7月のにっき(2)

人間はいろんな資質を持って生まれてくるけれど、所詮死ぬために生きてる。
我々の命は死ぬ方へ向かってる。
それを肯定的に捉えるか否定的に捉えるかっていうことで、
大きく人の人生観は変わっていく。

さだまさし

7月20日() ひねもすのたり松太郎
7月19日(月) 社外セミナー始まる
7月18日() 夢を求めてどんどこしょ
7月17日() ヤマハCD-RWを買う
7月15日(木) FF7はタイ語の夢を見るか
7月14日(水) ドア一枚で愛を測るひと
7月13日(火) 「天動説10号」原稿入稿
7月12日(月) しかし友よ、それは冒す値打ちのある冒険なのだ
7月11日() H口邸棟上げ式


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7月20日()「ひねもすのたり松太郎」

今日は「海の日」。とは云うものの先の週末,出ずっぱりだったので家で寛ぐ事にする。
昼間は冷房の効いた部屋でちんたらとマーチン・ガードナー/市場泰男訳「奇妙な論理U」(教養文庫)を読破する。
これは「T」を読んだ時も感じた事だが,此処に書かれた,去年の話だと云われてもちーともおかしくない(原書が出たのは今からほぼ半世紀前の1952年)数々の愚行を持ってしても,ラマルキストは考えを改めるべきだと思ふ。十把ひとからげに論じてしまって誠に申し訳ないが,教典原理主義なんてもののお蔭で引き起こされた大量殺戮,迷信による深刻な差別が幾星霜を隔てても尚,人々を迷わせ,苦しめている事実を以ってしても,宗教の功罪は計り知れない。勿論,その存在の是非を問うているのではない。もしや,宗教の存在そのものこそが業(カルマ)なのでは無いかと途方に暮れているだけである。
そんな重い話をするつもりは毛頭無いので,本書からひとつイカれた精神治療法を紹介しておく。


LAの精神治療家フランシス・I・ルガルディ博士「げろ吐き精神治療」(断わっておくが,原書出版当時のトピックスである)。
博士に云わせれば「げろ反射の秘伝を授ける」事が患者の症状を好転させるらしい。以下,彼の論文「積極的精神治療」から抜粋する。

(前略)患者に、舌押し器と腎臓形の皿を使って、吐き戻してくれとたのむことである。
ふつうその患者は訳がわからず、かなり強く抵抗するだろう(僕註:当たり前だ)。治療師が今は知的な議論をしているひまはない、議論はあとでゆっくりやりましょうときっぱり言いわたすならば、たいていの患者は承諾するだろう。
(中略)ある人は上品に、デリケートに、音をたてずに吐く。これは例外なしに、最も扱いにくい患者だ。
(中略)こういう人は、音を立て、不快や嫌気をかくすことなしに、たっぷり吐きもどすようになるよう、治療師が激励する必要がある。(後略)

半世紀前の話でしょ,なんて決して笑って済ませられない。今もはびこる民間療法は多かれ少なかれ,この類のもののままだし,とりわけ精神治療の分野なんて「一部に」根拠を持たない慣習がまかりとおっているトンデモ最后の聖域でもある。
話はまるで脱線するが,科学的根拠が薄弱という点においては,あの大フロイトですら何十年か後には間違いなく「と」のレッテルを貼られてしまうと約束できる。「肛門期」だとか何とかって分析も結局はあのひとの信念以外に何ら根拠はないんだからね。
博士だけに「吐かせ」の技術には長けていて…て,まるで笑えないオチで恐縮だが,この本はこのテのテクストに事欠かないのでネタ本にどうぞ。

夕食のあと,奥さんと連れ立って軽く書店めぐり。
本当の目的は「演劇ぶっく」で三谷さんのロングインタビューを立ち読みする事にあったが,訪ねた2軒とも当の雑誌を置いておらず(泣)。
最初の本屋で宮本輝「胸の香り」(文春文庫),2軒目でいしいひさいち「となりの山田くん全集1」(徳間書店)藤子・F・不二雄「てんとう虫コミックススペシャル ドラえもんカラー作品集 第1巻」(小学館),それに「シティ情報ふくおか」
此処で特筆すべきは,やはり藤子・F・不二雄「ドラえもんカラー作品集 第1巻」(小学館)だろう。小学館のサイトで先から発売予定は聞いていたが,藤子ファンにはまさに会心の一打とでも云うべき一冊。てんとう虫コミックス未収録のとりわけ低学年(小学一,二年生)誌のカラー7ページものばかりを集め,初掲載時と同様にカラー収録した,まさに小学館ドラえもんルームの侠気を感じさせる(女性スタッフがいらしたらごめんなさい)逸品である。しかも巻末に「続巻にも、ぜひご期待ください」とある。本当に期待しちゃっていいんだね。おくづけの初版発行日が1999年9月3日なのも泣かせる処。ただ慾を云えば,1,2巻を連続で8月5日(のび太の誕生日),9月3日と続けて出して欲しかった。いや,やはり記念すべきシリーズの一冊目はドラえもんの誕生日にしておくべきか。
帰宅してから,「山田くん」そっちのけで夫婦で奪い合うようにして読む。


 
7月19日(月)「社外セミナー始まる」

今日,明後日,それから来週の月・水とVisualBasicの社外セミナー。
この忙しい時期に通る訳もなかろうと申し込みだけしておいたらあっさり受講可になってしまったので,我乍ら呆れ返る。実は来月末にも2講座8日間のカリキュラムを申し込んでしまっており…丁度その頃は切羽詰まったシステム切替なんかで非常に忙しい筈なのだが,今更反故にも出来ないしィ,まあ,どうにかなるだろう。と前向きに思考停止する。
セミナーは雇用促進センター主催のものなので,教室には老若男女さまざまな境遇のひとが集まった。同じ会社の人間は僕を含めて3人だが,教室の前半分をおばちゃん3人とおねえちゃん2人(つったって年の頃は僕と同い年くらいか)が占拠し,あとは50がらみのおじさんが1人と20代後半から30代の範疇におさまるおにーさんが4,5人と云った処か。
先生は腰の低い,モノのわかったひとで教え方も申し分ないのだが,問題は生徒間の能力格差が甚だしい事である。特に教室前半分の女性陣はひとめで判るビギナーで,贔屓目に見積もってもパソコンを触り始めておそらくまだ一ヶ月とは経っていない集団らしく,彼女らの連帯は強いものの,ビデオデッキの操作を習いに来ているような,駄目でもともとよ,あんた(大笑い)的なノリに大いに腰が引ける。

「はい,今の処でわかんなかったひとォ?」
間髪も入れず,最前列の黄色い声と黄土色の声が一斉に「はぁい!」みたいな。
という訳で,本日は300ページあるテキストのうち20ページしか進まなかった。単純計算してもあと14コマの授業は必要である。仕事を放り出してきている身としては非常に心苦しいものがあるが,「んな事,気にするなィ」と一緒に受講している同僚のYさんに一蹴され,気にしない事にする。今週については金土のみ出勤という事で,まあええがな。
とりあえず,明日はおやすみだ。

夜は中間にてレイトショウ。「ホーホケキョ となりの山田くん(99・日)」


 
7月18日()「夢を求めてどんどこしょ」

昨夜,突然降って湧いた仕事を早朝から片付けて,今日も今日とて福岡へ。
親父んちで落ち合って,昨夜から面接がらみで来ている次妹も誘って,ひと月遅れの「父の日」をやりに「キハチ福岡店」でランチ。今回もかーさんを呼べず(だって宇佐だもん),ちょっち申し訳なく思う。

その帰り,嫌がらせのように,お泊り保育(このせいで彼女は「キハチ」に行けなかった)から帰宅直後の長妹のマンションに寄って,用事も無いのに彼女を拾う。親父に米に肉に魚と,闇市のように買い物をしてもらい,充分ランチの元を取ってから(多謝)親父宅で皆に「ハイビジョンときめきワイド」より「納豆や」のくだりを見せる。そうこうしているうちに次妹は大分行きのバスで帰り,僕ら夫婦も次の約束があるので,拾って1時間程しか経ってはいないと云うのにぶつぶつとボヤく長妹を送って,それからとんくん邸へ。
妹を送る車中,明日「となりの山田くん」を観るつもりなんだという話題から,いつか「おじゃまんが山田くん」のOPが山本正之作だというネタに移り,ついには妹がかの歌詞の「夢を求めて今度こそ〜 OH,MY LIFE」を「夢を求めてどんどこしょ〜」と間違えて憶えていた事が判明して,夫婦で大ウケする。
それじゃ「ずいずいずっころばし,ごまみそずい」ではないか。かように子供の頃の思い込みは如何ともしがたく,極めて楽しい。しかし彼女は事実を把握して尚「でも,あれはどんどこしょじゃなきゃはまらないよ」と譲らないのだった。ひとまず,奥さんは大喜びしていた。
かくいう僕だって崎谷健次郎のある楽曲にゲスト・フィメール・ヴォイスとして参加した種ともこが間奏で「ビートルズは好きだよ」と呟いているのを,種ともこメーリングリストで指摘を受けるまで,ずっと「ピクルスは…好きだよ」と告白しているものとばかり思っていたから,あまり偉そうな事は云えない。尤も,これは余りに選曲がマニアックだった為,披露したくても分かってくれるひとも笑ってくれるひともいないというのが,このケースのやや難な処である。でも一旦「ピクルス」って聴いちゃったら,もうそうとしか聴こえない。僕はアレを聴く度,その脳裏に昔観た「ルーシー・ショウ」でピクルスのCMに出演しなければならなくなったルーシーが久本雅美みたいなピクルスの着ぐるみをかぶって半ベソをかき乍らステップを踏んでいたシーンが鮮やかに蘇ってしまう。インプリンティングされてしまったものは仕方がない。

3年振りの早和子ちゃんはたいそう可愛くたいそうやんちゃに成長しており,いっときたりとも黙るという事をしない(笑)。おかあさんたる和香子さんは来週から始まる夏休みに暗澹としていたが,1歳足らずの男の子の面倒を見つつ,このいとおしき怪獣をも迎撃しなければならないのだから心中お察し申し上げる。…ま,どうせ,明日は我が身だ。
「ハイビジョンときめきワイド」のダビング作業と,来週末に用意する披露興行の打ち合わせ,それとこれが肝腎なのだが,和香子さん所有の,小田和正・武田鉄矢ラインを繋ぐオフコース「Movie The Best Year of My Life」のLD借り受け(こんな事書いたらとんくんに怒られるかな)。此処には「緑の街」のビデオがある事も判明したし,また時を置かずにお邪魔せねばなるまい(これ)。


 
7月17日()「ヤマハCD-RWを買う」

そぼ降る雨の中,一路福岡へ。
奥さんを引っ張って半ば強制的に,「動員的にちょっと苦戦中と不穏なウワサのある」シネリーブル博多駅のヒッチコック特集「めまい(58・米)」を観る。先週の「サイコ」は別府行の為に泣いた経緯があるので,せめて残りの5作については皆勤賞を狙いたい処。今年になって福岡に到来したこの名画ラッシュを見逃すテはない。
肝腎の映画だが,スリラー嫌いの奥さんにも好評の様子。キム・ノヴァクのぶっとい描き眉パワー炸裂,二の腕のたくましさと云い,コルセットで無理無理にしめつけたウエストライン以外隠すべくもない全身のヴォリュームと云い,現在云う処の美人の条件とはかなり違うとは云え,これもまた美人のひとつのかたち。キム・ベイシンガー似(奥さんは鈴木京香似と評した)のもうひとりのヒロイン,バーバラ・ベル・ゲデスの決して美人ではないけれど,眼鏡の奥から匂い立つ女性のキュートさも記憶に留めておきたい。
映画館を出た後,先週,入荷したので取りに来やがれと電話のあったマーチン・ガードナー/市場泰男訳「奇妙な論理U」(教養文庫)を買いに紀伊国屋書店へ。ついでに奥さんが「Shade debut オブジェクト作成ガイド」(工学社)をさんざん大騒ぎして求める。

天神に移動するが,時間的都合で当初予定していた「回転てんぷら屋」はまたにして「ココイチ」でカレーを食べた後,今にも泣き出しそうな空に不安を感じつつも(ウチのうっかりやさんは傘を忘れてきた。勿論,僕は持ってまいりました!)奥さんはビッグカメラへ,僕はKBCシネマへと二手に分かれる。
「54 フィフティ・フォー(98・米)」。セレブ渦巻く有名ディスコ「スタジオ54」のすったもんだ。

映画館を出ると見事な雨模様。待ち合わせたサンリオショップ(泣)にあらわれた奥さんは自分の身に余る紙袋を下げて登場。ヤマハCD-RW35000円,ケーブルをサービス付。WinCDRがついてて,内蔵ものと同じ値段だったので選んだのはいいとして,この雨の中,どうやってKBC駐車場まで行けと?
傘はさせないわ,ブツは重いわ,勿論濡らせないわ,駐車場までの道程はたいそう苦難に満ちておりましたとも。

夜,テストも兼ねて早速明日会う次妹のためにマッキーの「cicada」を焼く。
Aさんより電話。明日の朝,突然出社が決定するが,ま,どうにかする。


 
7月15日(木)「FF7はタイ語の夢を見るか」

もう先月のことになるが,バンコクで念願のFF7を買ったものの日本語が読めずにゲームをプレイ出来ないのを苦にした男の子が「生まれ変わったら日本のゲームソフトのプログラマーになります」と書き置きを残して命を絶ったそうである。
日本ヲタクのゲーマーが言葉の壁に儚んで自殺…手許にゲームソフトがあるのに,自分の語学努力無しには一生お預けを食うショックは分からんでもないが,それならそれで来世を選ばずにどうして日本語の勉強を選べんのかと溜息のひとつもつきたくなる。別に生まれ変わらずとも,大人になって日本のゲームソフトのプログラマーにはなれるのだ。少なくともプレステを買えるほどの家庭ならば,ゲームが出来るくらいに日本語をマスターするのが不可能な経済事情だとは到底思えない。去年,会社関係でタイ人留学生と暫くつきあっていただけに妙に他人事じゃないんだよなァ。
不遜だけど彼が此処まで思い詰めたロジックには非常に興味があります。彼は何故死ななければならなかったのか。努力のために費やす時間さえ惜しまなければ,やり直せない,どうしようもないと悲観する要素が何処にもなかったのだから。

夜うとうとしていると,とんくんから電話。
宇佐での桂平治真打披露興行の日程が正式に決まったそうである。一時は頓挫しかかってたのが不死鳥の如く蘇ったようだ。
明日にも正式に「平さんがゆく!」のトップページで告知するが,1999年10月24日(日)ウサノピアにて。
前日の23日(土)は院内町で興行だから,大分の「しかも」地方都市の2days。なかなか豪気な試みなので,皆さんの惜しみない応援だけが頼りです。
こないだの電話の時に和香子さんにお願いしておいた小田和正の武田鉄矢物件,LDでありとの返事を貰う。いや,小田さん初監督のプロモーションビデオ「緑の日々」(武田さんは何故だか神様役で出演している)なのだが,訊いてはみるものである。
という事で「ハイビジョンときめきワイド」のビデオもあるので,次の日曜はとんくんちへお邪魔する事に確定。
やっさんの真打披露興行の話が入ってからとんくんときちんと会うのは実に4月の披露パーティー以来だったりして。

**奥さんのウルトラクリーナー試用レポート**

あのTVショッピングでやってる、油もカンタンにおちるとか言ってるアレです。とはいっても類似品の「万能クリーナー」というヤツ。
近所のダイエーで売ってたので買ってきて試してみたところ、これがおもしろいくらい。築ン十年の汚れもみるみるとれる。で雑巾も洗ったあとベタつかない。これはすごい!
おかげで掃除のキライな私が、つい夢中になってしまい、気が付いたら6時間たってました。(^^;
TVショッピングを見ながら「ホントかいな」と思ってるあなた、少なくともこのクリームに限ってはホントです。是非おためしあれ。


 
7月14日(水)「ドア一枚で愛を測るひと」

今年の正月,実家に帰省中の車の中で聴いたFM番組の話。
それは若手声優たちの新年パーティーという設定で,現役アニメファンを退いて久しいロートルの僕などは名前も知らない声優しゃべりのひとたち(あたりまえだ)がとっかえひっかえ新年の抱負や内輪話をするというものだったのだが,その中で夫婦(新婚)共に声優をやっているらしい声優さん(夫)の家庭生活の告白は,僕にはかなりのカルチャーショックであった。断っておくが下のハナシである。
彼の奥さん(キャピ声専門の声優)はトイレに入る時,ドアを開け放つというのだ。
閉所恐怖症のひとの中にはトイレのドアを閉められないひともいるらしいから,此処までなら呆れはするが驚きはしない。問題は彼女がドアを開け「放つ」事とトイレの外にいる旦那に自分の顔を見ているよう強要する事である。別にこれはヘンな性癖の話ではない。きわめて夫婦の間のプライバシーであるとは云え,あくまでもデリケートな彼女の愛のスタンスの話らしいのである。いっときも離れたくない,がトイレの中まで続くと思えばいい。しかも彼女はそれを強行している。
…絶句するしかないでしょ。少なくとも僕が彼女の旦那なら,これは相当の苦痛である。
たとえば,あなたは彼女(彼)が排便のためにいきむ顔を見ていたいか。或いは自分がいきみ乍ら,彼女(彼)の顔を正視していられるか。ドアを開け放ってりゃ,そりゃ音だって匂いだって包み隠さず伝わってしまう。恋愛とか安堵感以前にニンゲンとしての尊厳が奪われた気にはならないか。ひとの排便がバリアフリーになってしまう処と云って真っ先に思いつくのは,刑務所や収容所である。繰り返すが,決して彼女にそういう「性癖」があるという話ではないのである。ただ彼女はそうする事で排便の羞恥にまさる充足を感じるひとなのだ。それにしても,彼女はこれまでの恋愛史においてもずっとそうだったのだろうか(何しろライフスタイルなのだから,そうだったのだろう)。だとすると旦那の心境はフクザツだよなァ(下司の勘ぐり)。

それと逆のタイプが三谷幸喜夫妻(こちらの例はうんとノーマルである)。
たぶん,阿川佐知子との対談で読んだのだと思うが,聡美夫人がふたりしか住んでいない家のトイレのドアにいちいち鍵をかけている事を知った三谷さんが「そんなに僕が信用できないのか」と怒った(というか拗ねた)話。
この件については,僕は小林聡美擁護派である。僕もトイレの鍵をかけないと落ち着かないひとなので。
聡美夫人は別に旦那がよく確かめもせずにドアを開けると困るからと,不信を募らせて鍵をかけていた訳ではないと断言する。彼女は実家にいた頃から「施錠主義」だったに相違ないのだ。排泄という不安定な行為の前には,外界との隔絶が精神の安定にいちばん寄与するのである。弱肉強食に戦々恐々としていた太古の昔,僕らは排便中に襲われたらひとたまりもなかった。そしてそれが文明を築く過程で「恥」の感覚と結びついてゆく。だから云わせてもらえば,これはフォビアだ,本能の残滓なのだ。三谷さんにもそこは理解して欲しかったなァ(その後,聡美夫人はオットをたてて施錠しなくなったそうである。信用出来ないのかって云われちゃあねえ…それは三谷さんが狡いと思うな)。

たかだかトイレのドア一枚が愛のバロメーターになる事もある。
ちなみに我が家では断じてならない。なるものか。


親父に電話。この週末の食事会について。
結局はランチになったが,天神の「キハチ」に行くのは久々なのでそれはそれで楽しみである。


 
7月13日(火)「『天動説10号』原稿入稿」

はっきり云えば瀬戸口くんの「ひとりぼっちの宇宙戦争」的奮闘によって,無事に「天動説10号」原稿入稿が完了した。
これはもっとSF研OB一同褒め称えるべき快挙なのだが,それは来月上旬に製本が出来あがってきてからおいおい皆のレバーに効いてくると信じる。好事家ならではのパワーが炸裂したのは確かだが,あの編集完成度の高さに皆もっと驚嘆すべきである。その一端は電網天動説のPDF図書館で垣間見ることが出来るので,ココロあるひとは急いで欲しい。そして,もっとココロあるひとは「『天動説10号』買ってみてもいいよ」メールをこちらまで。玄人はだしのテクと素人衆ならではの初々しいあそびゴコロがブレンドしたなかなかの本に仕上がっているんで,どうぞよろしく。
僕個人の心残りと云えば,宿題だった挿絵/イラストの類が全滅だったこと。テキストはどうにかでっちあげて納期に間に合わせてみたものの,絵ばかりはちょちょいとは描けなかった。これはそのまま次回への課題にも繋がる。

遅れ馳せ乍ら,録画にて7月8日放送ぶんの「ハイビジョンときめきワイド」鑑賞。
いや,いいね,この桂平治は。というか,これが皆様の目に届かないのは勿体無いと云うしかない。地上波もしくはBSで再放送を希望したいくらいである。高座をしつらえたキャスターの揺れも何のその,客無しをものともせずに熱演した「納豆や」は爆笑ものだったし,後に続くトークのフットワークも軽かった。
プロデューサーの菅山さんとやりとりした『納豆屋』→『納豆や』のテロップ表記(文治師匠によると,同じ商いでも,個人が売り歩く商いは『や』で店を構える商いは『屋』と表すべきなのだそうだ)や前座名のがた治のテロップ表記などを見るにつけ,自分たちの声が番組に活かされているのを見ると実に照れくさくて,実に嬉しい。これは不思議な感覚である。
尚,番組については菅山さん自らが「手紙無筆」に詳細なレポートを寄せてくださっているので,そちらも是非読んでいただきたい。
しかし,木部先生(僕らの高校時代の担任)もまさか自分の名前がハイビジョン番組の紙芝居に出てるとは思わないだろうなあ。しかも,全然似てないの(笑)。

早速,やっさんに電話して番組を大絶賛する。だってとにかく良かったんだもの。

「処でVTR出演してた文治師匠だけど,あれは師匠のお宅?」
「いや,何かNHKのひとに何処とか云うどぜう屋に招ばれたらしいよ」

以上,番組裏話でした(とは云え,番組自体が皆んなの目に触れてないからなァ。…くうっ)。


北村薫「謎物語 あるいは物語の謎」(中公文庫)読了。
これは本読みにとっての,バイブルになりそうな予感。

様々な立場から見た名作がある。それだけミステリは幅が広いのだ。ミステリの名作もそれだけ多くある事になる。
わたしが狭い窓から見ている何倍も。何と豊かなのだろう。


このコトバは至言である。
ミステリ文学映画音楽に置き換えてみるとよく分かる。ちょっとした解釈・意見の違いでさえ即フレーム戦争に発展するせちがらいネット界においてこそ,「解釈の差異」を「物語の内包する豊かさ」と云い換える北村さんの「ゆたかさ」と前のめりの姿勢だけは忘れないでおきたい。


 
7月12日(月)「しかし友よ、それは冒す値打ちのある冒険なのだ」

朝,H口さんから「昨日はどうも」と棟上げの内祝いをいただく。
餅を拾いに行って,更に大きな紅白餅セットを貰ってるんだから世話ァ無い。どうもありがとうございました。

北村薫「謎物語 あるいは物語の謎」(中公文庫)読書中。
本格ミステリィにまつわるエッセイというか指南の書。解説がわりについている宮部みゆきの援護射撃ではないが,「おしゃべりではない話し上手」北村さんの派手さに囚われずにあくまでもハートウォームに論理的に読者をかきくどくテクの確かさに舌を巻く。第一級の推理作家であり乍ら決して殺人を扱わない美学がなにものであるかが少しだけ見える気がする。

夜,尼子夫妻からお礼の電話。新婚旅行は暫しお預けの模様。
それにつけても引き菓子はボンサンクに限る。


 
7月11日()「H口邸棟上げ式」

H口さんちが棟上げだと云うので,大慌てで宇佐から引き返してくる。
とりわけ名古屋出身の奥さんには棟上げ式における「餅撒き」は未知の風習である。結婚の時の菓子撒きはあっても,家を建てる時の餅撒きなんて聞いた事がないそうだ。僕も彼女に云われるまで「餅撒き」がまさか九州ローカルだとは思っていなかった。しかも年々「餅撒き」をするお家は減っているそうで(うん。マンションでは絶対にやらない),確かに云われてみれば,僕が最后に餅を拾ったのは中学の頃だったような気がする。
10分程前に現地に到着すると,あたりは既に近所のひとがごった返していた。H口邸は川沿いの道路に面していて,川向こうの道路にもひとびとが待ち構えている。H口さんが云うには此処の川も6月はほたるが乱舞とのこと。近くにある小学校の生徒達の幼虫放流といった努力の賜物らしいが,窓を開けるとほたるが飛び込んでくるなんて何とも羨ましい限りである。

H口邸は二世帯住宅という事もあるが,非常に立派な構えである。2階で大工さんの指示を聞くH口さんの細い身体がひどく頼もしく見える。
いわゆる「昼間のパパは男だぜ((c)忌野清志郎)」というヤツである。
集まったひとが手に手に袋を携えているのに(餅を拾うんだから当たり前だ),ウチの奥さんだけがデジカメを構え,小脇にティアラを抱えている。犬山の実家に九州餅撒き事情を報告する報道カメラマンとしての使命に燃えているのである。腰を低く見構えた背中を眺め乍ら,つい噴き出しそうになる。
と,僕に気付いたH口さんが大きく両手を振ってくれる。

ウチの奥さんがH口さんの奥さんに挨拶すると「あ、あの倉田さん。お話はかねがね」と会心の笑みを浮かべられたそうである。
H口さんはかねがね僕ら夫婦のどんな話をしているのだろうかと夫婦して心配になる。
餅撒き直前になってAさんと合流。もうすぐ2歳のゆりあちゃんも見ないうちに随分大きくなった。お父さんに「おにいちゃんにご挨拶は」と訊かれると,彼女の本当のおにいちゃんである塁くんを指差した(わはははは)。赤ちゃんにとって30過ぎの僕がおにいちゃんに見える筈が無い。ウチの奥さんなら間違いなくおねえちゃんに見えるが。一所懸命に舌足らずの「コンニチワ」を繰り返す下ぶくれのほっぺが無闇矢鱈に可愛い。人差し指で突付きたい欲望を押さえ込むのにひどく苦労する(ばか)。

で,今日の日にために特別に組織された棟上げタスクフォースのおじちゃんたち(全員ほろ酔いモード。H口さんの話によると見る間にビールが無くなったそうである。勿論,餅撒きの前に,である)が威勢良く餅を撒く撒く菓子を撒く。ぱらぱらと音を立てて道に散らばる紅白の餅とこんぺいとうの袋とチョコレート。川向こうを越えられなかった餅が川に浮く浮く菓子も浮く。あっという間のイヴェントだったけれど,奥さんは存分に堪能したので,お邪魔した甲斐があった。無論,H口一家の勇姿も目に焼きついた。とりわけH口さんは「昼間のパパ」であり「男」であった。9月半ばになるH口邸の完成が今から待ち遠しい。


夜はやっさんと電話。暮れの寂光院出演依頼の件。
NHKに打診はしたけれど12月のスケジュールがまだ見えないと返答されたので,今月末まで待って欲しいとの返事。最悪,やっさんのスケジュールが押さえられない時は先輩か友達を紹介してもらえないかと先手だけ打っておく。ひとまず明日,松平さんにはそのように伝える事にする。やっさんに白羽の矢を立ててのご依頼だったから,出来れば何とかなればいい。犬山で桂平治が落語するのって,僕ら夫婦的にはかなり画期的で素敵な事なのだ。

夜更けにとんくんから電話。やっさんの宇佐での真打披露の件。
話を聞くに,取り巻く状況は色々と厳しい。とんくんは背水の陣で臨む覚悟である。
で,要件は「そろそろおまえもこの陣に加われ」という本格的参戦要請である。
ま,今まで本格的に参戦していないオレが悪い。とりあえず色々と奥さんに甘えることにする。



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