| 2月8日(月)「耽美のためなら我,国賊の汚名も辞さず」 |
レニ・リーフェンシュタールが,ポツダムの自作展で,記者会見を行ったという記事を読んだ。
彼女は「これらの映画は宣伝には見えない。そのように使用することも可能だったが,宣伝用に製作されたものではなかった」と語ったそうで,かくも長き『闘争』が長き「戦後」を経て尚も老婆の胸に熱く息づくのがよーく分かる。
あくまで個人的見解だとことわったうえで云わせてもらうなら,世紀末のヲタク社会を生きる身にとってみれば,彼女の「民族の祭典(ベルリン五輪記録映画)」など,果てしなくウツクシい肉体美を追求した女性監督ならではの耽美派映像に他ならず(後年はアクアラングに老骨を包み,海の生物の「美」を追うことになる),そんなもの,ある種性的嗜好な訳で,たとえば山田詠美をして黒人優生学の選民主義者だから危険分子だなどと謳うのにほぼ近い。
尤も,ナチスの意図が映画の意図を故意に曲げ,肉体のウツクシさがアングロサクソンの肉体のウツクシさに置き換えたことは想像に難くなく,レニ自身,耽美派物件蒐集の機会の魅力に負けて,それを黙認した疑いは確かに残る。でも,現在の文脈で見るとやっぱり魔女狩りなんだよな。
しかし,それだけドイツにとってナチスとは国の死に到る深刻な病いであった(ある)し,あれだけ大掛かりな術後の経過にすら久遠の不安を抱えているのだとも云える。いずれにせよ,レニ・リーフェンシュタールが,己が耽美派ダマシイ(それはたとえば「信念」と云い換えれば分かりやすいだろうか)に正直であり続ける限り,彼女の名誉の回復はその存命中には間に合わないだろう。しかし,96歳とはね。ものごごろついてからハレー彗星を2回も観るチャンスがあったひとなんだから。彼女の敵はドイツ史それ自体なのだ。
今夜は3日ぶんの日記を書いたので「チグリスとユーフラテス」痛読も第4章「レイディ・アカリ」の冒頭部近辺にとどまる(だから遅読なんだよ)。昨日褒めたばかりで恐縮だが,彼女の書く恋愛漫才のダイアローグはコバルト文庫の頃から変わらぬ恥ずかしさ炸裂である。下手な同人誌漫画だってもうちょっと旨いこと処理すると思うぞ。ストーリーが深刻になってくるだろう今後に期待する。
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