Diary 備忘の都 2005 Febrary

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レイクサイドマーダーケース火火 ひび北の零年
七面鳥カフェ表参道の歌空 25「愛と孤独、そして笑い」展
皇朝獅子舞見物クリオネ CLIONE
MAKOTOサスペクト・ゼロトニー滝谷
シベリア超特急5 new復讐者に憐れみをUボート 最後の決断

 レイクサイドマーダーケース  2005/2/5(Sa)その1


しっかし、映画を観ていないにも程がある。
といい加減、映画禁断症状で震える指のまま(ウソです)、日比谷へ向かう。

「レイクサイドマーダーケース(2005・日/青山真治)」 日比谷スカラ座2
以下、ネタバレには一切構っていないのでご用心。ま、一応伏せておく。

下手すれば土サスや火サスの2時間ドラマな素材を(尤も少年犯罪を扱っているのでまず企画が通らない。…あ、だから映画なのか)、ものの見事に『映画』にしてみせたのは青山監督の手柄。一例を挙げると、杉田かおるが「コーヒー淹れましょうか」と席を立って夫の鶴見辰吾に叱責される処。一介の主婦の他力本願なりの気遣いと役割分担が滲み出た好シーンである。

「レイクサイドマーダーケース(2005・日/青山真治)」 ミステリーとしてもお受験を巡る人間ドラマとしても総体的によく出来た映画なのだが、映画が始まってすぐの並木(役所広司)と愛人・英里子(眞野裕子)との描き方で、個人的に躓いてしまって、映画を観ている間中、ずっと異物感が頭から離れなくなって往生した。そりゃ脱ぎ要員とは云え、大きい役を貰って頑張ってたし(真夜中の湖畔で長時間全裸でいた、とそれだけで頭が下がる)、その上モデル出身だから美人だし、均整の取れた綺麗なハダカだったし。

気になったのは情事直後のベッドの、そのよそよそしさだ。
自分でも書いていて恥ずかしいが、ポイントは「情事直後」にある。恋人ならではの親密感とか、普段日陰に甘んじている愛人の此処ぞとばかりの独占慾とかが希薄、というか全く感じられない。ハダカがあってエロスがないのだ。具体的に云うと、男の身体から微妙な距離を置いて、シーツを胸元までたぐりよせて完全防備になっている。次のカットでは確かに、起き上がった彼女が無頓着な風情で胸も露に並木に語りかけるのだが、何だか其処だけ木で竹を接いだ感じ。役である以前に女優本人が顔を出してしまったんじゃないか。一旦は英里子という女性のプライドの高さなのだと納得しようともしたがどうにもしっくり来ない。ひょっとして女優が「脱ぎ」はOKだったが「カラミ」はNGだったかとつまらぬ邪推をしてみたり。

実はこのあと観た「火火(2004・日)」で偶然、窪塚俊介池脇千鶴の同じようなシーンがあるのだが、こちらは池脇がシーツの下でしっかり恋人の身体にしがみついているのが分かる。さすがは「ジョゼと虎と魚たち」を演じ抜いた覇者・池脇、よく分かっていらっしゃる。こちらの映画にはハダカがなくてエロスがある。しかもそれは芝居上、必然的に導き出されるものだ。別に殊更「レイクサイド─」を貶めるつもりはないが、観客なんて何処で引っかかるか分からないというお話。

処で、ひょっとしたら原作通りなのかもしれないが、薬師丸ひろ子の瞳の奥のアレは果たしてこの映画に必要なものなのかね。彼女自身は観客にイライラが伝染する程の極上の更年期演技を披露。元々達者な女優さんだからなあ。でも今回の最優秀演技はクライマックスで激情するトヨエツを抑えて(何故か、役所さんとの共演率が高い)柄本明でしょう。「ゼブラーマン(2004・日)」のカニ男を凌駕するエキセントリック演技(おいおい)。尤も「父親」を最后の切り札にしていい、という柄本さんの叫びは自分が親になったからこそ初めて血肉を伴って聞こえてくる。
元祖カツカレー(1,000円) 「グリルスイス」
色々腐したが、総じて面白い犯罪映画なので誤解なきよう。
ええ、次回作「エリ・エリ・レマ サバクタニ」も期待していますとも。
銀座に移動して次に行くシネスイッチ銀座の集客状況を確認してから、小腹が空いたので、相変らず行列が並ぶ煉瓦亭はスルーして「グリルスイス」で久し振りにカツカレーを食べる。お昼どきとあって、行列までは行かずともさすがに相席を頼まれる。今日は千葉さんのカツカレー(1,300円)じゃなくて元祖カツカレー(1,000円)。どうせグリーンサラダ位しか差がないし。実は最初にサービスで出て来るカップスープのファンだったりする。味は濃い目だがそれがまた町の洋食屋らしくていい。此処のは挽肉に野菜が融けてなくなるまで煮込んだキーマカレー。もりもりと美味しくいただく。

この項、続く。


 火火 ひび  2005/2/5(Sa)その2


「火火 ひび (2004・日/高橋伴明)」 シネスイッチ銀座
陶芸家・神山清子の、逆境からの立身出世と愛息闘病を主軸にした一代記。
地味な題材乍ら、下馬評が良かったのと、田中裕子主演だったのとで足を運ぶ。

先に書いたように池脇千鶴が、息子・窪塚俊介の恋人役で短い出番乍ら鮮烈な印象を残す。彼女としては決して大きな役ではないが、デビュー映画「大阪物語」で母親を演じた田中裕子との久々の共演で女優魂に火がついたのではないかと思える好演。これは意外な拾い物だった。

「火火 ひび (2004・日/高橋伴明)」 「火火 ひび (2004・日/高橋伴明)」 陶芸家としての業(カルマ)を田中が見事に体現。
作家としての信念を貫く為に、脇目も振らずに貧乏と闘い、吝嗇に励み、作品が世間に認められていく物語前半は手放しで絶賛。豪快にしてしみったれた「不器用な」求道者を、田中さんは神山清子本人が憑依したかのように(て、別に死んだ訳じゃない)緩急自在に振舞ってみせる。ある意味「マイペースの怪物」と云っていい、この陶芸家を「田中裕子」という仲立ちが演じることで、いい意味、緩衝材になって、美しいドラマへ昇華するのに一役買ったと思う。このキャスティングの狙いはドンピシャであった。

それだけに物語後半が闘病記になるのはドラマとしては安心して見ていられるものの、難病物のパッケージにシフトする事自体が若干不満。尤も実話に文句を云うのは詮無い話。映画自体、息子の遺体を自宅に連れて帰る処から清子が自分の人生を回想するという入れ子構造を取るなど色々腐心している事も付け加えておく。

ルーキー、窪塚弟@今回初見と、黒沢あすか「六月の蛇」は頭まで剃り上げての奮闘。見どころは窪塚弟の骨髄移植の拒絶反応と、師匠の作品を割ってしまった瑞香の錯乱演技。尤も後者はやや過剰。瑞香という女性は誠実が故にエキセントリックなひとなのらしい。実際に病気を克服した吉井怜が看護婦役で窪塚弟を叱咤するのはご愛嬌(というかこれ以上ない適役なのか)。その他も骨髄バンク関連で井原正巳東ちづるとあれこれカメオ出演あり。あとネアカのおばさんに石田えり、看護婦に鈴木砂羽と何気にゴーカな助演陣に支えられているというか、映画的というか。勿論、現実主義の姉・遠山景織子に清子のお師匠さん・岸部一徳、主治医の山田辰夫も押さえておきたい処。

そんなこんなで難病パッケージのまま閉じるかと思いきや、息子の葬儀を放り出して竈に薪をくべるラストシーン。彼女が母親ではなく陶芸家として着地する瞬間、一観客として拍手を送りたくなった。
思いあぐねた挙句、チケット屋で「北の零年」の前売800円を買って木場へ移動する。
こーなったら今日は徹底して邦画を観る事にする。
この項、続く。


 北の零年  2005/2/5(Sa)その3


「北の零年(2004・日/行定勲)」 109シネマズ木場
セトロさんに「行定監督への懐疑フラッグが立った」と云わしめた東映が社運をかけたサユリスト大作。
(尤も歯切れの悪い云い廻しは、彼が行定監督に絶望していない事への証左なんだけど)

結論から云えば、淡路・稲田家の武士と家族たちの北海道移住という題材はともかく「まず小百合ありき」、那須@「デビルマン」脚本等々の、さまざまな「制約」がある中で、これまでの身の丈作品なキャリアからの飛翔として(そういう意味でも「セカチュー」は撮らねばならない、超えねばならない山であった)、沢山の問題は孕んでいてもまずはその健闘を湛えたい。何よりこの大仕事を引き受けてひとまず撮り上げた事が偉かった。監督ってオレと同じ1968年生まれなんだけどそれだけで恐れ入るもん。

「ええじゃないか」は観客置いてきぼり感が強かったが、イナゴ大パニックは火だるま特攻隊@平田満のくだりまで含めて個人的には「よくやった」って感じである。この際、あれくらいのムチャはしてもらった方が。蝗害自体、史実らしいし。これがトヨエツのラスト・サムライとか出演者一同鍬入れ、更には馬の大群が帰ってくるあたりになると「ホルス」とか「ナウシカ」とか「もののけ」とか我々日本人の心の奥底に根付いたジブリ魂を見るような思いに。もはや行定・那須の共同正犯なのかな(笑)。

たださすがに吉永小百合は実年齢という意味で等身大の作品を選ぶべきではないのか、とは思いますた。そりゃ確かに顔立ちの美しさに加えて女優として鍛錬を怠らないひとだから実齢より5歳は若く見えるけど、劇場の大スクリーンは冷酷無慈悲である。サユリストは騙せても一般客は決して騙されてくれない。観客は芸術座や新橋演舞場に来ている訳ではないのだから、香川照之が彼女に欲情したり、石田ゆり子に「今でも妹のように思っています」と宣われると40代以下の若い客は椅子から落ちそうになる訳だ。
そもそも主要キャストを年齢順ソートすると、藤木悠馬渕晴子石橋蓮司と来て、4番手にはもう小百合さんが来てしまう。アイヌを演じた大口広司@「真行寺君枝の夫」だって単に老け顔なだけで(元はテンプターズのドラマーである)、せいぜい小百合さんとタイか歳下だろう。つまり彼女を引き立てるには主だった周囲も60代で固めるとかキャスティング上の配慮も必要だった。それが例え東映的に変わり映えのしない顔ぶれになったとしても、絵づくりのバランスを欠くよりはうんといい。

あと物語の前半部分はどうしても渡辺謙主演映画だった為、後半でいきなり小百合さんが主演に切り替わった上に、再登場した謙さんが観客全員を敵に廻すという韓流ドラマ並みの強引な展開は、間違いなく那須脚本の罪とは云え、かなり厳しかったが、「冬ソナ」好きとかぶったサユリスト世代にはあんなのがウケるのかなあ。だったらイヤだなあ。

行定監督は「きょうのできごと」が撮れるひとなんで、エチュードで撮った大作(おいおい)「北の零年」はひとまず忘れてあげようよ。でも「セカチュー」とこれがあるお陰で、いつものフィールドに戻ってきた時のネクストワンがある筈なんで心配はしていません。いつか笑い話に変わる日が来る(て、どういう〆なんだよ)。


 七面鳥カフェ  2005/2/6(Su)その1


17時、南青山・骨董通り「七面鳥カフェ」集合、の予定が家を出遅れて表参道駅に到着したのが17時。
さっちゃんに詫びの電話を入れて、骨董通りを歩いているうちに、同じく遅れて来たはるさんと合流、約10分遅れでくだんの店に辿り着く。申し訳なし。

で、「七面鳥カフェ」
雑居ビルの2Fにある店内に入った途端、懐かしい空気がお出迎え。カウンターの壁一面を埋め尽くすLPレコードの棚に呼応するかのように70年代のロックが、会話が出来ない程ではない大音量で流れていて、また到る処にしのばせた雑貨や小物、調度の細部に拘っているものの、これは学生時代に随分世話になった「ル・ミディ」南青山Ver.の居心地良さではないか。はるさんにそう告げると彼も同じ事を考えていたらしい。読みさしのコミックス(たとえば秋田書店)が並んでいたり、テーブル毎に椅子がばらばらなのも、ましてやさっちゃんの座った椅子の肘掛が片方ないのも全然OK。南青山なのに、此処はそういう店なのだ。

七面鳥カフェ看板 七面鳥カフェ店内 カウンターの向こうには壁一面のLP

時間も押しているので、僕は「えびとココナッツミルクのグリーンカレー(1,050円)」「昔ながらのポテトサラダ(480円)」、はるさんが「アボカドクリームチキングリル(1,150円)」、さっちゃんが「ぐるぐるチキン(1,130円)」にそれぞれ「チャパティ(200円)」をつけて。これにそれぞれドリンクメニューが400円〜600円くらい。此処は16時までのランチタイム(Salad + Main + Drinkメニューからそれぞれチョイス;1,280円)、18時からのディナータイム(Aperitif + Appetizer + Salad + Main Dish + Sweets + Drinksメニューからそれぞれチョイス;1,680円)があるにも拘らず、メイン・イヴェントのライヴが18時半開場のおかげで、やむをえずランチ、ディナータイムの恩恵に預かれない端境どきにア・ラ・カルトでオーダー。ひとり800円ほど手出しが増えて口惜しかったので、次回は絶対にランチかディナーを狙ってやる。

「えびとココナッツミルクのグリーンカレー」はホワイト系のアースカラーなルウに油断していたら、容赦なき本格的辛さに(て、グリーンカレーだったのだった)思わず泣きかける。カフェめしとして人気が高いのも頷ける。ココットのルウの底からローリエの葉っぱが出てきたのを見て、また「ル・ミディ」をしのんだり。飾りつけの華やかさといい、文句のつけようがないが、個人的好みとしてはピーナッツは砕いて入れていただくと尚良し。「昔ながらのポテトサラダ」は甘く仕上げたマヨネーズ味が成程、いつか食べたお惣菜テイストでカレーに灼かれた舌をやさしく癒してくれる。

えびとココナッツミルクのグリーンカレー(ライス部分) えびとココナッツミルクのグリーンカレー(ルウ部分)。ちらっと見えるスプーンの柄に穴が空いているあたりがオッサレー。 昔ながらのポテトサラダ

はるさんからチャパティを分けてもらうが、此処のチャパティがまた旨い。「ぐるぐるチキン」(薄切り肉をぐるぐる巻いてあるらしい)のグレービーソースにつけて食べるとまたまた旨い。はるさんが「アボカドクリームチキングリル」なのにアボカドがない、とぼやいていたが、かたちがなくなるまで潰してあるだけだと思う。

アボカドクリームチキングリル ぐるぐるチキン チャパティ

僕らのテーブルは壁際だったのだが、ちょうど僕の真向かいに座ったはるさん、さっちゃんの真上に映写プロジェクターが吊り下げてあり、食事の途中から僕が座っている背中の壁に向かって映画上映が始まる(「ミスター・ソウルマン SOUL MAN (1986・米/スティーヴ・マイナー)」)。店内のロックの音量は絞られないのだが、字幕なので、筋を追うぶんには支障がない。支障はないが、唯一僕だけが映画が見えないので、ふたりが時折無口になって映画を観ているのが非常に腹立たしい(笑)。「ミスター・ソウルマン」はハーバード大学に合格した青年が親から経済援助を断られ、少数民俗奨学金を得るため黒人に変装するハートフル・コメディ。僕が映画館通いを始めた頃に観た作品なので、とても懐かしい。尤も主演のC・トーマス・ハウエルロブ・ロウと間違えて憶えていたのだからいい加減なものだ。学長役でジェームズ・アール・ジョーンズが出ていた処までしっかり憶えていたのに、レスリー・ニールセンが出ている事に今の今まで気付かなかった。おそらくZAZのTVシリーズ「フライング・コップ/知能指数0(ゼロ)分署」を知る前に観たので、彼を認識していなかったのだろう。「クリープ・ショー」で満ち潮の浜辺に首まで埋められたレスリーの話などする。

などと悠長に映画語りをしている場合ではなかったのだった。
お店を存分に堪能する処まで行かなかったので、いずれ再訪を胸に誓いつつ店を出る。
この項、続く。


 表参道の歌空 25  2005/2/6(Su)その2


という訳で、年末からすっかりマンスリーと化した表参道FABへ。
会社帰りじゃないおかげで、今宵は心乱れることなく整理番号順に整列、入場出来る。
(尤も、開場が15分程遅れたので、もうちょっと「七面鳥カフェ」でゆっくり出来たかもしれない)

「表参道の歌空 25」 於 表参道FAB
OPEN 18:45/START 19:00

出演者もかろうじて判別出来るくらい 「表参道の歌空 25」ポスターがちょっとイケていない 正直、種ちゃん以外はきちんと曲を聴いた事のないアーティストばかりなので(告白すれば、そもそも篠原美也子以外、名前も知らなかった)各アーティストのセットリストを起こすことは困難だった。
せめて出演ミュージシャンだけでも判る限り、記録しておく。
【Vo.Key】種ともこ

M1 守ってあげられないこと
M2 おでん
M3 流星群
M4 タイトル未定(Everytime I think of You)
M5 カナリア
年末とはショートカットのかたちを再び変えてカットソーとジーンズのラフないでたちで登場。明日からアルバムのレコーディングという事で、M1以外全部新曲という種ファンにとってはある種夢のような構成(僕らの不安はこれから作る新作が6曲入りミニアルバムになるんじゃないかという事だが──それでは「伝説」を含めると、未発表の楽曲はあと1曲になってしまう──はるさんは「それは充分にありえる」と自嘲気味に笑った)。M2の「おでん」には驚かされたが(モチーフは遠藤賢司「カレーライス」のそれに近く、あろう事か曲調は字余り歌唱を駆使したブルースという衝撃的な1曲。強いて挙げれば「あの頃アタシもカナコも」「ダメなときはダメ」あたりのタイプの楽曲)、あとは種ちゃんらしいラヴソングの数々。昨年末の多くの人の生命を奪った災害を機に書き上げた鎮魂歌のM3、「Everytime I think of You」のリフレインが胸に迫るラブバラッドのM4、それからきっとアルバムの巻頭を飾りそうな前向きなラヴソングM5。種ちゃんはやっぱり種ちゃんだった。
Sunflower's Garden
【Vo.G】前川浩透【Bass】川縁清志【Tam】中村逸人【Acco】本田有佳里
近々行うワンマンライヴ「ひまわり熱中症」の番宣を兼ねたmiddle act(飛び入り参加)。「篠原姐さん」を連呼していたので、その関係か。曲名は正確ではないが、客席参加型の「Enjoy MySelf」そして「限りない青空」の2曲を披露。若手芸人のような誠実さと、MCに於ける実直そうな九州訛り(と思ったら金沢出身だった)が耳に心地好い。アコーディオンを力強く弾く本田有佳里嬢に暫し見とれてしまう。ストリートミュージシャン歴が長いのか。
井出泰彰
【Vo.Key】井出泰彰【Perc】坂井秀彰【Dr】高尾俊行【Bass】小川真司
「無限のリヴァイアス」「スクライド」のオープニングなんかを歌ったりしているらしいのだが、深夜アニメはテリトリー外だし、今夜歌った楽曲の中にそれが含まれていたかどうかもよく分からないていたらく。「Mistake」「Father」といった曲があったのは憶えてる。音楽的には角松敏生、大沢誉志幸とかあのへんのライン。リズム隊が2人居て、ギターなし、ベースのみというのはなかなか珍しいバンド編成だと思ったのだが、そうでもないのかな。あと「ノってるかいっ」みたいなノリは今夜の客層では多くを求めすぎかと思われ。
石原千宝美
【Vo.Key】石原千宝美【Perc】hk style(児島英雄)【Gt】古家学
のびやかな大人の歌声と気さくな関西弁のMCのギャップが気持ちいい5曲。10年前から知り合いだった井出さんと今夜初めて共演したとか、かつてCDを聴いていたアーティストの先輩たち(誰とは問うまい)とご一緒出来たとか、色々ご本人にとっても実り多き一夜だったらしい。
【Vo.Key】篠原美也子
話には聞いていた篠原美也子初体験。意外にも情念に満ちた歌唱は全盛期の山崎ハコを思わせ(古いっ)、地に足のついた愉快な姐さんトークは中島みゆきのそれ。2005年の個人的なテーマは(これまで真正面から向き合うのを避けてきたという)ラヴソングだそうで、篠原姐さんもオリジナル、セルフカヴァーと2枚のラブソング満載のアルバム2枚を春リリースに向け、レコーディングの最中だそう。とりわけ、10代の頃に作ったという「好きだよ」と語りかけるM1 「Only You」が出色の出来だったが、全曲を通して感じたのは「姐さん、何だか怖い…」だった。

という訳で、5組出てたっぷり3時間。ライヴがハネたのは22時を廻っていた。
確かに楽しかったし、お得ではあったが、最初から3時間ライヴなのは見えていた筈なので、FABも日曜くらい開演を1時間(いっそ2時間)早めてもいいのではと思ったのは僕だけではあるまい。

我等、明日も働く労働者なので、早々に帰宅の途につく。
帰りの電車の中で、はるさんに彼の新居の近所にある居酒屋風ライヴハウスで月イチ開催されているらしい牧伸二ライヴに誘われる(尤も具体的な日取りは未定。今月は明後日…て、さすがにそれは無謀)。折角なのでブーさんにサインしてもらったマイ・ウクレレの裏に牧さん(このひとももはや古稀だよ)からもサインを貰おうなどと不埒な計画を立てる脇で暫し「大正テレビ寄席」懐古に花を咲かせる。


 「愛と孤独、そして笑い」展  2005/2/8(Tu)


「mot annual 2005 愛と孤独、そして笑い / life actually」展 「mot annual 2005 愛と孤独、そして笑い / life actually」展 所用で年休。尤もメインは悠都のお守りなので気楽な骨休め。
折角、ウィークデーに休みを取ったというのに雨。

午後から体が空いたので、2ヶ月振り位で散髪に行く。
客は僕ひとりだった事もあって、いつもより輪をかけて丁寧にあたってくれる。
15時前に店へ入って、少しも待たされなかったのに店を出たのが17時。

実は理髪店の真向かい(の横断歩道を渡った先)に東京都現代美術館があるのだが、閉館30分前だというのに、衝動的に「mot annual 2005 愛と孤独、そして笑い / life actually」展へ飛び込む。友の会家族会員割引だと半額の450円で入場出来るのだ。アクセスといい、コストといい、俺はもっと此処に入り浸っていいひとだと思う。

雨のウィークデーに加えて閉館間際という事もあって、各展示室に控えているキュレーター:ギャラリー=1:4くらいの心地好い閑散振り。勝手な云い種を承知で云わせてもらえば、美術館はこのくらいの人口密度がベターである。以下、寄り抜き作家メモ。

澤田知子(photography)

初めて澤田知子の「OMIAI」シリーズを観た時は、森村泰昌のセルフレポートシリーズを思い出したのだが、このひとの自己との向き合い方はむしろ清水ミチコや南伸坊のパフォーマンスに近いのかもしれない。彼女の作品群が今アニュアルのコンセプト「愛と孤独、そして笑い」が最も体現されている気がする。≪SKIN HEAD≫≪ID400≫、中でも≪School Daysシリーズ(2004)≫の集合写真は、インパクトといい、作品に費やしたエネルギー(執念)といい、ただもう圧巻の一言。誤解を恐れずに書くと、これは彼女が「美人ではない」が故に成立するアートなのだな。

イケムラレイコ(drawing and sculpture)

自分の目に拳をめり込ませたブロンズ像に暫し凝視する。

嶋田美子 (installation lithograph)

専用に一部屋丸々あてがわれたインスタレーション作品≪箪笥の中の骨(2004)≫
ギャラリーから無記名で「家族の秘密」を公募して、集めたテキストから固有名詞や個人が特定出来る単語を廃し、また秘密の内容に沿ってさまざまなスタイルに加工したものを、部屋に配置された幾つかの箪笥の抽斗のひとつひとつにレイアウトするというもの。「家族の秘密」は展示期間ずっと公募されており、抽斗の内容も定期的に更新されていくらしい(3月頃に再訪すべきか)。家庭内の確執やDVや祖父の戦争犯罪と、心が寒くなる「秘密」オンパレードの中で、処々挿入される「家族がすごく仲良し(恰好悪いので秘密)」「親子3人蒲団を並べて寝ていること」に救われる。尤もこれら「家族の秘密」に何処まで信憑性があるかという問題もあるが、「秘密」に含まれた「嘘」「脚色」まで含めての「箪笥の中の骨(遺跡)」なのだと思えばいい。

「mot annual 2005 愛と孤独、そして笑い / life actually」ポスター 鴻池朋子 (drawing and installation)

ナイフのオブジェを出入り口に吊るしたナイフ(とキツネ)の連作。
澁澤龍彦「狐媚記」(平凡社/2004)の挿絵原画が大半を占めるがこれがまた精緻な描き込み。狐の群れに呑み込まれた少女(?)の脚の艶かしさ。殊に大作≪第4章 帰還−シリウスの曳航−(2004年)≫のパラノイア振りはどうだ。アートは何処か常軌を逸す事で成立しているような処がある。

イチハラヒロコ (words installation)

このひとの一連の作品群は昔天神でよくお目にかかっていたのでひたすら懐かしい感じ。吹き抜けの展示室いっぱいに例のキャッチコピー群が踊る(そう云えば「mot annual 2005 愛と孤独、そして笑い」展のポスターもイチハラヒロコ調である)。中央部分の巨大なブロック構造物≪クロッキー帳。≫は、ライナーノーツというか作家の創作メモで、メイキングの面白さ。「愛」と「笑」の活字を積み上げてみた≪愛と笑いの日々。≫≪確率シリーズ≫とこのひとの作風って等身大の女性にターゲットを絞ったブリジット・ジョーンズなテイストで、本アニュアル中、いちばんの息抜き担当な気がする。

出光真子 (video installation)

≪直前の過去(2004)≫
作家の個人史(日常)を投影する透明なスクリーンを透かして、彼女の育った時代を恣意的に切り取ったニュース映像(戦争)を重ね合わせて体感させる仕掛け。上映時間13分に対して閉館までほんの15分だったのでさわりだけ観る。こればかりは最后まで観ない事には迂闊な感想は述べられないな。

岡田裕子 (DVD, inkjet print and installation)

会田誠の奥さん(という書き方は作家に失礼だが)初体験。そう云えば先月、山口晃展「売らん哉」へ行った時にミヅマアートギャラリーの女性スタッフに勧められていたんだった。いきなり目許モザイク主婦が台所仕事をしている映像が流れる仏壇が出迎えた後は、エプロン姿の彼女が快活(?)に乱舞する≪Singin' in the pain≫(ダーティ工藤ってあなた…)、≪俺の生んだ子≫(子宮移植した「男性」の出産ドキュメンタリー)と「ジェンダーを遊ぼう」って感じの、エンタな作品群(これまた時間の関係上、つまみ食いで観たのが悔やまれる)。会田さんとの結婚以前、以降で作風がどう変わったのかとか非常に興味のある処。

溝口彰子O.I.C. (installation)

「溝口彰子」の名を冠してはいるが『作品の「秘密」や「真実の意味」がアーティスト個人という「中心」に宿るの だ、とする近代主義・本質主義から離れるにはどうすればいいか? O.I.C.(オーガナイザー/インタロキューター/クリティック)という、あらかじめ作品の外にいる存在を「作家名」として提出することで、中心軸をずらし、作品そのものを立たせるための、実験的集団制作プロジェクト』と要は名前貸しもしくはエクゼクティヴ・プロデュース作品なのか。詰まる処、よく分からないが、実メンバーである香取成彦(テクノロジー)、ZAPPA(セノグラフ/設計/コンセプト)、マーク・ブークロ(音)による巨大コラボ作品≪私の愛する男は私の中で射精する。精液が体の中を流れて行く。いつもこの瞬間、一番、生きているのだと思う。(2004)≫
エキシビジョンルームの中央に据え付けられた巨大なポールの赤い点滅にあわせて、部屋中に鳴り響く獣の吐息のようなノイズが加速していき、ついには終息を迎えるという、全くタイトルそのまんまな生の営みたる「オーガズム」なるものの巨大なインスタレーションなのだが、この部屋の片隅で長時間、煽情的な光とノイズの影響下に置かれるキュレーターの女性はどうにかなってしまわないんだろうかと、余計なお世話だがそちらの方が心配になった。ま、潜水艦映画を観ているとでも思えばいいのかもしれない。

その他のアーティストにオノデラユキ (photography)綿引展子 (drawing)など。
女性キュレーターが選んだ女性アーティスト(「溝口彰子O.I.C.」は正確には男女混合プロジェクトだが)のグループ展という事以外は、一貫性がありそうでなさそうな(大括りした「愛と孤独、そして笑い」ですらきちんと括れていたかどうか怪しい)、そのカオスが楽しい、バラエティに富んだ企画展であった。閉館アナウンスに背中を押されるように美術館を出たが、充分満足。


 皇朝  2005/2/12(Sa)その1


ほぼ13ヶ月振りに横浜中華街へ繰り出す。
ちょっと油断しただけでこれだ。1年くらいあっという間に過ぎてしまうな。

昨日は「竹里館」でも春節茶会をやっていたのだが、中華街は今まさに春節イヴェントの真っ最中。今日12日(と来週19日)は16時から「採青の儀」。獅子舞が中華街の各店舗を練り歩き、店頭に吊るされた御祝儀(これを「採青」と呼ぶ)を齧り取る事で商売繁栄を祈願するという、中国ならではの春節伝統行事だ。平日(今年は火曜日)深夜のカウントダウンなどは望むべくもないが、折角の連休だし、たまにはうんざりするような人混みも何のその、「獅子舞観たい」と妻の提案に即決したのだった。

で、折角行くのだからお昼は中華街でいただきましょうと妻がチョイスしたのが、この秋にオープンしたばかりの「皇朝」。売りは、世界チャンピオン(第一回中国料理世界大会金奨)の点心総料理長蔡曜氏の手がける点心の数々だが(点心以外は殷立健氏が手がけているようだ)、妻がネットで収集した処、スタッフのサービスもなかなかの評判とのこと。

冬晴れの横浜中華街 「皇朝」の店構えは細い路地にある 世界チャンピオンの点心総料理長・蔡曜氏 「皇朝 点心舗」には長蛇の列

極寒乍ら、抜けるような青空なのが東京の冬のいい処。
お昼前に家を出て、大江戸線から大門経由でJRに乗り継いで浜松町から石川町へ。青空に聳え立つ善隣門と後に続く春節燈花の赤と、あでやかな街並の異国情緒にはいつ訪れても息を呑む。中華食材のスーパーを幾つもひやかし乍ら(通りの中心部へ向かうに従って品物が安価化していくのは世の常か)、何度も後ろ髪を引かれつつ「いや、待て。此処で本能の赴くがままに買い込んでいたら、大荷物でうろつかなければならなくなる」と我と我が身を叱咤し乍ら、妻のナビに従って、観光客でごった返す中華大通りをシウマイの「崎陽軒」から脇の小道(香港路と云うらしい)に入ると程なく「皇朝」の新参の店らしい、黒と黄色のシンプルな店構えが見えてくる。「世界チャンピオン」を大きく謳っているものの、意外に行列は表の点心に並ぶのみで、あっけなく二階へ案内される(尤も、そのあとで善隣門の斜向かいにあるテイクアウト専門の姉妹店「皇朝 点心舗」の前を通ったら、笑ってしまうような長蛇の列が並んでいたのだが)。

新しいだけに自然光を採光した明るい客席は8割程の入りで、程々の回転率で客が入れ替っていく。小さい子供が泣いているのはファミリーに門戸を開いているという事なのでちっともイヤではないのだが、禁煙にしていないのはマイナス。食事している最中に煙草の煙を吸わなきゃならないくらい不快なものはない。あと飲み物は烏龍茶、ジャスミン茶含めて全て有料。とりあえず悠都にジュースだけ頼む。

コース料理は1,980円〜12,800円とピンからキリまで5種類あるが、僕らはピンの1,980円コースにネットクーポン「上海蟹肉入り小龍包1人1人前サービス」(つまり3人で3人前)を行使して、更に胃袋に余裕があれば追加オーダーしようという事にする。何しろ隣のテーブルで小さい女の子がストローを突き立ててちゅうちゅう吸っていた「スープ饅頭」とか、赤に近い深みのあるオレンジ色の「世界チャンピオンのマンゴープリン」とか、口にしてみたいア・ラ・カルトが多々ある。

以下、食譜。
前菜四種
・蜂蜜チャーシュー
・蒸し鶏の前菜 皇朝風
・くらげ和え物
・きゅうりの和え物

蜂蜜でこってりと大学イモのように煮詰めた「蜂蜜チャーシュー」の甘さ(五香粉がぷうんと香った)、一度口に入れるとクセになる「きゅうりの和え物」、そして悠都お気に入りの「蒸し鶏の前菜 皇朝風」のさっぱりとした美味しさと、歯の下できゅっきゅっと音を立てる「くらげ和え物」の食感。

鶏肉の香揚げ

息子のお気に入り2連発。実家の母は僕が鶏のから挙げを食べるようになったと聞いて驚いたそうだが、専ら外食専門です。でも、この香揚げは表面がさくさく、中がジューシーで本当に美味しかったなあ。

上海蟹肉入り小龍包

此処で、クーポンサービスの小龍包(まともに頼むと一人前980円もする)が三階建ての蒸籠で運ばれてくる。此処はたれではなく、黒酢でいただくようだ。小龍包マンセーの息子がひょいと摘まもうとして、柔らかい皮から肉汁が大量決壊して泣いていた。口の中でじゅわっと放出されるジュースの旨いこと旨いこと。見た目の可愛らしさに反してヴォリュームもかなりある。蟹肉入りとあるが、生臭さはさほど感じなかった。唯一の不満は黒酢に添えた細切り生姜がほんの申し訳程度にしか載っていなかったこと。もっと盛大にお願いします。

奥から蜂蜜チャーシュー、蒸し鶏の前菜 皇朝風 奥からくらげ和え物、きゅうりの和え物 鶏肉の香揚げ 三階建ての上海蟹肉入り小龍包

海老のチリソース
チャーハン(焼そばと選択式)

此処らで、料理が堰切って運ばれてきて、テーブルがいっぱいになってやや対処しきれなくなる。お昼どきだからやむをえないのかもしれないが、一皿ごとに楽しむ余裕を客に与えて欲しい。海老チリとチャーハンは普通に美味しい。

フォアグラ入り茶碗蒸し

茶碗蒸しの表面に浮かぶフォアグラの油が食欲をそそる。具材はフォアグラのみでフォアグラそのものもちょっぴりしか入っていないのだが、このシンプルさと濃厚な味わいにノックアウトされる。あー、オレ、これ大層好きかもーっ。食わず嫌いで敬遠していた息子が、ちょっとだけ食べてごらんと妻に差し出されてしぶしぶ口にした処が、そのまま一気にたいらげてしまい、能天気な「おかわり」に思わず妻の顔が青ざめた。「…もっと食べておけばよかった(泣)」

海老のチリソース チャーハン フォアグラ入り茶碗蒸し 店内の様子

点心二種
・上海風焼き饅頭
・合鴨入り春巻

茶碗蒸しを食べ終えた時点で、さしもの僕も腹九分目くらいだったのだが(小龍包が効きました)、畳み掛けるように「上海風焼き饅頭」「合鴨入り春巻」が運ばれてきて愕然とする。白胡麻をまぶした焼き饅頭も餡は小龍包クラスの旨さ、春巻もカリッと揚げてあり、合鴨と椎茸の食感が活きてる。う、旨い。いちばん安いコースなのに、質・量共に手を抜いていないなあ。

本日のデザート四種
・フルーツ入りアンニン豆腐
・上海風ようかん
・バナナクレープの巻き揚げ
・グリンピースのクリーム煮の冷し

上海風焼き饅頭 合鴨入り春巻 フルーツ入りアンニン豆腐 上海風ようかん、バナナクレープの巻き揚げ、グリンピースのクリーム煮の冷し

デザートは苺の果肉をトッピングした杏仁豆腐(旨い!…でも、僅差だが僕は「竹里館」の特製杏仁豆腐に軍配をあげたい)、もちもちっとした食感(皿にもぴったりくっついていたし)が心地いい上海風羊羹。妻はマンゴーだと云っていたが、僕は柑橘系っぽい気がした。飾り蓮華にサーブした「グリンピースのクリーム煮の冷し」の愛らしさもよし、バナナクレープの火を通した果肉のあつあつ加減もよし。デザートにもかなりリキ入っています。
悔しいのだが、とてもじゃないけどスープ饅頭はおろか、マンゴープリンさえこれ以上胃の腑に収められない。最初はお茶にカネをとるなんてと、正直思ったのだが、おそらくはいちばん出るであろうこのコースにこれだけのクオリティを投入していれば、そりゃお茶で回収するしかないわなと、やや得心する。

他人のテーブルに並んだスープ饅頭とマンゴープリンを恨めしげに睨み乍ら、店を後にする。
再訪したいのは山々だが、横浜に来るのは年イチのペース(実績)だからなあ。

ぱんぱんに膨れた腹の消化活動を助けるべく、元町へ移動する。
前回と寸分違わず同じコースを歩んでいるのは此処だけの話である。

この項、続く。


 獅子舞見物  2005/2/12(Sa)その2


元町の路上で見かけた「カバさん」 元町では、妻がバレンタイン商戦に沸く「パティスリー・ジャン・ミエ」へ果敢に飛び込んであれやこれやを買った後、はなから僕が訪れるつもりだった「ウチキパン」へ向かい、これまた足の踏み場もないほどの混雑の中から、パニーニやミートパイなど明日の朝ごはん用のパンを決めて妻に託してから、悠都と近くのペットショップへ避難する(何しろ息子は犬さえあてがっておけばいつまでも大人しくしていられる)。元町は犬を連れたひとが多く、彼には天国と云っていい。そこかしこで道往く犬を捕まえては、自分を舐めさせておともだちになっている。

ようやく小腹に空きが出来てきたので、ちょっとお茶でも呑もうとフンパツして「カフェ霧笛楼」に入ったはいいが、並んでいるうちに採青の始まる16時が迫ってしまい、あんなケーキやこんなケーキを眺めただけでおあずけのまま、泣く泣く店を出る(ていうか、何処も混み過ぎだよ)。そのすぐ傍らで偶然見かけた「ハッシュパピー・スペシャルティストア」がちょうどバーゲン中だったので、3年振りくらいで5000円引きのワラビーブーツを一足買い足す。今履いているのが(まとめ買いしてあったので、別に3年間一足を履き続けた訳じゃない)もう随分くたびれ気味だったのでまさしく渡りに舟であった。自慢じゃないけど、ハッシュパピーはデパートでしか買った事がなかったので、うれしい発見。品揃えがいいうえに、マスコットキャラであるバセットハウンドのちいさなぬいぐるみが色んな処にいて、また母くらいの年齢のマダムの接客に安心して身をまかせられるのもいい。

中華街に戻った処で、腹痛に襲われスタバに飛び込んで難を逃れたはいいが、ちょうど獅子舞開始とぶつかり、また僕がこの街に不案内なこともあって、妻子とはぐれてしまう(というか、待ち合わせた通りと1本別の通りに入り込んでしまう)。携帯で連絡を取り合うが、どちらの通りでも獅子舞が採青のパフォーマンスを繰り広げていたのと、ものすごい人だかりだった事もあり、ひとまず別行動で獅子舞を追いかける。

春節2005の巨大な垂れ幕 獅子舞があらわれる度に、人だかりから一斉に携帯カメラが挙手される 勇壮な打楽器隊 締めは爆竹で。音をお聞かせ出来ないのが残念です
店から店へ移動する時は素に戻っています 御祝儀(採青)。店によってはただの熨斗袋の処もあり、やはり気分が出ない 横浜大世界の採青はわざと高い処にぶらさげてあったので 獅子舞のアクロバティックなパフォーマンスに喝采が起きました

いったい何組の獅子舞が往来を練り歩いていたのかは謎だが、ボランティア有志による活動らしく、中でも横濱中華学院の学生さんたちが凛々しくて格好良かった(かの学校の年間行事にはちゃんと春節活動が折り込まれている)。獅子は一軒一軒店の隅々まで練り歩いたあと、仕上げに爆竹を鳴らして(安全を考慮して、専用の金網を張った箱で火をつけるが、さすがに耳がきぃんとなります)軒先にぶらさげた祝儀袋(採青)をぱくりとやる(店によってはただの熨斗袋を下げている処もあったが、是非此処はしきたり通りの採青を下げていただきたい)のがメイン・イヴェント。僕が見た中では、「横浜大世界」の採青はかなり高い処に貼り付けてあった為、獅子の方でも何度もトライしては失敗し、最後に見事、お札にかぶりついた時には喝采が上がった程だった。

暫く或る1組の獅子舞を追っかけていたが、いつまでも妻ひとりに悠都の面倒を見せておく訳にもいかないので、携帯で連絡を取りつつ合流するなり、肩車の行(ぎょう)に入って、違う獅子舞を更に2組見物する。そのうちにとっぷりと日も暮れて、台湾の夜市(イエシィー)の如く、大通りの夜空を覆うように雲形イルミネーションと、春節燈花の紅い提灯が点燈を始める。夜の中華街もまた風情があっていい。

帰りに最初に立ち寄ったスーパーへ行って、激安の乾燥湯葉や豆腐チゲスープにチヂミのもと、それからレインボー・タピオカ(試すのがたのしみ)や各種調味料などを買い込んでから、中華街を後にする。いやー、遊んだ遊んだ。

獅子舞 GOLD Ver. 日暮れとともに春節燈花にあかりがともり あでやかな夜を迎える ペリーゴールの森

夜、早速妻が「パティスリー・ジャン・ミエ」で買ってきたチョコレートケーキ「ペリーゴールの森」でコーヒーをいただく。チョコレートだかケーキだか判別のつかないチョコレート加減に指をチョコまみれにし乍らケーキを頬張る。この手加減しなさ具合が実に以っていい。


 クリオネ CLIONE  2005/2/13(Su)


下北沢演劇祭の垂れ幕 連休最終日はちょっと妻子にお許しいただいて、午後から下北沢演劇祭で沸く下北沢へ。

暮れにドラマリーディングへ行った折り、一幕限り寸止めで幕を引くという紙芝居的手口に「いい意味で焦らされて」欲求不満に陥ったものの、本公演の指定席4500円・自由席4000円(整理番号付)という価格帯に何となくスルーする気でいたのだが(しかし、セコいねオレも)、一緒に行ったさっちゃんの「本公演観たい」熱に牽引されたのと、e+の得チケで自由席2500円が出たのとで俄然モチベーションが高まった。結果的には互いのスケジュールが合わず、各々ばらばらの観劇になったのだけれど(さっちゃんは昨日のマチネへ出かけた筈)、東京公演千秋楽+ザ・スズナリ初体験に、ひとりでも大いに盛り上がる。
TFactory「クリオネ CLIONE 〜神なき国の夜I」 於 ザ・スズナリ

【作川村毅
【演出】川村毅
【出演】外村史郎 (真城涼)
【出演】宮本裕子 (白崎理香)
【出演】笠木誠 (安西栄一)
【出演】伊澤勉 (男)
【出演】ルー大柴 (国仲誠一郎)
【出演】手塚とおる (首塔聖人)

ザ・スズナリ 【物語】(公式サイトから引用)

…かつて同級生だった、放浪癖のある映画監督・国仲(ルー大柴)に、発覚しなかった自分の過去の殺人事件を映画にしないかと持ちかける首塔(手塚とおる)。

本当にその犯罪は行われたのか? 死体は一体どこにあるのか? 二人に翻弄される、神経症のシナリオライター・真城(外村史郎)、謎のプロデューサー・安西(笠木誠)、帰国子女で日本に馴染めない国仲の恋人・白崎(宮本裕子)、かつて映画のモデルにされた犯罪者の男(伊澤勉)。それぞれの意識、感情、記憶が交錯し、ストーリーは二転三転、思わぬ結末へと向かっていきます。

…どこか病んだ登場人物達が織り成す、真実と嘘を巡るサスペンス、現在東京に生きる40代の人々の痛みを描くブラック・コメディ?!
スズナリは初めてなので、いつもなのかどうかは分からないが、指定席は雛壇に並んだ椅子席で、自由席は指定席の手前の絨毯敷のフロアに2列置かれたベンチシートであった。得チケ者の入場はいちばん最后だったのだが、奇跡の最前列中央を確保出来るあたりがひとり観劇の身軽さかもしれない。荷物スペースとの折り合いをつけ乍ら、窮屈な態勢を強いるベンチシートで2時間の芝居を観るのは(特に後半)体力的にしんどいのだが(終演間際は腰がメリメリ云っていた)、こまばアゴラ劇場と比べても客席と舞台がボーダレスなのには驚嘆した。何しろ役者が舞台いっぱいを利用して芝居するので、上野広小路亭のかぶりつきより至近距離に役者が迫ってくる。千秋楽だからかカーテンコールは2回あったが、出演者が並んで、ルー大柴がおじぎをした目線の、ちょうど20cm真下で僕が拍手している、そんな席。

TFactory「クリオネ」 小堺一機 関根勤 「おめでとうルーちゃん」木の実ナナ

一幕(60分弱)と二幕(70分弱)の幕間に、こきこきになった腰を休めるべくロビーに顔を出す。
兎に角、小屋自体が狭いので、会社の喫煙ルーム並みの広さのロビーに処狭しと花を並べていたが、中でいちばん目立ったのが、手塚さん宛てのおぎやはぎだったというのが何とも(特に他意はない)。その脇にあった「マッチ売りの少女」で共演した富司純子・寺島しのぶ母娘から来た花の、軽く3倍(当社比)はあったのではないか。ルーには勿論コサキン両名からの花と、あと壁に貼られた木の実ナナの(おそらくは直筆の)「おめでとうルーちゃん」メッセージ付の熨斗紙が目を引いた。

TFactory「クリオネ」 以下、思いつくままに。

既にリーディングを経験済みだった一幕は、下書きを観てから完成品を観させてもらう擬似メイキングな楽しさも加わる。これに未体験の二幕を通しで観ると、何だかシリーズ映画の特集上映を観ているみたいで更に愉しい。リーディングで、最初の語り部である真城(外村史郎)や犯罪を告白する首塔(手塚とおる)の、吐きそうな程の膨大な長台詞に「これからこれを憶えるんだ」と同情したが、本公演で見事によどみなく台詞の奔流を放水し続けるふたりには頭が下がった(尤も、未公開だった二幕では、その台詞大河越えの大任は真城から国仲(ルー大柴)へとシフトする)。

映画監督・国仲誠一郎という設定は意外に誰も扱っていない素材で「してやられた」感。殺人が多発する(おそらくは低予算の)バイオレンス映画やVシネマで時代の寵児となって海外の映画祭でも高く評価されているといって、僕らがまず思い浮かべるのは三池崇史、黒沢清、せいぜい青山真治。北野武は人気タレントの顔も持つが故にモデル候補からは外す。そのエキセントリックにして暗い影を抱えたキャラ(まるであて書きなのだが、ルー大柴のキャスティングは後付けだと云うから驚く)にいちばん近いのは強いて挙げるのなら三池監督だろう。そしておそらくはクリエーターとしての川村毅自身が色濃く投影されている。それにしても、シリアスモードで観るルー大柴は本公演最大の収穫。怪作品・河崎実「いかレスラー」のドラマの背骨を支えたひとりが超日本プロレスの渡澤社長を演じたルーだが、この芝居ではルー大柴という役者の最適活用法を提示されたような気がするし、彼もまた川村さんの期待によく応えていたと思う。

対するは、怪物・首塔聖人(しゅとうせいじん)。
肝臓を壊して昏睡状態の父親の名前は首塔『宇宙人』というからふるっている。
首塔曰く「『ガルシアの首』の『首』に『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』の『塔』に『聖ジュネ』の『聖』に『人』と書きます」。芝居を観ている時は台詞(音 おん)としての面白さにその場はつい流してしまったのだけれど、あとでよくよく考えてみれば、この戯曲のトリックスターの名前らしく、物語を象徴する隠喩に満ちた引用や符牒だったりする。

サム・ペキンパーの代表作「ガルシアの首」は、死体を墓から掘り出す話。人間の暗部を抉るかのような徹底した露悪表現と、死体への妄執に重ねた「自分探し」。サルトルが書いた「聖ジュネ」では、数限りない悪行を重ねた孤児ジャン・ジュネが、悪行より悪を表現する事が更なる悪であると考え、世に殺人行為をそそのかすような作家となる物語(処が逆説的になるが、彼は仏大統領に懲役刑を赦免され、卑賤や貧窮から抜け出す事になる)。「クリオネ」を観たひとなら、何処がどうリンクしているかはお分かりの事だろう。「ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔」は台詞にした時の字面の面白さもさることながら、フロド vs ゴラムの「対決」の構図が国仲 vs 首塔のそれとダブる処あり。対決であり乍ら、実は自己の「弱さ」と向き合っているあたりとか。

その他に気がついた点。
ショットバーでお酒を呑む国仲の手つきが落語のそれ(グラスを持った親指を口につける)だったりとか、パニック症候群でアトピーという設定の真城の胸元に皮膚炎を起こしたメイクを施している仕事の細かさとか、宮本裕子は小顔で綺麗だなとか、挙句キスシーンが2回もあるしとか、安西の口癖「バイアグラ」→「フィストファック」って若干時系列狂ってなかった?とか。

エキセントリックなふたり(ルー&手塚)の演劇的にもスリリングなツーショットはそれだけでもスズナリで腰をミシミシ云わせてまで観た甲斐があったというもの。それにしてもギラギラしてい乍らナイーブな国仲はそのまま川村さんご本人のキャラクターに通底する。ミステリーとしては中途で破綻していくが、自分探しの行き着く先としての物語の着地点には大いに満足。

2回のカーテンコールに惜しみない拍手を送る。
ロビーにはおられたのだから、川村さんも一緒に挨拶すればよかったのに。
次回川村さんの新作公演は神なき国の夜 II「フクロウの賭け」。シアタートラムで来年2月上演予定。1年後か…行かなきゃだな。
ごぶさたの「アンゼリカ」でみそパン、白玉あんぱんなどメジャーどころを袋いっぱい買い込んで帰宅。


 MAKOTO  2005/2/20(Su)その1


有楽町マリオンの朝日名人会の告知。下から二番目にやっさんの名前がある 恐れていた事だが、仕事が立て込んできた。

金曜はあわよくば新宿で「シベ超5」をと思っていたのだが、夕方のミーティングで急転直下、終電まで仕事(しかも雨)、挙句土曜も出勤となってしまった。土曜日、唯一頼みの綱だった「アニドウ上映会」もこれまた夕方のミーティングの最中に妻から携帯が入って「手違いで会場が押さえられず急遽中止」の報。色々とアテが外れてしゅん、となる。

今月は本気で映画を観ていないので息子には悪いが、日曜映画で有楽町に出る。

「MAKOTO(2005・日/君塚良一)」 丸の内ピカデリー2
君塚さんの記念すべき監督第一作。

いきなり余談になって申し訳ないが、2003年の暮れに日比谷スカラ座で「フォーン・ブース(2002・米)」の初日を観に行って君塚さんをお見かけした事がある。映画が終わってロビーに出ると、トイレ入口付近のシートで煙草を吹かしておられた。何気に茶髪なのだが、見事に一般人の中に同化して、携帯をチェックしたり、すぐに次の煙草に火をつけたりしている。「うー…」チラシを取りに行くなどしてロビーを大きく回遊、暫く逡巡したが、やがて勇気を振り絞ってこっそりと(あくまで目立たないように)声をかけた。

「あのう…不躾ですが、握手だけお願いしてよろしいですか」

君塚さんは一瞬ぽかんとしていたが、すぐに破顔一笑、握手をしてくださったのだった。
そんな君塚さんの映画を観ない訳には行かない(いや、そうじゃなくても観に行くんだけど)。

まず脚本家として名を馳せた人が原作モノに取り組む面白さ。
彼のフィールドであるTVドラマは基本的にオリジナルしか書いておらず、本作は脚本家の仕事としてもかなりレアなケース(その点、クドカンは原作モノの脚本に実績があるから初監督に「真夜中の弥次さん喜多さん」を選んだ事にそんなに違和感はない)。このひとの人生設計の中で、映画監督は必然なんだろうな。しかもターゲットはロードショー館で公開されるエンタ主体の商業映画。作家として腕をふるえて、且つ「興行としてペイ出来る」面白い素材であれば、オリジナル作品かどうかには拘らない。それがテレビ業界を生き抜いてきたひとの職人スキルにして、作家としての自負のあらわれか。

原作漫画は未見だが、基本的には「きらきらひかる」と同質の人間ドラマと考えていい。
法医学に於ける「死体は語る」を端的に幽霊というビジュアルに置き換えただけなので、本作の幽霊はただ其処にあり、真実が白日の下に晒されると、瞬間だけ姿を現し、自分に近いひとに「遺言」を残し、去っていく。「きらきらひかる」で監察医たちが推理し、妄想したものを「幽霊」というかたちで死と向き合うドラマに色彩を加えたのが本作なのだ。そうした物語の構造上、本作は決してホラーになりえない(「階段」が沢山出て来るのが「怪談」へのオマージュだったらイヤだなあ)。故に悲しくも美しい「闇に溶け込むように、ただ佇む幽霊」のビジュアルが実に効果的である。中川信夫の怪談映画ではないが、死者との対話はつまりは自分自身の内面と向き合う事に他ならないからだ。

「MAKOTO(2005・日/君塚良一)」 そして本作の最大の特徴は、この手のドラマにありがちな、ウェルメイドとして着地させる各エピソードに決して予定調和を投入しない事にある。この映画はひとが抱える暗黒面をオブラートでくるまずに、その弱さごとひきうけようと身悶えしている。突然死した娘の遺言は決して若い母親の良心を救いはしないし(河合美智子が実にいい仕事をしている)、男をふたまたかけた末に死んだ娘は、真相を知った父親(武田鉄矢)にきびすを返され絶望したまま闇に帰り、その彼女の後姿が父親に一生の十字架を背負わせる。

真言(東山紀之)の妻・絵梨(和久井映見)の関係も壮絶だ。帰宅すると、部屋の隅で今にも泣きそうな妻の幽霊がずっと自分を見つめているのだ。それでも妻の言葉に耳を傾けると彼女が消えてしまうから、夫はそんな彼女を縛り続ける。妻が脳死になった移植コーディネーターみたいに、彼は葛藤の無間地獄に堕ちるのだ。更には事故死の裏に隠された或る真相も「淋しかったからだ」と抗弁出来る程には妻を守ってやれない。

このATGのような重苦しいテーマをエンタ性の高い商業映画の中にブービートラップとして忍ばせる。
ひょっとすると、それこそが君塚監督が映画を撮るモチベーションであり、意味なのかもしれない。
夏には監督第二作「容疑者 室井慎次」が続くが、次回作はどう攻めて来るのか今から楽しみである。

手短に役者往来。

陽のひと、哀川翔ベッキーのアレはやはり「愛のコリーダ」リスペクトか(え?)。室井滋の恩田レイコ的演技を久々観た気がする。あとこれも観れば解るが、「ハムのひと」別所哲也は本作でも残酷なまでに「ハムのひと」なのだった。ホラー・クイーン三輪ひとみは何処となく異物感。ていうか、初めのうち幽霊とミスリーディングさせる監督の、いい意味でのひとの悪さ。小堺一機はともかく佐野史郎があまり重要じゃない役でちょろっと出てくるのは(なのに凄まじい台風シーンには参加させられている)やはり冬彦さんのよしみか。
この項、続く。


 サスペクト・ゼロ  2005/2/20(Su)その2


「サスペクト・ゼロ SUSPECT ZERO (2004・米/E・エリアス・マーヒッジ)」 有楽町スバル座
傑作。時間合わせに適当に選んだのだが、これが思わぬ拾い物。
断言してもいいが、「テイキング・ライブス」が束になってかかっても、本作のセンスには敵わない。告白するが「羊たちの沈黙」「ユージュアル・サスペクツ」だってこんなにわくわくしなかった。
『セブン』を凌ぐ、戦慄のサスペンス・ミステリー」というのが惹句だが、オレ的には「『アザーズ』と拮抗する、戦慄のサスペンス・ミステリー」。とりあえず本作が「シンドラーのリスト」「死と処女」「ガンジー」を押さえてベスト・オブ・キングズレーに決定(ちなみにセトロさんのベスト・オブ・キングズレーは「デーヴ」の副大統領らしいが、生憎未見なのだった)。

以下に容赦なくネタばれするけど、読むのは絶対に映画を観てからね。

「サスペクト・ゼロ SUSPECT ZERO (2004・米/E・エリアス・マーヒッジ)」 のっけから真相を書いてしまうと、連続猟奇「連続猟奇殺人鬼」殺人鬼のお話。
彼(ベン・キングズレー)の最終標的はサスペクト・ゼロ(広大なアメリカ大陸を移動し乍ら、各地で嗜好もパターンもなく、決して証拠を残さずに連続猟奇殺人をする事が出来たら、それは連続殺人とさえ認識されない。理論上、そうした連続殺人鬼を「サスペクト・ゼロ(容疑者0)」と呼ぶ)にある。

男の正体は元FBI捜査官にして封印された国家機密プロジェクト「イカロス計画」で養成された遠隔透視能力者オライアンであった。彼は苛酷な訓練によって過去を遡り、或いは未来を予知して猟奇殺人の受信スキルを身に付けたが、他方、透視の度に犠牲者の痛みや感情とシンクロし、その苦痛に苛まれ続けていた。計画は途中で頓挫したものの、途中で放り出された彼らは透視行為を止めることが出来ない為に皆、発狂・狂死の末路を辿った。オライアンはその(おそらくは唯一の)生き残りであり、彼は「使命」として本能深く刷り込まれてしまった透視行為に伴う苦痛から逃れる為に連続殺人鬼を狩り続け、またその苦痛から解放されるべく自らの死に場所を探し続けた。それがマッケルウェイ(アーロン・エッカート)へのメッセージに繋がっていく。

しかし「MAKOTO」を観た後で、意図せず本作を観るとは何とした西手新九郎。
或る意味、オライアンは人為的に造られた真言そのものだと云ってもいい。誤解を恐れずに云えば、これはフランケンシュタインの哀しみを描いた怪物悲劇物の亜種であり、故に物語はモンスターの最期で閉じざるをえないのだが、其処は遠隔透視をトンデモ的にではなく、ミステリーのガジェットとして効果的に用いているあたりが非常に「アザーズ」的(尤もオライアンがどうやってマッケルウェイを連れ去ったのかとか、ツッコミ処もなくはないが、それを相殺して余りある映画的興奮が本作にはある)。ああ、オレはこういう映画に出会いたくて映画館通いをしているのだなと、久し振りに思わせてくれた一篇。これだから映画はやめられない。

「陳建一麻婆豆腐店」の坦々面 それはともかくキャリー=アン・モスという人は「メメント」とかこういう映画への嗅覚が余程優れているのか(「マトリックス」も一作目はね)。しつこいようでアレだが、アンジェリーナ・ジョリー「テイキング・ライブス」なんかで裸になるヒマがあったら彼女の審美眼に学んだ方がいい。
妻子を呼んで銀座でメシでも思って電話をすると、日本橋三越でロバート・キャパ展の最終日に出かけていた。
こりゃ今日は縁がなかったんだと諦めて、三省堂で雑誌を眺めた後、木場の陳建一麻婆豆腐店で担々麺を食べて帰る。
昔天神で食べてたヤツと比べると若干辛さを手加減している気もするがあくまで印象。
それにしてもいつも思うのだが、此処の接客は天晴なまでにフレンドリーである。

夜は録画してあったマジレンジャーの第二話を観て(何故か家族して注目しているのだが、この詰め込み方はネクサスと真逆である。番組始まって5分のうちに渡辺梓扮する母親が巨大化して闘うなり、程なくあっけなく死んでしまうなんてのは殆どガルシア=マルケス「百年の孤独」並みのせわしなさである)、ついでに溜め込んでいた「優しい時間」を2話続けて浸った後(しかし米国から一時帰国の梶原善はわざわざ富良野まで行ってゴロツキやらされるとは。いや、確かに上手いんだけど。あと、志賀さんが出てたのが何気に嬉しかったり)、明日は出社時間が早い事もあって、さっさと悠都と床に就く。


 トニー滝谷  2005/2/27(Su)その1


今日は「渋谷、新宿を股にかけて映画4本ハシゴするぞ」と意気込んでまずは渋谷ユーロスペエースへ「トニー滝谷(2004・日)」を観に行くが、前売が完売しており、泣く泣く郵便局で軍資金だけ下ろして新宿へ移動(渋谷駅の前でチンドン屋の皆さんが来週公開の「渋谷物語(2004・日)」の宣伝をしていた)、今度はめでたくチケットを手に入れ、テアトル新宿の行列の最後尾につく。

「トニー滝谷(2004・日/市川準)」 テアトル新宿
──トニー滝谷の本当の名前は、本当にトニー滝谷だった。

「トニー滝谷(2004・日/市川準)」 予告篇のラストに流れる、この西島秀俊のナレーション(本篇冒頭の第一声でもある)を聴いてからというもの、ずっとこのフレーズが西島さんの声でリフレインしていた。破壊力のあるCMソングが暫く脳内BGMになるのと同じ現象である。「レキシントンの幽霊」は出版直後に読んだ筈だが冒頭部分なんてすっかり忘れていた。なのに本篇を観終えたあと、座席に凭れたままついに口に出して繰り返していた。──トニー滝谷の本当の名前は、本当にトニー滝谷だった。

のっけから何だが、本作の成否はイッセー尾形宮沢りえという最高な組合せも然る事乍ら、この西島秀俊の声が、映画全体の空気を支配した事が大きいように思う。村上春樹作品特有の、絵空ではないが何処か地に足がついていない感じ、というのを、西島さんの、聴く者に決して安寧を与えない声の調子と孤高さが匂う音色が見事に体現しているのだ。よくない胸騒ぎを掻き立てるナレーションとでも云えばいいのか。かねてから役者としての彼には、強烈な個性を打ち消した処に存在価値があると思っていたが、声だけ取り出した時の、このえもいわれぬ寂寥感に、市川監督の研ぎ澄まされた審美眼を垣間見た想いだ。

本作は脚本も市川監督だが、シナリオだけを取り出せば殆ど原作の朗読劇に近い。孤独な登場人物の人生(常に引きの絵であり、常に左から右へとスライドして流れていく。またダイニングキッチンや仕事場、スーパーといった屋内の、本来壁や窓であるべき部分が常に、夜景や曇り空といった外界に向かって開かれている)に西島秀俊の声を引き寄せ、時折、登場人物にフォーカスを合わせるように、トニー滝谷(イッセー尾形)やA子、B子(共に宮沢りえ)が言葉を引き取る感じ。しかも決して台詞パートとは限らない、得意なスタイル。映画を用いて詩を書くという試みがあるとすれば、これは散文的に水彩画のような半透明な孤独の底に沈んだイラストレーターの人生を辿っていく。

2005サンダンス映画祭コンペティションノミネート作品 市川監督と云えば「東京マリーゴールド(2001)」で林真理子と、「竜馬の妻とその夫と愛人(2002)」で三谷幸喜とタッグを組んだが、前者は林作品特有の女の計算高さが純粋なラヴストーリーの貌(かお)をする事に拒絶反応を示し、後者は市川・三谷の作風の湿度の違いが必ずしも旨く融合出来てはいなかったと思う(「竜馬の─」は、それはそれで好きなのだが)。処が今回の村上春樹と市川準の相性の良さはどうだ。市川監督が本来のフィールドに戻ってきたと凱歌を上げたくなるくらい、ふたつの世界は美しく重なり合っている。お見合いを続けて、ようやく運命の伴侶と巡り逢えた、そんな奇跡的なコラボを目の当たりに出来て僕は本当にしあわせである。誓ってもいいが、近年の市川作品の中では出色の出来。

主演のふたりのことは、色んな処で色んなひとが語るだろうから、僕は備忘も兼ねて、その他のキャストに触れておく。

トニー少年に絵を教えた先生、四方堂亘。美大生になったトニーに「うまいんだけど、体温が感じられないのよね」と歌うように囁く小山田サユリ。B子の従姉妹の結婚式で彼女を気遣うおばさん、水木薫。そして物語のラストで、B子に余分な手袋をあげるとお節介を焼く近所のおばさんに特別出演の木野花。久々にコメディ・リリーフな彼女を観た気がする。

そして今一度、僕の耳の奥で西島秀俊が抑揚のない音楽を奏でる。

──トニー滝谷の本当の名前は、本当にトニー滝谷だった。…と。
この項、続く。


 シベリア超特急5  2005/2/27(Su)その2


この火曜に、出張で上京したセトロさんと東京駅地下の銀座ハゲ天でメシを食べたのだが、其処で彼が昼間に「シベリア超特急5」を観たという話になった。上映館のピカデリー4は44席のちっちゃな処なんだが、前売がなく全て当日1800円という話には思わず眉をしかめたが、平日の昼間だと云うのに上映前に佐伯大尉ことボンちゃんが前説で映画の裏話をしてくれたと聞き(しかも毎回だという。ボンちゃんが新宿在住でなければ考えられないサービスである)、一挙にこちらのモチベーションが高まった。

いちばん笑ったのが「シベ超5」の英語吹き替え版で、山下奉文を誰にやってもらうか水野監督に訊ねた処、「僕のイメージではやっぱりロバート・レッドフォードなんだけどなあ」と云われて、渋々ロバート・レッドフォード事務所に打診して、案の定断られた話。あと、英題は SIBERIAN EXPRESS なのに英語版ポスターは「SIBECHO IS NO.1」となっていて、一体「SIBECHO」なんて聞いて誰が分かるんだとか。平日がボンちゃんなら週末は水野監督本人というのは充分あり得る話なので、この週末(上映は来週の金曜まで)は何としても「シベ超5」だけは押さえねばと、それで本日の観賞プログラムを組み立てた次第(莫迦)。

新宿ピカデリー4 英語版ポスター「SIBECHO IS NO.1」 「舞台挨拶 出演 水野晴郎」

で、「トニー滝谷」を観る前にピカデリー4を偵察に行くと「舞台挨拶 出演 水野晴郎」の貼り紙。
「やたっ!」思わず口笛を吹いたね、オレは。

「トニー滝谷」を観終えて当日券を購入、開場15分前に劇場に戻ると、既に10人ほどの好事家の列。最終的に行列が30人余ほどに達した処で開場。満席にならない処が心持ち口惜しい。勿論、好事家加減では他の追随を許さないオレは最前列中寄りを死守(勿論、奪い合いにはならない)。
水野監督が意図しているのとは違う意図で客が集まってくるのは事実でも、映画を(そして監督を)観たくて皆が此処に来ているのも事実。結果的に供給側と需要側の思惑が合致していれば、それで何も無問題(モウマンタイ)なのである。
場内には「シベ超3」時に作られたと思われる「超、超、超、シベ超!」のジングルがエンドレスで流れ、水野監督の自画絶賛MCがそれに続く。困ったことに(て、別に困りはしないが)西島秀俊の朗読フレーズを撥ね退ける威力を持つ脳内ヘビーローテーションBGM系。皆さんにお聴かせ出来ないのが残念である。

まずは水野晴郎事務所の中野ダンキチ氏(勿論、本篇にも出演)が登場。
以下、作成中。

水野晴郎(1) 水野晴郎(2) 水野晴郎(3) 「シベリア超特急5 SIBERIAN EXPRESS 5(2004・日/MIKE MIZNO)」

「シベリア超特急5 SIBERIAN EXPRESS 5(2004・日/MIKE MIZNO)」 新宿ピカデリー4
この項、続く。


 復讐者に憐れみを  2005/2/27(Su)その3


「復讐者に憐れみを SYMPATHY FOR MR.VENGEANCE (2002・韓/パク・チャヌク【朴贊郁】)」 新宿武蔵野館3
韓国映画は随分ご無沙汰していて、おそらく「箪笥」以来。
「復讐者に憐れみを SYMPATHY FOR MR.VENGEANCE (2002・韓/パク・チャヌク)」 (理由は簡単で「冬ソナ」に端を発した韓流イケメンブームにヘキエキしたのである)
当然、パク監督の「オールド・ボーイ」も未見なのだが(勿論「JSA」は観ています)、本国の製作・公開はこちらが先でむしろ「オールド・ボーイ」が復讐サーガの2作目にあたる。

一言で云うと、残酷を尽くした極上(極悪?)のアンチ・カタルシス映画。
観ている間中、ぞわぞわと二の腕と背中を這い上がってくる不快感を抑えることが出来ないという、この上なく性質(たち)の悪い映画。聴覚障碍を抱えたリュ(シン・ハギュン【申河均】)vs彼を解雇したドンジン社長(ソン・ガンホ【宋康昊】)の血で血を洗う復讐泥試合は、互いのちょっとした間の悪さと軽はずみな行動とが次々に不幸を招き入れ、腎臓病に苦しむリュの姉(イム・ジウン)と社長の幼い娘ユソン(ハン・ボベ)の生命を奪って尚、復讐の連鎖を制止する事が出来ず、リュの恋人ヨンミ(ペ・ドゥナ)の私刑死、ついには復讐で我を失ったリュとドンジンの不毛な殺し合いへと転げ落ちていく。

この映画の怖さは、救いがたいまでのコミュニケーション断絶にある。

悲劇の軸にあるのはリュが聴覚障碍者であること。
姉との貧しいふたり暮らしは薄っぺらな壁のアパートでの生活を余儀無くされる。壁越しに聞こえる女の喘ぎ声に若い男たちは手淫にいそしむが、実はそれは腎臓病であるが故に痛みに耐えかねて悶絶する姉の叫びであり、姉が苦しんでいると眠ることが出来ない程優しい弟は、けれど彼女の声が届かない故に、せっせとラーメンを啜るのである。

看病で欠勤が続いたリュはわずかばかりの退職金と引換えに解雇される。

しかしそんな思いまでして手に入れた退職金も臓器密売組織によって身ぐるみ剥がされ(タイミングを計ったように腎臓提供者が現れるのである)、行き場を失ったリュは、「ひとり学生運動」を続けるエキセントリックな女友達ヨンミにそそのかされ、手術費用欲しさに社長の娘を誘拐するが、何も知らずに娘を預かった姉はひょんなことから弟の犯罪を知り、浴槽で手首を切って死んでしまう。リュは娘を連れ、想い出の河原に姉を埋葬に行くが、不慮の事故で娘を溺死させてしまう(リュが姉を埋葬する後ろで「おにいちゃん助けて」と叫び乍ら流されていく女の子…尤も見たくないシチュエーションのひとつだ)。岩にひっかかって、目を見開いたまま半分沈んだ少女(さすがに精巧な人形を使っていた)…お願いだから、んなもん、見せないでくれ。

「復讐者に憐れみを SYMPATHY FOR MR.VENGEANCE (2002・韓/パク・チャヌク)」 後半は社長の復讐劇になる。
何故か娘の司法解剖につきあい(韓国じゃ可能なのか)、深夜パパにお別れを云いに来たずぶぬれの娘(幽霊)を抱きしめてから社長は鬼になる。工場を売り払い、身ひとつになって、誘拐犯の行方を追うのだ。調べていくにつれて、誘拐犯には誘拐犯なりの事情があることが見えてくるが、復讐は止まらない。ある意味自業自得と云ってもいいヨンミを電気ショックに因る拷問で死なせた後、リュ(彼は彼で、臓器密売組織の女ボス(イ・ユンミ)たちを血祭りに上げていた)を待ち伏せ、娘の死んだ河原へ連れて行き、「おまえは優しいヤツだから、オレがこうやっておまえを殺すのも分かってくれるよな」と涙を流し乍ら復讐の総仕上げをするのだ。しかしその社長もヨンミの過激派ゲリラ仲間に取り囲まれ、めった刺しに遭って、因果応報をうそぶくように映画は終わる。エンドロールの間中、社長がブツブツ独り言を云っているのが聞こえてきて、どうにもやりきれない。下腹部に鉛の塊を沈めたような面持ちで劇場を出る。

これは相当の覚悟をして銀幕の前に座らないと余程のトラウマが残る。
確かによく出来た映画だが(適度なユーモアに満ちている処は北野作品にも通じる)、本国でも興行が失敗したという話は大いに頷ける。「オールドボーイ」からは凄惨さが減ったというがあながち無関係でもあるまい。

処で、本作でペ・ドゥナは実生活での恋人でもあるシン・ハギュンと、日本映画なら絶対ボカシが入りそうなベッドシーンを演じているが、何故、余り美味しい役とも思えない(「いつかギラギラする日」荻野目慶子から猛毒を抜いた感じの取扱要注意ギャル)、このオファーを受けたのか、彼女のキモチが分からない(て、大きなお世話だ)。どうせ脱ぐなら、本当の彼氏と、とでも思ったのか。けど浅丘ルリ子といい、ニコール・キッドマンといい、実生活の旦那とラヴシーンを演じた女優は早晩薄幸な運命が待つんだぞ(て、シン・ハギュンは夫じゃないけど)。
本当はこの後日比谷へ移動して「Uボート 最後の決断(2003・米)」を観るつもりだったが、すっかり気分が萎えてしまったので、妻子と日本橋コレドで待ち合わせをして、セレンディピティでパスタを買って帰る。


 Uボート 最後の決断  2005/2/28(Mo)


朝、日経新聞で那須博之監督の訃報を知って仰天する。肝臓がん、享年53歳。

どうやら昨夜の20時頃に亡くなったらしい。日経もギリギリで掬いあげたって処か。
あらゆる意味で2004年の邦画界を震撼させた「デビルマン」(1月にロフトプラスワン開催されたオタク大賞でも大いに火種を撒いた)の立役者、いわば「時の人」の突然な死だけになかなか言語化しにくい複雑な感情が去来する。先日、岡本喜八監督の訃報を聞いた時とは全く別種の感慨である。

ちなみに遺作は12月に撮り終えたばかりの「真説・タイガーマスク」。 とは云え、劇画&アニメの映画化ではなく、初代タイガーマスク・佐山サトルをモデルにした実録もので、タイガーマスク(船木誠勝)の雄姿と苦悩を或るカメラマン(哀川翔)の目を通して描かれる。佐山さん本人はトレーナーとして出演。WOWWOW放送と抱き合わせて単館上映が予定されているとの事。何はともあれ早すぎる死を悼んで合掌。

今日は明日朝提示の仕様書きがあるので残業を覚悟していたら意外に早く片付いてしまったので、思い立って日比谷へ出向き、昨日観損ねた「Uボート 最後の決断 IN ENEMY HANDS (2003・米)」の最終回に駆け込む。今週の金曜日までの限定上映だったので慌てて赴いたのだが、上映期間が11日まで1週間延長されていた。客の入りは10名くらいで、全員が男単身、おそらく30代後半から40代50代60代が均等に散らばった、ある意味これ以上望むべくもない地味な客層がこの映画の人気を支えていて、逆にそれ故「これはイケる」と確信する。

「Uボート最後の決断 IN ENEMY HANDS (2003・米/トニー・ジグリオ)」 日比谷スカラ座2
主演:ウィリアム・H・メイシーという時点で既に低予算の香ばしさが漂ってくるが、エンドクレジットに堂々とFootage U-571」とあるのを見ていっそ清々しくなる。どのシーンがフッテージフィルムなのか映画を観ていて全然気にならなかったし、素材くらい貰っちゃえばいいんだよ。映画の出来としても、ジョナサン・モストゥ「U−571」よりむしろこっちがオレ好み。

1943年、第二次世界大戦の大西洋下。
まずは米軍サイド。親の威光もあって順風満帆にキャリア畑を歩いてきたサリバン(スコット・カーン)は自らの希望で潜水艦ソードフィッシュの艦長に就任。苦労人のチーフであるネイト・トラバース(ウィリアム・H・メイシー)が脇につくも、キャリアである事への逆コンプレックスと若気の至りで、髄膜炎の恐れがあるためドクターから隔離を命ぜられた副艦長を仕事につけた挙句(案の定、戦闘中に病死してしまう)、Uボートと相撃ち、潜水艦を捨てるハメになった上、艦長自身を含めた艦員の間に髄膜炎を蔓延させてしまう。艦長は軍人として職務に忠実だし、本当はいいヤツなんだが、ノンキャリの話に耳を傾ける謙虚さを尻の青さゆえのプライドが邪魔をした、それが観ていてハラハラするくらいの敗因。

一方、独軍サイド(ドイツ人俳優によるドイツ語演技なのが素晴らしい。字幕では台詞にシングルクウォートをつけて区別していた)。U−429艦長:ヨナス(ティル・シュヴァイガー)と副艦長クレマー(トーマス・クレッチマン「戦場のピアニスト」でナチ将校をやったひと)はプライベートでは親友同士。ヨナスはクレマーが艦長になれないのはいざという時、決断力の欠如にあると見抜いている。其処へヨナスの愛娘たちの訃報が入り、此処で彼の人生観が大きく転回する。そして連合軍ソードフィッシュと味方であるUボートの戦闘に遭遇し、味方を撃沈した連合軍の生存者を、部下たちの反対を押し切って捕虜として収容する事を決める。

潜水艦映画の面白さは、ドラマを途中放棄出来ない密室劇の面白さな訳だが(水野さんも其処を解ってくれないと…)、憎めと教えられ殺し合いをしている両軍の兵士が狭い潜水艦に押し込められ、言葉の壁もあって(英独両国語を話せるのはヨナスとクレマーのみ)緊張が高まる中、米軍が持ち込んだ伝染病がU−429にも牙を剥き、瞬く間に独軍側の大半が病に倒れ、潜水艦の航行まで独軍だけではままならなくなってしまう(サリバン艦長もU−429内で発病、脱出を画策して戦死する)。補給船は来ない。独本国までは燃料が持たない。魚雷は残弾数1。ヨナスがトラバースに持ちかけた相談は米軍捕虜に操縦を協力させて米国へ向かい、捕虜となることで乗員の生命を救おうというものだった(エニグマとUボートは米軍の手に落ちる前に沈める)。艦長として両国間の感情を越え、大局を見据えた英断だったが、当然それを快く思わず反乱を画策する一部の愛国兵もあり。更には米軍乗員の間に流れる強い疑心暗鬼の中、兎に角な手打ちと乗員全員の生き残りをかけた出航。言葉が、そして気持ちが通じない中の共同作業があって更にひと波乱、ふた波乱。部下の蜂起に倒れたヨナスの代わりに指揮を取らねばならなくなったクレマーに決断の時が迫る(て、実質上、指揮を取っていたのはトラバースなのはご愛嬌)。

「Uボート最後の決断 IN ENEMY HANDS (2003・米/トニー・ジグリオ)」 潜水艦映画は男臭くならざるを得ないのだが(それを逆手に取ったのが、僕の好きな「ビロウ」である)、本作の紅一点はトラバースの愛妻レイチェル(ローレン・ホリー)。1940年代という時代もあるのだろうが、人工甘味料なフェロモンを放ち乍ら、何処か妻に引け目のありそうなワイフ命のネイトに「必ず生きて帰って来るのよ」と“promise”にあらず“swear”させた挙句、捕虜となったネイトの前に幻となって現れ「夫を失う悲しみを味わせないで」と念を押していく。尤もこれがネイトの生きるモチベーションになるのだから、愛妻家の底力は油断ならない。けど観どころはやっぱり物語後半のネイトとクレマーの友情ですかね(米独機関長の言葉通わぬ連帯感も捨て難い)。

結末は敢えて書かないので、気になったひとは今からでも劇場へ走ってください。

あたかも「ローレライ」便乗公開っぽかったり(東宝系だしね)、邦題に「Uボート」を冠したり(原題「イン・エネミー・ハンズ(敵の掌中)」で全然いいじゃないかと思う)映画会社の思惑が空回りして、不憫な売られ方をしているが、これはかなり声を大にしてオススメしたいウェルメイドな戦争映画である。会社帰りに閑散とした劇場で点在するくたびれたおじさんたちと共に、ひと仕事なしとげた漢たちの友情に(ひそかに)胸を熱くする、そんな映画です。でもいいじゃん、そんな映画だって。
夜、赤川学「子どもが減って何が悪いか!」(ちくま新書)読了。

近頃の読書スタイルは専ら帰りの電車オンリーなので(帰ると、下手をすれば深夜0時過ぎまで悠都がまとわりついてくるので、とても本なんか読んでいられない)せいぜい日に10分程度しか読書出来ない。積ん読は容赦なく増え、この本も新書だというのに読み終えるのに半月かかってしまった。タイトルで損している気がするが(でも思わず手にとってしまうタイトルなのも事実。…て元ネタが「ガンダム」なのがもろバレだが)リサーチリテラシーを用いて、脳味噌マッチョな全共闘的フェミニズムが錦の御旗にしている「男女共同参画社会」少子化根拠のトンデモをひとつひとつ丁寧に粉砕していく、個人的に極めてシンパシー高めな好著。

何事に限らず政策だとか運動だとかってヤツの恐ろしさは、彼らの拠って立つ処がぐだぐだになった時に、「これまでの苦労が」とか「折角、皆んなが頑張っているのに」とかそういった本末転倒な浪花節を正義と勘違いされる方々がいらっしゃること。これまでの自分たちを否定されるのだからそりゃ抵抗があって当然なのだが、このいきおいに気圧されるとその後でこのツケが指数関数倍になって返って来る事は数々の故事が証明している。

Uボート艦長ヨナスの心意気に学ぼう、とこれは自戒の意味もこめた独り言であ る。


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