キューティーハニー / Bretonで誕生日 / 雁の寺
2004年
とんかつが 食えなくなったら 死んでしまいたい
とんかつの 油のにじむ 接吻をしようよ
女は二度生まれる / 誕生日当日 / 第51回桂平治独演会
トンデモ前週祭 / お多幸本店のとうめし / 落語会デビュー
あした来る人 未着 / 夜の肌 未着 / 風船 未着
暖簾 / 喜劇 とんかつ一代 / 青べか物語
幕末太陽伝 未着 / 洲崎パラダイス 赤信号 未着 / 子猫をお願い
謝朋殿 粥餐庁 / お江戸きらきら隊
▼ 2004年05月の都を旅する
18時に会社を出て、銀座へ妻の誕生日プレゼントを探しに行く。
まずは銀座プランタンのすぐ傍にある「Coffee History銀座店」へ。
以前、妻がこのあたりで可愛いカップを見つけたと云っていたのを覚えていたので、この店にアタリをつける。
ショーウインドウに並んだカップを物色すると、ひとついかにも妻が好みそうなデザインのものを発見したので、思案した挙句、デミタスカップ&ソーサーの方を買い求める。けれど、誕生日プレゼントと畏まって差し出す程の価格帯ではなかったので(無論、妻はそういう事にこだわるひとではないが)、予定外だったけれど、銀座プランタンにも寄ってみる事に。最初は日経MJで紹介していたサングラスホルダーを見ようと思ったのだが、プランタンの放つ「男人禁制バリヤー」に足が竦んだ為、先程買ったデミカップとかぶるとは思いつつも、男の僕でも比較的垣根の低いリビング館3Fキッチン用品コーナーへと避難してしまう(ダメじゃん)。
妻はとにかくお茶をがぶがぶ呑む人なのだが、イタリアの白い食器ばかり扱っている「ラ・ポルチェラーナ・ビアンカ」に、ちょっと大振りの、保温用の蓋付、茶漉し付のハーブティー専用カップ&ソーサー(勿論、茶漉し共に白磁製である)を見つけたので、それに決める。
彼女がひとりでお茶を飲む時などに重宝するといいが、さて、どうか。
買い物を済ませてから、木場まで帰って、「109シネマズ木場」にて「キューティーハニー(2003・日)」をレイトショーで。
「109シネマズ木場」は暮れ以来だと思うが、ポイントが溜まったという事で映画のタダ券を受け取る。全くの予定外だったので、ちょっと得した気分。
客席には、僕とほぼ同世代のネクタイ姿の単独来場が目立つ。
嬉しくないが、客層を選ぶ映画なのは確かなので、余り文句も云えない。
「キューティーハニー CUTIE HONEY (2003・日/庵野秀明)」 109シネマズ木場
原作のチョイスや「B級上等」という演出意図もある筈だが、狙いすぎのキャラ設定に始まって、構図からアングルから効果からアニメの絵コンテを忠実になぞっていて、アニメ出身の作家がおのれの生理に忠実に実写映画を撮るとこうなる、という見本のような映画。この文脈で絵作りをしていけば、確かに佐藤江梨子が金田伊功スタイルに体躯を崩して活躍するハニメーションなる手法は当然の流れだと思う(サトエリ自身の特筆すべき身体のやわらかさというのもある)。
途中で妻から携帯メールが入ったので、ヨーカドーで息子の忘れ物を取りに行ってから帰宅。
本作はアニメの手法が何処まで実写作劇に通用するかという実験映画の側面も持つが、少なくとも物心ついた時からアニメを食べて育った為にアニメのテンポそのものがサーカディアン・リズムとなってしまったオタ世代には拒絶反応がかなり少ないと思われる。たとえば、秋夏子警部(市川実日子)と、嶋田久作を始めとする日和見上層部の対立するシークエンスなんて全くアニメ的な演出なんだが「踊る」の後でこれを観るとそういう意味での違和感は全く感じないもんなあ(処で、大河内浩や田中要次に混じって、さりげなく出渕裕が居るあたりはワロタ)。あと、如月ハニーが派遣社員やっているオフィス描写とか。
尤も冒頭の「やっぱりお風呂は気持ちがいいにゃー」には、出会い頭のアッパーカット。
地声が低目のサトエリが泡風呂バスタブの中で、声優喋りと云うか萌え誘発喋り(無論、誘発されるかどうかは個人差の問題)をし乍ら長い脚を上げるという、まるで海洋堂フィギュア逆輸入な図は、映画を始めるにあたって、この作品は全篇こういうトーンですよという庵野監督のマニフェストみたいなものなのだが、此処を乗り切るのにある程度の努力を要するオレ、というのはやはり同人には向かないタイプなんだろうな。
勿論、DVD購買意欲を駆り立てるという意味に於いて、間違いなく傑作と云える。
これはあくまでも褒め言葉だが、音楽の使い方ひとつ取っても、全篇に渡る「B級グルメ嗜好」が隅々まで行き届いている。要は何が格好良くて、何が格好悪いかを知り尽くしたオタ達が、盛大にカネをかけて拵えた「帰ってきたウルトラマン」新世紀Ver.なのだ。当時よりはるかに向上したプロのスキルと大人の計算に、同人のスピリッツはあの頃のままに。志それ自体は確かに高いのだが、目指す山頂が「CASSHERN」と同じ処にないのである。
主演したサトエリの頑張りもさること乍ら、本作の最優秀助演は、やはり及川光博(ミッチー)と手塚とおるに尽きると思う。片桐はいりも忘れちゃいけない怪演ですね。早見青児を演じた村上淳は、逆に今現在のパブリックイメージにかなり近い役だったと思う。
あと、松尾スズキや岩松了といった作・演出のひとたちが歯車のひとつとなってバカを楽しんでいるのもこの作品の特色。脇で顔出すだけで映画のコージャス感が増すという意味では松田龍平も大物になったものである。逆に特別出演のしすぎで「またか」感しかない京本政樹というひともいるにはいますが。
あ、勿論、原作者の永井豪先生も、ハニーに尻餅をつかれてフロントガラスが大破してしまう車のドライバー役で愉しそうに特別出演しています。きっと「デビルマン」や「まぼろしパンティ対へんちんポコイダー」でも同様のハイテンション演技を披露してくださっているんだろうなあ。
誕生日には少々早いが、なーに、明日のバースデーランチだって誕生日に少々早い事には変わりはないので、「Coffee History」のデミタスカップの方を、早速妻に渡してしまう。「どうしてこれを欲しいって事が分かったの?」と妻はオドロいていたが、分かってしまったものはしかたがない。
ま、まだまだオレも捨てたもんじゃないって事で。
実際は3日早いが、妻の誕生日のお祝いに千駄ヶ谷「Breton」でアニバーサリー・ランチと決め込む。
4月に結婚記念日を忘れてミソをつけたので、汚名返上すべく、昔通った清水忠明シェフのお店をチョイス。
結婚する前、遠距離時代に初めて神楽坂「ラ・トゥーエル」で食事したのが最初でそれから清水シェフの作る料理のファンになった。僕が「ラ・トゥーエル」に行ったのはせいぜい2、3度だが、OL時代の妻は何かと云うとこの店の料理を愉しんでいたようだ。結婚した直後に行ったのが最后で、子供が生まれてからは当たり前だが、フレンチレストランそのものから遠ざかってしまった。
神楽坂の店はとても子供を連れて行ける間取りではなかったが、99年にオープンした「Breton」は店が広くなった上に、よりカジュアル度が増していたので、イチかバチかお店にメールしてお願いした処、ディレクトールの清水さん(清水シェフの弟さん)から快諾の返事が来たという訳。まさか、4歳の幼児を連れて、フレンチを食べに行けるとは思ってもみなかったよ。
地下鉄大江戸線国立競技場前A2番出口を歩くこと3分。
国立競技場の前を通って外苑西通りを抜けると、明治公園を臨む交差点の真向かいに、植え込み越しに壁一面のガラス張りの窓から町を見渡せる「Breton」がある(神宮外苑の花火大会の折には花火を肴に食事出来るらしい)。
開店の11時半ちょうどに店を訪ねたら、入口でディレクトールがドアを開けて招いてくれた。
ほんのわずかな時間だけだが、完全なる貸し切り状態。しかも席も窓際の良い処を押さえてもらっていた。
厨房越しに仁王立ちで腕組みをした清水シェフが怖い顔でこちらを睨んでいる(別に怒って睨んでいる訳ではない、と思うけど浅草の「レストラン大宮」と云い、腕の確かなシェフには何故か武闘派が多い)のに、そこはかとなく胸が騒ぐものの(おそらく下拵えも終えてしまって、こちらがオーダーするまではもはやする事がないのだろうと思われる)、ディレクトールとふたりの女性のメートルのやわらかい接客で緊張が徐々にほぐれていく。外の陽射しは強いが、店内は適度に冷房が効いていて、寒すぎないのがいい。時代のついた洋書やさまざまな調度類が窓辺のカウンターに置かれていたが、悠都は木製のブレッドのオブジェにご執心で、あれはオモチャじゃないと云い聞かせるのにいささか骨を折る。
清水ディレクトールが息子に向かって「ボク、すごいなあ。4歳でフレンチレストランデビューなんて」と笑いかけたが、それに関しては僕らも全面的に同感である。別に積極的にデビューさせたかった訳ではなかったのだが、両親の方がおのれの欲求に負けてしまったというか。しかも悠都はフランス料理デビューこそ今日だが、チュニジア料理デビューとベラルーシ料理デビューはもう済ませているあたりがおそろしい。そんなデビューなど済ませていないひとが大部分である。
当初の予定通り、休日コースのRomanee(5,040円)をお願いする。
ちなみにその上のコースはConti(7,140円)…あわせて「ロマネ・コンティ」となる。
僕らはお酒をいただかないが、息子を黙らせる為に、とりあえずオレンジジュースだけ注文する。
という訳で、以下、食譜。
まずコースの前に、隣接したベーカリー直送の小型山食パン「Breton」が運ばれてくる。
実は楽しみにしていたひとつがこの「Breton」焼印入りのブレッドで、素手では熱くて持てないくらいなのがまた嬉しい。「誕生日おめでとう」Ver.という事で、妻のパンの裏側には更に「HAPPY BIRTHDAY」の刻印がついていた(羨ましい!)。薄ーくスライスされたバターが供された時点で「パパ、パン食べたい!」。この後、息子はコースが終わるまで「このパン、美味しいね」と悲鳴を上げつつ、ずーっとパンを食べ続ける事になる。
残念乍ら、この食パンのお代わりはないが(隣のベーカリーではお買い求めいただけます・笑)、その後バスケットに盛られた各種カンパーニュを存分に味わうことが出来る。僕はプレーン、妻子は胡桃入りカンパーニュを集中してオーダーさせていただきました。
Entree ─オードブル(僕)
フォワグラのロワイヤル“トゥーエル風” (写真中央)
「ラ・トゥーエル」の、あの人気メニューを此処「Breton」でも味わえるとは。
此処のフォアグラのテリーヌは、デネルヴェの仕事の細やかさに尽きる。兎に角プリンでも食べているかのような口あたり。イタリアのオレンジとワインを合わせてあるそうだが、昔食べた時よりも心持ち軽くなった印象(尤も、余り自信はない)。アントレだけに、まずは口中爽やかなくらいがいいと思うので、人知れず改善が重ねられているのかもしれない。ガチョウの翼を模したオレンジも、今にも羽音が聴こえてきそうな、躍動感と茶目っ気を感じる盛り付け。こちらは水飛沫だと思えばいいのか、マヨネーズソースにピンクペッパーを粒ごと散りばめたデザインの美しさと、デザインに決して負けていない極上の味。
パンに塗るべし、塗るべし、塗るべしで、なくなるのもあっという間でしたね。
さすがに悠都にはちょっと理解出来なかった大人の味。
Entree ─オードブル(妻)
ボタン海老のキャビアマリネと穴子のサフランソース (写真右)
何たって皿の中央で天を仰ぐ、素揚げの海老の頭がこれからコースが始まるわくわく感を演出する、まさにアントレならではの一皿。海老は素手でかぶりついてくださいと、フィンガーボール代りのココットが供される。それじゃ遠慮なく…と満面に笑みを浮かべた妻が海老を頬張ると、更にしあわせそうな表情になる。彼女は美味しいものを食べた時、極限まで表情が豊かになるのだが、そういう意味では一皿目から見事、ビッグウェーブに乗っかった感じ。それだけでこのお店を選んだ甲斐があったというものだ。僕もキャビアと穴子は味見させてもらったが(…て、ぷりっぷりの果肉のような海老だけは決して味見させてくれなかったのはどうかと思う)実に爽やかなお味。サフランも決してくどく感じない。
Poisson ─魚料理
イサキのソテー ソースヴァンルージュ (写真左)
魚料理はチョイスなし。写真では分かりにくいが、ソースがあざやかなあずき色で、妻も僕もお皿を見た時には本気で豆系のソースかと思ったが、実際は赤ワインとポルト酒とエシャロットをあわせて拵えたソース・ヴァンルージュとのこと。イサキのソテーの下には炊き上げた小麦が敷き詰めてあって、粒パスタのような触感が愉しめる。イサキの上には色鮮やかな根菜のソテーと、フライド・オニオンのスティック。で、見た目を裏切らないイサキの旨さ。絶妙な火加減と塩加減と、ソースヴァンルージュとのアンサンブル。尚、ブレッド・ブルトンでお皿をぴかぴかに磨き上げたのは云うまでもない。
Granite ─口直し
カプチーノコンソメ (写真中央)
本来の「グラニテ」という事では、シャンパンのグラニテもあるけれど、此処に来た以上、どうしても口にしたいのが、このカプチーノコンソメだ。カプチーノ仕立てにしたスープって、今では結構、色んなお店に置いてあるけれど、最初に「ラ・トゥーエル」でデミタスカップの泡立てたスープを口に運んだ時の感動は今も忘れない。ベースはジャガイモとブイヨンだと思うのだが、深みがあり乍ら、程よくあっさりしていて、幾らでも呑めてしまえる珠玉の一品(何年経っても、スープのヴァリエーションが広がってゆかないのはこのレシピが清水シェフの中で完成されてしまっているからかもしれない)。猫舌の息子も、スープに浸したカンパーニュの美味しさに味をしめて、半分以上、カンパーニュに吸われてしまった。──子供には決して教えたくない禁断の味(笑)。
Viandes ─肉料理(妻)
幼鴨の胸肉のロースト ホワイトレーズンソース (写真無し)
鴨と云えば、オレンジソース(ソース・ビガラードと云う)。実際、清水シェフもその昔「どっちの料理ショー」で鴨のオレンジソース vs 仔羊のローストの対決があった時に「おいしい応援団」に出たくらいには鴨のオレンジソースが得意だったりするが、鴨が出ると必ずオレンジで合わせて来られると新鮮な驚きが無くなってきていたのも事実。
処が、今日の清水シェフは白ぶどうで攻めてきた。写真でお見せできないのが残念だが、鴨肉にフレッシュ・マスカットが散らしてあって、見た目も愛らしい一皿。ソース・ビガラードはグラニュー糖をキャラメリゼした「ガストリック」を用いて作るが、こちらのガストリックは蜂蜜を合わせてある。5切れあるうちの2切れを悠都が食べた、と後で妻がこぼしていた(笑)。僕も1切れだけお相伴に預かる。んまい。勿論、ソースは妻が残さず、パンで拭っていた。
Viandes ─肉料理(僕)
プラチナポークのLボーンのグリエ オニオンソース (写真左、中央)
幻の豚、プラチナポーク。真偽の程は僕など知る由もないが、年間わずか1500頭しか生産しない希少な豚「白金豚(はっきんとん)」は明治の昔から奥羽山脈の天然水で飼育されてきた岩手県のブランド豚である。僕も春先に一度、日本橋「Wine & Dining ANTHOLOGY」でいただいた事があるのみ。
この料理だけは、実際にお皿にサーヴする前に、メートルの女性が一抱えもありそうなLボーンの肉塊(調理済み。スティック状にカットした野菜も一緒にソテーしてあった)を載せた大鍋を持ってきて「この料理だけはシェフがお見せするようにと云われまして」と大胆且つ野趣溢れるサービス(写真に撮っときゃよかったですね)。肉塊、そして脂身部分の巨大さと「年間1500頭」という稀少価値がしみじみ沁みて来るひととき。
サーヴされてきたお皿には、髄も啜れとあばらも一本おまけでついてきた。僕にも、先の妻のボタン海老の如く、ハーブを散らした水を湛えたフィンガーボール代りのココットがついてくる。このお皿もソースがきわめつけに美味かった。暗躍するすましバターの魅力全開。しかし、肉の美味しさは云うまでもなく、この皿の凄さは脂身そのものが天然のバターを味わっているかのように、濃厚にしてクリーミーな口あたり。歯を立てることなく、ほわっと口の中で融けていくのである。小学生の頃、給食で食べられなかったあの脂身よ、今いずこ…。
テーブルを離れる時に、悠都に厨房の清水シェフへ「ばいばい」と手を振らせると、あの厳しい顔立ちの口許が「心持ち」微笑んでくれた。
Deserts ─デザート(その1)
シェフ特製バースデーケーキ、苺のシャルロット (写真左)
まずはカットする前のホールケーキがキャンドルに火を灯して登場。苺のシャルロットのお皿はパウダーシュガーが目一杯篩ってあって、悠都が指で舐めるのをやめさせるのに骨が折れる。お店のサービスでケーキを中心にして、清水ディレクトール自らデジカメを手に記念写真(夕方、速攻で画像が送られてきたのには驚いた。清水シェフの無敵の料理に、清水ソムリエのこまめなサービスの両輪の上に「Breton」は成り立っている)。
Deserts ─デザート(その2)
シェフ特製グランデセール (写真中央)
本日のグランデセールは、アーモンドスライスを敷き詰めた上に程よく融けかかったバニラアイスと苺のソルベ。小さなココットには果肉入りピーチ(黄桃)のスープが注がれ、取り分けた特製苺のシャルロットの影に隠れて見えないが、ヌガー・グラッセが伏兵として潜んでいる。お皿を縁取るドットはフランボワーズソース。妻の皿はこれに「HAPPY BIRTH DAY」のプレート替わりのクッキー付(尤も、このクッキーは悠都に全部食べられてしまった)。本来、人数にカウントされていない息子にもケーキを取り分けたお皿にはフルーツソースやチョコレート、パウダーシュガーで絵が描いてあって、何とも美しい限り。
シャルロットは苺のムース、チョコレートのムースをフィンガービスケットの代りにふわふわのスポンジで取り囲み、フレッシュな苺やブルーベリーをびっしりトッピングしたもので、これが何故お持ち帰り出来ない?という美味しさ。苺のソルベもフレンチのデセールならではのフレッシュ感がたまらない。ピーチスープは洋酒(桃のお酒?)が入っているらしくて、ちょっと子供にはあげられないお味だったけど、本当に此処はデセールまで手を抜かない。誕生日Ver.だったからかもしれないけど、フルーツグラタンなどを供する小さなパン(鍋)が見られなかったのがちょっぴり残念。
Cafe ou The ─飲み物(僕)
エスプレッソ (写真右)
写真はないが、妻は紅茶(バニラのフレーバーティー)。
エスプレッソの入ったデミタスカップのデザインにぐっと来る。これ、カップ&ソーサーごと売って欲しいかも。
妻の誕生日(本当は来週の火曜だけど)のお陰で、今日はひさしぶりに安くて極上のフレンチを堪能する事が出来た。息子も2時間超の長丁場をよく堪えてくれたし、コブつきの僕らを迎えてくれた上にイヤな顔ひとつしなかった「Breton」のスタッフの皆さんといい、今日はホント、皆んなに感謝感謝である。
お勘定を払ってから、迷わず、というか慌ててお隣のベーカリーへ急ぐ。お目当てだった清水シェフ自家製のサンドウィッチは残念乍ら、売り切れ(次回の愉しみが出来た、と此処は前向きに考える事にする)。
それでも、めげずにクイニィアマン(210円)、「Breton」の焼印も眩しいブレッドブルトン(210円)×2ケ(当然)、そして「Breton」特製カレーパンの「パン・オ・キュリー(210円)」。中でもビッグサイズな「パン・オ・キュリー」が期待度大。フレンチレストランの底力を見せてくれる惣菜パンである事を信じて疑わない。
満腹になったら夫婦して激しい睡魔に襲われたので、寄り道もせずに直帰。
帰宅して、妻にラ・ポルチェラーナ・ビアンカの蓋付き茶漉し付ハーブティーカップ&ソーサーを開陳だけしてから、夕方まで意識を失う。食事含めて、妻もひとまず喜んでくれたのでよしとする。ちなみに夕食は右團治さんに戴いたお蕎麦で妻に「天そば」をこさえてもらう。
絵に描いたような、入梅。
という訳で、昨日の好天が嘘のような、そぼ降る雨の中(けれど僕の住む清澄白河エリアでは、舗道脇の紫陽花がみずみずしくて綺麗である)、11時過ぎに家を出て、渋谷で「踊る大捜査線2」の広告を見上げつつ、井の頭線に乗り込んで下北沢へ。
昼飯を食べるべく、雨の下北沢を彷徨した挙句、つい郷愁に誘われてしまい(後で妻に「何も下北沢に行ってまでココイチに行かなくても」と呆れられた)、東京に来て初めて「ココイチ」に入って、5・6月期間限定の「まぐろカツレツカレー(650円)」を食べる。まぐろカツレツの何物にも代えがたいさくさく感に暫し至福のひとときを味わう。
さて、今月に限っては新作映画や横浜フランス映画際2004をほったらかして注力予定のシネマアートン下北沢「特集上映『監督 川島雄三』」。その第1週目は、「vs 若尾文子」という事で、若尾文子主演の大映3作品を上映。尤も「しとやかな獣」はいつぞやの小沢昭一映画祭で堪能したので、本日はパス。
此処は傘入れが厚手の布製で用意されていて、ちょっと嬉しい。
「雁の寺(1962・日/川島雄三)」 シネマアートン下北沢
梅雨一発目に相応しい、蒲団の裏をめくったら茸がびっしりと生えていたような、非常に湿度の高い作品。
この項、続く。
川島演出というとドライが身上と云われるが、大映という会社の風土(というか、若尾文子の「魔性」ですね)と融合すると、どうもじめじめとウエットな作風が顔を出すようだ(助監に「ガメラ」シリーズの湯浅憲明、美術に西岡善信となかなかの顔ぶれである)。
自ら襖絵を描いた禅寺「狐峯庵」に若くて美しい妾・里子(若尾文子)を囲っていた日本画の大家、岸本南嶽(中村鴈治郎)の病死と共に、住職・慈海(三島雅夫)に里子の後を託す。で、この里子というのが、人は好いものの無自覚なファム・ファタルであるが故に、慈海はすっかり彼女の色香に溺れ、寺の仕事・家事一切(冒頭からいきなり川島スカトロジー全開の肥汲みシーンだもの)を、口減らしで被差別部落を出た修行僧・慈念(高見国一;おかあさんは何を隠そう、菅井きんでした)にまかせ、彼を厳しく躾る傍ら(お蔭で里子が同情と欲情を思い違いして誘惑する始末)、おのれは若い情婦との悦楽にうつつを抜かすが、いつまでも耐え忍ぶ慈念ではなかった…てな話。
以下、二重でネタばれになって恐縮だが、この映画の後半は「ハッピーエンド(1999・韓)」の如く、虐げられて我慢に我慢を重ねた男の完全犯罪を描くクライムムービーへと変貌する。師匠・慈海にしごかれ、里子からは余計なお世話を受け、挙句、消してしまいたい過去を西村晃にばらされ、大人たちから酒の肴に訳知り顔で語られたり、同情されたりして、すっかり心の行き場を見失った慈念の復讐劇をサスペンスたっぷりにお届けする。観客は、慈念が住職を殺害した後、他所様の通夜・葬儀を逆手に取った死体隠匿劇にはらはらさせられつつ、住職を隠した棺が土葬されるのを固唾を呑んで見守るのだ。
スリリングであり乍ら、何処か可笑しいという個人的に好ましい作劇なのだが(川島に師事していた今平的重喜劇にも通じる気がする)、このシーンが突出し過ぎているが故に、クライマックスの、庇護者──里子的には、庇護者の三代目を若い慈念が引き継ぐのが好ましかったのだろうが、後任の住職にはしたたかな慈念の恩師、宇田竺道(木村功)が着任し、若き慈念は心の闇を払えぬまま遁走してしまうのである──を失った里子の狼狽と慨嘆が、観客には唐突過ぎて唖然とさせられるのもまた事実。
雁の鋭い鳴き声と、餌を待つ子雁の絵と対になっていた母親雁の絵がむしられた襖の穴跡(その隠喩は分かるが)で締め括るラストから一転、カラーになった途端──本作はパートカラー作品でタイトルと、このシーン以外は全部白黒映画である──観光バスが立ち寄る、現代の禅寺「狐峯庵」になって、今の住職(小沢昭一;卑怯な配役である)を狂言回しに、襖絵の修復が完了した事を告げて、映画は終わる。「えーっ」てなもんである。クライムムービー部分が余りにも面白すぎたせいだが、そのバランスの悪さがこの作品の忘れ難き味であるとも云える。
処で、三島雅夫が演じた、スケベ住職、慈海は彼の代表作と云っていいのではないか。
此処迄ねっちりと、若尾文子独自のエロチシズム路線を際立たせた助演は賞讃に値する。
裸なんか出さなくてもイヤらしい映画は幾らでも作れる、という証左のような作品。
勿論、カメラが趣味のモダーンな友達住職、山茶花究が素晴らしいのは断るまでもない。
「女は二度生まれる(1961・日/川島雄三)」 シネマアートン下北沢
原作の富田常雄「小えん日記」は未読だが、映画から察するに、九段でミズテン芸者(売春禁止法に引っかからないように「恋人として」お客と寝るのが「売り」の芸無し芸者)をやっていたこえん(若尾文子)が、持って生まれた器量と無邪気と多情仏心とで、色んな男と関係することで、磨かれ、挫かれしていく生生流転の記。このおえんという女性は、見事なまでに「雁の寺」の里子と相似形のキャラである(実際は製作はこちらが先にして、川島監督の大映デビュー作。彼が大映幹部の前で「若尾文子を女にしてみせます」と大見得を切って拵えたのが本作である)。
映画館を出てから、いそいそと「アンジェリカ」へ寄って帰宅。
お莫迦で品がなくてあからさまで移り気だけど深情けな女(可愛いけど、決して奥さんにはしたくないタイプ)の一代記なので、骨格たるストーリーはあってなきが如しだが、彼女を通り過ぎる男たち(建築家・筒井(山村聡)、鮨職人・野崎(フランキー堺)、謎の「パパさん」矢島(山茶花究)、憧れの学生さん(藤巻潤)、少年工のボウヤ(高見国一)、あ、あとワンポイントで出てきた政治家・猪谷先生(上田吉二郎)のせわしなくも微笑ましい脂オヤジ振りは書き留めておく)の多彩さで100分を乗り切っていると云ってもいい。
パトロンだった山村聡(佐分利的ギラギラキャラであり乍ら、可愛らしいエプロン姿も披露してくれるという気前のよさ)に死なれ(錯乱した正妻、山岡久乃とのバトルはなかなか愉快でした)、岡惚れしていたのにエラくなった藤巻潤に売笑婦扱いされ、金持ちの子持ち女の家に婿入りしてしあわせそうなフランキー堺の横顔を垣間見たおえんが、日本アルプスに連れて来た高見国一(彼と若尾文子の関係の発展系が「雁の寺」なんですかね)の少年工をひとり送り出して、自らの来し方を振り返るような、或いは決意表明のような、何らかの覚悟を決めた表情をする処で映画が終わるのも、観客的には非常にキモチ悪いが、それがまたきわめてカワシマ的。おえんがそんなに難しいことを考える筈がないと思ってはみても、観客としてはつい彼女の表情に(勝手に)人生の深淵を見てしまう、そんな余韻オチである。
それから、靖国神社の太鼓が効果的。色々深読み出来て、大いに結構。
あと、パパさんこと、山茶花究の如才のなさは完璧。
おえんと温泉地に行って、昔馴染みの女に鞍替えする処、花街に舞い戻ったおえんをものにしようとする処、いやー、僕が元々山茶花さんに対して抱いていた色悪としての魅力を十二分に堪能出来ます。
余談ついでに書くと、おえんと同じアパートに住むプロレタリアートなインテリ学生に江波杏子、フランキーの先輩の板前に中条静夫が、それぞれ好助演。
二の酉の夕刻、おえんが鮨屋を訪ねて、サヤあてじゃないけど、野崎(フランキー堺)の代わりに中条さんと言葉を交わすってェと、後ろに流れているのは何故か、ベートーベンの「運命」。このミスマッチな取り合わせとそのあとに続く、ハードボイルドみたいな野崎とのそっけない会話、しかも、その会話は前のシーンでのこえんの台詞を再びなぞるかたちを取っているという…。
これこそが川島雄三ならではのスタイルであり、映画なのだ。
さあ、あなたも脳内に快楽物質が湧き出すひとときを。
妻の誕生日当日。
幾ら週末にお祝いしたとは云え、何食わぬ顔で帰宅するのも何だか妻に申し訳なかったので、会社帰りに東京大丸のデパ地下へ寄って、「マキシム・ド・パリ」で苺のミルフィーユ(SS)を買って帰る。ちなみに「マキシム・ド・パリ」のケーキは食べるのも買うのもこれが初めて。
サイズがSSという処がポイント。Sサイズのミルフィーユと比べるとトッピングの苺は縦割りスライスだし(Sの苺は丸のまま)、厚みもSの半分しかない。半分しかないんだが、SSぐらいのヴォリュームが僕ら健啖家3人家族でさえ、ちょうど程良い分量。パーティー用でもあるまいに、あのSサイズというのはどういう食卓を想定しているのか。いわんやその上のサイズは…。
SSでどうにか僕ら庶民が手に届く価格になるのだが(同んなじ理由で「ミクニ・ダイマル」も買った事がありません)、無料サービスではなっからお誕生日プレートが2種用意されてたりして、其処はさすがマキシム、自分の「ハレ」のポジションをよーく分かってらっしゃる。アニバーサリー・キャンドルもヴァリエーションがあって、悠都が見たら大喜びしそうであった。
ケーキに同封されていたリーフレット 【ミルフィーユの切り方】
リーフレットには「サクサクの出来立てのパイを壊さずお取り分け頂く方法」とあったが、書いてある通りに妻が包丁を突き立てるとあーら不思議、パイをぐだぐだに崩しもせず、美しく切り分けることに成功したのだった。「──マキシム、ありがとう(妻・談)」
左手のフォークの背でミルフィーユの側面を押さえ、右手のナイフを垂直にして突き刺す様な感じで手前に引きながらきります。
で、肝腎のお味の方だが、確かに美味しかったが、目を見張る程ではない。
懐具合と相談して「また機会があったら、お会いしましょう」って感じかな。あくまで記念日向け。
やっさんの「シュピーゲル、シュピーゲル」を受けて、妻は今日も保谷へパソコン・レスキュー。
週末に突然、ネット接続が出来なくなったらしいが、ADSLモデムのリセットであっさり復旧(しかし後程、電源を落とすとまたネット接続不可になると電話があったりして…ひとまずADSLモデムのリセットで復旧…やっさんのPCは何だかもう一波乱ありそうな予感)。
悠都は「マイタウン・ジュン」で、皆さんにさんざん構っていただいた挙句、やっさんのBANDAIウルトラ怪獣食玩コレクションのダブったぶんを袋一杯貰って帰ってきた。妻に話を聞くと、やっさんはダブりもの未開封を全部開けて、息子と一緒に組み立ててくれたらしい。──ほんとうにお疲れさまでした。
じわりじわりと仕事のカタマリが押し寄せてきているのだけれど、今日ばかりは耳塞いで鼻摘まんでどぼんと海に飛び込む感じで定時退社。日本橋で銀座線に乗り換えて、上野広小路駅へ。
今夜は、お江戸上野広小路亭にて「第51回桂平治独演会」。
諸般の事情で、前回、50回目と49回目を入れ替えて開催したので、ようやく今回から通常営業。
処で、東京に出て来てやっさんの高座を都合何回程聴いたのか(無論、ほぼ毎回最前列で聴いている)ふと気になって過去のメモを調べてみた。
2003年
11月 新宿末広亭上席・夜(僕にとっては文治師匠最後の高座でもある)
11月 第49回桂平治独演会
11月 第27回平治扇治二人会
01月 桂平治の会 番外編〜ちょっといい噺
03月 第28回平治扇治二人会
04月 桂平治の会 番外編〜だから落語はやめられない
05月 なかの℃祭
06月 第51回桂平治独演会
※ 上記のうち「第27回平治扇治二人会」「なかの℃祭」は、これを書いている時点(2004/6/16)では日記に未記載。
独演会や二人会では二席ずつ演るから、半年余の間で実に十四席程聴いた勘定になる。しかも此処が大切なのだが、桂平治の高座を聴いていて、客として一度もだれたことがない。聴き手としてウマが合う噺家なのだ。これは友人の慾目ではなく本当にそう。友達としての「やっさん」は勿論大好きだが、僕は噺家・桂平治の高座が本当に聴きたくて落語会に通っている。これは声を大にして云っておきたい。
さて、今日の落語会はやっさんからゴチになる。
一昨日、妻がPCレスキューに行った御礼だそうで、僕的には全くの棚ぼた。ありがたいありがたい。少し早めに着いたので、近くのコンビニで早めの菓子パンを買って、鈴本へ今夜のやっさんのライバルを確認しに行って(笑)いるうちにお時間。楽屋へ行って、やっさんに頼まれていた名刺(桂平治のロゴを千社札風に変更した妻の労作である)を渡してから、いそいそとかぶりつきの座卓に身を沈める。
三笑亭可女次「寿限無」
可楽師匠のお弟子さん。今回が初見だったが、なかなかのイケメンでしかも一所懸命な感じがなかなか可愛いひとなので、ご贔屓筋も多いのではないか。
古今亭錦之輔「メビウスの輪」
「可女次(かめじ)」の名前の由来はカメを飼っていたからなんですよ、イボイノシシを飼わなくて良かったですというマクラから、現在「にほんごであそぼう」で子供に絶大な人気のある正調「寿限無」。ちょっと悠都に聴かせたかったかも。
前座さん乍ら、ご隠居キャラの造型も説得力があってなかなかのもの。
ただ肝腎の「寿限無」の「水行末(すいぎょうまつ)、雲来末(うんらいまつ)、風来末(ふうらいまつ)」を「すいぎょうばつ、うんらいばつ、ふうらいばつ」、「藪裏柑子(やぶらこうじ)のぶらこうじ」を「やぶらこうじのやぶこうじ」と演るのに違和感を感じる。いたって丁寧な「寿限無」だったので、きっとそう教わったのだと思うけど、「寿限無」は下手に耳馴染んでいるだけに気になってしまった(ウチの子供もかろくししょーのと違う、とツッコみそうである)。
寿輔師匠のお弟子さんだけあって、ド派手な黄色の羽織で登場。
桂平治「松曳き」
僕は寡聞にも知らなかったのだが、このひと、新作落語の世界ではかなりの注目株らしい。
日常ウォッチング系のネタで客席を程好く暖めてから、本ネタへ移る手管は手馴れたもの。
ネタはタイムマシンもの。
工学部の学生がふとしたきっかけでタイムマシンを発明してしまう。
試乗がてら、友人が酔った弾みで落としてしまったレポートを拾いに行くが、その成功に気を良くしたふたりは、歴史上の人物をスカウトしてきて数々のテレビ企画を立ち上げていく。お噺の後半は、妄想新番組ネタのオンパレードで小ネタを炸裂させていく。オチはドイツの数学者メビウスが過去からふたりのもとに著作権違反だとクレームをつけにきて…というもの。
タイムマシンの原理を説明するのに、羽織の袂に隠し持った紙テープと油性マジックでメビウスの輪を実演するあたりがキモ。下ネタや過激ネタへ持って行かずに、寄席の客層を意識した上で飛び道具やギャグを散りばめた新作のセンスを見るにつけ、将来が楽しみなひとである。けれど本音を云えば、箍を外して思い切り一般向きでないネタをこのひとが演るのも聴いてみたい気がする。
やっさん、開口一番に「会もこれだけ重ねるともはや面白い噺が残っていません。という訳で今日の噺は面白くありませんが(会場笑)、たまにはそんな会があってもいいだろうと」
──お仲入り──
「松曳き(別名:粗忽大名)」は、演者が少ない事もあって、協会は違うが同郷(大分県)のよしみでお世話になっている柳亭市馬師匠に教わったとの事。あとでメールで送られてきたこの日の平治メモを読むと、高座にかけるのはこれが2度目(やっさんの場合、独演会でかけるネタ卸しは事前に寄席代演などを沢山入れて、客前で練習する事で独演会当日までに練るのが常なのである)だったらしく、それであんなに「きっちり」面白かったのか、とちょっと驚く。
世に粗忽ネタの落語は数あれど、2大粗忽者(殿様、三太夫)ががっぷり四つに組んで、マイナスがマイナスを打ち消すように、粗忽と粗忽がぶつかった挙句に、奇跡的に話が噛み合ってしまうという凄い設定。余り良い譬えが浮かばなくて恐縮だが、顔の彫りの深いよく知らない同士の日本人がふたり居て、お互いが相手を外国人と勘違いして、日本人が外国人に対してよくやる謎の英語訛りの日本語で話し掛けた処、誤解が解けないまま、会話が成立してしまうような、そんなお話(何だかアンジャッシュのコントにでもありそうな設定である)。
2大粗忽者の粗忽合戦という事では、「粗忽の使者」の地武太治部右衛門の如き、三太夫を際立たせておいて、殿様の粗忽さはそこはかとなく感じさせるにとどめて(植木屋の八五郎たちに軽く触れさせる程度。何しろ殿様なので、彼の粗忽を諌める処か指摘する者さえ城内には誰も居ない)、三太夫の進退が愈々窮まった処で、殿様のメガトン級の粗忽爆弾をオチに持ってくる巧妙さ。小ネタでくすぐるより、ストーリーテリングを駆使したおとし噺なので、成程、小手先で逃げる生半可な演者ではつとまらない。演り手が少ないのも道理だと思う。そんな難物に果敢に挑んで、あれだけの高座に仕上げた桂平治はやっぱりスゴい。
しかし「殿」と「貴殿」を間違えるバカバカしさは三谷コメディに通じるなと思ったり。
(つまり三谷喜劇の面白さは古典の面白さに相通じる事の証左とも云える訳だが)
チャーリーカンパニー「コント」
10代の頃、「お笑いスター誕生」「笑点」で観てたチャーリーカンパニーのコントを今広小路亭のかぶりつきで観る、というのはなかなかに感慨深いものがある(チャリカンさんは寄席には出ていないらしい)。「農村から都会に出て行こうとする詰襟の息子と、それを押し留めるニッカーボッカーの父親」のコントなどは、今でも鮮烈に記憶に残っている。思えば、コントレオナルドの芸風に近いのだが、やっさんから聞いた処によれば、あれは故・レオナルド熊さんがチャリカンさんの「市井のオヤジによる社会派時事ネタ」スタイルを持ってっちゃったらしいとの事。尤も、酔っ払ってくだをまくオヤジのコントと云えば、ラッキー7の故・関武を以って嚆矢とするのかも知れない。
桂平治「七度狐」
やっさんも「七度狐」のマクラでチャリカンさんの思い出と現在の交友を語っていたが、やっさん宛てに、ウチへ二度ばかりリーダーの日高てんさん(ニッカーボッカーの方。かの浅草デン助劇団出身と聞けば成程の芸風)からメールが来た事があって「チャーリーカンパニー 日高てん」のシグネチャーに、ひそかに「をを」と感動したものである。
ネタは警察に保護を求めてきたニッカーボッカーのオヤジ(やっぱり!)と警官のコント。
50代半ばの日高のぼるさんが学生服を着るのはさすがに無理があるか。
年金問題や小泉批判などの時事ネタを織り込みつつ、オヤジが世の矛盾を突いていくスタイルは相変わらず。コントの構造上、警官役ののぼるさんが年金制度マンセー、小泉政治マンセーを誇張した人格なのが却って可笑し。「公務員」と「工務店」で韻を踏むギャグに腹を抱えて笑う。
新ネタだったのか体調が悪かったのか、今日の舞台では、てんさんがやたら台詞に詰まっていたのだけれど、台詞に詰まる度に工具箱から金槌を取り出して「…この野郎っ」とあたるさんを襲うのをルーティンギャグにしてしまう処が、海千山千百戦錬磨のなせるワザ(チャリカンさんのHPを読む限り、台詞覚えが悪いのはあたるさんの方らしい)。生舞台の魅力を改めて思い知らされた15分。
二席目は、小文治兄さんに教わった、上方大河落語「東の旅」の中の一篇。
今夜も打ち上げはちょっと遠慮して(最近付き合い悪いぞ → 自分)真っ直ぐおうちに帰る。
僕はGWに開催された「なかの℃祭」の柳家禽太夫師匠で初めて聴いた。
喜六・清八の仲良し二人組が、お伊勢参りの道中、石ころの投げっこをしていて、竹薮で昼寝していた七度狐という、性質(たち)の悪い狐の頭に石をぶつけてしまい、その復讐に七度騙される内の、最初のふたつの災難(川越えと庵寺)を面白おかしく描く。化かされてあたふたしているふたりを脇で見ているという、インターミッション的に出て来て場をさらっていくお百姓さんが非常にいい味。
「これから五度(ごたび)騙される、七度狐でございます」と危うしライオン仮面のような終わり方をするが、残り五度の災難を演じている噺家はもはや居ないのではないか(噂によると宿屋町ネタ、大名行列ネタなるものが存在しているらしい)。
これまた「松曳き」同様細かいくすぐりがある訳でなく、喜六・清八が狐に翻弄される筋というか、そのうねりを愉しむべきものなので、その翻弄されっぷりと、お百姓が出て来る時の落差が噺の勝敗を決めるキモとなる。客側からは喜六と清八が化かされているのは自明の理なので、そこらあたりがスラップスティツクに弾けていかないと、聴き手がだれだれになってしまうという非常に演者泣かせの噺とも云える。
さて、其処でやっさんの「七度狐」だが、だれなかったね。
個人的にちょっと疲れてたりもしたんだけど、ちーともだれなかった。
庵寺の百鬼夜行に大騒ぎする喜六・清八は可笑しかったし、現実世界に引き戻すお百姓さんのマターリ感は、これはもう桂文治直伝でお手のもの。あと、鳴り物と、川越えの時の、お囃子の女性の合いの手というか、謡いがまた良い感じ。
こんな風に噺家泣かせのリスキィな演目が増えていくって事はつまり、桂平治が落語家として熟成していく、必要なプロセスなんだろうな。いや、今夜もたっぷり楽しませてもらいました。
あー、でもそろそろ、やっさんと美味しい中華を食べに行くっていう約束を果たしたいね。
午後からお江戸日本橋亭にて「日本トンデモ本大賞2004・開催記念『トンデモ前週祭』」。
お昼少し前に家を出て、11時に電話で叩き起こしたはるさんと日本橋三越の地下フロアで待ち合わせ。13時開場にはやや遅れたものの(はるさんには自由席なので開場までに現地に行きたいと脅してあった)、13時半の開演には余裕で間に合ったので全然OK。受付をやっているのはおそらく談之助師匠の奥様、スリッパを揃えているのは快楽亭ブラッCさんだ。
開場には出遅れたものの、予想通り、畳席(座卓&座布団)のかぶりつきは誰も居なかったので、はるさんのあきれ顔をものともせずに、中央二席を確保して、三越で買って来たサンドイッチ(キャベツたっぷりメンチカツ、鶏肉のチーズ包み揚げの2品)で昼食を済ませる。さすがというか、やはりというか、今日の客席は僕が知っている日本橋亭とは空気感が違う。殆どお顔は知らないが(開田夫妻と藤倉さんは何とか分かったぞ)、客席のと学会関係者占有率はかなり高いものと思われる。
唐沢俊一・立川談之助「開口一番」
お囃子が鳴ったので、てっきりブラッCさんの高座が始まるかと思えば、唐沢俊一・立川談之助のおふたりが出て来て前説漫談。何故、前夜祭ではなく前週祭なのかとか、「トンデモ本の世界R」のあとがきで山本会長がロリコンをカミングアウトしたのはいかがなものかとか、其処から唐沢俊一ホモ説に脱線しつつ(雑誌でバイセクシャル疑惑が出た時に、奥さんが「何故ホモ疑惑じゃないんだ」と激昂した話とか)、出演者紹介とかをさまざまなひとの悪口を織り交ぜつつ。
快楽亭ブラッC「オノマトペ研究序説」
先に唐沢さんと談之助師匠が、ブラッCさんは「トンデモ落語」を演る訳ではなくて、存在自体がトンデモな「トンデモ落語家」であると紹介されたのだけれど、高座が始まるなり、かぶりつきの席でそれを体感する事になる。
春風亭昇輔「あの国の片棒」
ネタは新作「オノマトペ研究序説」。
オノマトペとは擬音(声)語、擬態語のこと。日本語に種々ひそむオノマトペについてメタ落語というかたちで解説していく趣向。「いつもここから」や「鉄拳」の画用紙ネタをイラストではなく、文字だけで説明、オトすスタイルなのだが、これは凄い。何が凄いか説明するのも骨が折れるが、誤解をおそれずに譬えるならば、いきなり素人衆を高座に上げて、カンペを渡すなりぶっつけ本番で一席演らせているのを固唾を呑んで見守らされる、新手の拷問のような緊張感を客席に強いる高座である。高座が過剰にしん、としているので、楽屋から漏れてくる出演者の笑い声の方が、時に余程大きかったり。甚だしくたどたどしいので、てっきりこれがネタおろしかと思いきや、後でネット検索するとどうやら定番の演目らしい。にもかかわらず、決して場数を踏んでいるようには見えない初々しさはどういう事だ。こう云ってはなんだが、まことに客を選ぶ芸風である。
けれど、思わずこのひとの行末を見守りたくなってしまうのもまた確かで、ファンクラブ(「ブラッC・オブ・ジョイ」。尤も100円払って会員証を貰うだけらしいが)の会員が100人を超えているのもそんな同好の士が多々居る事の証左なのかもしれない。
昇輔さんは柳昇師匠に弟子入りするまでは「宇宙船」の編集者(レイアウト担当)だったという筋金入りの怪獣オタで、中でも「帰って来たウルトラマン」をこよなく愛しているらしい。マクラは落語協会、芸術協会にひそむ怪獣オタ話。
レイパー佐藤「オタク声帯模写」
「片棒」というのは、吝嗇家であるお店(たな)の大旦那が、3人息子の誰に家督を譲るか、自分の葬式を如何に安く上げてくれるかで決めようと3人のアイデアを訊ねる古典ネタだが、昇輔さんの「あの国の片棒」は、大旦那の赤螺屋吝兵衛を将軍様に、3人息子の金太郎、銀次郎、鉄三郎を、正男(ジョンナム)、正哲(ジョンチョル)、正雲(ジョンウン)に置き換えて、(伏字にする意味が余りないが)某国後継者問題を笑い飛ばすという、とてもとても芸協主催の落語会ではかけられない放禁落語。何しろ、レポートを書いているこちらが後ろめたくなってくる。
オリジナルの「片棒」及び某国ロイヤルファミリーの内情を知っているとより愉しめるネタな為(小ネタを此処に列挙するのは流石によしておく)、そういう意味で3兄弟中、長男以外のキャラを聞き手側がよく分からないというハンデはあった。ただオリジナルの旦那さんが与太の受け手であるという噺の構造上、将軍様(だーさま・笑)がなかなかの人格者なのが却って新解釈になっていて面白い。あと、テポドンの発射ボタンのサゲも、オリジナルのサゲを知っていると思わずほくそえんでしまう見事な着地振り。思わず「上手いっ」と膝を打ってしまったくらい。
スタートレックのコスチュームで登場するなり、開口一番「ロボコップ」のバトルシーン。
唐沢俊一・植木不等式・立川談之助「と学会例会エクストラ」
客席への「私をテレビで観たことあるひとっ」の問いかけで「最前列に居るお客さんはもっと協力的でなければなりません」とはるさんとふたり、幾度もいじられて、えへらえへら反応する。これを「寄席かぶりつきの醍醐味」と呼ぶ。
怪獣の鳴き声各種に映画のアクションシーンと、確かにどれもこれも上手いのだが、これを浅草木馬亭でかけても、50代以上のおじちゃんおばちゃんのハートは掴めそうもない。客層とハコを選ぶという事では不幸な芸(しかも、至芸)と云える。
「タイタニック」の各国語Ver(英語、日本語、ハングル、フィリピン)のあと、怒涛の下ネタアワーに突入。「ロボコップ」の自家発電ネタは吹越満とガチンコ勝負させたい出来。オトナの「ドラえもん」はアレだったが、オトナの「サザエさん」の次回予告は「んがっふっふ」がキモ、それから「ダースベイダーvsルーク・スカイウォーカー」「ウルトラマンvsウルトラセブン」「ウルトラマンvsバルタン星人」各種やおいにのけぞって笑った後(とにかく柱にしがみつくあたりがルーティンギャグになっている)、最后は美しく打ち上げ花火。汗だくの熱演に拍手。
来週開催の「日本トンデモ本大賞2004」を前に、と学会会員有志でと学会例会を再現するコーナー。緋毛氈の高座の手前にパイプ椅子を設えて、発表者が椅子へ、残るふたりは緋毛氈の高座の両脇に腰掛けて発表を突っ込むというスタイル。
──お仲入り──
唐沢俊一「紙芝居/アタック・ナンバー1」
古書展で2500円出して買ってきたという「サインはV!」紙芝居。
植木不等式「パキスタン・おたくの心得」
表紙はまだしも、一枚めくるとひどいポンチ絵とあんまりなストーリーが展開される紙芝居を一枚ずつ突っ込んでいくツッコミ芸。何しろブツが小さいだけにそれまで最前列の客は僕とはるさんとあとひとりふたりだったのが、紙芝居のポンチ絵を一目見ようと好事魔が集まってくる。それを許すささやかな日本橋亭のキャパと客席構造がまた愉し。
「ちなみに作画を見ると、望月あきらになってますね。ウソつけ!」
不意に植木さんが、紙芝居の最初と最後でブルマーの色が違ってますねと鋭い(?)指摘。
今は体操服からブルマーがなくなったなんて話から「今日の紙芝居などはまさに大盤ブルマーですね」とオチ。
やたっ、植木不等式の生ダジャレ(笑)。
髭面の上にオフホワイトのシャルワール・カミーズに身を包んだパキスタン(出張)帰りの植木さんは「これで町を歩くと皆が道を譲ってくれるのに気付いた」とニンマリ。昨日はマクドナルドでビッグマックを頼んだら、水まで出してもらったそうだ。
立川談之助「正調トンデモ本発表」
まずパキスタンのバザールで買ってきた、ゼットンとバルタン星人を合わせた怪獣の両サイドにウルトラマンタロウがふたりいる、という円谷ばったもんキャラのTシャツを開陳した後、パキスタンは偶像崇拝が禁止されているので、キャラものはこれひとつしか見つけられませんでしたと、今度は有名メーカーと一字違いの胡散臭い家電メーカーの名前カタログ。
よもやの「AKIHABARA」に、抱腹絶倒する。
談之助師匠のネタはいちばん通常の例会っぽいトンデモ本ネタ。
訴状に上げたのは、立川談志「食い物を粗末にするな 『並の日本人』の食文化論」(講談社α新書)と家元の議員時代に秘書を勤めた演芸評論家の、物理学で落語の解説を試みる(何故か相対性理論の話が7〜8ページ続いたりしてしまう)落語評論本の2冊。談之助師匠の毒舌(特に家元への恨み節)は右肩上がりのまま、とどまる処を知らず。
結論、お弟子さんは大切にしましょう。
て、これだけじゃ何の事だかワカラナイ(いいんです、ワカラナくったって)。
唐沢俊一「トンデモ紙芝居」
タイで手に入れた漫画「犯人はトラ」を紙芝居に。
立川談之助「十六文伝説 大きな巨人、ジャイアント馬場」
仲入り明けは紙芝居だと云うので、仲入り前とは打って変わって畳席にお客が群がるも、唐沢さん「別に絵が見れなかったといって、どうって絵じゃありません」。さっきまで誰も居なかった筈なのに、気が付けばはるさんの真後ろに開田画伯、僕の真後ろには開田あやさんが座っている。藤倉珊さんは最初からすぐ脇の座卓で笑ってらしたが。
とにかく、唐沢さんの朗々とした声と語り口は玄人はだしで、或る意味ブラッCさんと対照的(比べちゃいかんか)。快楽亭ブラック師匠と紙芝居家・梅田佳声先生に、梅田真声(しんせい)、梅田芳景(ほうけい)として弟子入りする計画もあるらしい。ネーミングの莫迦々々しさはご愛嬌。
以下、テキストにすると面白くないが、備忘の為に粗筋を書き留めておく。
地主と娘をトラの毒牙から救った若者(タイではナマズ髭を生やした若い男が、町のあんちゃん風でもてるらしい)が、地主の口利きで使用人になるものの、許婚者のいる娘に横恋慕した上に実は妖術使いで、魔法でトラの生首を呼び出し、許婚者を噛み殺させる。処が彼がなびかなかった肉感的な女使用人が、若者の秘密を知り、地主にばらされたくなかったらと恋人関係を強要されるが、一計を案じた若者の手によってまずトラに地主を(!)を襲わせ、続けて女使用人も狂牙の前に命を落とす。トラの犠牲者が3人も立て続けて出るのはおかしいと、此処で初めて地主の弟(妖術使いとそっくりの顔をしているが髭がチョビ髭な処が違う)が登場、若者の後をつけて(邪魔者はすっかり居なくなった筈なのに何故か懲りずに)彼が地主の娘をストーキングしているのを知った上、更に彼が妖術でトラを呼び出しているのを(今回、彼が何故トラを呼び出したかは謎)見つけてしまう。若者が弟の放った短剣に倒れるのと、地主の弟の首筋にトラが牙を立てるのとほぼ同時だった。
…おしまい。
余りにも唐突なカットアウトに、客席中「えーっ!」の嵐。
地主の弟は死んでしまうんかいっ。そもそも娘はどうしたっ。
しかし、タイの漫画は黙して語ることはなかった(ぉぃぉぃ)。
先程の「タッチ」のポロシャツも凄かったが、談之助師匠、極彩色の羽織で登場。
マクラを始めてから、決まり悪そうにブラッCさんがマイクをなおしにきたのを、「いったい誰の弟子だ(笑)!」と激しくツッコんでから、日記ではとても書けない話を(立川流の噺家さんって本当に怖いものがないのな)。
マクラは先ほどの「と学会例会エクストラ」で時間切れになった残りのトンデモ本発表。
ネタは、加東研・弘中ミエ子「世界に通じるこどもの名前」(青春出版社)。実は、以前出版されたと学会「トンデモ本 女の世界」(メディアワークス)に談之助師匠が取り上げた本なのだが(しかも師匠の原稿の中でいちばん評判が良かったらしい)、著者からクレームがついた為に今度文庫化の際に原稿が載せられなくなったいわくつきの本。と学会出版物に関する限り、著者クレームはしょっちゅうでその大半はデンパの垂れ流しなので(笑)黙殺出来るらしいのだが、この本の著者は頭がよいひとで、師匠の書いた原稿の引用率が高いことをダシに著作権に抵触すると抗議してきたらしい。師匠の原稿というのが、この本で取り上げている名前にいちいちツッコミをいれるものだった為、調べたら成程8割が引用になってしまっていたらしい。で、このままボツになってしまうのならと、紙上ツッコミを高座で再現して、皆で笑いなおそうという趣向。
で、自分には人生で尊敬する人が3人居て(昭和天皇、赤尾敏、ジャイアント馬場、ついでに上納金を取る前の家元を含めると元々は4人居たらしい)という話から、師匠が尊敬するひとり、プロレス界の偉人、ジャイアント馬場一代記を毒煙たっぷりに45分余りの長講で。
とにかく差し障りあるネタばかりなので詳しく書くわけには行かないが、師匠が昭和天皇を褒め称える際に宣った「あのひとは神様から人間になったひとなんですから。そんな方はなかなか居りませんよ。人間から神様になるひとは沢山居ますが」とか、「プロレス八百長上等論」をブつ時に、プロレスが日本で爆発的に人気が出たのは終戦の傷跡癒えぬ中で、小さな日本人が大きな鬼畜米英をやっつける事にカタルシスを覚えるからだと喝破した上で「で、力道山が北朝鮮出身でシャープ兄弟がカナダ出身なんですよ。ね、プロレスなんざァ最初っからインチキなんですから」とか、大笑いし乍らも胸を穿つネタ多数。
このひとの胸のすく悪口芸というのは、一度聞いたらヤミツキになりそうで怖い。
最后は夜の部に出演する立川談笑さんも飛び入り参加して、レイバー佐藤さんを除く皆さんでカーテンコール。
「今年はカラサワさんと組んで、とにかく客を置いてきぼりにするをテーマに『ついてこれるか寄席』というのをやります」と談之助師匠。あ、それ凄く聴いてみたいかも。自分は行けないが来週の「日本トンデモ本大賞2004」もたいへんな騒ぎになりそうである。1時半に始まってたっぷり3時間。これで前売2200円だから演芸場でのイヴェントはやめられない。
日本橋料の軒先で、と学会関係者の一群が打上げ会場に向かう前の雑談に興じているのを横目で眺め乍ら、辞去。再び三越地下フロアに舞い戻って、はるさんと共にデパ地下探検のついでにバームクーヘンと水羊羹とステーキ肉を試食して(これこれ)、妻子の到着を気長に待つ。
妻子と合流後、はるさんに逢えて興奮する息子に360円もする苺ジュースをあてがって落ち着かせてから、日本橋界隈で少し早めの夕飯をいただくべく、地上に出てCOREDO方面へと向かう。
この項、続く。
東京で暮らすようになってから、「出没!アド街ック天国」は殆ど欠かさず観ている。性根がミーハーなので、タウン情報系が大好きなのだが、東京在住の強みは、この番組で放映された、旨い店だの、オモシロスポットだの、自分の琴線に引っかかるタウン情報は直接行って確認出来てしまう処にある。
5月に放送された「日本橋」で、心に引っかかったのが、14位のおでん専門店「お多幸本店」。大正13年創業で、銀座に店を構えた昭和26年の昔から半世紀以上、注ぎ足し注ぎ足ししているつゆ(一昨年、銀座から日本橋に移転する際に3ヶ月の休業期間があったが、その時にはまぐろ屋のマイナス50度の冷凍庫を借りて保管したという「いのちのだし」ならぬ「いのちのつゆ」である)を使ったおでんと、そのつゆで煮た豆腐を茶飯の上に載せて供す「とうめし」の絵に釘付けになった。これは一度行かねばなるまいと虎視眈々と好機を窺っていたという訳。
三越から地上に出た後、日本國道路原標を眺め乍ら日本橋を渡る。
はるさんが一度も行ったことがないというのでCOREDOに立ち寄り、「アド街ック」でも10位にランクインされていた「日枝神社山能祭」(2年に1度のお祭りらしい)の神輿行列などを見物しつつ、中央通りを風月堂の角から細めの道に折れると、目的の店はあった。
さて、今夜の主役、「お多幸本店」。
移転して丸2年とは思えない、懐古趣味と云ってもいい、渋い外観。
おそるおそる(何故・笑)引き戸を開けると、カウンターも椅子席もほぼ満席のように見えた(実際は4階建てで違った雰囲気の各階でおでんが食べられるらしい)。1階は奥のつきあたりのテーブルが空いていて「そちらでも上の階でもお好きなほうで」と云われたので、厨房を含んだ全体が見渡せる1階の方を選ぶ。カウンターの向こうではもうもうと白い湯気が立ち、板さんたちが忙しそうに立ち働いている。カウンターの右端には訳アリなカップル(憶測)がべたべたとしなだれかかりあってお酒を呑んでいて、正しきおでん屋のあるべき姿を見せてもらう。
壁には雑誌で紹介されたとうめしの記事がパウチして貼ってある。
お品書きを見るが、どーしても目移りしてしまうので(番組では「いきなり、『しのだまき』と『ちくわぶ』を注文されると、このお客は只者ではない」という店長のコメントが紹介されていたが、放送のあとでは、「しのだまき」と「ちくわぶ」ばかり頼む客が急増したことは想像に難くない)ひとまず「大皿煮込み/三人前(2500円)」と、まずは僕だけ念願の「お多幸特製とうめし(330円)」をオーダーする。はるさんは生ビール、悠都はオレンジジュース、僕ら夫婦は水(笑)。息子はジュースが来た途端に一気にあおって「ぷはー」とやっていた。
待つこと暫し、まずは白い湯気を立てた「大皿煮込み/三人前」が運ばれてくる。
黒い大皿に「すじ」「たまご2ケ」「しらたき」「やきちくわ」「こんにゃく」「じゃがいも」「大根」「はんぺん」が盛られ、それとは別に赤い皿に3人分「とうふ」が運ばれてくる。とうふが崩れないようにという心遣いが嬉しい。
いずれもいのちのつゆ(とうとう勝手に命名しちゃったよ)で、信じられないくらい深い色合いをしている。たまごぐらいは想定内だったが(とうふの淡い茶色がまた何とも云えず美味しそう)、大根の漆塗りかとまごうような深いあめ色とじゃがいもの芯まで使った濃いブラウンに到っては殆どカルチャーショックを受けた。つゆのベースが、鰹節・昆布ダシと砂糖と醤油なのは確かだから、味自体は予想できたが、この浸かり具合は想像を絶したね。
そして、見かけを決して裏切らない美味しさときたらどうだ!
ウチの実家は、妻が眉をひそめるくらい味付けが濃いのだが(それでも結婚してずいぶん薄味好みに改造された)、此処の関東風の甘辛つゆは生理的にフィットする。大根はずぶずぶと程好くやわらかく崩れ、皮ごと煮られたじゃがいもはほこほこと程好くやわらかい。深川に住んで初めて知った「すじ」(西日本で「すじ」と云えば「牛すじ」だが、こちらではサメのすり身に軟骨を加えて棒状にした練りものを云う)は、はるさんも東京に住んで10年で初めて味わったらしい(珍しい口あたりだし)。とにかく、皆で口々に「旨い」「美味い」「ウマイ」と連呼する。ひさびさに味覚の真芯に当たった感じである。
しんがりに、お待ちかねの「とうめし」。
茶飯の上に、先に来たのと同じとうふを載せて、いのちのつゆをかけた、見たままの一品。
大振りの茶碗にはぐるりと取り囲むように「お多幸本店」と書いてある。「とうふをぐずぐすに崩して食べるのが通」と聞いたが、これだけ大きなとうふをこぼさずに崩すのはおよそ神技に近いだろ。
ごはんはいささか固めに炊いてあるが、つゆが沁み切ったとうふのほろほろと崩れていく食感とのコントラストが絶妙。味はあなたが想像した通り。濃厚、甘辛、関東風のつゆと一体になっていて、かと云ってくど過ぎず、とまあそんな処か。悠都が気に入ってしまって、ずいずい取分け皿へのおかわりを要求する。……オレもひとりじめしたい(笑)。とうふが別皿で来ていて良かったよ。
最初の皿がはけてきた処で、だいぶお腹もよくなってきていたが、肝腎の「しのだまき」と「ちくわぶ」を食べていなかったので、それを追加オーダー(各180円)。それから「いいだこ(350円)」(小ダコを4匹、串に通したもの。歯ごたえがたまらない)と、はるさんが「さといも」を頼んだら切れていたので「さつまあげ(250円)」、「いいだこ」を除くと、大練り物大会になった。
それから、はるさんと妻もそれぞれ「とうめし」を頼んで〆とする。
悠都が不注意で「とうめし」の茶碗を割ったことを除けば(お店のひとに「くれぐれも強く叱らないでください」と云っていただいた。かたじけなし)、本当に良い店に出会っちゃったなあって感じ。誰かにこっそり紹介したいとっておきのお店でもある。無理すれば、地理的には会社の昼飯圏内だし。
唯一の瑕瑾は、日曜日が定休日であること(勿論、休みも朝夕のつゆの火入れは怠らない)
はるさんと共に半蔵門線で帰って、清澄白河で別れる。
妻に激怒されて、悠都はへこんでいたが、帰宅したらもう立ち直っていた。早いな、おい。
シネマアートン下北沢「特集上映『監督 川島雄三』」の第2週目は、「vs 三橋達也、或いは新珠三千代」といった3作品。三橋さんが30代後半の、脂の乗り切った頃の作品群ですね。三橋さんは川島作品最多出演を誇るそうで(僕ァてっきり、フランキー堺さんかと思ってました)「CASSHERN」の感想に書いたが、予告通り、本日のプログラムは「追悼・三橋達也」な雰囲気で。ああ、新珠さんも故人なんですね。
「あした来る人(1957・日/川島雄三)」 シネマアートン下北沢
「『赤坂の姉妹』より 夜の肌(1960・日/川島雄三)」 シネマアートン下北沢
「風船(1956・日/川島雄三)」 シネマアートン下北沢
フレンチデビューを果たした悠都が次に挑むは落語会デビューだっ。
(落語会の楽屋デビューならとっくに済ませた挙句、さんざん入り浸っていたけどなっ)
という訳で、午後からなかの芸能小劇場「親子落語会」。
断るまでもないが、此処で云う親子落語会はお客の側が「親子」なのである。
父兄同伴の未就学児童から中学生までが集う落語会。ちなみに、「にほんごであそぼ」効果で子供に人気の花緑師匠をフューチャーして子供500円の親1000円という夢のような価格設定。オトナ単独では入場不可なのは、あくまでこの会が(財)中野区文化・スポーツ振興公社主催の生涯学習事業の一環だからだ。学校寄席の延長線上みたいなものなのかもしれない。余談だが、中野区在住という理由で扇治さんがこの落語会の相談役だったりする。
開場(13:30)より1時間程早く中野に着く。
お腹が空いていないからという妻を席取に残すと、悠都を連れて「味王」でランチ。
息子には叉焼包(チャーシュー入りまんじゅう)とオレンジジュース、僕は回鍋肉定食を頼んで、安くて旨くてヴォリューム満点の大衆食堂の味をもりもりいただく。悠都が叉焼包をひとつ残したので、妻へのお土産にする。お店のお兄ちゃんに包んでくれます?とお願いすると、アルミホイルで包んでくれた上に、プラ容器(たこ焼きを入れるヤツ)に入れて渡してくれた。いとありがたし。
開場10分前に到着、勿論、親子してかぶりつきを確保。
花緑師匠を聴くのは夫婦共に初めてなので、むしろ子供より興奮していたりして。
(「にほんごであそぼ」効果は親にまで及んでいるらしい)
柳家花緑「寿限無」
番組と同じ羽織で登場するあたりが、未就学児童のニーズをよーく把握している花緑師匠。
柳家花緑「落語教室」
客席は至る処から耳をつんざく児童たちの歓声があがる。まるでマンドラゴラの収穫祭である。悠都がいっぱいいっぱいなのは云うまでもない。無論、最初の一席は、お待ちかね「寿限無」をフルヴァージョンで。「寿限無」の説明立ては、幼児にはややたるいかなと懸念するも悠都含めずいずい連れてゆく語りっぷり。ハーメルンの笛吹きは花緑師匠のようなひとだったのかもしれない。親子落語会の冠に相応しく、噺の随所に散りばめたくすぐりも大人のおともだちにも大ウケで、一本筋が通った古典の骨格を崩さない範囲であちらこちらに逸脱、アレンジして愉しませてくれる。味わい深いというのとは少し違うけれど、若さならではの勢いと才気が頼もしい。
客席があたたまっているうちに続けて「落語教室」へ。
翁家勝丸「太神楽曲芸」
弟子の禄太さんにフリップを持たせ、江戸時代のひとびとの暮らしぶりのイラストを見せて、クイズ形式で子供たちに当てさせて、それを扇子で演ってみせるというもの。ハーメルン・ホルン効果で親御さん含めてこれが莫迦に盛り上がる。
「蕎麦をつるつる食べるのを高座に上がって演ってみたいひとっ!」というので、真っ先に「やりたいっ」と手を挙げた悠都に「じゃあ、僕」と花緑師匠に指名してもらったまでは良かったが、愚息は舞台の階段を上がりかけた処で、我に返ると自分がいっぱいいっぱいだった事を思い出し、血相変えて席まで戻ってくると僕にしがみついたのだった。
師匠「ほら、お蕎麦食べてみせてごらん」
悠都「──どうして僕が食べなきゃいけないんだよっ」
師匠「どうしてと云われても困るけど。…じゃ、他のひと」
再び、はいっ、はいっ、はいっ、はいっの大合唱。
結局、別の男の子(悠都くらい)が壇上に上がって花緑師匠の手取り足取りの指導の許、見事に蕎麦をつるつると食べてみせたのだった。「ウチの子は本番に弱いねえ…」と妻と顔を見合わせる。悠都は都合が悪い時にいつも見せる怒ったような顔になったまま、蕎麦喰いの間中、僕にしがみついていた。…オレの子供の頃、そのまんまだよ(ぬわははは)。
ブラウン管越しでは絶対にその魅力が伝わらないのが、太神楽。
──お仲入り──
勝丸さんはこれが初見だが、花緑師匠よりも若そうである(後で調べたら昭和50年生まれだった)。
若い母親を含めた幅広い世代に対してウケが良さそうなイケメンだし。
ネタは五階茶碗の曲に傘の曲。初めて見る五階茶碗(顎に立てた台茶碗の上に色々な品物を積み上げていく)の芸に息を呑む客席。「親指試し」「切っ先止め」「中継ぎの鞠」「抜き扇」「纏振り」と次々に繰り出される奥義の数々は、落語とは別の意味で観客の心を鷲掴みにしていった。親子落語会の意義を感じる瞬間である。最后の「傘の曲」で、舞台の傍らに巨大なドラえもんのぬいぐるみが置いてあったので、まさかそれを廻すのかと皆を期待させておいて、袂からちっちゃなドラえもんを取り出すフェイント芸はお見事。
柳家花緑「平林」
二席目は羽織を変えて登場。でもやっぱり淡く明るい色合いのもの。
しかし、未就学児童込みで2時間集中力を持続させるってェのは並みや大抵の学問では出来るこっちゃない((C)三波伸介)。花緑さん、夕刻からは談春さんと二人会だそうだ。子供相手で体力を消耗しきっている筈だが、疲れを微塵も感じさせない処が漢(おとこ)である。処で、ロビーでCD、DVDを買った良い子には、花緑師匠が手づからサインしてくれると云うので、息子に薦めたが彼はあくまでも頑なだった。「恥ずかしいから遠くから見てるだけでいいんだよっ」だそうだ。…まったく困ったヤツである。
「『寿限無』の次はこれが流行ると思います」と始めたのが「平林」。成程ねと膝を打つ。
定吉さんがおつかい先の平林さんの名前を憶えられず、おぼろげな記憶を頼りに往来で「ひらばやし、たーいらばやしか、ひらりんか。いちはちじゅうのもーくもく、ひとつとやっつでとっきっきー」と声を張り上げるアレである(ちなみにやっさんはこれでNHKの新人演芸大賞を獲った)。花緑さんが出したCD「じゅげむ」にも「平林」と「垂乳根」が収録されている(「垂乳根」ってェと「ぼーりぼりーのざーくざく」だなっ)。一席目の「寿限無」で披露したのと同じく巧妙でベタなくすぐりと手練手管に、妻子共々大笑いさせてもらう。
小腹が空いたという妻に「何処に行きたい?」と訊ねると「『味王』がいい」。
「え…」「『味王』がいい」…かくしてお昼を食べて3時間半後に再び「味王」
で早ヨル。
そりゃ此処の料理は旨いので、3時間もあれば、どんどんお腹には入るけどさ。
駅前のサンジェルマンで美味しそうなパンを沢山買い込んでから帰宅。
夜、錦糸町のスタバで「日本トンデモ本大賞2004」に参加したセトロさんと
鼎談。みのりのない話を沢山して大いに充足する。
朝食は、昨日中野駅前の「サンジェルマン」で買い込んだ種々(くさぐさ)のパンを家族で山分けにして食べる。
とっておきのエクセルブランだけは週明け回しにする。
お昼ちょっと前に家を出て、東京メトロと井の頭線を乗り継ぎ、今週もシネマアートン下北沢へ。
特集上映「監督 川島雄三」の3週目は、「vs 森繁久彌」という事で、森繁主演の3作品を上映。この特集も愈々佳境に入ってきましたね。
「暖簾(1958・日/川島雄三)」 シネマアートン下北沢
淡路島から大阪の昆布屋「浪花屋」に丁稚奉公してから、暖簾分け、初恋との別離、事業拡大と水害、戦争、息子の出征、戦死と幾多の艱難辛苦を乗り越えて、ついには後継ぎとしては期待していなかった次男の活躍による「浪花屋」の再建、新装店開きの幸福の中、突然の心臓発作で、昆布の俵に包まれたまま一生を終えた吾平の、暖簾に低く頭(こうべ)を垂れたまま、人生を駆け抜けた男の、これは大河ドラマと呼んでいいと思う(ま、山崎豊子原作ですから)。
この項、続く。
本作のポイントは戦前パートの主役吾平(冒頭の少年時代を、子役時代の頭師孝雄が熱演している)と戦後パートの主役・息子の孝平を、森繁久彌(当時四十半ば)が見事に演じ分けている処で、終盤戦、同じ画面の中に、ふたりの森繁が身を置いてもちっとも違和感のない処が凄い。老人になった吾平がいささかむせすぎるのは、おじいさんという記号故のご愛嬌。少女時代から壮年期まで、(内省的なのが奥ゆかしい)オンナの闘いを繰り広げてきた山田五十鈴、乙羽信子のそれぞれの「女の一生」にも惜しみない拍手を送りたい。
吾平の為に身を引くお松(乙羽信子)との今宮戎(えびす)での、スピルバーグ「太陽の帝国」の30年先を行く人混みに引き剥がされるような悲しい別れと、吾平が群衆の向こうに消えたお松を探して彼女の名を呼び乍ら、福笹で手を切ってしまい「あっ、手が切れた!…手が切れたがな!」とうろたえるさまの可笑しくも悲しいさまは「男はつらいよ」の遥か10年先を行っている。此処にも落語好きをひとり見つけたというか。
また親代わりの大旦那(中村鴈治郎、ごりょんさんの浪花千栄子がまたバリバリ手ごわい)が決めた、吾平にとって本意でない婚姻なのが面白くなくて(しかも、おそらく吾平を憎からず思っていた為)初夜に我を張ってみせる千代(山田五十鈴)の可愛らしさと、ふたりの幼い喧嘩から、夜なきうどんの親父(山田周平)に、使いでのない昆布の切り屑を売れば儲かると膝を打つまでの、ドラマをパノラマのように総覧させる、一連のシークエンスの達者さにも舌を巻く。
台風による水害シーンのスペクタクルはミニチュアや、大プールを駆使した映画ならではの迫力で、堂々の大河ドラマ仕様。水害一過で、くしゃくしゃになった町並みに「おお、映画みたい」と妙な感心をしたり。
残念なのは、原作通りかもしれないが、戦後パートの吾平が老耄激しく、いささか精彩を欠く処。孝平は父を尊敬し乍らも、実際に老父の教えを乞うことなく、自分のやりかたで成功していく。老父はそれを苦虫を潰した顔で見続けるだけで、肝腎の商売人としての交差点がない。息子はマーケティングというものを分かった上で、浪花屋を昔乍らの古いスタイルで再建するが、父はそれを「古臭い」と感じ、結局彼が死ぬまで、ふたりの気持ちが(少なくとも表面上は)和解する事なく物語は閉じていく。ひょっとしてこれが川島流のニヒリズム、或いはダンディズムというヤツなのだろうか。
ミスター川島組こと、山茶花究は短い出番乍ら、事勿れ主義な若旦那役で、白黒映画の本作に強い色彩を添えている。吾平の右腕・定吉が名脇役・田武謙三なのも見逃せない。そしてそして、戦後パートで孝平のフィアンセとして出て来る中村メイコのかしましさもなかなか捨て難い。
「喜劇 とんかつ一代(1963・日/川島雄三)」 シネマアートン下北沢
本作が、特集上映「監督 川島雄三」の目玉なのは確かだったようで、この回だけ満席、補助椅子が出る。僕が座っている最前列が完全に埋まったのも今回が初めて。
休憩時間は「とんかつの唄」「フラメンコかっぽれ」「ぼくは特急の機関手で」がヘビーローテーションで流れており、とりわけ、フラメンコギターのしらべに乗せて紀伊国屋文左衛門を歌う「フラメンコかっぽれ」の今も尚古びないコミックソング魂には参りました。是非どうにかして手に入れたい(MP3はここで見つけました)。あとで調べると、40年前の紅白歌合戦で森繁がこれを歌ったというから、いや、当時の視聴者が羨ましい。甘茶でかぽーれ、塩茶でかぽーれ。
映画はいきなり生きている豚の横顔のどアップで始まったかと思うと、マターリとした森繁久彌「とんかつの唄」と共にクレジットでとんかつを拵えてみせた後、食肉にされた豚の鎮魂祭で本篇が幕を開けるという、フィルムを1コマだって無駄にしない編集の妙味とその莫迦々々しさ(勿論、絶賛している)。
伝統と格式ある仏蘭西料理店・上野青龍軒(モデルは「上野精養軒」)の総料理長(加東大介)と、後継者と目されてい乍ら、料理長の妹(淡島千景)と駆け落ちした、とんかつ屋とん久(モデルは「双葉」)の大将(森繁久彌)の、愛情故の確執を背景に、綺羅星の如き東宝オールスターキャストが雁首揃えて上を下へ大騒ぎする(実際、そうとしか表現のしようがない)人情喜劇の傑作。川島監督はこういう映画を量産しようと腰をあげた処で夭逝してしまったのだなあ。
森繁の周囲を取り巻く人々がとにかくエキセントリック。
メチルアルコールを染み込ませた脱脂綿を詰めた缶を持ち歩くくらい潔癖症のくせに、我を失うとつい一撃必殺の棍棒を振り回してしまう世界歴戦の屠殺名人(山茶花究。処で今、こんな職種を映画に登場させられるのか)、クロレラケットに江戸みどりと未来の人類を養うクロレラ食の完成に命を懸ける料理長の娘夫婦(三木のり平、池内淳子)、早々に料理人の道をあきらめて経営者の道に乗り出す料理長の息子伸一(フランキー堺。意外に常識人なのだが、建築現場でH型鋼ごとクレーンで持ち上げられ乍ら「危険だからちゃんと命綱してくれよ」…ってそれはあんたやがな)と屠殺名人の娘にして伸一のファムファタール、とり子(団令子)。かつて加東の妻(木暮実千代)を奪おうとした過去を持つ実業家・衣笠大陸(益田喜頓。山茶花さんとは「あきれたぼういず」繋がりですね)とアーパーな妻子(都家かつ江、横山道代)。とんかつ好きのヘンなフランス人マリウス(岡田真澄)に、嘘発見器を用いていちばん好条件な身請け人を模索する現代っ子(死語)の芸者・りんご(水谷良重)。
これだけのクセ者たちを見事に配置した挙句、最后は料理長のあッとオドロく転職とミュージカルで締めるという乱暴な着地乍ら(何しろ山茶花さんの美声も聴けます)、観終わるとしみじみと予定調和な人情喜劇を観た気になってしまう。恐るべきは川島マジックである。
処で、森繁が浮名を流す芸者たちは、とんかつに唯一足りないビタミンである「ビタミンC」を補うという理由から(何だそれは)、何故か全員が果物の源氏名だったりする。ちなみに奥さん淡島千景の名前が柿江さん。全篇是れ、こんなナンセンスさが本作を貫いている。
折角なので、森繁久彌「とんかつの唄」の歌詞を採録しておく。
とんかつの唄
君と一緒にとんかつを食い
君と一緒に生きている
どんと 生きている
逞しくとんかつを食い 二人で腕を組んで
明日もあさっても 一緒に君と生きている
ああ とんかつが 食えなくなったら 死んでしまいたい
死んでしまいたい
花が咲いて花が散って
太陽が輝いて
水が光っている
逞しくとんかつを食い
二人で腕を組んで
大きな鼻の穴で いっぱい空気を吸おうよ
ああ とんかつの 油のにじむ 接吻をしようよ
接吻をしようよ
とんかつの油のにじむ接吻(キッス)は余りしたくないが、確かに旨いとんかつが食べたくなる映画である。
上野広小路はとんかつのメッカだったのか…。
処で「vs 森繁」のこの一週間に限っては、特別に館内でとんかつサンド(500円)を販売しているのだが、「双葉」で作ってくれたのじゃなきゃイヤだいイヤだい。
この項、続く。
「青べか物語(1962・日/川島雄三)」 シネマアートン下北沢
山本周五郎「青べか物語」を新藤兼人と川島監督の奇才軍団が寄ってたかって料理した逸品。恥ずかし乍ら、僕ァ「青べか」をてっきり牛馬の類だと思っていたのだけれど、べか船の略だったんですねえ。
「川島 vs 森繁」の名勝負3ラウンドを観戦し終えて、快い疲れの中、またしても「アンゼリカ」に立ち寄り、妻へ貢物(妻に云わせると今月は週末のこれが楽しみなのだそうだ)。いつも御馴染み「白玉あんぱん」に、表面にココナッツパウダーを篩った「マロンクリーム」、そしてマッシュしたポテトをバターとガーリックで味付けたものをつやつやに焼き上げたパン生地の中に封印した「じゃがいもパン」の3品を買って、帰宅。夜、息子が寝静まってから夫婦でお茶にする(悠都、ごめん)。
山本周五郎の分身である「先生」を森繁久彌が演じているが(何だか川島監督の分身でもあるような)、あくまで浦粕(浦安)の町を観察する語り部(旅人)として、数(あまた)居る強烈な面々の紡ぐエピソードが際立つよう、抑えた演技で「受け」に徹している処に、役者・森繁のバランス感覚を見る。
お陰様なのか何なのか、浦粕の人々の何とのびのびとしたこと。
ていうか、川島作品は群集劇でこそ、その真価を発揮するのかもしれない。
(そう云えば「貸間あり」も群集劇でしたね)
先生に青べかを売りつけた、東野英治郎の能天気な「イェーイ!」に始まって(本作の数ヶ月後に出たのが、小津の遺作「秋刀魚の味」ですよ)、褌一丁の消防署長わに久(加藤武)に理髪店・浦粕軒(中村是好)、目的の為なら手段を選ばないあさ子(市原悦子)と知らぬは亭主ばかりなりの勘六(桂小金治)夫婦。特別出演のフランキー堺の七転び八起きの嫁取騒動(最初の奥さん中村メイコの、人を食った初夜拒絶は絶品である。毎朝、寝間の砂を掃き出していたのかしら。2番目の奥さん、若き日の池内淳子は、木村佳乃に何処かしら風情が似ていると思うのだがどうか)に、今に見てろの千石規子。先生に岡惚れするおせいちゃん(左幸子)の愛らしさと彼女の狂言心中に一役買う井川比佐志、東野英心(このひとは本作がデビュー作)。おー、ごったく屋のおかみは、都家かつ江だ。部屋中敷き詰めたビール瓶の中で途方に暮れるセールスマン(立原博)が可哀想だったぞ。先生が引き潮の浜で出会った貝盗人(小池朝雄)と看視人(名古屋章)の追っかけなんて箸休めな挿話もあったりなんかしてね。
本作は情話のパートも充実していて、老船長(左卜全)とお秋(演じるはデビュー2年目、16歳の桜井浩子。「ウルトラQ」放送の4年前ですよ)の仄かな胸の痛みをおぼえる恋物語、原作よりは幾分救いが感じられる(らしい)少女乞食・繁あね(南弘子)の復讐譚(母親役の丹阿弥谷津子が若ぇの何の)、そしてしんがりに、「先生」の下宿先の増さん夫婦(山茶花究、乙羽信子)のDVに深く傷つき、そして今も傷ついたまま献身を続ける、切ない夫婦の記憶(山茶花さんの搾り出すような独白が、乙羽さんの女神のような静かさと相俟って、号泣させられる事この上なし)……これらのドラマを縦糸、横糸に機を織るのが、つまりは浦粕に居場所を持たない「先生」に与えられた役割なのだ。
定住できる安寧の地を持たない川島雄三だからこそ(「貸間あり」の逃げ惑うフランキー堺を見るがいい)、「先生」はより旅人の陰影を強く醸しているのかもしれない。これは原作を読んでみなくては、だな。
夜、宮本輝「血の騒ぎを聴け」(新潮文庫)読了。
「幕末太陽伝(1957・日/川島雄三)」 シネマアートン下北沢
「洲崎パラダイス 赤信号(1956・日/川島雄三)」 シネマアートン下北沢
川島雄三特集コンプリートを果たし、やり終えた充実感の中(て、椅子に座って映画を観ていただけだが)、そのまま渋谷へ移動して、ぴあの映画スケジュールとにらめっこした挙句、「ユーロスペース」で「子猫をお願い(2001・韓)」。実は「ユーロスペース」に行くのは初めてだったので、暫く渋谷駅周辺をうろうろしてしまうが、南口から急な坂(さくら通り?)の脇にある東武富士ビル(困った事にアニメイト渋谷店が目印)にようやく看板を見つける。
「子猫をお願い TAKE CARE OF MY CAT(2001・韓/チョン・ジェウン(鄭在恩))」 ユーロスペース
「ほえる犬は噛まない(2000)」のペ・ドゥナ主演作だが、生憎観逃してしまったので、ボク的には今回が初ペ・ドゥナ映画(日本未公開作「復讐者に憐れみを(2002)」 ではかなり生々しくも痛々しいベッドシーンにトライしているらしいが、それはまた別のお話)。
夜、萩原百合「9坪ハウス狂騒曲」(知恵の森文庫)読
了。
ソウルの近隣都市・仁川〈インチョン〉の女子商業高校仲良し5人組の、20歳になったその後を描く、それぞれの「青春の蹉跌」篇。携帯電話やタイプライターのテキストを画面に打ち出していくキャッチーさや、食いつきは月9スタイルだが、物語が進むにつれ懐かしくも胸塞ぐATGの世界に突入していく。思えば、野島伸司の初期作品のテイストに近い気がする。典型的なのは「愛という名のもとに」とか。
特に、貧しさが夢を迂回させてしまうソ・ジヨン(オク・チヨン(玉志英))の境遇は壮絶だ。
彼女にはデザイナーになる為に海外留学する夢があるが、幼いうちから父母と死別し、バラック街の今にも屋根が落ちてきそうな家で寝たきりの祖父を抱えた祖母と暮らす身には、家を飛び出す勇気も持てず日々くすぶるしかない。劣等感がソウルで証券会社のOLとして都市生活を満喫するシン・ヘジュ(イ・ヨウォン)との衝突に繋がるが、彼女が友達(中国系双子姉妹オンジョ(イ・ウンジュ)とピリュ(イ・ウンシル))の家に泊まりに行った夜に、本当に家の屋根が落ちてきて祖父母は倒壊した家の下敷きになってあっけなく死んでしまう。思考が停止してしまった彼女は警察の訊問に黙秘を通し、少年院に送られそうになるのだ。
ジヨンと仲違いするヘジュにしたって、キャリアウーマンへの道を学歴の壁に阻まれ、後から入って来た大卒の女子の活き活きした姿を横目で追い乍ら、雑用係に明け暮れ、ショッピングで自分を誤魔化す。そんな最中、両親に離婚され、ささくれた気持ちで友達に会う時、彼女は自分より不幸なジヨンに優越感を持つ事で自我を保つのだ。
主人公(狂言廻し)のユ・テヒ(ペ・ドゥナ)は、類型的儒教家庭に窒息しかけている。
封建的な父は目に見える暴力こそ振るわないものの、無神経な上に自分の価値観を盲信していて、兄や弟も疑う事無くそれに追従している。深夜、あかりもつけずに電子レンジで暖めものをしている母はその牢獄で一生を終えるしか術を知らない。テヒがボランティアで出会った脳性麻痺の詩人に惹かれたのも、身体の不自由と闘い続けるコトバを紡ぐ彼に、自分の願望を見たからかもしれない。そのあと、船乗りを目指すのも、ジヨンと共に海外に活路を見出すのも、全ては「此処じゃない何処か」を探しているからなのだ。だからこそテヒは「何処に行くのかは、行きながら考えよう」とジヨンに笑顔で応える。
韓国に於いても女性が社会の居場所を見つけるには、かくも様々な障害に満ちている。
映画のタイトルにもなっている「子猫をお願い」は、ヘジュの誕生日にジヨンが用意した迷い猫ティティの事。都会暮らしで猫が飼えないヘジュがジヨンに預けて、結局彼女の飼い猫になってしまうのだが、猫の孤高さはそのまま、心を閉じたジヨン自身に重なる。家が倒壊した夜、警察に出向くジヨンがいちばん気の置けない親友であるテヒにティティを託すと疲れ果てた表情でこう云うのだ。「…子猫をお願い」と。
これは韓国社会の女性へ吹く逆風の中で、傷付き乍らも立ち上がる迄の助走を描いた映画である。
可愛らしいタイトルとペ・ドゥナの愛らしいポスターは、狼がかぶった羊の皮だと思うがいい。
これを読むと確かにスミレアオイハウスを生で体験したくなるけど、典型的な「捨てられない」症候群の僕には、此処を終の棲家にする自信はない。尤も、当の萩原夫妻も9坪ハウスで暮らす過程で9坪の間尺に合うようライフスタイルを改造していったようだけど。ライフスタイルの変容が彼らの人格の変容にまで繋がっていくのが面白いと思った。
久し振りに家族とマターリと過ごす日曜日。
(単に毎日曜、下北沢に映画を観に行っていただけなのだが)
ヨーカドーで買い物をしてから、ロータスパーク内でまだ試していなかった「謝朋殿(しゃほうでん)粥餐庁(かゆさんちん)」で超遅昼(17時・笑)をいただく。五穀粥(玄米、大豆、麦、ゴマ、キヌア)メインの粥専門店。
実はこのお店、日比谷シャンテの地下にもあって、日比谷で映画を観る度に何となく気になっていたのだ。
前菜に「揚げナスの肉味噌(440円)」を頼んでから(お粥主体なので強い味が欲しかった)、妻は「中国青菜粥(680円)」、僕は「蒸し鶏の玉子とじ粥(780円)」をそれぞれ五穀粥でいただく(粥ベースは他にコーン粥、玄米粥からチョイス出来る)。揚げナスは素揚げした白髪葱の食感が大変面白く、お粥もあっさりとけどしっかりと胃袋に主張してこちらもなかなか結構でした。
帰りに、息子と結託して「アトリエ・ド・ペリニィヨン」でぶどうのタルトを買って帰る。
此処のタルトにハズレなしだね、悠都さん。
定時退社して、お江戸上野広小路亭「お江戸きらきら隊」。
職場から上野広小路まではひとっ飛びなのが(地下鉄だけど)助かる。
「お江戸きらきら隊」は右團治さんの新企画。サブタイトルに「オール女性プラス男性一人」とあるように、太神楽の翁家喜楽(おきなやきらく)師匠を除くと出演者が全員女性という紅地に黒一点なスタイル。なかなか面白かったので、2弾3弾とシリーズ化されるといいなあ → 右團治さん。
以下、日記も溜まっているので、ごくごくショートな覚え書き(でもないか)。
神田きらり「山内一豊出世の馬揃え」
前座さんとは思えない達者さで、山内一豊の名馬「見つけたぞ!」と妻の内助の功を。
田辺一邑「曲馬団の女」
「曲馬団の女」は新作古典で、一鶴先生の師匠(田辺南鶴)が拵えたのだそうだ(うろ覚え)。曲馬団上がりの娘が銃後の母の宅に行き、戦死した息子さんとは許婚の中でしたと香典詐欺を企むが、老母の優しさに打たれ、本当に母娘のように暮らすうちに戦死した筈の息子が帰ってきて…というしんみり系の人情噺。
桂右團治「猫と金魚」
──お仲入り──
ネイビーブルー(という色の表現が不適切だったらごめんなさい)おろしたての羽織で登場するなり、まるで新選組みたいで、と自分で落とす右團治さん。加えて一発「今日のお客さんは上品な方が多い」。今日のお客はなかなか笑ってくれないなあという事らしいが、客席の空気は決して悪くないと思うので、右團治さんには是非安心していただきたい。
今回、「お江戸きらきら隊」という事で、神田「きら」りさんと、翁家「きら」く師匠が入ったのは単なる偶然との事。僕はてっきり狙った座組みだとばかり思っていたが、確かにそうなると第2弾の座組みが辛いかもなあ。
「猫と金魚」本篇の方は、旦那と番頭さんの木で鼻を括った何処まで本気か知れないやりとりに、右團治さんにしか出せない間というか、独特のフラが加わって、何とも云えないおかしみが出た一席。こちらも実は新作古典で、漫画家の田川水泡が作ったらしいのだけど(ネットでググるまで知らなかった)、確かにこの、何処か与太郎が憑依したような番頭像は他の噺ではちょっと見られない気も。
一龍斎貞友「亀甲縞大売出し」
個人的には貞友さんの講談が、本日のひとつのクライマックス。
翁家喜楽「太神楽曲芸」
ひとつ想像してみてください。開口一番、まさおくんの声で始まる講談を。
(勿論、意識的ではないし、アニメネタは一切出て来ない)
深夜のテレビショッピングでダイエットサプリやグッズを買うか悩んだというマクラから、日本で初めてコマーシャルを打った(かどうかは定かではないが)杉立治兵衛の商才がきらりと光る一席。具体的には勢州・津の名産である綿で織った亀甲縞を大坂に売りに出したものの、大坂では出回っていない柄故、出入り商人も高値では手を出さない。其処で治兵衛は、たまたま大坂で興行を打っていた二代目市川団十郎の許を訪れ、舞台で亀甲縞を着させ、宣伝を台詞に折り込んでもらった上、自らも同じ柄の浴衣を着せた芸者たちを引き連れ、大坂中に大々的にアピールした処、それが評判を呼んでたちまち一反が十二匁五分で売り切れたとそういうお話。
普通に語っているぶんには、貞友さん自身なんだが(おすましにならないとまるちゃんのお母さんにはならない)、茶屋の女中とか、ちょっと可愛らしい声を出そうとするとこれが全部まさおくんかしんベエになると思いねえ。まさおくんの声が出て来る度に右團治さんを通じて、いつかお近づきになりたいと邪な考えを巡らす、イケない私であった。
はて、この師匠は喜楽・喜乃の父娘コンビだった筈だが、今夜はピンで。
桂右團治「星野屋〜大津絵(踊り)」
(7/14記:7/10の池袋夜席打ち上げで右團治さんに訊いた処、喜乃さんは結婚されたらしい)
傘の曲と、五階茶碗の曲をメインに、最前列の迫力を堪能する。
五階茶碗は中野の親子落語会で観た翁家勝丸さんのものとほぼ同じ段取り。
夏らしくラストは水雲井の曲。これは長竿の先へ水を注いだ茶碗を乗せ、回転させる事で、水を八方に散らしてプチ噴水になる、所謂水芸ですね。広小路亭の高座とかぶりつきは本当に近いのだが、水飛沫がかかりそうでお客(つまり、僕ですが)にかからないのはお見事。茶碗の下の受け皿に細かくちぎった紙が仕込んであり、長竿を引っ込める瞬間にぱっと紙吹雪が舞って、客席からどよめきと惜しみない拍手。寄席で涼を取るというのも、なかなか乙である。
曲芸の後できらりさんが出てきて、水と濡れた紙吹雪を拭き掃除するのも夏の寄席の風物か。
楽屋口で妻がこさえた名刺を渡している右團治さんにご挨拶。
「星野屋」は「文七元結」「おせつ徳次郎」と数ある身投げ噺の中のひとつで、星野屋の旦那が囲い者のお花の心を試す為に偽装心中を持ちかけるが、案の定死ぬ気のないお花に思い切り裏切られて、意趣返しを企むが、気が付くと旦那とお花のどちらが上手(うわて)か意趣返しを競い合うサドンデスへ雪崩れ込むというそういう噺(て、どういう噺だ)。
後出しジャンケンのように、次から次へと互いが繰り出す策略に、五十歩百歩で罵り合うさまがひたすら可笑しい。
一席が終わった後は、右團治さん、やおら着物の裾を捲り上げて赤い股引(決して長襦袢ではない)も眩しく、いなせに踊りをひとくさり。実は文治の会以外で右團治さんが踊るのを見るのはこれが初めてである。小文治さんが桜上水で踊りの師匠にしごかれているというのはこれなのかなあ。
打ち上げに誘っていただいて、実際に脳裏をまさおくんとしんベエの困った顔(貞友さんの声は困った時に限る)がよぎったのだが、明日も仕事と此処はぐっと堪えて辞去。ちょっと勿体無かったかもなー。
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