2月のにっき(1)

「一世紀前,チェーホフは『かもめ』や『桜の園』という芝居の前に”コメディ”と銘うった」
酒井洋子[訳]『ニール・サイモン自伝 書いては書き直し』(早川書房)より

2月8日(月) 耽美のためなら我,国賊の汚名も辞さず
2月7日() マリア・Dという断末魔
2月6日() 平田オリザ再臨
2月5日(金) ゴジラ・ミレニアム
2月4日(木) 払暁のヒップアップ
2月3日(水) 祝・古畑任三郎復活
2月2日(火) シャイな白井さん
2月1日(月) 著作権侵害の2乗


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2月8日(月)「耽美のためなら我,国賊の汚名も辞さず」

レニ・リーフェンシュタールが,ポツダムの自作展で,記者会見を行ったという記事を読んだ。
彼女は「これらの映画は宣伝には見えない。そのように使用することも可能だったが,宣伝用に製作されたものではなかった」と語ったそうで,かくも長き『闘争』が長き「戦後」を経て尚も老婆の胸に熱く息づくのがよーく分かる。
あくまで個人的見解だとことわったうえで云わせてもらうなら,世紀末のヲタク社会を生きる身にとってみれば,彼女の「民族の祭典(ベルリン五輪記録映画)」など,果てしなくウツクシい肉体美を追求した女性監督ならではの耽美派映像に他ならず(後年はアクアラングに老骨を包み,海の生物の「美」を追うことになる),そんなもの,ある種性的嗜好な訳で,たとえば山田詠美をして黒人優生学の選民主義者だから危険分子だなどと謳うのにほぼ近い。
尤も,ナチスの意図が映画の意図を故意に曲げ,肉体のウツクシさがアングロサクソンの肉体のウツクシさに置き換えたことは想像に難くなく,レニ自身,耽美派物件蒐集の機会の魅力に負けて,それを黙認した疑いは確かに残る。でも,現在の文脈で見るとやっぱり魔女狩りなんだよな。
しかし,それだけドイツにとってナチスとは国の死に到る深刻な病いであった(ある)し,あれだけ大掛かりな術後の経過にすら久遠の不安を抱えているのだとも云える。いずれにせよ,レニ・リーフェンシュタールが,己が耽美派ダマシイ(それはたとえば「信念」と云い換えれば分かりやすいだろうか)に正直であり続ける限り,彼女の名誉の回復はその存命中には間に合わないだろう。しかし,96歳とはね。ものごごろついてからハレー彗星を2回も観るチャンスがあったひとなんだから。彼女の敵はドイツ史それ自体なのだ。

今夜は3日ぶんの日記を書いたので「チグリスとユーフラテス」痛読も第4章「レイディ・アカリ」の冒頭部近辺にとどまる(だから遅読なんだよ)。昨日褒めたばかりで恐縮だが,彼女の書く恋愛漫才のダイアローグはコバルト文庫の頃から変わらぬ恥ずかしさ炸裂である。下手な同人誌漫画だってもうちょっと旨いこと処理すると思うぞ。ストーリーが深刻になってくるだろう今後に期待する。


 
2月7日()「マリア・Dという断末魔」

朝,寝坊して英ちゃんも楽しみにしていた(噴)「燃えろ!!ロボコン」を観損ねる。やはり録画は昨夜のうちからきちんとしておくべきである。
午前中のうちに3人で小倉へ。
まずはラフォーレ原宿で奥さんが,バレンタイン用のチョコ(おちゃらけ系)をまとめ買いする間,2階入り口付近で待機。チョコ売り場というのは英ちゃんとふたりで所在なげに居るにはたいそう苦痛を感じる場所である。しかもオットのは未購入なのだそうだ。楽しみにしておいていいのかな。駅との連絡路でフリーマーケットをやっている。新装小倉駅の惑星大アンドロメダのようなあきれた外観にすっかり感嘆する英ちゃん。今にも来宮良子のおごそかな命令が聞こえてきそうである。「小倉はこわか処ぢゃ」
そのまま小倉そごうへ。最近,誰もカレも連れていってしまう(ワンパターン)「四川飯店」にてランチ。食後のデザート食い放題を狙ったつもりが日・祝は対象外とのこと…ほんとだ,クーポンにも書いてある。悩んだ挙句,麻婆豆腐丼をいただく。
食後,紀伊国屋に立ち寄り,奥さんのご好意により,新井素子「チグリスとユーフラテス」(集英社)

小倉から帰ってお茶を呑んでから,名残惜しそうに英ちゃんは帰っていった(わはははは)。

夕刻から夜更けまで延々新井素子「チグリスとユーフラテス」(集英社)
全4章中,3章までを一気に通読する。とは云え,残りの4章だけでも本全体の半分弱はある。
いや,途中までしか読んでいないのに感想を云うのもアレだが,色々な意味で圧巻な作品である。

以下,ネタばれを含むので心して読むよーに。
物語は,およそ次の通り。
地球からの移民星「ナイン」が少子化の果て,遂には「最後の子供」の誕生を迎える。孤独の中で老いさらばえた「最後の子供」が復讐のために,「ナイン」を拓き運営していった各時代の特権階級者たちが不治の病故に眠るコールドスリープのひとつひとつを解凍して,彼らに死にゆく「ナイン」を見せていくという,これは,滅びの淵に瀕した移民星の遡り年代記である(元々は連作短編の予定だったものが,何処がどう狂ったんだか連作長篇になっている。見通しの悪さは相変わらずなようで・笑)。
新井素子は寡作である。決して書いていないのではなく,元来の遅筆に加えて『書いては書きなおし』を繰り返しているのと,作品がどんどん肥大化しているのが主な原因である。で,その90年代の成果(執筆期間は93〜98年というから90年代の殆どを費やした勘定になる)が本作という訳だ(しかも近頃ホラー路線を走っていた作者にとっては久し振りの『SF』でもある)。
元々創作という行為自体,己の血肉を削って,己の魂をすり減らして「産み落とす」という側面があるのだが,本作が難産だったのは道理である。特に第1章「マリア・D」ときたら,「個人」としての新井素子と「作家」としての新井素子がせめぎあい,こちらがひやひやする位にぎしぎしと軋みをたてているのが分かる。
彼女が「チグリスとユーフラテス」を書いた30代の大半はまた,私生活で彼女夫婦が不妊に苦しんだ(苦しみ続けている)長さでもあった。それはエッセイの到る処に「こうのとりがまだ来ない」という表現を幾度も見かけたことからも明らかだ。そして,ついには後から結婚した妹さんの出産が先になってしまう。
「マリア・D」で描かれるのは「有資格者(生殖能力を持つが故の特権階級)であり乍ら」不妊に苦しむ妻の修羅と,妹のように可愛がっていた後輩に妊娠で先を越されたが故にどす黒い焔を立てる雌性の修羅を回想した悔悛の手記であり,マリアの修羅の形相こそは僕らの痛覚を激しく突いてくる。そう,これは彼女の作品の中でもかつてないほど読み手に痛みを強要してくる感情の戦記と断じていい。
でも,僕はこれを私小説だとは思わない。むしろ,書き手として自分が抱える不幸の中に「見つけてしまった」ユリイカと対峙した時に,驚くほど自身に対して冷酷に,「個人」新井素子が辿った(辿る)かもしれない修羅場をシミュレートする勇気(或いは作家のカルマ)に息を呑むばかりである。
この作品は,マリア・Dの断末魔は,狂おしいまでに哀しく,やるせなく,そして豊かだ。
これを20年来変わらない「アノ」文体で語り(無論,地の文も),締め括る作風はもはや確信犯なので,此処では今更に苦言を呈しない。
ひとつ云えるのは「ひとめあなたに」形式の新井作品はやっぱり侮れないってことだ。
それからあとがきでもフォローの通り,新井素子の旦那さんの彼女への大いなる愛と許容量(ふところ)の大きさだけは認めてあげなくてはなるまい。おそらく作家を妻に選んだ時点で覚悟していたとは云え,今回の作品に二人三脚でつきあうのはひときわしんどい作業だったに相違ない。

それにしてもちーともSF評になっていないのが僕らしい。
けれど,僕が彼女の作品を愛すのは,理屈では片をつけられぬ,互いを傷つけ許しあいぶつかる感情のあやに対してであるので(やはりそういう意味では彼女は物語づくりの師匠筋と呼んでいいのかもしれない。僕がどうあがいてもSF者になれないのはここらへんの優先順位にある),まだ最后迄読んではいないものの,本作はあろうことか10余年振りのフェイバリットになる予感がする。

とは云え,まだ物語の方は折り返し点をちょいとばかり過ぎた処である。


 
2月6日()「平田オリザ再臨」

よく分からないが,今朝社宅(僕らが住んでいる棟)で役員選出があって,厳正なる籤引きによって見事ウチの奥さんが1999年の会長(…町内会でいいんだよね)に任命されたのだそうだ。たとえば,僕が会長に選ばれると,奥さんは「会長夫人」という事になるが,奥さんが会長になった場合,僕にはどういう呼称が適当なのだろうか。「会長亭主」では何だか宿六である(ま,実際似たようなものだが)。さりとて「会長ロプロス」では水木一郎に空を飛べと命じられそうでイヤである。

昼前に英ちゃん来訪。今夜は我が家に宿泊する。ウチの奥さんにねだられて「さが錦」ほか土産満載でやってくる。
どういう訳だか,彼女は殊,英ちゃんに限ってはエスごころを掻き立てられるらしい(要するになついている)。
英ちゃんがエムごころに密かに胸を痛めているかどうかは謎である。
奥さんの洗濯が終わるのを待ってから,高須方面の「びっくりドンキー」で遅いランチをとる。
行こう行こうと思って行きそびれていた,手作りハンバーグが売りのファミレスである。いきなり「光子の窓」みたいな(古いね,オレも)テーブル一杯の木製の観音開きのメニューを持って来られて圧倒される。味・量・値段とも僕的には満足。健啖家であらせられる英ちゃんは物足りなそうだったが,昨日からタバコ絶ちをしているせいだと思われる。デザートに頼んだアップル・フリッターはなかなか。

夕刻,北九州市立美術館へ。青年団公演「東京ノート」。
最近TBSのワイドショウにも顔を出す平田オリザ,2年振りの北九州である。前回,本公演では顔を見なかったので,どーかなと思っていたが,客入れの時に受付の向かいで誘導の指示をしているのが平田さんであった。相変わらずの万年青年である。
公演の詳細は舞台のタマシイにて(て,随分色んなものを溜め込んでるなァ)。とても満足の行く舞台だった事だけは付記しておく。

至福の90分を終えて,帰宅。英ちゃんとふたりしてカレーをおかわりする。まだ食べたそうにしている処が凄い。禁煙の副作用はかくもおとろしい。


 
2月5日(金)「ゴジラ・ミレニアム」

朝から馬鹿っ晴れ。昨日の大雪が冗談のようである。

そうそう,当初の予定ではハリウッドゴジラ3部作の後,2002年だか3年だかに復活する予定だった「ゴジラ」がハリウッドゴジラの予想外の不入りと「モスラ3」の予想通りの不入りとが重なって,復活が早まった。「対デストロイヤー」の後,今世紀中の復活はないなどと断じておき乍ら,今年の暮れにはゴジラ,早くも新装開店する。それにしても,東宝の手持ちのカードの少なさには全くもって涙がちょちょ切れてくる。
仮題は「ゴジラ・ミレニアム」。ミレニアムとは1000年紀のこと。今度のミレニアム(西暦2000年ですね),パリじゃあセーヌ川にパフュームを流し,エッフェル塔に卵を生ませるなどというお祭り騒ぎが計画されているそうだが(僕らにだって2000年対応というお祭り騒ぎが待っている。ひょえ〜),これが安易なお祭り騒ぎの復活にならない事を祈る(て,安易なんだって)。
製作コンセプトで「変わらない」のが,不滅・無敵の怪獣王で,「変わる」のが,新たな造型・新たな謎・新たな映像なのだそうだが,まさかハリウッドゴジラが出てくるんじゃないだろうな。リアルを追求して映画として認められた「ガメラ」シリーズは果たして先達としてへなへな「ゴジラ」に喝を入れられただろうか。
処で,東宝の富山省吾プロデューサーって一体どちらさまで?

夜は夫婦してレイトショウで「ラッシュアワー(98・米)」。
奥さんはジャッキーの出番が少ないのと,動きが遅いのと(これは云いがかりだと思う)で不平たらたらであった。
やはり彼女のナンバーワンは「酔拳2」のようである。


 
2月4日(木)「払暁のヒップアップ」

今朝7:30のベランダからの風景。なんかすごく雪がふっててびっくりしました。九州でもこんなに雪がふるんだなぁ。って言ってもウチの実家のほうならこれくらいたいしたことないんだけど。(妻) イヤな予感がして何故かいつもより1時間早い6時半に目が覚めた。
シャンシャンシャンシャン…。閑けさの中,窓の外からはヒップアップがカーテンコールに使った鈴の音。カーテンを開くとすっかりあたりはホワイトアウトしていて,案の定,鈴の音に聞こえたのはタイヤのチェーンの音である。ニュースによると,福岡では平成2年以来の大雪で,しかも過去30年中でも歴代2番目の積雪量とのこと。
せっかくなので,ベランダから撮ったのが右の写真。呆れるひとがいるかもしれないが,九州ではこの程度の雪がえらい騒ぎなのだ。

とても車を出せる状態ではなかったし,長靴も持たないので,午前中は会社を休んで道路の雪が解けるのを待ってから出社(夫婦して車の雪降ろしだ)。しかし,社宅仲間はほぼ全員(ひとり僕のあとに来た『心の友』がいた)バスとJRを乗り継いで午前のうちに出社していて,ひとり寂しい気分に浸る。しかも,社宅を少し離れると雪はすっかり解けてちーとも積もってないし。

という訳で,帰りは社宅仲間の皆さんを乗せて,寿司詰めスパシオに。にも拘らず,本屋に立ち寄って細野不二彦「ギャラリーフェイク(15)」とシティ情報ふくおかを買う僕はたいしたタマである。
夜は急遽,すき焼き。やはり冬は鍋物に限るわ。

そうそう,朝の待ち時間の間にと学会「トンデモ本1999 このベストセラーがトンデモない!!」(光文社)を読了する。
去年,と学会員である志水一夫があとがきを書いていたので大丈夫だろうと購入した「UFO百科辞典」(原書房)がくそみそにけなされててがっかりする。どーりで積ん読になっちゃった訳だ(確かに吸引力の無い本ではある)。逆に菊池聡「予言の心理学」(KKベストセラーズ)は要チェックか。カネならないのだが…。


 
2月3日(水)「祝・古畑任三郎復活」

Yahooのエンタで,かねてよりウワサのあった古畑復活の正式発表を知る。
まずは4月6日に2時間(予定)スペシャル,監察医・緒形拳との対決で幕を明ける。続けて翌週から本編「古畑任三郎」(火曜21時)で,第1話は若手落語家・市川染五郎篇。以降,真田広之,三上博史,大地真央etcが古畑に挑むとのこと。いやあ,待ちかねた待ちかねた。
次回シリーズが始まったらゲストは誰がやって…といった空しい妄想ごっこモードが3年以上続いていたので,僕としては本望である。とりあえず市川染五郎と大地真央はあたった(そりゃ古畑組だから)。とくに大地さんは「女ねずみ小僧・いけないことだぞ!大江戸マラソンばくち地獄(因みに『狙われたからくり城〜史上最悪のダイハード』というのもある)」と云い,その後の「天国から北へ3キロ」と云い(思うに,後に渡辺孝好の映画でゴーストを演ったのは,この作品の彼女を観てオファーがあったんじゃないか),三谷組はごぶさただから,どういう役を振られるか非常に楽しみである。あとは宮本信子,斉藤由貴といった女優陣も是非(鈴木京香は当確だな…ひょっとして最終回か)。
しかし,三谷さん,まだ4話ぶんは脚本が出来てるとのことだが,逆を云えば,4話ぶんしか脚本が出来てないという云いかたもできる訳で少し不安である。「温水夫妻(演出も!)」に「マトリョーシカ」に…そんなに仕事引き受けちゃって大丈夫なのか。先例があるだけにたいそう心配してしまう(そうそう,諸般の事情で「温水夫妻」観劇はアキラめることにしました。しおしお)。

そー云えば,はるさんから年賀状が届く(「もう2月だけど」としっかり断り書きしてあった)。ををっ,去年より少し早いんじゃないか(少なくとも旧暦の正月にはうんと余裕がある)。このペースで行けば,2015年くらいには元旦に届きそうな気がする。僕は待つよ。うん,待つ。

この週末,我が家に英ちゃんがお泊まりに来るので,電話でこまごまを打ち合わせる(て,ただの雑談)。
iMacを買いたいなどと豪気を云って,奥さんになだめられる。でも,英ちゃんのことだからきっと買うであろう。

節分なので,申し訳程度にベランダに向かって豆をまく。
オレも山崎努みたいに新聞紙で蓑をこさえて,ナマハゲを演るべきだったか(そんな元気ねーって)。


 
2月2日(火)「シャイな白井さん」

「踊るさんま御殿」に「世界で一番パパが好き」つながりで白井晃が出るというので,テレビの前で居住まいを正して待機する。
白井さん,僕の知る限りではトークバラエティ初出演なのだが,これが全くの「素」。白井さんも素人モードに入るんだ。微笑ましいことこのうえない。
美輪明宏に「ずっと憧れていました」と告白したら,美輪さんに「あーら,私こそ憧れてましたわよ」と切り返され,「え」とアップで抜かれた白井さんの目がテンになった顔は永久保存版といっていい(残してないけど)。10年間ペギーさんを演ってきて,束の間だけ報われた瞬間だった。ホントに瞬間だったけど。さんまさん「そんなん冗談に決まってまんがな,ナニ真顔になってますのん」
あとは,妻帯者なのが分かったのも収穫(陰山さんに奥さんがいるのは知ってたけど)。「相棒」と海外旅行に行ってもめたエピソードを「素人・世間話モード」で訥々と語っていた。やっぱ,白井さん,いいひとだわ。

僕ら夫婦が挙式した「c.m.h.(セイ・エム・アッシュ)」から手紙が来ていた。
高山さん,今度は能古島に「アンの隠れ家」をこさえたから挙式カップルの同窓会(勿論カップル同士お互いに面識は無い)をしませんかとのお誘い。
ビジネスとは云え,あのひとの遊び心はちっとも輝きを失っていない。しかも働く女性として普通ならリタイアを考えるお齢に近付いて尚,戦闘態勢のフォルムでおられる。つくづく恰好いい女性だと思う。


 
2月1日(月)「著作権侵害の2乗」

今朝は仕事のため,5時半起床。寝ぼけたまま,昨夜のカレーを食べて(寝ぼけてても旨い)出勤。
ま,色々と慌しい仕事をやっつけて,逃げるように18時過ぎ退社。黒崎にて奥さんを拾う。
映画の日だが,さすがに映画館に赴く元気無し。歳だね,オレも。
サーカディアン・リズムが壊れると全然使い物にならじ。

そうそう,今日InternetNewsでJASRACにネットニュースへの投稿に歌詞掲載を交渉したひとの記事を読んだ。
それによると,ネットの場合,JASRACはその料金の如何に拘わらず,ネットニュースへの投稿や個人Webページでの公開を許可しない方針との事。個人向けには一切許諾を出さないということは,ネットニュースの投稿や個人Webページへの歌詞掲載はおしなべて著作権侵害になることを意味する(たぶん不法MP3の件も同様だろう)。これは,僕らがかつてサンケイ新聞に「平さんがゆく!」へやっさんの記事転載を申し出た折り,二次使用が不正に複写・増殖し,収集がつかなくなるおそれがあるので許可できないと断られたのと源を同じくするような気がするなァ。
そのひとは更に食い下がって「そうは云っても,不正の完全な取締りなど不可能だし,結果的に黙認になるのでは?」と訊ねたら,「ウチとしては遡っての料金請求があり得ます。悪質な場合は訴訟も辞さないですよ」と切り返されたらしい(JASRACも必死である)。
処で最近,僕がよく訪ねるよそのサイトで,物真似・盗作・パクリが話題になっているのだが,JASRACがこのへんをどう対応するのか非常に興味がある。つまり,歌詞及びメロディそれ自体が既に別の著作権を侵害しているケース。赤毛連盟じゃないので,JASRACはいちいち著作権登録の際に楽曲の盗作審査などしてはいない。商品化される楽曲を機械的に登録しているだけであろう(尤も,そんな審査機構があればあったで,審査基準その他の正当性が喧喧諤諤の議論になるのは創作行為という性質上必定である)。著作権侵害しているブツの著作権は何処まで主張できるのか。たとえば著作権侵害が判明した時点で即著作権放棄なのか。仮に著作権侵害が作品の一部に及んでいた場合,その侵害作品は何処まで自身の著作権を主張できるのか,などなど……何かそういう判例を知っているひとがいたら教えてください。

嗚呼,遂にジャイアント馬場迄亡くなってしまった。しかも,またもや肝臓癌だ。
世紀越えとはかくも困難なものなのか。



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