アニドウ月例上映会スペシャル / 第37回トンデモ落語の会 / 溺れた世界
──休憩──
200人の客が来ていて「アニメーションの宝箱」が200冊売れていないのはおかしい、という(笑)なみきさんのトークを挟んで後半戦。
「ムーンバード MOONBIRD(1959・米/ジョン&フェイス・ハブリー)」
震度4 / 第52回桂平治独演會 / 第1回談志門下前座勉強会
感染 / 予言 / 純廣東料理「慶楽」
ふたたびの mois cafe / 五反田団「いやむしろわすれて草」 / ハシゴ・ザ・バイキング
ロスト・イン・トランスレーション / トスカーナの休日 / ソドムの市
月猫に蜜の弾丸 / 深川日吉屋 / 落語マニア
井泉のポークソテー / 笑の大学 / アトム・エゴヤン映画祭2004
サラバンド / エキゾチカ
▼ 2004年09月の都を旅する
気がつけばとうとう9月の日記をまるまるすっ飛ばしたまま、10月に突入してしまった。
とは云え、9月は、熊大SF研OBのと学会例会ゲスト参加とか台湾旅行とか、東京ライフの1年間を締めくくるに相応しい(?)イヴェントが目白押しだったので、このへんは何らかのかたちで記録するつもりです。
決算期という事もあり、今週はずっと残業が続いていたのだが、どうにか午後イチには懸案の仕事が片付き、アニドウのKさんにお誘いいただいていた「アニドウ月例上映会」参加の目処が立ったので、セトロさん経由でエノモトくんの連絡先を調べて、取り急ぎ今夜の算段。彼もどうにか参加出来そうとの事で安堵の溜息。やはりひとりで行くのはかなり心細いものがあるので、エノモトくんの存在は心強い(わはは、弱虫)。
という訳で、中野ZERO小ホールにて「アニドウ月例上映会スペシャル『どうぶつ宝箱』」。
ふだんの月例会(大体月初開催らしい)は中野芸能小劇場(此処は2度程行った事があるが、100人入るのかなあ)で開催されているそうだが、今回はアニドウが社運(?)を賭けた五味洋子「アニメーションの宝箱」出版記念という事で、ハコも大きく、プログラムもこれまでの上映会と内容が重複するものの、本が取り上げているものを中心に、と全てがスペシャルな構成。
おかげでKさんにお声をかけていただけたのだから契機は何処に転がっているか分からない。
駅南口にある「サンジェルマン」で菓子パン2個(王様のクリームパンと、マロンを練りこんで生地に栗の渋皮煮を埋めたもの。特に後者はヒットでした)、中野ZEROへ向かう道すがらコンビニでホットのレモーネを買い込んで、2時間半の長丁場に備える。
中野ZEROの玄関でエノモトくんと待ち合わせて、予約ハガキと引換えに入場料を支払った後、いそいそと会場へ。客席の中ほどに唐沢さんの姿が見えたので、何はさておきご挨拶。折角なので、皆さんのお話がよく聞こえるように(笑)唐沢さんの前の席を陣取る。程なくKさん、そして某社の美人編集者Hさん、植木さんの元部下筋にあたるという、ライターのKさんがお越しになる。植木さんのお姿は見えなかったが、後でお聞きした処によると風邪気味で咳が止まらなかったので、後方の席から観覧したとのこと。
上映前に前説で壇上に現れたなみきさんはやはり下駄履きなのだった。
(帰りの電車でKさんにお聞きした処、あれがトレードマークだからとの事だった)
ついつい引き込まれてしまうトークに酔った後、途中休憩を挟んだ2部構成。
内容は差し障りない範囲で(うふふふふ)、以下の通り。
「ベティの白雪姫 SNOW WHITE (BETTY BOOP IN)(1933・米/デイヴ・フライシャー)」
なみきさんの喧伝に惹かれてエノモトくんがロビーで「アニメーションの宝箱」を買うのを待っていると、Kさんが「皆さん、下で待っているから」と呼びにいらして慌てて追いかける。打ち上げというか食事にお誘いいただけるようで、エノモトくん共々恐縮することしきり。
足長モンスター(?)で表現してみせたキャブ・キャロウェイの歌とシリー・ウォークが必見。女王がドラゴンになった後、舌を引っ張られて身体の皮が反転して死んでしまうとか、シュールで、思いつきで描いたパラパラマンガのような無意味なシーン続出。
「こねこのらくがき(1957・日/薮下泰司)」
東映アニメと云えば「白蛇伝(1958)」の前にまず本作がある訳で、作画に森やすじ、大工原章が参加した伝説の短篇。初めて観たけどイタズラねずみの凸凹コンビがいい感じ。あと、らくがきで書かれた交通整理のおまわりさんとか。
「バンビ、ゴジラに会う BAMBI MEETS GODZILLA(1969・加/マーヴ・ニューランド)」
ビバルディの「春」が流れる中、バンビがのどかに草をはんでおり、脇を流れるクレジット・ロールが全てマーヴ・ニューランドな処を笑っていると、遂には「マーヴ・ニューランドを作った人 ニューランド夫妻」とオチがついた処で、バンビがゴジラの巨大な足に踏み潰されてしまう、というそういう話。テリー・ギリアムが「空とぶモンティ・パイソン」でやった切り絵アニメを思い出したのは僕だけではないだろう。
「スーパーマン対破壊光線 SUPERMAN(1941・米/デイヴ&マックス・フライシャー)」
記念すべき「スーパーマン」の一作目。なみきさんが告白していたが、あとで「アニメーションの宝箱」を読んだら、で取り上げられていたのはルパン最終回の元ネタとなった「メカニカル・モンスターの巻」だったが、あまりにもそのまんまなので宮崎ファンとしてごにょごにょと言葉を濁しておられた。クラーク・ケントがドアの向こうでもぞもぞと服を着替えるディテールとか、破壊光線を殴りつける描写など観どころは多いが、此処は宮崎ファンの矜持を捨ててでもなみきさん、この次は是非「メカニカル・モンスター」を。
「歩く WALKING(1969・加/ライアン・ラーキン)」
ラヴ&ピースを想起させるフォークソングとサイケな色使い、そして癒し系乍らイッちゃった絵づくりは良くも悪くもおクスリ全盛期って感じでステキです。
何だかアニドウも物販では色々とご苦労されている様子ですね。
自分の子供たち(どうやらふたりとも大きくなってアニメーターになっているらしい)の会話をもとにアニメーションにしたもので、鳥を捕まえようと躍起になっている子供たちの物語(いい処まで行っても下の子が全て台無しにする)。鉛筆描きのキャラとくすくす笑うような子供たちの声があとあとまでレバーに残る感じ。
「呪いの黒猫 BAD LUCK BLACKIE(1949・米/テックス・アヴェリー)」
これは以前、「テックス・アヴェリー特集」でも観たし、それこそ子供の頃「トムとジェリー」でも観た作品だが、その完成度の高さたるやアルプス山脈の如し(謎)。不幸の黒猫に対して、幸せを呼ぶ蹄鉄が出てきたあたりで「HR」の蹄鉄ネタが繋がったり。すっかり忘れてたよ。
「ルーディ・トゥート・トゥート ROOTY TOOT TOOT (THE BALLAD OF FRANKIE AND JOHNNY)(1952・米/ジョン・ハブリー)」
傑作。本日最大の収穫の一本。
米国では伝統的なバラッド「フランキーとジョニー」の翻案だそうだが、ジャズのメロディに乗せて描く法廷劇。或る殺人事件が、目撃者の証言によって幾通りにも描かれ、遂には弁護士が明かす驚愕の(爆笑の、と云ってもいい)真実と、それに続くビリー・ワイルダー「情婦(1957)」(恐ろしいことに「情婦」の方が後なのである)を彷彿とさせる驚天動地のラスト。このほんの数分の短篇を観るだけで「シカゴ(2002)」と同等、或いはそれを簡単に飛び越えた満足感が得られる事請け合い。これ、DVDになっていないのかなァ。
「禿山の一夜 UNE NUIT SUR LE MONT CHAUVE(1933・ソ/アレクサンドル・アレクセイエフ)」
まず初めにムソルグスキーの音楽ありきで作られた、幻想と恐怖と不思議に満ちたアート・フィルム。これは困った事にクセになってしまいそうな絵ですね。
「雪深い山国 LAND OF THE SNOWY MOUNTAINS(1989・仏/ベルナール・パラッシオス)」
UMAもの。と云っていいんですよね。
チベットの山小屋でひとり暮らす男の許に、毛むくじゃらだがやたら身体のラインのセクシーな生き物が押しかけてくる。後半はビッグフットだか野人だかを追って中国から来た探検隊(まずは「ナマステ」)と、男の新妻に化けた生き物の攻防戦が描かれるが、男とベッドを共にし、探検隊が帰った後、生き物もまた姿を消すのだった…て、夜伽だったんかい? 記号としてのいい加減な中国語とか突っ込みどころ多数なお蔭で、のちほど座が盛り上がったので、パラッシオス監督には厚く御礼申し上げたい(なみきさんとは個人的に親しいらしい)。
などなど…おおまかにはこんな感じかな。
お店は唐沢さんたち行きつけの「焼肉とらじ」。
これまでも何度か店の前を通って気になっていた処。
メンバーは唐沢さん、植木さん、アニドウKさん、美人編集者Hさん、ライターKさん、それに僕らの計7名。唐沢さんの話だと最初は3人くらいだったのがいつのまにかこんな大所帯にと。いやー、末席を汚してすまんこってす。Kさんお土産の激辛煎餅をいただき(あ、流石にお店では食べていない。何とセトロさんの分まで用意していただいていた。お気遣い感謝)、ひとまずタン塩にカルビ、ロース、豚足など(エノモトくんがはまったので、唐沢さんが目を細めていらした)を頼んでまずは乾杯。
宴席での話題は多岐に渡るものの、唐沢さんや植木さんは日記を公開されているので近況が分かっている為、そこらへん大体ついていけるのが助かる(しかも伏字が取れるのがウレしいですね)。そのうち植木さんが台北の故宮博物院が所蔵している肉形石の話をなさったので大喜びでそれに乗って、隣に並んでいた翡翠白菜の話などする(これらは故宮博物院三大秘宝のうちの2つであり、故宮博物院まで行ってこれを見逃して帰るのはモグリというシロモノである。これが困ったことに本当なんだから仕方がない)。
あと唐沢さんの10月からの新レギュラー「鈴木タイムラー」内の雑学コーナーで共演するおぐりゆかさんの番組内の位置付けをどうするかみたいな話。唐沢さんが「私の『妹』という案も出ましたがすぐに却下になりました」とお笑いになるので「妹、それいいじゃないですか」とおぐりさん「年の離れた妹」「腹違いの妹」「全く血のつながらない妹」案などが噴出する。盛り上がったが、それらが採用される可能性は一切あるまい。
何気にHさんが振る話題が壮絶だったのもポイント。
「ストーカー」ネタで盛り上がっていた時に彼女がぽつりと小さな声で「血判状ってあるじゃないですか。あれって、最后の拇印だけ血を使っている訳ですけど、昔、私の友人が全て血文字のラブレターを貰ったんですけど…」。思わずテーブルが静まり返ったりして。男は右翼だったとかで血文字に誠実さをこめたようなのだが、貰った女性はショックの余り寝込んだらしい(そりゃ寝込むわなあ)。そのあと折角血文字で書いた手紙をFAXで送ってきたら間抜けだとか、話は与太方向に拡散。これが宴席の効用ですね。
油断しているとすぐに植木さんが駄洒落を連発されて、処々に唐沢さんが的確な迎撃をなさるのがおかし。自分も気の利いた事を云ってみたいのだが、躊躇している合間にすぐに話題が変わって好機を逸すというていたらく。それでも「壁に耳あり、障子に目あり」のヴァリエーションを考える(但し、末尾一文字「り」縛り、末尾二文字が「あり」になるのは不可)、という誠に莫迦々々しいテーマに血道をあげている時に(いや、全く莫迦々々しい)拙作「壁に耳あり、フェリックス・ガタリ」を採用していただく(て、何に?)。尤も、その直前に植木さんが「壁に耳あり、ドゥールーズ ガタリ」と仰っており、僕のはそれのヴァリエーションというか、云い直しに過ぎなかったりする(て、何をくどくどと書いているのだ、オレは)。此処はやはり「壁に耳あり、雨月物語」とか「壁に耳あり、サルバドール・ダリ」とか違うネタを振るべきだったのでは…(しつこいんだってば)。
テーブルの上が寂しくなった処で、続けてキムチの盛り合わせにレバ刺、ホルモン(たれ、塩)など。唐沢さんが「此処のホルモンはカリカリになるまで焼いてから食べると美味しい」と仰ったので、迷わずカリカリさせる。あと、ビールのあとで植木さんが頼んだ真露(じんろ)のキュウリ入り水割りの見映(みば)に目を瞠ったり。オンザロックのグラスにキュウリの千切りの緑が怪しく揺れるさまは、あたかもショットバーで光を放っている水槽のようで、中にひとつぐらいグッピーが泳いでいてもおかしくないぞ、みたいな(いや、充分におかしいのだが)。前回の例会の時、皆さんベトナム・ウォッカを思い切りあおってフラフラになられたとかで今夜はおとなしめ。下戸兼ビギナーの僕には却ってその方がありがたい。
〆にゴハン物行こう、という事でさっきからずっと気になっていた「カルビ入りうどん(800円)」を頼んだ処、7人中4人が「カルビ入りうどん」に落ち着く。チゲ鍋にカルビ肉とうどんが入ったもので、辛くて熱くて汗がいっぱい噴き出してきて、これは非常に美味しかった。お昼に来て、これだけ食べるというのでもいいな。
すっかり零時を廻ってしまった処で、おずおず「そろそろ…」と切り出した処で(そろそろ席を立たなきゃと思い乍らも話が面白くてつい云いそびれてしまった)植木さんが電卓を叩いて精算作業。この次(アニドウのアンケートの問いに「次回上映会案内を希望しますか」というのがあったので迷わず「はい」と答えた)も是非、と云っていただき、植木さんにこの次の「と学会例会」が決まったらご連絡しますからと重ねて云っていただいたので、とりあえず会社の名刺をお渡ししておく。
アーケードで皆さんと別れた後、エノモトくんと共に慌てて中野駅へ走る。
東京メトロが終わっているのはやむをえないとして、とりあえず東京駅まで辿り着く事が出来ればタクシー代もたかが知れている。と勇んでホームに向かうと、中央線の東京方面最終は0:30、それはともかく23:30過ぎに何処かの線で人身事故があったらしく、新宿での接続で影響が出そうな予感。と、まだ時間的に間に合うんじゃないかと一旦別れた筈のアニドウKさん(北千住方面)とライターKさん、美人編集者Hさん(世田谷方面)がホームに上がってきて、唐沢・植木ご両人を除いて、殆ど全員集合な感じになる。しかし縁は異なものと云うのは本当ですね。
電車の中で、Hさんと「オヒョイ’ズ」話など少し。一度行ってみたいのだけど高そうで、と仰るので、僕も一皿頼む毎に頭の中で合計額を計算して食べたのはあそこが初めてでしたなどと与太を云う。「オヒョイ’ズ」がコース料理をつくってくれれば、もう少し敷居が低くなるのだけど(て、敷居を高くして客を選んでる訳だな)。新宿で皆さんと別れ、事故で遅れた山手線を待って東京駅着が1時を15分ばかり過ぎた処。
大手町で捕まえた個人タクシーのおじさんが融通の利かないひとで、ランドマークな目印を説明しても「通りを教えてくれないと動きようがない」とにべもない(実際は走り出しているのである)。僕の目の前に見えるカーナビの大きなモニタは一体何なのだ。最后の最后に不快になる罠。
今週ちょっと立てこんでいた仕事の疲れか、或いは単に昨日気分が昂揚し過ぎた疲れか、午前中に少し子供を近くのお祭りに連れて行った以外は、昼間はぐったりと殆ど昼寝して過ごす。まどろんでいると北九州のY田さんから「お蕎麦を送ったよ」と電話をいただく。Y田さんの手打ち蕎麦をいただくのはほぼ1年振りではないか。東京で不良会社員をやっている僕にまで心を砕いてもらって、いとかたじけなし。純粋にお蕎麦が届くのが楽しみである。
夕方からははるさんとお江戸日本橋亭にて、第37回「トンデモ落語の会」。
はるさんとは都営浅草線の日本橋駅で待ち合わせて、COREDOの地階のおむすび屋でおむすびを2個ずつ買う。はるさんは「おくらおかか」と「あさりのつくだに」、僕が「海老フライ」と「しそ昆布」。はるさんは此処の品揃えをいたく気に入ったらしかった。あと台湾土産の「森永優酪牛[女乃]糖(おそらくヨーグルトキャラメルだと思う)」を渡す。いやあ、しょっぱい土産でごめんね。
開場時間丁度に日本橋亭に辿り着いて、之助師匠のおかみさんから懸案の「本家立川流 五号」を購入(そう云えばチケット予約の電話もおかみさんが出たのだった)。案の定、客席は唐沢さんや藤倉さん、開田夫妻とと学会関係者が一杯である。特に唐沢さんとは2日続けてお会いする事になり、ちょっと照れくさかったので(だって何だかストーカーみたいじゃないか)後でご挨拶する事にする。
という訳で、以下に高座の備忘など。
三遊亭白鳥「増田の嫁」
新潟さん時代から一度聴いてみたかった白鳥さん初体験。
快楽亭ブラッC「漫談」
本当に紋が白鳥になっているのが嬉しい(尤も蝠丸さんも蝙蝠なのだが)。
まず「開口一番、三遊亭白鳥です」で一笑い。
何でも、このあと小三治師匠が主任をやっている鈴本へ膝前(トリの2つ前)で上がらなきゃいけないんだとかでやむをえずブラッCさんの前に。若手を鍛え直す番組付けで、小三治師匠目当てに週末の夜に集まったマニアの客相手に高座へ上がるのが憂鬱だとか。
傑作だったのが、9月18日「円丈還暦祭り」の打ち上げで、大トラになった挙句、お酒を呑まない円丈師匠に、傍らにいた若い女性の手を握らせて「おまえは女を知らないから駄目なんだ」と罵倒した一件(しかも白鳥さんのサイトによるとその一部始終を昇太さんがビデオ撮影していたらしい・笑)。後日、円丈師匠から丁寧なメールで(電話ではない処が恐ろしい)鈴本前の喫茶店に召喚され、懇々と説教された上に、破門されかかったとか。その時に円丈師匠から紹介された次の師匠が泥酔王こと川柳川柳師匠なのに大爆笑。「まさか真打になってから破門されそうになるとは思わなかった」
「本当にあった怖い話」として紹介された「増田の嫁」は嫁不足に悩む過疎地域ならではの、白鳥さんの友人を襲ったおぞましい惨劇。はっきり云って暫くするとオチは見えてくるが、其処までの引っ張り具合が見事な一席。
開口一番「このままじゃやばいんです」「崖っ淵なんです」の一点張り。
春風亭昇輔「怪人タワシ男」
同じ位な頭の出来だと思っていた同級生が今度結婚するからと楽屋に彼女を連れてきた事で、自分の来し方行く末に暗然となったとかで、二ツ目昇進への不安とダウナーな心意気を滔々と語る一席。何だか2ちゃんのキウイスレを読んでいるような気分になる。
本篇はなくて、漫談のみだったのだが、このひとの底知れなさは、目の前に折りたたんだ手ぬぐいを置いて、事ある毎に、さりげなく(いや、ちっともさりげなくないのだが)その手ぬぐいを開いては中をチラチラ覗き見る処にある。その素振りの度に客席は笑い転げる訳だが、それが「カンペを見ている」という緻密に計算されたネタ振りだったら凄いのだが、やはりどう見ても本当にカンペを見ているとしか思えず、客はそれ故に笑っているのだな。今度の3連休に三茶で独演会「ブラッC、宇宙を語る(木戸銭1000円)」をやるとかで、価格的にはちっとも惜しくないのだけど、2時間みっちりブラッC節を聞かされるというのは果たして精神衛生上、或いは健康上、何の問題もないんだろうか。などと云いつつ、ほんのちょっとだけ行ってみたいのもまた事実(またチラシのイヤーンな感じが妙にそそられるんだよなァ)。
処で、ブラッCさんが藤岡弘、に似ていると思うのは僕だけですか?
昇輔さん、高座に上がるなり、余程腹に据えかねたのか延々ブラッCさん罵倒の嵐。
立川談生「タイトル不明」
「だから白鳥兄さんに、ブラッCのすぐ後はイヤだって云ったんだ」
「あんなの、ただの決意表明じゃねェか」
「必死で『子別れ』を覚えたオレの立場はどうなるんだよ」
この日記だけ読むと、何だか昇輔さんが錯乱しているようにしか読み取れないが(笑)、まあ怒鳴りたくなる気持ちは非常によく解る。て云うか、脇でブラッCさんの高座を聴いていて、精神的肉体的に具合が悪くなったらしい。これまたよく解る。どうして後輩の高座聴いてドキドキしなくてはならないのか。
本篇は今日の午後3時にルノアールで考えたというサゲなし(本人自己申告)の、昇輔さんお得意の特撮ネタ。社会と協調路線に入ったショッカーが、借金のカタに臓器売買に連れてこられた若者の中から知力体力の充実したものを選んで、借金完済までの期間、社会奉仕専用の改造人間をこさえて、地域の各施設に派遣するというお噺。数時間しか練られていない割には、自分のフィールドに引き寄せたせいか、ぎこちなくもなく、笑える処は笑える、真っ当な新作オタク落語。特に老人ホームで老人たちを喜ばせようと孤軍奮闘するタワシ男の姿には腹立たしい事に(笑)感動すら覚える。あと、折角ショッカー幹部に昇格しても「墓場小隊長」「骨壷係長」の2つからしか名前の選択の余地がないのとか。たった一つだけ、難を云わせてもらえば「あの国の片棒」のような腹黒ネタではなかったことか(おいおい)。芸協でしかも小柳枝師匠のお弟子さんなので、いつかやっさんルートで改めてお話させていただく機会があるんじゃないかと踏んでいるんだけど。
池袋の余一会で「寿限無」暗黒Ver.(時間の都合上、さわりのみだったけど)を聴いてから、個人的に期待値の最も高いおひとり(やはり、真打トライアル最終日は駆けつけるべきではないか)。トンデモ落語会へ行くモチベーションのひとつは演者の中に談生さんの名前があったからだ。そして今宵もまた期待に違わぬ高座であった。
──お仲入り──
談生さんが高座に上がるなり、会場が暗転して、スポットライトが当たった高座には中腰になったまま腕を組んで伏目がちの談生さん。一瞬、韓流ドラマのBGMと聴きまがう、切々たるバラードはベビーノ・ガリアルディ「ガラスの部屋」。おっと、これは若手芸人ヒロシのパロディか。
談生さん、おもむろに切なげな表情で視線を落とすなり、
「マサコです…(客席喝采。以下、略)」
泡沫のように次々に浮かんでは客席を悶絶させる「マサコです…」の数々。嗚呼、すっごく書きたいんだけど内容は控えさせてくれ(だって誰だって我が身が可愛いんだ)。某国ロイヤル・ファミリーの光と影を切々と謳い上げる数分間。マサコさんが何故、熊本弁かは置いておくとして(そりゃあんた、ヒロシが熊本出身だからな訳だが)、ネタを終えた後、談生さんが「このポーズだとカンペが読みやすかったです」とカンペを開陳。懐から「僕たちの洋楽ヒット Vol.4 1970〜71」を取り出すと「このネタはもう此処でしか演る事もないので、このCD早いもの勝ちで差し上げたいと思います」と仰ったので、間髪を入れずに手を挙げて、速攻でゲットする(何しろ、談生さんの目の前に座っていたもので)。
「よろしかったら、後で云ってくだされば、忘年会用にネタを2、3考えて差し上げますんで」
いやー、それは身に余る光栄なのだけど、談生さんのネタでは会社のひとたちは笑う前に固まってしまうんじゃないか。
しかしそれに輪をかけた趣向なのが本篇だった(「マサコです…」はあくまでマクラだったらしい)。
自我を揺さぶる噺なので既往症のひとはお気をつけください(おいおい)と前置きして始まったのは、まさに筒井康隆張りのメタ落語。この落語が終われば「無に帰してしまう」作中人物である吉田健二さんが、この落語が上演されている10月2日のお江戸日本橋亭に、自分の噺を演っているのを確かめにやってくるというクライマックスでは、本当に入口から吉田健二さん(扮するは快楽亭ブラ汁さん)が「勝手にオレの噺を演るんじゃない」と罵り乍ら登場し、遂には談生さんと入れ替りに高座を占拠してしまうと、ブツブツ云っている吉田さんにかぶるように談生さんの声が会場に鳴り響いて、いつしか客席の僕らも、サゲと共に「無に帰してしまう」落語の出演者にされてしまう。談生さんの低く唸るようなカウントダウンと共に暗転でお仲入りへ。──いやあ、すっかりやられちゃいました。
川柳川柳「漫談」
幕が開くなり、唐突に私服姿の川柳師匠が現れて、立ったまま野球噺をひとくさり。
立川談之助「意外に知らない立川談志」
元々プログラムになかったので客席は大喜び。昼の会に出た後、鈴本の寄席へ行って、此処の打ち上げに参加するためにわざわざお戻りになったらしい。アンチ巨人なのに、巨人軍に厚く遇された事で巨人ファンになった圓生師匠との楽屋で巨人戦を観た時のエピソードは最高。結局10分くらい話していかれたのではなかったか。ひどく得した気分。
之助師匠、営業帰りという事で、何かラメの入った目のチカチカするお召し物で登場。
快楽亭ブラック「横田家の薮入り」
川柳師匠を盛大にいじった後、ご自分のサイトの話、2ちゃんに自分のスレが立ったはいいが、キウイスレに呑まれて、何か日記に書いてもキウイスレが伸びてしまう話、自分よりもおかみさんの日記がウケてしまう話など(ええ、どちらも巡回してます)。
ネタは家元トリビアという事で、軽〜くフリップ(ブラッCさんみたいに読みにくい手書じゃなくて印刷)を使った小ネタ集で膝代わり(大ネタじゃないのがちょっと寂しい)。「自転車に乗れない(今は乗れるらしい)」「還暦過ぎてからスキューバの免許を取った(教えた先生はたまったもんじゃない。『落語ならオレの方が旨い』、これは絶対云った筈だ)」「好物はマドレーヌとドリアン(但し、マドレーヌは精養軒のものに限る。それも神田よりは上野の方が好き)」「小松左京の新作落語を演った事がある(しかも生放送だったらしい)」など。
ちなみに小松先生の書いた「夫婦廓(めおとぐるわ)」は先生の全ての著作リストからもネット上からも抹殺されているそうで「ご要望があれば録音テープをお貸ししますが、全く面白くありません」とのこと。
はるさんと顔を見合わせて「それは是非、聴いてみたい」と意見が一致する。
之助師匠のいじり方が絶妙なので、かなり笑ったんだけど、結論としては色々ネタにしていても之助師匠の家元への愛は本物なんだな、と。尤も、愛は愛でも上納金に阻まれた、肉親に対して感じるのと近い、不愉快なもやもやを包含した厄介な愛な訳ですが。
ブラック師匠、こん平師匠のような目も彩な朱色のお召し物。最前列なので目がちかちかしてしまう。あと師匠の残影が緑色に見えてしまうのはご愛嬌。さて、記念すべき僕にとっての快楽亭ブラックの高座ファースト・コンタクトは、古典落語「薮入り」の拉致家族Ver。
満場の拍手の中、ブラック師匠、緞帳が閉じるのを制して、「この噺を書いた作家です」と客席の後ろに座った青年を皆に紹介。此処で客席緊急アンケート。
「薮入り」とは奉公人が盆・正月に親元へ帰る事。但し、奉公して間もない丁稚さんはお店(たな)に入って最初の三年間は、里心がつかないようにという配慮から薮入りをもらえなかった。落語「薮入り」は、初めて貰った薮入りで3年振りに帰郷する亀を待ち侘びる、両親(特に親父)の可笑しくも切ない情愛を描いた、「妾馬」にも通ずる傑作古典。で、物語の流れはかなり忠実なまま、亀の両親を横田夫妻に、亀をキム・ヘギョンちゃんに置き換え、8月15日に新潟港へ入港してくる万景峰(マンギョンボン)号を前夜から眠れずに待ち侘びる祖父母の物語として描く。──と、内容の紹介は此処迄で精一杯。特定個人に差し障りがあり過ぎる為、危険度では、昇輔さんの「あの国の片棒」を遥かに凌駕する。まさにこういう落語会にわざわざ足を運ばなければ、決して聴く事の出来ない一期一会的逸品。
「核」ばかり 偽り多き世の中に 子のかわいさ誠なりけり
いや、凄いですね、全く。
個人的には孫娘に逢える事ですっかり舞い上がってしまった滋さんが、「黄金の大黒」とか他の古典のサゲを口走って、早紀江さんにたしなめられるルーティンギャグがツボでした。いやー、ブラック師匠凄過ぎるわ…て、もはやそんな失語症な感想しか出て来ない自分が歯痒い。
「この男、アタシに弟子入り志願しているんですが、弟子入りさせた方がいいと思う人?」
場内、万雷の拍手。ブラック師匠、ふうんと頷いて、
「それじゃ、弟子入りは辞めさせてこのまま落語作家を続けさせた方がいいと思う人?」
意外にもまばらな拍手に師匠も意外だったようで
「じゃ、12月30日の木馬亭でブラッCの代わりに彼が高座に座るかどうか…楽しみにしていてください」で、本当に幕。
玄関先の椅子に腰掛けた唐沢さんにご挨拶。
「連日お会いしますなあ。今夜も(打ち上げは)焼肉だそうですが、どうされます?」
「あ、今夜は友人と来ていますのでまた次の機会に」
実際、このメンツの打ち上げが楽しくなかろう筈はないのだが(談生さんに「マサコです…」ネタをご教授願う、という僥倖も待っているし、川柳師匠の酔態にも興味はあった・笑)、普段呑み歩かない我が身にとっては、連日焼肉では懐が持たないのと、はるさんがびびっているのと(キモチは分かる)、気分はすっかり「お多幸でおでん」モードになっていたので、後ろ髪を引かれつつも辞去することに。しかし、この次の「トンデモ落語の会」では是非…とひそかに決意したりして。お客が参加出来るというのは落語会の打ち上げならではの醍醐味なので、本来、一ファンとして活用しない手はないのが、ただ来週も会社の呑み会があったり、やっさんの独演会があったりとなかなか懐具合の予断を許さない状況なのである。
それはそれとて、打ち上げを待ちかねてひとり佇む川柳師匠のお姿が微笑ましかったり。
という訳で、およそ3ヶ月半振りの「お多幸本店」ではるさんとささやかな宴席。
今夜のかぶりつきの席はちょっと肌寒かったので、おでんのあたたかさが丁度心地好い。
1階が微妙に満席だったので、2階席へ通される。初めて上がったが、こちらは一昔前の喫茶店のような佇まい。お客は僕ら以外はワンテーブルだけだったので心置きなく窓際のテーブルを陣取って、みはからい四品(一人前)(790円)を2皿と、とうめし(330円)を二人前。生ビールにオレンジジュース。前回同様、とうめしを頼んだというのに、盛り合わせには必ず豆腐がついてきた(でも、豆腐はふたつくらいするりと胃の腑に収まっちゃうんだよね)、それ以外は僕が「大根、ちくわ、はんぺん」ではるさんが「たまご、すじ、たけのこ」。あとはお好きに取り分けて、という事か。はるさんも此処へは「いつかまた来なきゃ」と思っていたらしく、どうやら日本橋で落語を聴いた後の定番コースになりそうである。まるで身のない無駄話、人物月旦色々で看板まで。追加でキャベツ巻きと里芋を頼んだけど、此処は最初のオーダーで充分ですね。
駅へ向かう道すがら、この月曜に急遽種ともこのゲスト出演が決まった「in the city TOKYO 2004 レーベル・ナイト『篠原美也子 的秋の夜長 ゲストブッキング中?』」のリークを受けるも(種サイトにも金曜に情報が上がったらしい)さすがに4連チャン(明日の夜はお芝居の予定が入っている)で夜遊びする心臓と財力は持ち合わせず、丁重にご辞退申し上げる。つーか、偶然とは云え、イヴェント重なり過ぎ。
でも今夜ははるさんとも久し振りだったし、とても楽しい夜だった。
帰宅後、寝床で念願の「本家立川流 五号」を座談会中心に斜め読み。
前助さんの上納金残酷物語に瞠目し、巻末の、色紙を抱えた家元の笑顔に暫し心が和む。
うーむ、色々な意味で謎の深まる立川流ガイドブックである。
これはバックナンバーも手に入れるしか。
朝からひどい雨。これで悠都が楽しみにしていたデカレンジャーショーは中止だな。
天気予報によると、東京は今週ずっと雨が降るらしい。これで一気に寒くなっていくのかな。
お昼前に、昨日電話をもらったY田さんのお蕎麦が早速届く。これでお昼は盛り蕎麦だと喜んでいたら、妻から天そばにしたいのでお蕎麦を食べるのは明日にしますと申し渡される。僕は酒が呑めないからと妻宛てに蕎麦味噌がおまけでついてきていた。何だか口惜しいです → Y田さん。
珍しく妻が横になったまま寝息を立て始めたので、立派な任三郎マニアの息子(台北の観光バスの中でこいつがよどみなく古畑のサントラの各種メロディを歌い続けてくれたおかげで、台北旅行というと古畑を思い出してしまう)と古畑のDVDを2本(小田嶋さくら篇と臺修二篇)を観る。玉置浩二には悪いが、古畑が殆ど活躍しない臺篇は子供には非常にウケの悪い事が判明する。
「だってさァ、古畑座ってるだけじゃん」
それは田村さんを少しでも楽にさせるための、三谷さんの苦肉の策だったのだよ、という話は4歳児にはまだ早い。ちなみに以前、荒木嘉右衛門篇(放送から5年経ってまだ松村達雄翁がお元気なのが嬉しい)を見せた時には、同じく古畑はおやすみモードだったにも拘らず、こちらはお咎めなしであった。病気なら許してもらえるのか。
17時を過ぎた処で妻を起こして子供を託し、傘を差して三軒茶屋へ向かう。
去年の暮れにドラマ・リーディングで観た(2003年12月19日の日記を参照)ゲイリー・オーウェン「溺れた世界」がキャストを一新して本公演に出世したので、白井さんの子供の成長振りが観たくて妻にねだったもの(会場はドラマ・リーディング時と同じシアタートラム)。しかも初日は明日から、今日はプレビュー公演という事でチケットも1,000円お得(尤もドラマ・リーディングは1,000円そのものだった訳だが)。ちなみにシアタートラムへ行くのは暮れ以来なので、僕は此処では「溺れた世界」しか観ていない事になる。
全公演チケット代据置で当日券が出ているのと、チケット予約した僕にもう一度公演告知ハガキが来たあたり、チケットの売れ行きが芳しくないらしい。白井さんには是非このシリーズを続けて貰いたいんだけどな(来年は大丈夫っぽい)。ロビーには花も飾ってなく閑散とした感じ。それとも今夜がプレビュー公演だからなのか。客席は開演ぎりぎりまで客入れをして8割くらいの入り。僕はD列6番と3列目左寄り中央の好ポジションだったのだが、隣の7番の席は空席だったし、最前列にも空席があったのが少し腹立たしかった。
珍しく丁寧にアンケートに答えて、終演からちょうど1時間後に帰宅。
「溺れた世界 The Drowned World」 シアタートラム
【戯曲】ゲイリー・オーウェン
【演出】白井晃
【翻訳】小宮山智津子
【出演】岡田義徳(ダレン)
【出演】上原さくら(ターラ)
【出演】つみきみほ(ケリー)
【出演】田中哲司(ジュリアン)
以下、物語の概要はイープラスのテキストを貼り付けて代用(横着モード)。
そこは、市民と非市民とに分断された世界。非市民は輝くように美しい人間たち。市民は醜く、美しいものたちが放つ輝きを恐れて非市民を抹殺し、世界を支配している。青年ダレン(岡田義徳)は市民側の人間でありながら、自分のいる世界とその人々を嫌悪し、いつか天使が自分を救いに来ることを願っている。ある日、誰かがダレンの部屋のドアを叩く。そこにいたのは市民に追われた、非市民であるターラ(上原さくら)と、怪我をした恋人のジュリアン(田中哲司)だった。ダレンは彼女が自分を救ってくれる天使と信じ、ふたりを家にかくまうことにする。
余り物語そのものに踏み込むつもりはないが、これは周到に用意された愛の罠の物語である。
ダレンは3人分の食べ物を得るため、ターラの美しい髪を闇売人のケリー(つみきみほ)に売るが、実はケリーは非市民をかばう裏切り者の市民を通告するための、警察側スパイだった。だが、ケリーはダレンに魅かれ、かくまっているふたりを政府に売って、一緒に生きようと誘う。しかし、ダレンはターラを守るためケリーを海に沈める。やがて、3人の飲み水、食べ物が底をつく。衰弱のため、死を目前にしているジュリアンは全てを察し、自ら外に出るのだが……。
或る企みによって物語の最后に人間関係ががらりと逆転する処はよく計算されたミステリーとも云える。
舞台はひび割れたと石畳に、水溜りとも影ともつかない不定形の染みがふたつあるだけで、後は生(き)のステージ。背景のホリゾントに映像を流し込んで、観客の想像力を喚起する抽象的なスタイル。つまり、それって驚く程、ドラマ・リーディングで受けたステージ感と重なる。大きく異なるのは役者たちが本を持たないことと、コレオグラファーがついて、物語の狭間で役者たちが不思議な動き(ダンス?)を見せること。
劇中ではお金を手に入れるために、ターラは髪を切り、ジュリアンの手により抜歯までするのだが、舞台上では髪を切った後、髪の一部をまとめて軽く結い上げ、抜歯の後、唇をはみ出すように赤い口紅を大きく塗っただけだ(処が、それだけでターラの表情は大きく変わっていく)。ケリーなんか腕はもがれるは顎は魚に齧られるし、ジュリアンなんか生き乍ら火をつけられてしまうのだが、舞台上では上着を脱ぐにとどまる。尤も、この物語は全て容姿の美しいひとたちによって語られることに新たな意味が付加されている気がするので、具体的に露悪なヴィジュアルをかたちにすると全然異なる芝居になってしまうだろう(藤原竜也が「エレファントマン」を演ったのも同じ演出意図だろう)。処で、英国で上演された時はどう表現されたのか。
いずれにしても本作は役者の力量だけで成立させる芝居な訳で、4人の役者さんたちにとっては途方もない山越えだったに相違ない。しかも膨大なセリフの海。モノローグの狭間に点在するダイアローグ、其処に不意に立ち上がるモノローグ。この戯曲は戯曲という名の抒情詩だと云ってもいい(いや、叙事詩と云っていいかもしれない)。演出家・白井晃の要求は苛烈だった筈だが、そこはそれ、白井さんと云えば「オケピ!」のコンダクターでもっと壮絶な台詞地獄を経験したひとだから(笑)ジャンルは違えど、その怨念が大いに反映されている気がするのは果たして単なる気のせいか。
しかもドラマ・リーディングで2時間30分だった芝居が今回は2時間まで詰まっていた。尺に合わせて脚本を詰まんだという事はないだろうから(観ていて特に変わった処は気付かなかったし)、これは演出を凝らして、稽古を重ねて、物語の流れる時間を濃縮にしていったという事なのだろう。此処らへんも「オケピ!」の尺との死闘に重なる。ああ、あと「ファウスト」というのも大きいのかな。
主演の岡田くんと白井さんとはCX「世界で一番パパが好き」つながり。
てか、このドラマって他の共演者である萩原聖人、西田尚美が「S〜記憶のけもの」「ピッチフォークディズニー」に出たように白井作品の登板率が異様に高い事でも記憶に留めておくべきだろう。次に可能性があるのは、原沙知絵あたりだと踏んでいるんだけど。岡田さんは「渚のシンドバッド」以来の贔屓なので、今回、彼にぴったりなダレンを観る事が出来てうれちい(とは云え、高橋一生Verも凄く好きだったのだが)。
今やおかあさんになってしまったつみきさんだが、髪をばっさり切った上にアーミージャケットを羽織ったその姿は「花のあすか組」のあすかそのひとであった。本当はコンプレックスに苛まれ、美しいものを貪欲に手に入れようとするケリーな筈なのに…(いや、確かにケリーだったんだよ)。これは是非、崔監督にもお越しいただきたい。
田中さんは「新選組!」の松本良順でしか知らないが、純粋で真っ直ぐでそれ故に倣岸なジュリアンの爽やかさをよく体現していた。ポスターを観た時はあれあれと思ったが、それは杞憂でしたね(失礼)。
プレビュー公演という事もあり、皆さんお揃いで何箇所か台詞を噛んでいたけれど、観客が自己と向かい合う、張り詰めた2時間を舞台上に現出させたエネルギーには感服です。最后の挨拶で上原さんが、カーテンコールで上原さんとつみきさんの女性陣がようやく見せた笑顔が(実質上)初日の重さを物語っていた。それにしても観客、拍手やめるの早すぎ。これはもっと湛えていい演技、芝居だったと思うけどなあ。
最后まで白井さんのお顔が見えなかったのは残念。
翻訳家の小宮山さんらしい女性の姿はお見かけしたのだけれど。
3晩続けて遊び歩くと、家族や神様に対して非常に申し訳ない気になりますね。懐具合もすっかり荒涼としてきたし。深夜ドラマ「怪奇大家族」、NHKアーカイブス「しあわせの国 青い鳥ぱたぱた?(1985)」(恐れ多くも井沢先生から直接メールでお知らせいただいた)は全て録画に廻して、やっさん、右團治さん、前助さんのページをちょこちょこと更新したら、力尽きたので寝る。
今夜は、同じ部の別の島に今月4日付で着任されたKさんの歓迎会で「おごじょ家 日本橋店」。
おごじょとは「薩摩おごじょ(女)」の「おごじょ」。売りは薩摩地鶏と釜飯に黒豚、そしてメニューが真っ黒になる程数が揃った焼酎リスト。
つるつる滑り易い板の間で鰻床のような極狭スペースの上に、加えて掘り炬燵式ではなかった為に、出席者の座敷席の評価は急降下したものの、ごはんが実に美味しかったので僕は大変に満足しました。で、以下に食譜。
美湯豚づくし「桜島」コース(3,675円)
幹事Kくんの色んな焼酎を楽しんでもらおうという趣向で呑み放題つけず(会計報告が怖い)。ソフトドリンクはこういうお店にも拘らず、マンゴージュースにクランベリージュースというので、マンゴジュースを呑み続ける事に。3杯呑んだ処で、主賓のKさんに「そろそろ焼くと美味しくなるんじゃないですか」と笑われる。肉料理にマンゴーですか。では次はクランベリージュースをと思っていたら、気を利かしたKくんが頼みもしないのにマンゴージュースを持ってくる。しかもジョッキで。どうあっても僕を肉料理にしたいらしい。後はY澤さんやI川さんと落語話、I塚さんとスイーツ話など。
冷製桜島美湯豚蒸し豚: 豚しゃぶサラダ仕立てにごまドレをかけて。
塩茹で落花生: 意外だったのは冷蔵庫で冷やしてあったことかな。つい食べてしまう。
きゃべきゅうぶた味噌: キャベツにぶた味噌をつけて、胡瓜・大根・人参スティックにマヨネーズをつけて。
桜島美湯豚厚切三枚肉塩焼: 脂したたる串焼きでした。
豚骨炊き: 味噌仕立ての豚大根で、味の染み込んだ大根が絶品。
冷製ざる豆冨: 自家製なのかな。ジャージー乳プリンのようななめらかな食感。
豚釜飯: ひとりひとりに小さな鉄釜がついて、米から炊き上げる。これが旨いの何の。
桜島大根漬: メニューを見て膝を叩く。そうか、桜島大根であったか。道理で大きく切ってあった筈だ。
さつま汁: おみおつけはこれが出なきゃウソだと思っていたので納得の一品。
メロン: ジューシーで甘くて、しかも大きかったし。
明日の夜はやっさんの独演会が控えているので二次会には出席せず、途中コンビニで「ギャラリー・フェイク」の新刊を買って帰宅。
まだ22時前にも拘らず、既に妻子は寝静まっていて、他所の家かと見違える。そのうち妻が起きてきて「ギャラリー・フェイク」だけ読んでから寝室に戻る。何しに起きてきたんだよ、一体。
NHK「今夜は恋人気分」松本幸四郎夫婦の回を観ていたら(幸四郎のトークは独特のクセがあって好きである)、23時40分過ぎにぐらっと横揺れが来た。慌てて、隣の寝室の襖を開けると、妻が悠都を思わず抱きかかえる処だった。子供の眠りは深いので、これだけ大揺れしても悠都はピクリとも動かなかった。生まれて初めて体験する震度4であった。津波の心配はなし。
右團治さんから「大きい地震でしたね」とメールが来たので、返事を出すついでに今月27日の「落語マニア」の予約をする。右團治さんたち女流芸人による木遣りメンバーが浅田飴CM出演の縁から永六輔プロデュースで「住吉木遣り連大江戸小粋組」としての活動を開始するらしい。誠に右團治さんらしい展開で、今後が楽しみである。
一所懸命お仕事してから(いや、本当に)会社を18時前に出て「第52回桂平治独演會」 ──於・お江戸上野広小路亭。
桂 前助「あわてもの」
来年2月の2ツ目昇進の件、ついにマクラでも話題に。「それまでにしくじっちゃうとまた別のところ行かなきゃいけませんから」に大笑いする。けど折角、続けて円楽党に行くと真打ちになれるんですがとぼそぼそと付け足したのに客席の笑いにかき消されたのが残念。おかみさんが寝ぼけた亭主の世話を焼いている処で、客席から携帯の着メロが流れたが、すかさずおかみさんの台詞の中に「電話の電源は切っておいてくれないと困るねえ」と滑らかに挿し入れる。前助さん絶好調の一席。
雷門花助「やかんなめ」
花助さん、「やかんなめ」と初めてづくし。持病の癪を患っている大家(たいか)のおかみさんの合薬(あいぐすり)はやかんを舐めれば治まるというかなりマニアックなもので、ある日野遊びの出先で癪を起こしたものの、勿論やかんなどある訳もなく、其処を、天の助けか何かの悪い冗談か、たまたまやかん頭(禿頭)のお武家様が通りがかる。主人の癪を救うべく、手討ち覚悟でお従きの女性はお武家様に頭を舐めさせてもらえないか、と申し出るというもの。どうしてもきわどい下ネタに走りがちな処、お武家様を真面目一徹な堅物に造型する事でギリギリ健全な(?)艶笑噺に仕上げている(サゲもやかん落ちだし)。いやーこれが「トンデモ落語の会」じゃなくて本当に良かった。
桂 平治「町内の若い衆」
食いつき&膝代わりのローカル岡さんの入りが遅れているのに、「町内の若い衆」はネタに入ったら15分で終わってしまうというので時間延ばしも兼ねてマクラは寄席ハプニングあれこれを思いつくままに。楽屋打ち明け噺の楽しさよ(「噺の穴」の魅力のひとつはこのふんだんな楽屋エピソードの波状攻撃にある)。こうなるとやっさんの独壇場で客の転がし方は心得たもの。何しろ時間が余っているから遅れてきたお客が入ってくる度、席に着くまで積極的に待機したりして。
──お仲入り──
でもって、やっさんのネタ卸し一席目も艶笑噺だったり。このネタは鸚鵡返しジャンルのアレンジというか、「青菜」の女房だけ「貞女の鑑」鸚鵡返しVer。結果的にサゲで奥さんは同んなじ台詞を吐くのだが、普請と妊娠を取り替えただけで、貞淑で控えめな妻が奔放で野放図な妻になってしまう言葉遊びの妙。ていうか、このあと熊さんの家庭はどうなってしまうのか。こういう蓮っ葉なというかずべたな(しかも罪のない)おかみさんを演らせると桂平治の人物造型術が際立つね。
ローカル岡
「漫談」
寄席の番組表で名前はよくお見かけするものの、ローカル岡さんも今夜が初体験。
桂 平治「親子酒」
茨城弁でぼそぼそと語るスタイルはつぶやきシロー熟成系といった処(芸能生活40年でも漫談家デビューは95年らしいから、或る意味、つぶやきシローの方が先行である)。世相と日常のセコネタを行き来する庶民目線のとめどない「おしゃべり」でぼそぼそと、でもよどみなくネタを連発して客席を掌中におさめていく。ステージ上から中高年の心をがっちりと掴む手腕は綾小路きみまろ並みではないのか。立っているのがやっとみたいな(失礼)さっきまで点滴打ってましたみたいな(こりゃまた失礼)げっそりと痩せこけた危うげな風貌乍ら(赤い花の絵が鮮やかな白いネクタイがトレードマークなのかな)、話し出すと何のこれが百戦錬磨なんだな。時折思わず噴き出してしまい乍ら、ローカルさんの老獪なつぶやきトークにしみじみと感心したのだった。
近頃のマクラが小言のオンパレードなのも師匠譲りか。尤も、親子共々面白いから一向に構わない。
やっさんと前助さんに台北のコンビニで買ってきたご当地の野球選手の写真の載ったスーパーカップを渡す。これまたしょっぱい土産で申し訳ない。打ち上げに誘われるが連日になってしまうのと疲れが溜まっているのとで常連客の皆さんに伏目がちにご挨拶しつつ今夜も辞退させてもらう。いつも楽屋写真を送ってくださるTさんともご挨拶。こちらも送ってもらってばかりで更新出来ていませんで不義理ばかりのその日暮らしでございます(謎)。月末の右團治さんの会では必ず、と日記には勝手な事を書いておこう(お江戸日本橋亭「落語マニア」にはやっさんも出演するのだ)。
元々地方の落語会でしか文治師匠を聴けなかった僕にとって、「親子酒」と云えば桂文治、桂文治と云えば「親子酒」のこの噺、やっさんが演ると聞いて楽しみだったが、怖くなかったかと云えば嘘になる。この先誰の「親子酒」を聴いても、必ず僕は文治師匠の枯淡の味わいと比べてしまう筈なのだ。しかし今回は右團治さんに教わったとは云え、やっさんが他の誰よりも高座の袖から師匠の「親子酒」を聴き続けて来たのもまた事実。師匠の間合いや空気はしっかり桂平治の中に住み着いている筈なのだ。ただ仕種こそが身上の噺であるが故に師匠直伝でないのはやはり忸怩たるものがあったのではないか。故に右團治さんから師匠が「親子酒」を演っているビデオテープを借りてかなり熱心に検分したようだ。その甲斐あってか見事に本寸法の落語を聴かせてもらった。いや、見せてもらった。
やっさんの噺家運動神経の良さは呑み食いっ振りの見事さに立ち現れるが(例えば、彼の「試し酒」「長短」「青菜」を「見れ」ばよーく解る)親父の「呑み」の仕種の細やかさは、噺の中の立ち居振舞いに妥協を許さなかった文治師匠の教えが脈々と息づいている。僕らの前で、この親父は確かに旨そうに酒を呑んでいるのだ。これこそをイリュージョンと呼ぶのではないか。おそらくこの先やっさんが「親子酒」を脱構築していくなんざ考えられない。きっと噺家人生をかけて噺の其処此処に垣間見える師匠の面影を追いかけて、そして追い抜こうとするのだろう。今夜をその最初の一滴に、やっさんがどんな大河に育てていくのか是非見届けていきたい。
今日はマクラで文治師匠の出囃子「武蔵名物」をかけた。僕は知らなかったのだけど、圓菊師匠も出囃子に「武蔵名物」を使われているのだそうだ。生前、あいつァ、江戸っ子じゃねンだから、と苦言を呈していた処がいかにも文治師匠らしい。やっさんは今でもこの曲を聴くとドキッとするという。何だか分かる気がする。
昨夜の予報では台風一過晴天(最高気温28度)との事だったが、一夜明けてみれば今にも雨が降りそうな曇天ばかりの薄ら寒い一日。とは云え、三連休も中日だし、今日は息子のリクエストで大門は日の出桟橋から水上バスに乗って、隅田川ルートで一路、浅草まで。水面すれすれの1階席からつかのまの船旅を家族して楽しむ。
浅草では仲見世で、妻が江戸趣味小玩具「助六」を冷やかしている間に(僕用に根付を買ってくれていた)脇で売っていた食べ歩き用の人形焼を買って(これが悠都に非常にウケた)、16時までランチをやっているすき焼き「ちんや」(高い方ではなく、脇にある入口から地下へ降りていく、カウンターレストラン「ちんや亭」)で妻がハンバーグ定食、僕はロールビーフ(チーズを挽肉で囲った外縁を更に牛ロースで巻いて焼いたもの)定食(各々900円に端数付)。厨房と直結した、コの時のカウンターだけの店内は、傍らの鉄板で肉を焼いていたりして、半オープンキッチンな処がまた愉し。肉らしい肉料理に満足して、ついご飯のお代わりをしてしまった。傍らで老夫婦がすき焼きを頼んでいるのを見て、この次は僕らもすき焼き食べたいと熱く誓ったり。
途中「満願堂」で栗入り芋きんつば、松の実入り大福などを買ってバス停で妻子と別れ(悠都に号泣されてしまった)、こちらもバスで夕闇迫る上野松坂屋まで。今宵はお江戸上野広小路亭で「第1回談志門下前座勉強会」。
まずはいささか長いが、「夕刊フジ」10月7日付の記事をそっくり引用する。典型的な提灯持ち記事なのだが、前座さんの勉強会が記事になること自体が前代未聞で、如何に立川流前座が、或いはキウイさんが噺家の中で特異な位置に居るかという事だ(いずれにしても、これはしあわせな事である)。
談志の直弟子“破門明け”立川キウイら“前座会”
──え、家元が顔を出す?
「昇進意欲がない」と師匠・立川談志に破門され、今年1月に一門に復帰した立川キウイ(37)ら談志の直弟子が10日、初めて前座だけの勉強会(落語会)を開く。一昨年5月、キウイら前座6人が一度に破門されたのは落語界に衝撃を与えたが、“万年前座”と言われながらキウイらは地道な努力で復帰。「師匠の顔色をうかがいすぎていました」と明かすキウイだが、今回初めて勉強会を行うのは、「師匠を振り向かせるため。我々の意欲を伝えたい」とキッパリ。破門の恐怖が離れない中、芸の修業に耐えたことで芸人の自覚も大きくなった。落語会は12月まで3回開催予定だが、「(不評で)1回で終わらないよう頑張りたい」と語る。師匠の談志も「出てやるよ」と話しているといい、ゲスト出演も?
10日午後6時から東京・上野の「お江戸上野広小路亭」ではキウイのほか談大、千弗、風吉の4人が出演。
「そんなことある筈がない」と重々分かってはいても、1000円で家元の尊顔を拝す事が出来るなんて滅多にある僥倖じゃない。何しろ家元の独演会は落語会としては破格の5000円、6000円という高額設定なのだ(しかも都内では確実に完売する)。恥ずかし乍ら未だに家元の高座を聴いた事がない僕にとって(実は学生時代、ウチの大学の学園祭に来た事があるのだが、惜しくも聴き逃している)このリークは大きかった。あと折角東京在住なのに、2ちゃんのキウイスレでしかキウイさんを知らないのもどうよ、という訳で懸案の「ブラッC、宇宙を語る」を蹴って(蹴ったのか、おい)「談志門下前座勉強会」の方を聴く事にする。
受付にいたのはピンクのトレーナーを着たキウイさん。心の底で「おお、本物だ」と呟き乍ら客席へ。椅子席最前列に賑やかな固まりがあり、聞くと風吉さんの地元応援団が大挙押し寄せたらしい。第1回という事で気合の入っていることである。僕は広小路亭が立ち見が出る程満席になっている処を初めて見た。兄弟子の錚々たる顔ぶれが並ぶ立川流広小路寄席だって7割位の入りだったのに、かくも偉大なるは夕刊フジと家元出演リークと初回成功への意気込みである。
風吉「転失気」
小柄で、丁稚の定吉さんが実体化したような風吉さんの風貌はある意味ショタコン好みでは。
立川千弗(せんどる)「三人旅(半ばまで)」
(さすがに半ズボンは穿いていないけど)
マクラで語った、家元に入門してから2年を数えた貧窮問答歌ネタが壮絶。実話の力は無敵だ。
面接料10万円、入門料10万円を払い、月2万円の上納金を支払う生活は、寄席に出られない立川流の前座(しかも見習いなので、名前もまだ貰えていない)の収入ではとてもやっていけず、そのうちアパートのガスを止めるが、それではご飯が炊けないので代わりに電気を止めてローソク暮らしに入る(困窮振りを見かねたおかみさんに「電気代」ではなく「ローソク代」を貰ってローソクに不自由しなくなるくだりは絶品)。そのうち電気・ガス仲良く止まって水だけ飲む暮らしから、家賃が払えなくなり、ホームレスになるべく(という決心も凄い)荷物を載せた台車を引いて上野公園へ向かうも、此処は満杯だからとベテランのホームレスたちに断られ(「キミには帰る家があるんだから」「ないから此処に来たんです」)、オレはホームレスにもなれないのかと地元に戻り(それでも決して実家に帰らないあたりが色んな意味でエラい)紆余曲折を経て、知人宅に居候したまま糊口をしのいでいるらしい。
「転失気」本篇も、決していっぱいいっぱいとは思えない、危なげのない出来(あとでキウイさんがバラしていた処によると、本当は一週間前に「たらちね」を仕込んだらしいが、余りの大入りに恐れをなして「馴れた処で『転失気』を演らせてください」と申し出たのだそうだ…て、無理もないよなあ)。高座の上から「助けてください」と何度も頭を下げて笑いを取っていたが、応援したくなるキャラである。いがぐり頭につぶらな瞳と、何だかジャマイカに行ったSくんを思い出させるからかもしれない。
このあと兄弟子が3人共、開口一番、今夜の風吉さん人気をいじってひと笑い。
──お仲入り──
千弗さんのマクラは、今の名前「千弗」に落ち着いたいきさつを。
前座破門騒動で、鞄持ちがいないのも困る。しかし、前座は破門だと決めた手前、家元の直弟子にする訳にもいかないので立川流預かりの前座「談一」さんとして復帰。喜んだのも束の間、家元から「直弟子ではないので『談』の字を使ってはならぬ」との無慈悲な沙汰が下る。家元に名前を考えてくれるようお願いした処、山手線の車内で「千弗(せんどる)はどうだ」と突然思し召しがあったそうな。「昔、百円(先代か先々代の橘家円太郎)てのがいたんだよ」というのが、立川千弗(せんどる)誕生の顛末。上納金を払うのは代わらないのだから「談」くらい名乗らせてあげればと思うのは部外者の感傷なんだろうな(兄弟子も皆んなそう思ってたりして)。
「三人旅」を聞くのは今夜が初めて。上方見物の旅を始めたばかりの江戸っ子三人組珍道中、馬子との攻防戦まで(次回はひょっとして「押しくら」が聞けるのか)。やや表情に乏しいものの、基礎が出来ていて、客を最后まで飽きさせずに引っ張ってくれたので、それなりに満足出来た。
立川談大「だくだく」
談大さんのマクラは、風吉さんネタをひと振り後「勉強会」を開くに到ったいきさつなど。
立川キウイ「お血脈」
元々「勉強会はしてるのか」と家元が振った事から始まったらしいこの企画、「都合がつけば俺も出てやる」の一言に、力を得て、元々仲の悪い4人なのに(談大さん・談)集まって相談して会場も押さえたのに、当の家元は口約束をすっかり忘れていて、昨日台風のさなかにも拘らず沖縄へ遊びに行ってしまったらしい。という訳で、今夜、家元の顔出しはないことが正式に判明。尤も、この時点で既に僕は会そのものにある程度満足していたので特に不満はなし。それに家元が居ない方が間違いなく皆さんのマクラが面白くなるし。
という訳で、談大さん、汗だくになり乍ら「だくだく」の一席。
そしてしんがりが、その高座姿を「或る意味、夢にまで見た」キウイさん。
客席には立川流Bコースの、野末陳平翁の姿が見えた。あと人が多くてつい声をかけそびれてしまったのだが、前助さんが顔を出していた処に彼の大きな愛を感じたり。悠都の機嫌を取る為に陸上自衛隊の食玩を買って帰って、大いに喜ばれる。モノで釣る駄目パパなり。
まずは風吉さんネタをひと振り。
今回の大入りは出演者一同驚天動地の出来事だったそうで、おかげさまであと2回分の会場費用が捻出出来たとのこと(それは本当に良かったですね)。「2回目3回目が肝腎ですから、色々飽きさせないように踊りや歌なんか考えています」などと次回以降の「おたのしみ」をちらつかせつつ、トリに相応しく、ブラック師匠に教わったという「お血脈」をフルヴァージョンで。
キウイスレでの悪評に頭が汚染されていたのと、ブラッCさんの筆舌に尽くし難い高座を聴いていたのとで、正直どきどき(わくわく?)し乍ら、前座最長不倒記録保持者であるキウイさんの高座に臨んだのだが、キャリアが長いだけあって4人の中ではいちばん安定した仕上がり。漫談に近い部分のある「地噺」という特殊性はあるものの(客の注意を惹き付ける持久力が後半戦やや途切れがちになったが、これはまあ許容の範囲内)、この高座に限って云えば、二ツ目・真打クラスの「お血脈」だった気がする。少なくとも、キャリア分は聴かせる落語だったと思う。これは上下(かみしも)を切る噺も聴いてみなくてはなるまい。
ただマクラの時点からずっと気になったのが、高座で腕組みをしたまま噺を演るスタイル。おそらくは心酔する家元の所作がそのまま入ってしまったのだと思うが──勉強会がハネた後、広小路亭の軒先でも腕組みして談笑していた──これは見ていて非常に辛かった。腕組みなどという或る種横柄なポーズは立川談志だから許されるスタイルなのであって(許さないひとも多いと思うが)、如何に長講とは云え(本当に前座で高座に上がった時はどうなんだろう)、前座さんが取るポーズとしては(というか、二ツ目も真打も立川流含めて、そんなポーズを取っている噺家さんを見た事がない)ふてぶてしすぎる。かと云って、別に意識してそういう威張り腐ったキャラを作っている訳ではないようなので、あくまでも単なるクセのようである。…成程。
熱演の余り、しばしば口角泡が塊になって客席近くまで飛んでくるのはご愛嬌。
連休最終日、ウチの親父から「体育の日」生まれという栄誉を奪ったハッピーマンデーも天気は雨。先月から定常的な金欠なのだが(シネマアートン下北沢のタダ券なら1枚持っている)、そろそろ映画も観たいので新作乍らコストパフォーマンスのよい《Jホラーシアター「感染」「予言」》の豪華2本立てを観た後で、有楽町から日比谷へ移動して妻子と合流、妻の親友Yさんと食事、という事で動く。
「感染(2004・日/落合正幸)」 日劇2
非常に面白かったのだが、さすがにこれはどっと疲れた。
Jホラーシアターのトップバッターは「パラサイト・イヴ(1997)」「催眠(1999)」「世にも奇妙な物語 映画の特別編─雪山(2000)」の落合さん。こうして作品を並べてみると、着実に旨くなっている人だと思う(尤も途中で「天使の牙 B.T.A.(2003)」などというオヨヨな作品の脚本も書いているが、アレは原作ものだし共同脚本だし、判定留保という事にさせてくれ)。
この映画の巧みさは、舞台設定そのものにある。経営難で院長が逃げ出し、薬品も備品も底を尽きかけて尚、許容量をはるかに超えた数の入院患者と急患を抱えているが為に、睡眠時間を削り我が身にムチ打つ事でようやく病院を支えている現場の医師と看護師たちの閉塞感。これがまず妙なリアリティを持って僕らに迫ってくる。「医は仁術」ではないけれど、医療従事に必ずつきまとう滅私奉公なるものの強要にも似た強い期待に応えるべく苦しみもがくスタッフたちの疲労困憊をまず観客側が体感してしまうのだ。これは観ていてかなりこたえる。この極限状態に於いてはどんな医療事故が起きても不思議ではない。けれど当事者である彼らは精神的余裕のないまま、葛藤と良心の呵責に押し潰されそうになり乍ら、なまじ善良であるが故にこの不条理なまでに苛酷な状況と向き合っていくのだが、ひとたび神の視点に立ってみれば、彼らを被害者/加害者に腑分けする行為すらひどく虚しい。本作は人の生き死にに携わることの難しさを突きつけてくる、象徴的な一夜を描いているとも云える。
しかも映画はこんな気の毒なひとたちに向かって「感染」という不条理な恐怖を大量投下する。
日本の怪奇マンガでは決して珍しくない設定なのだが、被害者たちは最初から居た堪れない程不幸な境遇にある。このあたりの湿度に欧米にはあまり類のない、Jホラーなるものの片鱗が覗いている気がする(ハリウッド・リメイクされた「仄暗い水の底から」がそういう映画でしたね)。観客は常に自分自身の弱さと向き合わされる事になるのだが、この容赦のない露悪加減は確かに欧米人には新鮮に映るだろう。
秋葉(佐藤浩市)、魚住(高嶋政伸)らが死にかけた患者に電気ショックを与えている脇で、痴呆の老女が(草村礼子)興奮してぴょんぴょん飛び跳ねている事の不愉快さ。「感染」して、自分を刺し続ける新人看護師・安積(星野真里)に看護師を目指すきっかけになった少女時代の胸温まるエピソードを語らせる不愉快さ。この映画は勧善懲悪なるものを嘲笑う不愉快さに満ちている。縁の下の力持ちたちがどんなに努力してもその労苦は報われない。運命なるものに愚弄され、汚されて最期を遂げる。故に登場人物たちは壊れていかざるを得ない(実は「催眠」もそんな映画だった)。よく出来たホラーだけど(運び込まれた最初の感染者の顔を決して映さずに、医師たちに描写させるあたりは見事です。つーか、それこそがJホラー)、後を引く重さなので、覚悟して観に行くように。
役者往来。
最近贔屓な報われぬ薄幸な女性を演じさせたら右に並ぶもののない木村多江は此処でも王道の仕事。ていうか、この映画、女優陣が押しなべていい。自分の腕を煮る南果歩、ガーゼをむしゃむしゃ真木よう子、そして色盲地獄に堕ちた羽田美智子。それからエキセントリックに過ぎず、ただ居るだけでイヤーな佐野史郎を久々に観る事が出来たのも収穫。安楽死を淡々と説く前田昌明に、ありえない足首を披露してくれた谷津勲と、脇を賑わす役者さんの配置の確かさもいい。
短い休憩時間をぐったりしたまま過ごす。
この項、続く。
「予言(2004・日/鶴田法男)」 日劇2
正直「リング0〜パースディ〜(2000)」は辛かったものの、この秋物議をかもし乍ら放映を終えた「ウルトラQ dark fantasy」の2篇、特に「李里依とリリー」の李里依のおとうさんみたいにあらん限りのトラウマを投げつけるような恐怖表現がオレ的に「買い」だったので、トラウマの宝庫である「恐怖新聞」を鶴田監督がどう料理するか非常に期待していたらあなた、これがもう冒頭から容赦のないトラウマ核弾頭。
さすがは一瀬さん、この企画、単体のクオリティ的にも断然今年のホラー映画の収穫と云っていいと思う。
とりわけプロローグの娘の奈々(井上花菜)が衝突事故に遭う、ディテールに拘った断末魔の様子は4歳の子を持つ親として積極的に観たくなかった。以下はネタばれになるが、恐怖新聞の未来を阻止した里見(三上博史)はペナルティとして、里見自身がいちばん思い出したくない愛娘の最期を繰り返し再体験させられる。しかもヴァリエーション豊かにさまざまな切り口で永遠の煉獄で灼かれるのだが、中でも娘めがけて突進していくトラックの助手席に座らされるのは本気でトラウマになりそうだった。いずれかたちを変えて夢に出て来そうで怖い。だから彼が最后に「間に合った」と心から安堵する処で、一緒に安堵してしまった。所謂、演出家の思うツボ、というヤツである。彼の自己犠牲の美しさに心が揺れた、というよりは親として夫として最大の受難を跳ね返して尚、カタルシスを得るにはあの方法しかない。
「これは愛の映画だ」とインド人の監督がしたり顔で語る、さるスリラー映画の何十倍も、本作は生理的な愛のホラー映画なのだ。くだんの作品と違って、少なくとも大人がくどくどと愛を語ることなく愛を感じさせてくれる(断っておくが、愛だ何だとヌカさなければ、アレもそんなにキライな映画ではない)。尤も、どう転んでもカタルシスを得られない綾香(酒井法子)への無情な扱いを考えると、これはオトコに優しい愛の映画なのかもしれぬ。──概してオトコの方が打たれ弱いという現実もあるし。
でも、ああいう事故で子供を失うと何もホラーに限らなくたって離婚という結論が作劇の上での定番かなあなどとふと考え込んだり。トラウマの中でも肉親の事故死はその後の人生にとって圧倒的な破壊力を持つものなあ。この映画は恐怖は恐怖でもトラウマと隣合せの恐怖を志向している。鶴田監督が表現者として手練れなだけに「…もうよせやい」と云いたい。打たれ弱いアメリカ人ならこれを観て泣き出す事請け合いである。
役者往来。
「リング」シリーズで皆勤を誇ったキカイダー伴大介が教頭役でピンポイント出演。あとdark fantasy「夢見る石」でウツギ星人を怪演した諏訪太朗が校長役で声のみの出演とか(をを、津嘉山正種とタイかよ)。小野真弓はまだアコムのスマイルを乗り越えられずにいる感じ(最后のアレはOK)。ごめん、結構大きい名前だったにも拘らず、堀北真希って全くの守備範囲外だった(「Seventh Anniversary」に出てたと云われてもねえ)。でも個人的にいちばん嬉しかったのは、医師役で山路和弘が出ていた事だったりする。
6作出揃った処でオールナイトとかやるのだろうか…すっごくイヤだなあ。
全部観終わったあかつきには2キロくらい痩せてやつれていそう…。
横綱クラスのホラーを2本観させられてずっしりと重たくなった頭を振り切るように日比谷へ移動してゴジラの像の前で、妻子とYさんと合流。Yさんと僕が再会するのは去年の「黒船亭」ですか。あれはまだ家探しの最中だったから、油断していると一年なんかが3ヶ月くらいで経ってしまう(ウソつけ)。
息切れしたので、この項続く。
日比谷でメシを食おうという話になって、妻がネット検索で探しあてたのは創業半世紀を超える老舗の中華純廣東料理「慶楽」。
彼女の話だと会社務めのおじさんたちに矢鱈と評判が良くて、スープ入り炒飯というのが此処の名物なのらしい。
連休最后の夜の日比谷だからか、19時にして1階席に客の姿はなく、多少アセるもののネットでの評判だけを頼りに店内へ入る。2階に通されると、奥に唯一ある回転テーブルには先客が賑々しく酒盛りをしていたが、お客が居たのはそのテーブルのみ。折角なので窓際のJRが行き来する、悠都にとって特等席なテーブルにつく。彼はよどみなく電車や新幹線が行き交う高架から目が離せなくなり、ついにはチラシの裏紙を貰って、走る電車の種類を見ただけ全部スケッチし始めた。「鉄」の道をひた走ってるよ、こいつ。
町田在住のYさんは今日、東京国際フォーラムに「小松亮太プロデュース Tango Spirit III」を聴きに来たのだとか。僕はそちら方面には全然明るくないのでせいぜい小松亮太がバンドネオン奏者である事しか知らないし、そもそもタンゴと云ってもCMで流れた「リベルタンゴ」聴きたさに「ヨーヨー・マ・プレイズ・ピアソラ SOUL OF TANGO」のCDを買った事しかない(て、いつの話をしているんだよ)というていたらくだが、ホールで聴くタンゴが魅惑的な事くらいは解る。いつかそういう世界にも足を踏み入れたいんだけど…当分お預けだろうな。
此処はランチの敷居は低いもののディナーは結構なお値段なので(コース料理は一人6000円からだし、一皿がだいたい2000円以上する)、スープ入り炒飯とアラカルトで何品か頼んで、あとは胃袋と相談という事にする。今夜のメンバーは誰もお酒要らずなので、「喰い」に専念出来るのもいい。
以下、簡単に食譜。
銀芽[虫下]仁(モヤシ入りシバエビ煮): 大き目の海老のぷりぷりがモヤシのしゃきしゃきと口の中に攻め込んでくる感じ。広東料理らしくしっかりしてい乍らさっぱりとした味つけ。おいちいおいちい。
古歯肉(スブタ)(「歯」とあるのは本当は「上」の下に「凵」+「必」): 此処の酢豚は肉4:野菜1という肉食至上主義な比率。野菜は3色のパフリカと玉葱くらいでパイナップルはなし。からりと揚がった豚肉はさくりとした歯ごたえ。このお肉に悠都がすっかりはまってしまう。これまたおいちいおいちい。
上湯炒飯(スープ入ヤキメシ): 当店名物らしいのだが、これは要するに炒飯茶漬けですね(似たスタイルの炒飯を何処かで食べた気がするのだが、何処だったっけ?)。脂っこくなくサラサラサラといける。鶏ガラスープはほのかに五香粉(ウーシャンフェン)ぽい風味が口中に残る。何だか台北の食卓を思い出すなあ。
牛[月南]飯(牛のアバラ肉ゴハン): 中華丼を日本のライスカレーみたいな盛り付けにしたもので、あんは牛バラ肉の八角を入れて青菜(空心菜かなあ)ととろとろになるまで煮込んだもの。一口でおさめるにはいささか大きめの牛バラ肉がふるふるとやわらかい。自己主張する八角風味に気分はすっかりアジアンである。
大したボリュームではないと高を括っていたら、たかだか4皿で皆、満腹になってしまったので追加はよしておく。此処は一品料理が皿ではなく、両側に取っ手のついた謎のブリキ製の器に盛られてくる。器は料理を載せた漏斗型の蓋と、その蓋を載せた蒸籠状の底の浅い円筒とに分かれている。最初に海老が着いた時に物議をかもし、中に固形燃料だかお湯だか入れて保温しているのでは?という事になって、ひょいと皿を持ち上げるも中は単なる空洞であった。妻が「蓋部分を直接火にかけて料理した後、そのまま円筒に載せるのではないか」という新説を発表したのだが、ついうっかりとお店のひとに確認しないまま店を出てしまった。しかし、やはり調理は黒々とした大きな中華鍋を振るっている気がするなあ。という訳で、何となく宿題が残った感じ。
帰途「慶楽」のすぐ向かいにある「ドイツ居酒屋 JSレネップ」の前を通りがかったらプレッツェルの持ち帰りが出来るようだったので、急遽ぞろぞろと店内に入って「あれとこれとそれ」とプレッツェルを色々買い込む。Yさんもご主人へのお土産を物色。
皆んなしてとりとめなく話し乍ら、国際フォーラムから地下ルートで東京駅まで歩く。
20時過ぎに帰宅、Yさんも20時半には帰り着けたようで何より。
前々から土曜日はさっちゃんと駒場で五反田団「いやむしろわすれて草」を観る約束にしていたのだが、愛ちゃんが出張で上京してくるというので、急遽昼食会を企画(夜はみなとみらいで観覧車を堪能するらしい)、ウチの妻子こそ先約が入っていたものの、木曜深夜になってはるさんの参加が決まり、我が家の披露宴以来7年半振りに4人が集うことになった。
7月にたまたま見つけて(2004年7月17日の日記を参照)以来、再訪のチャンスを窺っていたのと、ちょうど芝居を観る駒場から近いこともあり、お店は築40年の滝本さんちをリノベーションした古民家カフェ「mois cafe」に決める。芝居が15時半からなので、12時半にお店へ着いても食事してお茶呑んで昼寝する時間はたっぷり取れる。一度此処でお昼ご飯を食べてみたかったのだ。さっちゃんからも「アンゼリカ」に行きたいとリクエストが来た。
11時45分・下北沢駅南口集合の予定だったが、はるさんにモーニングコールした後さっちゃんから朝遅れるメールが届いたので、さては昨夜盛り上がって夜更かししたかと、渋谷TUTAYAで書籍売り場を冷やかしてから12時10分下北沢着。10分程して女性陣到着。4年振りくらいに逢った愛ちゃんは髪をロングなウェーヴィーヘアにして大人っぽくキメていたが、「久し振りですねー」とぱんぱん僕の二の腕を叩いた笑顔は先月会ったばかりの気安さ。結婚してから2回くらいしか逢っていないにも拘らず、あとではるさんがしみじみと述懐していたがこのメンツで集まると歳月の長さを易々とジャンプする(でも出会った当時は大学に入ったばかりだった彼女たちが30の声を聞くあたりが何だかスゴい)。はるさんはまだ到着していなかったが、店の場所は分かっていると云っていたので先発する。
やはり民家な外観と「滝本さん」の表札は愛ちゃんにもかなりインパクトがあったらしく記念写真を連射していた。お願いして2階に通してもらったら、例の座ったらそのままひっくり返ってしまいそうなソファ席は空いていたのだが、食事するにはちと不向きではないかと、ディナーメニューが書き込まれた巨大黒板の脇の壁際のテーブルにつく。CDケースにはさまれたワープロ書きのメニューが出て来るが、メニューを眺める前にはるさん到着。失礼な話だが、皆で「ぉぉ」と驚く。
ランチメニューは(1)日替わりどんぶり(2)豆たっぷりカレー(3)ラタトゥイユバーガー(4)メキシカンジャンバラヤの全4種にサラダとミニスープがついて一律800円(ラタトゥイユバーガーはサラダも盛り合わせたプレートものなので、スープのみ)。厨房と云ったって、民家の2畳あるかないかの手狭なキッチンで調理しているのだから、アットホームにしてなかなか頑張ったメニューだと思う。という訳で、お店の労苦に報いる為にも(謎)折角4人いるんだし全品堪能しちゃえ、と各自別々のオーダーで此処のランチを征服する事にする。コーヒーか紅茶もつくというので、別に喧嘩を売った訳ではないのだけど、紅茶のアイス、ホット、コーヒーのアイス、ホットと4人ばらばらに注文する。おねえさんは動じずに笑顔の応対。新しい皿が出て来る度に、愛ちゃんとさっちゃんの鞄からデジカメと一眼レフが出て来るのには笑った(て、僕も日記用にCCD撮影しているんだけど)。昔、皆して香港へ行った時もちょうどこんな感じでしたね。以下、食譜。
ラタトゥイユバーガー(愛ちゃん):バーガーというのでてっきりバンズかと思いきや、厚切りトーストではさんだボリュームたっぷりのラタトゥイユ。茄子をお相伴に預かる。トッピングの目玉焼きに黒胡椒のアクセント。
テーブルトークは案の定、愛ちゃん主導で。
メキシカンジャンバラヤ(さっちゃん):味よりも先に底の浅い白磁のスクエアな器に話題集中。曰く「ひょっとしてこれ、植木鉢じゃないか」「最后まで食べたら、皿の底に水を抜く穴が空いてたりして」「サービスで種が埋めてあるとか」「食べ終わる前に芽が出たりして」。味は「おいしい…」とさっちゃんが悲鳴を上げたくらいの出来。最強のカフェめしのひとつと申しますか。トッピングの目玉焼きに黒胡椒のアクセント。──ひょっとして此処の決まりなのか。
豆たっぷりカレー(はるさん):カレールウの代わりに柔らかく煮込んだ白インゲン(5:1の比率でキドニービーンの赤紫が混ざっている)がお椀型に固めたごはんを取り囲んでいる感じ。これまたカフェめしらしい一皿。インゲンだが、食感といい味つけといい、出来のいいアンティパストを食べているみたい。はるさんが豆が余程気に入ったのか、気がついたらごはんだけ残してしまい弱っていた。
日替わりどんぶり/大根と鶏肉の胡椒味噌煮(オレ):ぶり大根ならぬとり大根をごはんに載せたもので、味噌と鶏肉の旨味が芯まで染み込んだ大根が旨くない訳がない。慾を云えば、ごはんがややぱさぱさだったのと、分葱と黒胡椒で味を整えるだけでなく、ついでなので目玉焼きも載せて欲しかった(後者は激しくウソです)。骨付き鶏肉を食べれるくらいには大人になった僕にはるさんがオドロいていた。明日の「肉味噌とうふ丼」というのも気になる処。
ていうか今日を逃すとこの次に彼女の独演会を聴けるのはいつになるか分からない。
今朝寝坊した理由が昨夜泊まったさっちゃんちで入れてもらった泡風呂に盛り上がり過ぎた余り、湯あたりしたからだったとか(…一応本人の許可をとって書いています)旅行先のカナダで知り合ってポン友になった同い年の韓国の親友キャロルの話とか、次から次へと話題あふれ過ぎ。しかし、彼女たちが凄いのはキャロルは日本語が出来ず、愛ちゃんはハングルが出来ず、お互いブロークン・イングリッシュ(特に愛ちゃんのは謙遜ではなく本当にブロークンだと思われる)と全身を駆使したボディ・ランゲージとで意思の疎通を図り乍ら、日本と韓国を都度行き来した挙句、お互いの家に泊まり合って親睦を深めていること。「ひどいんですよ、キャロルは私のことを『ファニー』じゃなくて『クレイジー』だって云うんですよ」と口をとがらす愛ちゃんだが、有休を使い切って、国境を越えて愛されるキャラはもはや女性版「釣りバカ日誌」、まさに女性版ハマちゃんと云っていい。彼女から発射される強力なアルファ波の威力は未だ衰えず。
ついでだからデザートも行こうよ、と窓際のミニ黒板を取ってくる。
僕が「茶巾絞りのモンブラン」(600円)、さっちゃんが「キャラメルスウィートのポテトレアチーズ」(500円)。残る2人は「一口ください」組。いずれも美味しいが、モンブランを食べたあとでレアチーズを口にすると顔をしかめるくらい苦みが舌を刺す罠。「うっ、にがっ」の声に皆んなして試してみる処がバカというか、何というか。トークは途切れることを知らなかったが、駒場への移動を考えておあいそにする。愛ちゃんにとって初めての下北沢だったのでカフェのハシゴも考えたが、やっぱり此処、居心地いいんだもの。
さっちゃんリクエストの「アンゼリカ」に立ち寄って、めいめい好きなパンを買う。
僕は妻子へのおみやげにマロンパンとごまあんパンとチョココロネを選ぶ。
次に目指す「駒場東大前」はたかだか2駅先である。
この項、続く。
という訳で、駒場東大前駅東口から徒歩3分で、無事こまばアゴラ劇場到着。
はるさんを除く3人は事前予約をしていたので受付にて整理番号73〜75を賜る。チケット予約サイトが連日共「◎:お席に余裕があります。」だったので舐めてかかっていたが、此処のキャパを考えるとかなりの予約者が居た模様。ちなみに当日券即買いをしたはるさんで120番台。最終的には2階のロフト部分も開放していたから大入満員だったのだと思う。確かに1,500円の価格は魅力的だが、それだけが全てではあるまい。ほんの少し期待感が高まる。
客入れ。パイプ椅子席が先に埋まる傾向にあり、最前列のシート及びクッション席はノーガード。しかしふと舞台上手袖を見やれば、舞台にせり出すように壁際にシート席が並んでいる。スタッフの女性に尋ねると「そちらはオススメの席でして、たいへん観易くなっております」。あとで前田さんの日記を読んだら、予想外の大入りに客席を組替え直したとあるから、公演途中で急遽舞台の一部を客席が侵食したものと思われる。舞台と客席の敷居がうんと低い「青年団」系のお芝居でもさすがにこういうのは珍しいので、おねえさんのセールスにうまうまと乗って舞台端のシート席を確保する。ちょうど4人座れるが、舞台袖なのもあってやたらうすら寒い。4人身を寄せ合った挙句、風防隊長に任命される(どうせオレはカベ男だよ)。
青年団リンク・五反田団第27回公演「いやむしろわすれて草」 こまばアゴラ劇場
【作 】前田司郎
【演出】前田司郎
【出演】兵藤公美(青年団):高木一美
【出演】望月志津子:高木二葉
【出演】端田新菜(青年団):高木三樹
【出演】後藤飛鳥:高木春菜
【出演】志賀廣太郎(青年団):高木幸太郎
【出演】山本由佳(むっちりみえっぱり):伊藤夕子
【出演】黒田大輔(THESHAMPOOHAT):伊藤大介
【出演】奥田洋平(青年団):新山タカシ
まずはチラシに寄せた作・演出の前田司郎のお言葉。
人は思い出の生き物だと思う。
人格も過去の経験や記憶から創られるのだと思うし、人とのつながりも記憶だ。
だから忘れる能力は人にとって大事なものだと思う。
忘れたいこと、忘れてほしくないこと
そんな事を考えたり思い出したりしながら書いた八百屋の4姉妹の話です。
それなりに幸福でそれなりに不幸な人達が
それなりに悩みながら生きている話です。
それからこまばアゴラ劇場の公演告知ページにあった前田さんのお言葉。
わすれな草という草がある、見たことはないけど。
そして最后は、当日もらった折り込みチラシ(前田さん本人による、殴り書きのコピー。気を遣ってかチラシの隅にピラミッドや駱駝、満月のイラストまがいのポンチ絵を描いているがむしろ逆効果だと思う…。裏面は出演者が寄せ書きのように「今後の出演予定」を書いたもののコピー)にあった本作についてのライナーノート。
私を忘れないでと思う草だそうです。
忘れたくない事もあるけど、
忘れたい事もある、だから、
私を忘れてと思う草もあっていいと思う。
それなりに不幸でそれなりに幸福な八百屋の四姉妹の話です。
母はどこかに行ってしまってから久しい。
八百屋はつぶれそう、そんな事とは関係なく三女は入院。
こう書くと何やら物悲しい悲壮感漂うお話のように見えますが
多分そういったものは漂わないと思います。
人間はよく出来ていて、
覚えておくよりも忘れてしまう事の方が得意だから。
「いやむしろわすれて草」は、最初、若草物語を下じきに書いていたのですが、多分あんまり、関係なくなってしまいました。
日記を書く為にチラシを読んで思わず「をを」と膝を打つ。成程、病気がちな三樹はベスだし、春菜はエイミーだし(後藤飛鳥さん自体宛て書きのようだ)、おまけに家は貧乏だ。ただ一美は伝法肌過ぎてメグと云うよりはむしろジョーのような気がする(この兵藤公美さんも宛て書きくさい)。
4姉妹がいてローリーがいて、ピアノをやってるところは同じです。
今回、料金1,500円を頑なに守る「五反田団」を初体験。
正直を申せば1,500円で志賀廣太郎が観られる事でモチベーションを上げてきていたので、攻撃的なまでにスレスレ感の漂うチラシとアンケートに思わず恐怖したが、実際に蓋を開けてみれば、そんな不安を一気に吹き飛ばす完成度の高さで、もっと不条理系かと危惧していたら、姉妹が交わすおバカな会話に笑っていると不意に胸の奥に封印しておいたスイッチを押されてしまうような、「わすれな草」ではなくまさに「いやむしろわすれて草」、出来る事ならこの先、何度でも再演して皆に観てもらいたい、そんな優しくも切ない作品なのだった。──前田司郎、凄いじゃん。
舞台は真ん中にベッドが据えてあって、脇のボックスに積み上げたコミックスや小物、そして椅子。それだけのシンプルなもの。物語は病気がちの三樹(端田新菜)が横になるベッドを中心に、暗転は一度もないまま、4姉妹の少女時代と年老いた父親を抱えた現在と幾つかの時空を自由に行き来する。舞台下手に奈落のような階段があって(「八百屋の2階(少女時代)」の時に使われる)、舞台上手に病室の入口がある(「三樹が入院する病室(現在)」の時に使われる)。三樹だけが同じ夜具のまま、常に板付であり(一度だけ病室の外で花を活ける妹へ鋏を渡しに退場する…退場させなければよかったのに)、時空がジャンプする毎にそれ以外の登場人物が相応の衣装に着替えて出て来る趣向。特に4女の春菜(後藤飛鳥)はのっけから最終兵器で、未就学児としてスッチー人形遊びを披露、姉の三樹と壮絶な幼児泣きバトルを繰り広げる(或る意味、何かのプレイのようである)。
冒頭の各国首都当てクイズのあたりからその片鱗は見せてくれていたが、とりわけ材木のくだりのバカバカしさは三谷さんに通じる面白さ。何というか、このひとコトバを「緻密に」弄ぶ事でとてつもない状況を構築する術を知っている。材木は舞台の袖で「音」としてしか登場しなくても、妄想を効果的に爆発させる事で、観客はある筈のない材木の不条理さに身をよじらせる。しかしその妄想は絶対に観客と地続きでなければならない、このお芝居ではその匙加減が絶妙なのだ。
そして、この芝居の見事さはシークエンスの配置にある。
三樹の一生を押し潰すかのような病気の重さと死の影。姉は一美は老いた父(志賀廣太郎)が三樹とふたりきりで暮らす事を心配して結婚出来ずにいるし、二葉(望月志津子)はそんな姉を心配して東京から引き上げて来ようとしている。そして三樹とのふたり暮らしを既に決意している老父。三樹は、どうにもならないと重々承知してい乍ら、そんな家族の思いやりを重荷に感じている。いやむしろ自分自身が家族の重荷であるその重さに耐えかねている(まさに「若草物語」である)。そしてそんな彼女に追い討ちをかけるように入院仲間の伊藤夕子(山本由佳)の死が暗示される事で、出口のない病室で心だけで閑かにのたうつ三樹。けれど、あろうことかラストシークエンスは少女時代のある日に遡るのだ。
久し振りに店を閉めて家族でボーリングへ出かけようというのに、三樹だけが「あたし、行かない」と依怙地になってベッドにかじりついている。話が長くなるので割愛するが、そのボーリング場はちょっと前に好きでもない男の子から告白された場所なのだ。告白から今日に至るまでに何があったかは触れられていないが、多感な頃の女の子として其処には行きたくない理由が生まれたらしい。姉妹の説得にも父親の怒号にも首を縦に振らず、いつの間にか何の為に駄々をこねているのかさえ分からなくなって、彼女はベッドで泣き出してしまう。彼女の泣き声が暗転しても尚、余韻を残して芝居は終わる。
戯曲は多くを語らないから、彼女の駄々が何処にあるのかは分からずじまいだ。ひょっとしたら病気の事で気後れして、乱暴にその恋を閉じてしまったのかもしれない。何故、現在ではなく少女時代なのか。「いやむしろわすれて草」とはつまり当時の恋と向き合った自分と現在の将来と向き合った自分とをつなぐ切ないキーワードなのか。あらゆる想像は全て観客の手に委ねられている。
けれど、確かに少女である三樹の、傍から見ればどうしようもないワガママによる涙に、思いがけずも胸を穿たれたのは事実である。僕もつい彼女と一緒に泣きそうになってしまった。聞けば、愛ちゃんもそうだったらしい。前田司郎は1977年生まれ、僕の妹たちと同い年だが、今の彼の年齢だからこそ、この芝居が書けたのだと思う。おそらく10年後では彼に三樹は書けない。これは27歳の感性でしか書けない「傑作」なのだ。
外へ出るといきなり初冬レベルの寒さ。
ロビーに溢れた出演者と観客との談笑を小耳にはさみつつ、記念写真撮影など。
晴れている上に空気が冷たいせいか、夕焼けが血のように赤い。綺麗というより怖いくらいだ。
はるさんが職場から見える富士山がイヤにくっきり見えた挙句、ヘンな雲が出ていたので今夜あたり地震が来ると予知発言して(これが恐ろしいことに大当たりする。尤も僕は爆睡していて全く気がつかず)、これから観覧車にのる女性陣を恐怖に陥れる(という程怖がっていなかったけど)。
4人揃って渋谷まで出て東横線の改札で男女に分かれて散会。次に愛ちゃんに逢える日はいつの事やら。
いや、マジな話(実際、この7年半で逢うの4回目だし)。これはもう久し振りに熊本へ遊びに行くしか。
はるさんを誘って、文化村方面「BOOK 1st」へ行って「『笑の大学』の創り方」(ぴあ)、石橋蓮司の特別インタビューに惹かれて「ジャッピー! vol.20」(喜怒哀楽社)を購入。本当は東京ファンタで上京してきたセトロさんに、来年公開予定の「鉄人28号(2004・日)」に誘われていたものの、もはや今から新宿へ向かう時間も気力も尽きた事からことわりのメールを入れて「ブラックブラウン」で、はるさんとやっすいパスタを喰らいつつマターリと鼎談。いや、今夜のはるさんは饒舌饒舌。そうねえ、尻馬に乗って慈善なるものを振りかざすマスって最悪よね。
あと、かねてから約束していた、鬼畜乍ら才気あふるるという駕籠真太郎(←公式サイトだけどこのひとの作風は極めてグロなので注意!)の単行本の中から手始めに「大葬儀」(太田出版)を持ってきてもらう。はい、教えを守って必ず妻子の手の届かない処で隠れてコソーリと読む事にします。
帰宅後「アンゼリカ」のパンでお茶して、寝床で「『笑の大学』の創り方」(ぴあ)を読み耽る。
その尋常ではないテキスト量に嬉しい悲鳴をあげつつ途中で音をあげて寝たので、深夜の地震の事は知る由もない。
朝、アニドウKさんからいただいた和守煎餅「発狂くん」を渡すのを口実に、昨日会いそびれた東京ファンタ参加中のセトロさんが本映画祭最大の目玉である「機動戦士Zガンダム ─星を継ぐ者(2004・日)」当日券で並んでいる筈の新宿ミラノ座へ向かう。妻子は午前中、江東区民祭主催のデカレンジャー・ショー(をを)を2回観るそうなので、14時にヒルトン東京のロビーで待ち合わせという事にする。今日のメインイヴェントは妻の友人である青蛙さん主催のオフ会で「マーブルラウンジ」ケーキバイキング(14時〜18時)。此処のケーキバイキングはその昔と妻とやっさん(!)と行った事があり、その折に奥様と待ち合わせする宇津井健を目撃出来たのが今も良い思い出である(やっさんは直後の高座のマクラで宇津井さんをネタにだいぶ儲けさせてもらったらしい)。
セトロさんには挨拶程度に昨夜の不義理を詫びて、後は「珈琲時光」でも観に行こうなど甘いことを考えていたのだが、朝8時から並んで意外にあっさり当日券を手に入れたというセトロさん、エノモトくんのペースに捕まってなし崩しに昼メシを食べる事に。彼らはこの後18時半までノンストップで映画なので(深作監督がオール外国人キャストで撮影した幻の東映ちびっ子まつり「ガンマー第3号宇宙大作戦 THE GREEN SLIME (1968・日)」と日本版「スパイダーマン」──オフミが入ってなかったら必ず馳せ参じる2本立てである)しっかり腹ごしらえをしておきたいと、あろうことか新宿中村屋本店4F「ラコンテ」のカリーバイキングをチョイス。しかもエノモトくんは昨日アキバでカレーバイキング堪能済。尤も、アキバのは本格インド料理で中村屋の洋食洋食した「カリー(何しろ此処のカレーの歴史は昭和2年まで遡る)」とは毛色が違うという事でセーフとなる(そ、そーなのか?→エノモトくん)。
とは云え、根がカレー好きなのと、中村屋のカリーバイキング(1,449円)は初体験だったので、此処は腹八分で収めようと埒もない事を決意して同行する。どうやら今月は映画に縁がないらしい(という訳で、北九州のN嶋さん、オススメ映画よろしく)。
カリー6種類(スパイシーチキントマト、野菜、ポークと野菜、なすと豚肉、ココナッツ風味シーフード、ポークキーマ)にライス類(白飯、ナン、ターメリックライス)、サラダ彩々(素揚げしたカボチャのスライスがカリーのトッピングのお供に最適だった)、キャベツのスープ、さすがに全く食指を動かさなかったデザートはチョコレートケーキ、オレンジケーキ、フルーツゼリーの3種(これは焼肉バイキングで見かけるような安っちいプチケーキ)。それにホットコーヒー、ウーロン茶、オレンジジュースという布陣ですね。
開店と同時に押し入ったのだけれど流石は老舗、すぐに7割方の席が埋まる。長く営んでいるだけあって、さすがにカリーは旨い。ワガママを云わせてもらえば、ナンはもっとアツアツで出して欲しいもの。昨日上映した「鉄人28号」の感想を聞くがふたりとも「なかなか頑張ってた」と好意的な一言のみ。あと、なかなか当方のモチベーションの上がらぬ「デビルマン」はやっぱり観ておきなさい、と念押しされる。勿論、歴史の目撃者以上の意義はなさそう…。
結局たらふく食べて(駄目じゃん)映画版「Zガンダム」に入場待ちするふたりにつきあって暫し「Z」話。とりあえず製作が開始されている2作目までは公開されるんでは、みたいな話とか。映画館に消えてったふたりと別れて、紀伊国屋で時間をつぶす。ペギー葉山の介護本(「歌う看護婦 夫を在宅介護愛とバトルの二千日」(カッパ・ブックス))を読み乍ら、傘寿を迎え、闘病を続ける根上淳の小さくなった背中を思う。しかしウルトラの母は今も尚、慈愛に満ちた眼差しでMAT隊長(大正男)のダンディズムとワガママを包み込んでいるのだった。山上たつひこ「ベスト・オブ・がきデカ」(宝島社)で郷愁に浸りつつも忍び笑いしている処で妻からメール、時間を見るとあと10分で14時だったので慌てて店を出る。
ヒルトンは新宿駅西口方面なのでちょっと焦りつつ移動するも(東口方面の紀伊国屋からは結構な距離がある)、ヒルトン東京に着いてみれば青蛙さんも渋滞に巻き込まれて遅れたらしく僕が「オマタセ」ではなかったので、胸を撫で下ろす。
今回のメンツは、折悪しく他の皆さんの予定が重なってしまい僕ら家族を除けば青蛙さん、キクさんというこじんまりとしたオフ会だったが、一度青蛙さんとは親睦を深めなければと考えていたのでこれは好機であった。挨拶もそこそこにまずは「マーブルラウンジ」へ。壁際の広めのテーブルをとってもらい、バイキング開始まで暫く待った後、ギャルソンの「用意が整いましたのでどうぞあちらへ」を合図にデパート開店待ちのおばさんのように息せき切ってデザートブッフェの島々へ雪崩れ込む。
ぴかぴかに磨いた林檎の盛り籠があるので何かと思えば、JAひろさき協賛「アップルデザートフェア」の真っ最中なのだった。林檎ネタという事では「アップルパイ」や「りんごの赤ワインコンポート」「スイス・アップルタルト」「アップル・シナモンケーキ」他色々。個人的に贔屓にしたい「フルーツトライフル」や「パンプキン・チーズケーキ」や各種ワッフルにタルト系、クレープ系、ムース系、それにアイスクリームも6種類(ソルベ系を置いてなかったのがやや物足りなかった)という充実振り。前回来た時はスイーツ以外はサンドイッチくらいしか記憶になかったのだが(前回は非スイーツ系に助けられたものです)、今回はそれらに加えてトマト系ショートパスタや春巻きにクリームコロッケ、ところ天あたりまで押さえてあって(全部で40種類余取り揃えているらしい)さすがはデザートブッフェ王者の貫禄というか何というか。
ちなみにドリンクはコーヒー or 紅茶のいずれかで(ホットかアイスをチョイス出来る)最初にオーダーしたものを最后までお代わりするシステム。尤も一流ホテル故、ホット用のカップもしくはアイス用のトールグラスが空になるとギャルソンがささっと新しいものと取り替えてくれる。下にも置かぬもてなしとはこの事である。
正直に打ち明ければ、中村屋カリー・アタックのスパイシーな衝撃から未だ癒え切れぬストマックを抱えてはいたものの(案の定、妻に罵倒された)「甘いものは別腹」スローガンを(自分自身に)掲げ、と云い乍ら様子を見ィ見ィ、それでもばくばくとバターや生クリームの海に分け入る。確かに美味しいのだけれど何しろ長期戦なのと、あと油断していると悠都が親と同んなじペースで食べ進むので(海外旅行にケーキバイキングを知っているたァ、全く贅沢な幼少期である)適度にコドモの舵取りをしつつ、基本的には皆さんの会話をニコニコし乍ら聞いていた(つもり)。何しろ初参加だったもので、あんまりでしゃばっちゃいけない。…いや、或いはでしゃばっていたかもしれない。
キクさんが青蛙さんと以前から約束していたとかで、数年前に行ったベトナム旅行やオーストラリア旅行のお土産をおもちゃ箱をひっくり返すみたいに沢山持ってこられていたのだが、そのうちベトナム土産の栞(可愛い飾り類はそのまま取り外してストラップ等に応用可)などこちらにまでお裾分けしてもらったり。いや、全くかたじけない。あと青蛙さんが竹富島に一人旅した時の自家製写真集を拝見したり。妻がこれは出版して売るべきですよ、と青蛙さんに詰め寄って彼女を困らせていた。それから悠都は青蛙さんにNゲージもプレゼントされていたな。本当にモノもらってばっかりで。
17時を過ぎると突然ラウンジの間接照明が薄暗くなったので、てっきり長居している客の追い出しかと思いきや(そんな筈ないって)、ギャルソンが各テーブルに火の灯った卓上ランプを置いて廻っているのだった。まるで「ア・ラ・カルト」のようである。尤も、ウチのテーブルは悠都が居たせいか薄暗いまま捨て置かれてしまった。あら、イヤだ。
18時を廻り、そろそろ参階と勘定を済ませる(土日祝料金:大人2,520円、子供1,260円)も、妻が「マーブルラウンジ」の向かいで小商いみたいに開いていた「ロンネフェルト・ティーブティック」に目を留めて女性陣を率いて、冷やかし暫し。ちなみにロンネフェルトは1825年創業のドイツの老舗紅茶ブランド。茶葉もさること乍ら、ロンネフェルト・オリジナルのスリーピングポットがなかなか興味深い。ポットを45度傾けて置くことが出来るというもので空を見上げたポットというのもなかなか莫迦々々しくって良い(いや、これは褒め言葉)。尤も妻の興味はその脇に置いてあったオイルタイマー(ロンネフェルト・ティータイマー)の方で、着色したオイルが水より軽いことを応用して拵えた、ヴィジュアルは上に向かって昇っていく砂時計。妻がすがるような目で僕とオイルタイマーを交互に見るので、是非お買いなさいと肩を押してあげる。税別1,500円。ドイツのひとは紅茶の葉が開く時間も無駄にしない。
帰りはリムジンバスに乗ってのうのうと新宿駅へ。
ヨドバシで両面プリンタを物色するという青蛙さんたちと別れて、小田急の地下で麺つゆや惣菜を買った後、都営大江戸で帰宅。さすがに晩飯いらずだったが、中途半端に夜遅く小腹が空いて(おい)食パンにバター塗って食べる。バイキングでハシゴをしたのは後にも先にもこれきりだろう。と、信じたい。
さっすがに映画を観なければ、と立ち上がってみた一日。
渋谷と六本木の2ヶ所で東京国際映画祭が始まったが、此処1〜2ヶ月、早いものでは来週末には公開されてしまう「ちょっと早い」新作に血道を上げるのはやめて、飯田橋ギンレイホールで銀座テアトル、ル・シネマ(の2番館落ち)異邦人映画2本立てを落穂拾いに行く。諸事情あれど、映画は観たいが懐が慢性氷河期なので出来るだけコスト・パフォーマンスを重視したいのと、こないだはるさんと会った時に「ロスト・イン・トランスレーション(2003・米日)」を薦められた(今の処、彼の2004年のベスト映画らしい)というのが大きい。実際、観たいと機会を窺いつつ、ついつい観逃してしまった1本だし。
初回の10:10には充分余裕を持って飯田橋へ向かったつもりが、9:50には既に老若男女な映画ファンで長蛇の列が出来ていて慄然とする。これは2本立て1,500円(ぴあ最新号持参で1,300円。シネマカード会員になると10,000円とちょっとで此処で年間公開される52作品がいつでも観放題になる)という安さと2本立てを組合せたセンスの勝利なのだろう。
「ロスト・イン・トランスレーション LOST IN TRANSLATION (2003・米日/ソフィア・コッポラ)」 飯田橋ギンレイホール
「ロスト・イン・トランスレーション」とは「翻訳の過程で失われた(本来の)意味やニュアンス」の事。
休憩時間に更にお客が入ってきて206席ある客席がほぼ満杯になる。
「東京のアメリカ人」だったソフィア・コッポラの脳内を通過した日本が此処にはある。本作を観て僕らが感じる作中「日本」への違和感はまさに「ロスト・イン・トランスレーション」のなせるワザなのであり、「翻訳」を「コミュニケーション」と読み換えれば、夫婦であっても互いを分かり合うことの困難さを、ボブ・ハリス(ビル・マーレー)、シャーロット(スカーレット・ヨハンソン)という主人公と各々のパートナーとの間を(古女房であれ、新婚であれ)横たう、深くて目に見えない溝が如実に物語っている。
日本という異文化に弾き出されたふたりはまた、人生を伴走している筈のパートナーとの結びつきにも拠り処を置けず、二重の意味で孤独をもてあましている。故に彼らは孤独を抱きかかえたまま、パークハイアット東京という洗練された都会の孤島で眠れない日々を漂流する。ボブとシャーロットの出逢いは孤独な者が発信するCQがほんのひととき共鳴した「同病相憐れむ」同士の奇跡だったのかもしれない。トランジットに居合わせた一人旅を続ける旅行者同士(或いは同じ病室に居合わせた患者同士)のような連帯感と、戦友にも似た友情は、固い絆を生んでもそれは決して男女の愛と同義には向かわない。彼らが何度も夜を一緒に過ごしても決して一線を踏み越えなかったのは、これは「愛ではない(by 中島みゆき)」から。酒の勢いでクラブ歌手と一夜を共にしてしまったボブの後ろめたさが可愛い。ふたりが男女の営みを加えないプラトニックな関係のまま旅を終える事で本作は僕にとって夜明け間近の居心地のいい毛布みたいな映画になった。孤独だからこそ、自分の孤独をいたわってくれる者と呑むお酒がどれだけ勇気づけてくれるか。最后のふたりの抱擁は、それぞれの孤独に帰っていく旅人たちが自分自身を存在確認するためのそれだったのだと、僕は勝手に解釈しています。
それにしても、チェックインと共に名刺攻めに遭う処や、表情のないビジネスマンに埋め尽くされたエレベーター、まさにロスト・イン・トランスレーションな情熱的なCMディレクター(田所豊ことダイアモンド☆ユカイ)の演出意図を意訳してしまう通訳(竹下明子)、マシュー南「Matthew's Best Hit TV」のまるで血が通っていないカリカチュアしたフレンドシップ(て、これがこの番組の見どころなんだけどなー)と、離婚の疵癒えぬコッポラ娘が覗いた日本の都会は、そんな孤独の種でひしめきあっている。けれど其処に身を置くだけで、次々にくすくす笑いを生み出すビル・マーレー(本作は彼の主演を前提に企画が進められた)の、もはや枯淡の域に達した「ボケ」は何度だって噛みしめたくなる。
スカーレット・ヨハンソンは先に「真珠の耳飾りの少女(2002・英)」で観て、現代劇ではチャームポイントになる半開きの口許も、17世紀の粗末な佇まいの中にその身を置くと単に莫迦っぽくなるだけだったのだが、思った通り(少なくとも今の)彼女には、本作のような等身大の女性のうつし身の方がうんと魅力的な光を放つ。映画はのっけからシースルーのショーツを穿いた、シャーロットのヒップのアップからかましてくれるが、孤高で誰にも媚びない佇まいと少女の無邪気さとが匂い立つが故に決して下品へと流れていかない。はるさんが彼女をお気に入りになったのもむべなるかな。僕も本作を先に観ていたら「真珠の耳飾りの少女」の印象がかなり変わったかもしれない。
という訳で、個人的にも愛すべき映画になりそうなのだが、エンドクレジットのあとでHIROMIXの微笑が映画を〆るというのはどうか。むしろマシューとボブのフレーム一杯のツーショットで終わってくれた方が…え、駄目? ──あ、そ。じゃ仕方ないか。
いささか窮屈なので次回は通路側席を確保するのが得策かもしれない。
いずれにしても、ギンレイホール侮りがたし。
この項、続く。
「トスカーナの休日 UNDER THE TUSCAN SUN (2003・米伊/オードリー・ウェルズ)」 飯田橋ギンレイホール
ダイアン・レインって、若い頃は顔立ちがキツくてお高く止まった感じがして何だかとっつきにくかったのだけれど、「ジャック(1996)」や「マイ・ドッグ・スキップ(1999)」などの若い母親役で映画を背中から支え始めたあたりからとても良くなってきて、今では遮二無二頑張っている横顔が美しい女優のひとり。本作はそんな彼女の等身大で、生成りの魅力が全開した一篇。ちょっと前ならメグ・ライアンあたりがオファーを受けてそうな作品なんだけど、ダイアン・レインの魅力抜きでは語れない佳作に仕上がった。30代の彼女を代表する作品と自負していい。
映画館を出るとやはり表には地下鉄出口まで次の回に並ぶ長蛇の列が伸びている。
書評家・作家のフランシス(ダイアン・レイン)は売れない作家の夫に浮気された挙句、三行半を突きつけられ離婚手当という名目で家まで取り上げられてしまう。彼女を不憫に思った親友パッティ(サンドラ・オー)から「人生をリセットしなさい」と自身の妊娠(彼女自身はレズなので人工授精)で行けなくなったイタリア・トスカーナ10日間のゲイ(!)ツアーのチケットをプレゼントされ、フランシスは其処で築300年のヴィラ「ブラマソーレ(太陽に憧れるもの)」と運命の出逢いを果たし、衝動買いの果て、自らの孤独と家の修復と闘い乍らのトスカーナでの彼女の新生活の日々が始まる…。
元気をなくした「デブラ・ウィンガーを探して」世代の女性たちの背中を押してくれる典型的な女性映画だが、ナンシー・メイヤーズ(「ハート・オブ・ウーマン」「恋愛適齢期」;フランシスが新しい恋人と結ばれた後、自分の部屋でかちどきの声をあげるキュートさは「恋愛適齢期」のダイアン・キートンを彷彿とさせる)に見られる、作中で一度はオトコに一泡吹かせてやるみたいな、フェミニスト的怨嗟がオードリー・ウェルズ監督には皆無なのがいい。元夫は恋人と新生活を始める為にフランシスを家から追い出し、典型的なイタリア男マルチェロ(ラウル・ボーヴァ)は逢いたい時に逢えなかったからという理由で爽やかな笑顔で(別名「何も考えていない」とも云う)フランシスを振るが、物語はフランシスの失意をフォーカスしても、彼女を捨てた男たちのその後を追跡したりしないし、ましてやわざわざ彼らが不幸になるのを見て(監督が)溜飲を下げたりしない(そもそもそれが普通だと思うんだけど)。
そろそろ死語になりそうな「負け犬」という言葉が意味しているものは、家族を手に入れられないという「孤独」なのだと思うが(「ロスト・イン・トランスレーション」で扱っている孤独はもっと根源的なものだ)、確かに本作でもフランシスが最終的に目指したのは自分の家族を持つことだったが(物語のラストで不動産業者マルティーニ(ヴィンセント・リオッタ)があたたかな眼差しでそれを指摘する)、映画は血縁幻想を捨てた新しい家族のかたち(ま、余り新しくはないけれど)を提案する。子供が欲しかったばかりに恋人に捨てられたパッティと彼女の赤ちゃん、ポーランド人青年(パヴェル・シャイダ)と新妻、そして誇り高き猫のように自由に行き来する、フェデリコ・フェリーニ妄想であり乍ら洞察力の鋭い老嬢キャサリン(リンゼイ・ダンカン)まで含めて皆がフランシスの家族、そして新しいパートナーの予感…。
物語はセオリー通りに体温の感じられる団欒のテーブルで幕を閉じるが、其処に至るまでフランシスが抱え身悶えする孤独が身にしみるものであったが故に、最后くらい胸温まる御伽噺で終わって何が悪いと僕などは思うのだけどどうだろう。ていうか、これ、ラブコメだし(稲妻が洗濯機を破壊するシーンは思い切り物語から浮き上がっていて笑っちゃいました)。
普通にデートで来ている若いカップルとか沢山居るし、2番館の底力を思い知らされた感じ。
などと感心しているバアイではなかった。
東西線を「九段下」で半蔵門線に乗り換えて、次なる目的地「渋谷」に急がねば。
この項、続く。
渋谷駅へ着くなり、一旦TUTAYAへ立ち寄って前売を買ってから駅南口方面渋谷ユーロスペースへ向かうも、ポケ地図を見損ねて久々に道に迷う。初めて行く場所でもないのに困ったものである。開始時間に間に合わないが、前の回(「稀人<まれびと>」)が清水崇監督、塚本晋也らの舞台挨拶が盛り上がったらしく(そりゃそのメンツなら)開場が遅れていてほっと一息(て、息上がってましたが)。すぐに始まる「ソドムの市」、港監督他、出演者舞台挨拶こみの「月猫に蜜の弾丸<たま>」の当日券と交換。後者は整理券番号12番、さすがは「稀人」よりいささか地味目の(失礼!)舞台挨拶なだけの事はある。
キミは『映画番長』を知っているか?!同型のDVカメラによる撮影、同一予算、エンターテインメント作品であるべしという互角の条件の下に、気鋭の映画監督から無名の新人監督までもが、栄えある<映画番長>の座を賭け、知力、体力、戦略、戦術の限りを尽くして面白さの限界に挑むという型破りなプロジェクト――それが遂にいまクライマックスを迎える!!!
今日は↑の「映画番長(第3弾『ホラー番長』)」初体験。
私的観どころは高橋洋が長編初監督した「ソドムの市」と清水崇&小中千昭「稀人<まれびと>」。全部で4作品あるので、この2作を2週に分割する事で次回もこのシリーズをコンプするモチベーションを持続させる気でいる。折角東京にいるのだから、たまには東京以外では滅多に観られない作品を、と考えた時、此処ユーロスペースが発信する1000万円ローバジェット映画に白羽を立ててみた → どうでしょう、N嶋さん。
「ソドムの市(2004・日/高橋洋)」 渋谷ユーロスペース
「製作費1000万円の映画」と云われると思わず眉根を寄せちゃうが、たとえば「製作費1000万円の自主製作映画」と云われたらどうか。自主製作なのに小嶺麗奈が主演しているわ、あんな役で秋本奈緒美(ネプ投げされて壮絶な死を遂げる役)、こんな役で津田寛治(て、見つけられなかった・笑)が顔を出していて、しかも「リング」「発狂する唇」の脚本を書いた高橋洋がじきじきにメガホンを取る、とこう書いたら、何だか凄くない? ──という訳で本作は戦略的な「製作費1000万円の自主製作映画」仕様のバカ映画(勿論、褒めている)。そもそも「ソドムの市」というタイトルからして殆ど唐沢さんや植木さんの日記である。かつてパゾリーニ映画祭をサボった身としては2作を比較しようもないが、だいたい比べる試み自体がどうかしている。
観終わってみると、いっそこちらが脱力していたり(笑)。でも声をあげて笑う客が多かったのがこの作品の特徴。
ポイントは最初からチープさとバカを狙い撃ちしている処。諸般の都合でチープにならざるを得なかった「盲獣VS一寸法師」とは其処が違う。物語は18世紀の日本(だよな。何しろ領主の名前が「俎渡海(そどむ)市兵衛」である)から始まるが、時代考証は頭から放棄され(地下室は普通にビルの地下で電気関係の筐体が剥き出し)、テレーズ(小嶺麗奈)にキャサリン(宮田亜紀)だから隠れ切支丹の話かと思えば、十字架や魔法陣、ウェディングドレスを着た花嫁(!)がアイテムとして重要なくらい。ふたり井戸に埋められ、降り積もる雪の中、声を揃えて「これはこの世のことならず/死出の山路の裾野なる/さいの河原の物語/聞くにつけても哀れなり〜」と「地蔵和讃」や「地獄歌」を詠唱するに到っては、「これはこの世のことならず」なのだから、とりあえず最后まで振り落とされぬようついていかねばと決意するのみであった。
何しろ自主映画なので、脱力系のワナは其処此処に転がっている。缶蹴りから秋本奈緒美の悲劇にいたる一連のシークエンス、または市(浦井崇)がジュリアーノ・ジェンマよろしく妹キャサリンの柩を引き乍ら、仲間(近藤聖治、安里麻里、中原翔子ら)を集めるくだりのカツ丼屋無銭飲食滅多斬りのルーティンなど鳩尾にはまるネタも多数あるが、基本は脱力系ギャグの火薬庫なので、洗練された何かを観たいひとには強く薦めない。尤も逆方向に洗練されている、という云い方も出来なくはない。しかしソドムの一味がやっている事は殆ど死ね死ね団のそれである。よりによってクライマックスがB29かよ、と云うのはあるが特に文句もない。ただ粛々と炎の女刑事テレーズ(小嶺麗奈)が罪なき市民の死体の山を築き乍ら、市との最終決戦に臨むのを見守るだけである。
謎の老人(岩淵達治)と毒殺死専門の花嫁(今関朱子)がよく分からないが──この際、分からなくてもいい事にする──炎の中で全てを見下ろす、その意味ありげな感じもなかなかいい。あと五月雨式で恐縮だが、古いトイレから妹の腕だけが伸びて兄の手を掴んでいる「絵」は良かった。てっきりこの後怖いことが起きると思ったオレは全く浅はかだったが。
願わくば3年後くらいに、3億位(勿論35mm)かけて雁龍太郎主演でリメイクして欲しい。
無論、小嶺麗奈と小水ガイラ、そして吉行由実だけは今回と全く同んなじ役(勿論、吉行さんには針縫いのお婆、市の母親&尼僧の全役に全力投球してもらう)でフィックスね。製作前から採算度外視決定なので、お金を工面する製作者は腹を括る覚悟が必要だが、少なくとも伝説をひとつ作る事は出来る。
一旦、ロビーに出てから再入場、やや右寄りだが最前列をキープする。
別に東京国際映画祭まで出向かずとも、監督・出演者の舞台挨拶は愉しめる。
という訳で、この項、まだまだ続く。
舞台挨拶は司会のシマダさん(だったと思う)に、港博之監督、大角(おおすみ)役の勝矢秀人、雪役の永岡佑(我らが江口のりこにセックス指南を受ける(?)というタナダユキ「月とチェリー(2004)」の公開が待ち遠しい)、カーコ役の鶴水瑠衣(南青山少女歌劇団出身。「予言(2004)」で、恐怖新聞の切れ端を捜す三上博史に引いていた現場レポーターがこのひと)といった面々(以上、入場順)。クロキン役の涼平さんはPARCOの三池崇史演出「夜叉ヶ池」に出演中。丹波さんはお元気でお仕事をされているだろうか。
港監督は元々美術スタッフとしてキャリアを積んできており、今回が映画監督デビュー。代表作が石井輝男「地獄」「盲獣VS一寸法師」って、それは胸を張って云えることなのか(尤も本作のチラシにも石井監督じきじきに推薦の言葉を賜って、それはそれでハクがついているとは思うが)。昔、司会のシマダさんに「港さんの原点になった映画は何か」と問われて、つい石井監督の「怪談昇り竜(1970)」と適当に答えてしまった事があったが、その後名画座で実物を観直したら本当に自分の原点みたいな作品だったのでびっくりしたという話とか、今山田風太郎モノの忍術映画に美術スタッフとして拘っているが(ロケ地からとんぼ返りで来たのだそう)美術の仕事はこれで最后にして以降は監督業で食っていきたい決意表明とか(主語である「美術スタッフ」を省いて発言した為、一瞬、皆に映画監督終結宣言と受け取られたり)。
他には現場が大好きな永岡さんが出番もないのにずっと現場に居つづけた話(勝矢さん)、この映画の重要な出演者である「猫」が高所から落ちて、決して猫が出さない泣き声を上げて血を吐いた話(永岡さん)など。後者は港監督が「あれは鼻血です」と必死でフォローしてたのが面白かった。動物虐待の謗りを恐れてか。監督・出演者一同が声を揃えて「全然ホラーじゃない」と断言するホラー映画というのもどうよ(監督は「デタラメ番長」にして欲しかった、ともこぼしていた)。
僕の後ろに座っていた女性のグループが永岡さんの友人関係か何かで、タイミングを逸したらしく退場間際に慌てて椅子から座ったまま花束を渡し、永岡さんがトホホ顔で「そんな渡し方はないだろ」とこぼすのが聞こえた。日常での彼の立ち位置というかキャラが垣間見える瞬間であった。
「月猫に蜜の弾丸(2004・日/港博之)」 渋谷ユーロスペース
上映中、大きな地震が3度あった(いずれも震度3〜4クラス)。
石井輝男というか鈴木清順というか、耽美とグロテスクと猟奇とファンタジーとあらん限りをぶち込んだ港監督流フィルムノワール、ミュージカル和え。中川信夫張りの化け猫譚と云って云えなくもないが、マリ(田中伸子)に操られるようにカーコ(鶴水瑠衣)がおどるさまはむしろ大林信彦的はしゃぎ振りで、逆に云えば鈴木清順・石井輝男・大林信彦といった作品を通過してきた身にとってはこの程度の逸脱はそれ程驚くに当たらない。
けれど売れないミュージシャンの雪(永岡佑)机に貼った鍵盤のシールを叩いたら音が鳴って妻のカーコが踊り出す、ああいうノリって決してキライじゃなかったりする。
解説で既に「エドガー・A・ポーを思わせる衝撃のラストシーン」とネタばらしをやっているので余り躊躇しないが、「ヴォイス」ですよ、「ヴォイス」(て、さすがにそれは云い過ぎではないのか)。丁寧な伏線を張ってあるので、マリが死んでどうなったかは早い段階で勘のいい客には分かる仕掛けになっている。でもホラーとしてではなくラブストーリーとしての着地。捉えどころがない不思議少女(が歳をとった)系のマリを猫にかけた処はお見事。小さい作品にも手を抜かない菅田俊の漢らしさも心に留めておくように。
美術出身の演出家らしくローバジェット乍ら、ポータブルレコードプレーヤーとか小道具へのこだわりは立派なもの。飴玉が降るシーンではCGまで駆使しちゃって、螺旋階段のアングルといい、監督の絵づくりへの闘志が強く感じられる作品だった。この映画もフィルムで撮り直したら感想が変わってくるかもしれない。
映画館は音を立てずに耳を研ぎ澄ましている空間だけにざわめきがさーっと客席を伝染していく。
しかも1度ならともかく続けて2度3度続くとさすがに不安が募る。このまま渋谷で被災した場合、果たして新宿へ行っているらしい妻子の許に辿り着けるのかとか、映画館で被災なんて後々友人知人に「やっぱり…」とか呟かれそうでヤだなァとか。しかし非常口へ誘導されることも映写機が停まることもなく上映が淡々と続いたのは、観ていた場所がやはり家内制なアートシアターだったからなのか。災害時の対応マニュアルが装備されたシネコンの対応はどうだったんだろう。いずれにしても何事もなく終映。
ロビィには港監督が所在なげに待機していた。
そりゃ新人監督なら殊更、観客の反応が気になるよなあ。
賞品欲しさに「あなたが選ぶホラー番長」投票用紙をまとめて2作品ぶん記入。
処で、評価は以下の3択であった。出来れば5択にして欲しかった気がする。
□もう最高!! … 5ポイント
□楽しめました! … 3ポイント
□うーん、普通 … 1ポイント
余震を恐れてというより、映画を4本観て消耗したので、東急東横店西館West地階に立ち寄って「サザエ十勝大名」のたい焼きプラスアルファを買ってから帰宅。帰りの地下鉄車内ではずっと総武線が停まっている旨、アナウンスが流れていたが、東京メトロのみ利用する自分には全く影響なし。ちなみに妻子は地震があった時間、地下鉄で移動中だったらしく揺れには全く気付かなかったらしい。帰宅して新潟に震度6の強震が3度襲っていた事を知る。上越新幹線が走行中に脱線したニュースを含め、夜は各局とも報道特別番組が組まれるが、いち早く旅番組を流したテレ東に感服。…心臓だねえ。
一晩中、200を軽く超える余震が続く。
都内でも時折横揺れが来ていたが地震情報からはとうに外されていた。
しかし、地震、台風、地震、台風、地震とこの処天災が交互に襲ってくるのはどういう訳だ。
その上、イラクの人質問題と来てはまったく「泣きっ面に蜂」ではないか。
午後、池袋某店へ中華バイキングを食べるべく家を出たら、深川江戸資料館通り沿いにある日吉屋ののれんが上がっていたので予定変更して急遽此処で蕎麦を食べる事にする。日吉屋は打ち立ての蕎麦を供す為、蕎麦が切れたら店じまいになるので、妻は虎視眈々とこの日を狙っていたのであった。
昔からやってますといった東京らしくない垢抜けない店内なのが却って新鮮。妻が山掛け、僕がおおもり、悠都が持ってきたばかりのめんつゆをひっくり返す粗相をやらかすも、店のご主人の「おじさんなんかもっととんでもない事やってるからね。気にしなくていいんだよ」とあたたかい微笑みかたじけなし。壁には「本日の蕎麦粉」が何処のものかが書かれていて今日は長野県戸隠の蕎麦粉を使った二八そば。これが驚いた事にこないだ北九州のY田さんに送ってもらったお蕎麦の舌ざわりや喉越しとクリソツ。思わず妻と目を見合わせる。Y田さんだったら明日から「日吉屋」で蕎麦が打てちゃうな、みたいな。
それから新宿へ出て、右團治さんに(本当に本当にささやかな)誕生プレゼントを買って帰る。
水曜日の「落語マニア」へ行った時に渡すつもり。思えば右團治さんにも不義理のしっ放しだもんなあ。
お昼前に大きくて長い揺れ。都内震度3。
何しろ職場が11階にあるので揺れも際立つ。三十路も半ばを過ぎて三半規管が衰えている身には殆ど車酔いと同じ状態になって吐き気さえ催した(後で聞いた処によると気分が悪くなったのは僕だけではなかったらしい)。すぐに妻から「新潟で震度6」の携帯メールが入る。即時性という点ではインターネットよりテレビの地震速報の方が一部の利があるようだ。
17時過ぎに退社して、お江戸日本橋亭へ。
芸協若手特選会「落語マニア」 於 お江戸日本橋亭
以下、備忘録を手短に。
桂夏丸「課長の犬」
冒頭、去年亡くなった春風亭柳昇師匠の作品ですと一言。名前だけは知っていたがまさか「課長の犬」が聞けようとは。お噺は「子ほめ」のサラリーマン版でこれもタイトルが全てですね。飄々とフラットに演るのが今の若いひと風。
笑福亭和光「たぬさい」
和光さんの高座は二度目。聞いててだれないのは必ずしも関西弁ばかりのせいではなくご本人の旨さのたまものだろう。鶴光師匠ネタは「吾郎のソナタ」のNa.で触れた風水ネタまで及ぶ。処で「あたくしも前座です」と自己紹介していたが、上方落語には前座、二ツ目、真打といった階級制度は存在しない。確かに鶴光門下は芸協にも所属しているけど、そのへんの折り合いはどうつけているんだろ。
昔昔亭笑橋「幇間腹」
幇間の一八の、殆ど云い立てに近いマシンガントークに大笑いする。何にでもノーと云わない、その無責任さこそが身上。
桂右團治「たらちね」
今日は黒紋付で登場。ネイビーブルーのお召し物は夏季限定だったのか。マクラで松鯉先生から預かってきたスポーツ紙で「優太ちゃん救出」を報告。思わず客席から拍手が上がる。処で、右團治さんの「たらちね」を聴くのは初めて。尤も高座ではよくかけている。文語調喋りのお千代さんは関西出身の右團治さんならではのみやびさが出ていた。
神田松鯉「赤穂義士伝・赤垣源蔵 徳利の別れ」
松鯉先生、いい。とにかくいい(笑)。常に七五調の語りがリズムを生んで流れていく心地好さ。「赤穂義士伝」は「殿中松の廊下」のさわりを演ってから、赤垣源蔵が留守で不在の兄の部屋で、兄の着物と一献酌み交わす「徳利の別れ」。折角の見せ場で熱演の余り、張り扇を客席に取り落とすもとほのぼのトークでカヴァー。一時中断も何のその、しっかり泣かせてもらう。
──お仲入り──
桂歌蔵「錦の袈裟」
来年真打昇進が決まっている歌蔵さんも「錦の袈裟」も、初体験。与太郎が吉原でもてもてになる噺なんだけど、脳内でついつい与太郎をフットボールアワー岩尾に変換して聴いてしまったのは何故? → オレ。
桂平治「普段の袴」
マクラで右團治さんをいじる兄弟愛。師匠に膝代わり(トリ前)は程良く客席をあたためてからトリにつなぐもんだと教わったと披露。やっさんの「普段の袴」も聴くのは初めて(こちらも高座ではよくかけているネタ)。師匠の教えを忠実に守って、客席を程好くわかせて風と共に去りぬ、という見事な膝っ振りであった。
桂右團治「らくだ」
「落語マニア」のタイトルの由来は、演者が落語マニアだと思う人を集めているからとのこと。…全然知らなかった。で、松鯉先生について云えば、まあ講談マニアと。マクラでかんかんのうを解説してくれた上に、一節歌ってみせてくれるという聞き手に優しい一席(客席で一緒に口ずさむご婦人がいたのに吃驚)。噺は屑屋に酒が入って、兄貴との立場が逆転する処まで。終演予定時間きっかり2分前にサゲへ入る律儀さが何と云うか右團治さんらしい。僕はお辞儀する右團治さんの左手脇にそっと腕時計が置かれたのを見逃さなかったぞ。いつか右團治さん演じる「らくだ」のフルバージョンを聴いてみたいと思う。
落語会がハネて、寄席の軒先で挨拶をしていた右團治さんに台北土産の排骨麺のカップめんと誕生日プレゼントを渡す。しょっぱいお土産としょっぱいプレゼントにも拘らずひどく恐縮する右團治さんに負けずに恐縮し返す。これぞ恐縮合戦。風邪気味なので今日は早く帰るというやっさんに来月の日本橋亭「芸協大吟醸(第一升)」のチケットを貰う。これからお客さんと宴という右團治さんと別れてやっさんと雑談し乍ら「日本橋」駅まで歩く。やっさん、学校寄席で東北方面から旅帰り直後の日本橋亭。本当にお疲れさま。
退社後、渋谷へ行ってた妻子と上野広小路で待ち合わせ。
早く帰れそうなので、じゃ会社帰りに落ち合ってメシでも、という算段になったのだが、妻とメールで相談していたら、悠都がとんかつが食べたいというので上野「井泉」に決めた次第。尤も今週の月曜に部内の呑み会で行った先のお店の女将さんが「『井泉』は銀座に限るわよ。上野とは全然味が違うんだから」と何の迷いもなくきっぱりと仰ったので、近いうちに銀座「井泉」の方も試してみねばなるまい(あと其処で東京のとんかつ屋ではつけあわせのキャベツをとんかつソースで食べるのは普通だと教わる。いやー、処変わればとはよく云ったものですね)。
同じ銀座線でも先に到着してしまったので、上野広小路亭のある永谷ビルの1階で新品CD/DVDガレッジセールをやっていたのを暫し物色、以前買いそびれていた大江千里「ビルボード/2000blues/Searching(2000年作品)」(マキシシングル)を新品にも拘らず188円で救い出せたのは嬉しくもあり、また悲しくもあり。場所柄もあってNHK音源の落語CDも沢山出ていたので(市価の7割位)手に取って眺めていると、隣に角袖の外套を着た春風亭小柳枝師匠が立たれたので驚く(勿論客席からばかりで直接の面識はない)。小柳枝師匠は老眼鏡を下げて熱心にCDを物色されていたが、やがて先代柳橋と円ん生の2枚のCDを選ぶと顔見知りらしいレジの親父に照れ臭そうな笑顔で二言三言交わすと代金を支払って、店の脇の楽屋口の階段を登っていかれた。
そうか、今日はお弟子さんの昇輔さんが「昇輔アワー」をやっているのだった(一昨日「落語マニア」がなかったら行ってた気がする)。小柳枝師匠程の大ベテランでも、いや大ベテランだからこそ一落語ファンであり続けるのだなあと思わず感心したのだった。
「井泉」は週末らしく盛況だったが、かろうじて1階席座敷奥のテーブルが空いていた。妻は迷わずロースかつを頼んでいたが、折角なのでとんかつ以外のメニューも試してみようと思い、お姐さんにメニューを訊ねて「ポークソテー」にごはん・豚汁・お新香をつけてオーダーする。まずはとんかつから遠くない処からというなかなかイヤらしいチョイスである。それと前回食べて気に入った「かにと胡瓜のサラダ」。
「ポークソテー」の味の決め手は自家製デミグラスソース。最初はちょっと淡白な味かも、と思ったが、あとでしっかりと存在感を主張してくるそんなソース。肝腎のお肉も井泉なので歯で容易く噛み切れて、それでいて頼もしい歯ごたえ。脇に添えたトマトはきちんと薄皮を剥いてあって、昔乍らの洋食屋さんらしい仕事の丁寧さに改めて恐れ入ったり。
悠都はまたも返事の良さをお姐さんに褒められていた。
これで行儀が良ければ、云うことはないんだが。
すっかり油断していた。
「笑の大学(2004)」の舞台挨拶が行われる日比谷映画の舞台挨拶付チケットが完売していることを今朝知る。
そもそもそんなチケットが出ている事自体知らなかった。
そんな告知、シャンテシネマのサイトにあったっけ?(どうやら発売は23日だったらしい)
あっさりあきらめて「笑の大学」発祥の地と云ってもいいPARCOのを生み出した渋谷シネクイントの初回観を目論む。
どーせ午後からは青山方面に移動しなければならないし。
という訳で早めに家を出て半蔵門線で渋谷へ向かう。
さすがはPARCO、「笑の大学」のお膝元なだけあってビル一面の向坂さんと椿さん。ついでに「なにわバタフライ」の巨大ポスターもあったりなんかして眼福、眼福。PARCO3に入ってもエレベーターのドア全面が「笑の大学」広告。シネクイントのロビーにある自販機にまで手作りで「笑の大学」仕様が施されていて、PARCOスタッフの心意気に泣く。尤もこのまま「なにわバタフライ」に「三谷まつり」を繋いでいきたいという意図はあるのかもしれないが、何も舞台挨拶ばかりが「まつり」なのではないと思い知った瞬間だった。渋谷を選んでホント、正解だったなー。
「笑の大学(2004・日/星護)」 渋谷シネクイント
西村雅彦・近藤芳正の舞台を初演、再演共観に行き、録画したビデオを擦り切れる程観返した身としては本作の内容やテーマについて今更語る事はない、というか語り尽くした感がある(と云いつつ、確認したら本サイトには舞台版の感想テキストを収録していなかった。ううむ)。
スクリーン下手側脇に次回公開予定の「約三十の嘘」のゴンゾウ(奈良美智の絵みたいな目つきのパンダの着ぐるみ)が仕込んであったので、記録のためにとりあえずCCDカメラに納めておく。
脚本に関して、舞台と映画の最大の違いは「向坂目線」と「コンパクト化」である。
特に後者については、物語自体に加えられた大きな変更は(少なくとも自分の記憶を辿る限り)全くないが、ただ三谷さん自身も色んな処で語っているように、映画版からは芝居が完全武装していた「笑い」の要素たるエピソード(おかず)が幾つか削り落とされている。観てすぐに気付いたのは、向坂(役所広司)宅の庭に迷い込んだカラスの武蔵・おつう(このネーミングは当時先行上演していた「巌流島」つながり)のエピソード。舞台版では今川焼きに続く向坂へのワイロとして劇団美術スタッフに作らせた巣箱が出て来たものだが、けど舞台版とほぼ同じ尺でこれを「映画」として見せようとすれば、如何にエピソードを削って尚、舞台版の面白さを損ねないように工夫するかだものなあ。それに例えば椿(稲垣吾郎)が「チューして」と迫るくだりは舞台を廊下に移した事で高橋昌也の老警官を活かしたりして、映画版ならではの見せ方。
ラストシーンも舞台版では、映画版のセリフのあとやりとりが続く(というか、更に「貫一とお宮」の内容を練り直す)のだが、映画としてのカタルシスを考えた場合、あそこで椿は立ち去るべきなのだろう。
舞台版では、向坂が服毒自殺(未遂)により確実な座薬を用いたいと提案して、互いの尻に座薬を詰めあうふたり…「全くの下ネタじゃないですかっ!」と椿が突っ込みつつ暗転するというものなので、汚い話がキライな星監督の美学上、アレは絶対に承服しなかったに相違ない(そもそも映画版に書き換えられた段階でそのシーンはカットされたものと思われる)。
それでも(以下、一応隠しておく)
向坂「死んでいいのはお肉の為だけだ」
椿一「あのセリフ、気に入ってくださってたんですね」
向坂「大好きなんだ」
という二人の応酬には、観客の誰もが噴き出しつつも紅涙をしぼらずにはいられない。
そして此処にこそ、三谷喜劇の真髄がある。字ヅラだけを読んで此処を泣きどころだと思えるひとが何人居るだろうか。星さんにはそれがよーく分かっていらっしゃる。
長い廊下、夕景、そして最敬礼する老警官のえも云われぬ表情。
一聴して、あきらかに場違いなセリフが最大の感動を生み出した瞬間、この映画は忘れ得ぬ秀作として着地する。
尤も稲垣版「椿一」にはどうなる事かとハラハラさせられたのも事実ですが。
戯画的な動きが監督の狙いだったのは分かるのだけれども、警官たちにおじぎする背中とかどうよとか思ったのは僕だけではあるまい。確かに大河原警部に扮する向坂を見つめる椿の眼差し(しかも別撮りらしい)がそれまでのマイナスを棒引きにしていたとは思うけれど。でもそれを補って余りある役所さんの向坂芝居というのは書き留めておかねばなるまい。
意外だったのが数多のカメオ出演で、基本は二人芝居なのでゲストの出る隙は浅草の街並か上演中の舞台くらいしかなかったのだけど、浅草の劇場街に星監督と「小市民ケーン」つながりか劇場支配人(木梨憲武)、女給(加藤あい)そして向坂が熱演した大河原警部をエンドクレジットで八嶋智人が演じている(カイゼル髭をたくわえた八嶋さんがアップになったのには客席で引っくり返った)。あと青空貫太に小松政夫、お宮に木村多江、ロミエットに小橋めぐみが扮しているあたりが華やかな処か(個人的には陰山泰も外せないけど)。はずかし乍ら木梨憲武、加藤あいの二人にはしっかり観ていたにも拘らず完全に気付けなかった。それがちょっと口惜しい。
あと特筆すべきは、本作ではCGはおろかスーパーインポーズ的な文字の埋め込みも行わず、クレジット類の全てを手書きしてレトロな味わい溢れるデザインのポスターで代用したこと。これはこの規模の映画では此処10年、いや20年来の快挙なのではないか。あのポスター集だけで企画本が出来てしまう密度と精度(実際にDVDの特典にポスターギャラリーがついたりして)。
映画版を観たら、また舞台版が観たくなってしまった。
「笑の大学」各Ver.は決して互いの存在を損なうものではない、そう強く感じた今回の映画化であった。
雨のそぼ降る中、来週火曜の一の酉の準備で提灯に彩られた宮益坂を急ぎ足で青山通りへ。
時間的にギリギリだが、目指すはイメージフォーラム「アトム・エゴヤン映画祭2004」である。
この項、続く。
青山通りに面したスタバの軒先で、黒のとんがり帽子とマントに身を包んだ(おお、コスプレだコスプレだ)おねえさん二人がワゴンセールで焼き菓子を売っていた。折角のハロウィンなのに、折からの雨で前を通る客足もまばら。手持ち無沙汰の魔法使いギャルのノルマ達成や如何に。尤もこちらも時間がなかったので一瞥しただけでスルーしてイメージフォーラムに駆け込み、どうにか後方の見良い座席をキープする。雨だというのに、上映が始まるまでにほぼ満席の盛況とは、全く「アトム・エゴヤン映画祭」侮り難しである。
席に着いて改めてスタッフに渡されたDプログラム資料を眺めると「ハワードの送別会」「オープンハウス」2作品の台詞採録だった。迂闊だったが、この2作は字幕なしらしい。と、気付いてものの2分もしないうちに次回作の予告篇が始まってしまう。──打つ手なーし!
「ハワードの送別会 HOWARD IN PARTICULAR (1981・加/アトム・エゴヤン)」 イメージフォーラム
白黒、14分という掌篇だが、19才で撮った処女作にしてこの完成度。数多ある自主製作映画を思う時、19歳でこのレベルの作品を拵えた作家がどれほどいたろうか。大企業ボーリングブルックス飲食工場の傍若無人な退職者の「送別会」。薄暗い部屋に呼ばれ、目の前に置かれたオープンリールデッキから流れる、社長と同僚から退職者(この場合はハワード)への6分間の送辞。エゴヤンらしいエロスというかユーモア溢れるアイロニーは、男根(或いはハワード自身)を象徴するバナナ(ハワード職場はバナナスライサー部門だった)が社員たちによってさまざまなヴァリエーションで切り刻まれ、握りつぶされ、とさんざん愚弄される処。バナナの代わりにハワード自身がベルトコンベアに乗せられたりとか。
「オープンハウス OPEN HOUSE (1982・加/アトム・エゴヤン)」 イメージフォーラム
喫煙室のテーブルで社員が一斉に手に持ったバナナを叩き潰す処は白眉ですね(実際はハワードの弁当を社員がよってたかってグチャグチャにするという「イジメ」の暗喩)。
こちらはカラー、25分の作品。オンタリオ・アーツ・カウンシルの援助を受け、エゴヤンが大学最終学年に製作、後にカナダ国営放送でテレビ放映されるくらい高い評価を得た。エゴヤンの映画は台詞に散りばめられた機知とヒントとユーモアこそが身上なのに、そんな作品を字幕なしで観るのは正直しんどかった。
さすがに字幕無し(解説リーフレット付)劇場未公開作が続くとストレスがたまる。
家を売る、というモチーフはこの後観た「サラバンド」にも受け継がれたエゴヤンのお家芸の萌芽か。カップルに強引に中古の家を売りつけようとする不動産業者フランク(ロス・フレイザー)は、実はその家を建てたオダーリアン夫妻の息子であり、客の「この家」に対する賛辞を盗聴して、老境を迎えた両親の自尊心を満足させるためにコレクションしていたのだった…。此処でも映像センスは変わらぬ刃先を見せ、レコーダーといったテクノロジーの活躍、歪んだかたちであってもフランクの真摯な愛情の発露は、テーマ的にも後のエゴヤン作品を充分に彷彿とさせる。これを22歳で書き上げ、撮りあげたのだから、全く怖い才能である。
尤も、次の「サラバンド」は、解説リーフレットに触れられていなかったのでこれ以上のストレスはかからない筈。
字幕問題に比べればLDによるデジタル上映なんて小さい小さい。
て、本来35mmフィルムで製作された作品なのだから残念なのは確かだけど。
この項、続く。
「サラバンド(ヨーヨー・マ インスパイアド・バイ・バッハ No.4)
YO-YO MA INSPIRED BY BACH : SARABANDE (SUITE No.4) (1997・加/アトム・エゴヤン)」 イメージフォーラム
やっぱり来て良かったと思えた、本日最大の収穫のひとつ。
雨足はひどくなってきていたが小腹が空いたので、次の上映までの待ち時間を利用して近くのコンビニまで菓子パンとほっとレモンを買いに走る。雨宿りの客がひしめく、ただでさえ狭いイメージフォーラムのロビーで菓子パンを齧り乍ら、「ハワードの送別会」「オープンハウス」の解説リーフレットを読み、その滅茶苦茶濃い内容に「これは字幕をつけなきゃ駄目でしょう」と心ひそかに立腹する。いや、先立つモノが必要なのは重々承知しているので、此処はカナダ大使館の侠気に期待したい(おいおい)。
90年代後半のヨーヨー・マはJ・S・バッハ「無伴奏チェロ組曲」に取り組むという一連のプロジェクトの中で、他分野のアーティストとコラボする「インスパイアド・バイ・バッハ」と銘打った連作フィルムを製作したが、その中で唯一劇映画の体裁を取ったのがエゴヤンがメガホンを握った「無伴奏チェロ組曲(第4番)」が本作。57minという短い時間の中に長編一本分のエゴヤンらしさ(日常の断片をパズル的に配置する事でひとの生のいとなみや死をドラマチックに描き、後方に隠されていた悲しい真実が一枚の絵として完成した時、作家のその眼差しの余りのあたたかさに観客は息が止まりそうになる。すっかり軽くなってしまった「癒し」なる言葉は本来此処ぞというべき処で投下すべきで、それはエゴヤン作品に冠する形容詞にこそ相応しい)を注ぎ込んだ上質な人間ドラマ。
末期癌で世界中から集めた蒐集品をそのままにするという条件で持ち家を売りに出したカソヴィッツ医師(ヤン・ルーブス)、彼の(定期検診だけだが)患者だったのが縁で担当になった不動産仲買人サラ(アルシネ・カーンジャン)、その恋人マックス(ドン・マッケラー)、カソヴィッツ医師の後任のアンジェラ(ロリー・シンガー)、そしてヨーヨー・マ本人と彼を空港からコンサートホールに運ぶリムジンの老運転手サミー(ジョージ・スペルダコス)。彼らはシーン毎に観衆であり、恋人同士であり、医者と患者であり、教師と生徒でありとその関係性を変えつつ、遂には見事な人間模様のタペストリを織り上げていく。
そして、故カソヴィッツ先生を除く全ての主要人物をボタンのように繋ぐのがヨーヨー・マなのだ。
アンジェラ医師はマスタークラスでの彼の教え子であり、音楽家と医師との岐路に立たされた彼女の肩を叩いたのは彼のアドバイスだったし、サラとマックスは彼のコンサートの最中に(何しろ最前列だ)5年続いた関係に終止符を打つ。そして何より「カナダにはふたつの国名を冠した航空会社がある」お蔭でヨーヨー・マを待たせるという失態を犯したサミーは渋滞で動かないリムジンの後部座席をヨーヨー・マの練習場として提供し、暫したったひとりのオーディエンスになるという栄誉を預かる。また自身を演じるとは云え、俳優としてのヨーヨー・マもなかなかのものなので、ヨーヨー・マ・ファンで未見のひとは絶対観るべきだと思う。
物語はいちばん最后にこのサミー爺とアンジェラ医師とを哀しく繋いで終わるのだが、パズルを完結させるのに選んだ最后の1ピースの、無情と等価と云っていい切なさと、そしてそれ故胸を打つラストシークエンスは、日常ミステリーとしても北村薫にひけを取らない豊穣さ(勿論、比較するのが野暮なことなんて百も承知だ)。
本作のビデオソフトが絶版になってしまっているのが何よりも惜しまれる。
もしもDVDで再販されたら、オレなら迷わず買っちゃうね。
この項、続く。
「エキゾチカ EXOTICA (1994・加/アトム・エゴヤン)」 イメージフォーラム
日本で公開されたエゴヤン作品中、唯一観損ねていたのが本作で、今日は7年振りに親の仇を討った気分。
余談だが「スウィート・ヒアアフター(1997)」の冒頭で老弁護士スティーブンス(イアン・ホルム)が洗車機の中から一人娘のゾーイに電話をするくだりがある。電話口の様子から彼と娘が過去の或るしこりが原因で今でもぎくしゃくした関係のままなのが解る。あれって彼がこれから真相を究明しようとしているスクールバス転覆事故そのものの隠喩だったんだなーと、何故か「エキゾチカ」を観ていて思いつく。6年前に1度観たきりなのに。何はともあれ、今更のようにエゴヤンが撒いた布石に感心してみる。いやー、あれも悲しくも味わい深い映画だったよね。
先に「サラバンド」の感想で、エゴヤンの映画について「日常の断片をパズル的に配置する事でひとの生のいとなみや死をドラマチックに描き、後方に隠されていた悲しい真実が一枚の絵として完成した時、作家のその眼差しの余りのあたたかさに観客は息が止まりそうになる。すっかり軽くなってしまった『癒し』なる言葉は本来此処ぞというべき処で投下すべきで、それはエゴヤン作品に冠する形容詞にこそ相応しい」と書いたが、まさか本作がそれをそっくり体現する作品だったとは。
冒頭のねっとりした空気をも映し出した「エキゾチカ」のジャングルのような装飾、税関に設えたマジックミラー、「エキゾチカ」のDJブース、或いはストリップという場の空気、それらは全て映画自体を通奏する「ピーピング」という行為の意匠であり、符丁である。そして覗き見の欲望を満たすべく、物語に用意された物語の断片たちはいずれも煽情的で暗黒面を剥き出している。
稀少動物を密輸するペットショップ、気に入ったストリップダンサーを自分のテーブルに占有出来るのが売りのナイトクラブ「エキゾチカ」を舞台に、最愛の娘を失くした(しかも娘殺しの嫌疑をかけられた)国税査察官フランシス(ブルース・グリーンウッド)と彼が贔屓にするスクールガール・ストリッパーのクリスティーナ(ミア・カーシュナー)、元恋人で「エキゾチカ」のDJトーマス(エリアス・コーテアス)とトーマスの現在の彼女で身重の「エキゾチカ」主人(アルシネ・カーンジャン)、そしてフランシスに密輸の弱みを握られたゲイのペットショップ・オーナーであるエリック(ドン・マッケラー)。
フランシスは友人の娘トレーシー(サラ・ポーリー)を今は居ない娘の子守に雇い、過分な手当てを与えて彼女に気味悪がられている。クリスティーナは、自分とフランシスはある契約関係にあったとうそぶき、元彼であるトーマスはクリスティーナを独占するフランシスを卑怯なやり口で陥れ、彼を「エキゾチカ」出入り禁止にする。エリックはバレエのチケットをアカの他人に売り渡すうちに寂しくも一夜のひそかなアバンチュールを楽しむようになり、心を許した男(実は税関職員)に密輸した卵を盗まれてしまう。そしてフランシスはトーマスに復讐する為にエリックを「エキゾチカ」に送り込んで、トーマスを撃ち殺そうと画策する…。
これらの殺伐としたエピソードの断片のシャッフルに、時折(おそらくは「エキゾチカ」に身を沈める前の)恋人時代のトーマスとクリスティーナが草原を散策するシーンが挿入される。そして元気だった頃のフランシスの娘の粗悪なビデオ映像。幾度となく繰り返される同じカットのフラッシュバック、娘の笑顔のストップモーション。そうやって幾つかの素材が先を争うように連なり、競い、登りつめた先に、僕らは、表層を取っ払ったあとの、登場人物たちの生きていく上で払うことの出来ない哀しみを俯瞰で眺めることになる。今まで僕らには見えていなかった幸福だった頃のトーマスが、フランシスが、そしてクリスティーナが痛々しくもピュアな輝きを放って眼前に立ち現れる。
このパズルがほとびていく妙、作劇の圧倒的な冴え、そう、これこそがアトム・エゴヤンなのだ。
映画の最后に得られるカタルシスはシャマラン作品の比ではない。
韓流ホラー「箪笥」の運命に不可逆的なラストも、エゴヤン作品のホラー・ヴァージョンと呼んでもいいかもしれない。
信じ難い事に体力的な限界をひしひしと感じたので、後ろ髪を引かれつつも、ヴィム・ヴェンダースがモントリオール国際映画祭で「ベルリン・天使の詩」の受賞を辞退して賞金5000ドルをエゴヤンに譲ったという逸話の残る「ファミリー・ビューイング(1987)」は先送りにして(て、何年先になるんだか)、ハロウィンでもある事だし「コージーコーナー」で「かぼちゃのショートケーキ」(悠都には「プチモンブラン」)を買って帰る。美味しかったけど意外に重たいかぼちゃケーキに夫婦してギブアップ。
佐世保のYさんから悠都宛に箱一杯の蜜柑が届く。いつもいつもかたじけなし。て、またこれがひとつ残らず甘い。今週一杯持つだろうか。
月曜日には買ってあったものの、今日映画を観るまで封印してあった本間勇輔「笑の大学 オリジナルサウンドトラック」を聴いてから床に就く。
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