7月のにっき(1)

一体日本の演劇界はどうなってしまうんでしょう。
まあ,本心を言うと,どうなってもいいんですけど。
白井さんたちだけが頑張っていてくれてれば,私は満足です。

三谷幸喜『遊◎機械と私(1994)』より

7月10日() いくつになっても子供は子供
7月09日(金) 桂平治は犬山で噺を打てるか
7月07日(水) 水のバプテスマ来たる
7月06日(火) Cicada
7月05日(月) 桂平治ホモ疑惑に答える
7月04日() キラーコンドーム
7月03日() 百年の孤独
7月02日(金) さらば友よ
7月01日(木) たのむよ和代氏、もう一度しゃべって


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7月10日()「いくつになっても子供は子供」

今日はかねてより懸案の尼子・亀井両家結婚披露宴。
出発間近ぎりぎりに追加分のパンフレットもどうにか刷りあがる。このスレスレさ加減,自分たちの結婚式を思い出すなァ。
朝,8時過ぎに出たものの高速を使わず走ったら豊前あたりから殆ど徐行走行する教習所の車に往く手を塞がれ,大いに時間をロスするが,別大道路を通ってからは何とか開宴1時間前には会場である別府湾ロイヤルホテルに間に合う。此処のオーシャン・ビューは絶景であった。2階にある受け付けロビーへ上がると,窓から180度海を臨めるプールが眼下に広がっていた。でも「日本のナポリ」はちと云い過ぎでしょう。
招待客の内,高校時代の友人は自分を含めて4人。尤も,そのうち安部ちゃんは幼稚園からの付き合いだし,瀧と貴ちゃんは中学からの付き合いだから,田舎の広さなんてたかだか知れている。これでこの中で結婚していないのは貴ちゃんだけになってしまったが,ま,慌てることはないし,本人も慌てていない。
何しろ新郎新婦共に(全くの偶然なのだが)実家がお寺だから,140人からいるゲストの半分を袈裟姿が占めていて(こう書いては失礼だが)こないだの真打披露と云い,30も過ぎると色々貴重な体験をさせてもらう。無論,新郎新婦双方のお父上も共に黒の袈裟姿。実家のお寺で婚儀を済ませ,遅れて現れた新郎も金色の袈裟姿。しかも彼はなかなかの色男なので,非常に男映えがする。いつかの瀧の自衛官姿と伯仲する恰好良さと云っていい。何だかんだ云って制服モノは強い。

しかし,子供の頃の呼び名というのは今更どうにもならないもので,小学校の時にさんざんお邪魔していたが故に(逆にこの10年余りは殆どお邪魔していない)尼子くんのお父さんにもお母さんにもふたりのお姉さんにも「あら,てるちゃん」「この度はてるちゃん」「こちらがてるちゃん」と云われてしまう。今更「倉田くんと呼んでください」などと哀願する気も無いが,それはそれでなかなか面映い。こちらのご家族にとっては,今後僕がどんなおっさんに成り果てても「てるちゃん」なのである。しかも長いことお会いしていないのに瞬時に「てるちゃん」だし。ま,大のオトナであるなどと嘯いてはいても所詮はその程度のものである。

今回,久々に引きうけたスピーチの為に,パンフレットに印刷された新郎新婦をハート型に囲む赤い薔薇を全140部中,1部だけ青い薔薇にしてエラーコイン的稀少価値を演出するという小ワザを仕込んでみたが,乾杯後の友人スピーチなんて客の大多数にとってはBGMみたいなもんだというのをすっかり忘れていた。誰も聞いちゃいない(泣)。結局,僕のスピーチに応えてくれたのは1/3くらいしかおらず,残念乍らその中に青い薔薇のパンフをいだくひとはいなかった。まさに大コケと云っていい。とりあえず喋るには喋ったが,僕を狙うスポットライトが強くてステージからは何も見えない。誰に向かって話せばいいものやら,視線を固定出来ないのはかなり苦痛である。僕のふたり前にステージに立った安部ちゃんの狼狽振りに今更乍ら合点がいく。キャンドルサービスに来た尼子くんの第一声も「眩しくて何も見えないんだよ」(と「ハト出すぞ,ハト」)であったし,ゆーこさんのこめかみには汗の粒が光っていた(キャンドルサービスに僕らがどんなくだらない策を弄したかは「僕の」名誉の為に決して触れない。あれは苦し過ぎる…)。

尚,本披露宴最大級のお客様に某有名大学の馬場名誉教授という方がいらしたが,テーブルに寄せ書きが廻されて来た時に,その馬場名誉教授の名前の上あたりにわざわざ「ジャイアント」と意味不明な(明解とも云う)祝辞を書いたのは確かに安部ちゃんであった事を此処に告白しておく。
何にしても,友達がバカをやれている間は,僕もバカをやっていられる免罪符になる(する)。
あとは喉元まで出かかった親父ギャグの誘惑を如何に排除するか,オトナのギャグ遣いの真髄はこれに尽きる。


二次会は辞退して大分駅にて次妹を拾う。
大分の女子大生ご用達の「ランズ」という夜はカフェバーになる喫茶店に行ってパフェを食べる。
メニューも多彩だが,値段の割りにサービス過多なボリュームにもはや辟易する。そこまで盛りつけてくれなくてもいいんだってば。
…という事で,大分にお立ちよりの際には是非お試しください > 長友くん(私信モード)。


 
7月9日(金)「桂平治は犬山で噺を打てるか」

夜,松平さんよりお電話をいただく。
継鹿尾観音寂光院の山主@松平さんは僕ら夫婦の月下氷人であり,日頃から何かと気に留めていただいている,敢えて非礼を承知で書かせていただけば,頼り甲斐のある《年長のお友達》である。教えを乞うというよりは同じ目線の高さで貴重なおつきあいをしていただいている。
以前からお話は伺っていた毎年の瀬恒例の寂光院の行事にやっさんを招いて落語会を催したいのですとのこと(松平さんはどんな若輩にも敬語を絶やさない)。毎年師走になると,お山ではやすらぎ説法と併せて,さまざまな催しを企画される。去年はジャズのコンサートだったか。落語という事では以前,円窓師匠にもおいでいただいたそうだ。で,僕らの結婚式でやっさんと逢って「いずれは…」と機会を考えてくださっていた。それをいよいよ今年どうでしょうか,とご依頼いただいた訳である。
お山とやっさん,そのふたつの橋渡しになる事が出来るのならば,僕ら夫婦にとってこれにまさるハッピィは無い。尤もひとつ気がかりがあって,それは12月12日が日曜日だということ。やっさんは毎週NHKラジオの歌番組のコーナー司会を務めている。芸人としてレギュラー番組を仇やおろそかには出来ない。ううむ,年の瀬だし,何とか上手く時間がとれればいいのだが。
という訳で電話したけれど,やっさん捕まらず。今日まで東北ツアー(って云うのか)だもんな。
仕方ないけれど,留守電に吹き込んでおく。話は明後日,大分から帰って来てからか。

**奥さんのネット懸賞日記**本日の戦果

一、テレフォンカード50度数  不二家


 
7月7日(水)「水のバプテスマ来たる」

今日は七夕さま。
でも,この人によると地球ではもっと凄いことが起きていたんだぞ。
グリニッジ標準時1999年7月7日(水)午前7時(て事は日本時間の午後4時),惑星グランドクロスの影響によって地球が瞬時に90度の極移動を起こし,「水のバプテスマ」なる地球規模の大災害が来た…筈なんだが,気が付いたら終わってた「らしいね,どーも」。大体,1925年に制定されてたかだか70年やそこらしか実績の無い「あくまでも便宜上の」世界時でポールシフトが起こっちゃうあたり,なるほど,宇宙人の作為が働いていると云える。
それはそうと此処のサイトってこの春先を最后に更新がストップしているから,彼女の安否が気遣われる処である。
何しろ彼女はサイト上ではっきり

「新しい南極圏(マーシャル諸島を中心としたハワイ諸島やポリネシア諸島海域)になる地方に住んでいる人たちは、1999年7月6日までに、他の比較的安全な地域へ避難していなければ、絶対に、助かる見込みはありません。新しい極圏内に住んでいる人たちは、瞬間冷凍される可能性がありますから、厳重な注意と確実な避難準備が必要です」

と明言している(それにしても「瞬間冷凍」ってのもすごいなあ)。今頃,避難が遅れている地域に果敢に飛んで救援活動してたりして。

しかし,地球規模の洪水に気付かない僕も大概お間抜けである。
ひょっとして不信心者には洪水すら「知覚できない」のかもしれないぞ。
何しろ,このひとの説明によると

「(前略)1978年10月には、中国において霊通信(人工テレパシーを応用したソリトン工学)による低周波障害が起こり、1978年11月1日(聖霊節・ハローマス)には、「最後の審判」が、終了した。そして、1978年11月〜1979年7月には霊通信による被害が世界中で続出し、ほとんどの人々が1週間以上眠れなくなって悪い種類のニュートリノ(中性微子)によって一度は死に(火のバプテスマ)、内言を失い、自分自身の発声音を用いて考えることができなくなってしまい、胃腸の内容物すべてを含む宿便を排泄した。この間に、イギリス上院では、トレンチ伯爵やクランカーティ伯爵らが、いち早く、霊通信の障害について議会で取り上げ、話し合われた」

とある。
以上は「と学会」からも指摘を受けた事だが,このひとによれば聖書で云う「最後の審判」は終わっちゃってる事になっているらしいのである。しかも,彼女特有の造語が氾濫している為,分かりにくいが,どうもたいした審判ではなかったようだ。僕は小学生の頃,1週間不眠になった憶えはないので,当時白日夢を見ていたおそれがある。宿便にいたっては,どれが宿便だか分からないので見過ごした可能性もある。宿便というくらいだからきっと黒ずんでカチカチしていたのではないだろうか(胃腸の内容物を含んだ便がそもそも「宿便」と呼べるのかという話もある)。
彼女,アイリーンはラエリアン・ムーヴメントから枝分かれして出て来たひとなので(彼女にはラエルの教義のひとつ「フリーセックス」が肌に合わなかったらしい。それが生来の潔癖症によるものなのか,もっと形而下的な理由によるものかは謎),あくまでも推測に過ぎないが,以前発表したラエルの予言を正とした時,1978年には「最後の審判」が起きていなければならず,前言撤回の愚よりもオモシロ「最後の審判」を選んだという事なのだろう。おそらく。云い訳としてはうんと芸を必要とするので,後者の電波芸人系の方が僕は好きである。
また,だからこそ彼女も胸を張って,

「聖書」の中のすべての預言が本当に成ってきている。

って云える訳だし。
今後は電波芸人としての彼女がどんなオモシロ「水のバプテスマ」を弁明してくれるかに期待が高まる(お願いだから更新してほしい)。
「火」の次は「水」だから,世界中のひとが膀胱の内容物全てを含む「宿尿(あるのかそんなもん)」を失禁するとか。「宿尿」ってごっつい臭そうな気がするわ。翌朝,日本中の物干し竿に古代地図が現れ,それはまさしく古代に失われたムー大陸やアトランティス大陸そのままのかたちだったという…。
尚,大洪水に備えた簡略な避難方法は必見なので(て,パブテスマは到来したのでもはや手遅れだが,指示がディテールに及んでいるので読んで損は無い),きちんと読みくだしておくこと。


やっさんととんくんから別々に電話。色んな要件について長々と話す。課題は山積しているなあ。
明日はいよいよハイビジョンときめきワイド生放送の日である。


 
7月6日(火)「Cicada」

奥さんが槇原敬之「Cicada」を買ってくる。
まずは日本家屋の窓枠いっぱいに新緑が滴る,逆光線の中のマッキィ。溜息が出るほど美しいジャケット。
文豪というか書生というか着流し姿のマッキィも非常にノッているのが判る。惜しむらくは赤ひげ張りの髭づらが「病院坂の首縊りの家」に出てきたあおい輝彦の生首風鈴を思い出させて,いとわろし。ま,元々フォトジェニックとは縁遠いひとなので,毎回の苦労が偲ばれる。
まだ,夜遅くに通して一度聴いたきりだが,感触は良い。自作自演の詞・曲・アレンジで常に安定してこれだけ高水準のものを維持するには天賦の才だけで追いつく筈も無く,そこには死に物狂いの努力が介在しているのに決まっている(以前「HEY!HEY!HEY!」で「一年にシングル2枚とアルバム1枚作るので精一杯ですよ」と話していたのは決して誇張ではないって,聴けば必ず得心する)。そりゃ,肝炎で倒れもするわな。
アルバムのエンディングを飾る「Cicada」のような己が主張とポピュラリティのせめぎあいの中から生まれたすぐれた応援歌を聴けることを,僕は心からしあわせに思う。どんなに五月蝿かろうと精一杯の鳴き声を聞かせようとマッキィは僕らの町に飛んでくる。伝えたいことがまだまだこんなにある,とミンミン鳴き立てるために。

岩手から7月2日の消印でやっさん自筆の絵葉書が届く。今回はお馬さん。
いつか絵葉書個展が開けるなァ。

尼子家披露宴パンフレットは当日出席者数プラス20部ぶん昨日の内に発送を終えた。
まずはひと安心だが(このあと追加ぶん60部印刷要),大きな問題がひとつ残っている。
友人あいさつのスピーチ原稿が全然手つかずのままなのだ。
僕はこれまでアドリブでスピーチをやって一度として成功した試しがないので,祝辞原稿は必須と考えているくせにちーとも手を出していない。ただでさえ上がり症なので,力一杯断りたかったのだが,彼には自分の披露宴で果てしない祝辞を頂戴している(ま,パンフレット製作で許してという云い方も出来るが)。こうなった以上,何とかしなくてはならないのだが,一夜漬けが馴れっこになっていると駄目だね,ちーともやる気が起きない。という訳で,Xデイまであと3日。
って「天動説10号」の入稿〆切も既に一週間切ってたりして。…うむむむむ。


 
7月5日(月)「桂平治ホモ疑惑に答える」

実は此処だけの話だが「手紙無筆」に,やっさんのホモ疑惑に落胆した趣旨の投稿があった。
昨日の池袋の真打披露口上に出かけたひとらしい。確かに此処のところ,披露口上は諸先輩による桂平治ホモネタ競演になっていて,昨日は扇辰さんまでもが「自分のような(落語)協会で二ツ目まで呼んでいただけたのは一緒に落語会をしてきたからだとは思いますが,もし別の理由でもいいように,今夜は新しい下着を履いてきました」とやって,会場を大いに沸かせたと聞く(…行きたかったなァ)。
披露パーティーで,文治一門の皆さんに祝辞を賜った時も,蝠丸さん小文治さんがホモネタで攻めてきた。
もはやホモネタは桂平治という噺家を仲間内でいじる時のひとつのキーワードとなっている感がある。
何しろ,文治師匠自らが披露口上でゲイバーの話を振っちゃうからね。

でもね,あくまでこれは仲間内でのシャレなのである。
断言してもいいけど,やっさんはノーマルである。強調する事も無いが,女のヒトがスキなのだ。
彼の名誉のためにいちいち具体例はあげないが,彼がノーマルである事を証明する挿話には事欠かない(事欠かないのも問題か・笑)。高校時代,僕らは同じ穴のムジナ(あの頃はみんなケダモノだった・笑)だったし,学校を出てからも幾つかのタレコミはあった。両刀じゃないかと云われると分からないけれど(などとまた人心を惑わすような事を…)。きっと,とんくんだって請け合ってくれる。やっさんはそんなんじゃない。
ていうかこんな事はわざわざ説明するまでもなく,本気にとるひとなんかいないと思っていたのだけれど,現実に「残念です」などと投稿があるから世の中はわからない。毎回,披露口上でネタにされてりゃ,そう思うお客さんも出てくるって事かなァ。確かにやっさんの演じるおかみさんとか,お姐さんとか妙に艶っぽいんだけど,つまりそれがゲイならぬ芸って話で。

ぶっちゃけた話をすれば,やっさんにはいきつけのゲイバーがある。ネタ元はただそれだけの話なのだ。
確か,披露パーティーにもゲイバーの常連仲間が何人か招待されていた筈だ。
去年の暮れ,シャレで新宿2丁目のいきつけの店のあるビルの前で写真も撮ってある。いつか,「平さんがゆく!」で公開しようと思っているんだけれど。
よもや誰だってゲイバーに集うひとが皆,ゲイだとは思うまい。確かにああいうお店のおねーさんたちは話題が豊富で,話術に長けていて,タブーがないぶん何でもありなぶん,余り酒の得意でないやっさんを面白がらせる魅力があるのに違いない。僕も以前,従兄弟につれられて,一回だけそういうおねーさんのいる中洲のお店(ゲイバーでは無かった)に行った事があるが,確かに愉しい時間を過ごせた。ゲイバーくらい行ったってバチはあたらない。

それはともかく,投稿の取り扱いに苦慮するが(この手のメールは,本心から落胆しているのか,おふざけなのか非常に判断がムヅカシイ),やっさんに伏せておくのもどうかと思ってファックスで送るだけは送る。とりあえず「手紙無筆」掲載は見送るが,直接メールで返事を書くかな。つくづくBBSをこさえとかなくて良かったと思う今日此頃。

話は180度変わるが,知らない間に,アンラッキー後藤が引退していた。確かに長持ちする芸風では無かったけれど,何だか淋しい…。


 
7月4日()「キラーコンドーム」

3ヶ月振りに野坂医師と邂逅。
明日から月曜だというのに,シネテリエ天神レイトショウ決行。ブツは「キラーコンドーム(96・独)」
前回同行したのは木ブーのトークショーであったから,毎度の事乍ら色っぽくない逢瀬である。
瀬戸口くんには「ファントム・メナス」の先行ナイトに行け,現場の空気を,波動を感じ取れと,ひつこく尻を叩かれたが,今週は日曜の夜しか体が空かなかったし,「SW」なら秋までだって上映してるじゃん,と可愛げのないことを云う僕はSF者としては万死に値するのだが,それは自覚しているからいい。元々,アレはAMCの平日レイトで狙ってるしィ。
で,くだんの瀬戸口くんからは「あれは話題程度にしかなりませんよ」と警告され,ちょっとドキドキしていた「キラーコンドーム」だが,何の何の,全篇ニューヨーク・オールロケでお送りする(セット撮影はベルリンのようだが)ドイツ的アメリカンネイション論とでも云うべき怪作であった。そりゃあ「サイコ」とか「ジョーズ」のわざわざやったパロディにセンスは微塵も無いなど小ネタにやや難があったのと,コンドームのピアノ線特撮には苦笑するしかなかったが(それはそれでマニアには応えられないのだ),米国大統領候補ディック・マックガハンの演説がナチじみてくるくだりだとか(設定はともかく皆んなドイツ語で喋るからね),お風呂にアヒルちゃんを浮かべている幼児性だとか(そう云えば「今そこにある危機」の大統領のデスクにはキャンディーの壜がででんと居座っていたなァ),売笑宿の描写だとかにドイツ人のオレ的アメリカが濃厚に反映されているので,そうしたアメリカ探しもまた愉し,だった。マカロニ刑事の「清濁併せ呑むこそ神の御心だぞ」みたいな演説の向こうで,カラードや売笑婦が天使になって神々しく光を放っていたのも,後世に残る名場面といっていい。他にもドクター・ボリス・スミルノフのロシア同志的喋りとか。大傑作などと云うつもりは決して無いが,意外にしっかりとした作りこみにも好感が持てたし,これは悪くない珍味だと思う。
「面白かったですゥ」と語る野坂医師的にも充分満足の一作なのだった。

パンフレットは小売されている小型コンドームケースを模してあって,意図は分かるが,18禁なつくりである。しかもコンパクト過ぎて,物持ちの悪い僕じゃすぐなくしてしまうから,購入は控える。金800円也。


 
7月3日()「百年の孤独」

これが「百年の孤独」である。尚,部屋が散らかっている事が偲ばれるが,笑って見逃して欲しい。 戸畑「鳥越酒店」に頼んでおいた「百年の孤独」が届いたというので取りに行く。
「百年の孤独」は宮崎の酒屋さん「黒木本店」が造っている知るひとぞ知る長期貯蔵大麦焼酎である。具体的には此処の大麦焼酎「なかなか」を3年間寝かせた古酒である。東京じゃ1本1万円以上で取引される希少酒で,こないだネット通販しているページでも7千円していた。「鳥越酒店」の奥さんによると「皇太子さまが一言美味しいって口にしちゃいましたからねえ」なのだそうだ。ちなみに直接酒蔵にも出入りしている此処での販売価格は3千円弱といった処か(勿論,事前予約しないと買えないのは一緒)。つくづく地の利は利用するものである。
勿論,僕自身は下戸であるから晩酌用ではない(家で晩酌するのなら,古酒でないだけだから「なかなか」がいいですよと勧められる。因みにこちらは1本900円弱。これまた瓶のデザインが「なかなか」佳い)。いつも可愛がっていただいている「あの方」への贈り物である。それといつも不義理をしている佐世保の山口さん(酒豪)にも同じく黒木本店の本格焼酎「爆弾ハナタレ」を買っていく。
余談だが,ハナタレとは,芋焼酎の醪を蒸留する際に蒸留機から最初に出てくるアルコール度数65度以上する初留部分の焼酎を云う。「ハナタレ」の語源が「初(はな)垂れる」から来ているのか「放たれる」から来ているのか,僕は知らないが,そこらへんの蘊蓄は今度酒造りの本職である稲田さんに訊いてみよう(そう云えば稲田さんに「百年の孤独」を買う話をしたら自分んちの酒を買えと喧伝されたことを告白しておく・笑)。

処で,焼酎の瓶を包んだ包み紙のラベルと,瓶の入った箱の蓋の縁には,伝説のサックス・プレイヤーエリック・ドルフィーの有名な警句が印刷されている。

When you hear music,after it's over,it's gone in the air.
You can never capture it again. ERIC DOLPHY

「音楽は宙へと去ってしまったら,もう二度と捕まえておくことなど叶わない」

とでも訳しておこうか。
ライヴこそ本懐,刹那至上主義なジャズ演奏の深淵を覗き見た者にだけ許されるようなこの言葉は,エリックのライヴ盤「LAST DATE(64年録音)」の中で彼自身が口にしているらしい。「らしい」と書いたのはこれが完璧な他人さまからの受け売りだから。ちなみにこのアルバムは彼の再晩年の作品でもある(ジャズ・フルートの真髄を聴かせているという名盤の誉れも高い1枚なので機会があったら是非聴いてみたい)。
版画家の黒木郁朝さんを中心にした木城や新富でジャズコンサートを主催するブレインの面々に,当の「黒木本店」の社長さんが加わっているという話なので,社長さんが相当なジャズ好きなのは疑うべくもない。酒と音楽,酒には音楽,音楽には酒,そして酒もまた永遠にはその舌の上に留めてはおけないという点で音楽に通ずるものがあると考えられたのだろうか。

こういう時,下戸である自分が少しだけもどかしい。
夜長に「なかなか」の盃でも傾け乍ら,エリック・ドルフィーの鳥の声に耳をすます事が出来たら素敵だろうに。


ひゃくねんのこどく【百年の孤独】

(1)G・ガルシア=マルケスの小説。ガルシア・マルケスはコロンビア出身のノーベル賞作家で現代ラテンアメリカ文学を代表する人物。コロンビアの何処かに或る幻の町マコンドで暮らす開拓者ブエンディーア一家の百年を描く。超現実的挿話が満載の或る種ファンタジーと呼んでいい小説だが,チェ・ゲバラを思わせる革命家(アウレリャーノ・ブエンディーア大佐)といった登場人物の激烈な性格はラテンアメリカの作家ならでは。日本では,鼓直の訳で新潮社より出版。これまた未読です。何だか読みにくそうなんだもの。

(2)EPOの楽曲(アルバム「Wica」(1992)に収録)。彼女の音楽を前期体育会系元気ポップス,後期アコースティック系ヒーリングポップスに大別すると,後期を代表する傑作と「僕が」断言する。勿論,(1)にインスパイアされて書いたことは想像に難くない。この曲が僕個人のフェイバリット・ソングだった理由から自分たちの披露宴でこれのピアノ演奏を頼んだが,見事に弾いて貰えなかった苦い思い出がある事を蛇足までに追記しておく。

(3)長期貯蔵大麦焼酎。「百年の孤独」は,大麦製の焼酎を長期貯蔵し熟成させることによって造り上げた本格焼酎の絶妙なる逸品です。貯蔵それる麦焼酎の原酒は,明治十八年創業以来受け継がれてきた百余年の伝統技術により,あくまでも手造りの麹と,選りすぐった大麦のみを原料とし,ホットスチルによる単式蒸留方式で造り上げます。そして,その原酒を長い間,静かにひっそりと眠り続けさせることによって,よりまろやかな,より風味豊かな焼酎へと熟成させていきます。それはまさに伝統の技術と永い時の流れが生み出した焼酎の傑作ともいえます。「百年の孤独」の琥珀色は,永い眠りの間に染み透った熟成によるものです。余分の色素を風味を損なわない濾過で取り除くことにより,あくまでも自然でさわやかな透明感をもった琥珀色をしています。「百年の孤独」の醍醐味をお愉しみ頂くには,ストレート、オンザ・ロックス,もしくは水割り50/50が最適です。(以上,長期貯蔵大麦焼酎「百年の孤独」パッケージより引用)


昨夜も今日も天気予報が云うほどに雨は激しくなかった(一日ぐずついた天気ではあったけれど)。
昨夜は大事を取ってレイトショウ行きを取りやめたというのに小雨しか降らなくて不謹慎だが少し悔しかった。
ロビンちゃんの天国・地獄行「奇蹟の輝き」とは相性が悪いのか,オレ。


 
7月2日(金)「さらば友よ」

昨日,告知した通り,引き続きA先生リサイクル・ネタ。
これまた書評ネタである。去年の4月頃「電網天動説」掲示板に書いた。
当時のログは現在では全てメンバー・オンリーの「部室」のアーカイヴに収められてしまったから,今回が本格的な外部への蔵出しといえる。
ま,云うほど大袈裟なものでもない。

647 さらば友よ 投稿者:くらた  投稿日:04月22日(水)12時14分15秒

今迄ずっと金額がネックで買わなかった藤子A先生の「愛…しりそめし頃…〜満賀道雄の青春」ですが,やはり帯のF先生追悼「さらば友よ」収録の惹句に負け,とうとう購入してしまいました。
やはりまず読んだのは特別篇として最后に収録された「さらば友よ」から。
ちなみに読了した本を,端から掠め取ったヨメもとりあえず其処*だけ*読んでた(涙)。

話は1996年9月22日,故・園山俊二の子息結婚披露宴の帰りに嫌な予感に襲われる処から,翌朝逝去の電話を受け取って,呆然とした頭の中で,「友」との長き半世紀を語るという総括的な内容で,グラフィティ過ぎてちょっと期待外れでした(そんなのは「まんが道」を読むからいい,とゆうか)。
尤も,内容の大部分が「まんが道」ピックアップ篇とは云え,出てくるのは満賀でも才野でもなく,安孫子先生自身であり藤本先生そのひとなので,こだわりなのでしょうか,各先生のキャラクターはリアル似顔ヴァージョンで,僕などはふと「劇画オバQ」を思い出してしまったのでした。勿論,あれはF先生の作だけれどさ。

新聞社に勤めるA先生と自宅でこつこつ「UTOPIA〜最後の世界大戦」を描くF先生(つまりメインライター)のエピソードは興味深かった。A先生は休日に仕上げを手伝ったに過ぎないことが示唆されてます。こういう誰も知り得ないようなF先生の手柄を手柄として語りべするA先生のスタンスは僕の先生を最も尊敬する処です。

弔問にF先生宅に伺った夜,初めてF先生の自宅の仕事場に足を踏み入れたA先生はF先生が倒れたその時のままの机を見て,「のび太のねじまき都市…」のアタリをとったまでの生原稿と,その上に転がる絶筆時の鉛筆と消しゴムの持つ「重さ」をきちんと拾い上げて,先生自身と読者の胸に深く深く刻んでくれます。
雑誌掲載から既に一年半近くの時間が経過しましたが,A先生は果たしてこの暗渠から這い出せたのでしょうか。ラストのコマのF先生の肖像は,実はA先生入魂の作なのかもしれません。

*****

しかし「さらば友よ」で思い出すのは,やはり役者としてチャールズ・ブロンソンが徹底的にアラン・ドロンを食いまくって,結果的に世界的なスターダムにのしあがった同名タイトルの映画「ADIEU L'AMI(68・仏)」です。
映画のラストシーンで,ドロンが擦れ違いざまにブロンソンの煙草に火を点けてあげるシーンがありますが,この作品は,F先生に,その資質の差から共同ユニット『藤子不二雄』を食われ続けて尚,彼の才能を認め,愛し,慕い続けたA先生から差し伸べられた最后のライターの火だったのでしょうか。でも,A先生は,そして僕らはもう二度とF先生のパイプから立ちのぼる煙を目にすることは出来ないのです。
願わくば,一度でいいから,F先生から見たA先生へのラブレターを,想いをかたちある何らかの作品として読んでみたかったな,と思うのです。それがA先生共々ちょっと口惜しい。

…何か,感傷的なテキストになっちゃったな。


えー,少しだけ加筆訂正(映画の原題とか)したけど,ほぼ原文通りである。
A先生ともども,というかA先生と一体化してF先生への恋心がほのかに垣間見える文章である,我乍ら。

戸畑サティにて,梶尾真治「クロノス・ジョウンターの伝説」(ソノラマ文庫NEXT)購入。
単行本時よりも書き下ろし「鈴谷樹里の軌跡」が追加されている。ファン泣かせの一冊だが,僕は初買いなのでほくほくである。


 
7月1日(木)「たのむよ和代氏、もう一度しゃべって」

今日は書評ネタ。
というか天動説10号会誌用ボツ稿なんだけれど,勿体無いので此処にあげておく。
日記的には非常にラクである(因みにオリジナル原稿は読了直后だから去年の6月になる)。

藤子不二雄(A)『たのむよ和代氏、もう一度しゃべって』(中央公論社)

 これは1986年大晦日に、安孫子素雄夫人・和代さんが脳内出血で倒れて左半身麻痺/失語症になってしまってからの安孫子家の闘病10年史であります。左半身麻痺で言語障害に到るケースは稀であり、奥さんの場合、かなり不幸なケースと云えます。

 ちなみにタイトルの「…和代氏…」、知らないひとのために説明しておきますが、藤本・安孫子両藤子先生は青年の砌、かの手塚治虫御大に初めて会った折りに、御大が、目下の者に「藤本氏、安孫子氏」と呼んでくれたことにいたく感激し、以後、藤子コンビの流布もあって、トキワ荘では「−−氏」という呼び方が慣例になっちゃったんですね。あろうことか、安孫ちゃんはそれを奥さんにまで適用してしまった(尤も、F先生が正子夫人を「正子氏」と呼んでいたかどうかまでは僕も知りません)。勿論奥さんは「素雄氏」とは呼ばず「素雄さん」と呼んでます(当たり前だ)。実はいちばん「−−氏」という呼び方にこだわっているのは安孫ちゃんひとりだって気がする。

 今回読むポイントとして最も重きを置いたのが『日記の行間から、後ろに見え隠れするF家との関係性を読み取る』でした。これはあくまで奥さんの闘病日記なので、藤子不二雄解散の経緯やF先生の体調がすぐれないことには直接触れられることはないのですが(同様に手塚先生や園山先生の訃報およびその周辺もさりげなくかわされている)一応発病当時はふたり藤子でしたし、お家もひとつ隔てた亜・隣家なので、いくらなんでも日記中のF家登場はあるよなァと、かなり期待しました。なにしろコンビと呼ばれる複雑な関係におけるプライベートというものはなかなか覗かせてもらえないので、こういう日記の公開はたいへんに貴重です。

 で、結論から申し上げます。「F先生は無口である」。
 和代氏が倒れてお正月三が日のうちには藤本夫妻は病院にかけつけています。実際、家族以外面会謝絶だということで、病室の外でずっと待っていたりという描写もありました。でも、日記中いつでも喋っているのは正子夫人。心配するにしても、泪をこぼすにしても、安孫ちゃんにいたわりの言葉をかけるにしても、べしゃり担当は皆ーんな正子夫人。
 F先生がいくら寡黙と云ったって、それにしても限度があるかと思うのですが、それにしても喋らない。A〜F間の日常、ココロの交流は何処にある。F先生が玉音を発せられるのは、本文中たったの二箇所。初めてお見舞い出来たあと、車中で「思ったより元気そうじゃない。あれなら大丈夫だよ」と安孫ちゃんを励ます場面と人間ドッグを受ける朝、安孫子邸に「時間だよ」と電話を入れる場面のみ。ふたりの交流を赤裸々に描くのに照れがあるのか,目と目で通じ合うそうゆう仲になっているのか。

 でもね、ちゃあんと奥さんが倒れた直後のF先生の娘の成人式にも真珠のネックレスを持って、欠かさず馳せ参じる安孫ちゃんや、それを慰めるF先生のお母様(映画で帽子を気にしてた桃井かおりですね)に正子さん、そして「こんな時だからこそおめでたいことは徹底して…」と笑ってみせる安孫ちゃんに両家のあたたかい交流を垣間見ました。正子さんはこのあとも個人的に度々和代氏を見舞いに行くくだりが出てきます。

 処で、安孫ちゃんのF先生への想いが顕著な部分として、九五年の日記中、市川準「トキワ荘の青春」のパンフレットを夫婦で眺める場面で仲間が未だに現役で活躍していることへの感慨を語って

「石森、赤塚、つのだ各氏はそれだけの才能があったからだけど…。
 僕の場合は藤本氏がいてくれたからこそだものな」

 と、誰ひとり突っ込めないようなことを云っておいて、感謝を込めて、藤本家に向かって手を合わせるシーンがあったりします。しかも奥さんまで一緒に手を合わせてる(奥さんのよき理解者振りが出ています)。安孫ちゃん、ああいう活写には、照れがないのね。尤も、当時F先生の容態が芳しくないことがこの背景にあったのかもしれませんが。

 と、何か、既に当初の予定分量を超過しているので軽くしか触れないけれども、この本では遅れ気味の仕事に自戒しつつ、妻にこうべを垂れつつ、ビデオを観たり、ゴルフに行ったりする安孫ちゃんの社会不適格者としての一〇年も充分堪能できます。なんだかちーとも大人じゃなくて(しかも年齢にして五〇代前半〜六〇代前半の一〇年なのに)、読んでて、無邪気に奥さんへの依存心の強い部分とか思い当たる部分が多すぎて、良心が痛んで、思わず自分のヨメさんの背中にお詫びをしたくなるような日記でした(しかし持続しない謝意なのだな、これが…)。

久々に読み返すと,知らず知らず「僕の」(とりわけ,対F先生との関係性における)A先生観が滲み出ているなあ。
あ,そう云えば,かつてSF研の掲示板でもっと滲み出た文章を書いた覚えがある。
この次はそれを紹介します(これでまたラクが出来る)。



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