ラメットベリーノ(シトラス篇) / フイチンさん
三鷹の森ジブリ美術館 / 恋愛適齢期
COREDO日本橋 / 気弱な反論 / それはひどく理不尽な死
駒形どぜう / いつかA列車(トレイン)に乗って / ベラルーシの家庭料理「ミンスクの台所」
だから落語はやめられない / 中国大陸料理「過門香」 / キル・ビル Vol.2
恋人はスナイパー / アップルシード / 息子と浅草を往く
三代目襲名 / ならず者 / 三文オペラ 新装黒テント版
オムライスパーラー「星のたまごたち」
▼ 2004年03月の都を旅する
吉例、エイプリルフール。
ネット上の面白コンテンツの殆どは、日本インターネットエイプリル・フール協会(JIAFA)から辿れる。
http://www.aprilfool.jp/
個人的には、去年の「杖だホン」のおばあさんとウェアラブル携帯「INFOBAA」でまた元気に再会出来たのがツボ。
(ちょっと今年は『策士、策に溺れる』感が無きにしも非ず)
退社する時に家へ電話をかけたら、息子が出た(夜更かしなもので)。
「今日、テルスウザーラ!」と云うので、衛星で黒澤特集をやっているのかと思ったら「今日、いもサラダ!」だった(ワッチャー by 嘉門達夫)。「古畑」の「焼酎 → 焼蛤」くらい無理のある空耳だが、本当にそう聴こえたんだから仕方ない。脳内エイプリルフールか。
夜のお茶請けは「C3(シーキューブ)」の「ラメット ベリーノ rametto bellino」。
待望のシトラス篇である(ベリー篇は2/29の日記を参照の事)。
予め断っておくと、これはフルーツ(エキスと乾果)を練り込んだホワイトチョコ。
シトラス篇は、左からオレンジ、グレープフルーツ、レモンの3種からなるが、味の個性はベリー篇の方が良くも悪くも「強かった」気がする。今回、ラメットベリーノ初体験の息子は大はしゃぎ。僕個人としては第3弾を待ち望む処だが、色だけでなく、果実もカテゴライズ縛りがあるシリーズなので、グリーン系で(メロン、マスカット、スウィーティ)なんてやったら反則だしなあ。いっそ(ホウレンソウ、セロリ、バジル)などと野菜縛りにしてはどうか。テイスト的には愈々没個性的になるが、女性ウケはしそうである。あとは(マロン、パンプキン、紫芋)の芋縛りとか(色彩の統一感に乏しいのが難点)。
下北沢に息子を連れて、短編専門映画館「トリウッド」で「フイチンさん(2003・日)」を観る。
この映画、4歳未満が無料だったのだが(4歳以上は500円)、悠都がちょうど今日まで3歳だったので、誕生日前夜祭として(夜じゃないけど)連れて行く事にしたのだった。駄菓子屋でロケをしているベッキーも目撃したが、そんなに詳しく書く話でもない。
時間が出来たら、そのうち「フイチンさん」の感想も書く予定。
会社の創立記念日。決まった日というより毎年、4月の第2金曜日を選んで休みとしている。
平日に休みが取れることなど滅多にないので、TDLと並んで(こちらは年明けに行った)かねてより懸案だった「三鷹の森ジブリ美術館」に行く。
どんなに平日でも、前日までにはチケットがSOLDOUTする無敵の施設だけあって、GWの最中に訪れたような盛況振りである。此処は年中こうなのだと割り切った方がいいみたい。ねこバスに始まり、トトロに園丁ロボット、中庭の井戸と、悠都が我を忘れる「アトラクション」でいっぱいで、「天空の城ラピュタと空想科学の機械達展」の宮崎監督自演も楽しい6分程の短篇アニメ(これは絶対にDVDにして欲しい!)に、土星座で老若男女がひきめきあって観たユーリー・ノルシュテイン初体験(どうも子供たちが泣き叫ぶのは折込済みらしかった)と、油断していると大人も我を忘れそうになる始末。
いやー、困ったことにお尻からロバの尻尾が生えてくるんじゃないかってくらい楽しい処でした。やばいですよ。
時間が出来たら、せめてカフェ「麦わらぼうし」の感想くらいは追加で書いておきたい処。
「恋愛適齢期 SOMETHING'S GOTTA GIVE (2003・米/ナンシー・メイヤーズ)」 丸の内ルーブル
ナンシー・メイヤーズは前作「ハート・オブ・ウーマン(2000)」の「オンナの本音」とやらを大上段に構えた戦略的(に見えた)女性上位スタイルが生理的に受け付けられなかったのだが(ヘレン・ハントが類型的にデフォルメしたキャリアウーマンを、またメル・ギブソンが「所詮オンナなんつーものはよォ」的莫迦マッチョを「好演」)、ジャック・ニコルソン主演作という事で今回は目を瞑る。
有楽町駅前の三省堂に寄ったら、
北村薫「朝霧」(創元推理文庫)が平積みになっていた。
とりわけ今回は、ヒロイン(ダイアン・キートン)がバツイチの女流脚本家と、前作以上に監督とシンクロしている処がイヤーンな感じだったのだが、結論から書くとその心配は杞憂だった。今回はなかなか面白い作品に仕上がっています。
プレイボーイとキャリアウーマンの対立から恋に…という基本的なプロットは前作通りだが、今回はそれに「壮年の恋」を付加した処が新機軸(というか映画はむしろそちらが主体)。孫が居てもおかしくない世代のふたりが、哀しくも微笑ましき情事の果てに、世間のしがらみやら自分の地位やら長年かけて積み上げてきたライフスタイルといった余計なものを跳ね除けて、めでたくゴールインする迄が描かれる。
「恋する気持ちに身体がついていかない」おじさん(おばさん)だけに恋の小道具も全てが自虐ネタ。ハリー(ジャック・ニコルソン。しかし「ハリー・サンボーン」を「ハリセンボン」と聞き違えたのは僕だけですかそうですか)とエリカ(ダイアン・キートン)が初めてベッドインする時も、ハリーが心臓発作の予後でセックスを止められている事を思い出して(階段を登って息切れしなかったらセックス可・笑)、エリカがハリーに馬乗りになって血圧を計るはいいが、ふたり共老眼で数値が読めずに慌てて老眼鏡を持ち出すとか(加えて物語後半、その老眼鏡が何とお洒落アイテムと化す)、避妊はとっくに不要と聞いて安堵するハリーに、コトに到った後、もう二度とセックスなんて縁がないものと諦めていたのにと感極まっておいおい泣き出すエリカと、バイアグラなしでもセックス出来た自分に感激してやはりよよと泣き崩れるハリーが生々しいんだけど微笑ましい。
とにかく(特に前半戦の)エリカの何と愛らしいこと。
ハリーとの「失恋」を劇作にぶつける(て、出来上がった作品は殆どドキュメントなのだが)事で、脚本家としてのスランプから脱するのだが、執筆の快感と思い出の思出し笑いと失恋の痛手とで人格が崩壊して、ノートPCの前で文字通り「泣き笑いする」さまは無敵のコメディエンヌ振り。あきらかに老人に向かっている肢体にも拘らず「コメディに必要な」全裸シーンにも果敢に挑み(ジャック・ニコルソンも惜しげもなくお尻を衆人に晒していますが)、その女優魂には頭が下がるばかりです。
一方、イケメン医師ジュリアン(キアヌ・リーブス)の存在が刺身のツマ以上でないのはご愛嬌(尤も、かなり豪華なツマだが。アマンダ・ピート扮する娘のマリンがハリーのツマ〈≠妻〉なのは云わずもがな)。戯曲の一ファンから女性としてのエリカに惚れていく理由もエリカならずとも不鮮明なら、彼女の幸せのために身を引くのも、絵に描いたご都合主義(それがハリウッドと云われれば、ひとまず頷いちゃうけどさ)。
あと、前半のエリカの艱難辛苦を取り返すと云わんばかりに、エリカが主導権を握る終盤の展開は、猫が死にかかった鼠をいたぶっているようで、少々だれ気味(ハリーをモデルにした「ヘンリー」の一群が皆で尻を出して踊るのには大笑いしたけど)。もうちょっと端折ってもいいと思うが、そのへんはナンシー・メイヤーズと自分の相容れない美学かも。ま、一応ジャック・ニコルソン主演なので、最后は彼主体に物語を進めるのも分からんではないんだけど。
兎に角、壮年のラブコメディというジャンルを確立した意味では、本作が先鞭をつけるかも。
何しろ演技派が揃えられるから、若手のアジャパー芝居に切歯扼腕する必要もない。
という訳で、メグ・ライアンは無理に方向転換などせずこのままラブコメ道を突き進むように。
且つ、来週16日のサイン会整理券(先着150名)配布となっていたので、妻への手土産に迷わず購入する。
さすがは東京、整理券番号は既に110番台だった。あぶないあぶない。
夜、
大森望・豊崎由美「文学賞メッタ斬り!」(PARCO出版)読了。
いやん、面白かった。芥川賞に対する認識など啓蒙されちゃいました。
そっかあ、芥川賞って文藝春秋の農閑期対策だったんだ。80へぇ。
芥川賞が文学新人賞という位置付けであるなら、確かに綿矢りさ「蹴りたい背中」は充分「アリ」だと改めて思う。
(元々、2大アイドル作家を送り出すという戦略的措置は感じていたが、それが芥川賞の趣旨にも合致する事をよーく理解した)
たかだか10代の少女が世間を睥睨する視点の狭さ、低さは作家自身が認識している。
客観的に見ても、10代の作家が高校生ハツの一人称で物語を紡ぐぶんには、何の問題もないだろうみたいな。
綿矢りさという作家の旨さは作中、ハツが「蜷川」ではなく「にな川」と呼ぶ処にある。
作中、蜷川という漢字は彼女(ハツ)の視界に入ってくるのだけれども、彼女にとってはどうでもいい話だから「蜷川」はいつまでたっても「にな川」なのだ。つまり、この作品から読み取れる世界とは、「蜷川」を「にな川」と記述してしまう女の子の脳内作文を通して覗いた世界ですよと最初に宣言してしまうのだ。だから描写力が「高校生の作文」だったり、傍から見てひとりよがりな視点であっても、それはひとりよがりな女子高生の脳内作文であるという設定故に全てが是とされる。
「にな川」…うーむ、実に見事な世界設定装置である。
世界観自体も女大槻ケンヂとでも呼ぶべき、トラウマロックなイヤーンな感じでこれまたボク好み。
(では大槻ケンヂが芥川賞を取れたかと云うと「星雲賞を取る」あたりがまた素晴らしかったり)
どうしてこんなに夜明けが早いのさ ((C) 八代亜紀)
という訳で、夕方、今ウワサの「COREDO日本橋」を冷やかしに行く。
東西線日本橋駅を降りると改札口から直接B1フロアに繋がっている、夢のようなアクセス。
2Fにあるタカラの大型直営店「GARAGE」は海開きの日の海水浴場のような混雑振りだが、子供よりもむしろ大人がわくわくするチョイスのライフエンタテインメントショップ(購買層は30〜40代男性がターゲット、ってオレじゃねーかよ)。お値段的にもワンランク上な(おほほほほ)大人の「オモチャ屋」。決して「大人のオモチャ」屋ではない。品揃えの良さよりもチョイスそのものやレイアウトを重視している感じ。
暫く遊んで気が済んだので、3Fに移動(何しろ「冷やかし」目的なので)して、ソニープラザのニューショップ「Serendipity(セレンディピティ)」へ。こちらも雑貨迷宮といった感じで、輸入玩具から家庭雑貨にチョコレートショップ、輸入食品のエリアを丹念に見て回る。キッチン用品あたりはかなり胸がトキメくが、割れ物天国だった為、妻は気が気じゃなかったらしい(て、息子は殆ど僕が見ていたのだが)。いつも明治屋で買うペンネパスタを買う。
妻に云わせると、輸入菓子系は明治屋に叶わないそうだ。
彼女はペパリッジファームのミラノシリーズが一袋も置いていなかった事が我慢ならなかったらしい。
妻は、何しろあそこのオレンジミラノがたまらなく好きなのだ。
夕食は4F「とんかつと豚肉料理 平田牧場」で。
価格が比較的リーズナブルという事もあり、18時にして長い行列が出来ていたが、とんかつ好きな妻と共に初志貫徹する。
(北九州時代は殆ど「浜勝」に通っていた、と云っていい)。
さすがに店内はとんかつ屋らしからぬ(失礼!)お洒落なつくり。
今流行りの対面式カウンターの席につく。一輪挿しにはそれぞれ桜の枝が活けてあるも、カウンターに埋め込まれた下からのスポットライトに焼かれたか、既にしおしおなのがいと哀し。
お品書きを見ると、所謂定食モノのごはん、味噌汁、キャベツがお代わり放題なのは、世の趨勢か他所と変わらず(尤もごはん茶碗は随分可愛らしかったけど)。豚には平牧三元豚と平牧桃園豚の2種類あり(それぞれ「並肉」「上肉」と理解)、たとえば「平牧桃園豚ロースかつ膳」と「平牧三元豚厚切りロースかつ膳」はいずれも1800円で、ふたつ頼んで食べ比べてみるという選択肢もあったが、僕はサイドメニューの「そば味噌大根(450円)」を食べてみたかったので、価格ちょっと抑え目の「手ごねメンチとしゃぶかつ膳(1300円)」を選ぶ。妻は迷った挙句「平牧三元豚厚切りロースかつ膳」を注文する。
最初に山形名産の漬物(赤かぶと、あと色々)とベージュがかった藻塩が供される。
カツはソースで食べる前にまず藻塩で食べてみてくださいとの事。
妻は、この藻塩が気に入ったらしく、後半はソースを使わなかった由。
そば味噌大根。
山形名産蕎麦の実入り、はともかく、大根がほこほこして美味しい…。
子供の頃、馬場のぼるの絵本で読んだ「ふろふき大根」を思い出させる味。
手ごねメンチとしゃぶかつ膳。
メンチカツは元肉の上質さが知れる、ジューシーでゴージャス感溢れる一品。
しゃぶかつは大葉を捲き混んで揚げたもので、筆舌に尽くし難い肉のやわらかさ。そりゃ旨いって。
キャベツのドレッシングは「梅」「胡麻」の2種類。
妻は「梅」が気に入ったようでスタッフに「市販する予定はないのか」と訊ねていたが、売れ行きが悪いので(カウンターにふたつ並んだドレッシングの容器は確かに常に「梅」が売れ残っていた)廃番予定との事。僕的にはどちらも旨かったが、手堅い味なのは胡麻の方(妻はそれを「凡庸」と呼ぶ。確かに。でも「胡麻」の方がするっと食べられるんだよね)。
総じて「浜勝」より佳い肉なのは確か(けど「浜勝」は変わらず好きですが)。
しかも僕らはまだ平牧桃園豚を経験していない。400円の価格差がどれ程のものか試す価値はある。ふふふ。
「だだちゃ豆アイスクリーム」も次回の楽しみに取っておく事にする。
お腹が満たされた処で、2Fのアイウェア「CONSOMME(コンソメ)」にて、妻がサングラス購入。
遠くから見ると、ショウケースがジェラード売り場にしか見えない罠。
「ZOFF(ゾフ)」が30代向けに差別化を図った眼鏡ショップ(アイウェアショップと云われてもピンと来ません)だそうで、フレームは全て「CONSOMME」企画・デザイン・製作のオリジナル。
ゆくゆくはチェーン展開していくのだろうが、1号店という事で今の処、此処が唯一無二の「CONSOMME」である。
しかし「コンソメ」って、あなた(ミニカタログはセンスが合ってかわいいけど)。
B1にある「スープストックトーキョー」と紛らわしい事この上なし。
COREDOは到る処におしゃれなチェアやソファが置いてあって、まるで椅子マニア(椅子を見つけるとすぐ寛いでしまうひと)の息子と僕の為にあるような施設である。その一点だけを取っても非常にポイントが高い。
お茶請けを買いにB1に行くも(「平田牧場」でデザートを「飛ばした」のだ)、ベーカリーカフェ「メゾンカイザー」は殆どすっからかんだったので(というか、COREDOはスウィーツに力を入れていないようだ。さては甘味方面は三越や高島屋におまかせという事か)、泣く泣くフードマーケット「プレッセ」で野菜チップを買うと、もう20時半、慌てて帰途に着く。
21時に帰宅して、食事を済ませて、メールチェックしていたら、突然、妻につむじを曲げられてしまった。
「何か気付きませんか」と指差すかたに、成程、うなじの上にいつもは見慣れぬシニヨンが…。
…えーとですねえ。
髪をショートにしたとか、ウェーヴィーにしたとかならまだしも、いつも髪をまとめているひとの後頭部が密かにシニヨンになっているのを指摘せよとは、それは余りにも難易度が高くはありませんか。せめてティアラをかぶってくれるとか、ポンパドールにしてくれるとか。或いは、武士の情けで、肩が凝ったからちょっと揉めとか、電車ごっこをやりたいんで車掌をやれとか、後頭部に注意を向けさせる方法は色々とあるじゃないか。
ふくれてシニヨンを解いた妻に「髪をおろしたのもなかなか…」などと呟いて、キッと睨まれる。
身の置場が無くなって、息子と風呂に行く。最后に頼りになるのはおまえだけだよ。
話は全然変わるが、何処かに「ポーツマス・シンフォニア」の音源がありませんかね。
想像を絶するという脱力系「ツァラトウストラかく語りき」の世界を僕も体験したいんだけど。
ちなみに下記サイトにアルバム「PORTSMOUTH SINFONIA PLAYS THE POPULAR CLASSICS (1973)」の詳しいデータが載ってます。
http://www.nervenet.info/_bdisc/beepddicog198olkdgtye76543bngdy/HT_FILES/html/31772.htm
朝、新聞の訃報欄に鷺沢萠の写真が載っているのを見てのけぞる。
「死亡時刻は11日未明、心不全のためとみられる」享年35歳。
すぐには事態を把握出来ず「文学界新人賞を最年少受賞」という故人の紹介見出しそのものが記事であるかのような気がして、混乱しまくる。後ろで妻が「どうして!」を連呼するが、「分かるもんか」とつい大声をあげてしまう。
とるものもとりあえず「Office Meimei」に行ってみた。
トップページにはいたってシンプルに(それだけ更新するのが精一杯だったのだ)管理人わたべさんの「一部で報道されている件については、改めてご報告します。それまではどうか静かに見守ってください」とあって、何だか奥歯にもののはさまった云い方だなと思ったのは確かだった(Web日記は9日の夜まで書かれていたが、7日に「ルルをひと瓶あけました」と身体の不調を訴える記述がある以外はきわめて通常モード)。
そして、お昼のニュースで鷺沢さんが首を吊っていた事を知る。
打ちのめされる、とはこの事を云う。脳みそが半分吹っ飛んだ気分だ。
決して読書家とは云えない僕が、新刊を必ず買う数少ない作家のひとりが鷺沢さんだった。
彼女の祖母の母国である韓国への向き合い方が、その「青さ」「傲慢さ」まで含めて大好きだったし、また同世代という事もあって強いシンパシーを抱いていた。いくぶん自堕落で無頼派で、そのくせ照れ屋で真っ直ぐで、つまりはあたたかくて優しい、彼女独特のその「男らしさ」を愛していた。
最新刊の「ウェルカム・ホーム!」(新潮社)が店頭に並んでいるのを見て、そろそろ買わなくちゃいけねえな、と思っていた矢先だった。6月には鷺沢萠プロデュース公演「ウェルカム・ホーム!」の上演も控えている(…脚本は確か未完成の筈だ)。
仕事的にも順風満帆、少なくともWeb日記の記述頻度、内容に関する限り、所謂「死」の予兆なるものはなかったと思う(尤も、あとから或る記述を指して、これがそれだと云うのは容易いことだ)。且つ、彼女がこれまでものしてきた数多ある作品群に──少なくとも僕が記憶する限り──どれひとつとして厭世観というか「死臭」の匂ってくる作品は無かった。常に自分の弱さと向き合い、闘い続ける、不屈の闘志のひとだった。どうにもならない運命というものがある事は認めつつも、決して生きるという事に絶望してはいなかった(ジャンルは異なるが、同じ事は伊丹十三という作家の生み出す作品にも云えたと思っている)。
とどのつまりは、全て鷺沢さんのみぞ知る事だ。
けれど、勝手な感想は重々承知の上で云わえてもらう。
これはきわめて「理不尽な死」だ。憤懣やるかたない「理不尽な死」だ。
たかだか一ファンの感傷に過ぎないが、何だか悔しくて仕方が無い。
愛犬コマは「おかあさん」の最期を見てしまったのだろうか。
見ていないといいなと「おかあさん」に黙祷し乍ら、縋るようにそう思う。
夜、イラクの日本人人質三人解放のニュース。
…そして、巨匠・横山光輝も逝ってしまった。またも巨星、堕つ。
享年69歳。まさか安孫子先生より年下だったとは思わなかった。逆算すると「鉄人28号」連載開始(1956)時には弱冠21歳の若さだった事になる(おそらく手塚先生が亡くなったときに比べてその扱いは天地の差があると思うが、アルチザンとしての横山先生はもっともっと評価されていい)。
昨日、某掲示板でセトロさんとしみじみ横山先生の偉大さを噛みしめた処。
晩年は闘病に明け暮れたようだが、せめて富樫森の映画を観てから逝って欲しかったなー。
尤も、中野裕之の「RED SHADOW 赤影(2001)」はお見せしたくなかったが。
しかし、今年に入ってから届く訃報はいちいちこたえるなー。合掌。
処で、右團治さんが6月に上野広小路亭で「お江戸きらきら隊」という女流の会を開くのだが、その会にはオレ的にはむしろ声優として有名な一龍斎貞友さんも出演される。メールで右團治さんに「貞友さんの高座、聞きたいですねー」と送ったら「貞友さんは地声はしんべエに近く、留守電のメッセージはまる子のお母さんに近いです」と返ってきた。しんべエそっくりってのはつまりマサオくんそっくりって事で、これって、オレ的には凄い殺し文句ー。
これは万障繰り合わせて行くしか。興味のあるひとは「右團治画報」を参照すること。
6月29日(火)18:30開演「お江戸きらきら隊」
夕方は「北九州懇親会」で、「駒形どぜう浅草本店」。
会場:上野広小路亭
出演:桂右團治、翁家喜楽、一龍斎貞友、田辺一邑、神田きらり
料金:2,000円
要はウチの社(部門限定)の北九州出身者が集う呑み会(本日は総勢5名)なのだが、浅草に来るのは半年振りだったり。
都営浅草線から地上に出ると、いきなり「どぜう」の看板が聳えていた。此処は、鳩バスのルートにも組み込まれている浅草観光スポットであり、店構えといい、座敷に敷いてある木板に食器を並べて、あぐらをかいて食べる1階といい、江戸情緒を味わうには持って来いのお店らしい。
幹事のKくん(ややこしいがK部長とは別人)が一度どじょうを食べたいという事でチョイスした。
鮎以外の川魚が苦手な僕なら絶対に選ばない店だけに、会場が他人まかせというのもなかなか悪くない。
事前予約したからか、風情のある1階ではなく、2階の個室(掘り炬燵テーブル)に通される。確かに長時間過ごすにはこちらの方が楽だよ、とK部長。テーブルには既にお通しが2品(鴨肉と揚げ出し豆腐)並んでいる。少し遅れて同期のYくんと、きちんとお話をするのは今夜が初めてのYさんが到着(イニシャルだけだと全く分からないなー)、早速、酒盛りを始める(僕は専ら烏龍茶とサイダーだったが)。
初心者向きに「どぜう定食」(お通し、どぜうなべ、柳川、どぜう汁、お新香、ご飯のコース3,400円)をオーダー。幹事のKくんがサイドメニューに「くじらの刺身、行きましょう」と云うので、事前のネット調査では2,500円そこそこで腹いっぱいになるらしいので、定食を終えてまだ余力があったら注文しようと提案する。で、結果的にそれは大正解であった。
…結論、定食以外に余計なメニューを頼んではいけない。
・どぜうなべ…テーブルに備長炭を仕込んだ七輪が2脚運ばれてくる。14〜5匹の泥鰌を載せた、鉄鍋ギョウザ用くらい薄い、まる鍋が運ばれて七輪にくべられる。泥鰌は生きているうちから酒漬けにされ、下処理を施されて先に甘味噌で煮込んである。たっぷりの葱と(好みに合わせて)山椒をかけて、ぐつぐつと煮立った処に、適宜割り下と葱を追加しつつ、いただく。5人ぶんという事で、まる鍋の泥鰌がさばけると板さんが新しい鍋を持ってきて、次なる泥鰌の一群を追加してってくれる、とこれを5杯。泥鰌1匹は、僕の指第二間接分程の大きさで(僕の手は標準よりはどうも大きいらしい)、骨まで柔らかい上に、泥臭さは微塵も無く、するりといただける。割り下を吸った葱がまた最高で、これだけでも何杯でもごはんがいただける感じ。
・柳川…素焼きの底の浅い器に、背中を割いた泥鰌10数匹とたっぷりのゴボウを卵とじにしたもの。こちらも味付けは濃い目で、ゴボウの触感が舌に心地好いが、とにかく物量が勝っているので、美味い事は美味いがそろそろヘキエキし始める。
・どぜう汁、お新香、ご飯…締めがお食事三点セットだが、柳川はご飯が来るのを待ってから、白いご飯の上にどっさりかけて食べるとたまらない。お新香は古漬け沢庵より、むしろ一夜漬けのキュウリと蕪がさっぱりしていてオススメ。ただ、やはりこちらもしょっぱいので、ごはんががんがん進む(筈だが、胃袋は既に給油限界に達している)。どぜう汁は、ちくまの甘味噌をこれでもかと投入してあり、粕汁でも食べているかのようなどろり濃度。1品1品は美味いのだが、こう濃い目の味が波状攻撃で襲ってくると三十路半ばの胃の腑には納め切れません。ていうか、この濃さに対抗するにはごはんは少なくとも2膳は要るだろ。入らないけど。
ていうか、定食もボリューム的に僕の分を越えてたと云っていい。敗因はご飯党なだけにこの量でこの味付けでは身体がついていかなかった事。ひとえに僕が下戸だったのが、まずいのかもしれない。池波正太郎よろしく、どぜうを突付きつつ、お酒をやるとまた感想は違うのかもしれない。
今晩だけで、都合30匹強はどぜうを食べたのではないか。
K部長によると、この大きさの泥鰌を、白魚よろしく生きたまま丸呑みする「料理」があるらしいが、そんなものをいただいたら一生消えないトラウマが残りそうで、さすがにイヤである。お話の方は差障りのあるのもないのも硬軟取り揃えて、非常に楽しい宴席でした。幹事のKくんの奥さんが同期のAちゃんだった事を知って吃驚したり(おそらく在京メンバーもノーマークだった筈である)。やっぱり東京にいると「北九州」という括りがじわじわと沁みてくる事を改めて思い知った次第。
夜21時を過ぎて、人影の絶えた雷門というのも却って風情があるものだ。
仲見世のシャッターが全て下りた中で、灯りだけがこうこうとついている感じもいい。
「話のタネに皆んなどう?」とK部長のお誘いで、2次会は「神谷バー」という事に。
電気ブランは呑めないものの、実際ひどく後ろ髪を引かれたのだが、昨夜から喉が痛いのが治らず、また多少熱っぽくもあったので(数日前から喉の痛みを訴えていたAさんにうつされたに違いない)、泣く泣く辞去する。身体中に割り下の匂いが沁みついてしまって、早く風呂にも入りたかったし。
昼過ぎに下北沢の駅に着く。夏日と云っていい暑さ。
今日はシネマ下北沢から経営者が変わって心機一転したシネマアートン下北沢へ。
早めに来てチケットを買うと(1500円だが、強制的に劇場パンフレットがついてくる。そんなに余ってしまったのか。シニア料金はパンフなしの1000円)、隣のスズナリではこれから「清水宏のソロ・コメディーライブ」が始まるらしく、入口のタラップ下の丸椅子に腰掛けた石井光三社長が暑さにうだり乍らも、顔見知りの客が来ると「おおっ、来てくれたんか。ありがとう」とよく通る声で挨拶していた。
この映画館には初めて来たが、映画館の内装自体が下北沢の街そのものである。
いつぞやの映画に「ざわざわ下北沢」とはよくぞつけたもので(ロビーのそこかしこにスチールが飾ってあるが)、これほど映画館のロビーに程遠いロビーもないと思う。狭くてごちゃごちゃしたそのさまがあったかい。僕のイメージする「下北沢」が此処に体現されている気がする。休憩用に置かれている椅子や調度類のひとつひとつが古道具屋から調達してきたような一点物で、スタンドバーからトイレまで全てがハンドメイドが活きたデザイン(何たって此処のトイレは入るのが楽しい)。館内も、客席の両サイドの壁にかかった大きなイラストがとてもいい味を出している。敢えて写真に撮って来なかったので、気になるひとは直接行って体験してくるように。
「いつかA列車(トレイン)に乗って TAKE THE "A"TRAIN SOMEDAY (2003・日/荒木とよひさ)」 シネマアートン下北沢
映画館から降りてくると、スズナリの方でもちょうど舞台が終わったばかりの処らしく、タラップを降りて来る若い客のひとりひとりに、石井光三社長が「ありがとうございました」と深々と挨拶をしていた。このひとは自分の事務所のタレントの為なら手売りだってして回る親分である。
暮れに本作が新宿トーアで公開された時は、親父マニア(勿論、役者のことだ)としては行くべしと思いつつ、余り良い評判も聞かなかった事もあって、モチベーションが下がった処で35mmフィルムが全国行脚の旅に出てしまった。で、すっかり忘れかけた3月に、行脚先のAMCなかま16でN嶋さんがこれを観て教えてくれた(1000円上映だったらしい)。
「きょうのできごと」になんとなく似ていましたが、こっちのがオトナって感じです。
「きょうのできごと」に似てると聞いて、モチベーション復活。
人生凝縮されてます。
そして4月、全国行脚を終えて、凱旋上映且つ、シネマアートン下北沢第一弾映画として下北沢で再上映するってんで、「クレしん」や「恋人はスナイパー」の長さんを後回しにして、シネマアートン下北沢を見学がてら津川さんを採った訳です。何しろ公開が次の金曜までだったので。客はやはり3人でした → N嶋さん。
何故に本作が、内田吐夢「たそがれ酒場(1955)」のリメイクかと云えば、脚本を書いた灘千造に製作の鍋島壽夫が大変お世話になった事と、物語に寄り添うに音楽がある構造が気に入ったんじゃないかな(荒木とよひさ監督の本業は作詞家である)。あ、後者は推測ね。尤も、オリジナルはジャズではなくオペレッタだったらしい(故・田谷力三が高らかに歌い上げるような庶民的音楽劇だと思えばいい)。
結論から云うと、「A列車」は「きょうのできごと」にさほど似てはいなかった。
群像劇だけれど、「きょうのできごと」に比べて「A列車」はウェルメイド。
むしろ舞台を固定するという手法的には「ビリー・ザ・キッドの新しい夜明け」や「ラヂオの時間」に近い。
それでも、N嶋さんの受けた印象は何となく分かる。
たとえば梅田画伯(津川雅彦)の、悲しみを湛えつつも周囲を包み込むやさしさは「きょうのできごと」の正道(柏原収史)のそれに近く。ゴーゴー夕張、もといユキ(栗山千明)の、若さゆえに老人に見せる天真爛漫は、真紀(田中麗奈)やけいと(伊藤歩)に重なって見えなくもない。いずれも性善説に立った人生肯定の映画だったしね(経営のためにカラオケセットを導入してしまう支配人(中村育二)が本当は誰よりも店とジャズを愛しているとか)。
けれど状況説明台詞がいささか鬱陶しかったり、いかにもおじさんのバイアスを通した若者像だったり、処々に紛れている演技のシロート(加藤剛Jr.とか荒木とよひさ夫人とか、元支店長とか。尤も、Jr.は本職のサックス吹きなので、この映画の演奏シーンは見応えがあります)が旨く機能していなかったり、観ている側がリズムを乱されて躓くシーンがこの作品には売る程あります。
それでも、この映画はおじさんを描く事に命懸けてます。
ダレダレな脚本も津川さんパートになると俄然書き込みがこなれてきて、やはり得意分野は違うなと思わせるもの。
役者もこの映画は徹底的におじさんがいい。今が「旬」のおじさんたち。
津川さんを輝かせる石田太郎の受けの芝居はどうだ。ワンポイント乍ら、今ひとつ地に足のついていない神野美伽を補って余りある「おじさん」フェロモンを振り撒いて退場したキンキン、相変わらず背筋をぴんと伸ばした小林桂樹、作り手の思い入れめでたき小倉一郎のさえないサラリーマン、オカマになってもかつての上司を慕う春田純一に、とても還暦には見えない峰岸徹。すっかりおじさんの仲間入りをした穂積ペペの若旦那も捨て難い。何より、ジャズメンのおじさんたち(渡辺匡、佐々木エヘラ俊一、松林末太郎)の格好良さ。渡辺匡(三木たかし)は演技のシロートの中で、唯一その朴訥さを武器に輝いていたと思う。
おじさん映画故に、梅田画伯とユキの「ユキちゃん、実は○○だったんだ」「ウソつき!」「ばれたか」の画伯の正体問答など現実世界でやったら娘たちから総スカンを食らいそうだが、これを繰り返し多用する事で、最后の最后に「ウソつき!」「ばれたか」の寸分変わらぬお約束事が、瞬間、小粋な応酬に変わる。此処は手放しで誉めておきたい。
おじさんギャグでもまずは堪えて噛みしめろ。
──と、そんな事さえ、教えられた気がする(これこれ)。
清水宏はつくづくしあわせなタレントだと思う。
前回、白玉あんぱんを買わずに帰って怒られた「アンゼリカ」へ雪辱戦。
店内が狭いから(此処は売り場よりもむしろ厨房の方がうんと広いと思う)というのもあるが、行列が出来るパン屋ってのも凄いと思う。
白玉あんぱんを2つ(妻が買っていた10年前とはパンのデザインも変わったそうだ。光陰矢の如し)とネギロール1つを買って、水森亜土の描いたイラストと同んなじ顔をしたオーナーにレジを叩いてもらう。
下北沢の駅から自宅の妻に電話して今夜の夕食の相談。
あーだこーだ揉めた挙句、麻布台「ミンスクの台所」に決定。
現地集合する事にして、まずはいそいそと井の頭線に乗る。
麻布台「ミンスクの台所」は日本で唯一無二のベラルーシ料理店。
東京美食マガジン編集部「東京の外国人料理人レストランガイド」(文庫)でその名前を見かけて以来、ずっと行きたくてたまらないお店のひとつであった。今関あきよし監督が事件を起こして「少女カリーナに捧ぐ」のお蔵入りが決定的になった事もあり(くだんの映画は今月末にベラルーシで上映する予定だった)、個人的にオレ残念会も兼ねて旨いもんでも食うことにする。
この項、続く。
ベラルーシの家庭料理「ミンスクの台所」の晩餐レポートを近々書く予定。
実は、先週の木曜からずっと体調がすぐれない。
初めての東京の冬を寝込まずに済ませたのに、今ごろ風邪を引いたらしい。
特に昨日の朝起きた時には起き抜けにひどい頭痛で、会社に向かう道すがら「やっぱり今日は帰ろう」と何度か思った(抜けられない打合せがあるので出社したんだけど)。それでも一旦仕事モードに入ってしまうと、どうにか一日をやり過ごせてしまうから不思議だ(単に頭痛薬が効いただけかもしれない)。昨夜は福岡から妻子が帰ってきたので、博多土産の「ふきや」のお好み焼き(ミックスなんて初めて食べました)で元気をつけたつもりだったが、今朝になっても咳と洟がとまらない。咳をすると喉がえぐられるように痛くて、頭も何となくぼーっとしている(ま、これはいつもの事だが)。けれど昨日よりはましだったので低空飛行のまま、出社。本日中にどうしてもやらねばならない某ミッションのトリガーだけ引いて(これの為だけに出社したと云っても過言ではない)定時退社。
そのくせ真っ直ぐ帰らずに、お江戸日本橋亭へやっさんの落語を聴きに行く。
会社から徒歩10分足らずで辿り着けてしまう罠。うん、これは罠だと思う。
入口で妻がこさえた桂平治独演会のチラシを貰う。ああ、世界はこんなにも広くて狭い。
具合悪いくせに、ついついいつものくせでかぶりつきの座卓で聴いてるし。
ああいう場所は人一倍笑えるコンディションのひとが行くべきだと痛感しますた。
文化庁芸術団体人材育成支援事業「芸協若手特選会」
桂平治の会(番外編) だから落語はやめられない
日記を書いている今もまだ本調子とは呼べないんで感想は大幅省略モードでよろしく。
笑福亭和光「犬の目」
桂前助「あわてもの」
桂快治「つぼ算」
春風亭柳好「看板のピン」
昔昔亭桃太郎「漫談」
─仲入り─
桂平治「浮世床」
ボンボンブラザーズ「曲芸」
桂平治「源平盛衰記」
「つぼ算」はこれまで聞いた快治さんの高座の中では最高に面白かった一席(云う程数はこなしてないんだけどさ)。自動販売機のおつり取り忘れとコンビニのレジ入金忘れの、このひと独特のじわりと可笑しいマクラから、ネタに入ってからの「つぼ算(今だと「ジャイアンの算数」とも云う)」に翻弄されるお店の人の懊悩振りに、桂快治にしか出せないフラの萌芽がいい方向へ突出していて素直に笑えた。実はこのひとは立川流の方が水が合っていたのではないかと、悪い意味でなくこの頃の高座を聴いて思ったりしている。
永谷商事系の会場って(上野広小路もそう)結構こじんまりしているんだけど(しかも客席前方は畳席だから、舞台と客席は階段一段ぶんしか離れていない)、このキャパでかぶりつきで、ボンボンブラサーズの至芸を見られるってのは、ある意味秋篠宮夫妻がふたりきりで柳昇師匠の高座を聴くのに匹敵する(柳好さんのマクラで出てきた)贅沢だと思う。何しろおふたりの整髪料の匂いまで感知できる近さだと思えばいい。
かぶりつきの上にしんどいんで、座卓に寄りかかって身体を20度程傾けて観てたら、(鏡味)繁二郎さんに同じポーズをされて突っ込まれてしまうし(慌てて姿勢を正したら、手を合わせて謝られてしまった)。今日は繁二郎さん悪ノリの巻で、細長い紙を鼻に乗せるというネタで、紙に連れて行かれるようにして舞台を右往左往、挙句は畳席に降りてきてそのまま体操座りしたり。ボンボンさんの面白さはMCを一切廃した、バスター・キートンの無声映画の如き、高度な曲芸(今の言葉で云うとジャグリングである)をスラップスティックとして客に見せる処にある。太神楽曲芸と軽演劇の幸福な出会いがおふたりのスタイルをつくったという事か。ボケ役の繁二郎さんは時折喋ったりもする(マイクがないので小さな声である)が、勇二郎さんの方はぶっきらぼうな表情とマイムのスタイルがまたダンディだし、翻ってバスター・キートン的とも云える。繁二郎さんが頭で受け損なった帽子を拾ってお辞儀されたり(お客などという生き物は芸人の失敗を「芸のひとつとして」ことのほか喜ぶ)、何だかボンボンさんをひとりじめしている錯覚に陥る。
今夜のやっさんは文治師匠から教わった二席。
昨日散髪に行ってきたそうで(そう云や、平治メモにも書いてあった)さっぱりした噺家カット。
どちらも高座で聞いた噺だが、とりわけ「源平盛衰記」は聴くたびにくすぐりや小ネタの加減乗除が愉しくて、やっさんと地噺の相性がいい事を改めて得心する。時事ネタはともかく、演っていく中でとりわけウケたネタだけが生き残って、桂平治版「源平盛衰記」として成長していくのだろう。文治師匠にネタ卸しをしてもらった後(僕は「文治の会」で一度だけかろうじて文治版「源平盛衰記」を聴いている。あの時はあれ一席で時間が大幅に押して、二席目の「あわてもの」が本当に「あわてて」超特急モードだったのも今は懐かしい思い出である)、寄席でも刻んで「源平」を演っている事が多いし、近い将来「『源平盛衰記』の桂平治」と呼ばれるようになるんじゃないか。
やっさんは古典一筋しか出来ないと云うけれど、現代の笑いを随所に取り込んだ地噺を心底愉しげに演る桂平治を見る時、このひとと新作落語(或いは新解釈の古典)との距離は決して遠いものではないと思っている。尤も、ネタ選びというのはある(とりあえず「結婚式風景」「カラオケ病院」を演ったら絶対ウケると思う)。
具合が悪いままだったので、幕が閉じると共に辞去。
うっかりしてやっさんに挨拶していくのを忘れる。
そのうち旨いもんでも食べに行きたいんだけどどう? → やっさん。
帰宅すると妻も頭の中で銅鑼が鳴っているらしかった。元気なのは悠都ばかりなり。
Amazonから待望の「古畑任三郎 2nd season」が届いていたが、夜更かしする元気もなく、子供を風呂に入れて、そのまま一緒に寝てしまう。
今日も今日とて微妙に熱っぽかったり。とにかく咳き込むのだけでもどうにかならないものか。
「微妙」という処が曲者で、動けない程キツい訳では決してない処が何とも。
先週の金曜に引き続き、今夜も呑み会。仕事モードが非常に強めだったので、今回は写真なし。
お店は、中国大陸料理「過門香」丸の内店。
職場とは本気で目と鼻の先と云っていい近さだが、丸の内トラストタワーに入るのは実は今夜が初めてであった。非常に小洒落た感じの、我が家の外食リストからは真っ先に抹消されるような(笑)プチブル感漂うお店。尤も、客層は恐るるに足りないものだったし、この内容であの価格であれば、いつかランチにも行ってみたい。
本日はいちばんリーズナブルな4000円の「商」コース(コース名は全てかつての中国の国名である)、2000円のフリードリンクプラン(いずれも税・サ込み)。メニューやサービスにいちいちワンアイデアを加えてあるのが愉しい。器ひとつ取ってもビールが注がれてくるのがちょっと息を呑むくらいのトールサイズだったり、烏龍茶も無粋な缶が直接出てきたり、グラスに注がれて持ってくるのではなく、専用の茶器(そう云えば、カメ出し紹興酒も同じものを使っていた)で運ばれ、最初はスタッフが直についでいってくれるといった具合。ソフトドリンクはココマンゴージュース(ココナッツジュースとマンゴージュースのミックス)とジャスミン・ミルクティーを頼んだが、こういうメニューのチョイスも奇をてらい過ぎず、適度なサプライズを折りこんであって、なかなか感心(特にジャスミン・ミルクティーは甘めだけど好きな味)。
ビール党のAさんは青島ビール・プレミアムを頼んでいて、小瓶はラベル含めていい味を出していたが、いかんせんキレがなかったらしく評判は下々。生ビールは「白富士」「赤富士」の2種。見た処「白」は普通のビールだったが、「赤富士」は赤ビールで味は果実酒に近い感じだったらしい。ちなみに「黒富士」はなかった。
コースメニューは以下の通り。
■ 季節の冷菜四種盛り合わせ
2次会はビッグエコーで1時過ぎまで。いつもは早く帰るひとも今夜は頑張って残っているなぁと思ったら、酔って冷静な判断力を失っていただけだった。それにしても、呑み会で午前様になったのは何年ぶりだろうか。ウチのマンションが深夜1時から4時まで玄関の自動ドアを機動停止するのを、今夜初めて肌で実感する(ていうか、妻に電話で指摘されるまで覚えてすらいなかった)。妻子が留守にしてなくて本当に良かったよ。
中でも炙ったカツオが美味しかったかな。
■ キヌガサダケ・干し貝柱・細切り野菜のフカヒレスープ
キヌガサダケは生まれて初めて食べたけど、なるほどこれはざくざくした食感を愉しむべきもの。
Mさんが「処で、このアブラゲみたいなのは何ですか」と身も蓋もなく一刀両断して、思わず噴き出す。
■ 本日の蒸し点心三種
ミニ蒸籠に魚介系の三色シュウマイを黒酢でいただく。勿論、何もつけなくとも充分美味しい。
■ 大山地鶏と彩り野菜の黒胡椒炒め
地鶏がやわらかくて「んまいっ」、筍その他の春野菜がさくさく「んまいっ」の一品。
■ 田舎風蒸しパン
蒸しパンの生地にまぜてある中華ハムがアクセントになっている(見映えもいい)。
■ 白身魚の重慶チリ チャイニーズヌードル添え
透明なヌードルを敷き詰めた上に魚のチリソースが載っていて、魚をほぐしてソースにして食べよ、というもの。
トゥーラン・ドット的というか、きわめてヌーベル・シノワな感じですね。
■ 杞子の実入りヘルシー中国粥
トッピング具材が小皿に入って5、6種供されるのだが、中に何故か沖縄の珍味「とうふよう」がまぎれていた。
「とうふよう」は初体験だったが、「酢豆腐」「ちりとてちん」のモデルではないかと思わせる強烈な味(痛覚、伴ってる?)。
…確かにいい経験をさせてもらったが、「『とうふよう』は一口に限る」。
■ 豆腐花(トウファ)と中国茶
トウファも初体験だが、以前インド料理で食べたキール(ライスプディング)のベースがご飯から豆腐に移った感じ。
拒絶反応を示す人とおかわりする人と思い切り評価が別れる。僕は「一杯だけ食べて打ち止めにするがベスト」派だな。
お昼前に家を出て、有楽町方面で映画三昧。
本日ハシゴ予定の前売券3枚を押さえた後、有楽町で必ず立ち寄る三省堂へ向かい、トニーたけざき「トニーたけざきのガンダム漫画」(角川書店)、とよ田みのる「ラブロマ(2)」(講談社)を購入。僕はトニーたけざきを「岸和田博士の科学的愛情」でしか知らなかったのだが、膝頭が震える程に安彦ライクな絵である。もはや唐沢なをきと並ぶパスティーシュ漫画の旗手と称えるべきだ。
「キル・ビル Vol.2 Kill Bill : Volume 2 (2004・米/クエンティン・タランティーノ)」 丸の内ピカデリー1
昨日は帰宅が午前様だったせいで、初回には間に合わず2回目だったのだが、客の入りは8割弱といった処。客を選ぶ映画にしては驚異的な数字と云っていいのではないか。云ってみれば、マカロニウエスタンと香港カンフーのごった煮映画に、Vol.1の青葉亭のような「日本」祭りがあるじゃなし(エンドロールは引続き「恨み節」ですが)、若い人に取ってみれば、ユマ・サーマン以外誰それ?なキャスティング(サミュエル・L・ジャクソンなんて画面の奥でくだまいてるオルガン奏者という超隠し玉出演で、分かるひとにしか見つけられもしない。ダリル・ハンナの認知度は譬えるならマーク・ハミルのそれだし、ましてやデビッド・キャラダインと聞いて膝を打つひとがどれだけいるのか)なのだから、この程度の盛況振りでマターリ進行するのが、この映画には相応しい(それにしてもダリル・ハンナが復活するVol.3製作はあるのか)。
この項、続く。
しかし、パイ・メイ(ゴードン・リュー。やたら髭をいじる所作にニヤリ)の派手な劇伴付でぐいっと寄せるアップとか、カット割まで含めて往年の香港映画そのまんまの絵づくりである。本シリーズのパッチワーク振りやマニアックなキャスティングを指摘するのは他所にまかせる。Vol.1と本作のいちばん大きな差異は格段に台詞量が増えたことか。とりわけバド(マイケル・マドセン)とビル(デビッド・キャラダイン)はタランティーノ節が全開で、中でもVol.1で謎のベールに満ちていたビルが此処までべらべらオレ語りをするキャラとは思いも寄らなかった。「スーパーマン」を例にヒーロー論を展開するあたりに同好の士、M・ナイト・シャマラン映画が一瞬頭をよぎったが、そのいずれにも深く拘っているサミュエル・L・ジャクソンのキャリアって。
物語に関しては特に「町山智浩アメリカ日記」の3月21日、3月23日に目を通しておくといい。
町山さんは「キル・ビル」が「柳生一族の陰謀」「子連れ狼」の翻案である事を喝破した上で、柳生十兵衛&柳生但馬守もしくは拝一刀&柳生烈堂の関係性へとかく男女の恋愛映画としての「ラブ・ストーリー」を持ち込む事に不快感を表明しているが、僕は(仮に営業戦略であっても)この映画がラブ・ストーリーを名乗るのは全然構わない派である。
男女の恋愛が、師弟や父娘的な関係性を孕んでいてもいっかな不思議はない。
ビルとザ・ブライド(キドー)が教会で交わす長いシークエンスは恋愛映画のそれだと思うし、今回の(ビルにとってはある意味「無駄と思える程」)長き復讐劇すら最后に自分に刃を向けさせるためのビルのたくらみだったとして、それは捩れてはいても確かに愛のひとつの行為ではないのか。ザ・ブライド(キドー)に打たれるも良し(それが五点掌爆心拳だったというのは想定外だったようだが)、返り討ちに合わすもよし、父親として愛娘を育て乍ら、母親にして昔の恋人が寝首を掻きに来るのを待つというのは、「柳生一族の陰謀」「子連れ狼」という因果応報譚をタランティーノがラブストーリーに料理した結果生まれた究極のシチュエーションだと思うのだけど(そもそも復讐劇の発端からして色恋の刃傷沙汰である)。そう、これはビルがある意味(極めてタランティーノ的に)お釈迦様の如き境地に立って、自分の掌の上を疾走する(花嫁姿の)キドーをじっと見守る物語。其処にはキドーの師として、また保護者として、そして愛するひとりの男としてもう一度(全ての面において自分の屍を乗り越えていく)彼女と再会を果たそうとしているビルがいる。
故に(Vol.2が、と云うより)「キル・ビル」そのものがやはりラブ・ストーリーなのだ。
何故ならビルを執拗に追い廻すのはキドーだが、キドーを動かすのはビルの執拗な愛そのものだからだ。
U&Qの血まみれの花嫁という初期設定は伊達じゃあ、ない。
「恋人はスナイパー[劇場版](2004・日/六車俊治)」 丸の内東映
長さんの(映画出演としての)遺作なので観ない訳には行かない一本。
この項、続く。
(森ビルの回転ドアの「遺作」でもあるかもしれない)
脚本、君塚さんだし。でもTVシリーズを歯牙にもかけていなかったのは事実。
けれど本作が遺作と云うのも、最晩年の長さんの(期待されていた)ポジションを非常に象徴している気がする。
病み上がりで出演を快諾したと云うが、これがまた出番が多い。
脚本家、演出家共に長さんへリスペクトする余り、登場シーンが増えてしまうらしい。
順撮りではなかったのだと思うが、冒頭の家族でヒルズに食事に来たシーンで「ビール、ビール♪」と陽気な節回しをつけて歌う長さんの声がひどく聞き取りにくく、広沢虎蔵が搾り出すような喉に泣きそうになる(そのあとのシーンの方が比較的気にならなかった)。どんな姿になっても顔を見たいと思う反面、いや、やっぱり元気な姿のまま記憶に留めるべきなのだという気持ちが瞬時に脳裏で葛藤する。長さんの場合、喉だけで見た目はとりあえず普通なんだけれど、喉だけでもやはりつらいものですね。残念だけれど「大爆笑」で声が聞けなかったのは正解だったと思う。
製作側の長さんに対する愛がとても強いから、喉を除けば長さんの出演シーンは全て佳かった。
(これは決して観る側の贔屓だけによるものではない)
これで「踊る」の和久さんだけではなく「恋人は」の円道寺雁太郎としても、役者・いかりや長介は生き続ける。それがことの他うれしかったりする。奥さん役の赤座美代子がいっそ羨ましかったくらいだ。
映画の出来自体は、あー、こんなものかと云った処(以下、ネタばれ含む)。
まずのっけからきなこ(水野美紀)の独断専行振りが気になるが、あれはラストへの布石という事で我慢せねばならないのだろう。この映画は組織から離れなければ成立出来ない構造を持つ。故に最初から彼女が刑事としてどうよという行動が頻出してしまう訳だ。それがひとつめの罠。
ふたつめの罠は、肝腎のラストがリュック・ベッソン的ラブストーリー(特に「レオン」「キス・オブ・ザ・ドラゴン」の双児的2作)になっていて、観客としてはそんなお約束なんか観たくなかった事。何処かで観た話や場面を継いだり繋いだりするのも処理が旨ければ許せるのだけど(昔「キル・ビル」でさんざん語った気がする)、あ、「レオン」方面に行くぞ、と分かった途端、少なくとも「レオン」より低い感動しかこの映画からはもらえない訳です。あそこまで王(内村光良)ときなこ(水野美紀)を追い詰めたら他に方法がなかったのかもしれないし、シリーズを完結させるからと云うのもあったのかもしれない(竹中直人の「『1212』でまた逢おう」という台詞を犬死にさせなくてもいいじゃないか)。でも、最后の最后に「レオン」をやられると、以降「レオン」のばったもん映画としてしか印象に残らない。あと、オレが個人的に主人公を殺す作劇を安易だと思っているのは大きい。そりゃ、リュック・ベッソンだって「グラン・ブルー」「レオン」「ジャンヌ・ダルク」と主人公を殺しまくっているが、あれは作家性の強いひとが余技でやっていないから許される作法。
という訳でひどく釈然としないままにエンドロールを迎える。
尤も、長さんの冥福を祈るクレジットは100点満点。思わず目頭が熱くなる。
さて、軽〜く役者陣にも触れておく。
中村獅童のガムくちゃくちゃがむちゃくちゃ勘にさわる。演出意図は解るが、迷惑である。
同じエキセントリックでも黒幕の阿部寛は、こういう戯画的誇張がよく似合う。絵になる悪役。
個人的には印刷工場のオヤジさん役で牟田悌三翁の元気なお顔が見れた事でよしとする。
書けば長くなるので仕事は割愛するけど、他にも良かった役者さんの名前を挙げるに留める。
秋野太作、大沢樹生、古田新太、升毅、村杉蝉之介、小林すすむ、須永慶、そして忘れちゃいけない田口トモロヲさま。
軍事評論家の青木兼知氏とこんな処でお会い出来るとは思わなかった。
出来れば手許にカノッサ金貨の山を置いて欲しかったけれど、あれはフジでしたね。
ついでに大林映画の期待の星だった朱門みず穂ともアナウンサー役で地味に再会。皆さん頑張っていますか。
「アップルシード APPLESEED (2004・日/荒牧伸志)」
有楽町スバル座
今流行りのフルCGアニメなんだけど、ジャパニメーションが世界を席巻する理由(武器)のひとつが「キャラ萌え」にある事をよく理解した上で、3Dキャラにセル画タッチで2Dの質感を与えた(トゥーンシェーダー)、世界戦略的に(たぶん国内戦略としても)かしこい一作。「ピンポン」の曽利文彦がプロデューサーである事を前面に出しているのは一般ファン取込みを狙っての事だろうが、どうしてどうして客席は意外とタクっぽくない老若男女が相当数を占めていた。
すっかり暗くなった丸の内ビジネス街を通り抜けた後、ふと思い立って丸ビル地階の「C3(シーキューブ)」へ立ち寄って、ドルチェ・プリマベーラを買ってから帰宅。残念乍ら、ラメット・ベリーノは季節モノという事で寒くなるまでお預けらしい。
僕は「イノセンス(2004)」同様、士郎正宗の原作を未読なので、セトロさんに「原作も大枠はああいうお話だと理解していいか」訊ねた処、「まぁ、お話はそれなりに原作準拠ですね」と返ってきたので、一応「ああいう」話だという事にしておく。キャラデザインの方はブリアレオスを別にするとかなり違うのだが(キャラデザインは山田正樹。原作の絵は一見した処、大友克洋っぽい)、先に書いた「キャラ萌え」戦略の一環と理解した(原作ファンが映画マンセーになるかどうかは果てしなく謎)。
何故、原作の大枠を確認したかと云うと、物語(及び世界の構造)がひどく古典的なものに思われたから。そりゃ、ディストピアものだから、源泉がオルダス・ハックスレイ「すばらしき新世界」あたりに辿り着くのは当然として、加えて80年代後半に全盛を極めた第一次オタクムーヴメント(もはやそれは「古典」と呼んでいいと思う)の頃の、時代の空気を強く感じたもので(たとえば露骨なエロがない。バイオロイドの「ヒトミ」の無自覚なエロが奇妙に「懐かしかった」)。原作は士郎正宗の処女作にあたり、まさにその頃構想されたものだから、そういう意味では原作の骨格は壊れていないのかな、と。
尤も、密度の高い原作を103分に押し込める為には(且つ世界公開を視野に入れていたのなら尚更)「世界」の謎解きやアクションに特化する等、思い切った換骨奪胎が必要だった筈で、それを「薄っぺらく」感じたひとも多いと思う。けれど、故に多脚砲台の胸躍るシーンが生まれたのかも知れず、公開前に続編製作が決定したのも戦果のひとつだろう。噺家ではないが、映画界の現状だって「裏を返して」何ぼの世界である。ともあれ、原作未読だったのはこの映画を観るにあたってはさいわいだったかもしれない。ていうか娯楽SF大作として、ちょっと古臭くないかいと思いつつも、充分血沸き肉踊ったのも事実。
モーションキャプチャーを介して「デュナン」を創出するのに、声優(小林愛:顔の動きも担当)に加えてモーションアクター(三輪明日美:日常所作担当、秋本つばさ:アクション担当)と3人の女優が投入されるあたりが21世紀的などと云ったらもはやオヤジ扱いですか。
これまた「目の味覚芽に訴えかける」洗練されたデザインと愛らしさとに根性入れたお菓子で(此処は箱のデザインがいい上に「ウチで食べますから」と答えても、紙袋にラッピング用の素材を添えて、見た目オシャレにしてくれる処なんか誠に心憎い演出だと思う)、ものはダッグワース生地にブルーベリーペーストとクランベリーペーストの二口サイズのサンドイッチである。限りなく紅茶と相性のいいお菓子。悠都が寝ていたのをさいわいに夫婦で結託して全部食べてしまう。世の中には子供が知らない方がいいスウィーツというのもある。
午後から悠都と隅田川くだりでもしようかと浅草へ足を伸ばす。
(家を出る直前に妻と子供が喧嘩をした為、妻は自転車で買い物へ行ってしまった…やれやれ)
日本橋から銀座線に乗り換えた際、先頭車両に乗ると、向かいのシートに快楽亭ブラック師匠親子がいるのに気付いてどきどきする。
ブラック師匠はスポーツ新聞を読み耽っており、小学生低学年くらいのお子さんは絵に描いた紅顔の美少年であった。
直接噺を聴いた事こそないものの、近い将来、独演会へ行こうと決意している「気になる」噺家さんと裏モノ日記の登場人物でもある快楽亭Jr.を目の前にするというのも個人的にはなかなか稀有な経験である。
鉄道マニアの素質充分な息子は、先頭車両に乗ると運転席が覗ける窓辺を陣取って、電車を降りるまでずっと生「電車でGO!」パノラマを堪能するという趣味があり、鉄っちゃんでも何でもない父親には苦痛以外の何者でもない。彼は今日も、先に窓を覗いていたおにいちゃんをおじいちゃんごと遠慮させ、他人の顔を決め込むつもりだった父親を大声で招き寄せ、後ろに従え、悠々と運転席エリアを占有したのだった。
あまりにも愉しそうな悠都に快楽亭Jr.が動いた。
そりゃ、Jr.だってせいぜい6、7歳の男の子なのだから、生「電車でGO!」がキライな筈がない。「おにいちゃんにも代わってあげなさい」と注意しても窓にへばりついたままの悠都の背中越しに、やさしげなJr.はきわめて控えめに運転席を覗き込んでいたが、其処は子供同士、会話の仔細はよく聞こえなかったが、おしまいの方は悠都がJr.に「田原町」の駅名を教わったりして、それなりにコミュニケーションが取れていたようだ。
子供ってのは垣根が低くっていいやねえ、と改めて思った次第。
水上バス乗り場に向かうべく吾妻橋を見やると、アサヒスーパードライホールの「『燃え盛る火の玉』にはどう贔屓目にも見えない」あのオブジェの上に清掃員が数名、命綱でつかまって一斉清掃していた。初めてくだんのオブジェを見た悠都は案の定、誰に教わる事無くあれを「大きなウンチ」と呼んだが、「あのひとたち、臭くないの?」「ウンチを磨いたらなくなっちゃわないの?」といちいちもっともな疑問を口にするのが可笑しい。
息子に水上バスに乗ろうと誘ったら「シューって大きな音がするからまた今度」とよく分からないいらえ。
「じゃ、いつ乗るんだよ」と訊いたら「大人になったらひとりで乗るから」だって。
ヤツが怖がりなのは重々承知しているつもりだったが(年明けに「ディスニ−ランド」へ行った時は、乗れるものがなくて往生したので「花やしき」ははなから諦めていた)まさかこれ程とは。ま、たかだか掃除機ひとつ取っても「大きな音を立てる」という理由で、妻が掃除している間、泣いて逃げ回っている訳だが。
雷門を見上げた後、仲見世の混雑を避けて裏路地中心に散策する。
絵本で見たのと同じちんどん屋さんを見送った後、浅草演芸ホールと木馬亭の出演者を確認して(あまり意味のない行為である事は認める)「花やしき」のフリーフォールで悠都を怯えさせてから、浅草寺で手を合わせて、「大宮」(残念乍ら終わっていた)に続く仲見世の裏手の細道のだんご屋さんでみたらしを買って、悠都と半分こにする(あげまんじゅうはまた今度)。本当は遅昼を食べたかったのだが、悠都がどうしてもアイスが食べたいと駄々をこねるので(何故かソフトクリームでは駄目らしい)伊太利亜じぇらーどやの軒先で苺ミルクのカップを買い与えていたら時期を逸した。
ジェラードを食べたら悠都も気が済んだらしいので、今日はこのへんで帰る事にする。
夜、やっさんから電話があって、観劇のおさそい。
やっさんは「劇団黒テント」の音楽監督の荻野さんという方と知りあいだそうで、そのツテで21日から池上本門寺グランド特設テントで上演している「黒テント第51回公演 三文オペラ 新装黒テント版」に招待されたとの事。ひとりで行くのもアレなので、芝居好きらしい(という程観ちゃいないが)僕に白羽の矢を立ててもらえたらしい。休日且つ公演最終日である29日で調整してもらう事に。棚からぼた餅で急遽とは云え、まさか生「斎藤晴彦」を体験出来るとは。
実は斎藤さんは悠都的にもETV「ゆうがたクインテット」のスコアさん(チェロ奏者)の声としてヒーローである。
(妻によると、どうも彼がかつて一世を風靡した「音楽の冗談」を再びやっているらしい)
テントのお芝居も初めてなら、やっさんと行くのも初めてだ。色々と楽しみな事である。
みどりの日。人によっては大型連休初日だが、自分は明日出勤なので飛び石連休。
おめざに一昨日大丸デパ地下で買ってきた銀のぶどう 4月限定ロールケーキ「想い出のレモングラス」(714円)をコーヒーといただく。
レモングラスを含んだスポンジ生地に、賽の目に切ったレモンジュレを散りばめたはちみつレモンを練り込んだチーズクリーム(はちみつレモンクリームのくだりは店のおねえさんに聞いたんだから間違いない)。レモンジュレの酸味がちと強くて悠都は閉口していたようだが、オトナ的にはチーズクリームがレアチーズのようで面白い味。たしかに此処のロールケーキにしてはアクがつよい部類かも。
お昼前に家を出て、来月の7日に閉館してしまう中野武蔵野ホールへ健さん映画の2本立て。
正直に云うと、石井輝男監督「ならず者(1964)」に食指が動いたもので。
中野駅の北口から外に出るのは初めてである。
休みだからかいつもなのか、やたら混み合っているサンモール商店街を抜けて(途中で中野サンプラザの雄姿も拝んでおく)、中野ブロードウェーをほんの少し冷やかす(此処へはまたゆっくり来よう)。上映まで30分程あったので、すぐに食べられるお店を物色する。それにしてもさすがは中野、聞きしに勝るグルメ・メッカである。しかも眺めた処、アーケード脇に幾つも延びる路地に並ぶ中華料理の、何と壮観なこと。
映画館のある武蔵野ホテルから割合近くて、写真で見るランチメニューのボリュームに比して価格が一律680円だった台湾料理「味王」に入る。あと、「回鍋肉」定食の写真に惹かれたというのはある。
若い奥さんに「急いでいるんですけど、10分くらいで出来ますかね?」と訊ねたら、「10分?大丈夫ですよ」とカタコトだが美しい日本語で頼もしく答えてくれたので、迷うのも惜しんで丸テーブルにつく。
それでも念の為更に早く出来そうな「炒麺」定食を頼むとものの5分でトレイが運ばれてきた。息を呑むほど山盛りの炒麺の皿を取り囲むように、炒飯の茶碗、サラダ、杏仁豆腐、中華スープがトレイからはみ出さんばかりに並んでいる。こ、これで680円なのか。炒麺は量だけじゃなく、味も水準以上の美味しさで(炒麺に入った小指の腹大の干し海老のアクセントが効いていた)、あヽこれなら次回は絶対「回鍋肉を!」って、この次のメニューを選んでしまいそうな、そんなお店。これはのっけからいい店と巡りあえた。
さて、中野武蔵野ホール。
もうすぐ潰れるというので、どけだけ閑古鳥が鳴いているかと思えば、満遍なく6割以上の入り。
休日だからか、閉館が迫っているからか。いずれにしても客層は50以上のおじさんが多いが、それでもちらほらと僕と同世代かやや若い世代の女性もいることはいる。館内は銀幕ロックのヘビィ・ローテーション。スクリーンの下には黒いスピーカーの3連星が並んでこちらを威圧している。ロビーがない代わりに客席の両サイドにびっしりと映画関係のチラシが並べられている。正直「濃い」空間である。なーに、負けるもんか。
「三代目襲名 (1974・日/小沢茂弘)」 中野武蔵野ホール
本作は「山口組三代目(1973/山下耕作)」の続編で、本作もまた更なる続編製作を意識したつくりになっている(けど、どうやら続編は作られなかったらしい。尤も「仁義なき」だって完結篇とは名ばかりでいつものように終わっていたもんな)。下関荒政組(組長は天津敏!)との抗争は何処へ行っちゃったんだろう。所謂、実録シリーズ(任侠グラフィティ路線とも云う。沢山の役者さんが出て来るのでヤクザ映画はキライじゃない)の一本なのだが、何処までが原作に忠実かさっぱり分からないので、以下はあくまで映画で起きた出来事を正として書く。
この項、続く。
戦中戦後の混乱期の中、男・高倉健が侠客としての心意気を見せる映画。
なのだが、今観ると仁義って何よー、男気って何よーとツッコミ処が満載なのを見るとこれもまた「時代」の映画であるという事か。たとえば公民権を持たぬ為、出征出来ない健さんはそれ故に山口組の三代目に相応しいとも云えるのだが、彼はそれが屈託となり、お国のために力を奮えぬ自分をコンプレックスに感じていた。其処までは分かるのだが、それでこのひとが戦時中に何をやっていたかと云うと延々博打なのだ。玉音放送があったのは正午だった筈だが、それを賭博場のラジオで聞いて憤慨している。山城新伍や南利明はともかく人格者として皆から一目置かれている大木実の兄貴までが、雁首揃えて昼の日中から花札握っているんだから若い衆にしめしがつかない。敗戦の気配を肌で感じられる場所に居て、このひとたちはそんな空気も読めなかったのか(読めていないんだが)。
第一、本作の健さんにさほど人望がある描き方をされているとは思えないのだが、これが何故か人が寄って来る。
役者・高倉健自身が放つオーラに頼りすぎてるあたりが減点2。尤も当時、それでOKだったのはよく解る。
出所した健さんでも所詮は鉄砲玉に毛が生えた器にしか見えず、実際、親分を殺した荒政組が憎くて大人気なく正月興行を奪おうとして、劇場で一戦交えるんだから迷惑この上ない(川谷拓三が獰猛な負け犬を熱演。さすがの今井健二も影が霞む程である)筈なのに、女浪曲師・天遊軒清月(篠ヒロコ)は健さんの向こう見ずをあたたかく見守るのだ。確かに当時不当に差別されていた在日コリアン(田中邦衛、遠藤太津朗が怪演。ちなみに京都刑務所篇では藤原釜足翁が期待通りの飄々とした演技で物語に奥行きを与えてくれる)を庇ったり、渡瀬恒彦を拾う挿話に人格の片鱗は伺えるが、それでも初老の警官(木田三千雄。久々に観て嬉しかった)が諸手をあげて健さんを賛美するあたりは「え…」って感じ。さすがに三代目襲名後はどんどん風格がついていくけど、しかし「ライオン仮面」のように終わられても非常に気になる。最后に強大な敵として健さんの前に立ちはだかった内田朝雄(役者)は自分の行く末が気にならなかったのだろうか(いつもそんな仕事なので「ならなかった」に5000点)。
しかし此処迄、「不良」第三国人を「悪役として」描けるのも70年代だからこそですね。
1974年公開当時、在日のひとたちはこの映画を観てどう思ったのだろうか。
ちなみに三国人聯盟のリーダーを演じるは川合伸旺。なかなかのクールガイなので吃驚。
汐路章のいかがわしくも愉快な存在感も相変わらず捨て難い。
「ならず者 (1964・日/石井輝男)」 中野武蔵野ホール
本作は前作「東京ギャング対香港ギャング(1964/石井輝男)」から3ヶ月という超短期間に公開された香港ギャングシリーズの2作目(とは云え、香港を舞台にギャング同士の抗争を描く以外、2作の間に関連性はない)。香港公開時タイトルは「喋血雙雄」。香港、澳門(マカオ)、横浜を股にかけた「Gメン75」香港スペシャルのような(何しろ丹波さん出てるし)無国籍ムード漂う和製フィルムノワールである。
監督・脚本をものしたのは当時、不惑を迎えんとする石井輝男。
脂の乗り切った石井監督のアルチザンとしてのスキルとアーティストとしてのセンスを堪能出来る、まずは標準作と云っていい映画ではないか(此処でわざわざ近作を持ち出す愚は犯すまい)。
遅れてきた映画ファンには「不器用な男」高倉健にスタイリッシュな殺し屋をやられても困るのだが、案ずるよりも観るが易し、何の事はない、僕らの知っている、あの、いつもの不器用な(全篇これ悪党に踊らされっ放し)益荒男振りに安堵する。というか、それしか出来ないのが男・高倉健なのだ。
その代わりかどうかは知らないが、澳門カジノのディーラー(江原真二郎)や横浜キャバレー支配人(高城丈二)がワンショット出演で美味しい処を全部持っていく。とにかく格好良い。ふたり共、健さんの無骨さを補うに余りあるダーティー・ヒーロー振りなのだ(特に江原さんは別の主演シリーズを妄想したくなるね)。香港マフィア・蒋を演じる、石井映画ランドマークタワー丹波哲郎もある意味、健さんと同格に不器用な(というか無愛想な)男だが、自分を裏切った愛人・明蘭(三原葉子)の媚態を前に、部屋にあったグランドピアノの前に立ち、拳銃のグリップでショパンの葬送行進曲を弾き乍ら「信じていたよ…おまえがウソをつく女だって事はなっ!」と容赦なく鉄爪を引く丹波先生のダンディズム(カーテンを握り締めたまま崩れ落ちる裸の女の背中!)にははっきり云ってシビレました。これだよ、オレが観たかったのは。
ハマの売笑婦・加賀まりこの小悪魔振りはもはやB・B以上だよなァとか、強欲な木賃宿の女主人(赤木春恵。顔の半分が赤痣というのは近頃じゃ故・伊丹十三くらいしかやらなかったん手口だよなあ)を揺さぶり殺す健さんはさすがにムリがあるとか、高倉&丹波の「男の友情」は泣かせやがるとか、麻薬Gメンが杉浦直樹なだけで掘り出し物だよなァとか、肺結核で喀血して窒息した南田洋子の口から血を吸い出す健さんはナウシカそのものだとか、この映画、観どころは尽きる事がない。
健さんを陥れた黒幕、懐かしの安倍徹を倒したものの、瀕死のまま病院に運ばれる健さんのパトカーと、何も知らずに健さんとの約束を守って波止場へ向かう南田洋子が擦れ違う哀しいラストは、ジュリアン・デュヴィヴィエ&ジャン・ギャバン「望郷(1937・仏)」へのオマージュか。なかなか泣かせるシャシンじゃないですか。
こうなると1作目の「東京ギャング対香港ギャング(1964)」も観たくなるのが人情というもの。
しかし、ケーブルTVも引いていない我が家では、浅草名画座系の3本立て、或いは新文芸座あたりでかかるラインナップを睨んでくだんの映画が上映されるのを執念深く待つ他はない。
中野、いいじゃないか。しかし、あと10日程で閉館してしまうとは…。
この半年間、中野に足を踏み入れなかった己を激しく後悔しつつ、帰らぬ日々を想う。
浅草で昼席の入っていたやっさんとは、18時に都営浅草線「西馬込」で待ち合わせて、池上本門寺グランド特設テントで上演中の「三文オペラ 新装黒テント版」を観に行く予定だが(しかも今夜が千秋楽だ)、何だか時間が中途半端に余ってしまったのと、ひとりで電車に乗っていくのも何処かしら寂しかったので、東西線と都営浅草線がぶつかる「日本橋」からやっさんにメールして(高座を終えて、楽屋で寛いでいるようだった)、回り道して浅草から一緒に「西馬込」へ向かうことにする。
浅草演芸ホールでやっさんと落ち合って、改めて都営浅草線へ。道中、裏話や埒もない話各種に花が咲き乱れる。やっぱり回り道して正解だった。校長先生ではないが「登下校まで含めて運動会」なのである。現地集合、現地解散ではあまりにも勿体無いではないか。
という訳で、この項、更に続く。
芝居の感想はともかく、せめてやっさんとの池上本門寺珍道中の話だけは書き留めておくつもり。暫し待て。
会社帰り、渋谷へ行っていた妻子と東京駅で待ち合わせ。
夕食でも食べるかという話になり、妻のリクエストでリニューアルしたばかりの「日本橋タカシマヤ」へ行ってみる。
各フロアのレストランを一通りチェックした後で、思いつきで入るぶんにはひとまず無難な、B2階オムライスパーラー「星のたまごたち by グリル満天星」に入ってみる。今や「グリル満天星」と云えば、高級デパートが新装オープンすると「資生堂パーラー」「銀座アスター」並みにレストラン街に顔を見せる「高級デパートの証」の承認印みたいになっている。で、此処は「星のたまごたち」と名前を変えてオムライスに特化、カジュアル色を強めた新業態店舗。
おそらく日本橋を試金石に、ゆくゆくは全国展開を狙う気なのだろう。
僕も妻も「グリル満点星」未体験なのだが、ネットで漏れ聞く限りでは、余りいい評判を聞かないので、それこそ半信半疑で店に入る(僕は「ディンタイフォン」が良かったのだが、悠都が中華はイヤだと駄々をこねやがった)。
妻は人気メニューだという「オムレツライス ラタトゥイユソース(1,575円)」のセット(スープ、サラダ、デザート、コーヒーor紅茶で+525円)を、僕は洋食とのセットメニュー「ワンプレートミックス(オムレツライス カレー&クリームコロッケ)(1,995円)」のライス通常盛り(+200円)をオーダーする。
セットメニューにしなかった僕にも、モスバーガーでポタージュを頼むと水がついてくるようなものなのか、はたまた相方だけスープが来るのはバランスを欠くのか「サービススープ」なるものが運ばれてくる。サービスしてもらっておいて何だが、「サービス」スープの名の通り、妻のスープと比べると、具の量が学食のカレー、或いは東ヨーロッパの戦闘糧食くらいスカスカであった(念の為断っておくと、コンソメスープの味は変わらなかった)。
ワンプレートミックスは、通常のオムライスと同じプレートにミニ洋食がついたものと思えばいい。
オムレツライスカレーはドライカレーを「グリル満点星」の特徴でもある、大粒の海老と帆立の貝柱を混ぜ込んだふわふわの卵でくるんで、更にカレーソースをかけたもの。オムライスもクリームコロッケも確かにそれなりには美味しいが、このボリュームで2000円という価格設定は割高感が否めない。どうもメニューを見るとオムライスが1500円以上、サイドメニューを頼んで2000〜3000円を想定しているようだ。
今日びオムライスの卵がふわふわなのはファミレスでも標準装備だし、海老や帆立の具沢山というのも成程これなら納得、という程のゴージャスさでもない、というのが本音である。
総じて、「普通」なのだ。「凡庸」と云い換えてもいい。
それなりにアイデアは盛り込んであるのだが、全てが何処かで見たようなアイデアばかりで独自性があるとは云いがたい。なのに価格がどうもこちらの考える最適値より500円程度高い。しかしカジュアルを謳っている以上、この普通さに500円支払う気はしない。少なくともまた来て食事をしようという程の吸引力はない。デザートのアイスクリームは美味しかったけど、これまた普通。まだきちんとしたスウィーツは試していないんで、次来るとしたらそれですかね。でも、暫くはもういいかな。勿論、ご本尊の「グリル満点星」もこーなるとちっとも食指は動かないなあ(あそこはもっと高い)。
帰宅して、金曜エンターテイメントゴールデンウィーク特別企画 倉本聰ドラマスペシャル「あヽ! 離婚式」を観る。
倉本先生には珍しい純然たるコメディで、あきれた豪華キャストの上にドラマもその浮世離れ加減がなかなか面白かったが、離婚式式典そのもののアイデアは面白いのに、劇中アイデアを語るだけで実現されないのがやや物足りない。倉本先生、ふたつに分かれたケーキをひとつにする処、オレ、観たかったですよ。
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