2階の企画展示室へ降りていく。
16時という閉館近くの時間に入ったものの、企画は大盛況で処々バターン死の行進のような待ち行列が出来る程であった。客層は主に、(1)ゴスロリ娘(コスプレ仕様)、(2)同人作家系(人形創作、耽美小説etc)、(3)押井系、(4)一般客に大別されると思われるが、特に(1)ゴスロリ娘(集団も単体も)のインパクトたるや、ギャラリーをひそかにギャラリーしているという入れ子構造が発生してしまうあたりが面白い(実際、この展示が始まってから美術館行き都営バスのゴスロリ娘占有率が高くなっている)。尤も個人的には筋肉少女帯のライヴでさんざん見慣れた少女たちではある。
いちばん不幸だったのは僕らのような(3)押井系(僕に到っては「押井系」を名乗るのもおこがましい)アプローチで此処に来たひとたちだったかもしれない。(3)押井系にとって、球体関節とは鋼鉄ジーグやミクロマンに他ならない(だってそうなんだもん)。それなりに楽しんだけれど(楽しめなかったものは楽しめなかった)、こういった倒錯モノに対して自分の立ち位置を決めかねているのもまた事実。
出品作家が多いのと、ジャンル門外漢なのとで、分かったような事は書けないが、取り立てて印象に残ったのは、三輪輝子の人形の可憐さ(セトロさんは特殊な生地で覆ったテントの中で見る、天使の光輪の見せ方というか技術そのものに非常な感心を寄せていた…いや、全く彼らしい)、三浦悦子の義躰少女シリーズの顔の造型の美しさ(首から下のグロ度でも他作を圧倒していたが)、井桁裕子のセルフポートレート(静謐で美しい顔立ちそのものに潜む「魔」のようなもの)や「Fujita doll」シリーズといった一連の作品群(がん細胞を人面瘡にたとえた作品と、その創作ノォトというか随筆が読ませます)等々。幾つか観ていくうちに現代アートとフィギュアと映画美術といったものの境界線についてふと考える。「現代アートとはユリイカ也!」とはよく云ったものだ(誰がそんな事を云ったのだ)。
たじろいだのが、写真作家・マリオ・Aの球体関節人形コスプレ(?)シリーズ。裸婦モデルの肘や膝といった所謂関節部分にきつめの黒いゴムバンドを嵌める事で、擬似的に人形関節を仕立て、そのモデルを人形に見立てた、或る種コロンブスの卵的発想の連作である。僕が知る限り、最も衣装をケチったコスプレと云える(作品はヌードモデルに剃毛まで要求するので、最も安価とは云い難い)。モデルを箱詰めにして、本物(?)の球体関節の腕を添えた作品など、倒錯趣味というよりは猟奇趣味の極みであり、生前の江戸川乱歩が目にしたら随喜の涙を流したのではないかと思える、頽廃美に満ちた抗し難い魅力が其処には確かにある。処で此処に集まったゴスロリ娘たちは、マリオ・Aが求めたなら、着衣でなくとも被写体を応じるだろうか。自己表現としては一周して来ただけで同んなじ気もするのだが。
出口付近に鎮座する、「球体関節人形展」とはまるで無関係なバセット犬にほっとしつつ投了。
現実世界へと無事帰還出来ました。毒気にあてられた1時間余。
若い母親に手を引かれた幼児の未来や如何に?
(入口に「子供には刺激が強い」旨書いてあるんだが──ていうか、此処は入場禁止にすべきだろ)
ショップはパト2のDVD始め、押井グッズの魔窟と化しており、映画に出てきたのと同じデザインのドッグフード500円(中身はミルククッキー)に心を奪われるが、すんでの処で生還する。こんな処にもブービートラップが。
ちなみに妻は恋月姫の作品に心惹かれたらしい。
退屈した悠都に因果を含め、セトロさんを誘って4人で門前仲町へ徒歩移動。
先日、黒酢の酢豚に舌鼓を打った「虎(フウ)深川本店」で夕食。
前回同様、二階の座敷席に通される。
悠都はお客さん(セトロさん)が居るのでやや興奮気味。
セトロさんがどうにかして悠都を抱き上げようとじわりじわり迫っているのが可笑しい。
ひとまず「ステーキの黒豆炒め」、「ひな鳥の香り揚げ一羽」、「麻婆豆腐がけ炒飯」、「青椒牛肉絲(チンジャオロースー)」のハーフサイズ、悠都用に普通の「炒飯」といった処をだだだっとオーダーする。大の大人がひとり入っただけで色々な皿が楽しめて嬉しい。やはり、此処は大人数で押し寄せるべき店である。
愛想のない処がまたネイティヴらしくて、個人的にはツボなおばさんが今回も給仕。
でも、飲み物は水だけでと云ったら、氷水入りのタンブラーを置いてってくれる。
炒飯の麻婆豆腐がけは前回から気になっていた一品だが、石鍋に入った炒飯と、別の器に入れた麻婆豆腐を別々に持ってくると、例のぶっきらぼうな調子でテーブルの上でざーっと煮え立った麻婆豆腐を石鍋にかけてくれた。まさか「音で楽しむ」中華の一皿だったとは。サーヴからして石焼ビビンバなアトラクションにかなり盛り上がる。お昼に来て、これひとつ頼むというのもなかなか悪くないアイデアだ。
料理は今回もまた一皿とて外れなし。
中でも「ステーキの黒豆炒め」の根菜(特に素揚げした蓮根スライス)の旨さと「ひな鳥の香り揚げ」の皮のパリパリ感、はふはふと食べる
「麻婆豆腐がけ炒飯」の絶妙な素人向けの熱さと辛さ。
追加で「マンゴープリン」と前回気に入った「ココナッツ団子、カスタードクリーム入り」を2蒸籠。此処のマンゴープリンは果肉入りで結構レアなマンゴーの酸味を、味付けをしていない生クリームのコーティングがまろやかな味に仕上げていて、これはこれでとても美味しかった。ちょっとクセになりそうな味。
お酒を頼まなかったとは云え、これで6,000円弱はかなりご機嫌なおあいそ。
次回も是非、誰かと誘い合わせて訪ねたい店である。
一旦、帰宅してMOを拾うと、レイトショウを観るというセトロさん(結局、昨夜はお台場で「ペイチェック(2003・米)」を観たらしい)と共にデジカメの写真を出しにヨーカードーへ。結局、映画に間に合わず、書店で本を物色したりして、道すがら月旦など。
セトロさんとふたりして昨日今日と随分歩いて喋った気がする。尤も話の中身はアレだったが。
延長するのが当たり前な定例会議を20分押しで抜け出し(後で聞いたら2時間半押したらしい)、大慌てでひと駅分歩いて半蔵門線で永田町へ。4番出口から5分で、国立演芸場着。開場前30分着なら上出来だ。
今夜は、立川志らく独演会「志らくのピン」Part2 〜島田源領プロデュース。
島田源領はNHKのプロデューサー。紅白歌合戦の総合演出をやった人と云った方が通りがいい。
「志らくのピン」はシネマ落語の会だが、何と云っても、今回の目玉はゲストがさだまさしである処。
先行しているさっちゃんからのメールで整理券入手は確認していたので、玄関口の「前売り・当日チケット完売のお知らせ」にほくそ笑む(参加者を募って立川企画に電話予約したのは3月2日の事であった)。さだまさしがゲスト出演するという事で、さだファンが群がるのを予測して早めに手を打ったのが吉と出た。
外は寒いのでロビーで前座さんがチラシのかたまりを拵えているのを眺めていたら、はるさん、さっちゃん到着。はるさんは月曜日に地獄のリリースを終え、今日を年度末の有休消化に宛てたらしい。職場公認さだまさしフリークのさっちゃんは早退。まっさんに逢えると朝からずっとニヤニヤしていたんだそうだ(それは流石に気持ち悪いだろ)。
整理券配布時刻17時半に並んで、整理券番号が72〜74(座席数400)。
平日なのにこの熱意は、誰目当てとは云わないが主婦系ファン層の多さを示す。
此処は「桂文治独演会」の本拠地でもあったので(4月に予定されていた次回枠はどうなったのだろうか)、以前「文治の会」につきあわせた事のあるはるさんに「今日は楽屋に連れてってくれないの」と囃される。
云われてみれば、此処へは「文治の会」でしか来た事がないのに思い当たる。
落語は噺家の息遣いが届く距離で聞くがベストと、舞台から向かって最前列左の島の通路側2番目から3席を確保。
隣の通路席はスタッフの女性がDVカメラで落語会の模様を撮影していた。ソフト化するのだろうか。
客席会場中央の関係者席には佐田雅人翁がニコニコと鎮座。久し振りにお見かけしたが、随分お齢を召されたという印象(何しろ息子さんが50を過ぎたのだから無理もない)。それから僕らの席の後方に大林宣彦・恭子夫妻が肩を寄せてにこやかにリーフレットを読んでいるのを見つけて思わずどよめく。尤も大林監督は「志らくのピン」プロデューサーのひとりなので分からなくもない(志らく映画「SF小町」にも出演している)。
さだまさし 「開口一番」
「関白宣言」の出囃子と満場の拍手の中、着物に羽織とすっかり噺家仕様でさださん登場。
立川志らく 「宮戸川/お花・半七なれそめ」
生さだまさしを観るのは「夢唄」ツアー以来だから7年振りか。
このひとも暫く観ないうちに随分と老けた。最前列で観ると一層感慨が…。
まさか国立演芸場の高座に上がる事になろうとは思わなかった、でツカミはOK。
メインディッシュは、「お父さん救済キャンペーン」という「父さんとポチ」の延長線上にあるネタで、おそらくは今のツアーのステージトークをそのままに。ちゃんと上下(かみしも)切るシーンが出てきたりして(自ら突っ込んでいたが)より高座に相応しい。
M-01:関白失脚
落語会のレボートでM-01って、キミ。
袖口から歌詞カードを取り出して「歌詞を準備しないと…」などと呟き乍ら、扇子で押さえつつ、メガネをずり下げて、歌詞カードを確認する様のをかしさ。正座したまま、ギターではなく、本人が泣く、さだまさし。勿論、客席は大喜び。
フェイントで「関白宣言」を一小節だけやってから、この曲へ。
生ギター一本で聞く「関白失脚」は初めて。相変わらずギターの旨いひとである。
「ワイドショー」→「みのもんた」とか「体重計」→「体脂肪計」とか一部歌詞を手直し。
ラストの「がんばれ」で、最前列の背筋をしゃんと伸ばしたおばさまが率先してコーラス(ま、いいんだけど)。
長時間(案の定、予定を15分以上超過)の正座で爆笑の中、痺れた足を引きずるようにして退場。
志らく信者とさだ信者の同席をオウム真理教と統一教会の連合集会に譬えた後(わはははは)、マクラはNY公演で「吉野家」の牛丼を食べに行った話(何しろ、あそこは「本場」の牛肉が堪能出来る)。BSEに鳥インフルエンザネタ。これで豚コレラに鯉ヘルペスが出れば完璧だったんだが。後になってマクラもまた「ゴースト ニューヨークの幻」繋がりだった事に思い当たる。
── お仲入り ──
お題は「宮戸川(上)」、所謂「お花・半七なれそめ」をみっちりと。
「宮戸川」は、それぞれ夜遊び(将棋にカルタというから可愛いものだ)が過ぎて家から締め出しを食ったお花・半七のふたりが、小網町(日本橋)から緊急避難した霊岸島(今の新川。ウチの近くにある霊巌寺は、その昔、新川エリアにあったのが江東区に越してきた訳だね)の叔父さんの家で一泊する事になり、誤解した「飲み込みの叔父さん」の一計で、梯子を外された二階部屋で同衾するハメになり、間違いを犯してしまうという「前半」と、晴れて夫婦になったお花・半七を襲う火曜サスペンス(筋書きは後述)からなる「後半」の二部構成からなる。高座に通常かけられるのは、うれしはずかし「江戸時代版パンツの穴」みたいな前半ばかりで、打って変わって重悲劇な展開の「後半」はまず滅多な事ではお目にかかれない。
特に奇をてらった訳でもなく(「ホーチミン市にお行きなさい」みたいなおかずはあれど)まずは古典の王道。ややせっかちな感もあったが、志らく師本人も胸の内からとめどなく溢れてくる言葉を制御出来ずにいるのかもしれない。半七とお花が結ばれるくだりは、ベースは五代目志ん生の噺だと思うが、いささか芝居のト書きを読んでいるような口調が気にかかるも、全体としては思い切り楽しませてもらった。やっぱり高座は「かぶりつき」ですよ。
立川志らく・さだまさし 「キーワード落語」
ギターの音と共に幕が開く。「防人の詩」である。
立川志らく・さだまさし シネマ落語「ゴースト〜関白宣言」
中央の高座に志らく師、上手に、緋毛氈を敷いた台に腰掛けたギターを弾くさだまさし。
上下を黒の衣装で固めたさださん、さすがに着物は脱いでしまったようだ。ちょっと残念。
M-02:寿限無 (防人の詩のメロディーで歌唱:立川志らく)
M-03:芝浜 (防人の詩のメロディーで歌唱:立川志らく)
「寿限無」はまだしも「芝浜」にはやられた。いや、確かにそんな噺だけども。
「立川談志が60分かけて演る「芝浜」も、歌にすれば1〜2分で終わっちゃう」と志らくさん。
「打ち合わせはしたけど、リハーサルはしてないんです。『防人の詩』を弾いてくれって言われただけ」
で、結果的には本日のメインイヴェントだったと云ってもいい「キーワード落語」。
日本語の天才・立川志らくと、日本語の南京玉簾・さだまさしがやってくれました。
M-04:道化師のソネット
志らく師、小噺を連打するも、さださんは首を縦に振らない。
本人の説明によると一応キーワードは「笑ってよ」だったらしい。
個人的には「毒『馬主』三太夫」が真芯で鳩尾に入ったんですけど。
M-05:無縁坂
此処でも不発。さださん、てこ入れにルール変更を提言。
客席の照明を落として、歌の時はさださん、落語の時は志らくさんだけにスポットがあてる。
殆どコンサートのスタイルである。歌はともかく、高座だけのピンスポは怪談噺限定じゃないか。
「この孤独がいいんです。二人でいるとお互いに頼ってしまう」とさださん。
M-06:雨やどり
能天気な楽曲とは裏腹に歌の最中の志らくさんの緊迫感が客席に伝わってくる。
スポットが切り替わる。既に汗だくの志らく師。
彼のチョイスはオリジナル小噺ではなく「風呂敷」改訂版。
間男の設定を「雨やどり」に来た若い衆に換骨奪胎した爆笑篇。
ふ、風呂敷がスヌーピーのハンカチに…。さだまさしの基礎知識があると倍笑える。
M-07:防人の詩
志らくさんのチョイスは「死神」のラストシーン。
お題が、海や山が死ぬか問う唄だから、その回答までついてくるというおまけ付。
噺家の姿だけが闇に浮かび上がる高座のスタイルそのものまで味方につけてしまった。
サゲも志らくオリジナルでなかなか笑える(「今日はお前の二度目の誕生日だ、ハッピーバースディ」と死神に祝われた八五郎、思わず蝋燭を吹き消してしまう。ちなみにウチの息子は丁度この八五郎タイプです)。
──しかし、このひとは志ん生が好きだねえ。
M-08:北の国から
御馴染みスキャットのみで構成されたこの曲、キーワード落語が始まってすぐにこの曲が出て来る事は予想出来たが、ラストに持ってくるのは意外だった…。僕から云わせれば、難易度が高すぎて、ネタ的に不発に終わる可能性が高いので、コーナーの締めとしてはリスクが高く、プロデューサー的側面も持つさださんにしては意外な構成。僕はてっきり最初の方で、ぼける為にこの曲をかますとばかり思ってた。曲が始まり、苦しげにうめく志らくさんとの相乗効果で確かに場内は大ウケだったが…さて。
スポットライトがあたると汗みどろの志らくさんは開口一番、
「此処を何処と心得る。殺生禁断の場所だ。それを知ってて釣ったか、知らずに釣ったか」と役人は六尺棒を打ちおろした。七兵衛さん、突然の事に舌がもつれて、声が出ない。
「あーあー、あうあうあうあうあうあうあう…」
そ、そー来たかっ。
さださん含め、場内爆笑の嵐。確かにキーワードは「あー」に「うー」である。
事もあろうに志らくさんは「唖の釣(おしのつり)」を持ってきた(これで地上波放送は消えたな)。
「言葉の南京玉簾」さださんは腹の底から「言葉の天才」を褒め称えた。
今宵は、雨やどり〜北の国からのキーワード落語3連発が聴けただけで果報だったと云っていい。
ある意味「らくごのご」以上の緊迫感と追い詰められた志らくの見事なハードル越え。
シネマ落語の基本が、窯変古典落語である事を考えると、速攻でそのショートヴァージョン製作・実演を2〜3分の間に3本繰り出してみせた志らくは、さださんじゃなくても「天才」と称えていいと思う(それにしても今宵は彼の「志ん生」フリーク振りを見せつけられた)。何だか伝説の現場に立ち会ったようで、ひどく得した気分。もしもこれがテレビ越しなら(絶対に放送されないが)その感動は4割減じていたと思う。
キーワード落語がぶっつけ本番企画なら、こちらは事前にちゃんと打ち合わせた企画モノ。
立川志らく・島田源領・さだまさし ごあいさつ
(さださんは点滴を受け乍ら、志らくさん、島田さんと打合せしたらしい)
M-09:関白宣言(2番迄)
キーワード落語の如く、スポットライトの下、まずさださんが弾き語りで「関白宣言」前半部。
スポットライトが志らくさんに移って、さださん、そっと退場する。
先にも少し書いたが、シネマ落語はその作り方においてキーワード落語の長講版と云える。
即ち、古典落語の名作の設定や登場人物を借りて、課題の枠内に換骨奪胎する。
キーワード落語が、ディテールの端々にさだまさしの歌詞をはめこむのに対して、シネマ落語は、映画のストーリーそのものを原典の大枠に溶かし込んでいく(「ゴースト〜関白宣言」はシネマ落語にキーワード落語を合わせたかたち。てっきり噺の後半で松林宗恵「関白宣言(1979)」になると睨んだ僕の予想は大きく外れた訳で…て、そりゃそうか)。
ある部分、京極夏彦の「嗤う伊右衛門」の作劇に通じていなくもない。
第一部の「宮戸川(上)」(実はこれも五代目志ん生なんだよね)で物語世界を周知徹底させておいて、第二部で、「宮戸川」の設定と登場人物を用いて「宮戸川(下)」を「ゴースト〜関白宣言」に仕立て上げた。
ストーリーはほぼ「ゴースト ニューヨークの幻」通りなので割愛するが、噺を聞いていないひとの為に説明すると、小網町の半七(パトリック・スウェイジ)、お花(デミ・ムーア)、霊岸島の叔母さん(ウーピー・ゴールドバーグ)という布陣。
筋が重過ぎるという理由で、今では殆ど演じ手の居ない「宮戸川(下)」では、お花が悪漢たちに手籠めにされた挙句、殺されて演目の由来である宮戸川(隅田川の古称。(上)には出てこない)に投げ込まれてしまう(しかも半七の夢オチだったりする)が、「ゴースト」では半七が宮戸川の舟遊びで暴漢に刺殺されてしまう。半七の復讐譚という点で両者は同じ噺なので、演目選びのチョイスは見事という他ない。(おそらく)「死神」の死神が出て来る処も、キーワード落語と繋がっていて(「防人の詩」の「死神」も此処からの連想だった気がする)聴いていて楽しい。
「関白宣言」の歌詞が半七のプロポーズの言葉になっていて、お花が叔母さんの世迷い言を信じるきっかけになる。
別れの時、何一つ約束を守れる事が出来なかったと涙するお花に、半七が優しく語りかける。
「いや、たった一つ守ってくれた事がある。あたしより先に死ななかった」
綺麗に着地(サゲ)が決まる。
M-10:関白宣言(3番)
再び、さだまさし「関白宣言」後半部。
「子供が育って…」勿論、ラストのスキャットはなし(あったら、感動出来ない)。
ふたりは客席から喝采で迎えられた。
志らくさん、さださんが島田源領さんを呼び出すと、島田さん、下手から鞄を持って登場。
前売2500円だったが、6500円のコンサートぶんは得した充実感。
「帰るつもりだったんでしょう」とさださんが突っ込めば、
「あとはおふたりにおまかせしますから」と島田さん、とっとと退場。
閉演時間をとっくに過ぎている事もあるけれど、島田さん、なかなか美味しい処を持っていきます。
結局、普通の挨拶と次回落語会(吉行和子プロデュース「ベニスに死す」)の告知であっさりと幕。
惜しくも、大林監督に握手をお願いする事は出来なかったが(謎の外国人と談笑していたので待機していたら、いつの間にか楽屋入りされてしまった)今夜の処は映画祭でもないのにご尊顔を拝せただけでも由としよう。
何しろ、予定終演時間を30分程押していたので、慌てて「サロン・ド・テ・ペルティエ ベルビー赤坂店」へ(此処はオーダーストップが21時30分なのだ)。永田町は不案内なので道に迷いかけるが、さすがは永田町、到る処に警官が立っている為、道を訊く人には不自由せず、どうにかリミット前に店に着く。
尤も、元々のお目当てだった「夜のプレジール」は品切れになっていて、はるさんの険しい視線を感じつつも(円生風に「てへ」)「ル パン Le Pain」(ワンプレートのパン料理)で我慢する。はるさんとさっちゃんは「タルティーヌ Les Tartines」(パリ風オープンサンド)から、それぞれ「スモークサーモン」と「リエット」、僕は「ミーサンド Mie sandwich」(長時間低温発酵のパンドミを用いたサンドイッチ)の「B.L.T Bacon,laitue,tomatc」をオーダーする。ふたりは生ビール、僕は「自家製レモネード(蜂蜜添え)Citronnade」。このレモネードが身体が芯からあたたまって実に美味しかった。
それだけでは口さみしかったので、さっちゃんと僕はグルマンディーズ(ケーキ)を頼む(はるさんは生ビールのおかわり)。グルマンディーズもめぼしい処はあらかた出払っていたが、「メニューに載っていない」という甘言にうまうまと乗せられて僕は「苺のタルト」に「レ・ショ(ホットミルク)メープルシロップ添え Lait chaud avecsirop d'e」を。大学を出たあたりから、牛乳を呑むと覿面に腹をくだすようになったくせに「ホットミルクだしィ」と、つい頼んでしまう。メープルシロップとの相性もよく、久々に口にした牛乳はとても美味しい(牛乳そのものは子供の頃から大好きなのだ)。
とても楽しい夜だったが、帰宅途中で或る落し物に気付き、一気にブルーになる。
「レ・ショ」にあたらずに済んだのが、せめてもの救いだった。
昼休み、犬山に帰省する妻子と落ち合って、東京駅名店街「銀座ハゲ天」でランチ。
流石に12時過ぎてカウンター席しか空いていなかったのだが、これが大当たり。
天ぷら専門店は揚げたてを食べさせるのが身上。
鍋から上がったばかりで、まだぱちぱちと音を立てている天ぷらが次々とカウンターを跨いで、活きのいい料理人の説明と共に鉄製の菜箸で供される。海老2尾に始まって、茄子、菜の花(春だねえ)、海老のすり身の大葉巻き、きす、めごち。各人の好みで、2種類の天つゆと、紫蘇の入った塩の小皿の好きな方を選ぶスタイル。テーブル席には、料理人が厨房から出張して、揚げたての天ぷらを肴ごとに菜箸でサーブして廻る趣向(僕はまとまって一盛り来るよりは、こちらの臨場感があって「天ぷらとしての」鮮度を強調した、単なる食事に留まらないイベント性が嬉しい)。悠都は大葉巻きときすをお気に召したらしい。
ごはんはお代わり自由、おしんこ各種と赤だし、これで1100円のランチコース。
今更乍ら、ランチ激戦区に居る事を痛感する。
お昼からものすごい贅沢をしている気分にさせてもらった。
最初のカフェレストランが満席だったのは正解だったねえと妻と頷き合う。
妻子を送った夜は仕事関係の呑み会で、日本橋「Wine & Dining ANTHOLOGY」。
大手町に職場があると、日本橋界隈のかくも小じゃれた店で呑み会が出来る罠。
フレンチベースの創作料理を謳っているのに突出しがタコチップス&サルサソース。
そのあとに出て来た4品はどうみてもアンティパスト。けれど、中の真鯛のカルパッチョと親指の腹大のホタルイカと茄子の炒め物は非常に美味しかった。此処のガーリックトーストはまるごと1本バゲットに乗ったカルトッチョ風(紙包み焼き)で、まず余りの熱さに手で裂くのが難儀だが、なかなか旨い。そのあとに出てきたのがトマトとバジルのパスタで、何処をどう見てもフレンチというよりはイタリアンじゃないか。
そのあと出て来たスズキのソテーとプラチナポークのローストはいずれもあたり。
デザートのアイスは凡庸だったが、皆でわいわい食べるぶんには充分なんじゃないでしょうか。
宴席の方も、Tさんの某イスラム圏(一ヶ月海外出張で行った事があるそうだ)のリスキィな話とか、独身寮時代の自治会吉例韓国風俗ツアーの話とか抱腹絶倒ネタで盛り上がる(いずれも詳しく書くのは憚られる)。あとは東京住宅事情とか色々。あ、ちなみに此処はワインのお店なので、色んなワインが楽しめます。尤も僕はグレープフルーツジュースを3杯程(ぉぃぉぃ)。
2次会はカラオケ。
直接お仕事をしている訳ではないが、初対面且つすごくエラいひと(団塊の世代)がふたりいらしたので選曲に苦悩する。フォーク世代だと踏んで陽水を歌ったら案の定ウケた。おそるおそる東京プリン「携帯哀歌」を歌ったらこれまたウケた。歌詞で読ませる知名度の低いコミックソングというのも団塊の世代にはツボらしい。かくして団塊の世代のツボを押さえるのは相変わらず得意なのだった。遠くて若い順に(笑)ひとり減り、ふたり減りして、気がついたら僕がいちばん年下になっていたが、古い歌をよく知っているということで違和感ないのが嬉しいやら悲しいやら。けど、さすがに終電が怖かったので24時前に失礼する。
昨日とは打って変わって好天。春彼岸故、墓参日和。
清澄白河にはお寺が多い事もあり、駅前にまで切花売りが出張っている。
11時過ぎに都営大江戸線の勝どき橋でセトロさんと落ち合って、新宿から小田急線で向ヶ丘遊園へ。
向ヶ丘遊園駅から程好く鄙びた町を15分程歩いて生田緑地に辿り着く。
生田緑地内には「岡本太郎美術館」を始め「日本民家園」「川崎市伝統工芸館」等多様な施設が隣接していて行楽には事欠かないが、僕らの本日のお目当ては「川崎市青少年科学館」で3月の間だけ毎週末限定公開されているメガスターIIを体験する事にある。
メガスターIIとは、川崎市在住、大平貴之氏個人が製作した超高性能プラネタリウム投影機である。通常のプラネタリウムが投影できる星の数は数千からいい処数万個単位だが、メガスターIIは最大410万個の星の投影を可能にする(ちなみにメガスター初号機は170万個)。去年、渋谷の旧五島プラネタリウムで初公開された折に、余りの人気過熱と日程調整が折り合わなかったのとで遂に開催期間中に410万個の天球を拝めなかったセトロさんの、これは雪辱戦である(お恥ずかしい話だが、今回セトロさんに話を聞かされるまでメガスターの存在さえ知らなかった)。
入館料は1回につき200円(大人料金)で、本日は「メガスター”星の詩”『遠くを見たい』」「メガスター誕生物語」の2番組を交互に上映している。
僕らが着いたのは12時半だったので、13:30〜の「メガスター誕生物語」を観る事にする。2番組をハシゴするのも悪くないが、この後渋谷に行く用事があるのと、1番組観ればメガスターIIの威力は充分堪能出来ると踏んだからである。
日曜の昼下がり、多すぎも少なすぎもしない、丁度いい具合の公園人口密度。
機関車D51や電車車両など悠都の親としては大変危険な(帰ってくれない)アトラクションもある。公園で暫し和んだ後、13時に入場、満席率は5〜6割とこれまた程好い混み具合。
プラネタリウムの中央には、松本零士の漫画に似合いそうな投影機の横に「スターウォーズ」のR2D2に少し似た一回りも二回りも小さいメタリックなワインレッドの半球を被せた筐体「メガスターII」が設えてある。僕らが座った斜め後方のコクピットでオペレーターのおじさん(ロマンスグレーの紳士)が操作すると、筐体の底の蛇腹が伸びて、メガスターは天高く聳え立った。何だか頼もしいR2D2である。
やがてゆっくりと天球が暗くなって、夕景に変わってゆく。
360度パノラマで、円周を桜の森が縁取り、一番星がまたたく。事態を理解していない幼児たちが怖がって泣き始めるのも、オペレーターの紳士には折込済らしく、説明する口調はあくまで穏やかで、そして子供の目線の高さまで降りてきて語っているような包容力が星霞の空を覆う。間違いなくアルファ波を放出している、紳士の物腰のやわらかさ、あたたかさに感嘆する。「今日はね、4歳の時にプラネタリウムが怖くて泣いてしまった男の子のお話です」…成程。
頭上一杯に広がった春の星空を、羊飼いたちが空に重ねた小熊が、オリオンが、獅子が自在に天駈ける。思わず深い溜息をついた処で、青木菜なのナレーションが流れてくる。今まで紳士がかけていた魔法は本篇までのマクラだったらしい。
「メガスター誕生物語」は、作家・寮美千子がシナリオを書き下ろした、少年・大平貴之が、小学生の時に川崎市青少年科学館の若宮解説員と運命の出会いをし、プラネタリウム作りに目覚めてから、今日に至る歴史を綴っていく今回の為の特別プログラムである。コクピットに入った大平少年に自由にプラネタリウムを操作させる若宮解説員の声は、20年後の今しがた僕らをプラネタリウムの魔法にかけた初老の紳士自身の声であった。
後で調べて分かった事だが、紳士は川崎市青少年科学館館長にして日本プラネタリウム協会会長、若宮崇令氏であった。「天文台日記」を書いた故・石田五郎さんと云い、若い世代に種蒔くひとは概して人間的に大きくあたたかい。彼らは日々、科学の間口を低くする努力を続けているのだ。
今回はメガスター誕生までの過程を紹介するという番組の特異性故、従来設置してあるプラネタリウムでの投影が殆どで(2/3位)、メガスターIIの410万個の星空は後半の僅かな時間しか体感出来ないが、若宮さんという科学への「どこでもドア」を目撃出来た事と、同一ドームでメガスターIIと従来型を続けて性能比較出来るのは所謂「美味しい」というヤツではないか。かくして45分間のプログラムはあっという間に終わった。子供たちもいつの間にか泣き止んでいた。天体の余りの美しさに心奪われたか、或いは程よい暗さとアルファ波を揺り籠に眠ってしまったか。
折角なので、隣接した本館でカントウゾウの骨格標本他、生田の自然博物誌を見て回る。ま、普通。
もののついでに背高のっぽなメタセコイアの雑木林を抜けて、「岡本太郎美術館」まで足を伸ばす。川が流れる長い階段を登った先に、岡本太郎独特のオブジェの突端が見える。極限まで簡易化されたひとのシルエットが巨大な塔の上で幾つも焔立つかのように躍っている。
階段を登りきると、川の上流である泉のほとりにカフェテリア「TARO」があり、なかなか居心地良さそうだったが、今日は時間が無いので外から眺めるだけにする(此処のグラスや皿の底にはやはり顔があるのだろうか)。美術館の入館料は大人800円だったが、これまたじっくり観る時間が無いので、エントランスのオブジェだけ眺めて、敷地奥にある、先ほどの塔のふもとを散策する。脇で親子がバトミントンしているあたりがのどかでいい。オブジェは「母の塔」と云うらしい。入館料を払わずとも、観賞可能な作品がこうして到る処に設置してあるのが嬉しい。しかし、どの作品を観ても岡本太郎だと分かるのは、やはり才能というものである。
また長髪を後ろで結んだ謎の高下駄老人が何の支えもなしに急な階段を降りていくのに出くわす(あれは新型の竹馬と云ってもいい)。ある意味、ドクター中松より凄い。アートな場所だけに一種のパフォーマーだと思うが、セトロさんとよそみしているうちに姿まで見失ってしまった。まるで天狗のようなご老体である。
200円でこれだけ愉しめるなんて、生田緑地、なかなかいいじゃん。
セトロさんとふたり、大いに満足して川崎を後にする。
さ、渋谷へ急がねば。
この項、続く。
石井輝男監督舞台挨拶目当てに渋谷シネ・ラ・セットにて、「盲獣VS一寸法師(2001・日)」。
「ゲンセンカン夫人」以降の石井作品の質的凋落(主に資金難が原因、と信じたい)は重々承知しているので、たとい江戸川乱歩作品を扱っていても、作品自体に「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間(1969)」的満足を得ようなどとは考えていない。けれど、「明治・大正・昭和 猟奇女犯罪史(1969)」のフィルムに阿部定を焼き付けたように、石井輝男翁(今年の元旦めでたくも傘寿を迎えられた)を我が網膜に焼き付けておく事は大いに意義がある(2年前に上京してい乍ら、長さん主演「さよなら、サボテン先生」を観逃した怠慢を昨夜から激しく責めている処だ)。何よりプロモに血道を注ぐご老体に応えるのは、夥しい数の怪作を僕らに遺してくれようとしている監督へ唯一出来る、僕らの誠意だという気がしている。いや、ホントに。
一旦、渋谷シネ・ラ・セットへ赴いて18:40の回の整理券15、16を確保した後(本日の舞台挨拶は16:35の回上映後、18:40の回上映前と2回あって、16:35の回は既に立ち見だった)、セトロさんの強い推薦でフォルクス(何年振りだ?)にて遅昼といつもの駄噺。
此処の映画館は初めて。会場の後ろはまともなシート席だが、前方は色やかたち、大きさの違うソファが適当に並べてあって、小劇場の芝居小屋のようである。席は50そこそこか。舞台挨拶なので、2列目のソファを押さえて、セトロさんは喉を潤しに備え付けのカフェバー(!)へ向かう(一応、この小屋の売りらしい)。今回、映画の公開にあわせて、盲獣カクテルと一寸法師ソーダフロートなどというスペシャルメニューが用意してあり(映画館スタッフの熱意は買う)、セトロさんが一寸法師ソーダフロートをオーダーしたのでCCDカメラに納めておく。赤いソーダに透明な人型のゼリーを添えたあたりが猟奇的か(残念乍ら盲獣カクテルは未確認)。ソーダの赤は陶酔した水木蘭子(藤田むつみ)が身体にかけたロゼワインあたりからの連想か…て、それは盲獣パートですな。
写真・動画・カメラ付き携帯電話での撮影不可。結構、いけず。
石井輝男監督、藤田むつみ、平山久能、薩摩剣八郎の各氏入場後、シークレットゲストでリリー・フランキー登場。
水10効果絶大で、本日のゲストの中では渋谷的にはこのひとがいちばんメジャーな存在だと思う。
石井監督曰く「僕が到る処で、リリーさん呼んじゃうって云っちゃってたのでね、半ば脅迫に近いかたちで来てもらいました」。それを受けるかたちで「半ば脅迫されて、寝ている処を来たんですが、肝腎の監督が遅刻して、先ほどの舞台挨拶にはお出にならなかったんですよ」とリリーさん。思わずセトロさんと声にならぬ凱歌をあげる。今日の俺たちはラッキーだ。「皆さん、監督にお会いしたいのを諦めていただいて…どうにかこの回には間に合いました」会場、拍手。
出演の度に脱いでいる藤田さんの「そろそろ裸は体力的にも…」という泣き言に、「いやあ、アレは丹波(藤田さんは丹波プロダクション所属。どうやら「カタクリ家の幸福」にも出ていたらしい)が『そうだ、石井ちゃん、藤田をすっぽんぽんにしよう』って云うから、僕はイヤなんだけど、丹波の肝煎りだから厭々裸になってもらっている訳で、だから次回も脱いでもらいます」と監督。体力っていうのは監督、お肌年齢と読み替えるべきなのでは?
薩摩剣八郎さん(思った以上に小柄なひとであった。勿論、ゴジラの実寸大だとは思っていません)も話し出したら止まらないひとで、今回は着ぐるみ役者が初めて顔出しで銀幕を飾れた事を喜んでおられた。プルガサリ役者として金正日に平和を提言する手紙を書かれたとの事だが、何処まで信じていいのかは謎。「あなた、意外に優しいひとなんだねえ」「ええ、こう見えてなかなか優しい人間なんですよ」などと監督と脊髄反射的会話が続く。
平山久能さん(見た処、普通のあんちゃんである)は「地獄」の宮島ツトム役(これこれ)に続いて石井作品は2
度目の登板だそうで、前回舞台挨拶では客席に引かれて困ったらしい盲獣指南を、リリーさんの策略で再びやらされる事に。最前列のお客を捕まえて、「親指と中指と薬指で卵を握るようにして手を構えて、白目を剥く」と見事な指導で即席盲獣をつくりあげる。これは客のチョイスの勝利かもしれない。
毎週末行われるイベントの告知と石井監督のリピーター命令で、舞台挨拶終了。
終始アットホームでなごやかだったのは、牽引役リリー・フランキーの功績が大きかったと思う。
「盲獣VS一寸法師(2001・日/石井輝男)」 渋谷シネ・ラ・セット
3年お蔵入りだったのもむべなるかな。
TUTAYAでセトロさんに最新コミック事情のレクチャーを受け、イチ押しの、とよ田みのる「ラブロマ(1)」(講談社)を購入する。
むしろ公開した関係各位の並々ならぬエネルギーにこそ頭が下がる。
オープニングの見世物興行的おどろおどろしさはきっと馴れると美味しいくさやの干物。
けれど、それにしてからが何処までも遠浅なビデオ映画なんだよなあ。
石井映画は「地獄」で作品(パッケージ)としての困窮を極めたと思っていたが、本当の底ではなかったらしい。
カネはなくとも、ビデオでも、長崎俊一「ドッグス(1999)」のように志高き佳作はあるものだが、石井監督はカネがないのを隠さない映画づくりをするので出来上がった作品はキッチュの極北まで辿り着く。「地獄」もそうだが、バジェット的にどう工夫しても釣り合わない題材を平気でかたちにしてしまう。故に素人を大量投入し、不得手な撮影に自ら手を染め、娘の学芸会ムービー並みのテクで劇映画をものしてしまい、結果、生まれた作品はテクニックだけを比べればアダルトビデオにも及ばない。
これはある意味、映画製作の冥府魔道を転がり落ちるさまを描いたドキュメンタリーと云ってもいい。何故、映画界は石井監督にあとちょっとだけ監督だけに専念出来る予算を与えてあげられないのか。このスタイルで監督が「飢餓海峡」をリメイクしたら、えらい騒ぎになるぞ。アンディ・ウォーホルが料理した「時計じかけのオレンジ」(「ヴィニール(1965)」)みたいなとんでもないキメラが産み落とされてしまう。あれは短篇だったが、石井監督が撮るのは長篇だ。面白がっていていい場合じゃない気がする。エド・ウッドの晩年を見ているようで、やけに切ない。違うのは丹波哲郎がベラ・ルゴシみたいに落ちぶれていない事くらいだ。
カネがないから時間が無い。準備も出来なければ、撮影期間も満足に取れない。
百合枝奥様を演じた橋本麗香の壊滅的仕事はどうだ。モデルだから止まっていると息を呑む美しさだが、動き出した途端にスカウトで引っ張ってきた素人でもこうは行かない息詰る演技。本作は明智役の塚本晋也が出て来るまでの間、演技初体験のリリー・フランキーがひとりで場を持たせなければならないという非常事態宣言映画でもある。
エログロが本位なのに、ナンセンスばかりが目立って、エロもグロも際立たない。裸の女性を大挙投入し、人体解体ショウやフリークスショウまで散りばめても、僕らはグロにではなく、そのハリボテさ加減と大根役者に目を覆ってしまう。モンドでビザールである前に、この映画は過剰なまでにキッチュに過ぎるのだ。
しかし、丹波さんだけは相変わらず凄い。
難しい表情で盲獣の製作過程が全く謎なオブジェを一瞥すると「こんなものは芸術ではないッ」と一括、「…悪魔だ、不世出の悪魔だ」と唸るだけで(映画は丹波さんのアップでエンド)、観客は訳もわからず納得しそうになる。メディアレイプというのはサブリミナルなどではなく、丹波さんのこの演技こそを云う。
処で、地獄女史のショウを中野貴雄本人が観てる図はワロタ。
ていうか、其処か塚本晋也の小技くらいしか本当に愉快な処がないんだよっ。
「盲獣VS一寸法師」はある輝いた映画作家の末路かもしれない。
「かもしれない」というあたりに、一抹の希望を託して、「網走番外地」か「直撃!地獄拳」をこよなく愛する篤志家の出現を待とう。
石井作品はこのままじゃあ、いけない。これでは、いつか丹下博士に一刀両断されてしまう。
「…キッチュだ、不世出のキッチュだ」
成程、面白い。これは佳い漫画を教えてもらいました。
会社を少し早めに退社して、青山葬儀所で営まれる長さんの通夜へ出かける。
18時開始に遅れること15分、千代田線乃木坂駅5番出口を降りると、スタッフが提灯を下げて立っていた。
生垣の向こうの鯨幕を伝っていくと青山葬儀所の入口には「故・いかりや長介告別式」の巨大なオベリスクが聳えており、道路の中央にはミニパトが待機して、婦人警官が、ごった返した葬列が道に溢れるのを注意していた(翌朝の新聞を読むと2500人のファンが集まったらしい。僕は2500人分の1人だった訳か)。
関係者用の通常門とは別に駐車場スペースを隔てて、一般弔問客(ファン)向けに「一般(ファンの方)記帳所」と「献花用祭壇」が設置・開放されていて、お焼香が出来ないのは残念だが、とるものもとりあえず記帳する。
「献花用祭壇」は白い花に包まれていて、手前にはファンが置いたらしい花束が幾つも重なっていた。長さんの写真はラガービールのCMでベースを弾いた時のもの。コメディアン時代、ゴリラだの下唇びろーんだの云われた長さんが、ベーシストとして皆から格好いいと絶賛された時の一枚である(長さん本人も気に入っていたスナップらしい)。
テント脇に設えたスピーカーから流れる読経の中継を聴き乍ら、手を合わせる。
駐車場から本館はかなり遠く、しかもテントの前にステーションワゴンが突っ込むかたちで駐車されていた為、本館の壁の「故いかりや長介葬儀式場」を読み取るのがやっとだった。報道陣の人だかりが山となってフラッシュを焚く向こうには六本木ヒルズのイルミネーションがまたたき、時折報道らしいヘリコプターが耳障りな音を立てて旋回していく。
弔問客は比喩ではなく老若男女が押し寄せてきており、怒ったように「ありがとうございましたッ」と頭を下げるひと、泣き崩れるOL、いつまでも手を合わせたまま動かないひとなどさまざまだった。ブレザーの袖からはみ出たカーディガンで手を包むようにして無言で本館を見守る女子高生3人組が印象的だった。
読経は19時頃で途絶え、導師が退出すると(長さんの菩提寺が日蓮宗である事を初めて知った)、スピーカーから流れるのはクラシック音楽ばかりで、通夜の様子は窺い知るべくもなかったが、通夜閉式の20時までは居ようとずっと手を合わせていた。テレビ局のクルーが機材を駐車中の車にぶつけて傷をつけた事(誰も乗っていない車にクルー達が照明をあててカメラを回しているので、何事かと思ったよ)以外は滞りなく時間が過ぎていった。
20時15分前にはスピーカー越しに通夜が終わった事が知らされた。
僕ら一般弔問客は100人もいただろうか。
花粉症のマスクをした男性が「私、単なる一ファンに過ぎない者なんですが」と僕らに声をかけた。
今、8時5分前である。自分はDVDから「8時だヨ!全員集合」の音声をテープに落としてきたので、申し訳ないが、8時になったらテープを流すので、皆んなで本館に向かって「全員集合!」と拳を振り上げてくれないか。
うーん、今日は火曜日なので、正確には19時半に「大爆笑」のオープニングをかけるべきだなどとつまらない事を思ったが、目の前に居た男性は携帯をかけて時報を聴き始めた。──これは皆んな本気らしい。騒ぎを聞きつけた報道陣がじわじわと集まってくる。1分前になった処で、おそらくはイザワオフィスかナベプロのスタッフであろう勝田さん(と名札をつけていた恰幅のいい、現場責任者らしきひと)がやってきて、今夜はありがとうございました、8時には門をしめなければならないので、今夜はお引き取りくださいと伝えにきた。「あと30秒だけ待ってください」事態を呑み込んでいない勝田さんと押し問答になったが、いい絵を取りたいテレビクルーが協力してくれて「8時だヨ!全員集合」計画を説明すると「それはいい、素晴らしい事だ」と胴間声を上げてようやく納得してくれた。
しかし、勝田さんが納得するとほぼ同時に8時になった上に、「8時だヨ!」テープの音が聞き取りにくかった為、気を利かせた誰かが「8時だヨ!」と声を張り上げた。だから、いささか息の合わない「全員集合!」になったのは、リハなし本番だったのと勝田さんのせいである(尤も、勝田さんはまるで悪くない)。これを書いているのは翌24日だが、色んなメディアに美談めいて書かれたこのエピソードの只中にいた者として真相めいたものを一応記録しておく。
僕と同じく長さんを愛してやまない長妹のぶんの記帳を済ませてから、半蔵門線で帰宅する。
今朝の日経新聞「喪友記」に、「不器用な『刑事』」と題して寺内タケシが、長さんへの追悼コラムを書いていた。
誰もが長さんを才能あるひとではなく、並々ならぬ努力のひとだと語る。寺内さんもそのひとり。
午後からの葬儀・告別式は涙雨になったようだ。
今日は仕事が忙しかった事もあって、時折ネットの記事で告別式の様子を窺い知るのが精一杯だった。
日記でも何でもないんだけど、加トちゃん弔辞全文を遺しておく。
(実は過去日記を掘り起こすと、注さんの告別式の時に長さんが読んだ弔辞も記録してある)
長さん、随分急いで向こうに行っちゃったんだね。
1993年の秋にハナ肇が亡くなった時、植木等は「クレージーはこれで終わった」と宣言した。
あんた、最後の最後に嘘をついたよなあ。
去年の12月に『大爆笑』のオープニング撮るときに久しぶりに会って、
「40周年の記念で『全員集合』と『大爆笑』、この2本撮りたいね」って、
したら長さん、「いいねえ、やろう」、そう云ったよね。
うちのメンバー4人もその気になってたんだよね。
だけどその約束を守らないうちに逝っちゃったね。
40年間、一生懸命一生懸命やってきて、絶対に妥協を許さない長さんだったよな。
40年間本当に気を抜かないで、一生懸命やってきたんだと思う。本当にご苦労さん。
これからオレたち4人でドリフターズまたやっていくよ。
あんたが残した財産だからね。
荒井注が亡くなったとき、長さん言ったよな。
「オレももうじきそっちに行くから、一緒に酒を飲もう」って。
本当にそんな日が来てしまったな。
でも、ちょっと早すぎたんじゃないか。
もう少し我慢して欲しかったなあ。
まあ、二人して積もる話もあるだろうけど。
あまり深酒しないように。
それから、いきなりそっちから「全員集合!」って云われても、オレたち4人は集まれないからね。
多分、そのうち本当に全員集合になるかもしれない。
その時は、やっぱりまた向こうでコントをやろうよ。
40年間本当にありがとう。
そしてご苦労さんでした。
何も心配なくゆっくり休んでちょうだい。
さよなら。
長さんが亡くなってみて、加トちゃんは「これからオレたち4人でドリフターズまたやっていくよ。あんたが残した財産だからね」と語り、仲本さんも長さんが急逝した直後に「いかりやの親父がいなくなって、後は息子同士でドリフターズを守っていきます」とコメントした。
クレージーを終えたのもドリフを続けるのも、メンバーからリーダーへ向けたあらん限りの誠意に変わりはない。でも、長さんの抜けたドリフに「大爆笑」は出来ても「全員集合!」は出来ない。すっかり偉くなってしまった加トちゃんや志村けんをどやしつけるコントを今でも成立させられるのはおそらく長さんしかいない。
そういう意味ではドリフターズもまた確実に「終わった」のだ。
それがひどく淋しくて切なくて、これを書いていても泣けてくる。
……色々と想う処はあるけれど、今日はこれが精一杯。
長さんの死に隠れるように、芸能界は訃報ラッシュで、又野誠治、三ツ矢歌子に続き、七曲署の「長さん」(下川辰平)まで亡くなってしまった。享年73歳、個人的には後年「プロゴルファー織部金次郎」シリーズの脇田彦三郎役を挙げておきたい(かのシリーズはやたら出演者が九州出身者で固めた作品だった。ちなみに下川さんも福岡出身)。しかし「太陽にほえろ」「長さん」つながりでは余りに笑えない冗談である。お三方のご冥福を心よりお祈りします。
処で、今朝、ワイドショーで長さんの出棺の様子を見ていたら、棺を抱えるメンバーの後ろに見覚えのある顔を見つけた。
すわ親治である。知らないうちにドリフを離れて、ニュースペーパーというコント集団に参加していた処までは知っていたが、いかりや長介「だめだこりゃ」にも、すわさんについては深く触れられておらず、動向が気になっていたひとのひとりだ。不勉強の至りでドリフ脱退が円満退社か喧嘩別れかも知らなかったので、ネット検索して、すわさんの現在を探ってみたら、すぐに次の2サイトが見つかった。
他言無用プロジェクト
すわ親治の世界の中にある2002年暮れのインタビューを読むと、彼は「全員集合!」終了後にドリフを脱退したらしいが、その後もメンバーとの深い親交は続いていて、「だいじょぶだぁ」へのコント参加、長さんが出演するドラマにも名前を連ねていたようだ。あとから調べてみると、僕が観なかった事を悔やんでいる「ありがとうサボテン先生」でも本名の諏訪園親治(すわぞのちかはる)として出演、石川(用務員)役として会場の笑いをかっさらっていたらしい。長さんと志村さんが自分の公演を観に来てくれた事を感謝するくだりも出て来る。
http://www.st21.co.jp/tagon/index.html
すわ親治が参画する猛毒社会風刺エンタ・プロジェクト。
詳細は実際にサイトを読んでもらうとして、チームで行動するのではなく、各芸人による単独コントが主体のようである。譬えるなら、個人タクシー組合みたいなものか。
すわ×故林 すわ親治の世界
http://odakhyper.cool.ne.jp/daikorin/suwashinji/suwa-world.html
コント作家故林広志サイト大故林内のすわ親治コーナー。
ふたりはコラボでコントライヴなどをしているらしい。
他言無用プロジェクトのBBSには、3月24日深夜2時19分に、
いかりやさんの通夜から今帰ってきました。20日に亡くなって二晩、いかりやさんのそばで皆と酒を呑みました。きれいな、いい顔をしていました。今日は最後の最後のお別れです。最後の最後の「ありがとうございました」を言ってきます。
と、すわさん自身の書き込みがある。
他のメンバーと共にリーダーの柩を抱えたのも故ある事、彼もまた最后まで7番目のドリフなのだった。
処で新聞記事によると、通夜の夜の「全員集合!」をドリフメンバーは喜んでいてくれたらしい。
自分の引き際に花道を望んだ長さんにはいちばんの花道になったんじゃないかと、仲本さん。
あの花粉症マスクの男性には感謝しなければならない。
そして、それを思いつかせてくれたのは、実は他ならぬ長さんだった。
改めて、合掌。
お昼前に家族で家を出て、半蔵門線で青山一丁目まで。
この界隈へは週アタマに長さんのお通夜で訪れたが、今日は文治師匠のお墓参り。
小文治さんの「徒然」を読んでいたら、「蝠丸兄さんと玉窓寺へ師匠の墓参り」とあったので、ネットで場所を調べて早速お伺いする事に決めた。玉窓寺(玉窓禅寺とも云う)自体はすぐに見つかったが、肝腎の師匠のお墓が見つからない。師匠の本名である関口家のお墓だけでも何軒も見つけてしまう始末。右團治さんにヘルプメールを出したりするが(お仕事の最中でした。ゴメンナサイ)結局、妻が直接お寺に訊ねに行くと、「この中からお墓を探し出すのは雲を掴むような話です」とご住職が直接案内してくださった。
お墓そのものは、墓地を入って比較的すぐの処にあったが、確かにこれは難易度が高い。先祖代々の時代の入ったお墓である上に(其処がまた師匠らしい)ご本人の名前がまだ刻まれていない。けれど、墓石の後ろに幾つも立った真新しい卒塔婆は、確かに文治師匠の戒名である「文翁院話玄達道居士」であった。小さな棕櫚の樹の真向かいにあって、風情のある生け垣に小さなお墓がふたつ並んでいて(本家と分家みたいなものだそうだ)、右側のお墓に師匠が眠っている。まだ何だかピンと来ない。僕の思い出の中では師匠はまだ高座の巨人であり、楽屋の笑顔と地続きになっているから、目の前のお墓とどうしても繋がってくれない。師匠同様、親しみのわく、お地蔵様を思わせる可愛らしいお墓である。此処には師匠のお父様、先代柳家蝠丸師もまた眠っている。また寄せてもらいますと手を合わせる。
玉窓寺の門構えの桜もようやく綻び始めたという処。同じ東京でも桜前線には地域差があるらしい。
それから、花見客と墓参客で賑わう青山霊園を散策した後(屋台がいっぱい出てた)、神宮外苑に沿ってラグビー場まで歩いて、更に(聖徳記念)絵画館へと続く銀杏並木まで足を伸ばす。いや、何、一度さだまさしが「絵画館」で歌った景色を目にしたかったというミーハーな理由による。季節柄、銀杏は葉を落としていたが、なかなか壮観な眺め。日曜を楽しむ家族連れや友達連れで賑わっていた。
青山一丁目駅近くの「ラ・ベルデ青山店」でおそめのランチ。
壁際のミロのヴィーナスやら、ルネッサンス調のオーバー気味な内装はともかく、実は意外にヴォリューム本位な処が気に入った。妻が頼んだ「特製ベーコン入りカルボナーラ」のベーコンは本気で肉厚で宛らハムステーキのようだったり。
夜、さっちゃんに借りたさだまさし「月虹 紫〜第七夜(スターダストクラブ)」を観る。
「時代はずれ(平成版)」が聴きたいと云ったら、「志らくのピン」の時に持ってきてくれたもの。
「時代はずれ(平成版)」はタマちゃんにノーベル賞ネタと時事ネタ満載で既に今聴くとかなり恥ずかしかったり。あとラーメン茶漬けとか。
こういう曲はライヴのみで聴いて大笑いするのがきっと正しいんだろうな。
ビッグバンドと共演の第七夜は、管楽器の大物ミュージシャンが多数参加していてそちらも聴き処。
「オケピ!」でも大活躍したボブ・ザングとか。
期末の慌しい時期なれど、エアポケットを狙いすますかのように18時退社して、池袋演芸場へ。
今夜は「第28回平治扇治二人会」。前回初参加した第27回が去年の11月21日だからほぼ4ヶ月振りの二人会。きっと年3回なんてあっという間なんだろうな。
やっさんに郵送してもらったチケットを受付に差し出すと、平治師匠に直接お支払くださいと云われたので、階下に降りて舞台袖にある楽屋を訪ねる。寄席の楽屋なんて狭いものだが、池袋の楽屋はひときわ狭い。派手な色合いの襦袢で寛ぐやっさんと着替え途中の扇治さん。こちとら黒紋付姿がデフォルトなので、柄物の襦袢を着たやっさんというのは結構新鮮である。
「受付行ったら、直接払ってくださいって」
「そーなんだよ。ボクに払って♪」
数日前にやっさんから妻に僕が二人会に来るかどうか確認の電話があったと聞いたが、やっさんが手配したチケットはどうやらやっさんの手出しになっているらしい。──来てよかった、とひそかに胸を撫で下ろす。
「(師匠の)お墓参り行ってくれたんだって」
「うん、最初、関口さんのお墓で探したら4つくらい見つかるんだもの」
「えー、そんなにあるの? 入ってすぐの処にあったでしょ」
やっさんの話によると文治師匠のお父上、初代柳家蝠丸師匠は隣のお墓に眠っているのだそうで、これを機に師匠とひとつのお墓に入れるなんて話もあるらしい。やっさんは月命日の31日に墓参に向かうとの事。
扇治さんにもご挨拶した後、前回同様、最前列中央「かぶりつき」の席を陣取る。
少なくとも落語に関しては「かぶりつき」で聴かなきゃ勿体無いと思う。
備忘の為、二つ折りプログラムのやっさんの挨拶を以下に引用しておく。
本日はご来場いただきましてありがとうございます。もう皆さんご存知の通り、私の師匠文治が一月三十一日、芸術協会会長任期最後の日に亡くなりました。いさぎよい師匠らしい死です。あまり突然で、あれから二ヶ月たちますが、まだ「死んだ」という実感がありません。この間、後輩の真打ち昇進の口上書きを見て、役員の名のところに師匠の名が無いので「あっそうか」と思いました。
初心生涯…だからやっさんは初席で必ず「子ほめ」を演るようにしている。
師匠からは今の自分の基礎をたたき込まれました。厳しくもあり優しい師匠でした。今ごろ向こうで好きな先代の文治師匠や柳昇師匠、小南師匠とバカっ話をしている事でしょう。もっとも向こうでは師匠が一番後輩です。前座かもしれません。
今日のネタは「子ほめ」と「百年目」。
「子ほめ」は高校在学中に師匠から教わった一番最初のネタです。師匠はよく色紙を頼まれると『初心生涯』と書いていましたから、私もそれを忘れずに初心に返ります。
「百年目」は主従のあり方、師弟関係も同じです。ちょっと長い噺ですがご辛抱ください。心を込めて演らせていただきます。どうぞゆっくりお楽しみ下さい。
だから、師匠が亡くなってから初めてする落語会でのやっさんの噺が「子ほめ」だというのも、落語家桂平治の覚悟の程が見えていい。本人もマクラで語ったように、上京して18年の節目の年の、決意表明のような節目の落語会に立ち会えたのは、桂平治の一ファンとしても光栄な事である。
一、開口一番(やかん)………前座(林家彦丸)
今日の扇治さんの二題は腹から笑わせてもらった。
一、子ほめ……………………桂平治
一、粗忽の使者………………入船亭扇治
─ 仲入り ─
一、長屋の花見………………入船亭扇治
一、百年目……………………桂平治
いずれもよく知った話なのに、入船亭扇治のフラが綾なすリズムに乗っかって存分に楽しませてもらった感じ。「粗忽の使者」は地武太治部右衛門、田中三太夫、中田留太夫こと大工の留っ子のアンサンブルが見事。「長屋の花見」の店子(たなこ)の自棄っ振りもいい。それから、マクラの吉野家を襲った災禍──店の「看板」である牛を失い、新商品の「トリ」はインフルエンザにやられ──「看板」と「トリ」がいないなんて、前座だけでやる落語会みたいなもんです、という着地に大笑いする。旨いなァ。滑稽噺を二題繰り出すのも、扇治さんの噺家としての自信のあらわれか。
そして「みなしごになった」やっさん。
師匠ネタの処理もウェット過ぎるのを嫌って、丁度いい湿度と毒とで笑いに転化。気分良く笑える。でもやっさん、僕は文治師匠の「柳田格之進」も聴いてみたかったなあ。
「子ほめ」は文治師匠の「噺家のかたち」を片手に堪能したかった、きっちりきっちりした一席。
今回圧巻だったのが、「百年目」。
20:20に高座を上がって、幕が下りてPHSを見たら21:15だったのに驚く。
ほぼ一時間の長講だが、この一時間やっさんの顔から目線がそれる事が一度も無かった。
「百年目」は大ネタである。
物語は経営者指南の趣きすら湛えており、人生経験に裏打ちされないとなかなか説得力を持たせられないであろう、いぶし銀の噺家だけに許された難易度の高い演目。精神論と云う事であれば、頭に「日経」とつければ、ビジネス落語としても充分通用しそうである。日経百年目…やはりムリがあるかも。
加えて物語の主人公である大番頭が40代半ばで、彼をあたたかく見守る大旦那はおそらく古稀を迎えんとしている。36歳の桂平治がこの大ネタを高座にかけるのは、余程の覚悟がいったと思う。でも、やっさんはやり遂げたね。力ワザも駆使しつつ、十二分に年輩客(勿論、僕も)を「むむう」と唸らせた(やっさん本人は納得のいく出来ではなかったらしい)。
今後、やっさんが大番頭と同世代を迎えてから演る「百年目」、そして共に長らえて彼が大旦那の歳になってから演じる「百年目」を聴くという老後の楽しみが出来た。演者もお客も歳を重ねて初めて見えてくる景色がある筈で、それを一緒に歳をとって体感出来るチャンスはなかなかあるもんじゃない。まずは10年後の「百年目」と30年後の「百年目」。それこそまさに此処であったが「百年目」というものである。
明日は仕事なので、打ち上げには参加せずに辞去する。
池袋演芸場というハコ、実はかなり好きかも知れない。
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