Diary 備忘の都 2004 November

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シークレット・ウインドウ酉の市(一の酉)あそばないとたたかうぞ
国分寺メモリアル丸の内オアゾ潜入皇居外苑散歩
デビルマンまつり塩の街ユートピア
80デイズハウルの動く城たまもの
魔窟なのにも程がある芸協大吟醸
恋の門雲のむこう、約束の場所雨鱒の川

 シークレット・ウインドウ  2004/11/1(Mo)


映画の日。今日は特に急ぎの仕事もないので早目に退社してその恩恵に預かる事にする。

セトロさんには「映画を観る人は『デビルマン』を観ないといけない」と口酸っぱく云われているものの時間が合わずに今夜は「シークレット・ウインドウ(2004・米)」に変更。くだんの映画は来週の金曜日までやっているようなので、それまでには滑り込みセーフででも「まつり」に参加するつもり。しかし打ち切りにならずに上映が続いているのはひとえにフレーム人気なのか、いっそ「まつり」効果なのか。仮にオレが那須夫妻の立場で「まつり」を知ったら(きょうび知らずにいる事の方が難しい)世を儚んで首を吊ってしまいそうな気がする。たとい永井先生の立場でも発作的に舌を噛んでしまうんじゃないか。存在そのものの全否定──或る意味、原作より凄惨な末路である。

「シークレット・ウインドウ SECRET WINDOW (2004・米/デビット・コープ)」 109シネマズ木場
真っさらな気持ちで映画に臨みたいひとは、以下は絶対に読まないことをおススメします。

「シークレット・ウインドウ(2004・米)」 スティーヴン・キング原作で作家モノと云えば、ある意味スリラーの安定供給源。
本作も特にある秘密が明かされるまでの観客への心臓にかかる負担と来たら、これが半日続いたら間違いなく救急車を呼んでしまうようなストレス攻撃。何を云っても通じないジョン・シューター(ジョン・タトゥーロ)イタ過ぎ(「N.Y.式ハッピー・セラピー(2003)」でも似たような役回りだったような)。尤も、近頃ではネットの世界をちょっと探せばこんなひとはぞろぞろ出て来ます。此処までが「ミザリー(1990)」系スリラー。

で、後半「シャイニング(1980)」系スリラー(何が「シャイニング」なのかは観れば判る)に移った途端に、観客はようやくストレスから解放される…て、解放されちゃ駄目じゃん。何が問題かと云うと(さすがに以降は隠しておく)、それまで被害者だったモート(ジョニー・デップ)の視点が一転、加害者に転じるのに、それまでモートに感情移入していた観客がついていけない事にある。不倫妻エイミー(マリア・ベロ)や間男テッド(ティモシー・ハットン;今回は正拳突き自爆2連発でコメディアン振りを発揮)にシューター(壁中に刻まれた「SHOOT HER(彼女を撃て)」はお見事)の魔の手が伸びる、と云っても彼らの自業自得感が強くてむしろ観ている側に爽快感さえ伴う(全く危険なことです)。個人的には前半で感じたストレスがいまわの際まで持続するのが正しい気がするのだが、後半のアレをミステリーとして認められる(許せる)かどうかで本作の評価は大きく変わると思う。

あと最后の最后にシューターが書いた短篇タイトルが何故『種まきの季節』だったのか、小説の締めが何故「俺は、やれる。トッドは言い、湯気の立ってるコーンを1本取った。そのうち彼女の死は、俺にさえも謎になるだろう。」であるべきだったのかが明らかになるが、これはアラン・マッデン「マッシュルーム(1994・豪)」(機会があったら是非共観て欲しい「ほのぼの(?)犯罪映画」)(一応伏字)を観た身には余り新味が感じられなくて残念。ちなみに原作と映画はラストが違うそうだが、小説版のラストはどんなだったのか、教えてえらいひと。

何だかくさしてばかりだが、別にこの映画がキライな訳ではないのだ。むしろミステリーの攻め方としてはかなり好きな部類に入る。
たとえば「ミザリー」系スリラーから「シャイニング」系スリラーへ転調する継ぎ目、即ち、其処に至る伏線の張り方は手並み鮮やかと云っていい。再び隠して申し訳ないが(だってそういう映画なんだもん)、 俯瞰で捉えた森から、モートの山小屋の「シークレット・ウインドウ」から侵入、ロフトのワークテーブルを舐めた後、そのまま階下のソファで眠っているモートをズームインする「ありえない」ロングショット。此処までなら、ガス・ヴァン・サント版「サイコ」でやった事だが、本作が一味違うのは、最后のモートのズームに到る直前に一階の姿見のミラーを通過させて、あたかも鏡の向こうの世界の出来事のように物語を始めている処。他にも姿を見せぬシューターを探して、彼と間違えて洗面台のミラーと浴室の大ガラスを叩き割るシーンでの「自分を殺してしまった」という台詞など(モートのおとぼけキャラでミスリードにも成功している。実際、此処で客席は大いにウケていた)、多重人格としてのキー・ガジェットである鏡を巧みに用いた演出はあとからレバーに効いてくる仕掛けだ。故に(観客に)多重人格が発覚した後の自分同士の対話シーンはサム・ライミ「スパイダーマン」ウィレム・デフォーの鬼気迫る鏡芝居には敵わないが(別に争う処でもないが) こういう2度観3度観で新たな発見を期待出来そうなサービスは娯楽映画として非常に正しい。

あと愚痴とも呪詛ともつかないジョニー・デップの独白演技が殺伐とした作品世界に渇いた笑いを振り撒くあたりが非常にツボ。やはりスリラーにはウィット溢れる台詞こそ似合う。この映画を憎からず思う理由のひとつは、主演のデップの敢闘振りを愛しているからなのだな、うん。


 酉の市(一の酉)  2004/11/2(Tu)


会社帰り、妻子と待ち合わせて門前仲町富岡八幡宮「酉の市(境内末 大鳥神社例祭)」を初体験。今日は一の酉である。

妻は独身時代に、はるさんに付き合ってもらって、「酉の市」の総本山である大鳥神社でくだんの祭りを体験したらしいが、彼女に云わせると規模こそ小ぢんまりとしているものの、活気と威勢の良さは富岡八幡の方が勝っているとのこと。酉の市といえばドリフ大爆笑のコントでしか知らない(ごめんなさい)僕としては「ふうん」としか応えようがないが、決して長いとは云えない縁起物市の立った通りのそこかしこから間を置かずに、商売繁盛祈願の三本締めが聞こえてくるのは何とも小気味良いものである。妻と、二の酉か三の酉に再び訪れて福岡の実家用に飾り物の熊手を買う算段をする。勿論、ちっちゃいのを買う予定なんだが、ドリフみたいに指先だけの三本締めがいいと願う僕は単なるマニアだろうか(マニアです)。

富岡八幡宮本殿 軒並み熊手の出店が続く いやあ、華やかです 富岡八幡宮本殿

夜に訪れるとびっしりと並んだ奉納提灯の献灯がとても美しい。
場所柄、相撲関係や深川在住芸能人である石倉三郎安岡力也(近頃映画のクレジットでは「力也」表記だが提灯にはしっかり「安岡力也」と表記してあった)のひときわ立派な奉納提灯が人目をひく。参拝したあと(妻子は先に参拝を終えていたが、賽銭を投げたい息子に小銭をむしり取られる)八幡入口の出店でたいやき(あんことチーズ)を買って食べる。

夜は奉納提灯がお出迎え やっぱり「安岡力也」「石倉三郎」と並ぶと壮観です 「日本相撲協会」から「大鵬」まで 暫し見とれてしまいました

帰りに妻が目をつけていた台湾料理の店に立ち寄るが、残念乍ら休みだったので「ジョナサン」で平野レミ・レシピ(レミの美味)の「レミタスマーボーライス」「ほうれん草のソテー」を食べて帰る。レタス、素揚げした野菜をトッピングしたライスプレートに、ポットに入った麻婆ソースをかけて食べるというもので、なかなかの美味。ファミレス食だというのに、何故か野菜ばかり食べてしまった。いと珍し。尤もこの野菜高騰の折、野菜を欲した肉体による自己防衛本能のなせるワザだったという説も。


 あそばないとたたかうぞ  2004/11/3(We)


文化の日。休日に相応しく秋晴れ。
やっさんのサイトをいじってたら、悠都が「お手紙書いたので読んでよ」と2つ折りのコピー用紙を持ってきた。

「あそばないとたたかうぞ」

そのフレーズがいたく気に入ったので、映画は取りやめにして息子とおんもへ出る事にする。
こういう時に仲間外れにされるのを嫌う妻も伴い、とりとめもなく電車に乗る。
最初は日暮里散歩でもと思っていたが、妻の反対にあい、じゃあ帝釈天にでも行くかと提案したら快諾される。じゃ、ついでにはるさんを呼び出して一緒に昼飯でもと電話をかけたら、これから仕事だと云うので(えらいっ)、久し振りにおじちゃんに逢いたい悠都のために最寄の駅で待ち伏せて、ちょっとだけ顔を合わせてから今夜の呑み会の念だけ押すと、働き者のおじちゃんと別れて、僕ら家族は柴又駅へ。意外だったが妻は柴又がはじめてだったらしく、物珍しそうに(そりゃそうだ)きょろきょろしている。

帝釈天参道から帝釈天(題経寺)境内へ。今日は寅さん記念館を外して、山本亭の立派な庭園を抜けて、休日を過ごす人で賑わう江戸川の土手で、美輪明宏の声で喋り出しそうな程巨大(で賢い)ピレネー犬たちと戯れ、遠くから矢切の渡しを眺めてから、土手に未練いっぱいの悠都を引きずって参道へ戻り、せんべいや団子を買い食いなどする。それから踏み切りを渡った先の昔なつかしめの中華屋さんでおそ昼をとる。最后に駅前で今川焼を買ってから柴又を後にする。

柴又駅前の寅さん像 みざるいわざるきかざる 帝釈天 帝釈天境内
江戸川の土手グラウンド 巨大なピレネー犬とラブラドールレトリバー。子供と比べるとその巨大さが分かるでしょ 帝釈天参道 せんべい屋さんでざらめせんべいを買う

夜、出張で一週間程上京してきたセトロさんの孤独な御霊を鎮める為に、はるさん、エノモトくんと共に池袋へ集合。PARCOで落ち合った後、「オリエンタルキッチン 東方美食城」に移動して、ジャンク・アジアンなディナーバイキング。焼き肉8種に中華料理、点心など30種を加えた全100種の食べ放題。ソフトドリンク呑み放題をつけて、100分1,980円。はるさんはそれに生ビールを追加オーダー。この晩酌王。

広い店内を行き来し、バイキングに興じる若いカップルも、隅のテーブルでぼそぼそ喋る訳ありなカップルも、陽気なあんちゃんたちのグループも、健全な中高生らしい女の子同士のグループも、みんなして交わす言語が日本語じゃない(笑)。むむう、さすがは池袋、無国籍の街。ひょっとすると日本人客の方が少数派だったり。接客スタッフも日本人と外国人が2:8くらい。一瞬、自分が日本に居るのを忘れそうになる空間である。狭いテーブルの中央にはしゃぶしゃぶ用の鍋(敷居がしてあって白湯とか辛味系と2種類のスープ)と焼肉用の鉄板が一緒になったハイブリッドな鍋(?)が据えてあって、ちょっと料理を取ってくるとすぐに「お詰め合わせください」状態と化す有様。中華は本格派というか、和風(台湾では日式と云いますね)と折り合いをつける気はさらさらなく、特に点心関係、アジアンデザートに到っては種類は確かに豊富だが、味付けに手加減というものがない。つまり好きな人にはたまらないテイストと云える訳で、たとえば台湾が好きな妻にはウケがいい気がする。

デザートと云えば、中華以外にショートケーキ系も各種準備されていたがこれが白いのも黒いのも全部バタークリーム。甘いものは別腹ったって、ここまでくどいバタークリームはちょっと反則ではないでしょうか。あと料理はなくなると、隣接した厨房からどんどん作りたての温かい料理が補充される。

東方美食城 東方美食城 東方美食城

特に崇高な目的があって集まった訳ではないので、セトロさん要望の「ウルトラ怪獣切断大百科」を渡した以外はただのヲタ話と人物月旦。バイキングというと「元を取らねば」強迫観念系の僕とエノモトくんはイニシエーションのように皿を重ね、気がついたら胃袋の警戒水位を超えている始末。元々が食の細いはるさんとマイペースなセトロさんは各々胃袋に余力を残しているらしく「さ、次の店行こうか」と僕ら食い倒れ組には殆ど拷問に近いゴー・アヘッド指示。

渋々、駅前の古めかしくも何処か仰々しい珈琲店(名前忘れた)に入って、明日は平日だってのにコーヒー一杯だけで(とは云え、そのコーヒーすら入れられない位の膨満感、たくバカである)延々とりとめのない話(ヤな客である)。23時半を廻り、さすがに終電を恐れて(明日は朝早くから会議だし)散会。


 国分寺メモリアル  2004/11/5(Fr)


日本橋方面で長い長い会議の後、後に続く懇談会(酒盛りとも云う)のおかげでどうにか延長戦を回避、17時半に慌てて東西線に飛び乗ると、中野で中央線に乗り換えて(三鷹行きに乗れば良かった)、都合45分揺られてJR国分寺駅北口に到着。容赦なく遠いぞ、国分寺。何しろもうちょっと行けば青梅、奥多摩は目の前なのだ。

今日は国分寺にあるライヴハウスの老舗モルガーナで、個人的には「最後のビッグアーティスト」TOMのスペッシャル・ライヴ。前売2000円、ワンドリンク500円の計2500円は僕にとっては夢のようなイヴェントだ。対バン付(QC)とは云え、高校時代からずっと聴いていて、実際にライヴへ行った事がなかったミュージシャンはもはや彼女しかいない僕にとって、今夜はかなりメモリアルな夜なのである。

工事中の北口ロータリーを抜けて、車道と舗道の境目のない、全く離合しにくそうな商店街を歩くこと約5分で目的のライヴハウスに辿り着く。そもそもライヴハウス自体が初体験だったりする。あ、天神の「照和」には行った事があるが、あれは英ちゃんとふらりと入って、たまたま演奏してたストリートミュージシャンな兄さんの歌を聴いただけだし(客が僕らだけだったので立つに立てなかった)今夜とは明らかに違う。何しろ国分寺だ。思いつきでふらっと立ち寄る距離じゃない。

19時開場の30分前に着いたものの、特にする事もないので地階へ続く階段の奥まった処にある店の入口前で所在なげに過ごす。ちょうど店を出た処にトイレ(ひとりぶんの個室)があるのだが、19時5分前にあろうことか当のTOMさんがトイレに来る。一瞬ぽかんとしてドアが閉じた時点でTOMさんだと思い当たる。ひどく気まずいものの(彼女だって、トイレの傍に他人に居られるのはひどくイヤだと思う)、此処で店を出るのも不自然なので敢えて動かず。本当にごめんなさい。

JR国分寺駅北口 国分寺モルガーナ Since 1982 「TOM/QC」告知板 「TOM/QC」告知板ズーム

開場19時になって入場。迷った挙句、フロアを敷き詰めた丸テーブルの最前列の中ほどの席をキープする。続けてぽつぽつ人が入り始め(客層は色んな意味で偏っている)、開演間際にはほぼ満席にまで埋まる。悠都くらいの子供や小学生あたりもパンクなおかあさんに連れて来られていたり。店で落ち合う予定のはるさんの姿はまだないが、平日の、しかも国分寺ではさすがにやむをえないか。

「TOM/QC」 於 国分寺モルガーナ

「TOMさん」では何となく感じが出ないので以下、「TOM」で表記統一する。

M1 ハッシャバイ・グッドバイ
M2 FENCE
M3 この部屋へようこそ
M4 目を閉じて
M5 PINK with 綿貫隆太(EG)& 岡田誠司(Vi)
M6 猫のように with 綿貫隆太(EG)
M7 PROMIS LAND
M8 もしもいつの日か私に息子ができたら with 綿貫隆太(AG)& 岡田誠司(Vi)
M1〜M4までは怒涛のキーボード弾き語り。
曲間も演奏は途切れず(次の曲の準備で指を離したりはしていたからプログラミングしてあったのだろう)、この間、MCは曲紹介含めて一切なし。M1は肩にかけたマウスハープがむせび泣く活躍。熱のこもったM2からは羽織っていたカーディガン(?)を脱ぎ捨てて鍛え抜いた二の腕(左腕に彫ったひまわりのタトゥー)を披露、M3からは眼鏡も外し(愛らしいのに…)「生まれついてのバラッドシンガー」の本領を発揮、若い頃からシャウトし過ぎて潰れた喉も、此処ぞという時には何処までものびやかなヴォーカル。前半の演奏は緊張の余りなのか、多少というか思いっ切りメタメタだったけど(何よりもTOMの「笑うしかない」って表情が全てを物語っていた)、それもまたライヴならではの醍醐味。ていうか、僕らはそんな彼女の一挙手一投足を「聴き」に来たのだもの。

M5からは、再始動するらしい「THE MOTHER」の綿貫隆太(ギター)、岡田誠司(バイオリン)がAdditional musician参加して「THE MOTHER」楽曲以降を。本来はベーシストである岡田さんだけに、彼のバイオリンはスリリングでのけぞりそうになる。「髪切って似合わないと落ち込んでるらしい(TOM談)」綿貫さんのギターは出しゃばらずに存在感を出すという究極のバイプレイヤー振り。M6でノリノリの彼女が自分の足許に置いた「爽健美茶」のペットボトルを蹴飛ばしてしまい、容赦なくこぼれるお茶を慌てて拾い上げる一幕も。
M7で再び珠玉のバラッドを歌い上げた後は、最后にして初めてのまともなMC。
「今日はMCは絶対にやらないと決めてたんだけど」と後ろから可愛らしいレタースタンドを取り出して「この曲だけはアンチョコがないと覚えられない」と照れ笑い。M8「もしもいつの日か私に息子ができたら」は微妙に異なる歌詞が果てしなく続く構成なので、解らないでもない。
「あと一息だぞ」とばかりに煙草に火を点けてから旨そうに煙を吐いて、演奏を仲間たちに任せた後はキーボードから解き放たれて指先に煙草を挟んだまま、全身でスウィングする屈託のない笑顔。ああ、オレはこの笑顔を見たくって国分寺まで来たんだ。

M1「ハッシャバイ・グッドバイ」歌唱中 M2「FENCE」歌唱中 M8「もしもいつの日か私に息子ができたら」歌唱中。脇にギターを抱いた隆太さんが見える ベースの代わりにヴァイオリンを抱えた岡田さん

思えば、TOM★CATの1stアルバムをテープが擦り切れるまで聴いたのはまだ18歳になるかならないかの頃で、それから此処へ辿り着く迄に更に18年の時を待たねばならなかった。妻子持ちの会社務めになった今でも「目を閉じて」を聴けば、高校の体育館の片隅でウォークマンを聴いていたあの頃に簡単に帰れる。「FENCE」を聴けば、浪人時代に下宿していた叔母さんちのベッドで深夜放送を聴いていたあの夜が瞬時に蘇る。そして彼女の歌は決してノスタルジーのせいだけでなく、21世紀を迎えた今も全く古びないで僕の胸に鋭くもあまやかに輝きを放ち続ける。それが今、此処で彼女の歌を聴いているという重さなのだ。

TOMさんは次のQCの演奏の後に、もう一回出て来て皆んなで乾杯するので待っているように、と云い残して舞台の袖に消えた。数日前の彼女の日記で「11月5日の出順、『先にやるーっ』と姫様強し。:P 私が先で、QC が後で〜す。」と告知があった時「はて?」と思ったのだが、これはきっと彼女なりのQCへの愛なのだな。勿論、僕らは彼女の愛に応えなければならない。

と、不意にTOMさんの紹介で彼女のボスである「丸鐵工房」の社長が壇上(ステージ)に登場(TOMさんにとっても予期せぬゲストだったらしい)、花嫁の父みたいに「不肖の娘だがいいオンナなので、よろしく頼みます(大意)」と親バカな愛情溢れるアイサツ。

しまいには立ち上がっての熱唱でした 「社長であるこのオレをライヴに招ばないとは(丸鐵工房の同僚2名のみ招待リストに記載されてあったらしい)今夜のチケット代はコイツの給料から天引しておきたいと思います」などという大人気ない雇い主にTOMが「期待しています」と応酬。ある意味、理想的な雇用関係ですね。

此処までで20:15。18年振りの逢瀬は45分であったか。
遅れて到着したためにそのまま立ち見していたはるさん(何と後ろ3曲しか聴けなかったらしい)を、僕が居るテーブルまで促し(店は立ち見が溢れるくらいに混んでいたが、中央最前列のテーブルには何故かまだ2席空席があった)人心地着いてもらう。

で、お次がQC(Quarter of a Century)。 メンバーは、インディーズCD製作もしている(TOM待望のソロアルバムは此処から出るらしい)橋本はじめ(ヴォーカル、ギター)、自称87歳のおじいさんキャラ(山羊のように長く、脱色した白髭が小室等的魅力)がいい味だったひづめつかさ(ギター、コーラス)、この日のために尼崎から出張ってきた(!)という藤山・ヤモリ・朋哉(ドラム、パーカッション)、そして本職はお坊さんだといういいだあきら(ベース)からなる4人の面々。

さすがにQCの楽曲リストは作成不能。尤も彼らのアルバム収録曲はサイト上に全歌詞が公開されているので丹念に読み込めば大体は判明するのかもしれない。QCは今夜初体験だったが、インディーズとは云え、各メンバーが20年前後のキャリアを誇っているらしく、演奏は完璧。歌詞や音づくりにも独特の世界を持っていて好印象。ただTOMさん45分に対して、QCが90分超(終演は21:50頃)というのはバランス的に如何なものか。確かに悪くないんだけど、TOMを聴きに来て、彼女が対バンで呼んだ(先週モルガーナに問合せの電話を入れた時、店長からそう聞いた)QCをまさか此処までたっぷり聴くことになろうとは。ましてや遅れて来てしまったはるさんの立場はどうなる。そいでもって「次が最后の曲です」って云ってからがまた長いんだ。しかもグループサウンズ(スパイダース「バン・バン・バン」タイガース「シーサイドバウンド」)まで盛り込んだ堂々20分ものメドレー大作。さすがにそれはちょっとないんじゃないかと思いました(最前列で大音量を浴び続けていたので、物理的限界に達していたという事情もある)。

途中、TOM(QCのメンバーからは「マッチョメ」と呼ばれていた)が「海月(くらげ)」に「HEY,HEY,坊や♪」コーラスで参加。

TOM「『ピンクと黒』いいねえ」
橋本は「其処(ステージ袖)から感想云われたの初めてだよ。『PINK』もなかなか良かったよ」

とか、「海月」レコーディングで彼女を呼んだ時に「少年を誘惑する大人のオンナみたいな感じで」と頼んだら「そんな今考えたようなことを云って」と突っ込まれた話とか、あと現在レコーディング中のTOMのソロ・アルバムの(彼女が自宅録音した)ヴォーカルを、橋本さんがハードディスク抱えてえっちらおっちら吸い上げに行ったら、普段アウトに使った事のないらしいケーブルのプラグインがこの世のものとは思えないくらい錆び付いていて(穴のかたちが変わっていた)接点復活剤でも効かずに紙やすりでせっせと削り取って事なきを得た話とか、オモシロ裏話多数。

しっかし「小さなおばさん」とか「大きな…声の、おねえさん」とか、TOMさん、さんざんな愛されようですね。けれど最后に橋本さんが「来年には必ず(TOMのソロアルバム)出しますんで」と力強く約束してくれたので長かったのも全てよしとしよう。実際のニューアルバムのサウンド面を支える頼もしいミュージシャンたちでもあるんだし。

「お好み焼 一番星」 で、QCのライヴが終わったものの、肝腎の「乾杯」がなかなか始まらずにミュージシャンもオーディエンスもまったりと進行しているので(TOMもカウンターに程近い背の高いテーブルで女性客と談笑中)、打ち上げ参加も予定していない身としては、この後の時間もあるので泣く泣く退出。せめて、サインか握手だけでも求めれば良かったかもしれない──でも、それはこの次までとっておこう。まさか18年後という訳でもあるまい。

何しろ国分寺なので、一旦東京まで戻る案も出すが、結局国分寺北口界隈の「お好み焼 一番星」でじゃがバターに牛肉入り、豚肉入りお好み焼をじゅうじゅう焼きつつ、はるさんと何だかんだあーだこーだと四方山話。実は明日の夕方、ラフォーレ琵琶湖のプラネタリウムで種ともこのミニライヴがある。はるさんを今夜のライヴに誘った時「行かない?」と誘われ返しを受けたのだが、いくらオレでも滋賀に一泊する勇気は…という事でパスしたのだった。でも独身だったら迷わずに行ってたな、とか。「星のお兄さんによる爆笑プラネタリウム解説」結構、魅力的だし。

そんなこんなで結局、国分寺を出たのは23時過ぎ。
神田ではるさんと別れ、木場駅に辿り着いたのは0時半近く。
魔が差したか、ついつい「朝まで生テレビ」を最后まで観てしまう。

処で僕らが帰った後のTOM&ファンの集いでは、アコギで「A GOOD DAY」を歌ったり(「パンツの中までぐしょ濡れ…bull shit!」て、聴きたかったよお)、皆んなで「ふられ気分でRock'n'Roll」を大合唱したりと、色々盛り上がったらしい。──何とも羨ましい話だな、おい(半ベソ)。


 丸の内オアゾ潜入  2004/11/6(Sa)


昨夜観た「朝まで生テレビ」が祟って、午前中復調出来ず。
未見の映画もたまっているし、上京中のセトロさんからは「大(Oh!)水木しげる」展にも誘われていたが、此処はマターリ進行で家族と過ごす事にする。

「丸の内オアゾ」 天井を見上げると日本じゃない気がする、全く 思いあぐねた挙句、こないだオープンしたものの、うちゃらかしたままだった「丸の内オアゾ」見物へ(主に「丸善・丸の内本店」だけどな)。実際に出かけてみて、東西線「大手町」の中央改札口ほぼ直通という、死ぬほどウチの会社からのアクセスがいい事を今更思い知る(妻はてっきり僕が立ち読みに通っていると思っていたようだ)。如何に普段、定例コースしか辿っていないかの証左な訳だが、これでは余りにも冒険心が足りない、と一瞬反省しかけて、そもそも「オアゾ」を知らなくても、生活に困らないくらい充実した環境だった訳で、其処にこれでもかと更なる付加価値を投下された気分。所謂、2003年問題というヤツか。このあと更に2005年問題、2007年問題、2010年問題とどれがどれだか分からん「200X年問題」群が押し寄せる訳だが、2005年問題は東京永住にならない限り、余り問題にはならないな。ああ、2000年問題の頃が懐かしい(苦しかったけど)。

とりわけB1Fのオアゾショップ&レストラン街の充実振りは素晴らしい。
オフィス街を意識してか、テイクアウト&リーズナブル価格なショップが満載である。しかし、まさか「ピエトロパスタ ミオミオ」まで出店しているとは。これでまたひとつ福岡ならではのお店がなくなった(いや、東京在住者には嬉しい限りなのだが)。

「MARUZEN」もバカっ広くて、すぐには全貌が掴めない感じ(これで当分、新宿三越のジュンク堂には行く必要ないな)。悠都がいたので主に2Fの雑誌〜新刊フロアをうろちょろして(それでもとても全部は網羅しきれなかった)懸案だった「笑芸人 VOL.15 笑う演劇」を購入。ビジュアル誌でもないのに雑誌で2400円は大きく出たものだが、付録CD(演劇特選音源)にの三谷幸喜「オケピ!(初演)」前説が入っているとあってはどうあっても手に入れねばなるまい。しかし、三谷さんもよくOKしたね。

屏南(ピンナン) 屏南(ピンナン) 軽く遅昼をとろうという事でB1Fに戻って「屏南(ピンナン)」
此処はわんたんとおかゆメインの店。福建省にある「屏南」という町には実際にわんたん専門店が多いらしく、現地レシピを日本で再現したというのが此処の売りであるらしい。
丁度ティータイムだったので、妻は「デザート粥と中国茶セット」から「三色豆粥と中国茶のセット」(800円)をピックアップ。セットは各種メニューを吟味・チョイス出来るが、彼女が選んだのは以下の3品。
・三色豆粥(湯)
・黒ゴマ白ゴマのアイスクリーム
・鉄観音
スタッフが「このお粥は甘いので」といちいち念を押す処を見ると、さてはデザート粥を口にして噴き出したお客が多数居たのだろうか。僕はコースはやめて単品の中国粥「じゃこと高菜(唐辛子風味)」(600円)に「あんまん(バナナ入り)」(300円)を、そして悠都には「揚げパン(練乳添え)」(300円)をオーダー。

隣のテーブルに見たような女性が座ったので誰かと思ったらユーザーのMさん。
お互いとても恐縮する。それにしてもきっと賑やかな家族だと思われたのは想像に難くない。

「屏南(ピンナン)」厨房 三色豆粥(湯);砂糖系というかあんこ系の甘さ 黒ゴマ白ゴマのアイスクリーム;彩りといい味といいバッチリ 鉄観音;茶葉がなかなか沈みません
「屏南(ピンナン)」店内 じゃこと高菜(唐辛子風味);付け合せも油条にザーザイにと程好く本場系 あんまん(バナナ入り);想像以上にくどくない 揚げパン(練乳添え)

此処のお茶は、ガラスの器に茶葉を入れてそのまま熱湯を注いだものを呑むというスタイルで、スタッフの話だと時間がたって茶葉が開けば自然に重みでグラスの底に沈むという事だったが(実際、隣のMさんの清明茶はそうなっていた)、妻の頼んだ鉄観音は茶葉の撥水性が強かったか(な訳ねえよ)、いつまで経っても茶葉が浮かんだまま、お茶をいただこうとすると茶葉が口の周りを纏わりつくという池の鯉状態になるのだった(業を煮やした彼女はついに茶葉を外に水揚げしていた)。それを除けば、粥も美味しく、サイドメニューもそれぞれ美味しく、この次は「蜂蜜付きのマントウ」「福建わんたん」だ、などと家族共々次回来店の夢を膨らませるのであった。

帰りは門前仲町で降りて、スーパーで夕食用の買い物をしてから帰宅。


 皇居外苑散歩  2004/11/7(Su)


土曜に引続き、晴天。
余りに天気がいいので、今日も映画をスルーして悠都とふたり散歩に出かける。
とりあえず東西線で大手町に出て、丸の内オアゾ経由で皇居外苑へ。

外苑はいつも遠目から眺めるばかりだったので、お濠沿いを歩いて和田倉噴水公園で暫く悠都を遊ばせる。
元々は平成天皇の成婚を記念して作られ、更に現皇太子の成婚を機にリニューアルされたもの。休みと晴天が重なったからか家族連れが多い。噴水群の脇には小洒落たレストランがあって(「和田倉休憩所」、またの名を「和田倉噴水公園レストラン」と云う)全席から噴水が見えるのが売りらしい。あとで調べると、ランチは洋食バイキング(1200円)、折角だから試せば良かったかもしれない(処で此処はやはり国営なのだろうか)。

和田倉噴水公園 和田倉噴水公園 天気がいいので虹が出た。悠都、大はしゃぎ 銀杏並木から東京駅を望む

噴水公園の名に違わず、沢山の噴水と、滝壷になったり霧状になったりとバリエーションも豊富でいつまで居ても飽きない(特に悠都が)。話によると夜はライトアップされて夜景の美味しいフレンチレストランになるらしい。ファミリーを軸に動いている限り、当分縁のなさそうなデートスポットである。
名残惜しそうな悠都を引きずって、クロマツに縁取られた広大な緑の芝生を暫く散歩して、楠正成銅像脇のトイレで用を足してから、四阿(あずまや)売店をスルーしてすっかり黄色く色づいた銀杏並木を歩く。抜けた先には赤煉瓦づくりの東京駅の全景。なかなか絵になる風景である。

「帰りはバスに乗りたい」と悠都にせがまれ、東京駅北口から我が家方面直行便の都営バスにて帰宅。
たまにはこういうのんびりした休日もいいなあ。すぐ飽きるけど。


 デビルマンまつり  2004/11/10(We)


かの「映画 デビルマン」今週末で公開が終わってしまうというので駆け込み観賞 (殆ど物見遊山モード)。
セトロさん、これで映画モノとしての義務は果たしたぞ(え?)。

殊此処に至って客の入りは4割くらいとこの時期にしては盛況の部類。
しかもその半分は「デビルマンまつり」に釣られて来たオタク臭の強い背広姿。
皆わいわいがやがやとネットで話題になっていた各ディテールをおさらい中なのが聞こえてくる。
出来はどうあれ、最后は話題になったもん勝ちだよなあ。

「デビルマン(2004・日/那須博之)」 109シネマズ木場
原作漫画の実写化不可能性を見事、実証してみせた作品。
別名「云わんこっちゃない…」とも云う。

尤もこんな原作破壊映画はこれまでだって洋邦問わず無数に作られてきた訳で、仕上がりのひどさにしても少なくとも空前ではないし、おそらく絶後にもならないと思う(決してひどくないと云っている訳ではない)。ただ「映画デビルマン」が凡百のトンデモ大作(語法が妙なのは承知の上で使用している)として生まれるには時代(或いはタイミング)が悪過ぎた。ひとつはピーター・ジャクソン「ロード・オブ・ザ・リング」という未曾有の原作映画化プロジェクトを成功させた事で観客の目が肥えてしまったこと。そしてふたつめは観客の大多数たるサイレントマジョリティがネット勢力として猛威を振るう時代に突入してしまったことだ。おかげで「映画デビルマン」はその悪行をひっそりとフェイドアウトする術を失い、おそらく日本映画史に残る「事件」となった。

特にネットの台頭は「デビルマンまつり」とも云うべき騒ぎを同時多発させた。
(詳しくは「山本弘のSF秘密基地」内の労作「アンチ『デビルマン』リンク」を参照)
心底怒りを表明する原作ファン、映画ファン、そして「まつり」好きな者(これが意外と莫迦にならない。間違いなく映画の動員にある程度貢献している)。その狂騒振りは(傍から見ていると)殆ど悪魔狩りの様相を呈してさえいる。これは妄想だが、2ちゃんのアンチスレを覗いた(本当に覗いたら憤死すると思う)那須夫妻の心境は、まさにデーモン狩りが押し寄せた時の牧村夫妻(宇崎竜童阿木燿子)のそれだったと思う(さすがに夫婦仲良くスレを読み乍ら「あなた、浮気したことがある?」と訊ねたりはしていないと思うが)。

各メディアに出たインタビューを読む限りは(本心かどうかは別にして)ご夫妻は「映画デビルマン」の出来に自信満々である。アンチが「ダメ抽出」をしたのと同じ数だけ製作側はチャームポイントを数え上げて本作を公開したのだ。そもそも二者の間では視点のベクトルが違う。まして出来の悪い子ほど可愛いというではないか。今回の「デビルマンまつり」が彼らの夫唱婦随のチームワークを打ち砕くくらいならそもそも映画を公開に踏み切ったりはしない(本当は諸般の事情はあるけど…)。
誤解を恐れずに書かせてもらえば、これが製作サイドにとっては(今出せる)ベストの「映画デビルマン」なのだ。

原作者である永井豪御大が公的に苦言を呈さないのも、彼自身がこれまで原作映像化の度に傷つき疲れいつのまにか傷に対する耐性が出来てしまった(今回、神父役で出演したのは色々な意味に於いて「深い」)のと同時に、10億円規模で実写化されたこの「里子に出した子供」が、そのブサイクさまで含めてやはり可愛いからだ(思えば、先生の原作映像化作品へのカメオ出演率が高いのもそれが理由な気がする)。殺人鬼の親は決して被害者と一緒になって子供を叩いたりしない。広義に於いて製作サイドの内側にいる原作者と原作ファンとでは「映画デビルマン」への想いにこれだけ深い溝がある。

で、ぶっちゃけた話をすれば、かつて原作は読んだもののそれ程原作に肩入れしておらず、且つ「デビルマンまつり」の後半戦に「目撃」目的で映画を観た人間としては、正直「まつり」に乗り遅れた感が強い。アンチ大号令を前にすると「そこまで熱く叩かなくても…」と腰が引けちゃったりしている。だって各論はあるかもしれないが、つまりはこれまで邦画界が営々と築き上げてきた普通のダメ映画のひとつじゃん。意外に10年経って観たら味かもよ(勿論、珍味だけど)、と思ってあげちゃったりもするのだ。勿論、「映画デビルマン」を擁護するつもりはさらさらない。色々語りたくなる映画なのは確かだからね。
一般的な客にとっては「映画デビルマン」最大の癌がキャスティング・ミス。

特に不動明を演った伊崎央登(まだ飛鳥了を演じた伊崎右典と役を入れ替えるだけでも多少は効果があったんじゃないか、と埒もない事を夢想してみたり)。ポイントは「すみません」「あー」(観てないひとには何の事だか)。特に牧村のおじさんと稲刈りしてる時の最初の「あー」は財布を忘れてきたのに気付いたかのようなのどかさ。いっそあれが本作のウリと云えなくもないくらいだ。演出側の意図として精神的な双生児性を出す為に、実際に一卵性双生児の俳優(しかもイケメン顔)を使いたかったという事でFLAMEに落ち着いたんだろう位は分からなくもないが、結果的には肉を斬らせて骨まで絶たれた感じ。実際、幼少期の彼らも双子の子役が演じているんだが、ゴーレムみたいな了のヅラの記号性の方が強く出て、本物の双子を使った意味がどれだけあったものか。狂言回しならともかく、劇画調な喜怒哀楽を必要とする主人公にFLAMEを宛てたのはやっぱり無謀。ちょっと小劇場を廻れば、無名だけどイケメン且つ彼らの5万倍演技が達者な若人がうようよしているんだが。

あと、伊崎兄弟がチンピラ顔なのはまだしも、更にレディース顔の酒井彩名を配してしまう失策は?の嵐。ある意味彼女に非はないが、拒食症寸前に細い手足はどうしても健全なヒロインとは極北にある(演技はビギナーなりに頑張っていた)。こうなったら全篇、ミーコ(渋谷飛鳥)とススムくん(染谷将太)のエピソードだけで進めて欲しかった位だ。無理だけど。

シレーヌ(冨永愛)は殺陣のパートだけでも本人の声を使わないで欲しかった…。

大作感を出すべく配置された「ゴジラ2000」並みの無意味なカメオ出演は「おまつり」なんで、とやかく云わない。悪魔狩りで、鳥肌実を密告してほくそ笑むモロ師岡なんてシュールでいいじゃないですか。ただKONISHIKIがノーメイクで出てきてデーモンでございというのは、あんまりだと思ったけど。それから悪名高い「地獄堂霊界通信(1996)」に続けて本田博太郎が今回も身体張ってます、別の意味で。ま、佐藤純彌監督の「北京原人 Who are you?(1997)」の体当たり演技をやってしまった後にはデーモン化した飛鳥教授など大した苦難ではないのかもしれないが。ストーカーを怪演した大沢樹生と合わせて、最も大切にしていかなければいけない役者のひとりであることを各自胸に刻むように。ボブ・サップ小林幸子の件はスルーしておきましょう。

そしてT-VISUAL。
公式サイトによるとモーションキャプチャーの排除してアニメ本来の動きの面白さを伝えることが狙いだったそうだが(結局、東映アニメーションも落とし処を探していたんでしょうか)、結論から云えば、仕上がりは林家しん平監督「駕瞑羅4・真実」レベル。勿論、これは決して「駕瞑羅4」のCGを貶めるものではない。

自主製作にして「映画デビルマン」レベルのCGを実現。
しかも、かの作品にうーんと先んじて。

となれば、ほーら、これは立派な喧伝になるじゃない。

この映画にもいい「絵」はいっぱいあったと思うんだよ。
牧村夫妻が暴徒に襲われるのをうごめく懐中電灯で表現した処とか。
マンションの中庭のブランコで揺れるミーコとススムくんとか。
ただそれらが「焼け石に水」で終わっただけのことで。

──さて、結局「映画デビルマン」は庇護るにたるべき存在なのか。

その結論は、僕らの心の中に在る(えーっ)明と了の手に委ねたい。
但しそのふたりは伊崎兄弟とは完全にアカの他人である事が不可欠だが。
追記(2004/11/18):
(1)ススムくんのおかあさんで出演の洞口依子ががん闘病を告白。大好きな女優さんなので早期全快を祈願したい。

(2)本作出演はないが、FLAMEのメンバー金子恭平が脱退。FLAME自体よく知らないので脱退自体には全く感慨がないのだが、気になるのはこれが実は映画の余波なんじゃないかという事。「おまえ『あー』の仲間だろ、『あー』の」とか。これを云われたらどんなに強靭な精神の持ち主でも世を儚むと思う。


 塩の街  2004/11/13(Sa)


午前中はさっちゃんと手分けして「なにわバタフライ」のPARCO先行予約にかかりきり。尤もインターネット抽選なので、結果が分かるのは来週。
何だかあちこち玉砕した挙句、結局は当日券狙いで並んでしまう、そんなイヤンな予感。

有川浩「塩の街―wish on my precious」(電撃文庫)読了。

元はと云えば、大森望さんが彼女の二作目「空の中」(メディアワークス)を「狂乱西葛西日記」で大絶賛していたので、まずは試験的にお求め易い処女作から読み始めたのだが、おぢさんでも抵抗なく物語にひきこんでくれるラノベなんで久々に「出逢っちゃった」感じ。新井素子らを代表とする80年代ラノベ(当時は「ライト・ノベル」なる言葉がなかった訳だが)・ルネッサンスというか。世界中のひとびとが原因不明のまま塩の塊になっていく「塩害」の設定と対策も、まずはつるつるっと受け入れられるし、二手先三手先まで相手を慮る「大人」な態度を誇示する(説明過剰さ故の)こっぱずかしさもきわめて許容範囲だし(それでも例えば新井素子センセイのそれに比べれば5万倍は奥床しいと思われ)、しかも当時その手法にはまった人間からすると今の若い世代に向けてはかなり有効な手法なんじゃないかな。秋庭と真奈、というキャラの置き方は確かに常套だし、特にお人形キャラとして優等生過ぎる真奈は最初のうち読んでいて辛かったけれど、立川に拉致されて頑固一徹キャラを全面に押し出したあたりから彼女の正攻法はすべて許容出来たし、いささか自衛隊の基礎知識がありすぎる事を除けば(これは作家本人の問題ですね・笑)、まったくおぢさんにとって喉越しの良い終末アトベンチャーなのだった(きっと「ラノベ」としては傍流に位置するんだろーなー)。これなら続篇もありだと思う。

特に最初の2話は塩害をテーマにした連作短篇の趣きで、そういう意味でも新井素子「ひとめあなたに」を彷彿とさせたんだけど、慾を云えば、そうして考え抜かれた連作短篇を並べることで物語が成立させられたらもっと凄かったのに。て、これは処女作だからなー。
でもデビューして2作目がいきなりハードカヴァーに推挙されたのも、このひとなら解る気がする。このひとには所謂、骨組みとしての世界を構築する力と、それを豊かに肉付けする物語力があるもの。という訳で、2作目購入決定。

先週の土曜に「来週はすきやきしようよ」と妻に云っておいたら、白菜の特売1/2カット(100円)を2つと牛肉の特売300g(188円/100g)を3パックという凄い投売りなのを探してきて、見事廉価でこの冬最初のすきやき鍋を囲む事が出来る。いやん、主婦の鑑。

そして二晩続けて、家族して「Dr.コトー診療所2004」に涙するのだった。
番組開始直前に親父が来週退院出来るとハハから電話がある。ウチの両親(ハハは親父に付き添って病院に寝泊り)は共にこの番組のファンなので、今回のスペシャル放映はかなり口惜しそう(昨日、次妹に聴いて知ったらしい)。「あなた、ビデオ録ってなあい?」って真剣に訊かれるが、ウチはもはやHD録画ですから(昨夜「金八」とかぶったので録画しなかった)。でも、今回の話、ウチの両親には身につまされすぎだから、いっそ観ない方が幸せかもしれない。


 ユートピア  2004/11/14(Su)


2週続けて、週末に映画へ出かけなかったら、妻に心配されてしまう。
彼女の心遣いは大変にありがたいのだけど、そのう、ベクトルがひどく一般的ではない気がする。
勿論、その原因の120%は夫にある訳だが、妻に余り心配をかけてもアレなので(?)昼から渋谷に出て厳選した1本を観る。
ていうか未見作が多すぎてどれから手をつけたらよいものか「ぴあ」を睨んだまま、四六の蝦蟇のように動けなくなっていたら「じゃあたしが決めてあげる。渋谷、行きなさい、渋谷」と妻に背中を押されて渋谷へ向かう。──たまにはそういうのもいいかもしんない。

「ユートピア UTOPIA (2003・西仏/マリオ・レプール)」 シネセゾン渋谷
あー、一応断っておくと「西仏」とあるのはスペイン・フランス合作という意味である。

「ユートピア(2003・西仏)」 その昔夢中になった石ノ森章太郎的ダークヒーローSFを思い出させてくれる、ヨーロピアン・テイストのスリラー・ノワール。キタノ・ブルーも逃げ出す徹底的に青みがかった色調は、劇中、アドリアン(レオナルド・スバラグリア)の予知夢シーンとして多用されるハレーションとも相俟って「フィルム、ひょっとして傷んでない?」と心配する(要はクドい)程過剰なのだが、好きなひとにはたまらない風合い。ハリウッドの向こうを張って娯楽作品を粗製濫造する前のリュック・ベッソンが丁度こんな映画を量産してくれてた気がする。尤も、昔の彼は娯楽映画としての予定調和を極度に嫌っていたけれど。

誰かの不幸を感知しても「未来は変えられない」呪縛故に、予知夢という名の悪夢に苛まれるアドリアン(未来視する度にストレス性の鼻血に襲われる)。彼の親代わりであるサムエル(エクトル・アルテリオ)によって予知能力者集団「ユートピア」に属し乍らも苦悩の日々を送る。そんな彼の悪夢にたびたび現われる女性アンヘラ(ナイワ・ニムリ)はカルト集団ゲリラ《ジャガー》に拉致され、今ではマインド・コントロールによって彼らと行動を共にしていた。彼女の辿る末路を防ぐ為、生命の危険を顧みず単身、《ジャガー》に近づく。しかしアドリアンとは別ルートでアンヘラ救出に動く盲目の刑事のエルヴェ(チェッキー・カリョ)はかつてアドリアンによる自爆事件警告直後に妻子と視力を失うという壮絶な過去を持っていた。そしてエルヴェを密かに慕う彼のパートナー、ユリエ(エマ・ビララサウ)。

アドリアンとアンヘラはまんまと《ジャガー》脱出に成功するが、彼らを追う《ジャガー》リーダー(ジョゼ・ガルシア)、そしてエルヴェたちが三つ巴となって、古(いにしえ)の学術都市サラマンカにある「ユートピア」の本拠地に引き寄せられていく。愛を育み乍らも窮地に陥るアドリアンたち。しかし、それも全てはサムエルの或る「企て」によるものだった──。

絵づくりこそスタイリッシュだが、その実、物語自体は非常にシンプルだと思う。要するに、これはアドリアンが自身にとって重荷でしかない超能力(此処では「恋人の死」と解り易く置き換えられている)を乗り越える事が出来るのか、というお話なのである(この映画の重要なガジェットのひとつに「壁一面に貼られた被験者の写真」というのがあるのだが、この映画のひっくり返し方がまたなかなか小気味いいんだ)。幾つかの目を覆うような不幸なエピソードに彩られ、それらに寄り添うように縛られたエルヴェたちの最期も全く報われないけれど、この映画は決して恋人たちの未来を否定したりしない。いささか青臭くなくもないが、強い気持ちがあれば、未来は変え得るものだと本作はうそぶいてみせる。尤も、これは予知能力を持つ「ユートピア」の誰もが通り過ぎなければならないイニシエーションだったのだと云い切ってしまった方が、ノワールとしては綺麗な着地かもしれない。

と云う訳で、北九州@N嶋さんには是非オススメしたい1本。
「Coo」のかぼちゃのプリン。いちいち断るまでもなく美味しい 2本目を観るには余りにも半端な時間だったので(それが真相)「BOOK 1st」で散々物色した後、結局、最初から買う気でいた有川浩「空の中」(メディアワークス)のみ購入。妻に「もうすぐ帰る」と電話してから1時間経っていたので慌てて店を出る。

渋谷の路上には物売りが溢れているのだが、何気なく通り過ぎたワゴンセールのワゴンの上の字句「REGAL DRUG」が「合法ドラック」の事だと気付いて、思わず息を呑む。わざわざ引き返しはしなかったものの、そう云えばマツキヨの店先で普通にありそうなワゴンの上にはカラフルなシャンプー・リンスの袋詰めのお試しセットみたいなのが並んでいた気がする。往来(「渋谷109」前)で「合法ドラッグ」なる看板を掲げる行為そのものがおぢさんの常識とは既に10億光年離れている訳で、改めて渋谷という街の怖さに背筋が寒くなる。半蔵門線に続く旭屋書店の地階踊り場では、若いカップルがかなり激しい修羅場の真っ最中だった(男の怒号と共に、下り階段いっぱいに女のバックの中身がぶちまけられていた)。折角の日曜の夜なのにタイヘンですなあ。

「Coo」にて、かぼちゃのプリンを買って帰宅。満面笑顔の息子が大慌てで走ってくる。
テレ東「完成!ドリームハウス」に出てきた「手打ち蕎麦 銀杏」の件で、暫し持ち切りになる。


 80デイズ  2004/11/19(Fr)


ヨーカドーのクリスマス ヨーカドーのクリスマス 油断していたら、また日記が溜まってきた。
このぶんだと年内に台湾旅行記を書くのはほぼ絶望的(というかそもそも書かない気がしてきた)。
まずは映画の感想を短く詰めるべきなのだが、これが一旦書き始めると莫迦みたいに長くなっていく。
──いや、頑張って詰めよう。ツラいのは他ならぬオレなんだから。

週末吉例(でもないが)のレイトショウ、のその前に明日、息子と観る予定の「ハウル」の前売をゲットするのに、小雨のぱらつく中をえらく遠回りをしてしまう。109シネマズ・チケット売り場(前売発売は公開日6日前に終了)→セブンイレブン(チケぴには高額リザーブシートのみ。しかもPコード直打ち、っておい)→サンクス(対象外)→ローソン(ようやくゲット。ジブリ作品はローソンでしょ、と突っ込まれれば確かに仰せの通り)→109シネマズ・チケット売り場で明日の初回(8:30)予約。ちょっとした小旅行にぐったり。だから「80デイズ」を選んだというのはウソである。近頃悲しい事に、成龍映画はどんなに大作系でも足が早いので、観られる時に観ておかねばならないのだ。

「80デイズ AROUND THE WORLD IN 80 DAYS (2004・米/フランク・コラチ)」 109シネマズ木場
元来、成龍映画は「おまつり」度が高いのだが(此処で云う「おまつり」とは「映画デビルマン」周辺を賑わせたアレではなく、純粋に娯楽大作を意味する)、本作は成龍映画らしい派手なアクションとコメディに加えて、本作は世界各国ロケ、大勢のセレブ・カメオ、そしてお色気は控えめと、あきらかにファミリー向けに作られた娯楽超大作である(ふと脳裏をよぎったのは「キャノンボール」シリーズだ。あ、勿論「3」は除く)。本来、正月か夏休みに大々的に公開されるべき処を、こんな半端な時期に公開されるのは(米国では6月)何かの悪い冗談か、或いは世間はもはやオールスター的な娯楽を求めてはいないという事か。勿論、日本でも客足は悪く、館数も微々たるものだ。

「80デイズ(2004・米)」 のっけからセレブ・カメオの話で恐縮だが、何しろエンドクレジットは with キャシー・ベイツ(ビクトリア女王)に、and アーノルド・シュワルツェネッガー(ハピ王子)である。現 カリフォルニア州知事であるシュワちゃん(今の処は)最后の映画出演が本作のトルコの筋肉バカ王子なのである。終盤のロンドンで出て来る老巡査(ジョン・クリース)の出番は往年の「空飛ぶモンティ・パイソン」を彷彿とさせるおとぼけぶりだし(おそらく監督の趣味である)、香港勢もサモ・ハン(ウォン・フェイフォン)、カレン・モク(ファン将軍)、ダニエル・ウー(パク・メイ)と、感激の余り、座り小便してしまいそうな布陣だ(確かにハリウッドでの知名度はないかもしれんが)。駄目なのか、こんなんじゃ全然駄目なのか。

世界に満遍なく点在する10ヶ国余に渡るロケも、それらをつなぐクリスチャン・ラッセンが描きそうな極彩色な街並のCGも、フィックス警部補(ユエン・ブレムナー)の「泣きっ面にハチ」も、そして勿論、パスパルトゥー(ジャッキー・チェン)の愉快で無謀なスタントもフィリアス・フォッグ(スティーヴ・クーガン)の莫迦々々しい発明品の数々も、そしてジム・ブロードベントの憎々しげな敵役振り、食いちぎられた乳首を再建する為なら愛船を壊すことも厭わない船長(マーク・アディ)の心意気も、友情とロマンス一杯のアドベンチャーも、みんなみんな駄目なのか。

はっきり云って「ああ、面白かった」なだけな映画だし、成龍作品として観た場合のユルさは否めないが、なーに、元々「娯楽超大作」なるジャンルはそういうものだ(むしろこの手の映画にしてはエッジが立ち過ぎている位だ)。僕としては、由緒正しきオールスター娯楽超大作を目指した、今となっては稀有な野心(プロジェクト)こそを買いたい。こういう映画こそお客が入って欲しい。唯一文句をつける処があるとすれば、成龍映画のくせにエンドロールからNGシーンを排除した処くらいだ(尤もこれはかなりポイントが低い。この点だけはフランク・コラチに猛省を促したい)。

という訳で、スタンダードな「娯楽超大作」を愛するひとは迷わず観るべし。
映画が終わって外に出ると雨もやんでいて、ヨーカドーの公園もすっかりクリスマス仕様になっている。
電飾のツリーに、お星様に、トナカイが夜の寂黙(脇を高速が走っているが)に瞬いている中を歩くのは気分がいい。
あー、悠都をつれてきたら喜ぶだろーなーと確信し乍ら、家路を急ぐ。


 ハウルの動く城  2004/11/20(Sa)その1


今日は妻がYさんとサントリーホールへ

「大和證券SMBCスペシャル
 サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団来日公演
 新潟県中越地震被災者支援
 チャリティー公開リハーサル
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団および指揮者サイモン・ラトルが、
 新潟県中越地震の被災者への支援を募るために、
 11月20日サントリーホールにて行うリハーサルを公開し収益金の全額を、
 日本赤十字社を通じ新潟県中越地震の被災者に寄付します。」


という志は立派だが、やたら長くてくどい名前の公開リハーサルを聴きに行くので(リハーサルとは云え、ベルリンフィルを5000円で聴けるのは破格の大盤振舞らしい)、ただ留守番をするのも芸がないと悠都を「ハウル」へ連れて行く(前売券の話は昨日書いた)。彼が映画館で映画を観るのは「ファインディング・ニモ」以来ほぼ1年振り。息子は前回サメのブルースが空腹の余り逆上したシーンで怖くなって帰ろうとした前科があるので(泣かなかっただけ頑張った)、実は今回もおっかなびっくりな部分があるものの、まあこれも訓練だ。

初回8:30はちと乱暴だったが、いつもは8時を過ぎてもくーかー寝ている悠都が耳許で「ハウル」と囁いただけで飛び起きてふらふらになり乍らもパジャマを脱ぎ出すあたりにジブリの底力を思い知る。妻より先に家を出て、開場30分前に映画館へ前乗りし、ひとまず口封じの為にアイスクリームとポップコーン(いずれもタダ券)を与えて静かにさせる…つもりが盛り上がって雄弁にさせてしまう(駄目じゃん)。客席の入りは朝の早さもあって4割程度だったが、座席は斜面になっているのだが、前に人が座ると悠都の座高では画面を大きく遮ってしまうので慌てて補助シートを装着。居心地は悪そうだったが、お蔭でヤツから「前が見えない」等のクレームは出なかった。元々椅子に座る姿勢の悪いヤツなので映画の後半はあちこち動き回ってヒヤヒヤさせられたが、少なくとも他のお客さんへ迷惑はかけなかったと思う。うー、やれやれ。

「ハウルの動く城(2004・日/宮崎駿)」 109シネマズ木場
ダイアナ・ウィン・ジョーンズの原作(しかも未完)を読んでいないので(実はウチにあるにはある)、どれほどの宮崎アレンジが施されたかは定かではないが、僕は巷であれこれ云われている程面白くないとは思わない。確かにこの世界で行われている戦争というものの背景が見えず、王室つき魔法使いサリマン(加藤治子)の一存で「戦争をやめる」(或いは彼女がそう決意表明して、実行してみせただけなのかもしれないが)発言には違和感を覚えたのだけど、これは実体が不明瞭なのに事態だけが深刻化している、イラク戦争になぞらえた寓意を感じるし、ソフィー(倍賞千恵子)が時空を超えて、ハウル(木村拓哉)とカルシファー(我修院達也)の契約の場に出くわしてしまうタイム・パラドキシカルな「ご都合主義」に、必然が見つからなくても(尤も、単に僕が気付けていないだけかもしれないが)、その運命のメビウスの輪こそがこの魔法世界には相応しい気もする。そもそもこの映画は「世界」を描く事に執着していない。だから予告篇に惹かれて「世界」を観に来た観客は肩透かしを食らわされる。

物語冒頭のソフィーは確かに不幸に映るが、荒地の魔女の呪いによる老婆の試練という最大の逆風を受ける事で、逆説的に強く逞しくなる(ソフィーが心理状態に応じて若返ったり老けこんだりするメカニズム(法則)だけは誰かに解明して欲しい。首の皮一枚を残した処で敢えて肝腎な正解を提示しない処が狡猾なミヤさんらしい…とこれは勿論褒めている)。この物語では主要な登場人物が、皆んなして負のメタモルフォーゼを惹き起こす(惹き起こしている)のだが、異形のものたちが、容色(或いは年齢)に囚われず、愛を育み、家族を形成していく有様、そしてプロセスこそが本作のテーマなのかもしれない。人間よりも異形のものに思い入れを深く置くあたり、これまでと少しも変わらぬミヤさんが居る。

何にせよ、本作は楽しい。底知れぬ恐怖を湛えていた荒地の魔女(美輪明宏が好演)も王に謁見するあたりからその愛らしさが炸裂するし(つまり「老い」を肯定的に捉えているのだな)、爺ィ振ったマルクル(神木隆之介が好演)の愛らしさは云うまでもない。動く城、オーニソプター、どこでもドア始め、いつも乍ら考え抜かれたガジェットには事欠かないし、宮崎作品の中でもオモチャひっくり返し度の強い一本だと思う。「老い」なるものを描き乍ら、辛気臭くなく、反面生臭くなく、これだけのエンタテインメントを紡いでみせるミヤさんはやはり偉大である。少なくともあっという間に息子の心にカルシファーとマルクル老人Ver.は棲みついてしまったぞ。

ひとまず、原作本でも読んでみるかな。
天気がいいので、青空の下、ヨーカドーのベンチでおにぎりなど食べる。悠都に電飾が見せてやれないのが残念。
昼過ぎに帰宅、妻から銀座に出てこないかとメールが来るが「ゆっくり楽しんでおいて」と答えて、少し悠都と昼寝する。

この項、続く。


 たまもの  2004/11/20(Sa)その2


妻が帰宅した後、夜まで待って、クリスマス・ムード真っ盛りの渋谷に出てユーロスペースで「たまもの(2004・日)」の初日レイトショウ。
て、朝観た「ハウル」との落差がまたすんばらしいじゃあーりませんか。

お目当てのひとつは勿論、初日舞台挨拶。
この映画、出自がピンク映画だけあって、付加価値をつけるべく本作は舞台挨拶が満載なのだが、初日の今宵は「☆林由美香、欠席裁判トーク。あの時、現場で何が起こったか。」。残念乍ら、肝腎の林由美香さんが居ないのだが、これは彼女のプライベートのイタリア旅行が本作公開前から入っていた事による。その代わりかどうかは知らないが、いまおかしんじ監督と彼女以外の出演者である吉岡睦雄(良男)、華沢レモン(郁美)、佐藤宏(ボウリングのボウル)、川瀬陽太(良男の同僚)が大挙出席というプレミアム・ナイトになった。

尤も、いまおか監督以下、皆さんコチコチに緊張していて全然トークにならない。
確かに裸になる度胸と観客の前に立つ度胸は別物だし、どーしてオレたちが舞台挨拶なんかしているんだよ、という気分は何となく分かる。
思わず観客席にゲストをあたたかい目で見守るムードが生まれる。

いまおか監督 吉岡睦雄さん 華沢レモンさん 佐藤宏さん

いまおか監督「いっぱいいっぱいの状態で撮りましたけど、傑作になったと信じています」
吉岡睦雄さん「オレなんか映画に出る資格はないしと悩んでたら監督が呑みに連れてってくれまして…」
華沢レモンさん「(撮影時の感想を聞かれて)…あ、現場は寒かったです(このひと、天然系だよ)」
佐藤宏さん「最初はモジモジくんみたいな格好をする予定だったそうです…ほっとしました(て、ほっとしてよかったんですか!)」
川瀬陽太さん「吉岡、事務所探してます。あ、オレも探してるんでよろしくお願いします」

遅れて入場してきた川瀬陽太さん いまおか監督と吉岡睦雄さん 吉岡睦雄さんと華沢レモンさん 佐藤宏さんと川瀬陽太さん。基本的には皆さんシャイ

などなど。おしまいの方はいまおか監督がリードしてたけど、とうとうトークは弾まずじまい。でも、それでいいんです。
舞台挨拶の後、ボウル役の佐藤さんは観客と共に最前列で観賞していくらしかった。

「たまもの(2004・日/いまおかしんじ)」 ユーロスペース
「たまもの(2004・日)」 元々は製作・配給が新東宝、国映のまごうかたなきピンク映画。
ピンク映画として公開当時のタイトルが「熟女・発情 タマしゃぶり」(エンド・クレジットにはちゃんと「熟女・発情 タマしゃぶり」で出て来る)。女子プロボウラーの話なので「たまもの」にしても「タマしゃぶり」にしても、或る意味旨いネーミング。

常々金脈があるらしいとは聞いていたものの、ピンク映画は自分の守備範囲外だったので(一般作品としてとは云え)映画館で、真正ピンク映画を観るのはこれが初めて。尤も一般映画の皮をかぶった(実態が)ピンク映画なんて洋邦問わず巷に溢れている。主演の林由美香にしても、ガース柳下の日記で折に触れ大絶賛してたのを読んでいたくらいで、この夏に立川志らく監督「SF小町(2002)」で初めて彼女を観た時も、それが柳下さんの日記に出て来た林さんとは思いもよらず「どうしてまた小劇場系の女優さんなんかにきわどい濡れ場を?」と不審に感じた程の無知蒙昧振りである。林さんはアイドル系AV女優からキャリアをスタートさせたこの業界10年以上の大ベテランで、これは一方的に僕の不勉強が悪い(全く自慢にならないが、如何にそういうものを観ていないかの証左でもある)。

本作の面白さは、林由美香演じるプロボーラー愛子のキャラ造型に尽きる(それにしても各メディアの「ストーリー解説」等で35歳の彼女を「中年女」と表現してあるのに、ひどく違和感を憶えるのは僕が彼女と同世代だからなだけではないと思う)。酒井法子だって相原勇だって或る年齢を過ぎたら脱・不思議ちゃん化したというのに、究極の「都合のいいM女」愛子は三十路半ばにしてコリン星のひとのような無垢な少女キャラを維持したままだ。

天然素材にありがちな、構わない髪に眉の半分落ちたすっぴんメイク。物語のクライマックスまで一口も声を発しない処(但し、セックスの喘ぎ声は別 → これについては後述)はハードボイルド的でもあるが、それを「さるまた失敬」系のマイムで補う戯画性は彼女の独自路線だ(それでも僕は、彼女がハードボイルドな世界に生きている気がする)。冬の海岸をはしゃいで駈けた挙句、前のめりに転んで顔中砂まみれになる処や、家庭料理界のドラクロワと呼んでもいい盛り付けのセンス。どんなに邪な動機でも求められたセックスは拒まない(むしろ本気で応える)。弁当用のプラパックを押入雪崩が起きるくらい買い込んだり、不倫相手のボウリング場オーナー(栗原良)の奥さん(伊藤清美)にコーヒーをおごらせる訳にはいかないと焦る余り、発作的にコンビニ強盗(?)をしてしまう処は、愛子という女性に映画の神が与え給うた「いじらしさ」という名のフェロモンなのだと思う。

「たまもの(2004・日)」 尤も、愛子から良男(吉岡睦雄)を奪った郁美(華沢レモン)だって、愛子とは対極にある粗野なS系フェロモン全開OLである。これと決めたオトコ(良男の事である)へのアプローチがこれまた独自路線。呑み会に向かう道すがら、良男の背中をグーで小突くわ、弁当を食べている良男の前髪を鷲掴みにして頭を上げさせるわ、遂には良男を両親の許に連れていくのだが、それに到る迄のぶっきらぼうなリードは、或る意味いまおか監督の発明だと思う。郁美というキャラを主役にしても十分面白い映画が撮れる筈だ。

それだけに、いまおか監督の「本番」発言(もしくは「本番」演出)はいささか残念だった。ピンク映画への「本番」是非以前に、此処まで丹念にキャラを練り込んだ女性たちに、何故余りにも凡庸なセックスシーンを投下したのか。こんな処だけリアルにしなくたっていいんだよ。別にマニアックにしろと云っている訳ではなくて、愛子と郁美のキャラの延長線上に彼女たちらしい(愛らしくも狂おしい)ラブシーンを演出出来た気がするんだけどなー。
製作費もゆっくり考える製作期間もないピンク映画に此処まで云うのは酷かもしれないが、ちょっと勿体無くない? と思ったもので。

他にも「男優」要員の良男と不倫相手の店長を除くと、郵便局の勤務する謎のワンレン男(伊藤猛)や謎のニセモノ日焼け男(川瀬陽太)、更には愛子にだけ「ストラーイク、一発、ストライク」とエールを送るボウリングのボウル(佐藤宏)など不気味キャラをフル装備した「キャラクター成人映画」の側面を持つと同時に、ラストシーンでキャラ者女ふたりによる真正ハードボイルドに着地するあたり、確かに一般作品としても侮れない核弾頭かもしれない。偏見を捨てて観るべし。
クリスマス・ツリーがキレイだねえ 渋谷いっぱいの宇多田ヒカル
それにしても林由美香、確かにクセになる女優さんである。
こーなったら、平野勝之「由美香(1997)」の再上映を強く望む。
映画が終わってユーロスペースの階下に降りると、今夜が初日という事もあって、ぴあ出口調査隊の若い女性たちが3〜4名待ち構えて、思わず捕まりそうになるのを慌ててかわす。だってねえ、一般映画公開されているとは云え、エンドクレジットで「熟女・発情 タマしゃぶり」と出てきた映画の感想を若い女性に話すのはかなり気がひけるじゃないか(などと云いつつ、日記では長々と書き連ねるバカ)。「ぴあ」にももう少し配慮が欲しい。若い女性調査員は女性客にだけ向かわせるとかさ。

暫し、井の頭線近くの巨大なクリスマスツリーの青い電飾に目を奪われる。


 魔窟なのにも程がある  2004/11/23(Tu)


勤労感謝の日。やっぱり週ナカに休みがあるのはいいですね。

今日ははるさんに誘われて、なかのゼロにて「アニメーション80 第参拾回記念大上映会」
1980年から連綿と続く自主製作短篇アニメ上映会。はるさんも参加するのはウン年振りらしく「いや、メールで案内が来たから」とのこと。過去に生きる僕らのお目当ては90年代半ばから後半にかけての作品を集めた「Cプログラム:アニメーション80会員名作回顧展(15本/100min)」(11時〜)。自主製作モノは兎角あたりはずれが激しいので(しかし僕らは5〜6本の、いや10本の中の、膝を叩く1本に出逢う為にこそ足を運ぶのである)、「よりぬきサザエさん」みたいな、傑作選プログラムに活路を見出そうというスケベ根性。ほら、もうオレたちも齢だし。数を観て得した気になっていたのは20代までの話である。──とか何とか云っちゃったりして。

「アニメーション80 第参拾回記念大上映会」 「アニメーション80 第参拾回記念大上映会」 なかのZERO・視聴覚ホール
30回記念会員プログラム

「hana(1997/保田紀之・安田好孝)」5min:陽気なマンモスフラワー。
「オロオロ鳥(1998/藤井奈津子・原田聖子)」6min:ガロ系というかQJ系というか。
「ヘア Go!Go!(1995/越坂康史)」5min:自主製作映画臭ぷんぷんのコラージュアニメ。下ネタだけどバカバカしいのがいい。
「LowReso(1994/中村雄一)」3min:オートメーション工場が舞台のロボ恋愛だロボ。
「P.caudatum(2000/澤口壽一)」1min30sec:ゾウリムシ・アート系。
「コヨーテの首飾り(1993/中村景子)」6min:ガーリーで毒のある7ミニッツ・カトゥーン。センスの良さと未消化な部分が半々。
「COMPARTMENT(1995/昼間行雄)」4min30sec:わからなくもないけど、4分半がギリギリ耐えられる長さです。
「兎ガ怕イ(2002/倉重哲二)」13min5sec:ウサギと拉致監禁された少女。これまたQJ系?

此処で5分間の休憩。既に死にそうだったり。

「ライオンのこうしん(1996/島由美)」2min:幼児用の音楽教材らしいが、この文脈で観たのは不幸だったかも。
「太陽風(2000/水上弘)」6min:サンプリングされた笑い方に無理がある。麻薬性があるのは認める。
「roundscape mix(1997/中西義久)」5min:えび天系。本プログラムの中でこれがいちばん好きだったかも。
「いきるよろこび(1998/モリタダシ)」5min:80年代の尻尾を感じる。正攻法なんだけど僕らの世代にとってのアキレス腱だね、みたいな。
「風の見たもの(1998/田辺幸夫)」8min40sec:光過敏性てんかんにする気ですか。叙情の名を借りた自白室。
「Form of Stress(1992/保田克史)」6min:カタカタ動くロボと歯車ロボ。ボコはキライじゃないロボ。
「蟻の生活(1994/浅野優子)」12min:偏執狂的な迄に耽美でデコラティヴで確かに凄いんだけど、凄いだけの作品。何処で切れても問題のない話がだらだらと続く。この長さが苦痛だったのは、きっと僕が「物語」に毒されているからなんだろう。
いやー、長かったわ。
続けて「Bプロ:1min. Animation Festival Vol.4&公募作品」、ましてや「Aプロ:会員新作&ゲスト作品」まで(通算62作品!)観続けるのは、おいらには殆どバターン死の行進に等しい。年取って気が短くなっちゃったか。

はるさんも残りのプログラムに特に執着がある訳でもなさそうだったので、早々に戦線離脱してお昼を食べることを提案、中野駅の反対側に廻って、ホテルごと解体中の中野武蔵野ホールの残骸(嗚呼…)に手を合わせた後、お昼時で混雑している「味王」でのんびりランチ。僕が回肉鍋定食、はるさんが車海老とカシューナッツの炒め物定食、それに単品でイカとセロリの炒め物をつけて。はるさんは更に生ビールをジョッキで。彼は昼からでも食卓にはビールの欲しいひとなのである(ま、お休みだし)。何しろ激混みだったので随分待たされるが(途中、追加メニューを待ちきれず帰る二人連れあり)、料理は相変わらずの高レベル維持。はるさんは此処が初めてだったのだが、セロリやカシューナッツの味に満足した模様。結局、2時間弱居座る。

「味王」 回肉鍋定食 回肉鍋 イカとセロリの炒め物

「Aプロ」に間に合わない時間でもなかったがあっさり放棄して、軽い気持ちで中野ブロードウェイ散策に出かけた。が、これがまずかった。というか身の程知らずだった。ものの1時間強で概観を、の予定が「まんだらけ大車輪」をスタートに2F3Fのエリアを観て廻るのに何と4時間近くかかってしまった。4Fへは行ってないんだよ、おかーさん。肉体的疲労が刻々と深刻になるというのに、観て廻る店が続く限り、自由意思にも拘らず、途中で抜け出せないオタク・ダンジョン。いや、オタク九龍城砦と云うべきか(台湾のオタク系ストリートが丁度こんな魔窟系だったな。妻子連れだったので近寄らなかったけど)。サイトのマップを見る限り、何て事のない間取りなんだけどね、ひとつひとつの区画に神(いや、悪魔)が棲んでいる。思えば、こちらの方がよっぽどバターン死の行進であった。

主に(「おもに」と変換したら最初に「重荷」と出てきた。云い得て妙である)ヴィンテージ玩具・フィギュア・ガシャポン系・食玩系を周回したのだが、出て来る店出て来る店が皆、浅草仲見世にある江戸趣味小玩具「助六」的密度で大きな口を開けて待っていると思いねェ。「まんだらけ」系列はさすがに何でも高いが、ギャラリーとして廻る分には生半可なアトラクションよりもうんと見処満載である。とても此処のひとつひとつをリポートする気力も体力も持ち合わせないが、会社帰りのコンビニでひとつふたつ食玩を買って息子と悦に入る自分の、何と愛らしいことか。此処の食玩或いはガシャポンはコンプものか、最初から中身スケルトンで売られている。これが武闘派Tさんの好きな世界な訳だ。頻々財布を開きそうになる自分を必死で抑える(何だか殆ど自棄になってきたりして)。はるさんはガマン出来ずにとうとう某食玩ミニCDを購入していた(彼の地雷は日本アニメーション作品なのである。ちなみに僕は60〜70年代の特撮系フィギュアには殆ど全部反応してしまった)。あと告白すると、使用済みシナリオ関係には食指が動きましたね(「恋のから騒ぎ」の台本でちゃんとさんちゃんのきっかけ台詞「これ、誰?」他、律儀に関西弁で入っているのに感心)。

そんな僕でもたったひとつだけ購入しなかった事を後悔しているのが「野崎コイン(2F)」にあった旧ユーゴで超インフレ時代(〜1994年1月)に発行された5000億ディナール札(その後デノミが2回繰り返されて、セルビアで新々ディナール札が発行されている。レートは1ディナールが2円)。「紙幣が紙切れ同然になる」と話には聞くが、5000億ディナール(現地で日本円換算すると40円を軽く切っちゃうらしい)を造幣するのに如何ほどの価値が?(もはや国家の意地としか思えないが、インフレ率を100兆パーセント超えたってあたりで数値自体が意味を失っているよ)

「CAFE SOLARE」のアカシヤのハニートースト まんだらけ 現在、現地では観光客用のおみやげとして5000億、500億、50億、5000万と各ディナール札が売られているらしい。ちなみに「野崎コイン」では5000億ディナールの新札が800円。各種ディナール札セットが8500円。1兆ディナール(5000億ディナール札2枚:1600円)より高いあたりがミソ(現地で買うと何分の1までに安くなるんだろーなー)。何しろ2000円払わずして、 1000,000,000,000などとゼロが12個もつく紙幣か手に入るのである。洒落の分かるひとへのお土産・贈り物(ご祝儀だと尚良し)に最適だと思うがどうか。とりあえずこの次に中野へ行った折には「野崎コイン」再訪決定である。

すっかり足が棒になってしまったので、まずは忌々しい中野ブロードウェイを脱出し(脱出しないことには息もつけない)どうにか中野サンモール内にある「CAFE SOLARE」へ転がり込んで、アカシヤの花のハニートーストとアイスコーヒーでようやく一息つく。気分は殆どコナンとジムシィのそれである(謎)。明日は会社だと云うのに…。単純に徒労感だけならまだしも、何となくだが充足感を覚えているのも「大人として」自らを許し難いというか何というか。

結局、家へ帰り着いたのは20時過ぎであった。


 芸協大吟醸  2004/11/25(Th)


仲入りで客席整理をする和光さん 17時過ぎに仕事をねじ伏せるように退社して(おいおい)、お江戸日本橋亭へ急ぐ。
開演5分前に到着したが、驚いた事にこの時点でほぼ満員。補助椅子は全て埋まっている。
という事は最終的には立ち見が出るという事だ。な、何事だ、いったい。

何しろ合間合間に和光さんが「お詰め合わせください」と臨時で客席整理をやる盛況振り。
いつもと違うのは最前列右側の一画、座卓6席に「予約席」の紙が貼ってあって、いかにも寄席馴れをしていなさそうなおじさんたちが場所を固めたこと。それでもかろうじて最前列に一席空きを見つけて(奇跡)かぶりつき道を貫く。

芸協若手特選会「芸協大吟醸」第一升 於 お江戸日本橋亭

以下、備忘録を簡単に。

笑福亭和光「たぬさい」
会場に入った時は既にサゲ付近。尤も、先月の落語マニアでも同じ「たぬさい」だったので、由(よし)とするか。あ、でも、和光さんのマクラは聴きたかったなあ。
橘ノ冨多葉「ラブレター」
前座2年目とは思えぬ風格と威勢堂々。あとでやっさんに聞いたら、天狗連出身の脱サラ組との事(僕らより4つも年上らしい)。道理で達者な訳である。やっさんの話だと「ラブレター」は文治一門の「女給の文」とはまたヴァージョンが違うとの事(まだ右團治さんのもやっさんのも聴いた事がないもんで)。
桂快治「蟇の油」
茶色の着物はよくよく見ると下が袴になっていてまるでギター侍である。ヘアスタイルといい快治さんは文治一門のサムライかもしれない。マクラはイケメンの友人がヘアモデルになって雑誌に載ってモテモテになった話。「蟇の油」は立て板に水の云い立てが身上なので、若干噛むきらいのある快治さんだけにちょっと心配していたのだが(失礼)、見事な口上を聴かせて貰った。お見事でした。
三遊亭遊之介「三方一両損」
遊之介さんは初めて。そっか、春馬さんの兄弟子なんだ。よく聴くと噛んでいるんだけど、登場人物が殆どケンカっ早い江戸っ子しか出てこないので全然気にならない。むしろ独特のフラがあっていっそ爽快だったり。このひとが演る他の噺も聴いてみたい。
三遊亭遊吉「三人旅」
上方見物に出掛けた江戸っ子三人が鶴屋善兵衛の宿屋に泊まって旅の恥は掻き捨てとばかりに宿の飯盛女を買うんだが(スゴい噺だ)、此処まで聴くのは初めて(前半はこないだ立川流前座勉強会で聴いた。今度は是非上方落語の「三人旅浮れの尼買い」も聴いてみたい)。遊吉師匠の発声法が何となく浪曲っぽく感じるのはオレだけですか?
春風亭小柳枝「時そば」
本日最大の収穫のひとつ。マクラは小柳枝師匠らしく上品にサラリとだったが、いざネタに入るとたちまち爆笑の渦。鸚鵡返しの面白さをこれでもかと畳み掛けられて、噺の先を知っているのに可笑しいったらありゃしない。これこそが本寸法の落語というヤツです。嗚呼、面白かった。
──お仲入り──

桂平治「天狗裁き」
何もこんなに(客が)来るこたあない。何事にも程てェもんがある、でどっかんどっかん。それから昨日の浜松泊から今日此処に至るまでの「疲労困憊に到った」行動を日記風に語るだけで大笑い出来る。しみじみやっさんが「全身落語家」になっている事を実感した瞬間であった。ネタは最近好んで演っている「天狗裁き」。こちらはグレードアップし乍ら鸚鵡返しを繰り返す噺だが、そのルーティンが待ってましたになる快感。無限ループに接続するサゲへと着地するさまも「全身落語家」のそれである。
林家今丸「紙切り」
今丸師匠の芸を観せていただくのは宇佐での真打披露以来。舞妓さん→リクエスト:お酉様(オレが貰いたかった!)→リクエスト:氷川きよし(初期の股旅スタイルを切ってクリア)→リクエスト:赤とんぼ(色ネタに苦戦するも、駄洒落で勝負)→舞妓さん→似顔絵(おとっつぁん大喜び)と一部ムチャな注文も軽快なトークを織り交ぜ乍ら難なくこなしていくダンディズム。ふと楽屋の隅でずっと腕馴らしに紙切りの習作をされていた事を思い出す(実は座興で僕ら夫婦の似顔も切っていただいた)。あの軽快に見えるハサミさばきも実は師匠の絶え間ない修練あっての賜物なのだ。
桂南なん「蒟蒻問答」
南なん師匠いいなあ。フラと実力を兼ね備えた落語界の木村秀勝(憂歌団)。木村さんが訥々としたキャラで魂を穿つブルースを奏でるように、南なん師匠は訥々としたキャラで、決してキャラ勝負だけではない本寸法の落語をじっくりと聴かせてくれる。それにしてもマクラの「酸素吸いすぎ」ネタはガロ系の貧窮問答歌的笑い。おもしろうてやがて悲しうて。悲しうてやがておもしろうて。「蒟蒻問答」も聴くのは今夜が初めて。何だか山田洋次が好きそうな、やさぐれたひとたちが沢山出て来る滑稽噺。映画化したら、蒟蒻屋六兵衛は森川信渥美清で決まり、てどちらも故人だよ。
年末に開催される落語会のチラシのめぼしい処を掻き集めて出てくると、丁度楽屋口からやっさんが出て来る処だった。先月の「落語マニア」の夜を気にしてくれてらしく、やっさんの方から「こないだ云ってたおでん屋行こうよ」と誘ってくれたので、それならばと「お多幸本店」へ。うまい具合に1階奥の壁際の席が空いていた。各々とうめしとみはからい四品のいつものコースに、やっさんは霧島(プリン体がコワいので、ビール系は暫く控えるらしい)、僕は烏龍茶で乾杯。

いつ食べても美味しいとうめし いつ食べても美味しいみはからい四品 いつ食べても美味しいとうめしを今まさに食さんとするやっさん

実はふたりっきりでテーブルを囲むというのは何年か振りの久し振りだったり。色々と話すが、いつもの如く。書いちゃマズいでしょ、な人物月旦多数。処で再来週の「桂文治を偲ぶ会」ではあろうことか、人手が足りないからって、彼が苦手な踊りをやらなくてはならないらしい。楽しみがひとつ増えた。
加えて、今夜はやっさんにご馳走になってしまう。ありがとう、ご馳走様。


 恋の門  2004/11/27(Sa)その1


昨日から妻子は犬山に帰っているので、この週末はひとり。
悠都からはご丁寧に書置きがテーブルに貼り付けてあった。
い(っ)ちゃいます ばいばい ぱぱへ
「ぱぱへ い(っ)ちゃいます ばいばい」

いつかの「あそばないとたたかうぞ」と云い、息子の手紙には子供にしか持ち得ない破壊力がある。

早起きしてガンガン映画を観倒すつもり(ホントかよ)が、目が覚めたのが9時半、予定が土砂崩れになったのでとりあえずごはんを拵えて食べていたら、あっという間に11時になったので慌てて家を出る。色々悩んでとりあえず目標を3本に絞り込んで渋谷へ向かう。予め前売券を購入してある「≒舟越桂(2004・日)」はとりあえず今日は見送り。来週末のモーニングショウを狙う事にする。渋谷郵便局で微々たる軍資金をびびっと卸し、TUTAYAで前売券を買ってPARCO方面へ。途中、めざまし調査隊の女の子にインタビューでつかまっている、若い女性の二人連れを見かける。さすがは渋谷と妙な感心の仕方をする。

「恋の門(2004・日/松尾スズキ)」  シネマライズ
何はともあれ懸案の1本を消化。いや、面白かったんじゃないスか。
ケラリーノ・サンドロヴィッチの映画を観て、松尾スズキの映画を観ないって法はないよな。「大人計画」の芝居は観た事ないけど(ちなみに「ナイロン100℃」の芝居なら観た事がある)。新作舞台「イケニエの人」はさんざんな評判の松尾さんだが、映画としての処女作は異業種監督の一発作品に終わらないしたたかさと、いい意味でのルサンチマンや猥雑さ(露悪とも云う)が詰まった、才気溢れるダメ人間型エンタテインメント。このテイストを舞台に於ける「大人計画」の持ち味と理解していいですか → ALL。

処で、クドカンと云い、「大人計画」のひとは、オリジナル戯曲を書く力があるにも拘らず、監督作にオリジナル作品で勝負しないのね、などとふと思ったり。妙な気負いが生まれるよりは原作付くらいの方が肩から力が抜けて、理想的な投球フォームになる、と踏んだのかも(根拠は特にない)。
結果的に羽生生純の原作漫画を換骨奪胎し、あるものに自分らしさを注入する事で凡百の「わかったような」映画からは一歩も二歩も抜きん出た気がする(ちなみにクドカンの「ピンポン」の脚本もそういう手法だったような)。さすがに今年最大の収穫とまでうそぶくのは口幅ったいが、まずまずの快作と云ってよろしいんじゃないでしょうか。次回作が楽しみな監督である(度を超えて仕事をし過ぎてるのがちと心配だけど)。

特に門(松田龍平)、恋乃(酒井若菜;体当たりの熱演とは本作の彼女の事を云う)、毬藻田(松尾スズキ)主要人物のそれぞれが並外れたロクデナシなのがいい。普通この手の映画は脇をエキセントリックなキャラで固めるんだが、本作は三人三様アクが強くて「人の迷惑省みず」系。勿論、脇にもまともな人間なんてひとりも出てこない。でもよく考えてみれば、まともな人間ってそもそも何だよって話な訳で、ムチャな人間ばかり出て来るこの映画がキッチュではあっても、決して魑魅魍魎が暗躍する異世界になってないのは、松尾スズキ監督が演劇的空間の創生に長けていると同時に、世の中ダメ人間寄り(の視点)に出来ている事の証左かもしれない。ダメ人間とは、何もかもがダメ人間な訳ではなく、自分の好きなことに寝食忘れて打ち込むという才覚はある訳で、それがクライマックスの三者が漫画原稿を仕上げ乍ら叫ぶ歓喜の声を生むのだ。此処に同じダメ人間である僕ら観客も強く同調する。そりゃあ頑張っても結果は伴わないかもしれないけど、好きなことに耽溺する際に放出される脳内麻薬は、唯一僕らが信じられるものだ。我が人生に悔いなし、などと口走る瞬間とはつまりそういうことだ(ホントかよ)。

「恋の門(2004・日)」 松尾スズキのサイン 羽生生純のサイン

この映画もセレブカメオの宝庫なので列挙するだけ莫迦々々しいが、「綾波はじめました」のイメクラ店長(三池崇史)と「ウレシー商会」幹部(尾美としのり)、喰えないアクロバット・ヴァンプを好演した小島聖、ボンデージで吊り下げられた居酒屋の親父(小日向文世)、そして「イデオン」のコスモに扮した平泉成にはとりわけ熱いエールを。勿論、田辺誠一&片桐はいりの登山カップルにも。

あと父子ものにすっかり弱くなったオレは、父親(大竹まこと)が「帰ってくるな」と憎まれ口を書いたハガキを読んで、門ががっくり肩を落とすシーンには、文字通り泣き笑いさせられました。このシーンだけでもこの映画を観た甲斐があったというものです。
さあ、間髪入れずに次はお隣の地階に移動だ。
この項、続く。


 雲のむこう、約束の場所  2004/11/27(Sa)その2


「雲のむこう、約束の場所(2004・日/新海誠)」 シネマライズ
僕はおせじにも小説読みとは云えないし、とりわけ最近のライトノベルやアニメ、エロゲーなどのオタク文化には全く明るくないのだが、僕がおそらくこうであろうと想像するラノベ(こう書くとヤノベケンジを思い出してしまってどうもいけない)だのセカイ系だのといったものを見事に具現化した映画が新海作品で、そして未見だが、監督の個人製作で話題沸騰となった前作「ほしのこえ(2002)」もきっとそうだったに相違ない。よくも悪くも時代の映画なのだと思う。

特に近年、彼女(恋人でも、恋人未満のトモダチでもいいんですが)と世界とを両天秤にかけて、世界が滅んでも彼女を選ぶという設定がRPGやコミック、それこそラノベで大量に出回っている気がするのだけど(勿論、詳しく統計を取った訳ではない)、これって世紀末の端境期に思春期を過ごした僕ら(及びその前後)の世代特有の〈気分〉が生み出した、共同妄想というか世界観であるような気がするのだがどうですか。実際、僕も高校時代に主人公のふたりが結ばれたら世界が終わる、みたいな創作を書きかけた事があるし(大層な設定に筆力がまるで追いつかなくて断念)。たかだか矮小な自分が世界に向き合っているというこの途方もなさに、抗し難い魅力があるのは確かで「雲のむこう、約束の場所」は其処らへんの状況設定を非常に巧い事揃えた作品(SF設定もなかなかそそる)。ヒロキ(吉岡秀隆)が世界ではなくてサユリ(南里侑香)を選ぶ処を、タクヤ(萩原聖人)の「塔」爆破計画を折り込む事で物語的には世界との折衷案を提示している(実際、ヒロキには世界なんてどうなったって構わないのである)。

新海監督、作監の田澤さんのサイン 「雲のむこう、約束の場所(2004・日)」 3人を取り巻く環境から彼らの家族が欠如しているのも特徴的だ。岡部(石塚運昇)も富澤(井上和彦;処で富澤って岸田森に似てなくない?)も直接世界存亡の危機に携わる大人たちであり、3人がまず乗り越えなければならない大人である親だとか保護者が影すら見えない。この家族という存在の欠如した世界に、現時点での新海監督の世界観の限界を感じるのは僕だけだろうか。物語に置かれているのは、自分自身と親しい友達(恋人)と自分を理解してくれる大人と、其処から一気に飛び越えて現実感を喪失した「世界(並行宇宙)」だけであり、少年が大人になるにあたって障壁となるべき大人が居ないのである。この都合(居心地)の良さこそが「雲のむこう、約束の場所」を流れる通奏低音で、故にこの映画は決してビルドゥングス・ロマンにはなりえない。或る意味観る側がアルファ波を出しっ放しの映画とも云えるかもしれない。

アルファ波と云えば、これは徹底的に空と雲と車窓に拘り抜いた映画でもある。映画の6〜7割はさまざまな表情の大空のエキシビジョンだった気がするくらい(これは褒めている)。小型飛行機ヴェラシーラも風見鶏を模したような空に映える美しいデザインだったし(フィギュア、売れそうですね)。世界はどんなに苛酷な状況下にあっても常に美しくあり続ける…これは一面の真理かもしれないが、ただその美しさが時に残酷に映る、そんな演出も欲しかったと云えば求め過ぎだろうか。

声優は、ヒロキ・タクヤに味のある若手役者を使い乍ら、サユリに生半可に知名度の高い素人女優を使わなかった賢明さは認めるが(「タイタニック」吹替版の竹内結子はキビしかった)南里侑香の人工的に幼さを強調した声優ボイスも個人的には非常にかゆかった。尤も監督的にはアレがベストらしいので、此処の感覚はオレの方がずれているのかもしれない。
あとアフレコの演出に三ツ矢雄二を登用したのも同じく賢明な判断。

処でこの映画って製作が大幅に遅れたらしいんだが、劇中に村上春樹「アフターダーク」(講談社)の書影が出て来るんだよ。あの本の発売って確か9月の初旬だったんだが、それが作画に取り込まれてるってどんな進行状況だったんだろう。まあ、新海作品は通常の製作工程と異なるとは云うものの…でも、気になるなあ。
映画館を出て来ると(入口付近は次の回の行列が軒を連ねていた)すっかり宵闇。東京は16時過ぎには日が落ちてしまうから「秋の日はつるべ落とし」というのはきっと関東以北のためにある言葉に違いないと勝手に想像する。PARCOの「なにわバタフライ」の巨大な看板に暫し見とれてから(今回は正式発売前にチケットが確保出来たので呑気なものである。余談だが、ノンシャランがフランス語だって知ってた?)次の映画館へ移動。

途中、やっさんからのメールで島田省吾翁の訃報を知る。享年98歳、緒形拳のサイトで御大が病に伏せていたのは知っていたが、99歳まで新国劇、100歳で新作一人舞台の夢は叶わなかったか。嗚呼、一度御大の舞台を拝見したかった。慨嘆。黙祷。

この項、続く。


 雨鱒の川  2004/11/27(Sa)その3


「PICASSO 347」に来るのは今夜が初めて。

シブイチだか何だか知らないが、一寸としたデートスポットらしい。
「ビストロ347」「347カフェ」位は憶えておいて、何かの折に活用したいもの。

「PICASSO 347」もクリスマス仕様でお出迎え 階段の踊場に各階表示 アミューズCQNのロビー アミューズCQNのロビー、カウンター席はちょっとした食事や休憩に

早く来過ぎたのでアミューズCQNのロビーで、岡野宏文・豊崎由美「百年の誤読」(ぴあ)を読んで時間まで。

「雨鱒の川(2004・日/磯村一路)」 アミューズCQN
磯村監督というひとは何というか、このう、アタリハズレの大きい作家である。
あくまでもオレ基準だが「がんばっていきまっしょい(1998)」「船を降りたら彼女の島(2003)」「解夏(2004)」はアタリ、そして「群青の夜の羽毛布(2002)」と本作「雨鱒の川」はハズレ。全くの偶然だが、いずれの作品も玉木宏が主演している(別にハズレなのは彼の責任ではない)。尤も「雨鱒の川」全尺の半分以上を、少年時代の心平(須賀健太)が占めているけど。

この映画、ポスターでこそ「セカチュー」のようなセカイ系純愛路線を謳っているが(そしてそれは決して嘘ではないのだが)、実は幼馴染だった心平(須賀健太→玉木宏)と小百合(志田未来→綾瀬はるか)が雨鱒の約束を守ってふたりして大海に舟を漕ぎ出す迄の、彼らの親、そして祖母たちのロマンスをも巻き込んだある意味大河ドラマである。視点は心平&小百合だけでなく、心平の母(中谷美紀)&小百合の父(阿部寛)や小百合の祖母(星由里子)&イトウ釣りのじいちゃん(柄本明)が(各々に因果はなくとも)各世代の道ならぬ恋を背景に匂わせつつ、強く生きる母子、大自然の中で過ごす少年時代を主軸に物語が展開され、心平&小百合の道ならぬ恋へ歩みを進める為、「セカチュー」のような映画を期待して来た客は足許をすくわれる。何しろ前半部分は「絵の中のぼくの村」「あの、夏の日〜とんでろじいちゃん」(て、誰が知っているんだ?)のテイストに近い。尤も、これは製作側の戦略の勝利だろう。

前作「解夏」にシチュエーションとして出来すぎた側面があった事は否定しないが、あの作品は失明という現実に向かい合う主人公と周囲のひとびとの覚悟がそれを緩和してくれた。で、本作はとうとうファンタジーの領域まで踏み込んでしまった。いや、それはいい。少年時代、ましてや口が聴けないのに以心伝心出来る幼いふたりであればこそ、大人に見えないものが見える、というのは先に紹介した「絵の中のぼくの村」「あの、夏の日〜とんでろじいちゃん」でも描かれた世界だし、本作のCG処理はそれらの作品に比べてもむしろ巧い部類に属する。冒頭、目の見えない小百合を導いて飛ぶ小鳥といい、心平たちと心通わす雨鱒といい、観客が空々しさを感じないラインなのはなかなかのものだ。

この映画が犯したミスは大きく2つある。

「雨鱒の川(2004・日)」 まず、成長したふたりを「現代」に置いたこと(画廊スタッフである美香(伊藤歩)のライフスタイルは明らかに今のそれである)。小百合が携帯ではなく、公衆電話を使うくだりは携帯から実家に着信履歴の足がつくと困るからと好意的に解釈したのだけれど、よく考えるとメールを活用せずに毎日家の外で郵便配達を待つというのはどうか。これでは昔の話を無理矢理現代に置き換えたが故に、作劇が腸捻転を起こした熊井啓「愛する(1997)」の二の前である。或いは原作は携帯やメールを打てない近過去なのかもしれないが、ならばそれを劇中で明らかにするべきだ。携帯やメールのない世界を考えられない若い客層にそれを伝えないのは一種の怠慢である。

愈々問題なのが二点目で、クライマックスに「筏で駆け落ち」とはファンタジーにも程がある。
こいつらは本気で駆け落ちする気があるのか、その甘ちゃんさ加減は「小さな恋のメロディー」のトロッコ逃避行にも匹敵する。雨鱒を仮託した若いふたりを川をくだって大海原に出したい、という演出側の意図は分からなくもないし、遂には添い遂げられなかった老人たちの応援まではいい。だからって、大人の膝あたりまでしかない深さの川で筏が追っ手たちに通せんぼされる絵を見せられてもなあ。ファンタジーが有効なのはその目撃者たちが子供だからである。ファンタジーに現実と地続きの(観客も含めた)大人たちを巻き込むには、それなりに周到な伏線と念入りな仕掛けが必要だ。この映画にはそれがないから、駆け落ちするふたりがドンキホーテにしか見えない(四人がかりで脚本を書いているというのに)。観客は彼らの向こう見ずな未来に「挫折」しか見出せないのだが、きっと演出側の意図はそんな処にない。──それじゃあ、ダメなんだよ。

あと磯村監督ってかなりの手練れなのに、大映ドラマ的(近頃では韓流ドラマ的とも云う)な脚本のせいか類型的な演出に逃げたシーンが散見されたのも残念。未亡人を揶揄する神戸浩の酔客たちとか他にやりようはなかったのか。

基本的には(監督の持ち味でもある)丁寧なつくりが好ましい作品なので、釈然としないまま劇場を後にするのは返す返すも残念だった。次回作では是非、破綻のない処をひとつ。
映画が終わったのが21時すぎ。
映画館のある「PICASSO 347」自体、色々見どころがありそうなのだが、疲れたので今夜はスルー。ウチに帰っても誰も居ないというのはなかなかにうら寂しいものだが(これは既婚者故の感覚だろう)、帰宅して食事の支度をしていると、間の悪い頃合いで妻から電話がかかってきて、ついつっけんどんないらえを返してしまい、少し反省する。


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