7月のにっき(3)

単にすべてのDNAの配列が確定されたというだけでは、
人間についてすべてのことがわかるようになったということにはならない。
ベートーベンのソナタの音符を調べ上げたからといって、
それを演奏できるわけではないのと同じである。

Chiristopher Wills「EXONS,INTRONS,AND TALKING GENES (1991)」

7月29日(木)  
7月28日(水) クロノス・ジョウンターの伝説
7月27日(火) 洗濯機は俺にまかせろ
7月26日(月) 風の底
7月25日() 日帰り宇佐行
7月24日() 玉虫色のおもひで
7月23日(金) 申し訳ございません
7月22日(木) 虫愛でる姫君
7月21日(水) 胸の香り


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7月29日(木)「 」

**奥さんのネット懸賞日記**本日の戦果

一、マウスパッド  Airnet


 
7月28日(水)「クロノス・ジョウンターの伝説」

今日で先週から続いた社外研修「Windows98プログラミング(初級)」がようやく終了。
来週からは,月・水・金とゴミ出し日の如く「中級篇」が始まる。VBへの旅はまだ続く。まだまだ続く。

処で,お昼休みを利用して,梶尾真治「クロノス・ジョウンターの伝説」(ソノラマ文庫NEXT)読了。
物質過去射出機(クロノス・カウンター)を巡る,3篇の時間テーマでお送りする大上段でお送りするピュア・ラヴ・ストーリー連作。
物語は全て恋人たちの《出逢い》から描く為(しかも恋に手馴れていないひとたちばかりな為),かなり面映い描写満載で,且つ梶尾さんがみずみずしい恋愛のくだりに対して文体が初々しいというか,何処となくぎこちないので,読み手がはらはらさせられるが,やっぱりうれしはずかし系は臆面も無く描くのが正攻法で,伏線として張り巡らされた,時間旅行に課されたさまざまな制約の活かし方もストーリーテラーとしての面目躍如で,いやあ,ええ話読ませてもらいましたみたいな。誰にでも自信を持ってお薦めする一冊であると云っておく。
2話目の「布川輝良の軌跡」は交通手段はともかくその着地点が,今度自分が「天動説」用に用意している「フローズン・パパ」という物語に酷似しそうだったのでヒヤリとしたが,どうにか最後の最後で脇道に曲がってくれていてほっとする。尤も時間テーマで恋愛を描こうとすれば,其処で得られるカタルシスにそうそうヴァリエーションがある訳も無く,如何に自分の切り口と筆致で勝負するかにかかっている。それはミステリにおけるドラマとトリックの関係と同様であると云っていい。要は「布川輝良の軌跡」を読んだひとをも面白がらせるものが書ければ良い訳で…て,こりゃ大変だ。

この日記を書いている最中にとんくんから電話。
やっさんの奉納落語のネタが円朝作「死神」に決まって,尚且つその記事が読売新聞大分版の今日付けの夕刊に載ったとのこと。仕事,早いなあ。
円朝の命日の八月十一日,お墓のある全生庵(東京・谷中)で協会と芸協が唯一“呉越同舟”で行う円朝祭りから取ったか。
そのへんはやっさんに訊いてみないと分からない。
よし,次々回の「噺の穴」「死神」で決まりだ(因みに次回は「青菜」です)。

**奥さんのLinux日記**

前回のLinux日記から随分間があいた。その間ナニをしてたかっていうと、イヤになって投げ出してました。(^^;
今回再開するにあたって、何をどれだけいじりたおしてたのかワカンナくなってたので、結局、再インストールして、SambaとApacheを立ち上げた。
Apacheは立ちあがった(らしい)。隣のPCのブラウザからIPアドレスで見ると(まだDNSサーバの設定は手付かず)ちゃんと設定したホームページが見える!バンザーイ!
……しかし、あくまでもネットワークの中側でのハナシで、他所から同じようにしても見えない。ここんとこは一旦棚上げしてまた後日。でも他所からPingコマンドはとおるんだよなぁ。このへん勉強しないとよくわかんない。
Sambaも立ちあがった(らしい)。隣のWinの「ネットワークコンピュータ」のところにLinuxマシン名と(Samba Server)の文字が!しかも[Public]で指定したフォルダの中味も見える!バンザーイ!
……しかし(「しかし」ばっかりやんかー)フォルダへの書き込みができない。オカシイなぁ、smb.confの[Public]のところで、同じワークグループのPCはWriteができるように設定をしたハズなんだけど?
とりあえず明日からの課題はこれ。DNSサーバ……は、これが終わってからかなぁ。


 
7月27日(月)「洗濯機は俺にまかせろ」

夜は3時にK島さんから電話。会社から連絡であるJOBが3時間動きっぱなしだという。
社外研修が始まってからというもの,出勤日にはロクな事が起こらない。ついには出勤前からこれだ。
あーでもないこーでもないと相談して,「しゃーない,出勤しましょう」と着替えを済ませて靴を履いた処でJOB終了の連絡。何なんだよ,もー。
結局,目が冴えて5時くらいまで悶々としてしまった。

どうにか眠りにつくが,朝は奥さんの悲鳴で目が覚めた。
いやに静かだと思ったら,洗濯機が回ってくれてないと訴える。勿論,スイッチを入れ忘れたのとは違う。
結婚した時に買ったからまだ3年とたっていない。とりあえずデオデオを呼んで診てもらったら,モーターがいかれた訳ではなくってどうやら洗濯機を制御しているマイコンが機嫌を損ねたのではないかという事だった。勿論,普通ならまだ壊れる時期じゃないという。ひとまず見積もりを頼んだが値段の如何を問わずマイコン交換は必定のようである。ウチで直接交換出来るというらしいし。
結局,奥さんは一日の大半を手作業による洗濯に費やしたらしい。たまにスイッチを入れると,洗濯機がむずかるのをやめて回ってくれたりする時があるらしく,そんな時の彼女の喜びようと云ったらなかった。やはり,洗濯機と冷蔵庫は不可欠である。しみじみ。

昼間,やっさんから「噺の穴」のFAX原稿が届くが,これが文字壊れまくりで,「すわFAXもか」とあせったら,こちらはやっさんのFAXがむずかっていた。
最近送信途中でよくエラーが返ってくるらしく,今回もエラーが出たとのこと。「夜は旨く行くんだよね」と深夜リトライ。なるほど旨く行った。

それもこれも暑さのせいか。とにかく暑くて日記を書くのもままならないんだから(単なる云い訳)。

処で,ETV「イタリア語会話」山口もえはその素人臭さまで含めて実にかあいい。
ジロラモ・パンツェッタも沢山沢山手加減してる。それがまたいい。


 
7月26日(月)「風の底」

社外研修の昼休みを利用して,宮本輝「ひとたびはポプラに臥す(2)」読了。奥さん,早く次買ってくれ。
これは実際に輝さんがへろへろになって行ってきたシルクロード旅行記であり,こないだ読んだばかりの「草原の椅子」(こちらは小説)との類似点が多々あって面白いが,中でもさんざん生水に注意しているというのに一行全員が慢性下痢状態がおさまらないくだりが此処でも出てくる。酒かコーラかミネラルウォーター,或いは煮沸した水しか呑んでいないのにィと首をかしげる輝さんはシャワーを浴びながら「ユリイカ!」と膝を叩く。シャワー,歯磨き,洗顔で土地の水道水は否応無く身体の中にとりこまれてしまうではないかと得心するのである。

これはケニアに行って同様の下痢と軟便に悩まされた僕らにも思い当たるフシがある。僕らも決して水道水は口にしなかった。コカコーラを呑み,ファンタやスプライトを呑み(ケニアのファンタは現在の日本のそれとは違い,思い切りオレンジ色をしている。保育園くらいの頃,専ら瓶売りだった頃のファンタの色だ。此処では合成着色料がどーのという突き上げはまだ起きていないらしい)ヨーロッパ製のミネラルウォーターを呑んだ。それでも下痢或いは軟便が旅行から帰って来て1週間目くらいまで続いた(これは後で打ち明けたら当時同僚だったT井くんに「伝染病だったらどうするんですか」とさんざん叱られた。彼の新婚旅行ではどうだったのだろう)。
原因は色々考えた。水は呑まずとも,西瓜を始めさんざんケニアのおいしい果物や果汁100%のジュースを堪能したこと,大雨の翌日のスタックにティラミスみたいにやわらかくなった赤土の道路を,くるぶしまで浸かり乍らジープを押したこと。でも,お風呂や歯磨きってのは確かにあると思う。ちょっとくらい口に入ってもと油断したのが怪我の元,日本人の胃腸は予想を遥かに超えて脆弱だったに違いない。新婚旅行における僕ら夫婦の脆弱さについては,吐いて捨てるくらいエピソードがあるのだが,それはまた別の機会に譲ることにする。

さて,今日の日記タイトル「風の底」だが,敦煌の手前安西という地に実在する,自然発生した「夢の島」である。
以下,「ひとたびはポプラに臥す(2)」本文から引用する。
 甘粛省の北西は、祁連山脈と馬シュウ山に挟まれたゴビである。そのはるか北東にはシベリアがある。シベリアの冷たい空気は、祁連山脈と馬シュウ山のあいだのゴビという盆地に猛烈な勢いで流れ込む。なぜなら、冷たい空気は熱いところに移るという単純な物理現象が生じるからだ。この冷たい空気が、中国の北東部の都市のありとあらゆる紙屑、ビニール袋、軽いゴミ、汚物等々を、何千キロも離れた甘粛省の北西部へと飛ばしてしまう。
 《中略》昼の二時を廻ったころ、私たちは「風の底」に入った。
 シベリアから北東の風に乗って数千キロの旅をしてきたビニール袋、紙袋、新聞紙等々がゴビを覆っている。夜になって温度が下がると、いままさに天に浮遊したまま、地表の熱さで降下できないでいる夥しいゴミたちの落下が始まるという。そしてそれらの半分近くは、地表の温度とともに上昇し、甘粛省のいずこかへ散っていくのである。
荒涼たる礫漠の地平線まで続くまんべんなく散りばめられた紙屑の写真はコメントのつけようがない。
その余りに寓話的な光景は「銀河鉄道999」の何処かの停車駅に想像の産物として存在していなかったっけと錯覚させるに足る。

夜はとんくんとやっさんと愛ちゃんと電話。
事務的なネタも含めて色々と話す。


深夜の「総理と呼ばないで」回顧企画。最終話「最後のあいさつ」
ってそりゃ「古畑」ファースト・シーズンの大ラスである。つい,浮気をしてしまった。
「憶えておこう,モスラバーガーだな」の味ってのは長年,桃さんを演じた文太さんならではの,重厚と軽薄のギャップを楽しみたい。
いや,最后に優れたコメディリリーフの登場であった。とまれ木暮警視に乾杯!


 
7月25日()「日帰り宇佐行」

朝から宇佐へ「桂平治真打披露凱旋興行」の有志メンバーの顔見せ兼打合せ。
お昼過ぎに法教寺傍,川べりの喫茶店「和飲街道(わいんろーど)」の1階を借り切って,10余名が集う。
特に今回はとんくんが協力してもらっている準備会メンバーの皆さんに加え,「ハイビジョンときめきワイド」の「桂平治物語」にご本人の預かり知らぬ処で似ても似つかぬイラストで出演してしまった3年の担任だった木部先生(真打披露パーティーでもご一緒した)を含む同級生有志が集まったので,6〜7年前の同窓会以来の懐かしい面々と再会する。学生時代とは変わり果てたひぐっさんをさんざんからかうが,よく顧みれば,僕自身も充分「変わり果てて」おり,それを突っ込まなかったひぐっさんはオトナである(というか最高に人が好い)。

途中で飯余さんを始めとする院内3人娘も登場,打合せに華を添える(笑)。問題は彼女たちが趣旨を知らずに呼ばれて来ちゃったこと。
それでも来てくれるからそのフットワークの軽さはありがたいと云う他ない。
会議はあーだこーだと3時間続いた。尤も後半は本当にこの場で決めなきゃいけないの?って類のものだったんだけどね。
何にでも政治は必要だが,不必要に政治を弄ぶのは好かん。とりあえずそれだけだ。

4時半頃ようやく実家に戻って遅い昼食。ハハより今年漬けたての瓜漬けの樽をもらう。
僕に「故郷の味」なるものがあるとすれば,この瓜漬けこそはまさしくそれに違いない。
僕が保育園に通っていた頃のウチの店の大家さん「原のおばあちゃん」がこの瓜漬けの先代であり,ハハはおばあちゃんからこのレシピを受け継いだ。
猫のエサ臭い台所から見上げた,瓜の中身をこそぎとるのに使って造幣局から届いたばかりのようにぴかぴかに光った10円玉は今もビジュアルとして鮮明に僕の瞼の裏に残っている。さて,妹たちでも奥さんでもいいが,この瓜漬けを継いでくれるひとはいるのだろうか。
種ともこの「Sweet Home Sweet」みたいになったらちょっちイヤだな。

北九州に帰り着いたのは8時前。まあ,そんなもんだろう。
夜は久しぶりに長尾さんから電話。寂しいもの同士,愚にもつかない話に花を咲かせる。


 
7月24日()「玉虫色のおもひで」

百道にて大林監督の最新作「あの、夏の日 とんでろじいちゃん(99・日)」。これは僕の必須課目。
パヴェリアの初回にしては,客6割の入り。しかも小学生が比較的多数。いい傾向である。
小林桂樹,熱演。仏壇の前で白玉を頬張るシーンでは,結構な高齢だけについ安否を気遣ってしまったが,そのあと目が点になっている根岸季衣を尻目にベンガルと白玉合戦に移るくだりなどなかなかのバカさ加減。このあたりは大林監督ならではである。住職役の上田耕一もつるつるに頭を剃り上げての入れ込みよう。「アドレナリン・ドライブ」のやくざの親分が丸刈りなのは,この映画のあとに出演したせいなのだな。しかし,このひともオールマイティーな役者さんである。それにしても此頃,峰岸徹が大林組に顔を見せてくれないのが何とも淋しい。

処で,この映画には重要な小道具としてCG,実物両者取り揃えた玉虫が使われているのだが,パンフレットのプロダクションノートによると,撮影に入る前,玉虫なんて,メダカなどと同様に既に尾道から絶えて久しいと脅され,スタッフ一同青くなるシーンが出てくる。尾道どころか日本中の野山からとうに玉虫は居なくなっており,どうしても何とかしたいのなら,業者に頼んで,沖縄から1匹15万円で捕獲してくるしかない。しかもそれすら確約は出来ないと云われ,案じつつロケハンに行ってみれば,あっさりと玉虫が捕まって「玉虫が日本から居なくなったのではなく,ただ人間の目に映らなくなっただけなのだ」という慨嘆すべき現実にぶちあたるのである。いつのまにか玉虫も見分けられないほど日本人の目が節穴になったのだと。
僕が高校まで暮らしたのは大分県宇佐市というはっきり云って片田舎の草深い町であり,少なくとも子供の頃はメダカだってゲンゴロウだってタガメだってミズカマキリだって捕まえたし,カブトムシやクワガタやゴマダラカミキリにオニヤンマすら日常のように見たし獲ったものなのだが,実は僕も玉虫だけは数えるほどしか見たことがない。というか見事にたったの一回きりだ。それも中学に入ってから。子供の頃の僕は見事に両目共に2.0の節穴だったと云える。
僕が通っていた中学は台原という山を切り拓いた処にあって,急な坂道が何処までも続いた。家のある方角からの登下校ルートは2つあって,ひとつは2車線の比較的真っ直ぐ目な大きな道路,もうひとつは1車線しかない森に続く墓地の脇を通る曲がりくねった道路で,こちらは眼下に川を眺めることが出来,出口が尼子くんちのある寺の方角へ出た。小学生の時にカブトムシやクワガタを獲りに朝早く出向いたのは大体後者のルートであり,此処で拳大のスズメバチに追いかけられた。
冬は暗くなると視界も足場も悪いし,痴漢も出やすかったので(僕は関係ないが)余り使わなかったが,夏場は緑の中を潜り抜けて自転車を滑らせるのが爽快だったので,5回に1回の割合でこちらを通って帰った。
玉虫を見たのは夏季講習の帰り道で,自転車で滑り降りていく時に,僕の肩に当たって道端に落ちたものがあった。急ブレーキをかけて自転車を停めて振りかえったら,玉虫が転がっていた。実物を見るのは初めてだったが,羽根の色が独特なのですぐにそれと分かった。珍しかったので捕まえるべく登り坂を戻りかけたら,彼はすぐに体勢を立て直し,あろうことか僕の頭の真上を通って飛んでいった。見上げた時に聴いた玉虫の羽音と,彼の向こうの若葉の葉擦れとを今でもまじまじと思い出せる。それが最初で最後だった。僕はまた両目2.0の節穴に戻った。

松田洋次さんのホームページによると,大林監督の次回作は「淀川長治物語 サイナラ」,一連の「三毛猫ホームズ」同様16mmテレビ映画のようだ。既にクランクインしていて11月に日曜洋画劇場で放送予定らしい。一体誰が淀長さんを演るというのだろう。よもや小松与太八左衛門さんという訳では…(な訳ないって)。

昼抜きでシネリーブル博多駅とTNCを往復,17時頃にようやくTNCビルのカレーバイキングの店に入れば,客は僕ひとりで,こちらに背を向けたままソファに両膝を乗せて棚をみがくおねえさんのお尻を見乍らシーフードカレーをいただく。道が混みそうだったので,今日も長妹んちに寄るのはやめることにする。許せ。

20時前に帰宅。
すぐに電話が入ってずるずると一日働いてしまった奥さんを迎えにスクールへ。おつかれさん。


 
7月23日(金)「申し訳ございません」

上司のAさんや先輩のKさんが休みの日に限って,ライン休止障害が発生する。
直接原因はよその部署なのだが,業務側窓口として午后はI本くんを伴って工場を3ヶ所回って,それぞれのおエラがたに説明と謝罪を繰り返す。
あやまるというのもリッパな仕事なのである。
昨日・今日と,仕事の内容がいちいち濃いのは,やはり社外研修の祟りか。来週が思いやられる。

気分を変えて夜はレイトショウで「踊れトスカーナ(96・伊)」。まずまずのコメディ。
ローバジェットで苦労しているのはいずこも同じなようで。ターザンのシャウトで納屋に突っ込むあたりは大森演出みたいだった。それ以外が全然違うけど。


 
7月22日(木)「虫愛でる姫君」

数えて5日振りの出勤。
しかし悪い事は出来ないもので(別に悪い事はしていないのだが)なんだかんだとシステム切替にまつわる不手際が重なって退社が23時になる。
帰宅して玄関を抜けると襖の向こうからおねえさんモードに入った奥さんの声が漏れてくると思ったら,久し振りに愛ちゃんから電話がかかっていた。現在は契約社員としてNHK勤務とのこと。周囲からヲタク扱いされて困っているんですとこぼしていたから,きみは決してヲタクなんかではないと思った通りに云う。そう,彼女は服にたとえれば生成りのシャツのようなひとなのだ。彼女みたいなハックルベリー・フィンのような女の子(愛ちゃんにそう云ったら「それは最上級の褒め言葉です」と喜んでくれた)が世間の相場から見ればマイノリティなのは確かだが,それだけで「ひとまず」ヲタクとカテコライズしたくなるのはいかがなものか。余りにも安易な括りかただし,加えて頭もワルい。彼女は今も昔も変わらぬ,愛すべき「虫愛でる姫君」なのである。尤も,「虫愛でる」はあくまで比喩であり,当の彼女自身は虫はおろか生き物全般がキライなひとであることをお断りしておく(何しろ,ホームステイする際にも「犬を飼っていない家」を切望したくらいだ)。
訊けば,今月頭にパソコンを買ったので,いいプロバイダを紹介してほしくてウチを思い出したとのこと(結局何の関係もない話を映画1本ぶんくらいしたけど)。愛ちゃんと向かい合う時は常時おねえさんモードになる奥さんなら一から百まで手取り足取り教えてくれること請け合いである。今はばしばしメールを書きたいそうなので,春先のカナダ・ホームステイ滞在記なんかを期待して待つことにする。
折角なのではるさんの電話番号も「彼んちの留守電メッセージ物真似付きで(はるさん,ごめん)」教えておく。
はるさんもまたこよなく愛ちゃんをアイしているひとなので,彼女からの電話なら歓迎してくれるだろう。

そんな愛ちゃんもこの秋で26になる。そりゃ皆んな齢もとるわな。あまぞんにはアロワナ。


深夜の「総理と呼ばないで」回顧企画。第2話「陰気なパーティー」
ネクタイ姿に違和感があるせいだけではなく,この時の田村さんはあきらかに心持ちふっくらしている。主席秘書官の最后の台詞「悪い人ではないんだ。悪い人では」くう,当時の感動が蘇るなあ…。ひたすらオモシロいぞ。

続けて「いろもん」。珍しくテレビに出るイッセーさんの勇姿を見て,久々に彼のひとり芝居を観たくなる。もう何年も観に行ってないからなあ。いや,今年もIMSには来るんだけど,もはやチケットは手に入るまい。イッセー尾形というひとは(僕自身の怠慢で)どんなに舞台にブランクを置こうとも,変わらず気にかかるエンターテイナーのひとりだ。
云っとくけどすごいよ,あのひとの舞台は。

そー云えば「料理の鉄人」が9月いっぱいで終わるってよ。


 
7月21日(水)「胸の香り」

社外セミナー2日目。
先生,テキストを放棄して,競馬ゲーム作成過程で,総合的に構文やコントロールを修得させるという方法をとる。お蔭で少しだけほっとする。黄土色の声は相変わらずだが,底意の無いひとたちなので,馴れるとイヤじゃなくなる。そりゃ,忍耐は必要だけれどもさ。

宮本輝「胸の香り」(文春文庫)読了。
3年前にハードカバーが出た時は本の薄さに泣く泣く文庫化までの3年を待つ事に決めたものだが,待ってはみるものだ。執筆当時他界されたお母さんに呪縛された作品集。いや,お母さんに想いを巡らせつつも,彼女の封印を解いた,彼女から解放されたと云うべきか。いつか,さだまさしも書いていた事だけれど,父母が生きている間は差し障りがあるものの《表現者としては》書きたくてたまらないとっておきの挿話,想いがあるものだ。身近に実在しているだけに,これほど面白いテーマもないが,その実在故に現実との折り合いが難しい。そこで表現慾を優先させるとトルーマン・カポーティーの愚に堕ちてしまう。表現者としての孤高と,誰からも相手にされないこととは心に受ける痛みの質が全然違うからね。という訳で,本作品集の輝さんは表現者として生死の境すれすれの満身創痍になり乍ら,各作品はそれでもゆるぎない人間讃歌に着地していく。まったき溜息が出るほど素晴らしい表現者である。

夜,奥さんが寝たのを見計らって「総理と呼ばないで」を観返す。いや,「竜馬におまかせ!」探索が頓挫しているので。
予想されていた事だが,本放送の時より格段に面白い。個性豊かな演技陣のアンサンブルといい,聴き過ごしていたダイアローグの妙味といい,新しい発見が随所にある。楽しかったので,毎晩一話ずつ観ていくことに決める。



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