6月のにっき(3)

東京でいちばん美しいものはマクドナルド。
ストックホルムでいちばん美しいものはマクドナルド。
フィレンツェでいちばん美しいものはマクドナルド。
北京とモスクワはまだ美しいものがない。

アンディ・ウォーホル『ぼくの哲学』(1975)

6月30日(水) 「竜馬におまかせ!」オレ的名誉奪回作戦
6月29日(火) 通勤決死行
6月27日() ホワイトチョコレイト色のカブトムシ
6月26日() モロッコつながり
6月25日(金) 偏頭痛が来た
6月24日(木) 好きだよと言えずに初恋は…
6月22日(火) ヘタクソ限界と云ふもの
6月21日(月) 出口なし!


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6月30日(水)「『竜馬におまかせ!』オレ的名誉奪回作戦」

午後からは呆れ返るほどのバカっ晴れ。
抜けるような青空に言葉を失う。…通勤がウソのように楽である。

ふと思い立ってビデオテープのサルベージを開始する(そんな暇あるのか…ははは,ない)。
目的は96年に日テレでオンエアされた「竜馬におまかせ!」である。雑誌で何かの折りに三谷さんが「今,観直すと凄く面白かった」というのがずっと心に引っかかっていたのだ。尤も,彼が弁護するのは「総理と呼ばないで」「今夜,宇宙の片隅で」など,視聴率的に失敗と呼ばれているものばかりな気もする。そう云えば,舞台で弁護していた「巌流島」も批評家の受けが悪かった。してみると,作家的に不遇な我が子ほど可愛いと取れなくもないのだが,ただの負け惜しみとも思えなかった。
とは云え,第1回目オンエア時の落胆は今でも克明に覚えている。え…こんなドラマなのって愕然とした。
今だから告白するが,当時オレ的に今イチ乗り切れなかった僕は2回目以降をオミットし,積ん録行きにしてしまった。いや,すぐに観るつもりだったのだけれど,僕の積ん録行為は殆どキラーファイル送りに近かったりする(自戒)ので,何処かで面倒を薙ぎ倒さないと,再び再生ボタンを押す日が来ない。
それに助平根性で申せば,あれほど電網界に蔓延るコンテンツとしては隙間が無さそうに見える三谷ドラマも,上記数値を取れなかった作品群を詳述したデータベースはない(こないだまで生きていた「総理と呼ばないで」のファンサイトもいつのまにか消失していた・泣)。ん,そう云えば「王様のレストラン」のファンサイトも消失してたよな。するってェと,三谷脚本による連ドラのデータベースだけでひとコンテンツ企める訳だ。「やっぱり猫が好き」とか「古畑」といった超のつく人気ドラマは既存のサイトにまかせるとしても,何だ,この無節操に溜めたビデオ・ライブラリィを利用すれば結構,僕にだって三谷コンテンツに踏み込める余地があるかも。かもかもかものすけ。

ひとまず初回スペシャルは,丁寧にラベリングしてあった(最初だから期待値が高かったし)のですぐに見つかる。
夕食時に早速,奥さんと観る。「勝海舟暗殺未遂事件」
でも大体リアルタイムで失望したドラマを面白く感じる訳がないじゃ…これが面白かった。ずっと笑い通しだった。意外だった。
観る側にも肩の力が抜けて,気楽に観られる。「今泉慎太郎」の2匹目のどじょうをあてこんだ「『竜馬におまかせ!』のココがおかしい」も結構素直に楽しめる(因みにこれは三谷脚本じゃない)。
何だ,これはイケるぞ。三谷さん,ごめんなさい。「竜馬におまかせ!」面白いです。
問題はこのあとで,2話目以降ラベリングにも手付かずだった為,サルベージがぐぐーんと困難になるのだ。
仕方なく,レイトショウに行って貸し切り状態で「菊次郎の夏(99・日)」を観た後,風呂から上がってから延々テープの探索を続ける(奥さんの方は此処のところ連日連夜尼子家披露宴パンフ印刷に余念がない)。
ラベリングしていないテープなんて無尽蔵(でもない。半分くらい実家に強制送還してある)に埋まっているから,これがなかなか見つからない。お蔭で,関係ないおもしろテープはじゃかじゃか見つかったけど。なかでも「TVブックメーカー」のテープ発掘は,やっぱり収穫と云えるよな。
深夜2時過ぎて9話以降ぶんのテープを見つけた処で今日は諦める。しかし,9話じゃ続けて鑑賞不可能じゃないか。

かくして,飽くなきビデオ探索は続く。


 
6月29日(火)「通勤決死行」

今朝は朝から雷(いかづち)を伴った豪雨だった。いや,嵐だったと云い換える。
カラ梅雨は秋の大型台風襲来が怖いので決して歓迎しないが,それにしたって荒れ模様にもホドがある。第一,凄まじく怖い。
奥さんを黒崎のスクールで降ろし,しばしば空がストロボを焚く中,会社のある戸畑に向かう。いやー,ワイパーが全然用を足さない。拭っても拭っても視界は水浸しのままである。ふと土曜日の洗車機トンネル決死行の悪夢が蘇る。でも,土曜はまだ走れただけいい。今朝は此処からが怖いのだ。
枝光駅前を通過した時点で,ついに国道は泥水の中に見えなくなった。前を走る車も既に水に浸かってタイヤが見えない。
折りから福岡FMで,水没した車からの脱出方法をアドバイスしてくださる。

「水没して動けなくなった車から外に出るには,ドアを使用せずに,窓から脱出してください。
 ドアを開けて車内に水が入ってくると電気系統が故障して車が動かなくなります」


…おいおい。おいおい。
パチンコ屋の角からスペースワールドに抜ける道が見えた頃には,ウチの車もまさに「水没」しかけていた。
もはや水飛沫すら立たない。断言してもいいが,今,此処でなら水上スキーが出来る。
脇をバスが追い抜いていくと,バスが立てた潮騒が大波になって,ウチのスパシオの横腹をたぷうんと打ってくる。たぷうん。
「うおおおお」我知らず悲鳴がこぼれた。こういう時,車内に独りでいるのは心細いものである。
対向車が擦れ違う度に車の腹を,脇を,波が打ち寄せるのが分かる。たぷうん。たぷうん。車が右から左から横に押される。時速表示は17km/h,大丈夫,まだ車は止まっていない。それにしても,のろのろとしか走れないのは,車が混んでいる事もあるが,何よりも,車を前に押しやる際の水の抵抗力によるものが大きい。アクセルが全く効かないのだ。こんな処で効かせたくもないが。
ふと,脳裏をリフレインしていく「水没したら,窓から脱出…」。…おいおい。おいおい。
処で「窓から脱出」ったって,窓が閉められなきゃ,結局車内の浸水は免れないのではないか。何しろ,脱出を決意するほどの状況である。当然,車を打ち捨てていくのが前提だろう。
レスキュー隊がボートを漕いで,救助に来る…。いかんいかん,何をバカなこと考えているのだ。
ただでさえ水に浸っているというのに,このうえ妄想にまで浸ってどうする。

信号が赤なので仕方なく停まる。前の車はのそのそ水深く潜っていく…て,この先まだ深くなるの?
スペースワールド方面から,旭硝子工場方面へ左折しようと,僕から見て左から出てきたローレルが曲がりきれずに,僕の車の行く手を塞ぐように立ち往生する。心持ち,横揺れしているようにみえるのは車の横っ腹に打ち寄せる波のせいか。おいおい,そのまま転覆していくんじゃないだろうな…。
信号が青になっても,ローレルは動く気配を見せなかったので仕方なくスパシオを発進させる。
動かないローレルをよけるように追い越せば,対向車の波と,スパシオの波が途中でぶつかって交差する。ローレルの運転席のおとーさんは呆けたような表情で固まっていた。今ならワニが出てきたって,オレは驚かないぞ。
其処を暫く走り,高架下を抜けるあたりから上り坂になって,徐々にだが視界の脇を水飛沫が上がり,前を往く車もスピードを上げた。
まさに海から陸へ上がっていく感じ,まるでイクチオテスガにでもなったような気分である。デボン紀末期だね。反対車線の渋滞を見ると,これから海に戻るクジラの列といった処,あちら側はぐっと下がって新生代だが,彼らの行く末に幸あれ,である。何しろ増えてきた水嵩に気付いた処で今更引き返せない。

この後,執務場所付近でもう一度,道路が水没するが,今度のは枝光よりもうーんとましだった。
尤も,スパシオがスピードを上げる程,タイヤは高い水煙をあげ,モーターボートの様相を呈した。エンジンがどうにかなるんじゃないかと気が気じゃなかった。僕は思わず子供の頃に観た「わんぱくフリッパー」を思い出した。あれって,中村メイコが男の子の声を吹き換えてたんだよな,どーでもいい話だけど。気分はまさに水上生活者である。
その後,船着場もとい駐車場の比較的小高い場所を選んで車を駐めた。会社の駐車場てェ処がまたおしなべて踝あたりまで水が来るんだな,これが。
結局,デスクに辿り着いたのが9時40分。なーんだ,あんな思いをした割にはそれ程遅刻でもなかった。
今朝,香椎駅ではホームまで土砂が流れ込んできたという。
たかだか会社へ通勤する程度で,生命の危険まで侵したくはないものである。

15時過ぎて窓の外に,ほんのわずかではあるが雲の切れ間を見た時,僕の耳には確かにジョン・ウィリアムズの旋律が流れてきたのだった。
でも,天気予報によると木曜までは雨が続くらしいから,通勤決死行はまだ終わらない。…ヤだなァ。

帰宅すると,ウチの近くの道路が水没したのが全国放送されたそうで(そんな事帰ってから初めて聞いた),やっさんと政江おばさんから安否を気遣う留守電が入っていた。ありがたい話である。えー,僕はこんな冒険談が語れるくらいには無事です。

そして,妻の必死の抵抗と説得によって今夜のレイトショウ行は中止になったのだった。おのれ,雨め。


 
6月27日()「ホワイトチョコレイト色のカブトムシ」

今日から,尼子くんちの披露宴パンフレット印刷作業を本格的に開始する。
一日10時間刷ってみて実績は30部そこそこ,プリンタへの急激な過負荷も考慮に入れると,七夕あたりまでに尼子家200部送付(そのうち60部は先週急遽依頼された追加希望ぶん)するというのは絶対に無理と判断し,相談のため尼子家へ電話。追加60部については17日の檀家さん披露用なので,それまでに間に合えばとの事だったので,うんと気が楽になる。いや,やきもきさせて悪いね > 尼子くん。
そう,こんな処にも知らず知らず「ラヂオの時間」は潜んでいる。

一日かけて,マーチン・ガードナー/市場泰男訳「奇妙な論理」(現代教養文庫)を通読する。
もう半世紀も前に出された本なのに,内容が一切古びていないというのは,僕らにとって喜ばしいことなのか,憂うべきことなのか。そのタームは擬似科学でも迷信でも構わないけれど「騙されやすさ」「信じやすさ」との闘いは人類の永遠の命題なのかもしれない。その内容には特筆すべき事が多すぎるので,いっそ此処では紹介しないけれど,カイロプラティックを痛罵していたのが印象的だった。そっか,カイロって50年前,米国では根拠薄弱で攻撃されていたんだ。その頃の日本じゃ誰もその存在さえ知らなかった筈だもんなァ。


夜,やっさんと電話で話す。
土曜日に彼直筆のカブトムシの蛹の絵葉書「もうすぐ真打ち」(勿論,ギャラリー・ヘイジに掲載予定)を貰ったので,そのことを訊ねると,部屋で飼っていたカブトムシの幼虫が軒並み蛹になっているのだという。しかも旨くしたもので,全部が全部オスだったらしい。

「カブトムシって一昨年の?」
「いや,今年になってから妹に送ってもらったの」
「妹さんに?」
「うん。何か近所の小学生騙して(笑)」

僕が一昨年の話をしたのには理由がある。
一昨年の夏,やっさんは久々に実家のある院内に帰って独演会を開いたのだが(確か「小言念仏」と「肥え甕」を演った),帰郷した僕が独演会の前日に電話をしたら,その払暁,僕らの共通の友人である塩田とカブトムシを獲りに行っていたと話をしてくれたからだ。幾つになっても,カブトムシ獲りが辞められないというのも,永遠の男の子として,また真である。
そう云えば,現在,尼子くんちの虫かごにも冬越えをしたオオクワガタがいるらしい。彼とは子供の頃,よくカブトムシやクワガタを捕まえにいったものである。橡の幹の傍らを低く羽音をたてて飛ぶスズメバチの恐怖は今も忘れない。誇張ではなく,子供の拳大くらいの大きさだった。しかも,どうしてあんなにヤバそうな目つきをしているんだか。

「じゃ,もうすぐカブトムシの白い羽が見られるね」
「え,カブトムシの羽って白いの?」

脇で聴いていた奥さんが驚く。
知っているひとは知っている事だが,羽化したてのカブトムシの羽は白い。胸から上は最初からあのチョコレイト色なので,ついホワイトチョコを連想させる。暫くして時間が経つと,徐々に赤茶けてきてお馴染みの羽の色に落ち着くのだが,じゃ,ひょっとすると奥さんは羽化したてのセミの羽が不透明な水色であることも知らないのか。うん,ホタルも初めて見たという話だったから,そうなのかもしれない。そっか,いつか見せてあげなきゃね。カブトムシのホワイトチョコレイト色。


 
6月26日()「モロッコつながり」

朝から雨だったが,メゲずに夫婦連れ立って天神へ。
とは云え,相方の目的はヘアカットとCD−Rドライヴ購入(結局買わなかった),僕は云わずと知れた映画観賞である。
今宵は日本中で「SW Ep1 /PM」先々行オールナイトで狂乱の相を呈す筈だが,お祭り騒ぎには加わらず。僕ァ平日レイトで行くからいい。
シネテリエ天神でニール・サイモン おかしな二人2」「グッバイ・モロッコ」を観賞後,「ふきや」で遅い昼ご飯を食べて,博多駅界隈に移動。続けてシネリーブル博多駅1でハリウッド・クラシックの「モロッコ」を観る。一応,モロッコ繋がりで2作品観たが,ボク的にはどちらも今イチだった。

ケイト・ウィンスレット・ウォッチャーの僕には「グッバイ・モロッコ」は外せない一本(「ハムレット」は観損ねたけれど)。
下世話な話で恐縮だが,しかしケイトはどーしてこーまで映画での脱ぎっぷりがいいのだろうか。本作でもサイード・ダグマウイ扮する現地ネイティヴの恋人ビラル相手に,途中で幼い娘に割って入られるというベッドーシーンでその豊満なバストを披露している。裸になってない映画の方が少ないんじゃないのかな。でも,デビュー作「乙女の祈り」はチラリズムの官能パワーが炸裂していたし。そもそもあれは作品自体のカルト度が異常に高い。マイケル・ウィンターボトムの「日陰のふたり」に至っては,広げた両脚の間で産道から子供が半分出て来ているショットなんていうのまで登場する。特殊メイクが入っているとは云え,体当たり女優の面目躍如と云える。「ハムレット」もくどいくらいの濡れ場があるそうだし,これ一作で知名度を上げた「タイタニック」でもご承知の通り,ディカプリオ相手に裸婦画のモデルをやりますよね。
大体,ケイトって顔も確かに典型的なクラシカル美人だが,そのスタイルもまさにビクトリア王朝的グラマーなのだ。要するにでぶなんだけど,だからこそ,彼女の出演する映画に現代劇が皆無なのかなァとも邪推する。キャスティングする側もよく分かっているのだ。因みに本作は1972年のマラケシュという舞台設定。彼女の出演作の中ではいちばん現代に近いのではないか。此処の助監督と結婚してから更に10キロ近く太ったと聞いたから,今後はいよいよコルセット要の時代劇ご用達女優になってしまうんじゃないか(いや,元々そーだが)。で,でも相変わらず気前良く文藝復興な肢体をスクリーンに披露し続けてくれると。彼女はこうであってくれなくてはならない(笑)。

ま,あらましは映画のタマシイに書いたので,他2作品も併せてそちらを参照のこと。

「モロッコ」を観る前に,紀伊國屋福岡本店にて前から探していたマーチン・ガードナー/市場泰男訳「奇妙な論理」(現代教養文庫)を購入。
この本,実は原著『科学の名において In the Name of Science(1952)』の全25章中の11章抜粋版であり,残りは「奇妙な論理U」として出版されているのだが,幾ら探しても「U」が無かったので,注文する。3週間かかると念を押されたが,なーに暫くはヒッチコック特集で博多駅方面には足繁く通う事になるので構わない。

帰りはいよいよ雨がひどくなって,豪雨の中を水煙と共に車を走らせる。
山間部を通る事もあるが,何だか道中,福岡−北九州間を洗車機をトンネルにして繋いだようなありさまだった。
途中で数回,身の危険を感じる。遊びに行くのも命がけである。

帰ったら既にCXで「ラヂオの時間」が始まっていてがっかりする。今夜は冒頭で三谷さん自身が解説したのだ。
エンディングはメイキング映像が入ったTVヴァージョン。番組の終わりにも三谷さんが「あの」タキシード姿で出てきて,次回のスティーヴン・セガールの作品紹介をいなせに決めてくれた。脇にこれ見よがしに置いてあるネタでナイト・フィーバーのトロフィーのバカバカしさもあの人らしくて,つい吹き出してしまう。


さて,肝腎の「SW」だが,「電網天動説」「SW Ep1 /PM」先先行オールナイト in 立川」と題された瀬戸口くんの臨場感溢るるレポートが面白い。

**奥さんのネット懸賞日記**本日の戦果

一、図書券1,000円  電通リサーチ


 
6月25日(金)「偏頭痛が来た」

朝起きてから退社まで,ひどい偏頭痛に悩まされる。原因は昨夜,妙に目が冴えて3時過ぎ迄眠れなかったから寝不足に相違ない。
頭の内側で陣痛が起きている感じ。もしくは桃太郎出産間近の桃になってしまった感じ。頭を鉈でかち割られてもメーワクだが。
帰って,薬をあおって少し寝てようやく治る。大体僕は中学の頃から偏頭痛持ちなのだ。助けて,オリバー・サックス先生

奥さんは,そんな可哀想な僕に「古畑任三郎サウンドトラックvol.3」を買ってくださっていた。おしゃかさま…。

夜,福岡の親父に電話をかけると,何故か次妹が出た。
父の日の贈り物に2Lのブリーフを持って大分から出てきたら「今のオレは3Lしか入らん」とそっけなく云われたと立腹していた。ちょいと,おとーさん…。
こちらも1週遅れの父の日という事で,7月後半にメシでも食べに行こうやと誘ったら快諾される。
実は先週の日曜,長妹からしか連絡をもらえずにかなりふてていたらしい。申し訳ございませんでしたね。
犬山のお義父さんも,ごめんなさいでした。と,1週間たってから云い訳するする。

**奥さんのWindows98トラブル日記**

ここ何日か、毎日毎日フォントがどんどん減っていた。
正確に言うと、コンパネのFONTSフォルダの中にフォントのファイルはあるんだけど、アプリでそれらを読みこめず、使えない。
レジストリのフォントの箇所も別に消えてるワケじゃないので、全く原因がわからない。
こりゃOS再インストールか……困ったなぁ、と思いながら、最後の悪あがきであっちこっちの掲示板を覗いて見る。
同じようなトラブルが、けっこうたくさん書き込みがあって、みんな再インストールしたら直りましたって書いてある。
とほほ……。しかし、ある掲示板の書きこみで、メモリのキャッシュ?をクリアしたら治ったと書いてあるのを発見。早速やってみる。
方法は、単純に「(1)Safeモードで立ち上げ」→「(2)再起動」これだけ。確かそんなんでクリアできるようなことを、昔どっかで読んだので。
そうしたら、効果てきめん!フォントはみんな(確認してないけどよく使うやつはみんな)無事に復活していましたー。(^_^)v
Win98ってなんかムツカシイ……。さらに修業を重ねます。


 
6月24日(木)「好きだよと言えずに初恋は…」

会社帰りの車の中で村下孝蔵の訃報を聞く。享年46歳。高血圧性脳内出血。
まだまだ現役真っ盛りではないか。話によると20周年という事で最新アルバム「同窓會」(同名タイトル曲のシングルは去年発売済)も9割方完成し(6月21日の日付で長年彼のプロデューサーを務める須藤晃「がんばれ村下孝蔵」の中で彼と彼の仕事にエールを送っているのがひどく切ない),7月予定の記念ライブのリハーサル真っ最中に突如訪れた不慮の事態だった。
ショックだったのは,奥さんが村下孝蔵を知らなかったこと。ワイドショーを流れる歌声で得心がいったものの,ギターを抱く穏やかなおじさん顔には全く憶えが無い様子だった。ひとりベンチャーズのひととか云っても駄目なんだろうなあ。このひとのギター・テクはそんじょそこらのフォークシンガーでは太刀打ちが出来なかった。「めぞん一刻」の主題歌をやった,つってもピンと来てなかったもんなァ。

初めて実物の彼を見たのは「夜のヒットスタジオ」だった。
彼は歌番組初出演であり,ギター1本で「ゆうこ」を歌う処だった。
「ショパンが好きよ…」その美声と顔の余りのギャップに僕は衝撃を受けた。こんなショックは永井龍雲以来だった(今はそんなことないけれど)。あ,いや,小椋佳の時は気を失いそうだった(今はそんなことないけど)。何だか話がどんどんそれていく。
それから暫くして,高校時代にお試しでアルバム「花ざかり」を買った。「少女」「夢のつづき」が入っていた盤である。アルバムの最后に収められた「花ざかりの森」は三島からのインスパイアか。今思うと楽曲自体は決して悪くなかったのだが,過渡期と云っていいシンセの音色を前面に押し出した没個性的ポップス・アレンジ(たぶん水谷公生だったのだと思う)が肌に合わなくて,とうとう当時の僕をしてフェイバリットになりえなかった。いや,シングル曲は良かったんだけどね。やりたい音楽をやるために時代の趨勢に立ち向かった,あれもひとつの戦い方だったのだろうが,もしももっとアコースティック色で押しまくられていたら,僕はたぶん陥落していた。それほどの美声であった。
また,このひとは熊本出身だったからか,歌とは打って変わってMCでは笠智衆の如く訥々と話した。

そう云えば,佐世保の山口さんはひょんな縁から,いつだったか村下さんを助手席に乗せて,長崎から福岡まで雨の高速道路をぶっ飛ばした事があるって云っていたっけ。それまで村下さんの歌も聴いたことが無かったらしいけど。楽器屋に付き合って一緒にギターも見たそうだ。
今頃,さぞかしショックを受けているだろうな。

最后に,村下さんとウチの奥さんの共通点をひとつ > 奥さん
村下さんはね,無類のしろくま(鹿児島出身の氷菓)好きだったんだよ。そいでレトルトカレーはカレーマルシェが好きだった。

処で,村下孝蔵の公式サイトはこちら
今はアクセス数の急増で過負担のため,臨時的にテキスト主体のサイトになっているようなので,あしからず。


話は180度変わるが,「古畑」第3シーズン犯人役に当初名前の挙がっていた三上博史が,実際にドラマ出演しなかったのは,やはり「リップスティック」のせいだった。こんにゃろめ…。実際,文楽の人形遣いという設定で物語も出来ていたが,そんなこんなで話自体がぽしゃってしまった。
そう云えば,第2シーズンでも勝新太郎のウェスタン歌手編が出演快諾まで受けていたのにも拘わらず,やはり日程調整でおしゃかになり,そうこうしているうちに遂には勝新本人が帰らぬひとになってしまった。
こうした水面下でばっさり斬られたアイデアや物語達を偲ぶ時,徒労の人,三谷さんが余計にいとおしくなる。


 
6月22日(火)「ヘタクソ限界と云ふもの」

帰路,ベスト電器にて,さだまさし「季節の栖 〜Twenty Five Reasons」を購入する。
前作から9ヶ月,25周年の企画物とは云え,いつにないハイペースと云える。いつかの日記でも書いたが,楽曲の詞・曲のいずれか,あるいは両方を豪華ゲストに担当してもらうという「お祭り的」なコラボレーション・アルバムである。また,小田和正がコーラスで,元グレープ吉田政美がギターで参加している。
…で,感想なのだが,一聴した限りでは余り芳しくない。尤も,このひとのアルバムはあとで印象がどんどん変わっていくので,結論を出すのはちと早計に過ぎるのだが,でも此処数作の印象で一貫している事がある。
以下は,あくまで私的なさだまさし批判であり,雑感である。無論,あらん限りの愛がこもっている事は予めお断りしておく。

さだまさしを詞の世界から入っていくひとは多い。かくいう僕もそのひとりだ。メロディの美しさは後からついてきた。今ではそれが不可欠になったが,理由のひとつにはリスナーとして熟成してきた現在の僕の齢も関係しているのだと思う。
で,かなり以前からさだまさしの詞作への疲弊が見られるのは,ファンなら周知のことだ。新しい作品への嗜好としては,長い時間をかけて,リスナーにとっても,さだまさしという作家は詞のひとからメロディのひとへ,その重心が移ろうとしている。要所要所でその詞や物語世界にウェイトの置かれた楽曲が一里塚をなしているのは確かだが,ディスコグラフィの後半になる程,あきらかにそのポテンシャルが落ちてきている。詞のドラマ性で聴かせる唄の比重は飛躍的に小さくなった。
処で,さだまさしはライヴでヴァイオリンを弾く際に,自分の音色は昔取った杵柄だけで維持しているもので,云わばヘタクソ限界とでも云うべき音であると,かねがね公言している。あえて誤解を怖れずに申せば,さだまさしの近年の作詞の多くはそのヘタクソ限界(あくまで,さだまさし的には,だけど)に達しているのではないかと感じている。
最近の彼の作詞において,初期の作品群と比較して顕著な特徴は,「かつての説明過剰を排し」「誰にでも分かる平易な表現で」極力,ベーシックでシンプルな方向に進んでいる事にある。ひょっとしたら,さだまさしは永六輔の詞作の持つ普遍性あたりに或る到達点を見ているのかもしれない。然し「さだまさしの詞作としては」それは結果的に

「語彙が淘汰され,自作で使い古した語句・フレーズを多用する」

という弊害を生み,歌うテーマなどいくらでもある,と豪語しているのにも拘わらず,此処の処,歌うテーマがパターン化してしまっている。歌うテーマは「本当に」「いくらでも」あるのだと思うが,ただアルバム・リリース時期の制約で詞を練る時間を与えてもらえないから,かたちにできないものばかりなのだ。より高い跳躍には,出来るだけ長い助走が必要である。まして,彼は不惑を半ば過ぎてしまった。ほぼ間違いなく集中力と持久力が落ちていく年齢である。フットワークの軽やかな20代と同様のタイム・スパンでクオリティの高い作品を要求するのは酷というものである。ただ,歳を経て彼自身の経験値が上がっているのと生来の頑張り屋さんな性格とから,とりあえずそれなりのクオリティの楽曲で〆切にはどうにか間に合わせてしまうのだ。しかし,「とりあえず」「どうにか」なので,どうしても詞に重きを置けない。そして,いつしかそれが創作スタイルとして定着してしまう。
その悪循環が少なくとも作詞というアプローチにおいて,更なる「その先」の表現を阻み,結果的にメロディとヴォーカルに「逃げて」しまっている。いや,実際,喉が太くなってからの彼のヴォーカルはその旨さと味わい度において初期のボーイソプラノ・スタイルの持つ表現力を遥かに凌駕した。詞に依存できない分,より美しく歌唱難易度の高いメロディとそれを歌いこなす歌唱力が,シンプルな詞の行間を,リスナーの思い込みで満たし,深遠な歌宇宙を表現してしまう。
いやあ,本当に唄ァ旨くなったよね,まっさん。
本作のラストに収録された「夢の夢」然り,近作の「流星雨」「帰郷」「夢唄」「赤い靴」「いつも夢ばかり見ていた」などそうした例は枚挙にいとまがない。故に,詞だけ取り出した場合に,過去作のように詞として楽しめない(勿論,さだまさしが歌詞というものをいかに詞として不完全なものかを力説しているのは承知の上で書いている)。ただひたすら同じ物語が繰り返されて,個々の作品が没個性化する。これが僕の云う詞のヘタクソ限界の所以である。
折角,書かれた詞の向こうにある個別の風景を聴き手に補わせるだけの歌唱力を身につけたのだ。
肝腎の詞がヘタクソ限界なのでは余りに勿体無いではないか。
まして,僕らはさだまさしの詞作における卓越した表現力を経験してしまった。もう取り返しがつかない。あの蜜の味の甘さが忘れられず,ネクスト・ワンを唱え続けてしまう。で,また時々とは云うものの,その期待に応えてくれる楽曲もぽつりぽつりと出てはくるのだ。だから,ある種のピークは過ぎてしまったのだと思うが,さだまさしが作詞家(作家ではない)として枯渇した訳では決してない。皆んながせかし過ぎるのだ。短距離ランナーから長距離ランナーへ,ひとは老いていく過程で自分のテンポに合わせてそのランニング・フォルムを変えていく。周囲の都合によって変えさせてもらえないのは無体である。
熟練工としての味と意地はむしろこれからなのだ。僕はそう信じてやまない。

熟成時間は短くとも,たぶん突破口はある。
このひとは生来「遊び」が好きなひとである。此処で云う「遊び」とは自らにテーマを与えて,その制約の中で挑戦することと同義であり,その中から,たとえば「シラミ騒動」「オホーツクはるかなり」が生まれてきた。「うつろひ」では全作品漢字3文字タイトルで統一したし,歌で世界旅行する「夢回帰線」アルバムは2作も作られた。
だから,僕は思うのだ。現状の詞のヘタクソ限界を乗り越えるには,毎回詞作に何らかのテーマづけをしてやる必要がある。
彼にはその中に飛びこんでいただいて,とことん腕白に「遊んで」もらわなければならない。
たとえば次のアルバムにはNGワードを設ける。基準は現在までの歌詞内使用頻度。
ボク的には「夢」「時」「愛」「涙」「幸福」あたりを全て禁句にしたい。動詞でいうなら「咲く」「吹く」とか,その辺り。
誰が云ったかはもはやさだかではないが,いつか読んだ次のようなコトバが,今も胸に刺さっている。

幸福を「幸福」という言葉を用いることなしに表現しなさい。
悲しみを「悲しみ」という言葉を用いることなしに表現しなさい。
本当に伝えたいものはそういった表現の中からしか生まれてこない。

これは表現者の端くれでありたい同人モノとして肝に銘じているコトバでもある。全然守れていないけど。
どうだろう,NGワード作品集。さだまさしは面白がり出したら最后,無敵のひとになる。
そのために如何に彼をその気にさせるか,その遊びのハードルを高くするかだ。それで詞作のヘタクソ限界は克服できる。
いや,本当は勿論,唄作りにもっともっと時間をあげるのが最善なのは分かってる。たとえば同じ1年間のリリース・インターバルでも1年全部スタジオにこもって,作品の取捨選択が出来るくらい製作期間に余裕があれば,話はすぐに解決する。現にサザンはそれをやっている訳だし。さもなきゃ小分けでスタジオにこもって3年周期でリリースするかだ。
ライヴ収入減による赤字を我慢してでも,大きな勇気でそれを許すのはスタッフであり会社であり,何よりファンである。

しつこく繰り返すが以上,私見であり,勝手な云い分である。
特に時間をやれ云々のくだりは無茶を承知で書いている。念のため。
熱狂的なファンが読んだら怒るような事も書いたが,なーに,僕だって熱狂的なファンだ。ただ,イエスマンではないだけである。


そう云えば,「古畑」も無事,最終回を完走した。
これも書きたい事は腐るほどあるが,考えがまとまらないので,また後日。
田村さんはこの後,ニューヨークで長期の休暇に入るそうである。ゆっくり休んでください。出来れば,三谷さんも。


 
6月21日(月)「出口なし!」

5月31日の日記に書いたコミケ出品用のSF研(残党)会誌製作がいよいよ佳境に入っている。
実際,OB部員の「笛吹けど踊らず」状態(恥ずかし乍ら,僕もそのうちのひとりです)に瀬戸口編集長が孤軍奮闘しているのが現状なのだが,学生時代とは異なり,人海戦術で個人製本を行なう訳ではないので,そういつまでダラダラもしていられない。何しろ今回は印刷所への入稿スケジュールが引っかかる。「幻の天動説10号」の轍を踏まない為にも,この日記でも現在の進捗状況を整理して何かと怠惰な僕自身を追い詰める必要がある。いや,マジで。
SF研関係者以外には全く興味の持てない話題で恐縮だが,少しだけ見逃してください。

という訳で,以下,「電網天動説」の瀬戸口くんの投稿より抜粋・編集する。
これはまた,瀬戸口くんの血と汗と涙と知力の編集作業の記録でもある。
彼の仕事には実に頭が下がる。

● 印刷・製本委託業者は「ポプルス」さん
● 印刷所への入稿は,郵送で7月15〜18日迄に。
● 入稿スケジュールから逆算して,原稿の完全完成は,7月11日とする。
● MOを郵送するデジタル入稿を予定。
● 校正用出力見本が宅配後,瀬戸口くん校正実施。
● 直しがあったら修正後,印刷工程へ。
● 製本完了後,宅配で瀬戸口くん宅へ。
● 完成品に帯をつけるなら,家内制手工業要(確かにこれはやりたい…)。
● 会誌最終構成は以下の通り。

 001 表紙
 002 表紙裏
 003 中表紙「天動説」復活に寄せて
 004 目次
 005 「天使までの助走距離」(14ページ)
 019 「SilentNight Delibaly」(2ページ)
 021 「スプリンガー物語」(2ページ)
 023 「まるちぷらいず!」(26ページ)
 049 「愛は静かな場所へ降りてくる」(3ページ)
 052 「降る星に、願いを…」(5ページ)
 057 「黄昏バスガイド」(3ページ)
 060 「宇宙連合襲来!!」(5ページ)
 065 「無窮の旅路 -前篇-」(35ページ)
 100 「熊大SF研・会誌発行の歴史」(10ページ予定)
 110 編集後期とおくつけ・次号予告
 111 裏表紙裏
 112 裏表紙

で,あと,僕に残された作業としては,

 「天使までの助走距離」の著者(自己)紹介
 「宇宙連合襲来!!」の本文の手直し
 「スプリンガー物語」の表紙イラスト
 「熊大SF研・会誌発行の歴史」のコメント書き
 ちょこちょことしたカット描き

といったあたりが「まだ」ある。困ったわ…。
既に「無窮の旅路 -前篇-」の表紙イラストを放棄したりして,瀬戸口くんに申し訳ないことこのうえない。これ以上,迷惑はかけられないのだが…。しかし,決意表明である筈の文末に「だが…」などと要らぬ伏線を張っているあたりがどーにもけしからんですな。
どうか,あたたかく見守っていてください。

ようやく,宮本輝「草原の椅子(下)」(毎日新聞社)読了。
壮年を迎えたトム・ソーヤとハックルベリー・フィンが,生活のそこかしこに潜む虚無に反旗を翻し,そろそろガタの来はじめた身体にムチ打って,桃源郷を目指す物語。それこそが「大人の処世術」なのだと,宮本さんは考えているらしい。世間の荒波を泳ぎ切る技巧と懐ろと,永遠の「瞳キラキラ」を装備すること。自分の中の少年を見失わない事が即ち自分自身を見失わない事に直結する。自分自身を見失わないためには,他人を見失わない努力もまた必要である。誠に大人への道は長く,険しい。

**奥さんの宮本輝氏への要望**

このままでは、ちさちゃんがカワイソウなので、別の本でいいから、ちさちゃんの話を書いてあげてください。



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