さよなら、中野武蔵野ホール
山羊 −シルビアってだれ?− / ヤルタ会談 / 忠臣蔵・OL編
CASSHERN / 花嫁はギャングスター / スキャンダル
月島もんじゃの夕べ / 甘夏はちみつロール / 世界の中心で、愛をさけぶ
保谷ウイルス異聞 / ビッグ・フィッシュ / キッチン・ストーリー
▼ 2004年04月の都を旅する
今夜、「追悼のざわめき(1988・日)」のレイトショウ上映を以って閉館する中野武蔵野ホールで、週末、某映像イヴェントへ参加する為に上京してきたセトロさんと待ち合わせ。
当時、中野武蔵野ホールの観客動員記録を塗り替えたという「追悼のざわめき」がソフト化の目処も立たないグログロな超カルト映画な事もあって、会場の混雑は予想出来たが、どうしても仕事のケリがつかず、退社したのが20時半になってしまう。それでも上映15分前にはどうにか中野駅に着いて、中野サンモール内の銀座コージーコーナーでおやつ用のシュークリームを買いつつ、お店のおねえさんに映画館の場所を訊ねる(まだ中野の地理が完全に頭に入っていないもので…)と「映画館なんかありましたっけ?」と当惑気味の表情。
「武蔵野ホテルの一画が映画館になっているんですけど」
「あー、そのホテルならすぐ其処です」
とおねえさんが指差した路地は冗談のような人だかりが出来ていた。
中野武蔵野ホールの客席数は73席の筈だが、あきらかに200人近くの老若男女がたむろっている。シャレでも何でもなく、これこそがまさに「追悼のざわめき」というヤツではないか。あっけに取られているセトロさんを発見すると、シュークリームでも頬張りつつ、人だかりの中に混じって「いやー、弱ったねえ」などと埒もなく弱ってみる。これはどんなに運良く会場へ入れたとしても立ち見は必定である(この映画、150分あるんだよ)。
実はセトロさんはこの前の回の伊藤大輔/中村錦之助「反逆児(1961)」を観ていたのだが、客席がスカスカだった為、特に整理券を押さえてはおかなかったのだ。セトロさんもこんな中野武蔵野ホールを体験するのは長い映画生活の中でも初めての事らしい。
とりあえず、伝説の夜の目撃者っつー事で、上映が始まっても人が溢れたままの劇場前の記録写真を何枚か撮って、此処はお開きにする。
セトロさんが晩メシでも食おうというので、こないだ入って気に入った「台湾料理 味王」で庶民派本格中華に舌鼓を打ち乍ら、鼎談に興じる。
キクラゲと豚肉の炒め物に、回鍋肉に、白身魚の雪あんかけ(名前不正確)。
以上、ヴォリュームたっぷりの3皿に、ライスセット(ごはんにスープに杏仁豆腐)をつけて。
これだけで大喰らいふたりは十二分にお腹いっぱいになった。
それでも会計は2人合わせて3,000円というコストパフォーマンス。
そう云えば、セトロさんなんか、ごはんお代わりしてたもんな。
帰りに折角だからと、もう1度だけ中野武蔵野ホールを覗きに行く。
すると、窓口には「最終上映24:00〜」と驚愕の張り紙。
入口で出張っているスタッフに確認した処、とても1回では客が入りきれなかった為、急遽武蔵野ホール側が英断を下したらしい。でも、開演時間からして完全に電車終わっちゃってるけどね。武蔵野ホールの侠気には感動しつつも(さすがは仁侠映画専門館だ)、終電を蹴ってまで「追悼のざわめき」と心中する気概は無かったので、伝説の夜を網膜に焼き付けつつ、中野を後にした。
晴天。週末はこうでなきゃ。
妻子が留守だと何故か午前中はダレダレになってしまうのは何故?
午後から、半蔵門線、井の頭線と乗り継いで、駒場東大前へ。
線路沿いの家並みとか、踏切とか、石段が続くこぢゃごちゃして良い感じの町並み。
今日明日と立て続けて青年団のお芝居3本立て(よって今週末、映画はお休み)。
北九州で青年団の舞台を観る度に、チラシで名前だけは知っていた「こまばアゴラ劇場」に初めて顔を出す。うわ、ちっちゃい。
1階が受付&簡易クローク&トイレと、ロビーというか待ち合わせ用の私設図書館になっている。
いかにも学生街にありそうな、開放感溢れる独特の施設である。会場が狭いというので簡易クロークにカバンを預ける。スタッフは青年団の役者以外にも桜美林大学の学生ボランティアとか研究生とか居そう(憶測)。とにかく皆んな、若い。会場も予想通りこじんまりとしていて(無理矢理詰め込めば100人くらいはどうにかなるのかな…)、最前列は無理だったものの、客席の構造上、2列目だけど前に席がないという「なんちゃって最前列(しかも舞台中央)」をキープする。
青年団国際演劇交流プロジェクト2004「山羊 −シルビアってだれ?−」 こまばアゴラ劇場
終演後、1階受付付近のロビー(?)にたむろってるとカーテンコールから幾らもせずに、役者の皆さんが出て来て挨拶してくれる。カーテンコールのあと、大慌てで着替えて出て来てくれた感じ。女優の金沢碧さんが来ていた。50歳くらいの筈だが(何しろ、日テレ「光とともに… 自閉症児を抱えて」では篠原涼子のお母さんを演じている)、黒い無地のカットソーをすっと着こなしたりなんかして、やっぱり女優さんは綺麗だねえ。彼女くらいの年齢の女優さんには、この芝居のスティービーは是非トライしてみたい役柄かも。
【 作 】エドワード・オールビー
【翻訳】松田弘子
【演出】バリー・ホール
【出演】志賀廣太郎(マーティン)
【出演】大崎由利子(スティービー)
【出演】大塚洋(ロス)
【出演】石川勇太(ビリー)
原題は「THE GOAT; OR WHO IS SYLVIA?」。
備忘として、平田さん及びバリー・ホールの解説を転記しておく。
バリー・ホールとの出会いは、1998年のパリだから、もう6年前になる。「東京ノート」のリーディングの際に、似たような仕事で来ていたバリーと出会って、その2年後、ニューヨークで再会したのだった。
建築家としてのキャリアも順風満帆、ゲイの息子ビリー(石川勇太)との関係も良好、妻とも相思相愛。いささか健忘症気味な事以外は非の打ちどころのない人生を歩むマーティン(志賀廣太郎)だったが、夫婦の危機はある日突然訪れた。原因は夫であるマーティンが、山羊と恋に落ち、「関係」を持った事にあった…。
2002年から青年団との共同作業が始まり、今年は一応、3ヵ年計画の完結の年になる。オールビーの新作、このとても素晴らしい戯曲の初演を、青年団がプロデュースできたことは、この上もない光栄だ。
振り返れば、この3年間の共同作業は、言葉との闘いだった。海外の戯曲の台詞のニュアンスの、何を残し、何を削り、そして結局、観客に何を伝えるのかということ。それは私自身の作品の翻訳や、青年団の海外公演の際の字幕の作成についても、いくつかの示唆を与えてくれた。
今回の公演では、なによりも、この戯曲のすばらしさを客席に届けたい。一劇作家として、純粋に、そう思う。
愛から為されることは、常に善悪の彼岸に起こる。──ニーチェ
作者オールビーが言うように、「山羊 −シルビアってだれ?−」は愛についての芝居である。愛について真摯に取り組む芝居を作るのは、決してたやすいことではない。このような困難なテーマを扱った困難な芝居に取り組む俳優にも、青年団にも、よくぞやってくれたと言いたい。
映画、テレビ、本、雑誌、文房具店で売られている愛は、決まりきった一つのイメージだ。ハートに花束、バレンタインデー、郊外の家に住む幸せな家族。あるいは、単なる快感、精神性の入り込む余地のない、簡単に手に入るセックス。これらのイメージは、どちらも同じように容易で、同じように偽りのものだ。
歴史に名の残るような作家や芸術家であればだれでも、愛がすべてのレベルにおいて超越した存在であるということを知っている。愛には、人と人を隔てる壁を打ち壊す力がある。一方で、この力は、社会的な慣習や個人の自己同一性を消し去ることもできる。よかれあしかれ、私たちは、想像したこともないことを可能にする力が自分の中にあるということに気づく。
マーティンだけでなくこの戯曲のすべての登場人物たちは、彼らについて我々がどのように思おうが、愛によって突き動かされているのだ。
「山羊」は、限界についての戯曲でもある。愛の、結婚の、友情の限界はどこにあるのだろうか? この戯曲は、観客を笑わせたりうんざりさせたりしながら、こんなことを考えさせる。我々はそれぞれの限界を、お互いのためにどこまでつきつめるのだろう? そして、その瞬間がやって来るまで、どうして限界を知ることができるだろう?
と、かなり特殊な事情を背景に、公開「ケンカの花道」が繰り広げられる。
客席と舞台が緊密な劇場で(何しろ、舞台の居間と客席の段差は数センチ程度だ)スティービー(大崎由利子)が精神の均衡を保つ為、花瓶を床に落とすわ、絵は引き裂くわ、書棚の本は薙ぎ倒すわ、足許にキャンデーが転がり、飛び散るテラコッタが頬に飛んできた時は思わずのけぞった程だ(なんちゃって最前列はこれが怖い・笑)。また深い絶望と昏い怒りに心がずたずたになった大崎さんの迫真の演技が、本当に夫婦喧嘩に立ち会ってしまったような、イヤーンな臨場感をつくっている。
他人(ひと)の不幸は蜜の味…事態が深刻であればある程、当人たちがシリアスであればある程、アカの他人の修羅場には求心力がある。また修羅場って、普段凡庸なひとたちの口からこれが不思議と綺羅星の如く名言が飛び出すんだよね。「浮気相手が山羊である(しかも夫は本気である)」という一点を除けば、これは何処にでも誰にでも起こりうる悲劇であり、そして(観客から観れば大いに)喜劇なのだ。徹底的にシリアスな芝居なのに客席から笑いが絶えなかったのは間違いなく戯曲の手柄が大きい(何しろPARCOプロデュース公演でも充分成立するお芝居である)。加えて、軽妙且つテンポのいい、優れた会話劇である事も特筆すべき点。今回は翻訳の松田さんの功績も大きかったと思う。
オールビーと云えば「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」の名前くらいしか知らないが(最初に知ったのは手塚治虫「七色いんこ」でだった)、これはなかなか旨い。息子はゲイだが、リベラルな両親はこれを許容している。しかし「山羊」というのは許容の範囲を超えていた。当の息子もそんな父親の「愛」を理解出来ず、母親に味方して彼をなじるのだ。そしてなじりつつも、「男として」父親に魅かれる自分を抑え切れない。この芝居が「愛の限界」の芝居たる所以である。
どんなに純度が高くても、むしろ純度が高い程、自分の理解を超えた「愛」なるものを人は決して認める事が出来ないし、許す事が出来ない。夫にとってシルビア(夫によればそういう顔だったから「シルビア」なのだそうだ)がかけがえのない存在であればあるほど、青天の霹靂な告白をされた妻にとって、「彼女」は自分の自我を護るためにも闘うべき忌まわしい「悪魔(サバトの黒山羊)」だった。故に芝居の最后で妻がシルビアをほふったのは(血まみれで登場した時は客席中が息を呑んだ)、彼女にとってもはや必然的に運命的選択だった。なのに、それが夫には分からない。ずた袋に詰められたシルビアが、彼には文字通りいたいけな「スケープゴート」にしか映らない。
故に彼は嗚咽し乍ら、妻に訊ねる。「彼女がいったい何をしたと云うんだ」
妻のいらえは明快だった。
「だって、あなたは云ったじゃない。彼女と愛しあっていた、と」
妻は自分から夫を奪い、彼女の人生全てを台無しにした恋仇をほふったに過ぎないのだ。
あれだけ山羊を「モノ」として扱おうとした妻も、ついにはシルビアを「夫の恋人」と見なす。
夫はとうとう気付かなかったが、彼女をどす黒い怪物のような暗黒面に堕したのは彼自身だったのだ。
妻の変貌もまた純度の高い「愛」なるものがせめぎあった結果の化学変化だったのかもしれない。
という訳で、こんな傑作を、こまばアゴラ劇場のような小さなハコで楽しめたのは全く僥倖でした。
大好きな志賀さんの芝居も存分に堪能出来たし、大崎さんは初見だけど「拾い物」だったし。
これで、2500円は安すぎる。いや、ホントに。
渋谷のTUTAYAをだらだらと冷やかしてから帰宅する。
夜は、ひとりじゃないとなかなか出来ない事を、と云うので「王様のレストラン」のDVDを通しで3時くらいまで、2話くらいを残して全部観てしまう。
昨日のバカっ晴れがウソのような雨模様。
「王様のレストラン」の残りのDVDを観つつ、ぐじぐじと朝ご飯をこさえて食べたりしているうちにお昼になったので慌てて家を出る。東西線を飯田橋から有楽町線へ乗り換えて小竹向原へ。約束の13時の5分前に改札を抜けると、文庫本を読んでいるさっちゃんを発見。4番出口に案内人が立つと聞いていたが、幾ら何でも開演2時間前は早すぎたようで、泣き出しそうだがかろうじて堪えている空の下、HPの地図に従って会場の下見に行く。案の定、道を間違えるが、ほんの5分ほど回り道したものの、無事、住宅地のど真ん中にある「アトリエ春風舎」に到着する。受付はまだ設営されていなかったので、駅まで戻って「ジョナサン」で昼食をとる。
さっちゃんから北海道土産の熊出没注意キャラメルをもらう。ガラナとイチゴミルク。ありがたし。あと、彼女は万華鏡づくりに凝っているとの事で試作品を見せてもらう。なかなかオッサレーである。副業にカレイドスコープ・アルチザンというのも悪くないかもしれない。ふたりしてパスタを食べていると、PHSにはるさんから「芝居の当日券はまだありますかね」と電話が入る。どうも昨夜の深夜3時頃に「芝居に行きたいんだけど」とメールをよこしたらしい。それも会社のアドレス宛てに(ダメじゃん)。青年団に確認の電話を入れて、本日のお席に余裕がありますと、千秋楽なのに喜んでいいのか悲しんでいいのか分からない回答を貰い、そのままはるさんに伝える。「じゃ、今から家を出る」と彼が答えたのが14時過ぎ。開演まで1時間を切っていたので、さっちゃんと相談して、はるさんのぶんのチケットは買っておかない事にする(それは全く、正解であった)。
30分前になったので慌てて、徒歩3分で辿り着く「アトリエ春風舎」へ向かう。
「すぺいすしょう向原」なるマンションの地下が劇場になっていて、傾斜角30度はあるようならせん階段の底に猫の額のように小さなロビーと小さな中庭(?)は子供の頃にこさえた秘密基地を思わせる。狭いけど、妙に居心地がいいというヤツだ。一応、らせん階段が貫く天井は丁度ひさしになっていて雨が降り込まない。
早速、予約していたチケットを受け取る。
「ヤルタ会談」が14番で、「忠臣蔵・OL編」が17番。「忠臣蔵」を予約したのはほんの木曜日だったのだに…何とも寂しい事である。アトリエという事もあり、詰めに詰めて50人入るかどうかの客席に15人くらい。後ろの雛壇がスカスカなのが勿体無い(地理的に厳しいアクセスだというのは、確かにある)。当然、最前列中央を陣取る。さっちゃんにはアトリエなため、客席の床と舞台の床が地続きなのがカルチャーショックのようだった。青年団の魅力の一つは、客とのこの緊密な演劇空間にある。地方の会場でも、アゴラ劇場でも、客席と舞台は全くの地続きか、ほんの申し訳程度の段差がある程度だ。
会場誘導係は、次回の青年団第45回公演「暗愚小傳」で主役の高村光太郎を演じる山内健司さん。ちょっと「くりぃむしちゅー」の上田に雰囲気が似ているのだが、青年団のお芝居でも、特別なオーラを放っていて志賀さんと並んで、大好きな男優さん。
青年団のお芝居って、客層もあるのだけれど、役者さんがスタッフ参加している時は、お客は役者をスタッフとして冷静に接する、という不思議な空気がある。一応、青年団では主演級のひとなのに、皆、意外とギヤがニュートラルに入ったままなんだよね。勿論、それが悪いと云っているのでは決してない。
山内さんから開演にあたっての諸注意があって、かくて、はるさんの到着を待たずにドアは閉じられた。
さっちゃんの隣の席に置いておいたカバンをそっと足許に移動させる。
青年団プロジェクト公演「ヤルタ会談」 アトリエ春風舎
この項、続く。
【作・演出】平田オリザ
【出演】松田弘子(スターリン)
【出演】高橋緑(ルーズベルト)
【出演】島田曜蔵(チャーチル)
さしあたり備忘として、平田さんの解説を転記しておく。
これは当初は戯曲ではなく、柳家花緑師匠のために新作落語台本として書き下ろされました。この落語は、2002年10月、上野の鈴本演芸場で高座にかけられました。私が観た回では、客席から「話が難しすぎるよ!」とヤジが飛んでいて、私はとても申し訳ない気持ちになったものでした。あとで花緑さんに聞いたら、落語でヤジが飛ぶというのは、あまり聞いたことがないそうで、これはこれで、すごいことだと思った次第です。
30分1000円、というコンパクト且つリーズナブルなお芝居。
演劇版は、落語台本から30%ほどを書き変えたり書き足したりして、比較的見やすい内容になってきたと思います。本物の戦争が始まってしまって、日本の観客にとっても「話が難しすぎる」とは、もう言っていられない状況になってきました。いまの日本が置かれている状況の、すべてはここから始まっています。
舞台は史実のヤルタ会談と真っ向から刺し違えるかの如き「午後のティーパーティー」みたいな雰囲気を醸していて、分厚いペルシャ絨毯の上に大きな白木の丸テーブル。白いテーブルクロスの上に紅茶の準備をした銀のトレイが置いてあって(お菓子は3要人が各自持参)、客席を囲むように、下手から「すたーりん」「るーずべると」「ちゃーちる」と背もたれに平仮名表記したディレクターズ・チェア。
青年団のお芝居らしく、開演前から板付きでスターリン(松田弘子)が、先んじて紅茶を淹れている。立ち昇る白い湯気と聴いたことのない曲の鼻歌。サビが「めしあがーれ」だったので、この「ティーパーティ」になぞらえたのだと思うが、あとで上演台本(300円)を読んでみたが、歌については触れられておらず、どうやら演出時点で付け加えたものらしい。今度、青年団の掲示板で質問してみるか…。
スターリンの松田さん(昨日の「山羊」の翻訳もこのひとが手がけている)もかなり大きな女性なのだが、後に続く2大要人のルーズベルト(高橋緑)、チャーチル(島田曜蔵)が輪をかけて巨大になっていく面白さ。ていうか、このキャスティングだけでこのお芝居がコメディなのは明白でしょう。特にしんがりを務めたチャーチル役の島田さんは風刺画家のビゴーのイラストがそのまま実体化したような、息を呑む巨漢(おそらく150キロはあるんじゃないか)で、出てきただけで客席は大ウケであった。自宅付近でもあんなに大きな力士は見た事がないよ…。
お話は、タイトルそのまんまのヤルタ会談(おそろしい事に30分のうちに二場ある)で、戦後処理を睨み、チャーチル、ルーズベルト、スターリンが集って、各国各人の思惑あれこれ、個人が席を外した隙の残り二国の腹芸もあざやかに、すっごく可っ笑しいんだけれども、終演後じわじわと胸をしめつけてくる戦後史観。半世紀を経て尚、微塵も揺るがないのが、世界を動かす大国のロジック。
しかし、あの松田さんが絶叫したり(「プロレタリア革命貫てーつ!」)、凄まじい形相でチャーチルと口論したりするので(応じるチャーチルもオタキングのような甲高い声で鋭く威圧してくるしぃ)、僕はもう少しで自分が青年団のお芝居を観ているのを忘れる処だった。「こらー、ふたりで英語で話すなァッ!」とか。いや、本気で可笑しいんだけどもね。青年団に於ける、松田弘子という女優のポジションを見直す、良い機会であった。というか、僕はむしろ平田さんのキャスティングセンスが怖いわ。
スターリン「アウシュビッツってとこ、先月解放したんだけどね」
お芝居の頭から尻尾まで、全篇こんな調子です(笑)。
チャーチル「聞いた聞いた」
スターリン「ひどいのよ、それがほんとに」
チャーチル「そんなにひどい?」
スターリン「人間のやることじゃないね、あれは」
チャーチル「あんたが云うならほんとに凄いんだろうね」
このお芝居でこんなに空席が目立つのは余りにも勿体無い。
それはそうと、登場人物3人が同じ配分で話すネタというのは古典落語にはないタイプでは?
この次にやっさんか右團治さんに逢った時にでも訊ねてみるか。
結局、「ヤルタ会談」上演中にはるさんは現れず、雨のそぼ降る中、「忠臣蔵・OL編」の舞台替えの短い時間を利用して、出口を間違えたはるさんを迎えに行く。予想した通り、はるさんのお目当ては「ヤルタ会談」だったが、先ほどのが千秋楽だったので(地味な千秋楽だなー)こればかりはどうしようもない。
走って戻ったが、客入れが始まっていたので、会社の休憩室をしつらえた舞台を前に、三々五々空いている席から前詰めで座ることにする(だって前で観た方が面白いんだもん)。結果、さっちゃんが最前列左端、僕が最前列右端、そしてはるさんが2列目僕の真後ろの席を確保する。
会場誘導係は、本作も山内健司さん。
青年団のお芝居って、客層もあるのだけれど、役者さんがスタッフ参加している時は、お客は役者をスタッフとして冷静に接する、という不思議な空気がある。一応、青年団では主演級のひとなんだけど、皆、ギヤがニュートラルなんだよね。勿論、それが悪いと云っているのでは決してない。
僕の真後ろではるさんも大笑いしていた事だし、(青年団にしては)かなり弾けたコメディだったので、さっちゃんにも満足してもらえたのではないかと、ちょっと安心する。小竹向原でめぼしい店は「ジョナサン」位だったので、飯田橋に移動して、雨の神楽坂を散策しつつ、はるさんにギンレイホール(都内にある名画座のひとつ)を紹介などしてもらいつつ、近隣のモスバーガーに入って2時間程、ヤルタ会談(いや、別に3人の間で思惑などはない)。ロースカツバーガー(「菜摘」にあらず)が旨かった。
青年団プロジェクト公演「忠臣蔵・OL編」 アトリエ春風舎
【作・演出】平田オリザ
【出演】井上三奈子(侍A)
【出演】鈴木智香子(侍B)
【出演】田原礼子(侍C)
【出演】高橋緑(侍D)
【出演】兵藤公美(侍E)
【出演】安田まり子(侍F)
【出演】安部聡子(大石)
備忘までに本作でも、平田さんの解説を転記しておく。
この『忠臣蔵』という戯曲は、1999年の春に、演出家宮城聰さんの要請によって書き下ろしたものです。この年、静岡で行われたシアターオリンピックスの日本側参加作品の一つとして、清水港を舞台に野外劇が行われることになり、その野外劇の台本というか、構成の核となるシナリオのようなものとして書かれた作品です。実際の舞台は、公募による百人のコロスが参加する華やかなものになったそうです。実は私は、そのとき利賀・新緑フェスティバルのディレクターをしていて、本番は観ていないのでした。
「ヤルタ会談」同様、本作も「現代口語演劇」という青年団のカラーを堅持しつつ、より小劇場的要素を強めた怪作。
さらに、2001年には、同じ静岡県で、宮城聰氏が劇場用に演出を変えて上演。続いて同年、新国立劇場で開催されたBeSeTo演劇祭でも同演目が上演されました。こちらは両方とも観ることができました。
私自身は、この作品を、さらに別の形で上演しようと考え、試行錯誤を繰り返してきました。今回上演する『OL編』は、昨年五月に上演した『修学旅行編』とともに、長いプロジェクトの末に、どうにか作品の形になったものです。
最近では、全国の様々な劇団で、『高校野球編』とか、『劇団編』といった『忠臣蔵』が上演されているようです。
『お昼休みに休憩室で昼食を取るOLたちによる赤穂藩士御家再興のシナリオ検討』という演劇実験は、そのシュールなせめぎあい自体が笑いを生み、「こんなOL、いるいる」といった人物描写の面白さまで包含して、途方もないコメディを生み出した(実は蒲団の上を舞台にパジャマ姿で繰り広げられる「修学旅行編」というのもあるらしい。応用が利くジャンルという事でも本作は拡張性を備えた演劇装置なのだ。実用新案特許出願中)。しかも50分とコンパクトな上に、たった1500円で大笑いさせてもらえる。
いやー、平田オリザのしてやったりの笑顔が浮かぶようです。
元々、平田さんの芝居にはシュールな笑いがちりばめられているのだが、タナカさん(井上三奈子)のほっぺたに「なると」がついているのはシチュエーション的にどう考えても無理がある気が(笑)。尤も、大石(安部聡子)がよいしょとテーブルに乗り上げて、対面のササキさん(高橋縁。「ヤルタ会談」のルーズベルトから続投。居るだけで可笑しい、という卑怯なキャラである)のほっぺたへ唐突にメモを走り書きした付箋紙を貼り付けたのはかなりツボ。
OLのキャラ描き分けも秀逸で、それが御家取り潰しに対する武士のそれぞれの反応と直結していくのが面白い。体育系女子タナカさんの武士道至上主義とか。但し、小道具におもちゃの刀をチョイスしたのはどうだろう。バトミントンのラケットを素振りしている脇で、一緒にササキさんが刀を振りかぶっていたり、会議に刀持参が義務付けられているのには笑ったけど。
しっかし、安部さんがこんなに跳ねたコメディエンヌだったとは晴天のヘキレキである。
NTT東日本の母親役と云い、長年の市川準による鍛錬が遂に実を結んだか。
女優・安部聡子の緩急自在さを改めて思い知らされた気がする。
あと特筆すべき点として、リアルを追求する青年団らしく、本作ではOL全員が本当に昼ご飯を食べる。
ラーメンに、定食、アロエ・ヨーグルト、ふりかけご飯(しかも巨漢のササキさんは1500mlの紙パックお茶にストローを挿して呑む)に、丼物、持参したお弁当、菓子・スナック類と「消え物」も多種多様で、如何に客席と舞台が地続きとは云え、こんなに食べ物の匂いがぷんぷんする舞台も珍しい。大石がいちごポッキーを取り出すと客席中にいちごポッキーの香りが充満したのには笑った。「ヤルタ会談」でもそうだったが、給湯器で注ぐお湯の湯気と云い、誠にシズル感溢るる舞台である。
ソワレの芝居って、これがそのまま夕食になってる罠。
アロエ・ヨーグルトはともかく、ラーメンなんてちゃんと食べ終えてるもんな。
マチネ・ソワレ2回公演だと、1日2食ラーメンの罠。つまり、ほぼ半月というもの毎日が小池さん状態な訳で…。
つまり、井上さんは今夜ようやくラーメン地獄から解放されるのだな。
(尤も、全公演を通しで観ると、ひそかにローテーションが組まれていた可能性はあるけど)
明日も仕事がある事だし、中途半端にお腹もふくれたので19時頃、散会する。
「CASSHERN(2004・日/紀里谷和明)」 丸の内ピカデリー2
図らずも、三橋達也追悼になってしまった。
続けて安売りチケット屋の目の前に当の映画館があったので、なりゆきでチケットを買ってしまった「スキャンダル(2003・韓)」を観にシネカノン有楽町に赴くと、エレベーターの前に立ったスタッフの女性から15時の回まで完売ですと冷酷ないらえを受ける。
尤も、今をときめく娯楽映画の話題作が遺作と云うのも追悼作品に相応しく(何しろ沢山のひとの目に触れる)、伊勢谷友介が全身から放つ、隠しようもない青臭さを、老練のさりげなさで受け止めるように三橋さんは和製ジェームズ・スチュワートの如き気品とバタ臭さと、そして傘寿とはとても思えない若々しさで、老医師を好演していた。正真正銘の遺作だが、其処に老耄の陰は微塵もない(むしろ、納谷吾郎74歳の声の衰えを聞かされるのが辛かったよ)。あらためて日本映画に欠かせないひとだった事を思い知らす好助演だったのに…。来月は川島雄三映画祭で、若き日の雄姿をたっぷりと網膜に焼き付けてきます。──合掌。
色んな処で色んなひとがこの映画について語っているが、いずれにせよ客が入ったという「結果」は強い。
戦略的に、プロデューサーとしての紀里谷和明、及び彼のブレーンがエラかったという事もあるし、時代も又このひとに味方したのだろう。作品的にはトンデモ大作の部類に入ると思うが(資金面の苦労を創意工夫で克服したのは容易に想像出来るが、初監督作品に製作費6億円はやはり破格だと思う)、少なくとも非オタク&宇多田CD購買層にとってこの映画が素直に感動出来るシロモノなのは認めなければならない。
メッセージが青臭いとは特に思わないが、語り口は大いに青臭いので、これから観るひとは其処だけ覚悟しなさい。
ストーリーや設定へのツッコミ処は絶望的に満載だが、これはディストピア風味の「ファンタジー」なんです、と一旦呑み込みさえすれば(戦死した東鉄也で「ベルリン天使の詩」をやった時点で、これは紀里谷監督の「キャシャーン/ファンタジー宣言」と見なすべきですよ)、キャシャーン(伊勢谷友介)/ルナ(麻生久美子)とサグレー(佐田真由美)/バラシン(要潤)を対比して描く「憎しみの連鎖」の巧妙さや、父子物語の総決算として(この映画の、特に後半に見せる寺尾聰の狂気はいいですね)映画の最后に明かされるバラシンの出自など、演出面のプランにも目が向こうというものだ。尤も、新造人間ったって、ロボット軍団を操るのはブライ(唐沢寿明)含めても4人しかいないというのはなかなか凄まじい設定である。各分野の専門家を略取しろと命令されて、3人いる部下のうちの2人(しかも1人は戦力にならなさそうなアクボーン(宮迫博之)だし)が出向いているようで、此処の軍団は指揮命令系は大丈夫なのか(全然、大丈夫じゃないんだけどね)。
余談だが、ルナの母親として森口瑶子が、ブライの妻として鶴田真由がピンポイント出演。
この映画の美点は何と云っても美術で、次々に繰り出されるイメージの奔流には確かに圧倒される。友人のセトロさんに「夢の秀治ランド ── 久しぶりに行ってみたいディストピア」と云わしめた全体主義、帝国主義且つレトロフューチャーな都市描写は圧巻で、成程、摩天楼の壁面を埋め尽くした上条将軍(大滝秀治:「おおたきしゅうじ」と誤読するひとが余りにも多いので改めて書いておくが、このひとの名前は「おおたきひでじ」である)のタペストリは、確かにお忍びで観光する価値あり。ロボット軍団のロボットをCGで描き乍ら、「ロボコップ」の警備ロボットED-209のモデルアニメーションみたいに「巨大さ」を感じさせてくれない処は減点。
また紀里谷監督はPV畑のひとだけあって、台詞なしで音楽だけで進行するシーンはやはり旨い。
というか、まんまPV(上記の都市シーンの見せ方もまさにPVのそれなのだが)。
処で映画を観ている間中、紀里谷監督の作風に妙な既視感を憶えたのだが、観終えてから気付いた。
技巧を凝らした映像とストレート過ぎて受け止めにくいメッセージ性…「SF サムライ・フィクション」の中野裕之である。
そう云えば、このひともPV出身だな。
最后にいちばん肝腎な事を云っておくが、この映画の真の主役は伊勢谷や唐沢じゃなくて、ミッチィである。
いや、決して嘘なんかではない。──観れば解る。
大いにへこんだものの、やむなく銀座シネパトスまで「花嫁はギャングスター(2001・韓)」を観に行くと、肝心の劇場では何故か「パッション(2004・米)」を上映しており、窓口には「『花嫁はギャングスター』は21日(金)で終了しました。尚、新宿ジョイシネマ3では28日(金)まで上映いたします」なる無情な張り紙。そう云えば、3月に新宿ジョイシネマ3へ「ツインズ・エフェクト(2003・香)」を観に行った時にも、予定を繰り上げて昨日で上映終了したから銀座シネパトスへ行け、と木で鼻をくくったような説明を受けたのだが、今回はその逆ヴァージョンである。心ある活劇映画ファンはこうして泣き寝入りし乍ら、銀座と新宿を右往左往させられるのである。前回はセトロさんが憤激して、支配人を呼んでチケット代を換金させたが(ふたりともその翌週、もう一度チケットを買って再び銀座に行っちゃうあたりがひどく哀しい)、ひとりではその元気もなく、また終わる前に是非とも観ておきたい映画だったので、悄然として有楽町駅へ向かう。
小雨もしとしと降っているし、今日はつくづくツイていないらしい。
この項、続く。
上映5分前に、新宿ジョイシネマ3に到着。
表の広場には「トロイ(2004・米)」の公開に合わせてハリウッドから空輸してきたトロイの木馬(実物)がその威容を誇っていて、その脇にくだんの映画の次回上映待ちの行列が十重二十重と、ぴあ出口調査隊の赤いキャップの一団。──おゝ、くわばら、くわばら。
そりゃこんなもん見せつけられたら、誰だって思わずチケット買っちゃうわなあ。
そんな喧騒をよそに、客席的には格段に居心地がいい筈の新宿ジョイシネマ3のシートにどっぷり身体を沈める。
新宿くんだりまで出てきたからには、たんまり楽しませてもらわない事には割が合わない。
「花嫁はギャングスター LEGEND OF UNJIN (2001・韓/チョ・ジンギュ(趙振奎))」 新宿ジョイシネマ3
暴力団を率いる「魂が神取忍」みたいな伝説の女親分の疾風怒濤な結婚生活を描くアクション・コメディ。
次の「スキャンダル」の時間までにはまだかなり余裕があるので、改めて設営された「トロイの木馬」を見物する。しかし組み立てとは云え、よくこんなもん、空輸して持ってきたものである。確かに日本人は「映画で実際に使用された」みたいなフレーズにとても弱いけど、此処迄やるのに一体幾らかかったんだろ(それは云わない約束でしょ)。少なくともPFFアワード作品が20本くらい作れるんじゃないか。
主人公・ウンジン(シン・ウンギョン/申恩慶)は、何しろ「魂が神取忍」なので、男女の機微に全く疎く、且つ「乙女」の部分を小指の第一間接程持ち合わせている訳でもない、漢より漢らしいクールビューティー。80年代的譬えで恐縮だが、ジェンダー的には「うる星」の藤波竜之助がいちばん近い(実際、モデルなんじゃないかと疑っている)。男女の機微はともかく姉妹の機微には敏感なので、末期癌の姉(イ・ウンギョン)が結婚して欲しいと懇願すれば──何しろ素性が素性なので──とりあえず結婚してくれそうな町役場の職員カン・スイル(パク・サンミョン/朴相勉)を騙まし討ちのようにして捕まえるし、セックスに興味は無くても姉が赤ちゃんを見たいと云えば、夫を妊娠するまで手段を選ばず処構わず強チンする(愛がある訳ではないので、キスと胸だけは決して許さない)。
「猟奇的な彼女」の後続作品なので、DVな彼女にたじたじの彼、というシチュエーションは或る意味流行りモノとも云えるのだが、少なくともユンジンに限っては恋愛感情とは一切無縁だ。姉への強い愛と、子分たちへの強い愛は持ち合わせていても、セクシャルな意味では決してオトコもオンナも好きにならない。セックスでさえ子供を作る手段と割り切れば、レストランの卓上だって夫を押し倒すが、其処には快楽の立ち入る隙がない。底意もなければ、奸計もない。そしてそれ故に子分たちは彼女のそんな侠気に惚れて、命を張るという構造になっている。
具体的な原作らしきものがないだけで、これはコミック的世界観の実写化作品と云えるかもしれない。そして韓国の映画ファン達は、常識人としては破綻しているが、トランスジェンダーのヴァリエーションであり、融通が利かず粗暴だがその不器用さが愛らしい、このユンジンというトリック・スターにある種の「萌え」を感じたのではないか。実際、こういうキャラは日本の萌えシーンに置いても、簡単に馴染みそうな気がするんだが。
アクションシーン(特に冒頭)もリキ入ってるし、B級とは云え、韓国では売れるべくして売れたアクションコメディーなんじゃないかなあ。ちなみに旦那が変貌してから、その後を描くまでのラストシークエンスは圧巻(のバカバカしさ)。最后の最后に「ソウル」「リ・ベラメ」のチェ・ミンス(崔民秀)が敵役でゲスト出演。ちょっと、得した気分にさせてくれます(ちなみに去年の秋に韓国で公開された「花嫁はギャングスター2 帰ってきた伝説」には同様の役でチャン・ツィイーが出ているらしい)。
処で、シン・ウンギョン(申恩慶)ってHiguchinsky「うずまき(1999・日)」にTVレポーター丸山千恵役で出演していたらしいけど、いかん、全く思い出せん。セリフ、あったんだっけ? 達者な日本語を駆使したのか、吹き替えたのか…イッちゃった映画だったから片言でも全然OKだったのかもしれないし、かと云って見返すつもりはまるでない、と。…うーむ。
…などと埒も無いことを夢想しつつ、皆と並んで暫し撮影大会。
朝食は食パン2枚だったのでさすがに小腹が空いて、すぐ傍のロッテリアでメンチカツバーガー(サンプル写真ほどキャベツがいっぱいじゃないブー)のフルポテセット(520円)を買ってから、シネマスクエアとうきゅうのロビーで胃の腑におさめる。
この項、続く。
「スキャンダル 朝鮮男女相悦之詞 / UNTOLD SCANDAL (2003・韓/イ・ジェヨン(李在容))」 シネマスクエアとうきゅう
18世紀革命前夜のフランス上流社交界を舞台にしたピエール・ショデルロ・ド・ラクロの禁断小説「危険な関係(1782)」の李氏朝鮮翻案Ver.。宮中でも名うてのプレイボーイが、元カノの夫人に依頼されて、ゲーム感覚で清純な娘や貞淑な夫人を毒牙にかけていくが、貞淑な夫人への浮気が本気になってしまった為に、元カノの夫人の逆鱗に触れて、遂には渦中の人物全員が不幸になっていく…みたいな宮廷退廃エロスで、お金持ちがヒマを持て余すとロクなことがない、というお話。
夜の広場でライト・アップされたトロイの木馬もなかなか美しい。
いきなり余談だが、「危険な関係」の映画化で、僕に馴染みがあるのは1988年のスティーブン・フリアーズ版。
勿論、細かい役柄は異なるが、ストーリーの流れはほぼ同んなじなので、2作品のキャスト対応づけは以下の通り。
ペ・ヨンジュン(裴勇俊) → ジョン・マルコビッチ
いずれかの映画を観たひとは、頭の中で差し替えて楽しむのも面白い。
イ・ミスク(李美淑) → グレン・クローズ
チョン・ドヨン(全度妍) → ミシェル・ファイファー
チョ・ヒョンジェ(趙顯宰) → キアヌ・リーブス
イ・ソヨン(李素榮) → ユマ・サーマン
あ、でも韓国側のキャストは一般認知度が低いので脳内変換は困難かも。
けど、16歳の側室ソオク役のイ・ソヨン(李素榮)を観に行くってのも決して悪い話ではない(そうか?)。
処でエロなネタで恐縮だが(て、これ、エロ映画だし)、チマ・チョゴリがあんなエッチなものだとは知りませんでした(これこれ)。チョン・ヒヨンの使用人の、胸までしかないソッチマ(ペチコート部分)以外あられもない姿とか、子供の頃からのクセで床に転がらないと手紙が書けない(そもそも何だ、その設定は)ソオクのチョゴリ(スカート部分)をまさぐってお尻を剥く(書いているこちらが恥ずかしくなる)ヨン様とか、目に映るもの目に映るものが、何かこう、新鮮で(遠い目)…ってそんな感想しか書けんのかいっ。
ペ・ヨンジュ(最初名前を聞いた時、ソース焼きそばが頭に浮かんだものだ。…それは「ペヤング」)の満を持して(?)の映画出演。イメチェンで騒いでいるが、日本でヨン様人気を支える30代以上の女性がそっくりシフトしても違和感のない映画である。純愛路線から、とどのつまり、脱ぎもありの純愛路線へ。自分の情事を春画にしたためる下劣さに与した知性も魅力に映るかもしれない。おねーさま方はわーきゃー云い乍ら安心してついてゆける。ヨン様、お上手。
チョン・ドヨンが何でもありなのは「ハッピーエンド」の感想で書いたばかりなので、もう何が来たって驚かないの。それより死別した許婚者に(長年)操を立てると賜る「烈女門」という字ヅラの凄さがさすがは儒教のお国柄。ちなみに「烈女」とは、夫に死に別れても節を守る貞女のこと。「スキャンダル」は新世紀の韓国映画らしく、李氏朝鮮で婦道の鑑であるとされた「烈女」神話否定の映画でもあるのだ。「真実に」愛したチョ・ウォンとの恋を全うするという意味では、これもまた「烈女」と云えるかもしれない…などと韓国の若いひとは思うのかな。薄氷の張った湖をただひとり歩いていくラストシーンは確かに清冽にして苛烈なので、皆んな騙されるよなあ。
ユ長官夫人(イ・ミスク)も都落ちの船で人知れず可愛い処を見せるんだが、何か小狡い演出。
ま、ジャン・ジャック・アノー「愛人 ラマン(1991)」の50000倍は面白い映画だったけどね。
尤もこれだけ写真ネタにしておき乍ら、「トロイ(2004・米)」の映画そのものはタダ券でも手に入れない限り、観る気は全くない(おいっ)。もうCG系パノラマ戦闘モブシーンの映画は食傷気味なんだよね。コイツ、出て来るのが少しばかり遅すぎたと思う。
JR中央線と東西線を乗り継いだ後、木場のヨーカドーで、妻のおつかい。
冷凍食品4割引を多数に、小麦粉98円に、シャウエッセンに、あと色々。
今日は本を物色する暇が無かったので、2階の書店で村井国夫・音無美紀子「妻の乳房 『乳がん』と歩いた二人の十六年」(光文社)を購入。さらさらっと読んで村井国夫が下戸である事を知る。こんな処にも同士が…。
Amazonに頼んでおいた「桂文治4 [長短]・[湯屋番]・[廿四孝] -「朝日名人会」ライヴシリーズ24」がようやく届く。
文治師匠追悼盤は豪華3本立て(収録時間はCDの限界に挑戦した76分11秒)。
各演目の収録時期も「湯屋番(1999年4月17日 第2回)」「長短(2000年8月26日 第11回)」「廿四孝(2003年6月21日 第35回)」と、朝日名人会の歴史を一望するような内容である。「廿四孝」が師匠が出演した最后の朝日名人会になってしまった。師匠がお元気でいたら、今年の2月に朝日名人会で「豆や」を演る筈だったのに。その昔、師匠から直接「長短」「湯屋番」を収録した事をお聞きしていたので、まずはお蔵入りにならないで本当によかった。
「湯屋番」と「廿四孝」の間には4年の歳月が流れている。
たかだが4年だが、75歳の高座と79歳の高座を並べて聴くと、この4年という時間の重さを改めて感じる。
いずれも滑稽噺で、それぞれが面白いことに異論はないが、いみじくも師匠が「廿四孝」のマクラで仰っている通り、芸のピークという意味ではゆるやかに坂を下っているのが解る。「長短」もこないだの「日本の話芸」で聴いたもの(最后から2番目の高座)より、おかずも沢山入っていて、何より言葉にキレがある(至芸とも云うべき仕種はこれまで生で聴いた高座の記憶が補填してくれる)。それが少しだけ悲しくて、そしてそれ故にひどくいとおしい。
愛聴盤になる事、間違いなしの名盤なので、皆さん、是非、お買い上げの程を。
今夜は、ウチの家族とはるさんとさっちゃんの5人で「月島もんじゃの夕べ」。
お店ははるさん行きつけの「もんじゃ 近どう」。その昔、日記で月島もんじゃ戦争の話を書いたが(興味のあるひとは検索して探してちょうだい)、こちらは古くからある月島もんじゃ振興会。ちなみに空港に置いてある「もんじゃ焼セット」というのは此処が出している。中でも「近どう」の古さはピカ一で、何しろ創業が昭和25年まで遡る(いっとう最初は駄菓子屋をやる傍ら、もんじゃ焼を出していたのだ)。
月島つっても都営大江戸線で「清澄白河」から2駅、「門前仲町」から1駅なので、家族3人で散歩がてら徒歩で向かう。
子連れでのんびりと歩いても、せいぜい30分と少しで月島に辿り着く。
道すがら東京海洋大学(元の東京商船大学)に隣接した重要文化財 明治丸(明治9年、明治天皇がこの明治丸にて東北・北海道ご巡幸の帰途、青森から函館経由、横浜まで座乗され帰着された7月20日が、所謂「海の日」の起源である)なんか見つけたりして、なかなか有意義だったし(妻は暇を見つけて息子と観覧に行くつもりだそうだ)。
店に着いて、程無くはるさん達も到着したので、揃って入店する。
まずは基本だってんで「昔懐かし」、それに「豚キムチ」。
悠都がキャベツが入っているから食べないと与太を云い出したが(ウチの子は4歳の割に、外食中に機嫌が悪くなっても泣き出すとか、ぐずる事はまずないが─たとえば、頭を小突いても、痛いのが理由で泣き出すことは殆どない─大きな声で滑舌良く「不快」を表明する。「美味しくないから帰ろう」とか「このお店じゃない方がいい」とかとんでもない事を朗々と云い出すのだ。その代わり、気に入った時は滑舌良く大絶賛するのでお店からもう一品サービスされたりするのだが)、はるさんが気を利かしてお好み焼きを頼もうと云ってくれたので、メニューには無い(笑)チーズ玉を注文する。悠都ははるさん自らこさえたチーズ玉の味が気に入ったらしく、ようやく大人しくなったけど、子供はこれだから難しい。
話は少し脇にそれるが、僕らについてくれたおねえさんがアジア系のひとで、中華を食べに行ってアジア系の給仕にはすっかり馴れたけど、まさかもんじゃ焼を食べに行って、片言の日本語を聴くとは思わなかった(そう云えば、昨日行った新宿のロッテリアのおねえさんも「そん」さんだったなー)。またこのひとの手際がもの凄くいいんだ。最初にオーダーした「昔懐かし」は彼女に焼いてもらったのだが、ものの2分でちゃっちゃとこさえてしまった。思わず尊敬の眼差しモード。
それから「近どう」特製バター焼き(牛肉、ソーセージ、イカ、海老、もやし、葱、コーン)に、「梅タコ(練り梅にタコのブツ切り)」。築地が近いからか、イカのやわらかさが絶品だった。「梅タコ」も、練り梅というのが酸っぱい乍らも口あたり爽やかで、なかなか面白い味。はるさんが「『そば』も行こう」と云うので、更に焼きそばを頼む。もう入らないと思っていたけど、だしをたっぷりかけて炒めるタイプのそばで、これがなかなか食が進んでしまう。
仕上げは和風クレープ「あんこまき」。
一応、和風クレープのメニューには「あんこ」と「あんず」があったのだけれど、此処で食べるなら「あんこ」でしょ。
3人前を注文したら、「大丈夫ですか」と聴き返されたので、怖気づいて2人前にしておく。
これまた先ほどのおねえさんにご登場願って、ちゃっちゃと2人ぶん焼いてもらう(写真、参照)。
ただの小麦粉クレープにこしあんを挟んだだけの「あんこまき」が、何故か溜息が出るほど美味しい。
はるさんが「近どう」を好きなのは、伝統があるからではなくて、何店か食べ比べた中で、この「あんこまき」に巡り合ったからなのだそうだ。実際、3人前頼めばよかったと激しく後悔していたのもまたはるさんだったり。初めのうちはもんじゃ焼と折り合いが合わず、ご機嫌斜めだった悠都もはるさんやさっちゃんと遊んでもらっているうちに、親の方が心配になるほどハイテンションでご機嫌になる。そのまま記念写真大会に突入。
都営大江戸線の入口ではるさん達と別れた後、マンション傍まで直行する都営バスで帰宅。
東京大丸ではちょうど昨日まで大北海道展が行われていた。
先週、妻子はジューシーな活ホタテを堪能したり、「ルタオ」のドゥーブル・フロマージュや、三星のよいとまけ(ハスカップ・ロールケーキ)を買ってきてくれた。昨日、早く退社出来たので、妻のリクエスト通りに8階催事場へ行くが、次の展示の準備の為に大北海道展は17時で終了していたのだった。あきらめて地階に戻るも、幾ら当日限りとは云え、「ルタオ」は一昨日食べたばかりなので(どうせ2ヶ月后にはまた来るらしいし)、久々に「キース・マンハッタン」に寄って、夏季限定を謳った甘夏はちみつロールを買って帰る。
けれど、昨夜は悠都が寝てしまったので、お愉しみは今夜に持ち越し。
僕の土産がドゥーブル・フロマージュでなかった事にぶーたれていた妻も、実際に口に運ぶと「…美味しい」と自分に嘘はつけないのだった。
はちみつが力の限り甘いのだが、これを甘夏の果肉と合わせると、程よい甘酸っぱさが生まれる。まるで、ロールケーキ版ニコラシカだ。
悠都は食わず嫌いで甘夏を脇によそったので、叱りもせずにひょいぱくひょいぱくと食べる。知恵がついたら、ゆっくり後悔するがいい。
折角の週末、早めに仕事が退けたので、有楽町へ映画を観に行く。
ブツは諸般の事情から、かねてより先延ばししていた「世界の中心で、愛をさけぶ (2004・日/行定勲)」。
三省堂で藤原カムイ「ウルトラQ―Unbalance zone」(1)(2)(角川コミックス・エース・エクストラ)を購入後(昨日、会社帰りに日本橋の丸善へくだんの本を探しに行ったら「コミックスは扱っておりません」と頭を下げられ、やむなく、でもないがと学会「トンデモ本の世界T」(太田出版)を買った経緯がある)、金曜日19時台の回を舐めてはならじとそそくさと劇場へ。
前売券入場者は劇場窓口で指定席券と交換しなければならず(初回のみ全席自由席)、そこそこ長蛇の列にうんざりするが(しかも此処は会場前方に座ると銀幕が切り立った崖のように聳え立つ為、折角のスクリーンが死角だらけになってしまう)どうにか左側ブロック比較的中央通路寄りの中程のシートを押さえる事が出来る。こうした映画館の1800円当日買いを優先させる動きは、はっきり云って観客をバカにしていると思うのだがどうか。
客席は案の定、カップルよりも女性比率高め。
隣でやはり会社帰りらしい女性客が食べるビッグマックの匂いが気になるが、これは時間帯柄やむなし。
…確かにお腹、空いた。
「世界の中心で、愛をさけぶ (2004・日/行定勲)」 日劇2
世に云うエヴァ騒ぎの直後、ハーラン・エリスンの本家取りのそのまた本家取りな節操の無いタイトルをつけた、その性根が気に入らないと、初版が店頭に並んだ当初から未読のまま、この日記でさんざん罵倒してきた原作だが、行定勲の新作となれば、それが仮に「Deep Love―アユの物語」だって行かねばなるまい。
帰宅して、藤原カムイ「ウルトラQ―Unbalance zone」(角川コミックス・エース・エクストラ)各巻、読了。
ちなみに妻は、平積みになった、かの本を斜め読み乍らも立ち読みで読破したらしい。
「字が大きかったし、紙も厚かったんで2回くらいで読めたよ」とは彼女の弁。映画は原作にかなり肉付けしたオリジナルストーリーであるという話は予め聞いていたので、映画を観た後で、あらすじが原作に忠実か映画オリジナル部分かの腑分けをざっと妻に確認した上で以下を書く(本当は自分で原作を読むのが望ましいのだけど、日記で書く映画の感想に其処まで下調べをして臨む余裕が無い)。
という訳で原作未読のままあーだこーだと書くが、不快なひとはどうぞ、以下の駄文は読み飛ばしてください。
端的に云えば、原作は難病ものである。
「セカイ系」という言葉の正しい用法には余り自信が無いが、たぶん原作はタイトルだけでなく、その内容もまた「セカイ系」であり、恋人との死別の切なさ(カタルシス)をとくと味わって、悲しいけどサワヤカな涙を流してせいせい出来るのが売りなのに相違ないと邪推する。約束された「泣ける」小説を読む爽快感というのは、確かにあるのだ。
行定Ver.の偉い処は、原作が投げ出した朔太郎(森山未來は良かったね)のその後を描く事で、物語にきちっと決着をつけてみせる処にある。無論、片山恭一Ver.に輪をかけて「あざとい」が、其処に張り巡らせた沢山の伏線を収斂させていく手管と技巧と、それによって僕らが得られるカタルシスは片山Ver.の比ではない。いわば其処には磨かれた至芸としての「あざとさ」がある。
何たって、婚約者・律子(柴咲コウ)の設定が旨いやね。
足が不自由な上に朔太郎(大沢たかお)に引け目を感じているという、ある意味、徹底的に男がかわいいと思う「都合のいい」娘だが(「男に都合のいい女」という事では、実は「きょうのできごと」の田中麗奈や伊藤歩にも同じ匂いを感じる)物語は破綻なく(というか、男が不快になる事無く)その謎を解き明かしてくれる。少なくとも彼女は、アキを喪った世界で朔太郎が護るに値する存在として、綺麗に着地を決める(少なくとも、そう錯覚させてくれる)。それからアキ(長澤まさみ)が手すさびに覚えた手品、というネタも二段オチで効果的に使われているし。アキと現在の朔太郎の、篠突く雨の中での体育館のグランドピアノをからめた邂逅も映画表現ならではだ。あれだけ色々と用意周到に散りばめてあれば、中には「無菌シート越しの接吻」なんて、ストレートにあざといシーンがあったっていい。
あと、行定演出の旨さは役者の使い方の巧さでもある。
たとえばダンディ坂野のような危なっかしい素材(失礼)でも、英語教師として物語へ自然に溶け込ませる手腕はさすがの一言。森田芳光、宮藤官九郎、渡辺美里(声)、天海祐希といった面々の配置の見事さと観客への程良いサプライズの匙加減。そんな監督との信頼関係が行定組常連の津田寛治に、売れっ子なのにワンシーンなのに坊主狩りを決意させたんじゃないか。
とにかく、役者陣は押しなべていい。
中でも山崎努の存在感は映画そのものの背骨となって物語を支えていた。
杉本哲太、木内みどりの助演も、アンサンブルとしてのひとつひとつが心に残った。あと、航空会社の窓口、大森南朋とか。
残念だったのは近藤芳正、長野里美あたりは油断していると見逃してしまうこと。
きっと尺が長過ぎて、泣く泣く刻んだのだと信じたいが、実に勿体無い。
という事で、期待以上に、行定監督はやってくれている。
原作に胡散臭さやおぞましさを感じているひとたちも恐れずに劇場へ足を運ぶといい。
洩れなくプロが仕掛ける、ワンランク上の「あざとさ」というヤツを見せつけてくれる。
神かけて誓うが、皮肉でも何でもなく、この「プロの仕事」は堪能しておいて損はない。
「ウルトラQ」がやろうとしていた暗黒面を、漫画のデフォルメという手法で十二分に再現してみせた力作。
基本的には手放しで好みなんだが、作者の原ドラマ自体への愛が深すぎて、キャラに実演した役者を投影しすぎな気も。
たとえば江戸川由利子など、桜井浩子そのもの過ぎて、吹き出しのセリフが全てロコ口調に変換されて聞こえてしまう。
それって確かに藤原カムイの狙い通りだとは思うが、過剰に巧すぎるのも考えものである。
午前中、伊東四朗一座〜旗揚げ解散公演〜「喜劇 熱海迷宮事件」のチケット取りに奔走するも、15分で敢えなく玉砕。
今回は芝居そのものがある事に気付いたのが遅かったたので、先行予約とか全部見逃したのだった。
…かくなる上は当日券狙いしかあるまい(「その場しのぎの男たち」がそうだったように、意外にどうにかなるのが本多劇場と踏んでいる)。
これを観ないのはオレ的に一生の名折れなので、まだ諦めない。まだまだ諦めない。
午後からは妻子と共に、池袋を経由して保谷のやっさんちへ。
木曜に本人から「パソコンの具合がおかしいので一回ウチに来て」とメールがあったのだ。
家を出たのが遅れた為、約束の13時を20分程遅刻するが、サンセットビーチのアロハ姿のやっさんが笑顔で出迎えてくれた。
名前は忘れたが、何処かの師匠からのいただきものらしい。
やっさんの非着物姿を見ようと思ったら(別に思わなくていいのだが)、もはや保谷か長期滞在中の院内で逢うしかない。
まずは保谷駅近くの、やっさんがお世話になっている「マイタウンジュン」で、やっさんにお昼をごちそうになる。
竹田出身のママさんが僕らを見ると、しみじみと溜息をついて「こうして友達が家族連れでしあわせそうにしてるっていうのにあんたと来たら…(ああ、情けない)」と本人に聞こえるように嘆息してみせるが、やっさんも馴れたもので一向に動じずに、軽口で応酬している。殆ど「寅さん」の世界である。悠都がおみやげにヨーグルトドリンクの紙パックをいただいた。ありがとうございます。
キャベツ畑や葱坊主が続くのどかな畑を抜けて、やっさんのアパートへ。
テレビの上に居並ぶ初代マンの食玩に限りないシンパシーを覚える(このひとは絵葉書のモチーフにもウルトラ怪獣がよく出て来る)。箪笥の上にはガッチャマンのフィギュアが飾られているわ、近頃、深夜再放送しているファーストガンダムをきっちり観ているわ、と見た目は「全身落語家」でも、桂平治はつくづく僕の同級生なのであった。
という訳で、早速やっさんのPCを立ち上げる。
先月くらいに、yahooの日本版に設定してある筈のホームページが何故か英語版になってしまうと電話があった。
その時は日本版への再設定方法を伝えることで対処療法としたが、それからも尚、英語版になってしまうらしい。
「もしや…」とは思っていたが、案の定、アダルトな名前のプログラムが接続を要求してくる。
有料サイトには近づかないよう念を押したし、本人も気をつけていたらしいが、どうやら海外の無料画像サイトで何らかの地雷を踏んでいたらしい。これでyahooが英語版になる謎が解けた。と云う訳で試しに、AntiVirus、SpyBot、AD-AWAREでスキャンをかけたらウイルスとスパイウェアが都合200程検出されてしまった。殆ど、イヌのウンコを検便に出された時の保健所のオドロキに近いものがある(尤も、Cookieもスパイウェアとして検出されていると考えれば、きっと本人が預かり知らぬ内に色んな処でCookieを食べさせられている筈なので、そーんなに吃驚する事はなかったのかもしれない…と思いたい)。
購入から半年、やっさんのPCは不正プログラムの梁山泊と化していた。
そのうちこの話も、平治師匠のマクラで聴けるんじゃないですか。
これだけ賑やかだと、レジストリ復元などやった事がない作業が沢山発生しそうなので早々に妻に丸投げして(ごめんなさい)、子守モードにシフトする。いや、これはこれで大変なのだが、今日はやっさんと半分こ出来るし。悠都はやっさんになつきまくって、座っている彼の背中によじのぼるなど(此処だけの話だが、きゃつは目方が17Kg程ある)父親にするのとほぼ同程度の狼藉を天下の桂平治に働いていた。困った奴だが、僕の友人にはおしなべて人見知りをしないので、その部分は大いに助かっている。尤も、やっさんは災難だったろうが、「云うことを聞かないなら、オニに電話をかけるからね」と「死神」口調で腕白坊主を心底びびらせていた。
悠都の好きな山陽さんがやっさんのことを「平治兄(あに)さん」と呼ぶんだと教えてあげたら、息子のやっさんを見つめる眼差しが尊敬に満ち満ちたのが可笑しかった。あとやっさんちのアルバムに、文治師匠が僕の肩に手をかけている写真を見つけて「文治ししょーとぱぱがいっしょにいるっ!」とこれまた感動していた。彼はCDジャケットの写真でしか文治師匠が頭に入っておらず、直接可愛がっていただいたことを不幸にも余り覚えていないのだった。
これはそのうち、とっておきの文治師匠と悠都のツーショット写真を見せてやらねばなるまい。
そうこうしている内に窓の外が暗くなり、4時間余に及ぶ妻の長く厳しい戦いが終わった。
これはいっそ、再インストールすべきだったかも、と妻。…ま、そーだね。
でもきっと世界中は、こんなPCで満ち満ちていると思うのだがどうか。
今日の話を日記ネタにする事をやっさんに快諾(?)してもらってから辞去。
夜、はるさんから、種ともこ・大江千里が出演した「東京百歌Vol.41」のレポートが届いたので、以下に備忘録。
種ともこ
…あーん、行きたかったよう。これからは怠けずに、チケットを即買いだ。
M-01 恋は死なない
M-02 相合傘の香港
M-03 伝説
M-04 心の旅(チューリップ)With 大江千里
M-05 明かりをつけてください
M-03「伝説」は
「VISION&PIANO vol.6」で初披露した、当時曲名未定のバラッド。ようやくタイトルが決まったんだそうです。
M-04「心の旅」は、種ちゃんPiano&Vocal、大江千里ピアニカとのセッションでとても良かったです。
ちなみに、種ちゃんとのセッションは、種ちゃんが拙い携帯メールで大江千里に直接提案したとか。速攻でOKメールが返って来てびっくりだったそうです。
大江千里
M-01 Rain(「1234(1988)」)
M-01 男と女(「Solitude(2000)」)
M-01 ファーストクラス(「first class(2001)」)
M-01 Dubidubidubiduo(「ROOM802(1998)」)
当日の場内の客層は、大江千里ファン5割、種ともこ、篠原美也子各1割、その他3割といったところでしょうか? 大江千里人気、未だ衰えず。
6月はシネマアートン下北沢の川島雄三特集に注力する予定なので(あくまで予定)、今のうちに自分の中でもプライオリティの高い「キッチン・ストーリー(2003・ノルウェー=スウェーデン)」を観るべく渋谷へ出かける。出かけたついでに、折角なので、既に前売を買ってあった「ビッグ・フィッシュ(2003・米)」も観ておく事にする。やっぱり1日2本くらいが、いちばん体力的精神的にも無理のない観賞スケジュールですね。
「ビッグ・フィッシュ BIG FISH (2003・米/ティム・バートン)」 渋東シネタワー1
これまで一貫して「異形の哀しみ」を描き続けたティム・バートンが、あろう事か父子ものの秀作をものしてしまった。勿論、極めてティム・バートンらしいアプローチで、ではある。主要登場人物がフリークス三昧なのは云うまでもないが(何しろダニ−・デビートにスティーブ・ブシェミ…て、ブシェミは詩人の役なんだが、どう見たって普通じゃない)、そもそも主人公のエドワード・ブルーム(アルバート・フィニー/ユアン・マクレガー)自身が、愛し乍らも彼を理解出来ずにいる息子ウィル(ビリー・クラダップ)にとって、かたちを変えた「異形」の者に他ならない……て、よくよく考えると「エド・ウッド(1994)」の、ひとに理解してもらえないキャラは、ひょっとするとエドワード・ブルームの原型と云えるのかも知れない。
さあて、お次は「伴奏者(1992・仏)」以来およそ11年振りのル・シネマだ。
また本作は、父の臨終を前に息子との和解を主軸にした「人生のハッピーリタイアメント」を模索した映画でもあり、そういう意味ではアカデミー賞外国語映画賞を受賞した「みなさん、さようなら(2003・加仏)」とも遠戚関係にあるので、興味のあるひとは是非観比べるように。
この映画は、人にも妻(ジェシカ・ラング/アリソン・ローマン)にも愛される法螺吹きのオヤジをどうにも不得手な息子ありき、という図がまずあるのだが、物語のクライマックスは、虫の息にある父に促されて、性格が真逆な筈の息子が、父の代わりに、父がかねがね勿体振って教えてくれなかった彼自身の大往生の顛末を創作して聞かせる処にある。父を喜ばせる為に息子は必死で、父親がこれまで語ってくれた数々のエピソードの登場人物を総動員させて、彼らが見送る中、父親はビッグフィッシュとなって河に帰っていくという葬送の物語を紡ぐ。そして、話を聞き終えたエドワードは満足げに「その通りだ」と頷いて息を引き取るのだ。
父のストーリーテリングを見事継承する、即ち「異形の技」を自らの中に修めることで(しかも、父のお墨付きを受けて)父と息子の物語は未来へと受け継がれていく。妻(マリオン・コティヤール)のお腹には父の孫となる息子が居て、実際、子供がまことしやかに友達へ語って聞かせる処まで映画は描く。ビッグフィッシュに始まってビッグフィッシュで閉じるエンディングまで、傑作と云っていい映画だと思う。
ひとつ残念なのは、監督のかつてのミューズ、リサ・マリーが何処にも見当たらないこと。
ヘレナ・ボナム=カーターが大健闘しているのは認めるが、リサ・マリーの域に達するには最低あと5年はかかる。
この項、続く。
「キッチン・ストーリー SALMER FRA KJOKKENET (2003・ノルウェー=スウェーデン/ベント・ハーメル)」 Bunkamura ル・シネマ
ベント・ハーメルと云えば「卵の番人(1995・ノルウェー)」である。
鰥夫(やもめ)のおじさんの「侘しいけれど微笑ましい」日常を描かせると、このひとの右に出るひとがいない。
しかもひとびとに向ける眼差しのあたたかさを裏切るようなビターズ・エンディング。「卵の番人」で云えば、仲の良かったモーとファーの老兄弟が突如始まった闖入者(ファーがスウェーデン旅行中に拵えた息子)との共同生活によって、とうとうモーは住み慣れた家を出る事になる。コンラードはあとから産み付けられた郭公(かっこう)の卵なのであり、モーの災難は即ち「託卵」された宿主の卵の悲劇の寓意に満ちている。監督の物語感を育んだ北欧の自然の厳しさがひしひしと感じられて、それが深煎りの珈琲を舌先で転がすような味わいを残す。
今回の新作も、先の「卵の番人」で得られた満足が再び蘇ってくる、滋味溢れる佳作だ。
1950年代初頭、ノルウェーの片田舎。各家庭の標準的な台所動線を調べて、機能性の高いキッチン用品を開発する為にスウェーデンの家庭研究所から独身男性の台所動線図を作成する為に調査員フォルケ(トーマス・ノールストローム)が派遣される。天井に頭が届きそうな監視台(はしご型の椅子)をキッチン中が見渡せる一画に据え付けて、彼は黙々とこの家の年老いた主イザック(ヨアキム・カルメイヤー)の様子を観察し続ける。調査対象と調査員との間には標準的な台所動線を得る為に「お互い会話してはならない」「いかなる交流ももってはならない」といった厳しいルールがあって(そもそもこの異様な観察光景を一瞥しただけで、標準的なる台所動線が得られないのはあきらか)、前半はフォルケ対イザックとの息詰る攻防が「なんちゃってサイレント」で繰り広げられるが、もうこれだけでごばんが三杯食べられる面白さ。
板チョコレートの話も可笑しいが(この映画、台所が主な舞台にも拘らず、ちっともグルメな話じゃないのだが、何故か素朴な食べ物のひとつひとつがひどく美味しく見えてくる)、ネズミ捕りに餌のチーズを仕掛けるシーンは観客がふたりの共犯者になって、つい固唾を呑んでしまうという意味でも名場面と云えるだろう。
後半、ふとしたきっかけからふたりの淋しい男たちの間に(調査員のフォルケも初老乍ら独身で、身内と云えば食べ物を送ってくれる年老いた叔母ひとりだけだ)心温まる友情が生まれて、元々イザックの友人グラント(ビョルン・フロベリー;このひともまた独身である)が(気分的に)蚊帳の外に弾き出されて悔しい想いをする展開は、前作「卵の番人」を彷彿とさせる。そう云えば「卵の番人」のファーの息子もスウェーデン人だった訳で、本作同様、新参者のスウェーデン人がノルウェー人同士の和を乱す展開は、日本人には分かりにくいスウェーデンvsノルウェーの微妙な軋轢を窺わせる。何となく東京の芸人vs大阪の芸人的な諍いに近い気もするが、さて。いずれにしても、彼らの友情は到って素朴なそれで、愛情と読み替えてもいいが、決してそれは同性愛的なものを感じさせない。どちらかというと「遅れてきた青春」のような友情のかたちは、北欧のシンプルなライフスタイルと相俟って、うら寂しいのに何処か様式美すら感じさせる。
調査員長期滞在用のキャンピングカー(何処かでミニカー売ってないかなァ)の狭いソファに正装したおじさんがふたり並んで、大きなケーキを前に、真面目な顔をしてイザックの誕生日を祝うのだが、その情景がひたすら愛らしいのだ。キッチンに運び込んだバスタブで行水を終えたイザックが、身体を拭き乍ら「ちょっと聞いてごらん」とフォルケを呼び寄せて、鉱石ラジオと化した奥歯から流れるムード音楽を聴かせるのだが、大きな口を開けたイザックと神妙に耳をそばだてたフォルケの表情がそれぞれ純度の高い少年のそれなのだ。いやらしい大人の計算だとか、一切の余計なものを削ぎ落とした、朴訥で体温の感じられる、ある意味理想的な友達関係。50過ぎてそんな友達を得られるなら、雪深い北欧を終の棲家に選ぶのも悪くない、そう思わせてくれる。
作家ベント・ハーメルは孤独の吹溜りのような男所帯を魅力的に描く名手と云っていい。
本作も「卵の番人」同様、決してハッピーエンドが用意されている訳ではないのだが、ラストシーンのテーブルに置かれたティーカップの片方がひょっとしてイザックのものだったりしないかと、ほんの少しでも思わせてくれる処がこの映画が湛えるやさしさである。
実は映画が始まる前にル・シネマのロビーから妻に電話をして「渋谷でお茶しない?」と誘ったが、「天気が良いので家事に精を出す」と振られてしまったので、やむをえず、文化村通りにある「ブラックブラウン」を見つけると、カウンター席を陣取って、茹で立てトマトミートソースのスパゲティー290円+大盛り150円+ドリンクセット130円の計570円で遅昼を済ませる。
入口で食券を買わせるあたりがとってもファースト・フードスタイルだが、内装もそれなりに渋谷っぽくて、見映えも味も、そしてヴォリューム的にも普通のお店と何ら遜色の無い激安パスタが食べられる。
ブックファーストで存分に立ち読みしてから(買わんのかいっ)帰路に着く。
久し振りに、我が家の傍にある「アトリエ・ド・ペリニィヨン」へ立ち寄って、ティラミスを買って帰る(ちなみにこの店が入っているマンションには某有名俳優が住んでいるらしい。ヒントは四字熟語のような名前)。麦チョコとミニダックワースのトッピングが小憎らしい(褒め言葉である)。笑っちゃう程美味しかったのだが、個人的にはもう少し冷蔵庫で冷やしてから食べればよかった。
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