天国の本屋〜恋火 / ラブドガン / カレンダー・ガールズ
メダリオン / 下妻物語 / 池袋7月上席(夜の部)
とんかつ井泉
伊東四朗一座 作成中 / news DELI 下北沢店 / mois cafe(モワカフェ)
駕瞑羅4・真実 / SF小町
第29回平治扇治二人会 / ミンスクの台所、ふたたび
箪笥 / マッハ! / とんかつ井泉、ふたたび
いかレスラー / バレエ・カンパニー
▼ 2004年06月の都を旅する
「川島雄三に没入した分を取り戻すぞ」「オー!」とばかりに新宿まで出向いて、現在公開中(終わりそうなものも含めて)の映画のハシゴをする。
「天国の本屋〜恋火(2004・日/篠原哲雄)」 新宿ピカデリー3
結局、観損ねたのだが、「深呼吸の必要(2004)」が「きみのためにできること(1999)」新世紀版であるように、本作は「月とキャベツ(1996)」「はつ恋(2000)」なるものの新世紀版なのだと思う。確かに篠原哲雄は器用な監督さんなので好き嫌いせずに何だって撮ってしまうひとなのだが、僕は「洗濯機は俺にまかせろ」「けん玉」といったタイプの作品が好きなので、今回のような大上段に構えたラヴストーリーに挑む原点回帰は大歓迎である。
コンビニで菓子パンとお茶と息子への土産(パンダーZフィギュア)を買った後、次の映画まで、花園神社を暫し散策する。新宿のど真ん中に不意に緑が現れるこの感じ、なかなか悪くない。
主演は竹内結子(「黄泉がえり」「星に願いを。」に本作と劇場映画ではゴーストラブストーリーに欠かせぬヒロインになってしまった)とピアノ弾きの特訓著しい玉山鉄二。竹内結子は若さの割に老成した処があるのだが、本作でも天国の叔母と現世の姪と二役を演じ分ける達者振り。初々しさは余りないのだが(笑)このひとが醸す安定感は映画そのものの強固な屋台骨となってくれるので、製作側からは重宝される存在だと思う。相手役に初々しさの残る玉山鉄二をぶつける事でバランスはきちんと取れているし。
「時空を超えて」と云った途端にいきなり薄っぺらくなるが、恋人のピアニスト生命を絶った悲しい事故で「人生を損なった」花火職人・瀧本(香川照之;トラウマ男はこのひとの真骨頂である)が長い時間をかけても癒せずにいる傷口(それは勿論、幸(香川京子)や妙子(かとうかずこ)らの傷口でもある)と、それに呼応して最后の一曲「永遠」を残して組曲を完成させられずにいる天国の翔子を丁寧に描く事で、説得力を持たせている。「天国の本屋」へバイトに連れてこられた由衣(香里奈)の傷口もまた自分自身では許す事の出来ない壮絶な過去だ。誰もがひとりでは癒せない傷を抱えて天国に来る。「天国の喫茶店」のママ(鰐淵晴子)に垣間見る歳月は、天国が限りなく優しくも、現世の傷と背中合わせに住むひとたちのあたたかくも哀しい世界として描かれる。そして、其処には全篇北海道ロケで構築した「天国」の空気感が見事にフィットする(「天国の本屋」さえ小樽埠頭の倉庫にセットを組んでいる)。
映画のクライマックスを彩る花火の美しさも、そしてピアノが奏でるメロディの美しさも、いずれもその残像を我が手許に留めておく事が出来ないという不確かさに於いて等価である。それらは全て、翔子と瀧本の「失われた恋」の側面そのものと云ってもいい。しかし、故に万感の想いをこめて、翔子はグランドピアノの前で一心不乱に「永遠」の旋律に指を走らせ、滝本は長きスランプを抜け出して自己ベストの銀玉を打ち上げ続ける。ふたりの想いがシンクロした(ふたりのアーティストとしての臨界点を超えた)その一瞬、翔子のグランドピアノを瀧本の花火が照らし、花火を打ち上げる瀧本の耳に(おそらくは翔子が降りてきたかのように町山が弾く)「永遠」の旋律が届く。其処にふたつの時空を結びつける触媒としての、ヤマキ(原田芳雄)とサトシ(新井浩文)が居る。自分たちの仕事に或る矜持を持って。
成程、これはクサい。これを真顔で語リ出すヤツを思わず鉄拳制裁してしまいそうな程クサい。
けれど僕は「世界の中心で、愛をさけぶ」の、次のパートナーを選ぶという生々しい人生の選択を美しく描く事に腐心するより、同じ免罪符であれば、挫折を乗り越えて本来自分に与えられた天命を取り戻す、というこのクサさの方が素直に受け止められる。そして実はこういうクサさを愛してやまなかったりする。こればかりは美学と嗜好の問題なのでどうしようもない。
役者往来。
のべつアドリブを入れる大倉孝二の活きの良さ(応戦する竹内さんもエラい)、近頃、平気でおばさん役を買って出る吉田日出子の惚れ惚れするスタンス、老いて尚恋を語る桜井センリの恰好良さ。ドラマに奥行きを与える塩見三省&根岸季衣の花火師サイド。この映画も脇を固めるひとたちの充実振りが気持ちいいです。
この項、続く。
「ラブドガン LOVED GUN(2004・日/渡辺謙作)」 テアトル新宿
ついに俺フェイバリット登場。これはお買い得ですよ、お客さん。
この項、続く。
お金はかけられずとも、センスとエモーションとで映画は此処迄面白く輝ける。
TVシリーズの「濱マイク」もこのくらいのセンス、密度のものが溢れていればもっと視聴率も取れたものを(て、保証の限りではない)。永瀬正敏がこのオファーを受けたのも「濱マイク」TVシリーズではついぞ味わう事のなかった(失礼!)ハードボイルド快楽をこの脚本から味わったからではないのか。
銃弾の色を巡るファンタジーでクールな設定の見事さも勿論だが、擬似父子とも云える師弟(それは丸山(岸部一徳)&葉山田(永瀬正敏)であると同時に丸山&種田(新井浩文)でもある)も、殺し屋と一緒に旅をする女子高生・観幸(宮崎あおい)も、いずれも濃密でウェットな仲なのに、かりそめというか行きずりというか、トランジットな関係故に、孤独な彼らが出す結論や行動(アウトプット)はあくまでもドライで、愛する人に討たれる「死」へと向かって疾走する。つまりはそのつかず離れずなぎりぎりの隙間越しに感じる、決して傍らに留め置く事の出来ない仄かな体温こそが本作の大きな魅力なのだと思う。心地好くも喪失感を伴うが故に、淋しくてそれでいてあたたかい、そんな関係性。
不器用さ故にぶつかり合って傷ついて血を噴き出し乍ら、互いの存在と愛を指差し確認しあう。
手のつけられない暴れん坊で、バカバカしくも毒々しくって、ひたすらクール…。
ラストシーンで観幸と種田が再現する、葉山田との出会いには鳥肌が立つ程だ。
渡辺監督は確かに鈴木清順的ハードボイルドの正統な後継者なのかもしれない。
役者往来。
岸部一徳&永瀬正敏は横綱相撲。ラストシーンの情感がいいのは勿論のこと、ふたりで殺し屋軍団と銃撃戦をする回想のバカっ振り、ペラペラっ振りとの落差がまたいいんだよなー。それから近頃ではCMでいささか鼻につく処のある宮崎あおいが、この映画では大活躍。やっぱり彼女に薔薇色の幸福は似合わない。新井浩文は実力がないくせに無闇に突っ張るチンピラを演らせると最強なので(たとえば「青い春」「ジョゼと虎と魚たち」での彼の仕事は必見)、此処はひとつ「21世紀の川谷拓三」の称号を与えてあげたいと思う。
いちばんショックだったのは変態医師を演じた野村宏伸で、「花と蛇」といい、何が彼を吹っ切れさせたのか。いや、いい味出してるんですけど。女優陣も伊佐山ひろ子(観幸の担任)、土屋久美子(観幸の父の愛人)、川合千春(葉山田の母)と勘所を押さえた絶妙な配役。回想シーンにチラリと出て来るだけの田辺誠一というのがとても映画的だったりする。
この映画のアクの強さは、観客を選ぶような処が確かにある。
けれど今の処、本作が2004年度邦画の俺ベストのようなので、強くお奨めさせていただく。
「カレンダー・ガールズ CALENDER GIRLS(2003・英/ナイジェル・コール)」 新宿文化シネマ
ヨークシャーの片田舎から発信して、30万部を売った「婦人会ヌード・カレンダー」誕生の経緯とその後の騒動を映画化。
夜、最相葉月「なんといふ空」(中公文庫)読了。
こういった実録ヒューマン物は最近のイギリス映画の十八番ですね。
失業者たちの男性ストリップを扱った「フルモンティ(1999)」と云い、ハリウッドの企画書からは決して出て来ない発想。
着眼点はいいし、実際、アニー(ジュリー・ウォルターズ)の夫(ジョン・アルダートン)を白血病で失ったのを契機に、クリス(ヘレン・ミレン)とアニーを中心に女性連盟のメンバーを説き伏せ、写真家ローレンス(フィリップ・グレニスター)と、本作のコメディとしての観どころ(普通のおばさんたちが、英国婦人としての羞恥心を乗り越えて普通のおばさんの裸を晒すまでの大いなる逡巡と、割り切ってからのノリの良さ)でもある撮影会を経て、カレンダー出版に反対する支部長マリー(ジェラルディン・ジュームズ)に対抗する為に、クリスとアニーが女性連盟の全国大会で大演説を振るまでは大層面白い。いっそ此処で映画を終わって欲しかったくらいだ(終わってたら終わってたで、後日談がないのは片手落ちしゃないかとあらためて文句をつけてたと思うけど)。
処が「ヌード・カレンダー」で成功を収めて、マスコミの脚光の後に、ヌードモデルのおばさんたちそれぞれに訪れる周囲の反動、きわめつけは天狗になって自分の家庭(キーラン・ハインズが珍しく悪役ではなく、理解ある優しい夫ロッドを好演)を顧みなくなったクリスの暴走(勿論、最后には友人の諫言助言と家族の理解とで丸く収まる)あたりになると、如何に実話でも、余りに類型的で生々しすぎて僕の肌にはちょいと合わなくなる。尤も、この部分への嫌悪感は、プライベートに骨身に染みるエピソードが含まれているという個人的な事情も少なからずあるのだが。それから米国行きのシンデレラツアーは物語的にはかなりだれる。必要不可欠なエピソードであるのは重々承知しつつも、何だか感が募る。
先にも書いたが、普通のおばさん、というのをキュートに描いたのが本作の最大の功績。
特に教会でオルガンを弾くコーラ(リンダ・バセット)が真顔で「私はもう55歳よ。──今、脱がなかったら、いつ脱ぐの?」はけだし名言(撮影時には思い切りびびるのがまた愛らしい)。殆ど長渕剛「西新宿の親父の唄」に於ける「やるなら今しかねぇ 66のオヤジの口癖は やるなら今しかねぇ」に匹敵する。もっと云えば、彼女が仮に70歳であっても「今、脱がなかったら、いつ脱ぐの?」と応えたと云う事だ。
くすぶっているんなら、チャンスは逃すな──全英のおばさんたちが(そしておじさんたちも)こぞって映画館に押しかけたのは、自分たちと一向に変わらない、市井のおばさんが美しく見えるその瞬間を切り取ったカタルシスに惹かれてこそなのだ。
それはそれとて、いずれ豪州で女子サッカーチームのヌードカレンダー秘話が映画化されるに1000ガバス。
二番煎じでもおじさん的にはそちらの方がうんといいのだが、実在のひとを扱う映画は色々と難しいからなあ。
最相さんって、実はひどくハードボイルドなひとなのではないかと思う。
エッセイの行間から覗く彼女の佇まいはシャープなまでに真っ直ぐで、そしてひどく逞しく雄々しいのだけど。
定時退社して、出張で上京してきたセトロさんと数寄屋橋で合流。
小洒落たハンバーガー屋で軽食を摂った後、セトロさんはたまたまマリオンの前で演説していた某候補(映研OB某氏のお父上)をネタ用(?)に撮影、公開初日は6月19日だったというのに全国的に本日が最終日の「メダリオン THE MEDALLION(2003・香米)」に滑り込みセーフ。成龍、生誕50周年(何だ、それは!)にして日本公開50作記念などと銘打っても、ジャッキー映画の栄光はもはや昔日の彼方へ。けど、客層は老若男女がまんべんなく散っているのは、今日で終わるんなら観とこうかいな、みたいな昔乍らのファンのスタンスと思いたいのですがどうですか。
「メダリオン THE MEDALLION(2003・香米/ゴードン・チャン(陳嘉上))」 ニュー東宝シネマ
正直、導入部となる香港篇の前半戦はたるくて、どうしようかと思いました。
そのあと池袋で仕事だったはるさんと浅草橋で合流。
悪い意味でのハリウッドの大味な洗練さが身についたヤな追跡劇。
サモ・ハン(洪金寶)の格斗演出も何だか冴えが見えないし。
エディ(成龍、香港警察の刑事という設定は相変わらず)といがみあうインターポールの相棒ワトソン(リー・エヴァンス)のドタバタ(寺院に踏み込んで仏像に銃を向けるルーティンギャグ)も寒々しい空転を続け、そんなにゲストに気を遣わんでもと歯噛みしてしまう仕上がり。スネークヘッド(ジュリアン・サンズ)の尊大な悪党振りには食傷気味すら感じる。
処が映画はアイルランド篇に移って、ジャッキーの溺死〜蘇生あたりから俄然面白くなっていく。
ギャグを空振り続けたワトソンも、不死身になったジャッキーをめった刺しにするあたりから(笑いのツボは再生するだけで肉体の痛みは感じる処ですね)コメディ・リリーフの本領を発揮する。スネークヘッドのくどいキャラもそれこそが「偉大なるマンネリズム」なのだと好評価に転向するのだから、いい気なものである → オレ。エンドロールのNG集も、クレア・フォーラニ(個人的には「ジョー・ブラックをよろしく(1998)」以来の邂逅)のびんたネタ2発の天然ボケ振りはジャッキーのリアクション含め、屈指のNG大賞。映画の尻尾まで客席で皆んなで声を出して笑えるのがジャッキー映画の醍醐味です。
ま、お話はいつも乍らのご都合主義で整合性もへったくれもないのだけど、ジャッキー映画で眉間にシワを寄せるのは野暮というもの。不老不死の鍵を握る紅顔の少年、ジャイ(アレックス・バオ)の凛とした瞳と、ワトソンの奥さん(クリスティ・チョン;「ジャンダラ(2001・タイ)」の、エッチな継母クンビーがこのひと)のマターリとした良妻賢母から女狙撃兵マリュートカへの豹変振りの落差は押さえておきたい。そのあと、彼女の正体が全然フォローされない処も香港映画らしくって個人的にはお気に入り。
スネークヘッドの部下レスターを演じるアンソニー・ウォン(黄秋生)を始め、ニコラス・ツェー(謝霆鋒)やらエディソン・チャン(陳冠希)の香港映画的には何気に豪華なカメオも一般客には殆ど通用しないんだろうなあ。あと、申し訳程度の出番だけど「指輪」シリーズのギムリこと、ジョン・リス・デイヴィスもインターポールの支部長役で好助演。
という訳で皆んな、アイルランドまで持ちこたえてくれ。
その後の面白さはオレが保証する。
…て、映画、終わっちゃいましたが。
この3人が雁首揃えるのは、去年の11月からおよそ8ヶ月振り。
尤も、ピンではしょっちゅう逢っているので懐かしさはかけらもない(笑)。
氷がくっついて取れない馬刺しの食べにくさを除けば、いたって格安・明朗会計(3人で気が済むまで呑み食いしても7000円ちょっと)の「和民」で2時間。とても日記に採録出来ない人物月旦、妄想話に鬼畜話になるのはいつものこと。お店を出ても地下鉄の入口で映画話がだらだら続いたので(やれやれ)、結局帰宅したのは1時前だった。都営地下鉄は最終が遅いんで助かります。
今日は右團治さんがトリを務める池袋夜席の最終日なので、午後はそれに注力。
本当は早起き(!)して、9時半から「新文芸坐」で、紫綬褒章受章記念「大林ワールド・ベストセレクション」の小林聡美初期主演2作品「廃市(1984)」「転校生(1982)」を観て、マターリと大林カントクのトークなど聴くつもりでいたのだが、寝坊した為にあっさり計画が頓挫してしまう。寄席は昼夜入替無しなので、確かにお昼からどっぷり落語を聴くのもアリなのだが、都合8時間もかぶりつきに居座ると肝腎の後半で集中力が持たない気がしたので、やはり此処は昼間に1本映画を観て夕方までつなぐ事にする。
「下妻物語(2004・日/中島哲也)」 池袋テアトルダイヤ
中島哲也というとCFディレクターとして非凡な才気を放つひとだが、永瀬正敏主演「Beautiful Sunday (1998)」が思わせぶりなばかりで余りにも面白くなかったので(少なくとも当時はそう感じた)本作はスルーする気でいたのだが、セトロさんが「予告編よりもはるかに面白い、今年の邦画前期では最大の収穫なのでは?」と書いていたのを思い出して、急遽、スケジュールに組み入れたと思いねえ。
観た結論から先に書けば、全面的に僕が悪かった。
これは聞きしにまさるケッ作である。喰わず嫌いは万死に値する。
しかも邦画界は土屋アンナという、得難いミューズを手に入れた(おかあさんになっても必ず映画界に戻って来て欲しい)。この映画の魅力の大部分は彼女の「イチゴ」というヤンキー・キャラに尽きる。
凶暴な仔犬、というと分かりづらい譬えだが、誰とでも必ず距離を置く桃子(深田恭子)が珍しく弱音を吐いた時に「行くぜっ、何処へだって行くぜっ」と心から嬉しそうに応じるイチゴの笑顔には、慥かに後光が差していた。彼女の眩しさは「17歳のカルテ(1999)」でウィノナ・ライダーを喰ったアンジェリーナ・ジョリーの眩しさに繋がっている(「トゥームレイダー」じゃなく、あくまで「17歳のカルテ」である)。深キョンはウィノナよりはうんと自己主張出来ていたけど(クライマックスの喧嘩上等でも意外に頑張っていたし)、土屋アンナの血糊と泥にまみれた無垢さには敵わない。嶽本野ばらもこの映画なら原作者として本望なのではないか。
ロリータ&ヤンキーという鼻つまみな女同士の友情をからめたビルドゥングス・ロマン、というシンプルにして感情移入しやすいフォーマットに、CF製作で培った映像的インパクトを大量投入して女の子が食いつき易いポップでキュートなパッケージに仕上げてみせた中島監督の手腕には、マーケティングニーズと自分らしさとの間をとりなすCF作家らしいバランス感覚が光る。何だか分からないけど恰好いい映画ではなく、若いお客に丁寧すぎるくらい親切な映画なのである。故に、そのあざとさと分かり易さとが却って喰い足りないという向きはあるかもしれない。
役者往来。
幸せのために家族を捨てる篠原涼子は、女優としても色々投げ打ってて何だかエラい。
一角獣の龍二(阿部サダヲ)、パチンコ屋店長(生瀬勝久)、八百屋の若旦那(荒川良々)(実は宮迫博之も)らは殆ど飛び道具の卑怯さ加減選手権大会のようなものだ。組の兄貴を演じた本田博太郎が普通すぎて却って面食らう。虫獲り名人こと樹木希林の、彼女の眼病告白を逆手に取ったアイパッチに至っては卑怯を超えていっそ清々しささえ覚えてしまう。
けれど、個人的に一等買いなのは「BABY, THE STARS SHINE BRIGHT」の社長を演じた「友達のいない」岡田義徳ですね(彼が主演した「ワイルド・フラワーズ(2004)」を観逃したのは痛恨の極みだ)。嗚呼、名作「渚のシンドバッド(1995)」は遠くになりにけり。
来週公開の「いかレスラー(2004)」のパネルだけはしっかり見届けておく(さすがにイカ臭いうちわ付前売は買わなかった)
。
池袋駅東口に向かうと、駅前では折りしも民主党候補者の応援で鳩山兄が熱弁を振るっている処だった。街宣カーの上に居並ぶ背広姿の中で、鳩山兄だけはボタンダウンのシャツか何かアイビー・カジュアルで決めていた。特に内容のある話でもなかったので、さっさとスルーして横断歩道を渡ったら、宝くじ売り場の脇に小さな人垣が出来ており、輪の中心には又吉イエス候補の日焼けした精悍な横顔が見えた。しかも脇でデジタルカメラを廻しているのは大川興行の大川総裁ではないか。鳩っちより断然こちらの方が聴く価値がある。池袋夜席の開始迄にはまだ1時間ほど余裕があったので、迷わず人垣に分け入って又吉候補のご尊顔を間近で拝す事にする。又吉候補はスタッフの呼びかけに応じ、気軽に有権者(何故か年齢層と性別にある一定の法則が見受けられたが)と写真に収まるなど実にざっくばらんな唯一神であった。
思えば何故か又吉候補のぶんだけ政見放送を観逃し続けていたので、ネットで彼の噂を読む度に、そして選挙ポスターの檄文を読む度に、いつか直接お目にかかりたいものだと夢想していたのだが、東京には住んでみるものである。
民主党と世界経済共同体党とでは街宣カーの規模が違う為、又吉候補の演説は鳩山兄の演説を待って行われたが、雨がぱらつき始めても鳩山兄の演説が終わらないのには辟易した。勿論、又吉候補へのイヤがらせなどではゆめゆめないんだけどね。
やっと民主党の演説がはけて、律儀にマイクテストを重ねる又吉候補の演説を1メートルと離れていない距離で聴く僥倖に恵まれたが(大川総裁始め数名が演説する候補をバックに記念写真を撮っていた)、すぐに入れ替わり社民党の福島党首がおたかさんを引き連れて街宣カーで乗りつけた。社民党の街宣カー、スピーカーの威力は民主党並みの規模だったので、小さなスピーカーとビールケースを裏返しにした演台(それでもきちんと又吉イエスの名前が書いてあった)では総力戦で苦戦を強いられるものの、それでもそぼ降る雨の中、又吉候補は時間の限り、全失業者の救済、国民年金問題、イラク問題、憲法問題、大人そして子供たちの罪・犯罪を失くする社会について口角泡を溜めつつ(決して飛ばしはしない処に品性を感じる)唯一神としての責務と展望とを熱く語ってくれた。最后はスタッフの指示で選挙ポスターの檄文を「詳しい理由は選挙公報等で熟知すべし」と末文まで読み上げてくれる(スタッフも候補の売りが何かよーく「熟知」している)。候補の「国民一人びとり」という古風な云い廻しが印象に残った。
又吉候補の追っかけらしい若者数名が「次は飯田橋らしい」と頷き合って駅に消えていった。
やはりネットに於ける又吉イエス情報は絶妙なチームワークのなせるワザであったか。
最后にもう1回有権者との記念写真タイムがあったので、躊躇わずに挙手して唯一神とのツーショットをPHSのCCDカメラに収める。
両手で握手してもらったが、力強く頼りがいのあるグリップであった。又吉候補にはこのままずっと闘い続けて欲しいものである。
夜席開演まであと20分。大急ぎで池袋駅を駆け抜ける。
この項、続く。
頑張った甲斐あって、夜の部開演の17時前には、どうにか池袋演芸ホールに辿り着く。
以下、備忘メモ。尚、余りの酷暑に日記を書くのも命懸けなので、今回は本当にワンポイントコメントでよろしく。
池袋7月上席後半(夜の部)
桂前助「やかん(途中から)」
会場に入った時は、既に「やかん」は佳境に。前助さんより又吉イエス様を選んだ僕を許してください。
橘ノ昇美依「宮戸川」
開口一番からまた艶っぽい噺を。サゲはうら若き乙女らしいアレンジで。
コントD51「コント」
いつもの道を尋ねられる警官から、リフォームの打合せに来た設計士へと設定が今風リニューアル。
桂小文治「酢豆腐」
おばあちゃんの過去が旅回り芸人な処が不動なのが嬉しい。ドタバタコントの王道ですね。
大好きなネタは何度聴いても面白い。小文治さんは若旦那を演らせると右に出るものが居ないなあ。
桂歌春「たらちね(前半部)」
歌春さんって白髪増えたんですね。マクラは高田純二的お客褒め殺し芸を極めてました。
翁家喜楽「太神楽曲芸」
ローカル岡さんの代演。こないだお江戸きらきら隊で観たもののコンパクト版。
三笑亭笑三「漫談」
水雲井の曲で客席が沸くのも前座さんの拭き掃除で笑いが来るのも一緒。
「此処だけの噺ですが」と傍若無人なテイストで客いじりに徹する。寄席は双方向エンタなんだと改めて実感する瞬間。
神田松鯉「水戸黄門記〜雁風呂の由来」
芸協理事にも拘らず、最后は前助さんら前座さんを総動員して、顎で使われるように高座を降りる演出は結構ツボでした。
この方は日本講談協会々長なんだけど、それより山陽さんの師匠ですよ → 悠都。
マジックジェミー「奇術」
「水戸黄門記」と「水戸黄門漫遊記」の違いからTVシリーズの歴代黄門、唯一「水戸黄門記」を忠実に目指した石坂黄門、それから今の里見黄門まで水戸黄門話に暫し花が咲く。
奇術「スティファニー」とあったのでもしやと思ったが、初めて観る生ジェミーさんは女版ゼンジー北京というか、女版トニー谷であった(ルックスではなく話術のスタイルが)。最前列がさいわい(災い)してロープのマジックでは専属の息吹き係を任命される。あとで、ご本人の掲示板へ報告、「あれー」と驚かれる。
三遊亭小遊三「花色木綿」
小遊三師匠の「笑点」効果というのはやはり凄い。
──お仲入り──
確かに可っ笑しい高座ではあるのだが、師匠が出てきた途端に客席の空気が、二の腕の毛穴で感じられるくらい、がらりと変わるんだものなあ。マクラでジェミーさんのインチキ(笑)英語訛りをいじりまくるが、どうも裏ではやっさんが糸を引いていたらしい。
春風亭鹿の子「新作」
二次会のカラオケボックスで万年課長を持ち上げ、若手社員を鍛える噺。「決して一度しか演らない」顔ネタも披露してたけど、僕個人は噺そのものが充分可笑しかったので、打ち上げでご本人にそう云ったつもりだったけど、もしもへこませてたら申し訳ない。
桂平治「善光寺の由来」
「お血脈」の前段。やっさんの「お血脈」を聴くのは初めてだったが、出来るものなら「地噺王」の称号を与えてあげたい。
松乃家扇鶴「音曲」
忘れた頃に、松鯉さんの黄門ネタが軽妙に料理されて出て来るが、ご想像通り下ネタ。さんざん客席をあたためてからトリに繋ぐ。
コトバで巧いこと表現出来ないが、この師匠のぼそぼそと照れ隠しのように投げ込む空爆話術はクセになる。
桂右團治「子は鎹(かすがい)」
やっさんの話だと、扇鶴ギャルズというおっかけの若い女の子たちがいるらしい。
少なくとも僕が記憶する限り、女流寄席でない普通の座組みで右團治さんが主任を務めるのは今回が初めてなので、「右團治画報」管理人のひとりとしては(更新が滞り気味でどうもすみません)どうあってもその場に立ち会いたかった一席。「子別れ」(三部作のうちのこれは完結篇)を聴くのもこれが初めてと個人的には初めて尽くしで、まさに記念すべき一夜。右團治さんにしか出来ない「子は鎹」をじっくりと聴かせてもらった。
寄席がハネた後、右團治さんのお誘いで打ち上げに参加させてもらう。
場所は以前も連れてってもらった「国東亭」。参加者は他にやっさん、前助さん、扇鶴師匠、鹿の子さん、昇美依さん…て、素人はオレひとりだけじゃん…おそろしい話である。意外にもやっさんは「国東亭」が初めてとの事。確かに二人会の打ち上げ会場は「三春駒」だったものね。
やっさんと前助さんが激しいノリツッコミで話題のイニシアチブを取り乍ら、殆ど仮想楽屋と化した座敷席で城下ガレイの刺身や縁側に貴重なキモなど珍味をいただく(キモは小皿に乗って出て来たのを皆で少しずつ食べる)。個人的にはポテトサラダをソースのようにアレンジしたミニオムレツがヒット。皆さん、「耶馬娘(やばむすめ)」という米焼酎で舌鼓を打つが、それにしてもすごい名前である、ヤバムスメ(実は「耶馬美人(やばびじん)」というプレミアム焼酎もあるらしい)。お店の大将がやっさんと同郷の気安さからか、もともとの気質か(後者だと思う)恐れを知らずにプロの噺家に駄洒落をしかけてくるが、それをウケとめるやっさんがまたお見事。宴席のキャッチボールをしかと心得てるもんなあ。
しかし、話題の半分は下ネタだったもんね。確かに酒の席ではあるけれど、7人中3人もいる女性陣がイヤな顔ひとつせず、それぞれがそれぞれのキャラで、さらりとボールを投げ返すのに驚嘆する。特に鹿の子さん(笑)。あらためて芸人さんの強かさに頭を垂れた夜でした。それにしてもウォシュレット話が延々30分以上も続くのってどうよ。いや、勿論ムチャクチャ楽しかったんだけど。
ずっと浸っていたい空間だったんだけど、終電直前に恐れをなしてひとり抜けさせてもらう。
丸の内線は終わっていたので山手線経由都営大江戸線でどうにか清澄白河へ辿り着く。
車中、次妹から「綾戸智絵のライヴに行って手渡しでサインを貰った」と欣喜雀躍のメールが入る。ああ、血筋は争えぬミーハー兄妹。
18時で退社して、上野広小路で妻子と待ち合わせ。
今夜はとんかつ発祥の地・上野でとんかつを食べるのが目的。
(単に妻がとんかつ好きというのもある。北九州時代は毎週のように「浜勝」に通っていたし)
とんかつ発祥の話については、「とんかつの歴史を考える」を読んでいただく事にして、僕の頭には勿論、先月観た「喜劇 とんかつ一代(1963)」があった。森繁営む「とん九」のモデルは「井泉」「双葉」と云われ、実際に全日本とんかつ連盟(全とん連)のホームページを見ると、組合幹部と森繁ら出演者との記念写真が掲載されている(此処には「井泉」の先代が並んでいる筈である)。
妻の事前調査で「双葉」「本家ぽん多」「蓬莱屋」の所謂、上野のとんかつ御三家は外された。
理由、アゴが外れる程莫迦高い(「双葉」はロースかつ定食2800円、「本家ぽん多」はカツレツ2500円のポークソテー3500円、「蓬莱屋」は2メニューのみで各2800円)割に、コースでも何でもない普通の定食なので「高すぎる!」がネットでの一致した見解らしい。それに比べて「井泉」は老舗(御三家より後続と云い乍ら創業昭和5年だ)乍ら、上野の御三家に「前に倣え」のとんかつ高騰をものともせず、通常価格で御三家レヴェルのとんかつを供しているという事で妻は此処に白羽の矢を立てた。
夕刻迫る中、「上野井泉本店」の雰囲気のある佇まいを発見。近くには、僕はまだ行ったことがないが、湯島天神もある。
入るなり、カウンター内の厨房で忙しそうに板さんたちが立ち働いている。1階席もまだ空いているが、女中さんに2階の座敷に案内される。妻に云わせると子供連れで行くと2階に通されるのは既に折込み済みらしい。早い時間なので、2階席は僕ら家族のみ。時代の入った柱に壁に細長いテーブルに、と成程「喜劇 とんかつ一代」の空気そのままのつくりに、「山田村ワルツ」ではないが思わず「ムラムラしいわ」と云ってしまいそうになる。本当、オレってミーハーなのな。
僕はヒレ定食(1800円)、妻はロース定食(1250円)を注文する。
洋食屋らしく他にもエビフライやオムレツ、ハンバーグと各種取り揃えてあるが、此処へ来る度に気になり乍らもとんかつしか頼まない気がする。夏なのでヒレカツサンドの持ち帰りは休止中なのが、ちょっとがっかり。妻の話だとメニューには書いてないが、ごはんとキャベツはお代わり可であるらしい。とんかつ屋さんはそう来なくっちゃいけない。
胡麻すりセットや和風ドレッシングが運ばれてくることはなく、味付けは備付けの特製とんかつソースあるのみ。
最初、え、これを全部ソースで食べなきゃならないの…とちょっと腰が引けたのだが、食べているうちにあにはからんや、このキャベツにはこのソースしかないと思えてくるから不思議。そしてキャベツの切り口が夢のように繊細で、口当たりが思わずこのままふわりと融けてしまうんじゃないかと錯覚してしまう程。スピードカッターやフードプロセッサではこの刻みを再現する事は不可能なのではないか。野菜は切り口ひとつで味が変わると云うが、これを食べるとそれもあながち嘘ではないと思えてくる。
肝腎のとんかつだが、初代が考案した「お箸で切れる」柔らかなとんかつの謳い文句は伊達ではなく、とんかつを歯で食いちぎるとか引きちぎるとかなく食べられるしあわせを噛みしめる。ざくざくした衣に封じ込められた豚肉はジューシーで、これがなかなか旨い。成程1000円代でこれが食べられるなら、何をわざわざ3000円近い他店に足を運ぶ必要があろうか。とん汁も上質の豚肉が使ってあって同じく旨い。これはお代わり出来ないの?
当然、ごはんとキャベツはお代わりしたのだが、皿に吊り鐘のように盛られて運ばれてきたキャベツの山はかなり壮観で今思うと写真に撮らなかった事が悔やまれる。本気でキャベツにソースでごはん一杯は充分イケる。
1階のレジで支払の段になって、厨房で先代が森繁に調理指導しているスチールが飾られてあるのに気付いて、丁度こないだこの映画を観たばかりなんですよと、女将に話して、暫し盛り上がる。カウンターから眺める厨房は活気があって、この次に来る時は1階で食べさせてとお願いしてみようと妻と話す。彼女はあのソースの味が気に入ったらしく、早速レジで購入していた。
帰途、ファミマで「ケンタロウのちょっpping!ファミマ」から「あんずとココナッツのスイーツ」を購入。
あんずのゼリーとココナッツミルクのムースは見た目だけでなく、口の中でもなかなか面白い味。
これで後は「しましまスイーツ」を食べれば「ケンタロウのちょっpping!ファミマ」デザートはコンプだ。て、3種しかないんだけど。
今の処はB級グルメ魂をくすぐる「さかさまプリン」がベストだね。これならそのままレギュラーメニューになってもおかしくない。
以下、本文作成中。
伊東四朗一座〜旗揚げ解散公演〜「喜劇 熱海迷宮事件」 本多劇場
【作・構成】妹尾匡夫
【演出】伊東四朗、三宅裕司
【出演】伊東四朗 (崖山岩男)
【出演】三宅裕司 (徳田原)
【出演】ラサール石井
【出演】小宮孝泰
【出演】小倉久寛
【出演】東貴博
【出演】河本千明(劇団SET)
【出演】原圭一(劇団SET)
【出演】大河原晃(劇団SET)
【出演】小島美幸(劇団SET)
備忘に三宅さんの巻頭言を転記しておくが、これは伊東さんを触媒にした、失われた軽演劇復興への決意表明みたいなものだと思う。
笑いは「日常としての笑い」と「表現としての笑い」に大別することができると思うのだが、現在の日本のテレビ界では「日常としての笑い」しか求められていないといっても過言ではないだろう。しかし、笑いのプロが「表現としての笑い」にこだわりを持たなくなったら、それこそ本末転倒である。浅草の芝居小屋からテレビバラエティ、映画、舞台と一貫して「演じる笑い」「表現としての笑い」にこだわり続け、現在でも日本の芸能界の第一線で活躍している人がいる。そう、伊東四朗である。その伊東四朗を座長として、シチュエーションもストーリーもきちっとしているがせりふは軽く、今の時代のお客さんが面白いと思えるドタバタナンセンスな東京コメディを上演したいのである。あくまでも「表現としての笑い」にこだわりたい。こんな趣旨に賛同し、伊東四朗座長の元に集まった豪華キャストと共に伊東四朗一座〜旗揚げ解散公演〜を企画した。
この項、続く。
まだ17時前だったが、すっかりお腹が空いたので手近な「news DELI(ニューズデリ)」に入る。
先月、シネマアートン下北沢通いをしていた折に、ずっと此処のオープンテラスの前を通っていたから、いつか一回来てやろうと目論んでいたのが案外早く望みが叶った。このお店、去年の春には小倉にも出来ていたらしいが存在すら知らなかった(6月には福岡にも出来たらしい)。
はるさんは否定したが、客層はちょうど僕らが最年長くらいではないか。外国人率が高いのはこういうお店ならでは。剥き出しの天井から下がった全方位型の液晶パネルがMTVを流しているがあくまでお飾り。まだ早い時間だが、なかなかの盛況振りでテーブルは半分以上埋まっている。
数十種類の野菜主体のスローフード系惣菜が並んだショウケースは壮観で、デパ地下のデリコーナーの賑やかなヤツみたいだ。せっかくなので、蒸し暑い外気のあたるオープンテラス側より、ひんやりとした惣菜のショウケース側のテーブルに通してもらう。惣菜は全て掌にすっぽり包まれるくらいの白いココットで供される。一品300円台後半〜400円台後半くらいで手頃だが、自分でチョイス出来ないものの、スタッフが人気の惣菜を適当に詰め合わせてくれるという7品セットが1500円と格安なのでそれを頼んで、モルツとマンゴオレ(→当然、オレ)でまずは乾杯。
席につくなり、「疲れたァ」といきなりへたり込むはるさんも、そう云えば7月頭にとうとう36歳を迎えたのだった。
ココット7品はやはりサラダとかマリネとかラタトゥイユがメイン。さりげなくココットの底に白玉をしのばせた金時豆の餡が旨し。このオリエンタルな風味はクコの実か。肉類も鶏肉や魚が主体で、あ、ゴーヤは豚肉だったか。あと、あたたかいメニューが食べたい場合はつくりおきの惣菜系ではなく、パスタやグラタンを別に頼むべし。
愚にもつかない話と人物月旦、ベタな駄洒落は控えめに。
さっちゃんは今回みたいな正攻法な商演劇は初めてだったので、かなり心を鷲掴みにされた模様(そもそも今回の座組み自体がひとつの奇跡だったと云っていい)。それだけに次の観劇は生半可なモノを観る訳には行かない。12月の上演がウワサされている三谷幸喜の新作あたりがまずは観劇満足度が確実な処だが、ちょっと間が空き過ぎるか。
はるさんもさっちゃんもモルツがくいくい進む。
ピーチオレやジャスミンティーで応戦するも茶腹は麦酒腹には太刀打ち出来ぬ。
7品セットがはけてしまったので、暫し思案してスタッフを呼ぶ。
コストパフォーマンスを考えると単品でココットを頼むよりはこの7品セットが安いに決まっているのだが、スタッフのチョイスにまかせるという事はつまり、惣菜の残状況を鑑みて、売れ残りが目立つものや、沢山作りおいた人気メニュー限定でセットを組んでいるのではと思ったのだ。
「あのう、この7品セットっていつも同んなじメニューなんですか?」
女の子が店長に確認してきた処によると、惣菜のチョイスはオレンジの値札のものから無差別チョイスしているので、完全に重なることはないが場合によっては何品かだぶるとのこと。無差別チョイスで完全に重なったら、却って面白いじゃん(何が面白いんだか)と再び7品セットをオーダー、意外にもだぶりはレモンサラダ1品だけだったが、味のバリエーション的には多少見切った感じか。
途中、妻から電話。
本来、夕食で合流する筈だったのだが、家の近くの公園で水遊びに興じた息子が遊び疲れて爆睡モードに突入、下北沢に来るタイミングを逸してしまったのだった。悠都が起きて「ボクも下北沢でごはんを食べたい」と泣いているとの電話。とは云え、子連れで自宅から下北沢へは優に片道1時間は見なければならず、さすがに今回は見送るように申し送る。またおじちゃんたちと美味しいごはんを食べに行こうね(結局、妻は息子を近くのデニーズへ連れて行って溜飲を下げさせたようである)。
はるさんは次いでデザートを所望だったが、せっかく食のメッカ・下北沢まで来ているのだから、スイーツは別のお店で食べようと提案、満場一致で(と云っても3人しかいないが)可決される。会計して、酔っ払ったはるさんにフリーペーパーの脇に置いてあったコースターをひとつかみ渡されたのが19時前。
下北沢の夜はもう少し続く。
まずは妻子への土産を買いに「アンゼリカ」へ直行。
店先で巨漢店長がおばちゃんと談笑しているのを横目に、白玉あんぱんやかわりあんぱん(生地がメロンパンみたいなヤツ。正確な名前を忘れた)、チーズケーキぱんを買い込む。此処のパンは旨いんだよと連呼していたら、さっちゃんもついついトレイとトングを手にパンを各種買い込んでいた模様。よしよし。
てっきり19時くらいで閉まるものと思っていたが、20時半頃に再び店の前を通ったが、店は普通に開いていた。
少なくとも週末は21時くらいまでは開けているのかもしれない。
具体的に目指す店はなかったのだが、以前、路地裏探検をした時に隠れ家みたいなお店が軒を並べていたのを思い出し、通りからひとつ脇道に入って手頃なカフェを物色する。イタリアンや飲茶などぽつりぽつりある先を更に細い道に入った完全な住宅街の奥で、塀にネオンが点滅しているのを発見、まさかご休憩4000円とかではあるまい(失礼!)と、夜目を凝らして闇を覗けば、これが何と普通の民家を改造した「mois cafe(モワカフェ)」。
塀にはチョークでメニューを書き込んだ大きな黒板が設えてあり、黒板を縁取ったネオンが明滅しているのだった。開け放たれた玄関は虫除けに分厚いビニールシートが降りており、暖簾をくぐるようにお店へ入るらしかった。玄関の脇にはちょっとしたウッドデッキがある。暖かみを帯びた照明はお店と云うより、まさに民家そのもの。元の持ち主だろう「滝本さん」の表札が妙に生々しい。後付けの知識だが、「mois cafe」は築40年の民家をリノベーションした拵えた古民家カフェで、この5月にオープンしたばかりなのだそうだ。
「本当に此処、入るの?」「ヘンな店だったら、責任とってよ」(全てはるさん)
一度は大通りまで戻ったのだが、やはり未練を捨てきれず、行ってみる事に。
入ってすぐに左が1Fフロア、つきあたりがキッチン(所謂、民家の普通の手狭な台所である)になっている。スタッフのおねえさんが2Fフロアへ案内してくれる。土足でどうぞと云われなければ、思わず靴を脱いでいまいそうである。
階段の上がり口には小ぢんまりとした熱帯魚の水槽がライトスタンドの役割も果たしている。2Fは壁と天井を全てぶち抜いており、梁が剥き出しになった高い天井はそれだけで広々としたスペースを提供してくれる。フロア全体の薄暗いライティングに合わせて、アンティークなテーブルのひとつひとつに火屋のないランプの炎が揺らめいている。特に階段を上がってすぐの壁際にある、お尻ごと埋もれてしまいそうなソファを置いた応接テーブルに心ひかれたものの、先客が寛いでいたので、泣く泣く窓際のテーブルへ案内される。壁際にはフードメニューを書いた黒板が立てかけてある。また「森本ひであつ+鈴木美貴子展」という事で、壁に幾つもの絵が飾ってあった。おねえさんが持ってきたメニューはCDケースをアレンジした可愛らしいもので「まだデザートいただけますか?」と訊ねたら(デザートは19時まで)「大丈夫ですよ」とデザートメニューを書いたミニ黒板を持ってきた。何処までもハンドメイドなお店である。
本日の自家製スウィーツ(500円。アイスを添えると50円増)は「きなこケーキ」「木苺のガトーショコラ」「レアチーズケーキ」の3種類で、おねえさんが「『きなこケーキ』だけあと1つしか残っていないんですよ」と云うが早いか、はるさんがオーダーしたので、僕とさっちゃんは「木苺のガトーショコラ」「レアチーズケーキ」にアイスクリーム添えをアイスコーヒーと共に。はるさんは更にハイネケンを頼んでいた。まだ呑むか。
3人で少しずつ分け合って3種の自家製スウィーツを堪能する。
ガトーショコラは奥まで木苺が主張していてなかなかいい。バニラアイスには抹茶パウダーのささやかなアクセントがあるのもいい。レアチーズケーキもレアチーズの部分が強いのがオトナな感じでグー。あとアイスコーヒーのシロップ用に供されたハニー・ディスペンサーが緑の小瓶を用いたセンスのいいものだったのだが、そのセンスの良さをテキストで表現出来ない自分の筆力が恨めしい。
此処で窓を吹き抜ける風にあたり乍ら、お昼ご飯をのんびりと食べて、お茶を呑みつつマターリと過ごせたら、気の置けないよそんちにお呼ばれして長居しているみたいな、そんな錯覚に陥りそうなカフェである。今度は妻子を連れて、日の高いうちに訪れてみたい。
明るい時間帯に来てみたら、もっと沢山の発見がありそうだし。
これ以上望むべくもない愉快な芝居と素敵なカフェ。
とても幸せな気持ちで帰宅したが、妻と子供が冷戦状態になっていて、仲をとりなすのに四苦八苦したまま就寝に雪崩れ込む。
……やれやれ、これが現実。
連休3日目。
家族でのんびり朝食を摂っていたら、セトロさんと約束したぎりぎりの時間になってしまい慌てて家を出る。
今日はこの3連休を通して行われている「大銀座落語祭2004」の落語家の映画特集企画。しかも無料。
出張で上京してくるセトロさんに「何か、オモロ・イベントない?」と訊ねられて何気に特撮ヲタの間で伝説になっている「駕瞑羅4・真実」、通称「ガメラ4」上映を紹介した処、瓢箪から駒で彼が大乗り気になり「まさかキミは来ないのかっ」と問い詰めるように(笑)召集を促されたもの。
有楽町から東銀座へ、銀座三越から灼熱の歩行者天国をひた走って(余りの暑さに道の真ん中を歩くものは誰も居ない)、どうにか上映時間ぎりぎりにヤマハホールのロビィに飛び込むと、備付けのスピーカーから流れてくる林家しん平監督の舞台挨拶を聴く限り、挨拶は始まったばかりのようだった。客の入りは3割程度とスカスカなものの、客層自体は異様な熱気に包まれている、という不思議な空間。前方左側ブロックの空きを見つけてこっそり座る。辺りを見回すと、右側ブロックの方にセトロさんと、カメラマンとして召喚されたエノモトくんの顔が見えた。
どうも本作は上映会を開催する都度、新作部分(CG)が継ぎ足されるネバーエンディング・ムービーらしく、今回もウン万円出資して2分の新シーンを加えたパワーアップ・ヴァージョン(ツウには新作部分が大きな魅力らしいが、それがどういうビッグな贈り物なのかパンピーの僕にはイマイチ…)。そしてそれを撒き餌に本作の主演俳優・螢雪次朗もサプライズゲストで登場、客席の興奮はるつぼに。おお、これは来て良かったよ、オレ。
螢さんは本作出演の経緯(彼が演じた「大迫力」を他人に演らせるくらいなら俺が演る」と出演を快諾)と、以降その縁が仇となって(笑)上映会など事ある毎に駆り出されてしまって、と殆ど達観の境地(本当にいいひとなんですね)。
付録として冒頭にやはり平成ガメラをパロった短篇ほのぼの風暗黒アニメ「ひょっとこガメ太郎」3部作を通しで流した後(2のサブタイトルは「レギオくん襲来」だったが、3は忘れまちた。処で2・3のオチは全く同じだが、これは連続上映して初めてウケを取れる笑いですね)、いよいよ「駕瞑羅4・真実」本篇を上映。
「駕瞑羅4・真実(2003〜2004・日/林家しん平)」 ヤマハホール
金子修介の「平成ガメラ3部作」は日本の怪獣映画のターニング・ポイントだった。
しかも、完結篇である「ガメラ3 邪神<イリス>覚醒」はまさかまさかの「ライオン仮面、あやうし!」なラストを迎え、特撮ヲタのみならず一般映画ファンの間でも物議をかもした(この効果は直後に「ゴジラ2000 ミレニアム」が同じ手を使った事でも分かる)。とにかく「つづきが気になる」のである。特に平成ガメラに心奪われたひとびとは。
そんな熱烈な特撮ヲタのひとりである林家しん平師匠が「あの『ガメラ3』の続きを見たいと思わないか?」のキャッチコピーの許、敢然と立ち上がり(多くの特撮ヲタ達に、その立ち姿はさながら「3」のラストのガメラ(神)そのものに見えたに相違ない)特撮ヲタが観たかった「片腕ガメラVSハイパーギャオス」を、あろうことか自主制作で描き切ってみせたのが本作だ。
実際、前半の殆どを占める「片腕ガメラVSハイパーギャオス」バトルは圧巻という他ない。CG及び着ぐるみバトルに、迫力ある自衛隊の演習映像を効果的に挿入して(慰問公演などで懇意の自衛隊基地に協力を仰いだらしい)、映画後半のクライマックスである「ガメラVS変異体(アルビノ)ギャオス」の死闘まで、単なる自主制作の域を超えた空中戦シーンを展開している。
特技部分は尋常でないぶん、実写部分との落差は拭うべくもないが其処はご愛嬌。実はストーリーにはさほど重要ではない(笑)大迫役の螢雪次朗の熱演が光った以外は(悪夢にうなされるシーンでしん平師匠が拵えた「怪獣魂」Tシャツを着ていてワロタ)、シリーズ通して本田博太郎が演じた環境庁の斉藤審議官を監督自らが演じるも思い入れがたっぷり過ぎ。尤も、作り手の自己満足こそが自主制作の醍醐味なのだからこれはOKでしょう。その他の出演者は長峰真弓役始め全て素人衆の有志一同で固められていたが、長峰を中山忍っぽく見せる(ファンのイメージをあからさまに壊さない)努力など監督の作劇術には見るべき点が多々あったと思う。
本篇上映後に監督の次回作「A-140F6・深海獣零号作戦」の特報映像。
このプログラム構成も特撮ヲタには御馴染みの流れ。
此処に迷い込んだ一部の一般客にはどう映ったかは謎だが。ていうか、よく最后までつきあってくれました。
戦記モノ、それも海戦モノにして戦艦大和と深海怪獣の決闘を描く、というプロでもなかなか手を出したがらない素材を、スタッフに雨宮慶太に原口智生、そして出演者も、主演の宍戸開を初め、螢雪次朗、小野真弓、不破万作、土田早苗、あご勇、ケイ・グラント(ナレーター)、落語協会の噺家多数(定席の合間に楽屋に居る出演者を掻き集めて軍議シーンを撮影しているらしい)、そして京極夏彦、馳浩、森喜朗前首相と持てる限りの人脈を総動員して、自主制作の域を大きく逸脱して(今回はスポンサーが沢山ついているのでもはや自主制作とは呼べない)特撮ヲタの次なる夢を叶えようとしている。
来年5月の公開を刮目して待て。
上映後のティーチインをひそかに期待していたのだが、しん平師匠、螢さん共退出された模様。残念。
それでもエノモトくんは舞台挨拶中のおふたりをばしばし撮影したらしく、会誌記事の素材としては申し分なし。
──自分ももっと近くに寄っておけば良かった。
この項、続く。
セトロさんや(特に)エノモトくんには悪かったけど、折角なので続けて志らく作品。
本来は最新作「不幸の伊三郎(2004)」上映予定だったのが、間に合わずに急遽、前作「SF小町(2002)」に差し換えられたらしいのだが、「SF」と冠している上に、吉行和子や大林宣彦(各氏とも「志らくのピン」を務められた)がゲスト出演しているなど、極個人的に押さえておきたかった作品なもので。
尚、実はちょっぴり期待したのだが、こちらは志らくさんの挨拶はなし。チェッ。
「SF小町(2002・日/立川志らく)」 ヤマハホール
立川志らく監督第4作目にして、講談社WEB現代インターネット映画「シネマ志らく座」。
最新作「不幸の伊三郎(2004)」含めて、最も豪華キャストにしてお祭り気分強し。
一度とは云え「志らくのピン」に参加して、噺家・立川志らくの天賦の才と業(カルマ)、そして古今東西の映画を愛し、拘り続ける貪欲な姿勢に胸打たれたが、残念乍ら本作を観る限り、映画作家としては大学映研の素人衆の作品の域を出ていない(パートカラーなのも謎だし)。如何に名だたる人を揃えてもこんなにヌルい仕上がりではPFFの一次予選も通過すまい。これにお金を取ってはいけません。というか、ネットでこの映画を観たひとが、噺家としての立川志らくを低く値踏みしそうなのが怖い。
物語は、とある午後、内閣総理大臣の秘書(春風亭昇太)が蛭子能収の許に訪れて、お宅の美人三姉妹(野田よし子、林由美香、酒井莉加)のうちの一人を宇宙人の結婚相手に差し出せと国連決議で緊急決定した拒否権無しの要求を突きつけられる。娘の幸福を取るか、地球の未来を取るか究極の選択を迫られる蛭子さん、娘たちはそれぞれの理由から自分が人身御供になると宣言し、家族の周囲のひとびと(三遊亭楽春、柳家一琴、柳家花緑、ミッキー・カーチス、堀内美希)もそれぞれの思惑で好き勝手な事を云い出し、これまで蛭子さんが知る由もなかったドロドロした人間模様が露呈する始末。刻一刻と期限が近づき、遂にはお忍びで総理自ら(大林宣彦)乗り込んでくるが…という一篇。
蛭子さんの亡くなった奥さんに吉行和子(殆ど、落花生を食べるだけだが)、不吉な予言をするエキセントリックな易者(実は凶悪宇宙人)に高橋和也、興信所の浮気調査員に村木藤志郎と、キャスティングだけは面白い。三人のヒロインの存在感もなかなかだし(次女役の林さんに到っては際どい濡れ場さえ用意されている)、花緑(ダンスの先生)、一琴(次女の夫)といった噺家キャストも己が持ち場を心得た演技には思わず噴き出してしまうのだが、それは殆どが落語の「間」だったりする。映画作家・志らくさんの武器は落語のテンポと間とを映画に持ち込む事にありそうだが、会話劇のパート以外をどう持ちこたえさせるか…。このあたりが今後の大きな課題か。
そうそう、モーホーな総理大臣・大林宣彦の怪演も忘れてはなるまい。「12モンキーズ」のブラッド・ピットみたいな怪しい指先の動きと伊丹十三のように徹底的に作りこんだメイク。それでも単なる悪ふざけに終わっていないのは大林御大の貫禄か、或いは其処にだけ映画の神様が降りてきているのか…(映画ったって「ねらわれた学園」だけど)。
ま、どうせタダだったし、と誰にもなく云い訳し乍らヤマハホールを後にする。
折角の「大銀座落語祭2004」がこんなかたちで終わっていいのかと、激しく自分に問いただし乍らも、身体は勝手に有楽町方面へ移動し、カジュアル・イタリアンな店(名前忘れた)でセトロさんたちと遅昼ついでにまったりと歓談。
相変わらず、どうでもいい事を沢山話す悦楽。
アキバへ行くというふたりと別れて、18時過ぎにプランタン銀座で妻子と待ち合わせ。セトロのおじちゃんに手紙を書いてきた悠都は、おじちゃんが居なくていたく不満そうだったが、居たら居たで恥ずかしがって逃げ回るようなヤツである。
妻の友人の結婚祝にエスプレッソマシンを買って(ついでに我が家のぶんも買って)から、僕のリクエストで、汗をふきふき、えっちらおっちらと19時過ぎにようやく銀座ラフィナート内サロン・ド・テ「アニエス・カフェ」まで辿り着くも、お目当てのケーキ販売は18時まで(ましてやランチ「ムッシュ坂井の創作料理メニュー」は14時まで)。
がっくり肩を落としつつ、そのままCOREDO日本橋まで歩いて、平田牧場で夕食。今日はビル壁面のカウンター席。ひさしぶりに此処のとんかつを食べて思うのは、確かに旨いし、サービスに工夫も凝らしてあるけど「井泉」のとんかつやキャベツには敵わないなあということ。妻に耳打ちしたら「あそこと比べちゃダメ」と彼女にとっても「井泉」は別格になっている模様。それにしても偏食家の息子もとんかつ屋に来るとごはんがよく進む。妻のとんかつ好物遺伝子が運命的に受け継がれてしまったらしい。ま、特に悪い事ではないのだけれど。
これにて3連休、投了。
昨日の昼休みに会社を辞めて海外青年協力隊でジャマイカへ行ったSくんにメールを送って、午後は東銀座で某社のソリューションセミナーに参加したのだが(夜は妻子を呼んでCOREDOの平田牧場でとんかつ)、今朝出社すると30分後のタイムスタンプでくだんの後輩から返事が来ていた。ジャマイカと日本の時差は14時間、彼が返事を書いたのは深夜11時頃か。ジャマイカと日本つったって案外近いものである。
今夜の二人会はやっさんからの招待にも拘らず(今月は招待ばかりしてもらっている気がする)、諸般の事情から会社を出るのが遅れてしまい、池袋演芸場に転びまろびつ辿り着き、ようやくかぶりつきの席につけたのは「たらちね」で八っつぁんが奥さんに名前を訊ねて「自らことの姓名は…垂乳根の胎内を出でし時はつる女、つる女と申せしが、それは幼名。成長の後、これを改め、千代女と申し侍るなりィ〜」と立て板に水の如く申し立てられて面食らっているあたりだった。分かるひとには分かるが、お千代さんの奥床しさが底知れぬ不気味さを醸していて由。自分が来た時はそれほどでもなかったのだが、前座さんが高座を降りたあたりで其処を狙いすましたひとたちが次々に入場して、あっという間に最前列が埋まり、振り返ると客席はほぼ満席になっていた。なかなか盛況な事で、招待してもらって却って申し訳なかったかもしれない。
今回も記録の為、二つ折りプログラムのやっさんの挨拶を引用する。もはや吉例だね。
本日も暑い中、ご来場いただきましてありがとうございます。
私事になりますが先週、故郷の大分にある別府大学で非常勤講師を勤めてきました。僕は高卒なので大学に行ったのは初めてです。一応、先生ですので出席をとったり、噺家の生活、寄席の事、おしゃべりのコツ等、もちろん、教壇の上に座布団を置いて落語もしゃべってきました。二日間で約十時間、自分でもよく話せたなぁと思います。
あとで感想文をもらいましたが「落語はお年寄りの聴くものと食わず嫌いでした」「落語は『笑点』かと思ってました」など、中には「私は寝る時にはいつも志ん生師匠の『お直し』を聴いています」という女性とさんには驚かされました。自分も二日間、みんなと一緒に楽しんで来ました。
さて今日の二席ですが最初が『蛙茶番』。この噺は今年一月に亡くなった師匠から最後に教わった噺です。昨年の十月の旅で宮崎のホテルであげて(師匠の前でやって許可をえる事)もらいました。ホテルのベッドの上に師匠が腰掛けて、僕が床に座ってやったのを思い出します。この噺は戦争中の禁演落語のひとつです。もう一席は『道灌』。これは前座噺で入門してすぐの頃教わりました。よく「前座噺の方が無駄が入っちゃ面白くないから難しいんだ」と師匠が言っていました。本当にそうですね。今日も落語を聴いて暑さを笑い飛ばして下さい。
どうかごゆっくりお楽しみください。
一、開口一番(たらちね)……前座(古今亭駒次)
扇治さんの演目は、或る意味、父子ものというカテゴリーで括れる二題。
一、近日息子………………入船亭扇治
一、蛙茶番…………………桂平治
─ 仲入り ─
一、道灌……………………桂平治
一、明烏……………………入船亭扇治
妻に先立たれて、与太郎を息子に持つ老父の心労を描く「近日息子」に、堅物の息子に難儀する父親が、町の若い衆に頼んで息子を吉原に連れて行ってもらう「明烏」。とぼけた登場人物のひとりひとりに扇治さんの腹の底にある優しさ、やわらかさが滲み出た人物造型が光る。オシャレな扇治さん、「近日息子」では明るい水色の羽織、「明烏」では目に鮮やかなスカーレット(というか臙脂色)のお召し物で登場、やっさんの生涯黒紋付(それはそれで大層魅力的なのだが)とは違った高座へのアプローチ。協会に家元が居た頃のエピソードがさもありなんで実に可笑しい。ふと「トンデモ前週祭」で談之助師匠が云った「ひでぇ事しやがる」とリンクしたりして。
やっさんの「蛙茶番」を聴くのは二度目だが、前回よりやっさんのひねりが入ってきた感じがする。全くの余談だが「ちゃんちゃら可笑しいちゃら可笑しい、仮名で書いたら『ちやんちやら』…」は、もはや僕の口癖になりつつある(って、どんな日常だ)。「膝代わり」や「真打ち」、「トリ」といった符丁の語源講座は先の夜席でも演っていたが、やっさんの背中に少しずつ文治師匠が降りてきている気配。ちなみに「蛙茶番」にお囃子を入れるのは一門だけなのだそう。
前回の二人会で「子ほめ」を演ったが、今回の二席目も同じく前座噺の「道灌」。
前座噺をかけてこそ、桂平治という噺家の底力を思い知る事が出来る。こういう会で前座噺をかけるのは或る意味チャレンジだと思うのだが、本来はボケそのものの可笑しさ以前に、ぽんぽんとたたみかける会話のリズム、ボケる八っつぁんと合いの手を入れるご隠居の緩急自在さが客に笑いを呼ぶ訳で、初めて聴いたように大笑いさせてくれる桂平治の落語力に、僕は文治師匠の正当な後継者を見る(勿論、とんでもない処で柳昇師匠が出てくるなどやっさんらしい工夫も随所に光っている)。
とにかく可笑しくて、至極、新鮮な「道灌」なのだった。
こないだ下北沢でハメを外したので、今宵は打ち上げに参加せず、辞去。
池袋東武のデパ地下に寄って、コロンバンのカラメルオレンジを買って帰る。お茶するつもりが、クーラーの効いた部屋で子供と共に沈没してしまう。
朝、妻の強い主張で朝ごはんを食べる前から(て、彼女は出かける為に朝食は終わっているのである)昨夜買った「コロンバン」のカラメルオレンジと、妻がこないだ買ったエスプレッソ・マシンで入れた珈琲とでおめざをいただく。カラメルオレンジは、トッピングにフレッシュなオレンジピール、スポンジ部分にオレンジ果汁を使ってあって、ほほうと唸るくらいには美味。テレ朝の何とかいう番組で紹介されたそうだが、この味と小振り乍らワンホール500円そこそこの価格も魅力です。久々に我が家でいただくエスプレッソもなかなか乙でげす。
午後からは、この春に行ったきり、なかなか行く機会のなかったベラルーシの家庭料理「ミンスクの台所」へ再訪。
遅めだが、とても充実したお昼をいただく。
野暮用でヒルズに行った妻と、六本木で待ち合わせて麻布台にある店に向かうも(店のあるマンションのすぐ隣が麻布小学校である)、たまたま店内のエアコン据付工事にぶつかってしまって(業者のおじさんたちが忙しそうに行き来していた)、開店時間の14時を過ぎても準備が間に合わず、ミンミンゼミが暑苦しく鳴く中、店の外でフラフラになる事30分、ようやくヴィクトリアに招き入れてもらう。
おお、確かに天井に据え付けられたエアコンから白い冷気が盛大に噴き出しているぞ。
並んだ甲斐あって(?)店は我が家の貸切となって、いちばん奥のテーブル席に案内されるが、悠都はこないだ座ったカウンター席に未練がありそうだった。ウォッカやグルジア産ワインが沢山並んで賑やかな上に(息子は大人っぽい場所がお好みなのだ)、カウンターの中で颯爽と立ち働くヴィクトリアとアレクサンドラを眺めていられるからね。僕も何か頼んだ時に「うむ」と頼もしく頷いてくれるアレクサンドラの真一文字の口許が好きだ(ベラルーシでは「はい」と返事をする習慣がないのだろう。でも、これはこれで異国情緒というもの)。けれど今日は彼女の姿が見えなくて少し寂しい。壁や調味料立ての脇に飾ってあるベラルーシのストロー細工や人形がアクセントになっている。
ヴィクトリアに冷たいおしぼりをもらってから、以下、食譜。
モールス Mors (630円)
こけもものジュース。前回、先に店へ来て、カウンターで妻子を待っている間に頼んだもの。
悠都がどういう訳か「こけもものジュースでしょ」と憶えていて、今回は悠都専用にリクエストしたもの。
グラスに満たされたこけももの深紅がなかなか良い感じ。
前回呑み損ねた妻がグラスに口をつけるなり「何だ、クランベリーじゃない」。
いや、だからこけももは英語でクランベリーじゃないか。
確かに「こけもも」よりはもはや「クランベリー」の方が通りはいいかもしれない。
鰊とビーツのサラダ「毛皮のコートを着た鰊」(1260円)
「とりあえずビール」ならぬ「とりあえずビーツ」。これは外せない一皿。
3種のパン(400円)
彩り、食感、味それぞれが、或る意味「ミンスクの台所」の名刺代わりと云っていいんじゃないか。
玉葱を混ぜ込んだポテトサラダの最下層、ほぐしたニシンをマヨネーズで合えた第二層、そして甘めにマリネ、コンカッセしたビーツを敷き詰めた真っ赤な最上層を、スクエアに切り取って供したもの。こけもももそうだったけれどビーツの赤も鮮やかな深紅。冷菜なのでニシンのサラダがやや生臭くなくもないが、美味しいので全然平気。神経質なまでに野菜嫌いの息子もポテサラベースなので際限なく(ビーツ抜きの)お代わりを要求する程。ベラルーシ料理のオープニングを飾るに相応しい料理。
掌にすっぽりおさまる全粒パン、切り分けた胡桃パン、黒パンの小皿盛り合わせ。
豚肉のサワークリーム煮「マチャンカ」(1680円)
パンもそうだけれど、脇に添えてあるマーガリンが実に美味しい。
全粒パンは日本人の口に合う味だけれど、黒パンや胡桃パンは香辛料が効いていてこれは好き好きかもしれなすですね。
サワークリームと云うのはビーフストロガノフを想像してもらうと一番手っ取り早い。
ポテトパンケーキ「ドラニキ」挽肉入り(1680円)
シチューでじっくり煮込んだ、繊維質の目に沿ってさくさく切れちゃうポークのブロック肉に、刻んだハーブを散らした4つ折りのクレープを2枚添えたもの。北京ダックよろしく、ポークを適当な大きさに切って、これまた適当な大きさに切ったクレープで包んで、シチューをたっぷりつけて口に運べば誠に美味しい…のだが、その面倒な作業をしてせっせと息子の口に運んでやる(確かに4歳児じゃ此処迄複雑な処理能力はないんだけどさ)。ひとりでゆっくり食べたい美味しさ。
前回、コース料理6品のAコース(3990円)に加えて「ドラニキ」を頼んだので、肉なし(1260円)をオーダーしたのだけれど、今回は満を持してのwith meat。生地はすりおろしたジャガイモと卵、小麦粉を混ぜて焼いたもので食感はモチモチしていて、丁度、大根餅に似ている。肉汁もジューシーな豚挽肉が生地の間に潜伏していて、「家庭料理」と冠しているのがよく分かる何処か懐かしい味。
前回もそうだったのだが、通常2枚の処を3人家族に合わせて3枚焼いてくれる心遣い。
処で、妻は自宅でこのドラニキの味を再現しようと決意したようだ。
3人してアラカルトでこれだけ食べて(パンだけ2人分頼んだ以外は全て1皿で頼んだ)心地よい充足感。
初めて来た時は、Aコース(鰊とビーツのサラダ「毛皮のコートを着た鰊」、フレッシュトマトのガーリックトースト、ミンクス風ボルシチ、パン(3種)、豚肉のサワークリーム煮「マチャンカ」、ホームメイド・アップルケーキ「シャルロトカ」;勿論、各皿の量は同じ)2人分にドラニキを足したのだから、そりゃ帰りにお腹が苦しかった訳だよ。けれど前回食べたものが美味しかったので、今回はついリピーター特集になってしまったが、「パプリカの肉詰め」「きのことピクルスのスープ『ラッソルニク』」「おばあちゃんのロールキャベツ」「きのことキャベツのジャガイモの『バプカ』」「ピョートル大帝のステーキ」などなど、広大な未開拓ゾーンが待っている。月〜金しか食べられないランチメニューも気になる処だ(て、どーやって食べればいいんだよ。横でニヤニヤしている妻が恨めしい…ヤツはランチに行く気だ)。
南北線「六本木1丁目」駅のある泉ガーデンにある「PAUL 六本木一丁目店」で、明日の朝食用のパンなど買い込んで帰宅。
夜は27時間テレビを観乍ら、夏コミに出す会誌用のイラストや原稿をせっせと書く。
明け方にお台場で中居抜きのSMAPがライヴを始めたのに驚く。皆、命懸けてるなあ。
寝たのは5時過ぎだが、10時過ぎには悠都に起こされる。
朝食は小倉トーストを3枚。今更寝れないので、午後から銀座へ映画を観に行く。
「箪笥 薔花、紅蓮/A TALE OF TWO SISTERS(2003・韓/キム・ジウン(金知雲))」 銀座シネパトス
日本で云えば「東海道四谷怪談」みたいな韓国の古典怪談「薔花紅蓮伝」を、「悪魔の棲む家」ジャンルに、JUNEに、セカイ系にと盛り沢山に詰め込んでアレンジした美少女ホラー。しかも単なる不条理ホラーかと云えば決してさにあらず、ヒッチコックの某有名作品のヴァリエーションに裏打ちされたロジカルなサスペンスの貌も持つ。とは云え、アレハンドロ・アメナーバル「アザーズ(2001)」程、かっちりとパズルがはまってしまう訳でなく、3割程度説明出来ない、というか物語の整合性を放棄した「カル(1999)」並みに難解な部分──ネタばれを恐れずに云うと、義弟の妻が緊張の余り過呼吸になってキッチンで七転八倒した時に同席していたウンジュ(ヨム・ジョンア(廉浄娥))って誰?とか──を残してある処は、韓国映画が持つアバウトさと云うよりは監督がホラー作品を構築するにあたって施した確信犯の計略だと思いたい。ホラーに於ける不条理は、それ以外の部分に曇りがない程、観客をひどく不安にさせる。そういう意味でこの映画には迷宮に通じるトマソンがある。物語冒頭で父親(キム・ガプス(金甲洙))が電話していた相手は…て、幾ら何でもこれ以上は喋りすぎですね。
階段にずらり並んだ次の回の行列を横目に、歩行者天国を越えて丸の内シャンゼリゼへ移動する。
本作を撮ったキム・ジウン(金知雲)と云えば、僕にとっては「クワイエット・ファミリー(1998)」をものしたひと(残念乍ら「反則王(2000)」は観逃した)。「クワイエット・ファミリー」と云えば三池崇史「カタクリ家の幸福(2001)」の原作であり、映画自体は赤川次郎的猟奇コメディーな出来だったが、僕らは末娘ミナことコ・ホギョン(高昊敬)のくっきりとした眉とつぶらな瞳に心ときめかせたものである。本作も美少女姉妹の妹スヨン(ムン・グニョン(文根英))の眉根と黒目がちなまなじりは、実にコ・ホギョン(高昊敬)的だと云えば、うがち過ぎだろうか。
あと、本作はやたら足許から全身を流すパンが多いのも特徴。
姉妹の登場シーンから継母との決闘シーンまで、とにかくファーストショットは足許から始まっている。
主人公・姉スミ(イム・スジョン(林秀貞);この娘は眉が薄い)の(継母にではなく)妹に対する屈託については沢山考察したいのは山々なのだけど、それは先のネタばれが前提になるので涙を呑んであきらめる。邦題にもなっている「箪笥」が持つ悲劇性があきらかになる、やりきれないラストシーンでは確かに隣の女性が涙を拭っていた。成程「冬のソナタ」もびっくりの「泣ける」ホラーになっている。
──キム・ジウン(金知雲)やるな、って感じですね。
この項、続く。
「マッハ! ONG-BAK(2003・タイ/プラッチャヤー・ピンゲーオ)」 丸の内シャンゼリゼ
夜、妻に強く薦められて読んでいた梨木香歩「裏庭」(新潮文庫)をようやく読み終える。
原題の「オンバク」とは、ティン(トニー・ジャー)たちが取り戻しに行くノンプラドゥ村の神聖な守り神(仏像)のこと。
この映画の売りはとりもなおさず、アクションに於ける以下の五箇条である。
一、CGを使いません
逆手にとれば、カネがないのを工夫で補うと云っているようにも読めるが、そんな貧乏映画でもない。
二、ワイヤーを使いません
三、スタントマンを使いません
四、早回しを使いません
五、最強の格闘技
CGを使わないのはあくまでもアクションシーンであり、コム・タン(スチャオ・ポンウィライ)の喉に開いた穴から煙草の煙が出る処や、仏像の首に圧し潰される彼の最期などはあきらかにCGを使っており、少なくとも観ていて脱力するほど貧しい映画でもない。巨大な仏像などそれなりに大掛かりなセットも組んであるし。
一〜四を読んですぐ気がつくのは、(厳格には違うのかもしれないが)それってブルース・リーの功夫映画を祖とする、かつての香港アクション映画じゃないかという事(尤もワイヤーアクションも香港映画を以って嚆矢とする訳だが)。ジャッキー・チェンは50になって尚、一〜四までを頑なに自分に課している凄いひとである。で、どうも製作側はムエタイ版ジャッキー映画を目指したように見える。理由は簡単、エンディングに能天気な歌(失礼!)と共に、爆笑NGまでは及ばないもののメイキングフィルムが流れるからだ。これはジャッキー映画へのオマージュと見るのがまずは妥当な線だと思う。
ムエ(プマワーリー・ヨートガモン;ヒロインなのに何故かオリジナル・ラヴの田島貴男に似ている)の姉ンゲク(ルンラウィー・バリジンダークン)がオーバードーズで亡くなるシーンとか、両親からは出家の道を嘱望され乍ら町でチンピラをしていた駄目人間ジョージことハム・レイ(ペットターイ・ウォンカムラオ;こちらは南伸坊似)が最期には全てを贖って死んでいく、とかこのアジア的なるものはそのままこれまでアジア一帯を席巻し続けた香港映画が根底にあるような気がしてならない。香港映画だったらハム・レイは最后はめでたく村へ帰って仏門に入ってたかな。ま、其処は仏教の国タイ映画ということで。
処で、本作は確かに本物の迫力を標榜するに足るアクション映画だとは思うが(市街の追っかけはトゥクトゥク〔3輪タクシー〕レースまで含めて全くジャッキー映画そのものだが、あれを再現してみせる並々ならぬエネルギーと努力には敬意を払いたい)、
一、カツラを使ってます
あたりは一旦気付いてしまうと、後々まで気になって仕方がない。
二、落下する地面はふかふかにしてあります
特にクライマックスのティンとコム・タンの用心棒・サミン(チャタポン・パンタナアンクーン)の決闘シーンでティンの肘がサミンの頭頂部に直撃する度にサミンの頭が不自然に歪むのがやや興ざめである。それだけムエタイによる人体への破壊力が致命的なことの証左なんだろうけどもさ。「二、落下する…」はオープニングの木登り合戦ね(とは云え、あの高さから落ちるんだからかちかちに踏み固めた地面では命が幾つあっても足りないわな)。あれはあれで映画のツカミとしては全然OKですので、念の為。確かに目ェ見張るもの。
あと、ティンが海中に隠した盗品の仏像を見つけるシーンは綺麗だったね。
バーンズ屋敷で眠る大鏡の向こうに広がる「裏庭」世界を旅する冒険ファンタジーにして、祖母、母と親子三代心に傷を持つ少女のビルドゥングスロマンの傑作。小説世界に天網を張り巡らせ、登場人物ひとりひとりの心のあやを巧みに取り出して平易に語ってみせる筆力も凄いが、著者は学生時代を英国で過ごしただけあってレイチェル刀自やマーサたちの人物造型の「小説的リアルさ」には唸るばかりだ。現実から決して目をそむけない(むしろ個々人が抱えるトラウマこそが本作の裏テーマになっている)眼差しのあたたかさは何処か北村薫にも通じる処を感じた。
おいちゃんこと、下条正巳死去。けれど享年88歳は天寿を全うしたのではないか。
三代目のおいちゃんとして、常に森川信や松村達雄に比較されて、それまでの大学教授などのインテリなイメージから似合わないなどの批判にさらされたが、実は誰よりも長く四半世紀に渡っておいちゃんを演じ続けた(息子の下条アトムに後押しされて出演を承諾したと聞いた)。訃報を聞いた三崎千恵子がショックで寝込んだ、というのが心配である。晩年に出演した「キッズ・リターン(1996)」ではヤクザの大親分を演じて、イメージとのギャップに北野マジックを感じたが、下条さん的には何てことのない「冒険」だったのかもしれない。
それにしても山田組の役者さんはつくづくこっそり亡くなっていく。
ご冥福をお祈りします。
仕事をしていたら無性にとんかつが食べたくなったので、妻子を誘って20時に、「上野井泉本店」脇のコンビニで待ち合わせ。
とんかつ好きな妻は途中まで始めていた料理の手を止めてまで馳せ参じたそうである。
台風は思い切り西にそれたので、西日本方面の皆さんには申し訳ないが、傘いらずで子持ちにはちょうど外食日和。
カウンターはお客がいっぱいで三人家族が座るスペースがなく(仮に空いていても悠都の座高だとやはりカウンター席は厳しいかも)今夜は1階奥の座敷席に通される。前回妻が頼んだ「ロース定食(1250円)」に(妻も同じく)、プラス、サイドメニューで「かにと胡瓜のサラダ(700円)」。子供用にごはんととん汁を追加オーダー(ご主人が悠都のごはんをサービスしてくれた)。
まず運ばれてきたのが「かにと胡瓜のサラダ」で、とんかつが来てから…と最初は箸を取らなかったが、そのうち我慢できなくなってつい箸に手を伸ばしてしまう。このボリュームで700円は割高かな…とも思うが、胡瓜の薄切りとかに肉との組合せはシンプル乍ら絶妙で、ごはんが幾らでも入っていく美味しさ。
ロースかつの美味しさは今更くどくどと申しません。今夜も特製とんかつソースがキャベツととんかつを行ったり来たり。呆れた事に妻も僕も殆どキャベツ(とサラダ)だけで一杯目のごはんをたいらげていた。偏食家の息子も今夜ばかりはロースかつとごはんとでずいずいと食が進む(ごはんの炊き方・やわらかさも我が家好みの程好さである)。とん汁の太葱の風味と牛蒡の触感…この時ばかりは息子の野菜嫌いを逆手に彼の具だくさんのとん汁をも謳歌する。ヤツは味噌汁だけで十二分にしあわせそうだ。悠都は大きな声で「ごちそうさま」を云って、おばちゃんに褒められていた。
気が向いたらすぐ上野へとんかつを食べに行けるしあわせ。
処で、お向かいの貴金属店が火事で営業を止めていた。「井泉」の店先から数メートルの近さである。大事なくて良かったですね。
あ、うっかりしていたが、昨夜会社帰りにファミマで「ケンタロウのちょっpping!ファミマ」の最后の未購入デザート「しましまスイーツ」を購入、とりあえずデザート部門は制覇した。苺ソース、レアチーズムース、オレンジゼリーの三層デザートで、オレンジゼリー部分にはオレンジ果肉がひそんでいるという大きなおまけつき。とても美味しいが、僕のイチオシはやはり「さかさまプリン」という事で。
昼間、妻から会社にメールが届く。
「ミンスクの台所」のテーブルから「えらべるランチセット」の実況中継。
此処のランチセットは1000円でメインとつけあわせをチョイスした上に、スープ、サラダ、デザート、ドリンクまでつくというスグレモノ。尤も、ランチを供されるのは月金なので、土曜か平日夜にしか顔を出せない僕には手の届かない幻のゴチソウである。ちぇ。妻が選んだのは、メインにテフテーリ(ミートボール、サワークリームとトマトソース)にジャガイモのピューレ…ええい、悔しい。けど浪花家総本店でたいやきを買ってくれたらしいので、それを心の支えに仕事へ意識を戻す。
退社後は週末なので、久々に渋谷まで足をのばしてレイトショウ観賞。モノはずっと懸案だった「いかレスラー(2004・日)」。早く着きすぎたが、他にする事もないので、田中啓文「蹴りたい田中」(早川文庫JA)を読んで時間を潰す。開場10分前には20人以上の待ち。意外に客質の偏りがない処が流石は東京である。どんなタイプの若い層にもそれなりに物好きが散在していると見える。
「いかレスラー(2004・日/河崎実)」 シネセゾン渋谷
正直云って、この「いかレスラー」を頭っからナメていた。
しかし、企画の莫迦々々しさだけでスマッシュヒットを飛ばした「えびボクサー」の二番煎じを国内新作でという志の低さ、売り方、はなから挫けそうなローバジェット(撮影期間8日、総製作費は2000万に届かずとのウワサ。「監修」で名前を貸した実相寺昭雄も実際には題字しか書いていない)、一般の映画ファンにとってスター不在のキャスティング、そして監督・脚本に特撮ヲタ・プロレスヲタとして一部で有名な河崎実(彼の仕事と云えば「地球防衛少女イコちゃん」シリーズ(1987〜1990)くらいしか知らない)と、この作品におバカ以外のなにを求めろというのか。僕的には「キラー・コンドーム」や「盲獣 VS 一寸法師」を観に行くくらいの覚悟で「ヌルいな、おい」とくだを巻きに劇場へ足を運んだようなものだった(この感覚が余り一般的でないことは重々承知している)。何しろ製作協力が「よっちゃんイカ」に「いか焼き道場MAHAKARA」「いかしゅうまいの萬坊」ですよ。大手メーカーの名前はひとつもなし。
低予算と早撮りが祟ったか、確かに安っちい映画である。
特に録音のしょぼさはアダルトビデオ以下で、映画館で娘の学芸会ビデオみたいなゴーというノイズを聞かされるのは客として耐え難いものがある。リング会場の俯瞰はミニチュアと謎のぼかし処理(リングシーンの撮影は毎試合、20人くらいのモブでやっつけている)、客席を埋め尽くす観衆の声援も、何処だかの映像素材の使い回しで、物語が進むにつれて会場が大きなハコに変わっても臆面もなく同じカットを何度も再利用している。特撮ヒーローものの変身シーンの理論に加えて、実にロジャー・コーマン的と云うか。監督個人の「愛される」人柄で集めた人脈を最大限に利用しているのも非常に特徴的。そして、船越英一郎や白石美帆、テリー伊藤まではともかくとしても、集まったのがまたなべやかん、南部虎弾、高山善廣、レイパー佐藤、ターザン山本と余程のツウでも唸らないキャスト。
現代に生きる日本のエド・ウッドはしかし、映画作家としての才能はエド・ウッドではなかった。
驚いた事にこの映画、これだけ安っちいにも拘らず、決してヌルくもユルくもないのだ。
超日プロレス渡澤社長(ルー大柴)をして、日本のプロレス興行というジャンルに込められた歴史的意義に裏づけされたショウビズ哲学、即ち「かつて敗戦国としての復興の最中、プロレスは悪漢米英をなぎ倒す鋼道山(日本人レスラー…て、本当は日本人じゃないんだけど)の活躍で国民を熱狂させ国民としての自信を取り戻させた。故に不安と混沌の現代社会にこそ、それを具現化したようないかレスラーは最強のヒールとして熱狂的に受け入れられ、彼にギリギリまで追い込まれた日本人レスラーが逆転勝利することで、鋼道山の奇跡が再来する。それでこそプロレスは大衆文化の王道として復活する」が開陳される。渡澤社長の前では正々堂々礼賛のいかレスラーこと岩田貫一(西村修)の主張はあくまで無力だ。何故ならプロレス興行はショウだとする渡澤社長の主張こそがプロレス業界を司る興行師としてきわめて真っ当な大義だからだ。そしてルー大柴のいかがわしい演技とニュース映像を駆使した河崎演出の巧みさが映画に並々ならぬ説得力を持たせる。
ルーを論駁する正日プロレス会長(中田博久;正日をまさか「ジョンイル」と読まそうとしていないでしょうね・笑)の、いかと人間を区別なく雌雄を決しさせようとする「プロレス興行にも戦後民主主義を!」論はいささか論としては説得力を欠くが、中田さん自身の貫禄と常に二番手に甘んじてきた田口浩二(AKIRA)の屈託という伏線、そしてその後のアクロバティックで莫迦々々しいドラマ展開(暴漢に刺され死んだ筈の鋼道山(きくち英一)の復活、そして…)で殆ど強引に物語をメイクドラマへと着地させる。
「プロレスが大衆文化の王道に今蘇った…」
沸き起こる歓声に消されるようにふたりして涙ぐむ会長と社長に、思わず僕らもじぃんと来る。
プロレスはあくまで見世物である。いかやたこやしゃこが戦うのも、父子の涙の対面が繰り広げられるのもまた然り。ショウビズとはこうあらねばならぬ、と実はそれこそが本作そのもののテーマだったりもする処がこの映画のおそろしい処。僕らは着ぐるみプロレスを観に行って、不覚にも泣かされて帰ってくるのだ。
格闘シーンだけを取り出せば「ウルトラファイト!」並みの怪獣プロレス(それが狙いっぽい)でも、独自の確固たる世界観を成立させ、スポ根としてのセオリーとツボをきちんと押さえておきさえすれば、一般客でも充分感動に値する「おバカ映画」に仕上げてみせる。観たことも聞いたこともない役者ばかりでも映画の出来を損なう程の役者はひとりもいない(いちばん下手だったのが美弥子役の石田香奈だと思うが、それでも許容範囲)。つくりが天然のヌルさからではなく、演出としてちゃんと狙った箇所で客の笑いを取る事が出来る。これは河崎監督ならではのセンスと才能がなせるワザだと思う。どうせならエンディングも「いかレスラーのうた」で締めて欲しかったが、これはワガママというものか。
惜しむらくは河崎実という作家がその才を放出するのは、限定されたB級物件に限られるということだ。
他には中野貴雄もそんな才能のひとりですよね。
最后になったが、僕らはシネセゾン渋谷みたいな大きなハコでこの映画を観られる幸運を噛みしめるべきである。
おめざに昨日妻が浪花家総本店(創業1909年)で買ってきたたいやきを戴く。以前も書いたかもしれないが「およげ!たいやきくん」のモデルとしてもつとに有名。
彼女は何時間も並ぶようならすぐに踵を返すつもりでいたようだが、彼女が行った16時頃はちょうど店も空いていたので今朝のお相伴に預かれる事となった次第。尤も、店の人間の横柄な態度にカチンと来たようで彼女は二度と此処でたいやきを買うことはないと断言している。
妻の怒りを買った肝腎のたいやきだが一匹150円にしては僕のたなごころに治まるくらいちっちゃい。
所謂、麻布十番価格というヤツか(其処も彼女の評価が厳しくなる一要因)。
皮はぱりぱりして想像以上に薄い。
いつも肉厚の今川焼き的生地に馴れっこになっている身には新鮮な食感。
そして、甘さを引き立たせる為に用いた塩味を感じさせる小豆餡。…あ、オレ、これ好きかも。
確かにこの大きさで150円はちょいと高いよなーと思わなくもないが、麻布十番付近にオフィスがあったら度々訪れて食べちゃいそうな予感。
──そっか、そんなにお店のひとの態度、ヤな感じだったのか…。
そんな訳で個人的にはたいやきに満足して、まずは日比谷で映画を1本。
悩んだ末にロバート・アルトマンとは、昨夜の「いかレスラー」との落差が光る。
「バレエ・カンパニー THE COMPANY (2003・米独/ロバート・アルトマン)」 日比谷シャンテシネ1
端的に云ってしまえば「プレタポルテ(1994)」のような作品。
コンビニで虫やしない用の食料を買い込んでから、山手線でのんびり池袋まで。
ショービズ界の内幕(バックステージ)ものにして群集劇。アルトマン翁は「ショート・カッツ(1994)」で観客的には「またか」感の強かった群集劇(視点が拡散して、観客側にかなり忍耐強い交通整理が必要)を一旦離れ、「ゴスフォード・パーク(2001)」(地味だが、なかなかの佳作)で久々に群集劇に帰って来た時にはカントリーハウスの上と下というふたつの世界に呼応する各階級を配し、構造的な交通整理を行うことで観客が理解しやすい映画を作り上げた。で、10年かけて戻ってきた、新世紀の「プレタポルテ」は無闇に脇を豪華キャストにしたりせず、また騒々しくせず(ま、それがあの頃の作品群の魅力ではあったが、何度もやられるとさすがに飽きた)適度に人間関係を刈り込んで、前作より平明にして拡散を控え、ドラマチックなうねりを加える事で、「プレタポルテ」以上に「ジョフリー・バレエ・オブ・シカゴ」という、ダンサーの人生を翻弄しつつも、それ自身が閉じた世界であるショービズという名の「青い蛇(或いは巨人)」を活写する事に成功している。
便宜上の主人公ライを演じるネーヴ・キャンベル(彼女の出演作で観たのは「スクリーム(1996)」「54 フィフティ★フォー(1998)」位)以外は一切見覚えのない配役陣(単に僕自身の健忘症が進んでいるだけ、とも云う)。恋人ジョシュ(ジェームズ・フランコ)も「スパイダーマン2」未見の身には「あんた、誰?」だし、ミスターAことアルベルト・アントネッリ(マルコム・マクダウェル)はさすがに「時計じかけのオレンジ」でアレックスを演ったひとなので勿論知ってるが、でもそれは30年前の映画だよ(多彩なフィルモグラフィを誇るものの、殆ど知らない作品ばかり。何でもハリウッド版「北斗の拳(1995)」にリュウケン役で出演しているらしい。どんどん脱線してしまうが、唯一日本からは鷲尾いさ子がユリア役で出演)。無闇にオールスターじゃない処が(観るひとが観ればオールスターなのかもしれないが)却って心地よかったり。物語が物語りだけに「ジョフリー・バレエ・オブ・シカゴ」の現役メンバーが大挙出演しているらしい。
本作の主人公は、ショウビズ界を生き抜くプロ集団「ジョフリー・バレエ・オブ・シカゴ」カンパニーそのものなので、ライはあくまでカンパニーをかたちづくるひとつのパーツとして描かれる。クライマックスである創作バレエ「青い蛇」でソロを貰うものの、中途で転倒、腕を怪我した彼女の行末よりも、「青い蛇」のショウ・マスト・ゴーオンこそが優先され、代役マイヤが急遽ステージに立ち、見事に代役を務め終え、彼女がカーテンコールで喝采を受ける。ライは舞台袖でそれを見つめるだけだ。此処でアルトマンはべたべたとライの視点で映画を進めていかない(彼女の家族が舞台袖に殺到するがスタッフにシャットアウトされる)。ミスターA(意識的に声を張り上げて「ブラボー!」と叫ぶ処が経営者である)もスタッフも、作品自体の成功にこそ惜しみない拍手を降り注ぐ。
尤も、ライの恋人ジョシュが彼女逢いたさにカーテンコール中の舞台を通り抜けてしまうアクシデントは、アルトマン翁からひとりのダンサーへ手向けた優しさなのだと思う。包帯で膨らんだジョシュの指(彼の職業はシェフである)を見て噴き出すライの笑顔に、僕らの胸にもあたたかいものが去来する。映画のラストはカンパニーではなく、カンパニーを構成するダンサーのドラマまで目線を下げてから物語を閉じる。かように磨き込まれたハートウォームはダンディズムにも通じるものなのだ。
来年の2月には傘寿を迎えるアルトマン翁の、驚異的な創作意欲と瑞々しい感性に乾杯。
何しろ、これから寄席で5時間ばかりを過ごすので食料は欠かせない。
この項、続く。
▼ 2004年05月の都を旅する
▼ 2004年04月の都を旅する
▼ 2004年03月の都を旅する
▼ 2004年02月の都を旅する
▼ 2004年01月の都を旅する
▼ 2003年の都を旅する
▼ 2002年の都を旅する
▼ 2000〜2001年の都を旅する
▼ 1999年の都を旅する