チカサンポ / ≒舟越桂 / 三軒茶屋ベーカーバウンス
多いようで少なく、少ないようでたくさんの演劇言語との格闘と並行して、私は今単純に劇作家として、現代と現在に向けて言語と物語をつむぎ出したくて仕方がない。
川村さんの予告通り、1時間程でリーディングが終わり(拍手し乍らさっちゃんと「…これで終わり?」と戸惑いの目線を交わす)、5分の休憩を挟んでから、第二部のアフタートーク。舞台中央に先ほど使用されたうち椅子のみが3脚置かれ、世田谷パブリックシアター・プロデューサーの松井憲太郎氏(元々は黒テント所属だったらしい)を司会に、川村さんと演劇評論家の八角聡仁がぽつねんと座って、やや居心地悪そうに(何にしても人前で話すのは気乗りしないものです)まずは今回の新作戯曲のリーディング公演のきっかけとなったパリのテアトル・ウヴェールで行われた、フランス人演出家・俳優による、川村さんを含む日本人の現代祖作家のリーディングの交換公演に参加した時の話(その時の詳細は川村さんの彷徨亭日乗(5/23〜26)に詳しい。旅行記としてもたいへん面白いです)から、川村さんの考えるドラマ・リーディング論など。
追記(2004/12/8):
クリオネ 第一幕 / 桂文治を偲ぶ会 / 血と骨
ポム・ダダン / ゴジラ FINAL WARS / 新宿末広亭12月中席
クリスマス★クリスマス / ねじりん棒
ココロとカラダ / ヴィタール
南青山「A.R.I」 / なにわバタフライ / 明和電機 ナンセンス=マシーンズ展
東地区Qブロック21b / 第38回トンデモ落語の会 / 雪のおおつごもり
▼ 2004年11月の都を旅する
退社間際に計ったかのように色んなトラブルが飛び込んできてあたふたするものの、どうにか18時前に会社を出る。前売券は整理番号付(しかもはるさんが頑張ってくれたお蔭で8番)なので開場に間に合いすれば…という事で、千代田線で表参道、3月の「雌蘂 Vol.8」以来久し振りのFAB。とは云え種ちゃん関連のイヴェントなので、客の顔ぶれにさして新鮮味を感じない処はご愛嬌。東京ったって狭い世界なのである。
開場は整理番号10番単位で入場出来る事もあり、「整理番号1番から10番のお客さまァ」で、結局会場を一番乗りして、最前列中央左通路側(種ちゃんのキーボードのほぼ真向かい)を確保。「雌蘂」の時は、多用多種な椅子、ソファ、ベンチを思いのままに配置した、懲りまくった設営だったので、今回のスタンダードな会場レイアウトは逆に意外な感じ(会場はスクエアに寄せられたパイプ席と、その後ろに設えられた、お酒でも呑み乍らゆったりと聴ける脚の高いスツール席─丸テーブル付─からなる)。尤もこちらが普通なんだろうな。500円のドリンク券をレモンスカッシュに換えてから、開演時間とはるさんが来るのをのんびりと待つ。開演5分くらい前にはるさん到着。どうにか、というか結構余裕で、パイプ椅子席やや後方に潜り込む。
「チカサンポ 〜参道ワキ入ル下ル〜」 於 表参道FAB
OPEN 18:30/START 19:00
出演:戸田和雅子/種ともこ/林邦洋(出演順)
【戸田和雅子】
M1 なんでもない一日
M2 My Favorite Things (映画「サウンド・オブ・ミュージック」より)
M3 私の妄想
M4 君にかなわない
M5 霧雨
トダマさん、ビーズの縫い込まれた、ちょいとオシャレなTシャツとジーンズで登場。ギター一本でのびやかな歌声、耳まで届く歌詞と心地好いメロディ、さりげないギターテク。構想4年、実質製作期間2年半かけたニューアルバム「Water Strings」がいよいよ年明け発売だそうで、何はともあれおめでたう(今度は買わせていただきます)。ソロのステージを聴くのは2度目だけど、MCに於ける、ワンテンポゆっくりめの天然キャラ(自覚無し)が変わらずいとおしい。M4を歌ってからやっと本ライヴのタイトルの由来(FABへ行く道順)と趣旨を紹介するのってどうよ(僕はステキだと思います)。M5でくるくる廻るミラーボールのエフェクタが会場を夜に光る白い雨で包み込んで楽曲を一層盛り上げてくれた。
【種ともこ&戸田和雅子】
M6 12月の雨(荒井由実)
第一のセッションで、種ちゃん登場。7〜8年振りだとか云うショートヘアに、ノースリーブのTシャツとジーンズ。種ちゃんがキーボードに向かった途端、ジーンズの右足の裾が半端にめくれあがったままなのに気付き、以降、それがずっと気になる(実ははるさんもずっと気になってたらしい)。一度、引っ込んで再登場した時もジーンズはそのままだった。この「油断」が天然素材・種ともこの愛らしいとも云う。天然キャラ同士でMCを試みると、会話のキャッチボールが何だかやんごとなきひとたちの交わすそれである。お互い、相手のボールを拾う気はなくもないのだが、直接は受け止めずにボールの転がっていった先を見極めてからわざわざ拾いに行って、いきなり暴投で投げ返すみたいな(種ちゃん曰く「このメンツだと、誰が誰に突っ込んでも液状化していくボケナス3人組、ナス系のアーティストなんですね」)。普通、ワンテンポずれた発言をするひとがふたり揃うと、会話のリズムに1/fゆらぎが生まれてこれが気持ちいいんだか何なんだか。いいものを聴かせてもらった。
【種ともこ】
M7 もう忘れちゃおう
M8 サヨナラ
M9 Actor Mr. Santa Claus
M10 はい、チーズ!
最初の2曲は「in」から(会場で売ってるし)。季節ものって事で、クリスマスソングは期待していたんだけどM9が聴けるとは。しかも間奏に口笛で色んなクリスマスソングをワンフレーズだけ吹いて「君はActor Mr. Santa Claus♪」で〆る特別ヴァージョン。処がこの口笛が、掠れるは途切れるはオーディエンスが前のめりになりそうなハラハラさせるヤツで、実際、種ちゃん自身もハラハラしていたらしく5〜6フレーズ目で叫んだ「おしまいっ!」は複雑な笑顔だった。このあとのMCで「一山超えたって感じです」は本心だろう。さすがに「謹賀新年」はやってくれなかったが(酉年Ver.で歌って欲しかった)、今年一年の締めくくるのにM10とは心憎い選曲。
【種ともこ&林邦洋】
M11 メモリア
林くん、初体験。大阪生まれの鹿児島育ち。誰に聞かせるともなくおやじギャグを垂れ流す事で、右脳を鍛えているらしい林くんのおやじギャグが聴かれない事に、種ちゃんはやや不満そう。このふたりの会話がまた「VISION&PIANO vol.6」で聴きものだった種ちゃん vs 小川くんが帰ってきた感じ。思いつくまま右脳で喋る種ちゃんに翻弄される林くん。ネタもあの夜と同じ「自転車」の話だし(種ちゃんが「チャリンコ」は林くんを思い浮かべて作りました、って云い出したらどうしようかと思ったよ)。さて「メモリア」はアルバム「ヘテロ」の中でもかなり好きな曲なんだけど、アコギとキーボードのみのシンプルな構成に、種ちゃんの声とセッションする林くんの透明度の高い声。何て気持ちの良さ。今日はMCと云い、歌と云い、まるでハズレがありません。
【林邦洋】
M12 ありふれた特別な一日
M13 無題
M14 オレンジサンセット
M15 私利滅裂
M16 No More Alone Again
おおっ、林邦洋、いいじゃないですか。何しろ歌詞のセンスが抜群にいい。書き殴りじゃない上に、一言一言にチカラがある(若干「Yeah」の多用が耳につくが、それは作家としての持ち味だろう)。匂い立つ夕暮れに佇むストーカーを描いた「オレンジサンセット」、プロポーズ・ソング「No More Alone Again」は、CD即買いと思った位(尤も折角の2曲共、現時点ではCD未収録、このひとも早い新譜の発表が待たれる)。MCもはんなりと小癪な感じは常習性がある。僕好みな妄想炸裂系だし。
【林邦洋&戸田和雅子】
M17 Dream Dream Dream
一巡してトダマさん登場。また出演者全員がボケ系の話になってトダマさんの「あたし、二十歳になるくらいまでずっと自分がツッコミ系だと思っていたんですけどね」に客席、隣の林くん共々ブーイングの嵐。林くんの楽曲に、トダマさんコーラスで参加。林くんが曲紹介のどさくさにまぎれてトダマさんへのリスペクトと愛を告白。トダマさんが目を向いて「あたしィ?」みたいに自分を指差し乍ら、ギターがイントロを奏でるこの居場所感。気の置けないトモダチの部屋でくつろぐスタイルのステージなのかもしれない。林くんにしては意外に正攻法な楽曲のM17。サビで林くんの歌声に寄り添うように重なって、更に飛翔するかのようなトダマさんのコーラスはライヴで終わらせておくには勿体無い天使な仕上がり(謎)。
【種ともこ&林邦洋&戸田和雅子】
M18 野ばら(ゲーテ/近藤朔風/シューベルト)
M19 いつでも恋なら
3人のセッションが「野ばら」というのも凄いが(でも楽曲の持つ気高さがクリスマスに相応しいかも)、選曲に到るまでの伏字トークの長いこと長いこと。いや、楽しかったんだけどさ。皆んなナス系だし。会話のボールはあちこちに取っ散らかり乍らも、一応収斂はしていくし。トダマさんと種ちゃんが林くん喋り(妙におっさん臭い云いまわし。「僭越ではございますが」とか)が伝染すると大慌て。だからって無理に語尾伸ばし・半疑問系で曲紹介することはないんです → 種ちゃん。今夜は「ハイ、チーズ!」が聴けただけでも甘露だったのに、この上「いつでも恋なら」まで聴かせてもらえるとは。しかも3人ヴォーカルの豪華版。これで心残りなく年を越せるというものだ。て、あと1ヶ月は長いけど。
アンコールの手拍子には、申し訳なさそうにトダマさんがひとりで登場。
だよなー。3人集まって出てきても「野ばら」か「いつでも恋なら」を繰り返すしかない。
だから出てきてくれて、心をこめてアイサツしてくれて、それだけで充分。
FABの表に出たのが21時半前くらい。
とにかく楽しいライヴだったので、はるさんも僕も終始ご機嫌で、林くん的妄想炸裂系トークを垂れ流し乍ら、表参道から明治神宮、原宿駅、竹下通りを抜けて、って何処まで行く気だよ。はるさんがお目当ての居酒屋を目指したものの、潰れたのか移転したのか見当たらないので、やむなく近くの「すぱげってぃ屋」へ。
ポパイ・ソテー、エリンギとホタテのソテー、ペンネのゴルゴンゾーラ・ソース、リゾットのバジリコソースなんかを頼んで生ビールとアイスコーヒーで乾杯。実のない話で右肩上がりに盛り上がる(困ったもんだ)。はるさんに「あんたはお酒呑んでないからなー」と改めて感心されるが、人生のほぼ半分もつきあってい乍ら、何を今更。オレがお酒を呑んだら場を盛り下げるんだよ。今日は仕事で、少し前にやらかしていたポカが見つかって気鬱になっていたのだが、精神的にはこれでほぼ立ち直る事が出来た。或る意味、酒を呑んでくだを巻いたのと同じ効果があったらしい(尤もはるさんは本当に酒を呑んでくだを巻いてる訳だが)。
師走はイヴェント満載なんだが、最初からこんなに楽しくていいのか。
夜、岡野宏文・豊崎由美「百年の誤読」(ぴあ)を読了。
朝食に厚切りバター・トーストと、妻手製のラフランスのジャムとヨーグルト・ババロアをいただいてから、ずっと懸案だった「≒舟越桂(2004・日)」のモーニングショウを観に半蔵門線で表参道駅を経由して(渋谷駅まで行って徒歩で引き返すより近いと妻にアドバイスされた)、師走の青山通りを歩く。
クリスマス・シーズンの「カフェコムサ青山店」に飾られた、ベネトンの広告のような原色のフルーツを散りばめて拵えた巨大なクリスマス・リースに半ば呆れつつも大筋で感嘆する。リースの下にはオープンキッチンで忙しそうに立ち働くパティシエの女性スタッフたちと、ショウケースの中のホワイトと果物の赤とが強調されたケーキ群。そう云えば最近「カフェコムサ」に行ってねェなァ、てただそれだけなんですけどね。
余計なものに見とれていた為、上映5分前ギリギリにシアターイメージフォーラムへ辿り着くが、急いだ割には客席は4割弱程度だったので楽々着席出来る。隣のシートに徳大寺有恒が座っていたので一瞬焦るが、よくよく見れば嵐山光三郎だった。て、それでも充分スゴい気がするのでR(て、古いね、オレも)。
「≒舟越桂 NEAR EQUAL FUNAKOSHI KATSURA (2004・日/藤井謙二郎)」 シアターイメージフォーラム
「≒森山大道」「≒会田誠」に続く(残念乍ら、いずれも未見)、ジャンルの垣根を越えたアーティストを取り上げるドキュメンタリー映画「≒(ニアイコール)」シリーズ最新作。舟越桂の作品そのものには、今年の頭に東京都現代美術館「舟越桂『二百年の子供』挿画展」で、大江健三郎の手書き原稿と共に、挿絵原画というかたちで触れてはいたが(余計な手垢を全て削ぎ落としたかのようなノーブルな人物像は、実際僕にとってものすごいインパクトがあったのだった)、彫刻作品はそれこそ天童荒太「永遠の仔」の表紙に使われた写真くらいしか馴染みがなかったので、今回は彫刻家・舟越桂の一端を知る良い機会であった。
「≒舟越桂」パンフ購入特典が、舟越桂の作品製作過程(この10月)で排出された楠の削り屑(巾着入り)だというので、ミーハーなのは重々承知しつつ1000円のパンフを買い求めてしまう。舟越さんにとっては「これが商売になるの?」という産業廃棄物だが、この木屑は確実に現在製作中の作品に地続きでつながっている。それだけで、僕など深い深い溜息をついてしまうのだ。
まず一作家の制作現場を追うドキュメンタリーとして抜群に面白い。
本来であれば作家としてオフレコにしておきたいであろう制作上の技法(クスノキの彫像に大理石の眼球を嵌め込む過程、その大理石の艶出しのプロセスまで惜しげなく映画は見せてくれる)や、制作過程での迷いや悩みを何しろ隠さない。現役作家が此処まで赤裸々に自分を晒け出す「潔さ」は舟越さんの人間性をかたちづくる一種のマッチョさなのかもしれない。スポーツマンであるが故に培った骨太さ、大胆さ、豪胆さは、作家としての繊細さに拮抗する事無く同居出来るのではないか。少し藤竜也に似たダンディな声質で、カメラへ向かって率直に語る舟越さんのたたずまいには、芸術家であると同時に、人間的真っ直ぐさというか、洗練されたスポーツマンシップみたいなものを感じさせる。体育会系作家とでも呼ばせてもらえばいいのか(ジャンルこそ違うものの、実は村上春樹のありようにもそれに近いものを感じる)。彼は作家としての矜持と不安との葛藤を隠さないが、或る種の清々しささえ覚えるのは、舟越さんがきわめてスポーツ選手的な潔さで悩み続けるからなのだろう。
通常1ヶ月半くらいで一作品を仕上げるという彼が本作の「とどまる言葉(2004)」だけは3ヶ月かかってしまう。回顧展の準備やCM撮影に講演会、大学の授業といった雑事に忙殺されたことも事実だと思うが、映画として記録に残るストレスが皆無だったと云えば嘘になるんじゃないか。藤井監督(本作はスタッフは彼一人だし、DV撮影という事もありライティングも使わなかった)は3ヶ月アトリエに通い詰める事で、舟越さんにとって日常に融け込み、遂には舟越さんのお茶目な軽口や作業中の口笛、創作の合間のTV(サッカー観戦)休憩まで創作に於けるライフスタイルを引き出すが、それだけ日常になっても尚、記録に残る(しかも劇場公開される)プレッシャーで作家と被写体との相克に引き裂かれそうな瞬間が幾度もあった事は容易に想像される。けれどそれを許してみせたのは、作家・舟越桂ではなく、大人・舟越桂の懐の深さなのだと思う。やはり彼はマッチョなひとなのだ。
話は全然脱線するが、モデルを使って裸婦の全身像を描くのは「パン食い競争」みたいなものだという喩えが妙に胸に引っかかっている。曰く、パン(モデルさん)が目の前にぶら下がっていれば、必死にかぶりつくが、では「よーいドン!」の声を聞く時、目の前にいる裸婦モデルは本当に自分が描きたかったものなのか。これは決して芸術だけに限った訳ではない、なかなか含蓄のある言葉だと思う。
映画は作品制作の総決算として(作品タイトルが決まらないまま終わる事がまた本作の意味を深めた気がする)、アトリエから飛び出して、路上に置かれたスケボーに、舟越さんが逆立ちして環八へ走り去るというサプライズとネクスト・ステージへの決意に満ちたラストシーンを用意する。「自分が作るのは肯定するだけの映画でいい」とドキュメンタリー作家・藤井謙二郎が最大級のシンパシーを込めて、映画を結んでみせた。作家としての藤井監督が凄いのは、人間・舟越桂の世界に深入りし乍らも、膨大なプライベート素材の使用を踏み止まって、作家・舟越桂だけをピックアップ・凝縮させたこと。クスノキの原木から気高い面差しの胸像を表出させるように、作家・舟越桂の気高い面差しを彫り上げた監督もまた体育会系作家なのかもしれない。
「こどもの城」に立ち寄って「ア・ラ・カルト」の当日券状況を確認(開演1時間前でも充分購入可能なようである。よし!)、次の映画へ行きそびれたので渋谷HVMで時間を潰しているとあっという間に16時半を過ぎる(DVD売場に「ゴジラ FINAL WARS (2004)」の撮影に使用されたゴジラとガイガンの着ぐるみが展示されていたが、撮影禁止でやんの。ケチくさいんだから)。待ち合わせは17時なので、慌てて三軒茶屋へ向かう。
この項、続く。
三軒茶屋駅の改札でさっちゃんと待ち合わせ、まずはキャロットータワー方面に向かい、ひとまずシアタートラムへ行ってから、あらためて今夜の早夕飯を食べに「ベーカーバウンス」へ。シアタートラム前の西友から茶沢通り(普通の商店街)を代沢十字路方面へ、太子堂三丁目の交差点(ビルから巨大なゴリラ。ゴリラの掌には赤いランドセルを背負った女の子が載っている)を左折し、雨が降っているとは云え、人通りの少なくなった細い路地を不安を募らせつつ歩くと暗がりの向こうにようやくチカチカ点る電飾が見えてきた。
17時半開始の筈だが、雨が降っていたからか15分前だというのにふたつのテーブルが既に埋まっていた。古き良きオールディーズのアメリカンスタイルな店内。至る処に当時の復刻版のデザインポスターが飾られている。本当はゆっくり料理をしている処が見たくて、カウンター奥のテーブルにつきたかったが、入り口に近いテーブルに案内される。
さっちゃんが「BACON CHEESE BURGER (自家製カリカリベーコンとチーズをトッピング) Cheddar or Swiss & Crispy Bacon (1,102円)」をオーダーしたので、僕は「EGG'N BACON BURGER (フライドエッグと自家製カリカリベーコン) Fried Egg & Crispy Bacon (1,102円)」を試す。ビギナーなので、さっちゃんはともかく僕もまずはレギュラーサイズにしておく。両隣のテーブルに来た皿を見る限り、生半可なヴォリュームではなさそうだったので、まずはメインディッシュを平らげてみて、胃袋に若干の余裕があれば、デザートを頼もうという話になる。後から思えばこの判断は至極正しいものであった。でもお代わり自由のコーヒー(367円)くらいは頼んでもよかったかもしれない。スタッフは常にテーブルのコーヒーカップ、もしくはグラスの水の残量に目を光らせているようで、グラスが空になる頃合を見計らって水を注いでくれるのがありがたかった。
スタッフは厨房に2人、カウンターの外に2人。僕らが会話していると、目の端に厨房で火の手が上がるのが見えたりして、煙もうもうの迫力が嬉しい。カウンターの外でもバンズを切ったり忙しくもきびきびと立ち働くおにいさんたちが頼もしい。
オーダーから10分ほどして運ばれてきたお皿のダイナミックも賑やかなこと。
肉汁したたる135gパティ(此処のお店は手作業でミンチにするらしい)の上から肉厚で巨大なベーコンをクロスして載せ、半熟の黄身を封じ込めたまま平たく延ばしたフライドエッグのおかげで、下のバンズは全く見えません。脇には上に載せるバンズ──勿論こっちのバンズも手ぶらで来た訳はなく、フレッシュトマトの厚切りにオニオンスライス、そしてキュウリのピクルス、そしてトマトの下に敷かれた葉っぱの陰に隠れて見えないが、実は玉子サラダも入っていたりする。これ、勿体無い事に気付かないひとは全く気付かないのではないか。そして小振りのココットにはコールスロー。アメリカンスタイルとは云え、無駄にヴォリュームばかりで稼いでいる訳じゃない、ハンバーガーの完全武装最終形態が其処にはあった(これに加えてアボカドやマッシュルームなどのトッピング・オプション(レギュラーサイズで50〜100円)も各種用意されている)。
さっちゃんは迷わず、バンズを重ねて「ハンバーガーとして」勝負を挑み始めたが、そうすると「青い紅玉」でポリィがうずたかい具沢山サンドイッチを食べた時の暴挙に等しい。まともに攻めれば、顎を外してしまうか、中身を四散させて周囲に具を飛び散らせるのは必定である。そもそも本陣より先に、シルバーブルーメの触手の如く四方に伸びた肉厚カリカリベーコンが「お相手いたす」とばかりに迫ってくるし。僕ァ、手ェびたびたにし乍らナイフとフォークを駆使したり、少しバンズ上層部を切り崩した処で大口を空けてみたり、とにかく食べにくいこと夥しいが(しかしさっちゃんは最后まで重ねて食べ切っていた。見事なものである)、少なくともそれは此処のハンバーガーの魅力を少しも減じたりしない。見た目を裏切らない旨さはこのことだ。ぐんぐん、ずいずい食べちゃうね。ていうか食べてたね。
ふたりで皿をあげた後、やはりデザートをいただこうとソファに確保しておいたメニューを開く。TODAY'S PIE or CAKE(本日のデザート)は「チョコレートパイ(420円)」。ハンバーガーのヴォリュームを思えば、一人一皿は油断がならなかったので、一皿を二人で分けて食べることにする。
てっきりデザートは出来合いのものがさっと運ばれてくると思いきやオーダーしてからオーブンに入れるらしく、10分くらいかけてこちらも焼き立てが運ばれてくる。見た目はシンプルだが、昔「トムとジェリー」に出てきたパイそっくりのもの(但しカットされていたが)でちょっと嬉しくなる。ブラウニーに使われるような濃厚で口当たりのやわらかなムース状のチョコレートが、肉料理ですっかり満腹になった筈の胃の腑の、スウィーツ別腹部分に心地好く染み込んでいくのだった。尤も、一皿を半分こにしたのは正解だった。
支払いの時もシティホテルのコンシェルジェより物腰のやわらかさで応対してくれて、店を出る時はわざわざドアまで空けてくれる。質・量・サービス・価格とも大満足の一軒。三茶のうら寂しい路地の奥に「ベーカーバウンス」あり。さっちゃんとふたりリピーター決定だね、と頷きあう。そぼ降る雨の中、シアタートラムへ急ぐ。とは云え、入場時刻までまだ25分はある。何だ、楽勝じゃん。
この項、続く。
雨空という事もあり、シアタートラムには早めに着いたものの、既にロビーまで入場可になっていた。劇場への入場アナウンスがかかると同時に、一番乗りで例の宇宙船内部みたいな照明が溢れた渡り廊下をずいずいと抜けて、最前列中央の席をいち早く陣取ったので、さっちゃんが目を丸くする。尤も、此処は客席と舞台の直線距離が短いので最後列の席からでも役者の表情がよく見えるのだが、動きの少ないリーディングこそ、虫眼鏡で覗くように役者たちの表情を、口許をズームしたいじゃない。
500円という度を超えた低価格にも拘らず、未完の戯曲という構成が祟ったか、雨足が祟ったか、客の入りはせいぜい5割強といった処。
間近で手塚とおるのご尊顔を拝そうなんて、ミーハーな客は僕くらいなものらしい。
世田谷パブリックシアター★ドラマ・リーディング22
<上演にむけての新作戯曲リーディング>
川村毅/作 「クリオネ」 第一幕 於 シアタートラム
【作■】川村毅
【演出】川村毅
【出演】外村史郎 (真城涼)
【出演】宮本裕子 (白崎理香)
【出演】笠木誠 (安西栄一)
【出演】伊澤勉 (男)
【出演】川村毅 (国仲誠一郎)
【出演】手塚とおる (首塔聖人)
ひとまず、横着その1。
以下、SEPTのハガキにあった今回のドラマ・リーディングの趣旨を引用する。
これまで海外の戯曲を紹介してきたドラマ・リーディング。今回は現代の日本の劇作家を取りあげて、上演にむかって戯曲をさらに練り上げるためのリーディングをおこないます。
更に横着その2。
川村毅は戯曲『クリオネ』執筆にあたって、04年5月サイスタジオで第一幕第一稿を試演。ほぼ同時に、この戯曲の原作ともいえる小説「夜」を文芸誌すばるに発表しました。今回リーディングするのは、試演後に改作された第一幕です。
そして、この後、第二幕を加えた『クリオネ』全篇を来年2月ザ・スズナリで上演します。
『クリオネ』第一幕を読むのは、公演に出演する俳優たち。まだ稽古前の、演出を極力排した、戯曲にじっくり向かい合うリーディングとなります。終了後には、客席との意見交換やディスカッションもおこないます。ぜひ、劇作家や俳優と一緒に、戯曲の創造過程にご参加ください。
以下、入口で手渡されたリーフレットにあった川村さんの言葉を引用する。
いろいろ思う。
舞台には大昔の小学校の教室にあったみたいな年代物の机と椅子が6脚並び、各々の机にはペットボトルの水が置かれている。最初にスタッフの女性(館長?)から本日のプログラムの説明があり、やがて舞台奥手から順番に台本を小脇に抱えた出演者が登場し、上手から順番に、笠木誠(安西栄一)、外村史郎(真城涼)、手塚とおる(首塔聖人)、宮本裕子(白崎理香)、川村毅(国仲誠一郎)、伊澤勉(男)の各氏が席につき、川村さんの簡単な挨拶と説明のあと、伊澤さんが戯曲の最初のページの出演者を読み上げるのに合わせてひとりずつ挨拶(ト書きは基本的に伊澤さんが読み上げ、彼が(男)を演じている間は宮本さんがト書きを読むというスタイル)。で、旨い具合に(とは云っても最前列ど真ん中だからなァ)僕らの前に手塚さんが座る。やたっ。手塚さんは髪をゴスロリ少女みたいな鮮やかなピジョン・ブラッドに染めている。役作り…じゃないよなあ。
川村 毅
古典のテキストは相変らず演出家の野心を十分満たすものであろうし、外国の最新戯曲もすばらしいものは少なくはなく、それらの上演を全否定する気などさらさらないが、しかし、でも、やはり今の私たち、日本のことはここで息をしている者にしかわからないし、日本の劇作家はさらに胸を張って今を描き続けるへきだし、周囲もさらに意欲的に、いわば劇作家を利用し、シッタゲキレイしていただきたい。
今回のこのリーディング公演は、劇作と上演の関係における硬直と緩さを見直すものとして積極的に関わっていきたい。
二十年間の第三エロチカでの活動によって自ら築き上げてしまったイメージもがんがん無視していきたい。
川村さんによると、昨日初めて顔合わせしたばかりで、台本もその時に初めて手渡したそうで、まだ一回くらいしか読み合わせを行っていないらしい。そりゃ確かに「まだ稽古前の、演出を極力排した、戯曲にじっくり向かい合うリーディング」だわ。ちなみに本稿は第三稿で5月に試演したものと比べると消えた人物が居たり、居てもキャラクターがすっかり変わってしまったりと、かなり改訂が行われたようである(第二部のティーチインでサイスタジオの支配人の女性が披露してくれた)。実際には第二幕まで仕上がっているそうなので(三谷さんを標準にして考えちゃいけない)、今夜のリーディングはほんの予告篇みたいなものだ。続きが気になったら、2月にスズナリへ走るしかない。で、さっちゃんも僕も川村さんの策略にまんまと嵌ってしまう。首塔聖人のあの台詞で終わられても困るし、それはロビーで販売してた「すばる」2004年5月号を読めば溜飲が下がるというものでもない。
それにしても皆さん、長台詞が多い。真城役の外村さんなんか「語り手として」延々モノローグを喋っているし、一幕後半は国仲に殺人を犯した自分の過去を告白する(或いは手記の語り手となる)首塔聖人の独壇場だ。さっちゃんが昔聴いてたラジオドラマを思い出すと云ってたが、それは本作が膨大な台詞劇だからだろう。バーと病院など場面転換がぽんぽん出て来るが、どんな舞台になるのだろう。台詞そのものに物語が棲んでいる以上、舞台美術はシンプルになっていく気がする(「溺れる世界」がまさにそうだった)。ましてや、器の小さなスズナリだし。
それから今夜の川村さんは、本番でカリスマ的なクライム・ムービーの映画監督・国仲誠一郎(三池さんがモデルっぽいが、唯我独尊的な人格は蜷川さん的でもある)を演じるルー大柴(!)の代演だったらしく(そ、そーなの?)、ルーらしさを演じてみたのか、元々役者・川村毅がエキセントリックなのか、作者だけに戯曲を知り尽くしている事もあって、ひとりだけ机から立ち上がってみたり大きく身振り手振りを入れて(男が犯した絞殺を再現するシーンでは、外村・笠木さんがノリノリで付き合っていた)、リーディングの牽引役になっていた。
川村戯曲は大昔に一度、第三エロチカの舞台をBS2で観たきりなので(川村さん自身がメインキャストだったと思うが、ごめんなさい、あんまり記憶にない…)、事実上、今回が初体験だったのだが、猟奇性犯罪を扱ったミステリー(なので物語の詳細は明かさない)であり乍ら(二幕目がどう転がるか分からないけど)、潤滑油としてのブラック・コメディ的なテイストが効いている。C調で下品な映画プロデューサーの安西の「バイアグラ!」「フィスト・ファック!(ぉぃぉぃ)」などと云った親父な口癖が会話劇の相槌として、後からレバーに響いてくる(まるで台詞に心のこもってない感じが、笠木さん、非常に旨い)。手塚さんが結構ゲラで、他の役者さんの台詞にしばしば噴いているのが楽しげで良かった。
川村さん曰く、日本に於ける新作戯曲の作られ方を見ていると、締め切りはあって無きが如しで、初日が始まる直前になってようやく書き上がってきて、第三者の目に揉まれる事無く垂れ流されている(公演期間も短いものが殆どなので戯曲に「直し」を入れる時間が無い)のが実情だが、例えばフランスでは上演前の戯曲を無料リーディング公演することは別に珍しい事ではなく、第三者の反応を見て、戯曲に直しを入れ、推敲とリーディング公演を重ねて練り上げた戯曲を初めて芝居にかけるなんて事もあるらしい。だから日本でも、たとえば新人の書きかけの戯曲を、プロの役者さんに協力してもらってリーディング公演にかけて、客の反応が悪ければ上演しない、というのも「アリ」なのではないか。
川村さんのこの発想は、映画で云う処のスニーク・プレビューに近い(こちらは一旦完成させたパッケージを一般試写して、客のアンケート結果で作品の出来不出来をジャッジする)。確かにカネのかかる話だが、とりあえず映画製作費程ケタはずれではない。だからこそ世田谷パブリックシアターが赤字覚悟で始めてくれた訳で(尤も今回のリーディングは上演が決まっているものばかりだが、客的にはそれでも十分スリリングである)、関係諸氏の英断には一観客として厚く厚くお礼を云いたい。
ティーチインそのものは余り振るわなかったが(実は挙手したかったのだが、お三方共コワそうだったので)、今日は役者モードだったんで作家の頭に戻らないと、かぶりを振った川村さんが印象的だった。面白かったのが「役者としては(舞台に立つのは)どうか」と問われて「誰も使ってくれないんだもん。皆んな扱いづらいと思っているんじゃないの、云う事聴かなさそうで(以下、小声で)でも本当はそんな事ないんですけどね」とか。ご自分を称してエルメスの秋のコピー『すべてが変わったが、なにも変わらない』に例えるとか。
あれだけ美味しいハンバーガー食べて(この時点でまだ満腹)、スリリングなリーディング公演を堪能しても、全部で2000円届かない(交通費別)ってのは実は凄いんじゃないかと、さっちゃんに話す。彼女は既に来年のスズナリへ行く気満々なので、これは今夜惜しくも参加出来なかったはるさんを巻き込んで、今夜の顛末の落とし前を着けるしかないか…て、現段階ではまだ思案中。実は来月下旬の鐘下辰男・新作戯曲のドラマリーディングも気になっているんだが、下手に面白かったりすると(何て云い草だ)後が怖い…。
キャロットタワー1階スパイスアベニューにある「FLO PRESTIGE(フロ・プレステージュ)」でチーズタルト1/4カット(315円)とキャラメルプティング・タルト1/4カット(315円)(いずれもホールで買うと1500円ちょっとする。カットで買ったお得という珍しいケース)を妻子へのお土産に買って帰って、勿論一緒に食べる(満腹じゃなかったんかいっ)。特にチーズタルトはコクがあり乍ら決してクドくはないという、なかなかの掘り出し物であった。チーズタルトの後で、キャラメルプティングはちょっと甘さが勝ち過ぎたかもしれない。「食べる順番を間違えたんじゃない?」とは妻の言。
平日の池袋は何しろ遠いが、此処で泣き言を云っちゃあいけない。
万障繰り合わせて18時に退社して、丸の内線で池袋へ向かい、どうにか5分前に(!)東京芸術劇場の入口まで辿り着く。受付はやっさんと右團治さん(此処んとこ、サイトの更新をサボっていてすまんこつ…)の若手真打コンビ。時間が余りなかったので、挨拶もそこそこに(これまたすまんこつ…)客席に走る。今日はハコがでかいというのに、300席は殆ど満席(文治師匠は偉大だなあ)。
それでも最前列上手側にかろうじて空席が残っていたので、どうにか「かぶりつき道」を貫き通す。
思えば此処まで全員が揃った一門会は師匠が亡くなって初めてではないか。6月にあった神奈川県民ホールの追悼会は真打のみの参加だった。正確には伸乃介さんがおられない訳だが、今後一門会と云うと基本的には今回の座組みを指す事になる。けれど去年の丁度今頃(2003年12月7日)、最后の「桂文治の会」が開かれていた訳で(それに顔を出さなかった僕はつくづく大たわけ者であった)、そういう意味でも今宵こそ追悼会に相応しい。
「桂文治を偲ぶ会」 於 東京芸術劇場小ホール2
18時開場 18時30分開演 木戸銭2,000円
以下、高座で語られた文治師匠のエピソードを中心に備忘録をば。
桂前助「牛ほめ(途中迄)」
マクラは文治師匠の思い出にからめて、文治師匠のお父様、初代・柳家蝠丸師匠と同じ高座にも出た(!)という神田伯龍先生に伺った先代・蝠丸師匠の人となりなど。来年2月の二ツ目昇進(一門の総領弟子である蝠丸門下という事で、柳家小蝠(蝠丸さんの二ツ目時代の高座名)を名乗るらしい、と談之助師匠の掲示板で知ったが、前助さんご本人からは未確認)に向けて、10年と9ヶ月を過ごした前座最后の日(奇しくも文治師匠の命日)に上野広小路亭で落語会を演るらしいので、興味のある方は是非(木戸銭1,500円)。ネタは文治師匠が寄席でよくかけた前座噺「牛ほめ」を途中まで。何しろ、今夜は盛り沢山のプログラムですからね。
桂快治「やかん(途中迄)」
今夜は黒紋付を羽織って登場、「ちょいといつもと違う恰好ですが」と断ってから、いつものマターリ系マクラは入れずにいきなりネタに入る快治さん。これまた文治師匠が得意だった前座噺「やかん」を途中まで。快治さんはマクラには思い切り自分らしさを投入するものの、ネタは本寸法で勝負の噺家さんなのだが、余計なおかずを入れずとも「先生」の知ったかぶりなさまが今夜の客のツボにはまったらしくどかんどかんとウケていく。今宵の客席は師匠の贔屓筋が集まっている事もあって非常に良い雰囲気。
桂右團治「あわてもの」
右團治さんはご自分のそそっかしさをマクラに(受付でチケット半券の小さい方を渡した、というエピソードはいかにも右團治さんならやりかねない話で(ごめんなさい → 右團治さん)二重の意味で噴き出してしまう)、これまた師匠の十八番の一席「あわてもの」を。今夜は滑稽噺のオンパレードだな。尤も文治師匠は滑稽噺の大家だったから、師匠の遺伝子を受け継ぐ皆さんが、偲ぶ会で人情噺をリレーしていちゃ具合が悪い(逆に云うと今夜に限っては人情噺は一切ないと断言出来る)。そそっかしい(というか殆ど痴呆症気味の)旦那の世話を事細かに焼くおかみさんの佇まいが白眉。
桂伸治「代り目」
てっきり入門の遅い順だと思っていたら、此処で伸治さんが登場。マクラで一門の酒癖の話になり(とりあえず右團治さんがいちばん強いという事にされていた・笑)、酔った勢いで小文治さんが師匠に「クソ爺ィ」と云い放った挙句、頭を引っぱたいた逸話を暴露。尤も、この話は後半の一門の座談会で続きが語られ、小文治さんは「皆に酒を呑まされ、謀られた」と弁明、続けて蝠丸さんが「その後、続けて平治さんが『目玉オヤジ』と罵って、後ろから快治さんが小さな声で「そうだそうだ」と、アタシを除いてとにかくひどい弟子たちなんです」とオチをつける。事の真偽よりも、一門の仲の良さが伝わってくるエピソード。伸治さんは下戸で甘党だが、師匠の演目でも人気の高かった「代り目」で憎めない酔っ払いを好演。文治師匠を語る時、お酒の噺は欠かせない。
柳家蝠丸「尻餅」
マクラは文治師匠の病気ネタ。20年ほど前、師匠が一度だけ入院した時に見舞いに来た故・小南師匠が「文治さん、やっぱり酒はやめなきゃ駄目だよ」と得々と諭した挙句ビール券を置いてった話とか、晩年師匠が右膝を悪くして、さるひとに「もう年なんだから仕方ないですよ」と慰められた折に「そんな事云ったって、こっち(左膝)だって同い年なんだよ」と云い返した話とか(師匠らしすぎて、可笑しくて涙が出た)。ネタは師匠直伝ではないけれど、年の瀬ということで「尻餅」。此処で師匠の「掛け取り」を演らない処が蝠丸さんのバランス感覚なのだな。とどのつまり艶笑噺である「尻餅」を、爆笑させつつも、一定の品位を保ってみせるのは蝠丸さんならでは。
──お仲入り──
一門「師匠の思い出の対談」
舞台中央に設えられた紫の高座に、師匠愛用の帽子とトランクとステッキ。そして在りし日の師匠のパネルと(そう云えば、先ほどの前助さんの高座で、舞台袖からこのパネルが見えるので師匠に見られているようで演りにくくてしようがないんですとぼやいていた)、座布団に蝠丸さん。高座の上座側から、前助さん、右團治さん、小文治さん、高座を挟んで、伸治さん、やっさん、快治さんと一門が勢揃いして、師匠の思い出を語る暴露大会。このパートだけ抜き出して、ロフトプラスワンで毎月シリーズでチャージ料を取っても勿体無いくらいの面白さ。確かに文治師匠がお元気だったら「板の上で」このトークは絶対にありえない(勿論、お酒の席ではこの限りではなかった・笑)。さんざん(とりわけ伸治さんが・笑)盛り上がった挙句、暴露大会は一門にまで及ぶが、蝠丸さんの「これだけ皆で師匠の話をして、誰も芸の話をしていない」にとどめを刺される。其処から「ですから私だけは芸の話をしたいと思います」と弟子思いの師匠が、弟子の高座を客席から聴いて悪い処を直してくれる話になるが、二ツ目時代の蝠丸さんの高座で、ただでさえ客が少ない上に、居眠りしている客席に師匠が割って入って行き、ひとりひとりに「ウチの弟子がやってるんだから」と起こして廻るので、客席側が盛り上がって誰ひとり蝠丸さんの噺を聴いてくれなかったとか、やっさんが高座で云い間違えた途端、師匠が最前列から大声で直しを入れたとか、結局は師匠ならではの爆笑エピソードに落ち着くのだった。どうやら時間を大幅に超過して終了(したらしい)。
桂平治「不精床」
開口一番「もう何も云う事はありません」に大笑いする。それでも、文治師匠が芸協会長職を引退後、米丸師匠とふたり「最高」顧問というのもアレなので、理事会で「江戸弁に詳しいので『江戸顧問』でいいんじゃないか。それでいつだって『ジョーズのキャー』の米丸師匠が『鮫顧問』」のエピソードを開陳(て、半分以上、ネタっぽいけど)。これ、何度聴いても可笑しい。師匠とやっさんご用達の湯島の床屋さんの話(くだんの床屋さんも近々隠居するのだとか)から「不精床」へ。5年ほど前、やっさんが故郷の院内で真打披露をやった時に、文治師匠がかけたネタがこれ。僕が師匠の「不精床」を聴いたのは後にも先にもあれっきりだった。これまた床屋の親父の倣岸不遜・傍若無人振りが止まらない滑稽噺。
桂小文治「虱茶屋」
トリはこの会の踊り隊長・小文治さん。蝠丸兄さんに「別に師匠のネタに拘らなくてもいいんじゃないか」と云ってもらったので、と僕的には小文治さんイコールなネタの「虱茶屋」とこれは嬉しい読み違え。久方振りに幇間(たいこもち)一八の超絶ダンスを拝ませてもらう。いつか小文治さんには「酢豆腐」の若旦那と「虱茶屋」の一八とで、超絶ダンス頂上対決を組んでもらいたいくらいだ。とにかく扇子と袂の使い方が絶妙で、仕種と音とテンポとが三位一体となった、小文治さんならではの「カイカイ」ダンスは五感を研ぎ澄まして楽しむが吉。
右團治、平治、小文治、伸治、蝠丸「寄席の踊り──奴さん姉さん、かっぽれ」
小文治さんの高座が終わって一旦緞帳が降りたものの、実は「お楽しみはこれから」だった…。昨夜もやっさんから「明日の踊りがユーウツで」などと気鬱なメールが来たのだが、そうか、これだったか。僕如きの文才ではテキストでこの面白さを伝えるのは不可能である。まず最初に常日頃から踊っている小文治さんと右團治さんのふたりの「模範演技」を披露した後、上手(かみて)から蝠丸さん、伸治さん、やっさんと恐怖の三人組がくたびれた花柳社中の如く襲来、五人して思い切り「息の合わない」処を見せてくれる。この足並みの揃わなさは或る意味「至芸」と云っても怒られまい。中でも蝠丸さんの真逆な動きはグルーチョ・マルクスも吃驚だ(7割の天然と3割の計算と、この配合具合が難しい)。小文治さんの当日の日記によると「師匠は弟子に踊らせるのが事の外好きでした。と言うのもお客様の笑いでよくわかります。」との事。張り扇(やっさん曰く「白のポカリ」)まで持ち出して、弟弟子が兄弟子を張り倒すルーティン・ギャグも一門会ならでは。右團治さんのフェロモン・ボイスも聴きものだった(或る意味ズルい・笑)。客席から快治さんがデジカメで撮影していたので、いずれこの模様は芸協か伸治さんのサイトで公開される筈だが、客席で体感したこのオモシロさは決して伝わらないんだろうなあ。
寄席踊りの恰好のまま、一門の皆さんがお見送り。おかげで(という云い方もあんまりだけど)ロビーが沢山のお客さんでごった返していたので、とうとう右團治さんの処まで辿り着けず、前助さんも見つけられなかったので年明けの二ツ目情報も確認出来ず(※)。かろうじてやっさんの張り扇ショットだけCCDカメラにおさめて帰途に着く。それにしても一門会は今後も定期的(広小路亭位の小さなハコでいいので、年に3回くらい)に続けて欲しい。
(※)てな事を書いていたら、前助さんから今日FAXで二ツ目情報が届いた(詳細は「前助の小部屋」を参照の事)。一門対談の時、いちばん上座側に座っていた前助さんが時折こちらをちらちら見ていた(気がした)のはこーゆー事だったか。夜、確認のために前助さんに電話したらやっぱり僕をちらちら見ていたらしい(笑)。気持ちは伝わるものですね。
ちなみに東京かわら版が発行している「寄席演芸年鑑 2004年版」によると柳家小蝠は前助さんで五代目になるらしい。「柳家蝠丸」という名前は二代目なのに不思議に思って、前助さんに訊ねたら、初代・蝠丸師匠は弟子を持たなかったそうだが、当時たいへんな人気だった為にそれにあやかって傍系に「柳家小蝙」という名前が誕生したらしい。つまり先代・柳家蝠丸に連なる「小蝙」と考えると前助さんは二代目とも云える訳だ。
会社帰りに思い立って、丸の内へレイトショウを観に行く。
何はなくとも「血と骨(2004・日)」だけは上映終了前に観ておかなければ。
「血と骨(2004・日/崔洋一)」 丸の内プラゼール
崔監督の凄さは、メロドラマとして万人ウケする「クイール(2003)」なんかを映画職人に徹してさくさくっと(敢えて苦労を滲ませずに)こさえてしまえる処にある。映画会社に対してきちんと興行実績を示した上で「それじゃ、よござんすね」とばかりに映画作家としてやりたい事をやる、このスタンスがステキだ。
梁石日の原作小説は未読だが、”怪物”金俊平の波乱万丈な一代記は、文学という手法だけが持ち得るダイナミズムに寄って立つ。原作を読んで五感を揺さぶられるようにして得られる充足感を、映画として再現する(或いは超えてみせる)事の難しさと、仮に表現し得たとしても、それは現在の主流たる娯楽大作映画に求められているカタルシスとは異なるという2つのハードルが、崔監督の前には立ちはだかる。所謂大作クラスの予算を注ぎ込んで、且つ観客が予想し得ぬ映画的感動を与えなければならない。
金銭即ち生きる事に対する執着が俊平(ビートたけし)をハイパー化させ、彼を取り巻く人々を否応なく、ギラギラした彼の人生の影響下に置く。カメラはヒールにしてそれ自体が宿命のような金俊平が投下された大阪のドヤ街の有機的変遷を丹念に追う。其処には人が羨むようなしあわせな人生のサンプルはひとつもない。むしろ不幸の見本市と云ってもいい位、映画の最初から最后迄、貧困と差別と憎しみと怠惰と絶望が渦巻く(ちょっとした感情のボタンのかけ違いで縊死に到る花子(田畑智子)の不幸はマイケル・ウィンターボトム「日蔭のふたり」で母親の不用意な一言を真に受けて自殺してしまう幼い兄弟と重なる)。それでも確実に其処に生生流転がある。沢山のひとが生まれ(或いは訪れ)、死に(或いは退き)、生のたつきをあむのだ。この生きることのダイナミズムを、金俊平の姿を借りて観客に体感させようというのが、この映画の壮大な狙いなのかもしれない。もし若き日の今村昌平がこの作品を撮ったらどんな映画になったろう、ふとそんなことを思ったり。
僕には作家の目論見が何処まで成功しているかは判断できないが(敢えて瑕瑾を挙げるなら、俊平がハイパー化する過程を描かなかった処)、少なくとも力作である事は間違いない。2時間半という尺に、確かに金俊平を生かしてみせた監督の技量と(執念と云ってもいい)熱意をまずは称えたい。
生傷の絶えない現場だったと云うがさもありなん、主演のたけちゃん始め、新井浩文、オダギリジョー、松重豊他、沢山の満身創痍、粉骨砕身した俳優各位には頭が下がります。
おっと、書き忘れる処だったが、李英姫(鈴木京香)の「脱がない」問題。
(逆に濱田マリの「脱ぎっぷり」が話題騒然となってしまった)
一応、弁護を試みると、正妻・英姫と愛人・清子(中村優子)、定子(濱田マリ)たちとの大きな違いは、コトに及ぶ時に英姫は無理矢理犯されたのだけど、清子、定子たち愛人は、まず俊平に「脱げ」と命じられて脱いでいる。つまり「強姦」と「和姦」の違いがそのまま「脱衣」と「着衣」の違いに繋がっていったと。崔監督も一応世間の風当たりを考えて(かどうかは知らないが・笑)「脱衣」「着衣」の違いを考慮に入れた節がある。
個人的には河瀬直美「火垂(2000)」で注目していた中村優子に清子役で再会出来たのが収穫。この先「血と骨」と聞けば、まず脳腫瘍の手術で廃人になった丸坊主の清子を金だらいの水で拭いてやる俊平の姿が思い浮かぶだろう。あのシーンがあるから、俊平という人間の陰影が深味を帯びるのだ。それはともかくあの鬱陶しいボカシはどうにかならないものか。うー、かくなる上は「愛のコリーダ」みたいにインターナショナル版を作って、海外で上映するしか。て、国内で観られなきゃ意味ないじゃん。
お昼少し前に、大手町のオフィスを抜け出して丸の内オアゾへ。
丸の内オアゾのオープンと共にリニューアルされた丸の内ホテル8Fの「ポム・ダダン pomme d'Adam」にてN社Sさんたちと総勢5名で会食。
妻の誕生日で行った「ブルトン」以来、久し振りのフレンチ。
ホテルの真新しいロビーは7Fにあって、窓の向こうに広がる空中庭園が綺麗。
華やかだが落ち着いた配色でホテルの雰囲気を壊さない大きなクリスマスツリーと、ロビーのそこかしこに配置されたやや大き目なポインセチアの鉢を臨み乍ら、9〜17階まで続く客室の吹き抜けを見上げるかたちで階段を登ると、壁を取り払ったアトリウム型のオープンスペース一画がそのままフレンチレストラン「ポム・ダダン pomme d'Adam」になっている。予約席のテーブルにつくと、首が痛くなるまで見上げた天井から階下のロビーまで、莫迦々々しいスケールの吹き抜けを時折、洗練されたデザインのエレベーターが昇降していくのをただ眺めているだけでも異世界気分が味わえる。これはホテルのストラクチャーを活かしたロケーションの勝利だと思う。
メニューを開いた途端、「ランチコースA(6,930円)」、「ランチコースB(9,240円)」が目に飛び込んで来て驚愕するが、最后のページの「コース仕立てのランチ」は、5種類のチョイスメニューにオードブルからデザート、コーヒーまでつけて2,310〜4,042円と(コースに比べれば)うんとお手頃価格。尤も、2,310円なのは「安曇野産赤鶏とベーコンのアメリカンクラブハウスサンドイッチ」とどんなに名前を繕ってもサンドイッチなので、僕は「本日入荷した鮮魚のポワレ ヴェルジュソース(3,234円)」をチョイス。あくまで会食だから出来るゼータク。平日のお昼に自腹でほいほい来れる処ではないが(そりゃ物理的にオフィスからは近いけどさ)、たまにはこういうお昼も悪くないですね。
以下、ごくごく簡単に食譜。
「お食事前の小さなオードブル」:ほたてのマリネに甘めの柑橘の果肉を添えたもの。一口でなくなってしまうアミューズ・グル。
仕事モードだったので、写真はメインディッシュのみ(撮っただけエラい。蛮勇とも云う)。
「本日のおすすめスープ」:キャロットのポタージュ。しっかり人参の味が主張していました。
「本日入荷した鮮魚のポワレ ヴェルジュソース」:魚は二種類。赤むつと聴いたことの無い名前の魚(何しろギャルソンのおねえさんも名前を間違えたくらいだ)。ヴェルジュとはフランス語で果樹園。ヴェルジュソースに決まったレシピがあるかどうかは知らないが、少なくともライムかレモンの果汁にバルサミコ酢とオリーブオイルが合わさってた気がする。ポワレの周囲を火を通したミニキャベツやプチトマトの赤いのや黄色いのがぐるりと取り囲んでいて、見た目も可愛らしい一皿(他の人が頼んだのは土鍋カレーや土鍋ハヤシライスだったのでフレンチって感じじゃなかった。ラッキョウや福神漬けついて来てたし)。
「本日の有機野菜サラダ」:単なるグリーンサラダ。ドレッシングも普通。一工夫あってもいい気がするが、どうか。有機野菜って云っても云われなきゃ分かんない。
「デザートとコーヒー」:パウンドケーキをカットしたものにフルーツとアイスクリームを盛り合わせたもの。コーヒーはデフォルトでエスプレッソ(これってスタバ効果?)。ただデミタスではなく普通のコーヒーカップ。
さすがに丸の内だけあって、ビジネスや商談に此処を利用しているおやっさんも多かったが、シャツの腕まくりをしてビールを空けているのはいかがなものか。何だか折角のロケーションを犬死にさせている気がする。
15時半に会社を出て、JRで浜松町へ向かう。
インターコンチネンタル 東京ベイのバンケットルームで16時から某社の新商品説明会。また何処ぞへ遊びに行っていると思ったあなた、余り日記には書かないけど仕事もちゃんとしています(などとわざわざ断る事でもない)。バンケットルームの窓から見える東京湾の夜景の何と美しいこと。
打合せは予定を1時間ばかり押して18時で終了したが、帰途Tさんが「ちょっと其処らの居酒屋でミニ忘年会しない?」と仰るのでモノレールビル1Fにある居酒屋「ふらいぱん」で、大手町のオフィスに居たMさん(♀)も呼び出してお昼同様、総勢5名で即席忘年会(微妙にメンバーが違います)。このお店はオーナーがマヨラーなのか野菜コロッケだろうが甘鯛のひらき(此処の甘鯛は自己顕示欲が強くて、ひらきなのに背中を向けて出て来る。確かにお腹からだと甘鯛なんだか鯵なんだかよく分からないけどさ)だろうがお皿の脇にマヨネーズが添えてあって、ひらきにマヨネーズが案外イケる事を知る(尤も、妻はこういう食べ方は絶対認めない気がする)。其処からマヨラー夫 vs アンチ・マヨラー妻の話題で暫し盛り上がる。TさんもMさん(♂)(因みにMさん(♀)とはアカの他人)も根っからのマヨラーで、Mさん(♂)など家事は一切やらないものの、食事の際に冷蔵庫からマヨネーズを取り出す事だけは欠かさないらしい。ま、男なんてどんなに威張ってたって子供みたいなもんですよ。
名残惜しくも19時15分でイチ抜けして(他の皆さんはそのあと店を八重洲に移動して23時位まで盛り上がったらしい)速攻で帰宅、やっさんと「噺の穴」のやりとりをしつつ、昨夜受け取り損ねた(丸善で糸井重里のサイン会に見とれてたオレが悪いんだが)、20時配送(実際は20時50分だった)のAmazon「古畑任三郎 すべて閣下の仕業」をようやくゲットして、三谷&河野&石原&関口各氏のコメンタリーVer.を観る。
以下、ネタばれになるが、
・先の事は分からないが「すべて閣下の仕業」はひとまず最終エピソードとして書かれた。
などなど、過去の古畑シリーズも含め、とっておきのエピソードが満載の120分。
・犯人が自殺する、というラストも最終エピソードを意識したもの。
・今泉&西園寺を本篇に登場させると、閣下を独りきりに出来ない(自殺させられない)為、彼らを作劇上排除した。
・津川さんの再登場は古畑を締めくくるにあたって、このドラマを彩った重要な役者さんを再配置したかったから。
・製作が確定すると、兎に角田中要次のスケジュールを押さえた(ガルベス君は田中さん以外考えられなかった)。
・プエルトリコロケ。浅野さんだけが現金受渡しのシーン撮影で現地入りした。
(「今泉慎太郎 大空の怪事件」にまでしっかりコメンタリーがついてます)
尤も後半は睡魔を堪えて観ていた為、取りこぼしが多々あると思う。週末にでも再挑戦せねば。
幻のオープニングで三谷さんが「新選組!」(勿論フェイク)の原稿を打っているのには笑った。「近藤さん、ニッポンの夜明けは近い」って、口からでまかせにも程がある。あと「赤い洗面器の男」の元ネタは三谷さん所蔵のイスラエル・ジョーク集から取られたものらしいぞ。
「ゴジラ FINAL WARS GODZILLA FINAL WARS (2004・日/北村龍平)」 109シネマズ木場
巷で賛否両論かまびすしいゴジラ映画のファイナル・ウォーズ。
福岡から妻子が帰ってきたので、ふきやのお好み焼きで遅めの夕食。
尤も観客の誰一人、これがファイナルだなんて信じちゃいない。
結論から云えば、ゴジラ映画として充分「あり」の一本(作品の好き嫌いはまた別の話)。
最終作と銘打って尚、決して安全パイとは云えない北村龍平を起用した富山省吾Pの「英断(博打)」には敬意を表したい(少なくともこれまでのどの平成ゴジラとも違う映画になったのは事実)。どんなに崇高な理屈をこねくり回した処で、東宝の正月番組という時点でゴジラ映画は、観客がお気楽に楽しめるよう作られるべき宿業を背負わされている。かつてゴジラ映画で正月を迎えたひとたちの胸に去来するのはたぶんおバカ映画としての「ゴジラ」ではないか(そういう意味では「GMK(2001)」の立ち位置は見事だったのだな)。
平成ゴジラでこれまで唯一反復されなかった「怪獣総進撃(1968)」型のオールスター怪獣映画を、けれんみ(娯楽映画には重要な事です)とスタイリッシュなアクション(だけ)には定評があり、且つ「平成ガメラシリーズ」の呪縛を受けていない(と思われる)北村監督に料理させて、どがちゃかとキース・エマーソンのサウンドが賑やかなMTVみたいな新世紀(尤も作劇スタイルそのものは新しくも何ともない)のおバカ大作を提供する。ある意味これ以上、真っ当な正月映画はない。
世の特ヲタはゴジラ最終作というよりも、非・怪獣マニアだが(だから怪獣への愛などというものを期待してはいけない)娯楽映画指向の作家(職人)が作った「怪獣総進撃」トリビュートくらいの気持ちで観るのが吉。
という訳で、「GFW」のゴジラ映画史に於けるその意義と立ち位置は充分に評価したい。
その上で尚、北村映画って居心地悪いよね、ってそういうお話。
僕がこれまで観たのは「the messenger〜弔いは夜の果てで〜(2002)」「あずみ(2003)」の2本きりだが、それで懲りて、去年の「荒神(2002)」「スカイハイ劇場版(2003)」はスルーした。困った事にこのひとの作品は予告篇がいちばん面白い。北村映画は人間ドラマが入った途端にダレダレのパーになる。無論、「GFW」でも例外ではない。
「GFW」は一級のアトラクション型娯楽映画を目指したものだと思うが、であればこそ、観客のグルーヴ感を損なうのは害悪だ。途中で観客が白けて素に戻ったなら、それは作品としての敗北だし、ましてや普段から大言壮語を吐く北村監督に何の遠慮がいるものか(勿論、いい処も沢山あった)。
以下、思いつくままに書き連ねる。
轟天号艦長ゴードン大佐に扮するドン・フライ始め数多の外国人俳優を総吹替にしたのはお手柄。物語の早いうちからゴードン大佐が玄田哲章喋りをする事で、無理なくそれが映画の約束事として機能するし、ニューヨークで関西弁が行き交うのもいっそ愉快だ。それだけに世界中でただ一人(!)英語訛りでたどたどしく喋るケイン・コスギの違和感はどうだ(ひょっとするとこれは北村監督が仕掛けた最大のギャグなのかもしれないが)。優れたアクション・スターである彼をミスキャストだとは思わないが、ただでさえマッチョで汗臭い台詞をよりによってカタコトで応酬させちゃいけない。観客を立ち止まらせる、という点に於いて「キル・ビル」のルーシー・リューより罪深い。
脇のキャスティングに関しては、不満は殆どない。
冒頭のバトルで平成ゴジラの功労者である中尾彬&上田耕一(特に上田さんは皆勤賞ではないか)が初代轟天号艦長&副艦長として(余りにも「表層的」と誹りを受けるかもしれないが)北村ヒーローを演じたのは素直にクールだったし、更に昭和からの功労者である宝田明&水野久美に北村ヒール&ヒーローを演じさせたのもいい(天本英世翁が生きていたら、北村監督はどうアレンジしただろう)。今後「GFW」を語る上で欠かせないマタギの泉谷しげる、傷だらけの副艦長・國村隼。北村組常連のX星人・北村一輝は案の定ギラギラと漲る存在感(ちょっとはしゃぎ過ぎだけど)。FM番組のパーソナリティ役で北村龍平本人が小橋賢児とちぇげらうなトークを繰り広げているのもご愛嬌。主演女優として一本立ちした長澤まさみが相変らず小美人に扮する処は「お祭り」ならではか。
むしろキャスティング最大の癌はヒロインである菊川怜(分子生物学者・音無美雪)だろう。「新選組!」の幾松もそうだったが、このひとの鼻にかかった喋り方は巧拙を通り越して、どうしてこうも勘に障るのか。彼女が喋るだけでいちいち生理的に腹が立ってしまうのにも困ったもの。
あと醍醐国連事務総長(宝田明)の嘘を音無杏奈(水野真紀)が愛犬ネタで暴くというのは今更お恥ずかしい限り。米国産ジラをマグロ喰いと一蹴する楽しさ、モンスターXの変容体・カイザーギドラがしんがりに出てくる爽快感。でもミニラを庇う子役と対比して、人間たちを庇うミニラを観て泣ける観客がどれだけいるのか。これが北村監督のお気に入りのシーンだったりしたらすっごくイヤだ。
いずれにしても、ゴジラ映画は凍結、しばしのお別れとなる。北村監督は「GFW」の成績がよければ2年もすれば復活する、とうそぶいていたけど(尤もそれは決してうがった見方ではない)さすがにそれはないだろう。角川大映の「ガメラ4」次第かなあ。
勿論、お茶請けは石村萬盛堂の塩豆大福。
やっさんから「来てね」と念押しされ、彼が昼の部主任を務める末広亭中席を聴きに行く。
快治さんの出る頭っから聴くつもりだったが、午前中息子とまったり過ごしていたら家を出遅れてしまい、末広亭に辿り着いたのは、右團治さんの「粗忽長屋」で、八が熊を引き連れて熊の遺体を引き取るくだりに差し掛かる処だった。客席は7割〜8割の入りでなかなかの盛況振り。びくびくもので最前列の空いた席へに座るも、後で聞いた処、右團治さんは僕に気付かなかったようで、途中入場した傍迷惑な客としては却って助かったというか。
いつもだとこの後、各高座の備忘メモを書く処だが、実際にこの日記を書いているのが年明けの1月11日な事もあり(面目ない)、記憶がだいぶ怪しくなっているので、今回は出演者と演目のメモに留め置く。
桂右團治「粗忽長屋(途中から)」
三遊亭春馬「漫談(野球、相撲の噺…何かのマクラらしい)」(代演にして熱演)
Wモアモア「漫才」
三遊亭金遊「子ほめ」
三遊亭圓雀「浮世床」
都家歌六「ノコギリ漫芸」
三笑亭茶楽「紙入れ」
古今亭寿輔「フロ野球」
松乃家扇鶴「俗曲」
笑福亭鶴光「秘伝書」
──お仲入り──
桂伸治「ぜんざい公社」
東京太・ゆめ子「漫才」
三笑亭可楽「相撲根問」
春雨や雷蔵「強情灸」
鏡味正二郎「太神楽」(代演)
桂平治「長短」
そうそう、この日はひとつ大きなアクシデントがあったんだった。
寿輔師匠がアマガエルみたいな黄緑色のお召し物で登場してすぐ、二階からトンテンカンと賑やかな金槌の音が鳴り響いて、続く扇鶴師匠、鶴光師匠の高座共々、金槌旋風が吹き荒れた。寿輔師匠のぼやき漫談に応えるかのような金槌の応酬に、途中何度もヨヨと泣き崩れる寿輔師匠。三味線を構えて、いつもの独特のフラで「名誉挽かーい!」と唸った途端に、金槌が入って謡い往生してしまう扇鶴師匠(途中で舞台袖から私服に着替えた寿輔師匠が「扇鶴さん、あんたよく高座出来るねえ。鶴光さん、楽屋で激昂してるよ」と闖入してくるおまけつき)。勿論、僕らを含めた客は、アクシデントを歓迎するクチだから、師匠たちが泣く度に拍手喝采していたが、当の師匠方はたまったものではなかっただろう。
そして「楽屋で激昂していた」らしい鶴光師匠。
実は今日のたのしみのひとつが、この鶴光師匠の高座初体験。師匠は、70年代後半〜80年代のオールナイトニッポン世代に於いて、或る意味「神」に等しい。それはやっさんや同世代の芸人さんたちにも同様だったようだ。ま、それはともかく。
師匠が演台につくと同時に「トントントントン」。
そこで鶴光師匠、開口一番「──12月だけに第九(大工)が出て来る」。
おおッ、神の得意技「小噺その一(ちょっと違うが)」
実際はそのあと、当の神も大工の奏でるイカヅチに何度も崩れ落ちていた訳だが。
後からやっさんに訊いた処では、鶴光師匠が仲入りの間に強くそっち方面へ抗議したらしく、仲入り明けの伸治さんからは金槌の音がぴたりとやむ。工務店側も気の毒には思うが、寄席が始まる午前中に仕事をするとか演芸場に対して配慮して欲しいのは確か。
今日のやっさんの演目は「長短」。
他のお弟子さんまでは追えていないが、少なくともやっさんに限っては文治師匠が亡くなられてから、文治師匠の得意ネタを多く高座にかけるようになった。「源平盛衰記」然り、「親子酒」然り、「掛け取り」然り、そして、この「長短」。桂平治公式サイトを作ろうとやっさんと相談した際に、持ちネタに関する裏話をレギュラー・エッセイにしようよと持ちかけたのが「噺の穴」だ。そして、その頃彼がちょうど文治師匠にさらってもらったばかりだったのが「長短」だった。その少し前、佐賀で開かれた桂文治独演会で楽屋にお邪魔している際、文治師匠がやっさんの為に茂十さんの家へ向かう(いや、実際は向かえない・笑)道順の地図を書いてやると云われるのを聴き、脇で興奮したのを覚えている(その日の師匠の高座がまさに「長短」だったのだ)。そんな訳で「噺の穴」の第一回は、僕からのたっての希望で「長短」になり、文治師匠直筆の地図もスキャンして掲載したという訳だ。
マクラが長くなったが、桂平治の「長短」は文治師匠が降りてきているかのようだった。特に長七っつぁんはその一挙手一投足の細部まで桂文治が降りて来ていた。背筋が粟立つ位似ている。高座を降りたやっさんにそう云ったら、夜の部へのつなぎで楽屋に居た鶴光師匠からも「文治師匠そっくりやったわ」と云われたそうだ。物真似というのとは少し違う(たとえばやっさんが得意の柳昇師匠の物真似で「結婚式風景」を演る時の凄さとは根底が異なる)。ひょっとすると、やっさんは師匠が好んで演ったネタを、教わった通り丁寧に演じる事で師匠と束の間の逢瀬を過ごしているのかもしれない。
今夜は師匠のお宅で一周忌の宛名書きと云うので、メシはなし。
「これから芸協の事務所で年賀状の印刷に行くんだけど付き合う?」と云われ、芸協の事務所がとんな処か見たさにのこのこと歌舞伎町にある某雑居ビルへついていく。やっさんが事務局のひとと話しているのを聞くともなしに聞き乍ら、初席のやっさんや右團治さんのスケジュールをチェックしたりする(おいおい)。広小路亭の番組表なんかホームページ情報より早いじゃないか。て、あたりまえか。やっさんから年賀状の試し刷りをホームページ用に譲り受ける。
帰りしな、21日の歌舞伎のチケットがあるんだけど行かない?と誘われる。
国立劇場12月歌舞伎公演「花雪恋手鑑(はなふぶきこいのてかがみ)」「勧進帳」である。松本幸四郎の弁慶、市川染五郎の富樫、中村芝雀の義経では、行きたくない訳がないんだが…「そっか、平日だもんねえ。無理だよね。じゃ、前座さんを誘うよ(僕の代わりにこの僥倖を得たのは、三笑亭春夢さんだった・涙)」。
あう。臍を噛む、とはこういう時の事を云うんだろ。ね、そうだろ。
「Coo」で焼けケーキを買って帰る。
「クリスマス★クリスマス(2004・日/山口博樹)」 渋谷シネ・アミューズWEST
正直に云えば、小劇場系のキャスティング(大倉孝二、伊藤歩、近藤芳正、古田新太、生瀬勝久、あとワハハ本舗劇団員多数)に惹かれて観に行ったので、最初から作品のクオリティには期待していなかった。だって、これだけのキャストを揃えて、しかも35mm作品でレイトショウ公開なのには、それなりの理由があるって思うじゃない。
という訳で、映画を観終わった後の充実感を貰えないまま、無駄にクリスマスムード満点の渋谷を後にする。
結論から云えば、クオリティはかつての東宝や東映(決して松竹ではない)二本立て興行の併映作品並み。たいした映画ではないものの、「面白くない」で片付けるにはしのびない「ちょっといい」B級ハートフルコメディ。とにかくすずまさのホンが「あれえ?」な感じ。最初に思いついたアイデアが其処から先に広がらない(実際にアドリブでない台詞の応酬で笑ったのは古田新太が解説する「ファンタジーおしおき」くらい)ので、「ファンタジー保存協会」の設定そのものが持つほころび(とりあえず一例挙げると世間にその存在を知られてはいけないと最初に釘を刺し乍ら、宅配サンタのくだりではビラを配って協会の存在をアピールして、サンタを依頼する親たちも彼らと結託している節がある、とか)を、芸達者な面々がアドリブ連射機能を搭載した怪演と、現場のチームの団結力と和気藹々な雰囲気で補って、どうにか喜劇映画として成立させている。このホンには監督もかなり苦労したんじゃないか。
一方、同棲4年目の倦怠期カップル健太(大倉孝二)と美和(伊藤歩)の、互いをにくからず思ってい乍らもつい擦れ違ってしまう、その細かい「あや」の見せ方の旨さは、役者ふたりの力量と演出力の手柄だろう。台本の外で喋っているふたりの会話から窺える親密な湿度のある体温が、何かこう観客にも心地好いのだ。勿論、「ファンタジー保存協会」のアンサンブルも。僕は本作で初めてきちんと水橋研二を認識出来た気がする。いやあ、良かったです。
久本雅美の卑怯な自虐ギャグ(「ドンマイ!…あ・た・しが」とか)は健在だが、たまには違う彼女も観てみたい。更にあのポカスカジャンに見せ場が作れない(単なる引越し屋さん)のは勿体無いを通り越して、もはや罪ではないか。徹底的なナンセンスを指向している筈なのに、後半の心臓病の少年との交流を描いた浪花節パートとの竹で木を接いだようなバランスの悪さ、このどっちつかず感…だからこそ最初に併映作品並みのクオリティと書いたんだけど、何だか色んな意味で勿体無い作品を拵えてしまった気がする。
天皇誕生日。
飛び石連休で、飛び石がクリスマスイヴというのもなかなかスカしていていい。
このままだと映画を観ないまま今年が終わっちゃうので、映画鑑賞も年末進行で渋谷へ。僕は観賞数が限られてくると、不思議と邦画縛りにするクセがあるのだが、何故なのか自分でもよく分からない。あれもこれも落としてしまう…と焦っているくせにどういう訳か単館系の出来がリスキィな作品を選んでしまう。今日も前半はそんなラインナップ。
「ねじりん棒(2004・日/富岡忠文)」 渋谷シネ・ラ・セット
映画監督・廣木隆一が企画した[ラブコレクション]の中の一本。
この項、続く。
新米タクシードライバー井村(斉藤歩)が仕事中に立ち寄った下町の理髪店で、店主たち(石橋蓮司、角替和枝)へ世間話ついでに、真夜中に乗せた女性客・美咲(夏生ゆうな)との艶話を語り始める。自分勝手で奔放な美咲に翻弄され、愛人(ベンガル)との修羅場を挟みつつも、それはその後始まるサディスティックな情事のイントロダクションに過ぎなかった──。語るうちに、下衆な記憶に没入して熱くなる井村。そしてそれとは反比例するかのようにひややかになっていく周囲。井村が我に返った時、店のラジオから流れる落語「ろくろっ首」が丁度クライマックスに差し掛かる処で…とまあ、そんなお話。
構成・テイスト・キャスティングどれをとっても深夜時代の「世にも奇妙な」を思わせる仕上がり。
何となく夜中にTVを点けたら、つい面白くて最后まで観ちゃったってそういうノリですね。
最后の泣き顔が秀逸な石橋蓮司を始め、それぞれの役柄にぴたりと嵌まった芸達者が揃っているのと、あとは高ピー・夏生ゆうなのフェロモンひとり勝ちって処ですか(何だ、その感想は)。ていうか、そもそもデビュー以来、えっち要員でない彼女というのをオレは知らなかったりする訳だが、そのへんどうですか、皆さん(て、誰に訊いているんだ)。尤もえっち要員という縛りの中で、彼女は毎回違ったタイプの女性を作り込んでいる訳で、其処が女優・夏生ゆうなの魅せどころとも云える。或いはちょっと損をしている女優さんなのかもしれない。じわりじわりとけだものサイドに堕ちていく斉藤歩の小市民振りも、正しい観客目線。て、[ラブコレクション]って、女性の為のピンク映画シリーズだと思っていたんだけど、これはどう観てもおっさんご用達成人映画。いや、昨今の女性のおじさん化を考えるとこれはこれで「アリ」なのだろう、うん。
処でラジオから流れる「ろくろっ首」を演っているのは誰だろう。
声質からは夢丸師匠とか助六師匠っぽいんだけど、余り詳しくないもので。
ご存知の方がいらしたら教えてください。
[ラブコレクション]、続けてもういっちょ。
「ココロとカラダ(2004・日/安藤尋)」 渋谷シネ・ラ・セット
本作を観てすぐに思い浮かんだのは、マイケル・ウィンターボトム「バタフライ・キス(1995)」、ピーター・ジャクソン「乙女の祈り(1994)」、そして安藤尋監督の前作、市川実日子と小西真奈美の誠実な恋愛を描いた「blue(2001)」。
続けて[ラブコレクション]を観るという選択もあったが、何しろフィルム作品ではないという事もあり、観る側としてもそろそろ辛くなってきたので、気分を変えて、アミューズCQNのある「PICASSO 347」へ移動する事にする。て、結局、映画を観るのかよ。
安藤尋というと実は成人映画を沢山撮っているひとなのだが、僕は「blue(2001)」(2002年4月の日記参照)しか観た事がない。
その上で云わせてもらうと、実際にこの2作品は姉妹のように似ている。
桐島(市川実日子)の一途(或いは一方的)な遠藤(小西真奈美)への思慕は、そのまま本作の知美(阿久根裕子)と恵子(未向)の関係性にあてはまる。森の中で恵子をレイプしていた男を殺害するまでは分からなくもないが、その後過去を捨て東京で売春していた恵子の許に(半ば無理矢理)転がり込んで、彼女にセックスフレンド(池内万作)がいると分かるなり、男に処女を与え、恵子に「あんな不誠実な男は駄目だ」と進言し、激昂される(当たり前だ)も、その後彼女に云われるがままに売春を始め(売上はそっくり恵子に渡す)、ついには少女誘拐の片棒を担ぐ処まで堕ちていく。このひたむきさは、例えるなら「奇跡の海(1996)」のエミリー・ワトソンくらい常軌を逸している。
ストックホルム・シンドロームみたいなものとはあきらかに違う。
知美は自ら恵子を追って上京してくるのだ。恵子という存在の前には自分の処女なんか重要じゃないし、彼女が喜んでくれるなら初めて会った男に痛みを堪え乍らアナルまで許すのだ。ラース・フォン・トリアー張りのムチャクチャさだが、これは彼女なりの愛の表現なのである。知美に肉欲はなく、恵子の傍に居られるだけで満足と来れば(生理時に脱脂綿を詰めるシーンでの知美のアップを考えるとプラトニックというのでもないらしい)、これは殆ど飼い主にあくまでも忠実な犬のそれに近い。そしてそれは即ち「blue」に於ける思慕とも地続きなのだ。──自分で書いていてもものすごい結論だな。
恵子にそこはかとないダンディズムを感じるのも「blue」の遠藤を想起させる。しかしレイプに流産と彼女にとってハードなシーンが続くが、彼女が普段極限まで無口であることが効いている。とにかく男らしいのだ(恵子役の未向は他に「けっこう仮面」も演じているようだが、本作でのイメージが毀れるから観たくないなあ)。ま、同性愛が本作のテーマと捉えればむべなるかな、なんだけど。
物語の最后に、時間が遡ってセーラー服の知美が夏の陽射しの中、シャベルを抱えて森へ分け入るのだが、切なくも美しい、良いシーンである。
この項、続く。
「ヴィタール VITAL(2004・日/塚本晋也)」 アミューズCQN
映画が17時前に終わったので、門前仲町で妻子と待ち合わせ。
ああ、凄い映画だな。これは。
「六月の蛇」の次に此処へ来るか、と思わず感嘆の溜息が洩れる。
塚本監督の凄さは、本来凄く狭い処を狙ったジャンル映画になるべき宿命を、塚本映画としか呼べない何物かにしてしまう処にある。今回も元はホラー映画として企画していたものらしく、実際に自動車事故で記憶を失った医学生・博史(浅野忠信)が解剖実習で同じ事故が元で死んだ恋人・涼子(柄本奈美)の献体(本来なら絶対ありえないシチュエーションである)と向き合う中で、恋人との記憶が夢の中で徐々に蘇り、いつしか痩せ細り目だけをギラギラさせ乍ら、恋人との解剖実習に固執し、夢の世界に囚われていくさまは、まさに「牡丹燈籠」を指向して描かれている(要するに解剖行為は性行為の隠喩なのだ。死姦という特定の性癖ではなく、純粋なる相思相愛のいとなみの結果として「骨まで愛して」を実際にビジュアル化した、おそらく現在の処、唯一無二の映画ではないか)。
それだけに最后、彼が何故夢の世界から生還出来たのかが今ひとつ分からぬままなのが残念である。塚本監督らしからぬ、詩情溢れたおだやかなラストシーンは、却って何だか肝腎な処で解答を放棄してしまった感が強い。と同時に、最后の最后に涼子のささやかな願いを絵にして物語の幕を引く事で、献体を願い出た遺体への尊厳(現実の献体制度)を重視したのかなとも思われる。つまりこれは塚本監督の作劇上の迷いがそのまま出た映画なのかな、と。そしてそのバランスの悪さも含めて、本作はとてもいとおしい。
涼子の思い出を媒介に、解剖実習の傍ら、博史と涼子の父(國村隼)が強い絆で結びついていくさまは確かに異常だが、涼子に向けた愛情のベクトルを同じくするものとして、互いが抱える、気の遠くなるような孤独──父は更に妻(木野花)をも病気で失っている──を埋めることが出来るのは、まさに涼子の死を結ぶ「加害者」と「被害者」という関係しかありえないのかな、と御伽噺と承知しつつも頷いてしまう。いや、とにかく凄い映画です(陳腐な結論だが、そうなのだから仕方ない)。
それから柄本奈美(バレリーナ)、KIKI(モデル)といった演技的には素人たちを不自然なく映画世界に馴染ませているのも、塚本監督の演出・編集力の成果だろう。伊達に監督・脚本・撮影監督・美術監督・照明・編集・製作とスタッフクレジットを独占していない(そう云えば「双生児−GEMINI−(1999)」のインタビューで藤村志保が「あの方は仕事のしすぎです」と呆れていたのを思い出す)。いっそ「盲獣 VS 一寸法師(2001)」の演出も明智小五郎自らがやっていれば(実際には石井監督へのリスペクトがかちすぎて無理)、橋本麗香のトホホ演技も旨く処理出来たのでは、と虚しい「もしも」を呟いてみる。
まだまだ語る事は沢山あるのだが、何しろ先を急いでいるので(笑)今日はこのへんで。
明日のクリスマスイヴは家で鍋でも突付く事にして、今夜は前乗りで「虎(FUU)深川本店」で外食。
炒飯の中華あんかけ、松笠イカの醤油漬け、ちょっと台北を懐かしんで小龍包(小皿にはもっと糸みたいに細かく刻んだ生姜を鳥の巣みたいに盛って欲しかった、とねだってみる)、ココナッツミルクとロワイヤルにしたマンゴープリンなど。中でも中華のお店なのに豆腐チゲのコクのある辛さが絶品。悠都には申し訳ないけれど幼児には分からない旨さ。調子に乗って(という程でもないが)自宅用に肉まんとあんまん(黒胡麻あん)も包んでもらう。
朝のサンタ騒ぎは妻の育児日記を参照のこと。
何しろ無邪気に大喜びしている我が子を見るのは楽しいものである。
さて、今宵は待ちに待ったPARCOプロデュース「なにわバタフライ」の観劇。
強運なさっちゃんのお陰で当日券並びで時間を浪費する愚を犯さずに済んだ。
渋谷の街に出ると、クリスマスと注連飾りの店が同居するごった煮振り。
くだんの芝居は19時からなので、さっちゃんには16時半に待ち合わせて、観劇前に早メシを食べてしまおうと相談。軽食系としっかり晩餐系(勿論、いずれもコスト・リーズナブル)と2案出した処、どちらにも行ってみたいと云うので、ひとまずお店が開いている「軽食系」という事でチョイスした南青山「A.R.I(エー・アール・アイ)」へ向かう。そのあと時間が空けば、もう一軒の「しっかり晩餐系」にも顔を出すという事にする。
此処はオーナー・パティシエの森岡梨(あり)さんがひとりで切り盛りするホームメイドのマフィンやクッキー、ビスケットといった焼き菓子系のお店。カフェが併設されていて、お食事系マフィンの美味しさが評判だったので前々から目をつけていた。今夜はさっちゃんが一緒なので心強い。そりゃひとりでも入れなくはないが(流石に男同士で行くのは論外な気がする。顔馴染になったら別だけど…)、出来れば女性同伴で入りたかった(→ この弱虫)。
お店は青山通りに面したドトールの隣の雑居ビルの2Fにあり、窓際のカウンター席からは青山通り越しに青山学園を臨むなかなか好ロケーション。入ってすぐにクリスマスなフルーツケーキを並べた小さなショウケース、その脇のL字カウンターには処狭しとマフィンやビスケットがひしめきあっていて、オーブンレンジやさまざまな調理器具が並ぶ、ちょっとしたオープンキッチンだ。マフィンの山の向かいにはホームメイドのクッキーを並べた書架のような棚があり、その奥にテーブル席が3つ、窓際のカウンター席へと続く、ささやかでアットホームな空気を醸し乍らも、洗練された店構え。
スタッフは森岡さんと、レジに女性がふたり。
小一時間ほどの間に、小さなお店のドアを押す客は後を絶たなかったが(そしてこれがまた「程良く」混み合わないのだ)、テイクアウトしていくのも席に着くのも全員女性客。ま、メインメニューがマフィンなんだから無理もない。メニューを見ていたら、やっぱりマフィンを食べたくなってしまったので、一も二もなくオーダーする。僕は「サーモンクリームチーズ」(450円)にフレーバーティー「甘いミルクチョコの香りの紅茶」(600円)、さっちゃんは「ツナクリームチーズ」(450円)にアイスカフェオレか何か(ちゃんとチェックしていなかった)を。
ミルクピッチャーと角砂糖の容器が板チョコに乗せて運ばれてきたのでぎょっとするが、勿論これはフェイク。というか板チョコ型のコースター。「甘いミルクチョコ」フレーバーという事でこうしたちょっとしたアクセントが嬉しい。ガラスのポットに入って出てきた紅茶は成程ミルクチョコというか、ココアに似た馥郁(ふくいく)たる香りが湯気とともに立ち込めて、冬の黄昏時にぴたりと嵌まる。
マフィンは出来合いのものが出てくるのかと思っていたら、オーダーが入ってから森岡さんがクリームチーズを生地に詰めているので驚いた。淹れたての紅茶に焼きたてのマフィン。まさに至福である。出てきたマフィンは大きさこそ普通だが、生地がしっとりとしていて密度が高く、確かに腹持ちがいい。ランチならこれで充分な気がする。マフィンの表面をちらちらと覗いていたサーモンピンクの肉片も、掘り進んでいく程に全容が明らかになって(笑)地底湖の如き広大であつあつのクリームチーズと、ボリュームたっぷりのサーモンの塊に思わず口許がほころんでしまう。さっちゃんとトレードして、ツナクリームチーズも試食するが、こちらも「Oh,ツナ!」という美味しさであった(何だそれは)。唯一の欠点は何しろマフィンなので、土台になっている紙カップから食べ残りのマフィンをこそぎ落とすのが結構難儀なこと。家ならどんなにみっともない食べ方でも出来るものを(笑)此処は柄にもなくお上品に食べることを課題とする。
という訳で南青山「A.R.I」、お気に入りフォルダ行き決定。
家への手土産にクリームチーズのビスケット(といってもマフィン大の大きさ)を2つ買って店を出ると、すっかりイルミネーション仕様になった青山通りの夜風が汗ばんだ肌に心地好い。とりあえずお腹は満足しているものの、芝居が終わったらどうかというと微妙な処。さっちゃんと「どうしよう」と迷い乍ら、時間的に「しっかり晩餐系」は次回に持ち越し、一旦PARCOへ向かう。
PARCOに到着した時点でまだ開演までには1時間ちょっとあったので、やはり何かお腹に入れておこうと、すぐ近くのパスタ屋へ飛び込む(ノーチェックだったので店名忘れた)。僕は「ミートソース(甘口)」(1,050円)を頼む。出てきたパスタは意外にもトマトベースっぽいスープパスタで、トマト系の酸味がほのかに甘く感じるという、確かに「甘口」の味。何が隠し味かは分からねど好みの味。さすがに二人して「これはちょっと食べすぎだったか」とやや後悔し乍ら気付けば開場時間5分前。それではとPARCO劇場へ急ぐ。
この項、続く。
パルコの巨大なクリスマス・ツリー前で大手シャンプーメーカーが、覗くと照明の光が星型に見えるフィルムを配っていたり(皆んなが一斉にツリーを見上げているのはなかなか不気味なものがある)、パルコで公開中の映画「約三十の嘘(2004・日)」のマスコット、ゴンゾウが徘徊していたり、頭の悪いオンナのコ向け(失礼)の「Deep Love」のイヴェント(あらイヤだ)が開催されていたり、いかにも渋谷のクリスマスらしい喧噪を抜けて、直通エレベーターでウン年振りに、開場前の観客でごった返すPARCO劇場の狭っ苦しいエントランスへ。
パルコ・プロデュース「なにわバタフライ」 於 PARCO劇場
とりあえず物販はパンフとCDだけ押さえる。クリアファイルはちょっと後ろ髪引かれたけどパス。
【作】■■■三谷幸喜
【演出】■■三谷幸喜
【出演】■■戸田恵子
【演奏】■■小竹満里(マリンバ/パーカッション)
【演奏】■■山下由紀子(パーカッション)
【方言指導】生瀬勝久
舞台は或る女優(モデルはミヤコ蝶々だが、特に劇中であきらかにされる事はない)の楽屋部屋。舞台向かって左手に化粧台。中央に大きな座卓とソファ(畳部屋である)。右手奥が楽屋口で木珠が連なった縄暖簾がかかっている。長期公演に耐えられるよう、女優の居心地を最優先した調度、雑貨で溢れており、それらひとつひとつが女優が半生を語っていく際にさまざまな「見立て」道具として活躍する。
それから、これはPARCO劇場の構造上の問題もあるのだけれど、本来芝居の裏方であるオーケストラ・ピットが奈落方面ではなく、舞台の上に設えてある。今回、マリンバ・パーカッション奏者としての小竹さんをプッシュしたいという作家の思いと(サントラCDの解説によると「今回は小竹さんで行きたいから」と事前に服部さんに仁義を通したらしい)、あと一人芝居の途中で戸田さんが着替えの為に一旦はける間、小竹さんたちのライヴ演奏で繋ぐという演出上の計算が働いた模様。
久々に開演前の場内アナウンスに三谷さんが帰って来る。しかも2回。
声の調子までポーカーフェイスで笑わせるくせに、はしゃぎすぎず(此処、重要)。
僕はてっきり生瀬さんがやるものとばかり思っていたが、三谷さんなら大歓迎だ。
今回は、三谷作品初のひとり芝居。演じるは三谷作品のミューズ、戸田恵子。
僕がこれまで実際に観た「ひとり芝居」を思いつくままに挙げていくとイッセー尾形「都市カタログ」(長いこと御無沙汰しているなあ)、小沢昭一「唐来参和」、渡辺美佐子「化粧」(「二幕」にあらず)、さだまさし「銀河食堂の夜」といった処か。演芸系及び、梅ちゃんのシャンソンショウや古館伊知郎「TALKING BLUES」みたいなものはひとまず「ひとり芝居」から除外するとおそらくこんなもんだろう。
三谷喜劇のキモはご本人もパンフレットの巻頭言で書いていたが、会話劇である。三谷さんがひとり芝居に挑むという事は、いちばんの得意技の封印を意味するが、本作は独白劇ではなく、あくまで会話劇として構想されている。実際、本作には女優以外に、インタビュアーの雑誌記者、彼女の身の回りの世話をする娘、そして回想シーンにも、お父ちゃん、ぼん、兄やん、師匠、僕ちゃん、それに師匠の奥さんやら、僕ちゃんの連れてきた恋人やら、非常に雑多で色彩豊かな人物たちが「登場」する(ちなみに三谷さんによると左記人物のイメージキャストはお父ちゃん:ちっちゃい小日向文世、ぼん:妻夫木聡、兄やん:実際に「兄やん」と呼ばれている木村祐二、師匠:3メートルある笑福亭鶴瓶、僕ちゃん:筒井道隆らしい。芝居を観た後でこれを知って大笑いした。中でも「お父ちゃん」の破壊力たるや…確かにジャストミートである)。「なにわバタフライ」は女優の半生で起きたドラマチックな出来事を、現在進行形のかたちで再現してみせる。女優は決して相手の台詞を引き取ったり繰り返したりせず(脚本には本来入る相手役の台詞も全て書かれたらしい)、彼女の一方的な、けれど丁々発止の受け答えの中から、観客の網膜に、本来其処にいる筈の人物を活き活きと浮かび上がらせようとする試みなのだ(落語は演者が実際に全ての役を演じるという意味で本作とは根本から異なる)。三谷さんの(即ち戸田さんの)目指すハードルは相変らずひどく高い処に設定されている。
しかも客には芝居のスタイルはどうあれ「三谷作品」という期待がある。ひとり芝居を8000円に価格設定してもパルコ劇場が満席になるのは、別に皆が皆、三谷マンセーなのではなく「三谷幸喜なら何かをやってくれる」という期待値に他ならない。何しろ僕らは笑わせてくれて当然くらいに思っている。これは厄介だ。
そういう意味では客が最初の波に乗るまでの導入がやや長い。女優の回想に持っていくまでのお膳立てというか、芝居が転がり出す為の助走が必要なのは解るが、観客が咳(しわぶき)ひとつせず一斉に注視する中、客席をあたためる為に孤軍奮闘する戸田さんが(こちらの勝手な思い入れに過ぎないにせよ)痛々しかったなあ(たとえば「唐来参和」だと講談っぽくまず客席を小沢さんのペースに巻き込む処から始まる。個人の話芸に頼るというのは確かに卑怯だが、手っ取り早く客席を暖めるには効率的な手法と云える。しゃぼん玉座は小沢さんの一人劇団だから何でもありだし)。
尤も一旦観客が女優の語り口にはまってからは(7歳の演技でツカミはおっけー。かつて笹目にしきを演じきった戸田さんには造作もない)、後はそのまま疾風怒濤の如く駆け抜けていく感じ。見えない人物をどう表現するか、本来其処にないものをどう表現するか。小道具、楽器、そして各種照明(カーテンコールで出てきて挨拶してもらいたい級の功労がある)を駆使した「見立て」芝居を用いて、ひとり芝居を2時間持続させる為の手管、創意工夫を、あらん限り大放出した感じ(余談だが、これだけスタッフが手間隙をかけた芝居、学生演劇ではまず再現出来まい。三谷さんの勝ち誇った笑い声が聴こえてきそうだ)。「見立て」ならではの過剰表現(端的なのがお父ちゃんと師匠の「ありえない」サイズ。映画化には「ロード・オブ・ザ・リング」級の努力が必要そうだ)がひとり芝居ならではの笑いを生む。本来生々しくなってしまう「濡れ場」(僕は「温水夫妻」あたりから三谷戯曲に大人の色恋が導入されたと思っている。以降「オケピ!」「竜馬の妻とその夫と愛人」「You Are The Top」、あとドラマになるが「新選組!」のお梅さんなんかもそうですね)も「ひとりでは出来んっちゅうにッ」と楽屋オチにしてカラッと仕上げる処が三谷流。しかもルーティン・ギャグにしているし。
そして三谷作品が持つ会話劇の魅力を、テンポの良さ(絶妙な間合い)と短くも完璧に適切で更にひとひねり加えた相槌にあるのだとするなら、このお芝居は(部分的にではあるが)会話劇を実現した、おそるべきひとり芝居なのだ(結果的に「なんちゃって」会話劇なんだけどさ)。女優が見えない相手に相槌を打つ時、練り込まれた相槌の数とテンポはひとりボケツッコミの笑いのリズムを生み、台詞劇としてのジェットコースターを体感させてくれる。僕らは実際には存在しない台詞の応酬に声を立てて笑う。戸田さんは舞台女優として一山も二山も険しい登山を繰り返している。
先に書いたように、三谷作品は笑わせて何ぼなので、そういう意味では「なにわバタフライ」は笑えるひとり芝居ではあっても、これまでの三谷作品と比べるとどうしても喜劇度は低い。しかし、これまで書かれた戯曲の積み重ねのあとに間違いなく本作は位置付けられる。
本作もまたバックステージものの一種だし、自伝もの、回想ものとしては「バイ・マイセルフ」「You Are The Top」に連なる系譜。二番目の(元)夫にして漫才の相方でもある「僕ちゃん」の死に際のドラマは「新選組!」で鍛えた沢山の臨終作劇術が昇華されたもの。ネタばれになるので余り詳しく書けないが、本作のラスト付近であきらかになる、或る仕掛けも「マトリョーシカ」「You Are The Top」を観たひとなら深く頷ける、色々な意味に於ける「ひとり芝居」(これを云っちゃうとバレバレなんだけど要するに遊◎機械/全自動シアター「ラ・ヴィータ」なんですよ)。少年時代の三谷さんの趣味を知っていると、まさにこの女優は三谷幸喜自身であると云ってもいいかもしれない。
「弱い」「強い」の二元論では規定出来ない、とある女優の生き様を、力強く肯定も否定もしないのだけれど、決して神の目線ではなくあたたかく掌に包み込むように見つめている、そんなお芝居です。さっちゃんも心から楽しんでくれたみたいだし、8000円は決して安くないけど観客満足度の高い芝居だったと思う。カーテンコールで拍手しすぎて、手が痺れちゃったよ。でも、カーテンコールの戸田さんの笑顔、美しかったなあ。
最后に余談だが、本作は相手役の台詞が存在しているので、照明効果に頼ったひとり芝居ならではの部分を手直しすれば、非「ひとり芝居」化が可能なのである。これは妄想だが、折角なら三谷さんのイメージ通りのフルキャストを集めて(ぼんはキビしいかもしれないが)回想シーン分全て場面転換をつけた新橋演舞場・戸田恵子座長公演なんかどうだろう。「なにわバタフライ」が装いも新たに新橋演舞場に帰って来る、みたいな感じで。いや、戸田さんが錦を飾るなら名古屋・御園座あたりだな。──といった処で、どうかひとつ。
ロビーは生花のジャングルになっていたが、残念乍ら客席のセレブを見つけることは出来なかった。

いやー、面白かったねとふたりとも興奮してPARCOを後にする。
今日が期限のタダ券を妻に貰ってあったので渋谷駅前のTUTAYAにあるスタバで、ホワイトチョコレート・モカをいただく。クリスマスで週末の夜だからか、2階席までお客がびっしり埋まっていて、階段でテーブル待ちしている間にふたりとも呑み干してしまう。ま、いっかと井の頭線の改札までさっちゃんを見送り、帰宅。
昼前に家族して菊川から都営新宿線で初台は東京オペラシティへ。
タワー4FにあるICCで開催中の「明和電機 ナンセンス=マシーンズ展 THE NONSENSE MACHINES」の最終日。明和電機の活動の集大成といってもいい、この展覧会は先月の3日から始まっていて、ずっと行かなきゃと思っていたのだが、期間が長いのをいい事についつい先延ばしにしてしまった。会田誠や正道先代社長が出演した「昭和40年会、明和電機を叱る!(11月23日)」や「さかなクン、魚器(NAKI)シリーズを語る(12月12日)」といった数々の美味しい週末・休日開催イヴェントを諸般の都合でオミットした挙句、どうにか駆け込みセーフで参加した次第。
僕が明和電機を初めて直接見たのは、福岡・天神タワレコで正道社長(当時)と信道副社長(当時)がデビューアルバム「提供 明和電機」のプロモで製品説明会(インドアライブ)を行った時だから1996年の冬だったと思われる(受験を控えた妹にサイン入りCDを送った覚えがある)。
僕は何が何だか分からないままに社長から消しゴム付鉛筆を受け取り、お礼を述べる間も与えられず、パチモクを背負った副社長にハリセンボンブで頭をはたかれた。今となっては良い想い出だ。此処5〜6年は時折公式サイトを眺める位だったが、活動そのものは気になっていたので(東京都現代美術館とか東京都写真美術館といった現代アートを扱ったショップには「ノッカー」を始めとする明和電機製品が一画を占めているし)今回がちょうど良い機会になった。
尚、明和電機製品の詳細は公式サイトに詳しく解説されているので、此処でくどくどと繰り返したりしない。
まず、4Fエントランス・ロビーで「明和電機のある暮らし(居間に溢れる明和電機製品──ありえねえっ)」「明和電機社史」「明和電機制服」を観てから5Fに移動、ギャラリーC「魚器シリーズ」で昔馴染んだ製品たちの実物を堪能する。「ウケーテル」(電話の時報にあわせて天井の針が落下し、タイミングが悪いと下にいる魚に当たる装置)の受け皿には確かに金魚が泳いでおり、フロアにディスプレイされた「グラフィッシュ」の断末魔の悶絶魚拓に改めてニンマリする。「パチモク」にポール牧のサインが残っているあたりに時代を感じたり。
そのうちに隣のギャラリーB1「ツクバシリーズ」からリズミカルなパーカッションの音がするので、悠都を肩車して駆けつけると、ちょうど居並ぶ電動楽器が自動演奏している最中で、「音源」や「パンチくん&レンダちゃん」がパーカッション魂を炸裂している処だった。バチを振るいきおい余って、パンチくんやレンダちゃんの首が飛んでしまうのは演出? 脇にはクロークみたいなスペースがあって、明和電機制服の貸し出しを行っている。さすがにサイズが合うまいと思い、近寄らなかったが、妻によると「子供服もあったようだ」との事。此処の中央ステージの記念撮影コーナー(足許のフットペダルを踏むと頭上のミラーボールが廻る)で悠都と、彼が叔父さんに貰ったデジカメのフレームに収まる。そろそろ息子のコンセントレーションがあやうげになってきたので、ギャラリーB3「メカトロニカ上映」はパスしてギャラリーB6「アクアライト」を試す。明和電機は双方向アートだから、幼児の食いつきが良い処がありがたい。
土禁のラウンジ「ノックマンのできるまで」で、悠都共々しばらく座ってビデオ鑑賞。彼は超合金「社長」のCMがいたく気に入った模様。「サバオでサンバ!」のプロモビデオのバカバカしくも健全な明るさも捨て難い(「ロボブラジル」に「めいわ自動合唱団」!)。壁に貼ったノックマンのスケッチ──ストーリーボードみたいなものも読み応えがある。ツクバシリーズの方で上手な演奏が聴こえてきたので、もしやと思えば、案の定、信道現社長(アニエスBの制服を着ていた・笑)がメンテナンスがてらに「音源」を軽快にパフォーマンスしてくれていたのだった。ひとしきりミニライブが終わると、社長は「白い巨塔」の回診みたいにギャラリーB5「ノッカールーム(ELT)」でメンテナンス兼パフォーマンス。当然社長に合わせて人の流れが生まれる訳で、僕も悠都を抱きかかえて、暫し社長の「ノッカー」や「トントンくん」の演奏に聴き惚れる。巨大な「BITMAN」のダンスもあって悠都も集中力を途切らす事なく、最后まで楽しんでいた。再びツクバシリーズで「音源」のメンテをやった時は社長のほんの脇で演奏を聴く事が出来た。これは思いも寄らない僥倖であった。
最終コーナーはギャラリーA「エーデルワイスシリーズ」。
此処を一から説明するのはタイヘンなので詳しくは公式サイト「EDELWEISS」を見てもらう事として、最新シリーズだけあってリキの入ったエキシビション。聖典「EDELWEISS PROGRAM」の「物語」が照射される中を縫うように「神具」たる製品がレイアウトされ、教会音楽楽器──といっても「マリンカ 開閉式自動木琴」(自動演奏ではツカミで「剣の舞」を披露)や「セーモンズ(アン、ベティ、クララ)」(人工声帯が奏でる歌声はまるでホーミーのようだ)、「メカフォーク」だが──の雛壇の背面をカタコンベが取り囲むかのようにストーリーボードや設定集が展示・配置されている。
魚器やツクバから次のステージに移りつつある明和電機の「現在」を、此処で見る事が出来る。
「ニュートン銃(リンゴの弾丸を落下させ、地球の中心を正確に打つライフル)」に取り付けた林檎が本物だった事とか、犬の遠吠えを再現する「ディンゴ」はどう聴いても(デモで悠都が触らせてもらった)「ストローで飲み残しのジュースを吸う音」にしか聴こえない(が音質の悪いAMラジオ越しに聴いた犬の遠吠えに聴こえなくもない)とか、「ハニーハンガー(服をかけると重さでピストンが上がり、筒の中のハチミツがパイプを通って服に染み出るハンガー)」「末京銃(体につけても安全な化粧品が入った150個の試験管を発射するマシンガン)」「ホクロスコープ(ヘソを中心に全身のホクロの位置を正確に測る装置。これによりホクロの星座表を作れる)」のバカバカしくもいとおしさったらないとか。
流石に4歳児も我慢限界を超えて「喉が渇いた〜」と唸り始めたので、此処らで切り上げて4Fエントランス・ロビーへ戻る。
明和電機カフェ「CAFE 100V」にて、息子の不機嫌を鎮める事にする。
折角だから此処のスペシャルメニューから「サバロア(サバオのババロア)」「水色の風(スペシャルジュレ)」をオーダーする。
メニューの中でいちばん普通っぽかった「マリンカ(特製 茉莉花茶)」(400円)は泣く泣くスルー。
サバオをかたどっただけに「サバロア」は380円。一日限定38食のデザートらしいが最終日も果たしてそうだったかは定かではない。サバオの周囲を削ったストロベリーチョコであしらった処など、さては「花サバオ」をイメージしたものか。「王レス」の「びっくりムース」の如く、サバオの中には真紅のクランベリーソースが仕込んであり、途中まで食べ進んだプロセスは非常にスプラッタな(というかそれ以上の)ものがある。尤もメニューにも「ショッキングな表現を好まない方はご遠慮ください」旨、きちんと警告してある。形状のあざとさばかりでなく、味も決して手抜きをしておらず、これが非常に美味しかったりする。値段の割にミニサイズだが、効果的にソースを封じて、サバオを留めるにはこのくらいが無理のない大きさなのかもしれない。
明和電機のテーマカラーをドリンク化した「水色の風(スペシャルジュレ)」は500円。
味はグレープフルーツベース(ブルーハワイ?)でグラスの底にはプレーンヨーグルト。ストローからちゅるちゅる飛び込んでくるジュレが悠都のお気に入り。
地階の「西安餃子」で遅昼を食べて帰宅。
帰途、「あまおう(イチゴ)」を使ったクリスマスケーキの美味しさが忘れられず、「アトリエ・ド・ペリニィヨン」のショートケーキを買って帰る。あまおうが巨大すぎる為に、ショートケーキのデザインとしては頭でっかちでバランスが悪く、しかも大きさの割に価格が500円を超えてしまうという、ありとあらゆるウィークポイントの全部を乗り越えて、此処のショートケーキは「んまいっ」のである。「新選組!スペシャル」を観乍ら美味しくいただく。
昨日の大雪が嘘のような日本晴れ。
東京の冬はこうでなくちゃな、冬コミ67二日目。
コミケも3度目となると、緊張感が薄れるらしく二度寝して、セトロさんのケータイメールで我に帰ったりなんかするものの、約束の5分前の7:15には豊洲駅ルート始発の「門前仲町」到着。紆余曲折はあったけど、ゆとりを考慮した時間設定が効を奏して、8:20迄には東京ビッグサイトの巨大ノコギリを拝む事が出来た。
熊大SF研ブースは、東地区Qブロック21b。
今回、開催期間が3日間から2日間に短縮された事もあって、念願の唐沢さんや之助師匠のブースに顔を出せるようになったのは良かったんだけど、セトロさんが大学SF研色を薄めて申請したせいか、本大会ではとうとう大学SF研のシマから外れ、両脇に「時刊新聞社」とか、宮武一貴さん公認本とか(今回諸般の事情で落ちてたけど)、のださんの「ワールドコンの歩き方」とか、更には、あの「宇宙囚人207」など、或る意味、つわもの達が集う梁山泊のようなシマに当選してしまった。そげなおそろしか処で売り子をするのは恐ろしゅうて恐ろしゅうて。
実際、立ち寄っていかれるお客さんも濃い人が多くて(と学会員のひとも何人か来られたし)、セトロさん留守時には何度も絶句の危機に瀕してしまいました。どなたもお読みになっていないでしょうけど、その時の皆さんには、この場を借りて改めてお詫びいたします。
んで以下が、本日の釣果。
宇宙囚人207「ウルトラマン裏百科」
セトロさんの自称「絶妙なセールストーク」と、ノートPCの「CM」が効いたか、既刊4冊を残して全て売れたのは感動を通り越して呆れた。それでも何人かのひとには新刊は出ていないのかと訊ねられたし、少数とは云え楽しみにしている常連さんがいるらしいのは励みになります。
夏コミで絶賛した「宇宙囚人207」さんの再版本。児童雑誌で語られた裏設定を網羅したもの。たかだか児童雑誌の設定と無視出来ないのは、「ひばく星人」の記述ひとつでウルトラセブンの第12話を永久欠番に追い込んだ事からもあきらか(?)。「新マンはウルトラの母の妹と結婚した」「ウルトラマンAの趣味は詩を書くこと」「ツインテールは食べるとエビの味がする(超メジャーな裏設定とあるけど、僕は知らなかった…)」「ウルトラの星の通貨単位はウラー(1ウラー=30円)」「アイスラッガーは最近使っていないので宇宙錆びがついている」などなど裏話を89収録。ちょっとしたウルトラ版トリビアである(初版は去年の夏コミ時)。
立川流トンデモ落語の会「本家立川流 第六号」
本家立川流のブースで之助師匠から手ずから受け取る。一応、自己紹介だけしておくが、「天動説」の該当記事はお読みになっているとの事だった。前回のトンデモ落語会のネタが多数収録されており、資料的価値あり。あと、座談会「立川流を去った男たち─後編─」で使用されている前助さんの近影が「前助の小部屋」のものだったり。て、オレが撮った写真じゃないか。いやー、世間は狭い。いつか之助師匠にこの話が出来る日が来るだろうか。
雷門獅篭「少年サンダー」
で、本家立川流のブースでキウイさんを押しのけて(笑)之助師匠の手伝いをしていたのが獅篭さん(毎回「本家立川流」の表紙イラストも担当している。毎回「本家立川流」の裏表紙が家元の直筆であることを考えると何とも不思議な気がする)。あとでセトロさんが行った時には一冊一冊獅篭さんがサインしていたらしい。おのれ。しかも持ち帰って気が付いたのだが、表紙の裏に深い皺が入っているし…つくづくついていない。
日本トリビア研究所「ゴミビア ─役に立たなさすぎる雑学」
日本トリビア研究所とは唐沢俊一/小栗由加のユニットらしく(といっても小栗さんは前書きだけだけど)、実際にメガネに白衣姿の小栗さんが売り子として出張っていて(勿論、ソルボンヌ先生もいらっしゃった)、鈴木タイムラーを録画チェックしている身としてはなかなか嬉しかったのだが、お客の待ち行列が出来ているので「サインください」と云い出せず。順番が来て、唐沢さんにご挨拶したら、僕の顔を見るなり「あ、あなたには差し上げます」といきなり献本していただきオロオロしてしまう。慌てて転びまろびつ自分のブースに戻って、今回の無償頒布チラシ「天動説」特別号外Vol.14.5(一応、全ページカラーで12ページある)をお持ちするが、元々無償頒布だし(個人的には無料は勿体無いと思う出来ではある)、唐沢さんにお渡しするようなシロモノじゃあ(て、大半はセトロさんが書いているのにごめんなさい)ないので、ひたすら恐縮する。アニドウの打ち上げでお近づき出来たのはやはり正解であった。頂いたから書く訳じゃあなくて、「死神博士が博士号をとった論文のタイトルは『ギャラクシーにおける変身と死に方』」「クマのプーさんの本名はエドワード」など、笑いのツボを押さえた「ゴミビア」を187も堪能出来る。
岡田斗志夫「BSアニメ夜話裏話」
これまたオタキングから手づから受け取る。「気持悪いかもしれないけどお釣りに2000円札まぜてもいい?」と訊かれたので「キモチ悪いですけど、お釣りに2000円札まぜてください」と全く身のないやりとりをして、十二充分に楽しませていただく。番組そのものは録画だけして観ていなかったんだけど、これを読んだら早く確認したくなりました。特に大林監督とか大林監督とか(笑)。
唐沢なとき「パチモン大王 Vol.2」
からまんご夫妻のブースは道をひとつ隔てた隣のシマ。またなをき先生の腰の低さに感動してしまう。サインをお願いしたら、イヤな顔ひとつせずサラサラサラと書いてくださった。あとではるさんを連れてった時には「怖いから(怖いって、あなた)サイン貰ってきてよ」とお金を渡され、改めてもう一度サインをお願いした時はさすがに恥ずかしかったが、なをき先生はやはり二つ返事で書いてくださった。フィギュア王連載中の単行本化で、新刊のVol.2でも2002年8月号までしか載っていない。直接お聞きした処、来年の冬コミまでは毎回1冊新刊が出せると思いますとの事。次回の楽しみが増えた(それにしても「えかきうた 怪人さそり男」には笑った。しかも歌っているのは「サザエさん」の中島くん、「ドラえもん」の出来杉くんを演っている白川澄子さんだし)。
※ 岸田森関係は今回はめぼしい物なし。尤も、岸田森Tシャツ(1,500円、サンバルカンの嵐山大三郎長官のもの)が出てはいたが、さすがのN嶋さんも要らないのではと購入に及びませんでしたが、まずかったですかね。
昼過ぎに来る筈だったはるさんは14時半に現れたが、銀だこの差し入れを持ってきてくれたので許す。
けどねー、15時過ぎてからコスプレ広場を目指したってそりゃ誰もいませんってば。
そして16時。つつがなくクローズの時間を迎える。
この項、続く。
これから帰省するというはるさんと浜松町で別れ、都営浅草線ルートで浅草木馬亭にて、セトロさんと第38回「トンデモ落語の会」。僕は浪曲・講談が守備範囲外な事もあって木馬亭初体験。
セトロさんは落語自体が守備範囲外だが、個人的にブラッCさんの高座(新作に限る)を体験したかったらしい。チラシにブラッCさんの名前はなかったが、前座さんの名前は載らないものなので、ブラッCさんが高座に上がらないとも限らない。何しろ「本家立川流」に毎回ネタを掲載しているし。或る意味、噂に聞くジャイアン・リサイタルを体験してみたいとせがんでいるのに等しい気がする(ぉぃぉぃ)。
典型的な怖いもの観たさですね(あ、でも最初は僕もそうでした)。
その割にはセトロさん、受付のすぐ脇にブラッCさん本人が居ても全然気付かなかったり。でも、という事は高座に上がるのでは…と、セトロさんに耳打ちするが、今宵のブラッCさんは補助椅子を並べたりとか、あくまで裏方さんであった。理由はこの後、「開口一番」で明らかになる。
10月よりハコが広いのに客席はほぼ満席で脇と後ろにブラッCさんが補助椅子を並べる盛況振り。
と学会の皆さんを始め(アニドウのKさんの姿も見えた)、コミケから流れてきた、普段トンデモ落語会に参加出来ない好事家が全国から結集するのは大きい。
以下、高座の備忘など。
快楽亭小ブラ「小ブラ版・孝行糖」
前回のトンデモで、ブラック師匠がトリでかけた「横田家の薮入り」(今回めでたく「本家立川流 第六号」に収蔵)の作者がめでたくブラック門下に入門(小ブラという前座名もほんのついさっき師匠にメモを手渡されたらしい)、ブラック師匠が予告した通り、「ブラッCさんの代わりに」これが彼の高座デビューとなった(詳しくは10月2日の日記を参照の事)。
快楽亭ブラック「ブラック版・真田小僧」
マクラは初めてキウイさんに会った時の話。学生時代に高座を聴いたひとが目の前に居るというので感激した小ブラさん、新弟子としてキウイ「兄」さんに挨拶せねばと思っていると、ブラック師匠が「彼、こないだオレの噺を書いてくれた子ね」と紹介してくれて、キウイさんに「あ、先生ですか」と逆に挨拶されてしまったらしい。「ちょっと嬉しかったです」と、照れくさそうに小ブラさん。
初高座にして、ネタは自作の新作ネタ卸し(尤もそれでブラック師匠に見込まれた人なんですが)。
メジャーな古典である与太郎噺「孝行糖」の某学会Ver。孝行糖を売り歩く与太郎が、小石川にある水戸藩の上屋敷の門前の代わりに、都内某所の○○本部(「…学会」という処を、暫く溜めてから「…教」とやって、笑いを取っていた)差し掛かって…という噺。何しろ正真正銘の初高座、ガチガチに緊張していたものの、リスキィなネタのチョイス(端的には芸能界信者地図とかですね。サゲにしてから「孝行糖」と語感の良く似た某政党名でオトしていたが、きっとこれが正式な演目なんだろうな)と集まってきている客層の嗜好とが重なり、ホンの面白さでどうにか乗り切ったという感じ。初高座というハンデを考えるとこれは上出来の部類。
今後は宗教・民族ネタを外した処でどれだけ面白い新作を聴かせてくれるかがキモですね。
文化交流使で韓国に渡ったり(現地では、某地方紙の仕事で旨い具合に同タイミングで渡韓していた獅篭さんに話題をさらわれてしまい、たまったものではなかったとか)忙し過ぎて、とても新作を作るゆとりがなかった為(尤も、これは大方の出演者がそうだったらしいが)、今夜は3年前に発想だけしてあったものをぶっつけ本番で。
春風亭昇輔「タイトル不明」
前半は完全なる「真田小僧」(父親がまんまと金坊の策略に乗って、小遣いを巻き上げられるくだりまで。寄席だと、此処までで切り上げるのが普通)。後半、本来だと講釈「真田三代記」の真田幸村を引き合いに出す処を、ブラック版は日暮里サニーホールで立川談デリー(って架空の噺家さんですよね)が演った、インド反英独立運動の指導者チャンドラ&サンドラ・ボース父子の武勲・消息譚に置き換える。
サゲも古典版が金坊が焼き芋を食べて「あっ、うちの真田もさつまへ落ちた(だから演目が「真田小僧」なのである)」という処を、ピロシキを食べて「うちの坊主(ボース)もロシアへ落ちた」というもので、これは普通寄席で演られる事が少ない「真田小僧」の後半部分を熟知した上で、チャンドラ・ボースを知っていて(確かに「真田三代記」に重なる処の多いエピソードだが)、初めて心から楽しめる噺。
──て、難易度高すぎですよ、師匠。
不勉強にして知らなかったのだが、落語協会及び落語芸術協会に所属する芸人さんは木馬亭への出演が浅草演芸ホールから禁じられているらしい(競合相手なんだから当然と云えば当然である)。つまり昇輔さんと白鳥さんは相応の覚悟が必要だった訳で(白鳥さんについては後述)、昇輔さん曰く「これで夏くらいまでは浅草演芸ホールに顔を出せないと思いますが…ま、そんな事はもうどーだっていいんです」と半ば自棄気味(昇輔さんのマクラは何だか毎回自棄気味な気がする・笑)。
立川談笑「タイトル不明」
ネタは、名前が渡辺ツネオなばかりに学校でナベツネといじめられる小学生の息子が両親に改名を迫るというもの。母方の苗字を名乗ればというアイデアに、ツネオくんは一瞬ぬか喜びするものの、母方の苗字が「ホリウチ」と知らされ、「もっとダメー!日本で二番目に○×▽な名前じゃないかァ!」しかし、息子のために区役所に掛けあってくるおかあさんというのも、設定の行きがかり上とは云え、かなりスゴいものがある。
いきなりでナンですが、前回のトンデモ落語会でかけたネタは「自我の穴」だったようです。
──お仲入り──
談笑さんが高座に上がった途端、高座にスポットライトが当たって、ベビーノ・ガリアルディ「ガラスの部屋」が。
おお、「マサコです」再び?かと思いきや、談笑さん、腕を組んで切なげなに視線を落とすなり、
「サヤコです…(客席喝采。以下、略)」
どよめきと後に続く爆笑。成程、今夜くらいタイムリーな高座はない。
「とくダネ」リポーターならではの強みを生かしたネタの数々、「マサコです」よりネタ数が多かったのではないか。色々な意味で時期が時期だけにネタの危なさも前回を軽く凌駕していた。今日拵えたとは思えないネタの練り込みようはもはや感動に値するが、此処以外に発表の場がないもんなあ…。しかし、という事は「僕たちの洋楽ヒット Vol.4 1970〜71」を再購入した訳で(「マサコです」時のCDは僕がいただきました)それはそれはご苦労様です。
マクラはプログラムから外されてガチンコになっているブラッCさん、命名のメモを手渡されて涙ぐむ小ブラさん、彼の高座を袖で聞き乍ら静かに頷いているブラック師匠といった楽屋ウラ話。快楽亭一門の水面下のバトルも今後見逃せないという処か(え?)。
ネタは、うっかり呑みに入った居酒屋が、アヤしい日本語を駆使する外国人だったために注文するのにひどく往生する、というそれだけの話。普通のお品書きがオーナーの手にかかると云っちゃいけない下ネタのオンパレードになってしまうのがヤケに可笑しい。新作と云えど、滑稽噺の基本である鸚鵡返しのアレンジで、一聴しても分からないが実は古典に通じる笑いになっている処が、立川流新真打のワザである。
という訳で、今夜の落語会最大の収穫の一席。
三遊亭白鳥「人間椅子」
昇輔さんの処で出てきた木馬亭出演禁止の話、白鳥さんはそもそも木馬亭出演がご法度だった事さえ知らなかったらしくて「え、そーだったの?」といたって呑気。それからマクラは定席に出ると、交通費と差し引きアカになってしまう話から、円丈師匠の云いつけで合コンを主催した話まで。あとは川柳師匠の…えー、これはひとまず自粛しておくけど、その筋じゃ有名な話らしく、何度もネタになってたなあ。
立川談之助「唐沢商会版・野ざらし」
ネタは「本家立川流 第六号」に掲載された「人間椅子」。とは云え、時間を置いていることもあって、細かいくすぐりや細部を含めて随分とようすが変わっていた。元々はこの9月に江戸川乱歩の小説を落語にする企画「乱歩ワールド」という新作落語シリーズの中の一席(他には柳家喬太郎「怪人二十面相」、鈴々舎馬桜「人でなしの恋」、三遊亭圓窓「押絵になった男」など)。老いらくの恋というか、つい年甲斐もなく欲情した家具職人が、オーダーメイドの椅子に入ってうら若い娘の家に運び込まれるも、其処にはがっちりとした体躯の父親もいて、職人のもきっつぁんは、父親の下敷きになって…というもの(角度を切替え出来る座椅子のくだりは笑った)。
座布団に乗っかったまま、高座の向こうへ飛んでってみせた白鳥さんに拍手。
トリは之助師匠。
一旦は幕が閉じかけるが、之助師匠が「待った」をかけて、板の上に出演者一同が揃って、ブラック師匠がメインで次回公演の告知など。談笑さんの真打昇進がちょうど9月なので、9月のトンデモ落語会は談笑さんの真打披露を兼ねる事に急遽決定する。それから之助師匠が、噂の志ん相掲示板で話題になった「談笑さんはキウイさんにお年玉をやっているか(前座・キウイさんは二ツ目・談笑さんの兄弟子なのである)」問題を談笑さん本人に直撃で訊ねた処、お年玉は渡していないとのこと。「着物も畳んでもらった事ありませんもん」と談笑さん。確かに「兄弟子にお年玉をあげる」は、イコール「兄弟子に着物を畳ませる」に匹敵するよなあ。兄弟子にも弟弟子にも優しくない立川流・昇進制度なのであった。
マツケンサンバの出囃子で登場するも、客席同様コミケ疲れでいささかヘロヘロしているのはご愛嬌。
マクラでさんざん宗教ネタを振った後、之助師匠も新ネタをひねっている時間がなかったという事で、唐沢商会「ZOROZORO ぞろぞろ」の中から「野ざらし」を落語化。オリジナルの「野ざらし」はともかく唐沢商会版は原作を読んでいないので、何処からが之助師匠アレンジかは不明だが、最近世間を賑わせた某国から提供された遺骨ネタが主軸で、国交のない某国に渡って(時間の省略がまたギャグになっている)某河原に散乱していた人骨に恩返しさせようとしたら実は…という噺(おそらく某国ネタは全て之助師匠アレンジかと思われる)。何しろ元が「野ざらし」なので、脈絡もなく何故か釣り竿を持ってしまったりとか、長屋に蘇った人々が訪れるくだりで、記号としての古典落語ネタが諸処で顔を出すのが、小ネタが効いていて可笑しかった。
打ち上げはふぐで一盃だそうだが(会費6,000円)、無論僕らにそんな体力気力が残っていよう筈もなく、またセトロさんは22時ののぞみで名古屋へ帰る事もあって、すっかり年越しの準備を終えた、人影絶えた仲見世通り(尤も、雷門付近の店だけ2軒程開いていた。仲見世の不思議である)をふたりとぼとぼ歩いて帰る。──嗚呼、年の瀬だねえ。
大晦日。昨日の晴天から一転して朝から氷雨が降っており、家を出る頃には雪に変わる。一昨日の初雪はまだぼたん雪だったけど、今日の方が温度が低いせいか雪の粒が小さい。朝、宇佐にいる妹から来た写メールでは、田舎がすっかり銀世界に沈んでいた。寒波が日本列島を直撃したらしい。北陸は大丈夫か。
寒がりなので外へ行くのはヤだったんだが(無論、子供は大はしゃぎだ)、年越しの買出しだししようがない。折角なのでアメ横あたりの喧騒を力一杯浴びたかったのだが、4歳児がいるとそうも行かず、去年同様、東京駅の大丸へ行って柿安で惣菜各種、とらやで羊羹、あと包(パオ)餃子など、ひとまず元日の夜まで食卓を賑わせてくれそうなものをア・ラ・カルトで買い込む。
ちょっとお茶でも、と東京駅日本橋口のスタバへ行って驚いた。
此処のスタバは壁一面がガラス窓なのだが、昼間だというのに、ものの2、3時間で雪が積もって、バスの乗り入れ口がすっかりシャーベットを掘り起こしたような惨状になっている。道理で底冷えがする筈である。どうした、東京。とりあえず温まろうとホワイトチョコレートモカにストロベリーケーキを頼んで窓際のテーブルに着いたら、外の雪の白さとあいまって今更クリスマスぽかったり。妻は息子とマシュマロカフェモカ。此処のストロベリーケーキ、アーモンドが練り込んであって確かに美味しいんだけど、400円もするくせにスポンジとスポンジをつなぐクリームにスライスした苺を使わずに苺ジャムでコストダウンを図っている処がややケチくさい(と思うのはオレの口がおごっているからか)。それにしてもよく降るなあ。
オアゾの丸善へ寄った後、降りしきる雪の中、傘を差しつつ我が子を庇いつつ、シャーベットなら食べ頃な解け具合の雪に足をとられそうになり乍ら、ほうほうの体でバス停に辿り着く。地下鉄を使った処で駅から15分歩かなければならないので、妻と相談して家のすぐ近くまで連れてってくれるバスにすがった次第。
さすがに雪好きの悠都も「この雪、たのしくないね」と八の字眉毛になってトホホ笑顔になっていた。
大騒ぎし乍ら帰宅して、夜は家族三人ですき焼き鍋を囲む。これ以上何を望めと云うのか。
僕がテレビを観ている脇で、妻と子が僕のバースデーケーキに絵を描いて過ごす年の瀬。チャンネルを変えたらやっていたテレ東の「生中継ジルベスター年越しコンサート」を観乍ら、吉田さんに貰った蕎麦で妻が年越し蕎麦をこさえる。ちょうどラベルの「ボレロ」を演っていて、あんな風にオーチャードホールで年を越すなんてェのもオツだねえなどと妻と話していたら、23時40秒になった頃から画面の端に時計の針が現れて、「え…」と固唾を呑んで見守っていると、マエストロの大野和士が指揮棒を振り下ろして演奏が終わるのと同時に午前0時になる。思わず夫婦してテレビの前で拍手する。凄い大野、凄いぞテレ東。それがどれだけの偉業だったかは、演奏を終えて現れた司会の女子アナが思わず泣き出してしまった事でも分かる(妻が2chの実況板に行ったら「神が降りてきた」と皆でテレ東を絶賛していた)。年の変り目にいいものを見せてもらった。
妻子から一斉に誕生日を祝われたので「オレが生まれたのは朝4時くらいだからまだ36だし」などとほざくと往生際が悪いと罵られる。だって正確には364日と20時間しか絶っていないんだし(まだ云うか)。息子に誕生プレゼント(自作の電車の絵の詰め合わせ)を貰う。でも、自分の誕生日に絵を贈るのは「つまらないから」厳禁なんだそうだ。おいおい。バースデーケーキの方は明日のおめざにして就寝。
雪のおかげで除夜の鐘つきも二年参りも諦めたけど、それでもこの上ない年越し。
▼ 2004年10月の都を旅する
▼ 2004年09月の都を旅する
▼ 2004年08月の都を旅する
▼ 2004年07月の都を旅する
▼ 2004年06月の都を旅する
▼ 2004年05月の都を旅する
▼ 2004年04月の都を旅する
▼ 2004年03月の都を旅する
▼ 2004年02月の都を旅する
▼ 2004年01月の都を旅する
▼ 2003年の都を旅する
▼ 2002年の都を旅する
▼ 2000〜2001年の都を旅する
▼ 1999年の都を旅する